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勉強ばっかりと、音楽漬けだった高校時代。未だに音楽に関しては学ぶことが多々ありますが・・・惜しみなく好きなことを勉強させてくれた親に、心から感謝しつつ。高校時代には、戻りたくありませんけれど。でも、学んだことは、決して無駄にはなっておらず。ムスメが産まれてからは、以前のように気軽にコンサートには行けなくなりましたが、代わりに今は、ムスメと一緒に音楽を存分に楽しんでいます。三線も、その中の一つ。沖縄つながりでココロ惹かれて始めた、私の趣味。哀愁漂う背中は、私の三線の先生、海童先生です。みなさんの許可を取っていませんので、(わざと)ぼかしてみました。わざとですよ、わ・ざ・と!おや?右端に、何だか見覚えのある人が・・・小野寺夫妻ではないですか~ご夫婦で三線するのが夢だったそうです。仲睦まじいわ~。場所は、博多区にある住吉神社の野外舞台。木造で、趣きのあるステージでした。私が(今は、長いことお休みしている住吉教室)通っている住吉教室のメンバーのみなさん。そうして、ステージの下では、小さな人々の砂祭りが・・・小野寺さん家のたまちゃんとあんちゃんに再会し、ムスメの興奮も絶好調に・・・みなを引き連れて、砂遊びに拍車がかかります。神聖なる舞台の下にいいいい~山がいくつもおお~~できていたのおおよおお~みんな、一生懸命弾いている大人の三線なんてええ~~聴いてないのよおおおお~演奏が終わっても、ミニ祭りは永遠に続きそうです・・・そんな彼らに最高のお誘い文句と言えば「祭りに行こうよ!」ついて来た~ムスメは、小野寺夫婦に、ごく当たり前のように着いて行く~私は無視されえええ~~気がついたら・・・小野寺パパから、小野寺家のちびっ子に混じって、金魚すくいまでさせてもらっていました。(重ね重ね、ありがとうございました)そうして、金魚を御馳走になったので、お返しに、出店と言えば、「たこ焼き」ってことで、ちびっ子にたこ焼きをプレゼントすることに。*注意:出店などで食べる食べ物に関してまで、「マクロビやってるからだめ!」とか、目くじら立てたりしません。子どもにとって、楽しい思い出になる場合も多々ありますので、家では、お祭りやよそに行った時限定でと~きどき与えています。そんなこんなで、ムスメ、「ええええ~~~?たこやっきいいい~~~♪やったあああ~~~♪」と喜ぶ喜ぶ。しかし・・「タコ」が嫌いだったことをはたと思い出したらしく。タコはぺえっと吐き出して、住吉神社の境内のどこかの木のふもとに丁寧に埋めて、「焼き」だけを食べていました。(笑)その日ムスメが食べたジャンキーフード「焼き」一個。楽しい思い出になったようです。↑↑いつも応援ありがとうございます^^♪
2007.08.04
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最近、他の話題ばかりだったので、いろんなところから「レシピ載せて~」とリクエストが・・・ごめんなさい、さぼってばかりで。玄米はカルシウムが少なく、リンが多いのが欠点。また、ビタミンAとビタミンCもありません。「流行ってるからって、あなたたち、玄米ばっかり食べてりゃいいってもんじゃないのよ」とは、東城百合子氏のお言葉。(き、厳しい・・・)玄米を食べる時は、以前も書きましたように、ビタミンを補う意味で小松菜、ほうれん草、大根葉等の緑の濃い野菜を一緒に採るのがベスト。また、カルシウムの多い海草類、ごまを煎ったものに塩味をつけたもの(ごま塩)と一緒に採ることで、バランスが取れるのです。そこで、今回は、玄米食に欠かすことのできない、ごま塩のレシピ。マクロビオティックでは陰陽に基づき、ごまと塩の量も細かく決まっていますが、ここでは、そこまでは追求しないことにします。気軽に作ってください。胡麻と塩の割合は大匙で8:2(黒ごまが大匙8杯、塩が大匙2杯)くらいが丁度良い塩加減です。塩が強い方がお好みの方は、7:3位で作られたら良いでしょう。その逆。塩からいのが苦手な方は、9:1の割合です。それから、胡麻は酸化する食べ物なので、面倒くさくてもこの割合で作ったら2週間ほどで使い切ってしまい、なくなったらまた作っていきましょう。自分で作ると本当に美味しいです。玄米の美味しさも、これでぐぐんとアップ。ここは、面倒くさがらずにやってみてください。まずは、材料から。これも何度も書きますが、塩とごまは厳選していただきたい。家で今回使ったのは、これ。塩もごまも、他にも多種出ているので、自分の好みに合った物を使うとよいでしょう。化学処理された塩じゃなくて、本物の塩を使ってくださいね。まず、フライパンで塩を煎ります。パチパチと音がして、さらさらになってきたらいいでしょう。次に、黒ごまを同じく煎ります。ごまのいい香りが漂い、2・3パチパチと弾けてきたらオッケーです。すり鉢で、塩を丁寧に丁寧に擦っていきます。塩の粒がさらさらになって細かくなるまで丁寧に擦ります。(黒い粒は、先に黒ごまを擦ってしまったので、黒ごまが入ってしまいました。すみません。)パウダー状になるまで擦り終わったら、黒ごまを足していきます。すりこぎで丁寧に擦ります。随分細かくなってきましたが、まだまだ擦ります。ここまで来ると、胡麻のいい香りで台所はいっぱいに。塩もごまもさらさらのパウダー状になったら、出来上がり。爪楊枝を何本か合わせて、残ったごま塩も丁寧に取ります。後は、好きな器に入れて、食卓に常備。今回は、カナダにいた友人からいただいたメープルシロップの容器が活躍しています。ね、簡単でしょう?簡単だけど、材料を選んだり、煎ったり、擦ったり、という行程は、普通から考えたらめんどうくさいことなのかもしれません。買ったら早い、けど。早かろう、安かろうは、そろそろ卒業しなければいけないかな、と。(ちなみに、これ、買ったら高いです。100グラムくらいで、500円くらいはするかもしれません。)マクロビオティックをはじめて一番変わったのは、面倒くさがり大魔王の私が、料理をする時に「めんどうくさい」とあまり思わなくなったことかもしれません。↑↑よろしければ、本日もクリックのご協力をよろしくお願いいたします^^♪今日は、素敵な出会いがありました。写真撮ってきましたので、後日、アップしたいと思います。
2007.05.24
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いつも、このブログにコメントを寄せてくれている広島のゆめみんさんが、さくらに会いに来てくれました。ゆめみんさんは、29歳のとき乳がんと診断され、その後、転移。9年間、ずっと闘病中です。「今週末から厳しい治療に入るから、その前に、さくらさんに会っておきたかった」と、きょうは、酸素ボンベを引きながら、ご両親とともに、お参りに来てくれました。ゆめみんさんは、さくらのがん友。6年以上の付き合いになります。昨夜、電話があったときは、「体調があまりよくない」とのことだったので、顔を見るまで不安だったのですが、自宅近くの居酒屋で、一緒に夕食を囲んだところ、「絶対に長生きしてやるんだから」ゆめみんさんは、そう言って、焼きおにぎり、鶏セセリのオイスターソース炒め、刺身、ナスとイカのサラダ、鶏の唐揚げ、塩サバをペロリ。生ビールの大ジョッキも飲み干しました。ゆめみんさんの「がんには絶対に負けない」という決意表明ですね、これは。きっと、だいじょうぶ。がん患者さんたちの希望の光になってくれると信じています。
2009.08.18
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今朝、娘は人生最高の笑顔で家を出ました。「学校まで手を振りに行くぞ」と玄関を出ると、「お願いだから、それだけはやめて」と制止されました。嫌がる娘を思いっきり抱きしめて、すりすりして、マンションのエレベーターの前で見送りました。待ちに待った修学旅行。目的地はママの故郷、長崎です。家族で行った思い出のハウステンボスもコースに入っています。数日前から、準備物のチェックをしていました。なんと、娘は班のリーダーになったそうです。まとめ役ができるのか、やや不安です。旅行前にはちょっとした悩みもありました。お小遣いは、4,000円までと決まっているのですが、同級生から、「一緒に5,000円持って行こうよ」と声をかけられたらしく、「持って行かなかったら、仲間はずれにされるかも」と心配していました。結局、「嫌われてもいいや」と同級生の誘いには乗らなかったみたいです。こんな小さな決断の積み重ねが成長につながるのでしょう。娘にとっては短い一泊二日ですが、パパにとっては長〜い一泊二日。あす夕方帰宅したら、思いっきり、すりすりしてあげましょう。
2014.06.04
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千恵が歩くことさえ難しくなっていたころ。僕は、新聞社の出版編集の部署にいた。タカコ ナカムラさんと千恵の共著の本を作ろうと考えていた。タカコさんは、千恵が尊敬する料理家。僕は、本が完成すれば、千恵の病気が治ると信じていた。公私混同も甚だしかった。でも、残念ながら、時間が足りなかった。あれから7年余。娘のはなが、著者として出版を引き継いでくれた。タカコさんも喜んで引き受けてくれた。はなは、1年前から、千恵が作った料理と思い出を振り返りながらメモをとっていた。撮影は、あのころから製作スタッフとしてお願いするつもりだった東京在住のカメラマン野口 修二君。当時から、千恵が料理をしている写真もたくさん撮りためてくれていた。本は11月に発売予定。タイトルは「はなちゃん12歳の台所」に決まった。昨夜、出版元である「家の光協会」の編集者から本の初校が届いた。ページを開いた。コラムには家族のエピソードが満載。料理は懐かしく、いろんな場面がよみがえる。本作りにかかわってくれたみんなの思いが詰まっている。レシピ本だというのに、読んでいるとなぜか泣けて、時々、笑える。「あいつの供養になるかな」などと、物思いにふけるシルバーウィーク前半の朝。連休中、この初校と出来立ての絵本を持って、墓参りに行こうと思う。【楽天ブックスならいつでも送料無料】はなちゃん12歳の台所 [ 安武はな ]こちらは、9月17日に講談社から発売された絵本。【楽天ブックスならいつでも送料無料】絵本はなちゃんのみそ汁 [ 安武信吾 ]
2015.09.20
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「はなちゃん、(あなたの人生は)これからいい人生だと私は思います」「あなたは立派なお嫁さんになるわよ」娘のはなは、緊張しながら、大女優からの温かいメッセージに聞き入っていた。2016年2月9日、NHKの報道番組「クローズアップ現代」に出演した。テーマは「ガンを“生ききる”〜残された時間 どう選択〜」。スタジオには、全身にがんが転移している俳優の樹木希林さんがゲストで生出演。その希林さんが、涙を拭いながら、はなに語りかけてくれたのだ。希林さんは見事に「生ききった」と思う。「生ききる」とは、どう生きるかのお手本を残された人に示すこと。そう感じた。僕も死ぬ間際まで生ききりたい。希林さん、心からご冥福をお祈りいたします。
2018.09.17
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僕と娘の暮らしをモデルに、わが家の10数年後を描いた短編小説がある。「こーちゃんのおみそ汁」7本の短編をまとめた単行本「あつあつを召し上がれ」(新潮社)の中に収録されている。著者は、作家の小川糸さん。2011年に出版された本。久しぶりに読んだ。幼いころに母、秋子を亡くした呼春(こはる)が嫁ぐ日の朝、父親にみそ汁をつくる。母親に教わったみそ汁。父のためにつくる最後のみそ汁。もし、自分が生まれてこなければ、母は命を落とすことはなかったのでは。そう悩む娘に父は、こう答える。「確かに、出産したことで、秋子は体力を落としたかもしれない。でも、呼春が生まれて再発するまでの数年間は、本当に僕たち夫婦にとっては、天国だったんだ。その時に、人生のすべての喜びを、思う存分、味わったんだ。それに、もし、こーちゃんがいなかったら、お父さんは一人で淋しくて、耐えられなかったよ。だから、すべてはなるようになっているんだと思う」いつか、そんな日が僕たち親子にも訪れるかもしれない。』」文庫本もあります。あつあつを召し上がれ [ 小川糸 ]
2016.11.18
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コンサート終了後、ロビーでご挨拶をしていると女性2人が僕のところに駆け寄り、こう言いました。地震で家もなんもかんもなくなってしもうたけどみなさんの歌や語りに元気をもらいました。仮設住宅にずっと閉じこもりがちでした。きょうは出て来てよかったです。熊本地震の復興支援に取り組む全労済熊本県本部からの委託イベントとして開催した「いのちのうた」。そもそもは、12年前から福岡の神社やライブハウスで開催している小さな音楽イベントです。千恵の追悼コンサートとして続けてきましたが今回は初めての福岡以外での開催。しかも、経験のない大ホールでした。本当にやってよかった。やらせていただき感謝しかありません。「いのちのうた」で、いつも思うのですがステージに千恵がいるような気がするのです。今回は特に、一青窈さんの「ハナミズキ」を舞台袖で聴きながら、そう感じました。石ちゃんのパフォーマンスが会場全体を笑いで包み込み三宅伸治さんは圧巻のロックで前列のおばあちゃんたちをノリノリに(笑)本当にすごい。さすがです。トップバッターの中学3年生丸山純奈ちゃんの歌声には癒されました。彼女はきっと大スターになるでしょう。三宅さんの「何もなかった日」は2007年にステージで千恵も歌った曲。オールキャストで「♬いいことがあるといいね〜」を会場1600人のみなさんと大合唱しながらいろんなことを思い出して涙、涙。心身の両面から支えてくれたバンドメンバーの梶浦さん、渡辺さん、小屋敷さん舞台監督兼務の舛田さん、鍵盤の郡奈津子さん。比良松先生のピンチヒッターでホーンセクションに入ってくれた石橋由紀乃ちゃん全労済の和泉さん。三宅さんのいきなりの振りで歌声を披露した阿久根監督。みんな、みんな、最高です。MCを務めてくれた「よかあんばい JAPAN」の園木さん、中村さんにはいつも無理なお願いをしてばかり。個人的にお礼をしなければなりません。来年3月は東京。赤坂見附のライブハウスです。恒例の福岡は、7月13日(土)の予定。詳しくは、またお知らせしますね。アンコールのJUMP。ラスト8小節でサックスのリードが緩んだのか音がめちゃくちゃになってしまったことをお許しください。そこまでは珍しくうまく吹けていたのに(涙)次回、リベンジします。多分。何をやってもウケる。そこにいるだけでウケる。三宅さん、石ちゃん、一青窈さんのセットリスト。「スローバラードをサックスソロで演奏してよ」と三宅さんと石ちゃんからしつこく言われましたが、丁重かつ頑なに拒否させていただきました。年齢を重ね、どんどん美しくなる窈さん。以前から「いのちのうたで歌いたい」と言ってくれていました。やっと、実現しましたね。子育てと仕事で忙しい中、本当にありがとう。当日初めて顔合わせのバンドとのリハーサルで、まとまり感と完成度に驚かれていました。肌の露出がちょっと多くないかい。はながずっと会いたがっていた純奈ちゃんとのツーショット。君の夢を実現させるのがパパの仕事。ママのときもそうだったんだよ。千恵が亡くなった10年前、いのちのうた継続のきっかけをつくってくれたベースの渡辺圭一さん(右)とブードゥーラウンジの小屋敷さん(左)。ダンスユニット「はなまな」のリハーサル。ステージ後ろの幕は、矢野きよ実さんの書。純奈ちゃんの衣装がかわゆすぎる。すぐに脱ぐ石ちゃん。右は会社の後輩の佐藤デスク。奥は、よかあんばいJAPANの2人。どうしても石ちゃんの写真が増えてしまいます。撮影したくなる存在。このあと、一緒に熊本の商店街を練り歩き、大パニックになりましたが、若者たちの写真撮影に気軽に応じておりました。こんな芸能人、なかなかいません。阿久根監督と石ちゃん。いつか石ちゃんを映画に。左から、ドラムの梶浦さん、ボーカル兼ギターの三宅さん、ベースの渡辺さん、お笑い担当でボーカルの石塚さん。馬刺しと伊勢海老の刺身、辛子蓮根、赤牛うまかったです。締めはみそ汁。お約束の「まいう〜」。Bar Colonで「世界一の乾杯」。石ちゃんのおごり。オーナーの鶴田さん、また行きますね。真ん中は、トランペットの由紀乃ちゃん。深夜の路地裏を歩くバンドマンと新聞記者。三宅バンドのメンバーと。三宅さんをはじめ、梶浦さん、渡辺さん、小屋敷さんの協力がなかったら、熊本での開催はあり得ませんでした。お疲れさまでした〜。三宅伸治 TRIBUTE ALBUM ソングライター一青窈 歌祭文 -ALL TIME BEST-石塚英彦 ロケットPORU(丸山純奈)145はなちゃんのみそ汁
2018.10.21
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高校生の娘が過去に風疹の予防接種を受けていたかどうかが分からなくなったので、母子健康手帳を取り出し確認していたところ、珍しく娘が興味深そうに横からのぞき込んできました。 1歳6カ月のページ。「子育てに困難を感じることがありますか」の問いに、ママが「何ともいえない」に丸をつけているのを見て苦笑いする娘。 「ちょうど、がんが再発したころやったけんね。ママは、はなを抱っこできんことが悲しそうやった」と理由を説明。 我ながら見事なフォロー。 さらにページをめくる。5歳まではしっかりと子育ての記録が書き込まれてあったけど、6歳からは白紙のまま。 それを見た娘が「ここで終わっとるやん。なんか涙が出てきた」 切なくもあったけど、母子健康手帳をテーブルの真ん中に置いて、久しぶりに親子でゆっくりと会話ができました。 「8年間の闘病、よくがんばったと思うよ」 「パパにとっては長かったやろ」 「どうして?」 「だって、ママもつらいだろうけど、家族も同じくらいつらいんじゃないの。つらいことって、長く感じるじゃん」 確かにね。 でも、つらいことばかりじゃない。あらためて娘に伝えようと思います。
2018.10.17
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また、はげた。つるつるにはげてしまった。人生二度目のはげ体験である。今、家の流行語は、「はげビーム!」だ。ビームできる相手は、家族限定だけど。流行語大賞、いただき。全身で拒否していたのに。最終的に、断る勇気をもてなかった自分がはがゆい。何を断れなかったかというと、「抗がん剤」である。今、私が抱えているがんは、両肺と肝臓に星の数ほど。肺のリンパ、それから骨に数箇所。正確に数にすると、どれだけあるんだっていうくらい。でも、「おっ」と驚くくらいがんを抱えている割には、とっても元気である。だから、状況だけを伝え、その後に私の顔を見た人たちは、本当に驚く。入院してて、管に沢山繋がれて、痩せてて、元気がなくて…、と、普通の人なら大体そういう想像を膨らませているらしい。中には、恐る恐る顔を見る人なんかもいたりする。で、私の顔をまじまじと見て、拍子抜けしている。がん。しかも、全身に転移したがんだ。普通、人は、再発転移したがんは治らないと決め付けているらしい。でも、私はそうは思わない。がんも、風邪や他の病と同じように、治るものであると思っている。誰が治らないと決めたのだろうか。それは、人間が決めたこと。強い強い思い込みだ。がんは治る。必ず。これから数ヶ月かけて、いや、数年かかるかもしれないが、私はがんを治す。今は、抗がん剤を使用しているけれど。同時に、免疫治療を続けている。玄米と、正しい心と、生活で。これからのがん治療は、早寝、早起き、玄米ご飯から。ここから、全てが始まる。誰が何と言おうと。文句がある人には、容赦なく。「はげビーーーム!」
2006.12.09
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最愛の人との死別はつらく悲しい。時には失ったものがあまりに大きくて人生の土台が揺らぐほどのショックを受け深い絶望の淵に投げ込まれてしまうこともあります。長い間、「この悲しみを心の中から完全になくしてしまいたい」と考えていましたが14年近く経った今「悲嘆を抱えたまま生きることは、そう悪いことではない」と思えるようになりました。喪失のあとに訪れる悲嘆。悲嘆からの家族の再生を綴りました。「はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の『いのちのうた』」(文藝春秋)はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.02.11
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死別と喪失からの再生を綴った「はなちゃんのみそ汁 青春篇」。2022年2月、文藝春秋から刊行しました。父と娘と食卓と 〜母を亡くした父娘の物語〜(日テレNEWS)「はなちゃんのみそ汁」から10年、喪失感やいじめと向き合った父娘のその後執筆中に参考にしたのが、亡き妻千恵のブログ「早寝早起き玄米生活」でした。このブログは、これからも僕が引き継ぎ、この場所に残すつもりですが、もう一度、過去に遡り、千恵の日記を振り返りたいと思っています。そこで、心機一転、引っ越します。新しいブログを開設することにしました。こちら→はなちゃんのみそ汁 Official Blogこちら→はなちゃんのみそ汁 番外篇このまま「楽天ブログ」をお読みいただいても、もちろん構いませんが、約16年分の日記は、初めてお越しになられた方にとっては、途方に暮れそうな分量です。引っ越し先では、千恵が綴った「早寝早起き玄米生活」(2006年12月〜)を少しずつ紹介していきます。公園を一緒に散歩するような気持ちでお付き合いいただければと思います。そのとき、千恵が何を考えていたのか。誰にどんなメッセージを伝えようとしていたのか。彼女の文章に、毎日ゆっくりと目を通しながら、家族の歴史を見つめ直し、未来を考える機会にしたいと思います。きっと、こうした作業は、僕にとってもレジリエンスにつながるはず。過去の日記にコメントを挟みながら、「はなちゃんのみそ汁 青春篇」に盛り込めなかった話や支えてくれた人たちとのエピソード、現在の僕と娘の日常なども織り交ぜたいと思います。まだ、千恵のブログを読めないままでいる娘にも読んでほしい。さっそく、娘が新しいブログをフォローしてくれました。娘に登録解除されないように頑張ります。家族で行った最後の温泉旅行はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.03.19
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新年、振袖を着た娘と両親と一緒に家族写真を撮りました。千恵が生きているときに、僕はなぜ、娘と3人の家族写真を撮らなかったのだろうか。実家は写真館なのに。悔やんでも悔やみきれません。がんであろうがなかろうが、人はいつどうなるかなんて、誰にも分からない。千恵がいない家族写真を見ながら、千恵の言葉を思い出します。築50年の古い写真館(福岡県宮若市福丸)のスタジオで、写真撮影を体験してみませんか。いわゆるレンタルスタジオのようなイメージです。僕か父のどちらかが撮影しても良いのですが、例えば、お父さんやお母さんが、自分で家族を撮影するのもおすすめです。カメラの設定はお任せください。撮影者も一緒に写りたい場合は、シャッターレリーズもあります。セルフタイマーを使ってもいいですね。撮影機材はすべてそろっています。画像データはRAWまたはJPEGでお渡しします。ちなみに、下の画像は、手持ち撮影でストロボ未使用、JPEG撮って出しです。開店休業状態、老夫婦の店です。利益を得ようなんて気持ちはありませんので、お代も気持ちで構いません。ただし、プリントはご自分で。必要な場合は対応もできます。撮影ご希望の方は、僕まで連絡いただければご案内いたします。新刊「はなちゃんのみそ汁 青春篇」(文藝春秋)。はなちゃんのみそ汁 青春篇 父と娘の「いのちのうた」 [ 安武 信吾 ]
2022.01.22
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