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1月下旬に「インテルメッツォ」を入れて、2ヶ月以上にもなりますのでこの辺りでもう一度「インテルメッツォ」にしてみます。
随分前から探していたレコードを手に入れる事が出来ました。スアンの"オルゴールの恋唄"というシングル盤です。発売時期からして東京音楽祭の曲だと、ズッと思い込んでいました。1975年第9回ヤマハのポプコンで渡辺真知子(PIAというデュエット・グループ)が歌って、審査員特別賞(川上賞)を受賞した曲のイタリア語盤。B面の"ティ・アモ"は75年ヤマハ世界歌謡祭の曲(この時はアンナマリア・バラッタ名)で出場しています。
スアンことアンナマリア・バラッタを紹介していきましょう。
スアンの国内盤
DSP- 105 (1976年7月 DISCOMAIT - ビクター音楽産業) オルゴールの恋歌 (NINNA NANNA D'AMORE INCARILLON)/ティ・アモ (TI AMO)
DSP- 105
KICP- 572 (1997年4月9日 SEVEN SEAS - キング) CD アヒルのオレンジ風味 (N L'ANATRA ALL'ARANCIA)
1.アヒルのオレンジ風味~メイン・テーマ(ヴォーカル・ヴァージョン) (CANARD A'L'ORANGE)
3.いずれきっと (PRIMA O POI)
5.エンファド (ENFADO)
8.ターニング・ミー・オン (YOU KEEP ON TURNING ME ON)
10.アヒルのオレンジ風味~メイン・テーマ(ヴォーカル・ヴァージョン) (CANARD A'L'ORANGE)
KICP- 572
KICP- 607
KICP- 607 (1997年9月26日 SEVEN SEAS - キング) CD エスプレッソ【昼】 (ESPRESSO/CINEMA ITALIAN STYLE)
2.ターニング・ミー・オン (YOU KEEP ON TURNING ME ON)
KICP-3214 (2007年7月11日 SEVEN SEAS - キング) イタリアン・ナイト・ジャズ・ボサ・ラウンジ (ITALIAN NIGHT JAZZ-BOSSA LOUNGE)
24.アヒルのオレンジ風味(CANARD A'L'ORANGE)
KICP-3214
NKCD-6412

NKCD-6412 (2008年3月17日 KING - 星光堂(キング)) オーガニック・カフェ ORGANIC CAFE')
14.アヒルのオレンジ風味~メイン・テーマ(ヴォーカル・ヴァージョン) (CANARD A'L'ORANGE)
★ スアン {アンナマリア・バラッタ} SUAN { ANNAMARIA BARATTA } (vf)
本名アナマリア・バラッタ(ANNAMARIA BARATTA) 1950年10月1日~1996年12月5日ローマ生・没、歌手、声優。 スアンの芸名は74年以降に使われ、デビュー当時はANNA MARIA BARATTAの表記をしていた。
1967年ローマのパイパー・クラブ※で有名振付師ドン・ルリオ(Don Lurio)とめぐり会ったのが歌手になるきっかけでした。彼は彼女のダンスを見て、ミタ・メディチ(Mita Medici)の対抗馬にしようとしますが、彼女はその気がありません。 実際はイタリアで撮影の米女優ラクエル・ウェルチのスタントをしています。
その後、女優をしながら学校も続けます。RCAの新人オーディションでは「試験採用」ので入社をすることが出来ました。.68年夏に自分が出演した番組主題歌で歌手としてデビュー、"Stanotte sognerò"は良い曲でヒットしました。
TL- 11 (1968年TALENT - RCA ITALIANA) STANOTTE SOGNERO'/E STRINGO IL VENTO

ウィキペディア・イタリア版ではTL- 11がデビュー盤として紹介されていますが、レコード番号としてはそれより若いTL- 7 (1968年TALENT - RCA ITALIANA) CIAO NICOLO'/QUANDO GUARDO I TUOI OCCHIが出ています。翌69年サンレモ音楽祭に"なんて寒い(Ma che freddo fa)"を歌うべくイメージ・チェンジを図りますが、1年後輩のナーダ(Nada)にその座を奪われてしまいます。この事辺りから彼女の運気逃します。
69年男の子を出産し産休の1年です。RCAに違約金を払い、70年SIFのRAREに移籍後 "Ciao devo andare" を出し注目されますが、トラブルに巻き込まれ、その間またもや第2子を妊娠し活動停止します。
72年復帰後フォニット・チェトラからアルバム(顔写真に使った画像)を出します。レベルの高い盤ですが、レコード会社がプロモーションをせず売上は良くありません。 74年運気を変えるため白鳥(Swan)を連想させるスアン(Suan)を芸名にしました。そしてニコラ・クロワジールのカヴァー曲"Pazzia (Il ne pense qu'a toi) "とシコ・フアルキのカヴァー曲"Canto di ringraziamento (Partido Alto)"をマーキューリーから出しました。
75年"愛の宿命 (Ti Amo (I Love You))" 76年"ドンナ・リベーラ (Donna Libera (Free Woman))" で日本のヤマハ世界歌謡祭に連続で出場しました。( 細部の正確さを欠きますが参考になります )。日本でしか"愛の宿命 (Ti Amo (I Love You))"は "ティ・アモ"として発売されませんでした。76年、前年契約したYEPとトラブルが起き、別にカムのリッツォーリから映画「アヒルのオレンジ風味」のサントラ盤を残します。挿入曲"ターニング・ミー・オン (YOU KEEP ON TURNING ME ON)"は76年冬のディスコ曲として評判となったそうです。
77年WEAイタリアーナのエレクトラから"Pelle (sigla di "Auditorio A") / Flas"を出します。これが彼女の最後の盤となりました。78年サント・カリフォルニアとのツアー途中でキャンセルし、ローマに戻ってしまいます。その後ラジオ司会者をし、アニメの声優となりました。
色々見ていくと本人の責任も大きいのですが、運の悪さも感じる歌手でした。
日本でもサンレモ音楽祭やユーロヴィジョン・ソング・コンテストを真似て、世界歌謡祭が開催されていました。ヤマハ世界歌謡祭は70年から秋に開催し、昭和天皇重篤のため89年開催中止になるまで続き、その後はユニセフ協賛の音楽祭となります。もう一つがTBS主催であった 東京音楽祭 です。 72年から92年まで年前半に開かれました。バブリ-でした。
サンレモ音楽祭が51年から途切れず毎年開催されている事は、凄いことだと言えるでしょう。
※パイパー・クラブ(Piper Club)
65年2月17日からローマで営業を始めたイタリアを代表するクラブ、地元ではパイパーで通じる若者向けのクラブ。当初からイタリアやヨーロッパの有名歌手やバンドが出演し、名が知れ渡っていましたが、特に所属する代表女性歌手が「パイパー・ガール(La ragazza del Piper)」と呼ばれ、開店当時の初代が カテリーナ・カセルリ(CATERINA CASELLI) でブロンドに染めたショートカット・ヘアだったため「黄金のヘルメット(Casco d'oro)」と仇名されました。また2代目も「お人形さん(LA BAMBOLA)」パティ・プラヴォー(PATTY PRAVO)も大スターとなり、その次がミタ・メディチでバラッタは4代目になっていたかもしれません。
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