毎日のように 「あるある大事典2」ねつ造問題
が
報道。
不二家もあるあるも同じ問題だと思う。
最初は「まずいよな・・・」くらいは誰かが感じていたはずだと。
だけど、大勢に流されて、個人のアンテナが働かなくなってしまい、
どこかしらでは「表沙汰になったらヤバイ」とは思っていても、
「今更どうしようもない・・」とばかりに、
下り坂を崖っぷちに向かって車を走らせているようなもの。
とにかく崖に落ちないようにハンドルをきるのが精一杯で、その道を走ること自体を止める選択肢はなかったんだろうか?
その先には行き止まりの崖が待っているだけの破滅的な行為であると気づかないままに・・・。
個人、個人となれば、判断できても、組織に紛れてしまうと個人の感覚が鈍るのだろうか?
「少しくらい・・いいか...」の考えが集まってしまった結果なのだろうか?
「まッ、いいか・・・」と、気にかかっているのに、そのままにすること
そして、その状態に慣れてしまうことは恐ろしいこと。
慣れたのではなく、鈍くなっただけのことだから。
鈍くなったのは、一つのことにとどまらず、他のことにも波及してしまう。
そして、自分の言動に責任を持たなくなる。「だって、みんなが・・」小学生の子どもじゃあるまいし、
自分がやったこと、自分が判断したことに責任を持てる言動でなくっちゃ!!
大事件に発展するかどうかではなく、自分の感覚を大切にしているか?
自分に言い訳していないか?
人や組織や社会やのせいにして一般化していないか?
自分自身を顧みる機会なのかもしれない。