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noririn☆

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January 1, 2010
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カテゴリ: 人生
暮れの紅白歌合戦を見ていて流れてきたのが「世界に一つだけの花」


「・・・♪僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で 一番になりたがる~♪」



知っていても、わかっていても、十分に理解していても、それでも・・・それでも自分は世界でたった一つの花と思えないのは何故なんだろう。
これは、“ただ、自分を肯定する(誰かと比べなくても)”ことができないと言う意味でもあるだろう。


以前読んだ本の一節を思い出す。

そこには、「人は生まれてくる時点で誰かのお世話にならなければ生きていけない。だから、そもそもが受身だと言える」と書かれていた。


誰かの手を借りて命を育む。だから、お腹がすいても、おむつが濡れても、どこかが痛んでも泣いて訴えて、誰かの手をかけてくれる人を呼ぶ。




だけど多くの場合、いつもほどよい距離にいて良いタイミングで手をかけてくれる人がいるなんてことはまずない。


自分を肯定するってことが中々難しいのは、生命を脅かされるようなストレス(お腹がすいたのにスグにおっぱいもらえないとかの大人からすれば簡単なこと)を幾度となく感じてきたからなのだろうか・・・なんて思った。


そして、受身だから、手をかけてもらうために、相手に受け入れてもらうために、喜ばせたり、可愛がられたりが必要になってくるのか。
確かに子どもは生んでもらった御礼を5歳迄で返すと聞く。そう言えるくらい5歳までの子どもは天使だから。


それ以降はドンドンと自我が前に出て、生意気になるから。
すると、たっぷりと無条件に愛を注ぎ、手をかけてくれた人が夜叉のようになって否定しにかかるなんてことが普通に起こる。
それも、悪気なくなのだ。


元々はそんなところから始まっているのだから、そこの仕組みを知れば、誰かと比べたり、誰かに肯定されなければ自分を肯定できないというのは、卒業したいと思う。


誰かに認められること、誰から必要とされること、誰かに肯定されることだけが、自分を肯定する術ではないと気づくときなのかもしれない。


そこに気づけば、今はもう自分で生きられる力をもったんだから、自分の選択で生きれば良いことを知るときなのかもしない。


幼く未熟だった頃の選択肢のない選択をいつまでも持ち続けることはない。






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Last updated  January 9, 2010 07:29:36 PM
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