イスラエル軍はガザへの攻撃を継続、建造物を破壊し、人びとを虐殺している。ハマスとの戦闘は苦戦しているとされているが、 ハーレツ紙によると、イスラエル軍はガザの約26%を制圧し、基地の建設や道路の舗装などを進めている
ようだ。
7月7日にイスラエル軍はガザ東部3地区の住民に対し、西側の「安全な場所」へ直ちに避難するよう命令、何千の家族が避難所を放棄し、指定された西側の地区へ移動した。 その数時間後、イスラエル軍は「安全な場所」を攻撃している 。イスラエル軍は非武装の住民を意図的に虐殺しているのだ。パレスチナ人をこの世から抹殺、つまり絶滅させようとしている。
イスラエル情報省が作成したと言われる昨年10月13日付の文書にはガザのあり方について3つの選択肢が書かれている 。オプションAは住民をガザに留め、パレスチナ自治政府(PA)の統治を導入。オプションBは住民をガザに留め、地元政府の設立。つまりハマス体制を公認するということだろう。そしてオプションCは住民220万人をシナイ半島への強制的かつ恒久的移住。言うまでもなく、イスラエル政府が望んでいたのはオプションCだ。
そのオプションCを実現させるため、まずシナイ半島にテント村を設営、シナイ北部に再定住用地域を建設、エジプト国内に数キロメートルの荒地帯を作り、移住させられたパレスチナ人がイスラエルとの国境近くで活動したり住んだりできないようにするとされていた。移住に応じない人びとは皆殺しということになる。この計画の実現をアメリカを始めとする欧米諸国は支援してきた。
こうした計画の背後には、19世紀にイギリスの帝国主義者が立てた長期戦略とシオニストの「大イスラエル構想」がある。
ユーフラテス川とナイル川で挟まれた地域は神がユダヤ人に与えたのだと主張する人がいる。パレスチナ、レバノン、ヨルダン、クウェート、シリア、イラクの大半、そしてエジプトやサウジアラビアの一部は「ユダヤ人」に与えられた「約束の地」だというのである。
その根拠とされているのがキリスト教徒が言うところの旧約聖書。ユダヤ教では旧約聖書の初めにある部分を「モーセ5書(トーラー)」と呼ぶ。そこに書かれているというのだが、トーラーは神が土地を所有しているとしている。ユダヤ教徒はトーラーを守るという条件の下で、その土地に住むことを許されただけだ。
シオニストは1948年5月にイスラエルの建国を宣言するが、先住民であるアラブ系住民は彼らにとって邪魔な存在。その邪魔な住民を追い出すため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動しているが、1936年から39年にかけての時期にもパレスチナ人殲滅作戦が実施されていた。
1948年4月8日にシオニストの武装組織であるハガナはエルサレム近郊のカスタルを占領、9日午前4時半にはハガナからスピンオフしたテロ組織のイルグンとスターン・ギャングがデイル・ヤシン村を襲撃した。
襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)
この虐殺を見たアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。
それに対し、国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。そして同年5月14日にイスラエルの建国が宣言された。
この時と同じ手法をイスラエル政府は実行しようとしたのだろう。昨年10月7日から今年6月19日までにガザでは3万7396人が殺されたとガザ保健省の発表、その約4割が子ども、女性を含めると約7割に達すると言われている。
実際の死亡者数はこうした数字よりも大きい。瓦礫の下には数千の遺体があると言われているほか、 ランサットによると間接的な死者は直接死者の3倍から15倍にのぼるとされている ので、12万人から60万人がイスラエル軍の攻撃で殺されたことになる。大量殺戮以外の何ものでもない。
しかし、パレスチナ人はイスラエルによる破壊と虐殺に立ち向かい、中東全域でガザを支援する声が高まっている。こうした声を各国の支配者も無視はできないだろう。