パレスチナ人との連帯を訴え、イスラエルによる虐殺を批判してきたサラ・ウィルキンソンが8月29日、イギリスの警察に逮捕された。8月上旬にはパレスチナ行動の共同創設者で、イスラエルによるガザでの虐殺に抗議していたリチャード・バーナードらも「テロ対策法」に違反したとして逮捕されている。
8月15日にはジャーナリストのリッチー・メドハーストがロンドンのヒースロー空港で逮捕された。メドハーストはイスラエル軍によるガザでの虐殺を伝えていたほか、WikiLeaksのジュリアン・アッサンジがイギリスで拘束された事件についても取材していた。
ウィルキンソンやメドハーストも「テロ対策法」に違反したとされている。イスラエルによるパレスチナ人虐殺を伝えることは「テロ行為」だということなのだろうが、この判断にキア・スターマー首相の意向が反映している可能性は高い。
スターマーが所属している労働党はイスラエルが建国されて以来、親密な関係にあったのだが、1982年9月にレバノンのパレスチナ難民キャンプ、サブラとシャティーラにおいて難民が虐殺されてから変化する。殺害された難民の人数はイスラエル側によると700名、パレスチナ側によると2750名だ。
この虐殺はイスラエルの国防相だったアリエル・シャロンが1982年1月にベイルートを極秘訪問したところから始まる。キリスト教勢力と会い、レバノンにイスラエルが軍事侵攻した際の段取りを決めたのだ。
その月の終わりにはペルシャ湾岸産油国の国防相が秘密裏に会合を開いた。イスラエルがレバノンへ軍事侵攻してPLOを破壊してもアラブ諸国は軍事行動をとらず、石油などでアメリカを制裁しないという内容のメッセージをアメリカへ送ることで合意することが目的だった。
6月3日に3名のパレスチナ人がイギリス駐在のイスラエル大使、シュロモ・アルゴブの暗殺を試みているが、命令したのはアラファトと対立していたアブ・ニダル派だと言われている。イスラエル人ジャーナリストのロネン・ベルグマンによると、暗殺を命令したのはイラクの情報機関を率いていたバルザン・アッティクリーティ(Ronen Bergman, “Rise and Kill First,” Random House, 2018)だが、この組織には相当数のイスラエルのエージェントが潜入、暗殺の目標を決めたのもそうしたエージェントだとされている。この事件を口実にしてイスラエルはレバノンへ軍事侵攻、市民1万数千名を殺した。(Alan Hart, “Zionism: Volume Three,” World Focus Publishing, 2005)
イスラエル軍がレバノンへ軍事侵攻、ベイルートを占領しても、事前の取り決め通りアラブ諸国は動こうとしない。PLOが孤軍奮闘する形になるが、ついに8月下旬から9月上旬にかけてレバノンから撤退せざるをえなくなる。
PLOがいなくなった直後、イスラエルと協力関係にあったマロン派キリスト教徒の中核的存在、ファランジスト党のバシール・ジェマイエル党首が爆殺される。その報復として同党は無防備のサブラとシャティーラ、ふたつのパレスチナ難民キャンプで虐殺したのだが、それをイスラエル軍が支援していた。
サブラとシャティーラでの虐殺に対する怒りはイギリスの労働党内部だけでなく、ヨーロッパ全体に広がる。そうした流れを危惧したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っている。そしてスタートしたのがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)。このプロジェクトには編集者や記者も参加しているため、その実態はあまり知られていない。
イギリスでは労働党を親イスラエルへ戻す工作も始まる。そこで目をつけられたのがトニー・ブレアだ。彼と妻のチェリー・ブースは1994年1月にイスラエル政府の招待で同国を訪問している。ふたりが帰国して2カ月後、ブレアはロンドンのイスラエル大使館でマイケル・レビーという富豪を紹介された。その後、レビーはブレアの重要なスポンサーになる。そして1994年5月、労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死、その1カ月後に行われた新党首を決める投票でブレアが勝利した。
ブレア時代の労働党は「ニュー・レイバー」と呼ばれ、「第3の道」というスローガンを掲げる。第1の道とはクレメント・アトリー労働党政権が打ち出した「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家路線。第2の道とは1979年からマーガレット・サッチャー保守党政権が進めた新自由主義的な路線。こうした路線とは別の新しい道を歩くというわけだが、実態はサッチャーに近かった。
イギリスでは1994年に労働党が政策を大きく変更、福祉国家路線を放棄し、イスラエルとの関係を緊密化されているが、その翌年、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれている。(この問題は本ブログでも繰り返し書いてきたので、今回は割愛する。)
ブレアのネオコン/新自由主義的な政策を一般の労働党員が支持していたわけではない。そうした党員に後押しされて2015年9月から労働党の党首を務めたのがジェレミー・コービン。労働党的な政策を推進しようとした政治家で、アッサンジを支援、イスラエルのパレスチナ人虐殺を批判している。
こうした政策変更に怒ったのが米英の支配層。両国の情報機関はコービンを引きずり下ろそうと必死になり、有力メディアからも「反ユダヤ主義者」だと攻撃されて党首の座から引き摺り下ろされた。2020年4月4日からスターマーが党首を務めている。
彼は自分の妻ビクトリア・アレキサンダーの家族がユダヤ系だということをアピールしてきた 。彼女の父親の家族はポーランドから移住してきたユダヤ人で、テル・アビブにも親戚がいるのだと宣伝している。イスラエル軍によるガザにおける住民虐殺にスターマーは反対していないが、これは必然だ。
イスラエルによる虐殺を暴き、さらにウクライナでの実態を伝えていたアメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターの場合、パスポートを空港で押収され、家宅捜索を受けた。
7月にはオーストラリア・シオニスト連盟がオーストラリアの有名ジャーナリスト、メアリー・コスタキディスを人種差別法違反で同国の人権委員会に苦情を申し立てると発表している。彼女がXでイスラエルを批判するツイート2件をリツイート、それが人種差別法に違反していると主張しているのだ。
その前からアメリカを中心とする支配システムの権力者は言論弾圧を強めている。内部告発を支援していたWikiLeaksの象徴であるジュリアン・アッサンジは長期にわたって刑務所で拘束され、ウクライナに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人ジャーナリストのゴンサロ・リラは刑務所内で拷問され、死亡した。
パレスチナにおける虐殺の生々しい実態を知る最善の方法はテレグラムを調べることだろうが、そのテレグラムを創設、同社のCEOを務めているパベル・ドゥロフは8月24日、パリのル・ブルジェ空港で逮捕されている。
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【 Sakurai’s Substack 】