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サウード家で、オスマン・トルコから抹殺を逃れた有力者は、トルキ・ビン・アブドラー
(在位1824~34年)だけであった。彼は1824年にダルイーヤを奪回し、リヤドを
攻略してサウード家を再興した。
リヤドを拠点にした第2サウード侯国の始まりでありました。
トルキとその息子ファイサル(在位1834~38年、1843~65年)は、宗教教育の普及に腐心し、長年の抗争ですさんだ人心の安定に努めた。
しかし、ファイサル首長の没後、サウード家は内部の権力争いに明け暮れ、住民や部族の間にも争いが起こり、侯国の統治力は弱まった。
その間隙を突いてオスマン・トルコがアル・ハサ地方の支配権を奪い、また、
北方のシャルマン地方では、ラシード家が台頭。本拠地ハイールを中心に
勢力圏はナジドにまで及び、リヤドもラシード家が派遣した大寒と守備隊が
支配するところとなった。
ブログ 引越します! 2007.03.31
サウジでの電話代 2007.03.31