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きらりさんの、書き込みもありましたので、ジャラル君についての、特稿です。彼は、バングラデシュから来ております。あまり英語が得意でありません。年を聞くと、「たぶん、23歳か、24歳」って答えます。「どっちなの?」と、聞きたいところでありますが、大した問題でもないので、「あ、そう、大体、そんなもんね」と、聞き流しておりますです。彼は、サウジに来て5年と言います。アルコバールに3年、ジュベールに2年と聞きましたが、ずっと運転手をしていたのか、聞き漏らしました。多分、違うのでしょう。何故かと言うと、ジュベールの道もあまり知らないのです。で、会社の別の人が、このジャラルを、ど叱ったらしいのです。道が分からず、ジュベールへ帰るべき時、クェート方面へ向かってしまったらしくて・・・。彼には、それが答えたようで、相当落ち込んでおりましたのです。「そりゃー、初めてなら、分からんよなー。」、と彼に同調してあげたら、良く分からん、英語とアラビア語か、バングラデシュか分かりませんが、突然、「ペラペラ、ペラペラ、」、どどどっって感じでしゃべったのです。纏めると、「日本人なら初めて行った所、分かるのか? 分からんだろう、俺だって、1回行けば分かる。それなのに、あんなに怒られた。ガックリししてる」と言うような意味であります。彼は、その怒った人を恐れており、その人の名前が出ただけで、「ビクッ」っとします。で、僕としては、道の分かる運転手の方が、当然良いのですが、話を聞けば、可哀そうでもあり、極力一緒に、行き先を探してあげていました。これが経緯です。そんなこんなで、バーレーンは、全く知らないも同然の、ジャラル君と、僕ですから、探し物が見つからなくても、いいや、と言う気分で出かけたのです。僕としては、地球の歩き方の地図をコピーしたり、Googleの地図見たり他の運転手に聞いたり、準備は怠らず行いました。バーレーンが始めてと言う、ジャラル君、イミグレや、カスタムでは、かなり緊張しておりましたし、サウジを出国し、バーレーン入国の間が、サウジでもなく、バーレーンでもない、との僕の説明に、最後まで理解出来ていないようでした。20キロほどある、コーズウェイでは、ジャラル君、感動していました。「前向いて、運転しろよ!」って言いたいほど、きょろきょろしておったのです。やさしい僕は、安全ベルトきつくして、身体を固くしてじっと前を向いていました。バーレーン市内を、アチコチ、アチャコチャ、行ったり来たり、グルグル廻ったので、彼もかなり道を覚えました。自信ついたようです。途中、間違えて道戻ったりする時、何度も、何度も、「すみません」と言います。「マーヒームシケラ」アラブ語で、問題ないよ、と言ってあげると、益々、すまなそうな顔します。「初めてで、分かる訳ないよ、次の為に、道覚えてね。」、と言うと、なんとも、涙をこぼさんばかりなのです。そんなこんなで、ジュベールに帰って来たのは、夜中の1時半でありました。着いて降りる時、「ありがとう、次、バーレーンへ行く時は、もう分かるよな?」と聞いたら、「マーヒームシケラ」とすごく、明るい顔で、輝く目で、元気の良い答えが返って来ました。僕も、気分良く、昨夜は、ぐっすり8時間も寝てしまったのでありました。ジャラル君との1日でありました。あ、彼が、途中、何を食べているのかは、分かりません。何食ってるのかなー? 待っている時、どっかで食っているのでしょう。
2007.06.01
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5月31日(水)、晴れ。バーレーンへ行って来ました。バングラデシュから来た運転手の、ジャラル君は、バーレーンが始めてであります。僕も、何度か行っておりますが、行き先を告げて、車に乗っているだけであり、ほとんど道は知りません。で、一応、下記の場所を探して行こうとしたのであります。 1.日本レストランの、「さと」のある、ガルフホテル。 2.日本食を売っている、アジアンマーケット 3.百円ショップのダイソー 4.日本食・韓国食の、アリラン 5.ディスコのある、JUFFAIR HOTELバーレーンに着いたのが、午後3時半、それから2時間半かけて、市内をグルグル廻り、1項、3項、5項は、何とか探し出しました。会食後の、夜10時から、又、場所探しのドライブへ。4項は、根性で捜し出しました。しかし、他の運転手に道順を聞いて、自信たっぷりに運転して行った、2項は、どうしても、見つからず、ガックリして帰って来たのであります。結果、場所を探しただけで、会食のみ。ちと、って言うか、結構、疲れましたが、ジャラル君は、自信ついたようなので、まぁ、その点は、良かったでありました。
2007.06.01
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ふと、「金太の大冒険」って唄を思い出しました。友人が、くれたのですが、姫と金太が冒険に出かけるのです。その時の言葉を羅列します。 金太 守って 金太 負けが多い 金太 負けるな! 金太 廻った 金太 瞬いた 金太 マスカットナイフで切る 金太 まだー 金太 マカオに着く 金太 ましなビル 金太 待つ 神田どうも、これは、金太の次のま までを一区切りにして、次の言葉に繋げるようです。よう考えますなー! これCDで売ってるようですぞ! 女性が歌ってます。
2007.05.31
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話題は、まだありますぞ!アラビア湾ダイビングの続きです。このダイビングツアーのアレンジ屋さんは、サウジアラビア人であります。ダイビングショップは、機材とタンクを供給するだけで、船とダイビングの管理はそのサウジアラビア人がやっていました。初めて会ったは、ダイビングショップです。あの白いオバQスタイルで、白赤の頭巾にわっかを乗せていました。それが、船であった時は、普通の格好をしているので、全く別人と思っていたのであります。思い起こせば、そいつ、ずいぶん親しそうに握手して来たなーと、変に思っていたのであります。帰りの船で、操縦室の前で、甲板員との話も終えて、ゆったりしている時、そのサウジ人がやって来ました。世間話をして、船の代金になりました。僕は、300リアルなのです。で、300リアルは高すぎる、200リアルの時に電話をくれ、と言ったところ、西洋人は、300リアルで、東洋人とサウジ人は200リアルなんだ。とのたまうではありませんか!おいおい! きみ! この僕が西洋人に見えるかい?うんうん、日本人だ。と答えが返って来ました。(当たり前だ!)領収書もくれなかったから、きっと僕の300リアルは、彼のポケットの入ったのだと思います。たぶんそうだと思っていたので、それには全く驚きません。が、西洋人と、東洋人によって、船代の価格が違うってのには、驚きました!
2007.05.30
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昨日書いた、水着の件(お尻の割れ目)、見たのでなく見えてしまった、との言葉、どっかで聞いたなー、と思いながら書いていました。あれですね、村上ファンドの、村上世彰氏でした。ヒルズ族代表選手のような。彼、言いましたよね?聞いたのでなく、聞こえてしまったのですよー! と目をひん剥いて。で、その結果、インサイダー取引で、逮捕されてしまいました。見たのでなく、見えてしまった。聞いたのでなく、聞こえてしまった。似ているけど、見たものと、聞いたものが違いすぎますな。どう考えても、見えてしまった、あの程度で、罪になる訳ない。
2007.05.30
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「裸体を見ました」、の上に、「サウジで」、と書こうと思いました。しかし、検閲に引っ掛かり、裸体をさらした方に迷惑をかけるといけないので、書くのをやめました。船の上は、もう、コンパウンド内と同様、治外法権なのか、アバヤなど全く関係ありません。普通の国と同じです。4名の女性は、水着で堂々としておりましたです。おまけに、ウエットスーツを脱ぐ時、一緒に水着までずりおち、そのお尻の割れ目まで、見せてしまうのであります。見たのか? と言われれば、見たのではなく、見えてしまった。と答えます。それが事実ですので。見えたから、どうこうと言うものでもありませんが、女性は顔さえ見せない当地にいると、やはり気になるものであります。以上。
2007.05.29
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ダイビング後の帰りも、2時間半かかる。エアコンの効くルームではなく、主に、操縦室横のベンチにて過ごす。太陽の熱射が和らいだ頃、操縦室前のソファにて過ごす。すると、甲板員が仕事がないとき、隣に来て話しかけて来る。彼は、ネパールからやって来て、7年目だと言う。彼の話によれば、給料は、600リアル(1万8千円)だそうだ。部屋代、電気代、水道代などは、会社で支払ってくれるとの事。残るは食事代。聞いて驚く。なんと、1日5リアル(150円)で過ごすそうだ。1ヶ月で、150リアル、(4千5百円)。残りの、450リアルを家族に仕送りするとのこと。僕が当日支払った船代、ダイビング代の合計が、440リアル。彼が必死で貯めた1か月分の仕送りのお金とほぼ同じです。「あんたは、一杯給料貰ってるのだろうな?」「・・・」「どんくらい貰ってんだ?」「・・・」「5000リアルは貰ってんだろ?」「そんなもんだな」「ひぇー、いいなー、そんなに貰ってんのか!」彼との会話ですが、5000リアルと言えば、15万円。日本なら大卒初任給より、もっと安いでしょう。たぶん彼は、それでも、多めに言ったのでしょう。だから、5000位だ、と言ったら、ひぇー、と驚いたのである。日本人の、ほんとの給料教えたら、腰抜かすといけないので黙ってました。下の写真は、フィリピン人の操縦士ですが、彼は、1200リアルほど貰っているのだ、と羨ましそうに甲板員が言っていたが、何と26年もサウジにて働いているらしい。いつも感じる事であるが、今の時代の日本に生まれてほんと、良かったと実感する次第です。
2007.05.29
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バーベキューで、お腹一杯になった後、少し休んで、3本目を潜りましたです。そして、上がって、シャワー浴びて、着替えたら、もう夕方の4時半を廻っておりました。ジュベールへ帰ります。気持ちよすぎる位の、爽やかな風なので、船の突端に立って見ました。これで、美しい彼女がいて、両手を上げたら、どっかで見た風景だなー。誰も見ていないので、一人で両手を挙げて、髪を風になびかせて、うっとりとしておりましたです。 (タイタニックの真似)そしたら、操縦席で、フィリピン人の操縦士が笑っていました。恥ずかしー!しばらく、ボォーと海と空を見て、物思いに耽っていたら、いつの間にか太陽が、水平線の方まで降りてきていました。この美しい夕日を見ながら、港へ帰ったのであります。
2007.05.28
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11時頃、1本目を潜ったあと、船を少し移動させて、2本目を潜りました。1本目のあと、身体が温まる前に、潜ったので、海の表面2mは生暖かいのに、その下の冷たさを、ひぇ~と感じました。相変わらず、珊瑚は小さく、色の土色のばかりで、コレには感動しませんが、お魚さんは多いです。うつぼが時々、岩の間から僕らを覗いています。近寄って、にらめっこしてみました。奴は、口を開き、頬を膨らませて、どうも、威嚇しているようです。怖い顔してますねー、うつぼ君。それで、こちらも、ずっと睨んでやりましたが、奴の我慢づよさには敵わず、降参して、他へ移動しました。それから、イカです。泳いでいる姿は、全く魚の形です。ですから、泳いでいる時は判らず。そして止まると、ひらひらが出てくるので判りやすいのですが、瞬時に色が廻りの色と一緒になってしまうので、コレマタ、見つけ難いです。ダイブマスターに教えて貰ってようやく判るほど。イカ君は、他のお魚さんとは、変わっているので面白い。ソフトコーラルがないので、南国のお魚さん代表、クマノミがいません。それが、ちと残念ですが、ハタ科の魚や、タイ科の魚が沢山います。あまりに寒いので、30分程度で、自分だけ上がって来ました。水温がこんなに冷たいとは思ってもいなかったです。一緒に潜った人たちです。昼食は、炭火で焼くバーベキュー。あち、あっちっち、と言いながら、肉と、エビなど、食べたものであります。
2007.05.28
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ダイビングの続きは、ちょっとお休み。何故か?本日、スーパーへ食料買物に行き、時間があったので、いつもは見ない棚を、ブラプラ見ておりましたのです。そしたら、TUNAと言う単語が目に入りました。ん?tunaつったら、マグロじゃーないかい?ってー事で、買ってまいりました。これで、ござんす!アラビア語で書いてあるのですが、裏っかわに、英語でも書いてあります。どこで作ってんだー? と思って見たら、なんと、THAILANDでした。そして、な、なんと、packed が、MITSUI & CO.,LTD なのです。それを、IMPORTEDしたのが、サウジのジェッダの会社なのです。おっどろきましたですねー。日本の商社様は、どこでも仕事に励んでいらっしゃるのが分かります。 日本の会社が絡んでいる、食べ物ですから安心して食べられます。で、食べて見ました。う~んんん、う、う、う~ま~い!と、言うことで、ダイビングの続きは、お休みだったのであります。 でわ、またねー。=============================ついでの話ですが、タイのマグロが出たので思い出しました。今の会社の、現地の副社長さんなのですが、 「タイはいいぞー!」 「行くなら、タイだぞー!」、と言うのであります。僕もタイは良いとは思いますが、あまり言うと、「あいつ、やったな?」と疑われそうで言わないのであります。(やってないし。)副社長、スケベなんだな、きっと。 そう思いましたです。おまけの話でした。
2007.05.27
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さぁ、いよいよ、海に潜ります。 10時になりました。BCDとレギュレーターをタンクにつけようとして、あ、あれー!バルブのどっち側にBCD? レギュレーターの向きは、どっち? どっちよ!と、モタモタしておりました。年1ダイバーなので、いつもモタモタです。そうこうしていたら、綺麗なお姉さんが、「こうよ!」と行った感じで、きびきびと取り付けてくれました。お、おねえさん?そうなんです。この船には、4名ものお姉さん達が参加していたのです。超○○○です。それは、今の所は、どうでもよろしい。ダイビングは、下手すると、致命傷の死にさえ至ります。心を引き締めて事前点検せねばなりません。甘く見てはまずいのです。何度、潜っても、緊張の一瞬です。この辺りの下に潜りました。不得意な耳抜きも、意外とうまく行きまして、まずは、海底15m辺りに着地。そこから、移動して行きます。おー! いるいる小型では、ありますが、魚影は濃い。そして、珊瑚も小さい。色もカラフルでない珊瑚です。皆、土色っぽい。この右側のデブが、ダイブマスターです。僕は一人だったので、このデブが、僕のバディでした。1本潜って船に上がったのが、11時前。その後どうするのかと思ったら、ポイントを移動して、昼前に、もう1本潜るらしい。気持ちよかったけど、海の水、結構、冷たかったっぞ。手の先が痺れています。
2007.05.27
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アラビア湾を、船で進む! スピードは極めて遅い。10ノット位しか出ていないのではないか?この窓の中に、操縦席があります。そして、その上に、ダイバーさん達が、気持ちよさげに談笑しおります。石油のやぐらが、見えなくなったら、もう全くの水平線しかありません。見渡す限り海です。う~みは~ ひろ~い~な~ おお~きい~な~ と唄いたい気分です。風は涼やかで、あまりに気持ち良いので、エアコンの効いた快適なソファーの部屋から出て、このベンチに座って、一人物思いに耽り、水平線を眺めておりました。2時間半が過ぎたころ、見えました! 島らしきもの!船の左側に白っぽいのがみえますよね~!あれが島です。少し、アップで見ましょう。な~んにもありまへんな。 木も1本もなさそう。どうも、この島の周りで、潜るようです。僕らの乗っている船の全体像も、この写真の船とほぼ同じです。さてーっと、潜る準備をしよう!
2007.05.26
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現地時間、夜の10時、帰宅しました!アルコバールで、テニス大会がありました。腱鞘炎のあっしは、応援のみですが、行って来ました。行きは、5歳と3歳の双子のお子さん、3人とそのお母さんと一緒でした。きさくで明るく、色白のお母さんとの、楽しい会話で、アッっと言う間にアルコバールに着いてしまいました。超速の1時間でありました。テニス応援、昼食の後、バーレーンへ。納豆買おうと思ったら、アジアンスーパーは閉まっていて買えず。アンパン売ってる韓国系のパン屋があると行って見たら、売り切れ。仕方なく、何も買わず。チエンサエンと言う、タイ、日本、中華のお店で、カツ丼食って来ました。うまかった!
2007.05.25
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う~ん! (背伸びしたところ)。気持ちよい目覚めです。何故なら、昨日、3本も潜ったからです。海中の遊泳を楽しみました。=============================6時10分コンパウンド(アパート)出発。港着6時30分。船上でなんやらかんやら説明があり、しばし待って、7時20分に港を出発。ボンベを積んだ、甲板。ここには、お客さんの機材が置いてあり、この反対側にも、ボンベが置いてあります。向こうに見えるのが、港です。10分も走ったら、もう港があんな方へ遠ざかっていました。アラビア湾クルーズじゃわい!と、心が浮き立ちます。ムム! 30分過ぎても、まだこんな風景? この船、スピード遅いかも?この船の操縦席は、ボンベがある甲板の前方にあります。甲板と操縦席の間が、エアコン付き、ソファーの1等席のような部屋があります。僕は、そこの一番良さそうな席を占有し、iPODを聞きながら、文芸春秋などを読んで、時を過ごしたのであります。一般庶民は、操縦席の上にある、見晴らしの良い移動式椅子が置いてあり、屋根も半分ほどある、屋上で、歓声をあげております。朝飯食ってこなかった、一般庶民のさらに貧乏人か、面倒臭がりは、我が1等席の下にある、キッチン、ダイニングで、パンを焼いて食べたりコーヒー飲んだりしております。そんなこんなで、1時間ほどして、ふと窓の外を見ると、オ、オォー! なんじゃあれは? 何かが、海の上におったっていますぞ。えぇー、あれは、石油を掘り出すやぐらじゃないか? 中国が日本の境界に勝手に作って、日本側の石油まで、チュウチュウ吸ってしまうと言う奴と同じじゃないか?こんなのが、あちこちに、ボコボコみえるのです。おいおい、石油掘り出す海で、ダイビング出来るのかい?ちと、心配になってきやした。
2007.05.25
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アラビア湾ダイビング、せっかく書いて、写真もアップしたのに、クッソー! エラーとなってしまいました。毎日、3時~4時半まで、楽天ブログは、使用不可です。こちらの、夜9時から、10時半です。今まで、8時半頃から、一生懸命書いて、9時過ぎに登録しようとして、出来なかったこと、数度あり。もうじき、9時です。諦めて、明日の朝にします。 腹立つなー!
2007.05.24
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待望の、アラビア湾ダイビングに、行って来ます。欧州人グループが、船を貸しきって行くと言う情報を仕入れ、それに、混ぜて貰う事にしました。ちょっと割高ですが、こちとらは、一人なので止むを得ません。楽しみだなー!魚はいるのだろうか? どんな魚かなー?珊瑚はあるのだろうか?大体、川からの流れがないから、栄養分が来ないしなー?
2007.05.24
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ここはサウジアラビアですが、一緒に仕事をしてるのは、イギリス、ドイツやアメリカなどが一番多く、ついで、サウジ人やら、インド人やら、色んな国の人たちです。で、奴ら、良く握手するんです。例えば、1週間に1回の打ち合わせがあるとします。すると、いつも会っているのに、握手してくるのです。全員に握手して廻る奴もいます。会議が終わったら、又、握手したりするのです。どうも、それが苦手です。出来るだけ、握手しないように、後ろの方にいて、しらばっくれたりするのですが、そうすると、どうも、親しくなれないようなのであります。サウジ人同士は、頬をくっつけて挨拶したりするのも見るけど、まぁ、そこまでしてくるのはいないので、いいけど、別に「ハロー」とか「ヤー」とか、手を挙げる位で良いと思うのですが、どうでしょうか?僕は、いつまで経っても、この握手に馴染めません。もっとも、日本でも、長々と意味のない挨拶するのも、かなり苦手であります。結婚式は、まだしも、お葬式などで、「この度は・・・」、どうのこうのって言うのなんか、もっとも苦手です。しどろもどろです。ですから、握手が苦手でなく、根が社交的でないのかも知れません。たはは
2007.05.23
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1926年1月、アブドタアジーズは、ヒジャーズ国王に即位し、ヒジャーズ王およびアナジズとその属領のスルターンとなり、今や、アラビア半島の約3/4を支配するに至った。尚、1927年1月、“ナジズとその属領”は、“ナジズ王国”と改称されている。アブドルアジーズ王は、1927年5月、イギリスとジェッダ条約を結んで、独立国として承認させ、国際的な地位を確立した。さらに1930年には、イエメンと争ってアシールの首長を助けたうえ、これを併合して、ほぼ現在の領土を完成した。次いで1932年9月には、二つの王国(ナジド王国とヒジャーズ王国)を統合し、“サウジアラビア王国”と改称して建国。その国王及び二大聖地(メッカとメジナ)の守護者となった。アブドラアジーズ王の即位の式典が、首都リヤドで厳かに開催され、一つの国家、ひとつの政府、一つの国民であることを内外に宣言した。=================================こうして、今から80年前に、現在のサウジアラビアが建国されたのであります。まだ、つい最近のお話でありますねー。もっとも、ちょんまげをつけた日本人が、西欧の真似して文明開化とか、やったのも、わずか140年ほどまえですから、つい最近です。それに、今や一人勝ちと言われるアメリカでさえ、わずか230年ほど前にようやく、独立国として、承認されたのですから、これも、ごく最近です。歴史は動いていますねー。
2007.05.23
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オフィスを引越しました。個室を貰いましたので、アップします。事務所全体は、写真撮影禁止の秘密事項ですので、僕の部屋のみで、ご勘弁願います。上が、第一オフィスであります。そして、下が、第二オフィスであります。コーヒー、紅茶、ミネラルウォーター飲み放題。ほとんど汚しもしないのに、毎朝、モップ掃除もしてくれます。え? 何ですと?そんな良い部屋が2つもあるのじゃー、2×2=4倍位、仕事してるのかって?えーっと、あのー、そのー、その辺りは、かなり難しい問題もありましてー・・・(厳しい、突っ込みでござる。)気持ちとしては、10倍ほど仕事もしたいのでありまするが・・・、何とも、説明も難しいので、ご想像にお任せ致しまする。でわでわ。
2007.05.22
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曲折を経て、フセインの次男アブドゥラがトランス・ヨルダンの主権者に、三男ファイサルがイラク王に、それぞれイギリスによって推され就任した。しかしながら、フセイン自身はアラブ連邦の盟主になる夢を追い続けており、彼の支配をヒジャーズ地域にとどめようとするイギリスとの折衝は決裂した。そんな中で、フセインはヒジャーズの王と称し、カリフ(イスラム教における全知全能の唯一神・アッラーの使途「後継者)就任を宣言した。この露骨な野心には、エジプト、インド、イギリスといった諸外国は強い不快感を示して反発した。むろん、アブドラアジーズも反発し、併せて、巡礼者の制限、礼拝課税、治安の悪化等々のフセインの悪政は目に余るものがあり、「今こそフセイン打倒に乗り出す時」と判断した。同胞国(イフワーン)の有力者から熱狂的に支持されたアブドラアジーズは、イスラムの聖地浄化を掲げた聖戦を準備した。一方、フセインは列強の支援が得られず、住民の離反を目の当たりに見て、退位の要求を受け入れた。1924年10月メッカ同胞軍が無血入場し、フセインからメッカの大公位を譲られていた、その長子アリーも、1925年12月に退位して降伏し、居城の街、ジェッダは開城された。=================================このフセインの退位以降、アブドラアジーズによる、この地域の統一が進みだし、サウジアラビアの基礎が、確立されて行くのであります。
2007.05.22
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毎朝、やかしい程の、小鳥たちの鳴き声が続いています。この木々が、小鳥たちのベッドになります。何と言う木なのでしょうか?この木に、信じられないほど、沢山の小鳥が、夕方になると帰って来るのです。夕方も、うるさいほどですが、僕は起きているので気になりません。朝方は、4時頃から、大騒ぎです。もっと、アップにして見ます。何と言う木でしょうか?何か、実も生ってますねー。小鳥は食べないみたいですが。
2007.05.21
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イカマって言葉知ってますか?知りませんよねー! 特別な言葉でしょう。 え? オカマなら知ってる? ちゃいまんねん!イカマです。イカサマでもありません。「IQAMA」って書きます。これが、ないとサウジで働けないのであります。就労ビザ見たいなもんでしょう。しかし、これを取る為に、相当な時間と、担当の方の労力が必要です。招聘状やら、卒業証明書やら、健康診断書やら、それの証明やら、何やら、かんやら、大使館へも何度も行かにゃーならんし、そりゃー、大変な手続きであります。それが、先週の水曜日に認可されたのであり申す。イカマがないと、現地の銀行に口座が開けないのであり申す。従って、給料が貰えなかったのであり申す。今までは、ほとんどが立替払いなのであり、スッカラカンなのであり申す!ようやく、現地で給料が貰えるのでござる!やった! イカサマでも、オカマでも、イカマでも、何でも結構。給料さえ貰えれば!はてさて、給料貰ったら、何に使おう? フフフ。
2007.05.21
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今年の1月、蘇州を去る時に、美人同学のお父さんが、三国志のDVDを買ってくれました。全28枚、1枚1時間半、すると、全部で、えっとー、10枚で、あれ、15時間? ですよね。すると、28枚で、30時間と、12時間だから、すごー!42時間見られます。大体、毎日、少しづつ見ておりまして、今、13枚目となりました。諸葛孔明も、劉備の元で働き出して、面白くなって来たところです。三国志も前半は、色んな人が出て来過ぎて、あまり面白くないのでありますが、「赤壁の戦い」の頃からは、非常に面白いです。本では、2度読んでいるので、筋は判っていますが、それでも面白い。そう言えば、美人同学さんも、お父さんもどうしているのだろうかー音信不通になってしまいました。出会いと別れ、色々ありますねー。
2007.05.20
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ここアラビア湾でも、ダイビングが出来ると聞いて、最近、「潜りたい病」に侵されました。潜りたくて、今週の休み木曜日には是非と思って、ダイビングショップへ電話して見ました。そしたら、機材が全部、予約済み。一杯で無理とのこと。ガッカリ、ガックリ。又、明日、電話して来い、キャンセルがあるかも知れないって。言われた。で、今までシュノーケリングだけの島も含めて行った所です。日本では、伊豆海洋公園と沖縄の2箇所だけ。近場から、グアム、サイパン、ハワイ(オアフのハナウマ)、パラオフィリピンのセブ島。タイでは、パタヤ、サムイ島、プーケット。マレーシアは、マレー半島の東側は、ティヨマン島始め、10箇所ほど行った。島の生活者、警察官1名含め、全部で6名などと言う、のどかな島もありました。ペナンは水が濁っており、断念。インドネシアは、バリ島、プラウスリブ。そしてシンガポールから船で行ける島、何ていったかなー? 忘れましたが、大して綺麗ではなくガッカリした島です。忘れられないのが、モリジブ、モーリシャス。こんな所? 大して行ってないなー。たったの25箇所。もっと行っていると思っていました。でも、海は良いです。小さな島も良いです。タヒチ、フィージー、ニューカレドニア、ミクロネシア連邦、行きたい島です。オーストラリアのゴールドコースとも行って見たい。カリブも行きたい。夢はふくらむ・・・。
2007.05.20
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持参したラーメン、その後発注して日本から送付して貰ったラーメン。なんと全部で、45食分もあります。昨日食べた、とんこつラーメン。写真ではうまそうではないですが、すっごくうまかったです。日本人だなー、と感じる時であります。ある野菜を、どっと入れて、さらに卵を入れて食べます。お汁がおいしいのですが、血圧を高めるって事で、残念ながら、残りをヅヅー、っと飲めません。購入保管のラーメンは、味噌ラーメン、塩ラーメン、醤油ラーメン、とんこつラーメン、の他、麺の達人:喉越し中太麺:すっきり鶏がらしょうゆ麺の達人:強ごし太麺:味わいピリ辛みそなどです。しかし、45食と言えば、平日食べないから、休みの昼は毎回食べたとしても、月に8日だから、えぇっと、 ええー! 半年分もある!何とも、沢山集めてしまったもんだ。まぁ、飢え死にの心配はなくなった。
2007.05.19
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もち米を持ってます。2月か3月頃、頂きました。 たぶん、3キロです。真空パックに入っております。販売者が、な、なんと、我が町、大田区なのであり、驚いております。 大田区西糀谷4丁目の、田島屋佐藤商店と言うお店です。僕は知りませんが。だが、しかし、このもち米って奴、どうやって食べたら良いのか? 餅米って言うのだから、餅になるのだろうが、餅なら、餅つき機械が必要。そんなもなー、ある訳ねー。普通の米の中に少しづつ入れて食べよ、と姉から聞いた。 しかし、もっと食べ方あるのじゃーないのかなー?赤飯って奴も、確か、もち米じゃーなかったでしょうか?そうだ、ネットで調べて見よう
2007.05.18
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やはり、紅海で潜って見たい!ジェッダへ行くことを考えた。しかしそこはサウジアラビア。目的が、紅海でダイビング、だから、サウジでも良いのであるが。フム。ジェッダ周辺より、紅海奥地の方が良さそう。すると、ギリシャ側の、ハルガダか、シナイ半島のアカバ湾か、はたまた、ヨルダン側のアカバ湾かになると思う。休みを2日取るとすれば、4泊4日がMAX。ギリシャ側は行くまでに時間かかりそう。すると、ヨルダンからか?1日目(月) サウジからアンマンへ移動2日目(火) アンマンからペトラ遺跡を見てどっかに泊まる。3日目(水) どっかから、アカバ湾へ移動。4日目(木) アカバ湾にて、ダイビング。5日目(金) アカバ→アンマン→サウジへふ~む、これでは、1日しかダイビング出来ない。しかも、アンマンからペトラ遺跡見てアカバまで行けるか不明。地球の歩き方ヨルダン編は、今改訂中で今年の秋に新版が出るらしい。よって、それが出るのを待っている。しかし、6月には行きたい。ふ~む、フムふむ、ウ~ム、ムム、困った、弱った・・・。
2007.05.18
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ただ今、現地時間、18日、午前0時30分。バーレーンから帰って来ました。食事 に行って来たのであります。行き:2時間50分、帰り:2時間20分。往復、5時間かけての食事ですから、贅沢なものであります。食事は、やっぱり和食です。トンカツや豚肉生姜焼き、餃子、サバの焼き物、などなど・・・。仕上げは、鍋焼きうどん。やっぱり、日本食は、おいし~い! うま~い! それに加えて、ビールにワイン。 う~ん、幸せーーー!って感じです。日本に居れば、あって当たり前ですが、当地にはないので、有り難さが身に沁みます。そうそう、いつも行けませんが、たまには行きたいものであります。
2007.05.18
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4月、日本へ帰った時に、買って来た本が、「ジャパニーズ・ヒット大全集」これです。上下巻があり、上巻は、1962年~1985年が収録されています。そして、下巻はこれです。1986年~2006年の唄。これは、ギター弾き語り用 完全アレンジ楽譜なので、各ページにその唄に必要な、ギターのコードが記載されています。ですから、無精なものには、とっても便利です。面倒くさがりの僕は、あんまり使わない、E♭maj7とか、Bm7-5とか、そう言うのが出て来る唄は唄いません。しかし、大して難しいコードじゃないので、少し練習すれば出来そうなので、便利です。1冊:2,800円で、合計:えっと、5千と600円です。これで、余暇を楽しむのであります。どなたか、唄用の詩を送って貰えれば、曲を付けますよ。 でわ。
2007.05.17
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又々、週末がやって来ました。早く過ぎて欲しいとか、もっとゆっくり進んで欲しいと思っても、時間は正確に過ぎ去って行きます。感じ方は、早かったり遅かったりしますが。明日、明後日と休みです。 やっぱり休みは嬉しい 土日なんて要らない! 仕事をしたい! 1日50時間にして欲しい!とか、思って、仕事に熱中した時期もありました。そう言う時は、もう1日が早くて早くて、あっと言う間に昼、あっと言わないのに、もう夕方、さぁ、って思っていたら、夜中なんて言う早さで時が過ぎました。今は、ゆっくりと時が流れています。以前、年を取ると、一日が早く過ぎ去る、って言うようなことを聞いた記憶があります。もしそれが真ならば、僕は、かなり若いなー、と思います。今、一番やりたいこと?それは、スキューバダイビングです。その次にやりたい事は、です。
2007.05.16
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このブログは、ずっと匿名で書いて来ました。しかし、一部では、正体がばれているようです。それが何だ?と言われると、別に~! と答えるしかないのですが、匿名だから書けることもあるかなー? などと考えます。ま、それでも、続けて行きたいと考えておりますので、皆様、よろしく!
2007.05.16
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これは何でしょう? 分かってしまいましたか? 分かった人は、ダイソー専門家 そうです、ブックスタンドでした。 面白いのでバーレーンで買って来たものであります。 勿論、ダイソーです。 しかし、せっかくの男女、本を挟んで、別れ別れで可哀相です。 向き合っていても、会えません!
2007.05.15
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日本へ一時帰国中、湿疹に悩まされた。特に手の甲、肘、膝がひどく、痒いし掻くと、もっともっとひどくなる仲々、消えないし、何かの病気かと心配したもんだ。しかし、サウジへ帰って来たら、治る兆候があり、4~5日もすると、完全に湿疹は消えた。たった数ヶ月で、身体が、サウジに慣れてしまったのであろうか?ま、何れにしても、湿疹などで悩まされるより、結構状態がよろしい。
2007.05.15
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ナン、若しくは、ナーン、英語では、naan、を、朝早く貰いました。助平の運転手、ラティフが、ホカホカのナンを持って来てくれたのです。しかし、7時10分出発ですが、7時05分に持って来て、さぁ、食え!って言うのです。僕は。、毎朝、ささやかな朝食を6時半には食べ終えているのです。大変、有り難いのですが、食べられません。これです。トマトも、又、持って来てくれました。ナンは、インド料理だとばかり思っていましたが、インドのほか、西アジア、中央アジア一体で、食べられているようですね。せっかく、貰ったので、和食党の私めではありますが、明日の朝は、これを暖めて食べることにします。
2007.05.14
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アラビアのローレンスって、映画にもなって有名らしいですねー。サウジアラビアの歴史にも、ようやく登場しました。================================= 1916年、ハーシム家のフセインが"アラブの反乱"に踏み出した時、フセインの三男ファイサルが反乱軍の指揮し、また、イギリス陸軍情報部員のトーマス・エドワード・ローレンスが軍事顧問となって活躍した。(フセインは、サウジの建国者アブドラアジーズの宿敵)彼は"アラビアのローレンス"と言われ、アラブ遊牧民のゲリラ部隊を率いて、トルコが建国・運営していたヒジャーズ巡礼鉄道(ダマスカスーメジナ)をたびたびダイナマイトで爆破、兵站機能を麻痺させて、メジナに駐留していたトルコ精鋭部隊を孤立させた。そしてアカバにあり、海に向かって強固で難攻不落を誇っていた、トルコ軍の要塞を陸路は以後から長躯攻略し、反乱を成功へと導いた。彼はこうした活躍にいよって、アラブの人たちの間では、"エミール・ダイナマイト"(ダイナマイト王)と愛称されるようになった。しかし、同じ年、イギリスがフランスと密かにサイクスーピコ協定を結んで、アラブがトルコから独立した後の土地の分配支配を画策していたことが暴露され、政治混乱が生じるに至った。================================イギリスが何故、フセインを支援したか? サウジ地域のトルコからの真の独立を願ったのではなく、トルコを撃退して、自ら支配しようとしたのですね。全く、正義なんて、勝者が決めることであって、何が何やらわかりませんぜ。どこやらが、サウジの隣の国を攻撃して、政権をぶっ壊したのと、似てますねー。
2007.05.14
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ペニスと膣のない、総排出腔方式の動物の世界には、強姦がないそうです。総排出腔を、オスとメスが協力して、くっつけないと、精子の移動がうまく行われないから、強姦は極めて難しいのだそうです。その観点から見ると、ペニスと膣を作って、進化だ! などとのたまうことは、間違いではないか? と言う意見が出て来て良いようなものであります。特にねー、特急の列車のトイレで乱暴されたなんて言う、生々しいニュースが流れたあとですからねー。と言うことでした。
2007.05.13
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僕は、いつからか、和食党となった。特に朝食は、ご飯に味噌汁がいい。で、サウジでも、やっぱり和食です。ご飯は、1回で1合炊いて、夜と朝、2回で食べます。味噌汁も、夜2回分作って、夜と朝、食べます。ですから、朝は暖めるだけ。目玉焼きは、当初、苦労しましたが、皆様のアドバイスを頂き、今は、完璧においしい目玉焼きが作れるようになりました。あとは、漬物を、ほんの少々づつ。らっきょう1ヶ、にんにく漬け2ヶ、タクアン1切れ、キムチ少々、そして、キュウリの塩もみ。ささやかな食事ですなー。 でも、これで、充分であります。栄養が充分かは知りませんが。
2007.05.13
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本日は、土曜日。サウジは、今日から1週間の始まりです。日本の皆さんが、明日から、週末、お休みの2日間、と金曜の夜を、ゆったりと過ごしている、その時、「あ~あ、明日から仕事だよ~」、と、こちらは、思っているのであります。何とも、大きな違いですなー。さて、それでは、出勤の準備でも、しましょうかな。どっこいせ、っと。
2007.05.12
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あんこぱんつさんの影響かも知れませんが、僕も性に目覚めてしまったようでありまして、サウジと関連性が薄いですが、性の進化についてです。===============================、性の進化の過程で、なが~い期間を経て、ペニスと膣が作り出された模様。うんじゃ、誰が最初に、そいつを持ったの? って言う疑問が湧く。それは、人間じゃーない。教えちゃいましょう。 最初の動物は原始的な爬虫類の1種であるトカゲ類だそうです。太古の時代、爬虫類は総排出腔と言う、泌尿器と排泄器と性器がいっしょになった肛門をもっていたとの事。で、交尾する時、オスとメスはそれぞれの総排出腔をピッタリ合わせて、1本の管のようにして、その中を通って、精液が卵まで移動すると言うのであります。で、問題は、ピッタリ合わせたつもりでも、ちょこっとずれると、せっかく一生懸命(たぶん)、製造した精液が漏れてしまって、卵まで到達しないと言う、エラーが発生するのであります。自然は素晴らしいもので、その欠陥を修正したのが、ペニス、いわゆる、チンチン、チンコであります。チンポコ、チンポとも言うらしい。進化は、オスの総排出腔を、突き出してメスの総排出腔に挿入する能力を身に付けたそうです。さらに、オスの総排出腔には、一つか、あるいは、それ以上の指のような突起がつき、メスの体内に、もっと深く差し込めるようになったとさ。それで、現在のトカゲなどは、さらに進化して、そのペニスには沢山のトゲでおおわれていて、挿入したら滅多に外れないようになったそうな。(メスは痛そうですなー。)人間様でも、それにあやかって進化したい輩もいるようで、真珠や、プラなど埋め込む奴らもいるってことです。(メスは痛くないのか?)このように、ペニス-膣方式は、総排出腔方式に比べて、優れた面ばかりのように思われます。しかしながら、総排出腔方式の方が、ただ1点、良い面があると言います。問題です → さて、それは、一体、何でしょう?
2007.05.11
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もらい物のmorinagaの缶詰の小豆と、日本から持参した切り餅があったので、料理して見ました。(料理と言うほどの・・・。暖めただけです。)これです。これは、お汁粉でしょうか? ぜんざいでしょうか?3月頃、アルコバールの大邸宅へ招待された時に、ぜんざいです、と出されました。僕の出身地では、お汁粉と呼びました。どうも、静岡辺りから東(北)方面は、お汁粉と呼び、それより西(南)は、ぜんざいと呼ぶようです。これって、エスカレーターで右側に立つか、左側に立つかの、区域区分と似てますねー。餅も関西の方は、まる餅を入れるらしいですね? これは切り餅だから、完全にお汁粉です。ま、どっちにしても、うまきゃー良いのであります。で、結果は、とってもうまかったであります!
2007.05.11
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ダイビングショップ、見つけました。アルジュベールの街の外れ、海沿いの道路の脇にありました。エアコン付きのボートで、2時間ほど沖に出た島まで行くらしい。朝、7時半出発、帰着は19時。お値段は、下記。 * ボート代 200 SR * BCD 25 SR/D * レギュレーター 25 SR/D * ウエイト 15 SR/D * タンク 25 SR/本上記には、昼食、飲み物代含み、3ダイブ。従って、合計:340SR(サウジリアル)、およそ、1万円強ってところ。まぁ、普通のお値段でしょうか? いや、ガソリン代が安い割には、高いかなー? 世界一般の値段に合わせているような気がしないでもない。一応、申し込んだのであるが、BCD、レギュレーターが足りるか分からん、調べる、とか言っており、その後、返事なし。なので、たぶん、明日は潜れない事になりそう。いや、そうなる。
2007.05.10
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パレスチナ人に教えて貰った通り、アルジュベールの港の方へ行って見ました。ダイビングショップを探す為です。午前、10時でも、気温は既に40度を超しています。暑い!!!と言うのが、心の底から吹き出てまいります。ちょっと大きな船から、小さなスピードボートまで、かなりの数の船が係留されていました。船には誰もいないので、その近辺にある、オフィスのような所へ入って行って聞きました。インド人しかいません。あまり英語は得意でないようで、そいつ、「あんたと同じ言葉を話すのがもうじき来るから・・・」、言いおるので暫く待つ。するとやって来たのは、フィリピン人。ん? とすると、インド人の奴、俺様をフィリピン人と思ったのか? ま、それはどうでも良いんでありますが、オフィスに入って来たフィリピン人、間違いなく、スキューバダイビングのライセンスを持っていました。明日の、朝、7時出発する、とは聞いたものの、何時に帰って来るのか、昼食や食事はどうなのか、費用はいくらなのか、さっぱり分からず。市内に事務所があるらしいので、そっちへ行く事にしました。午前中、探したがダメで、午後、運転手を変えて、探しに行く予定。雰囲気と勘ですが、どうも、ここでダイビングが楽しめそうなのです。とすれば、嬉しいなー!
2007.05.10
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日本から送った荷物を開梱すると共に、カレンダーも壁に貼り付けました。所属会社は、何とも気の利くと言うか、サービス満点と言うか、数千円のカレンダーを、二つまで購入してくれます。僕が選んだのは、George Meis と言う人の写真、たぶん地中海だと思うけど、そのカレンダーが一つです。 1月/2月 3月/4月そして、織田義朗の絵画です。1月/2月は、イギリスのリンカンシャーの絵です。3月/4月は、イタリアのベニスです。ベニスへ行った時、このボートに乗りましたよ。立ち上がったら、どえらく、怒られたので、良く覚えています。こう言う美しいカレンダー、過ぎ去ってしまったら捨ててしまうのは、もったいないなー、と思うものの、保管しても仕方ないので、やっぱり写真撮ったあと、破って捨てました。しかし、下記のカレンダーは、月が過ぎても、応接に別掲してあります。ほしのきらりさんではありません。ほしのあきさんです。 う~ん、なんとも、言えず・・・、なんとも・・・。ドラエモンに頼んで、「カレンダーから出てくビジョー」ってな、道具を貸して欲しいものでありやす。
2007.05.10
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これまで、電話回線で、ネットに繋いでいました。でも、28Mbps程度のスピードしかないので、遅くて皆さんのブログを、心ゆくまで、見ることが出来ませんでした。で、SDSLに加入することにしたのであります。本日、早速、フィリピン人の担当者がやって参りました。1時間ほど、何やらいじっておりましたが、ようやく繋がりました。しかしながら、だけでも、ですが、遅い!ものすごく遅い! なんと、8.1Mbpsしかない!ならば、何の意味もありません! 意味ないじゃ~ん!
2007.05.09
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サウジでは、ご存知の通り、木曜、金曜が休日です。日本を金曜に出発し、翌日から出勤だったので、帰ってから、初めての休みです。何をする訳でもないですが、休みの方が嬉しいのは、いつでも同じ事であります。やりたい事は、沢山あるので、どれだけ、休みがあっても、足りない程です。とり合えず、明日は、引越荷物を全部出して、整理し、部屋の大掃除をしようと思ってます。本来、プライベートビーチのある、市内に近い所へ引越するはずであったので、引越荷物も、そのままにしてあったのです。ですが、空家が出そうになく、当面、今の家に住みそうなので、きちんと住めるよう、整理整頓が必要なのです。
2007.05.09
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運転手のラティフは、パキスタン人。ちょっと、いや、かなり助平であるが、良く気が付き、良く働く。ガーデン菜園をやっているようで、採れたトマトを持って来てくれました。ミニトマトより、もっと小さいようなトマトもあります。さて、どうやって、食べましょう?
2007.05.08
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サウジに戻って来て、感じる事は、喉が渇くこと。何なのだろう? と考えて見たが、気候だけのせいでもなさそう。うつ病との関係だろうか? と思う。理由もなくイライラしたりするし・・・。日本では、湿疹が2週間以上、治らず、医者通いしていたが、こちらに帰って来たら治った。右手親指付け根の腱鞘炎は、相変わらず治らず。ユーパン(うつ病の薬)の効用か、睡眠は問題ないのが救いである。こう見ると、何か、病気ばっかりですなー。
2007.05.08
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首長のアブドラアジーズは、休み暇もなく活動を続け、1905年にはカシーム地方を制服するとともに、アスマン・トルコ軍を追撃。1906年には再びラシード軍を粉砕し、次いで1913年にはアル・ハサ地方をオスマン・トルコから奪回、ナジドとハサのスルターンの位に就いた。こうした状況において、北方の宿敵ラシード家は、1921年に戦争と内紛によって滅亡し、アブドルアジーズは、その領地であるシャルマン地方を併合し、自ら“ナジドとその属領”のスルターンと改称した。一方、西方の宿敵は、大アラブ連邦の盟主になる夢を抱いていたメッカの首長ハーシム家のフセインであった。彼はオスマン・トルコ帝国の勢力削減を狙っていたイギリスの支援を受け、イギリスのエジプト・スーダン高等弁務官であったマクマホンとの間で、フセインーマクマホン協定を結び、オスマン・トルコ帝国に対する“アラブの反乱”に踏み出した。1916年のことであった。
2007.05.07
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昨夜は、日本からお客さんが来ていたので、中華料理の会食でした。品数も多く、味は中国の地元食堂で食べるより、オンランク落ちますが、大勢で食べるのは、おいしく感じます。ビールは飲んでいるものの、ノンアルコールなので、酔いもせず、会食時間はいたって、短いです。面白い話題になっても、何故か、長続きしないのです。1時間もすれば、食べ終わってしまい、手持ち無沙汰となり、普段は食べない、アイスクリームなんぞを頼んで、ペロペロ舐めていても、それで、お開きです。長引かせて、1時間半と言う所でしょうか?これが、アルコールが入っていれば、収拾のつかないほど、皆んなが勝手にしゃべり、もう一軒行こう! 何てことになるのでしょうが、まぁ、アルコールの力は、すごいものだと、飲めない今、そう感じます。
2007.05.07
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又々、健康診断です。ビザ取得の為に、日本で健康診断して、その証明書も持参したのに、サウジで、さらに健康診断を受けねばなりません。で、項目は、血圧、体温、問診、X線検査、血液検査、ここまでは良かったのであります。って言うか、普通です。そして、最後に、結構大き目の瓶を二つ手渡されました。検尿は分かりました。しかし、「STOOL」の英語の意味が、分からず、何度も聞いたところ、検尿は、前の方を指し、Stoolは、後ろの方を指したので、検便であると分かりました。しかし、しかし、尿はちょっと待てば、検査分くらい、何とかなるものの、もう一つの方は、さぁ、サンプル持って来い!って言われても、そうそう、簡単には行きません。明日、持参することで、勘弁して貰いましたが、瓶がでか過ぎる!日本のとは、ずいぶん違うぞ! 困ったなー!
2007.05.06
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