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「16日間トルコ一人旅」から、ただ今、サウジに帰りました。全く色々とあるもので、最後の数日で、事件は起きました。1.全荷物紛失事件(現金、パスポート他全て含む)2.ハマム肩痛事件3.エミュレーツ乗継出来ず事件しかし、7時間遅れで、サウジに帰ることが出来ました。事の詳細については、後日、アップすることに致します。今から、会社へ行って来ます。乏しい年休が、このお陰で、1日減らされては、困りものですので。
2007.09.01
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渓谷を歩いたので、花も目に付きました。何と言う花か、知りませんが、撮って見ました。白い可憐な花です。これは、小さいけど青い花を沢山つけます。写真映りが悪く、青い色が出てませんねー。黄色の花で、鮮やかです。これは、地下都市の入り口付近に栽培されていた花です。そう言えば、そんなに花、多くないですね。日本の方が多いのではないでしょうか? 真夏だから、そうでもないかな?
2007.08.31
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僕が少年達とふざけていたら、ガイドの説明も終わり、皆さん、少年達を写真に撮りたくて、まるで彼らが、モデルの撮影会状態になってしまいました。で、ここが、ウフララ渓谷です。 絶景ですねー。ここを降りて行きまして、川の辺のこんな所を歩きました。川も、谷も、緑も豊富です。 こんな川辺で、休憩しました。約1時間の、トレッキングでした。普段、ゴルフで、歩いているので、この程度の歩きは何ともありません。このツアーは、韓国娘3名、韓国青年1名、韓国母娘2名、そして、日本の男性3名と僕の、全部で10名でした。トレッキングのあと、川辺のレストランで昼食を採りましたが、コーラが3リラ(300円弱)。これを聞いて、日本人男性3名は、高いから不要、と頼みません。韓国勢は、皆さん頼みました。この結果を見ると、韓国人の方が、裕福なのか、はたまた、日本人の方が、しっかりしているのか、さて、どっちなのでしょう?因みに、この日僕は、韓国グループに入りました。普段コーラ何て、飲んだ事は、ほとんどないのに、トルコ入りしてから、飲む物がないので、水かコーラばかり飲んでいます。
2007.08.31
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カッパドキアのウフララ渓谷へやって来たら、ガイドさん、又何やら、宗教に関する説明をし出しました。且つ、英語が極めて分かり難い。サフランボルの運転手兼ガイドさんの方が、100倍良いかな? と言う感じ。で、近くに座っていた、地元の少年に、ビックリした顔して見せたり、ベロ出して見せたり、僕の特技の一つ、首を肩と並行に動かす奴とか、見せていやら、まぁ、大うけで笑ってくれて、写真を撮ってくれと言い出しました。どの子が、好みでしょうか? この子から。一見、ガキ大将的な感じを受けます。大きくなったら、しっかりものの、大人になるような気がします。次。この子が、一番ハンサムになるかなー?女泣かせの、大人になるかも。最後。大人しそうですねー。泣きそうな感じですよ。人の後ろを歩いて行くような、まるで、僕のような人生を送りそうです。現地の少年達でした。
2007.08.31
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カッパドキアのウフララ渓谷へ行く途中、セリメと言う所に寄りました。スターウォーズの撮影場所になった場所だそうです。いつ頃のスターウォーズか正確には聞き漏らしましたが、確か、1970年代だったと思います。写真の向こうに見える、台地がその場面だったそうです。ここもキリスト教信者が隠れ住んでいたようです。岩に穴を開けて部屋がありました。キリスト教ですから、教会もありました。ガイドが色々と説明してくれますが、キリスト教でもない僕はそんな物に関心がないので、あくびをかみ殺していました。それを、一緒のツアーに参加していた、韓国の女性に見られて、笑われました。こんな所に、住んでいたのですねー。簡単に見つかってしまうと思うけど、ずいぶん昔の事だから、人口(じんこう)も少ないし、見つからなかったのでしょうね。きっと。
2007.08.30
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僕は、土産は買わない主義ではないのですが、ほとんど買った事がありません。何でか? って? 意味はありません。面倒なだけです。しかし、観光地ですから、どこでも土産を売っています。他では、あまり見かけない物ですが、こんなのが木にぶら下がっていました。木の実では、ありません、アップで見てみましょう。なんだか、一つ目小僧みたいです。ブルーアイとか言っていましたが、これは悪魔除けになるそうです、どうせ、西洋の悪魔でしょうから、日本人が持っていても効きそうにないので、買いませんでした。次ぎに、これは、洞窟の家を表した、飾り物です。カッパドキアらしいと言えば、カッパドキアらしいですが、東京の6畳一間の部屋に飾り物を置くと、居場所がなくなってしまうので、買うのを止めました。こんな綺麗な飾り物もありました。しかし、中を覗いても何にもないし、意味が分からないので、買うのは止めました。さらに、こう言った物が沢山売られています。しかし、荷物になるので、買うのは止めました。 プラプラと土産物をさらに見ておりました。おお! 何じゃ! この真ん中の奥辺りにあるのは?ちょっと、何かが変だぞ? 又もや、一つ目小僧らしきものが!拡大して撮って見ましょう。えぇー? な、なんじゃー! これー!人魚にしては、尻尾の先が、おかしいなー?双頭人間にしても、首はあるけど、目とか、鼻がないよなー?ん? んんん!な、何じゃーの何じゃー! こ、こりゃー、あれじゃーないのー!ぎゃー! やめてくれー!
2007.08.29
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洞窟部屋のホテルを断念して、トボトボと歩いていると、どこかのカップルが、「あの、見晴台へは、どう行くのですか?」って聞いて来ました。「おいおい、俺がトルコ人に見えるか? 分かる訳あんめえ!」と答えました。そして、彼らが指差す方向を見ましたら、何と、ギョレメの街が一望出来そうな場所なのです。「おーい、どっちだー!」と彼らの後を、追いかけました。登ってみたら、「すごーい!」、先ほどの洞窟ホテルのテラスから見たレストランが眼下に見えます。あっちこっちに、洞窟を利用した家があります。ボォーっとしていたら、何やら辺りは、夕焼け模様となって来ました。先ほどのお二人さんは、夕日を見ながら、いちゃついています。僕は、一人で、相変わらず、ボォーっとしております。辺りはさらに夕焼けが進みます。先ほどのカップル、さらにお熱いムード。それとは、関係なしに、太陽は沈んで行きます。見ていると、太陽が沈む速さって、見る間なんですねー。勿論、何度も夕日を見ましたが、そして何度も同じこと思いましたが、本日も、そうです。あー、もう太陽が沈む!
2007.08.29
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チャリで、ギョレメの街まで帰りは、全部が下りで、気持ちいいっす!ぶっ飛ばすこと出来ますが、危ない! 危ない!何しろ、極度の高所恐怖症であり、且つスピード恐怖病でもあるのです。ブレーキ掛けないと、どこまでもスピードは出るし、そうすると体が固くなって普段の素晴らしい運動神経が、半減以下、運動神経なし人間になってしまいます。従いまして、ブレーキ掛けっ放し。なにやら、ブレーキ摩擦で、臭いがしだすような気さえしました。チャリを返し、ギョレメの街を散策しました。すると、洞窟の中に、ホテルがあるのを発見。早速、見学させて貰いました。これが、部屋の入り口のドアです。入り口から中を見ました。お部屋です。外は暑いのに、部屋の中は、ヒンヤリして涼しいです。僕は、もうウフクペンションに2泊分の支払いをしてしまいましたが、明日分をキャンセルして、ここに移ろうと決めました。こんな所に泊まって見たいじゃーありませんか!そして、値段が、コレマタ安く、16YTLと聞いたのです。ほら、部屋の前のテラスから見える景色です。前にも、洞窟ホテルが見えます。屋上の、レストランも見えます。「でわ、明日来ます。16YTLですね?」、と確認したら、「えぇー?」、と言う顔して、おばはん、60YTLです。との答えでした。16YTLと60YTLでは、4倍の差があります。別に60YTLは、5500円程度ですから、支払えない訳ではないですが、何だか知らないが、ガックリしてしまって、泊まるのは、断念しました。
2007.08.29
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昨日、今回の旅の最終地、エフェス遺跡のある、セルチュクに来ています。ブログの方は、まだカッパドキアですが、「16日間一人旅」、内、もう14日目であります。予定していた、行き先は、コンヤをパスした他は、全て行きました。後は、イスタンブールに帰り、それから飛行機に乗るだけです。ここの宿は、バックパッカー宿には、珍しく、無線ランが接続できて、且つ、無料なんです。こんなサービス良い宿は、初めてです。ですから、昨日より、ネット三昧で、もやもやがすっきりしました。で、明日は、どのように、イスタンブールに行くのか?* 飛行機で行く。* 夜行バスで行く。* 夜行列車で行く。飛行機は、始めから除外ですが、一応書いて見ました。夜行バスは、10時間で30YTL。夜行列車は、ここセルチュクから出ていません。一旦、パムッカレまで普通列車で戻り、そこから夜行列車に乗る必要があります。お値段も、75.5YTLと、バスの2.5倍もして、且つ時間も、22時間もかかります。しかし、一人用寝室の、ファーストクラスってぇー奴に乗って見たいと考え、大奮発して、夜行列車に乗ることにしました。因みに、朝6時半発で、イズミルまで行き、そこからバンドゥルマまで行き、バンドゥルマからフェリーでイスタンブールまで行く方法もあります。それなら、夕方の5時に着くので、昼で且つバスと同じような時間で、お値段もバスと同様、35YTLで行ける事を確認しました。しかし、やはり夜行寝台列車ですねー。やはりこれに乗りたい。
2007.08.29
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ギョレメ・パノラマで、ギョレメの街を一望し、堪能しました。しかし、チラッと上を見上げると、この辺りで一番高いと言う、ウチヒサルが見えます。この辺りとは、カッパドキアでです。そんな遠くなさそうにも見えるのですが、心臓は、もう嫌です! と言っております。何とか休み休み行くからさーと、なだめて行く事にしました。向こうに見える、二つとんがった岩? と言うか山がそうです。ヒーコラ、ヒーコラ、ペダル漕いだり、降りて押したり、途中何度も休んで、水飲んで、ようやくここまで来ました。先ほどの岩のような山です。岩の中に、部屋を設けて、色んな用途に使っているようです。ここも、又しても裏道を来たようで、途中、道がなくなってしまいました。「参ったな、こりゃー!」、と思いましたが、ここまで来て引き返すのも、悔しいし、てっぺんは、もうすぐなので、チャリは、置いて歩いて行く事にしました。細い獣道のような急坂を登って行くと、一人の現地の人が、岩に座っておりました。「な、なんじゃー、仙人かー!」、びっくりしましたがな。だーれもおらんと思ってた所に、人がいるんですから。取り敢えず、本から探して、「メルハバ!」と挨拶をしました。こんな景色を見ていたようです。写僕も、適当なトルコ語で多少の会話をして、一緒に景色を眺めましたです。素晴らしいですねー。このおっさん、ずっと一人で、眺めているのです。贅沢ですよねー。もう仕事は息子にでも任せて、余生を楽しんでいるように見受けられます。このおっさんに、この道からは、「頂上には登れんぞ」、と教えて貰ったのです。正規の道は、僕が来た、ほぼ反対側で、きちんとした道路もありました。そちらの方へ、半周して移動すると、お土産屋さんも沢山あり、入場料をとる入り口もありました。くっそ! こんな所で金取るのかー! と思ったが、たった3YTLなので、行って見ることにしました。絶景です!向こうに、僕が今夜泊まる、ギョレメの街が見えます。小さくて見えませんねー。でも、車で、ひょろっと来たのではなく、チャリで、ヘイコラ、ヘイコラ必死でたどり着いた場所なので、景色も一際、素晴らしく思え、立ち去りたくない気持ちでありました。チャリが置いてあるので、遠回りだけど、登った道を降りて来ました。そしたら、同じ場所で、同じ格好で、同じ顔で、先ほどのおっちゃんが、ずっと遠くを見ていました。何を考えているのか?ええなー! そう言うの。時間が少しでもあれば、何かをしようと考えてしまう自分と比較して、この人の時間の使い方の方が、ずっと、優雅に思えましたです。
2007.08.28
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カッパドキア地方、ギョレメに着いて、まだ日も高い午後3時なので、ちょっと出かけることにしました。バスで行くには、時間が不足、歩くには遠い、バイクを借りるには、お金が高い。よって、5YTL(500円弱)で、チャリを借りることにしました。そして、出かけたのが、ギョレメの街が一望出来ると言う、パノラマへ。急にこんな坂です。フーフー、へーへー、ファーファー。と、今にも天国へ行きそうな息遣いで、坂道を登って行きます。すると、オォー! こんな景色です!まだ、ここは、ギョレメ・パノラマに来ていません。さらに、さらに、フーフー、ハァーハァー、登ります。あまりの急坂で、ペダルを漕ぐことが出来ません。降りて押して歩きました。そして、来ました! ギョレメ・パノラマです!もう一枚、どうぞ!さすがに、すごい景観です。トルコ最大の、観光資源と言われるだけあります。しかし、こんな程度ではないのです。まだまだ・・・
2007.08.28
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ヘイ! 又、バスに乗りました。 アンカラからカッパドキアへ移動です。約5時間の旅です。他の路線と同じように、コーヒー、紅茶、コーラ、水のサービスはありました。カッパドキアの入り口です。一口にカッパドキアと言っても、そこが街ではなく、ネバシェヒル、ギョレメ、ユルギュップ、アバァノスなどと言う、ちいさな街が集まった場所、若しくは、この辺りの総称のようです。で、僕は、もっともカッパドキヤらしいと思われる、ギョレメに宿をとることにしました。ここには、沢山の宿があります。何軒か見ましたが、地球の歩き方に載っていた、ウフク ペンションにしました。商売慣れと言うか、ちょっと信用ならんような面はありましたが、25YTLですから、文句は言えません。(30を25YTLにまけさせた。)ここが、2階の廊下です。部屋です。狭いですが、綺麗でしょう? 窓が1ヶしかないのが難点。暑そうです。風が通るかなー?トイレとシャワー。ここも、これ以上狭く出来ないと言うほど、狭いです。しかし、狭いのは、僕にとって全く苦になりません。嫌なのは、暑いのと、蚊が来ることです。部屋から見える景色。最高でしょ!夜は、多少涼しくなりましたが、やはり暑く、毛布は掛けられません。バスタオルをお腹に掛けて、寝ましたが、やはり蚊がやって来ました。宿のおっちゃん、蚊取りスプレーがあるから、ぜんぜん問題ない! 何て、言ってましたが、そんなの持って来てくれなかったし、眠れず参りました。それでも、朝は、サフランボルと同じように、気持ち良い朝です。
2007.08.28
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アンカラ城は、城門からでなく、裏道から入ったので、どっちへ行ったら良いのか分からず、あちこち行き止まりとかの道を辿りながら歩きました。そして子供多いのが目に付きます。みんな、とても、人懐っこいです。観光地に、どこにでもいる、ボールペンくれ! とか、お金くれ! と言う子供はいません。単に、ハローと挨拶して、にっこり笑うだけです。ある小路に通りかかった時、さらに愛想の良い子供達に出会いました。この真ん中の娘さんが、12歳と言っていましたが、親分であり他は、5歳程度。子守をしているような関係みたいです。この娘が一番可愛いと思いましたが、恥ずかしいのか顔が下を向いてます。この娘は、上の写真の娘と仲良しのようです。さすが、親分、ポーズ撮ってますぞ!僕とも写真撮りたいと、何枚も撮らされました。そして住所を書いて、ここへ送ってくれ、とも言ってました。送らな不味いかなー?お母さん達は、すぐ目の前で、布団を作ってました。のどかな風景ですよ。家の前の小路です。日本では見られない風景ですね。 お母さん達が働くすぐ側で、子供達が元気に遊ぶ。何だか、とっても良いもの見たなーって気になりました。
2007.08.27
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メトロのウルス駅を降りて、ドルムシュ乗り場を左手に見て、アタテユルク像の方向へ行きます。さらに真っ直ぐ歩いて行けば、アンカラ城に辿り着きます。しかし、後で分かりましたが、辿りついたと思ったアンカラ城、間違いなくアンカラ城なのですが、ここが入り口ではなく、もっと右手の奥の方でした。こんな急坂を登ります。急坂階段 さらに急坂階段 たどり着いた所 但し、ここが頂上ではありません。この城、城壁の中に、普通の民家があり、市民が住んでいます。このお城から見える、風景ですが、家だらけです。見て下さい! あっちもこっちも、山の中腹も、上も家を建てています。80数年前、首都に決めた時、6万人の人口が、今や、350万人に迫る勢いと言いますから、土地があれば、どこでも建てるのでしょう。迷いながらも、裏街道から、アンカラ城に着きました。現地の恋人同士がてっぺんで、仲良く、ずっと街を見下ろしていました。城からの町並み。やはり家ばかりです。最後に、お城の真ん中を。
2007.08.27
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さてさて、又々、移動です。サフランボルから首都、アンカラへ。たった3時間半のバスの旅です。8時半に、カラビュックのオトガルを出発しました。オトガルとは、バスターミナルのことです。こう言うところを走りました。 麦を刈った後の畑らしいですが、こう言う畑か荒れ野のような風景がやたらと多いです。アンカラのアシュティ駅に着きました。ここからは、アンカライとか呼ばれる電車と、メトロと呼ばれる地下鉄に乗って、市内まで行けます。市内について、早速、昼食です。チキンライスにしましたが、不味い!不味かったなー。肉がパサパサ。コーラで流し込みました。
2007.08.27
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アンカラへ移動する為に、宿泊したチャルシュの街から、ミニバスで、クランキョイまで、移動し、さらに、アンカラ行きのバスが出る、サフランボルの街までやって来ました。そうしたら、何やら、日本語らしきものが見えます。近づいて良く見ました。「日本-トルコ友好の家」、と書いてあります。街のど真ん中の、道路の脇ですから、目立ちますねー。で、これが、トルコのサフランボルの家です。確かに、昨夜泊まった家々を思い出させる、作りと色合いです。そして、これが、日本の家です。あれー? 何だか、みすぼらしいなー!これは、日本のどこの家を表したものでしょうか? トルコの人たち、日本人は、こう言う家に住んでいるのか? 良いなー! とか思うでしょうか?こう言う家、日本のどこかに、まだ実用として住んでいる所があるのかなー?説明書でもないか、廻りを見てみました。「酒井おしん」、と表札? がありました。これは、酒井おしん、と言う方が、寄付したものでしょうか?だとすれば、物はどうあれ、これを作る為には、多くのトルコ人も関与しないと、作れないでしょうし、間違いなく、日本-トルコの友好に大きく寄与しているでしょう。りっぱなものです。
2007.08.25
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これが風呂だそうです。これが、部屋の押入れ見たいなドアを開けると、突如、風呂が出て来るのですねー。水道が来ている訳ではないし、お湯を溜める訳でもありません。水ガメか、お湯ガメに、水かお湯を入れて、身体を拭くのでしょうね。それで、風呂のお湯に浸る風習がないのが分かりました。蒸し風呂、トルコのサウナ:ハマムにも、どっぷり浸れる風呂がないのも頷けます。それで、この風呂、各部屋についているのです。そしたら、このスケベーなガイドが、ほんとか嘘か、説明を加えてくれました。トルコ人は、宗教的にも、愛し合ったあと、必ず風呂と言うかシャワーと言うか、身体を清めるって言うのです。で、客が泊まったり、息子夫婦が寝たりする部屋に、その風呂がなくて、共同だと、夜中に入らねばならない。それだと、したのがバレテしまう、だから、各部屋に、必ず風呂がついているのだ、と。した後は、必ず、そうするのか? って聞いて見たら、笑いながら、いやー、そりゃー、一晩に、3回も5回もする時は、その都度、身体を拭くって事はない。疲れてるし、面倒だろ、とか言ってました。ほんまかいな? と思いましたです。
2007.08.25
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ペンションと言うより、民宿と言った方が、日本人には馴染みやすい。民宿ー! 丸々、民宿と言った感じのペンションで、お奨めです。部屋から見た風景。僕の部屋を出た、廊下。僕の部屋は右手です。ここが、広間です。食事もここで採ります。朝食です。トマトにキュウリ、パン、ゆで卵、そしてチャイの簡単な朝食。でも、いつも、ごってりのトルコ料理なので、ぼくには、これがピッタリと合っています。それで、面白いのが、入り口のドアの開け方なんです。1階です。ドアの上に、紐がぶら下がっているのが見えますね?もう少し見やすい写真にしましょう。見えますか?これがこのように、2階に繋がっています。階段の上の方に伸びています。3階まで繋がっています。外で、鉄製のコンコンとドアに打ち付けて、音で知らせる、日本で言う、ピンポンと鳴らすものが付いていて、それが鳴ると、2階から怪しいものかどうか確認して、問題なければ、この紐を引っ張り開けるのです。面白いですねー。因みに、1階は、土間で薪がおいてあったり、物置だったりします。2階にご家族が住んでいるようです。3階を多少改造して、民宿にしたようです。混んでいる時は、どうか分かりませんが、トイレ、シャワーは部屋の外で共同ですが、全く不自由は感じず、ゆったり出来て、最高の民宿でした。これが外観です。これペンションの名前です。何と読むのでしょうか?ラウフ・ベイレラとでも読むのでしょうか?
2007.08.25
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ブラク洞窟も、市内から6キロ程度の所にあります。車を降りてから、坂道を歩いて行きます。坂道と言うか、道はないので、斜面と言った方が良いような所を歩きます。そして、その後、階段が160段ほどありますので、そこを登ります。洞窟の中の写真、3連発。日本、中国、ミャンマー、などの洞窟を見ましたが、ここの良い所。それは、* 何の説明文もないこと。* 何の命名もないこと。* 何の置物もないこと。です。歩ける道を作っただけで、それに照明を置いただけで、発見時そのままです。これには、僕は感動しましたです。何とかの王冠だとか、何とかの羽衣だとか、何とかの何だとか、そんな命名は不要であると思ってました。ここは、10年前に、羊飼いが偶然見つけたそうです。群れの羊が1匹、岩の中に走りこみ、それを探していて、洞窟がある事を発見したのです。ですから、すごく新しいのですね。その3年後、7年前に、大学教授など調査隊が、調査して、その後、遊歩道を設置し、一般人も見られるようになったとの事です。道路も2ヶ月間に、整備され、その前は、ボコボコ道で、狭くて、案内する度に車が故障して、いつも修理せねばならないので大変だったとガイドが言ってました。地球の歩き方には、2.7キロもあるが、400mしか見られないと書いてありました。しかし、ガイドは、6キロはある。まだその先もあるようだが、調べきれていない、と言ってました。川口探検隊(古いなー!)だったか? に頼んで、調べて貰いたい。帰り道の風景です。
2007.08.24
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インジェカヤ水道橋は、街から6キロ程度の所にあるようです。山道を走っていたら、運転手さん、車を止めて、この実は食べられるか?と聞いて来ました。この木です。 そんな事言われても、記憶力ゼロに近い僕に聞かれても分かりません。見た限りにおいては、食べられそうにありません。分からんので、「何じゃい? これ?」 って聞いたら、運転手さん、適当な石を持って来て、その実を、たたき割りました。なんだ、胡桃じゃないですか!胡桃ったら、皺々の固い皮の奴しか見たことないから、判らなかったです。でも、これ、間違いなく胡桃ですよね? 生でも食べられる事を知りました。で、こんな所をさらに、走りましたです。すると、こんなすごい渓谷にぶち当たりました。高さは、50m以上あるでしょうか?このすぐ上流に、インジャカヤ水道橋がありました。これです。ガイドさん、歩いて行きます。幅は1.数mでしょうか? 怖いですよー!僕は極度の高所恐怖症です。絶対に一人では渡れません。こんなに深いのですよ!
2007.08.23
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午後1時半からのツアーに参加しました。時間に遅れないよう、10分前には、チャルシュ広場にある、グランド・オン・ツアーと言う旅行社へ行きました。昨日、予約しておいたのです。しかし、昨日の女子職員はおらず、英語もほとんど分からないおっちゃんがいて、訳分かりません。出発時間と、行き先をメモとガイドブックで説明しました。ようやく分かったようで、待っていてくれと、ジェスチャーで椅子を指しました。10分待っても、何事も起こらず、眠くなって居眠りしていたら起こされて時計を見ると2時を廻っていました。30分も遅れて出発です。10分ほど、車で走ったら、ヨリュク村に着きました。250年ほど前に建てられた家が、そのまま残って使用されているとの事です。この家がそうです。このガイドが結構、面白く、スケベーで、そっち方面の説明ばかりしてくれます。又、英語がヘタクソで、同じくヘタクソな僕には、全くピッタリで、100%彼の説明が分かります。客用と、家族用の部屋は、ほとんど完璧に分かれているようで、この部屋は最上級の客の接待用だとの事です。説明がなければ分かりません。何が最上級かと言うと、この床の板です。こんなに幅のある板材は、金持ちしか使用出来ないとの事であります。その他にも、部屋の装飾や、天井の飾り、諸々、贅沢なものであると説明してくれましたです。部屋の押入れ見たいなドアを開けると、突如、風呂が出て来ます。これは、別掲します。この部屋は、家長の居間で、ここに座って、威張っていたとの事です。どうも、話を聞いていると、トルコは、亭主関白が伝統のようですねー。この部屋が、家族の居間で、団欒の部屋ですが、暖炉がついています。と思ったら、普通の暖炉でなく、暖炉の向こう側が、タンク(貯水池)になっていて、暖を取ったり、ちょっとした料理を作ったりする時に、水が自動的に沸くようになっているとの事です。工夫してますねー。そして、このお湯が、パイプで、調理場や、風呂に繋がっているらしいです。ここは、廊下ですが、子供が遊んだりする場所になっており、赤ちゃんは一番向こうの柵のある所に入れて、お母さんが、階段の上に座って、編み物したりしながら、子守をしたそうです。この部屋は、天井裏にあり、おじいさんが、ゆったリくつろぐ部屋だそうです。この下が、お嫁さん夫妻の部屋になっており、用事があると、足でドンドンと床を叩いて、お嫁さんを呼んで、用事を言いつけると説明がありました。その他にも、トイレは、2階にあり、自動的に外の溜池に流れるようになっていたり、葡萄を入れて、女性が足で踏んで、葡萄酒を作る小さなプールのような入れ物もありました。又、1階は、牛や馬を飼っていたそうです。但し、1階の天井、2階の床になりますが、そこは、何重かになっていて、匂いは通さないが、暖気は通すような素材を使って、快適に暮らしたとの事でした。250年前に作られた家とも思えないような、工夫があちこちにしてあって、トルコ人は、賢いなーと思いましたです。その通りに、ガイド兼運転手に言ったら、ありがとう!と喜んでいました。
2007.08.22
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ほんと、清々しい朝で、滅多に午前中に、二度寝なんてしないのに、9時から30分も、眠ってしまいました。ツアーは午後からですが、せっかくの世界遺産の街、もったいないのでプラプラと、昨日行った、フドゥルルックの丘の反対方面へ歩いて行きました。こう言う道です。丘から見える風景は、やはりこう言うもので、赤い屋根と白い壁に家並みです。この丘の上には、旧役場跡と、旧刑務所跡があると、地球の歩き方に書いてありました。どれが、そうなのか、分からないので、人が立っている所まで、歩いて行きました。そして、聞いたら、何と、そこは、「アーミー」だと、銃を持った兵士が言うので、早々に立ち去りました。戻って良く見ると、博物館と書いてあります。入場料3リラで、その価値があるか不明なるも、入って見ました。昔の炊事道具や、色んな物が展示され、暇つぶしには良いです。そして、絵画もありました。サフランボルの特徴を描いた絵がありました。全く、こんなイメージです。そして、サフランの花の写真もありました。こう言う花とは知らないで、サフランの街なんて、言っているあっしでありました。キレイですねー。外に出て、もう一度、風景を写真に納めました。
2007.08.22
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何と、気持ち良い朝か!爽やかな冷気が、窓から、そよそよと吹き込む。あの寝苦しい夜は、どこへ行ったのか? 肌寒さを感じるほどだ。この爽やかな風は、エアコン人間には味わえない。う~ん、久しぶりの、この感触。どっかへキャンプに行って以来か?昨夜、蚊に襲われたら、眠れなくなると、昼の熱さがこもる部屋ではあったが、6個ある窓を、全部閉めて寝ようとした。しかしながら、汗が枕に滴り落ち、タオルを首に巻きつ状態。蚊が来るかも知れないが、窓を開けざるを得なかった。夜中の零時を過ぎても熱いし、外からは、どこかから音楽なのか、騒がしい音も聞こえ、なんやら、静かな世界遺産の街らしくないぜ、とチェっと舌打ちしていたのであります。そして、案の定、夜中の2時頃、蚊さんがやって来ました。顔の周りをブ~ンブ~ンと。腹立つなー! と思いつつも、涼しくなっていたので、毛布をすっぽり被り、顔にはタオルを掛けて、口だけ出していたら、いつの間にか眠っておりました。そして、爽やかな、朝の6時を迎えたのであります。静か・・・爽やかな風・・・広い部屋・・・異国情緒たっぷりの、この居間・・・ええなー、サフランボルに来て良かった。
2007.08.21
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中国やタイへ行くと、必ずマッサージへ行くと言うほど、マッサージ大好き人間であります。トルコに来て、ハマムに行かない訳には行きません。で、食事のあと、早速行って来ました。初めてなもので、どうしたら良いのか、何とも勝手がわかりまへん。中へ、入ってオドオドしていると、この部屋へ入れと、腰巻模様の布を渡されましたです。ベッドが置いてあります。どうしたら良いのか分かりません。で、もう一度、部屋の外に出ると、ジェスチャーで、全部脱いで、腰巻を巻けと、言ったように思えます。ベッドの反対側に、服を掛けるフックが沢山ついていました。腰巻一丁になり、置いた荷物と財布とパスポート大丈夫かなー、と不安な気持ちを抱えつつ、スリッパに履き替えて、ハマムの中へ。扉が二重になっていて、そこから入ると、ムッとする。しかし、サウナのように熱くはありません。浴室はありません。部屋のど真ん中に、大理石の大きな丸いベッド状の物があり、その上で、泡立てて、マッサージをして貰っている人もいました。その大理石の周囲に、7ヶの部屋がありました。入り口が扉ほど、狭くなっている部屋が3つ。仕切りも全くない部屋、単なる奥まった部屋が3つ。扉のある部屋が1つ。どうして良いのか分からないので、欧州人らしき男がいる前に座って様子を見ていました。そしたら、ケセジ(日本で言う三助)がやって来て欧州人らしき男の垢すりを始めました。そこにいても、汗が出て来る訳でなし、良く分からないので、各部屋を見て回りました。しかし、入り口が狭いだけで、仕切りのない部屋と中は同じでした。「ふ~む」、と、両手を広げて、分からん! って言う格好したら、一人の男が、こっちゃ来い! って手招きして、扉のある部屋を指差しました。そこが、サウナ室だったのです。やはり日本のサウナほど、温度も高くありません。しかし、座っていると、じっくりと汗が出てきます。息苦しさもなく、ゆったりとサウナを楽しめます。垢すりと、マッサージも頼みました。韓国垢すりに比べたら、おままごとのよう。自分で洗った方がまし。マッサージも、タイや中国に比べたら、マッサージって代物じゃない。泡つけて、こすっているだけ。時間も、それぞれ、5分程度。(10分もない)これには、がっくり。お値段は、〆て、20リラ。2000円弱です。どこハマムの垢すりとマッサージが、この程度なら、お奨め出来ません。ハマムだけで充分。しかし、浴槽はないし、腰巻を外す所もないので、お尻や、陰部はどこで、洗うのだろうか? とそこが、まだ、秘密の中であります。
2007.08.21
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世界遺産の町並みが、一望出来ると言う、フドゥルルックの丘へやって来ました。道を間違えて、ずいぶん遠回りしましたが、「なるほど、異な景観です!」赤い屋根に白い壁。同じような家並みがずっーーーーっと見えます。少し休んでいると、「日本人ですか?」と声を掛けられました。地中海側の、メルスィンに住んでおられると言う、女性の方でした。談笑していたら、地元の若い娘さんらに、写真を撮らせてくれ、と頼まれました。その女性の方と撮りたいのかと思ったら、な、なんと僕も一緒に入れと、言いますだ。恥ずかしい。この人たちです。そしたら、近くのおじいさんたちも入って来て記念写真。僕は遠慮し続けていましたが、どうしても入れってんで、お仲間に。な、なんだ! その顔! いつも君は、マンガ風だなー!安物の帽子なんぞ、被っちゃってさ。 アジアの星一番くんだな? その左端?メルスィンの女性と話し込み、夕食に一緒に行く事になりました。サフランボルの郷土料理を出すと言う、カドゥオルと言うお店へ。ドマテス・チョルバス トマトペーストを使ったスープ何パンって言うのでしょうか? 頼まなくても出て来ます。タウック・ソテ 鶏肉とトマトの煮込みです。ここで気付きましたが、僕はどうもトマト味が好きなようです。一緒に食事した女性の方、30年勤続して、早期退職し、あちこちへ行って、今は、トルコ在住1年と言います。すごいですねー。カナダ行ったり、タイに住んだり、世界中へ行っている方です。トルコの話から、世界の国々の話し、そして敗戦国日本が辿った道が正しかったのか? 日本の政治は? 教育は? そして、経済発展著しい、中国、インドなどの中で、日本はどうなって行くのか?などなど、尽きない、話題でした。特別な意見を持たない僕なのであります。しかし、意見を求められ、多少、話すと、するどい突込みがあって、タジタジであります。こんな感じです。聞く、聞く、聞く、聞く、聞く、話す、突っ込み、タジタジ(汗)、聞く、聞く、食べる聞く、聞く、聞く、聞く、聞く、話す、突っ込み、タジタジ(汗)、聞く、聞く、食べる聞く、聞く、聞く、聞く、聞く、話す、突っ込み、タジタジ(汗)、聞く、聞く、食べるこの繰り返しです。雰囲気は分かって頂けるでしょうか?で、時間はあっと言う間に過ぎましたです。
2007.08.21
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民宿の部屋で、少し休み、まだ夜は長いので、街の散策に出かけました。坂道が多く、細い道で、迷路とまで行かないまでも、どこを歩いているのか分からなくなります。チャルシュ広場 土産物などの町並み 民家風の家並み こう言う家が、昔ながらに民家じゃーないにかなー、と撮って見ました。見晴らしの良い丘の上に行く途中です。
2007.08.20
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サフランボル行きのバス乗り場を探すのは、難しい。長距離バス停にはこんな風に、行き先を窓の外に張った事務所が沢山あります。ありました! サフランボル行き! このオフィスでチケットを購入。25リラでした。2300円位です。出発は、9時45分とのことで、1時間以上待ちました。出発予定を20分オーバーしたので、さらに待って、10時05分出発。バスの乗り心地は、韓国の高速バスほどゆったりではないものの、まぁ、ラオスに比べれば、雲泥の差。勿論、トルコが比べるまでもなく、優勢。途中、コーヒーとケーキのサービスまでありました。水は、しょっちゅう、廻って来て、コップに注いでくれます。こんな所を走ります。地図にはない湖があったり、イスタンブールからずっと緑に木々や、小高い山々が続き、景色に飽きません。途中ボル辺りから、急に木々が少なくなり、放牧地帯か、牛がいて、枯れ草のはげ山が多くなりました。サフランボル駅に着きました。15時40分。5時間35分かかりました。ここから、セルビィスに乗り、クランキョイまで行き、さらに、ミニバスに乗って、チャルシュまで行きます。そこが世界遺産の街並だからです。なんだかんだ、乗換があり、16時20分、チャルシュに着きました。チャルシュは、石畳の坂道の多い街です。街をプラプラ歩いていたら、世界遺産になった家のような窓から、若い女性が身を乗り出して声を掛けて来ました。「泊まって行かない?」おい、若い女性が、そんな風に声を掛けるなんて、不味いぞ! しかもここは世界遺産の街だ、などと、如何わしい考えをして上を見上げるとペンションと書いてあります。「なんじゃ、ホテルか。」、などと、ちょっとガッカリはせず。で、部屋を見せて貰いました。広くて、民家風で良いじゃーないか?値段も、20リラ(1800円程度)で安い。おまけに、若い女性も愛想が良く、妹も微笑を浮かべている。で、ここに決定しました。
2007.08.20
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サフランボルへのバスの始発は、9時半とのこと。遅れないよう、余裕見て、8時にスィルケジのホテルを出発。サフランボル行きのバスは、アジア側のハレムから出る。船が出る港は、スィルケジのホテルから歩いて5分のところにあった。船乗り場の入り口 ハレム行きとある。 船です。新市街が良く見えます。ガラタ塔も良く見えます。旧市街も良く見えます。トプカプ宮殿も良く見えます。ボスボラス海峡を渡ってんだなー、と感慨に耽ります。新市街のその向こうは、マルマラ海です。
2007.08.20
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トプカプ宮殿を見て、アヤソフィヤ博物館を右手に見て、地下宮殿の方へやって来ました。地下宮殿のすぐ近くの呼び込みのあったレストランへ入りました。イズミル・キョフテ、煮込みハンバーグですが、代表的トルコ料理と言うので、これを頼みました。ライスもいるか? と聞かれたので、それも頼みました。飲み物はどうするって聞かれたので、コーラを頼みました。これで、全部です。驚いたのは、会計。何と、総額25リラ。2300円ですぞ!聞いたら、イズミル・キョフテが、1100円。ライスが、650円。そして、そして、コーラ1缶が、550円なのです!ボったくりじゃーねーの!悪名高き、日本のファミレスだって、もっと安く、味も良い。何が、トルコの代表的料理じゃ! 日本の和風ハンバーグの方がずっとおいしい! 量も腹八分程度であるが、腹立ち感は、十二分以上の満腹ほど立ちました。で、夜は、慎重にお店を選び、注文したのが、下記です。マンタル・ソテ マッシュルームのトマト煮込みエゾグリン・チョルバス 花嫁のスープ生野菜ライスコーラも頼んで、全部でこれ。これ、全部で、〆て、700円。お店の名は、バルカン。スィルケジ駅近くです。この辺りは、レストランが多いです。コーラ1缶110円。隣で食べてた、トルコ人も親切で、写真を撮ってくれました。料理の写真を撮っていたら、これも撮れって、ポーズまでとってくれました。ここから、選びます。良心的な値段で、味も良く、昼のぼったくりレストランで、イスタンブールのイメージ悪くしましたが、ここで回復。気分良くして、隣の床屋で髪切って貰いました。
2007.08.19
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ブルーモスクと呼ばれている、スルタンアフメット・ジャーミーです。その中庭です。中は、このように美しいステンドグラスが見られます。疲れて、寝ていたら、怒られました。それを見ていた、トルコ人家族に笑われました。外に出たら、目の前に、アヤソフィヤ博物館が見えました。こっちも美しいですねー。
2007.08.19
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驚きましたねー!街の真ん中に、地下宮殿があるなんて!イスタンブールには、地下の貯水池が数箇所発見されたそうですが、ここはすごいです。一見の価値はあります。4世紀とか5世紀の頃に、こんなすごいもの地下に作ったのですねー!見て下さい。見えない? じゃー、もっとはっきりと!すごいでしょ! これ地下に作られているのです。今も、下に水が溜まっていて、大きな魚や、小さな魚が泳いでいます。柱の根元に、顔が彫ってありました。20数年前に、泥をどかして、これが発見されたらしいです。 もう一枚、地下宮殿を。
2007.08.19
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スィルケジ駅で降りて、一旦ホテルへ戻って休み、ホテルから歩いて、トプカプ宮殿へ行きました。5分位で着きます。ここも小高い丘の上にあり、木々が多い緑の中にありました。第2庭園の右側にある陶磁器や厨房などが展示されている建物。第3庭園の謁見の間がある建物です。トルコにもひまわりが咲いていました。写真撮影禁止でしたが、宝物館には、86カラットのダイヤモンドもあり、エメラルドが3個ついた、トプカプの短剣など、多くのお宝を見ましたです。そして、一番奥の右手を見ると、コレ又、ボスポラス海峡です。今度は、左手の方へ行けば、新市街、先ほど行った、ガラパ塔も良く見えます。ここは、ほんとに景色が良いです。何の部屋だったか、青いタイルの綺麗な、こんな部屋もありました。外に出て、そのまま出口に向かって歩いて行ったら、アヤソフィヤ博物館に出ました
2007.08.19
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予定通り、トラムバイに乗って、金角湾に架かる、ガラタ橋を渡って、新市街へ行きました。終点の、カバタシュまで行って、引き返してカラキョイで降りる。引き返すだけなら、同じ車両がそのまま戻るので、値段は、変りません。カラキョイ駅は、金角湾の目の前にあり、線路沿いを歩いて行くと急坂になります。ガラタ塔自体が丘の上にあり、そして塔のてっぺんから見るので、眺めは最高です。旧市街が丸見えです。 そして、旧市街から、ボスポラス海峡の向こうに、アジア側のイスタンブールが見えます。 感動モノです。もう一度、旧市街を見れば、ブルーモスクがはっきり見えます。名残惜しいのですが、ガラタ塔を降りて、又、カラキョイ駅へ向かいます。
2007.08.19
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東アフリカへ行く予定を、急に変えてトルコにしたので、事前調査不足。イスタンブールに着いてから、ガイドブックと睨めっこして、行き先を探しておりました。ツアーもあまり良いのがないし、1日、8000円程度と、高額なので、自力で見て廻ることにしました。朝食食べたら、トラムバイに乗り、金角湾に架かる、ガラタ橋を渡って、新市街へ行く。そして、又、戻って、アヤソフィヤ博物館、トプカ博物館、スルタン・アフメット・ジャーミー、及び地下宮殿へ行く予定。時間があれば、夕方、グランドバザールにも行こう。せっかく、トルコに来たのだから、ベリーダンスも見たいものだ。
2007.08.19
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ホテルのある地区は、ロンドン発のオリエント急行の終着駅、スィルケジ駅のすぐ近くにあります。欧州の果て、と言ったイメージがあり、この地区に泊まろうと思ったのであります。アガサ・クリスティ、ゆかりの駅なんですか? このスィリケジ駅。昔は欧州の上流階級の人々で、賑わっていたと言いますが、その面影は?そして、チェックイン。名前を持って空港に出迎えて、待っていたなどと、メールの返事も書かずに無茶苦茶言い出したので、ホテル変えるか? と思ったが、先方がすぐに折れたので、そのままチェックイン。部屋は、狭いですが、清潔でまぁまぁです。エアコン付き。トイレも浴槽はないものの、お湯はたっぷりですます。タオルも石鹸も付いており、二つか、三ツ星程度のホテルだと思います。夕食は、ホテルのすぐ近くに路上にあるレストランで、早速、ケバブを食べました。これで、1000円ですから安くはないです。それと、肉ばかり多く、味も、僕には合っていませんですな。これには、ちょっとがっかりです。
2007.08.17
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「トルコ16日間の一人旅」、が始まりました。一人旅などと、付けて見ましたが、いつもの事ですが、何となく、亜州と欧州の架け橋、トルコには似合いそうな気がしたものです。サウジのジュベールを、朝の5時半出発。バーレーン空港を、9時50分出発。ドバイ着12時。ドバイにて乗り換えて、14時半出発のところ、1時間遅れて出発。イスタンブールに、30分遅れの、18時半に到着しました。バーレーンから、イスタンブールまでの直行便が取れなかった為に、ドバイへ行って、又、ドバイから、バーレーン上空、そして我が街、ジュベールの上空を飛びました。ですから、この間は、全く戻って来ただけであります。その後は、クェート方面へ向かい、イラクとサウジの国境のサウジ側を飛んで、イエメンの一番イラクに近い東側を飛び、シリアの上を通って、たぶんレバノン上空も通過、地中海上空に出ました。ホテルは、到着してから探そうと思っていましたが、トルコは客引きが多く、且つ、しつっこく、慣れてる人でも騙されると、「地球の歩き方」に書いてあったので、一応、予約だけは入れておきました。しかし、メールの返事も来ないので、確約が取れていません。市内へは、メトロと、トラムバイを乗り継いで行きましたが、意外と簡単で、これならボラれやすいタクシーに乗る必要はないと思いましたです。空港から、ホテルまで、1時間で、付きました。これが、空港駅です。 メトロの車内。 トラムバイの車両です。 サウジのジュベ-ルを朝5時半に出て、イスタンブ-ルのホテルに夜の8時半ですから、距離的には近いのに、ずいぶん時間は掛かりました。
2007.08.17
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本日、今から、「トルコ16日間の一人旅」に出発します。え? 何? 又、旅行かって? いつ仕事してんだ? だって?へい、仕事もしておりますよー。皆さんが、3週間とか、4週間連続休みのところ、僕は1週間と、2週間に別けて、休みを取るだけで、有給休暇もおんなじです。トルコは、ネット発達しているのでしょうか?アップ出来ないかもしれませんので、ご承知おき、願います。それでは、行ってきま~す!
2007.08.16
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昨日、本日と、ホテルに缶詰で、会議が行われました。こんな所です。欧州人の他に、フィリピン人、インド人が参加していましたが、どうも一味違い顔立ちの人もいました。休憩時間に、彼ら、携帯で写真撮ってたので、僕もカメラを持ち出して撮って上げました。会議中は気が付かなかったですが、結構、イケメンですねー。若いけど、マネージャーです。どうもレバノン人見たいです。そしたら、廻りに居た、レバノン人らしき人たちも、一緒に撮ろうと集まって来ました。左端は、フィリピン人です。一応、ブログに載せるけど、良いか? と了解はとっています。「何万人も日本人が見るけど、良いんだな?」、と。結構、と言うか、かなりと言うか、大幅に、サバ読みました。すいません。
2007.08.15
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実は、今回は、既に記載しましたように、「日本人社内旅行準備実行委員会担当係員」の職務を全うする為に、15時間もかけて、アブダビに来たのであります。従いまして、アブダビで、ホテル、ゴルフ場、アブダビ市内及び周辺ツアーなど調査が完了したから、もうホテルでゆったりしていれば良いのですが、運転手アシュラフの社長の兄、彼の名は、「サガ」と言います。建設機械とか、そう言う機会を取り扱う会社の社長をしているらしいです。彼は、しょっちゅう、ドバイに来ているらしく、ドバイを案内してくれると言うのであります。アブダビからドバイまで、約130キロ。全線、片側4車線の素晴らしい高速道路であります。しかしながら、ドバイ市内に差し掛かる頃より、渋滞が始まりました。そして、建設ラッシュで、建設中のビルが沢山、沢山、一杯であります。ずいぶん背高のっぽのビルが、建設中だなーと思って、何階建てなのか数えていたら、45階程度で、目が廻ってきたので数えるのを止めました。何でも、完成したら、800mだって事です。ほんとか? 東京タワーの2倍半の高さ? 信じられません。市内では、ディラ地区のゴールド・スークから、メトロポリタン・パレス・ホテル、マリオット・ホテル、など見ながら、南下し、有名なサダフ・レストランを横目にして、市内の真ん中を流れる、ドバイ・クリークと言ったかな? そこにかかる橋を渡って、バール・ドバイ地区へ行きました。ここも、リージェント・パレス、シェラトン・ドバイ、などのホテルが見えました。そして、サガさん、どうしても案内したいと言う、ジュメイラ・ビーチへと向いました。すると、如何にも リゾート! と言うような雰囲気の地区に入って来ました。そして、2本のミナレットが見えて来ました。「なんじゃろ? これは?」、と思って、サガさんに聞くと、ジュメイラ・モスクと言うらしい。確かに目立ちます。1回見たら忘れられない、凛とした建物です。残念ながら、車で素通りしたので、写真取れませんでした。そして、さらに行くと、すごい建物が見えて来ました。「ジュメイラ・ビーチ・ホテル」 波をイメージした、26階建てのホテルです。サガさん、奥様と泊まったことあるらしく、一生懸命説明してくれました。1泊、7万円程度らしいです。「ドヒャー!」7万円で、ドッヒャー、と驚いていたら、こんなホテルもありました。「何じゃ、これ? なんかの虫でもイメージしてんのか?」と思いました。何とこのホテル、7万円どころか、20万円はすると言うのです。ドバイを紹介するテレビ番組では、必ずこのホテルが出て来るはずだ、とサガさんが言ってました。バージュ・アル・アラブと言うホテル。パリのエッフェル塔より高いと言うから、どの位高いのでしょう? 27階にレストランがあるらしいですが、そこで、220mで、見晴らしが良いらしい。「見学したい!」、とサがさんに言ったら、努力して駐車場方面に行ってくれましたが、予約なしでは、中に入れないと言うことで、残念ながら見られませんでした。せこせこ、金貯めたら、100年後には泊まれるでしょうか?すごいホテルがあったもんです。因みに、アブダビで泊まった、ロイヤル・メリディアン・アブダビのホテルの窓から、見える景色です。向こう身見えるのは、ルル島です。 これで、視察の目的は達成されました。
2007.08.15
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15時間かかってサウジのアル・ジュベールから、色々と難関をくぐり抜け、ようやく、アブダビに到着しました。朝の5時ちょっと前に、ホテルにチェックイン。安いホテルを、探す暇もないので、超豪華ホテル、ロイヤル・メリディアンに泊まりました。何と、数万円はするのです。 昼頃、目を覚まし、ゆったり欠伸して、「おー、目的忘れたらいかんわい。」と早速、アブダビ調査に出かけました。腹減ったので、街の安食堂で、腹ごしらえ。そして、ホテル見学に出かけました。今回は、社内旅行の調査なので、そこそこ一流のホテルを探すのが、目的でしたが、バックパッカー的な宿もあれば、見てみたいとアチコチ、暑い日差しの中を歩き回ったのであります。 仲々、良いホテルばかりです。一番安いホテルで、35Dh=350サウジリアル、=1万円です。安宿は見つかりませんでした。高いですねー、ここは。ホテル見学のあと、アシュラフのオーナーの兄弟を起こして、ゴルフ場を見学に行きました。サンドゴルフ場と、緑の芝生のゴルフ場です。 夕食は、日本食レストランを視察に行きました。 アル・アイン・パレス・ホテルに隣接する、「ゼン」、と言う日本食レストラン。焼き鳥、寿司、テンプラ、鉄板焼きなど、定番の和食があります。僕は、一人なので、おひたし、刺身と寿司の定食、茶碗蒸し、仕上げにザル蕎麦を食べて来ました。どれもおいしかったです。
2007.08.14
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電話は、アシュラフの会社の社長の兄弟からでした。始め、何を言っているのか、さっぱり判らなかったのです。よくよく、話を聞いてみると、UAEのイミグレで揉めている時に、オーナーへ電話しました。オーナーは、入国できないことに責任を感じたらしく、たまたま、兄弟が、ドバイへ行っていたので、サウジのボーダーへ来るよう依頼したらしいのです。「まだ、UAEを走っているが、アブダビへ行くのなら、そこで待っていてくれ、UAEを出国し、サウジへ入国して、アシュラフはジュベールへ帰し、僕を連れて、Uターンして、アブダビへ連れて行ってくれる」、と言うのです。何だか、眠いし、面倒だし、もうジュベールに帰るからいいですよ、又、次の機会に来ますよ、と答えましたが、熱心に誘ってくれます。そんな電話をしていたら、眠気も覚めて来て、そんなら行くかー、とokしました。暫く待つと、サウジ人の着る、オバQ姿で車を運転して来ました。アシュラフは、その兄弟の車に乗って帰り、僕の車を、その兄弟が運転して、又々、Uターンです。行ったり、来たり、又、戻ったり、大変なことです。2度目のサウジの出国。そして、UAEへの入国、そこでは、「あれ? 又来たか?」、と言うように顔見知りになった、入国管理官が笑っていました。サウジのボーダーから、アブダビまで、300キロ。約3時間。アブダビに着いたのは、朝の5時前。もう明るくなっていました。途中、戻ったりしたので、全工程:997キロ、1000キロまで、あと3キロ。ほぼ、15時間かかりました。続く
2007.08.14
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UAEの入国管理事務所から、外に出ると、ポリスと書かれた車が待っていました。僕に乗れ、といいます。いや、車があるから・・・、と言うと、アシュラフに、お前は、この車に着いて来い、と言うようなことを言ったと思います。「な、なんで、俺だけ、連れていかれるんや?」と、不可思議に思いましたが、こう言う時は、言われるまま指示に従った方がいいので、パトカーの助手席に乗りましたです。そう言えば、パトカーで連行されるのは、これで2回目です。忘れもしない、中国の杭州で、20歳の女性と同居している家に、踏み込まれて、警察へ連行されたことがありました。「どうすんじゃ?」と思っていたら、その警察官、仲々、友好的なのであります。「日本人か?」「はい、そうです。」、と神妙に答えると「車は、日本製が最高だよ!」、と言ったので、「あ、はぁ、そうですか・・・」、適当に相槌打ちましたです。すると、「いや、僕は、スズキに乗っているんだ」、と言い出しました。スズキは、日本で乗っている人、少ないよ、と言おうと思いましたが、自慢そうに鼻の穴が、ヒクヒク状態なので、「ホォー、良い車に乗ってますなー!」、と少し驚いて見せました。「そうかね、そうかね」、鼻の穴、ヒクヒク、ヒクヒクです。そして、そして、道路の脇にパトカーを寄せて、写真を取り出すではないですか!驚きましたねー、このポリス。自慢のスズキの写真の脇に、ポリスが正装してにこやかに立っています。「ホー、ホホォー! 素晴らしい車ですなー!」、と、オーバーにそっくり返り、驚いて見せました。そしたら、「そうだろ、そうだろ」、ってな感じで、完璧に満足した態度で、そろりと、パトカーをスタートしたのであります。「あれー? アシュラフどうしたかなー?」、と後ろを振り返ったら、きちんと、真面目な顔して、パトカーの後を追って来ていました。UAEのイミグレ、そしてカスタムも、フリーパスでした。気持ちええもんですなー、パトカーで、フリーパスってのも。ここで、これは、連行されるのではなく、送ってくれるんじゃ、と気が付きました。サウジ側の、イミグレの前まで、送ってくれて、わざわざ、パトカーを降り、「すまんな、入国許可出来なくて・・・。」、と握手を求めて来ました。「い、いや、いや、そんな・・・」、と曖昧に笑って、握手しました。「気を付けて、帰って下さい、」、などと言う言葉まで、かけてくれました。自分の車に乗り換えると、アシュラフ、悪げもなく、「ハァッ、ハァッ、ハァッ」と笑っております。「何が、面白いんじゃ、このアホ!」、と怒鳴りたい気持ちでありましたが、何となく、滑稽で、怒る気持ちにはなりません。先ほど、出国したばかりなのに、今度はサウジへ入国です。手続きも、簡単に済み、アシュラフに、ホテルもないし、眠くなったら、どこかに車止めて、寝て行こうな、と声をかけて、僕は寝る体制を取りました。もう、23時半を過ぎていましたから。そんな時、アシュラフの携帯電話が鳴りました。運転中は携帯禁止にしているので、道路脇に止めて、アシュラフは何やら、話しています。そしたら、「アブダビへ行くか?」、と聞いて来るのです。「アホか、お前! ほんとにアホやな、今、入国禁止食らったばかりだろ!」しかし、何とも面白いことに、我ながら、驚いたことに、アブダビへ行けることになったのです。続く
2007.08.13
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アシュラフ、連行されて30分経っても、奥の部屋から出て来ません。ドアを細めに開けて、暫く見ていたら、アシュラフと目が合いました。「こっちゃ、来い!」、と手招きすると、やおら立ち上がってこっちへ来ます。こう言うとき、奴は、堂々としているなー、と思います。何やら風格があります。で、どうした?って聞くと、入国を許可してくれない、と泣き顔で言うではないですか! 「な、なんでや! マルチビザで、問題ないって言ったじゃないか!」と確認すると、「親分が言った・・・」と答えます。アシュラフが、そう言った難しいこと知っている訳はないと思われるので、「それじゃー、親分へ電話しろ!」 と指示しました。親分とは、アシュラフの会社の社長、オーナーのサウジ人です。もたもたしているので、アシュラフから電話番号を聞き出し、電話して事情を説明し、オーナーからイミグレ担当官に説明してくれと、頼みました。つなぎっ放しの、電話を持って、アシュラフは、慌てて別室へ入って行きます。これで、何とか、入国出来るかのー。 とホッとしたものです。しかしながら、アシュラフ、それからも仲々、出て来ません。その後、1時間も待っても出て来ないし、もう23時を過ぎるし、こりゃー入国は無理かなー、眠たいなー、と思っていたら、僕も別室に来いと、連れ込まれました。思わず、「お、おれ、悪いこと、な~んにもしてません!」って言おうと思ったけど、ここは警察ではないと思い返し、黙っていました。そしたら、担当官が、「どうする、UAEへ行くか?」と聞くのです。「このアシュラフは、行けるの?」、と聞けば、一言、「ダメ!」、といいおる。うんじゃー、どうやって、アブダビへ行けばよかんべ! 歩いて行くには遠すぎるぞ! 何せ、ここボーダーから、アブダビまで、300キロはある。「あのー、何とか、アシュラフの入国許可して貰えないでしょうか?」恐る恐る聞いて見るも、「ダメ! インド人はダメ! あんたは良い、日本人だから良い。」って取り付く島なし。「あのー、ジュベールから、8時間もかけて、ようやく辿り着いたのです。彼が入国出来ないと、僕もアブダビに行けまへん。何とか特別許可ってなことは、出来まへんじゃろか? お代官様!」としつっこく聞いて見ましたが、「ダメなものはダメ! ビザ取って、出直して来い!」ってえらっそに言われたであります。「うんじゃー、しゃーねー、帰るよ!」って言うと、パスポートにドカンと何らや知らんが、スタンプを押しました。入国キャンセルのようです。アシュラフと二人、トボトボと、入国管理事務所を出て来ました。外には、ポリスって書いた車が待っていて、僕に乗れと言います。「な、なんじゃー?」続く
2007.08.13
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さて、UAEに向かって出発です。途中、ダンマンに下請けの工場があるので、そこに立ち寄り、若干仕事。仕事が、早く終わってしまった為、午後3時半であるが、ダンマンから、UAEへ向かって出発しました。2時間ほど(17時半頃)で、ホフフと言う街を通過。(結構大きな街です)砂漠の真ん中を、突っ走りますラクダ達が、沢山歩いている砂漠地帯もありました。19時半には、カタールへの分岐点を通過。左へ行けばカタール。僕らは、右の道へ行きました。ここで、既に、430キロ走りました。この頃には、もう暗くなってしまって、標識を見るのに、スピードを落として、走らねばなりません。アシュラフに任せておいたら、どこへ行くか分からないので、おちおち、居眠りする訳にもいかず、結構、緊張します。夕食は、カプサ食べて、サウジのイミグレを通過したのが、21時半頃か?おー、ここから、UAEじゃー!と喜んでおりました。で、UAEのイミグレは、車に乗って通過出来ず、駐車して、入国管理事務所のような所で入管検査を受けます。タリラリラ~ンってな、調子で、アシュラフ君、歩いて行きました。僕のと、アシュラフ二人分のパスポートを提出すると、ほどなく、僕のパスポートはスタンプ押されて返してくれました。しかしながら、アシュラフはアラビア語で、諸々、色々、聞かれております。その内、「別室に来い!」 とか言われて、アシュラフ連行されてしまったのであります。アシュラフは、情けなさそうな、寂しそうな、泣きそうな顔してました。ドアを細めに開けて、盗み見すると、大きな廊下を挟んだ、向こうの部屋で、アシュラフが、しょんぼりと座っているのが見えます。続く
2007.08.12
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「日本人社内旅行準備実行委員会担当係員」の任務を全うする為、UAEのアブダビへ、視察に出かけることに致しました。アシュラフ君、今まで、生まれ故郷のインドと、ここサウジ以外は、僕の運転手で連れて行ったバーレーンしか行った事ありません。UAEに行くと言ったら、満面の笑顔。「あ、あの、ぼ、ぼ、ぼくは、マルチビザを、も、持っていて、中東なら、ど、どこへでも行けるんだぞ。親分(会社のオーナーのこと)が、い、言ってたんだ。」と、何とも、行きたそうに言うのであります。飛行機の方が楽は楽なのですが、向こうへ着いてからの便利さを考えると、車の方が良いと考え、アシュラフの運転で行く事にしました。地図で、距離を測ったら、800キロ。四国一周お遍路で、40日間かけて、歩いた距離と同じです。アシュラフに聞きました。「おい、800キロもあるんだぞ! 大丈夫か?」 「ぼ、ぼくは、リ、リヤドから、イエメンの方まで行ったことある。大丈夫。ぜ、ぜんぜん、も、もんだいな~い。」と自信たっぷりであります。彼の自信は、脆くもすぐに破れるので、あまり信用は出来ません。1回行けば、道は覚えるって自信たっぷりに言うが、すぐ忘れます。自信たっぷりに、行き先を説明するが、分からなくなると僕に聞きます。「お前が、運転手だろう!」って、言いますが、止む無く、僕がナビします。「三角形の2辺の和は他の1辺より長い」、未だにこの事が理解出来ません。ってな調子ですから、彼の自信は当てにならないのであります。アシュラフに、これだけは守れるか? と聞きました。1.スピードは、法定速度プラス10キロまで。それ以上ぶっ飛ばすな!2.疲れたり、眠くなったら、安全な所に止めて、休め!3.運転中に携帯電話するな!4.話しかけても、後ろを振り向くな!「へい! わかりやした!」普段、こんな良い返事はないので、アブダビへ行きたいのでしょう。で、あまりの返事の良さに、気分よく、 出発したのであります。続く
2007.08.12
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僕は、「日本人社内旅行準備実行委員会担当係員」に任命されているのであります。何とも厳しい名称ですが、単なるヒラ係員です。で、2泊2日(水曜の夕方から、金曜の夜まで)ですが、皆さんに、下記のアンケートを取ったのです。どこへ行きたいか? 候補地は、下記でした第1のコース :イエメン君第2のコース :サウジ リヤド君第3のコース :サウジ ジェッダ君第4のコース :バーレーン君第5のコース :オマーン君第6のコース :UAE ドバイ君第7のコース :UAE アブダビ君第8のコース :カタール君僕は、誰が優勝するか、楽しみにその結果を待っていたのであります。リヤド君と、ジェッダ君は、多分、予選落ちだろうなー、とは思ってました。なんてたって、サウジから抜け出すのが、リラックス出来るのですから。バーレーン君も、近くてしょっちゅう行けるので、ランク低いだろうなーと思っていました。イエメン君は、人気度高いですが、2泊2日では、ちと遠い。オマーン君も同様に、ちと遠いから、やはり人気薄かなー?すると、残るは、ドバイ君、アブダビ君、そしてカタール君達であります。さてさて、皆さんなら、どこがお好みでしょうか? 結果、圧倒的に、他を引き離して、UAEの、アブダビと、ドバイです。ドバイと、アブダビは、わずかの差で、アブダビが優勝! 残念ながら、他候補より圧倒的な支持を得たのですが、ドバイ君は、次点で泣きを見ました。で、アブダビへ、視察に出かける事にしたのであります。続く
2007.08.11
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楽しみにしていた、東アフリカへの旅は、黄熱病の予防注射が、当地サウジでは、難しいようなので、断念しました。で、夏季休暇を取りやめて、仕事に専念するか? 迷った? いえいえ、全く迷いません。即刻、どこへ行くか、行き先変更を検討していたのであります。そして、「トルコ16日間の旅」、に決定しました!昨日、取り合えず、行きと帰りのエアーチケットのみ、手配たのであります。昨日は、お休み。それで、詳細計画検討しました。トルコは、広いので、16日間あっても、行き先決めずに、自由にブラブラって訳にも行かないからです。結構、綿密な計画を立てて行かないと、予定の期日に帰って来れない可能性さえあるのです。16日間では、東部へは行けませんねー。黒海方面とか、イラン、イラク、シリアの国境近くまで行きたいと思うのですが、無理です。西南部の地中海沿岸で、1週間ほど滞在したいと思うものの、それも難しいです。で、ざっと、下記のような工程を立てて見ました。あとは、行き当たりばったりで、行き先を変えるかも知れません。8月16日(木) バーレーン→イスタンブール8月17日(金) イスタンブール観光8月18日(土) イスタンブール→サフランボル8月19日(日) サフランボル観光8月20日(月) サフランボル→アンカラ アンカラ観光8月21日(火) アンカラ→カッパドキア8月22日(水) カッパドキア観光8月23日(木) カッパドキア観光8月24日(金) カッパドキヤ→コンヤ コンヤ観光8月25日(土) コンヤ→デニズル8月26日(日) パムッカレ観光後→マルマリス8月27日(月) ロドス島(ギリシャ)観光8月28日(火) マリマナス→セルチュク8月29日(水) エフェス遺跡観光8月30日(木) セルチュク→イシタンブール8月31日(金) イスタンブール観光後→バーレーンへ如何でしょうか? ご経験のある方、アドバイスお願いします。
2007.08.11
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ヨルダンから帰って、一週間以上経った頃です。いつものように、ブログ書いて、他の人のブログを見ておりました。そしたら、あれー スイスう~ あれ~、あれあれー こ、この人、あれー あらー、あらららら・・・な、なんと、にこやかさん、のブログです。それが、何とも、アホと言うか、間抜けと言うか、気が付かぬ奴だと言うかにこやかさんのブログ、以前から、読ませて貰っていたのです。しかもですね、Yahooのお気に入りに登録して、時々、見ていたのですよ!その本人に会っていたのに、しかも4日間も、行動したのに、全く気が付いていないのですねー! 我ながら、そのアホさ加減に驚いております。鈍感も、鈍感、こう言うのは、鈍感を通り越して、間抜けって言いますね。はずかしーくらいの鈍感さ、間抜けさです。早速、メールでその事を、にこやかさんに送付しましたです。ご存知の方も多数でしょうが、Naokoさんです。「ゴー!ゴー! 世界一周ブログ」、を書いている方ですね。しかし、そう言えば、ブログの事は、ほとんど話してなかったですねー。「ブログ書いているけど、写真を載せて良いですか?」と聞いて、了解貰っただけで、ほとんど内容など、話してません。Naoko♪さんも、書いている事は、話してくれましたが、詳しい話はしなかったです。しかも、Naoko♪さんのブログに書き込みしている方々に、コレマタ、私目の、ブログ交換している人が、何名もおられるのです。共通のブログ友達って言うのでしょうか?全く、驚いている次第です。世の中、狭いものですねー。
2007.08.10
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7月13日(金)ヨルダン9日目。本日は、帰るだけです。飛行機は午後。午前中は暇なので、街をブラブラしておりました。そして、マンガ男の如く、髪が伸びているのが気になり、暇だし床屋さんへはいりましたです。この床屋さん、陽気な人で、髪を切っている時も、ずっと話しっぱなしです。中国人か? 韓国人か? フィリピン人か? などと、聞いてきます。そして、日本人だ、と言うと、態度がコロッっと代わり、ハサミを持った手なのに、両手を大きく上げて、「オー、ジャパニーズ!」、などと大げさに驚いていました。そして、この椅子は日本製なのだ、すごく精密で使いやすいぞー! などなど、日本を褒めてくれます。悪い気はしませんね。何も僕は、その日本の評価に貢献している訳ではありませんが。隣で、髪を刈って貰っている少年と、店員。気持ちよく、お店を出て、もう一度、アンマン市内の写真を撮って、楽しく、そして、感動した日々を、思い返しながら、飛行機で飛び立ったのでした。8泊9日のヨルダンの旅。目的は、紅海でダイビングをしたいと言うのが、最初の思い付きでした。紅海のダイビングは、シナイ半島のアカバ湾より、エジプトのアフリカ側、ハルガダ辺りの方が、美しいとの話も聞いてはいたのです。しかし、日程との関係と、エジプトは改めて行くつもりであるし、昨年、中国で留学した時のイスラエルから来た友人が、アカバは良い! と言っていたので、ヨルダンに決めた経緯がありました。そうしたら、ダイビング以外で、とても良い所が沢山あり、ヨルダンへ行って良かったとつくづく、思っております。今まで、訪ねた国の中でも、僕の印象では、トップクラスであります。* そう大きくないが、雑然とした中に、イスラムの匂いを感じさせるアンマン。* 塩分30% ぽっかり浮かべる死海。* モーゼの終焉地、何となく神を感じさせるネボ山。* もっと時間を掛けて歩きたかった、世界遺産ペトラ遺跡。* 予定にも入れていなかった、ワディ・ラム砂漠の素晴らしい夜。* そして、アカバ湾ダイビングこう言った所が、僕にとっても見所でありました。それから、山岳砂漠地方独特なのか、木のない山々、宇宙の奥を覘けるような碧い空、水の流れがないのに、美しい透明度の高い海、日本や東南アジアではない景色なので、特別感じるものがあったのかも知れません。そして、にこやかさんと一緒に、4日間も行動出来たのも、楽しさを倍加させて貰ったと、感謝しております。今頃、どこで、そのにこやかな笑顔を振りまいているでしょうか?と言ったように、とても、心に残る、「ヨルダン8泊9日の旅」でありました。
2007.08.10
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7月12日(木)アンマンのバス停に着きました。僕は、バスの中で準備してあった、パンとバナナを食べたので、腹へってなかったですが、にこやかさんは、爆睡しており、起こすのも悪かったので、何も食べてません。で、バス停の食堂らしきところへ入りました。ここでの、時間も、とっても楽しかったので、是非、お知らせしたい。地球の歩き方を見ていて、アラビア語が、載っているのを見つけました。その中の、分かりやすそうな言葉を見つけて、現地語で会話をしたのです。それで、盛り上がりましたですねー。 そして結構通じる事に驚きました。これが、僕一人だったら、こんなに盛り上がらなかったのでしょうが、にこやかさんが、一緒だったもので、食堂にいた男どもが、乗って来るのです。昨日のダイビングでの、氷遊びと言い、本日の現地語会話と言い、ニッポンの美しい女性がいると、スケベーな現地人どもの、態度がコロッっと変るので、その辺りも面白いなー、と観察したものでした。因みに、僕は、美しい女性がいて、心が騒いだり、緊張したりしても、外見上は全く動揺してない素振りで、大騒ぎしたりもせず、普通の態度のつもりです。でも、どうかな? ばれてるかな?ただ一人、この後姿の、じいさんだけは、会話に入って来ませんでした。写真も、顔は嫌だと断られました。そして、アンマン最後の夜は、にこやかさんと、素敵な夜を過ごした事をお伝えいたしますだ。何? どんな素敵な夜? うふふ、それは、ひ・み・つ明日、僕はサウジアラビアへ、にこやかさんは、スイスへ旅立ちます。
2007.08.09
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