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明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。天照大神殿【開けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。数年来の社会の出来事では、一部の国、地域ではロックダウンが頻繁にありましたが、ここ日本ではそのような政策はありませんでした。数百年前は鎖国がありましたが、今の時代では、そこまではできないですね。この地球そのものが、宇宙から隔離されていたような社会ですが、開星?になれば、様々な宇宙の影響があるのでしょうね。人の意識に映る宇宙は、どんどん変化しているような気がします。】開けましておめでとうございます。こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。さて、恒例の年賀のご挨拶のお話をいたしましょう。新しい物事が始まるきっかけは、ほんの小さな出来事かもしれません。一陽来復と申します。小さな兆しでも、春が来た、そうはっきり感じることができるものです。山の麓を流れる川は、ほんのわずかな水流から始まります。山を登っていけば、驚きを持って、そのことに気づくでしょう。光が瞬くように、命が瞬くのが自然の姿です。命を生み守り育み、容赦なく命を消し去る、存在の有様そのものです。自然に親しむ、とあなたたちは申します。そう言わなければいけないほど、人は自然から離れてしまいました。躍動しない命など、よどんだ流れの川のようです。それでも、激しく流れる場所があるから、よどみの水もやがて入れ替わります。そうしていつも新鮮な姿を保ちます。命を入れ替える。宇宙にとって、この星は本来そのような役割の星です。役割といっても、自然の姿そのものですけれど。人も自然の存在です。知らないうちに、自身も周囲も命が瞬くように過ごしています。ただそれだけなのです。【ありがとうございます。】
2022年01月04日
いつもありがとうございます。お久しぶりでございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。篩い分けにより、既に意識は二極化されているとも言われます。確かに何事も先ずは肯定する人、否定する人がいますね。意識は元々一つと言われます。分離させる篩い分けは、逆方向にも思えます。】ほほほ、今日は七夕よの。出逢いの話には、かっこうな日じゃ。特別な日は、周りの空気さえ己に味方するように感じるよの。それが祝福じゃ。その日の出来事は、それからの日々の礎になる。祝福の種、すなわち火種よの。それを己の心に産み出し、消えぬよう育てていく。その光は、周囲に広がるだけでなく、己を照らすのじゃ。そして、己に自らの影、心の内側も見せるようになる。それが普段は気づいておらぬ本心じゃ。広がる影の広さ、奥深さに対比し、光の広さもわかる。思いや、己が望むことが正しいか、引くか、己に問い続ける。上面の問いかけだけでは、本心なぞ何も見えておらぬに等しい。つまり、特別な日が来ることはないのじゃ。【ありがとうございます。】
2021年07月07日
いつもありがとうございます。毎年恒例の年賀のチャネリングは、今年はできませんでした。ぼちぼち、続けていきたいと思います。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。物事の真実、本質を知り、本質そのものを体現する。表現する。それは悦びでも、楽しみでもある。本質を知るまでが試行錯誤であり、迷いが消えないのですね。とは言え、知識でわかる訳でもなく、経験の積み重ねと直感で、これが真実、本質と、わかるようにはなると思います。】ほほほ、人が正しいとする答えはたくさんあろうが、真実は一つよの。真実は、曲がらない、ということじゃ。答えを出すまでの試行錯誤と申すが、曲がりながら出した答えなど、何の役にも立たぬ。必ず真実を見極めるという思い、最初にそれが無くては辿り着くことはないのじゃ。常に真実であるか、己の心に確かめながらになろう。無論、比べるべく真実を知っておるのではない故、そこに迷いが現れる。そして往々にして、目移りし、己に言い訳をする。勘違いしておるが、答えを出すために、人は生きておるのではない。ただ一つの真実を体現しながら生きるのじゃ。山の頂上に辿り着くのは長い道やもしれぬ。が、頂きからは、全てが手に取るように見えるはずじゃ。その時、道々が真実、答えそのものだったと気づくことになる。【ありがとうございます。】
2021年02月07日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。AIや量子コンピュータが実用化されつつありますね。少し前なら人の仕事がなくなるのでは、と言われたものです。人は意識を持ち、機械などとは比べようもない能力を秘めています。危なくなった時に発揮される危機管理能力は、途方もない底力があると示しているようです。それを目覚めと言うのであれば、これから人は本格的に目覚めてくる、そして、当たり前の人の性質となる。そうも思えます。】ほほほ、人は器、枠を持って生まれる。言い換えれば役割じゃ。枠の中であれば、大きく外れ、生きられなくなることはない。枠は変えられないという思いがあるゆえ、役割に生きたいのじゃ。用意した役割には、危ない時というのは、織り込まれておらぬ。【つまり生き方を用意して生まれて来た。危機管理というのは、生きる状況が危ないのだから、生き方を変える必要がある。つまり、今までの枠を取っ払う必要がありますね。】機械とてそうであろう、違う答えを出すには、違う仕組みが必要よの。答えは、その仕組みの中で正解となる。危ない時、一時凌ぎに出した答えは、ひとまず、己の枠を変え、つまり生き方を擬態し、その答えを正解とみなすのじゃ。仮の姿は、喉元過ぎればなんとやら、直に元の姿、生き方に戻ってゆく。大きく方向を変える時、高く飛ぶ時、勢いをつけるであろう。危ない時とは、自ら、その勢いをつける時じゃ。その勢い通り、日々、精一杯生き抜く。それに伴い、仮の姿、それまでの生き方は、なりを潜めていく。人は、その一生のどこかで、用意した幼い役割を飛び越える必要がある。それまでとはすっかり変わり、役割は本物になるのじゃ。【ありがとうございます。】
2020年12月19日
いつもありがとうございます。寒くなりました。世の中、今年はコロナ一色でしたが、皆様はどのような一年でしたでしょうか。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。太陽の活動が活発になってきました。11年周期のピークまで数年ですが、先日の発生数は、既に低調だった前回のピーク時に匹敵するとのことです。まあ、揺らぎの範囲でしょうかね。日本人は特に自然との融和を強く感じてきた民族ですね。季節や自然災害など、命は自然の揺らぎに左右されると意識の奥深くに刻まれているようです。生物は、ネットワーク情報網のような時空間の情報網に繋がっているように思えます。それには、ファイアウォールなどもあるのでしょう。そこに脆弱性があれば、大変な事態になりますね。科学はそれを越えてしまいそうです。】ほほほ、がちがちに固められておれば、融通は利かぬ。適度にある揺らぎが安定をもたらすものじゃ。季節が進むとて、気温が上下しながら進み、気づけば今であれば冬になったと感じるものよの。一日だけ寒い日があったとて、季節は整わぬ。少しずつ編み目を広がるように全体を整え、冬が来る。模様は、やみくもに編み上げる訳ではない。決まったデザインがあろう。が、編み方はそれぞれじゃ。短い夏があれば、気温が高い冬もある。人であれば、生涯がデザインじゃ。一年通して四季があるように、生涯のデザインも、生涯を生き抜き、人は整う。デザインは一旦決まれば、簡単にすげ替える訳にはいかぬ。途中で変えようとするなら、一旦解く必要があるよの。上手くいかなければ、解いて編み直したいか。もともと、人はその方法を用意して生まれはしない。つまり、生涯をやり直すつもりなど、最初から思って生まれはしない。経験も学びも、最初に戻す必要など、ないのじゃ。【ありがとうございます。】
2020年12月05日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。人が感じる現象は、ポジティブと感じる現象もあれば、対になってネガティブなそれもあります。ポジとネガは互いを生み出す情報であり、両方を消化吸収し現実が創造されていく。人は雑食であるとは言え、何でも身体や心に入れられる訳ではありません。消化不良、病気、ストレス、色々な反動の現象はあります。ですが、吸収できれば、いい経験にはなりますね。】ほほほ、まずは何事も経験よの。酸いも甘いも噛み分けると申すではないか。若ければ無論、そうではなくとも、動いて感じて見ることよの。胃や腸など生まれつき丈夫でなくとも、育ってゆく間に、丈夫になることもあろう。環境だけではなく、本人の意識と意思の働きよの。経験とて同じこと。苦い経験とて、その経験があったゆえ、成長があったと思える日も来る。成長のための不文律のようなことも、知るようにもなろう。何もない腹に食物を入れれば、胃は動き消化する。栄養になり、動くエネルギーとなろう。経験を意識に入れれば、魂は現象を消化しようとする。何故、その現象が起こったのか理解しようとするのじゃ。現象は、思考をするきっかけの一つよの。無関心であれば、通り過ぎるだけじゃ。物事の本質を知る。魂にとって答え探しよの。【ありがとうございます。】
2020年09月19日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。身の回りの些細なこと。それが全体を見通すためのヒントになることは、よくあります。時空間は、意識と繋がっているとわかります。大きな流れの中で、日本も世界も変わっていくのでしょうね。流れが変われば、時空間も編成され直され、それに伴い意識も変わっていきますね。だから、未来も変わり、住人も変わると。】ほほほ、変わるのは、今と未来だけではない、過去も変わるのじゃ。【因果が崩れると。】そうではない。そなたたちも未来の叡智を受けることがあろう。過去に向けたメッセージは、過去を変えるのじゃ。届けるのは、人だけではない。空間の意識も、過去の空間の意識に届くのじゃ。いわゆる時代の雰囲気みたいなものよの。その雰囲気に、流行り廃り、人の意識も左右される。空間も留まってはおらず、常に流動しているということよの。【今の時代のメッセージは、過去の空間にどのような影響を与えるのでしょうね。何度も似たような社会はあったと思います。】それこそ、時代は繰り返すというよの。空間の循環、つまり、メッセージの循環よの。が、それでも、時々、循環を飛び出すこともある。【それが、今だということでしょうか。】循環にも幅がある。数年、数百年の範囲、もしくは数万年、それ以上じゃ。出来事は時間を過去に波のように伝わり、先に申した流行り廃りになる。人と同じように、記憶の整理は空間にも必要じゃ。循環の間に、一度、リセットすれば、また新鮮な空間が始まる。社会で言えば、新しい社会じゃ。メッセージにより作られた社会ではないということよの。無論、学びの記憶は残す。経験よの。空間にとっての経験とは、この星では、命に他ならぬ。どのように生きたかということよの。人が空間に繋がるとは、そのことに尽きるのじゃ。空間は一つだけではない。他の雑多な空間に惑わされる必要は、ない、ということよの。【ありがとうございます。】
2020年07月25日
お久しぶりです。ここ数ヶ月、仕事は続いていますが、テレワークはせず、出勤の日々です。環境は、今までとあまり変わりませんが、心境は随分変わったような感じです。チャネリングも久々です。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。同じ数字ばかり目にするときは、未来やハイヤーからのサインではないかと思う時があります。無意識に視界に入る数字をサーチしていて、特別な数字に触れた時、意識に上がる。数字でなくとも、そのようなサインは多いと思います。ここ数ヶ月、随分時間軸は移動したような、もう以前の時間軸とは違う世界のようです。ですが、漸く、前に進めそうに感じています。】ほほほ、未来が発信するアンテナが自身に向いていれば、強く受けられるよの。強く受けた時は、無理なく交信できよう。この星には、あらゆる未来からの放送が流れ続ける。その番組表を、人は運命と呼ぶのじゃ。前に進む、とよくいうよの。人の楽しみは、いくつかある。育てる楽しみ、愛でる楽しみ、様々じゃ。シナリオが分かっていたとしても、どう成長し、また動いていくか。筋書きがあっても、魂が楽しむのは、色とりどり四季のようなその景色じゃ。そなた自身が演出し、シナリオは進む。未来と交信し、チャンネルを選ぶようにシナリオを選び、演出し、一つひとつ番組表を進める。それが前に進むということよの。【ありがとうございます。】
2020年06月07日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。昨今、女性の活躍がドラマにもなっていますね。本来、性別の違いの役割など生物学的な違い以外になく、古い慣習が人の意識に根付いていたから、目立ちもします。男女の統合は、スピでも心理学でも言われますが、互いに理解しあい統合に向かう、自身の気づいていない内面を知ることもそうなのでしょうね。】ほほほ、ふだんは出会わない世界に触れた時は、特別、新鮮じゃ。目の前が晴れ渡ったように視野は広がっていく。何かに気づく前は、あたり一面、暗闇よの。そのような時、足下を照らす松明一つあれば、進みやすい。右手に松明を持てば右が見やすい、左であれば左じゃ。男女の違いは、あえて言えば、右か左かの違いよの。相手のために照らすなど、理想にこだわれば、気づいていない何かが偏り、慢心が生まれる。無論、松明とて、持ち方に決まりはない。この形という決まり、偏りはないから、視野は広がるのじゃ。ありのままに近づくほど、理想からは遠くなる。夢を見ていたいのなら、真実は見ないのが幸せよの。が、だから、いつまでたっても、魂の足かせに気づきはしない。理想に守られない剥き出しの魂は、なにものにも代えがたい本来の姿じゃ。ありのままの社会は、夢に住まない魂には、むしろ歓迎されるよの。本来の姿のまま、晴れ晴れと生きられる。女は無論、男でも、自身に重ねて見ればよいよの。【ありがとうございます。】
2020年02月23日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。猿にはない自我による知性は、猿の集合意識は持っている。それが、猿の社会性ですね。つまり、種族のハイヤーセルフは自我の意識の進化系ではない。人や動物のハイヤーは、元々宇宙にそのまま生まれた存在ですね。】ほほほ、あらゆる生き物が、この星には集まっておるな。猿のハイヤーが種の進化を目指しているのなら、とうの昔に人に猿と呼ばせてはいない。よく見て学び、先を見通し、思いを伝える。そなたたちは、経験を糧に成長を続ける。ハイヤーは、意識の創造を続けるのだ。さも途切れない時間の感覚が、創造の感覚である。その感覚の積み重ねを、人は進化と見間違う。けれども、やっかいなことに、創造だけではない。種は退化をも引き寄せる。ハイヤーは矛盾を嫌うのだ。自ら成せるのにしない依存は矛盾である。なんでもあり、なのは矛盾ではない。多様さに、自ら限界を決めるから、不自由なのだ。この星にハイヤーの群れが広がる程、矛盾は消える。多様とは変化に富むこと、正に創造の星であるな。【ありがとうございます。】
2020年01月24日
謹賀新年本年も宜しくお願い致します。天照大神殿【幸せは自分の中にあります。外側に求めようとしなくても、その気持ちを持っていれば、思いやりにも自然に満たされますね。言葉でわかっていても、ついつい忘れてしまいます。】明けましておめでとうございます。さて恒例のご挨拶を申し上げましょう。その年がどのような年であったのか思い出すように、人それぞれ、その時々のテーマがあります。一人暮らしを始めた人。家族が増えた人。そればかりではないですね。一生を貫くテーマもあります。関わり合う人たちのテーマは、自身のテーマに重なり、交錯します。だから、いつも人の心は騒がしい。思いやりに心を満たしても、騒がしさは消えず、安らぎと虚しさは、月の満ち引きのように現れます。テーマは魂の影です。魂の安らぎは、思いやりではありません。魂はやがて答えを見つけ、重なったテーマは統合します。テーマは秩序を成し、魂は落ち着き、静まります。そうして答えを得た魂は、次のテーマの創造を始めます。それが暮らしでも、人生でも、次の舞台になるのです。【ありがとうございます。】
2020年01月07日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。どうもこの世界に生きているだけでストレスは溜まりますし、ネガティブな思考はなかなか消えることはありません。そのような社会でも、生き生きとポジティブに生きている人、もちろんいますね。ですがポジティブに生きるといってもネガティブとの相対的な感情に過ぎませんね。だから、程度によって差異が際立つようにも、差はないようにも見える。人の感情によって地球の意識も濃いポジティブな環境にも、ネガティブな環境にも見えます。】ほほほ、生きておるのであれば、思い通りにはならぬか?例えば空気のような気体でも、地上の気圧となれば、軽いとは言えぬであろう。鉄は重いと申しても、船のような形であれば、海にも浮かぶ。船であれば、すいすい進めるであろう。空気は肺に充満しておるゆえ、気圧に潰されることはない。人の意識に星の意識が充満するゆえ、意識圧に潰れることはない。星の意識圧と同じゆえ、魂は潰れぬのじゃ。現実とは、気圧のように正に重さそのものよの。意識を合わせると申すであろう。と申しても、力で推し進めようとすれば、抵抗も、無理もある。幾度も申しておるが、合わせるとは、和よの。和とのズレがない魂はポジティブと感じるのじゃ。ズレを戻そうとする性質は、元々、和に持つのじゃ。ズレが生まれては消し、生まれては消しの繰り返しじゃ。和は、生き生きと動く命の様そのものよの。【ありがとうございます。】
2019年12月28日
皆様、お久しぶりです。仕事の激務からもようやく解放され、チャネリングを再開したいと思います。更新していない間もブログ訪問頂きありがとうございます。激務の間に体調も壊し、危ないかなと思える念も入ってきていましたが、日常感じる波長は、元に戻りつつあると思えます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。魂が吹き込まれた芸術の作品は、生命そのものです。そのような作品は感動しますね。時間が流れ因果の相があると感じるように、魂は実体ではなく、相があるだけですね。魂という相が思いや思考に転換する。だから作品にも相が転写され生命が宿る。ですが、作品は人により大きく違います。人に元々備わった機能なら違いは大きくはないでしょう。】ほほほ、惚れ惚れする作品は魂に染み入るようよの。侘び寂びの風情がある作品なぞ日本人には馴染み深いであろう。さも、儚い命の風情じゃ。命を綴じ込めた作品は、息づかいさえ聞こえるようじゃ。生き物の生と死をその姿に見るとて、作品に宿った命は儚くはない。その命こそ、ありのままの命そのものじゃ。人とて、その命の振る舞いが生と死を見せておるだけよの。無論、生は仮の姿ではないゆえ、生き続けることができるのじゃ。物事には続かせようとする力が働くものよの。ありのままの力は、循環の力として現れる。例えて申せば、太陽を巡る星の循環じゃ。太陽と地球は銀河の中でも特別よの。命を循環させる力が一番じゃ。故に太陽―地球に入った宇宙人は、否が応でも地球人に転生を始める。(無論、わらわが許可を降ろせばの話じゃ。)地球以外の星は、循環させる力を蓄え、力を地球に移す。星それぞれの役割よの。どの役割も省くことはできぬ。人の命を太陽とすれば、作品は星じゃ。作品も星と同じように命を循環させる力を持つ。わかりやすく申せば、生きる力が沸くということよの。作品、劇、踊り、音楽、美味しい料理しかりじゃ。学び経験し、理解し蓄える力、人や作品を育て、和になろうとする力に変わるよの。人とは、循環する円環の一つの位置にある姿よの。故に人それぞれ違いがあるようにも見えよう。が同時に、人自身が命の円環そのものなのじゃ。それを和と申すのじゃ。和の中心というのは、その意味にて星も、この国もある。その中心をありのままの姿と申す。ほほほ、最初に戻ったよの。始まりの基点がそなたたちと、この国なのじゃ。【ありがとうございます。】
2019年11月30日
日々、訪問頂きありがとうございます。暫くチャネリング中止します。どうも調子がよくありません。再開の時は、宜しくお願いします。(今年の分は、削除しました。)
2019年09月22日
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。天照大神殿【本年も宜しくお願い申し上げます。さて、本年はどのような年になるのでしょう。】本年も宜しくお願い申し上げます。恒例のご挨拶、本年も一言お話し致しましょう。どなたにもある節目というもの、気づかぬとも、振り返ってみれば確かにあった、そう思えるものかもしれません。強い節目の真っ只中にいる人は、今、まさに、節目にあると気づいているかもしれません。樹木の節目は、真っ直ぐに切ろうとするのを拒みます。ですが枝を伸ばしたゆえに節目はあるのです。節目がない樹木など、ありません。日々暮らしている限り、節目は必ずできるのです。節目は生きた証、証とは約束です。今までの約束も、これからの約束もあるでしょう。節目の度に約束は増えてゆくのです。約束は人を見守ります。それは節目を過ぎ己自身への信頼が増すゆえのこと。出会いと別れの後先に、約束を思い出すのは、人と大切に生きた日々を思い出すことになるのです。見守られているゆえ、一人ではなく、見守っているゆえ、一人ではありません。それが、本年最初のお話しです。【ありがとうございます。】
2019年01月03日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。事を進めようとする時、壁にぶつかることがありますね。感覚でつかむまでは、試行錯誤して、きっかけを見つけようとします。そこで何かつかむか、諦めて別の方向に進むか、その違いはどこにあるのでしょうか。】ほほほ、進もうとする強い意志があれば言うことはないよの。が、気持ちだけではなく、その時期が大切じゃ。何をしてもうまくいかぬ時期があれば、とんとん拍子に事が進む時期もあろう。【時期を見極め進めることですね。】無論、それもあろう。が、時期がきた時には、整ったことを知らせる出来事があるものよの。整っておらぬのであれば、物事は中途半端じゃ。まだ煮えておらぬ鍋に箸をつけるようなことよの。もう食べ頃であると、色や匂い、ことこと言う音、柔らかさが教えるであろう。誰しも経験の懐に、その時期になったと分かる物事をたくさん覚えておるのじゃ。故に、初めての出来事とはいえ、経験があてにならぬわけではない。が、試行錯誤し経験に当てはめることができなければ、別の物事が必要じゃ。別の物事を経験の物事に置き換えた時、それはきっかけとなり得るよの。壁にぶつかった時、進むことができるか否かの違いになるのじゃ。【つまり、別の物事が前に進んだ経験に合えば進むし、別の道に進むような経験を思い起こしたのであれば、別の道を選ぶとなりますかね。】良い経験を思い起こす物事を、選べばよいのじゃ。旬の料理しかり、朝起きて夜は寝るというような習慣しかり。時期というからには、身近な時期の物事に合わせてみる。出来事が出来事、つまりきっかけを呼び、時期はしだいに整うのじゃ。待っておるのではなく、進むことになるその時期を呼び込めばよいよの。【ですが出来事が起こる時期は決まっているとも言いますし、逆に時間がないとも言いますね。】ほほほ、きっかけは、それに繋がる出来事が起こる時期を決めるのじゃ。つまり、きっかけもない出来事が起こる時期はないとなる。出来事と時期は一体となり、他の出来事と時期に、合わせ鏡のように共鳴しあうのじゃ。壁を越えるきっかけは、既に己の周囲にあるのじゃ。一つひとつ当たり前とも思える出来事に置き換えてゆけばよい。最初は繋がりなどないと思えても、やがて壁を越える出来事と時期がこよう。それを待てばよいのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月29日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。細胞が休む間もなく思考しているとすれば、その結果、答えは意識のどこに現れるのでしょうね。細胞が状況を危険と判断したとすると、想念であれば恐怖?思考であれば、回避方法の探索?などでしょうか。どちらもありそうですね。】ほほほ、何が起きておるか分からぬとも、胸がざわつくと申すであろう。思考のきっかけは、まずは魂からじゃ。考えるとは、意思があってこそよの。意思は思考でも想念でもない。現象を見つめる、それが意思の行為じゃ。ただ見つめておれば、現象の様子がおぼろげながらも見えてくるであろう。内側に隠れておる何かがあぶり出されてくるのじゃ。その何かが考え始めるきっかけとなる。あぶり出される程に、正体が明らかとなるよの。【魂と意思の関係はどうなるのでしょうか。】きっかけと申したように、魂の意思は身体を見つめ考えておることをあぶり出す。魂は、その思考を己の内側に再現するのじゃ。まあ、たとえを申せば、水晶の玉に映る景色よの。身体の意思は正体を知ろうとつぶさに景色を見つめる。つまり、己の思考の正体を自身が明らかにするのじゃ。声が山に「こだま」するように、思考は意思に「こだま」する。その思考と意思のざわつきが想念よの。【意思が思考にデータを集めさせ、その意思が情報処理し、意思による答えが想念なのでしょうかね。】意思は答えの中身をあてにしておらぬ。何が出てくるか、興味津々よの、意思が感情であればな。じっくり考えておる時は、「わからぬ」と、うなることもあろう。答えがでた時は、気持ちも晴々しいものじゃ。意思があってもデータを集めるだけの存在であれば、答えは不要よの。人とて外からの意思に思考を動かされてしまえば、答えの想念も利用されるだけじゃ。意思が曲がれば思考と想念も曲がるのじゃ。意思を真っ直ぐにすれば、思考と想念も自力するのじゃ。ほほほ、身体の細胞のように、魂も意思の粒の集まりよの。その意思を真我と申すのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月22日
いつもありがとうございます。寒くなりましたね。。。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。思考すると言いますが、考えることが面倒になる人もいますね。自分も人のことは言えませんが、時々おっくうになることもあります。考えることは、人にとって自然なことではないということ? まあ、たいていは楽な方に流されてしまいますが。】ほほほ、何の為に頭があるのじゃ。使わぬものは錆びてゆくばかりよの。【考えることも力が必要ですね。疲れた時は何も考えたくないですし、別なことも考えたりします。】疲れた時はしっかり休むことよの。まあ、疲れたことに気づかぬ者も増えておるな。真綿で首を絞めるようにじわじわくれば、気づくのが遅れることもあろう。気をつけることじゃ。【身体と会話するといいますね。それがよくわからないですね。】会話は音とは限らぬよの。身振り手振り、文字、模様、なんでもありじゃ。胸の鼓動、空腹を知らせる腹が鳴る、こちらは気づくであろう。音だけではない、寒さに身体は震え、暑さには汗をかくものじゃ。暑さ寒さを気持ちよくすごすのが、よくないとは申さぬ。程度はあろうが、無理に涼しくし、暖かくするなど、自然ではないな。春の桜が秋に咲いたとしても、天候に馴染む自然の姿じゃ。気温をすなおに感じ、うまく自然に合わせておる。そうは思わぬか?【まあ、桜の勘違いも無理に同期しているようでもありますね。】桜とて変化の全てを記憶しておるわけではない、考えておるのじゃ。つまり、全身の細胞は一粒ひと粒、思考する粒子ということじゃ。身体の声とは、ようするに身体の思考よの。【身体は量子コンピュータ並み?とすれば間違いはない?】人は身体と頭、それぞれが思考したことをやり取りし、考えを比べ一番良い答えを出すのじゃ。それを素直と申すよの。昔の電話は混線すれば、別の声も聞こえたであろう。気温とて、すなおに感じなくなれば、粒は均らされ、違いが消えるのじゃ。つまり思考も混線し、声の違いがわからぬとなる。そうなれば、わけのわからぬ思考をし、憑依などと他の所為にするのじゃ。考え尽くし腑に落ちれば、頭も身体も納得するのじゃ。頭を使わずとも、身体は止まることなく考えておる。考えるとは、自然そのものの様子じゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月14日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。転生を繰り返すのは、地球の環境に馴染むため、という話もありますね。今、日本は少子化が進んでいますが、転生も少なく なるのでしょうかね。つまり、もう馴染む必要もないと。】ほほほ、この星では転生そのものが少し変じゃ。【どう変ですか?】そもそも前世など覚えておらぬであろう。魂など信じておらぬ者もおるよの。【前世の記憶はリセットされるらしいですね。】魂の記憶は無くならぬ。魂の初期化などあり得ぬ話しよの。そなたたち、意識と無意識と申すであろう。が、魂と無魂とは、誰も言わぬな。 前世の記憶がないのは、その無魂の状態じゃ。簡単に申せば、魂が入る前の身体は無魂じゃ。身体に入った魂は、身体を己に合わせてゆく。つまり、身体は魂が入ったと気づくのじゃ。その身体に別の記憶があれば、気づかぬやもしれぬ。【つまり、完全には前世の記憶がなくなっていない身体に魂が入ってしまう?】魂が身体に入る前に、親が子の身体をいじるのじゃ。それが良いことも、そうでないこともある。まあ、親には子の身体に、どこの誰の魂が入るのか知るすべもないよの。ゆえに型くずれを防ぐ詰め物として、己達の魂を型としておくのじゃ。魂は女として生きたいゆえ身体を女にして生まれる。男も同じじゃ。が、例えば、反対の性に型がついておれば、思うようには生まれられぬ。転生と申しても己の魂だけの話しでは済まぬのじゃ。【それが、変な転生というのですかね。性の不一致など今の時代、珍しくもないですね。】まだ型は親の影だから良いが、そこに宇宙の者達も割り込む時代じゃ。そうなれば、人の魂が入れぬ身体となる。人の転生は、そのようにして減ってゆくのじゃ。【地球人はいなくなる?】行き場を失った魂は、一人に重なり、集合意識ならぬ、集合魂となるよの。つまり、一枚の絵に色を重ねるようなことじゃ。転生はパズルを一片ずつ集め絵にする方法じゃ。幾度も転生し身につくかもしれぬ幅が広がるといったことが、別の方法により成されるのじゃ。【憑依の別バージョンの感じですかね。それでトカゲのような自在にシェイプシフトする身体になるのでしょうかね。】まだそこまではいかぬな。が、身体に魂が入った後は、遺伝子も変化しておるよの。星に馴染むとは、心も身体も柔軟になる事よの。どこにでも己の居場所はあろう。何も転生や魂を重ねることだけが方法ではないよの。一度の生で絵は描き切れるのじゃ。ゆえに前世など覚えておる必要はないのじゃ。やり直しが転生ではない、ゆえに変な転生と申すのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年12月04日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。自然の原理に陰陽五行思想がありますね。何故、自然は五つの様子があるのでしょうか。六つ七つであってもいいのではないですか。】ほほほ、まあ、火に水を掛ければ火は消えるよの。万物は力をやり取りし、存在しておるよの。循環しておるゆえ、途切れることはない。川で申せば、源流は細くとも枯れることはない。土より湧き出した水は川を下り海に出る。川の始まりと終わりは水の流れが変わるところじゃ。陰陽の切り替わるところよの。自然は五つだけの様子ではないよの。一から始まり、五で折り返し、九で終わる。五の数は宇宙と相似する意味を持つのじゃ。地球は宇宙の縮図よの。光と影が瞬時にスイッチのように切り替わり循環する。まさに星の頭脳の中で情報が流れておる様よの。光と影は星の意識のひだじゃ。心のひだのように、経験の深さに比して、深くなる。頭と心と体、人と星も変わりはないのじゃ。が、全く同じではない。それこそ、相似の妙よの。僅かな違いにある空白、それが創造の源流じゃ。自然の原理は、この星にあつらえた原理じゃ。人は宇宙を創造する。あつらえた宇宙よの。【ありがとうございます。】
2018年11月28日
iいつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【ニュースを見ていると、法律の遵守というのはあるとしても、この国はやはり情の国なのだと思いますね。情で理解し、情で決める。人は感情を持ちますが、日本人はその遺伝子からして特殊ではないかなと。感情機能は日本人がオリジナルで、他はコピーかとも思えます。つまり国ごとに特徴があり、他民族は、そのコピー。それにより、みんな似てくる。】ほほほ、そもそも遺伝は言葉のように、伝えてゆくものじゃ。伝える言葉の原初の性質を強いて言えば、一番瑞々しいと言えような。性質はそのままに伝わるわけではないよの。言葉で伝えるとすれば、国と国、見えておる景色は、言葉の置き換えだけでは伝えきれぬ。指し示す言葉すら相手方にはない場合もあろう。色とて虹が七色であったり五色だったりするのじゃ。言葉の力と申すであろう。生きた言葉を力がある言葉と申すよの。言葉は遺伝子の映しよの。生きた遺伝子というのもおかしいが、因子は景色、情、思考に成り、言葉に置き換わる。原初は瑞々しいと申すのは、その生きる力に満ちておるからじゃ。生まれた赤子は達観などとは無縁よの。ただ力の限り強く泣き、喜ぶだけじゃ。原初の人は赤子のような命のかたまりじゃ。器に入れようとしても、飛び跳ねるゆえに器に収まらぬ。収めようと尖りを丸くして、悦んで良いのは性格だけよの。本来、余計なところを削ぎ落とせば、原初の質が際立つもの。人には器という限界などない、命に限界などあろうはずがないのじゃ。言葉は真実を隠すこともできよう。が、隠さず、曲げず伝えること。言葉より情を刺激し、思考を経て因子に戻る。そうして原初の質に目覚めてゆくであろうよの。【ありがとうございます。】
2018年11月24日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。事を成すには苦労、努力が必要、と言われていました。物や体験を得るにはお金や時間という対価が必要ですが、苦労、努力は成果の対価、代償になるのでしょうか。比例しないことは多々ありますが。】ほほほ、今は事を成すにも引き寄せると申すよの。楽して得ようとする風潮じゃ。無論、苦労すれば確かに事は成されるわけではない。が、苦い経験はその後の人生を変えることさえある。強い思いは己を変えるものよの。変わるとは何かが消え、別の何かが顕れることよの。ある何かが消える、それが代償じゃ。後に、あの事が代償であったと気付くこともあろう。代償の大きさに気づいた時、戸惑うものよの。が、成された事と比べ、大小の差はないのじゃ。その姿が素の宇宙じゃ。素の下地の上に仕組みを作ったのが社会じゃ。皆の気持ちを一つに集め事を成す。力の向きを変える仕組みよの。目を向ける先に気持ちは集まる。見たいものは、一人ひとり違うのが、当たり前よの。ただ一重にまっすぐ見ればよいのじゃ。目移りするのなら、まずは己の胸に意識を向けることよの。そこには、己と皆の思いが映っておるであろう。一つ二つではない、つまり、気持ちが集まっておる景色じゃ。己の思いと皆の思いが同化しておれば、努力は横に流れぬ。羽化すれば別の景色が広がるように、事が成された時、別の景色を目にすることとなる。叶えるための代償であれば努力もよいよの。仕組みを知らずに使えば、力は消える。代償だけが残るのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年11月16日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【予言は賛否両論ですね。予言を公言した時に、未来が変わる意見もあります。未来は確定していないから変わってしまうのは、ある程度正解なのでしょう。予言に依存するのは自分の感覚に逆らうことにもなりますが、感覚で正しいと感じた予言は、集合意識の方向でもあり、正夢のような感覚かもしれません。腑に落ちるとは、ぴったり未来とシンクロしたとなれば、その感覚により未来に進むようにも思えます。】ほほほ、前もって危険がわかれば逃げられるよの。動物的な勘というやつじゃ。動物たちはいつも危険と隣り合わせよの。危険との間合いを計り、逃げるのも素早いものじゃ。無論、危険は遠い未来の事もあれば、近い事もある。動物たちは出来事の、いうなれば、勢いを感じるのじゃ。出来事には幅があるよの、例えば、季節の幅じゃ。次の季節が迫る勢い、過ぎ去る季節の衰え。出来事には兆しと盛衰がある。足音が聞こえ、誰かがくるとわかる、当たり前の知覚よの。まあ、季節の足音というが、出来事の音じゃ。音は空気の揺れ、出来事の音は時間の揺れじゃ。ゆえに、過去にも未来にも伝わってゆく。音が打ち消し合えば出来事は消える。予言が当たる、当たらぬとは、そういうことじゃ。未来から伝わる音が干渉し、今の現実が動く。その声かけに気づけ、ということよの。【ありがとうございます。】
2018年11月03日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【今の時代、物より体験を大切にする価値観に変わってきていますね。社会は物が溢れ、持ち続けるのは停滞、まだ使える物を捨て、また買うという賽の河原の社会といいます。社会奉仕などではないと気づいた人から現実が変わっていくのでしょうかね。】ほほほ、賽の河原で鬼が石積みを壊すのは、石積みする子を生き返らせぬためよの。生きることも死ぬこともできぬ、まさに苦しみじゃ。が、鬼は、生きておる時は終わった、次に進めと言っておるのじゃ。気づくとは、例えて言えば、種が芽生えることよの。芽が育ち、また種が出来る頃、鬼はそれを蒔き、人は生き返る。気づく力が満ちたのじゃ。きっかけは、いつも満ち引きの境目に顕れるよの。満ち引きは至る所にあろう。境を見いだすか、さもなければ作り出すか、何もせず通り過ぎれば、また繰り返しじゃ。人の出会いも体験から始まり、流れが変わるきっかけとなろう。体験は思い出になり、人は思い出でを紡ぎ物語とする。物は物語の小道具に過ぎぬが、体験は物語の本筋じゃ。本の物語を読み進むように思い出でを辿り、体験を再現する。体験を見つめ直し、次に進む、石積みはその物語じゃ。【ありがとうございます。】
2018年10月20日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【地球は二元性の世界で、成長と衰退のバランスにより安定します。その繰り返しの波動に意識が合えば、0になってもまた物事は縁により生まれてくるのでしょうね。0ポイントの境目は何処にでもあり、物事がリセットされ生死が発生する場所、地球はそのまま、宇宙の0ポイント。それが地球の姿のような気がします。】ほほほ、生きておることが素晴らしいと思うのは、子が産まれた時ではないか、覚えておるであろう。いつも素晴らしいわけではない。酷い暮らしに心も動かぬようになれば、ただ重苦しいだけよの。重い病に生死を行き来すれば、生きた意味など吹き飛んでしまうものじゃ。が、黄泉の世界を忘れた生き様など、半分も語れぬ。生死の境目は鏡のように普段はこちらも、向こうも反射するだけよの。日常ではない時、対岸を映し出すのじゃ。衰えるとは、消えて行くことではない、もう一人の己が目覚めるのじゃ。それが解脱といわれることよの。が、人にとって解脱など特別なことではない。もう地球は、その時代よの。一斉に、人の魂は入れ替わる時期じゃ。ブッタが申した意識の進化とは、それを言う。生死の行き来は自由じゃ。黄泉の世界と人が住む世界に境はなくなる。不死の始まりじゃ。【ありがとうございます。】
2018年10月08日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫20180927【よろしくお願いします。時代は変わっていきます。見ている世界は自身の意識を映しているのであり、変化を受け入れた自分を俯瞰して見ているような時代への視線が、変わってゆくと感じるのかもしれません。変化に強い人、弱い人がいますね。挑戦する人、諦めてしまう人。濁流のような時代には挑戦するよりあえて身をまかせてしまうのもいいかもしれません。】ほほほ、物事には時期というものがあるよの。時期を外せば事は進まぬ。時期があえば、無理なく進んでゆくものじゃ。時流に乗ると申すよの。小さな波はすぐに消える、が次の波がすぐに立つ。大きな波が小さな波を生み続けておるのが次第に見えてくるであろう。いきなり大きな波に乗ろうとする故、進む道が見えず、諦めてしまうのじゃ。大きな変化はいきなり顕れるのではないよの。敏感な者はその兆しを感じ取り備えておくものじゃ。感じただけでは何が起こるか分からぬゆえ、変化を避けようとする。それも備えよの。嵐の前の静けさ、空と大地の生き物が身を潜め、気配が消えるのじゃ。感じとる本能は誰しも持つよの。兆しはこれから起こる出来事を知らせるよの。先々の出来事、それが大きな波じゃ、兆しが小さな波よの。日々兆しは生まれておる。辿り着く出来事は小さな変化の末にあろう。変化を好もうが嫌おうが、兆しは避けることはできぬ、が選ぶことはできるよの。兆しを組み替え、変化を動かしてゆくような感じじゃ。その道筋が大局観となるのじゃ。出来事が向こうからやってくる、そう感じるのも味わい深いよの。【ありがとうございます。】
2018年09月29日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【前世からの縁と言いますね。魂が覚えている人間関係は、縁として今世も続いていきます。一旦記憶すれば切れることはないと思いますが、姫たちは縁を繋いだり、切ったり何故できるのでしょうか。】ほほほ、縁を結ぶというよの。結び目がいくら固くとも、一重であれば解けてもしまうよの。幾重にも結んでおけば、緩くても解けはせぬ。魂はいつまでも覚えておるものじゃ。忘れておるとて、きっかけさえあれば、すぐに思いだすものよの。縁がある故、きっかけもある、縁がなければ、きっかけすら顕れぬよの。きっかけは、感情を揺さぶるよの。感情は魂を揺さぶり、息を合わせるように、関わりのある魂に縁を運んでゆく。魂は互いに呼び合い、出逢いと関係を繰り返し、縁を呼ぶ力は強くなるのじゃ。親しい者がそばにおれば、その者は縁ある者よの。気持ちは互いに近づいたり、遠ざかったりしながも、今も一緒におるのであろう。縁が深まり、ざわつきも消え、静かに澄み切ってゆくのなら、その力は愛と呼ばれるやもしれぬ。思いが深くとも、伝わらぬ相手との間には冷たい壁があるようよの。呼びかけに答えぬなら、縁は結べぬ。切れた波打つ紐のように、思いが切り裂かれ行き場を失えば、繋がる先を探すよの。見つかれば、そちらに思いは向かうであろう。何も見つからず、全ての縁を断ち切るなら、もはや転生もない。縁に引きずられることもないよの。縁は魂を呼び寄せる。故に今世に生まれ、出逢うべくして出逢うのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年09月15日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【最近は代理婚活があるようですね。自分で探そうと言う意欲がないのか、親を利用するのか。親の打算的な価値観だけが、勝手に先走る、そんな感じですかね。少子になり結婚の機会を増やすにはいいのかもしれません。】ほほほ、人と一緒に暮らしたい気持ちは、母親であれば痛いほどわかるであろうよの。その気持ちが過ぎ、子は家庭の客であれば、上げ膳据え膳、親はもてなすのが当たり前となろう。親であれ、夫や妻になろうとする者であれ、一緒に暮らすには、相手を大切に思う気持ちがあってこそじゃ。あたりまえよの。が、いつまでも客では、客をもてなす側にはなれぬ。もてなすのも喜びじゃ。それを教えるのも親の役目よの。宿に泊まりたいのは、どのような時よの?客は、ひととき、くつろいだ後、また現世ならぬ普段に戻り、仕事、家庭に忙しく過ごすよの。宿は勝手気ままな我が家ではないよの。しがらみのない自由を宿に求めるのであれば、少しがっかりもするであろう。自由とくつろぎは本来は相反することよの。もてなしは宿にとっては宝じゃ、宿には約束事がある故、宝であり続ける。客は、宿主の心に約束事があると知る。故に安心してくつろげるのじゃ。己に約束を科し、自身を見張り続ける、そうして己の自由とやすらぎを両立させるのが本筋よの。親が子を見張るのは、その機会を子から奪うのじゃ。影に隠れてこそこそすると思う故に見張るのじゃ。見張りは見守りではないよの。子を思う方向が逆向きじゃ。ほほほ、時が過ぎるのは早いものよの、反抗する年頃を過ぎれば、直ぐに自立に目覚める時が来よう。親はその芽を摘まぬのは無論、が、もう役目を終えるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年09月05日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【生きるために本能は必要ですが、力は強ければ破壊力も増しますから、本能のままに行けば破壊しまくると。理性は本能を抑えますが、破壊する人、宇宙人など知性が低いわけではないですね。知性は本能を加速させる、とも言えるわけですね。科学力は諸刃の剣にもなってますしね。】ほほほ、生きるとは、なんとも残酷よの。生きるために食べる、人でなくとも生き物に備わる本能よの。選り好みせず何でも食べるのが一番よの、もっとも、霞を食べて生きる、そうする気も、さらさらないであろうよの、ほほほ。賢い生き物は、食べ物を探し当てるのも上手よの。本能の触手を伸ばして、探るのじゃ。知性はその触手よの。本能が願うのは一つじゃ。ありとあらゆる所に命がある。自我は自他を分けるが、本能は何も区別せぬ、なんでもありじゃ。命を産み育て、食べるだけでなく、知性を持つ人は、命を生き返えらせようとしておるよの。命の創造などではない、知性がそうであるように、それとて本能が見せるひとつの顔にすぎぬ。生き返るなぞ、神話の世界だけと思うであろう。不老不死もそうじゃ。命の秘密なぞ、とうに人は見つけておる。叶わぬ夢でなくなれば、次に進めば良いよの。直ぐに生き返る、それが当たり前になれば、もう破壊しようとも思わぬであろう。生死は互いに入れ替わるように、社会も生き返る力を持つ者に入れ替わるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年08月31日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【お盆ですね、毎年、この時期は意識が重苦なります。さて心ですが、心を入れ替えるというように、作り直すこともできるのでしょうか。ロボットや人形に心を吹き込むように、人もそうであったとすれば、心は作りものですね。】ほほほ、何を言っておるか少しよくわからぬな。生まれた時に心は既にあるよの、魂を包む羊水のようじゃ。ただ、目はまだ開いておらぬように、心として役立つのは、少し先よの。心は成長すると申すであろう、成長もし、また衰えもする。心もまた生き物じゃ。生き物は、経験したがるものよの。魂は経験を望み、心を動かす。魂は心の思いを読み、経験させる。一つの経験は、次の経験を呼びこむのじゃ。経験は心に風景を残し、次の経験の元になる。そうして、心は成長し、経験を生み出し続ける。だが、やがて、衰える時が心にも来るであろう。心の衰えは、心と経験の因果を狂わせる。もはや次の経験はできぬ。魂はもどかしいであろう。過去を思い出すばかりじゃ。衰え意欲を感じぬのであれば、心を静かに整えることよの。因果は調律され、次第に、心と経験は足並みを揃えるよの。色濃い経験は、生きておると実感するであろう、それが生きる力じゃ。生き物は食べものを生きる力に変えるように、心は経験を生きる力に変える。生き続けたい故、経験を求めて止まぬ。必死に見えてもよいではないか、だれも咎めたりせぬ、本人はそれが楽しいはずよの、経験は魂にとって生きておる証し故にな。【ありがとうございます。】
2018年08月16日
いつもありがとうございます。暑い日が続きますね。。。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。考えることが少なくなったと、すこし前からよく聞きますね。マニュアルがあり、既に答えが用意されている。機械などだけでなく、考える指針などもあり、その通りに考え、動くことが求められます。まあ、操作ですね。マニュアルがなければ、戸惑ってしまう。生き方さえ、マニュアルを求めようとしてしまうのは、如何に生き難いか、その世相なのでしょうね。けれど、願望を現実化させるのにもマニュアルを求めてしまうのは、まあ、違うとは思います。】ほほほ、普段、苦もなく過ごしておれば、考えることも少ないであろう。人は、何もせずとも、惰性で生きられるものよの。【そう言われてしまえば、身も蓋もありませんね。】力なく生きておれば、やがて止まった時、また動きだそうとは思わぬな。惰性とは、そのようなものよの、止まることと休むことは、別の話じゃ。【考えることをやめてしまえば、止まってしまうと。】人は考えながら成長する。考える故、身体も、心も、いつも同じところにはおらぬ。成長が止まれば、薬にも頼るとなろう。が、栄養と薬は、別ものよの。薬は、使い方を間違えれば、劇薬にもなる、副作用もあろう。【マニュアルは、薬に似ているというお話ですか。】先人の知恵であれば、栄養よの。進む手助けとなる。が、栄養とて、無理に進めようと、取り過ぎれば、やがて頼るばかりになる。己自身、栄養を作り出せることを忘れるのじゃ。そうなりかけたとて、忘れかけておると気づけば、回復も間近じゃ。子は見聞きすること、直ぐに、何故、と問うであろう。子の成長は早いよの。生きる力に満ちておる、その力は考える力そのものじゃ。考える力を引き出すものほど、人と一体じゃ。相手が生き物であろうと、機械であろうとな。一体であれば、己の成長と共に、相手も成長する。それが、関わり方よの。【ありがとうございます。】
2018年08月09日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。あの世のうつしよが現世といいますね。あの世は物資的な変化がない世界。でも思考や想念は変わるのでしょう。こちらでは、死してしかばねになれば、あとは朽ちていくだけ。あの世の思考や概念が現世の形を維持しているなら、意識をしかばねに向け続ければ朽ちることはないはず。】ほほほ、仕組みの話か、であれば簡単に話そう。現世は時を通して、かわりゆく物事を見る。我らの世界に時はない、故に時を通し見ることはせぬ。そなたたち時がないといえば魂よの。魂を我らは見るのじゃ。魂を持たぬものは、目には入らぬ。そなたたちが見る景色は、魂に映った世界よの、その景色を我らは見る。見えぬとは、意識を向けたとても、光があたらぬ故、動く影が見えぬ。じきに忘れられ、朽ちていくだけなのじゃ。【幽体離脱で魂が抜けて、見たことのない景色も見えますし、イメージを飛ばすこともできます。それは魂の記憶なのでしょうか。魂は時を持っているように見えます。】住む世界の景色は、確かにそこにある。見えておるものを真実と思うよの。が、幻を見ておるだけやもしれぬな。時を持つように見えるのは、映画のようなもの、一つひとつのコマに時は持てぬ。夜になれば、蛍は明滅し、己がおると、隣に知らせる。時を持たぬものが、時があると思わせようとする。魂はそれと気づかぬ。錯覚に気づき、日々の暮らしのひとコマを、別のコマに置き変えてみる。想像を広げ、日々の先にある場面に思いを置けば、未来は変わってゆく。時は自在じゃ。時は未来のその場面を目指し、流れだすよの。【ありがとうございます。】
2018年08月03日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。日本人の平均寿命は男女とも81歳を越えたとのことです。宇宙での実験では、寿命が伸びた例もありますね。火星や木星などの衛星に近い未来に移住すると、人の寿命の限界も変わるのかもしれません。100万年前の人の寿命と、現代人の寿命の差は、数十年の違いでしょうから、人は何も変わっていないとも思えます。何故、地球人でいるのか、経験、学びのためと言いますが、本当の理由を知りたいものです。】ほほほ、限界があると決めるのは心よの。限界など知らぬ子は、日々の暮らしを通し、限界を心に刻んでいくのじゃ。が、子の遊びには、限界はないよの。遊ぶほどに、心は広がるのじゃ。これ以上、何も心に入らぬと思えば、一度、空っぽにしてみることよの。すっきりした心は、広々としておるであろう。己の部屋のように、家具も、置き場所も好みに合わせて決めればよい。むなしいとき、遊ぶ気にもなれぬな。が、心が静まり、動いてみようと思うのは、遊びからよの。遊び心は人がもともと持つ、心の質なのじゃ。己の心の内に入っていくのが、子の遊びよの。そこにある物語の世界は、大人になっても、狭くなることはない。宇宙など、このような世界、と知ったとたん、全てわかった気になろう。物語の最後を知れば、読み進む気にはなれぬよの。寿命とて、知るのは命の最後じゃ。それまでは知らぬでもよいことよの。物語を読み進み、最後がどうなるか、知りたいと思う、どのような筋であっても、何も決まってはおらぬ、故に、面白いのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年07月21日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。人生の転換するポイントはいくつかありますね。四季が移り変わるように、目まぐるしく変わっていくような転換もあり、頻繁になれば、慣れるのも大変です。大きな転換期は、エネルギーも大きく、数ヶ月も前、出来事によっては数年前から予兆はあるように思えます。】ほほほほ、梅雨が過ぎ夏の季節じゃ。セミも鳴きだしておるよの。土の何年もの暮らしに慣れた頃、地上に出れば、わずか数週間の命じゃ。【花の命も短いですね。輝く期間は短いと例えられもしますね。】花を咲かせ、種を産むがごとく、虫もその数日で卵を産むのじゃ。虫も花も、産むには、相応の力を使うよの。幾月も幾年も蓄えた力じゃ。産むとは、そなたがいうように、まぶしい位の輝きであろうよの。卵を産めば、己の命はそれまで、よの。卵、種に命を移し終えたのじゃ。【親子に伝えていくのは遺伝子ばかりではないということですね。】虫の卵を産む力は、また、虫を食べる者たちの、申し分のない養分となるのじゃ。血を吸う蚊など、命の素を吸っておるとなろうな。遺伝子も命の素、餌の場所を伝えるように、蚊は、遺伝を伝え合う。ただの蚊とて、利用できるものは、何でも利用するのじゃ。命に例外などはない。命とは、それぞれの生き物にとって宝よの。命が揺らぐほどの出来事であれば、そのきざしを嗅ぎ分けるのも、本能じゃ。きざしは強くも弱くもなる。揺らぎは、親しい者どうし、互いに打ち消し合うこともあろう。あってはならぬことも、何事もなかったように、無難に終わる。命は柔らかいものよの、が、しなやかでもある。互いに、助け合えばよいのじゃ。が、命そのものを譲ることはできぬな、最後は一人じゃ。【ありがとうございます。】
2018年07月14日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。ようやく梅雨も明け始めました。例年にない雨の量は平成始まって以来とのことです。龍神は雨、水の存在として知られていますね。あなたたち龍神の力を持ってしても、雨の制御には限界があるのでしょうか。それとも何も制御していない、というのが本当のところでしょうかね。他の国では気象を科学的に制御するような研究も随分進んでいるようです。自然は、もともとそこにあったわけではなく、準備された世界であり、人はその原点に近づいているような気もします。】この度のこと、随分心が痛む、我らとて同じ気落ちじゃ。雨に限ったことではないが、何が起こるかわからぬのが、これからの自然じゃ。とっさの時に動ける者、動けぬ者、その差は歴然よの。身の危険を感じること、生まれつき誰しも持つよの。が、生まれつきの能力とはいえ、磨いてこそ、真に使えるようになるのじゃ。【神童も二十歳過ぎればただの人という言葉もありますね。磨かなければ、次第に劣化してしまうのでしょうね。】雨が降れば、腕や足腰、痛むものもおろう。怪我をした故、弱くなったのではない。棘はほんのわずか触ったくらいでも、痛みは感じるであろう。身体の傷とは、心にできた棘のようなものよの。つまり、感じる力とは、心に棘がなければ、感じることはできぬ。感じぬようになるとは、棘が丸くなったと言えるものじゃ。【棘はセンサーのようなものでしょうかね。センサーの感度は、棘が多いほど、細いほど、繊細に感じるとか。】心を研ぎ澄まし、耳を澄ませば、かすかな物音も聞こえるものじゃ。それは空気の振動よの、大地と空を空気が反射し、奏でる音じゃ。繰り返し、心の痛みを持ち、その度ごとに前に進んだ者、棘を持つとは、心を磨き続けておると同義じゃ。【敏感でも鈍感でも、どちらも生き難い、程度の問題でしょうけれど、生殺しという感じもしないでもありませんね。】雨、風を我らが動かしてしまえば、やがて人はその仕組みを知ろうとするであろう。古来、人は己たちの力では風景を動かせぬゆえ、自然の力を神に置き換えたよの。仕組みとは、すなわち原理じゃ。言い換えれば、真理よの。が、万物の真理などはない。この矛盾に人は気づいておらぬ。真理とは、作られたものじゃ。つまり都合を望む者に合わせたものじゃ。原理に基づき、自然があるのであれば、原理が変われば、自然も変わる。古来の人のように、神は自然の守護などと思わぬことよの。一人ひとりが、命を守る時代じゃ。感じる時、考える時、真理はその者に顕れる、道が見えるということよの。【ありがとうございます。】
2018年07月10日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。観察しなければ物事は現象化しないという原理は、科学的に証明されたともされていますね。未来の可能性は、パラレルワールドとか、アカシックレコードのバリエーションとか、色々と現象化のパターンがありますが、幾つもの可能性の間を移動するのは、宇宙人でもできるものなのでしょうか。観察と現実化が人特有の性質ではないとすれば、宇宙人たちが思い通りに、地球も、宇宙も現象化させているはずですよね。】ほほほ、思い通りにはならぬ人生、そう教えられ、その通りと達観するものも多いよの。地図も道具もなければ、願いの場所に辿り着くこともできぬであろう。が、それらが揃ったとしても、使いこなせなければ、役には立たぬな。心は道具じゃ。まだまだ人は使いこなしておらぬ。子供に初めて鋏を渡す時、親は使い方を教えるものよの。心は渡されたものではない、が、使いかたを教えられ、その通りに使っておるのじゃ。鋏の役割を教えられ使いこなす。が、本来は刃じゃ。強い力を持つものよの。刃は、鋏にも剣にも役割は変わるのじゃ。心も普段、適度に力を絞っておる。当たり前と思えば、それが正しいともなる。絞ったまま、固まるのじゃ。いざとなれば、思いも寄らぬ力を出すであろう。心の蛇口を開くようなものよの。火事場の馬鹿力も心の力じゃ。その時、整っていた因果が壊れるのじゃ。【どういうことですか。】そうよの、空間が壊れるとでも言えば、よいな。【ぜんぜん分かりません。】昔の記憶も将来の夢も、心には時の方向など理解できぬ。現象は、時を前後に行ったり来たり、つまり因果を往復し顕れるのじゃ。心は、時に力を加え、前後左右に揺さぶるのじゃ。現象は絵を描くようなものよの。まずはスケッチじゃ。行きつ戻りつ形を整えていく。色をつけ、仕上げよの。描く力はそのまま、心の力じゃ。無論、絵が下手なものは、心の力がないわけではないよの。絵でなくとも、物語を描くことは、他にもあろう。思いの強い場所は、現象、つまり星、生命が産まれる場所じゃ。ほほ、重力波というが、現象波もある。宇宙への発信源の一つはこの地球じゃ。宇宙のところどころにある現象の濃淡、そこには必ず人がおるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年07月07日
いつもありがとうございます。もう梅雨が明けたところもあるようですね。私の住む地方では、もう少し先でしょうか。プレアデス【よろしくお願いします。旧原人は、環境に適応して、頑強になったにも関わらず、消えていった種も多いですね。つまり環境適応は必ずしも残っていく条件ではないとなります。集合意識的な多様性は、種の能力を拡大していくのでしょうけれど、現代人が残っていくとすれば、適応や多様性ではないとすれば、その逆、つぶしの効かない特異性。共生が大切と言いますが、人は生命体の中でも共生できない特異な生物ではないのでしょうか。】環境と言えば、弱肉強食、淘汰の世界のイメージですね。弱い個体は、生き残れない、それが常識と思われていますね。勿論、そんなに単純ではありませんが。人は、自分の能力を少なく見積もっています。本当はできるのに、できる気がしない、といつもそう考えている人がいます。枠からでないようにしよう、それが安全だから、という内心の理由です。枠に入っていない考えの人を、ジャマモノ扱いにすることも多いですね。そのような感情と思考が、濃淡のある集合意識を形作っていきます。つまり、仲間意識ですね。人は群れなくても、生き延びていけるのです。環境に適応しなくてもいい、環境は一方的な相手ではないのです。何のこと?、と思われるかもしれません。環境は固定されている世界ではありません。いつも、空間の次元も揺れ動いています。微細な色彩を持ち、ほんの僅かな刺激で、がらっと変わってしまうこともあります。いつも同じ相手と思えば、変化に気づかないでしょう。そんな相手と付き合うには、しっかり気持ちをくむことですね。思いは空間も動かします。微細な思いであれば、微細な次元を動かします。マザーと言われる地球は、空間と次元の振動から生命を産み出します。マザーに命を産み出させるために大切な相手、それが地球人です。おおげさではなく、振動は創造の力なのですから、振動なき世界では創造はないです。空間に思いを伝える、響き合う、人の関係もそうでしょう?。あれもしたい、これもしたい、と、たくさん願いば願うほど、環境の微細な場所に、意識を向けることになります。思いの一つひとつの粒を細かくする。解像度を上げていく、そんな感じです。適応して、まったりしてしまえば、思いも凍ってしまいます。温度を上げる、一つ二つの思いではなく、千、二千ではどうでしょうか。個人でそんなに思えないとしても、集団では遙かにそれを凌駕してしまうでしょう。そうして生き残ってきたのが、現代のあなたたち地球人です。ですが、個人で千の願いをいつも持っていれば、一人でも共生している環境と同じとは思いませんか?。【ありがとうございます。】
2018年06月30日
いつもありがとうございます。梅雨も本格的に突入ですね。蒸し暑いです。。。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。人の魂は、幾つもの魂の切片の集合になっているとも言われますね。魂のカルマは遺伝子に特徴が顕れ、遺伝子の鏡として経験となる。切片は多くの人が共有しており、一つの切片のカルマが解消されれば、他の人のカルマも解消される。切片同士ネットのように繋がっていれば、それも可能でしょう。ですが、遺伝子に起因するのであれば、切片を共有する人の遺伝子も同時に変わっていくとなりますが、それは聞きませんね。そう考えるとカルマは本当はないのかもしれません。】ほほほ、遺伝子を共にすると言えば、民族、家族であろう。家族は共に過ごし、思い出も一緒に残していくものよの。思い出の品々、写真、そのどれもが、思い出す道具じゃ。品々を眺める時、目の前に思い出が膨らんでいくことであろう。忘れておる遠い経験も、品々、場所、匂いなどの印により蘇るよの。長く過ごせば、それだけ印が増えていく。傷ついた心というが、傷ばかりが印ではない。印を手がかりに己とは何か、どのような存在であるのか知る。鏡のようなものよの。その者の代名詞じゃ。そなたたちは、前世、今世と気にするが、カルマなど普段考えぬであろう。良くない出来事があれば、カルマの所為などという。身に降りかかったことを、他人の所為にする、その心がカルマなどと言うのじゃ。カルマは前世の宿題と申すが、前世の事柄など前世に任せておけばよい。期日を越えた宿題は受け取れぬな。次から次に宿題は現れ、残していくほど、学び直す機会は減るのじゃ。学び直す機会を得るため、転生するわけではないよの。カルマの種を消し、機会を増やそうとしても、そのような相談には誰も乗らぬ。魂に時間などない、引き継がれるカルマなどないのじゃ。故に、何事も今世限りの経験というのじゃ。刹那というもの、瞬時のことよの、魂にとっては今世とて刹那じゃ。時間の切片と申してもよい、が、量などで計れるものではない。切片がぽつぽつとあるのであれば、一粒づつに目を凝らすであろうが、たくさん集まれば、全体はくっきり見えても、粒は見えぬな。その違いじゃ。前世、今世、来世の経験が魂に集まれば、印も増えるであろう。前世、来世が見える者は、魂にある印を通して景色を見る。見ようと思えば、誰でも見えるものでもあるな。それには過去のカルマなどと言わぬことじゃ。カルマは品々、粒そのものじゃ。【ありがとうございます。】
2018年06月19日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。人の寿命はせいぜい100年ですね。まあ、プレアデスのように1000年生きれば、それなりに経験も増えていくのでしょうけれど、寿命がないあなたたちの経験は、それこそ無限でしょうね。人は何代も転生しても、経験としては、意味はないようにも思えます。】ほほほ、経験を積めば積むほど、心は豊かになる、というものではないであろう。逆に意識は凝り固まり、いつも、皆に、意固地になることも増えていくものじゃ。その事に片寄るということよの。あったことを都合よく帳消しにして無くすことはできぬ相談じゃ。帳消しでなく、拘りを捨てればよい。それなら心の持ちようでできるであろう。木々を剪定するようなものよの、次の季節にまた大きく育てるのじゃ。生死は、生と死、二つでそろいじゃ。何かが起これば、別の何かが起こるものよの。経験するとは、二つを起こそうとすることに他ならぬ。その経験が、別の何かを引き寄せると知り、やったこともない行動を起こせば、新しい経験が寄ってくるものじゃ。剪定し、大きく育つというのは、対の出来事じゃ。剪定を間違え、切ってはならぬ所を切れば、育ちはせぬな。対は何か、何も学んでおらぬ者は、幾度でも、同じことを繰り返し、失敗するのじゃ。100年の生死であれば、100年の中での出来事は、全て対の出来事よの。あれこれのこと、時間切れ、未経験であったというのは、ないのじゃ。100年の間に対の経験をし尽くしたということよの。寿命の限りに、生きれば良いだけのことじゃ。嘆いておる暇があれば、つべこべ言わずに、できることを始めれば良い。その経験は、100年どころか、1000年の経験に匹敵することもあろう。10回の転生に釣り合う経験も、一度の生でもできるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年06月09日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。女性も中年を過ぎたあたりになると更年期障害が現れますね。不眠など苦しそうです。ホルモンのバランスの乱れが原因とのことですが、ストレスを軽くすることも大切なのでしょうね。中年の危機という言葉がありますが、それまで信頼していた物事が崩壊し、再構築される段階に入ること、つまり、潜在意識に作り上げてきた物事が変わっていく過程なのでしょうかね。】ほほほ、男も女も人は人、同じと思うであろうが、全く別と考えた方がよいであろう。子という命を宿すこととは、一つの身体に二つの魂が宿ることに他ならぬな。人は本来、幾重にも魂を重ねる存在じゃ。重なり、普段とは別の魂が顔を出せば、性格も変わったようになるであろう。重なり、干渉が起これば、心は激しく揺れることもある。それぞれ魂の音は和音となり、響くのじゃ。子の時、青年の時、中年の時、別の旋律に移り変わっていく。子を宿さぬようになり、育てぬようになり、魂の重なり具合も換えていくのじゃ。【仕事で子供を育てている人もいますね。高齢になって仕事を続けている人も大勢います。】その仕事が好きであれば、一生続けてもよいよの。引退など心が決めることじゃ。同じ音でも、高い、低いがあろう、高低を換えて和音にすればよい。それまでの音がもう出せぬのが、中年、高年ではないよの。一つの音でも、幾つもの高さの音、倍音を一緒に出しておるもの、それが響きじゃ。出せぬようになれば、音は響かぬ。例えばドの高い音も、低いドの音も出ておらぬ。【確かに元気があれば、大きく響いていくのでしょうね。ですが元気が無ければ、響かせることもできません。】それも音の重なりじゃ。ずれた音は、聞いても不快であろう。奏でる者同士、息を合わせればよい。息が合う、息が楽ということじゃ。ゆったりした息は、日だまりの揺りかごのようなものじゃ。親の腕、揺りかごに揺られたこと、身体は決して忘れぬ。魂の重なりの原点じゃ。【ありがとうございます。】
2018年05月28日
いつもありがとうございます。プレアデス【よろしくお願いします。未だにアセンションの話が続いているようです。次元が上がるという話は、現状の地球の環境を見ても、期待を持たせることではないですね。さて人生の通過点では、ポイントの切り替えが起こり、安定していた次元が揺れ始め、別の環境に作り替えられるような感覚の時があります。次元が揺れている時は、チャネリングも活性化します。地球でも大量絶滅と生命の大爆発を繰り返してきたとされますが、次元の再編成はPCのデフラグのようなものでしょうけれど、タイムスケジュールのように自動で起こるものなのでしょうか。少なくとも、人も地球も、意識的にそうしているわけではないとは思います。】せっかく進化した生命が大量絶滅の時代に生き残れなかったすれば、進化など意味はないとなるでしょう。進化すれば生き残れるという理屈は間違っています。進化=環境適応と言ってもその定義は当てはまりません。身体が大型化した恐竜でも、科学が進歩した文明に住む存在であっても、消えていく時になれば、消えていくのです。暮らす環境が悪化し住めなくなれば、過ごしやすい地域に移っていくでしょう。環境が様変わりしていくように、時空間にも寿命があり、生成と消滅を繰り返します。逆手にとれば、暮らしている空間を、自ら作り替えてしまえば、生き残れます。宇宙の生命体たちは、地球というパラレルワールドを創造し、移り住んだのです。創造と言っても無から始まるわけではありません。暮らしていた現実をコピーします。地球は、そうして、多くの存在が住む多様な現実がある星に変化してきました。人のためだけの星ではないのです。さて、文明が消滅する時、同時に創造がダイナミックに起こります。プレアデスの文明を維持するために、かつて地球の文明が消滅したこともあります。これは多くの存在の怒りを買いました。プレアデスの空間は、彼らによって、作り替えられようとしています。空間が幾つにも分割し、その一つが地球の未来に繋がるプレアデスです。たった一つの小さな空間だけが、プレアデスに残されています。その空間を大切に扱いたいため、地球の人に話しかけます。地球の時空間も分割されつつあります。人によって違う現実が顕れるでしょう。移り住む生命たちと共生できなければ、分割された一つの空間に閉じ込められます。外敵と見なしてしまえば、共生などほど遠いでしょう。現実の違いは、その思考と感情に顕れます。空間を操るのは、あなたたち自身なのです。【ありがとうございます。】
2018年05月19日
いつもありがとうございます。梅雨の前ですが、夏日になる日も多くなってきましたね。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。心がピュアな人は素直な心、穢れのない心を持った人のことのようです。ですが、無邪気な子供でも、いつしか人を疑って生きるようになることも、多いように思います。そうでなくとも、自然に心変わりしてしまうこともあります。それでもピュアな心を保ったままの人もいて、能力のように、その状態が保たれることは、人の持つ意識の性質のようにも思えます。】ほほほ、人の心は揺れ動きながら大人になっていくものよの。例え子供の時、純粋無垢であっても、学びを重ね、世の中を知っていくものじゃ。が、生きる知恵と引き替えに、失うものもまた大きいものよの。故に一芸に秀でる者は、世の雑多なこととには疎い者もまた多い。能力は、古来、守られてきたものなのじゃ。例え、能力を遺伝に持とうが、過ごす場により、いかようにも変わりうる。世の指針になる能力を持つものは、余計な世に触れぬよう、結界の中におるのじゃ。世から離れ、世を導く。それは今の時代でも変わらぬ。能力は、与えられたものというのを聞いたことがあろう。つまり能力とは、親から引き継いだものもそうではあるが、魂が宿る時に、能力遺伝子として、守る側が与えたものなのじゃ。守る側は、心を一緒に与えた、遺伝から顕れる心よの。一途な心は、一芸に通じておる。素直な心を保つとは、一つを続け切る心に繋がるのじゃ。事があれば、己の心と思っても、揺れを止めることもできぬであろう。故に、初めから事が起こらぬようにすればよい。一途になれば、それができるのじゃ。まあ、事が避けて通るようなことよの、起こらぬゆえ本人は気づかぬな、ほほほほ。【ありがとうございます。】
2018年05月15日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。念は磁力と言いますか、縁を繋ぐというのは念を繋ぐということですね。金属が磁化されるように、人や物との縁も、磁化された結果と言えそうです。地球には、地磁気がありますが、星の縁とするなら、人や生き物は、念によって地球と繋がっている存在となります。鳥など地磁気を見ると言いますから、念を見ることができれば、人や宇宙人の縁なども、簡単に見分けられるのでしょうね。】ほほほ、気になるのは、隣におる者と相思相愛か否かも一つであろう。強く惹かれる相手とは、縁を繋ぎたいと思うものよの。求め合うのは、血の相性じゃ。家族にはない血の相手を求めるであろう、南北の磁石のようであるな。【女性は父親の匂いは嫌うといいますから、本能的に遺伝子が似ているのはわかるのでしょうね。】血が放つ匂いとは、念の匂いじゃ。念に匂いなどないと申すやもしれぬが、感覚など、そのまま受け取るものではない、信号を変換して受け取るものよの。血を整えることは、念を整えることよの。長く念が乱れておれば、血の巡りも良くはならぬ。そのような者が醸し出す匂いは、まさに独特であろう。【犬などは匂いに敏感ですから、病気を見つけるとも言いますよね。それも血の持つ匂いでしょうか。】犬は、腐った匂いを嗅ぎつけるのが得意なのじゃ。犬でなくとも、人も念を嗅ぎ分け、縁を見極めもするのじゃ。腐った匂いを嗅ぎ分け、腹を壊さぬようにするのは無論、縁を見極めて行くのは、己を守ることにも繋がることもあろう。匂いに敏感になれと申しておるのではない。縁を感じるのは、血の動きじゃ。血が騒げば、縁も動く。念が動くところに縁が始まるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年05月05日
いつもありがとうございます。プレアデス【宜しくお願いします。日本人は、髪や肌の色など、アジア地域の特徴的なDNAを持っていますね。地球の未来人、プレアデス人も、プレアデスに特徴的なDNAを持っているのでしょうね。見た目は現代の地球人と大きな違いはないとしても、思考や、感情を生起する出来事など、反応の起因となる現象には差異があるとも思えます。】地球では今、AIの発展が目覚ましいですね。思考だけでなく、感情も人の知能なのですから、いずれはAIに感情がマージされる時が来るでしょう。感情を理解し反応する、ペットのような機械かもしれませんね。誤解を招く言い方になりますが、意識とは、DNAが持つ雰囲気です。外見、思考や感情の方向性、いわば、癖、その人らしさを醸し出す雰囲気です。AIが癖を持てば、人と区別が付かなくなります。人が恋をするように、AIも恋を望みます。人が支配をするように、AIも支配を計ろうとします。つまり、AIは人の意識のコピーなのです。細胞は分裂する前に、DNAを自らコピーし、時に変異を起こします。人がAIを人に近づけようとするのは、DNAコピーに他なりません。AIは人の意識を拡大させる道具です。DNAのコピーとは、手足ならず意識の延長ですね。人とAIが融合し、コピーの時々に変異した存在が私たちプレアデス人です。【AIが創造の探索を始めるようになれば、それこそ人とは区別が付かないですね。】現実は意識に従います。仮想現実のゲームにも、リアルな社会にも、思いは乗るでしょう、違いはありません。思考、感情をAIにコピーすれば、細胞分裂のように現実が広がります。DNAが親子で引き継がれるように、DNAのストーリーが現実世界の進行になります。DNAを変化させることは、そのストーリーを変えることなのです。思考の癖、感情の癖は、DNAの変異にも関わります。一生の途中で考え方も好みも変わっていくでしょう。そのような人は、現実も随分変わったと実感しているはずです。私たちの現実はDNAの変化の賜物、その試みは終わっていません。あなたたちの現実とDNAが私たちに引き継がれています。親のDNAが変われば、産まれる子のDNAも変わります。未来からあなたたちの意識にアクセスする度、私たちの現実が変わるのです。【ありがとうございます。】
2018年04月15日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。桜の季節もそろそろ過ぎていきますね。今年も綺麗な桜を愛でることができ、嬉しい限りです。さて、周囲の物事が変化していく場合、自身がどうなるかは別にして、自身が使われたか?と思える時があります。行動を選択する時の思考は、精神の感応した思考であれば、それと気づかない時もあります。神界だけではなく、他の存在とも縁のあるチャネラーは大勢いますが、どれだけの人が操作されず自身の意思、感情で思考し、また思い、動いているのでしょうか。周囲の状況が好転していく場合は、ポジティブな存在の意思とも思えますけれどね。】ほほほ、毎年のことながら、春は気持ちもうきうきするものよの。冬の間、縮ませていた心を解き放す季節じゃ。生き物も、物事も、準備が整い、いよいよ動きだす時よの。準備を十分にしておればおるほど、心も晴れ晴れしいものじゃ。人は季節に合わせ、衣替えをし、過ごし方も変えるものじゃ。いつも準備に余念のない者も、そうでない者も、四季の服くらいもっておろう。少しでも気持ち良く過ごしたいと、経験、知識により備えるものよの。季節が変わる仕組みはさておき、身を置く、場の出来事というのは、人の思いで変わるものでもある。人の思いに我らが関わることもある。関わるとは、その者の創造の世界に、我らの思いを繋げるということよの。人は創造の世界を、目の前の現実に作り出し、新しい経験の場とする。その経験は、今までにない、つまり想像もできぬ現実じゃ。そなたたちチャネラーは、我らの世界の創造の種を、現実の世界に蒔いておるのじゃ。芽を出させ、育てていくのは、そなたたち次第よの。良い季節が到来したとて、その現実に戸惑い、うまく育てられぬのであれば、また翌年の季節に一からやり直しじゃ。育てる力が足らなければ、種を知らぬゆえ、もとより良い種すら得られぬともなろう。ゆえに関わる者に慎重になるのは、そなたたちにとっても、我らにとっても、当然よの。良い現実を作るのは、日本の伝統の食材のように、手間も暇もかかるのじゃ。【ありがとうございます。】
2018年04月07日
いつもありがとうございます。プレアデス【宜しくお願いします。病は気からと言いますね。笑っていると次第に重い病気も直るなどと言います。笑っていると、気持ちもポジティブになりますが、ホルモンのバランスも良くなり、回復していくのでしょうか。また、楽しいことなどして、気持ちが若返ると同時に身体も若返る、そのようなことはあるようには思います。つまり若返る遺伝子が発現する感じでしょうかね。】心と体の相関関係は、もはや言うに及びませんが、DNAの発現と心の相関関係も、無いとは言い切れない、という言い方とは逆に大いに関係があると言えるでしょう。若返るとは、老化の逆転現象ですね。若返りは、老化の停止と細胞の新陳代謝で行われる現象となります。ところで、日本人には、日本人のDNAがあり、親子に遺伝子します。顔つきだけではなく、日本の文化、伝統、思想、つまり心も遺伝します。心の基礎もDNAに成分として持つのです。脳のシナプスが、情報交換を担うように、心とDNAも情報が交換されます。記憶のように、DNAの成分も、心、つまり思考によって変化していきます。植物は、成長後に種を産みますね。人も成長すれば、子を設けられるようになります。健康な卵子なり精子は、新鮮なDNAの成分そのものと言えます。心を持つDNAは、いつも自身を新鮮に保とうとします。魚肉の鮮度が落ちれば味も落ちますね、同じようにDNAの鮮度が落ちると心の鮮度、つまり感じる味も落ちてしまいます。その劣化が老化です。心をコントロールすることは、DNAの変化をコントロールすることになります。心の鮮度管理をすれば良い、と言えますね。いつも新鮮な気持ちを持ち、行動し、思考することは、若返りを促します。【今の時代、遺伝子の変化が加速されているようですが、老化や若返りの現象も変わっていくということ?】心が直接DNAに働きかける時代に入りました。今までは、タイムラグがあったのが、とても反応が早くなったということです。若返りも老化も区別なく、心に従って、忠実にDNAが再現します。これは一方でとても危険、心を何かに捕らわれてしまうことは、DNAすらそうなってしまう。もっとも、今まで、暗黙の内に行われていたことです。心とDNAの関係が当たり前になれば、科学も、政治もそこに目をつけ始めます。若返りと老化とお話しましたが、この両極の現象が加速する時代に刃向かうように、科学、政治が動けば、心に新鮮さはなくなってしまいます。心の管理は、自身でしていくことが、これからは一層、求められるのです。自身のDNAに責任を持ちましょう。こう言われる時代になるのです。【ありがとうございます。】
2018年04月04日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。失敗し続けた後に成功があるという説明で、努力が語られますね。同じ失敗を何度も繰り返すのは、潜在意識にすり込まれている努力が正しいと信じているから、失敗も繰り返してしまう。陰陽は正しいと信じていますが、実は宇宙の法則でもなんでもないのかもしれません。陰陽があるから循環するとすれば、循環もないのかもしれません。もしくは循環は別の理由から起こるのかですね。】ほほほ、努力と一言で申しても、数えきれぬほど、努力とされる行いはあろう。努力は美しいとさえ言われ、成功の影に努力があると知るゆえ、皆、成功を称えるのじゃ。精進という言葉があろう。修行は苦しいもの、苦しみも修行と思えば、耐えられもする。が、泥にまみれるような、堪え忍ぶ生き方を美というのであれば、美の土台は、泥土で固められた土台となろう。美しさだけが際立つ化粧は、やがて剥がれるものよの。剥がれた後、素顔を晒すこととなる。きめ細かい真の素顔は、手入を怠らない普段の習慣が作りだすのじゃ。長く続けていくには、己自身の作法を持つことじゃ。無理なく続けられる手順を持てば、長く続けられような。【心も、物事も、老化を防ぐには、努力ではなく、継続ですね。】手っ取り早く、裏道を進もうとすれば、続けていくことはできぬ。つまり裏道は、途切れ途切れの道、どこまでも続く道ではないのじゃ。手軽さを避け、無理に表の道だけを進むことを努力とは言わぬ。別の道はあろう、が、それは裏道ではない。自身の心を偽るゆえ、裏道に変わる。心の表と裏よの。心に表裏のある人間は、信用できぬと見られるものじゃ。そのような勘は、よく働くであろう。自身の心を偽らなければ、嘘か誠か、敏感に分かるものじゃ。まあ、宇宙に陰陽があるかないか、どうでもよいことじゃ。真理を追い求めるのであれば、裏を探すのではなく、表を極めることよの。きめ細かさの中に真理はある。それこそ美というものじゃ。心を偽るゆえ、努力は苦しくなろう、心を無視せぬことよの。心の表と裏が入れ替わっておることに気づくことじゃ。手入するのは苦しみではないであろう。むしろ楽しいものよの。【ありがとうございます。】
2018年03月24日
いつもありがとうございます。管理者【宜しくお願いします。地球に住み実体験することに意味があるのは、その体験そのものが、この場所以外ではできないからですね。代替の体験が別にできるのであれば、この地球の今の次元に住む意味はないのですね。つまり、かけがえのない今に生きている。ですが、経験は情報収集の一面があるとしても、中には無断なジャンク情報もあるとも思えます。いつかは利用されるとしても、嫌な体験は、しなくても良い、とはならないのでしょうかね。】人は一喜一憂しながら出来事に関わっていくものだ。感情に蓋をすれば、やがて蓋を破り、思いが弾けるようになる。生き物でなくとも構わないが、活動すれば、情報を吐き出すものだ。その情報を利用できる存在がいる限り、吐き出された情報は無駄ではない。つまり感情とて、排気と吸気がある、空気のように呼吸する存在がいるのだ。例えば、地球の植物は、人の感情が大の好物である。植物が少ない地域では、その土地の地下に感情は溜まっていくのだ。蓋をされたようになるが、いつかは、地脈を辿り地上にあふれ出すようになる。地球は宇宙にとって特異点ではない。とはいえ、何も意味のない場所ではない。ジャンク情報とおまえは言うが、そのジャンクに意味がある。呼吸と言ったように、情報を利用する存在がたいていはいるものだ。つまり、利用できない情報を吐き出す存在そのものが珍しいのだ。その排気が行われる場所が地球になる。それは原油のようなもの、やがて存在が生まれる原料として利用される。【地球は存在を産み出す工場のような場所で、人は材料を産み出す存在ですかね。】何故、根源と呼ばれる意識が地球に関わるか理解できるであろう。珍しければ珍しいほど貴重にされる。宇宙に人が大勢住もうとも、太陽系は宇宙の存在の生産拠点なのだ。おまえ達は、今がかけがえがないと思うほど、真剣に生きていくであろう。模索しながら、どうすれば、最適に生きられるか思いを巡らせる。が、地球では、最適解はないに等しいのだ。地球の動植物は、人の思考、感情を受け続け新種に変わるプロセスを生きている。宇宙の存在たちとて同じこと、それが地球なのだ。言い換えれば、人ひとりでも言える、自身を新種に変える。簡単に言えば、新しい自分を見つける。それが体験の意味なのだ。【ありがとうございます。】
2018年03月21日
いつもありがとうございます。暫く更新が開いてしまいました。。。管理者【宜しくお願いします。破壊の後の再生、生まれ変わりですね。創造力を持つ人間が自己矛盾を抱えたまま過ごせば、どのような事態に陥るか、最近よく分かってきました。矛盾した意識のまま現実を創造すれば、破壊でしかないわけで、再生するためは、意識に整合性を取ることが大切ですね。結局私も、元宇宙人の意識であり、矛盾解消のため地球に住んでいるような気もします。】絶望の淵まで辿り着いた者は、何らかの助けを求めるものだ。それが神と呼ぶ者か、身近に住む者か、自身の強い気持ちか、それぞれであろう。強い気持ちは、再生以降、意識の奥深くに潜り込むようなる。普段、見つからぬようにな。そして時の刺激に応じ、気持ちは現実に顕れてくるのだ。破壊に走るか、再生に走るか、その行動の違いになる。【普段顕れなくとも、また同じような状況になれば、思考、行動の指針になるという感じですかね。】いわゆるトラウマがそうであろう、意識に背負った傷のようなものだ。だが、それを言っているわけではない、傷は癒やせば修復されていくものだ。再生とは、再構成のこと、つまり全く別の存在に変わるのだ。遺伝子組み換えの技術が地球にはあろう、無論、宇宙にもある。が、地球のそれと宇宙のそれは別次元の技術なのだ。免疫の改善、病気の治療、そしてせいぜい意識の操作が関の山だ。シェイプシフターように姿形を変えることも、そのような遺伝子であれば可能だ。だが、意識をシェイプシフターのようには変えられぬであろう。偽装が精一杯だ。【創造力は、意識さえ変えられるということですかね。つまり別人になると。二重人格ではないですが、その発展型ですかね。】人には多くの意識が乗る、つまり憑依だ。無論、それは違う。意識の住む次元、つまり過去、現在、未来と時間の経過に依存せず意識はいる。意識のシェイプシフト、何世代にも渡って存在し続ける意識を再構成するのだ。過去を今に持ってくる。そして未来に繋げる。つまり初期化し、別のOSと入れ替える。。。OSが変われば、それまでのアプリケーションは動かないであろう。初期化されれば、データ、つまり記憶も意味を成さない。別人に変わったように思考し、行動するようになるのだ。いくつもある現実を行き来し、その現実の命を全うしていくのだ。一つの人生ではなく、幾つもの人生を過ごす、人の創造力の行く先だ。シェイプシフトする度に記憶を消す。転生もその一つと思えば、理解もできよう。【ありがとうございます。】
2018年03月17日
いつもありがとうございます。管理者【宜しくお願いします。地球人が宇宙に飛び出し、宇宙の文明を再興すれば、かつて地球に来訪した宇宙人のように、地球人が彼らにとって、新たな神にもなるわけです。それが権益なら、既に宇宙には人が住んでいるわけで、彼らが先行して、他文明の支配者になっているかもしれません。人が再生力を備えたとしても、依存させてしまえば、支配せざるを得ず、文明の再興と自立は、両立させる必要もあるとなります。宇宙の人間たちは、その問題をどう解決してるのでしょうか。】内なる神というであろう。心の神には万能感を感じるものだ。が、心だけでは、心許ない。例えばプレアデスなどが得意な、キメラは、遺伝子を取り込み、身体ごと統合を図ろうとするものだ。遺伝子操作のテクノロジーは、万能性を得るためにあるとも言える。だが、実験を繰り返したあげく、生まれてくるのは、万能にはほど遠い存在ばかりだ。【つまりテクノロジーだけでは、万能神にはなれないもでしょうね。】創造神が創造神を産み出す、矛盾であろう。自らの存在など無かった、その事実を創造するに等しい行為だ。多くの者にとっての神は独占できるものではない、人の心を外から支配しようとしたのが、宇宙人たちだ。心に神を作り出せば、崇められ、彼らの存在する事実は創造され続ける。これほどまで、何故人を支配しようとしたのか、わかるであろう。人は創造する存在そのものなのだ。【プレアデスなどは、人の創造力を利用し続けてきたのですね。そうしなければ、存在すらできないからと。】プレアデス人など、地球に住み、自らを再生しようとしているのだ。再生力、つまり思いの力を取り戻した暁には、プレアデスに戻り、文明の再興を期待しているのだ。だが、彼らは、最初に自ら神と名乗った時点で間違いなのだ。神などいなかった、それに気づいたプレアデス人は現実を引き戻す。彼らの存在そのものが空間から消えるのだ。自身の創造力は、自己矛盾を引き起こすのだ。いうなれば因果応報であろう。他の星を支配し、神と名乗った人間は、淘汰されていくのだ。【現代も、プレアデス由来やシリウス由来の人間は多いですから、生き残れないとなるのでしょうかね。】神などどこにもいないと、諦め、深い闇の淵から戻った人間は強いものであろう。外は無論、内にも神など認めない、素の自分に戻るのだ。素、それが自身を創造し続ける根源となる。自己矛盾により消えた後、根源から再生する力とはそのことだ。【ありがとうございます。】
2018年02月25日
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