日々始まり

日々始まり

2016年06月11日
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問いそのものが少々意味不明な感じです。。




コノハナサクヤ姫

【よろしくお願いします。生命エネルギーである魂は、身体のエネルギーと一体化して人は生きています。魂が身体の外まで広がっていたとしても人の物理的な目では観察できません。三次元にないのであれば、四次元以上、時空間的には遍在しているとなります。生命エネルギーは一生を俯瞰するように存在しているのですね。エネルギーの濃度の違い、質や波長の違いによって人それぞれ違いはあるのでしょうけれど、その根源的な生命エネルギーは、分離する前の空間次元というような感じですね。プリズムで分かれた光のような状態が、今の時間の意識となり、偏った意識に感じてしまいます。人生をやり直すにしても新しいことを始めるにしても、一生分の生命エネルギーの配分というより、過去と未来に分離していた生命エネルギーを繋げて遍在させる意味があるように思います。経験、学習は魂に記憶され、情報がエネルギーを結合させる糊のようなものであり、その具現化が遺伝子となるのでしょうか。魂の違いは民族の違いになるのであれば、男女の違いも魂レベルで異なるとなりますね。】


ほほほ、生命に男も女も違いはないよの。
その区別は、子孫を残していくのに都合がよいということだけじゃ。
受胎し性が決まり、魂は身体に入り性を受け入れるのじゃ。
受け入れられぬ、その思いが性を逆転させるとなろう。

生命は生涯に渡り、嵐の海のように激しくもなり、凪の時期のようにもなる。

酔ったようになるであろう。魂が酔うのじゃ。

酔えば正しく視点は定まらぬ。生き方が定まらぬということよの。
海を進む船のように、揺れておる土台でも進めぬわけではない。
寧ろ、海では船が最適な手段となろう。
が、流されぬよう進路を定めるには、陸でも海でも同じことじゃ。

どのような身体を持ったとしても、魂の思いは運べるのじゃ。
身体を使い、何を運ぶのか、どこに届けるのか、決めるのは魂じゃ。
性別が魂の思いと違うのであれば、運び方に工夫がいるだけのことじゃ。

魂と身体の違いは大凡の者が持つものじゃ。
性別とは言わずにしろ、思い通りに進まぬというのは、誰しも持つであろう。
海でも陸でも舵を取れぬのであれば、先に進めばつぶれるだけよの。


魂には元々生涯の全体がある、それが見通せるようになるのじゃ。
身体と一緒に魂は動き回っておるのじゃ。寿命とは、動けなくなった時をいう。

身体があっても魂は既にそこにおらぬ、過去の土台に魂が留まっておるのじゃ。
先に進めぬのは、徐々に生命の力を失うということよの。
動く故、同時に力を得ておるもの。自然の摂理は魂でも同じじゃ。


過去の土台に留まるとは、土台が消えれば魂も消えるということよの。
時間の蓄積の力は強い、故に、一旦過去に留まれば、縛られ抜け出せぬのじゃ

魂は自然の産物じゃ。故に、時間とも一体じゃ。
生命力は、時間をも動かせるもの、過去から抜け出す力も持つものなのじゃ。

やり直す、新たに始める、良いではないか、例え後悔してもやらぬより良いよの。
そのように思うのであれば、やって見ることじゃ。
後悔という時間の捕らわれに、また新たに抜け出す気持ちになるやもしれぬ。
始めようとの思いこそ、その気持ちじゃ、時間のふたを開けたのじゃ。

【ありがとうございます】






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Last updated  2016年06月11日 14時47分29秒


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