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朝7時に起きてカーテンを開けると窓から冷気がシンと入ってきました。水滴ごしに細かい雪が舞っているのが見えます。予報では関東は晴れって言ってたのに…。ここは関東じゃないのか?私は子供の頃から雪が大の苦手で、雪が降ると学校も会社も休むヤワな奴だったのですが、ようやく最近はトラウマから抜けて雪は降るものだと思えるようになりました。でも好き好んで雪の多い場所に行くスキーやスノボと言ったウィンターレジャーはやったことがありません。まあ降ってるものは止められないので早く止んでくれることを願いつつ、朝食会場に4人で向かいました。みんな遅くまで飲んでいた割にはすんなり起きられたみたいです。朝食会場は混んでいてロビーで順番待ちでした。お土産を見たりオークション絵画を眺めたりしながら時々窓の外を見て雪の状況チェック。こういうのを粉雪というのかなあ。細かい雪粒が白い羽根のような軽さで風に舞い、大きな窓から見える景色が巨大なスノードームのように思えました。ビュッフェ・スタイルの朝食は和食洋食多種多様で、ホットケーキと目玉焼きはライブで作ってくれていました。一瞬ドレスデンのことを思い出しましたね。あの時もこの4人でした。 なるべく遅い時間にたくさん食べて昼食も兼ねることにして、チェックアウトの11時ギリギリまで部屋にいました。『ポッポー!』その理由はこの夏半世紀ぶりに復活したというSLを見るためなんです。この4人の中に鉄男も鉄子もいないはずなんですがみんなノリノリで、もうすぐやってくるはずのSLを雪の舞うベランダで待ちました。 遠くで汽笛が聞こえた時なんてテンション上がっちゃって、動画モードで待ってたんですが、スピードが遅いのかなかなか来ないんですよ。スマホ持つ手が凍えました。こういうのは撮るべきスポットとかがあるんだと思いますね。いまいち場所が悪くてテンションMAXで待ってた割には枯れ枝の隙間に蒸気がもうもうと見えるだけで肝心の機関車がよく見えなかったんです。そんなオチが入りましたが、修学旅行みたいで楽しかったです。(つづく)
2017/12/17
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週末を利用してダンス合宿に行ってきました。場所は日光鬼怒川です。海外遠征でもご一緒させていただいた埼玉メロンチョコさんのお誘いで、会員制の温泉ホテルに安く泊めていただいて近くの練習場で一緒に練習。まずは車で現地に向かいました。場所を変えると気分も変わるもので、たまにはこういうのも楽しいです。練習場はちょっと古そうな外観でしたが一人500円で一日中踊れます。中に入ると天井の中央には丸い青空の天井画が描かれていて、大きなシャンデリアが下がっています。お洒落な内装で、床も綺麗なホールでした。窓辺には休憩できるテーブルや椅子があって、コーヒーやお茶などが飲み放題。音楽はラテンとスタンダードが1種目3曲ずつ交互にかかります。スピードがゆっくりめに設定してあるので練習しやすかったですね。隣に鬼怒川を望む日帰りの温泉施設があり、近隣の競技選手たちが多く来られていました。私たちをご存知の選手もいらして声をかけていただきましたよ。2時半ごろから練習を始めて6時くらいに切り上げホテルに向かいます。 マンションと隣接した大きなリゾートホテルで、温泉の他にプールもあるんです。チャンスがあったら次回は水着持参したいところ。ホテルハーベスト鬼怒川ホテルのレストランでビュッフェスタイルの夕食をいただいたんですが、1500円でビール飲み放題、少しずつ取ってきてもとても食べ尽くせないほどのバラエティ料理で、ローストビーフは3回もお代わりしてしまいました。宇都宮ギョウザも美味しかったです。温泉を満喫した後、部屋のソファで持参した地ビールで乾杯。ダンス談義が盛り上がりすぎて気がつけば夜中の3時を回っていました。 6人用の大きな部屋をシェアしてメロンチョコさんたちは和室、私たちはベッドで休ませていただいたんですが、おやすみ3秒でしたね。気付いたら朝でした。なんと充実した一日。(つづく)
2017/12/16
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<大聖堂と教会>これまで色々な街で教会を覗いて来ましたが、大聖堂と教会の違いを考えたことがありませんでした。スペインはほとんどの人がカトリック教徒だと思うんですが、大聖堂というのは基本的に一つの街に一つしかないそうです。教会はいくつもあって、ビルバオにもいろんな聖人の名前のついた教会がありました。本部と支部みたいな関係なんでしょうか。一番偉い司教さんの座る椅子のことをカテドラルと呼ぶそうで、その椅子のあるのが大聖堂というわけです。この街の大聖堂(カテドラル)はビルバオ大聖堂、別名サンティアゴ大聖堂です。旧市街を散策していたついでに寄ったというのが実際のところなんですが、ビルバオの観光ルートに乗っているようで、扉を入ると慣れた感じの英語の上手な女性が受付にいました。『ここだけですと3ユーロ、聖アントン教会とセットで一人5ユーロになります。』セット販売ですよ。『音声ガイドが価格に含まれますが、どちらから来られました?』日本語はないですね。去年・今年と2回ビルバオに来て、観光してる日本人にあったことありませんから、ほとんど必要ないんでしょう。『聖アントン教会はここから歩いて3分ほどですが、2時で一旦閉館します。次に開くのが4時になりますのでお気を付けください。』教会にもシエステ(昼寝時間)が存在するみたいです。せっかくですのでセット券を買って大聖堂の方から見ることにしました。回廊に囲まれた素敵な中庭にはレモンの木が何本か植えられていて、黄色いレモンがたくさんなってます。大将の大好きな塔登りはオプションになくて、パイプオルガンのある2階に通じる階段でさえ関係者以外立ち入り禁止になっていました。さらっと見てサン・アントン教会に向かいます。この時すでに1時を回っていましたので、さっさと見て次に行く必要がありました。一緒にいたメロンチョコさんたち、飛行機に乗り遅れたら大変ですからね。新市街と旧市街を隔てるネルビオン川沿いにある教会で、すぐそばにサン・アントン橋がかかっています。石造りのアーチ橋で、教会と一緒にビルバオ市の紋章になっているそうですよ。仏教でも最澄・空海みたいに有名なお坊さんがたくさんいらっしゃいますが、キリスト教でも聖人はたくさんいらして聖アントン(大アントニオス)という方は禁欲的な修道士の修行システムを創設した方だそうです。ビルバオは多分ダンス競技をしていなかったら一生来ることはなかった街ではないかと思いますが、敬虔なカトリック教徒の方々にとっては一生に一度は行ってみたいサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の経由地なんだそうです。ビルバオ大聖堂の別名もサンティアゴ大聖堂ですが、サンティアゴとはキリストの12使徒の中の聖ヤコブのスペイン語読みなんですって。全く興味ありませんでしたが、宗教的に非常に重要な拠点だったんですね。(つづく)
2017/11/15
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<旧市街に行ってみた>試合の翌朝、時差ぼけのなごりなのか5時頃目が覚めてしまいました。大将も同じタイミングで目が覚めたらしく、布団をかぶったまま試合を振り返ります。近年稀に見る謙虚さでお互いの課題点やこれまでの反省点などを2時間近く話し合いました。うちではこんなことしたことないんですけどね。すっかり目が覚めてしまったので朝食会場に行くと、今日出発の2組がいました。ビルバオに来てからずっと雨模様で、地元の天気予報を見ると広いスペイン全土の中でこの地域だけ雨雲が居座っています。誰が雨男なんだよという話も出ました。2組を先に見送り、今日の夕方の便で帰路につくメロンチョコさんたちと川向こうの旧市街の観光に出かけました。歩いている間に次第に晴れてきて、久しぶりに青い空を見上げます。街ではクリスマスツリーの準備が進んでいました。スペイン語は公用語ですがそれ以外にバスク語というのも話されているようで、説明文見ると2種類書いてあるんです。どっちも意味不明ですが。旧市街の中心にある新広場です。この建物はバスク語アカデミー本部だそうです。旧市街は細い道が放射状に伸びていて、一本間違えると全く違うところに出てしまうある意味ワクワクする場所です。かわいいお店が並んでいて、私はセクシーなレザーパンツの店が気になったんですが気後れして入れませんでした。香しい匂いが漂うパンの店には入ってメロンチョコママさんがチョコパン買ってくれました。街のいたるところに泉があって、蛇口を押すと水が出てくるので面白がってあっちこっちで押して回りました。空はいつの間にか晴れてきました。誰かわからないけど雨男がビルバオを離れたようです。(つづく)
2017/11/14
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<歩き回ると足が疲れるから>世界選手権の翌日、日本選手団はオープン戦にエントリーしていました。朝からスペインの国内大会が行われていて、日本の級別戦のようなプログラムが組まれています。私たちが出場する試合は夕方からでしたので、午前中くらいは観光できそう。相変わらずどんよりの曇り空で時々小雨がぱらつく寒い一日でした。歩き回ると足が疲れるからということで、私たちは約1時間でビルバオ市内を一周する観光バスに乗ることにします。ネットで調べたところによると、この時期は11時、12時、13時の1日3本バスがありました。これまでマヨルカやトレド、ドレスデンでもこういった観光バスを利用したことがあって、乗り降り自由だし日本語の音声ガイドが流れるのでやみくもに街を歩くより勉強になるんです。ホテルのコンシェルジュさんに伺うとチケットはバスの中で買えるそうで、最寄りのバス停は歩いて10分ほどのカルチャーセンターの側にあるとのこと。11時発車のバスがそのバス停に到着するのは11時半ごろとのことでしたので、ちょっと早めに出てバス停らしき場所で待っていました。ところがバスが来るはずの11時半を過ぎても全くそれっぽいものが来ないんです。スペインはなんとなく時間にルーズなイメージがありますから単に遅れてるだけなのかもしれませんが、ひょっとしてバス停の場所が違ってるのかもと不安になってきました。去年もドイツで全然違う場所でバス待ってて大失敗だった苦い思い出も蘇ります。15分過ぎてもこないのでついにカルチャーセンターの中にあるインフォメーションカウンターに聞きに行きました。バス停は間違ってなかったみたいだったので、またそこにもどったんですが、こんどは聞きに行っていたちょっとした隙にバスが行ってしまったのではないかと二人でもめ始めます。もうこうなったら始発の停留所に行って12時に出発のバスに確実に乗ろうと決めたのはいいんですが、あと10分でそこにたどり着けるかが問題でした。大将は超早足でスタスタ停留所にまっしぐら。私はどんどん距離を離され、歩き回ると足が疲れるからと言っていたのに結局小走りで後を追う羽目になります。途中に何本も通常運行のバスとすれ違いました。でも観光バスらしき2階建てのバスは全く見かけませんでした。始発の停留所は世界選手権の前日に行ったグッケンハイム美術館の側にあります。バス停にはA4サイズのまだ新しい紙っぺらが貼ってありました。『Out of service』(運行休止)アハハハハハ。乾いた笑いがこぼれましたよ。ホテルのコンシェルジュさんも、インフォメーションカウンターの職員さんも、ご存知ない。乗る人少ないんでしょうね。シーズンオフだし。 トボトボとホテルまで歩いて戻り、部屋で日本から持っていったアルファ米にお湯入れて食べました。もうなんかレストランでランチの元気もでないわ。私たちの午前中を返せだ。他のみんな誘わなくてホントよかった。(つづく)
2017/11/12
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<美術館巡りとピンチョス>朝食会場で同じホテルに宿泊している日本選手団と会いました。パリ経由で昨日着いたカップル、一昨日着いたカップルなど選手たちは基本的にみんな別行動で、それぞれが会場を下見に行ったり軽く観光したり買い物をして世界選手権に備えます。去年は月曜日しか時間がなくて美術館は休館だしほとんど観光できなかったので、今回は美術館巡りをしようと決めていました。雨で靴が浸水するのであまり外を歩きたくなかったというのもあります。埼玉メロンチョコさんたちと一緒にまず目指したのはグッゲンハイム美術館です。去年より2週間早いせいかシンボルのフラワードッグはまだお花がいっぱい咲いていました。入場料は一人10ユーロで音声ガイドが含まれています。日本語はありません。美術館から見える赤い橋、スペイン皇太子橋と言う名前だそうです。六本木ヒルズにもあるクモのオブジェやカラフルなメタル・チューリップ。アートは館内だけでなく建物の外も建物自体もそうなんですね。メロンチョコさんたちとはここで別れて私たちは次なるビルバオ美術館に向かいました。信号が面白いんですよ。歩く人が動画なんですね。上に赤になるまでの秒数が出ていて、10秒切ると歩いてた動画が走り出すんです。グッゲンハイム美術館がモダンアートなのに対し、ビルバオ美術館は中世から現代までの幅広いコレクションで、広重や国貞などの浮世絵もありました。一部工事中でしたが思ってたより広くて完全に足が棒になり、カフェテリアでエネルギー補給。ここに来て初めて去年食べられなかったピンチョスを食べました。バスク地方で有名な日本でいう居酒屋のつまみのようなもので、楊枝に刺さって手軽に食べられるサイズになっています。お値段もお手頃。サーモンとアボカドのサンドイッチのようなもの、イワシのオイル付けをピリ辛のパプリカとあわせたもの、ベーコンとチーズをのせたもの。時間的には3時頃だったんですが、私たちにはこれがお昼ご飯でした。美術館巡りをするといつもあっという間に時間が過ぎてしまいます。まだ足りなかったのか、湯気を上げたトルティーヤが出てきたので大将がカウンターに買いに走りました。スーパーで買いものをしてホテルに戻り、夜7時頃、同じホテルの3組で外にご飯を食べに出ました。大将が美味しい店をいろいろ調べていたみたいなんですが、シエステがあるので8時開店の店が多くまだやってないんです。ぶらぶら歩いてるうちに偶然入った店。多分どの店もそれなりに美味しいと思いますが、ここは大当たりでしたね。 柔らかい肉料理、ソースの素晴らしい魚介料理、お代わりしたいくらい美味しいデザート。去年はハンバーガーとステーキハウスだけであまり堪能できなかったバスク料理、この時初めて美食で有名な理由を実感しました。明日はいよいよ試合です。(つづく)
2017/11/10
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<スペインまでの24時間>1週間家を開けるとなると数日前から生鮮品は買わないとか牛乳は飲み切るとか、ある程度準備が必要です。せっかくだから普段洗わないようなものを洗濯していこうとか、風呂掃除していくとか生ゴミは全部捨てていくとか出発の朝は特にやることが多いので大忙し。大将はこだわりすぎて旅支度がいつも徹夜で、楽しいはずの海外遠征の始まりは二人とも寝不足で不機嫌でした。今回もその例に漏れず普段ならおおらかに流すような事態にカリカリしていて、空港バスを待つ列にタクシーで乗り付けてズル込みしてきた人が大将には許せなかったみたい。私は電車に乗り遅れそうで慌てて玄関にあった雨漏りする靴を履いてきてしまってブルー。今年初のヨーロッパ遠征はこうして始まりました。世界選手権シニア II ラテンの開催地はスペインのビルバオです。去年シニア I ラテンの世界選手権が開催されたのと全く同じ場所で、航空会社のストライキで苦い目にあったので今年はルフトハンザを利用するのをやめました。経由地をブリュッセル(ベルギー)にしたのは、この時期ちょうど美味しいムール貝料理を食べるためでした。 約12時間のフライトで午後3時ごろベルギーに到着。時差は8時間なので日本時間で夜の11時ごろになります。ところが空港の乗り継ぎエリアにはそういったレストランがないんですね。空港の外に出ればホテルのレストランとかで食べられますけど高そうだし、気温9度で寒そうだし、一度出てまた荷物検査とか面倒だし、結局空港内で大将はステーキ、私はタラのでっかいフライを食べました。付け合わせのポテトフライどっさりが懐かしい。ベルギーからスペインへは格安航空を利用したんですが、席が決まってるはずなのに皆さん搭乗前に早々に並び始めて長蛇の列になっていたんです。なんで並んでるのか後になってわかりました。機内に収容できる荷物の量が限られていて、列の後ろの方になると手荷物も持ち込みできなくなって預ける必要があるんです。スペインに向かう飛行機に乗るなり爆睡して、気がついたらビルバオ空港に着いていました。現地時間では夜11時ごろ。一年前に来たことがあるはずなんですが、あまり記憶がないんですね。そういえばベンチが細長い葉っぱみたいな形してたっけなとかくらい。後から預けた手荷物と、成田で預けた大きな荷物が別のレーンに流れてくることも忘れてました。係りの人がやってきて大きな荷物は向こうの部屋だと教えてもらうまで手荷物が流れてきたレーンでじーっと待ってたんですけど、もう荷物が流れてこなくなって『まさかのロスト?』とちょっとビビリましたね。タクシーで去年と同じホテル、シルケン・インダウチューに向かいます。あいにくの雨模様で寒いです。運転手さんは私たちがスペイン語を話せないとわかるとずっと無言で、途中グッケンハイム美術館を通った時『ミュージアム』と指差して一言発したきりでした。6階建ての最上階でフロアに2つだけ『朝霧の間』みたいな名前のついている部屋があるんです。何が違うのか分かりませんが去年も同じ部屋でした。ひょっとするとバスタブ付きはここだけなのかな?日本では翌日の出勤時間を迎えていた頃、ほぼ丸一日かかって到着したスペインでようやく横になって眠ることができました。(つづく)
2017/11/09
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仙台城(青葉城)は天守閣がなかったそうです。天下統一した徳川家康への忠誠の意味を込めてとも言われているようですが、実際ずっと若い政宗に対して家康は脅威を感じていたかもしれませんね。仙台城跡の階段を降りている途中でバスが来ているのを見つけて駆け下りました。次に向かったのは宮城県に2つある国宝のうちの一つ、大崎八幡宮です。ここ、また階段キツイんですよ。仙台って坂ばっかりなイメージです。東北大学なんて、いくつかの山に分散して建てられてる感じでした。皆さん足腰鍛えられるでしょうね。大崎八幡宮では神事が行われていました。ここはプロスポーツチームが必勝祈願に訪れる場所だそうです。楽天イーグルスもベガルタ仙台もきっとここでお祓いしてもらうんでしょう。 ちなみに宮城県内のもう一つの国宝は瑞巌寺だそうです。松島のさ〜よ〜瑞巌寺ほどの寺もないとえ斎太郎節に歌われてる有名なお寺。今回は行きませんでした。 大崎八幡宮の百段階段を下りる途中で、またしてもバスが来ているのを発見してダッシュ。るーぷるバスは15分おきにやって来ますが、今回飛び乗ったバスは弁舌滑らかな運転手さんで個性的なガイドをしてくれる方でした。『本日5回目の広瀬川です。』広瀬川は曲がりくねって流れているらしく、バスでなんども超えるんです。台風一過で水かさが多く、茶色く濁っていました。運転手さんはずっとしゃべり続けていました。天皇陛下の手術を担当した心臓バイパス手術の権威、神の手を持つ天野先生は金曜日にこの病院で執刀するとか、仙台二高の卒業生のカルトな雑学情報とか、特に美濃部都知事の話が長かったかな。光通信の開発で有名な半導体の神様、西澤博士の話も出ました。この先生東北大学の総長も務められてるすごい方なんですね。ずっとお話を聞いていたい気もしましたが、宮城県美術館で降りました。敬老の日ということで美術館は入館無料。特別展もやっていたんですが常設展だけ見て、不思議の国のアリスにまつわるオブジェが点在する庭を散策しました。この庭、夢で見たことある気がしてそっちの意味でも不思議の国でしたね。ここからは地下鉄に乗って仙台駅に戻りました。小腹が減ったので仙台名物ずんだ餅と人気のずんだシェークを頂きます。登ったり降りたり走ったり、今日はよく運動しました。(つづく)
2017/09/20
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仙台の繁栄の礎を築いた伊達政宗は今年で生誕450年を迎えるそうです。るーぷるバスで瑞鳳殿の次の停留所で降りて、少し歩いたところにある仙台市博物館に行きました。伊達政宗公の顔が、真田丸の時の草刈正雄に似てる気がするんですよね。かっこよすぎ?博物館では縄文時代から始まる仙台の歴史や文化が学べます。重要文化財の伊達家具足・陣羽織などもありました。おしゃれな男性のことを伊達男と呼んだりしますが、伊達藩の兵士たちの装束は当時の人々にとって他に例を見ないおしゃれなものだったようですね。 伊達政宗が非常に達筆で、多くのうたを詠んだ文化人だったことは知りませんでした。さらに興味深かったのは大航海時代に日本から初めてヨーロッパに使節として渡った支倉常長(はせくらつねなが)の足跡です。彼の肖像画が17世紀イタリア絵画として残っているんですよ。太平洋を越え、メキシコを抜けて大西洋を旅しヨーロッパへ渡った支倉は、スペイン国王やローマ教皇に謁見して政宗公からの親書を手渡すんです。楽しいこともあったかもしれませんが、過酷な旅だったでしょうね。何年もかけた彼の大旅行の末、日本に戻ってきたらキリスト教禁止令が出されていました。心底落ち込みますよね。帰国した翌年亡くなってしまったそうです。仙台市博物館の入館料は大人460円でしたが、ここでもるーぷる券で100円引きになりました。博物館の入口には日本フィギュアスケート発祥の地といわれる五色沼があるそうです。とても綺麗な建物でこの中のレストランで週替わりランチをいただきました。トイレも政宗公。仙台城跡にはバス停まで戻って次のバスを待つより遊歩道を行った方が早そうだったので森林浴しながら歩いて行くことにしました。10分くらいの登りだったと思います。仙台市内を一望する城跡から馬上の政宗公が見下ろしています。仙台湾まで見えるんですよ。台風の余波で風が強く、時々突風に背中を押されました。ミケランジェロ公園みたいだと思ったんですが、伊達政宗公はミケランジェロの亡くなった3年後に生まれているんです。支倉常長がフィレンツェのミケランジェロ公園にもし行っていたら、きっとそこからの眺めが仙台城からの眺めみたいだと思ったのではないかと思いました。(つづく)
2017/09/19
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台風一過の素晴らしい天気でした。多分私たちは雨男・雨女ではないと思います。ミラノ観光の時もニース観光の時も、試合の日までは土砂降りで翌日はいいお天気でした。仙台駅もスッキリ晴れた秋の空気に包まれています。仙台市内の主な見所を巡る観光バスの1日乗り放題券をホテルのフロントで購入しました。『るーぷる仙台』と言う約1時間10分で市内を一周するバスで、土日祝日は15分間隔でやってきます。料金は1回乗ると260円、1日乗り放題が620円、地下鉄も乗り放題になるのが900円でした。バスは一方向にしか回らないので、機動性を高めるために地下鉄も乗れる券を購入。これのいいところは乗り放題というだけではなく提携した施設の入場料が割引になったりすることです。こちらが駅前のバス乗り場。たくさんの人が並んでいてすぐに満員になるので2台目に来たバスに乗りました。昨日は台風で観光できなかった皆さんがどっと繰り出して来たという感じです。最初に降りたのは瑞鳳殿前でした。仙台藩を立ち上げた伊達政宗公が、自分が死んだらここに墓を建てよと命じた場所で、小高い丘の上にあります。やっぱり試合の翌日は階段登りですね。必ずトレーニングしてます。瑞鳳殿は入場料大人550円でしたが、るーぷる券を提示すると100円引きになってすでにお得感を実感。杉の木立と鮮やかな緑の紅葉に囲まれた静かな場所に伊達家3代の霊廟があります。政宗公の瑞鳳殿、二代忠宗公の感仙殿、三代綱宗公の善応殿、どれも極彩色の豪華絢爛な建物でした。昭和20年の仙台大空襲で焼け落ちてしまって、現在建っているのは昭和54年に再建されたものだそうです。細部まで完璧に再現されているんでしょうね。素晴らしい技術だと思います。あ・んの彫刻が四方に施されているんですが、わざと非対称にして躍動感を出しているんだとか。政宗公の瑞鳳殿の屋根の上にだけ龍が乗ってましたね。後で知ったんですが、政宗公は茨城県にも領地を持っていて現在の龍ヶ崎あたりだったそうですよ。独眼竜政宗に由来の地名なんでしょうかね。資料館で発掘調査のビデオを見たんですが、これが意外と面白くてここでずいぶん時間を取ってしまいました。DNA鑑定で血液型とか分かるんですね。政宗はB型、忠宗・綱宗はA型だそうです。頭蓋骨から顔も復元されていて、みなさん意外と小顔なのにちょっと驚きました。『こういう顔の人、今でもいるよね。』『伊達公子さんて、伊達家の末裔なのかな。』先日引退されたテニスプレーヤーの伊達さんに、そういえばどこか面影が似ている気がしました。(つづく)
2017/09/18
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台風18号の接近とともに3連休が始まりました。神戸出張だった大将が帰ってきてから出発ということで比較的遅い時間の新幹線を予約。上野から仙台へ向かいます。お彼岸が近づくと日が暮れるのが早くなって、仙台に着いた時にはもう暗くなっていました。これまで試合で仙台に何度か行ったことはありますが、いつもこれといった観光はせず試合終わったらすぐ帰るパターンでしたのでたまにはゆっくり仙台観光でもしようと目論んでいたんです。三連休でしすし。ところがみんな考えることは同じというか、ちょっと予約するのが遅かったせいで、ホテルが全然空いてないんです。駅前のホテルにやっと1部屋空きを見つけて予約したのがメトロポリタンホテルでした。今年の6月に開業したばかりの仙台駅直結ホテルでとっても便利です。チェックインしている時にちょうど試合が終わった千葉ロッテマリンズの選手たちのバスが着いて、ホテルのロビーで待ち構えていたファンとの喧騒が済むまで瞬く待機していました。ホテルが混んでいたのはいろんな理由があったようで、この週末、楽天イーグルスの試合のほかV6のライブがあったり、オクトーバーフェスト(ビール祭り)、エヴァンゲリオン展などなどイベントてんこもりだったようです まだ雨は降っていなかったので夜の街に繰り出してイタリアンの店に入りました。お店の半分はライブイベントをやっていてその音楽が聞こえてきます。評判のいいお店らしく、あっという間に満席に。パスタや肉をたらふく食べて、デザートの見本ですと言って持ってこられたプレート、本来ならここから一個か二個好きなのを選ぶらしいんですが調子に乗って全部くださいと言ってしまいました。これでエネルギーチャージはバッチリ。明日は朝から試合です。(つづく)
2017/09/16
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<徳島の踊り>阿波の最後にやってきたのが三大難所『二にお鶴』こと20番札所・鶴林寺でした。ここはロープウェイなんてありませんから、向こうから対向車がやってこないことを祈りつつ細くて急な山道を登ります。私は助手席でシートにしがみついて固まってただけですが、運転してくれてた大将に言わせると昨日の椿自然園ほどじゃないとのこと。少なくとも道が藪に覆われて苔むしたりしてませんから、まだスリップして崖下ってことはなさそうだし細い道ですけどちゃんと舗装されているんです。<20番 鶴林寺>山門の両側、普通は仁王様が立ってますが、ここには阿吽のツルがいました。立札が立っていて、さっき行ってきた21番太龍寺まで6.7kmと書いてあります。どんだけすごい山道なんだろう。相当急な山道を一度降りてまた登る、道があるだけマシなんでしょうか。 歩く人もいるんですね。フランス人のグループが太龍寺へとつづく細い山道に入って行きましたよ。男性一人、女性3人のグループだったんですが、男性は一人張り切っていて汗で肌に張り付いた白装束、女性たちはタンクトップの軽装でしたがそれぞれ何キロもありそうなでっかいリュック背負って遍路ころがしにチャレンジされるようです。あの人たち、ちゃんとたどり着いたのかな。無事、徳島パートを回り終えた私たちは、飛行機の時間までまだ間がありましたので心が求めて止まないスィーツ休憩を取ることにしました。徳島でよく目にするイルローザというスィーツ店に入ってティータイム。好きなスィーツを買うと飲みものが無料です。大塚国際美術館にも興味があったんですが、月曜休館だったんですね。次からは高知エリアに入る訳ですが、どうやって室戸岬にたどり着くか、それより高知で試合なんてあるのか、できれば土佐くろしお鉄道ごめんなはり線にも乗ってみたいと早くも次の冒険へと心は飛びます。早めに車を返し、空港で荷物を預けてビールタイム。徳島から東京に向かう飛行機からたくさんの入道雲を見ました。雲の中に時々稲光が走って綺麗です。雲の下は夕立なんでしょうね。昨日の夜中、たまたまテレビでNHK新日本風土記をやっていて、テーマが『阿波踊り』だったんです。苦境にも負けず遺伝子レベルで脈々と受け継がれてきた徳島の方々の踊り。伝承への真剣な取り組みに圧倒的なエネルギーを感じました。三味線や笛や太鼓やカネの音で作り出されるお囃子は『ぞめき』と呼ばれるそうなんですが、子供の頃から聴いて育った皆さんはそれを聞くと踊りたくてウズウズするとおっしゃってました。ほくたちがラテンの音楽聞くとそう感じるのと同じかなと大将が言ってましたが、サンバなんかは似たものがあるのかもしれませんね。来週に迫った一大イベントに向けて、踊る人も見る人も、徳島のボルテージはいま最高に上がっていることでしょう。阿波エリアのお遍路は終わりましたけど、また何度でも行きたい魅力的な場所です。(終わり)
2017/08/04
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<昔は難所でした>阿波の三大難所『一に焼山、二にお鶴、三に太龍』に数えられる21番札所・太龍寺にやってまいりました。駐車場から山道を延々と徒歩で登らなければ行けなかった遍路ころがしですが、1992年にロープウェイが出来たんですね。麓の乗り口には立派な施設が建っていて、お遍路グッズやお土産品を売ってるお店やざまざまな展示物がありました。観光バスが乗り付けてここでお昼ご飯にするらしく、団体客用の食事がセットアップされています。ロープウェイは20分間隔に出ていて100人乗り、ガイドさん入れて101人乗りだそうです。一人往復2470円は高くないかと思ったんですけど、乗ってみてそれだけの価値があることを実感しましたよ。この山道でこの距離歩くのは無理。山二つ超えました。ロープウェイの床に風穴が空いていて涼しい風が吹き上がって来るんですが、細かいものを落とさないように注意してくださいと言われました。落としたら絶対拾いに行けそうもありません。途中、空海の坐像が山の上にあるのが見えるんです。山頂のお寺から遊歩道があって片道40分と言われましたけど、すごい登り降りの山道でしょうからそれなりの装備とか心の準備が必要に思えました。さすがに大将も行こうとは言いませんでしたね。ロープウェイを降りて、しばし階段を上ると境内があります。<21番 太龍寺>おかげさまで楽させてもらいましたが、この山に徒歩で登って来る方もいらっしゃるんですね。広い境内には結構多くの人がおられました。カナダ人のグループは歩いて登ってきたみたいです。小耳に挟んだところによるとバンクーバーからとのこと。『You は何しに日本へ』という番組で時々お遍路旅するために来られる外人が登場しますが、日本人より日本の心を持った外人にいつも驚かされます。ロングバケーションの全てをこれにかけてやってこられるんでしょうか。 もし私が先に死んだら大将は遺骨を持ってまた巡礼に来ると行ってました。なんで急にそんなこと言うのかしら。多分大将より私の方が長生きするから実現の可能性は少ないと思いますね。私は一人でこんな怖い山道運転するの無理だから、大将の遺骨持って巡礼なんてしないよ。その頃にはすごいお婆さんになってるだろうし。境内を一渡り歩き、納経所でお札をもらって40分後のロープウェイで戻ってきました。山頂の少し涼しい空気が嘘のように、地上は燃えるような暑さでした。(つづく)
2017/08/03
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<発心の道場>四国八十八ヶ所のうち最初の1番から23番までは阿波(徳島県)にあって、『発心の道場』と呼ばれているそうです。なぜ八十八ケ所巡りをやっているのかとよく聞かれるのですが、私たちの動機は全く威張れるものではなく、たまたま試合会場の近くに一番札所があったというのがそもそもの始まりです。最初の10個くらいは近所に点在するため難なく回れてそのうち楽しくなって、完全にスタンプラリー感覚。12番目の焼山寺でちょっとビビるんですが、もうここまで来たら最後まで行くぞっていう気分になるんです。椿自然園の最寄りの寺は22番の平等寺でした。<22番 平等寺>2017年7月31日(月)、19番からちょっと飛びますがまずはここからスタートしました。『僕たち、いつも試合に行くと階段登ってるよね。』大将の城好き、高いところ大好きのせいでいつも付き合わされていいトレーニングさせてもらってます。最近はリズミカルに階段登って、足音を完璧にシンクロさせられるまでになりましたよ。城や寺ってなんでいつもこう高いところに作るんでしょうね。<23番 薬王寺>ここが徳島最後のお寺になります。みんなここまで来て温泉でも入って、次の遠い室戸岬まで頑張るぞという英気を養うんでしょうね。本堂の奥に進むと階段の上の方に新し目の塔が建っているので行ってみました。瑜祇塔(ゆぎとう)スリッパに履き替え、入館料払って中に入ります。階段を降りて地下に行ったらあまりに真っ暗で焦りました。左の壁伝いに行けとのことでしたが、壁がどこにあるのかも分からないし、目が暗さに慣れるまで大将がどこにいるのかも分からず闇の飲まれた気分。ただでさえ階段登りで汗だくだったのが冷や汗がどっと出て大変な目にあいましたよ。目が慣れて来るとありがたい仏様が安置されてたんですが、さっさと出て来てしまいました。外に出ると海を望むいい風が吹いています。ここはウミガメが卵を産みに来る浜として有名なんだそうです。テレビで見たことあったかな。そういえば今朝見た天気予報でウミガメのゆるキャラが登場してました。(つづく)
2017/08/02
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<吉野川花火大会>今年の四国遠征は真夏です。去年飛行機に乗り遅れた教訓を生かし、余裕を持って家を出ました。マイルを使って購入したチケットは絶対それに乗らないといけなくて、どうも時間変更できないみたいなんです。逆に余裕を持ちすぎたようで空港に着いてから暇で、飛んでから食べる予定だった空弁を飛行機乗る前に羽田で完食してしまいました。2年前に始まった八十八ケ所巡り、そろそろ4分の1を迎え、この旅で徳島県エリアを終了の予定です。徳島阿波おどり空港は気温34度、茹だりそうでした。レンタカーを借りて、その足で巡礼旅スタート。いきなり車一台しか通れないだろうと思われる山道でしたね。センターラインがある道に出ると心底ホッとします。<18番 恩山寺>納経所でスタンプ押してもらってお姿をいただき1200円出したら怪訝な顔をされるので何かまずいことしたかなと思いました。600円と記憶していたのは1冊ではなくて2冊の料金だったんですね。久しぶりなものですいません。(汗)<19番 立江寺>立江寺の方は街中にあって、お寺に向かって歩いていると道沿いのお家の方に声をかけられました。『ハイビスカスの鉢植えをお接待で差し上げているんですけどいかがですか。綺麗な花が咲きますよ。』お気持ちは大変ありがたかったんですが、無事に持って帰れるか自信がなかったので丁寧に辞退させていただきました。ちょっと残念。お寺巡りは2つにとどめて、駅前のホテルにチェックインしたあと辺りを散策に出かけました。ポストの上でも阿波踊り。体育館は踏切渡って徳島駅のすぐ裏にあります。以前ここで試合した時タクシーに乗ろうとして、近距離すぎて断られたのを記憶していました。ちょうど走ってきた電車は徳島の特産品すだちみたいな緑色の徳島線。パンタグラフがないですから、電車じゃなくてエンジン積んだ気動車ですね。あとで調べたら1500系という車両のようでした。10年ぶりのポッポ街はずいぶん様変わりしていて、新しい美容院などが開いている一方、シャッターが閉まった店が目立ちました。駅前のデパ地下で安売りの弁当を買い、涼しいホテルの部屋で眉山に沈む夕日を眺めながら夕食。 すぐ裏の吉野川で花火大会が始まっていました。夜も暑くて出歩く気になれなかったのでテレビ中継を見ながら遅れて聞こえてくるドンドンという打ち上げ音で臨場感を味わいます。花火が終わるとステージに阿波踊りの皆さんが登場して会場中で盛り上がったようです。踊りのメッカ徳島で私たちの踊りはどう評価されるでしょうか。明日は朝から試合です。(つづく)
2017/07/29
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<戸隠神社と野尻湖>戸隠(とがくし)は地名からして忍者が住んでいそうな気配ですが、戸隠神社の創建は2千年以上前で神話に出てくる天の岩戸と関連がある神社なのだそうです。戸隠神社とナビに設定して案内されたのは戸隠山の麓にある中社でした。勝手に忍者の里だと思い込んでいたのですが、お参りした後そこに立っていた案内書をみて歴史の深さを知った次第。折角だから奥社にも行ってみようとナビ設定したんですけど、どこを曲がり間違えたのか『ちびっこ忍者村』に行ってしまったんですね。駐車場で誘導されていた方がおっしゃるには、奥社はここから歩くと片道40分はかかるし車は大渋滞してるからどちらにしても大変だとのこと。かと言って、ちびっこに混じって手裏剣修行も若干抵抗があったので近くの野尻湖に行ってみようということになりました。大将が言うには昔ここでナウマンゾウの化石が発見されてニュースになってたそうなんです。湖は景色もいいだろうしと言うことでナビに『野尻湖』と入れました。これが大間違いの元だったんです。確かに湖は見えたんですが予想してた湖畔のリゾートの気配はなく、左は湖、右は山で、どんどん道は細くなっていくし、助手席で固まっていたらカーブの先にいきなり対向車!思わず身構えましたよ。ナビはどこに連れて行こうとしているんだろうと不安になって来ました。『目的地に到着しました。案内を終了します。』ここどこよ!湖の中にとんがって出っ張っている半島のその先端らしいです。ナビの設定がアバウトすぎたんですよね。もう湖のきわをスリル満点で一周するのは嫌でしたので遠回りでもいいから2車線の道でナウマンゾウ博物館を目指しました。途中で釣りしてる人々とか足こぎボート場とか一応観光客向けのところもあって、大将はワクワクしちゃってる様子だったんですが無視。試合の翌日に足こぎボートなんて勘弁して欲しいですよ。そうしてようやくたどり着いた野尻湖ナウマンゾウ博物館。小学生くらいの子供を連れた家族が多く訪れていましたね。受付で黒姫童話館と小林一茶記念館も割引料金で回れる2館/3館セットを勧められて、思わず2館セット購入。足こぎボートよりは涼しいし、実のところあんまり興味ないけどナウマンゾウの展示見て来ました。こんなでっかい象が住んでたのかと言うのもびっくりですが、旧石器時代の人たちが食料にしてたと言うのも正直びっくり。硬くて食べにくかったんじゃないでしょうか。特別展として野尻湖遺跡群から出土した黒曜石の石器も展示されてました。黒曜石は黒いガラスのような見た目で、その産地は世界的にも限られているんです。岩石の種類でいうと火山岩の一種の流紋岩。割ると鋭い断面になるので石器時代には武器として使われていました。大好きだったRPGでも黒曜石製の武具はグレードの高いものでしたね。野尻湖の辺りではとれない石で、80キロほど離れた諏訪湖のあたりから運ばれて来たと考えられているようです。2016年に日本地質学会が定めた各都道府県の『県の石』で、長野県の県の石は黒曜石、県の化石はナウマンゾウなんですよ。県の石、ご興味ある方はこちらから。(つづく)
2017/07/23
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<贅沢な休日>朝6時、爽やかに目覚めました。いつもなら目覚まし時計に叩き起こされ、首回りが汗だくで気持ちが悪いのに避暑地の朝は快適です。布団が良かったのか、腰も痛くないじゃないですか。大将を起こして一緒に露天風呂に行きました。洗い場から混浴エリアへと通じていて、女子はポンチョを着て入れるようになっています。男子はタオルのみ。幸い他の宿泊客が入ってこなかったので私たちの貸切状態になりました。うっすらと曇っていたので日焼けを気にすることなく、木々の緑を愛でながら露天風呂で手足を伸ばします。なんという贅沢な休日だろうと思いました。紛争や自然災害で大変な思いをされている多くの方がいらっしゃる一方で、何のストレスもない朝を温泉に浸かりながら開放的な気分で迎えられる幸せ。朝風呂から部屋に戻り、干し散らかしていたドレスなどを片付けて食事処に向かいました。昨晩あんなにたくさん食べたのにしっかりお腹が空いて、仲居さんに呼ばれる前にこっちから出向いて行ってしまったんです。朝食は昨日とは違う個室で、やはり畳にテーブルと椅子の和モダンなお部屋でした。『うちの朝昼晩ご飯がいっぺんにでてきたみたい。』豪華な朝食に、思わず貧乏くさい本音を漏らしてしまいました。大将は冬瓜のお味噌汁とご飯をお代わりしてゆっくりと朝食を楽しみます。この旅館は私たちがいつも遠征で泊まるようなビジネスホテルに比べると料金が10倍くらい違うんです。でもたまにはこんな贅沢な旅もいいもんだなあとしみじみ思いましたよ。海外もいいけど日本だってまだ行ってみたいところたくさんあります。10時チェックアウトの時に、記念の写真を入り口で撮ってすぐにプリントアウトしてくれました。お土産にと言って頂いたもろみはとっても美味しくて、さすが味噌で有名な信州だけあるという感じです。志賀高原ビール飲むためだけに高いけどやむなく泊まることにした旅館でしたけど、たとえビールがなくてもまた来たい場所になりました。(つづく)
2017/07/22
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<練習しないで善光寺参り>2015年秋にお参りして以来の善光寺。いつも夜の参拝ですが、今回多分初めて昼の間にお参りすることができました。長野駅前の電光掲示板が示す気温は31度。暑いですが標高が高いせいか少し爽やかな気がしました。3連休初日でキャリーバックを引く旅行客の姿を多く見かけます。明るいうちに参道を歩くと今まで気付かなかったいろんな発見があるものです。夜来ると閉まっているおしゃれなお店がいっぱい。150円で市内を循環するバスもありました。早速目についたアップルソフト、いただいちゃいましたよ。レトロな郵便局も発見。七夕飾りの商店街も。お参りを済ませ今まで行ったことのなかった本堂の裏手に回ってみました。紫陽花がたくさん咲いてて綺麗です。あまり雨が降らないけど、そういえばまだ梅雨だった。それほど信心深いわけではないのですが、最初に長野の試合に来た時に金縛りにあって、きっと善光寺さんにお参りに行かなかったせいだとか勝手に思い込み、それからは長野に来るたび必ずお参りに行くことにしています。ところで今回の長野遠征、ホテルやレンタカーは抑えたものの、肝心の電車を予約し忘れていて、ギリギリになって焦りましたね。3連休ですから新幹線も予約でいっぱいなんです。でも運良く憧れのかがやきに乗れましたよ。上野から長野まで2駅で超速いです。お弁当食べてるうちに着いたと言う感じです。同じ日に長野市でマラソン大会もあるようで、善光寺の参道で明日の試合に向けて調整のために走ってる選手も多く見かけました。自分たちも参道ぶらぶらしてないで体育館に練習に行った方が良かったんですけどね。ルーチン怪しいのあるし。長寿国長野の健康フードでエネルギーチャージだけはしっかりして、ビールは控えめに明日に備えました。(つづく)
2017/07/15
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<前夜祭>上野駅20番ホームに発車ベルが鳴り響いていました。『もっと速く走れーっ!!』前を走っていた大将が撮り鉄青年に阻まれてモタモタしていたので思わず叫んでしまいました。喉元過ぎれば人間熱さを忘れると申しますが、私たちってほんとバカです。山形新幹線つばさ、長いホームの奥の方に停まっているので一番手前の車両に飛び乗るのが精一杯でした。ただでさえ暑い梅雨の晴れ間の土曜日、こうして10時54分上野発の新幹線に限りなくギリギリで間に合った私たちは一路山形に向かいます。なんでこんな羽目になったのかというと、乗り継ぎの電車を逃したからです。ラテン・スタンダード両方とパーティ用の正装などもあり荷物が多くてエレベータまでホームを歩いて時間食ったんでしょう。のんびり弁当選んでたのもまずかった。これがその弁当。県代表になると交通費が支給されるのですが電車で行くと赤字なので他の皆さんは車で乗り合わせて来られたようでした。私たちは電車大好きだし、運転疲れるから多少足が出ても電車です。(ビールも飲めるし)途中駅にいた米沢牛。1時半に山形駅に着き、まだチェックイン時間前でしたのでホテルに荷物を預けて市内の100円循環バスに乗って山形美術館に行きました。車で来られた皆さんは途中、今が旬のさくらんぼ狩りを楽しまれた様子。夜6時から山形国際ホテルで前夜祭が開催されました。今年は13県参加というJBDFの第41回東日本県別対抗戦。トップクラスのダンサーですからスタイルも抜群な方が多くて皆さん正装でバッチリ決めておられます。ホストの山形県の心使いで各テーブルに山盛りのさくらんぼが振舞われました。役員や来賓のご挨拶に続き各県代表選手が順番にステージに上がり自己紹介をします。先日日本インターのアマラテンで優勝された千葉県代表選手はじめ強豪ぞろいです。組み合わせ抽選会を終え、コース料理でもうお腹いっぱい。さらにそのあと茨城県チームで2次会へ。引率の先生方のおごりで焼き鳥にビールでした。前夜祭の時は飲まずに我慢していたんですが、やっぱりここに来て『生中!』頼んでしまいましたね。先生方にダンス会のここには書けないようないろんな話を聞かせていただきました。私たちが初めて参加した6年前の時は関東甲信越だけの戦いだったので勘違いしていたのですが、それはたまたま連盟の事情で数年間そうだった時期で、41年前の第1回大会は1都15県が参加した東日本全体の対抗戦だったようです。私たちを含め3組でラテンとスタンダード両方を担当するチームメンバーとはこの日初対面でした。2組とも20代で、去年の岩手大会も代表として参加されたとのことで心強い限りです。話は尽きませんでしたがお店が比較的早く閉まったので11時には部屋に戻りました。(つづく)
2017/06/24
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<別府温泉>山の中腹からモクモクと白い湯けむりが上がる、別府は温泉で有名な町です。12年前この地を初めて訪れた時、地獄めぐりなどある程度観光しましたので今回は試合に出るだけの旅でした。試合が終わってから飛行機の時間まで少しだけ余裕があったので、駅の近くの立ち寄り湯に入ってみることにしたんです。あつ湯とぬる湯があって、どちらも200円で入れます。あつ湯はつかるだけとのことだったので、競技仕様の髪や黒塗りの顔を洗うためにぬる湯に入りました。バスの時間に間に合わせるために30分で上がってこいと言われ、大慌てで急な石段を降り洗い場へ。シャワーが2個しかなかったのですが幸い1個空いてて、コンビニで買ってきたシャンプー&コンディショナーに加え入り口で買った20円石鹸でガーっと洗いました。もう一つのシャワーを使っていたのは小さな三姉妹を連れたお母さんです。隣の男湯で大将がでっかい咳をしてそれが天井にこだまし、2歳くらいの一番小さい子が大泣き。雷かと思ったんでしょうかね。10分で洗って15秒お湯に浸かり、立ち寄り湯体験終了。受付でドライヤー借りて身だしなみを整えちょうど出ようとした頃、私たちと入れ替わりにPDの選手たちが入って来られました。さすが温泉の町、駅前に手湯というのがありましたね。足湯はよく聞きますけど、手湯っていうのは初めて見ました。試合前日に泊まったのは駅と体育館の中間にある新ほり井という旅館でした。女将がおっしゃるには宿泊中の皆さん大分トリニータの試合観戦で来られているお客さんだとか。8部屋だけの小さな旅館なんですが、源泉掛け流しの家族風呂があって朝食も美味しくとてもいい宿でした。エレベータがないので大きなスーツケースの方には不向きかもしれません。駅周辺に立ち寄り湯はたくさんあるのですが、たいていの立ち寄り湯はつかるだけで洗い場がありません。試合の後に洗い流したいとかちょっと個室で休憩したいとかいう方には私たちの入った駅前町高等温泉がオススメです。泊まった宿の女将に教えてもらいました。1100円で個室が借りられますし、シャンプーとか石鹸とかタオルとかは受付で購入できます。ドライヤーは10円で借りられました。自分のドライヤー使っても10円は払うみたいです。折角ですからいろんな立ち寄り湯に入ってみたかったですね。試合後ほとんどの選手は体育館の更衣室のシャワーで済まされたようでしたので、立ち寄れただけでもちょっとラッキーでした。
2017/04/17
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<九州に行くのだ!>風に乗った桜の花びらが雪のように舞って、ベランダに積もっていました。そろそろ花見も終りですね。天気予報では5月中旬の陽気と言っていましたが、実際半袖でも過ごせるような暖かさでした。11時すぎくらいに家を出て、九州に向かいます。ANA共同運行便のソラシドエアー。バラの香りのハーブティーがおいしかったです。同じ飛行機に髪上げをバッチリ決めたグランプリ出場者が何組もいらっしゃいましたよ。明日はJDSFメイン競技の一つ、ダンススポーツグランプリ in 大分です。大分に到着したのは4時半ごろ。空港バスで高速道路を飛ばし、海のそばを通って約1時間。別府駅に向かいます。ホテルに荷物を置いて大会会場の下見に出かけました。ひょっとして練習できたりしないかななんて思って。先週の神奈川選手権の様子を撮っていただいたビデオを見て、このままではダメだと自分たちでルーチン大改造したんです。ルーチン自体は悪くないんですけど完成度が低すぎて見劣りするんですね。ところが練習時間が全然足りなくて間違えそうで不安いっぱい。こちらが会場のべっぷアリーナ。会場の設営に多くの方が来られていましたが練習は無理そう。ドレス屋さんも明日に備えてセットアップされてました。仕方ないから部屋でルーチン確認するかな。でも部屋、畳なんですよね。もう開き直って地ビール飲みに出かけました。いいのかよ!なんとかなるよ。(つづく)
2017/04/15
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『それでは天気の移り変わりをご覧ください。』日本地図の上を雨雲が流れていきます。この週末、関東地方は雨の予報でした。ところが山梨県の上だけ雨雲の流れが白く変わっているんです。そこだけ雪?『山沿いは雪になる可能性が...。』明日は朝から山梨で試合。何度か行ったことがある体育館なので、今回は甲府駅の一つ手前の石和温泉(いさわおんせん)からレンタカーで行く予定でした。タイヤが雪仕様になっているか慌てて電話して確認。京都の大会で送迎バスにチェーンが装着されてなくて大変だったことが頭をよぎりました。雪が降るとチェーン規制や電車の遅延が予想されます。3時過ぎの電車で東京に向かい、JR特急かいじで石和温泉駅へ。東京は桜の開花宣言がすでに発表されましたが、中央線沿いの桜の枝にはまだ花が咲いている気配はありません。青梅のあたりは線路沿いに梅の木がたくさんあって、そちらが今は満開で綺麗でした。職場の人にもらったジャズをiPotで聞きながら2時間弱で石和温泉に到着。駅前に足湯があります。今日は曇り、まだ雪は降っていませんでした。大将が予約してくれたホテルは駅から少し離れていて格安とのこと、近くにスーパー銭湯もあると言っていました。駅前で食事をしたあと車を借りて行ってみると、外観は明らかに昔ラブホだったところを改装したホテルでした。回転ベッドがあったりはしない普通のビジネスホテルです。コーヒー飲み放題、なんとソフトクリーム一人一個サービス。私は桃、大将は巨峰のソフトをもらったんです。このソフトがね、激ウマだったんですよ。お水もペットボトル1本ずつ無料でした。近所のスーパー銭湯は市内の人は安く入れるようで、県外からと言うと520円でした。夕方5時以降は割引だそうです。とても綺麗なお風呂で、打たせ湯とかジャグジーとかミストサウナ、塩サウナ、露天、いろいろ揃ってます。とてもリラックスできて快適でした。雨が降ってきましたが雪ではありません。ホテルに帰り、テレビでやってた怪盗グルーを見ながら最後まで見る前に寝てしまいました。
2017/03/25
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<乗るか反るか>準決勝の結果が出たのが18時頃でした。プログラムの進行が15分ほど予定より早まっていたので、本来なら準決勝進出の段階で新幹線に間に合わない想定でしたがひょっとすると間に合うかも。帰りの新幹線の時間設定はいつも悩みのタネなんです。早めに席を抑えないと予約で埋まってしまうのでタイムテーブルが発表される前にだいたい指定席券を購入することになるというのと、自分達が試合でどの辺まで残れるかというのとの兼ね合いで時間設定が難しいんですね。当然決勝まで踊る想定で大将は結構遅めの新幹線に席を予約してくれたんですが、それでもギリギリでした。18時40分発のシャトルバスを待っていると電車の時間に間に合わない可能性があったのでタクシーを呼ぶことにしたんです。体育館の掲示板に貼ってあったタウシー会社の電話番号に上から順番に電話をかけて行きました。ところが雪の影響か、どのタクシー会社も話し中で、やっと繋がった会社には配車出来ないと断られてしまいました。シャトルバスを用意して下さった大会事務局の方に感謝ですよ。時間ギリギリでもまだ間に合う可能性がありましたから。雪は一日中降ったり止んだりで、時々日が射したりしたので道路の雪はジャーベット状になっていました。あたりはすでに真っ暗で、小雪ちらつく中バスを待つことに。トトロでも出そう。マイクロバスはみんなの大きな荷物がかさ張ってそれほどの人数が乗れないんです。でも審判の方々が乗る席が予約席として用意されていて、その皆さんが来られるまでの間に更に乗車希望者が続々と詰め込まれて行き出発がますます遅くなって行きます。シャトルバスは1台なのでこれを逃すと次随分あとになりますから乗れるだけ乗った方がいいですもんね。運転手さんが頑張って下さったお陰で予定時間より早く駅に着いて、更にラッキーだったのは雪で遅延していた一つ前の京都線に乗れたんです。スリル満点でしたが、新幹線は満席でしたから予定のに乗れてなかったら立ちっぱなしで東京まで行く羽目になってたかも。そう言う意味では準決勝で敗退して良かったかな。弁当も買えたし。昼ご飯はお稲荷さん1個とバナナだけで31曲フルパワーで踊ってますからお腹ぺこぺこだったんです。新幹線は雪のために徐行を続け、東京駅到着は30分遅れでしたが爆睡だったので全く気になりませんでした。茨城は相変わらずカラカラで京都に比べるとまるで別世界。家に着いたのはほぼ真夜中でした。大雪のニュースでテレビに映る京都を見ながら無事の帰還を祝って小さく乾杯しました。(おわり)
2017/01/18
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<大寒波襲来>何年に一度だか、何十年に一度だかの大寒波が日本列島を凍らせました。大学入試センター試験にピンポイントで合わせる様に日本海側各地では大雪に見舞われています。私は子供のころから雪がトラウマになっていて、大人になった今でも雪が苦手なので降ったら極力出歩かないし、ましてや雪の降っている場所にわざわざ出向くことなど決してしませんでした。友達に何度誘われてもスキーやスノボは行ったことがありません。そんな私がこの週末は牛に引かれて善光寺ならぬ、大将に引かれて雪の京都へ。試練でした..。昨年ゴールデンウィークに京都で開催されたシニア I の10ダンス選手権が、今年は1月早々に宇治の大会と併設されるということで、久しぶりの京都の旅を楽しみにしていたんです。ところがこれに合わせたような大寒波。センター試験の受験生もお気の毒ですけど、年始恒例・京都女子駅伝も相当気の毒でしたね。☆大雪応援!緊急値下げ!☆送料無料14時までの注文で即日発送!ダンロップドルマンメンズ防寒ブーツ履き口ボア【304】【撥水】【DUNLOP】【ファー】【バイク】【ビーンブーツ】【スノーブーツ】【雪まつり】一部地域を除き送料無料外に洗濯物を干すと凍りそうなほど寒い朝。関東地方は乾いた晴天が続いていました。週末は何にもなければ昼まで寝てる大将を10時頃に起こして、窓から見える眩しいほどの青空を眺めながら『なんでわざわざ雪国へ?』と自問自答していた私。DCBのパーティの方がよかったんじゃないの?寝間着のままゆるゆる支度を始めた大将が出発間際になってまた寝ぼけたことを言い出しました。『エンビのボタンがないみたいなんだけど着けてくれない?』ズボンのサスペンダー留めるボタン、前後左右で各2個ずつ全部で8個のボタンで吊ってるんですが、全部のボタンが今にもちぎれそうになっていて、しかも一つ消失。先週末の試合で踊ってる間にズボン落ちなくて良かったですよ。3時半頃の新幹線に乗り込んで東京駅を出発しました。名古屋くらいからでしたね。ちらちら白いものが空から舞い降りて来て、新幹線は徐行運転開始。米原のあたりはもう一面真っ白で、新幹線の窓に電線から落ちて来る雪が時々ブシャッと降り掛かります。定刻より30分遅れで京都駅に到着しました。『ここは冷凍庫ですか?』くらい寒くてカラカラの関東とは別世界でしたね。駅に直結したホテルにチェックインした段階でもう外には出たくない気持ち100%でした。だって雪がしんしんと降ってるんですもの。もう10センチくらい積もってましたよ。京都出身の大将が駅から歩いて1分のところに美味しい店があるとか何とかいってましたけど全く聞く耳持たず、今から考えるとちょっと残念な気もしますが、駅レストラン街のラーメン屋で夜ご飯を食べました。(つづく)
2017/01/14
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<バスク>美食の文化で知られるバスク地方で最も人口の多い都市がビルバオです。ホテルの朝食でバラエティ豊富な菓子パンと塩加減が絶妙な生ハムには感動しましたが、それ以外で美食の街を堪能する機会に恵まれませんでした。最終日の2016年11月26日月曜日、少しだけでも街を観光しようと午前中2時間ほど街を散策しました。街を走るBilboBus(ビルボバス)と黄色い郵便ポスト。ビルバオはバスク語でBilboと言うそうです。ビルボバスと言う響きがどっかで聞いたことあるなと思ったら、指輪物語りの主人公ビルボ・バギンスに似てたんですね。歩道に並ぶオブジェはスペインを代表する画家ベラスケスの傑作『ラス・メニーナス』でしょうか。街中にいくつも教会らしきかっこいい建物があるんですが時間がないので外観だけ見学。ネルビオン川にやってきました。この川にかかるスビスリ橋は観光スポットの一つだそうで、横から見ると正規分布グラフのようなんですが渡ろうとすると凄くうねってる形が独特です。川の対岸を戻るように歩いて行くとグッゲンハイム美術館があります。この街を代表する近代美術館で、遠景は傾いた船の様でもあり、近付くと現代的なスフィンクスの様でもありました。橋の下にもきれいな絵が描かれているんですね。美術館は月曜休館なので中には入れませんでしたが、建物だけでも見応えがあります。昨夜、試合の後に皆で食事に来たあたり、公園の中央には巨大なツリーがありました。余談ですがスペインでビンボーといったらどのスーパーでよく見かける食パンメーカーです。スペインだけじゃなく、世界的な大手みたいですね。日本であまり見かけないのは『貧乏』とかぶるからかしら。12時にホテルをチェックアウトして空港に向かいました。帰りはルフトハンザではないのでストライキ関係なく家路に着けます。頂いたトロフィー、ジャージでぐるぐる巻きにしてトランクに入れようと言ったんですが大将がどうしても手持ちで機内に持ち込むと聞かないんです。案の定、手荷物検査で『開けろ。』と言われて係員の方々にお披露目する羽目に。手荷物検査所空いてたもんで係員の方々ヒマだったんでしょうね。落っことすふりしたり、殴るふりしたり、トロフィーに書かれたプレート眺めたり。スペイン語だから何が書いてあるか分かってもらえたと思いますが。1時間遅れで飛行機はドイツに向けて飛び立ちます。周り全部ドイツの選手たちで、隣の席にシニア3ラテンで一緒に戦って3位だったドイツカップルが、前の席にはシニア1世界選手権ラテンで5位だったカップルが乗ってました。ドイツの国内大会でもシニア3ラテンが来年から始まるそうです。『ドイツのシニア3ラテンはレベル高いわよ。WDSFでも公認競技になるといいんだけどね。』日本のシニア3ラテンだってレベル高いですよ。うちなんて決勝にも入れないくらい。いろいろありましたけど終わり良ければすべて良し。雲を超えればいつでも晴れです。(おわり)
2016/12/02
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<クリスマスマーケット>夕暮れ時が迫っていました。ゲーテハウスを出て駅前にもどると、聖カタリーナ教会のまわりに出店が並んでいるのが見えました。色とりどりの電飾に彩られた店が軒を連ねクリスマス飾りや甘いお菓子が売られています。揚げたジャガイモがいい香り。メリーゴーランドが回っています。立ち飲みでジョッキを上げる人たちも週末の夜を楽しんでいる様子。テレビで何度か見たことはありましたが実際に見るのは初めて。ドイツのこの時期限定の風物詩、クリスマスマーケットです。『日本の夜店みたいだね。』うきうきしながらマイン川の方に向かって歩いて行くともっと凄い広場に遭遇しました。ステージでそろいの衣装来た男性たちが聖歌歌ってたり、巨大なツリーがあったり。ルフトハンザのストライキがなかったら絶対来てない場所です。世界選手権に出られなかったのは残念でしたけど、逆に凄い経験が出来て嬉しくなってしまいました。 更に川に向かって歩いて行くと、若い頃ゲーテが好んで散歩したという鉄の橋がありました。橋から眺めるマイン川の夜景です。シルン美術館のあたりは工事中でしたがたくさんの若者が集まって週末の夜を楽しんでいました。こちらがその裏にある大聖堂。ゲーテは正午の鐘の音と共に生まれたと言われていますが、この辺教会がたくさんありますから全部が鳴ると相当な迫力でしょうね。ドーム駅から地下鉄に乗って、Sバーンに乗り継ぎランゲンに戻って来ました。夕食代はルフトハンザが出してくれてホテルで食べられることになっていたのでクリスマスマーケットでビール飲んだりジャガイモ食べたりしなかったんです。 ところが駅を降りてなんとなく様子が違う気配がしました。大将はこんな景色見た事無いと言うし、出口間違えただけかもと東口と西口を行ったり来たり。歩いてたカップルに聞いてみました。『パナソニックはどっちの出口?』ホテルの目の前にでっかいパナソニックの工場があったので、ホテルよりこっちのが知ってる人多いんじゃないかと思いました。こっちで合ってると言われて歩き出したんですが方向が定まらないので駅前のピザ屋に入って青年にまた聞きます。今度はホテルもパナソニックも知らないと言われてしまいました。次は犬の散歩のおじさん。『シュタインベルガーホテル?結構遠いよ。ずっと道沿いに歩いてサークルになってる道に出たらそこを右。10分くらいはあると思うよ。』来るときは駅から3分くらいだったのに何でこんなに遠いのか私にはサッパリ理解出来ませんでしたが、ウロウロしてるうちに遠回りしてしまったのかもと思い言われた通りに暗い道を歩いて行きました。この辺りは日本企業が多いんです。富士通、ニコン、パナソニック。 いつもならネットで一発で調べられるんですが、Wi-Fiがスペイン仕様なのでドイツで使えないんですよ。10分どころか足が棒になるくらい夜道を歩いてようやくホテルにたどり着きました。部屋に帰って大将が調べたところによると、私たちは寝過ごして一つ先の駅で降りたらしいんです。ホテルの最寄り駅は『Langen-Flugsicherung』。間違えて降りたのは『Langen(Hess)』。幸い駅の間隔がそれほど離れていなかったので歩けましたけど今日は朝から何やってるんでしょうね。時差ぼけのせいでしょうか。それとも天然ボケ?毎日できちゃうボケ防止ほらほらあれ [ 大友英一 ]ルフトハンザのストでドイツに足止めされていたもう一組のカップルは無事にビルバオに到着したというメールが届きました。ただ、荷物がどこかでロストして届かなかったらしいんです。明日の試合に必要なドレスと靴は手持ちだったのでセーフでしたが、化粧道具とかは間に合わないので現地調達。こっちも地味に大変だったけど、あっちも大変そう。(つづく)
2016/11/29
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<ゲーテハウス>ヨーロッパの駅は改札口がないところがほとんどで電車に乗るとき切符買わなくてもいいんじゃないかと思うことがあります。でもたまに検札に回って来て、その時切符持ってないと10倍返しとか面倒なことになるらしいんです。25日15時21分のS3でランゲンからフランクフルトの中心街ハウプトヴァッヘに向かう途中、その検札が回って来ました。ラグビー選手のような屈強な2人組の若い男性で、逃げようとしても絶対無理な予感。切符にはいろんな種類があるようで女子高生5人組みがグループ券というのを持ってましたし、定期券のようなものを見せている人もいました。私たちも一日乗り放題券を持っていたのでOKです。路線図は分かりやすく地上を走っているSバーン、地下鉄Uバーンを使えば市内のだいたいどこへでも行けるようです。ゲーテハウスは駅から歩いて3分ほどのところにあります。建て増しされて凄く外観が変わっているのに驚きましたね。中学生の時にゲーテ格言集を読んでからゲーテが私の心の師でして、大学合格のお祝いに何でも買って上げると言われてゲーテ全集買ってもらったくらいファンなんです。ゲーテは1749年8月28日にフランクフルト中心部にある4階建ての裕福な家で生まれました。戦争で爆撃を受けたあと復元されて、初めてここを訪れた27年前、もっと家そのものがむき出しな感じで受付も玄関脇にあったんです。 はっきり覚えているのはドイツに着いてすぐにここに来たこと。『薬飲みたいんですけど水を一杯もらえませんか。』受け付けのおばさんにお願いしたらその時初めて見るガス入りの水を渡されて、それで粉薬飲んでホッペがリスみたいにパンパンになった情けない思い出。今は立派な売店になっていて気軽に水をもらえる雰囲気ではありませんでした。このキッチンは覚えてました。熟読した地球の歩き方に写真が載ってたと思います。机も覚えてました。大切な調度品は爆撃の前に郊外に避難していたようです。彼の初期の作品『若きウェルテルの悩み』やライフワークとなった『ファウスト』もこの机で書かれたというインクの黒いあとがボタボタに着いている机。アルプスの少女ハイジがクララと共に過ごしたフランクフルトの家はここがモデルになってるそうですね。こんな机でハイジも勉強してたのかしら?時計は覚えてなかったんですが、驚くべきことに2016年11月25日という今日の日付を表示しているんですよ。250年前から時を刻み続けている時計なんてあるんですね。講義が出来そうなホールやゲーテが生きた当時の絵画を集めたギャラリーなんて昔はなかったです。お父さんの書斎の本棚にもガラスケースは着いてなかった気がします。戦後復元されたゲーテハウスは床が木なので歩く度にギシギシ言いますが、日本のお城を見学するときの様なそこに息づいていた人たちの気配を感じる家です。焼け残った壁の一部はそのままの形で保存されていました。 売店でお土産にゲーテのシルエットがプリントされたショッピングバッグを買ったんです。真面目そうな顔で袋に入れるために折り畳んでいた売店のおじさんが、一枚二枚と数え始めます。数えなくたって3枚しか買ってないしと思ったら、折った状態で数えるので四枚五枚六枚。私が目をまん丸くしてるとニヤリと笑って『六枚ですね。』と言います。このギャグ、毎回やってるのかな。私はイジラレキャラじゃないはずなんですが…。(つづく)
2016/11/28
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<シュタインベルガー>昨日と同じ轍を踏まないために早めにホテルをチェックアウトし空港に向かうことにします。ホテルのロビーにはきれいなクリスマスツリーが出来上がっていました。こちらホテルから見えるフランクフルト中央駅。大将は先に空港カウンターの列に並んでおいて欠航に備えようとしていたようですが、通常にチェックインするだけなら列に並ぶ必要はなく空いてるマシンで出来ます。空港カウンターの入り口にいた係員に『マシンに行け。』と追い返されてしまいました。黒ひげ危機一髪の首が飛ぶ瞬間を待つような気持ちで出発23時間前をカウントダウン待ちし、明日の便が欠航に変わっていないことを確認してマシンで搭乗券ゲット!ようやくスペインへの道が見えて来ました。25日金曜日午前11時。昨日ほどの混乱はないとはいえ、この日もストライキは続いていてアメリカに向かう飛行機の何便かが欠航になっていました。昨日カウンターで聞いた通り、私たちはホテルの送迎バスを5番ゲートで待つことにしました。どんなバスなのか、何時に来るのか空港職員も知らなかったので、たまにやって来るバスに書かれたホテルの名前を見ながら待つこと1時間。『1時間に1本かもよ。』空港の中の入り口近くに座ってガラス越しに外を見て待っていた私に対し、大将は寒そうな恰好でずっと外を行ったり来たりしていました。さすがに何か変だと思いはじめて宿泊予定のシュタインベルガーホテルに電話をかけてみると、20分おきに空港バスが行ってると言われます。ただ5番ゲートではなく、4番ゲート前だとのこと。急いでそっちに行ってみたんですが、4番も5番もそう変わらないんですね。『ひょっとして階が違う?』大将に荷物を見ておいてもらって下の階に行ったら大型の長距離バス発着所があって、『ホテルバス↑』と書かれたプレートが。『やっぱりホテルバスは上みたいだったよ。』更に20分待っても目的のホテルバスが来ないのでついにしびれを切らした大将が、自ら探索に向かいました。しばらくして戻って来た彼は『僕らはどうしてこんなにアホなんだ』と荷物を持って歩き出します。『ホテルのお迎えは到着ロビーに来るに決まってるじゃないか。』あー、そうか。私たちが待っていたのは出発ロビーでした。出発する人を送るためにたまに小型のホテルバスが来てただけだったんですね。『ホテルバス↑』の矢印は『上』という意味ではなく『直進』という意味だったんです。『こんなことやってたら海外で生きて行けないな。』大将はかなり自虐的になってました。シュタインベルガーホテル行きのバスは大型で、すぐ分かる様な代物でした。発車して10分ほどでバスが停まりゾロゾロとみんな降りて行くのにつられて私たちも降りてしまったんですが、これがまたホテルじゃないバス停だったんですよ。貿易センタービルみたいな感じのオフィッスビルです。自分らのアホさ加減に泣きそうでした。私は20分後の次のバスを待とうと言ったんですが、大将は『もう歩いて行く!』と言ってバスが走り去った方向に一人で行ってしまいました。空港の周りなんて人が歩けないような車両専用道路が縦横無尽に走ってますから大きな荷物持っていったいどのくらい歩くつもりなのか、きっとそのうち戻って来るに違いないとロビーのソファで待つことにします。戻って来なくても次のバスに乗れば先に行ってホテルで彼の到着を待てますしね。ほどなく大将が戻って来たんですが、なんでついて来ないんだとプンプンです。すぐそこなら先にチェックインしてくればいいのにと思いましたが、相変わらずでっかい荷物持ってるところを見るとそれほど近くもなかったのかな。彼がすぐそこだと言い張るので着いて行くことにしたんですが、本当にビルの角曲がったらすぐでした。ご機嫌になるほどゴージャスなホテルです。ルフトハンザは太っ腹だなと二人とも一気に元気になって、昨日もらったチケットをフロントに出すと非常に丁寧にこう言われました。『お客様、これは当ホテルではございません。』シュタインベルガーホテルではなく、シュタインベルガーランゲンホテルだったんですよ。『一度空港にお戻りになり、ランゲン行きの小型バスにお乗り下さい。』よく見なかったのが悪いんですが、そんな似たような名前のホテルがいくつもあるとは思ってなかったんですよね。空港カウンターの方が『いいホテルですよ。』って言ってたし、普通は空港に近いホテルだと思うじゃないですか。 またバスに乗って空港に踊り、ランゲン行きのバスを探しました。なんとすぐ前に停まってたんです。こちらは1時間に1本しか来ないようですのでラッキーでした。『シュタインベルガーはこのバスじゃないよ。あっちの大きい方のバス。』陽気な運転手は言います。『スタインベルガーに行ったら、ランゲンの方だって言われた。』というと笑って荷物を後ろに乗せてくれました。シュタインベルガーランゲンホテル、リゾートホテルらしいんですが空港からえらく遠いんですよ。周りに全然高い建物がない郊外の住宅地に向かって30分くらいアウトバーン走り、その間ずっと運転手さんは大声で彼女に言い訳っぽい電話してるし、大丈夫なのかなと思いましたね。確かにいいホテルだったんですよ。ゴージャスじゃないけど。そんなこんなのアホやってるうちに3時くらいになってしまいます。歩いて3分くらいのところに駅があるようでしたので、少しは観光しようと電車に乗って街に出ることにしました。(つづく)
2016/11/27
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<試された夢の大きさ>フランクフルトの空港カウンターでいつ果てるともない長蛇の列に並びながら飛行機以外の可能性を考えていました。例えばレンタカーでビルバオに行くケース。アウトバーンをぶっ飛ばしてフランス横断、ピレネー山脈を超えて一体どのくらい時間がかかるのか。1500キロありますからね。不眠不休で時速100キロで跳ばしても15時間です。そんな耐久レースまがいのことをダンスの世界選手権の前日にしないでしょう。そもそも国際免許、必要ないと思って持って来てないし。電車の場合は乗り継ぎ時間があるのでもっと時間がかかって、約21時間。日本からドイツに飛行機で12時間乗ってるのもかなりキツいのにその倍の時間を電車で過ごすというのは相当体力消耗すると思いますね。いくら電車好きとはいってもそこまでしたくないです。1時間経っても2mも進まない列はまだこの先カウンターに到達するまで何時間もかかりそうでした。そこへ航空会社のちょっと偉そうな方が現れて空いているビジネスクラスのカウンターに誘導してくれたんです。ちょっとラッキーだったけどこんなところで運を使っていいのか?対応してくれたカウンターの女性はどう検索しても出て来ないビルバオへのルートを周囲の係員も巻き込んで探してくれましたが、明日中に到着する便は見つかりませんでした。どこか裏方の秘密検索部隊にも電話して問い合わせてもらったんですがそれでもダメで、もう1泊して明後日の便を待つしかないと残念そうに首を振ります。明後日は世界選手権の日で、しかも試合開始は朝8時半。その日に着いたのではどうあがいても試合に間に合いません。私たちは顔をこわばらせたままカウンターを離れ何か策はないかボンヤリした頭をフル回転させていました。考えられる方法はバスか電車。空港にある旅行会社に相談してみることにしたんです。対応してくれたのはロード・オブ・ザ・リングのエルフ族のようなブロンドストレートヘアーが眩しい女性でした。フランクフルトからバルセロナかマドリードに飛んで、そこから電車を使うか、トゥールーズ(フランス)からバスを使うというルートを紹介してくれました。どちらも航空券だけで400ユーロ(多分一人で)かかる上、この旅行会社は飛行機専門なのでその先の電車とバスは自分で予約してもらう必要があるとのこと。つまり航空券をキャンセルしたとしても何万円も更に出費がかさむ上、時間もかかるしリーズナブルではないと言われました。それでもどうしても行きたいならまず電車の接続を調べて、ルフトハンザのカウンターでバルセロナやマドリードに行き先を変更してもらえるか聞くのがいいのではと提案してくれたので、わらをもつかむ気持ちでそうすることにします。バルセロナからの電車もマドリードからの電車も、朝8時頃と午後3時頃の1日2本ビルバオに行っていました。どちらも5-6時間かかりますが、まだ席の余裕はあるようです。またルフトハンザの空港カウンターに並び順番を待ちます。人が変わればひょっとして状況変わるかもとまずビルバオへのルートをもう一度検索してもらいました。残念そうにモニター画面をこっちに向け10個くらいあるビルバオルートが全て予約で埋まっていることを見せてくれました。次に電車に乗り継ぐ可能性ですが、もうバルセロナまでの飛行機もマドリードまでの飛行機もすべて予約で一杯で、キャンセル待ちのリストに載せてもいいけど多分キャンセルは出ないだろうと言い渡されます。事情を説明するとカウンターの女性はとても親身になって下さってつながり難い空港のWi-Fiではなく個人携帯でトゥールーズからバスと言う手があると探して下さったんですが、残念ながらトゥールーズに向かう飛行機は明日も欠航が決まっていました。私たちがどのくらいその試合にかけているのかを天に試されているのだろうと思いました。10年以上ずっとこの日を目指して毎年グランプリに出続け、今年突然間口が開いてタナボタ式に行けることになった世界選手権。本当にどうしても出たいなら丸一日電車に乗って行くという過酷な道は残されていました。金に糸目を付けないのなら飛行機チャーターして目的地に飛ぶという手もあるでしょう。そこまでしても試合に出たいのか。私たちは世界選手権出場を諦めました。ルフトハンザが用意してくれたホテルにもう1泊して明後日の便で(これも欠航の可能性はありますが)ビルバオに向かえば、夜から始まるオープン戦には出場出来るかもしれません。これが一番無理のない方法です。金銭的にも体力的にも。 世界選手権に参加出来ない旨をメールでスペインと日本の事務局に連絡すると、大変残念だという返事が来ました。出場予定の日本代表4組からも頑張れメールを頂きました。このままドイツから出られないんじゃないかという考えがふと頭をよぎります。振り替えてもらった明後日の便だって飛ぶという保障はないのです。今まで海外遠征時にトラブルで試合を逃したことはありませんでした。ストライキのせいでもっと深刻な事態に陥った方も多いかと思われますが、心底がっくり。すでに夕方になっていましたが、まだ今日が24日木曜日だというのが信じられないくらい長い一日でした。寝不足でお昼ご飯も食べていなかった上、空港でずっと立ちっぱなしだったので本当に疲れていて、もう夜の街にパーっとくり出す元気は残っていませんでした。(つづく)
2016/11/26
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<フランクフルト>フランクフルト中央駅のすぐ側にあるホテル・エクセルシオールに荷物を預け、ここの朝食で英気を養ってこれからの対策を話し合いました。11月24日(木)、午前中のことです。まず到着が1日遅れることをスペインの大会事務局と日本のJDSFに連絡。ビルバオ空港まで車で迎えに来てくれることになっていたので申し訳ないですからね。日本から5組参加予定だったんですが、そのうち私たちも含めて2組がドイツに足止めされていることが分かりました。Booking.comで予約していたビルバオのホテルをキャンセルしようとしたんですがホテルに直接連絡したところBooking.comを通じてキャンセルしてくれと言われ、ネットではうまく行かず、日本語の電話回線もつながり難い状況。延々と待たされて無駄に国際電話料金が加算されて行く感じでした。ストライキ関連で日本語回線パンク状態だったんでしょうか。英語回線は数が多いのか、試してみたらすぐに繋がってすんなりキャンセル出来ました。フランクフルトはマイン川沿いにある大都市でいつも経由地としては利用するのですが空港から出ることはなく観光も大将は初めて、私は2度目でした。2度目と言っても1度目は半日しか観光していないのでゲーテの生家くらいしか行ったことがなかったんです。そこで以前からいつかは行きたいと思っていたシュテーデル美術館に行ってみることに。川沿いを歩いてすぐです。美術館の話しは後日詳しく書く予定ですが、ここで2時間ほど過ごしました。午後1時頃、チェックインのためにホテルに戻ると衝撃の事実が発覚します。2日続けて同じ便がキャンセルされることはないだろうという期待は見事に裏切られ、明日の便も欠航になったというメールが来ていました。空港でレンタルしたWi-Fiはスペイン仕様だったのでドイツではホテルか空港でないとネット環境がなくてメールが読めなかったんです。急いで電車に乗って空港に向かいました。幸い電車一日乗り放題券を買っていたので二人で10ユーロくらいは浮いた計算になりますが、そんな小さな喜びなど吹き飛んでしまうほどの大変な事態です。 ルフトハンザの空港カウンターは長蛇の列でした。パイロット組合が待遇改善を求めて23日からストライキに入り、この時すでに800便が欠航、10万人の足に影響が出ているとニュースで伝えています。ドイツに足止めされていたもう一組は私たちの様に日本でゴネなかったので朝から空港で並び、明日スイスを経由してスペインに入るルートを確保し、ホテルもルフトハンザが用意してくれたと連絡が入りました。みんな別ルートを探してもらう人ばかりなので時間がかかって列が全く進まないんです。私たちも日本でなんとかしようとしないでこちらに来て対策をとれば良かったと後悔しきり。少なくとも欠航が分かる23時間前に空港にいればよかったと思いましたが後の祭りです。いつになるか分からない長蛇の列に並びました。(つづく)
2016/11/25
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<ストライキ>大会開催地はスペイン北部バスク地方にあるビルバオという街です。羽田発の深夜便でヨーロッパに向かいます。ところが思いもよらなかった事態になってしまいました。ルフトハンザのストライキで経由地であるドイツからスペインに向かう便が欠航になってしまったんです。家のパソコンでチェックイン手続きをしようとしてもサーバー混雑でサイトに繋がらなかったのはそのせいだったようです。現地に行って自分でなんとかして下さいと言った内容の文字が並んだ小さな紙切れを空港カウンターで渡され、突き放されそうになったので食い下がりました。日本の航空会社で全行程を契約していてお金だって円で払っているんですからドイツでキャンセル出来るのか分からないし、それにストやってるなら現地カウンターだって人がいないかもしれないじゃないですか。それを紙切れ一枚でなんだ!隣のカウンターに並んでた人も手配した旅行会社に電話して怒鳴ってました。カウンタースタッフは新人らしい若い女性で、先輩に助けを求め欠航便のリルートを提案してくれました。フランクフルトからビルバオに行くのにスペインの格安航空機でマドリードを経由して行くという便でどうでしょうかというものです。そうこうしている間にもどんどん席は埋まって行って次にその先輩が奥から現れた時にはもうその便はなくなっていて、フランクフルトで一泊して翌日ミュンヘンを経由すればまだ空いてると言われました。世界中のルフトハンザ利用客が一斉にアクセスしてる訳ですからスピード勝負なんです。試合の2日前に到着予定だったので1日遅れてもまだ試合前日には現地入り出来ます。ミュンヘン経由だとビルバオ到着時刻が夜9時。もっと早い便はないかホテル代は出してもらえるのかと聞くと、それを問い合わせる電話もずっと繋がらず延々と待ちの状態が続きました。ビルバオ行きは1日1便あるかないかみたいなローカル空港です。結局ホテル代は出してもらえないようで予約も自分でして下さいとのこと。ストはルフトハンザの問題で全日空には非がないですもんね。ただ翌朝8時半試合開始を考えるともう少し早く現地入りしたいところです。別の候補としてフランクフルトからビルバオ直行便、つまりもともと予約していたフライトの1日遅れの同じ便ならまだ予約出来ますと言われました。こちらは到着が午後3時頃なのでそこから街への移動も楽ですし、レストランもスーパーもまだ開いている時間です。ストが翌日まで伸びる可能性が心配でした。マドリード経由でもバルセルナ経由でもいいからルフトハンザ以外の航空会社も探してもらったんですがそちらはすでに予約で一杯。みんな考えることは一緒ですよね。ストライキだからといって全便が欠航する訳ではないらしく一部の便だけなんだそうです。面倒なのはどの便が欠航になるのか事前に分からず搭乗時間の23時間前になっていきなり欠航が決まるというギャンブルのような状態だということです。でもそれならなおさら2日続けて同じ便が欠航ということはないだろうと勝手な思い込みですが判断して翌日の同じ便に変更してもらうことにしました。空港カウンターでリルートとチェックインに1時間以上かかり、すでに日付は変わっていました。予定外だったフランクフルトのホテルをネットで予約。いつもなら出発までヒマでビール飲んだりなんか食べたりしているんですが今回は全くそんな時間はなく、Wi-Fiを借りたりユーロに両替したり慌ただしい気持ちのまま出国手続きに進み、夜中1時すぎに日本を離れました。機内で配られたビールでホッと一息のどを潤します。普通の缶ビールでしたけど、そのおいしかったこと。高度1万メートルからオリオン座がくっきり見えていました。その下にオレンジの大きな光りがあって、火星?UFO?とずっと気になっていたんです。飛行時間は12時間半くらいだったんですが、随分あとになってそれが羽の先に付いている飛行機のライトだと分かったんですよね。『UFOだ!』とか叫ばなくて良かった。空港から電車でフランクフルト中央駅へ。日本との時差は8時間です。1989年に初めてドイツの地を踏んで以来、実に27年ぶりの景色でした。切符の自販機も当時とは変わっています。24日朝7時、そろそろ通勤ラッシュが始まる頃。クリスマスから1ヶ月前の今日、飾り付けを始めるところが多いようでした。(つづく)
2016/11/24
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<厳美渓と達谷窟と銀河鉄道の夜>地元の方にお勧めされた観光スポットは中尊寺と川下りでした。冬はコタツ舟が出て中で食事も出来るとのことでしたので朝食会場で聞いてみると、似たような名前の景観スポットが2つあると言われます。猊鼻渓と厳美渓、どちらも『げんびけい』で岩手県一関市にあります。川下りの方は猊鼻渓らしいのですが、中尊寺から近いのは厳美渓の方でしたので鼻より美の方に行ってみることに。鮮やかな紅葉に映える美しいエメラルドグリーン。もう少し下に降りてみることにします。新しそうな吊り橋だったのでつい調子に乗ってわざと揺らしたりしながら渡ったんですが、そのせいで渡り終えたあともしばらく地面が揺れた感じになりました。川に近付いてみるとけっこう流れが速くて、厳美渓の方は川下りの船で食事なんか出来そうもないです。川下りするなら猊鼻渓の方なんでしょうね。中尊寺とセットの観光コースになっているのか中国からの団体旅行者が多かったですね。一つ気になったのが近くにあったガラスパーク『サハラ』。駐車無料ならこっちに停めれば良かったと話しましたけど、『ここ、なんだろうね』と言いつつ素通りでした。中尊寺からここに来る途中、もう一つ気になった場所があってそこには帰りによってみることに。岩に埋め込まれた形で建てられた達谷窟(たっこくのいわや)。こちら源義家が馬上から射って彫りつけた顔面大仏。どこかわかりますか?岩の上の方で、鼻水垂らしてるみたいな絵になってます。仲のいいカップルは弁天様に嫉妬されるらしく、個別にお参りだそうです。そうこうしているうちに新幹線の時間が迫って来ました。新花巻駅前の銀河鉄道。駅名のプレートにも銀河鉄道。ししおどり、温泉、わんこそば。花巻は見所満載です。そして20年ぶりの宮沢賢治。次はいつ来れるかな。花巻の夜は晴れて、スーパームーンが明るく街を照らしていました。(おわり)
2016/11/18
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<国宝第1号>紅葉シーズンまっさかり。宮沢賢治の生誕120年も気になるところでしたが、大将がまだ行った事がないというので中尊寺に行くことにしました。高速道路使って1時間くらい。途中、昨日熱戦を繰り広げた体育館が見えました。私は中学の修学旅行で来たんですが、そうとう昔の話しなのでほとんど覚えていません。もともと歴史もあんまり得意な方じゃなかったから誰が作ったのかも忘れてました。覚えてたのは入り口に立ってる石柱のところで写真撮ったことくらいかな。ダラダラと坂を登った先に本堂があり、中で結婚式やってました。どんな結婚式なんだろうと興味が湧いてちょっと覗いてみました。般若心経なんですね。初めて遭遇するパターンです。菊まつりもやっていて、境内の至る所に見事な作品が展示されていました。勉強不足で恥ずかしい話しですが、弁慶の立ち往生ってこのあたりで起こった事件だったんですね。修学旅行で来たくらいですから中学で勉強したんだろうなあ。もう全く忘却の彼方。観光地によく置いてある顔だけ出して写真撮る弁慶バージョンが境内の弁慶堂の側にあって、『なんで弁慶?』なんて大きな声で言っちゃって超カッコ悪かったです。他の観光客の方々が一斉にこっち見たもんね。松尾芭蕉も立ってました。五月雨の 降残してや 光堂俳句の心は全く持ち合わせませんが、光りに弾かれて雨もそこだけふってないみたいに見えるってことですか?こちらが金色堂を覆う建物。中は撮影禁止なので外だけです。床も天井もオール金ですから野ざらしじゃ泥棒がどんどん削って持って行きそうですもんね。900年ほど前に建てた当初からこれを覆う建物もあったようです。歩いてるうちにだんだん曇って来て寒くなって来ました。わんこそばがこの辺りでは有名なんですが、寒いので暖かいとろろソバを注文。ここのお蕎麦屋さんではお椀に次々入れてくれる訳ではなく、小さなお椀に入った蕎麦が10杯くらいお盆に乗って出て来るようでした。合理的ですよね。お店に金色堂のポスターが貼ってありました。ポスターですら、まばゆい。金色堂は国宝第1号なんだそうです。でも調べてみたら同じ時にいろんな文化遺産が国宝として登録されていて、北から順番に番号ふったらしく日本で一番の国宝という訳ではないみたいです。まあそれにしても美事なものでした。藤原一族おそるべし。
2016/11/17
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<静かな夜は更けて>宮沢賢治の故郷である花巻は、今年生誕120周年のイベントが行われています。私たちは生誕100年の時にここを訪れて以来20年ぶりでした。あの頃は若かったし、もっと細かった。まだ競技ダンスやってませんでしたね。上野で弁当を買って、新幹線を待ちきれずに乗る前に待合室で完食。先週とは打って変わって元気いっぱいの大将は昼からガッツリ焼き肉弁当食べてました。やまびこに乗って新花巻まで約3時間。通路はさんでとなりの席に、もの凄いイビキの人がずーっと寝てたんです。よっぽどおつかれだったんでしょうね。同じ新幹線に三笠宮杯ラテンチャンピオンカップルが乗ってました。『さっきまでYouTubeで見てた選手によく似てるなあ。』降りる時に気が付いて私が声をかけたんですが、大将はすでに知ってたみたいで同行されたお母さんと話してました。間違いなくお母さんの方が年が近くて話しやすそうだもんね。新花巻駅を降りるとこんなかわいい鉄柵があったので、思わず足を留めます。夕暮れの岩手は空気がピンと冷たくて澄んでいました。駅から数キロ離れた東和温泉に直結するホテルにレンタカーで向かいます。ホテルに着くと早速浴衣に着替えて温泉に。ホテルと温泉を繋ぐ渡り廊下には宮沢賢治生誕120周年の飾り旗にストーブ。私は肩こりがひどくて頭痛だったので、オイルマッサージをしてもらうことにしました。30分マッサージを受けながらお薦め観光スポットや地元情報などをゲット。温泉につかって体調も整ったところで冷えたビールです。遠野のとれたてホップを使った爽やかな生でしたよ。先に食事を済ませていた茨城チームメンバーのお薦めに従って、温泉施設のレストランで東和牛を頂きました。お子ちゃま並の大将は9時には寝てしまったんですが、私はそこからもう一度温泉に行ってさらに同じフロアに宿泊中のチームメンバーの部屋で1時間ほどおしゃべり。『明日は頑張ろう』ということで花巻の夜は静かに更けて行きました。(つづく)
2016/11/12
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<新幹線てカッコイイ>上野からしか乗ったことがなかった上越新幹線に、今回初めて始点の東京駅から乗りました。鉄子ではないんですが、隣の23番ホームに停まっていたピカピカの北陸新幹線(W7/E7系)『あさま』に思わずカメラ持って先頭まで走ってしまいました。この北陸新幹線が新潟に止まらないということでもめたらしいですね。私たちが乗るのは似たような方向に行くんですけどこれじゃなくて上越新幹線『とき』です。線路はさんでとなりのホーム21番線には、福島駅で切り離される『やまびこ』と『つばさ』の連結!!鉄子じゃないんですけど、なんか萌えます。20番線から23番線の上越/北陸新幹線ホームが、10番線と14番線との間に挟まれている不思議な並びになっていて興味深いです。11から13番線はどこへ?みんな疑問に思うみたいで、調べてみたら11から14番線を新幹線ホームにすると、もとからある14番線とかぶるから20番台にしたということらしいです。新しいホームの駅弁屋さん、とってもおしゃれ。売店もシックな感じでアイリッシュ・パブみたいです。絶不調の大将に荷物番させて東京駅で一人はしゃいでいた自分。冷静になると不思議なんです。カメラにおさまってる写真、半分は電車でした。鉄子じゃないはずなんですが。
2016/11/08
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<変更の効かないいろいろなこと>流動食セットが役に立ちました。大腸検査の後に食べる様にと大将がもらって来ていたレトルト食品で、ずっと置きっぱなしになっていたしろものです。朝までに体調が戻らなかったらすぐに医者に行くと言っていたんですが、どうやらおさまった様子。昼まで寝て、その流動食を食べ、午後3時過ぎの新幹線で新潟に向かいました。明日の関東甲信越チームマッチに向けて、ラテン・スタンダード代表選手が茨城県から10組選出されていて、私たちもその一翼を担っていました。でもこんなんで踊れるんでしょうかね。顔なんか真っ白だし(真っ青とも言うか?)、モヤシほどひょろひょろじゃないから白アスパラみたいとでもいいましょうか。実は一週間前に具合悪くなった代表選手がいらして、急遽一組ピンチヒッターを立てたばかりだったんです。もう今日の明日じゃピンチヒッターなんて立てられないですもんね。チーム戦て、こういうの怖いですね。まあそれでも試合当日に腹壊すよりは2日前ならまだましなのかもしれません。 ところでホテルと新幹線がセットになった格安チケットを大将が購入してくれていたんですが、思ったよりずっと早く試合が終了してしまうことが分かってなんとか帰りの新幹線の時刻を変えられないか行く途中のJRみどりの窓口で聞いてみたんです。やっぱり格安チケットはこう言うのが融通効かなくて困りますね。指定席とった時刻より遅い時間の自由席なら乗れるそうですが、早い時間に変更というのは無理なんだそうです。 今夜7時半から茨城県代表選手の団結式が予定されていたんですが、大将がもう横になりたいと言うのでチームリーダーにメールを送って欠席することを伝え、駅ビルで食事して9時前には寝てしまいました。私は元気だったんでそんなに早く眠れないんですよ。せっかく米どころ酒どころの新潟まで来てホテルで茶でも飲んでテレビ見てるなんてつまらんでしょ。ほら、新潟限定ビール。一人だってビール飲んじゃいますよ。明日のために自分だけ給油完了です。
2016/11/05
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<甲府の温泉>去年上田城に行ったからという訳ではないのですが、今年は珍しく大河ドラマを欠かさず見ております。日曜は試合で山梨に行っていたので録画して、帰ってから見ました。真田昌幸の最後の言葉は『おやかたさま!』でしたね。武田信玄が馬に乗って天国から迎えに来てくれたようでした。甲府駅の駅前に『おやかたさま』の像があって、せっかく山梨まで行ってもいつも観光なしで帰って来る私たちを見送ってくれています。試合前日土曜日の午後に出発して、甲府駅に着いたときはすでに暗くなっていました。大将がネットで予約してくれたホテルは談露館というところで、駅から10分くらい歩いた市役所の側でした。結婚式場も備えている昔ながらのホテルという感じ。源泉掛け流しの天然温泉がついていました。お湯が黒いのはミネラルが豊富に含まれているからなんでしょうか。5人入ればいっぱいになるような小さいけれどとてもいいお湯です。時間帯のせいか混んでいて、中に4人、脱衣所で2人待っている方がいました。『お一人なら入れますよ。』と言われたので先に一人で入らせて頂いていると、あとから待っていた2人が入って来られました。家族旅行でしょうかね。品のいい老婦人と義理の娘さんという感じです。どちらから来られたのとか、ここは何度目とか言う話しから始まり、全く知らなかった面白い話が聞けました。『今は東京なんかに住んでおりますけど、昔この辺に生まれ育ったのでよく知っているんですよ。』このホテル、戦前からある老舗旅館だったそうです。この辺では一番で皇室の方々もお泊まりになる由緒正しきところなんだとか。『戦争で焼けてしまったのでホテルに建て替えられてしまいましたけど、世が世ならの旅館でしてね。』もういろいろ観光されたのかと聞かれたので、社交ダンスの競技会で来ましたというと目を輝かせておっしゃいました。『まあ、すてき。タンゴとか踊られるの?私もあと50歳も若ければ踊ってみたいわ。』そこまで若くなくてもいいと思いますけど、出来るものならやってみたいと思っておられる方がまだたくさんいらっしゃるんだろうなと思いました。部屋に帰って大将にその話しをすると、そんなことは全く知らずに予約したそうで感心していました。朝、大会会場に向かう途中にも立ち寄り湯があったり、このあたりは温泉が多いみたいです。いつも試合が終わると駅直行、あずさで新宿まっしぐらでしたけど、たまにはのんびり温泉もいいでしょうね。そういえばたまちゃんたちと車で来たときは温泉のあるホテルに泊まってたこと思い出しました。
2016/09/27
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<チェコスロバキア>スロバキアは以前、チェコスロバキアという国でした。分離したのは1993年だそうです。もともと民族的にも言語的にも違う国だったようで、経済的な格差からチェコがスロバキアを切り離したような形で今に至るようです。画家のミュシャって、チェコスロバキアの出身だったんですね。チェコには行ったことがないのでよく分かりませんが、ユーロ圏に属していないそうです。通貨もコルナというあまり聞きなれないものです。一方スロバキアはユーロ通貨で、物価は安いし非常に快適でした。治安も良くて、街を警官が巡回しているのでなにか怪しげな人がいてもすぐに追い払ってくれてました。スロバキア語はスラブ系言語で、アルファベット文字の上にスラッシュやらカンマやらブーメランみたいな記号がついてるのやらいろいろで発音が難しいんです。ホテルのフロントの女性に『こんにちは』→『どぶりでん』と習ったんですが、それ以外は全く覚えられませんでした。ちょっと厄介だったのはカーナビですね。目的地を設定するのに記号も考慮して住所入力するんですが、空港で車借りてすぐに使い方が理解できず、うちが先導してホテルまでご案内の予定がえらく遠回りしてしまったんですよ。道がきれいに整備されていて、いつの間にか制限速度100キロの高速道路に入ってしまってたり、高架から下の道路に降りなくてはいけなかったのに降り損なって、料金所もないのであっという間に目的地から遠く離れていってしまうんです。U-ターンもできないし。慣れない左ハンドルで大将にはえらく大変な思いをさせてしまいました。スロバキア語で案内されても右なのか左なのか、上なのか下なのか、どうしていいのかわからないと思います。部屋に持ち帰っていじってるうちに英語モードのやり方が分かって、試合会場にも無事に行けるようになりました。スマホの日本語ナビも併用してスロバキア2日目からはずいぶん楽になりました。コシチェの街では他の日本人は見かけませんでした。それより驚いたのは、世界中どの観光地にも必ずある中華料理の店が一軒もなかったことです。海外旅行に行くと、よく日本食が恋しくなると言われますが、私たちはむしろ中華料理が恋しくて、日本に帰ってからすぐに食べたのはラーメンでした。帰りの飛行機も概ね順調だったんですが、行きのようにウィーン成田直行便ではなくてデュッセルドルフ経由だったんです。ウィーン発デュッセルドルフ行きの飛行機が機体整備か何かの関係で30分遅れ、乗り継ぎの飛行機の出発時刻15分前に到着するという事態になりました。空港関係者にとってはこういうのはよくあることなんでしょうね。これで乗り遅れたらいつ日本に帰れるんだろうかというのも気になりましたし、ちゃんと荷物が積み込まれるのかも心配でした。でも地上スタッフの素晴らしい連携プレーで出国手続きもスムーズに終わり、次の乗り場へ案内もしてもらえました。ちょっと走りましたけど私たちよりもまだ後に来られた乗客もいらして、ちゃんとみんなそろうまで待っててくれるものなのだということを知りました。今回の旅行も盛りだくさんでまだまだ書きたいことは山のようにあるのですが、ひとまずこれにてピリオドとさせていただきます。長い旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました。(おわり)
2016/06/10
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<コシチェ市内散歩>最終日の午前中、ホテルから歩いて市内を散策しました。街はいたるところ花で飾られていてゴミも落ちてないしとってもきれい。幼稚園の子供達。みんなかわいいですね。公園で遊ぶ、のどかな月曜日です。公園を抜けるとコシチェの駅があります。最近改装されたらしくとても綺麗でした。駅から街の中心部へ向かう道です。道を横断する橋の欄干には、ありがちな誓いの鍵。ケルンでもこういうのありました。街の中心にある教会です。外は古そうですけど内装は綺麗に維持されてます。こちらは昨日晩御飯を食べたあたりの街並み。なんで教会の鐘が落ちてるのかな。こちらは劇場です。演劇をやってるみたいですね。小道には工芸品を売る店が立ち並んでいました。2時間ほど散策してホテルに戻ってきました。こちらが宿泊していたホテル。今日も快晴のいい天気でした。(つづく)
2016/06/06
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<スロバキア初入国>ウィーンから飛行機で約1時間。いよいよ世界選手権の開催地コシチェに向かいます。こんなチャンスがなかったら多分一生行くことはなかったと思われる都市は、動画でこんな風に紹介されていました。Košice空港でテレビ見てたら、行方不明になっていた北海道の森林置き去り少年が見つかったというニュースが流れました。日本て他に何もニュースなかったんでしょうね。平和で何より。イスタンブール経由でやってきた大阪組とはウィーンの空港で遭遇し、同じ便でコシチェに向かいます。オーストリア航空のプロペラ機でBGMとして美しき青きドナウが流れてましたね。でも私の頭の中ではインディージョーンズのテーマがループしました。こちら上空から見た青くないドナウ。ドイツ南部の大洪水の影響でしょうか。パリでも大洪水でルーブルの絵画避難とか言うニュースを耳にしました。コシチェも雨でした。プラハ経由で現地入りした埼玉2組とコスチェ空港で合流し、レンタカーを借ります。FABIAなんて車、初めて見ました。チェコの車だそうです。当初の予定ではここから車で1時間ほどのスピシュ城に行くことになっていたんですが、雨だし皆長旅で疲れているのでひとまずホテルに落ち着こうという事に。大将が予約したホテルに他の3組も合わせる形であとから予約を入れたんですが、エレベータのないこじんまりとしたところでお値段もお手頃です。ところが部屋に入ってビックリ。ロココ調の豪華な家具に2間続きの広い部屋で、全ての照明はシャンデリア。なんとバス・トイレまでシャンデリアなんです。部屋にはそれぞれ固有名詞が付いていて、うちの部屋はバニラ。無駄に豪華なスイートルームでしたが何か決めるときに皆で集まって話すには最適で、『バニラに集合』が合い言葉になりました。皆で街に出てヒルトンホテルで試合前日から用意されている受付に行きました。バスの無料券とか新しいタイムテーブルとか特性のメモ帳などが入ったファイルをもらい、スーパーで買い物をしてホテルに戻ります。ホテル宿泊客は無料でスパが利用出来ると受付で聞いたんです。その代わり水着が必要とのこと。大きなショッピングモールがあって水着も調達出来そうでした。『明日早めに負けたら水着買ってスパに行くから。』こんなこと言うもんじゃありませんね。冗談では済まなくなるもんです。もう一組は別のホテルで連絡が取れなかったので、夕食は4組でホテルのレストランで食べました。お酒を飲めない二人を除いて『ビール6つ』頼んでしまったんですが、思ってたよりジョッキが大きかったんですよ。一つ小さいグラスにしてもらおうと思ったんですけど、もう全部継ぎ終わってたんでしょうね。『大丈夫、飲めるよ。』ウエイターさんに言われてしまいました。そりゃあ飲めますけどね。前日くらいは少し控えようと思ってたんですよ。もう試合に向ける意気込みみたいなものがしゅるしゅるとしぼんで楽しい観光気分に逆戻りです。スロバキアは日本と時差7時間で、ウィーン滞在中に時差ぼけ解消を狙ったんですがワクワクしすぎなのか疲れてないのか眠れないんですよね。飲みが足りなかったのかな。2時間ごとに目が覚めつつ、試合の朝を迎えました。(つづく)
2016/06/03
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<モーツァルトとシュトラウス>ウィーン観光名物モーツァルトの像とト音記号。大将が上司にこれだけは見て来いと言われたそうなので一応チェックしました。それから私が一番行きたかったウィーン美術史美術館へ。建物自体も素晴らしいんですが、ブリューゲルやフェルメール、ラファエロ、ベラスケス、カラヴァジオなどの絵画収蔵品は有名で、特にピーター・ブリューゲルの作品数は世界一と言われています。『バベルの塔』もここにあります。ロッテルダムにあった『小バベル』に対して、こちらは『大バベル』。ブリューゲルの2つのバベルをこれで両方見たことになりました。美術館を出たところに女帝マリア・テレジアの像。フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネットのお母さんとしても有名な方です。昨日音楽会の券を路上で売ってたモーツァルトさんたちに類似の方々が、今日は別の音楽会のチケットを宣伝してました。美術館で3時間歩き回ったあとでしたが、引き続き日本語ガイド付きのオペラ座見学に向かいます。ガイドは嘘みたいに日本語が上手なオーストリア青年でしたね。さすがに疲れたのでここでスィーツ休憩。アップルパイのバニラソーズ添え。このバニラソースがソフトな甘さで暖かくて超おいしかったですよ。ばっちりエネルギー補給したところでシュテファン大聖堂に向かいました。階段上るのは嫌なのでエレベータ目指してまっしぐらのつもりだったんですが、チケット売り場にいたおじさんがこうのたまわったんです。『エレベータじゃ半分の高さまでしか行けないよ。』私は半分でも全然OKだったんですけど、大将がそれなら絶対階段で一番上まで行くと言い張り、チケット売り場でもめました。私が根負けして渋々チケット買う事になるまでの経緯を面白そうに眺めていたおじさん。頑張れよ的に手振ってくれましたよ。こんな狭いグルグル回る階段上るのにもお金かかるんですよ。2人で9ユーロも。しかもウィーン・カードの割引なし。343段もあるんです。上からの眺めはこんな感じでした。売店があってお土産売ってるんですけど、ここの売り子さんトイレ行くとき階段降りるのかしら。下まで降りて教会の中に入ると、綺麗な歌声が響いていました。ウィーン少年合唱団じゃないみたいですけど澄んだ歌声に心癒されます。教会を出てぶらぶら歩いてたらモーツァルトが住んでた家がありました。二人で19ユーロ。日本語の音声ガイドを借りて家の中を巡りました。彼は何度も引越しを繰り返していたようで、ここは羽振りが良かった時に住んでいた大きな家です。閉館時間まで粘ってゆっくりと見学し、そのあとワルツ王ヨハン・シュトラウスの像を見に行きました。今回の旅で一番たくさん聴いた曲は彼の代表作『美しき青きドナウ』でしたね。スタンダードの試合じゃないのにヴェニーズ・ワルツですよ。ウィーンですからね。(つづく)
2016/06/02
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<宮殿めぐりと音楽会>ウィーン観光に便利な『ウィーン・カード』というのがあります。市内のバス、地下鉄、トラムが乗り放題でほとんどの観光名所の入場料に割引特典が付いています。空港の観光案内所で48時間有効のウィーン・カードを21.9ユーロ(2750円くらい)で購入しましたが、空港は市内ではないのでそこまでの切符2.2ユーロは別に買う必要があります。自販機でいちいち買うのが面倒だったので、まとめて二日分往復の切符を買いました。日本の様に切符を買った時の日付が入るのではなく、乗る時に打刻する仕組みですので前もって何枚も買っておくことが出来ます。Sバーン(普通電車)とUバーン(地下鉄)を乗り継いで、シェーンブルン宮殿にやって来ました。いろんなセット券があるのですが、武器とか熱帯植物とか別に見なくてもいいものもあるので、宮殿内と庭園だけのクラシック・セットを買いました。日本語音声ガイドを聞きながら宮殿内を巡るだけでも結構時間がかかりましたよ。なにせ広いんです。さらに庭園なんか遥か遠くまであって、大将に言わせると『玉砂利が京都御所やな』だそうです。小高い丘に滝みたいな噴水。更に上るとテラスハウスみたいなカフェがありました。歩き疲れたので水分補給です。セット券に庭園迷路もあったんですが、ここで時間を使うのは勿体ないのでちらっと入ってすぐに出て来ました。ウィーンの天気は変わり易くて、時々夕立みたいな雨が降って来るんです。電車に駆け込んでオペラ座に向かいました。一日一度、日本語ガイド付きのツアーがあるのでその時間を調べようと思ったんです。そしたら、モーツァルト風の恰好してる人に今晩の音楽会のチケットを買わされてしまいました。もともとちょっとは興味があったし、料金も普通に買うのと同じだったのでダマされた訳ではありませんよ。次にトラムでベルヴェデーレ宮殿に向かいました。いくら観光が2日しかないといっても、1日で宮殿2個はちょっと足に来ます。でもここは外せない理由がありました。現在ではオーストリアで2番目に大きい美術館になっていて、有名なクリムトの『接吻』や教科書で見たことがあるナポレオンの馬に乗ってる絵があるんですよ。上宮にそれらの絵があって、これまた広大な庭園をはさんで下宮にもバロック絵画などが展示されています。果樹園とかもありましたけど足が棒でもうささっと流しました。朝から歩き回ってすでに夜の7時ですけどまだこんなに明るいんですね。宮殿出たところにある地ビールのお店にふらふら〜っと吸い込まれて、エネルギー補給です。ウィナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)食べました。市の中心部に戻り、夜8:15から音楽会。場所は毎年ニューイヤー・コンサートが開催されるウィーン楽友協会の大ホールです。今日の演奏はウィーン・フィルではなさそうですが、楽団員全員がモーツァルト風の衣装を着て演奏会というよりショーですね。演奏してくれるのはモーツァルトの有名な曲、小夜曲とかオペラの中の曲とか、歌も上手でしたが安い席でしたのであんまり音響がよくなくて、時差ぼけとビールで眠くなってしまい何度も居眠りして大将につつかれました。アンコールで演奏してくれた『美しき青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』が一番ウケてましたね。10時頃終わって電車を乗り継ぎ、ホテルに帰って来たのは真夜中近く。一日フル活動で観光してへとへとですが、また明日も更にエンジン全開で観光に励む所存です。(つづく)【送料無料】 New Year's Concert ニューイヤーコンサート / ニューイヤー・コンサート2015 メータ&ウィーン・フィル 【BLU-RAY DISC】価格:3131円(税込、送料無料)
2016/06/01
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<まずはウィーン銀婚旅行>シニアIIラテン世界選手権の開催地はスロバキアです。去年から開催地も時期も決まっていたので準備が楽でした。コシチェという都市なんですがはっきり言って聞いたことないし、でも調べてみたらスロバキア第2の都市だったんですね。一番はブラチスラバです。今年結婚25周年だしせっかく行くなら銀婚旅行と洒落込もうと思ったんですがあまり観光するところがなくて、むしろ飛行機の乗り継ぎで立ち寄るウィーンの方が見どころ満載。飛行機の値段が5月出発と比べて6月出発では段違いに上がるので、5月最後の今日、出発することにしました。試合は6月4日・5日なのでその前に『ウィーン観光で足が棒』じゃダメなんですけどね。初めてオーストリア航空を利用しました。ウィーン直行12時間でとても楽です。隣の席の女性と京都つながりで大将が話しが合って、ウィーンまで楽しい時を過ごしました。74歳にしてウィーン1ヶ月一人旅というツワモノです。私もやってみたいなあ。こちら飛行機で出てきたオーストリアビール2種。ウィーンではモーツァルトがお出迎えです。空港から市街地へは電車が便利で、Mitte駅まで黄緑の直通電車CATが16分(12ユーロ)、普通電車のSバーンが25分(4.4ユーロ)で行けます。これがCAT。これがSバーン。空港のすぐ下から電車が出てるので今日は乗らないけど写真撮りにホームまで降りてしまいました。(まるで鉄子)宿泊は空港そばのホテルでしたので、ホテルで夕食を食べて明日からの観光に備えます。ウィーン銀婚旅行、はじまりはじまり〜。(つづく)
2016/05/31
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<リフレッシュ>試合後、口数も少なく京都駅に向かった私たちはきれいになった八条口のレストラン街で昼夜兼用のご飯を食べました。新幹線は格安チケットですので早く終わったからと言って時間変更する事ができません。荷物重いし私はもう動きたくない気分でしたので、居酒屋かパブでダラダラ飲んで時間つぶそうといったんですが大将はそんなのイヤみたいでした。40曲踊るつもりで温存してたエネルギーが有り余っているのか、嵐山に行こうかとか、どこか見たいところないかとかしきりと聞いて来るんですけどもう5時だし美術館も博物館も蒸気機関車館も閉館しています。『荷物ロッカーに預けて風呂に行こう!』大将は地元ですからいろいろ知ってるんでしょうね。結局ビール2杯だけ飲んで、なんとか膳みたいな定食を食べてから大将お薦めのスーパー銭湯にいくことになりました。電車に乗って、また伏見の方に戻るみたい。私は言われるままにカルガモ状態で付いて行ったので自分がどこにいるのかよく分からなかったんですが、義弟の住んでる家の近所だったようです。壬生温泉はなの湯。渋々付いて行った割には絶好調に快適で、スプレーでばりばりだった頭もさっぱり、ファンデーションと汗でどろどろだった顔もすっきり。がっかりの成績だった心の重荷まで洗い落としたように、とっても身軽に生まれ変わりました。やっぱり日本人は風呂ですよ。のんびり風呂入って新幹線乗りおくれたらシャレにならないので早めに上がりましたが、お土産買う時間はありませんでした。でも地ビールだけは買いましたよ。これだけは外せません。3缶買ったんですが、1缶飲んだところで爆睡してしまい、気が付いたら品川です。時間が飛んだ気がしました。やっぱり疲れてたんでしょうかね。皆さんも10ダンス来年挑戦してみませんか。10種目踊れるだけで試合にさえ出れば日本代表権獲得なんて滅多にないですよ。年齢制限はありますけどね。
2016/05/11
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新幹線に乗るのは久しぶりだったのでワクワクしました。午後3時過ぎののぞみで京都へ向かいます。大将の実家があった頃は盆暮れ正月+ゴールデンウィークに京都へ行くのは普通だったのですが、ここ数年は試合がないと行かなくなってしまい最後に京都に行ったのは私の場合4年前だったように思います。A級維持が規定変更される前の大変だった頃です。今回泊まったのは駅直結の近鉄ホテル。チェックインしてすぐに地下鉄で四条へ向かいました。京都府ダンススポーツ連盟の方々がご好意で、明日の試合のために全国から集結している競技選手たちの親睦の場を設けて下さって、早い話しが飲み会なんですがそこに我々も参加させて頂いた訳です。京都では知る人ぞ知る隠れ家的な名店らしく、大将も知らなかったと言っていました。看板もないので外からは何のお店か分かりません。でも中に入ると京都に特徴的な鰻の寝床と言われる奥が深い町家で、たくさんのお客さんで賑わっていました。彩り豊かな季節の料理が次々と提供されて、オサヨさんお薦め豆乳鍋もとっても美味しかったです。食べきれないほどのボリュームだったんですが、勿体ないので死ぬ気でほぼ完食。お値段もお手頃でここは是非また来てみたいと思いました。競技会場ではあまりお話し出来ない方々と今日はたくさんお話し出来て楽しかったです。グッチさんご夫妻はじめ大会運営の皆様は明日朝6時半に会場集合とおっしゃってました。競技選手は競技成績の方に意識が向いてしまって、その場を提供して下さっている大会運営の方々の尽力を忘れがちですが、たくさんのボランティアの皆さんのおもてなしの心が結集して成り立っているんですね。参加する選手も観客も、継続的大会運営の妨げにならないように協力を惜しまない姿勢が必要だと思います。抹茶スイーツ‖宇治抹茶生チョコレート16粒§プレゼント ギフト 人気 ランキング 抹茶スイーツ お菓子 和菓子 洋菓子 特集 お取り寄せ 限定 お取り寄せ 京都 お土産に 伊藤久右衛門価格:1080円(税込、送料別)
2016/05/07
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<特別暑い日>試合会場は熱戦で熱い雰囲気に包まれていました。しかし熱かったのは会場内だけではなかったんですね。試合会場に向かう途中、電光掲示板が示す気温が29度になっていて、車の中で笑ってたんです。『うっそー!』『あの温度計、壊れてるよね。』ところがこれが本当だったみたい。17日午後1時までの最高気温。(出典=気象庁ホームページ)YAHOO!ニュース17日は北陸や西日本を中心に時期外れの暑さだったそうで、夜の天気予報で新潟県や三重県、香川県、徳島県では、昼過ぎに気温が30℃を超えたところがあったと言っていました。沖縄以外で真夏日となったのは今年初めてとのこと。しかも事もあろうに私たちのいた徳島市では統計がある1892年以来、4月としては初めて30℃を超えたという大記録が出てしまったんですよ。この時期外れの高温をもたらした低気圧が強風を呼び、東京ではビルの足場が倒壊する事故が起こりました。飛行機も遅れて、私たちが帰る予定だった20時発の最終便が出発したのは1時間後です。家に帰り着いたころには日付が変わっていました。飛行場でヒマだったので、食事をしながらビールを飲みましたよ。初ファイナルに乾杯。大将はいつも写真撮る前に飲んでしまう...。(おわり)
2016/04/20
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飛んで参りました、阿波踊りの聖地、四国徳島でございます。正月に来てから3ヶ月、今はもう新緑の季節です。慌ただしく支度をして家を出ましたが、前回のように飛行機に乗り遅れることもなく天気も良好。なんとなく始まった四国八十八ケ所巡りも、難所12番を終えて納経帳にも『やってるぞ感』みたいなものが出てきた気がします。今日は徳島市内の13番から17番までをお参りするのが目標でした。<13番 大日寺><14番 常楽寺><15番 国分寺>ここまでお参りして次に向かう途中の車の中、大将が言うには突然何かが降りてきたそうなんです。『あっ!忘れた!』なにを?『イカムネシャツ。』ビクックリしましたよ、大声で。イカムネシャツとは燕尾服の下に着る特別なシャツのことで、ダンス用品を取り扱っている店でないと売ってないんです。<16番 観音寺>ひとまずお参りを終えて3時頃だったんですが、駐車場で対策を考えました。体にぴっちりの燕尾なのでそのシャツも特別で、ブカブカのシャツだと燕尾が着られないそうです。燕尾服を買った東京のタカダンスさんに電話して徳島市内でこのシャツを扱っている店がないか聞いてみたんですけどダメでした。グーグルでダンスショップ調べたらチャコットさんがあったので電話してみたんですが、『この電話は現在使われておりません』、どうも閉店したみたいです。社交ダンス用イカムネシャツ価格:10800円(税込、送料別)一昨年マドリードの世界選手権でご一緒させていただいたスタンダード代表選手が明日の試合にエントリーされていることを知ってましたのでLineで問い合わせてみたらと言ったんですけど、大将はLine仲間全員にイカムネ忘れが知れ渡るのが恥ずかしかったみたい。(どうせブログでばれるけど)そこでシラバスに載っている大会事務局の方なら地元のダンスショップをご存知かもしれないと連絡してみたんです。すぐに明日会場に入るショップに連絡取ってくださってイカムネを持ってこられるか聞いてくださったんですが、どうも在庫がなくてラインナップには入ってなかったようでした。さらに大会役員の方で大将の体格と似た方をご紹介くださって、後から聞いたところによると西部の有名な役員さんなんですが、会場設営で7時頃体育館に持っていくから試着してみればと言って下さったんです。なんとか目処がついたので目標の最後のお寺に向かいました。<17番 井戸寺>結局Lineにも流したので大将のイカムネ忘れはあっという間に30人から『既読』で知れ渡ることになり、『きっと嫁はんにめちゃめちゃ怒られとるで。』と酒の肴になってしまったようです。仏の顔も3度。これで3度目なんですよ。ラテンの衣装も入れると4度目かな。
2016/04/16
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<へんろころがし>切幡寺から約10キロほどのところにあるのが11番札所・藤井寺です。四国一周はだいたい1600キロあるそうなので、ここを歩いて回ったら1日20キロ歩いたとしても3ヶ月近くかかることになりますね。平坦な道ばかりじゃないでしょうし、雨の日も風の日もあり、体調万全で臨んでも並大抵のことでは回りきれないと思います。ちょっと侮っていたんですが、車でも大変な道なんですよ。11番の藤井寺から12番の焼山寺までは人呼んで『へんろころがし』と言われる難所なんですね。歩き慣れたお遍路さんも転げ落ちるほどの急斜面を登ること13キロ。車ではとても登れないので大きく迂回する遠回りの道を行くんですが、それでも耳がキーンとするウネウネ道を一気に800m登る約30キロの山道。ガードレールもない、車一台やっと通れるような細く厳しい道で、対向車が来たらどうすればいいのかずっとハラハラし通しでした。大将が運転してくれたんですが、助手席の私は緊張して言葉も出ません。舗装されているだけでもありがたいと思わないといけませんね。杉の木立が天然のガードレールになってるので、花粉の季節じゃなくてよかった。ようやく駐車場にたどり着いて山道をだらだらと登り、さらにその先にまた階段。集中力を試される大変な修行をさせてもらいましたよ。ここからの眺めは最高です。納経所でスタンプ押してくださる方はほとんどが年配の方で、きっと何十年もこうやってたくさんのお遍路さんを迎えられたんだろうなあと思いました。焼山寺にたどり着いた人はみんな疲労と達成感でいい顔してるでしょう。『ご苦労様でした。このカレンダー、よかったら使ってください。』有難く頂きました。大日如来さまだそうです。焼山寺の麓は神山という街で、温泉としだれ桜が有名なところです。無事に麓に下りてきてすっかり疲れたのでもう今回はお寺3つで打ち止め。ゆず茶と徳島名産スダチのケーキでホッと一息つかせてもらいました。(つづく)
2016/01/14
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<最初は10>去年始めた四国八十八ヶ所巡り。私たちのそれは、とても信心深いとは言えないスタンプラリー的感覚から始まったものでした。納経帳に各お寺で朱印押してもらって何やらカッコいい梵字を筆でさらさらと書いてもらえるんですね。それが集まって行くのが楽しいという、それだけ。しかも白装束で歩く訳でもなく、レンタカーに乗って普段着で巡るという、こんなのでご利益なんか期待したら逆に罰当たりそうな感じです。でも、そんな不信心な小市民でもきっと仏様は見守って下さっているんでしょう。試合の翌日、成人の日はよく晴れた暖かい一日でした。香川県を後にし、徳島県に入る直前の道の駅でウドンを買い込みました。お土産屋さんより地元の人が買いに来る朝市の方が安かったみたいです。最初に訪れたのは10番札所の切幡寺(きりはたじ)。弘法大師が機織り娘に『その布ちょうだい』と言ったところ、織りかけの布を惜しげもなく切って差し出したというのでその名がついたお寺だそうです。去年の9番までが楽勝だったのでちょっと甘く見てました。『是より333段』そうです。お寺や神社は高い所にあるんですよ。いつも試合の後,足疲れてる所で城好きの大将が天守閣上るのにつき合わされてましたけど、八十八カ所も甘くありませんね。試合の後はいつもトレーニングです。途中で腿が疲れて来たらボルタで上るという小技を併用しつつ、どうせだからスタンダードの練習にもなるし大将と完璧に足音が一つに鳴るようにフォローの練習して一気に上りきりました。ついでにホールドの練習もしたらよかったかな。本堂でお参りを済ませるとさらに上に重要文化財らしい塔が立っているのでまた上ります。ここからの眺めはなかなかのものでした。高い所に上るのは大変ですけどそこに眺望というご褒美が待っていることを知っているので最近はごねずに上るようになりました。階段降りきった所で老夫婦とすれ違いました。女性は腰が曲がっていて杖をついています。333段上れるのかなと心配になってしまいましたが、きっと何とかなるんでしょう。フォースと共にあらん事を。次は11番、藤井寺です。(つづく)
2016/01/13
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<時間よ戻れ!>成人の日を合わせた三連休、初試合でした。今年で5年目となる四国遠征旅行は、去年から始めた八十八カ所巡りと合わせて我が家の新春恒例行事となりつつあります。飛行機は3ヶ月前くらいに押さえてあって、ホテルもいつも決まった所を予約。のんびり二人旅の予定でした。ところが今年は思っても見なかった大変な事態になってしまったんです。11時過ぎの飛行機だったので10時半頃までに空港に行けばいいとギリギリ狙ったのがいけなかったんですね。もう一つ、大将のモタモタ時間を加味していなかったのも敗因の元でした。この辺まで来ると何やらかしたか想像出来ると思います。そう、飛行機に乗り遅れてしまったんですよ。田舎の電車なので1時間に3本しかなくて、一つ乗り遅れると次は20分後なんです。予定の電車に乗れなかった時点で乗り継ぎが変わって、ネットで調べた空港到着予定時刻が飛行機出発の10分前になってしまいました。航空会社のお客様サービスセンターにダメ元で電話してみたんです。でも、マイルで買った航空券は時間変更が利かないんですね。『出発時刻15分前に保安検査場が閉まってしまいますので、それまでにお越しいただけない場合は新規にご購入して頂くことになります。』この出費は強烈に痛いですよ。で、走りました。乗り継ぎ時間を短縮する事でひょっとしたら15分前に滑り込めるかもしれないと思って。アキバで走り、浜松町で走り。今回はスタンダードとラテンと両方なので荷物が多いんです。八十八カ所巡りのグッズもあるし。でも重いスーツケースをガラガラ引きずって空港カウンターに傾れ込んだ時は既に保安検査場が閉まったあとでした。今年一年を占う最初の試合でこれですから先が思いやられますね。航空会社のスタッフの方をつかまえて何とかならないか話そうとしたら、私たちの息絶え絶えぶりに同情されたのかカウンターの裏側に案内されました。なにか優しい言葉をかけてもらえる予感?電話しておいたのが功を奏したのかもしれませんが、既に事情を把握しておられた様子で電車遅延扱いにしてもらえたんです。実際山手線が少し遅れてたんですけど飛行機乗り遅れるほどの事態じゃないし、数分の遅れなんてほとんど関係ないじゃないですか。しかも京浜東北線に乗ったので山手線関係ないし。自分達が勝手に乗り遅れたので本当は正規料金払ってチケット買い直しなんですけど、飛行機いっぱい利用してるいいお客さんだし初ちょんぼという事でおまけしてもらえたみたい。2時間後の飛行機にタダで振り替えてもらえたんです。大将はその地上スタッフの方が天使に見えたって言ってました。(つづく)
2016/01/09
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