この20年弱の間に拡大を続けた格差社会は、自ら藻掻いても這い上がることのできないほどの低所得層を産み出しました。そこに新自由主義、市場原理主義の果てに巻き起こされた未曾有の世界的大不況が襲い、マスメディアには暗いニュースが溢れています。
巨大企業をはじめとした解雇の嵐が、派遣・定期労働者に止まらず正社員にも及んでいます。雇用の保証を社会的責任と考えない企業論理と不完全なセーフティネットは、失業による先行き不安を目先の問題ではなく、生存そのものに対する不安をも呼び起こすものに変えました。内在する不安は、今や顕在化して社会全体を暗く覆っています。
人は生まれながらにして心に不安の種を内在しています。資本主義に恐慌の種が内在されているのと同じです。人生にも好況もあれば不況もあります。誰でも不安を感じないで一生を全うできる人はいません。人は、生物として生まれたからこそ、歳をとり老いていき、病を背負い、死を免れることはできません。
また、愛する者との別れや憎らしく怨みを抱かねばならない者との出逢いがあり、欲しいものが手に入らないことの方が多く、心身を構成している五つの要素(色・受・想・行・識)に対する執着も起こります。これらから苦しみが生まれる、仏教でいう四苦八苦。いずれも思うようにならないことが苦しみの源になるという教えです。人には想像力があり、今はそうした状態になくてもそうなるのではないかと感じてしまいます。
こうした不安の種はいつも人の心の中に潜んでおり、時にこれに気づかされるということなのです。お釈迦様はこの苦を乗り越えていく生き方としての実践法、四諦八正道を説かれました。人類の遺産とも言える仏教やキリスト教などの伝統的な世界宗教は、いづれもこの不安から人々を救済しようとしてきたのですが、残念ながら現代社会は宗教のこの重要な部分を排除してしまいました。冠婚葬祭などの非日常に宗教を押し込め、人類が二千年以上も宝として保持してきた宗教の肝心を不要なもの、触らぬものにしてしまいました。
しかし、人の心に芽生える不安がなくなったわけではなく、複雑化した社会、経済や人間関係は、ますます心の隙間に巣くう闇を広げています。うつや被害妄想などの精神の病が蔓延する社会はやはり異常です。人は隙間を埋めたいという心の要求に、伝統的な宗教を求める代わりに、占いやスピリチュアル、あるいはもっと先鋭的な新宗教を求めています。これらはたわいのないものが多いのですが、地獄の沙汰も金次第という拝金主義に堕落しているものや、もっと危険な命に関わるようなものもありますから注意してください。
ぬぐいきれない不安に対して心を守るためにこそ、宗教と真っ直ぐに対面し自らのものにしていくべきであり、またその価値があるものと思います。前世や来世のことではなく、今この時、救いの必要な者にこそ、宗教は光りを増します。もちろん経済的なセーフティネットが必要なことは言うまでもないことでしょう。
過ぎ去った過去を悔やむことなく
まだ来ない未来を憂うこともなく
今、この時を精一杯生きる者に幸いあれ
合掌 観学院称徳
たいへんご無沙汰しております! 2017年06月27日
ウサマ・ビンラディン殺害に思うこと 2011年05月04日 コメント(2)
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