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福美人酒造株式会社
東広島市西条本町6-21
法人組織で創業した、全国初の蔵
「 福美人」-西条の酒の名の中では、やさしく丸みを帯びたネーミングだ。
蔵のあるこの地が、かつて「福人」という字だったこと。そして「美人のごとく、ふくよかで、やさしく穏やかな味」(角本久二勝専務)を目指す気持ちが込められている。
福美人は、大正7年の創業。老舗の酒蔵に比べればそれほど古くはない創業だが、その創立の経緯は興味深い。 福美人酒造は、西条はもとより、西日本各地の蔵元が出資し、酒造業としては全国で初めて法人組織で創業した蔵なのである。
当時は、酒蔵といえば蔵主の個人商店の形態。会社として酒を造るという発想で始まったのは、この 福美人が全国で最初だった。広島の基幹産業になり得る西条の酒造りで、法人組織のモデルケースを作りたいとの行政の思いもあったという。
多くの人の関わりの中で始まった酒蔵だけに、その利点は様々な部分にもたらされた。大正10年から全国酒類品評会の最高位を3年連続受賞。関係者を驚かせた。それによって「審査標準酒」の栄誉を獲得。さらに業界の要請で、 福美人は酒造技術の養成機関としての指定を受けることになったのだ。
「 西条酒造学校」と呼ばれ、ここで育った杜氏が全国に巣立っていったのです。
「福美人会」の栄えある優勝旗
「 西条酒造学校」から各地に出て行った杜氏は、それぞれの活躍の場を持ちながら、酒造学校= 福美人への思いを忘れなかった。
それぞれの蔵で醸した自信の酒を各自が 福美人に持ち帰り、一同に会して「利き酒会」なるものを開いていたという。つまり、卒業後の勉強会といった風情である。
その勉強会は「 福美人会」と呼ばれ、学校出身の杜氏たちの、いい励みにもなっていた。そこでは、もっとも利き酒で優秀票を集めた酒を「優勝」として、優勝旗も用意していたという。
培われた「 西条酒造学校」の技術は、しっかりと今も受け継がれている。それは 福美人だけでなく、県内の主要な蔵の多くに、受け継がれているのです。