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カテゴリ: 實戦刀譚

大八と大吉 (一)

  戦線では、およそ戦争の本筋とは、直接にも間接にも関係のない
 “妙な偶然さ”がよく鉢合わせをするものである。
  忘れもしない昨年(
昭和 十三年)五月二十八日、黄河敵前渡河前夜、

 出征直前、富山市に医を開業している義兄豊田の家に宿泊した者で、
 その兵隊のところへ来ている義兄から最近の手紙で、
 一家の無事なることを知った。
 それから十数日を経て後に乗った軍用トラックの運転手が、
 これも富山市の兵隊で、義兄の町内に接近した辺(へん)の住人だという。
 敵前ではあり、しんみりと話す間もなく別れたのであった。
 こんな事はほんのひとつの例で、大小さまざまの偶然さは、
 そのまま書いただけでも一篇の読み物となるだろう。
  これは三月中旬の話。
 三方大敵の包囲を受けた清寧城で、軍刀修理工場を開設した時、
 作業中の加古軍曹が、「妙な名前の刀が来ましたよ」という。
 見るとその銘は、かつて聞いたようではあるがしっかり記憶にはない、
 『逸見大吉義隆』というので、大吉という字が特に大きく刻してある。
 中心の具合からいって新々刀というよりも、もっと新しい感じ。
 重ねの厚い身幅も広い反り尋常、長さは二尺三寸ぐらい、
 波紋は中直刃(なかすぐは)であったように覚えている。
 所持者は磯谷部隊○○の近藤曹長で、
 故障というのは柄の軽微ないたみだけであった。
  その日は一部の○○兵が最前線から交代で帰ってきたので、
 修理工場は多忙であった。
 昼食がすむと、同じく磯谷部隊下の山崎という美男の軍曹が、
 磨上刀で、『角大八』とだけ銘の残った刀を自身に持ってきて、
 刀の曲がりを直して貰いたいという。
 今度は自分が軍曹に声をかけて、「おい君、今度は大八が来たぜ。」というと、
 庭に出て刀の曲がりを直していた軍曹が顔を上げて、
 「へえ、大吉に大八、いよいよ敵兵大敗北、味方大勝利かな。」と、
 あとは剛快に笑って作業を続けた。
  この刀はこれも大振りで、もと二尺六寸あったのを、出征間際に
 二尺二寸八分にちぢめたもので、銘は『角大八源元興』と切ってあったという。
 元興と聞いて自分は会津鍛冶だろうと考えた。

  “偶然”さは大八と大吉という名ばかりではない。
 この二刀とも、支那の女を助けたという奇蹟をもっているのだ。
 山崎軍曹は、昨年一月の某日?州城への一番乗りで、
 部下数名と共に敵の便衣兵二名を中門のあるちょっとした家に追い込んだ。
 土塀の隅っこに追いつめ、なおも抵抗する一名を“大八”で突っ殺し、
 土塀を越えて逃れようとする一名を兵隊が銃剣で仕留め、
 ほっと一息入れていると、奥の方に人のけはいがするので、
 扉を打ち破って這入ってみると、
 一人の老婆が手をすり合わせて何か懇願しながら、
 しきりと隣室に行くのを遮るような恰好をしていた。
 気の立っている軍曹は、老婆を押しのけて扉の間から
 そっと隣の室をのぞいて見ると、
 寝室に一人の姑娘が蒼白な顔をして足を投げ出すように座ったまま、
 右手に何か光る物を持って、じっとこちらを見つめている。
 (短刀か拳銃か?)こう考えた軍曹の手は、
 いつか腰の大八の柄をかたく握っていた。
 女は右手をあげた。ハッと思った軍曹は刀を抜いた瞬間に兵隊の一人は叫んだ。
 「軍曹殿危ない。何か投げます。手榴弾かも知れません。」
  「オッ。」と叫んで軍曹が飛びのいた時、姑娘は大声をあげてわめくなり、
 その持っていた金属製の函をガチャンと土間に投げ落とし、
 俯伏しになって泣きじゃくった。
  その函の中からは、銀の腕輪、十字架、時計、指輪、宝石類、銀貨などが
 雑然と飛び出して散乱した。
 支那婦人の多くが、今まで常に自国の雑兵かの侵入者から
 提供を強要されたもののうちのひとつを、
 皇軍の兵隊に捧げて、憐憫を乞わんとしたのである。
 ここの一廊は娼家で、姑娘は売笑婦、老婆はその実母、
 ひどい○○病にかかって足腰もたたぬので、
 楼主はこの親子を捨てて逃げたのだとわかった。
 この二人は、皇軍勇士の手に救われ、
 城門内某国教会堂の婦女避難所へ送致されたのであった。

  近藤曹長の話はこうである。
  清南入城の日、家財道具を満載した避難民らしい一台の馬車が
 しずかに西の方へと進んで行く。
 曹長は部下十数名とある用件で帰ってくると、バッタリこの一行にぶつかった。
 道を聞こうと、支那語のできる兵隊が「オイ止まれ。」と声をかけるや否や、
 三人は馬車を放棄したまま逃げ出した。
 馬上ではあるし追っかけるのは造作ないが、
 急迫した用務をもっているのでそのままとし、
 ただその馬車だけ調べてみようと、近寄ってみると、
 豚か何かそのままアンペラに包んだようなものがあるので、
 曹長が腰の“大吉”を抜いて結わえてある縄を切ってみると、
 なんと妙齢の美人が三人出てきた。
 さては、三人の妻君かと、だんだん事情を聞いてみると、そうではなくて、
 戦争のどさくさ中に暴力行為で誘拐されたのだとわかった。
  その“大吉”は、前にも述べたごとく中直刃で一見かっこうも古刀のような
 しかし凄愴な肌の色をもっていた。
 “大八”の方は大のたれ乱れ、本当に見事な、
 例えば春波の大うねりの少しずつ碎(くだ)けたような模様で、
 切っ先の辺が棟の方から見ると、蛇の頭のようにふくらんでいて、
 それが左へ鎌首を曲げたごとくキクッとなっていた。
 別の敵を一人初太刀で斬り損じ、土塀に斬り込んだ時の刃曲がりだといっていた。
  角大八、逸見大吉、その時の自分には、これだけの銘字では、
 はっきり分明しなかった。

  帰還後家に落ち着いてから刀剣書を調べてみて、
 角大八は古刀復古の巨鐘を撞(つ)いて、
 美術作刀界に覚醒の火の手をあげた水心子正秀の門下で、
 初名を秀國といい、水心子の推薦により、
 さらに入門した次の師匠は薩摩新々刀の雄(ゆう)奥大和守元平で、
 その方でもらった名を元興と称する会津お抱え刀匠であると知れ、
 また逸見大吉は、義隆と称し、師匠は京の尾崎長門守正隆で、
 これも復古派の名匠、明治大帝の御佩刀を謹作し、
 “明治正宗”といわれた岡山の刀匠である事がわかった。
 一人は寛政文化の年代、一人は維新直前から明治初年、
 共に古刀時代復古を夢みた実用論者の作である事、隠れたる物斬れ刀である事、
 それから二人とも、師匠の娘と結婚婚約を手段として、
 師匠の生命としたその秘伝を手に入れた事、
 しかも二人の通称が大八であり大吉であるのも、
 偶然としては念が入りすぎていた。
  この二振りの刀の所持者が同じ部隊に所属し、
 共に徐州南下攻撃軍に参加していたという事も、これも偶然ながら面白い。







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Last updated  2012年04月27日 02時34分55秒


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