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Photo from Julius-K9 Finland エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 30 はてさて、約30回に渡って「引き寄せの法則」( Law of attraction )の権威付けの一人として挙げられている R. W. エマソンの著書を渉猟してみたが、他ならぬエマソン自身が、 「何もわざわざ分りにくい地下の水路づたいに、 友人や事実がおのれの同類に引き寄せられる必要はなく、 正しく考えれば、こういうものは魂の不滅の生産行為から出てくるものだ。 原因も結果もなく、ひとつの事実にそなわる二つの側面なのだ。」 Not through subtle, subterranean channels need friend and fact be drawn to their counterpart, but, rightly considered, these things proceed from the eternal generation of the soul. Cause and effect are two sides of one fact. ('Circles' Written in 1841 http://www.emersoncentral.com/circles.htm またあるいは、 「__このことが教えてくれる教訓は、 探し求めれば必ず見つかるということ、 こちらが逃げようとすれば向うから逃げ出すということだ。 ゲーテが言ったように、 「若いころに欲しいと願えば年をとってからどっさり与えられる」、 ただし祈りが届けられて不幸になる場合が多すぎる。 だから、望むものが手にはいることは確実である以上、 ひたすら高尚なものだけを求めるようにせよという高度な警戒が必要になる。」 And the moral is, that what we seek we shall find; what we flee from flees from us; as Goethe said, "what we wish for in youth, comes in heaps on us in old age," too often cursed with the granting of our prayer: and hence the high caution, that, since we are sure of having what we wish, we beware to ask only for high things. ( 'Fate' from The Conduct of Life (1860, rev. 1876) http://www.emersoncentral.com/fate.htm )「行動することがもしも必要でないなら、もし適切でないなら、 ひとつのことは一度だけやればたくさんだ。惰性は好きではない。 いったん原理を自分のものにしてしまえば、 それを四回応用しようが四万回応用しようが、どちらも同様に容易なことだ。」 Unless the action is necessary, unless it is adequate, I do not wish to perform it. I do not wish to do one thing but once. I do not love routine. Once possessed of the principle, it is equally easy to make four or forty thousand applications of it. ( 'The Transcendentalist' from Lectures, published as part of Nature; Addresses and Lectures http://www.emersoncentral.com/transcendentalist.htm) とはっきり述べているであるから、この辺りでリングワンダリング ring wandering から一旦離れてみたいと思う。 ※次週からは犬猫殺処分ゼロへの取り組みを始める予定である
2015年06月24日
Photo By K9 Label エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 29 ( 2014年12月24日掲載分 からの続き) こちらの事情は、正直なところまだ新しく、けっしてうまくいってはいない。 いくらそちらでわれわれの働きに助けてもらいたいとお思いでも、 こちらはそれ以上に働きたいと願っている。 われわれは活動できずに惨めな思いをしている。 休止と無為のために死にそうだが、 しかしそれでもそちらのような仕事は好きではない。 「それなら」と世間が申します。「そっちの仕事を見せてくれ」 「仕事なんかない」 「それなら何をするつもりだ」、世間が大声でたずねます。 「待つんだよ」 「いつまで」 「『宇宙』が手招きし、われわれの仕事に呼んでくれるまで」 「しかし待っているあいだに年をとって使いものにならなくなるぞ」 「それでもいい。わたしはすみっこに坐って (お言葉に従えば)朽ち果てたってかまわないが、 しかし至高の命令を受けとるまでは動きたくない。 何年も、何世紀も、もしかりに声がかからなければ、そのときは、 『宇宙』の望みはわたしの節制によって信仰を証明することなのだなと分るわけだ。 そちらで道徳的な計画と称しておいでのものを知っていても、 わたしの心は晴れやかにならない。 やがて現われるはずのものなら、晴れやかにしてくれることは分っている。 たとい働くことはできなくても、少なくとも嘘だけはつく必要がない。 きょう紛れもなくなすべきことは、嘘をつかないことだけだ。 ここばかりでなく、われわればかりでなく、 厳しい試練に立ち向かい、りっぱにふるまった例もある。 殉教者たちは鋸〈のこぎり〉で体をひかれ、 あるいは肉用のフック(掛け鉤)に生きたままでつるされた。 われわれだとて勇気をふるい起こして忍耐し、真理を求め、不平を言わず、 上機嫌にさえなって、 『無限の英知』に包まれて自分の出番を待っていても構うまい」 (『エマソン論文集(下)』「超越論者」P.92 ~ 93 ) New, we confess, and by no means happy, is our condition: if you want the aid of our labor, we ourselves stand in greater want of the labor. We are miserable with inaction. We perish of rest and rust: but we do not like your work. 'Then,' says the world, 'show me your own.' 'We have none.' 'What will you do, then?' cries the world. 'We will wait.' 'How long?' 'Until the Universe rises up and calls us to work.' 'But whilst you wait, you grow old and useless.' 'Be it so: I can sit in a corner and _perish_, (as you call it,) but I will not move until I have the highest command. If no call should come for years, for centuries, then I know that the want of the Universe is the attestation of faith by my abstinence. Your virtuous projects, so called, do not cheer me. I know that which shall come will cheer me. If I cannot work, at least I need not lie. All that is clearly due to-day is not to lie. In other places, other men have encountered sharp trials, and have behaved themselves well. The martyrs were sawn asunder, or hung alive on meat-hooks. Cannot we screw our courage to patience and truth, and without complaint, or even with good-humor, await our turn of action in the Infinite Counsels?' The Transcendentalist by Ralph Waldo Emerson from Lectures, published as part of Nature; Addresses and Lectures A Lecture read at the Masonic Temple, Boston,January, 1842
2015年06月17日
Photo By K9 Label エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 28 さらに、財産のはじめの所有者と二代目の所有者との相違を考察してみよう。 どの種類の財産もそれ自体の敵の食いものとされる。 鉄がさび、木材が腐蝕、衣類が蛾、食料品がかびと腐敗と害虫、 金が泥坊、果樹園が昆虫、穀物畑が雑草と家畜の侵入、家畜が飢餓、 道路が雨と氷、橋が出水によって食い荒らされるのと同じように、 これらの財産のどれかを自分の所有に帰そうとする人は、 それらを敵軍から護る責任か、 あるいはそれらに手入れをする責任を引き受けている。 必要品を補給しようとして いかだを組み、 あるいは釣りに行こうとして小舟を造る人は、 すき間に まいはだをつめ、舟ばたの穴にかい栓をはめ、 あるいは舵を修理するのは、容易な作業であるとおもう。 自分の目的のために欲しいものがすぐに手に入れば、 当惑する必要も、不眠で管理する必要もない。 しかし、人が年々収集した品を他人に与えるとすれば、 たとえば息子に家屋、果樹園、耕地、家畜、橋、金物類、木製品、 じゅうたん、衣類、食料品、書物、金などを財産の形として譲り、 この財産をこしらえたり集めたりするのに必要な技術と経験、 自分の生活におけるそれらの順序や地位を譲ることができない場合には、 息子は財産を利用するどころか、それを管理して自然の敵から保護するのに、 手いっぱいであるのに気づく。 彼にとって財産は手段ではなく、自分の支配者である。 敵は攻撃の力をゆるめないだろう。 さび、かび、害虫、雨、太陽、出水、火はそれぞれの目標を襲って彼をなやます。 そのあげく、彼は古い家財や新しい家財を入れる倉庫の持ち主から、 番人か番犬の立場に変えられてしまう。 なんという変化だろう! 主人としての善良な気質、力量感、自分のうちに豊かにたくわえた手腕を失い、 自然に愛されかつ恐れられ、雪と雨、水と土、野獣と魚と交わり、 その奉仕を受けたとおもわれる父親がもっていたような、 たくましい知恵のある手、鋭く知的な眼、しなやかな体、 力づよい説得力をもつ心も失われてしまうのだ。 そしてあとに残るのは、保護された薄弱な人柄だけで、 彼は壁とカーテン、ストーブと羽ぶとん、馬車、 四方から集めた男女の召使いにかこまれている。 彼はこうしたものに頼るように育てられたので、 この所有物を危険にさらすすべてのものにおそれをいだいている。 それを護るのに多大な時間を費やさなければならないので、 その本来の利用法はまったくおろそかにされている。 すなわち愛の実践、友の援助、自己の信ずる神の崇拝、知識の拡大、 国への奉仕、自己の感情の耽溺〈たんでき〉など、 自分の目的にかなう目標を失っているのだ。 そしていま彼はいわゆる富裕の人になっているが、 実は富の下僕であり、馭者〈ぎょしゃ〉であるにすぎない。 (『エマソン選集4 個人と社会』「改革者としての人間」P.41 ~ 43 ) Consider further the difference between the first and second owner of property. Every species of property is preyed on by its own enemies, as iron by rust; timber by rot; cloth by moths; provisions by mould, putridity, or vermin; money by thieves; an orchard by insects; a planted field by weeds and the inroad of cattle; a stock of cattle by hunger; a road by rain and frost; a bridge by freshets. And whoever takes any of these things into his possession, takes the charge of defending them from this troop of enemies, or of keeping them in repair. A man who supplies his own want, who builds a raft or a boat to go a fishing, finds it easy to caulk it, or put in a thole-pin, or mend the rudder. What he gets only as fast as he wants for his own ends, does not embarrass him, or take away his sleep with looking after. But when he comes to give all the goods he has year after year collected, in one estate to his son, house, orchard, ploughed land, cattle, bridges, hardware, wooden-ware, carpets, cloths, provisions, books, money, and cannot give him the skill and experience which made or collected these, and the method and place they have in his own life, the son finds his hands full, — not to use these things, — but to look after them and defend them from their natural enemies. To him they are not means, but masters. Their enemies will not remit; rust, mould, vermin, rain, sun, freshet, fire, all seize their own, fill him with vexation, and he is converted from the owner into a watchman or a watch-dog to this magazine of old and new chattels. What a change! Instead of the masterly good humor, and sense of power, and fertility of resource in himself; instead of those strong and learned hands, those piercing and learned eyes, that supple body, and that mighty and prevailing heart, which the father had, whom nature loved and feared, whom snow and rain, water and land, beast and fish seemed all to know and to serve, we have now a puny, protected person, guarded by walls and curtains, stoves and down beds, coaches, and men-servants and women-servants from the earth and the sky, and who, bred to depend on all these, is made anxious by all that endangers those possessions, and is forced to spend so much time in guarding them, that he has quite lost sight of their original use, namely, to help him to his ends, — to the prosecution of his love; to the helping of his friend, to the worship of his God, to the enlargement of his knowledge, to the serving of his country, to the indulgence of his sentiment, and he is now what is called a rich man, — the menial and runner of his riches. Man the Reformer by Ralph Waldo Emerson from Lectures, published as part of Nature; Addresses and Lectures A Lecture read before the Mechanics' Apprentices' Library Association, Boston, January 25, 1841
2015年06月10日
Photo By Alfred Grupstra エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 27 高潔な若者の進路をさえぎる実際の邪魔物を考えるとき、 以上の弊害を全面的に審問しようという気持ちが社会人の胸に湧くのは、 むしろ不思議ではない。 若者が世の中に出ようとすると、 有利な職業に通ずる道は、弊害でふさがれているのを知る。 貿易のやりかたは泥坊行為と紙一重といってよいほど利己的となり、 欺瞞の瀬戸際(たといそれを越えなくとも)に達しようとしている。 商業方面の職業は、本来、男性には不適当な職業ではなく、 また男性の能力として快適でないとはいえない。 しかし現在、この職業の一般的傾向は怠慢と弊害のため いちじるしく腐敗しており、それを万人が黙認しているので、 この職業について身を正しく保とうとする者は、 彼に期待される以上の活動力と工夫とを必要とする。 ひとたびそこに迷いこめば、彼は手足の自由を失うのだ。 天分と徳をそなえていれば、 彼はますますこの職業で身を立てることの不適切さを感じるだろう。 彼は少年時代の輝かしい夢の全部を単なる夢として犠牲にしなければならない。 彼は少年の祈りを忘れ、日々のおきまりの仕事と 卑屈なお世辞の重荷を負わなければならない。 もちろん、われわれの全部がこの責任に連座している。 われわれは幾多の商品を求めるとき、うそといつわりを食べ、飲み、 かつ着ているのだという自覚に達するためには、 商品が生産の畑からわれわれの家に来る経路について、 ただ二,三の質問をしてみればよい。 いかに多くの日常消費物質が西インド諸島から供給されているだろう。 しかも、うわさによると、スペイン領諸島では、 官吏〈かんり〉の収賄〈しゅうわい〉は常習となっており、 物品はどれも不正な安値でなければ、わが国の船に積み込めないという話である。 またこの諸島では、アメリカ人代理商は、自分が領事でないかぎり、 カトリック教徒として誓約するか、 司祭に頼んでその宣言をしてもらうのが習慣である。 奴隷廃止論者たちは、われわれが南部のニグロ(※原文ママ)に おそるべき負債を負うている事実を示した。 キューバ島では、奴隷制度の一般的害悪のほかに、男だけが農園に買い取られ、 われわれに砂糖を供給するこれらのみじめな独身者のうち、 毎年十人にひとりの割合で死ぬらしい。 わが国の税関で旅行者の宣誓をしらべる役目は、 その方面の有識者にまかせるとしよう。 わたくしはまた、船員に対する圧迫を探求したり、 小売商の習慣などを詮議するつもりはない。 わが国の貿易の一般組織は (恥を知る人なら非としてしりぞける例外とおもいたい邪悪な特徴は別として)、 利己主義にもとずく組織であるという事実を知って甘んじよう。 それは、人間性の高尚な感情によって指導されず、 愛と英雄的行為はいうまでもなく、相互利益の正しい法則を基準とするものではない。 それは不信と隠匿、抜群のぬけ目なさを特徴とする組織で、 機会を与えるのではなく、機会につけこむ組織である。 それは立派な友人に喜びを感じながら打ち明けられる組織ではなく、 愛と希望にあふれるとき、愉悦と肯定の気分のうちに熟考すべき組織でもない。 むしろそのような瞬間に、われわれはその輝かしい収穫だけを示して、 組織そのものは眼界から遠ざけたくなる。 そして収穫法を講ずることによって獲得の方法のつぐないとするだろう。 わたくしは商人あるいは製造業者を責めない。 われわれの貿易の罪は、階級のあるいは個人の罪ではない。 人は成果をつみ取り、分配して、食べる。 だれも罪にあずかり、罪を告白する __帽子をとり跪〈ひざまず〉いて告白するのだが、 責任は自分にあると感ずる人はいない。 弊害の創造者は彼ではないから、それを改めることはできないのだ。 彼とは何者だろうか? パンを得る必要に迫られている無名の個人である。 それ__すなわち、だれも人のために行動する必要を感じないで、 ただ人の一部分として行動するのは、悪徳である。 それゆえ、自己のうちに高尚な目的に向かうおさえがたい衝動にかられて、 ただ本性の法則のまま行動しないではいられない率直な魂の持ち主は、 こうした貿易のありかたは自分に不適当であると感じて、そこから離反するのである。 このような例は、毎年増加しつつある。 (『エマソン選集4 個人と社会』「改革者としての人間」P.36 ~ 38 ) It cannot be wondered at, that this general inquest into abuses should arise in the bosom of society, when one considers the practical impediments that stand in the way of virtuous young men. The young man, on entering life, finds the way to lucrative employments blocked with abuses. The ways of trade are grown selfish to the borders of theft, and supple to the borders (if not beyond the borders) of fraud. The employments of commerce are not intrinsically unfit for a man, or less genial to his faculties, but these are now in their general course so vitiated by derelictions and abuses at which all connive, that it requires more vigor and resources than can be expected of every young man, to right himself in them; he is lost in them; he cannot move hand or foot in them. Has he genius and virtue? the less does he find them fit for him to grow in, and if he would thrive in them, he must sacrifice all the brilliant dreams of boyhood and youth as dreams; he must forget the prayers of his childhood; and must take on him the harness of routine and obsequiousness. If not so minded, nothing is left him but to begin the world anew, as he does who puts the spade into the ground for food. We are all implicated, of course, in this charge; it is only necessary to ask a few questions as to the progress of the articles of commerce from the fields where they grew, to our houses, to become aware that we eat and drink and wear perjury and fraud in a hundred commodities. How many articles of daily consumption are furnished us from the West Indies; yet it is said, that, in the Spanish islands, the venality of the officers of the government has passed into usage, and that no article passes into our ships which has not been fraudulently cheapened. In the Spanish islands, every agent or factor of the Americans, unless he be a consul, has taken oath that he is a Catholic, or has caused a priest to make that declaration for him. The abolitionist has shown us our dreadful debt to the southern negro. In the island of Cuba, in addition to the ordinary abominations of slavery, it appears, only men are bought for the plantations, and one dies in ten every year, of these miserable bachelors, to yield us sugar. I leave for those who have the knowledge the part of sifting the oaths of our custom-houses; I will not inquire into the oppression of the sailors; I will not pry into the usages of our retail trade. I content myself with the fact, that the general system of our trade, apart from the blacker traits, which, I hope, are exceptions denounced and unshared by all reputable men,) is a system of selfishness; is not dictated by the high sentiments of human nature; is not measured by the exact law of reciprocity; much less by the sentiments of love and heroism, but is a system of distrust, of concealment, of superior keenness, not of giving but of taking advantage. It is not that which a man delights to unlock to a noble friend; which he meditates on with joy and self-approval in his hour of love and aspiration; but rather what he then puts out of sight, only showing the brilliant result, and atoning for the manner of acquiring, by the manner of expending it. I do not charge the merchant or the manufacturer. The sins of our trade belong to no class, to no individual. One plucks, one distributes, one eats. Every body partakes, every body confesses, — with cap and knee volunteers his confession, yet none feels himself accountable. He did not create the abuse; he cannot alter it. What is he? an obscure private person who must get his bread. That is the vice, — that no one feels himself called to act for man, but only as a fraction of man. It happens therefore that all such ingenuous souls as feel within themselves the irrepressible strivings of a noble aim, who by the law of their nature must act simply, find these ways of trade unfit for them, and they come forth from it. Such cases are becoming more numerous every year. Man the Reformer by Ralph Waldo Emerson from Lectures, published as part of Nature; Addresses and Lectures A Lecture read before the Mechanics' Apprentices' Library Association, Boston, January 25, 1841
2015年06月03日
Photo By Adrian Altner エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 26 世界史において、「改革」の教理が現在ほど大きな規模をとった例はない。 ルーテル教信奉者、ヘァンハターズ〔訳註・十五世紀にモラビアに起こった新教徒の一派〕 ジェズイット教徒、クェーカー教徒、ノックス、ウェズレー、 スエーデンボルグ、ベンタムらは、みな社会を非難する一方において、 教会あるいは国家、文学あるいは歴史、家庭の習慣、市場、夕べの食卓、 貨幣など、何もかも尊敬した。 しかしこれらのすべて、またこれら以外のすべてのもの __キリスト教、法律、商業、学校、農園、研究所__は、 いま審判のラッパを聞き、さばきの庭に駆けつけなければならない。 この新しい精神の脅威を受けない王国、町、法令、儀式、職業、 男、女はひとつもないのだ。 かりに、われわれの制度を攻撃する反駁〔はんぱく〕の声のうちに、 過激で空論的なものがあり、しかも改革者が理想主義に傾いたとしたら、 どのような結果がもたらされるか? そのときあらわれるのは、 人心をそれとは反対の極端に追いやる途方もない弊害にほかならない。 学者が理念の世界に逃避して、本性の補充と供給とをこの世界に求めるのは、 対象とする事実や人物が あまりの虚偽のために非現実的となり虚構となるときである。 理念が社会においてふたたび正当な支配を確立し、人生が公正で詩的となれば、 学者たちはよろこんで愛の人、市民、博愛家となるだろう。 もし古い国家、数世紀の歴史をもつ法律、 幾多の都市の財産や制度が古い理念の基礎のうえに立つとすれば、 それらは新しい理念により何らの安全も保障されないだろう。 改革の悪霊は、すべての立法者、すべての都市のすべての住民の心中に 秘密の扉をもっている。 新しい思想と希望の暁が諸君の胸に明けはじめたとすれば、 同時に幾多の個人にも新しい光がさしはじめたとの知らせが来るだろう。 秘めておきたいと思う秘密をいだきながら外出しようとして戸口に立てば、 見よ! そこには何びとか立っていて、彼も同じ秘密を胸にしているというだろう。 金もうけにかけてはどんなに鉄面皮で抜目のない男でも、 この新しい理念にそそのかされる疑念を耳にするやいなや身ぶるいをはじめて、 見る人のほうが驚くほどである。 われわれは、彼ほどの者なら足もとがしっかりしていて、 すくなくとも、頑強に抵抗するだろうと思った。 だが、彼はふるえて逃げ出すのだ。 そのとき学者はいう __「わたくしは二度と都会やそこを走る馬車にだまされたりしない。 見よ! わたくしの孤独の夢は一気に実現されようとしている。 あれならわたくしも空想したのだがみな笑うだろう、と思って 国にするのをちゅうちょしたのだ。 いまや仲買人も、弁護士も、市場を開く人も、みな同じことをいう。 わたくしも発言を一日延ばしたとすれば、遅すぎたろう。 見よ! ステート街は考え、ウォール街は疑い、かつ予言しはじめる!」 (『エマソン選集4 個人と社会』「改革者としての人間」P.34 ~ 35 ) In the history of the world the doctrine of Reform had never such scope as at the present hour. Lutherans, Hernhutters, Jesuits, Monks, Quakers, Knox, Wesley, Swedenborg, Bentham, in their accusations of society, all respected something, — church or state, literature or history, domestic usages, the market town, the dinner table, coined money. But now all these and all things else hear the trumpet, and must rush to judgment, — Christianity, the laws, commerce, schools, the farm, the laboratory; and not a kingdom, town, statute, rite, calling, man, or woman, but is threatened by the new spirit. What if some of the objections whereby our institutions are assailed are extreme and speculative, and the reformers tend to idealism; that only shows the extravagance of the abuses which have driven the mind into the opposite extreme. It is when your facts and persons grow unreal and fantastic by too much falsehood, that the scholar flies for refuge to the world of ideas, and aims to recruit and replenish nature from that source. Let ideas establish their legitimate sway again in society, let life be fair and poetic, and the scholars will gladly be lovers, citizens, and philanthropists. It It will afford no security from the new ideas, that the old nations, the laws of centuries, the property and institutions of a hundred cities, are built on other foundations. The demon of reform has a secret door into the heart of every lawmaker, of every inhabitant of every city. The fact, that a new thought and hope have dawned in your breast, should apprize you that in the same hour a new light broke in upon a thousand private hearts. That secret which you would fain keep, — as soon as you go abroad, lo! there is one standing on the doorstep, to tell you the same. There is not the most bronzed and sharpened money-catcher, who does not, to your consternation, almost, quail and shake the moment he hears a question prompted by the new ideas. We thought he had some semblance of ground to stand upon, that such as he at least would die hard; but he trembles and flees. Then the scholar says, `Cities and coaches shall never impose on me again; for, behold every solitary dream of mine is rushing to fulfilment. That fancy I had, and hesitated to utter because you would laugh, — the broker, the attorney, the market-man are saying the same thing. Had I waited a day longer to speak, I had been too late. Behold, State Street thinks, and Wall Street doubts, and begins to prophesy!' Man the Reformer by Ralph Waldo Emerson from Lectures, published as part of Nature; Addresses and Lectures A Lecture read before the Mechanics' Apprentices' Library Association, Boston, January 25, 1841
2015年05月27日
Photo By K9 Label 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 25 私たちが用いる英語という豊かな言葉が、 この世界の面〈おもて〉を表示すべき語をもっていないのは、 ふしぎなことに思われる。 Kinde [キンデ]というのは古い英語であるが、この語は、 微妙な未来の時制〈テンス〉をもつラテン語、 すなわち「まさに生まれんとする」という意味をもった、 あるいはドイツ哲学が「生成」という言葉で意味するところの、 natura [ナトゥーラ]という語の意味の半分をあらわすにすぎない。 美のためにのみ作用するように見えるあの力を表現する語は、英語にはまったく無い。 ギリシャ語の Kosmos [コスモス]という語はこれを表現している。 だからフンボルト〔訳註・ドイツの科学者 1769 - 1859 〕が、 科学の最新の成果を再検討したその著書を 『宇宙〈コスモス〉』と題したのは、当を得ているのである。 日々とはこうしたものである。 大地は、日毎の糧〈かて〉として私たちにあたえられる 大自然の無限の賜物を容れる盃〈さかずき〉であり、大空は蓋〈ふた〉なのだ。 が、幻想の力は私たちとともに生を受けて、最後まで私たちについてまわる。 朝〈あした〉から夕べにいたるまで、生まれてから死ぬまで、 私たちは、すかされたり、追従を言われたり、かつがれたりしているのだ。 このまどわしを見ぬいた昔の眼力は、いまどこにあるのだろう。 インド教徒は、ヴィシュヌ神のもつまどわしの力である摩耶〈マヤ〉を、 この神のおもな属性の一つとして表現している。 人生とは相戦う地水火風のまきおこす疾風ともいえるが、 この疾風のなかでは、あたかも嵐のなかで 水夫が船のマストや舷墻〈げんしょう〉にわが身をしばりつけるように、 人間の魂を人生というものに繫ぎとめることが必要だったのだ。 そのために自然は、なわや皮ひもとして、ある種の幻想を用いたのであった。 子供には、がらがら箱や人形や林檎を、 育ちざかりの男の子には、スケートや川やボートや馬や鉄砲を。 青年や大人の幻想をここに数えたてることはしまい。数えきれないほどあるからだ。 きわめてまれに、またおもむろに、仮面は落ち、人間のひとみは、 万物が同じもので出来ていて、ただ料理され化粧されて 多くのいつわりの外観をとったものにすぎないという事実を見ることを許される。 ヒューム〔訳註・スコットランド出身の哲学者。1711 - 76〕の説によれば、 周囲の状況はさまざまに変化するが、幸福の量は変わることがない。 生垣の下の日向で蚤〈のみ〉をつぶしている乞食も、 壮麗な馬車に乗って走り過ぎる王侯も、 生まれて初めて舞踏会に出るためによそおいを凝らした少女も、 討論の席から凱歌をあげて引きあげる雄弁家も、 手段こそ異なれ、同じ量の快よい興奮を感じているのだ__というのである。 この幻想という要素が大きな力を働かせて、 現在というもののもつ価値を蔽〈おお〉いかくそうとする。 俺は自分の最善の仕事より劣った仕事をしているのだと いつも考えていない人間はひとりもないであろう。 「君は何をしてるんだい」 「なあに、くだらんことさ。これこれのことをしていたし、 将来はこれこれのことをするつもりだが、いまはただ……」 というようなことを答える。 ああ愚かな者よ、 君は手品師の仕組んだ網からついに身を脱することができないのだろうか。 今日という日と私たちとのあいだに、 行きてかえらぬ歳月がその紺碧の栄光を織りなすとき、 過ぎてゆく時々刻々は燦然〈さんぜん〉とかがやき、 世にもふしぎなロマンスとして、美と詩の住む家として、 私たちの心を惹いてやまないことが、君にはわからないのだろうか。 過ぎてゆく時々刻々に処してあやまらないことは、たいへんむずかしい。 刻々に生起するさまざまの事件、取り引きのこと、慰みごとや噂さ話、 さしせまった仕事__こうしたものがすべて、 私たちに目つぶしを喰らわせ、注意をかきみだすからだ。 時々刻々というものを正面から見すえ、手品の種を見破り、 刻々のもつ本体を感じとり、自分の本領を見失わない人間、 今日の時も明日の時も、 この世の終りまでたいした相異はないものであるとしっかとさとり、 愛も死も政治も金も戦争も、自分を本来の仕事から引き離すことを許さぬ という決意をいだきうる人間は強い人間である。 (『エマソン選集3』「仕事と日々」P.232 ~ 234 ) It is singular that our rich English language should have no word to denote the face of the world. Kinde was the old English term, which, however, filled only half the range of our fine Latin word, with its delicate future tense, — natura, about to be born, or what German philosophy denotes as a becoming. But nothing expresses that power which seems to work for beauty alone. The Greek Kosmos did; and therefore, with great propriety, Humboldt entitles his book, which recounts the last results of science, Cosmos. Such are the days,—the earth is the cup, the sky is the cover, of the immense bounty of nature which is offered us for our daily aliment; but what a force of illusion begins life with us and attends us to the end! We are coaxed, flattered, and duped, from morn to eve, from birth to death; and where is the old eye that ever saw through the deception? The Hindoos represent Maia, the illusory energy of Vishnu, as one of his principal attributes. As if, in this gale of warring elements which life is, it was necessary to bind souls to human life as mariners in a tempest lash themselves to the mast and bulwarks of a ship, and Nature employed certain illusions as her ties and straps, — a rattle, a doll, an apple, for a child; skates, a river, a boat, a horse, a gun, for the growing boy; and I will not begin to name those of the youth and adult, for they are numberless. Seldom and slowly the mask falls and the pupil is permitted to see that all is one stuff, cooked and painted under many counterfeit appearances. Hume's doctrine was that the circumstances vary, the amount of happiness does not; that the beggar cracking fleas in the sunshine under a hedge, and the duke rolling by in his chariot; the girl equipped for her first ball, and the orator returning triumphant from the debate, had different means, but the same quantity of pleasant excitement. This element of illusion lends all its force to hide the values of present time. Who is he that does not always find himself doing something less than his best task? “What are you doing?” “O, nothing; I have been doing thus, or I shall do so or so, but now I am only—” Ah! poor dupe, will you never slip out of the web of the master juggler, — never learn that as soon as the irrecoverable years have woven their blue glory between to-day and us these passing hours shall glitter and draw us as the wildest romance and the homes of beauty and poetry? How difficult to deal erect with them! The events they bring, their trade, entertainments, and gossip, their urgent work, all throw dust in the eyes and distract attention. He is a strong man who can look them in the eye, see through this juggle, feel their identity, and keep his own; who can know surely that one will be like another to the end of the world, nor permit love, or death, or polities, or money, war, or pleasure, to draw him from his task. Works and Days by Ralph Waldo Emerson from Society and Solitude. New York and Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年05月20日
Photo By Andrea Hergersbergfrom K9ProfiShop 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 24 偉大な人びとが私たちの身近にあって、その額には不快の色も見えず、 恩を着せるような態度もなく,私たちの手をひいて導き、 その思想を私たちにわかちあたえてくれるように思われる日々がある。 一年の謝肉祭のような日々もある。 天使が肉の衣を着て、いくたびとなくその姿を現す。 神々の想像力が燃えたって、あらゆる方面にさまざまの形で現われる。 昨日は小鳥一羽姿を見せず、世界は荒涼として痩せおとろえていた。 今日は想像もおよばぬほどあたりがにぎやかで、 生きものどもが群がり、溌剌としている。 過去をたて糸とし未来をよこ糸とする機〈はた〉の上で、日々はつくられる。 それらの日々は、神々がひとりひとり、その大空のような織物に、 ひとすじの糸を織りこんだように、壮麗によそおわれている。 私たちの貧富を区別するものなど、取るに足らぬといわねばならぬ。 貨幣や上着や絨毯〈じゅうたん〉、石や木材や塗料の多少、 外套や帽子の流行の問題にすぎない。 ガラス玉をもっていれば自慢にし、それが無ければ悲しむ、 あのインディアンの運不運にひとしい。 しかしながら、自然がみずから労してたくわえた宝とは、 人体のいう、永い年月を経た、優雅、複雑な組織であって、 これを形づくるためにいっさいの地層が力を合わせ、 これを成熟させるために、滴虫類やとかげ類にはじまる これまでのあらゆる生物の種族が存在したのである。 さらにまた、人間をとりまく形成的な自然物、食糧をたくわえた大地、 知性や気質をそなえているかに見える空気、 人の心をいざなう海、多くの世界を秘めた深い空、 これらのものに応〈こた〉える頭脳や神経組織、 深淵をのぞき見る目、その目を見返す深淵 __これらのものは、ガラス玉や貨幣や絨毯とはちがって、 あらゆる人びとに限りもなくあたえられるのである。 このような奇跡は、どんな乞食の手にも投げあたえられる。 青空は市場をも蔽えば、小天使や大天使をも蔽いつつむ。 大空とは、神という芸術家がその作品全体にうすく塗ったワニスであり栄光であり、 物質と精神との相接〈あいせっ〉する縁辺であり境界であるのだ。 自然は大空よりも遠くへ行くことはできない。 もし私たちのいちばん幸福な夢が具体的な事実の形をとり __もしある一つの力が私たちの目を開いて、 「何百万の精霊が地上を歩みゆく」〔訳註・ミルトンの『失楽園』第四巻、477行〕 さまを見ることを得しめたならば、 私は信ずるのだが、これらの精霊の動いてゆく中原の地は、 いま所用のために街路をとぼとぼと歩いてゆく私の頭上に織りなされた 紺碧の織物と同じものが足下に床として敷かれ、 頭上にアーチとして かけわたされているに違いない。 (『エマソン選集3』「仕事と日々」P.230 ~ 232 ) There are days when the great are near us, when there is no frown on their brow, no condescension even; when they take us by the hand, and we share their thought. There are days which are the carnival of the year. The angels assume flesh, and repeatedly become visible. The imagination of the gods is excited and rushes on every side into forms. Yesterday not a bird peeped; the world was barren, peaked, and pining: to-day 'tis inconceivably populous; creation swarms and meliorates. The days are made on a loom whereof the warp and woof are past and future time. They are majestically dressed, as if every god brought a thread to the skyey web. 'T is pitiful the things by which we are rich or poor, — a matter of coins, coats, and carpets, a little more or less stone, or wood, or paint, the fashion of a cloak or hat; like the luck of naked Indians, of whom one is proud in the possession of a glass bead or a red feather, and the rest miserable in the want of it. But the treasures which Nature spent itself to amass,—the secular, refined, composite anatomy of man, which all strata go to form, which the prior races, from infusory and saurian, existed to ripen; the surrounding plastic natures; the earth with its foods; the intellectual, temperamenting air; the sea with its invitations; the heaven deep with worlds; and the answering brain and nervous structure replying to these; the eye that looketh into the deeps, which again look back to the eye, abyss to abyss; — these, not like a glass bead, or the coins or carpets, are given immeasurably to all. This miracle is hurled into every beggar's hands. The blue sky is a covering for a market and for the cherubim and seraphim. The sky is the varnish or glory with which the Artist has washed the whole work, — the verge or confines of matter and spirit. Nature could no farther go. Could our happiest dream come to pass in solid fact, — could a power open our eyes to behold “millions of spiritual creatures walk the earth,” — I believe I should find that mid-plain on which they moved floored beneath and arched above with the same web of blue depth which weaves itself over me now, as I trudge the streets on my affairs. Works and Days by Ralph Waldo Emerson from Society and Solitude. New York and Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年05月13日
Photo By Gina "gin_able" 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 23 『贋札〈にせさつ〉鑑別法』という書物は役に立つ書物である。 しかし、通貨は、銀貨にせよ紙幣にせよ、 それが流通している場所では、みずからの力で真偽を鑑別できるのである。 通貨は、社会における正義が増すとともに、その価値を高めるものではなかろうか。 一人の商人が選挙で買収されることを拒み、あるいは、 人には嫌われるかもしれないがある権利をかたく執ってゆずらないならば、 彼はマサチューセッツ州の正義を増大させることになる。 マサチューセッツ州の土地はすべて、 彼のこのような行為が行なわれるときに、その価値を高める。 ステート街から十人の正直な商人をひきぬいて、十人の悪党をその代りに入れ、 同じ金額の資本を動かさせるとすると、 保険率ははっきりとそれを示し、銀行の信用にも現われ、街道には追いはぎが出没し、 学校もその影響を受け、子供たちは害毒を少しずつ家へ持ち帰り、 判事は裁判官席にしっかと坐れなくなり、その判決は高潔さを欠き、 何びとにも必要な他人の支持と抑制とを失い、 牧師にもそれがあらわれて、生活の規律がゆるむことになる。 林檎の樹の根かたから毎日、幾日ものあいだ、大量の沃土を取り去って、 その代りに 大量の砂を入れるとすると、林檎の樹自身もそれに気づく。 林檎の樹がどんなに馬鹿者でも、こんな扱いをしばらく受ければ、 何かに不信の念を抱きはじめるであろう。 商業に従っている有力な階層から百人の善人を取り去って、百人の悪人、 あるいはこれと同じことだが、悪風をかもすような施設を持ちこむならば、 林檎の樹ほど馬鹿ではないドルは、かならずそれに気づくであろう。 ドルをつくったのは社会なのだから、その価値は社会的なものである。 ひとかどの才能あるいは手腕をもっている人間がこの市に引越してくれば、 きっとその人間は、この市のあらゆる人間の勤労に新しい価値を加えることになる。 世界のどこかで一つの才能が生まれれば、国際社会は豊かになり、 この世界の誠実はさらに増し加えられる。 どこの国でもその主要な出費の一つとなっている犯罪関係の費用は、 それだけ軽減される。 欧州では、パンの価格と正比例して犯罪が増減することが明らかにされている。 ロスチャイルドがパリーで手形の支払を引受けなければ、 マンチェスター、ペイズレー、バーミンガムの人びとは 追いはぎを働くことを余儀なくされ、アイルランドでは地主が射殺される。 警察の記録がそれを証明している。 その振動はすぐ、ニューヨーク、ニュー・オーリーンズ、シカゴでも感じられる。 同じように経済の力は、政治的実権者を通じて大衆を動かす。 ロスチャイルドが対ロシア借款を拒絶すれば、平和が訪れ、収穫は保証される。 ロスチャイルドが借款を引受ければ、戦争が起こり、 あらゆるいまわしい結果を伴った動乱が人類の大部分に起こり、 結局は革命に終って、新しい秩序が生まれる。 (『エマソン選集3』「富」P.97 ~ 99 ) The "Bank-Note Detector" is a useful publication. But the current dollar, silver or paper, is itself the detector of the right and wrong where it circulates. Is it not instantly enhanced by the increase of equity? If a trader refuses to sell his vote, or adheres to some odious right, he makes so much more equity in Massachusetts; and every acre in the State is more worth, in the hour of his action. If you take out of State-street the ten honestest merchants, and put in ten roguish persons, controlling the same amount of capital, the rates of insurance will indicate it; the soundness of banks will show it: the highways will be less secure: the schools will feel it; the children will bring home their little dose of the poison: the judge will sit less firmly on the bench, and his decisions be less upright; he has lost so much support and constraint, which all need; and the pulpit will betray it, in a laxer rule of life. An apple-tree, if you take out every day for a number of days, a load of loam, and put in a load of sand about its roots, will find it out. An apple-tree is a stupid kind of creature, but if this treatment be pursued for a short time, I think it would begin to mistrust something. And if you should take out of the powerful class engaged in trade a hundred good men, and put in a hundred bad, or, what is just the same thing, introduce a demoralizing institution, would not the dollar, which is not much stupider than an apple-tree, presently find it out? The value of a dollar is social, as it is created by society. Every man who removes into this city, with any purchasable talent or skill in him, gives to every man's labor in the city, a new worth. If a talent is anywhere born into the world, the community of nations is enriched; and, much more, with a new degree of probity. The expense of crime, one of the principal charges of every nation, is so far stopped. In Europe, crime is observed to increase or abate with the price of bread. If the Rothschilds at Paris do not accept bills, the people at Manchester, at Paisley, at Birmingham, are forced into the highway, and landlords are shot down in Ireland. The police records attest it. The vibrations are presently felt in New York, New Orleans, and Chicago. Not much otherwise, the economical power touches the masses through the political lords. Rothschild refuses the Russian loan, and there is peace, and the harvests are saved. He takes it, and there is war, and an agitation through a large portion of mankind, with every hideous result, ending in revolution, and a new order. Wealth by Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor & Fields, 1860
2015年05月06日
Photo By APA-OTS 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 22 金銭は象徴的なものであって、その所有者の性格と運命のあとに従う。 貨幣は、市民と社会と道徳の変化を示す精巧なメートルである。 農夫はドルをむさぼるが、それには理由がある。 ドルは彼にとって偶然の拾得物ではないからだ。 そこにどんな夥〈おびただ〉しい労力がこめられているかを彼は知っている。 それを稼ぐために費やした何日もの労働のために彼の骨はうずく。 それが、どれだけ土地を象徴しているか、 どれだけの雨と霜と日光とを象徴しているか、を彼は知っている。 1ドルのなかに、どんなに多くの注意と忍耐とを費やし、 どんなにはげしく鍬と殻竿〈からざお〉とをふるったかを知っている。 このドルを持ち上げるためには、 いまいったものすべての重量を持ち上げねばならないのだ。 ペンをちょっと動かしたり、 株式相場がちょっとあがれば金銭が転がりこんで来る都会では、 金銭は軽いものに見られがちである。 私は、農夫が金銭をさらに大事にし、本当のパン、 力のための力をあがなうときにだけその金銭を使ってほしいと考える。 農夫のドルは重く、事務員のドルは軽くて敏捷である。 懐〈ふところ〉からすべり出て、カルタや賭博に飛びついてゆく。が、 もっとふしぎなのは、それが形而上のものの変化にたいして敏感なことだ。 それは社会的な嵐を予示する精巧な晴雨計であり、革命を予告する。 市民生活が一歩進む毎に、あらゆる人間のもつドルは価格を増してゆく。 金を産出するカリフォルニアでは何が買えるであろうか。 2、3年前には、掘立小屋と赤痢と飢と悪友と犯罪とをしか買えなかった。 シベリアのような広漠とした地方では、今日でも、 金銭であがなえるのは、苦しみを少しばかり軽減できるという程度のことであろう。 ローマでは、美と壮麗を買うことができる。 四十年前には、ボストンでは たいしたものは買えなかった。 現在では、鉄道と電信と汽船のおかげで、 また、時を同じくしてニューヨークや米国全体が発展したために、 このボストンという古い町で、以前よりはるかに多くのものを買うことができる。 とはいえ、まだこの土地ではドルを山ほど積んでも買えないが、 首都では買えるという多くの品物がある。 フロリダ州の1ドルはマサチューセッツの1ドルだけの価値をもたない。 1ドルは価値ではなく、価値の象徴、結局道徳的価値の象徴なのである。 1ドルは、それで買える穀物で評価される。 あるいは、厳密にいえば、穀物や部屋で評価されるのではなく、 アテネの穀物とローマの部屋 __すなわち、機知と誠実さと力で評価される。 実はそれらのものをわがものとして使用するために 私たちはパンを食べたり家に住んだりするのである。 富は精神的なものである。 1ドルの価値は、正しいものを買うところにある。 大学における1ドルは、刑務所における1ドルよりも価値がある。 1ドルは、世界のすべての精神とすべての美徳が進むとともに価値を増して来る。 中庸を得た、よく訓練されて法を守る社会においては、 骰子〈さいころ〉や匕首〈あいくち〉や 砒素〈ひそ〉が横行している犯罪の巣窟におけるより、価が高いのである。 (『エマソン選集3』「富」P.95 ~ 97 ) Money is representative, and follows the nature and fortunes of the owner. The coin is a delicate meter of civil, social, and moral changes. The farmer is covetous of his dollar, and with reason. It is no waif to him. He knows how many strokes of labor it represents. His bones ache with the day's work that earned it. He knows how much land it represents; how much rain, frost, and sunshine. He knows that, in the dollar, he gives you so much discretion and patience so much hoeing, and threshing. Try to lift his dollar; you must lift all that weight. In the city, where money follows the skit of a pen, or a lucky rise in exchange, it comes to be looked on as light. I wish the farmer held it dearer, and would spend it only for real bread; force for force. The farmer's dollar is heavy, and the clerk's is light and nimble; leaps out of his pocket; jumps on to cards and faro-tables: but still more curious is its susceptibility to metaphysical changes. It is the finest barometer of social storms, and announces revolutions. Every step of civil advancement makes every man's dollar worth more. In California, the country where it grew, what would it buy? A few years since, it would buy a shanty, dysentery, hunger, bad company, and crime. There are wide countries, like Siberia, where it would buy little else to-day, than some petty mitigation of suffering. In Rome, it will buy beauty and magnificence. Forty years ago, a dollar would not buy much in Boston. Now it will buy a great deal more in our old town, thanks to railroads, telegraphs, steamers, and the contemporaneous growth of New York, and the whole country. Yet there are many goods appertaining to a capital city, which are not yet purchasable here, no, not with a mountain of dollars. A dollar in Florida is not worth a dollar in Massachusetts. A dollar is not value, but representative of value, and, at last, of moral values. A dollar is rated for the corn it will buy, or to speak strictly, not for the corn or house-room, but for Athenian corn, and Roman house-room, for the wit, probity, and power, which we eat bread and dwell in houses to share and exert. Wealth is mental; wealth is moral. The value of a dollar is, to buy just things: a dollar goes on increasing in value with all the genius, and all the virtue of the world. A dollar in a university, is worth more than a dollar in a jail; in a temperate, schooled, law-abiding community, than in some sink of crime, where dice, knives, and arsenic, are in constant play. Wealth by Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor & Fields, 1860
2015年04月29日
Photo By Megan "smegann" 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 21 毎日の新聞には、何とうんざりするような記事が満載されていることだろう。 『ニューゲート監獄の暦』とか『海賊の手記』とかいうような スリルに満ちた書物も、もう出版されなくなったらしいが、 それは、「ニューヨーク・トリビューン」紙や 「ロンドン・タイムズ」紙のような大衆新聞が、 そこにのせる犯罪記録の真新しさや怖ろしさの点で、 これらの書物のお株を奪ってしまったからなのである。 現代ほど政治が腐敗し野蛮であったことはあるまい。 わが海上の誇りであり寵児である産業は、国民を教育し、 みずから知らぬ間にさまざまな恩恵をほどこすものであるが、 これまた、全世界において、恥ずべき欺瞞と詐欺と破産に終っている。 もちろん、私たちは、人間の技術と発明の数々を数えたてて、 人間の価値をはかる尺度とする。 が、人間がいかに立派な技術を身につけていても、その人間が重罪人ならば、 機械技術や化学上の能力をもって価値の尺度とするわけにはゆかない。 私たちは、別の尺度を試みてみなければなかない。 これらの技術は、人間の人格のために、 人類の価値のために何を成就したであろうか。 人間はいままでよりもよくなったであろうか。 技術が向上するに従って道徳は低下したのではないかという疑惑が 時折提出されている。 いまや技術が大きくなり、人間は小さくなった。 偉大なものが、陋劣〔ろうれつ〕なものから生まれてくる。 文明の勝利の源を辿ってゆくと、 その恩人はあまり立派なものではないことがあきらかになる。 この世界を進歩改善させるのにあずかってもっとも力があったのは、 利己的な、卑しい「商業」である。 物質にたいするあらゆる勝利は、人間性の価値を人に教えるはずのものである。 だがいま、このような利福を人間に与えたのは何者であろうかと考えてみる。 発明家たちを見るがいい。それぞれ独得のこつを心得ている。 その天才は時折その姿をあらわす。 しかし、偉大な心情によって養われた、偉大で、むらのない、 均斉のとれた頭脳を見いだすことはできないであろう。 だれもかれも、人前に示すものよりも隠さねばならぬものを多くもっており、 みずからの長所によって跛〔びっこ〕になっている。 物的な力にたいして道徳的進歩が歩調をともにしなかったことは あまりにもあきらかである。 私たちはどうやら、正しい投資を行なわなかったらしい。 「仕事と日々」とが提供され、私たちは「仕事」のほうだけをとったのである。 サンスクリット語の新しい研究は私たちに、 神というものがもっていた古い名称をあきらかにしてくれた __ダイヤス、デュース、ゼウス、ズュー・ペーター、ジュピター、 これらはつまり太陽の名称であって、 私たちの国語のなかに形を変えていまなお認められ、 「日〈デイ〉」は神の力あるいは神の顕現であることを示し、 古代の人びとは宇宙の至高の力を表現しようとしてこれを神と呼び、 この名称はあらゆる種族によって受けいれられたことを物語っている。 ヘシオッド〔訳註:紀元前8世紀ごろのギリシャの詩人〕は 「仕事と日々」と題する詩を書いたが、そのなかで彼は、 ギリシャにおける一年の推移を書きしるし、農夫にたいして、 どんな星座が空にのぼって来るとき種をまくのが安全か、 いつ収穫し、いつ薪を集めるべきかを教え、 また、水夫はいつ舟出すれば嵐に遭わないですむか、 どんな惑星の警告に心を留めるべきかを教えている。 この詩は、結婚するのに適当な年齢や、 家庭内での倹約や客を接待するときの掟なども示して、 ギリシャ人の生活にとって役に立つ経済の道を沢山教えている。 さらにまたこの詩は、賢い生き方ばかりでなく厚い信仰をも教え、 仕事と日々についての倫理をも添えて、 あらゆる地方に適用されるように出来ている。 しかしヘシオッドは、日々についての研究をさらに進めて、 当然行なわれるべき検討や分析を行なうことはしなかった。 「自分の土地に隣接した土地は全部ほしい」 とある農夫は言った。 同じような欲望をいだいていたボナパルドは、 地中海をフランス領の湖水にしようと努力した。 ロシアの皇帝アレキサンダーはさらに領土拡張欲に燃えていて、 太平洋を「わが海」と呼ぶことを望んでいた。 アメリカ人は、太平洋を領海たらしめようとする皇帝の試みには 抵抗せざるを得なかった。 しかしたとい皇帝がこの地上を自分の牧場とし、海を自分の池としても、 なお貧乏人にすぎないだろう。 一日をわがものとする者のみが富者なのである。 国王も金持も妖精も悪魔も、そんな力をもってはいない。 日々は、最初のアーリア族〔訳註:インド人、ペルシャ人、ギリシャ人、 イタリー人、ケルト人、チュートン人、スラブ人を含む種族〕にとって そうであったように、今日も神聖なものなのだ。 日々は、この世に存在するもののなかで、もっともうぬぼれをもたず、 しかも最大の能力をそなえている。 日々は、遠くにいる友人たちからつかわされた覆面した人のように、 来たりまた去ってゆく。 彼らはおしだまったままでいて、 彼らがもってきた贈物を私たちがもちいなければ、 そのまま黙々として贈物を持ち去ってゆくのである。 (『エマソン選集3』「仕事と日々」P.226 ~ 229 ) What sickening details in the daily journals! I believe they have ceased to publish the Newgate Calendar and the Pirate’s Own Book since the family newspapers, namely the New York Tribune and the London Times, have quite superseded them in the freshness as well as the horror of their records of crime. Politics were never more corrupt and brutal; and Trade, that pride and darling of our ocean, that educator of nations, that benefactor in spite of itself, ends in shameful defaulting, bubble and bankruptcy, all over the world. Of course we resort to the enumeration of his arts and inventions as a measure of the worth of man. But if, with all his arts, he is a felon, we cannot assume the mechanical skill or chemical resources as the measure of worth. Let us try another gauge. What have these arts done for the character, for the worth of mankind? Are men better? ’T is sometimes questioned whether morals have not declined as the arts have ascended. Here are great arts and little men. Here is greatness begotten of paltriness. We cannot trace the triumphs of civilization to such benefactors as we wish. The greatest meliorator of the world is selfish, huckstering Trade. Every victory over matter ought to recommend to man the worth of his nature. But now one wonders who did all this good. Look up the inventors. Each has his own knack; his genius is in veins and spots. But the great, equal, symmetrical brain, fed from a great heart, you shall not find. Every one has more to hide than he has to show, or is lamed by his excellence. ’T is too plain that with the material power the moral progress has not kept pace. It appears that we have not made a judicious investment. Works and days were offered us, and we took works. The new study of the Sanskrit has shown us the origin of the old names of God,—Dyaus, Deus, Zeus, Zeu pater, Jupiter, —names of the sun, still recognizable through the modifications of our vernacular words, importing that the Day is the Divine Power and Manifestation, and indicating that those ancient men, in their attempts to express the Supreme Power of the universe, called him the Day, and that this name was accepted by all the tribes. Hesiod wrote a poem which he called Works and Days, in which he marked the changes of the Greek year, instructing the husbandman at the rising of what constellation he might safely sow, when to reap, when to gather wood, when the sailor might launch his boat in security from storms, and what admonitions of the planets he must heed. It is full of economies for Grecian life, noting the proper age for marriage, the rules of household thrift and of hospitality. The poem is full of piety as well as prudence, and is adapted to all meridians by adding the ethics of works and of days. But he has not pushed his study of days into such inquiry and analysis as they invite. A farmer said “he should like to have all the land that joined his own.” Bonaparte, who had the same appetite, endeavored to make the Mediterranean a French lake. Czar Alexander was more expansive, and wished to call the Pacific my ocean; and the Americans were obliged to resist his attempts to make it a close sea. But if he had the earth for his pasture and the sea for his pond, he would be a pauper still. He only is rich who owns the day. There is no king, rich man, fairy or demon who possesses such power as that. The days are ever divine as to the first Aryans. They are of the least pretension and of the greatest capacity of anything that exists. They come and go like muffled and veiled figures, sent from a distant friendly party; but they say nothing, and if we do not use the gifts they bring, they carry them as silently away. Works and Days by Ralph Waldo Emerson from Society and Solitude. New York and Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年04月22日
Photo By Sylvia Taylor エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 20 わたくしは、名誉を重んずる人の進路に横たわる困難を承知している。 名誉を重んずる人は、趣味と人間性とを重んずる人でもある。 傾向のうえからいえば、度量のあるすべての人と同様に、彼は民主主義者である。 しかし、革命が起こるとすれば、彼は急進主義者や無法者の標準に加わるだろうか? 加わるまい。なぜかといえば、彼らは無知のうちに、過激な首領によって 「赤色革命」へと引きずられているのだから、彼らは殺人行為にみちみちている。 そして学者は後退して、富裕者の仲間入りをする。 もし貧者とともに投票ができなければ、彼は孤立を守るのが当然である。 彼をして急進主義者の罪悪と富裕者の利己主義を嫌悪させて、 武装した中立の立場をとらせなさい。 そのとき彼はこういうだろう __「これらの革命の『悪い子どもたち』が、かりに彼らの宿命によるにせよ、 その一党に教訓をたれ、自由の音楽と舞踊があかるく清らかな大地にもりあがって、 わたくしも仲間に引き入れる時が来るだろう。 そのときわたくしは、人類のために語り行動する権利を放棄しないだろう。」 一方において、言語ならびに習慣の卑俗さゆえに、 徹底的な利己主義からくるさらにひどい卑俗性に盲目になって 時代の「傾向」から隠れている、学問と思想の気どりやこそ恥じいるべきである。 彼は神の仕事を不敬で非詩的な態度でおこなう人びとのなかで、 司祭としてまた詩人として正当な地位を放棄するのだ。 諸君は知恵と心の健全性を得るために、 一般の人間の心情にある程度まで接近しなければならない。 排他的な人は自己をも除外する。 偉人といわれる人で、国民の良識によって代表され、 世間の学問ある人びとの流行、過度の洗練、 階級的偏見を矯正するものとしての人類の感覚と感情に依存しない人は、 かつて存在しなかった。 精神の平静とわれわれが高く評価する心の度量の実現に 最高度に好都合な条件がいくつかある。 その主なものは、大きな利害、集団としての事物を考慮して、 あまり細部に立ち入らない習慣である。 大事件を指導する習慣は、 ふつうの能力をもちすべての人びとに高尚な思想を発生させる。 というのは事件そのものが処理すべき方向を示すからだ。 そして、よい素質の頭脳はやがて賢明となり、 過度にわたる支配をひかえるようになる。 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.253 ~ 254 ) I know the difficulties in the way of the man of honor. The man of honor is a man of taste and humanity. By tendency, like all magnanimous men, he is a democrat. But the revolution comes, and does he join the standard of Chartist and outlaw? No, for these have been dragged in their ignorance by furious chiefs to the Red Revolution; they are full of murder, and the student recoils,—and joins the rich. If he cannot vote with the poor, he should stay by himself. Let him accept the position of armed neutrality, abhorring the crimes of the Chartist, abhorring the selfishness of the rich, and say, ‘The time will come when these poor enfans perdus of revolution will have instructed their party, if only by their fate, and wiser counsels will prevail; the music and the dance of liberty will come up to bright and holy ground and will take me in also. Then I shall not have forfeited my right to speak and act for mankind.’ Meantime shame to the fop of learning and philosophy who suffers a vulgarity of speech and habit to blind him to the grosser vulgarity of pitiless selfishness, and to hide from him the current of Tendency; who abandons his right position of being priest and poet of these impious and unpoetic doers of God’s work. You must, for wisdom, for sanity, have some access to the mind and heart of the common humanity. The exclusive excludes himself. No great man has existed who did not rely on the sense and heart of mankind as represented by the good over-refinements and class prejudices of the lettered men of the world. There are certain conditions in the highest degree favorable to the tranquillity of spirit and to that magnanimity we so prize. And mainly the habit of considering large interests, and things in masses, and not too much in detail. The habit of directing large affairs generates a nobility of thought in every mind of average ability. For affairs themselves show the way in which they should be handled; and a good head soon grows wise, and does not govern too much. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年04月15日
Photo By JamesCostas エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 19 われわれが偉人から受ける奉仕は、相互の尊敬である。 もし諸君が、卑俗な人びとを相手とすれば、 実際、人生はこじきの状態に低下する。 天文学者は月に大気があるかどうかをしきりに知りたがる。 わたくしはただすべての人が大気に包まれていることに関心をいだく。 しかしわたくしの観察によれば、 一種類の大気をつくるのにふたりの人を必要とする。 わたくしは、周囲を包むこの雲をともなって世の中を行く人びとを知っている。 彼らが何をいうかは重要な問題ではなく、 ただ来さえすればじゅうぶんなのだ。 太陽や夕空でも彼らほど静穏ではない。 彼らは事実に到達して、外見を追い払っておだやかな心境にあるようにみえる。 家の内外における彼らの作法とふるまいは、休憩中の人びとに似ている。 彼らは隠しあるいは見せるものを持っているのだろうか? またわたくしは、尊敬の心が全然なく、 物質的価値以外の属性の全部をはぎとる人びとにも出会う。 諸君がどの程度の健康と筋肉を持っているか、 どの程度の土地と部屋と夕食を所有するかという問題が、 彼らにとって有意義なのである。 もちろん、人間は骨を入れたあわれな袋である。 1インチもいんぎんに間隔をあけようとはせず、骨と骨とはぶつかり合っている。 このように人生は「こじきのやぶ」なのである。 経済学者がやるように、われわれが実益の大小によって待遇されて、 想像力と感情が飢餓にひんするときほど、 下品でわびしい気持ちを誘うものをわたくしはしらない。 このように生命力が貧困化されるときほど、 わたくしはおおかみのような「飢餓」に出会うような気がする。 われわれはこれらのやせた牝牛に遭遇するよりもむしろ、 生きているかぎり孤独にしていようではないか。 人間は人間を解放すべきである。 この解放は、押し合うのではなく自己を隔離することによって実現される。 友人が近くにいればいるほど、われわれの領土は広く、 われわれが住む球体の直径は長くなる。 当然のこととして受け入れられる事物の数は、教養を測る尺度である。 ある人が語ろうとすると、意地の悪い人は最初の言葉をとらえて論争するので、 彼は話そうとする分野に はいることができなくなる。 賢い人は、自己の見解において当惑を感ずる箇所に類似する議論に会うまで、 万事を当然のこととして受け入れるのだ。 わたくしは、勇気があり寛大な人びとの義務を記述して この話を長引かせようとはおもわない。 しかし、そのひとつをあえて挙げておこう。 それは騎士の称号をかちえるためのほとんど唯一の条件である。 それは諸君が属する社会層に対する忠誠さである。 真の貴族とは、自分の社会層の先頭に立つ人であり、 非忠誠とは、ほかの騎士階級を自分の階級であると誤解することである。 彼に敬意を分割させてはならず、 自分がそこに生まれて維持する運命となっている層を代表させようではないか。 ガスタヴス〔訳註・アドルファス・ガスタヴズ2世、スウェーデン国王 1574 - 1632 〕は 騎兵と将軍の任務をよく区別しないで、 あらゆる危険にわが身をさらして貴重な血を極度に浪費したとの抗議を出された。 おもうに、高尚な任務をになっている魂の持ち主は、 彼のための特別でしかも高尚な義務を認識しているから、 低級な寛容さに目がくらんで、 自己に所属しない任務を引き受けるような危険には陥らないのだ。 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.247 ~ 249 ) The service we receive from the great is a mutual deference. If you deal with the vulgar, life is reduced to beggary indeed. The astronomers are very eager to know whether the moon has an atmosphere; I am only concerned that every man have one. I observe, however, that it takes two to make an atmosphere. I am acquainted with persons who go attended with this ambient cloud. It is sufficient that they come. It is not important what they say. The sun and the evening sky are not calmer. They seem to have arrived at the fact, to have got rid of the show, and to be serene. Their manners and behavior in the house and in the field are those of men at rest: what have they to conceal? what have they to exhibit? Others I meet, who have no deference, and who denude and strip one of all attributes but material values. As much health and muscle as you have, as much land, as much house-room and dinner, avails. Of course a man is a poor bag of bones. There is no gracious interval, not an inch allowed. Bone rubs against bone. Life is thus a Beggar’s Bush. I know nothing which induces so base and forlorn a feeling as when we are treated for our utilities, as economists do, starving the imagination and the sentiment. In this impoverishing animation, I seem to meet a Hunger, a wolf. Rather let us be alone whilst we live, than encounter these lean kine. Man should emancipate man. He does so, not by jamming him, but by distancing him. The nearer my friend, the more spacious is our realm, the more diameter our spheres have. It is a measure of culture, the number of things taken for granted. When a man begins to speak, the churl will take him up by disputing his first words, so he cannot come at his scope. The wise man takes all for granted until he sees the parallelism of that which puzzled him with his own view. I will not protract this discourse by describing the duties of the brave and generous. And yet I will venture to name one, and the same is almost the sole condition on which knighthood is to be won; this, namely, loyalty to your own order. The true aristocrat is he who is at the head of his own order, and disloyalty is to mistake other chivalries for his own. Let him not divide his homage, but stand for that which he was born and set to maintain. It was objected to Gustavus that he did not better distinguish between the duties of a carabine and a general, but exposed himself to all dangers and was too prodigal of a blood so precious. For a soul on which elevated duties are laid will so realize its special and lofty duties as not to be in danger of assuming through a low generosity those which do not belong to it. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年04月08日
Photo By Charlotte_L エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 18 鈍感な人びとは、ひとりを富裕にし他を貧乏にするのは「運勢」であると考える。 はたしてそうだろうか? しかし、運勢は彼らが考えるよりも早期に来た。 いいかえれば、今日快適であるものに献身するか、 明日価値があろうものを予測するか、その均衡ないし調整の問題である。 わたくしは、宇宙における等級別の美点、 多と少をあらわす現在の秩序を議論しようとはけっしておもわない。 またわたくしは、運命の多様性を配置する正義の弁護に立ち入りたくもない。 生活条件の対照がどれほどきびしいものか、わたくしは心得ている。 ここには富が過剰にあり、あそこには欠乏があるのだ。 まったくの偶然の機会、風は気まぐれ、 谷間には雪が吹きつもり、平野はむき出しになっているように、 宴会の広間には富と快楽が君臨し、貧困者のなべには死がはいっている。 これを見ると善良な人は、この多大な苦難のなかに あわれみと思いやりをもって歩かずにはいられない。 わたしくはただついでながら、循環する宇宙の秩序について触れてみたい。 この循環作用は、十人の将軍がおのおの一日ずつ指揮をとって つぎの者にまわすギリシャ人の粗野な政策、 あるいは、いまはわたくしの番つぎはあなたの番という、 わが国の民主政治とは似ていない。 事物の本質は各人の心に新しい素養ないし才能を分配し、 ものごとの回転はいまはこれ、つぎはあれというふうに、 たえず必要をもたらし、かならず各人のうちに機会を取り戻す。 高い地位から人が受ける不愉快な気持ちを緩和する唯一の方法は、 諸君が自分の機能を行使することである。 各人がそうすれば、第三者のきびしい思いを除けるのだ。 正しい活動はみな愛すべき点をもつ。 わたくしは自分の地位をだれかに占められているとはけっして感じない。 しかし、なぜ欲するものを所有していないか、その理由は、 所有する資格を与える機能がわたくしに欠けているからである。 精神的あるいは現実の力は、それぞれに相応の地位をつくるのである。 われわれは実力のままあるいがままに認められ、 実力にしたがって繁栄あるいは失敗する。 大胆に行動して、それが正しいとされる人びともいる。 しかしその場合、彼らは当然の地位にあるとの自覚をもっているからだ。 自分の地位にあるかぎり、わたくしは安全である。 「あなたの身を守る最良の避雷針は、あなたの脊椎である」 〔訳註・ヘンリー・デヴィッド・ソローの言葉〕という言葉がある。 人の社会的目的を彼の資力と実力とに均衡させようではないか。 わたくしは、低すぎる地位に置かれている人のみじめさをあわれだとおもわない。 それはやがて正しい地位へ自然に戻るからだ。 が、わたくしは高すぎる地位に置かれている人をあわれむ。 一定量の力は一定量の機能に付随する。 自分の機能の正当な牽引力以上の力を欲しがるのは、きまって政治家である。 そして、彼らはその力の過剰のために犠牲を払い、屈従しなければならない。 これが社会のからくりの全部であり、世界の政治でもある。 あるがままの実力は、つねにりっぱにみえるだろう。 しかしいずれにせよ、この実力をわずらわさなければ、 わたしはたぶん見映〔みば〕えをよくすることはできないだろう。 フランス人はだれもはなばなしい経歴をもちたがる。 われわれ英語国民は、世間で名を成すことを愛する点においては、 けっしてフランス人に劣らない。 バブ・ドディントン〔訳註・イギリスの政治家 1691-1762 。〕は 『回想録』でつぎのようにいう___ 「わたくしはニューカスル公爵にこういった ___『わたくしの生涯はどっちみち終らなければならないのです。 それは過去に停滞するはずはありません。 というのは、わたくしは世の中の方面で名を成そうと決心したのです。 かつては公爵の庇護のもとにあればと切望しました。 が、それができなければわたくしは何か名を成さねばなりません。 どの方面で名を成すかは、まだきめられません。 すこし周囲を見回して友人と相談しなければなりません。 しかし、何らかの令名をはせる決心はついております』と。」 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.239 ~ 241 ) Dull people think it Fortune that makes one rich and another poor. Is it? Yes, but the fortune was earlier than they think, namely, in the balance or adjustment between devotion to what is agreeable to-day and the forecast of what will be valuable to-morrow. Certainly I am not going to argue the merits of gradation in the universe; the existing order of more or less. Neither do I wish to go into a vindication of the justice that disposes the variety of lot. I know how steep the contrast of condition looks; such excess here and such destitution there; like entire chance, like the freaks of the wind, heaping the snow-drift in gorges, stripping the plain; such despotism of wealth and comfort in banquet-halls, whilst death is in the pots of the wretched, —that it behooves a good man to walk with tenderness and heed amidst so much suffering. I only point in passing to the order of the universe, which makes a rotation, —not like the coarse policy of the Greeks, ten generals, each commanding one day and then giving place to the next, or like our democratic politics, my turn now, your turn next, —but the constitution of things has distributed a new quality or talent to each mind, and the revolution of things is always bringing the need, now of this, now of that, and is sure to bring home the opportunity to every one. The only relief that I know against the invidiousness of superior position is, that you exert your faculty; for whilst each does that, he excludes hard thoughts from the spectator. All right activity is amiable. I never feel that any man occupies my place, but that the reason why I do not have what I wish, is, that I want the faculty which entitles. All spiritual or real power makes its own place. We pass for what we are, and we prosper or fail by what we are. There are men who may dare much and will be justified in their daring. But it is because they know they are in their place. As long as I am in my place, I am safe. “The best lightning-rod for your protection is your own spine.” Let a man’s social aims be proportioned to his means and power. I do not pity the misery of a man underplaced: that will right itself presently: but I pity the man overplaced. A certain quantity of power belongs to a certain quantity of faculty. Whoever wants more power than is the legitimate attraction of his faculty, is a politician, and must pay for that excess; must truckle for it. This is the whole game of society and the politics of the world. Being will always seem well;—but whether possibly I cannot contrive to seem, without the trouble of being? Every Frenchman would have a career. We English are not any better with our love of making a figure. “I told the Duke of Newcastle,” says Bubb Dodington in his Memoirs, “that it must end one way or another, it must not remain as it was; for I was determined to make some sort of a figure in life; I earnestly wished it might be under his protection, but if that could not be, I must make some figure; what it would be I could not determine yet; I must look round me a little and consult my friends, but some figure I was resolved to make.” life. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年04月01日
Photo By samantha Gillard & Kiba the Akita "bunnysmith2785" エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 17 不平等は衣服に存在するのではなく、 表現と行動の力に存在するとわたくしは断言する。 それは原始的な貴族主義である。 そしてわれわれは、ここで美服を来た卑俗性を描く段階に至っていないと確信する。 イギリスにおける貴族の称号が純粋な血統に対して与えられるのか、 三分利つきの公債の最大保有者に対して与えられるのか、わたくしは知らない。 イギリスの政府ならびに国民、あるいはフランス政府は容易にあやまちを犯すだろう。 しかし、「自然」は絶対にあやまちを犯さない。 自然の記号、標札はどれも体質的な素質を示す。 科学、貿易、社交、また国家においても、事実は同じである。 1ポンドの重量を揚げるには、永久に1ポンドの重量を必要とするのだ。 この「紳士」の観念に対する近代社会の尊敬、 この崇敬にたえず接木されてきた気まぐれで横暴な「流行」はみな、 各人のうちに当然やどる真実と愛とに対するひそかな賛辞であることはあきらかである。 これはガーゼやレース、花や飾りボタンの下に隠された鋼鉄のようなものである。 さらに、この偶像崇拝ではなくて真の礼拝、 人格に対するこの不純な崇敬でなくて純粋な崇敬、 個人の神聖さに対する新しい尊敬は、わが国における世論への恥辱的な恭順さ、 狂乱的に目的を手段に従属させる傾向を かならず矯正する解毒剤であることもあきらかである。 あまりに人と交わるばからしさから、 われわれは自己の崇敬と信頼という平穏な世界に戻らなければならないのだ。 この世の中における競技は、 人間と事件のあいだにおこなわれる力のたえ間ない試練である。 ふつうの人は事件の犠牲になるのだ。 すべてのできごとに堪えることができないで、 彼はあちこちに引きずられ、全生涯、あわてふためいて暮らしている。 すぐれた人は自分の心のなかで悠然としている。 われわれが冷静な人びとを好むのは、 彼らがあまり多くを望まず、恐れず、弓に多くの弦を用意して 万一の場合にそなえているかのようにみえるからである。 彼らは株式が上ろうが下ろうが、政党が分裂しようが、 持ち金や家族が分散されようが、その打撃に堪えて存続できる。 彼らはまた中傷されてもよく我慢できる。 実際、彼らは事件によってほとんど影響されず、 毅然と死に直面することができるのだ。 要するに、われわれは皮相的な人生や行為のしるしを嫌って、 中心点のある人生をあらわすものをすべて重んずるのである。 商業文明がこれほど勝利をおさめたところで、 われわれが救いがたいほど戦争を礼賛して ラッパや太鼓の音を完全に鎮めることができないのは、 どういう意味なのだろうか? 剣が鋤〈すき〉や車の輪からすべての名声をさらってしまうのは、 どうしたわけだろうか? 好戦的な古代のメロヴィンガ王朝、ゲルフ党、 ドリア人、スフォルザ人、バーガンディ人、ゲスクリン人などは、 歴史上なんと強壮な風貌にみえるだろう! われわれは、彼らはどれもこれもわれわれと同様にすぐ消える影として、 おこりや熱病、あるいは一滴の水や一片の氷にあたって最後をとげたとは、 まず信じられない。 今日でもわれわれは軍人に同様の有利な地位を与えている。 極度に蓄積された文化を去って、 われわれはたえず何かの種類の太鼓や横笛に走り戻っているのだ。 そして貿易、法廷、果樹園や農場はもちろん客間〈サロン〉においても、 軍人精神を身につけ、精力的にしかも機敏に 剣や大砲の型を設計する人びとだけが繁栄するか、 あるいは彼らがもっとも繁栄するのである。それはなぜだろう? 勇気はまだその高価な代償を失わず、目的のためにまず命を危険にさらして、 自分の行為の責任をとるために命を投げ出すことを苦にしないとき、 人生はもっとも豊かに飾られて魅力があるとおもう人びとを、 われわれが見たがるためであるにほかならない。 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.231 ~ 233 ) I affirm that inequalities exist, not in costume, but in the powers of expression and action; a primitive aristocracy; and that we, certainly, have not come here to describe well-dressed vulgarity. I cannot tell how English titles are bestowed, whether on pure blood, or on the largest holder in the three-per-cents. The English government and people, or the French government may easily make mistakes; but Nature makes none. Every mark and scutcheon of hers indicates constitutional qualities. In science, in trade, in social discourse, as in the state, it is the same thing. Forever and ever it takes a pound to lift a pound. It is plain that all the deference of modern society to this idea of the Gentleman, and all the whimsical tyranny of Fashion which has continued to engraft itself on this reverence, is a secret homage to reality and love which ought to reside in every man. This is the steel that is hid under gauze and lace, under flowers and spangles. And it is plain that instead of this idolatry, a worship; instead of this impure, a pure reverence for character, a new respect for the sacredness of the individual man, is that antidote which must correct in our country the disgraceful deference to public opinion, and the insane subordination of the end to the means. From the folly of too much association we must come back to the repose of self-reverence and trust. The game of the world is a perpetual trial of strength between man and events. The common man is the victim of events. Whatever happens is too much for him, he is drawn this way and that way, and his whole life is a hurry. The superior man is at home in his own mind. We like cool people, who neither hope nor fear too much, but seem to have many strings to their bow, and can survive the blow well enough if stock should rise or fall, if parties should be broken up, if their money or their family should be dispersed; who can stand a slander very well; indeed on whom events make little or no impression, and who can face death with firmness. In short, we dislike every mark of a superficial life and action, and prize whatever mark of a central life. What is the meaning of this invincible respect for war, here in the triumphs of our commercial civilization, that we can never quite smother the trumpet and the drum? How is it that the sword runs away with all the fame from the spade and the wheel? How sturdy seem to us in the history, those Merovingians, Guelphs, Dorias, Sforzas, Burgundies and Guesclins of the old warlike ages! We can hardly believe they were all such speedy shadows as we; that an ague or fever, a drop of water or a crystal of ice ended them. We give soldiers the same advantage to-day. From the most accumulated culture we are always running back to the s ound of any drum and fife. And in any trade, or in law-courts, in orchard and farm, and even in saloons, they only prosper or they prosper best who have a military mind, who engineer in sword and cannon style, with energy and sharpness. Why, but because courage never loses its high price? Why, but because we wish to see those to whom existence is most adorned and attractive, foremost to peril it for their object, and ready to answer for their actions with their life. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年03月25日
Photo By Turnertower エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 16 「自然」に存在する貴族主義は、おそるべき力をもつ。 まず、現実と直面しても挫折しない真実の人びとがいる。 そのはるか下に位するのは、趣味の人 __彼らは善良で公正なものとの関係、その風評や影響のもとに生活し、 それによって迎えられ皮相的に触れられるだけで、それらの影に魅せられている。 このまたはるか下位に、下品で無思慮な動物的な人間がいる。 混沌界の波である彼らは、踊り手や下僕の組織にまで及んでいる。 わたくしは、もろもろの素質の世襲的伝承を支持する消えがたい偏見を、 人びとのうちに観察する。 自然は一見気まぐれであると彼らに念を押してもむだである。 自然はある種類の素質を注意ぶかく固定し、伝承する。 しかし、他の種類の素質、微妙な素質を永久化するのは あまりに高価であるとおもうのか、 自然は個人の息とともにそれを発散させてしまう。 しかしわたくしは、このような素質を各個人に再三塗りつけて、 やがて自然がそれを採り入れて磁器にするための焼きを入れれば、 どの血筋においても固定し永久化するであろうと気づいている。 とにかくわたくしは、人びとの心にあるこの消えがたい信念は、 外界の宇宙が日々うつり変わりのはげしい浅浮彫りのなかに、 できるだけ多くの美徳と優秀性を象眼して、不朽の絵画に固めようという、 人間に対する暗示から来ていると解釈する。 もし、人格と風習の美について万人がいだく関心を考察し、 この美は人格の完成に緊要な忠誠と崇敬とを鼓吹するから、 想像と愛情にとっても絶対に重要であると仮定する。 そうだ、もし優秀で完成された人としての成果が 教養、法律、長子相続法、紋章、金などによって確保できるとすれば、 もろもろの手段はすでに講ぜられ、 苦痛に遭遇したというのが、全人類の関心事だろう。 どのような課税、譲歩、どんなに大きな特権の賦与も、高すぎる代価ではないだろう。 あのフランス革命は、ヨーロッパにおける寛容、美徳、希望、詩のすべてを その運動の第一段階に引きつけた。 王権と貴族の廃止により、専制、不平等、貧困は終局するだろう、と観測されたのだ。 だが、そうはいかなかった! 専制、不平等、貧困はあいかわらず頑固であり、凶暴であった。 同様にわれわれは民主主義に、 普通選挙の実施という極端にまで推進された共和制の原理に、 また多数の意志に信念を置く。 若い冒険家は、社会の関係や階級上の地位に倦怠と怒りとを感じて、 著名なものを襲撃する悪意にみちた各党派に身を投ずる。 彼はいつかの日に、著名なものを除去するのは不可能であり、 それは、事物の本性における差別であることを知るだろう。 政党の幹部会、新聞、議会、暴徒、断頭台、火事、あるいはこれらを総合しても、 個人の優秀性からくる腹立たしさと自負心は皮相的なのではなくて、 相手の本性がもつ真の特色に基礎を置くのだ。 彼に置ける優秀性はわたくしにおける劣等性であり、 かりにこの特定の相手が海綿によって自然から拭い去られるとすれば、 わたくしの劣等性は毎日、どこにいても、 ほかの人びとがいるためにやはりきわ立ってみえるだろう。 いや、もっと頑固な功利主義者でも、もし自愛の心があるとすれば、 何らかの意味での貴族主義の価値を疑問視しないだろう。というのは、 宇宙が人に提供する最高の善は最高の社会であるとだれも告白するから。 かりに少数の偉大な性格がわれわれのまえに現われて、 われわれと彼らのあいだに義務と職務を織りなすとすれば、 われわれのパンは美味となるだろう。 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.229 ~ 231 ) The terrible aristocracy that is in Nature. Real people dwelling with the real, face to face, undaunted: then, far down, people of taste, people dwelling in a relation, or rumor, or influence of good and fair, entertained by it, superficially touched, yet charmed by these shadows: —and, far below these, gross and thoughtless, the animal man, billows of chaos, down to the dancing and menial organizations. I observe the inextinguishable prejudice men have in favor of a hereditary transmission of qualities. It is in vain to remind them that Nature appears capricious. Some qualities she carefully fixes and transmits, but some, and those the finer, she exhales with the breath of the individual, as too costly to perpetuate. But I notice also that they may become fixed and permanent in any stock, by painting and repainting them on every individual, until at last Nature adopts them and bakes them into her porcelain. At all events I take this inextinguishable persuasion in men’s minds as a hint from the outward universe to man to inlay as many virtues and superiorities as he can into this swift fresco of the day, which is hardening to an immortal picture. If one thinks of the interest which all men have in beauty of character and manners; that it is of the last importance to the imagination and affection, inspiring as it does that loyalty and worship so essential to the finish of character, —certainly, if culture, if laws, if primogeniture, if heraldry, if money could secure such a result as superior and finished men, it would be the interest of all mankind to see that the steps were taken, the pains incurred. No taxation, no concession, no conferring of privileges never so exalted would be a price too large. The old French Revolution attracted to its first movement all the liberality, virtue, hope and poetry in Europe. By the abolition of kingship and aristocracy, tyranny, inequality and poverty would end. Alas! no; tyranny, inequality, poverty, stood as fast and fierce as ever. We likewise put faith in Democracy; in the Republican principle carried out to the extremes of practice in universal suffrage, in the will of majorities. The young adventurer finds that the relations of society, the position of classes, irk and sting him, and he lends himself to each malignant party that assails what is eminent. He will one day know that this is not removable, but a distinction in the nature of things; that neither the caucus, nor the newspaper, nor the Congress, nor the mob, nor the guillotine, nor fire, nor all together, can avail to outlaw, cut out, burn or destroy the offence of superiority in persons. The manners, the pretension, which annoy me so much, are not superficial, but built on a real distinction in the nature of my companion. The superiority in him is inferiority in me, and if this particular companion were wiped by a sponge out of Nature, my inferiority would still be made evident to me by other persons everywhere and every day. No, not the hardest utilitarian will question the value of an aristocracy if he love himself. For every man confesses that the highest good which the universe proposes to him is the highest society. If a few grand natures should come to us and weave duties and offices between us and them, it would make our bread ambrosial. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年03月18日
Photo By samantha Gillard & Kiba the Akita "bunnysmith2785" エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 15 自然は、運勢を人間の品性に結実することによって、 魔術師さながら、人間を運勢に合わせてしまう。 家鴨〈あひる〉は水に、鷲は空に、渉禽類は汀〈みぎわ〉に、猟師は森に、 店員は帳場に、軍人は前線に、心を向ける。 こうしてできごとは、人間とおなじ幹に茂り出る、いわば亜人間だ。 人生の喜びはその人生を生きる人間次第であり、仕事や地位には左右されない。 人生は一種の恍惚だ。恋にはどれほどの狂気がつきものか、 __つまらない物象を天国の色調で描くどれほどの能力がつきものかということを、 われわれは知っている。 正気を失った人間が、自分の服装や食事、その他の便宜に対して無関心であるように、 それにわれわれだとて夢のなかでは、このうえなく愚劣な行為を平然と行なうように、 われわれが口にする人生の盃〈さかずき〉にもうひとしずく酒をそそげば、 なじみのない仲間や仕事もなじめるものになる。 たとえばなめくじが体内から分泌した粘液で、 梨の葉のうえにぬるぬるとした家を作り、 りんごにつく毛の生えた油虫が分泌液で自分の寝床を、 そして貝が自分の殻を作るように、生物にはそれぞれに、 自分の体内から自分の境遇や生活の場を産み出す。 若いあいだわれわれは、わが身にさまざまな虹の衣服を着せ、 黄道帯に劣らず雄々しく進む。 年をとると、いままでとは種類のちがう汗を、 __通風、熱病、リューマチ、移り気、疑惑、苛立ち、強欲を分泌する。 ある人間の運勢は、当人の品性の結実だ。 あるひとと交わる友人たちは、そのひとにそなわる磁力だ。 「運命」の実例をわれわれは、ヘロドトスやブルタークに求めるが、 しかしわれわれこそが実例なのだ。 「ひとりびとりが自分の霊に耐えている」。 人間は誰でも、自分の資質にそなわっているものを、 ともすればすべて実行しようとする傾きがあり、 このことは、いくら宿命から逃れようと努力しても、 所詮はその宿命のなかに連れこまれることに役立つだけだという 昔ながらの信念に表れている。 わたしの気づいたところでは、 人間は、自分が実際にあげた功績よりも、功績をあげる立場のほうを、 窮極的に、あるいは全体的に素質がすぐれている証〈あかし〉として、 褒めてもらいたいものなのだ。 人間は、初めて見かけるように思えながら、実は自分の中からにじみ出て、 自分につきしたがうさまざまなできごとに、 自分の品性が射出されているのを見てとるものだ。 できごとは品性に一致して広がっていく。 かつては玩具にとりかこまれていたのが、 いまは巨大な秩序のなかで一定の役割を果たしており、 自分の成長ぶりが、自分のいだく大志、つきあう仲間、 行なう動作にはっきりと示される。 人間は一片の運のように見えるが、実は一片の因果関係であり、 彼の満たす隙間にうまくはまりこむように角をつけ、 磨き上げられたモザイク〔寄せ木細工〕だ。 だからこそどんな町にも、自分の頭脳や動作によって、 その町の耕作、生産、工場、銀行、教会、暮らしぶり、 社交を説明してくれる人間が誰かひとりはいるものだ。 もしそういう人間に出会う機会がなければ、 何を見ても少しは理解に苦しむはめになるものだが、 もしもそのひとに会えば、それがはっきりと分るものになるのだ。 マサチューセッツに住むわれわれには、 誰がニューベッドフォードを建設し、誰がリン、ロウェル、 ロレンス、クリントン、フィッチバーグ、ホーリヨーク、ポートランド、 そのほか多くの賑やかな商業中心地を建設したかが分っている。 こういう人びとは、もしも彼らが透明なら、 それぞれに人間というよりもむしろ歩く都会のように見え、 たといどこに住まわせてみても、おそらくまた都会を建設することだろう。 (『エマソン論文集 下』「運命」P.224 ~ 226 ) Nature magically suits the man to his fortunes, by making these the fruit of his character. Ducks take to the water, eagles to the sky, waders to the sea margin, hunters to the forest, clerks to counting-rooms, soldiers to the frontier. Thus events grow on the same stem with persons; are sub-persons. The pleasure of life is according to the man that lives it, and not according to the work or the place. Life is an ecstasy. We know what madness belongs to love, what power to paint a vile object in hues of heaven. As insane persons are indifferent to their dress, diet, and other accommodations, and, as we do in dreams, with equanimity, the most absurd acts, so, a drop more of wine in our cup of life will reconcile us to strange company and work. Each creature puts forth from itself its own condition and sphere, as the slug sweats out its slimy house on the pear-leaf, and the woolly aphides on the apple perspire their own bed, and the fish its shell. In youth, we clothe ourselves with rainbows, and go as brave as the zodiac. In age, we put out another sort of perspiration, gout, fever, rheumatism, caprice, doubt, fretting, and avarice. A man's fortunes are the fruit of his character. A man's friends are his magnetisms. We go to Herodotus and Plutarch for examples of Fate; but we are examples. "Quisque suos patimur manes." The tendency of every man to enact all that is in his constitution is expressed in the old belief, that the efforts which we make to escape from our destiny only serve to lead us into it: and I have noticed, a man likes better to be complimented on his position, as the proof of the last or total excellence, than on his merits. A man will see his character emitted in the events that seem to meet, but which exude from and accompany him. Events expand with the character. As once he found himself among toys, so now he plays a part in colossal systems, and his growth is declared in his ambition, his companions, and his performance. He looks like a piece of luck, but is a piece of causation; the mosaic, angulated and ground to fit into the gap he fills. Hence in each town there is some man who is, in his brain and performance, an explanation of the tillage, production, factories, banks, churches, ways of living, and society, of that town. If you do not chance to meet him, all that you see will leave you a little puzzled: if you see him, it will become plain. We know in Massachusetts who built New Bedford, who built Lynn, Lowell, Lawrence, Clinton, Fitchburg, Holyoke, Portland, and many another noisy mart. Each of these men, if they were transparent, would seem to you not so much men, as walking cities, and, wherever you put them, they would build one. Fate by Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor and Fields, 1860
2015年03月11日
Photo By Charlotte_L エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 14 何かしなければならないことがあるときには、 世界はそれをやりおおせる術〔すべ〕を心得ている。 植物の幼芽〈ようが〉は、必要に応じて、葉、果皮、根、樹皮、あるいは刺となり、 最初の細胞は、必要次第で、胃、口、鼻、あるいは爪にわが身を変え、 世界はおのれのいのちを、英雄や指導者の内部に宿らせて、 その人物を時代の求める場所におく。 ダンテやコロンブスは彼らの時代にはイタリア人だったが、 いまならロシア人かアメリカ人だろう。 事態が熟せば、新しい人間が登場する。適応は気まぐれに行なわれる事はない。 いつもかなたを目ざすこと、どこまでも目的をかなたへ延ばしつづけること、 さまざまな惑星が沈殿して結晶し、 それから獣や人間にいのちを与えていくときの相互関係、 __こういうものはとどまることなく、一段と精妙な細部にはいりこみ、 一段と精妙なものからもっとも精妙なものへと進んでいく。 世界の秘密とは、ひととできごとを結ぶ絆だ。 ひとができごとを、できごとがひとを作る。 「時勢」、「時代」、そういうものも結局は、 時代の縮図であるごとく少数の深遠なる人物たちやごく少数の活動的な人物たち、 __ゲーテ、ヘーゲル、メッテルニヒ、アダムズ、カルフーン、ギゾー、ピール、 コブデン、コシュート、ロスチャイルド、アスター、ブルーネルなど、 こういう種類の人物たちにほかなるまい。 両性のあいだ、あるいは動物たちの種族と、 それが口にする食物やそれが利用する劣等な種族たちとのあいだ同様、 人間と時代やできごととのあいだにも、 おなじ合致が存在すると推定されなければならない。 人間は、繫〈つな〉ぎ目が隠れているために、自分の運命を他人扱いする。 だが魂は、やがてわが身に起こるはずのできごとを、 すでにおのれの内部にふくんでいる。 何しろできごとは魂にそなわる想念の実現でしかなく、 われわれが自分自身に対して実現を求めることはいつもかなえられるからだ。 できごとは自分の姿を印刷したものだ。 自分の皮膚のようにぴったり合う。 人間ひとりびとりの行なうことは、その人間でなければできないことだ。 できごとは、その人間の体と精神の子供だ。 たとえばハーフィズが、___ 「何たることだ、わたしを導く者と運勢を導く者がひとつだと、 いまのいままで知らなかったとは」 と歌っているように、「運命」の魂が実はわれわれの魂であることを、 われわれは学ぶ。 人間を夢中にさせ、人間がそれを欲しさに遊びふけるすべての玩具は、 __家、土地、金、贅沢、権力、名声、どれもこれもまったくおなじひとつのもので、 ただ幻影の薄いヴェールが新しく一枚か二枚かけられているだけだ。 人間を弾丸に頭を砕かれてもいいという気持ちにしたり、 毎朝厳粛に閲兵〈えっぺい〉に引き出したりする太鼓の音やひびきのなかでも、 __もっともみごとなものと言えば、 われわれに、できごとは恣意的で、行為とは無関係だと信じこませるものだ。 手品師のところでは、われわれは、彼が人形を操る細い糸を見破るが、 原因と結果を結ぶ糸を見ぬくほどに鋭敏な目は持ち合わせていない。 (『エマソン論文集 下』「運命」P.222 ~ 224 ) When there is something to be done, the world knows how to get it done. The vegetable eye makes leaf, pericarp, root, bark, or thorn, as the need is; the first cell converts itself into stomach, mouth, nose, or nail, according to the want: the world throws its life into a hero or a shepherd; and puts him where he is wanted. Dante and Columbus were Italians, in their time: they would be Russians or Americans to-day. Things ripen, new men come. The adaptation is not capricious. The ulterior aim, the purpose beyond itself, the correlation by which planets subside and crystallize, then animate beasts and men, will not stop, but will work into finer particulars, and from finer to finest. The secret of the world is, the tie between person and event. Person makes event, and event person. The "times," "the age," what is that, but a few profound persons and a few active persons who epitomize the times? -- Goethe, Hegel, Metternich, Adams, Calhoun, Guizot, Peel, Cobden, Kossuth, Rothschild, Astor, Brunel, and the rest. The same fitness must be presumed between a man and the time and event, as between the sexes, or between a race of animals and the food it eats, or the inferior races it uses. He thinks his fate alien, because the copula is hidden. But the soul contains the event that shall befall it, for the event is only the actualization of its thoughts; and what we pray to ourselves for is always granted. The event is the print of your form. It fits you like your skin. What each does is proper to him. Events are the children of his body and mind. We learn that the soul of Fate is the soul of us, as Hafiz sings, Alas! till now I had not known, My guide and fortune's guide are one. All the toys that infatuate men, and which they play for, --houses, land, money, luxury, power, fame, are the selfsame thing, with a new gauze or two of illusion overlaid. And of all the drums and rattles by which men are made willing to have their heads broke, and are led out solemnly every morning to parade, --the most admirable is this by which we are brought to believe that events are arbitrary, and independent of actions. At the conjuror's, we detect the hair by which he moves his puppet, but we have not eyes sharp enough to descry the thread that ties cause and effect. Fate by Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor and Fields, 1860
2015年03月04日
Photo By Falon Gray Markow "Falon167" エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 13 自然界は同心円の大系だと考えることができそうだが、 ときおり自然界にちょっとした断層が見つかって、 われわれがいま立っているこ地表が、実は固定しているのではなく、 地すべりを起こしているのだと教えてくれることがある。 われわれをめぐる多種多様なこれら頑強な特質、 この化学作用や植物の機能、これらの金属や動物たちは、 すべておのれ自身のために存在しているように見えるが、 実は手段や方法でしかなく、 __神を語る言葉であって、ほかの言葉同様に移ろいやすいものなのだ。 原子にそなわる引力や親和力は究めたものの、これらが部分的に、 あるいは近似的にしか言い表していない一段と深遠な法則、 つまり似たもの同士が引き合い、 本来わがものである幸福なら必ず手もとに引かれてくるもので、 苦労したり犠牲を払ってまで追いかける必要はないという法則を、 まだ認識していない博物学者や科学者は、 自分の仕事を学びとったと言えるだろうか。 しかしその法則さえ、これまた近似的な表明でしかなく、 窮極的なものではない。 偏在ということのほうが、もっと高尚な事実だ。 何もわざわざ分かりにくい地下の水路づたいに、 友人や事実がおのれの同類に引きよせられる必要はなく、 正しく考えれば、こういうものは魂の不滅の生産行為から出てくるものだ。 原因も結果も、ひとつの事実にそなわる二つの側面なのだ。 果てしなくつづくこの行列の法則は、 われわれが美徳と呼ぶすべてのものの境界をさだめ、 ひとつひとつの美徳をさらにすぐれた美徳の光で消していく。 偉人には世俗的な意味での分別はあるまい。 分別がともかくあれば、それだけ威光がへることになる。 しかし分別を犠牲にするときには、自分がどういう神にそれを捧げるかを、 ひとりびとりが理解していなければならない。 もしもりっぱな責務なら、代わりに翼〈つばさ〉ある戦車が手にはいるのだから、 自分の騾馬〈らば〉や荷籠〈にかご〉ぐらいは手ばなしても大丈夫だ。 森を通ろうとするときに、ジェフリーは、 蛇に噛まれることから身を守るためにはそのほうが安全だからと考えて長ぐつをはき、 いっぽうエアロンはこういう危険があろうとは思いもしない。 何年ものあいだ、実際には、両者ともこういう事故で傷を受けていない。 しかしこういう災難に対して用心するごとに、 その災難の支配にわが身をゆだねていくようにわたしは思える。 最高の分別とは、どうやら最低の分別のようだ。 いったいこれは、自分の軌道の中心から、あまりに唐突に、 周辺めざして突っぱしることになるのだろうか。 われわれが、りっぱな情感に辿りついて安らぎを得たり、 あるいは今日の周辺を新たな中心に変えるまでに、いったい何度、 またしても哀れな思慮分別に逆もどりしなければならないかを考えてみるといい。 それだけでなく、ありったけの雄々しい情感をいだいてみても、 いちばん卑しい人びとさえ先刻ご承知の情感なのだ。 貧しい連中、身分の低い連中にも、こちら同様、彼らなりに、 哲学の窮極的な事実を表現する方法がある。 「無くて天国」とか、「窮すれば通じる」などは、 日常生活にそなわる超越思想を表現する諺だ。 (『エマソン論文集 下』「円」P.58 ~ 60 ) The natural world may be conceived of as a system of concentric circles, and we now and then detect in nature slight dislocations which apprize us that this surface on which we now stand is not fixed, but sliding. These manifold tenacious qualities, this chemistry and vegetation, these metals and animals, which seem to stand there for their own sake, are means and methods only, are words of God, and as fugitive as other words. Has the naturalist or chemist learned his craft, who has explored the gravity of atoms and the elective affinities, who has not yet discerned the deeper law whereof this is only a partial or approximate statement, namely that like draws to like, and that the goods which belong to you gravitate to you and need not be pursued with pains and cost? Yet is that statement approximate also, and not final. Omnipresence is a higher fact. Not through subtle subterranean channels need friend and fact be drawn to their counterpart, but, rightly considered, these things proceed from the eternal generation of the soul. Cause and effect are two sides of one fact. The same law of eternal procession ranges all that we call the virtues, and extinguishes each in the light of a better. The great man will not be prudent in the popular sense; all his prudence will be so much deduction from his grandeur. But it behoves each to see, when he sacrifices prudence, to what god he devotes it; if to ease and pleasure, he had better be prudent still; if to a great trust, he can well spare his mule and panniers who has a winged chariot instead. Geoffrey draws on his boots to go through the woods, that his feet may be safer from the bite of snakes; Aaron never thinks of such a peril. In many years neither is harmed by such an accident. Yet it seems to me that with every precaution you take against such an evil you put yourself into the power of the evil. I suppose that the highest prudence is the lowest prudence. Is this too sudden a rushing from the centre to the verge of our orbit? Think how many times we shall fall back into pitiful calculations before we take up our rest in the great sentiment, or make the verge of to-day the new centre. Besides, your bravest sentiment is familiar to the humblest men. The poor and the low have their way of expressing the last facts of philosophy as well as you. “Blessed be nothing” and “The worse things are, the better they are” are proverbs which express the transcendentalism of common life. Circles By Ralph Waldo Emerson from Essays: First Series Boston: James Munroe and Company, 1841
2015年02月25日
Photo By Clau.V.Art&Photography エマソン論文集(上)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613756/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 12 われわれを災害、欠陥、敵意から守ってくれるものとおなじ衛兵が、 われわれの望み次第で、利己心や欺瞞からも防いでくれる。 かんぬきや横木はわれわれの制度のなかで最善のものだとは言えず、 商売上のぬけめのなさも知恵の印〈しるし〉ではない。 人びとは、自分たちが詐欺にかかることのできる人間だという 愚かな迷信に生涯悩まされ続けている。 あるものが同時にあったりなかったりすることが不可能なように、 ある人間が彼自身以外の誰かにだまされるなどということは不可能だ。 われわれが行なう取引には、もの言わぬ第三者が立ち合っている。 ものの本性と魂が、正直な奉仕に無駄骨折りをさせないように、 契約の履行の保証をことごとく引き受けるのだ。 もしも忘恩の主人に仕えたら、それだけますますその主人に仕えたまえ。 神を君の負債者にしてしまえばいい。 仕事をすればどんなことでも必ず代償を払ってもらえる。 支払いが長びいていればいるほど、君にとってはそれだけとくなことなのだ。 複利に複利がついていくのが、この大蔵省が公認する利率であり慣例であるからだ。 迫害の歴史とは、自然を欺き、水に岡をのぼらせ、 砂でロープをなおうとするかずかずの努力の歴史だ。 行為者が大勢いようとひとりだろうと、 暴君だろうと暴徒だろうと、何のちがいもない。 暴徒とは、みずから望んで理性を投げ捨て、 理性の働きを妨害しようとする一団の者たちのことだ。 暴徒とは、みずから望んで人間が 獣〈けだもの〉の本性のところまでおりていくことだ。 動きまわるのにふさわしい時間は夜だ。 行動はその全体の構造にふさわしく、気ちがいじみている。 原則を迫害し、正義を鞭打とうとし、 こういうものをそなえている人びとの家に火を放ち、 体に対して暴行を加えたりして、公正を無残に痛めつけようとする。 これはたとえば、星群に向かって流れ出ていく赤い黎明〈れいめい〉の光を消そうと 消防ポンプを連れて駆けつける少年たちの悪ふざけに似ている。 不可侵の霊が暴徒の怨念を犯罪者たちのほうに向ける。 殉教者からその名誉を奪いとることはできない。 鞭のひと打ちひと打ちがすべて高名を告知する言葉なのだ。 新しく投獄されるたびごとに、牢獄はさらに輝きを増していく住居〈すまい〉となり、 焼かれる家や書物はことごとく世界に光明を与え、 抑圧されたり抹殺されたりした言葉は、 どれもこれも、この地上のすみからすみまでくまなく反響をひびかせる。 正気と思慮の目ざめるときが、個人ばかりではなく、 社会のもとにもつねに訪れてきて、真理は姿を現わし殉教者は義人だと認められる。 このようにあらゆるものが、境遇は無縁であることを説いている。 人間こそがすべてなのだ。 ものはどれでも善と悪の二面をそなえている。 どんな利便にもそれなりの義務が課せられている。 わたしは満足するすべを学ぶ。 しかし償いの教義は無縁を説く教義ではない。 こういう説明を聞くと、思慮の浅い者たちはこんなふうに言う、 ___いったいりっぱに振舞ったところで何になる、 善でも悪でも同じことだ、たとい何かの益を得ても、その代価を支払わねばならぬ。 たとい何かの益を失っても、ほかの益が何か手にはいる、 どんなふうに行動してもつまりは同じことになる。 魂の内部には償いよりも深遠な事実が、すなわち魂自身の本性がそなわっている。 魂は償いではなくて、いのちなのだ。存在なのだ。 完璧な均衡を保って干満をくり返すこの流動する状況の海全体の下には、 本当の「存在」が住む原初の深淵がある。 「本質」、つまり神は、関係や部分ではなくて、全体なのだ。 「存在」は広大な肯定であって、否定を峻拒〈しゅんきょ〉し、みずから均衡を保ち、 関係、部分、時間をことごとくおのれ自身の内部に吸収しつくす。 自然、真実、徳は、その本源から流れこんでくる。 悪徳とは、この本源を持たず、この本源から逸脱していることにほかならない。 現に「無」、つまり「虚妄」は、巨大な「夜」、つまり影と考えてよく、 これを背景として、いのちをそなえた宇宙がおのれ自身を描き出すが、 どんな事実もいっこうに産めぬ始末だ。 仕事もできない。存在していないからだ。 どんな益も作り出せず、どんな害も作り出せない。 存在するよりも存在しないほうが悪いというかぎりにおいて害なのだ。 (『エマソン論文集 上』「償い」P.269 ~ 272 ) The same guards which protect us from disaster, defect, and enmity, defend us, if we will, from selfishness and fraud. Bolts and bars are not the best of our institutions, nor is shrewdness in trade a mark of wisdom. Men suffer all their life long, under the foolish superstition that they can be cheated. But it is as impossible for a man to be cheated by any one but himself, as for a thing to be and not to be at the same time. There is a third silent party to all our bargains. The nature and soul of things takes on itself the guaranty of the fulfilment of every contract, so that honest service cannot come to loss. If you serve an ungrateful master, serve him the more. Put God in your debt. Every stroke shall be repaid. The longer the payment is withholden, the better for you; for compound interest on compound interest is the rate and usage of this exchequer. The history of persecution is a history of endeavours to cheat nature, to make water run up hill, to twist a rope of sand. It makes no difference whether the actors be many or one, a tyrant or a mob. A mob is a society of bodies voluntarily bereaving themselves of reason, and traversing its work. The mob is man voluntarily descending to the nature of the beast. Its fit hour of activity is night. Its actions are insane like its whole constitution. It persecutes a principle; it would whip a right; it would tar and feather justice, by inflicting fire and outrage upon the houses and persons of those who have these. It resembles the prank of boys, who run with fire-engines to put out the ruddy aurora streaming to the stars. The inviolate spirit turns their spite against the wrongdoers. The martyr cannot be dishonored. Every lash inflicted is a tongue of fame; every prison, a more illustrious abode; every burned book or house enlightens the world; every suppressed or expunged word reverberates through the earth from side to side. Hours of sanity and consideration are always arriving to communities, as to individuals, when the truth is seen, and the martyrs are justified. Thus do all things preach the indifferency of circumstances. The man is all. Every thing has two sides, a good and an evil. Every advantage has its tax. I learn to be content. But the doctrine of compensation is not the doctrine of indifferency. The thoughtless say, on hearing these representations, What boots it to do well? there is one event to good and evil; if I gain any good, I must pay for it; if I lose any good, I gain some other; all actions are indifferent. There is a deeper fact in the soul than compensation, to wit, its own nature. The soul is not a compensation, but a life. The soul _is_. Under all this running sea of circumstance, whose waters ebb and flow with perfect balance, lies the aboriginal abyss of real Being. Essence, or God, is not a relation, or a part, but the whole. Being is the vast affirmative, excluding negation, self-balanced, and swallowing up all relations, parts, and times within itself. Nature, truth, virtue, are the influx from thence. Vice is the absence or departure of the same. Nothing, Falsehood, may indeed stand as the great Night or shade, on which, as a background, the living universe paints itself forth; but no fact is begotten by it; it cannot work; for it is not. It cannot work any good; it cannot work any harm. It is harm inasmuch as it is worse not to be than to be. Compensation By Ralph Waldo Emerson from Essays: First Series Boston: James Munroe and Company, 1841
2015年02月18日
Photo By samantha Gillard & Kiba the Akita 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 11 聡明な職人は、自分の仕事の才能を誘いだしてくれた貧困や孤独を悔やむことをしない。 青年たちは資産家の子弟が身につけている上品な態度や さまざまのたしなみに魅せられてしまう。 だが、偉大な人間はすべて中産階級から現われる。 そのほうが頭脳や心情の養いとなるからだ。 マーカス・アントニヌスの言葉によれば、 「いわゆる高貴な生まれの人間は無情だ」 とその師フロントが彼に教えてくれたという。 これに反して、無知な人間のやさしい思いやりくらい、 深い教養を示しているものはない。 チャールズ・ジェイムズ・フォックスはこういっている __「わが国の歴史が示すところでは、豊かな境遇にいる人間からは、 油断のない心づかいや、精力や努力を期待することはできない。 ところで、これらのものが無くては英国の下院は、その最大の力と重みを失うであろう。 人間性は放縦に流れやすく、もっとも称賛に値する公共への奉仕は、 つねに富とは無縁な生活状態にある人びとによってなされて来たのである。」 ところが、私たちが日毎に願い求めるのは、習俗に従うことなのである。 「思いやり深き神々よ、願わくば、競争場裡においてわれを不利をならしめる、 挙措〈きょそ〉や容姿や財産上の欠陥を補いたまえ。 しかしてわれをわが憧憬する他の人びとの如くならしめ、彼らと親交を結ばしめたまえ。」 だが聡明な神々は答える __「いや自分たちはお前にもっといいものを与えよう。 屈辱と、敗北と、同情の喪失と、他の人間からの懸隔〈けんかく〉の深淵とによって、 立派な紳士のもつよりも大きな真理と人情とを学ぶがいい。」 ニューヨークの五番街に住む地主、ウェスト・エンドに家作をもつ人間は、 最高級の人間ではない。 善良な心と健全な精神は、別に条件を必要とするものではないが、 万人のために賢者たらんとする者は、あまりに庇護されてはならない。 彼は、貧乏人の眠る小屋や、貧乏人のする雑役を知らなければならない。 イソップ、ソクラテス、セルヴァンテス、シェイクスピア、フランクリンなどの 第一級の精神は、貧乏人の気持ちや屈辱を経験した人びとであった。 金持は、一生、人から辱かしめを受けたことはなかったに違いないが、 いまあげたようは人間は身を刺すような侮蔑に堪えねばならなかったのだ。 金持は寒さや飢えや戦争や暴漢のために危険に陥ったことはなかったに違いないが、 なぜそうだったかといえば、彼の思想が穏健すぎたせいだということがわかる。 人から甘やかされたり、菓子を食いすぎたりすることは、 その人間にとって致命的不利になる。 こんな人間は、彼の男をためすどんな試練に堪え得るというのだろう。 こんな人間を他人の庇護の下から脱せしめるがいい。 そうすれば立派な簿記係となり、保険会社の抜け目のない顧問になるだろう。 あるいは大学の試験に通って学位をとるだろう。 あるいはまた法廷で賢明な助言を与えることができるようになるだろう。さらにまた、 こんな人間を農夫や消防夫やインディアンや移民のなかに置いてみるがいい。 猛犬を彼にけしかけ、追いはぎをして彼に襲わせ、 暴徒のために散々な目に遭う経験をさせ、 カンサスやパイクス・ピークやオレゴンに彼を送るがいい。 もし彼が真の力を持っているならば、これこそ彼の必要とするものかもしれないのだ。 彼はそこから、より広い知恵と男らしい力とを身につけて現われて来るであろう。 イソップ、サーディ、セルヴァンテス、ルナール〔訳注・フランスの喜劇作者 1665-1709 〕は、 海賊に襲われ、死人として遺棄され、奴隷として売られて、 人間生活の真実を知るに至ったのである。 (『エマソン選集3』「随想余録」P.135 ~ 136 ) The wise workman will not regret the poverty or the solitude which brought out his working talents. The youth is charmed with the fine air and accomplishments of the children of fortune. But all great men come out of the middle classes. 'Tis better for the head; 'tis better for the heart. Marcus Antoninus says, that Fronto told him, "that the so-called high-born are for the most part heartless;" whilst nothing is so indicative of deepest culture as a tender consideration of the ignorant. Charles James Fox said of England, "The history of this country proves, that we are not to expect from men in affluent circumstances the vigilance, energy, and exertion without which the House of Commons would lose its greatest force and weight. Human nature is prone to indulgence, and the most meritorious public services have always been performed by persons in a condition of life removed from opulence. " And yet what we ask daily, is to be conventional. Supply, most kind gods! this defect in my address, in my form, in my fortunes, which puts me a little out of the ring: supply it, and let me be like the rest whom I admire, and on good terms with them. But the wise gods say, No, we have better things for thee. By humiliations, by defeats, by loss of sympathy, by gulfs of disparity, learn a wider truth and humanity than that of a fine gentleman. A Fifth-Avenue landlord, a West-End householder, is not the highest style of man: and, though good hearts and sound minds are of no condition, yet he who is to be wise for many, must not be protected. He must know the huts where poor men lie, and the chores which poor men do. The first-class minds, Æsop, Socrates, Cervantes, Shakspeare, Franklin, had the poor man's feeling and mortification. A rich man was never insulted in his life: but this man must be stung. A rich man was never in danger from cold, or hunger, or war, or ruffians, and you can see he was not, from the moderation of his ideas. 'Tis a fatal disadvantage to be cockered, and to eat too much cake. What tests of manhood could he stand? Take him out of his protections. He is a good book-keeper; or he is a shrewd adviser in the insurance office: perhaps he could pass a college examination, and take his degrees: perhaps he can give wise counsel in a court of law. Now plant him down among farmers, firemen, Indians, and emigrants. Set a dog on him: set a highwayman on him: try him with a course of mobs: send him to Kansas, to Pike's Peak, to Oregon: and, if he have true faculty, this may be the element he wants, and he will come out of it with broader wisdom and manly power. Æsop, Saadi, Cervantes, Regnard, have been taken by corsairs, left for dead, sold for slaves, and know the realities of human life. Considerations by the Way, By Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor and Fields, 1860 facebook - Ralph Waldo Emerson,Philosopher-Poet
2015年02月11日
Photo By Aase Lange 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 10 私たちは夢から夢へ運ばれ、幻想には果てしがない。 人生とは、ひとつなぎのガラス玉に似た一連の気分にほかならない。 私たちがさまざまの気分のなかを通りぬけてゆくと、 それらは色さまざまのレンズに似ていることがわかる。 それらのレンズは、この世界を自分の色で染め、それぞれ、 自分の焦点のなかにあるものしか私たちに見せてはくれない。 山からは、山だけが見える。 私たちは、能〈あた〉うかぎりのものに生命をあたえるが、 私たちの目に見えるのは、自分が生命をあたえるものだけだ。 自然と書物とは、自然と書物とを見る力のある目にのみ属する。 ある人間には日没が見えるか美しい詩が見えるかは、 その人間の気分如何にかかっている。 日没はいつでもあるし、天才はいつでも存在する。 だが、私たちが自然や批評のよろこびをほんとうに味わえるのは、 静かな二、三時間にすぎない。 その時間が多いか少ないかは、その人間の体質や気質に左右される。 人間の気質は、ガラス玉をつなぐ針金である。 冷たい、欠陥の多い天性をもった人間には、好運も才能も何の役に立とう。 椅子に腰かけたまま眠りこけたり、やたらに声を立てて笑ったり、 下品なくすくす笑いをしたり、主我癖〈しゅが ぐせ〉に染まったり、 金のことばかり考えたり、食い物のそばを素通りできなかったり、 少年時代に早くも子供をつくったりするような人間だったら、 その人間があるときすぐれた感受性や識別力を示したとて、だれがかまうものか。 たとい、天才をもっていても、 その目があまりに凸面だったり凹面だったりしていて、 人間生活の現実の視界のなかに焦点距離を発見できないとしたら、 天才も何の役に立とう。 頭が冷たすぎたり熱すぎたりしたら、 そして当人が自分の思想から生まれる結果というものを充分重んじないために、 自分の思想の実験を始めたり、それを続ける気持になれないとしたら、 天才も何の役に立とう。 あるいはまた、蜘蛛の巣があまりに精巧に出来ていて、 快楽や苦痛にあまりに動かされやすく、 そのために、受容するものばかり多くて、 適当な出口がないので生活が停滞するとしたら、何の役に立とう。 以後誓って改めますと雄々しく誓約しても、 かつて掟を破った同じ人間がその誓約するをするのだったら何の役に立とう。 宗教的感情というものが、人知れず、春夏秋冬の季節や 血気の状態に依存しているのではないかと思われたりしたら、 宗教的感情は人にどんな励ましをあたえることができるのだろうか。 私の知人に機知に富んだ医者がいて、 この医者は人間の宗教的信条は輸胆管にありとして、 肝臓に病気があればその人間はカルヴィン派の信者になるし、 肝臓が丈夫ならばユニテリアン派の信者になるのだと言っていた。 何か不都合なものを過度にもっていたり、愚かしい行為があったりして、 天才への期待が崩れ去ってしまうのは、いやな、屈辱的な経験である。 俺は新しい世界を創造をしてみせると簡単に気前よく受けあってみせる青年たちに、 私たちはよくおめにかかるが、彼らは絶対に約束を果たしたためしがない。 若死にして負債の支払から身をかわすか、 生きのびて有象無象のひとりになってしまうのである。 (『エマソン選集3』「経験」P.182 ~ 184 ) Dream delivers us to dream, and there is no end to illusion. Life is a train of moods like a string of beads, and, as we pass through them, they prove to be many-colored lenses which paint the world their own hue, and each shows only what lies in its focus. From the mountain you see the mountain. We animate what we can, and we see only what we animate. Nature and books belong to the eyes that see them. It depends on the mood of the man, whether he shall see the sunset or the fine poem. There are always sunsets, and there is always genius; but only a few hours so serene that we can relish nature or criticism. The more or less depends on structure or temperament. Temperament is the iron wire on which the beads are strung. Of what use is fortune or talent to a cold and defective nature? Who cares what sensibility or discrimination a man has at some time shown, if he falls asleep in his chair? or if he laugh and giggle? or if he apologize? or is affected with egotism? or thinks of his dollar? or cannot go by food? or has gotten a child in his boyhood? Of what use is genius, if the organ is too convex or too concave, and cannot find a focal distance within the actual horizon of human life? Of what use, if the brain is too cold or too hot, and the man does not care enough for results, to stimulate him to experiment, and hold him up in it? or if the web is too finely woven, too irritable by pleasure and pain, so that life stagnates from too much reception, without due outlet? Of what use to make heroic vows of amendment, if the same old law-breaker is to keep them? What cheer can the religious sentiment yield, when that is suspected to be secretly dependent on the seasons of the year, and the state of the blood? I knew a witty physician who found theology in the biliary duct, and used to affirm that if there was disease in the liver, the man became a Calvinist, and if that organ was sound, he became a Unitarian. Very mortifying is the reluctant experience that some unfriendly excess or imbecility neutralizes the promise of genius. We see young men who owe us a new world, so readily and lavishly they promise, but they never acquit the debt; they die young and dodge the account: or if they live, they lose themselves in the crowd. Experience, By Ralph Waldo Emerson from Essays: Second Series Boston: James Munroe, 1844; English edition, London: John Chapman, 1844. facebook - Ralph Waldo Emerson,Philosopher-Poet
2015年02月04日
Photo By Musgrove and the Pumi 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 9 商業は、いわば熟練の競技であって、 誰でもがこの競技に参加し得るわけではなく、 まして競技上手のものはきわめて少ししかいない。 商人となるにふさわしい人間とは、 さまざまの能力の平均値(これがいわゆる「常識」なのだ)をもった人間、 事実というものに強い親和力をもっていて、 自分が目で見たものについて決断をなし得る人間である。 こんな人間は算数の教える真理を信じてやまない。 幸運や不幸を招くのはいつも当人のなかにあるものだが、 金儲けについても同じことがいえる。 人びとは、金儲けには何か摩訶不思議〈まかふしぎ〉な秘術でもあるかのように語り、 人生の万般にそんなものがあるのだと思いこんでいる。 ところが本当の商人は、万事昔と変わらぬ仕方で動くのであって、 1ポンドは1ポンド、1セントには1セント、 結果にはすべてそれだけの原因があるのだということ、そして、 幸運とは目的にたいする粘り強さの別名にほかならぬこと、を心得ているのである。 彼らはあらゆる取り引きにおいてわが身を守り、 ささやかではあっても確実な利得を好む。 この場合、誠実さと、事実に密着することとが基礎になしているが、 商法の大家たちは、これに加えるに、 ある種の、「長期にわたる計算」という態度を併せもっている。 事実を精確に知ってそれに固執することは、身近の小さい取引には容易であるが、 問題は、こうしたものと、数多くの、遠方で行なわれる取引とを結合することにある。 こうすることによって、安全を犠牲とせずに大きな結果に到達できるのである。 ナポレオンはマルセイユのある銀行家のことを好んで語ったが、この銀行家は、 二人が会った銀行の会計室のみすぼらしさがあまりに対照的なのに驚いたのを見て、 こういったという __「あなたはまだ若いから、集合体というもの (これのみが本当なのであって、金〈かね〉の集合体であろうと、 水の集合体であろうと、人間の集合体であろうと同じなのだ)が どうしてつくられるかご存知ない。 集合体は運動の大きさの中心なのだが、まずそれをつくり始め、 そのあとで維持しなければならないのだ。」 その銀行家は、それをつくり始め維持する方法は 微粒子を支配する法則に服従することによる、 と一言つけ加えるべきだったかもしれない。 成功とは世界の法則にぴったりと適合してゆくことにある。 ところで、その法則は知的で道徳的なものなのだから、 これは、知的・道徳的な服従ということになる。 経済学は、人間の生活というものを知らせ、法則というものが、あらゆる私的な、 相対立する影響力を上から支配していることを教えてくれる書物として、 現代に伝えられて来たどんな聖典にも劣らぬものがある。 (『エマソン選集3』「富」P.94, 95 ) Commerce is a game of skill, which every man cannot play, which few men can play well. The right merchant is one who has the just average of faculties we call common sense; a man of a strong affinity for facts, who makes up his decision on what he has seen. He is thoroughly persuaded of the truths of arithmetic. There is always a reason, in the man, for his good or bad fortune, and so, in making money. Men talk as if there were some magic about this, and believe in magic, in all parts of life. He knows, that all goes on the old road, pound for pound, cent for cent,—for every effect a perfect cause, —and that good luck is another name for tenacity of purpose. He insures himself in every transaction, and likes small and sure gains. Probity and closeness to the facts are the basis, but the masters of the art add a certain long arithmetic. The problem is, to combine many and remote operations, with the accuracy and adherence to the facts, which is easy in near and small transactions; so to arrive at gigantic results, without any compromise of safety. Napoleon was fond of telling the story of the Marseilles banker, who said to his visitor, surprised at the contrast between the splendor of the banker's chateau and hospitality, and the meanness of the counting-room in which he had seen him, —"Young man, you are too young to understand how masses are formed, —the true and only power, —whether composed of money, water, or men, it is all alike, —a mass is an immense centre of motion, but it must be begun, it must be kept up:" —and he might have added, that the way in which it must be begun and kept up, is, by obedience to the law of particles. Success consists in close appliance to the laws of the world, and, since those laws are intellectual and moral, an intellectual and moral obedience. Political Economy is as good a book wherein to read the life of man, and the ascendency of laws over all private and hostile influences, as any Bible which has come down to us. Wealth, By Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: James R. Osgood and Co., Late Ticknor & Fields, and Fields, Osgood, & Co. 1871 facebook - Ralph Waldo Emerson,Philosopher-Poet
2015年01月28日
Photo By jen W2010 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 8「動物保護、民間防衛を実行するにはやはり資金が必要だ」という発想の元に開始した本項であるが、もっとも確実な資本の増やし方は R.W.エマソンがくり返し説く通り、「浪費、無駄遣いしないこと」、まったくこれに尽きる。“引き寄せの法則”やその他オカルト(?)的な方法に即効性はない。趣味や娯楽の名の下、湯水のごとく使われる金額はどれほどに上るであろう。書画骨董、刀剣類は素人や中流以下の所得層が入り込むにはいささか手遅れだ。本当によいものは収まるところへ収まってしまっているから、注意深く見ておれば、よくない商品が、客と業者の手から手へ、短いサイクルで絶え間なく流動しているだけだと気づくだろう。ましてや「貧者の“刀剣正宗”」に相当する高額カスタムナイフなど笑止千万、志〔こころざし〕を立てた人間が買うには値しない代物だとはっきり書いておく。 Photo By Charles Schnyder 大都会の社会は赤ん坊じみていて、富はその赤ん坊の玩具に似たものになっている。 快楽を追う生活は人目を奪うものがあるので、 それをまのあたりに見るあさはかな人間は、 これこそ万人が認める富の最善の利用法なのだ、口実は何であれ、 富は結局これを楽しむことに終る、と思いこんでしまう。 だが、これが余剰資本の主なる用途だとなると、 バリケードと焼き払われた町と戦斧〈いくさおの〉といった事態が たちまち現出することになるであろう。 物のわかった人間ならば、富とは自然を自分に同化させたものであり、 この地球の液汁を変じて自分の計画の実現と栄養に役立たせたものにほかならない、 と考える。 彼らが求めるのは、お菓子ではなくて力なのだ。 自分の計画を実行にうつす力、自分の思想に手足を与え、 形と現実性を与える力なのである。 ものがよく見える人間にとっては、これこそ宇宙が存在する目的であり、 この宇宙に存在するいっさいの資源は そのためにこそ上手に用いられなければならないのである。 コロンブスの考え方によると、この地球は机上の幾何学の研究対象であると同時に、 航海すべき場所なのであって、 彼には、自分のために船の支度をして送り出してくれない国王や国民は ことごとく臆病者にしか見えないのである。 地球上で、コロンブスほど地球を身近に感じていた人間は少ないであろう。 だが彼もその地図の多くの部分を空白のままに残すことを余儀なくされた。 彼に続く者たちはこの地図を受けつぎ、彼の狂熱をも受けついで その地図を完全なものとしたのである。 (『エマソン選集3』「富」P.87, 88 ) Society in large towns is babyish, and wealth is made a toy. The life of pleasure is so ostentatious, that a shallow observer must believe that this is the agreed best use of wealth, and, whatever is pretended, it ends in cosseting. But, if this were the main use of surplus capital, it would bring us to barricades, burned towns, and tomahawks, presently. Men of sense esteem wealth to be the assimilation of nature to themselves, the converting of the sap and juices of the planet to the incarnation and nutriment of their design. Power is what they want,—not candy;—power to execute their design, power to give legs and feet, form and actuality to their thought, which, to a clear-sighted man, appears the end for which the Universe exists, and all its resources might be well applied. Columbus thinks that the sphere is a problem for practical navigation, as well as for closet geometry, and looks on all kings and peoples as cowardly landsmen, until they dare fit him out. Few men on the planet have more truly belonged to it. But he was forced to leave much of his map blank. His successors inherited his map, and inherited his fury to complete it. Wealth, By Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: James R. Osgood and Co., Late Ticknor & Fields, and Fields, Osgood, & Co. 1871 facebook - Ralph Waldo Emerson,Philosopher-Poet
2015年01月21日
Photo By Madelén Eriksen ゼイリブ 【初回限定版】【Blu-ray】 監督:ジョン・カーペンター 出演:ロディ・パイパー, メグ・フォスター, キース・デヴィッド 他 発売元:TCエンタテインメント株式会社、是空 http://books.rakuten.co.jp/rb/12818137/ ※本商品はBlu-rayDisc Videoになります。DVDではありません。
2015年01月14日
Photo By Mel "ybmel" 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 7 すべての力は同一の種類なのであって、 この世界のもつ本質的な力を分けもつことなのだ。 自然界の法則に調和した精神をもつ人間は、 事件の流れに身をまかせ、それがもつ力を受けて強くなる。 ある人間は、いわば、 事件をつくりあげているものと同じ種類の材料でつくられている。 したがって、事の成り行きに共感し、それを予言できるというわけである。 何が起こっても、それはまず彼に起こる。 だから彼は、これから起こることに対処できる。 人間を知っている者は、政治についても商業についても 法律についても戦争についても終了についても、巧みに論ずることができる。 なぜなら、どこにいても、人間は同じ仕方で動かされるものだからである。 たくましい鼓動のもつ利点は、 どんなに骨を折っても、どんなわざをもってしても、 何びとの協力によっても、得られるものではない。 それは風土に似ていて、そこでは、作物はたやすく育ち、 他のどんな草も灌漑〈かんがい〉も工作も肥料も、これに敵することはできない。 それはまた、ニューヨークやコンスタンチノープルに似ている。 そこでは、資本や才能や労力を集めるのに外交的手腕など必要としない。 それらのものは、水が流れてくるように、自然に集まるのだ。 ひろやかで、すこやかで、堂々とした知性というものは、 昼も夜も夥しい船が漂い集まってくる、 目に見えぬ河、目に見えぬ大洋の岸辺に存在するのではないかと思う。 そうした知性のふところに流れこんでくるものを得ようと謀って、 他の人間たちが待ち伏せしているわけだ。 このたくましい力は、あらゆる人間の秘訣であり、 あらゆる人間の発見を待ちもうけている。 この力が、天才や学者の示す一つ一つの事実を 意のままに左右しないことがあるとしても、 それはこの力が広大な、悠揚〈ゆうよう〉迫らないものであって、 天才や学者などは努力の対象とするに値しないものと考えているからなのである。 (『エマソン選集3』「力」P.54, 55 ) All power is of one kind, a sharing of the nature of the world. The mind that is parallel with the laws of nature will be in the current of events, and strong with their strength. One man is made of the same stuff of which events are made; is in sympathy with the course of things; can predict it. Whatever befalls, befalls him first; so that he is equal to whatever shall happen. A man who knows men, can talk well on politics, trade, law, war, religion. For, everywhere, men are led in the same manners. The advantage of a strong pulse is not to be supplied by any labor, art, or concert. It is like the climate, which easily rears a crop, which no glass, or irrigation, or tillage, or manures, can elsewhere rival. It is like the opportunity of a city like New York, or Constantinople, which needs no diplomacy to force capital or genius or labor to it. They come of themselves, as the waters flow to it. So a broad, healthy, massive understanding seems to lie on the shore of unseen rivers, of unseen oceans, which are covered with barks, that, night and day, are drifted to this point. That is poured into its lap, which other men lie plotting for. It is in everybody's secret; anticipates everybody's discovery; and if it do not command every fact of the genius and the scholar, it is because it is large and sluggish, and does not think them worth the exertion which you do. Power, By Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: James R. Osgood and Co., Late Ticknor & Fields, and Fields, Osgood, & Co. 1871 facebook - Ralph Waldo Emerson,Philosopher-Poet
2015年01月07日
Photo By Turnertower エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 逐次報告 2014.12.31 さて、本稿ではヒンズー教の教典や R.W. エマソンの著書から抜き書きしている最中であるが、これらの書物では願望実現の手段として「引き寄せの法則」をまったく重要視していない点は面白い。それと正反対に、『ザ・シークレット』や諸々の『引き寄せの法則』本は、金銭と物品と、より快適な環境、利益をもたらす人間関係の獲得のみに終始する。たとえば『マスターの教え (旧題 運命の貴族となるために)』 (ジョン マクドナルド 著 山川紘矢 山川亜希子 訳 飛鳥新社 発行)などは前半の導入部も含め、全編が願望実現指南、といった具合である。 http://books.rakuten.co.jp/rb/1352113/ 意識はどんなものの形であれ、 あるイメージという心象とも言うべきものを持っています。 意識の中にどんな形であろうと、 しっかりと保たれた心象は、必ず実現します。 これこそ、偉大かつ不変な宇宙の法則なのです。 この法則と賢く協力しあうことによって、 私たちは人生のいかなる状況、いかなる局面においても、 人生を完全にマスターすることができます。 あなたは自分の心の中で、秘かに欲しいと望んでいたものが、 いくらもたたないうちに手に入ったという例を思い出すことができますか? あるいは、特定の人に会うかもしれないという気がして、 ほんのしばらくたつと、その人が本当に現われたということはありませんか? あなたは 「おやおや、これは偶然ですね! 今朝、あなたのことを考えていたのですよ」 と言うかもしれませんね。 しかし、これは単なる偶然の一致ではありません。 少しも不思議なことではありません。 これは明確な「法則」が働いた自然の結果なのです。 しかし、もしこれが本当なら、 どうして私たちの望みのすべてが実現しないのでしょうか? 多くの願いは実現しているのですが、私たちが気がつかなかったり、 「宇宙の法則」を知らないために、気づかずに過してしまうのです。 そしてまた、まったく実現しないものも沢山あります。(以下略) (第八章「意識に保たれた心象は、必ず実現します」 P.65, 66 ) 次に、上記引用文に対する反証を『きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る』(マイケル・W・フリードランダー 著 田中嘉津夫・久保田 裕 訳 白揚社 発行)から抜粋してみよう。 http://books.rakuten.co.jp/rb/879196/ 超心理学とこれまでの章で扱ってきた問題とは、重要な点で違いがある。 超心理学に含まれる現象は、 たとえばそれがはるかに強烈な形をとっているにせよ、 大多数の普通の人たちが経験していることとしばしば似ているようなのだ。 これと対照的に、たいていの人は 核融合やら彗星の衝突を個人的に経験することなどない。 おそらくUFOによる誘拐事件を除けば、超心理学には、 他のすべての疑似科学現象にはまったく見られないほど 個人的な実感といったものがある。 たとえば、すでに何年も前に故人となっていたり、 遠く離れているはずの友人や親類の 非常に生き生きとした印象を感じるということは、 誰にでもあることである。 また、誰かのことを考えていたら、そのすぐ後でその人から、 あるいはその人のことで電話がかかってきたり手紙がきたという類の体験は、 おそらくほとんど誰もが経験していることだろう。 他の人が何と言おうとしているか、事前にわかってしまうことだってあるだろう。 おそらくこの種の偶然の一致が、 私たちの思い浮かべる超常現象にもっとも近いものではないだろうか。 しかし、これには合理的な説明がつけられるのである。 非常に目を引く偶然の一致が起こる確率は、 10億、1兆、あるいはもっと大きな回数に一度あるかないかだから、 あまり陳腐でない原因を探し求めなければならない、という意見がよく聞かれる。 だが、この論法の弱さは、統計というもののなかに潜んでいる 人をつい錯覚させてしまうような性質にある。 まず第一に、100万にひとつということは本当だとしよう。 でも一人ひとりのあたる確率がどんなに低い宝くじでも、 結局のところ誰かしらに当たるというのもまた事実なのである。 第二に、いかにそうなる可能性が小さいとしても、その分だけ試行回数が多ければ、 偶然の一致が起きる回数は少なくはならないだろう、ということがいえる。 物理学者のルイス・アルヴァレスが、このことを実にうまく表現している。 彼は、ある友人の死を知らされるわずか数分前に、 まったく偶然でその人物のことを思い出す確率の大きさを見積もる 単純な計算法を示してみせた。 アルヴァレスは非常に合理的な仮定のうえに立って、 アメリカに約1億人の大人がいるとすれば、毎日約10人はこういった 「驚くべき」偶然の一致を体験していると考えてよいはずだ、という計算を示した。 統計学にあまり明るくない人をこの話で納得させることは無理かもしれないが、 こういった問題に批判的な問いを投げかける必要がある、 ということくらいはきっとわかってもらえるだろう。 見知らぬ現象であっても真っ当な説明がありはしないか? 統計的な確率は、ちゃんと注意深く扱われているか? 実際のところ、正しく確率が計算できるところまで、 充分しっかりと状況は把握されているのだろうか? その一方でたいていの人たちは、現代の超心理学は非常に巧緻を極めており、 その方法論も大変進んできているということを気づかないままでいる。 たくさんの人が経験し、大変素朴な解釈がなされている個人的経験といったものが、 ESPの研究が一般大衆にアピールする根強い理由となっているのである。 ( 第9章「超」のつく心理学」 p.229 ~ 231) たとえ素人による何の根拠もない未来予知でも、数さえ打てばどれかは当たる。さしずめ、我々現代人は成果に対してせっかち過ぎ、過大評価をし過ぎるのであろう、……外れた予言や願望はすっかり忘れておきながら。 facebook - Ralph Waldo Emerson
2014年12月31日
Photo By jen W2010 エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 6 行動することがもしも必要でないなら、もし適切でないなら、 わたしはそんな行動などしたくはない。 ひとつのことは一度だけやればたくさんだ。 惰性は好きではない。 いったん原理を自分のものにしてしまえば、 それを四回応用しようが四万回応用しようが、 どちらも同様に容易なことだ。 りっぱなひとなら、自分の時代を支配している「理念」を認識し、 それをたといごくささやかにではあるにしても、 ともかくいったん示してしまえば満足し、実例を増やしていくことは、 そういうことの好きな人にまかせようとする。 いったん彼が的の中心に当ててしまえば、 ほかの連中が的を壊してしまおうと勝手なのだ。 人生がどんなに不必要なほど長いかを、 あらゆるものがわれわれに警告してくれる。 英雄の過す一瞬一瞬は、すべてわれわれの心を高め、 元気づけ、十二か月が一時代にあたるほどだ。 勇士クサントゥス(※1)が戦争から持ち帰ってくるものは、 すべてサモス(※2)を襲撃したときに、 「戦いのさなか、ペリクレスがわたしにほほえみかけ、 それからべつの分遣隊のほうへ進んでいった(※3)」という思い出だけだ。 意味があるのは、その一瞬の質であって、 日や事件や行為者の数ではない。 (『エマソン論文集 下』「超越論者」P.92 ) ※1 Xanthus ランドーによるとアテネ軍の義勇兵 ※2 エーゲ海の島。サモス戦争については『ブルターク英雄伝』のなかの 「ペリクレス」24 - 28 参照 ※3 イギリスの詩人ウォルター・ランドー(1775ー1864)の書簡体散文 『ペリクレスとアスパシア』(1836) の書簡第117からの引用。 但し表現は少し変えてある。 (上掲書訳注 P.314 ) Unless the action is necessary, unless it is adequate, I do not wish to perform it. I do not wish to do one thing but once. I do not love routine. Once possessed of the principle, it is equally easy to make four or forty thousand applications of it. A great man will be content to have indicated in any the slightest manner his perception of the reigning Idea of his time, and will leave to those who like it the multiplication of examples. When he has hit the white, the rest may shatter the target. Every thing admonishes us how needlessly long life is. Every moment of a hero so raises and cheers us, that a twelve-month is an age. All that the brave Xanthus brings home from his wars, is the recollection that, at the storming of Samos, "in the heat of the battle, Pericles smiled on me, and passed on to another detachment." It is the quality of the moment, not the number of days, of events, or of actors, that imports. The Transcendentalist By Ralph Waldo Emerson from Lectures, published as part of Nature; Addresses and Lectures A Lecture read at the Masonic Temple, Boston,January, 1842 facebook - Ralph Waldo Emerson
2014年12月24日
Photo By Musgrove and the Pumi 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 5 美徳というものやその条件についてくだくだしく論じたり、 それを誇大に語るのもやむを得ないことかもしれぬ。 だが、所詮、いっさいはあの誠実さというものにかかっているのであって、 これに比すれば才能もいうに足りないし、無くてもすむものなのである。 精神の健康さとは、自分の用いる手段に圧倒されないということにある。 社会的な地位に対して、あるいは、みがかれた才能に対して、 法外な代価が支払われるが、 偉大な目的にとっては、皮相の成功などものの数ではない。 人間とは要するに彼の態度であり、外にあらわれた功業ではなく、 内に蔵する力であり、一定の日や公の機会においてばかりでなく、 時々刻々、働いているときばかりではなく、 静かに休んでいるときも、つねに畏るべき存在として、 軽々しく扱われることがない、というところにある。 世間の人間は、ホーン・トゥック〔訳注・英国の政治家。1736 - 1812〕とともに、 「有力者たらんとするならば、有力者のごとく振舞え」 というかも知れない。 だが私は、昔の予言者と〔訳注・旧約聖書中の予言者エレミアをさす。〕ともに、 「なんじ偉大なるものを得んと欲せば、これを求むるなかれ」 といいたい。 あるいは、スペインの大公についてある人がいったように、 「彼から奪えば奪うほど、彼は偉大に見えた」 Plus on lui ôte, plus il est grand というようでありたい。 教養の秘訣は、つぎのことを学ぶにある __すなわち、数少なくはあっても肝要な問題は、 人里離れた農場の貧しさのなかでも、大都会の雑然とした生活のなかでも、 かならず確実に姿を現して来るということ、 この少数の問題のみが考慮に値するということである。 いつわりの絆を断ち切り、真実の自分であろうとする勇気をもち、 単純な、美しいものを愛し、 独立独歩の生活と他人との明るい関係をわがものとすること __これらに添えて、他に奉仕し、 人間全体の幸福に何ものかを寄与しようという意志、 それが人生の本質なのである。 (『エマソン選集3』「随想余録」P.152, 153 )※ ※ “Considerations by the way” (1871) in The Conduct of Life, By Ralph Waldo Emerson 'Tis inevitable to name particulars of virtue, and of condition, and to exaggerate them. But all rests at last on that integrity which dwarfs talent, and can spare it. Sanity consists in not being subdued by your means. Fancy prices are paid for position, and for the culture of talent, but to the grand interests, superficial success is of no account. The man,—it is his attitude,—not feats, but forces,—not on set days and public occasions, but, at all hours, and in repose alike as in energy, still formidable, and not to be disposed of. The populace says, with Horne Tooke, "If you would be powerful, pretend to be powerful." I prefer to say, with the old prophet, "Seekest thou great things? seek them not:" —or, what was said of a Spanish prince, "The more you took from him, the greater he looked." Plus on lui ôte, plus il est grand. The secret of culture is to learn, that a few great points steadily reappear, alike in the poverty of the obscurest farm, and in the miscellany of metropolitan life, and that these few are alone to be regarded, —the escape from all false ties; courage to be what we are; and love of what is simple and beautiful; independence, and cheerful relation, these are the essentials, —these, and the wish to serve, —to add somewhat to the well-being of men. facebook - Ralph Waldo Emerson
2014年12月17日
Photo By Lucas Fiedler "Picturefan#1" 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 4(前回からの続き) その昔、ギリシャ神話のなかのタンタルスは、流れで渇きをいやそうとしたが、 口をちかづけると流れはひいて、ついに目的は果たされなかったと伝えているが、 タンタルスは近ごろふたたび姿を現した。 新しきタンタロスは、パリやニューヨークやボストンにいる。 彼はいま意気揚々としており、きっと自分は口を水につけてみせる、 波を壜〔びん〕づめにしてみせる、と考えている。 だがこれはすこし怪しくなりつつあるらしい。 事態はなお陰険な相貌を呈している。 何百年にわたる文化がそれ以前にあったにもかかわらず、 新しい人間はつねに混沌のふちに臨んでおり、つねに危機のなかにあるのだ。 安穏〔あんのん〕で金もたっぷりあったという時代を知ってる人間があるだろうか。 もののわかった人間、立派な男女が沢山いたという時代があっただろうか。 タンタルスはいまや、蒸気は人をまどわすものであり、 電気もたいしたものではないと考え始めている。 多くの事実が一緒になって、人間は自分に救いを、 蒸気や写真や気球や天文学より さらに深いところに求めなければならないことを教えている。 このような道具は若干どうかと思われる性格をもっている。 それらはいわば試薬にすぎない。 機械は侵略的であって、織工〔しょっこう〕は織物になるし、 機械技術者は機械になる。 君が道具を使わなければ、道具が君を使う。 道具はすべてある意味で刃物であって、あぶないものなのだ。 ある人間が立派な家を建てると、 その人間は主人持ちになって、生涯こきつかわれる。 家具を入れ、番をし、人に見せ、 一生、修繕を怠らないようにしなければならない。 人間はひとたび名声を獲得すると、もはや自由の身ではなく、 つねにおのれの名声を考慮に入れなければならない。 絵を描き書物を書いて成功をおさめれば、その人間の害になることは、 始終見かけるところである。 いままで鷹のごとく野の狐のごとく自由だったある勇敢な男が、 この間、自分が集めた貝殻や卵や鉱物や 剥製の鳥などをおさめる飾り棚をつくるのを私は見かけたが、 この男は自分の手足をしばる美しい鎖をつくって楽しんでいるらしいのが、 私にはすぐわかった。 さらにまた、これまで発明されたすべての機械が 果たして人間の一日の労苦を軽減してくれたか否かうたがわしい、 と考える経済学者も出て来ている。 機械は人間を無用にする。 機械が完璧なものとなった現在、技術者は何者でもない。 機関の改善の歩が進められれば、技術者の行動の分野はそれだけせばまり __彼を無学にする。 銅を鑑識したり、ハンドルを引上げたり、水槽に注意したりする仕事は、 かつてはアルキメデスのような碩学を必要としたが、 いまでは、火夫か男の子がひとりいれば足りる。 だが、機関がこわれると、彼らは何もできなくなるというわけである。 (『エマソン選集3』「仕事と日々」P.224 ~ 226 )※ ※ “Works and Days” (1870) in Society and Solitude, By Ralph Waldo Emerson Tantalus, who in old times was seen vainly trying to quench his thirst with a flowing stream which ebbed whenever he approached it, has been seen again lately. He is in Paris, in New York, in Boston. He is now in great spirits; thinks he shall reach it yet; thinks he shall bottle the wave. It is however getting a little doubtful. Things have an ugly look still. No matter how many centuries of culture have preceded, the new man always finds himself standing on the brink of chaos, always in a crisis. Can anybody remember when the times were not hard, and money not scarce? Can anybody remember when sensible men, and the right sort of men, and the right sort of women, were plentiful? Tantalus begins to think steam a delusion, and galvanism no better than it should be. Many facts concur to show that we must look deeper for our salvation than to steam, photographs, balloons or astronomy. These tools have some questionable properties. They are reagents. Machinery [158] is aggressive. The weaver becomes a web, the machinist a machine. If you do not use the tools, they use you. All tools are in one sense edge-tools, and dangerous. A man builds a fine house; and now he has a master, and a task for life: he is to furnish, watch, show it, and keep it in repair, the rest of his days. A man has a reputation, and is no longer free, but must respect that. A man makes a picture or a book, and, if it succeeds, 'Tis often the worse for him. I saw a brave man the other day, hitherto as free as the hawk or the fox of the wilderness, constructing his cabinet of drawers for shells, eggs, minerals, and mounted birds. It was easy to see that he was amusing himself with making pretty links for his own limbs. Then the political economist thinks “'Tis doubtful if all the mechanical inventions that ever existed have lightened the day's toil of one human being.” The machine unmakes the man. Now that the machine is so perfect, the engineer is nobody. Every new step in improving the engine restricts one more act of the engineer, — unteaches him. Once it took Archimedes; now it only needs a fireman, and a boy to know the coppers, to pull up the handles or mind the water-tank. But when the engine breaks, they can do nothing. facebook - Ralph Waldo Emerson
2014年12月10日
Photo By saxonrider エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 3(前回からの続き) さて、ここまで読んでみるとエマソンは「自分の目的に集中せよ」とくり返し述べてはいるが、「引き寄せ」についてはそれほど重要視していないのがわかってくる。だいたい、昨今流行の「引き寄せの法則」というものは、確率論によって説明できる部分が多く、これに各個人による記憶の自己補正が加われば成功率は格段に跳ね上がる。さらに余計なことをつけ加えれば、(特にアメリカの)一般市民の関心を政治・経済の話題に向けさせないように“心地いい” 短期的な目標へと注意をそらすための策略かも知れない。「引き寄せの法則」で有名なアメリカの著者(故人)が、『思考は現実化する』を読んで大金を得たその方法というのが、まさかマルチ商法だったとは、まったくもってがっかりする話だ。 啓示とは魂の披露だ。世間では啓示を運勢の占いだと考えている。 悟性は、魂が過去に与えた神託の中に卑俗な問題に対する解答を探し求め、 人間はどれくらい生きるものか、 どんなことを手がけたらいいのか、どんなひとを仲間にしたらいいかを、 おまけに名まえと日付けと場所まで、神の口から知ろうとする。 だが錠をこじあけたりしてはならぬ。 こういう低級な好奇心は抑えなければならぬ。 言葉を使った解答はごまかしだ。 本当は問いかける疑問などに答えていないのだ。 自分の舳先〔へさき〕を向ける国々のことを 言葉で語ってもらおうとなど思ってはならぬ。 語ってもらったところで何ひとつ語ってはくれないし、 それは明日になればみずからその地に到着し、 住んでみることによって知ることになる。 世間の人々は魂の不滅、天界での仕事、 罪びとの境遇というようなことについてたずねる。 こういうたぐいの質問に、 イエスが答えをのこしていってくれたとさえ夢想する。 ただ一瞬たりともあの崇高な霊が、 彼らふぜいのいなかなまりで語ったためしはない。 真理、正義、愛など、魂のさまざまな属性には、 不易〔ふえき〕の理念が本質的に結びついている。 イエスはこういう道徳的情感に身をひたし、卑俗な運勢などには心を向けず、 ひたすらこれを情感の表現だけに心をそそいで生き、 これら魂の属性の本質から永遠の理念を分離したことはかつてなく、 魂の永続についてひとことも語ったことがない。 道徳的要素から永続を引きはなし、魂の不滅をひとつの教義として教え、 それをさまざまな証拠によって主張する仕事は、弟子たちにまかされたのだ。 不滅の教義がそれだけきりはなして教えられる瞬間、 すでに人間は堕落している。 愛が満ちわたり、謙虚に慕情を燃やすとき、 持続などということは問題にならない。 霊感を得たひとならこういう問題を問うことはないし、 こういう証拠を得ようとして身を落とすこともない。 魂はおのれ自身に忠実であって、魂が広く満ちわたっている人間は、 限りないこの現在からさまよい出て、 限りあるものになりそうな未来に向かうことはできないからだ。 未来についてわれわれがしきりに問いたがるような疑問は、 つまりは罪の告白にほかならない。 神はそういうことには答えない。 言葉を使った答えなど、ものに関する疑問には答えられない。 明日の事実にヴェールがおりるのは、 専横な「神の命令」ではなくて、人間の本性のためなのだ。 魂は、因果の暗号以外には、 どんな暗号もわれわれに解読することを許してくれないからだ。 さまざまな事件をおおい隠すこのヴェールによって、 魂は人間の子どもたちにきょうという日に生きよと教える。 これら感覚の疑問に答えてもらうたったひとつの方法は、 低級な好奇心をすっかり放棄し、 われわれを本性の秘密のさなかに運びこんでくれる存在の潮流に受け入れて、 仕事をし生活し、ただひたすらに仕事をし生活することだ。 そうすれば何ひとつ気づかぬうちに、 前進をやめぬ魂がひとりでに新しい状態を築き、作り上げてしまっているし、 問うも答えるもひとつのことになっている。 (『エマソン論文集 下』「大霊」P.24 ~26 )※ ※ Essays: First Series (1841) The Over-Soul By Ralph Waldo Emerson Revelation is the disclosure of the soul. The popular notion of a revelation is, that it is a telling of fortunes. In past oracles of the soul, the understanding seeks to find answers to sensual questions, and undertakes to tell from God how long men shall exist, what their hands shall do, and who shall be their company, adding names, and dates, and places. But we must pick no locks. We must check this low curiosity. An answer in words is delusive; it is really no answer to the questions you ask. Do not require a description of the countries towards which you sail. The description does not describe them to you, and to-morrow you arrive there, and know them by inhabiting them. Men ask concerning the immortality of the soul, the employments of heaven, the state of the sinner, and so forth. They even dream that Jesus has left replies to precisely these interrogatories. Never a moment did that sublime spirit speak in their patois. To truth, justice, love, the attributes of the soul, the idea of immutableness is essentially associated. Jesus, living in these moral sentiments, heedless of sensual fortunes, heeding only the manifestations of these, never made the separation of the idea of duration from the essence of these attributes, nor uttered a syllable concerning the duration of the soul. It was left to his disciples to sever duration from the moral elements, and to teach the immortality of the soul as a doctrine, and maintain it by evidences. The moment the doctrine of the immortality is separately taught, man is already fallen. In the flowing of love, in the adoration of humility, there is no question of continuance. No inspired man ever asks this question, or condescends to these evidences. For the soul is true to itself, and the man in whom it is shed abroad cannot wander from the present, which is infinite, to a future which would be finite. These questions which we lust to ask about the future are a confession of sin. God has no answer for them. No answer in words can reply to a question of things. It is not in an arbitrary "decree of God," but in the nature of man, that a veil shuts down on the facts of to-morrow; for the soul will not have us read any other cipher than that of cause and effect. By this veil, which curtains events, it instructs the children of men to live in to-day. The only mode of obtaining an answer to these questions of the senses is to forego all low curiosity, and, accepting the tide of being which floats us into the secret of nature, work and live, work and live, and all unawares the advancing soul has built and forged for itself a new condition, and the question and the answer are one. facebook - May the Force be with You
2014年12月03日
Photo By Claudia Cadoni "fratella" 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 2(前回からの続き) 「引き寄せの法則」考から始まった本稿は、当初の意図から離れて「力の集中」という一大事に直面してしまった。前掲書からさらに引用してみよう。 政治においても、戦争においても、商業においても、 要するに、人事いっさいの処理において、力の秘密は集中にある。 「あなたはどうしてこんな発見をすることができたのですか」 という問いにたいして答えたニュートンの言葉は、 世界の貴重な逸話になっている。その答えは 「つねに私の心をそこに向けることによってだ」というのである。 政治から話題を選ぼうというのなら、 プルータークの『英雄伝』にこんな話がある。 __「全市において、 ペリクレスの姿がいつでも見かけられる通りがただ一つあった。 それは、市場と議事堂に通ずる通りだった。 彼は宴会への招待はすべて断わり、華やかな会合や交友はことごとく避けた。 彼はその執政の期間を通じて、友人の食卓で食事をしたことが絶えてなかった。」 商業から例をとると、こんな話がある。 ある人がロスチャイルド〔訳注・ドイツのユダヤ系国際金融資本家。1743 - 1812 。〕に こういった。 __「あなたのお子さん方はお金や商売があまりお好きじゃないようですね。 きっとあなたがそれを望まないからでしょう。」 ロスチャイルドはこう答えた。 __「いや、私は心からそれを望んでいる。 子供たちが全身全霊を商売に傾けることが私の希望だ。 そうすることが幸福になる道だからだ。 大きな財産をつくるのには、多くの大胆さと多くの細心さとが必要だ。 財産をつくりあげたあとでは、 それをもちこたえるのには以前の十倍の知恵が要る。 もし私が、私のところに持ちこまれる計画に いちいち耳を傾けるようなことをしたら、 わが身の破滅を招くだろう。 若い君は一つの商売に打ち込むがいい。 醸造業という君の商売にうちこめば (彼の話相手はバクストンという青年だった) 君はロンドンきっての醸造家になるだろう。 醸造家や銀行家や商人や製造業者を一身に兼ねようとすれば、 君はたちまち破産者として官報に公示されることになるだろう。」 物知りの人間は沢山いる。理解力にすぐれた粘りづよい人間は沢山いる。 だが彼らは決断が遅いのである。 しかし刻々と流れ動く事態のなかでは決断が必要なのだ。 できれば最善の決断がいいのだが、どんな決断でも、無いよりはましである。 ある一点に達する道は二十を数えるほどあるし、 そのうち近道はただ一つであるが、 ともかく一つの道をすぐ歩き始めることが大事なのである。 自分が知っていることのすべてを 即座に自分の用に供することができる沈着さをそなえた人間は、 同じ程度の知識をもちながら、 それをゆっくりとしか明確化し得ない人間を十人合わせたくらい、 行動の点では役に立つのである。 (中略) ジョンソン博士〔訳注・十八世紀英国文壇の中心人物となった批評家。1709 - 84 。〕は その流麗な文章の一つで語っている。 __「いいようもなく悲惨なのは、毎日の家庭生活のあらゆる細部を、 前もって抽象的な理性の原則に照らして考えずにはおられない不幸な夫婦である。 言葉を少なくして、行いを多くしなければならぬ場合が 人生にはいろいろあるのだ。」 (上掲『エマソン選集3 生活について』「力」 P.70 ~ 72 )※ ※THE CONDUCT OF LIFE, II POWER by R. W. EMERSON. Concentration is the secret of strength in politics, in war, in trade, in short, in all management of human affairs. One of the high anecdotes of the world is the reply of Newton to the inquiry, "how he had been able to achieve his discoveries?" —"By always intending my mind." Or if you will have a text from politics, take this from Plutarch: "There was, in the whole city, but one street in which Pericles was ever seen, the street which led to the market-place and the council house. He declined all invitations to banquets, and all gay assemblies and company. During the whole period of his administration, he never dined at the table of a friend." Or if we seek an example from trade,— "I hope," said a good man to Rothschild, "your children are not too fond of money and business: I am sure you would not wish that." —"I am sure I should wish that: I wish them to give mind, soul, heart, and body to business, —that is the way to be happy. It requires a great deal of boldness and a great deal of caution, to make a great fortune, and when you have got it, it requires ten times as much wit to keep it. If I were to listen to all the projects proposed to me, I should ruin myself very soon. Stick to one business, young man. Stick to your brewery, (he said this to young Buxton,) and you will be the great brewer of London. Be brewer, and banker, and merchant, and manufacturer, and you will soon be in the Gazette." Many men are knowing, many are apprehensive and tenacious, but they do not rush to a decision. But in our flowing affairs a decision must be made, —the best, if you can; but any is better than none. There are twenty ways of going to a point, and one is the shortest; but set out at once on one. A man who has that presence of mind which can bring to him on the instant all he knows, is worth for action a dozen men who know as much, but can only bring it to light slowly. ... The good Speaker in the House is not the man who knows the theory of parliamentary tactics, but the man who decides off-hand. The good judge is not he who does hair-splitting justice to every allegation, but who, aiming at substantial justice, rules something intelligible for the guidance of suitors. The good lawyer is not the man who has an eye to every side and angle of contingency, and qualifies all his qualifications, but who throws himself on your part so heartily, that he can get you out of a scrape. ... Dr. Johnson said, in one of his flowing sentences, "Miserable beyond all names of wretchedness is that unhappy pair, who are doomed to reduce beforehand to the principles of abstract reason all the details of each domestic day. There are cases where little can be said, and much must be done." facebook - May the Force be with You
2014年11月26日
Photo By Musgrove and the Pumi 『エマソン選集3 生活について』 小泉一郎 訳 日本教文社 発行 http://item.rakuten.co.jp/takahara/1338373/ 売り切れ "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン(宇宙一元論と『バガヴァッド・ギーター』3からの続き) 『バガヴァッド・ギーター』の周辺を彷徨いながら、東洋思想の原風景を渉猟〔しょうりょう〕し続けるのも面白そうである。しかし、そうこうしている間に人生のガンジス川で溺れる危険があるため、一旦 近代〜現代へ時代を移行したいと思う。R. W. エマソンの思想を踏襲・孫引きした現代自己啓発書において、(それは引用者の意図かもしれないが)省略されている重要箇所はとても多い。なぜなら、これらの触れられていない文章を読んでしまうと、平易な自己啓発書のほとんどは必要ではなくなってしまうからである。よって、本稿では肝腎要な箇所から、優先的に取りあげてしまおう。 むかしのある神託がこう言っている__ 「お前の運命を無暗に拡げるなかれ。 お前に託された以上のことを為さないように努めよ」 人生において心すべき一事は集中ということであり、 避けるべき悪事は、浪費ということである。 私たちの浪費が下品なことでも上品なことでも変わりはない。 財産やその管理のこと、友人のこと、社交的習慣のこと、 政治のこと、音楽のこと、饗宴のこと、すべての浪費はよろしくない。 私たちから玩弄物や迷妄を一つでも多く取り去って、 私たちを駆って本来の忠実な仕事を、 ほんの一骨折りでも多くさせてくれるものがあれば、 それは結構なことなのだ。 友人、書物、絵画、卑近な業務、才能、甘言、希望 __これらはすべて、心を散らすものであって、 私たちが乗った目くるめくような飛行船に動揺を起こさせ、 船体の落着きと真っ直ぐな進行を不可能にならしめる。 ひとは自分の仕事を選ばなければならない。 自分の頭でできるものを取って、他はすべて投げ棄てなければならぬ。 そうすることによってのみ、 知より行へと歩を進め得るだけの量の生命力を集中できるのである。 人間は、漫然とものを見る能力をどんなに多く具〔そな〕えていても、 知より行へと歩を進めることは滅多にしない。 この一歩こそ、白墨で描いた低能という円から 豊かな実のりの世界へ踏み出すことなのだ。 (上掲『エマソン選集3 生活について』「力」 P.69, 70 )※ 要するに「自分の仕事以外はすべて棄ててしまえ!」と言っているのだ。これこそが、『バガヴァッドギーター』に記された思想そのものではないか。困難ではあるが、決して難解なことではない。もしも、マルチ商法の末端勧誘員や、雑誌広告などで心理操作された消費者たちが、「他人の仕事」を棄て、チャチな玩弄物を置き去りにし、自分自身の仕事を見いだし、断固として自分自身の道を進み始めたならば、たちまち違法すれすれの商法は破綻し、第三次産業の中で悪辣な部門は斜陽の一途を辿るであろう。 ※THE CONDUCT OF LIFE, II POWER by R. W. EMERSON. "Enlarge not thy destiny," said the oracle: "endeavor not to do more than is given thee in charge." The one prudence in life is concentration; the one evil is dissipation: and it makes no difference whether our dissipations are coarse or fine; property and its cares, friends, and a social habit, or politics, or music, or feasting. Everything is good which takes away one plaything and delusion more, and drives us home to add one stroke of faithful work. Friends, books, pictures, lower duties, talents, flatteries, hopes, —all are distractions which cause oscillations in our giddy balloon, and make a good poise and a straight course impossible. You must elect your work; you shall take what your brain can, and drop all the rest. Only so, can that amount of vital force accumulate, which can make the step from knowing to doing. No matter how much faculty of idle seeing a man has, the step from knowing to doing is rarely taken. 'Tis a stop out of a chalk circle of imbecility into fruitfulness. facebook - May the Force be with You
2014年11月19日
Photo By Natalia "Natalia Śliwińska" 神の詩 バガヴァッド・ギーター 田中嫺玉 訳 Tao Lab books 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/5877482/ "May the force be with you" 宇宙一元論と『バガヴァッド・ギーター』3(前回からの続き) 前々回・前回まで、上村勝彦氏訳・岩波文庫版『バガヴァッド・ギーター』を底本とさせて頂いたところ、「難しいです!」というご感想が複数のブロガーの方から寄せられたので、今回は一般的に「わかりやすい」と評価されている田中嫺玉氏訳『神の歌 バガヴァッド・ギーター 』から現代語(口語的)訳を引用させて頂く次第である。 さて、ヒンドゥー教を理解する上で重要なのは、いわゆるカースト…各階層において性質と仕事(義務)の定めがある、という点である。上掲書『神の歌』第18章から抜き書きしてみよう。 (41) 敵を懲罰する者 アルジュナよ バラモン クシャトリヤ ヴァィシャ そしてスードラは生来持つ物質性〔グナ〕によって それぞれの義務〔しごと〕が定められている (42) 平静 自制 修行 純潔 寛容 正直 知識 智恵 深い信仰心 これらは生来の性質によるバラモンの義務である (43) 武勇 支配力 決断力 知謀 機智および資力に富むこと 戦闘における勇気 寛大 指導力 これらは天性によるクシャトリヤの義務である (44) 農耕 牛飼い 商売は ヴァィシャの天性による仕事であり 労働と召使いの仕事は スードラに与えられた仕事である (45) 自分に生来与えられた仕事をして すべての人は完成に達する そのようにして それが可能なのか わたしの言うことを聞きなさい (46) 自分に与えられた天職の遂行を通じて あらゆる時処に遍在し 一切万有を展開するかれを礼拝する人は 窮極の完成に達するのである (47) 自分の義務が完全にできなくても 他人の義務を完全に行うより善い 天性によって定められた仕事をしていれば 人は罪を犯さないでいられる (48) どの仕事にも短所や欠点がある ちょうど火に煙がつきもののように アルジュナよ 故に自分の天職を捨てるな たとえ その仕事が欠点だらけでも__ (三学出版発行『神の歌 バガヴァッドギーター』P.263 ~ 265) およそ現代自己啓発書の多くは“天職”の要素を無視しているし、また加減を知らぬ「引き寄せの法則」は“他人の義務”をも引き寄せてしまう暗黒面を持っているのである。 facebook - May the Force be with You
2014年11月12日
Photo By Maja Dumat "blumenbiene" バガヴァッド・ギーター(岩波文庫) 上村勝彦 編/訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/521270/ "May the force be with you" 宇宙一元論と『バガヴァッド・ギーター』2(前回からの続き) 上掲書『バカヴァッド・ギーター』において、「願望」はどのように扱われているか、第3章から引用してみよう。 あなたは定められた行為をなせ。行為は無為よりも優れているから。 あなたが何も行わないなら、身体の維持すら成就しないであろう。 祭祀のための行為を除いて、この世の人々は行為に束縛されている。 アルジュナよ、執着を離れて、その(祭祀の)ための行為をなせ。 造物主[プラジャーパティ]はかつて祭祀とともに 生類[プラジャー]を創造して告げた。 これ(祭祀)によって繁殖せよ、これが汝らの願望をかなえんことを。 これにより神々を繁栄させよ。その神々も汝らを繁栄せしめんことを。 互いに繁栄させつつ、汝らは最高の幸せを得るであろう。 実に祭祀により繁栄させられた神々は、 汝らに望まれた享楽(食物)を与えるであろう。 神々に〔祭祀を〕捧げないで彼らに与えられたものを享受する者は、 盗賊に他ならぬ。 (同 第3章 P.44, 45) 上述の祭祀〔さいし〕とは「絶対者のためのすべての行為」(同 P.154 )であるという。 愚者が行為に執着して行為をするように、賢者は執着することなく、 世界の維持のみを求めて行為すべきである。 賢者は行為に執着する愚者たちに、知性の混乱を生じさせてはならぬ。 賢者は専心して行為しつつ、 愚者たちをして一切の行為にいそしませるべきである。 諸行為はすべて、プラクリティ(根本原質)の要素[グナ]によりなされる。 我執(自我意識)に惑わされた者は、「私が行為者である」と考える。 しかし勇士よ、要素と行為が〔個我と〕無関係であるという真理を知る者は、 諸要素が諸要素に対して働くと考えて、執着しない。 プラクリティの要素に迷わされた人々は、要素のなす行為に執着する。 すべてを知る者は、すべてを知らない愚者を動揺させてはならぬ。 (同 P.46, 47) 上記の文章はとても難しいので、何度も読み返す必要がある。今回、特に重視したいのが「賢者は執着することなく、世界の維持のみを求めて行為すべきである。」という一文である。さて、「引き寄せの法則」で有名な Abraham-Hicks は、 You did not come here to fix a broken world. The world is not broken. You came here to live a wonderful life. http://www.abraham-hicks.com/lawofattractionsource/teachings.php あなたは壊れた世界を立て直すためにここに(生まれて)来たわけではない。 世界は壊れてはいない。あなたは素晴らしい人生を送るために生まれて来たのだ。 などと述べているのだから、『バガヴァッド・ギーター』とはまったく正反対である。ちなみに、Abraham-Hicks を生み出したHicks 夫妻の夫 Jerry はナポレオン・ヒル著『思考は現実化する』を読み、Am○○○ で巨額の富を稼いだという。「宇宙一元論」を丁寧に読み解いていくか、手っ取り早く「引き寄せの法則」を利用するかは、各自で判断すべきであろう。 The Abraham Hicks Skeptic http://abrahamhicksfraud.blogspot.jp/p/whats-so-bad-about-esther-and-jerrys.html Tom Jones - My Wayhttps://www.youtube.com/watch?v=FmsA0rMsSzM facebook - May the Force be with You
2014年11月05日
Photo By Rui Almeida バガヴァッド・ギーター(岩波文庫) 上村勝彦 編/訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/521270/ "May the force be with you" 宇宙一元論と『バガヴァッド・ギーター』(前回からの続き) ウォレス D ワトルズ Wallace D. Wattles は、著書 "The Science of Getting Rich" の冒頭で彼の思想の元となっている「宇宙一元論 The monistic theory of the universe 」を古代インドのヒンドゥー教から始まったものだと説明している。 さて、「引き寄せの法則」ブームのきっかけである『ザ・シークレット』(2007)でも引用される R.W.エマソンは、エッセイ「円 ‘Circles’」(1841) の中で __原子にそなわる引力や親和力は究めたものの、これが部分的に、 あるいは近似的にしか言い表されていない一段と深遠な法則、 つまり似たもの同士が引き合い、 本来わがものである幸福なら必ず手元に引かれてくるもので、 苦労したり犠牲を払ってまで追いかける必要はないという法則を、 まだ認識していない博物学者や化学者は、 自分の仕事を学びとったと言えるだろうか。 しかもその法則でさえ、これまた近似的な表明でしかなく、 窮極的なものではない。 遍在ということのほうが、もっと高尚な事実だ。(以下略) (岩波文庫『エマソン論文集 下』酒本雅之 訳 P.58 ) と「引き寄せ」よりも「遍在」に重きを置いている。この「遍在」とはいったい何を意味するのであろう。それは『マハーバーラタ』の一部『バガヴァッドギーター』に書かれている。 万物は食物から生じ、食物は雨から生ずる。 雨は祭祀から生じ、祭祀は行為から生ずる。 行為はブラフマンから生ずると知れ。 ブラフマンは不滅の存在から生ずる。 それ故、遍在するブラフマンは、常に祭祀において確立する。 (岩波文庫版『バガヴァッド・ギーター』第3章 P.45) では、「行為」とは何か。 人は行為を企てずして、行為の超越に達することはない。 また単なる〔行為の〕放擲[ほうてき]のみによって、 成就[シツデイ]に達することはない。 実に、一瞬の間でも行為しないでいる人は誰もいない。 というのは、すべての人は、 プラクリティ(根本原質)から生ずる要素[グナ]により、 否応なく行為をさせられるから。 (上掲書 第3章 P.44) 「行為」とは宇宙の根本原質から生ずる要素によるもの、というのだ。ただし、上記のような在り方はアメリカのキリスト教原理主義の教義とは相容れないとされる(アレクサンドラ・ブルース著『ビヨンド・ザ・シークレット』 第九章 キリスト教と「ザ・シークレット」)。一方、仏教や神道などが入り組んだ宗教的土壌を有する日本では「宇宙一元論」は比較的なじみ易いものだと思われる。そこで、まずは『バガヴァッド・ギーター』第3章辺りから散策を始めてみよう。 facebook - Ralph Waldo Emerson
2014年10月29日
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