森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.10.07
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劣等感で苦しんでいる人は多いと思います。
今日は劣等感から解放される道を探ってみたいと思います。

私は劣等感は、絶えず他人と比較して、自分が他人より劣っていると価値判断しているために発生すると考えています。
比較や価値判断しないで、現在の自分の状態を動物のように、あるがままに受け入れることができれば、劣等感で苦しむことはないと思います。
それは自分の個性、特性だと思うだけになります。
良いも悪いもありません。そのありのままの状態で生きていくだけです。

人間は脳の前頭前野が発達しているために、余計なことを考えるのです。
ここでは分析できる能力がマイナスに作用しているのです。
他人と比較することが身に沁みついていますから、それやめる事はできませんね。


ここでは、他人と比較するということと、その結果について是非善悪の価値判断をするということを分けて考えてみたいと思います。
まず他人と比較するということです。
私は比較して自分と他人の違いをしっかり把握することは構わないと思います。
むしろ比較しないと自分の状態がよく分からないと思います。
事実に徹する人は、他人とどこがどう違うのか、あらゆる面から比較検討して、真実の事実に近づくだろうと思います。それは自覚を深めるために必要なことだと考えます。
一般的には、人と比較することは百害あって一利なしと言いますがそれは違うと思います。

問題は比較した結果について、自分独自のものさしで、是非善悪の価値判断をしてしまうことです。これが問題を引き起こしているとみています。
事実、現実、現状は、本来は良いも悪いもないのです。
そうなる必然性があって今があるのです。

大雨、台風、地震、津波、噴火なの自然現象は大変イヤなものですが、これらは人間の手でどうすることもできません。こういうものに対しては、是非善悪の価値判定はしません。
イヤなものだけれども、好むと好まざるとにかかわらず、受け入れるしかないからです。


そして悪いと判定したものに対しては、何とかしないといけないと考えるようになります。

手っ取り早いところでは、劣等感を感じていることは、見つからないように隠そうとします。
隠蔽工作です。また取り繕って問題は存在しないように脚色しようとします。
最終的には、自助努力で人並みになるまで改善しようと考えるのです。
借り物の自分、偽物の自分になるべくエネルギーの大半を投入するようになります。


こうしてみると、劣等感を持っている人の特徴は、エネルギーが残っている人です。
そして、強力な「かくあるべし」を前面に出して、是非善悪の価値判定をする人だと思います。
その間違った価値観に従って、本能的に間違った行動へと突き進んでいるのです。
第三者から見ると、どうしてそんなことをと思ってしまいますが、本人は真剣なのです。
ひとり相撲を取って勝手に自分がずっこけているということです。
そして葛藤が強くなり苦悩でのたうち回るようになります。
神経症が固着して日常生活がままならなくなるのと同じです。

では劣等感にどう対応すればよいのか。
事実を価値批判しないで、イヤイヤしぶしぶでも受け入れるしかないということです。
決して容易な道ではありませんが、その道しかないと思います。
覚悟を決めて、森田理論学習と実践に取り組むしかないと考えています。
森田でいう修養を深めていくということです。
こういう方向に舵を切って生活することで、劣等感は減少してきます。

具体的には、「かくあるべし」の弊害をよく理解する。
「かくあるべし」よりも事実にこだわった考え方や生き方を身につけていく。
事実をいい加減に扱わない。事実をよく観察する。実験によって確かめる。
先入観や決めつけで事実を取り扱わない。
人の話を聞いただけで、それを事実だと早合点しない。
必ずみずから出向いて真偽のほどを確かめる。
事実は片寄らないで両面観、多面観で見ていく。
森田でいう「純な心」を生活面に応用していく。
素直な感情を大切にして生きていくということです。
私メッセージの発言を心掛ける。
Win Winの人間関係を心掛ける。
事実にこだわる生き方はとくかく奥が深いのです。

このように事実に徹した生活を心掛けていると、どんなことが起きるか。
他人と比較して、事実だけを見つめる作業を続けていると、自分の当面の課題や目標が見えてきます。森田理論でいう生の欲望の発揮に目覚めてくるのです。
すると、注意や意識が劣等感ばかりに振り回されることはなくなります。
気にはなるが、目の前の生活の課題や問題点、趣味や興味、関心ごとをこなすことが中心になり、結果として劣等感にかかわりあう時間がなくなるという状態になります。
生活が好循環を始め、なおかつ劣等感が後ろに引っ込んでくる。
劣等感に苦しんでいる段階では、生活が森田的に変化していないということです。
ただし完全になくなることはありません。
完全を目指すことは事実としてあり得ない事ですから、結果として不完全になります。
ですから、劣等感をどうすればなくなるかという発想では、いつまで経っても劣等感はなくならないというからくりになっているのです。





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Last updated  2024.06.02 22:51:19
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