森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2021.02.05
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森田先生が目指していた3つの方向性について投稿します。
ここは森田理論の中でも、ポイントとなる部分です。
この部分は、森田全集第5巻 652ページから653ページで説明されています。
治るための、3つの段階として説明されています。
小学校卒業程度、中学校卒業程度、大学卒業程度の3つです。
少し難しい部分です。特に大学卒業程度が難しい。
できるだけ分かりやすくかみ砕いて説明してみます。
森田理論の核となる部分ですので、しっかり理解していただきたいと思っています。

1、小学校卒業程度 気分の悪いままに、目の前のやるべきことに取り組んでいく。

知らない人はいないでしょう。でも症状はそのままにしておくので抵抗がある人もいます。
素直な人はすぐに実践課題などに取り組んでいます。
そして当面の蟻地獄から地上に這い出てくる人は多いです。
ここを通過しないと、基本的には、つぎの段階には進めません。
ここは確実に身につける必要があります。余裕を持って次に進みたいものです。

森田先生は、これができだしたら神経症は治るといわれています。
私は第一段階の治癒と考えています。
ここで森田から離れる人が多いのですが、実にもったいないと思います。
それは、もう少し掘り進めばビックリするような金鉱があるからです。

注意したいのは、「我慢してやっていれば、そのうちに治る」という理屈があった時は、それが人為的な作為となり、楽になろうとする予期があるため、病気は治らなくなると言われています。むしろ神経症はひどくなります。この点は気をつけたいところです。

2、旧制中学卒業程度 今では高校卒業程度です。

不安、恐怖、違和感、不快感などのネガティブな感情に対しても同じことが言えます。
湧きおこったマイナス感情は、理不尽でどんなに受け入れがたいものであっても、イヤイヤ仕方なしに素直に受け入れるのです。
「かくあるべし」の立場から、事実を否定する態度は改める必要があります。
今までの習慣を改めて、事実に寄り添う方向に変えるためには、よほどの意識変革が必要になります。いきなりは難しいですが、方向性はしっかりさせておく必要があります。
実行は、仲間の援助を受けて、ある程度時間をかけて行うことになります。


事実を受けいれると、どんなよいことがあるのか。
まず、現実、現状、事実をごまかすためのエネルギーの無駄使いがなくなります。
これが大きいのです。葛藤や苦悩が格段に少なくなります。
そのエネルギーを別な方面に有効活用できることになります。
隠したり、ごまかしたりしていると、あちこちにほころびが見えてきて、次々に隠蔽工作をしなければならなくなります。これが悪循環の始まりとなります。
以上が一つ目の大きなメリットとなります。

二つ目のメリットは、自分の課題や目標に向かってのスタート地点に立つことができます。
長い階段を登るとき、そのスタート地点に立ち、そこから一段一段と頂上を目指す足がかりができたということになるのです。「かくあるべし」で上から下を見下ろしていた状態からすると、180度視界が違って見えるはずです。
事実を素直に認めることによって、素晴らしい「逆転人生」の始まりとなるのです。

3、大学卒業程度 2の段階は事実に対してよい悪い、好ましい好ましくないなどと価値評価をしているのです。納得はできないが我慢して事実に服従している段階です。
つぎには、これを解消する必要があります。

地震はプレートのひずみが溜まって、それを元に戻そうとする圧力が加わって発生しています。
その他の自然災害も、大自然の摂理に基づいて発生しているものです。
自然現象は、因果関係により必然的に発生しています。
人間が自然現象に対して、是非善悪の価値判断をしているのは越権行為なのです。
そこでの是非善悪の価値判断はほとんど意味がないものです。
仮にそれに基づいて行動すると、ますますこじれることになります。

事実はそういうものです。ところが人間はそれを自分たちにとって都合が悪いと判断して、反抗心をむき出しにしているわけです。
自然を敵に回して勝つことはできないのに、もしかするとなんとかなるかもしれないと勘違いしているのです。自然を敬い、畏れるという気持ちがないのでしょうね。

是非善悪の価値判定をしているどうなるか。
正岡子規を思い出してみてください。晩年は脊椎カリエスでのたうち回っていました。
耐えがたい痛みがある。膿が出てくる。寝たきりで、身体を自由に動かすことができない。
到底受け入れることはできない病気を抱えて悶え苦しんでいました。
どうして自分だけがこんな目に遭わなければいけないのか。
神様は血も涙もないのか。モルヒネでも打って楽にしてくれ。運命を呪い殺してやる。
そう思っても無理はありません。誰でもそうなると思います。
事実に対して反抗的な気持ちになるのが普通です。
そして最後には精魂尽き果てて衰弱してしまうでしょう。力尽きてしまうでしょう。
投げやりな気持ちで、無気力になり、みじめな人生で終わってしまうでしょう。
人間なんかに生まれてこなければよかったと思っても不思議ではありません。

正岡子規はそうなりましたか。違いますね。
確かめるために、松山の道後温泉の近くに「子規記念館」がありますので行ってみてください。
正岡子規は、普通の人は受け入れがたいと思うような病気なのに、痛みに耐え、苦しみながらも、理不尽な事実を自然体で受け入れていました。
価値批判はしていなかったということです。
苦しみと一体化していたといった方が適切かもしれません。
耐えがたい痛みにだだ苦しんでいただけです。

するとどんなことが起きたか。
痛みが少しだけ軽くなる瞬間が訪れたというのです。
激痛ではあるが、その中にも波がある事が分かったのです。
子規は、その少し楽になる瞬間を逃さないで、すぐに創作活動をしていたのです。
苦しみの極限状態で生み出された作品は、真に迫って我々を勇気づけ感動させるのです。
これはどんなに理不尽な事実であっても、それをよい悪いと価値判断しないという姿勢を取ることで初めて可能になったのです。そういう意味で、正岡子規は森田先生の言う大学卒業程度の域に達していたということです。

森田先生は、クラゲのように波に漂って生きていく方がよいといわれています。
あるいは空中に漂う風船のように風の吹くまま、気の向くままの生き方の方がよいとも言われています。風船を無理やり固定させていると、強風など少しの刺激が加わるだけで、すぐに破裂してしまうではありませんかと言われています。
これは、事実に対して反抗的な態度とは真反対です。
事実と一体になった生き方です。
大自然に反旗を翻すわけでもなく、自然に溶け込んで、自然と一体化して生きていくという態度です。森田ではこの態度を最終目標としているのです。

森田先生は、神経症で苦しんでいる人に、以上3つを指針にして生きていきませんかと提案されているのです。いずれも一筋縄ではありません。
私個人今の時点で振り返ってみたとき、1は70%、2は60%、3は40%くらいかなと思っています。目標にはまだまだ先のようです。
でも神経症で苦しみながら、目指すべき方向性が見つかったことは何物にも替え難いと思っています。この方向で頑張ろうという意欲が湧いてきます。





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Last updated  2024.06.03 10:41:22
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
stst@ Re:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、こんばんは。 過去に何度かコ…
軸受国富論@ Re:森田の正道を歩むとはどういうことか(06/05) かの有名なドクターDXの理論ですね。ほか…

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