ストライクゾーンにボールが半分、あるいは 3
分の 1
入ったか、入っていないかをその都度判定しているのです。
これでは審判によって差が出るのは当然のことでしょう。
ボール気味の球でもストライクという人もいれば、きわどいところはほとんどボールという人もいます。
自分がボールであると判定した球を、審判がストライクと判定した場合、選手によって様々な反応があります。
審判がストライクというのだからストライクなのだろうとおとなしく引きさがる選手もいます。
不満はありながらも、そのケースがほとんどでしょう。
しかしなかには、腹を立てて「どうして今の球がストライクなのだ。お前の目は節穴か」などと悪態をつく選手もいます。
あまりにもしつこい人は、退場させられるケースもでてきます。
この場合は、審判を敵に回すことになるので、その後がやりにくくなります。
現役時代の落合博満選手の対応はとても参考になります。
落合氏は試合前にとにかくよくアンパイアと喋っていました。
信頼関係を築こうとしていたようです。
さらに、試合中、本人がややボールと思ったものを仮にストライクと言われても、露骨に不満を表したり、高圧的に「今の低いだろ」などと声に出したりはしません。
そんな時、落合さんはゆっくり振り返って、そのアンパイアに向かって、いたって優しい口調で、「ちょっと広めに取っているように思えるのだが、今日はそこまでとっているのだよな」と事実確認をします。
この対応はその後自分に有利に働きます。
審判たちの間には、「やはり落合さんはきわどいところがすごくよく見えている」というイメージが定着するのです。
落合さんは元々選球眼のよい選手です。それに加えて、事実確認の行為を繰り返すことで、ただでさえよい選球眼がそれ以上によいような印象を審判の方に植え付けられるのです。
そうこうしているうちに、落合さんが狙い球を外して甘い球を見逃したとしても、審判が「ボール」と言うようになりました。
(古田式・ワンランク上のプロ野球観戦術 古田敦也 朝日新聞出版 85
頁より引用)
この話は腹が立つようなことを言われたときにとても役に立ちます。
腹が立つというのは相手が間違ったこと、理不尽なこと、無理難題を押し付けるときに湧きあがってきます。
これは相手が「かくあるべし」を自分に押し付けているのです。
普通の人は相手を許すことはできないでしょう。
売られた喧嘩は買いましょうという気持ちになることが多い。
相手の「かくあるべし」に対して、反撃、攻撃、暴力、批判、否定、拒否、無視などの行動をとりやすい。
前後不覚なってそのような対応をとるとその後の人間関係が滅茶苦茶になります。落合選手は、納得できない理不尽な判定にクレームをつけることは行いません。
その審判の判定に対して事実の確認作業を淡々と行っているのです。
そして、最終的にはその事実を受け入れてその後の対応策を立てているのです。
私たちも相手が「かくあるべし」を押し付けてきたとき、すぐに反抗的な態度に出るのは得策ではないと思います。
こんなときは、相手の理不尽な言動に対して見たまま、感じたままの事実だけを述べるように心がける。
その事実に対して、「私はこのように思うのだが、この考え方・見方で間違いないかどうか教えてもらえないだろうか」と低姿勢で聞いてみる。
そのような対応がとれるようになると、人間関係が険悪なることを防止できるようになると思います。
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