全558件 (558件中 501-550件目)
杉本厚夫氏がこんなことを言っている。ロッククライミングというスポーツがある。初級者から中級者、上級者までいろんなコースがある。それは、これから登ろうとする岩の表面傾斜の難度で決まっている。11段階までのレベルがある。クライマーの能力は彼が達成した最高難度によって評定できるという。技術水準4のクライマーは7の難易度の斜面では心配になり、10の斜面では不安を感じる。また10の技能を持っている人は7の斜面では退屈を感じる。そこでその場合は、片腕しか使わない。危険防止の装置なしで登る。初心者の指導を伴って登るといった何らかの暗黙のルールの適用によって難度を高め、挑戦意欲を高めようとする。これを森田理論的に考えてみるとこうなる。人間は目標を持って生きていくことは大切であるが、過大な目標設定は不安が高まり、不安に押しつぶされてしまう。過小な目標では退屈でやりがいに結びつかない。目標の設定というものは、不安と退屈のバランスのとれた所にあるのではないか。つまり手に届く少し上ぐらいな目標を常に設定していくということが大切である。生活していく中で、解決可能な問題点や不安、違和感などの存在は、生きるエネルギーになるということだ。そうしたものを排除しようとやりくりばかりする。逃げてばかりいるというのは、意欲、希望から見放されてしまう。そうゆう生活態度を心がけてゆきたいものだ。
2014.01.13
コメント(0)
私は良寛さんの生き方に傾倒している。しかし若いころの良寛さんには、こんなエピソードが残っている。岡山県玉島の円通寺で修業していた時に、仙桂和尚という20歳以上年上の僧のことを語っている。仙桂和尚は僧侶たちの食事を作ったり、菜園で野菜をつくる典座という役割であった。良寛さんは、当時仙桂和尚さんによいイメージは持っていなかったようです。良寛さんは、寺で参禅し、経文を読み、禅語録に触れることが修業であり、立派な僧になることであると思っておられたようです。台所で食事を作り、菜園を耕すなどの仕事をする人は下男か作男ぐらいにしか思っておられなかったのです。ところが、その後越後の国上の五合庵で暮らしている時こんな歌を詠んでいる。「仙桂和尚こそは、真の仏道者である。彼は黙して語らず、朴訥にしてうわべを飾らぬ人であった。30年間、国仙和尚のもとにあっても、参禅もせず、読経もせず、宗門の教えの一言も口にせず、ただ畑を耕して雲水たちに供養していた。円通寺当時、私は桂仙和尚を見ていながらも真の姿を見ていず、遇っていながらも真の心に遇っていなかった。ああ、今になって彼にならおうとしても、もはやどうすることもできない。誠に仙桂和尚は真に仏道を会得した人であった」森田理論の学習の深耕に明け暮れている人には衝撃的な話である。これを私なりに解釈するとこうである。森田理論をいくら深めて理論武装しても、森田の基本である規則正しい生活をしていない人は見るべきところがない。また日常茶飯事、雑事をいい加減にこなしている人には、森田理論は無用の長物であるといっているのである。そういえばがちがちの神経質性格を持ちながらも、神経質のプラス面を仕事、学業、家事、育児にいかんなく発揮している人がいる。その人たちは森田理論自体知らないし、また必要としていない。森田を勉強している人は、理論を深めるための学習をするのではなく、よりよい生活に変えていくための視点に早く切り替えてゆくべきではないでしょうか。森田の達人という人は、理論を深めた人の中にはいない。生活を変えていった人の中にしか現れてこないと思う。
2013.11.27
コメント(0)
「銀座のプロは世界一」より、ビール注ぎ名人の話です。この道38年の海老原さんは、最高のビールを提供するには準備が8割だといいます。「注ぎ」「発注」「洗浄」の3つが大切だといいます。その中でも、「ビールは洗浄に始まり、洗浄に終わる」と断言されています。1000リットル入りのタンクが6つあり、そのうち4本にビールが入っている。2本は洗浄できる。そのタンクの中に入り込み、1本当たり40分をかけて丁寧に洗浄するそうです。室温は2.1度に設定されているからとにかく寒い。これを2日に一度はおこなう。骨身にこたえる重労働だ。次は地下のタンクからビヤホールまで伸びているホースの洗浄だ。ホースの内部にちょっとした汚れでもあると、ジョッキの泡が粗くなってしまうという。最後はジョッキの洗浄だ。しっかり洗う。そしてビールを注ぐ直前まで氷水の中につけておく。布で拭いたり、乾燥させるとジョッキ内にどうしても埃がついてしまうという。埃や汚れはきめ細かな泡の敵であるという。また発注にも気をつかう。ビールは鮮度が命だからだ。少なすぎても、多すぎても問題だといいます。また運ばれてきたビールはすぐには出しません。炭酸ガスを落ち着かせるため、丸一日タンクで休ませます。こうしたプロセスを踏んでお客様をうならせるビールが提供できているのです。これは森田理論でいう「ものそのものになりきる」という具体的な例です。ビール注ぎ一つとっても、「そのものになりきる」と、とても奥が深いものです。ぜひ参考にしていただきたいと思います。
2013.11.19
コメント(0)
生活の発見誌2013年11月号。72ページより森田では、不安や症状はそのままに、日常の生活の中でなすべきことを実行しなさい、と教えている。修養により自分を強い人間に変えるといったような非日常的なことではなく、日常の生活を充実させていく中で、少しずつ症状を乗り越えていくことができる。症状克服の鍵は普段の生活の中にある。普段の生活の中にある工夫すべき点を発見し、直していく中で、他人との関わりも少しずつ円滑になっていき、生活に張りがでてきて、新たな自分を発見することができる。また、自分にばかり向いていた注意を周りに向けていくことで、今まで気付かなかったことに気づき、自分の中にある本来の欲望も見えてくる。探そうと思えば、希望、夢といったものも、自分の生活の中に見つけることができる。この記事は、今月の集談会である方が紹介されました。私はうかつにも読み飛ばしていました。その方もこの記事のように、規則正しい生活をされています。10年前と現在はほとんど同じ生活だそうです。でも中身が全く変わってきたといわれていました。つまり取り組む姿勢に雲泥の差があるそうです。例えば歯磨き一つにしても、歯と歯茎に歯ブラシを当てて丁寧に磨いているそうです。また早朝散歩をされていますが、毎朝晴れた日にはご来光を見られているそうです。普通の人はどうしてこんな素晴らしい体験を味わうことをしないのだろうといわれていました。食事の準備や盆栽の手入れ、風呂の掃除、庭の掃除、体のケアなどどれをとっても「ものそのものになりきり」丁寧にされています。工夫や新しい発見が常に湧いてくるそうです。あらかじめこれをしようと決めてやることはしない。気がついたことに手を出していくというやり方です。これは森田理論の基本の基本ですね。そもそも森田先生は、入院患者の神経症を日常生活の実践の中で治しておられました。我々のように、森田理論を学習して治していくというのではなかったのです。何をおいても、まずは実践。理論は後で補足していく。その態度がまずもって一番大事だと思います。
2013.11.13
コメント(0)
冒険家の三浦雄一郎氏に「元気の秘訣はなんですか」と聞くと、「常に目標を持つこと。そして、いつも夢に向かってチャレンジすること」と答えておられたそうです。この記事を書いた方は、日本100名山を踏破。その後一時目標を失って無気力になりかけていた。今は「花の100名山」(高山植物がたくさん咲いている100の山のことです)と「日本の3000メートル峰21座」の踏破を目標にされているそうです。前者は残り24座。後者は残り6座であるという。人それぞれにいろんな目標があるのだなと思います。
2013.10.31
コメント(0)
有名な大学を出た能力のある女性でも、入社したての頃は、コピー係やお茶くみをさせられることがある。これに反発して、「なんでこんなことを私がしなければならないの」と反発する人もいるらしい。そんな人にコピーをさせると大変だ。ホッチキスで綴じる時も、綴じる向きなどはお構いなしに綴じるので、書類がめくりにくくなる。またトナーがなくなると、自分で交換しようとしない。すぐに「トナーがないんですけど」と近くの人に助けを求める。用紙がなくなると「用紙がなくなったんですけど」といつまでたっても補充しようとしない。中にはA4サイズの用紙がないといって、A3サイズの用紙にコピーする人もいる。「子どもの使いじゃないんだぞ」と言いたくなる。すると「カッターで切ろうと思っていたんです」と反発する。これがコピー係に「なりきってしまう」と対応がとても好感が持てる。コピーはよく紙詰まりを起こすが、自分でフタを開けてすぐにつまりを解消できる。社内書類は裏紙を利用して用紙の節約を図ることができる。トナーなどはすぐに自分で替えてしまう。また用紙の補充、トナーの補充の段取りが行き届いている。切らすということがない。コピー機はFAXと兼用になっているが、FAXはすぐに片づけて必要の人のもとに届けている。まさにコピーとり名人の域に達している。そんな人は自分本来の仕事もよくできる。机の上、机の中もよく整理整頓されているのである。そんな人はすぐにもっと責任ある仕事を任せたくなるものである。お茶出しも、丁寧に心をこめてすると相手に感動を与える。コーヒーでも、アメリカンの好きな人もいれば、ブラックがよい人、砂糖入らない人、ミルクがいる人などいろいろである。またマイカップに凝る人も多い。朝はこぶ茶に決めている人もいる。緑茶でも入れ方にこだわる人もいる。これを覚えておくのは大変だがスムーズにお茶出しができると、みんなに喜ばれる。さらに紅茶の好きな人に、レモンのスライスにブランデーを振りかけたものなどを用意してくれば、期待以上の感動を与えることができるかもしれない。なりきってしまう人はこれらのことは朝飯前にできるのである。「なんでこんなことを私がしなければならないのよ」と反発して、いい加減にやっている人はどんどん引き離されてしまうのである。
2013.10.26
コメント(0)
竹村健一さんが、光文社のカッパブックスというベストセラー集団を作り上げた初代社長の神吉晴夫氏のことを紹介している。神吉さんは最初講談社に入った。その入社試験の面接で、「君は東京外国語大学の仏語科出身だから英語と仏語ぐらいはできるんだろうな」といわれた。その時彼は、英語、仏語の他に独語、ロシア語、スペイン語、イタリア語、その他西欧語のありとあらゆるものができると答えたそうだ。本当のところは全部できなかったそうだ。だが西欧語というのは、お互いに関連性があり、仏語ができれば、辞書と文法書があればある程度分かるそうだ。採用されたい一心だったのだろうが、彼のすごいところは、そうして自分を追い込むことができるということだ。事実入社後、勉強して次々と物にして仕事に活かすことができた。これは森田先生のやり方によく似ている。森田先生は慈恵医学校の「精神病学」講義をするようになったのは、大学卒業後9カ月目だった。もしこの時に「自分は講義をする自信がないから、1年先に伸ばしてもらいたい」と言えば、チャンスはするりと逃げて行ってしまっただろう。仕事は他の人に回り、自分にはもう二度とチャンスは回ってこなかったかもしれない。「イエスかノーかに迷う時は、断然イエスと答えること」そしてのっぴきならない状況に自分を追い込んでいく。背水の陣をひいて、運命を切り開いていくことが大事です。そうすれば、できないと思うようなことでもできるようになります。できなくても、どうしてできないのか分かる。失敗に学んで、次に活かすことができる。観念で考えるよりも、手を出せ。足を出して動きなさいということだと思います。
2013.10.24
コメント(0)
アメリカ大会である。日本はたくさんのメダル候補がいてとても楽しい。韓国のキムヨナ選手は一人で孤軍奮闘している。でも結果を残しているし、いつか優勝した時、東日本大震災に賞金をすべて寄付したのがとても印象に残っている。ところで、フィギアのジャンプは見ていてとても面白い。ジャンプの4回転が決まるかどうかは、順位に大きく影響する。多くの選手は高難度のジャンプに挑戦して加点をねらう。でも失敗すれば地獄をみる。失敗した時の落胆は大きい。ゴルフの石川遼も言っていたが、失敗覚悟でもバーディをねらう。挑戦することがプロの宿命です。森田では彼らの挑戦をどう考えたらいいのだろう。私はこう考えている。目標に向かって、作戦をコーチとともにを練りに練る。そして猛練習を重ねて体に覚えこませる。そして試合に臨む。当然プレッシャはかかる。予期不安は察するにあまり余るものがある。あとは、不安を抱えたまま、恐ろしいまま開き直っているのでしょう。私はつたないサックスを吹いているが、1000回練習すれば、人前で堂々と披露できると思っていたが、ある有名な演奏家に聞いたところ、あなたは甘い考えをしていると言われた。その方が言うのは、その10倍の10000回でやっと人前で披露できると思うといわれた。私はその人の話を聞いて、腰を抜かさんばかりに驚いた。プロはもともとすごい素質があるうえに、さらに、私の目標の10倍以上の練習を積み重ねていたのであった。私はなんと浅はかなことを考えていたことか。それでもフィギアの選手は、大観衆の中勝負に臨まないといけない。試合に入ればもう自分を信じることしかないのではなかろうか、と思うのである。キムヨナに勝とうとか、パトリック・チャンに勝とうとかはないと思うが、とにかく無意識にできるまでに高めて自分の体に覚えこませた自分の最高の演技をこなすしかない。ここで意識がししゃりでてきた人は負けである。あとは運を天に任せて結果を待つしかない。それでも結果が思うような成果がでないことが多い。でもそうしないと、結果がつくことはほとんどありえないということは心得ておきたいと思う。
2013.10.19
コメント(0)
ヨットマンの白石康次郎さんのお話です。水産高校では研修航海に出る。船の中には危険なものがたくさんある。マグロなどを釣り上げた時ひっかけるでっかいかぎや出刃包丁などである。これらを使ったままそこらにおいておくことは命にかかわる。船が揺れた時に、それらが船の上を走るのである。人の首や腹に刺さってなくなるという事故が実際に起こっている。使った道具は必ず元にあった決められた場所に戻さなくてはならない。これは口でいってもなかなか身につかない。研修航海では口よりも、手などで殴って教え込まれるという。それがよい習慣となり、単独ヨット世界一周に活かされているという。カッパを着る場合でも、水の浸入を防ぐためにタオルを首に巻きついたり、肌荒れを防ぐためにベビーパウダーやハンドクリームをつけることを怠らない。また船内はいつも整理整頓しておく。シートはきちんとまとめておくと、急いで作業をするときに、足に絡まり、転倒するという事故も防げる。部品の一つ、工具の一つも使ったら必ず元へ戻す。急いで何かをしなければならないときに、探し物をするほどストレスがたまることはない。困難な修理を終えた後など、くたくたに疲れる。後で片付けよう。まあいいだろう。と思って整理整頓をしないと、ズルズルといい加減な気持ちがでてきて収拾がつかなくなる。つまり人間は安易な方向に流されてしまうのである。そうすると後で、何十倍にも困難な仕事となって自分の身の上に降りかかってくる。その場ですべきことは、すぐに手をつける。神経質な人は、きちんとしていなと気がすまないという割には整理整頓、部屋の掃除はいいかげんという人が多いのではなかろうか。かくいう私もそうである。白石さんのお話を参考にしたい。神経症の苦しみを訴える前に、まず家の中の整理整頓、部屋の掃除を毎日丁寧にこなすことを習慣にしたいと思う。このことに真剣に取り組むことの中に神経症克服の光が見えている。
2013.10.16
コメント(2)
やりたいことが見つかるまでアルバイトなどで食いつないだり、親の援助で生きていく人のことをモラトリアム人間というそうだ。決して悪いことではない。ヨーロッパなどでは1年2年と自分のやりたいことを見つけるまで旅に出たり、いろんな仕事を経験する時間が認知されているという。日本でも大学へ進学する人は、自由に遊んだり、勉強したり、旅行したりする猶予期間になっている人もいる。ただ30歳を過ぎても40歳を過ぎてもまだ自分のすすむべき道が見つからないというのはどういうことだろうか。この人たちは森田の言う「ものそのものになりきる」という経験はされているだろうか。やりたいことを見つけるために、最も確実な方法は、「ものそのものになりきる」ということだ。これはそんなに難しいことではない。今やっている仕事、勉強、日常茶飯事に義務的に取り組むのではなく、一心不乱に取り組んでみることだ。寝食を忘れるくらいな気持ちで取り組むことです。和田重正さんという人がおっしゃていました。毎日毎日退屈だという人を見てごらん。やるべきことを、これは大切なこと、これは意味のないことと選別している。大切なことはどこから手をつけていいのか分からない。意味のないことはやる気が起こらない。結局手足を動かそうとしていないのだ。そして退屈で苦しいといっている。森田先生は風呂を焚くときは風呂焚きに、ご飯を炊くときは飯炊きになりきるとおっしゃっています。入院生がびっくりするほどの工夫をし、ノウハウを会得されていました。「ものそのものになりきる」と必ず「感じ」がでてきます。これが重要です。そして感じがさらに高まってきます。気付きや工夫が発生します。興味がでてきて積極的な行動につながります。これがポイントです。自分のすすむべき道は、この生活態度を続ける中で見つけることができます。森田では「境遇に柔順なれ」といっています。
2013.10.10
コメント(0)
現場監督という仕事がある。私はよいイメージは持っていなかった。学生時代に炎天下のもと、ある工事現場に資材運びのアルバイトに行ったときのこと。その現場監督が重い資材をもっと多く持って運べと指示するのである。水を飲もうとしているとさぼるなといって叱るのである。私はその時、現場監督は軍隊の指揮官のように力で指示に従わせる仕事だなと思いました。最近マンションの大規模修繕工事があり、現場監督という人の仕事ぶりを見ていて、考え違いをしていたことに気がつきました。その監督がいうのに、現場監督は仕事がうまく進行しないという前提のもとで仕事をしているのだ。現場が何も問題なく過ぎるということはあり得ない。そしたら自分の仕事は三分の一ぐらいになってしまう。飯の食い上げだというのである。そういう考え方もあるものだ。現場監督はとにかく職人の段取りが一番だ。たとえばペンキを塗る職人。人を集めるのが一苦労。それも必要な人員を必要な時に確保する必要がある。普段から信頼関係を作っておかなければ一番に自分のところに優先してはいってはくれない。職人さんは他の業者との奪いあいなのだという。そのために気を使っていることは、気持ちよくみんなに挨拶をすること、仕事の材料や資材がきちんと準備されていること。そして保管場所が整理されていること。きちんと休憩したり、食事をする場所を確保してあげること。駐車場を確保してやること。居住者の室外機や鉢物、物置をかたづけておいてやること。仕事の邪魔になる掲示物を取り除いておくこと。暗いところは照明を確保してやること。足場などの安全には十分配慮してあげること。トラブルを起こしそうな住民の情報はきちんと事前に伝えておくこと。暑いときは冷たいもの、寒い時は温かい飲み物の差し入れをすること。なるべく職人さんの近くで話を聞いてやること。などだそうです。いわゆる雑用の連続なのである。一つでも職人さんにへそを曲げられると、たちまち仕事が滞ってしまう。この仕事は神経質に向いていると思いました。神経質は事前に予測される小さな問題にいろいろ気がつきます。それをめんどくさがらずに一つ一つ手を打っておけば仕事は比較的スムーズに流れていくということです。大事なことは、思っただけで終わるのか、体や手を動かすのかの違いです。小さい仕事を先に先におってゆけるようになると、好循環になるのだなと感じました。
2013.08.20
コメント(0)
集中というのは2つの意味がある。2つが整って初めて集中と言うのである。一つは自分のこうしたいという目標に向かって、一心不乱に立ち向かっていく態度のことである。野球でいえば、打者はヒットを打ちたいと思って打席に立つ。ピッチャーの配球を予測し、ヒットやホームランを打つために投げた球に集中しないといけない。その時、バットを持っている手の方に注意が向いたりしてはいけない。ましてや自軍の監督やコーチの思惑を気にしているようでは、ヒットは打てないだろう。常に注意は相手ピッチャーに向いていなければならない。「森田正馬全集5巻」で次のように説明されている。人間の自然な心は、常に目的物に向かってのみ注意が集中するのが普通である。薪を割ろうとすれば、薪の中心に向かって注意が集中してくるのである。ところが神経症の患者は、打とうとする斧に添えた手の動かし方や、自分の姿勢のことばかりに注意が向いて、さらにそんな姿を人はどう思うだろうかというふうに発展して、益々注意の向けどころが間違ってくるのである。球を受ける時は、受けるキャッチャーのミットに注意が移って、しっかりと前を見据えておればよいけれども、ボールの状態やグローブの動かし方、自分の手元や身体の方にばかり気が向いていけば、うまく投げることはできなくなってしまう。そんなときは、ハラハラしないようにと心を自分のほうに向けるのではなく、ハラハラするまま不安のまま、ただ一途にしっかりと投げる方向を見つめておればよいのである。これが一つ目の集中である。実際は勝ちたいという気持ちが強ければ強いほど、一点に集中は難しい。しかし森田を学習すればそうした態度を身につけることができる。さてもう一つの集中は、野球でいえば、風の向きや、守備体系、ピッチャーの癖、キャッチャーの傾向、いままでの対戦結果、ランナーがいるかどうかなどに神経を使わないといけない。それらを無視して、ただ来た球を打つだけというのは、失敗する可能性が高い。森田先生は集中するというのは「無所住心」のことだといわれている。森田先生の弟子である井上常七さんは次のように説明されている。森田先生曰く、「僕は今君の診察をしているんだけれど、(庭で作業をしている患者が見えるんですね)あの作業は間違っていないか、どうしているかなと見たり、それも気になる。外来の患者が気になったり、いろいろ気にしながら、君の事を診ているんだ。少なくとも3つ4つのことに心が流れてるんだ。これが雑念でなくてなんなんだ。」またお釈迦様は雑念の親方だっていうんですね。絶えず自分の生活ばかりでなしに、人類全体の苦労、悩みまでが気になって、絶えずそれを考えてああいうことになった。雑念というのはあるほどいいんだよ。以上、集中とは2つの意味があることを説明しました。これが連携をとれていないとスムーズな行動とはなりません。例えばゴルフで一点に集中して打つことができても、向かい風を頭にインプットして力を加減したり、強風がやむまで少し待つなどしないと、球ははるか手前に落ちる。このことを頭に入れておいてください。
2013.08.16
コメント(0)
森田先生は行動・実践は、どんなに苦しくても、それをいったん乗り越えてしまえば、楽になるといわれています。野球選手なども2軍にいるときに、猛練習を積み重ねる時はとても苦しいです。それを乗り越えて一軍レベルになると、すべての面でレベルアップしており、プロとしてその後何年も生活できるようになるそうです。5巻から紹介してみましょう。商船大学の卒業のとき、必ず遠洋航海にでる。100人が100人とも必ず船に酔う。なかにはマストの上で吐く者もいる。これを治すには必ず苦しみを持ちこたえて、無理を押し通して、酔うがままに働かねばならない。すると1週間もしないうちに船酔いは収まってくる。つまり酔うがままに職務を果たす。もしそれが自分は酔うからと、薬を飲んだり、仕事を休んだり、寝ていては決していつまでも船酔いは治らないのである。富士山の強力をしているようなものは、平常は百姓などをしていて夏は強力になる。毎年はじめて上るときは強力でもやはり普通の人間であるから人並みに足も痛む。翌日ははなはだしいときは便所でかがむことができないほど股やふくらはぎが痛いそうです。ここで休めば回復するそうですが、それでは仕事にならない。仕方がないので痛いのを我慢して、足を引きずるようにして、しいて登山を続ける。そうすると1週間も経たずに、いつとはなしに足の痛みもなくなり、夏中ずっとその仕事を続けてゆくことができるそうです。
2013.08.12
コメント(0)
森田先生は56歳の時、20歳の一人っ子を無くした。僕は悲しみのあまり慟哭した。こんな悲しいことはない。絶対です。ただそれきりです。どうすることもできない。その後も思い出すたび、大きな悲しみがある。ただそれだけであって、僕にはグチもなければ、この気持ちを否定したり、曲げたりすることは毛頭ない。「ああ苦しい。どうすればよかろう。」とか、あきらめよう、気を紛らわせようとかゆうことは全く考えないのであります。香取さんのお話。私は告別式のときは、先生のそばにおりましたが、納棺のときは先生は非常に悲しまれ、はらわたを断つように慟哭されました。出棺のときも、見るのも見れないほどの悲しみようでしたが、のち二階に上がられてからは、はや風光霽月(せいげつ)といった風に他の事も話されて、全く別人のようになられて私は非常に感銘したのです。私たちは会社でミスをして上司に叱られた時、夫婦喧嘩をしてイライラすることがよくあります。その感情をいつまでも引きずり、気分転換ができなくて困ることがあります。森田先生のようにどんな嫌な感情も来るものは拒まず、そしてどんな感情も早めに流していくことを身につけていくにはどうしたらよいのでしょう。茂木健一郎氏によると、そういうふうに、悲しみモード、イライラモード、やる気モード、リラックスモードの切り替えは人間の進化の過程で身につけた能力としてもともと持っているものだといわれています。その能力を発揮して、人類は多様な環境やその時の状況の変化に素早く適応して生き延びてきたのだという。モードの素早いチェンジは、人間が生きていく上に必要不可欠な能力だったのである。しかし進化の過程でその能力はしだいに衰えてきてしまった。脳の働きでいうと、前頭葉の眼窩前頭皮質という部分が変化に対して、素早くスイッチの切り替えをおこなっている。これは無意識のうちに切り替えをおこなっており、意思の力ではできない。でも無意識を操る方法がある。実際には体を動かすことです。会社でイヤなことがあって、それを引きずったまま家に帰る。そしてペットの世話をする。草花の手入れをする。お風呂に入る。ジムで一汗かく。するとイライラモードからリラックスモードの切り替えが素早くできるようになる。森田では行動実践によって新しい感情を作り出すことができるといいます。このことを言っています。これを活用しない手はありません。
2013.08.09
コメント(0)
最近は指示待ち人間が増えているという。学校では先生が、「さあ教科書を開いて」と指示してはじめて開く。会社では上司が新入社員に、「お前はなぜボケッとしているんだ」と聞くと、「仕事の指示を待っているんです」と答える人がいるという。その人たちは言われた事はきちんとやる。仕事の手際も見事だが何か物足りない。自分が進んで仕事にチャレンジしなくても、決められたことをきちんとやれば文句を言われる筋合いはない。それで給料をもらっているのであって、それ以上にサービスしろというのは酷であるという。話を聞いているとなるほど筋が通っている。でもはたしてそれでいいのだろうか。森田ではこういうのを「お使い根性」の仕事であるという。つまり指示された事だけを、完璧に、これ見よがしにすることを言う。「お使い根性」の仕事は、「生きがい」と結びつくことはない。森田では、「生きがい」に結びつかない行動、実践はほとんど意味がない。行動、実践は自主的、自立的、創造的、奉仕的である時に意味があるという。「生きがい」を感じる行動はどうすれば可能になるのか。それは2つのポイントがある。一つは、生々しい現実に向かいあって、問題点をよくよく観察することである。すぐに逃げたりしないで、問題の本質、事実関係をよく掴むことである。二つ目に、自分自らその問題点をどうしたらよいかよく考えてみることである。そうすると、こうしたいという感じがでてくる。この二つの段階を経て、行動、実践に移っていくと、自主的、自立的、創造的、奉仕的な行動となる。「お使い根性」というのは、そうしたプロセスがないから真面目に取り組んでいるように見えても、「生きがい」に結びつかないのである。ふとした瞬間に、自分は何のために生きているのだろう、ということが脳裏に浮かんでくるとすれば、あなたの行動パターンは指示待ち人間になっていないかどうか、点検してみる必要があるだろう。また指示や教育をする人は、生々しい問題点を提示してあげて、相手に感じが湧いてくる環境づくりをしてあげるという姿勢が重要になる。間違っても、直接的な指示、命令、強制で相手を意のままに動かそうとしてはならない。
2013.08.08
コメント(0)
元スピートスケートの清水宏保さんがこんなことを言われています。私の現役時代でモチベーションを高めるためにとった方法に、「プラスアルファ」というのがあります。「練習の中で指導者から、よく「これをやっておけ」という指示が出されていました。当然、選手はそれに従います。しかし、指示の範囲しかしない選手は、決して成長することはありませんでした。反対に、与えられた練習メニューを充分に考えながらこなして、それ以上のことに取り組む人は、3年後、4年後にしっかりした結果を出している。だから私も、常に「プラスアルファ」を心がけていました。与えられた課題プラスなにかを、1日に1秒でもいいから積み重ねていくと、365日後には大きな差となって現れるからです。」森田では人からこれをしなさいといわれると、自分でやろうと思っていたことでも急にやる気が減退してくることがあるといいます。でもイヤイヤながら手をつけなければいけないことが多くあります。最初はイヤイヤ仕方なく手をつけるというのは仕方ありません。でもその先に清水さんの「プラスアルファ」という考えを取り入れてみたらどうでしょうか。「プラスアルファ」という行動には、自分のこうしたいという「感じ」がでてききます。ここが大事なところです。「感じ」がでてくるためには、いま取り組んでいることに対して、身を入れていかないといけません。森田でいうところの「ものそのものになりきる」ということです。一瞬でもなりきった状態になれば「感じ」がでてきます。「感じ」がでてくれば比較的簡単に「プラスアルファ」の行動へと発展してきます。「プラスアルファ」という言葉は、行動・実践のキーワードの一つとして取り上げたいと思います。
2013.08.06
コメント(0)
会社の人で得意先に行くたびに何かの忘れ物をする人がいる。ボールぺン、ノート、名刺入れなどを忘れてくるのである。まだ部外秘の書類は忘れたことがないが、そのうちやるかもしれない。忘れ物をする人は防備録やチェックリストを持っていない。こんなものは会社が手とり足とり営業マンに教えてくれるものではない。自分で作るしかない。それが出かける前や、得意先からでた後にでも見て確認すれば忘れたかどうかすぐに分かる。チェックリストがあれば複雑な準備も手ぬかりなくできるし、行動にすぐとりかかることができて、気持ちが内向きになることはない。つまりくよくよと悩むことがない。始末におえないのは、肝心の仕事の進め方が思いつきになりやすいということである。気の向いた仕事、思いつきの仕事を優先して、納期などはあまり頭にない。上司などから指摘されてあわててとりかかったり、得意先に走ったりする。そうなると仕事に追いまわされるようになって心身共に疲れ果ててしまうのである。私は森田を学習している中で、仕事を追うようになるととても楽しくなるということを発見した。実際に仕事に追われる段階から、仕事を追っていくようになった。すると仕事の見かたが変わってきた。細かい人が無視するような仕事に真剣に取り組んだのである。神経質者は小さいことにもよく気がつくという長所があるので、それを仕事に活かしてみたのだ。そのためには複雑な仕事は、自分でマニュアルをたくさん作っておくことだ。マニュアルを見て仕事をチェックしながら進めていくと相当量の仕事をこなすことができる。仕事は複雑で面倒くさそうな仕事でも、分解してみれば比較的単純な仕事が多い。気をつけるとしたら他の人が作ったマニュアルはよくできていても、自分にはあまり役に立たないということだ。マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなどはきちんとした調理や接客のマニュアルがあるという。でも人が作ったものをこなすというだけでは、主体性は出てこない。ただ言われた事をそのままするだけでは楽しくはない。次の発展的行動にはつながらない。
2013.08.03
コメント(0)
歳をとると物忘れが激しくなる。物忘れは脳の海馬が担当している。それは加齢とともに衰えてくるので仕方がない。アルツハイマーは遺伝的要素が強いのでどうしようもない面がある。ところが今から問題にしようとしている老人性認知症は、森田的生活を心がけていれば防げる病気である。認知症になると、今日の生活を自分で計画し、美しいものに感動し、生きていることに喜びを感じることができなくなる。さらに進行すると、自分がだれで、今日が何月何日で、今どこにいるのか分からなくなる。子供の名前さえ分からなくなる。脳の中で何が起きているのか。それらをつかさどっている前頭葉が廃用性萎縮を起こして機能不全に陥っているのだ。脳がサルのレベルへ、さらには犬のレベルへと退化してしまったのである。着物を着ないで裸でいるということ、ご飯もみそ汁もひっくり返して、かき回して、床に口をつけて食べるようになる。そこには人間としてのプライドはない。そこまでいくとリハビリでも回復するようなことはないそうだ。つまり脳細胞が死んでしまっているということだ。認知症を発症する人は、仕事がない、家事もしない、趣味がない、交友関係がない、生きがいがない、人生を楽しむという気持ちがない人である。一日中家にして、テレビを見ているような人がなりやすい。誰でも老人性認知症にはなりたくないはずだ。それには普段から脳を鍛えることだ。そのためには生きがいや趣味のある生活を心がける。集談会に参加して老若男女さまざまな人と話をする。何かにつけて毎日よく歩く。家事や身の回りのことを自分でする。できれば仕事を持つ。たまには旅行などに出かける。いわゆる森田的生活をする事です。そうすれば前頭前野が廃用性萎縮を起こすことはない。家族に迷惑がられずに、前向きに楽しく人生を謳歌して生きてゆきたいものです。
2013.08.02
コメント(0)
森田先生の話に人が自分をどう扱ったかということを気にするよりも、少々間抜けと思われても人の役に立つことをしなさいというのがあります。これは絶えず日常生活の中で人の役に立つことを見つけて実践することですが、これに少し工夫を加えると、自分のファンを増やし、人にささやかな感動を与えることができます。これはものそのものにならないと、そうした発見はできないと思います。ではどうすればよいのか。ある人はビンビールを酒屋に頼んで配達してもらっていました。配達されてきたビールケースを見てびっくりしました。そのうちの2本ビンビールの栓に、何やらシールが貼ってあるのです。見ると「冷えてます」というシールでした。お客さんがすぐにでも冷えたビールが飲めるように店で冷やしたビールを二本入れていたのです。運んでもらった人は感激です。夕食によく冷えたビールを飲めるからです。配達以上のこのようなサービスがあろうとは全く思ってもいなかったのです。それからは事あるごとに、この感激した話を隣近所でした為、その酒屋のよいうわさが広まったということです。相手が自分のファンになり、感激してくれるためには、ありきたりのサービスでは難しいと思います。ちょっとした予想外のサプライズが、相手にインパクトを与えるのです。それが商品として売られているものでは、当たり前のことを当たり前にするサーヒースは、当然のサービスだと思います。当然のサービスでは自分のファンになったり、相手に感動を与えることはありません。反対に当然のサービスが得られないと、嫌悪感が湧き二度とその商品やお店に足を向けることはないでしょう。一工夫が付け加わってこそ効果があります。少し意識して実行してみれば可能となります。相手が喜んでくれれば、自分もうれしいし、自信にもなります。人の思惑が気になる人は、こうしたことに意識を向けて生活すれば、自分の内にばかり向いていた注意が外向きになり、症状から脱出の決め手となります。
2013.07.30
コメント(0)
宝塚歌劇場の近くに手塚治虫記念館がある。手塚さんは子供のころからの山をかけずり回り、自然の中で育ってこられた。スケッチを見ると素人離れしている。でもすんなりと漫画家になれたわけではなかった。育った時代はちょうど戦争の真最中だった。親は何度も漫画を書くことを禁じた。また学校の先生も、「漫画を描くのは非国民だ」叱責した。漫画どころか教科書を読むことさえ、「国策協力をせずに自分の勉強を優先させることはけしからん」というような風潮が日本全国を覆っていた。やりたいことがやれない。職業選択の自由はなく、多くの人が戦場に送られた。相当なストレスを受けていたのである。やむなく体の弱かった手塚さんは、親に進められて軍医を目指した。医学博士にまでなっている。そういう意味では自分の意に添わなくても、与えられた境遇の中で精一杯努力をされたのである。そして戦後すぐに漫画家としてデビューされた。昭和21年のことである。その後の活躍は言うまでもない。後年手塚さんは次のように言われている。「何年かの医学生だった経験、曲がりなりにもインターン、病院勤めをした経験は無駄にはなりませんでした。そういうものがぼくにもっと人の命という事を真剣に考えさせてくれたのです。」その後の「ブラック・ジャック」という作品に活きている。自分の置かれた状況に不満を抱かず、境遇に柔順になって、その時々で精一杯努力をする。その努力の過程に幸せがある。努力即幸福はこのことをいうのである。
2013.06.05
コメント(0)
森田では規則正しい生活をすることを勧めています。このことですぐ思い浮かぶのは就寝の時間である。国民の半数以上は11時以降に就寝しているそうです。私は毎日11時から風呂に入って、12時ちょうどに就寝する。朝は6時過ぎに起きるので睡眠時間は6時間半ぐらいです。理想の就寝時間は11時ぐらいだと思っています。集談会で聞きましたら、10時には必ず休むという人がいました。その代わり4時ごろに起きて活動を始めるということでした。いくら見たい番組があってもビデオに撮るなどして就寝を優先するのだそうです。素晴らしい実践だと思います。そして起きた後も体操したり、盆栽の手入れなど毎日の仕事をリズム感よく、楽しみながら、物そのものになりきって生活されているのである。今は眠くないという時でも、時間になれば就寝することが大切です。今現役で働いている人は、残業があり、接待や飲み会があったりして、早く就寝することは難しいかもしれません。でも遅くまで起きていることはよくないことだという自覚だけは持っておいてほしいものです。星野仁彦氏によると、「近年の睡眠医学の研究では、ノンレム睡眠期(深睡眠期)に成長、発達に欠かせないセロトニン、メラトニン、成長ホルモン、コルチゾールなどが大量に分泌されることが分かっています。睡眠が不十分であれば、これらの分泌に悪影響がでて、成長、発達が阻害される恐れがあります。」これらの大切な神経伝達物質は、睡眠中の夜に多く作られていたのである。親が遅くまで起きていると、子供も遅くまで起きているという生活のリズムになってしまいます。すると情緒不安定な子どもが増えてきます。セロトニンという神経伝達物質の減少はうつ病などの精神疾患の原因となるということは今や常識となっています。子供が遅くまでテレビを見たり、ゲームを2時、3時までするなどという生活は身体の不健康のみならず、心の健康を損なうということはよく自覚しておく必要があります。でも森田理論がよく分かってくると、自然に夜更かしは自制するように変化してくると思います。毎日同じ時間帯に同じ日常生活を淡々と、しかもものそのものになりきってこなしている。そんな生活を心がけたいと思います。
2013.05.31
コメント(0)
2013年6月号の「生活の発見」誌に面白い記事があった。「お使い根性ではいけない」という記事である。森田先生曰く。「お使い根性の人は、誰さんを呼んでくれたまえ、というと、かならず、どこにいますか、という。素直な人は、はい、といって自分で探して呼んでくる。」お使い根性は、人から用件を頼まれると、御用聞きのように機転がきかない。頼まれた用件しか頭にない。もともと人からの依頼で行動を起こすことは気が進まないものであるが、それでも「一歩踏み込んだ行動」がその後の展開を大きく変えるということは頭に入れておきたい。たとえば、森田先生から掛け軸をまいてくれといわれた場合。ただ言われた事をするのではなく、巻きながらその掛け軸の絵を見たり、書を見たりしてみる。そうすれば面白い絵だとか、こんなのがよい書なのだろうかと感じが湧いてくる。それが一歩踏み込んだ行動である。お使い根性と一歩踏み込んだ行動はどう違うのか。お使い根性でする行動は、頼まれた用件に意識は向いていない。頼んだ人の反応に意識が向いているのである。よい評価をしてくれるのか、やってくれて当たり前という評価を受けるのが気になるのである。用件に意識が向いていないので、頼まれた事をさらに創意工夫してよりよいものにしていこうという気持ちが湧いてくることはない。神経症を直すためには、行動をすればよいと聞いてやみくもに行動する人がいる。そういう人は絶対に神経症は克服できない。行動すればするほど神経症は悪化する。なぜかと言えば行動は必要なことをしているのではなく、ネズミが糸車を回しているようなものだからだ。その行為は、さらに症状に注意を向けていくために、ますます悪化するのである。今一歩踏み込んだ行動をする人はどうか。行動が一心不乱になるのである。症状で苦しいときでも、目の前のことについ夢中になって、後で振り返ってみるとその時は症状のことはすっかり忘れていたという経験は誰でもあると思う。森田理論ではこういう行動を目指しているのである。最初からは難しいかもしれない。最初はイヤイヤ、仕方なしの行動でもよい。行動すればそのチャンスはやってくる。その時に、「今一歩踏み込んだ行動」をキーワードとして思い出していただきたい。その経験を数多く体験することが大事です。
2013.05.29
コメント(0)
山崎房一さん(故人)は、母親講座を開かれていました。受講生に杉山文子さんという方がおられたそうです。姑は彼女の手料理や掃除、洗濯のこと、娘の教育までこと細かくいちいち口出しをする。そのいやな姑のことを夫に話しても取り合ってくれない。姑と別居したい。それがだめなら離婚してもいい。と考えておられたそうです。山崎さんは即座に杉山さんに言ったそうです。「杉山さん、おばあちゃんを殺したいくらい憎んでもいい。自分の気がすむまで思う存分憎みなさい。いくら憎んでも、憎しみが心の中にある間は罪にはなりません。しかし、黙っておばあちゃんに少しでも具体的な意地悪をすれば罪になるから、どんなに悔しくてもそればかりは絶対やってはいけません。」そして、「帰りに、おばあちゃんが一番好きなお菓子を買ってください。そしてこういっておばあちゃんに渡してみてください。おばあちゃん、お留守番してくれてありがとう。いつまでも長生きしてくださいね。やさしく笑顔でいいながら、そのお菓子を差し上げてください。心とは裏腹なことをしてもいいのです。」これがまさしく森田的な対応です。まず、憎しみはそのままにしておいてつつきまわさないことです。また、取り除こうとしたり、やりくりしてはいけません。殺したいと思ってもいいけれども、持ちこたえることが大切です。そして行動は感情がいかに苦しかろうと、その時の状況に応じて淡々とこなすことが大切です。役者は家庭でどんなにいやな悲しいことがあろうと、仕事になると悲しい表情を押し殺して、愉快なシーンではいかにも楽しそうに演技をします。我々もこれにならって感情と行動は分けるのです。そうした心掛けが大事だと思います。森田理論では感情と行動は、はっきりと分ける。これをまず一番に体得することが大切です。
2013.05.26
コメント(0)
先日テレビで子役の子どもがバラエティ番組に出ていた。司会者が悲しくて泣く演技ができるかどうかやってみてくれないかという。するとその子役は一分ぐらいすると本当に涙を流し始めたのである。その演技にあたっては過去の悲しい思い出を思い出したというのである。このように役者は自分のその時のいかなる気分とは無関係に演技を求められる。子供が生まれた。彼女との楽しいデートが待っている。という時でも、涙の出る悲しい演技を求められる。怒り狂った殺人者の演技を求められる。失望感に打ちひしがれた演技を求められる。また検事総長の役割を演じたかと思うと、ライ病に罹った浮浪者の演技を求められたりする。それができなければ役者としては失格となる。職業としては成り立たない。つまり役者を続けている人は、自由自在にその時の「自分の感情」と「なすべき行動」を分けて考えることができ、さらに実践できる能力のある人である。我々も人生という舞台に立つ役者と考えてはどうだろうか。苦しいこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。嫉妬することもあるだろう。愛欲に溺れてしまいそうになることもあるだろう。人生思いどおりにならなくて投げやりになることもあるだろう。そんな気持ちを否定もせず、逃げたりもしない。ただその流れに身を任せ、何事もないように、その時に求められる最高の演技をしてみる。そしてその演技の出来栄えを後で少しだけ振り返ってみる。それが自由自在に演じられるようになれば、名俳優と決して見劣りのしない「人生劇場の大役者」となれる。私は森田理論の「症状はあるがままに受け入れて、なすべきをなす」というのをこういうふうに考えています。
2013.05.25
コメント(0)
イチローは「苦しいときこそ逃げない。苦しいときは力が半分しか出せない。でも50%の力を100%出そうとする自分がいれば、立ち直りは早いと思う」という。普通の人は100%できる力を持っていても、50パーセントのことしか取り組んでいないことが多いようです。実にもったいない生き方です。これは前提として今の自分の悪い状態を素直に認めないとできることではありません。今の自分は万全ではない。いいときの半分ぐらいの状態だ。半分だからダメなのではない。半分だから完全にはできない。だからやる気にならないのではない。その最悪の状態を認めて、できることを精一杯にやってみる。神経質な人は、自分は人並みに仕事ができない、勉強ができないときその事実を認めることができない。すぐに自己否定する。そして劣等感で苦しむ。ひどい場合、自分はなにをやってもダメだと投げやりになる。意識を内向化させて、逃げてばかり。なすべき事に全く手をつけなくなる。イチローのように、まずいまの自分の苦しい状況では一人前に仕事はできないという事実を認めようではありませんか。ありのままの事実をそのままに認めるのです。ただそれだけです。そんな自分を価値判断するのではありません。是非善悪の価値観で判定してはいけません。その前提をはっきりと認識して、いまの最悪の心身の状態で、今できることだけを見つめるのです。あれもこれもと欲を出さないことです。今できることは一つしかありません。今できることに精一杯取り組むことです。森田では「ものそのものになる」といいます。そうすればイチローの言うように、50%の力を100%に発揮できると思います。そのように苦しみを抱えたままなすべきをなすと、感情は流れていくし、どん底からしだいに回復してくるのです。
2013.05.21
コメント(0)
イチローは試合がある日は、始まるまでの行動を小川の流れのようによどみなくこなしているという。カレーを食べて車で家を出て球場に入る。時間どおりである。専用のトレーニング機器を使ってのストレッチなど。徐々にモチベーションを高めてゆく。ウェイティグサークルからバッターボックスに入るまでの歩数は毎回一定だという。構えに入るまでのしぐさもいつも同じ。イチロー独特のバット高く構えるしぐさも一緒。すべての動作をゆっくりとしたリズムで丁寧にこなしてゆく。このバッティングに入るまでの綿密な儀式は、彼の日常生活にまで及んでいるという。森田先生はダンスのリズムを研究されていました。リズムには強弱があります。森田理論では緊張と弛緩といいます。すべての動作は緊張と弛緩の繰り返しだととらえていたのです。緊張しっぱなし、弛緩しっぱなしで偏ると行動は自由がきかなくなり、いびつになり問題が発生します。緊張状態と弛緩状態をリズム感よく調整して、バランスのとれた行動にしてゆくという事を考えられていました。神経症に陥った人はリズム感がなくなります。躍動感がなくなります。歌を唄ったり、体を自由自在に動かすことがなくなります。それは症状一点に注意を集中して、常時過度の緊張状態にあります。交感神経が過度に刺激されて、緊張状態を持続しています。これは長続きしないだけではなく、ストレスをため込み自分の心身を痛めつけているのです。神経症が回復することは、リズム感を取り戻すことです。生活のメリハリを取り戻すことです。そのためには日常生活を規則正しく回転させていくことです。特に家にばかりいる主婦、定年後の人は意識して取り組まないと、いつも弛緩した状態になりやすいと思います。ここで森田の「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」という言葉を思い出してみてください。ある仕事に飽きた時、疲労がたまった時は弛緩状態にあります。意識してなすべき事を転換していけばまた緊張感を持った状態に転換できます。臨床心理士の岩田真理さんは30分ごとに家事や仕事を変えてみることを提唱されています。なかなかいいアイデアだと思います。緊張と弛緩のバランスを考えた生活態度をぜひ身につけてゆきましょう。
2013.05.11
コメント(0)
今日は変化のある一日でした。普段は仕事をしているためあまり変化はありません。みなさんの刺激にはなるかなと思いまして書き込みしてみます。早朝起きてブログの投稿をしました。そのあと趣味のネット麻雀を半荘しました。朝9時半ごろ、いつもお世話になっている素人チンドン屋の仲間に缶ビールを持って行きました。するとちょうど筍堀りから帰ったところで、友人と祝杯をあげていました。しばらく談笑して筍をもらって引き揚げました。次にある人の紹介で、獅子舞いを教えてくださるという先生をたずねました。その人は建築士の人でした。一時間ビデオやいろんな指導を受けました。立派な獅子頭は友人が無償で作ってくれたものを持参しました。話を聞いていると歌舞伎の動きによく似ていることが分かりました。間がとても大事なのです。その方はビデオを貸してくれた上、獅子舞いで踊る衣装をくれました。私は買い取りたいといいましたが、習いに来てくれたのがうれしいのでお金はいいといいました。さらに一カ月に一回は無償で指導してくれるというのです。その人は有名な神社で奉納獅子舞をしていたのですが、ヘルニヤになってできなくなったそうです。その後家で昼ごはんにかけそばを食べて、「どじょうすくい」の教室に行きました。15名ぐらい来ていました。月一回で月謝は1000円です。私は老人ホームで何回も実演しているのですが、今日もいろいろと気づきがありました。たかが「どじょうすくい」ですがとても奥が深いのです。2時間ぐらいありました。帰って家で洗車と車の清掃をしました。そのあと電気屋に頼んでいた食器乾燥機をとりに行きました。また米を20キロほどつきました。その後サックスの次回課題曲の練習を30分ほどしました。夕食をすませて、この原稿を書いています。この後、どじょうすくい、獅子舞いの復習、読みかけの本読みなどがあります。その他まだまだメモしているやるべくことがことがいくつかあります。それらを淡々とこなしてゆこうと思っています。明日は「どじょうすくい」検定試験があるので、早朝から出かけます。したがって朝の投稿はできません。悪しからずよろしくお願いいたします。たくさんの読者の人がおられるので心苦しいのです。以前神経症で苦しんでいた時は、今日のような過ごし方はとてもできませんでした。家の中にじっとしていて、苦しくて仕方がなかったのです。このように充実した一日を送れるようになったのは、森田理論学習を続けて自分が変わることができたおかげなのです。森田理論学習がなかったら今の自分はないと思っています。
2013.04.27
コメント(0)
交通違反を取り締まる警察官はノルマがあるのでしょうか。一時停止するところのちょっと先の物陰などによく隠れています。また見通しのよい障害物のないような道を50キロ規制してよくネズミ取りをやっています。私はゴールド免許ではなくブルー免許なので大きなことは言えませんが、パトカーなんかに捕まるとむかっとして腹が立ちます。でもよく考えると一時停止、信号無視、スピート違反は防ごうと思えば防げると思います。こうしたうっかりミスは森田的生活を実践することによってなくなると思います。私は一時停止の場所に来ると、警官がいるかもしれないという前提に立って行動しています。踏切の一旦停止も警察が見張っているはずだと思って行動します。50キロ規制のところはネズミ取りをしているかもしれないという前提で車を走らせます。神経質者は細かいことになんでもよく気がつきます。それを日常生活に活用することです。前もって常に最悪のケースを想定して、注意深く行動すると捕まることは少なくなります。森田の無所住心ではないですが、あちこちにアンテナを張って、不安に学び、不安を活かして対策を立てて後で後悔しないようにしています。森田では「不安は安心のための用心である」といいます。ぜひみなさんも生活の中に取り入れてみてください。
2013.04.01
コメント(0)
休み明けは会社や学校へ行くのが億劫になります。これを「ブルーマンデー」とか「サザエさん症候群」などと言います。日曜日のサザエさんが始まるころから急に明日の仕事や勉強のことが気になって重くるしい気分になることです。これを解決する方法の一つとして、金曜日の夕方に月曜日朝一番にする仕事を作っておくことです。神経質な人は区切りとして、金曜日までにやることはすべて片付けたいと思いますが、1つや2つは月曜日のためにとっておくのです。すると月曜日になって今日はなにをしようかと迷うことがなくなり、すぐにその仕事に取り掛かるため、比較的早くエンジンがかかるのです。また別の方法としては、普段より30分か1時間早くいって、体をならしておく時間を作っておくのである。コーヒーを飲んだりして多少だらだらとして過ごし、みんなが来るころになると、だんだんと調子が上がってくるようにするのである。森田先生もおっしゃっていることですが、やらなければならない仕事とか用事をわざと目につくこところに置いておくことがあります。これも尻軽に手を出すということからするとよいことです。ある作家は、文章を書く時必ず区切りの悪いところでとめておくそうです。たとえば、「わたしは」と書いて終えるのではなく、「わた」と書いてその日の仕事を終えるのです。すると翌日は、「しは」と始めるしかない。「しは」と書くことによって、それがスタートとなり仕事が進んでゆくというそうである。
2013.03.23
コメント(0)
有名大学を目指して合格を果たした人が、何をやっていいのか分からない。「人生むなしい」と言っている人がいるようです。とくに入学直後に現われます。彼らの思考方法は自分の力の範囲で、少しでもランクの上の有名大学、学部を選択するということだそうです。自分の将来やりたいことから発想しているのではないということです。京都にある堀川高校では、部活、実験、野外活動、社会活動などに勉強と同じぐらい力を入れて、その中から将来自分の取り組んでみたい分野を考えてもらおうとしたそうです。また授業内容にしても、探求基礎や総合基礎なとという教科がある。とてもユニークな教科で、自分で疑問に思っていることに自らが積極的に取り組んでゆくという。たとえばバングラディシュでは土壌にヒ素が溶け出して地下水が飲めないという。ある生徒がそれを知って、「赤土を用いたヒ素の除去」の研究を始めた。その生徒は2年生の夏休みにそれに没頭しました。そしてついに赤土を300度で2時間焼くと、ヒ素を赤土が吸着して、しかも水を透しやすいことを発見したそうです。そうした勉強を続けていると、生徒たちには将来何をやりたいかが見えてくるという。ただ単に合格すればよいというのではなく、その大学に行けば、自分のやりたい勉強ができる。そうゆう分野を見つけ出せれば、自然に受験に取り組む意欲はとても積極的になるということでした。可能性の分野を豊富に用意して、生徒の意欲、積極性、自主性、自立性を引き出すのが教育の大きな役割だと思います。それは森田理論学習で以前いわれていた、「理想は高く、実践目標はこきざみに、努力を積み重ねる」と重なります。「生の欲望」をこのように積極的にとらえることは、大変意味があることだと思います。
2013.03.14
コメント(0)
赤ちゃんはおむつをしています。濡れると気持ちが悪いので泣いて知らせます。親がきておむつを取り換えてくれます。うまく赤ちゃんと親のコミュニケーションがとれるようになっているのです。ところが今のおむつは赤ちゃんが気持ち悪がらないように、吸収率抜群のおむつに変わっています。親もわずらわしさがなく、赤ちゃんも快適で何の問題もなさそうです。ところが一つには赤ちゃんの感覚が育たなくなってきているのです。また赤ちゃんと親の関係が希薄になってきているのです。3歳までの子どもと母親の関係はその後の人生にとって極めて大切だといわれますが、それが希薄になりつつあるのです。老人が寝たきりになるとベットに寝かせます。老人にとっても動きやすいし介護する人も楽です。ところが老人の筋肉は衰え機能の低下がものすごい勢いで進んでしまうというのです。いったんペットを使うと、すぐに畳に敷いていた布団から起き上がるということはできなくなります。老人の運動機能を奪ってしまい、植物人間へと変えてしまうのです。今の世の中一事が万事、便利で楽になり、人間の基本的な生活態度を、手を抜こうとすればできるようになりました。森田では煩わしい日常生活に真剣に取り込む中に生きる意味があるといいます。そういう意味からすると、生きがいが失われていきつつあると思います。
2013.03.13
コメント(0)
阪神時代の江夏豊の実績はすごい。1967から6年連続奪三振王、1968年25勝で最多勝、沢村賞、1971年オールスター9者連続三振。等々。そんな江夏が1976年阪神を追われるような形で南海に移籍した。その時50球以上投げると握力が子供なみになるという血行障害があったという。野村監督は江夏にクローザーを要請したそうだ。ところが江夏は頑なに拒んだそうです。プライドが高かったのである。江夏にとってピッチャーは先発完投するのが当たり前。リリーフなどはダメな二線級のピッチャーの仕事であると思っていた。リリーフは江夏にとっては恥でしかなかった。野村監督は、「アメリカでは先発、中継ぎ、押さえの分業制が確立している。日本もすぐにそうなる。お前が日本にその革命を起こしてみないか。」と言って説得したそうです。江夏はしぶしぶそれを受け入れた。つまり、今までのスタイルを捨てて、変化を受け入れたのです。その後、江夏は広島、日ハムの優勝に大きく貢献し、「優勝請負人」といわれるようになりました。もし南海に移籍したとき、ひねくれて変化を受け入れなかったとしたら、すぐに引退に追い込まれていただろうし、日本プロ野球の分業制はもっと遅れていたと思われる。変化を受け入れて、境遇に柔順になるということは改めて大切なことだと思います。
2013.03.11
コメント(0)
今日は、1か所のストリートパフォーマンスと2か所の老人ホームの慰問に出かけます。昔懐かしいチンドン屋の余興です。4名の編成です。チンドン太鼓、サックス、アコーディオン、ゴロスです。曲は竹と雀、千鳥、美しき天然、オッぺケペ節、野崎小唄、北国の春、高校三年生、同期の桜、さんぽ、瀬戸の花嫁、さよなら港などです。そのほか私は「どじょうすくい」もやります。老人の方に喜んでもらうと同時に、私も精一杯楽しんできたいと思っています。
2013.03.09
コメント(0)
日本には「くれない族」が多いという。友達、配偶者、親、子供、役所や国に対して、「○○してくれない」といつも子供のように駄々をこねている人のことをいう。やさしくしてくれない、いったことをしてくれない、親切にしてくれない、こずかいをくれない、生活の面倒をみてくれない、ほしいものを買ってくれない、ほめてくれない、自由にさせてくれないなどである。「くれない族」は自分から積極的にほしいものを手に入れようとすることはしない。いつも人の援助を期待している。自分が困っている時は、周りの人が助けてくれるのが当たり前だと思っている。物質的な豊かさであれ、安全であれ、周りの人が与えてくれて、守ってくれるのが当然だと思っている。そういう生活に慣れてくると、自分の考えているように相手が動いてくれないと、ちょっとしたことでも大きな不満に発展する。そして不平や不満を声高に訴えるようになる。いつも森田でいう「かくあるべし」で相手の「してくれない」という事実を批判的に見ているために不平や不満が絶えないのである。こうゆう考えの人はかわいそうだと思う。こんな人は人間の基本的な食べること、掃除すること、洗濯することなども自分で動こうとせずに他人に依存的になる。そのうえでやりたいことばかり追い求めてゆく生活はどんなにか楽しいだろうと思いますが、他方でどうしようもないむなしさも感じるようになります。その原因ははっきりしています。本来の人間の生き方から外れているからです。人間は日常茶飯事に自ら真剣に取り組むことによって、困難に立ち向かい、いろいろ工夫したりする中で自立して生きていく力を獲得してゆくのです。その努力の過程が森田でいう努力即幸福という状態ではあるまいか。自ら努力を放棄し、他人に依存する生き方に明るい未来はやってこないと思います。
2013.02.24
コメント(0)
会社や学校へ行くのが嫌でどうしようもない方もおられると思います。そういう時は、まず目の前の一歩を目標にして手足を動かしてみましょう。イヤイヤでもいいのです。しぶしぶでもいいのです。気分はどんなにすぐれなくても、機械的に体を動かしてみましょう。まず目覚ましがなったら起きてみる。カーテンを開けてみる。今日の天気はどうですか。布団を畳んでみる。押し入れに入れてみる。洗面所に行ってみる。顔を洗ってみる。歯を磨いてみる。ひげを剃ってみる。トイレを済ましてみる。新聞を取りに行ってみる。新聞を読んでみる。服を着替えてみる。ネクタイを選んでみる。朝食の準備をしてみる。朝食をとってみる。持っていくものを確かめてみる。電気やガスの元栓を確かめてみる。玄関にいって靴を履いてみる。玄関を開けてみる。戸締りをしてみる。駅やバス停までいってみる。電車やバスに乗ってみる。所定の駅やバス停で降りてみる。会社まで歩いてみる。タイムカードを押してみる。仕事を始める前までに、小さな、なすべきことがいっぱいありました。症状で苦しいときは、気分本位になってこんな小さな事も出来なくなります。ここまでできたら満点をあげてもいいでしょう。何しろ生活費を稼ぐための入口まではたどりついたのですから。そしてイヤイヤでも仕事に手をつけてみましょう。そのうちいやおうなしにいつの間にか仕事に没頭している自分を発見するかもしれません。
2013.02.22
コメント(0)
会社に出入りしている職人さんで魚つりの名人がいました。仮にAさんとしておこう。Aさんは、磯釣り中心で、主としてクロダイをよく釣り上げる。クロダイは魚釣りの中でも難しい魚とされている。それは、クロダイそのものが頭がよく、一旦食べたエサをすぐ吐き出して安全を確かめてから、改めて食べるほど用心深いところからきているという。 Aさんに誘われて魚釣りに行った。その時は、釣果が悪かったが、それでも8枚のクロダイを釣り上げた。両隣の人は1枚ずつだった。近くで同じように釣りをしながらどうしてこんなにこんなに差がつくのだろう。そういえば以前、Aさんの作ってくれた仕掛けで、タナゴを10枚ほど釣り上げたことがある。近く釣っていた人は、1枚も釣れなかった。Aさん曰く「仕掛けが大きすぎる。いくらねばっても多分釣れないだろう。」その通りになった。隣の人は、私が銀色に輝くタナゴを釣り上げるたびにうらやましそうに見ていたのである。話を聞けば聞くほど、また釣りの様子を見れば見るほどその奥の深さに感銘をうけるのである。まずAさんは、釣れるポイントを重要視している。誰よりも早く出かけてそのポイントを確保しなければならない。他のつり名人といわれる人とポイントの奪いあいに負けては戦う前に勝負がついたも同然であるという。その日は5時すぎにポイントを確保した。Aさんは釣れる時間帯に休んだり、パンなどを食ったりしているとすごく怒るのである。「釣れる時間はほんの少しだ。その時は寝食を忘れて釣りに集中せよ。それを逃すと次に釣れる保障はないのだから。」また仕草や動作にも手厳しい。素人くさい竿さばきやコマセで竿を汚すのはもってのほかだ。釣れるときにもたもたしてエサをつけているのを見るとイライラするようである。大潮、小潮を見極めて出動するのは釣り人の常識である。Aさんは1年のうちでもいつどこでどんな魚が釣れるか、よく知っているし、他の釣り仲間と絶えず情報交換をしているのである。またここの海底の地形がどうなっているのか、どこで根がかりしやすいか、水深はどれくらいか、クロダイの性質、習性とか、動き回っている範囲など研究に研究を重ねているのである。見たところ学問には縁のなさそうな人であるが、こと魚釣りの本はたくさん持っているそうである。私の道具選びに付き合ってくれた。安くて使いやすい竿を根気よく探してくれた。Aさんは、団子を遠くへ投げるヒシャクは自分に使いやすいように手作りである。仕掛けは狙う魚に応じて、海の状況に応じて常に変えていく。使うハリや、ウキや重りにいたるまで芸が細かいのである。クロダイは特に動くエサがよいという。魚を呼び寄せるコマセは独自に配合して、風味の良いものを作っている。Aさんは投げ釣りは性に合わないという。自分が工夫して作った仕掛けと魚との知恵比べの格闘がないから面白味がないのである。Aさんは、自分の気に入った道具で、最高の仕掛けを作り、クロダイの状況を詳しく知り、そしてなによりも燃えるような情熱をもっていたのである。はた目にはよく分からないが、釣れるには釣れるだけの理由があったのである。そうした姿勢は周りの人に計り知れない好影響を与えている。
2013.02.09
コメント(0)
土曜日や日曜日は休日という方も多いと思いますが、注意が必要です。会社や学校に行っている時は症状に振り回され、苦しい気分を休日に一気に解消しようとするのです。パジャマのまま過ごしたり、昼近くまで寝ていたり、外出もしないでテレビを見続けたり、音楽を聴きながらスナック菓子を食べる。規則正しい生活が土曜、日曜で簡単に崩れてしまうのです。森田では「外装整えば、内相自ずから熟す」といいます。気分はどんなにつらくても、形から入るということです。集談会で「くつがそろえば心がそろう」ということを聞きました。形を整えることに力を入れれば、心は変化して流れてゆきます。定時には起床する。歯磨きをする。洗面を済ませる。着替えをする。朝食をとる。新聞をよむ。等いつも毎朝やっていることは、いつもどおりすませる。それはウォーミングアップのようなものです。ウォーミングアップが済めばいよいよ活動開始という態勢になります。もっといいのは普段から土曜、日曜日になすべきことのストックをたくさん作っておくことです。やりやすいところから手をつけてゆくと弾みがついてきます。そのために気のついたことは常にメモする習慣をつけておきたいものです。
2013.02.09
コメント(0)
ある浄土真宗の住職さんの話。日常生活をほったらかしにして、毎日ゴロゴロして生活している人を畜生(ちくしょう)と言います。ですから野良イヌや野良猫は畜生ではありません。毎日必死に生き抜いております。朝から晩まで食べ物を求め、子育てに走り回っております。盲導犬ともなりますと菩薩の状態にあります。菩薩様とは他の人のために全生涯を捧げ、見返りを一切求めないのです。まさに盲導犬は24時間主人のために動き、給料やボーナスといった報酬を一切求めません。私はこの話を聞いて、三重野悌次郎氏がよく言われていた言葉を思い出しました。人生は雑事の連続である。雑事をおろそかにして人生はない。雑事を丁寧に物そのものになりきる生活の中にこそ人生の生きる意味がある。それが自分の利益だけを考えるのではなく、人の役に立つことを第一に目指す生き方に向かって努力するのが尊いことだと思いました。ちなみにその住職さんがいわれるには、飽きることのない物欲を満たそうとする態度のことを餓鬼(がき)というそうです。また自分ひとりだけがよくなればよいという態度を地獄というそうです。
2013.02.08
コメント(0)
森田先生は常に変化に素早く対応する態度を勧めておられる。私が自動車で大学の講義に行くときは、着いたらパッとけって飛び降りるというような気合でいれば、決して自動車酔いはおこらない。僕が自動車に乗るときは、決して両足をそろえてゆったりと乗っているようなことはない。一方の足を前に伸ばし、一方の足を曲げて爪先を立てている。この姿勢は常に不安定の姿勢で、衝突の時なども最も迅速に身構えができ、機敏に変化のできる状態である。これは同時に常にハラハラとして心持になっているものである。神経質者は一般的に変化への対応力がない。変化に対応するよりも、自分の考えに固執して、臨機応変な対応ができないのである。しかし、自分の「かくあるべし」を捨てて、臨機応変な対応は森田理論学習で是非とも身につけてゆきたい。企業にとっては変化に対応できないことは、死活問題となる。1952年(昭和32年)設立されたダイエーは、「よい品をより安く」のモットーのもと、一時は売上高で「三越」を抜いた。ところが2004年(平成16年)産業再生機構に再建をゆだね事実上倒産した。1980年代、イトーヨーカ堂、セブンイレブンジャパンの鈴木敏文社長は消費者の変化を読んでいたという。つまり、それまでの物がない、食べるものがないという時代は、とにかく大量生産で安い商品を十分に供給する。空腹をいやすために安い食品を大量に安く提供するのが小売りの使命であった。ところが80年代は、消費者の求めるものが変化してきた。たとえば空腹を満たすため、冷めたコロッケが大量に並んでいる売り場は敬遠するようになったのである。毎日日替わりで温かく、おいしそうなものが並んでいるようなお店を選ぶようになったのである。そうゆう面でダイエーは変化への対応力が、イトーヨーカ堂などに比べて遅れていたのである。セブンイレブンでは1日3回弁当の中身が変わる。冷夏の夏はおでんが並ぶ。温めた飲物が用意される。肉まんが提供できる。お客様のわがままとも思えるような変化に、自分の事は横に置いて、お客の変化に対応してゆこうという姿勢が貫かれている。変化に対して、自分を対応させようとして常に自己変革している企業と、旧態依然として自己改革に手をつけない企業とでは差が広がるばかりであったのである。私たちはこれに学び変化に素早く対応する力をつけたいと思う。
2013.02.04
コメント(0)
吉田茂元首相は、政治家になる前は外交官だった。はじめて外国に赴任し、最初の仕事は、電信室で電信を受け取り、それを大使に届ける。ただそれだけの仕事。吉田さんは、「こんなバカげた仕事はもうやめたい」という手紙を、義父の牧野伸顕さんに書いたという。すると牧野さんは、その返信で厳しく吉田さんを叱責した。「何をくだらないことをいっているのだ。お前のやっている仕事は、大使よりも先に電信を見られるではないか。日本から来るもの、世界各国から来るもの、さまざまな内容の電信を見ることができる。一国の行方を左右するものがあるかもしれない。それを見たときに「もし自分が大使だったらどう判断するだろう」と考えることができる。また大使がどう動いたかを見れば、実践的な勉強になるではないか。」これと同じようなことを森田先生も言っています。「形外先生言行録」より、林要一郎氏の話。ある日庭で働いている私を、二階の居間におられた先生が「林君、林君」と呼ばれた。早速二階に上がって、居間に伺うと、先生は床の間にかけられた掛け軸を指さして、これを巻いてしまいなさいとのことである。お指図のままにその幅を巻いて箱に収めた。「それでよろしい」といわれるかと思うとそうではない。「君はあれは誰の筆かみたか」とのお尋ねに私はハッと詰まって黙ってしまった。「だから君は駄目だ、掛け軸を巻けといえば、いわれるままに機械的に巻くだけだ。なぜ巻きながら筆者を見たり絵を見たりしないのか」という先生の言葉がつづいた。ここで森田先生や牧野さんの言いたいことは、物事に取り組む時いわれた事をそのままやるのではなく、もう一歩踏み込んでみなさい。ということである。お使い根性ではだめだといわれているのである。ちょっとしたことだがその後の経過は雲泥の差となってくる。そういう態度になれば、一つのことにこだわっておられなくなり、頭に浮かぶことも、手を出すことも次から次へと芋づる式に流れてゆくのである。その有様は鴨長明の、「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどに浮かぶうたかたはかつ消えかつむすびて久しくとどまることなし」となるのである。自然の流れに沿った生き方は誠に自由でおおらかである。それは自然の流れに同調しているからである。
2013.02.03
コメント(0)
学生時代の水谷先生が森田先生に次のような質問をした。森田先生はいつも私に「ともかくも手を出せ」といわれるので、苦しい苦しいと思いながらも、形外会でやる余興の劇の稽古をしました。やってみると案外よくできました。これは「ともかく手を出した」ことになるでしょうか。それに対して森田先生は、ずばり、それは手を出したことにならないといっています。「もし、君が学校の本を読めば、これが手を出すことに相当する。君が本を読まないのは、苦しくて興が乗らないからである。その苦しい中から読むことを「ともかく」というのである。君は実際において、「「ともかく手を出す」べきことには、少しも手を出していないから、稽古も苦しいので、歩いていて苦しくなる原因はここにある。もし、これを逆に、ともかく、読書のほうに出しておれば、おのずから、心が快活になって、勉強もできるし、その余暇に、劇でも、トランプでも、みんな面白くできるようになる」といわれています。これと関連して今月号の「生活の発見」誌の61ページに次のように書いてある。森田療法は作業療法と思われているが全く違う。入院森田療法で行うことは、日常生活で行うことは当たり前のこと、これらの「当たり前のこと」ということに気づき、日常生活に細心を払って工夫し心を向ける。いやいやながらでも、日常茶飯事を丁寧に、ものそのものになって取り組むのがともかくも手を出すということである。自分の好きなことを好きなだけやるというのは、森田ではない。ちょうどネズミが踏み車を回しているようなものである。心しておきたい。
2013.02.01
コメント(0)
森田先生は多くの色紙を残されています。その中に「日々是好日」というのがあります。これは「ひびこれこうじつ」ではなく、「にちにちこれこうじつ」と読みます。中国の雲門禅師の言葉です。これは毎日毎日、悩みがなく、楽しいことばかりでいいことだらけという状態を思い浮かべるかもしれませんが、全く違います。そもそも人間生きている間苦労はつきものです。朝起きて、ルンルン気分で鼻歌を疑いながら、歯を磨き、身支度をし、食事をして悦んで会社に出かけるなんて躁病の人以外は考えられません。普通の人は、仕事は一杯溜っているし、上司は気難しい人だし会社に行きたくないと思いながら起き出す。寒くてイヤだなあと思いながら会社に出かける。つらいけれども仕事をしないと家族を養っていけない。と思いながら生活しているのである。神経症の人はいつも気分よく生活していたい。朝起きた時も、仕事に出かける時もどうも気分が悪い。気分の悪さを取り除いて、気分よく行動したい。その気分に引っ張られて、会社や学校を休んだりしています。そんな状態の中で「日々是好日」とは、今日一日イヤイヤながらでもなすべきことに手をだしてゆく。森田では「努力即幸福」という言葉があります。手をだしたからといっても必ずしも目的や目標が達成できるとは限りません。でも人間が生きていることは、なすべきことに手をだしたかどうかということです。努力したその過程が「好日」となるのです。手をだしてみると難しいと思っていたことがわりとすんなりできたり、反対にあまくみていたことが難しかったりすることが分かります。また失敗することによって、分かってくることもあります。創意工夫が生まれてくることもあります。森田先生がよく例に出される正岡子規は、痛みに常に襲われながらも創作活動は続けていった。これが「日々是好日」ではなかろうか。
2013.02.01
コメント(0)
草取りに「物そのものになりきる」を応用すると次のようになります。急いでとると失敗するので1本1本丁寧にとる。草の種類によってそれぞれ個性がある。丈が長くてもすぐに抜ける草もあれば、小さいのに横に根を張りめぐらせる草もあります。一番難儀をする草は、三つ葉のクローバーに似て、葉っぱは小ぶりで黄色い花をつける奴。大根のような根を張り、引き抜こうとしても葉っぱがちぎれるだけで、大根根は残る。ちょうどトカゲのしっぽ切りのような感じ。そこで、大根根がのぞくまで、表面の砂を取り除いてから、底をはさみ、引っ張ると抜ける。難儀な草だけど抜けると快感になる。しかし、この草、花が咲き終わると、オクラのようなさやをつけ、その中に種がギッシリ入っていて、少しでも触れると、爆弾が飛び散るような勢いで、種をまき散らすから驚きである。どの草でも花をよくみるとかわいいが、多くの種をつけるので、草取りは、花が咲いた時までに取るようにしている。草取りに夢中になっても、長時間やると飽きがくる。そこで森田が役に立つ。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」しゃがんでの作業から、立ち仕事に転換すれば、腰は休息になり、また別の作業で楽しめる。これが「なりきる」ことの見本です。「なりきる」とさまざまのことをよく観察して、いろんなことに気がつきます。そして創意工夫が生まれます。「なりきる」ことによって価値判断がなくなり、とるにたらないことで小さな楽しみをそこら中に作り出すことができます。私は「なりきる」ということを生活の中に取り入れて、症状を克服した人を集談会で見つけました。その方の生活は一事が万事、なりきった生活ですからとても面白いのです。また他の方に与える影響が大きいです。私もいつもあやかりたいといつも思っています。
2013.01.27
コメント(0)
私は仕事を持っているので、必然的に規則正しい生活にならざるを得ない。毎朝7時頃起きる。どじょうすくいなど練習をして、身支度を整え、勤務先に行く。朝食はニンジンリンゴジュースとヨーグルトのみ。5時には仕事を終えて帰る。それからサックスの練習を一時間程度する。夕食を食べて、テレビはほとんど録画したものを見る。それから毎日ネット麻雀を半チャンする。20分ぐらい。それから読書などをする。風呂に入って、夜はいつも11時半から12時には寝る。これの繰り返しである。森田学習をして変わったのは、一つのことをだらだらと続けることがなくなった。意識としては30分で一つのことはおしまい。次のことに移る。こうゆう意識を持って生活しています。森田先生は、神経質は動き出すまで時間がかかる。しかし動き出すとなかなか止まらない。と言います。たしかにそうです。難しいことはいろいろと理由をつけてなかなか手をつけない。ところがいったん手をつけるとはまってしまい、時間などおかまいなしにずるずるとしまりがなくなってしまう。これは気分に左右されていることだと思っています。私もそうゆう態度になりやすいのです。嫌なことはすぐに逃げる。反対に好きなことは見境なくのめりこんでしまう。これは一つの事の裏表の関係です。これは症状の成り立ちと大いに関係があると思います。症状で苦しんでいる人は、症状一点に注意を集中して、他のことはおろそかになりがちです。症状を克服した人をよく観察してみると、時間の使い方がとても上手になっています。物の性を尽くすということから見ると、よくぞここまでと思うほど、時間の性を尽くしておられます。そのためには規則正しい生活を維持してゆくことが大切です。
2013.01.22
コメント(0)
今日は会社の懇親会でサックスの演奏をしました。いつもは二人でやっているので、多少気が楽なのですが、今日は自分一人で、あとは私の演奏に合わせて、15名ぐらいが合唱しますのでプレッシャが大きいのです。ホテルの結婚式場で、聴衆は約150名ぐらいだったと思います。なんとか間違えることなく、スムーズに演奏できました。途中からは多少のりまくりました。今日までの一週間は演奏する二曲を家で何回も練習しました。50回以上は練習したと思います。毎日40分ぐらです。途中指づかいの難しいことろが2か所あり、そこはゆっくりと繰り返し繰り返し指が動いてくれるまでやりました。今朝も最終チェックで1時間練習して、自分としてはこれで間違えたら仕方ないと思って出かけました。練習では100パーセントのできです。ところが出番15分ぐらい前になってウォーミングアップをしたのですが、なんでもないところで何回も間違えるのです。とても動揺しました。できとしては急に60パーセントぐらいのできです。まあとにかく、楽器はウォーミングアップが必須ですから、ひととおりやりました。すると司会が出番ですと連絡にきました。少し動揺しましたが、もうじたばたしても仕方ありません。あとは練習してきたことを出し切るしかありません。あのイチローだってプレッシャで押しつぶされそうになるといいます。イチローはプレッシャは受け入れていくしかないと思っているといいます。私もそうです。苦しい。だったら辞めれば楽になるのにとつい思ってしまいます。でも辞めようとは思いません。私の体験では、ここはうまくいくかなと脳裏に少しでも浮かぶ時はまちがいを起こします。そこは何回も練習することで、指先が自然に動くようになり観念がでてこない状態まで努力するしかないと思っています。どんな難しい指遣いでも単純な指遣いの組み合わせだと思います。
2013.01.19
コメント(0)
毎日の生活が退屈だという人がいます。そういう人をよく観察してみると、価値のある仕事、クリエイティブの創作活動、意味のある行動、人から称賛されることに大きな価値があると思っています。そして価値のあまりない仕事、人から拍手喝采されないようなことは軽視して手をつけない。そうかと言って価値のある仕事はどこから手をつけていいのか、きっかけさえつかめない。つまりどちらに転んでも、何もしないので退屈になるのである。実践という言葉の「践」の右のつくりはわずかという意味があるそうです。「浅」はわずかな水深です。「銭」はわずかなお金です。実践というのはわずかに自分の足を使って動いてみるということです。日常生活の中でわずかな実践は数限りないほどあります。それらを手を抜かないで、一心不乱に取り組んで見る。すると工夫や発見が次から次へと浮かんでくるようになります。入院森田療法はそこに焦点をあてていました。
2013.01.19
コメント(0)
森田先生は18歳のときから、亡くなるまでずっと日記を書いておられた。簡潔に1、2行もの。簡単なものはいつ起きて、いつ寝たとだけ書いてある。事実の羅列。感情的なことは書いてない。例として年賀はがきの枚数。書いた原稿の枚数。完成するまでの日数。病院へ行く道すがら食べたアンパンの数。父からの仕送りの額はいくらだった。ちなみに総額2587円だった。自分でこれをためるのに8年かかったといっている。妻とのセックスの回数。月末には集計までしている。誰だって隠したいことはある。森田先生にはそれはない。事実を具体的にということに徹底してこだわった。森田先生の影響を受けて7年前から日記をはじめた。3年日記をつけていたが、以前の日記を見るのが大変なので今年から10年日記に変えた。私は毎日夕食に何を食べたかを書いている。後社会のおもな出来事も書いている。3行か4行なので続いているのかもしれない。以前の同じ日付を見ていると、今年もそろそろ準備しようと思うことがある。
2013.01.16
コメント(0)
私は森田先生の好奇心旺盛なところをまねてみようと思い、趣味ややってみたいことの棚卸をしてみました。すると、でて来るわ出てくるわで、私もとても好奇心旺盛だなと思いました。コンサート 市の情報誌による検索、区民文化センター行事 クラッシック観賞、警察、消防、自衛隊の音楽隊の観賞、アマチュアオーケストラサックスの情報 チンドン屋の情報 練習場所 楽器情報 グループ情報 習い事情報 ブログ、デジカメ画像処理、DVD加工、パソコン活用情報 川柳、ユーモア小話の作り方 安来節、どじょうすくい 獅子舞い 浪曲奇術 蕎麦打ち、加工食品、燻製作り、男の料理教室、魚のさばき方 第9合唱団員参加、健康麻雀、自家用野菜作り、大菊仕立て健康情報 ヨガ、水泳、卓球、ハイキング、魚釣り花盆栽 季節の花見情報 盆栽展 らん展 菊花展 五月展 花ごよみ作成 公園、植物園情報旅行情報 工場見学、ビール工場見学、博物館、美術館、温泉情報、グルメイベント情報 祭り、プロ野球、サッカー、イベント情報、写真展、公開講演情報映画、テレビ、ビデオ、書籍情報、落語情報公共施設利用情報みなさんも趣味などの棚卸をして、常にアンテナを四方八方に張って、有用な情報の取得に力を入れてみてはどうでしょうか。生活がすぐに活性化すると思います。
2013.01.14
コメント(0)
ある方が、生活の発見誌に紙切れ法を紹介されました。それは、よいアイデアや気づきは道を歩いているときとか生活のあらゆる場面ででてきます。それを、すぐに紙切れに書き留めておく方法です。この気づきを宝物のように大切にすることはとても大事なことです。その時、よいアイデアだと思ったことでも、書き留めておかないとほとんどのことは忘れてしまいます。忘れてしまって、きめこまかい行動に結び付けていかないと、我々神経質の細かいことによく気づき行動に結実させていくというよさは活かされなくなってしまいます。そうなると、性格が悪い方に災いし、普通の人と同等ではなく、普通の人以下になってしまいます。私は、これを日常茶飯事に全面的に応用してまいりました。きめの細かい日常茶飯事になったことは言うまでもありません。1991年(平成3年)4月号の生活の発見誌に、「誰でもやればいいなと思うことはいくらでもあります。でも思っただけでは能力ではありません。それは思わなかったのと結果は同じです。小さなことをおろそかにしないで、すぐにかたずける。この能力が、実は非常に大事なのです。」私は今では100均で買ったメモ帳に5センチぐらいの小ボールペンをくくりつけ、気づいたこと、やるべきことをすぐメモしておきます。目標は気づきの手持ちストックを数多く作るということです。ですからできてもできなくてもかまわないぐらいに思っています。この方法は、我々のような神経質者にとって細かいことを着実に実施して成果を上げるにはとてもよい方法です。
2013.01.12
コメント(0)
私の母親は82歳で亡くなりました。その母が生きていたころの話です。以前は田舎で稲作りを中心とする農業をしておりました。しかし、交通事故に遭い、ついに田んぼを人に預けて引退しました。そして自家用野菜作りだけになりました。遺族厚生年金等を受給しており、生活費には困っていません。最近は近所にも未亡人で一人暮らしの人が増え、毎日毎日、ダベリングの悠々自適の生活です。食べ物は、数年前に近所に大きなスーパーができて、刺し身から天ぷら、お惣菜までなんでもそろっており、お金さえだせば何でも手に入ります。近所の人は、最近自家用野菜も作らなくなり、うめぼしなどの加工食品もその多くは購入するようになりました。実はこうした生活は、夢のような理想でした。特に、戦中、戦後にかけて経済的に苦労したのちに、やっと掴んだ物質的に豊かな生活でした。牛や鶏も飼う必要がなくなり、何日も泊りがけで旅行も楽しむことが出来るようになりました。また、カラオケ教室をはじめ、趣味やスポーツ、文化講座にも参加して思う存分生活を楽しむことが出来るようになりました。今まさに料理のわずらわしさから解放されましたし、掃除や洗濯などもほとんど手がかからなくなりました。そんな何も悩むことがないような母親がいうのです。旅行もたくさんしたし、もう行きたいところもなくなった。食いたいものもない。もういつお迎えが来ても思い残すことはないと。つまり、現在便利さと引き換えに、生きていてもおもしろくない。生きがいがないというのである。若いころのような充実感がないのである。家族の食べるものを作り、料理するという日常茶飯事のわずらわしさから解放されて、浮いた時間でもっともっと生活を楽しみたいと思っていたことは間違いだったのであろうか。若いころは、自分の食べるものはほとんど自給自足でした。米、麦をはじめさまざまな野菜、味噌、しょうゆ、そば、うどん、団子、卵、鶏肉、つけもの、梅干し、ラッキョウ漬、ドブロク、ぶどう酒、栗、川でうなぎや川魚を取って生活していたのである。馬や牛、鶏も飼っていた。馬や牛は農耕にも使っていた。そうした雑事は、面白しろみがなく、わずらわしいものではありますが、生きがいずくりには役立っていたのではなかろうか。自分の必要なものを作るための日常茶飯事に真剣に取組むことは、気持ちに張りを持たせ、気ずきや工夫が生まれ、その人の生きがいをつくりあげ、家族との絆を強固にし、近所の人たちとの交流が生まれ、心身とも活き活きと生活していたのではないでしょうか。このことからいえることは、日常茶飯事や雑事を無視して、けっして人生は活性化しないし、反対に人に負担をかけたり、人に甘えることになるということです。
2013.01.12
コメント(0)
全558件 (558件中 501-550件目)