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今年は1月2日、大型ショッピングセンターで初売りのにぎやかしでチンドンミュージックを流してきました。今年で6年連続でお呼びがかかりました。竹とすずめ、千鳥、美しき天然、黒田節、1月1日、さんぽ、アンパンマンのマーチなどでした。写真は仲間のエイサーの踊りです。4日は老人ホーム慰問で獅子舞とチンドン音楽をします。8日はチンドン音楽隊の練習日、9日は集談会仲間とカラオケ。11日は別の老人ホーム慰問。同じく獅子舞とチンドンです。18日仕事仲間とのカラオケ。19日集談会参加。26日新年会とカラオケ。充実しているというか、毎日楽しいです。仕事も忙しいので、風邪をひく間もありません。今年もこの調子で突っ走りたいと思います。
2020.01.03
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喜んでやりたいことばかりならよいのですが、日常生活の中には、やらなければいけないことだけれども、やりたくないこともたくさんあります。どうしてもやるになれない。自分のミスや失敗などは、できればごまかして責任を免れたい気持ちにもなります。森田では、イヤイヤ仕方なしにボツボツと手をつけましょうと言います。どうすればやりたくないという気分本位の気持ちに打ち勝つことができるのでしょうか。こうしたときの対処方法の一つをご紹介します。次の2つの方向から検討してみるのです。一つは「やりたくないからやらなかった時のデメリット」です。もう一つは、「やりたくないけれどもやったことによるデメリット」を書きだすのです。2つを見比べて検討するやり方です。実際の例でご説明しましょう。たとえば、「クレームを言ってきた顧客に折り返し電話をしなければならない」場面があったとします。電話したくないからしなかったときのデメリットはどんなことが考えられるでしょうか。・さらに顧客が激高して収拾がつかなくなる。・会社の信頼を失われる。以後の取引に悪影響があるかもしれない。・上司や同僚から無責任な人だと叱られて軽蔑される。・責任のある仕事は任せられなくなる。・格下げや移動させられるかもしれない。・損害賠償に追い込まれる場合も発生する可能性がある。次に電話したくないけれども電話した場合のデメリットも考えてみましょう。・顧客から辛辣な批判の言葉を聞かなければならない。・時には人格否定の怒りの言葉があるかもしれない。・損害賠償やお詫びの言葉を要求されるかもしれない。・電話が長引くと他の仕事に影響があるかもしれない。・きっと一日、気分が悪いままになるかもしれない。・さらに上司などに影響が及ぶかもしれない。・一回の対応では済まないで、さらなる対応を求められる可能性がある。この2つを考えていくと、将来に向かって明るい見通しが立つのは、電話したくないけれども電話をしたほうだということが分かります。電話をする方がよいことが分かれば、あとは戦略を練ることです。相手を過度に刺激しないこと。事実関係があいまいなら事実の究明に力を入れること。自分一人で対応できないなら、同僚や上司に相談して協力を仰ぐことなどです。気がのらないことに手をつけることは、太い注射針を刺されるようなものです。痛みは大変なものがあります。でもその注射を打つことで、激痛が緩和されるのでしたら、グッと我慢して受け入れることが得策となります。(自律神経が整えば休まなくても絶好調 小林弘幸 ベスト新書 148ページより要旨引用)
2020.01.03
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学生時代の水谷啓二先生が森田先生に次のような質問をしました。何か形外会で、余興に劇をやったときのことですが、私は、このごろ学校の本は読まず、カルタやトランプをやっても面白くなく、困った心理状態になっています。歩いていても息苦しくなることもあります。こんな気持ちで余興をやったら、かえって他の人に気まずい感じを与えはしないかと、さまざまに迷ったが、森田先生がいつも私に「ともかく手を出せ」と言われますので、手をつけたことであり、苦しい、苦しいと思いながら、稽古をしました。やってみると案外うまくできました。これは「ともかく手を出した」ことになるのでしょうか。これに対して森田先生は、ずばり、それは「手を出したことにならない」と言われております。「もし、君が学校の本を読めば、これが手を出すことに相当する。君が学校の本を読まないのは、苦しくて興が乗らないからである。その苦しい中から読むことを「ともかく」というのである。君は実際において、「ともかく手を出す」べきことには、少しも手を出していないから、稽古も苦しいので、歩いていて息苦しくなる原因はここにある。もし、これを逆に、ともかく、読書の方に手を出しておれば、おのずから、心が快活になって、勉強ができる上に、その余興に、劇でも、トランプでも、みな面白くできるようになる」森田先生は、手を出すべきことには優先順位があると言われているのだと思います。まず日常茶飯事の雑事と言われているようなことです。食事の準備、掃除、整理整頓、洗濯、身だしなみ、入浴、育児などです。自分が興味がありやりたくて仕方がないものとはいいがたいものです。でも、ともかくも手をださないと、生活が円滑に回らなくなります。それから、仕事や勉強です。仕事は第一に生活を維持しているために仕方なくやっていることであり、億劫に思っている人が多いと思います。学校での勉強も指示された教科に取り組んでいるのであって、自分から興味を持って取り組んでいるとはいいがたいものです。森田先生は、自分の生活に直接関係するこれらにイヤイヤ仕方なしに手を出しなさいと言われてます。生活を離れた実践や行動は、生活の停滞を招いてしまう。生活を他人に依存するようになり、本来やるべきことを放置しているので、精神的にはどんどんと苦しくなっていくのです。本来やるべきことを馬鹿にしないで、丁寧に「ものそのものになりきる」ことで、生活は好循環を生みだし、精神的にも安定してくるものと思います。
2019.12.24
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現在全国各地で行われている「心の健康セミナー」は、数に限りはあるが集談会単独開催が可能である。企画が集談会に提案されたとき、しり込みしてしまう集談会が多いのではないかと思う。何回も「心の健康セミナー」に参加された方は、その意義は十分に分かっている。著明な森田療法家の講話を直接聞くことができるので役に立っているのだ。また森田理論を知らない一般市民の人に、森田療法の内容を知らせることもできる。すぐれた精神療法である森田療法の普及にも役立つかもしれない。地元で森田療法の認知度を高めるための手段としては有効であることは理解できる。願ってもないチャンスが目の前に提案されているのだが、どうしても尻込みしたくなる。開催する前から、「そんなの無理です」「できない、難しい」などという言葉がすぐにでてくる。集談会の参加者が10人から15人ぐらいなのに、どうすれば100名近くの一般市民を巻き込んだ公開講演会を成功させることができるのか。たしかに無謀な挑戦のように思える。そんな面倒でしんどいことを背負い込むより、今の森田理論学習へのかかわり方を維持したほうがよほど精神的に安定できる。つまりあえてしんどいこと、難しいことには手を出したくないのだ。この心理的な矛盾はどうなっているのであろうか。顕在意識の面では誰でも、やればよいのは分かっている。興味もあるし、やってみたいとも思っているのだ。ところが、無意識の部分がすぐに待ったをかけるのだ。無意識部分が欲望に対して制御をかけているということだ。顕在意識で「やれればいいのに」といくら願っても、無意識の部分の賛同が得られないと、前向きな行動にはならない。森田理論でいうと、もともと人間に備わっている精神拮抗作用が正常に働いているということになる。人間には、イヤなこと、しんどいこと、大変そうに見えること、お金のかかること、悪い結果が見えているものに対しては、それを押しのけてでも挑戦するということにはならない。いつも欲望よりは、それをあきらめさせようとする無意識の力が勝利を収めるようになっている。無理に行動しても、もともと失敗するかもしれないという気持ちがあるため、失敗をおびき寄せてしまうという特徴があるのだ。その無意識に押し流されてしまう人のことを、気分本位の人ということもある。ここで大事なことは、人間はそういう矛盾した考え方を持っている動物だと自覚することである。そして、第一優先順位は「生の欲望の発揮」に照準を合わせておくことである。これを乗り越えると自分が新しい能力を獲得して成長できるかもしれないと感じたときには、いくら無意識が悪魔のささやきを発しても、思い切って挑戦してみることだ。また、挑戦することが周囲の人たちの役に立つことならば、思い切ってリスクをとって行動してみることだ。心の健康セミナーでいえば、最初から成功することは考えられない。集談会の幹事が仮に5人いて、大方の賛同が得られれば、思い切って挑戦してみればよいのではないかと思う。動員方法が泉のように湧いてくるようになればやりがいも生まれてくる。1年ぐらいの時間をかけて、動員100名の目標に向けて細かく準備をたてて実行すれば、ある程度の成果は上がると思う。それが未達に終わっても、挑戦したという経験は参加した人の貴重な財産となるはずだ。
2019.12.19
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今日は興味のあることはなんでも手を出して、芸能界で大活躍しておられる片岡鶴太郎さん(64歳)の生き方を見てみたい。片岡鶴太郎さんは、1954年に東京の西日暮里に生まれている。幼いころから父親と寄席通いをしていた。そのころから落語家、俳優になることを夢見ていた。1972年に高校を卒業した後、声帯模写の片岡鶴八さんのところに弟子入りした。片岡鶴太郎さんももともと物まねが得意だったのである。東方名人会、浅草演芸場に出演していた。その後1981年、バラエティ番組「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演し、一躍脚光を浴びた。片岡鶴太郎さんはその後の人生がすごい。それ以降1988年にはボクシングのライセンスを取得している。俳優としては、映画「異人たちとの夏」では日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞されている。決して二枚目とはいえないが、現在サスペンスものの刑事役にはなくてはならない人になっている。その他、書家、画家としてもすぐれた作品を生み出されておられる。私も絵画の個展に行ってみましたが、色使いが鮮やかで感性のよさを感じました。一昨年はインド政府公認の「プロフェッショナルヨガ検定インストラクター」にも合格したという。ヨガは9年目に入ったが、毎日欠かさないで取り組んでおられるそうだ。今は「片岡鶴太郎の鶴やしき」という興行を立ち上げる予定だという。そこでは「ねずみ」という落語に挑戦するらしい。今やマルチな才能をいかんなく発揮されています。興味や関心のあるものは、とりあえずなんでも手を出してみるという習慣が出来上がっているのでしょう。これからも「自分自身が面白がっていたいというか、自分自身が面白いと思うものをこれからもどんどんやっていきたい」と言われています。数多くのものまねレパートリーを持っておられるが、どうやってものにしているか。片岡鶴太郎さんによると、「それはもう瞬間的に、これはできるなと感じる。それを何回も反復しながら、その人のあるフレーズみたいなものを見つける。いけるなと思ったら、反復しながら、イントネーションとか、声のトーンを引っ張りながら、実際にご本人がしゃべっていることを交えながら、今度は「この人だったら、こういうことをしゃべるだろうな」っていうことを僕がいろいろと作っていく感覚です。一つのものを会得するにあたって、やっぱり反復しかないですよね」と言われている。私も田中角栄のものまねや腹話術の稽古をしているが大変参考になる話である。私は森田に長らくかかわってきたおかげで、様々な人の生き方に興味が湧いてくるようになった。その人たちから計り知れない勇気をもらっているのである。以上はSNSの投稿記事を参照いたしました。
2019.12.11
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私はよいテレビ番組は録画して後で見ている。人生の楽園、情熱大陸、題名のない音楽会、プロフェッショナル、なんでも鑑定団などである。その他単発で録画することもある。先日、情熱大陸の録画を見ていたら、北海道のニセコ町で石窯でパンを焼いている奥土盛久氏(69歳)がでていた。この方の人がら、暮らし方に共感した。これは永久保存版としてダビングしてDVDとして残すことにした。第一印象として、よい顔をしている。人柄がにじみ出ている。いつもニコニコして笑顔でいっぱいだ。ユーモアにあふれた人で、奥さんや子供ともいつも冗談を言い合っている。お互いを尊重し合っているので、見ていてとても気持ちがよい。番組の中でこんなやり取りがあった。奥土さんは酪農学園大学を卒業して、そのまま北海道に入植して牛を飼っていた。そこへ和歌山県出身の奥さんが研修にやってきた。そこで奥さんの方が熱を上げたらしい。奥土さんは、結婚なんかしなくても牛を飼って生活できればよいと思っていたそうだ。それに対して奥さんは、「この人は情熱的に話するんです。口がうまいので弾みで結婚した」と言うと、「なんや、お前、いかにも俺が引っ掛けたみたいなことをいっているよ。もうかなわんな」などと応戦していた。そのやり取りを見て三男と長女はほほえましそうにしていた。よほど居心地がいいのだなと感じた。親を信頼していることがよく分かった。こんな和気あいあいとした家庭をつくり上げていることに驚いた。仕事は農業と石窯で焼いたパン職人だ。もう20年になるという。天然酵母と自分で育て製粉したライムギパンが評判を呼んでわざわざ遠くから買いに来る人が絶えない。石窯で焼くパンは温度管理が難しく、その技術は相当高い。石窯に火を入れて3時間して400度に上げる。そのおき火を窯の下に移す。それからパン焼きを始めるのだ。温度管理は、五感を使って自分の勘でやっているという。焼く順番は一番固いライムギパンから始める。パンは札幌、道の駅、自宅で販売している。少々高いが、一度食べた人はやみつきになるらしい。この石窯は自分で作ったという。石窯だけではない。なんとログハウスの自宅も自分で建てた。東京ドーム2個分の畑は自分で開墾して作ったという。朝食のベーコンや野菜サラダなども手作りだ。パンはもちろん自前。パンを作るライムギもすべて自然乾燥させて製粉も自分で行う。カラやフスマもすべて使うという。その他、出荷野菜としてジャガイモ、カボチャ、トウモロコシも作っていた。作業は家族総出でおこなっていた。ニセコ町は寒いので9月から暖房を入れる。すべて薪ストーブである。三男と二人で大量の薪割をしていた。要するに、自給自足の生活なのである。それも精一杯楽しみながら。365日休みはないと言いつつも、毎日の生活が楽しい。家族仲よく生活できているので、いい人生なのではないかと思うと言われていた。私もこんな人生を目指していたのだなと改めて感じた次第です。
2019.12.10
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今日はテレビでよく見かけるお笑いタレントのジェイソン・ディヴィッド・ダニエルさんを紹介したい。さわやかで風刺の効いた面白いことを言う人だ。彼はアメリカミシガン州出身だ。秀才で17歳でミシガン大学に飛び級で進学。その後イリノイ大学大学院を卒業している。2005年に訪日し日本に1年間滞在。旭化成で音声認識のソフトの開発の仕事をした。その時に「エンタの神様」の面白さにはまったのが、芸能界に入るきっかけとなった。2015年R-1グランプリで決勝戦進出、2016年2年連続R-1グランプリファイナリストに残った。さわやかで、親しみのある外国人タレントとしてとても好感が持てる。現在はワタナベエンターテイメント所属。外国人から見た日本や日本人への疑問をネタにしている。例えば、日本人はお祝いなどがあると、水引きなどで結びを大切にしているのに、サラリーマンが酔っぱらうと頭にネクタイを結ぶのはなぜか。消防団が出初式で梯子乗りを披露するとき、どうして逆立ちをするのか。などなど。ネタは主に電車の中で作っているという。彼は、お笑い芸人のほか、ベンチャー企業の役員もしている。お笑い芸人をしながら、畑の違う会社の役員をしているというのは大変珍しい。社業はお笑い芸人の仕事のため、半休をとったり、取締役会を途中で抜けたりもしている。「本業は何」と聞かれるけど、その言葉自体がおかしいという。これは仕事=人間という先入観、軽蔑の言葉であるという。お笑いもベンチャー企業の仕事もすべてが本業であるという。「僕は人間・ジェイソン・すべてが本業」と言い放つ。オリンピックで金メダルを獲る確率は1000万人に1人であるという。もし金メダルを獲れれば、有名な日本人として取り扱われることになる。ほとんどの人にとっては、宝くじに当たるような確率でしかない。ジェイソン氏を見ていると、一つの道で有名人になることはほとんど不可能だ。だったら、100人に1人になることを目指したらどうだろうか。これも確かに難しいことではある。でも可能性としては身近なものになる。そして次にそれを3つ身につける目標を立てて努力してみる。それが仮に目標に近づくと相乗効果が出てくる。つまりそれらを掛け合わせると100万分の1のレアな人間として認知されるようになるということだ。在日外国人である。日本語が堪能。もちろん英語も堪能。日本語と英語の同時通訳。翻訳ソフトとの開発技術者兼役員。日本と日本人を風刺したお笑い芸人。これがジェイソンさんのスタイルだ。これらは、それぞれの分野では得意の人はいくらでもいる。ところがすべてを組み合わせるとシナジー効果を生みだしているのである。神経質者の中には、他人から評価されたいという欲望の強い人がいる。そういう人は、ジェイソンさんの考えを参考にして、行動してみてはどうだろうか。最低3つの分野である程度の成果が出せるようになると、面白い人、変わった能力の持ち主として評価されるようになると思う。すると自信が生まれてくる。さらにやる気や意欲が高まっていく。
2019.11.29
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森田正馬が指導を仰いだのは、呉秀三先生であった。呉先生は著書の中で神経症の治療として「精神練習法」について述べている。「精神練習法は精神の活動力を練習するによりて、精神的作業力を振興し、これによりて各種の病的現象を軽減し治癒することを目的とする。この練習中もっとも有効なるものとしては、まず、指を意志練習法に屈すべし」これによると、神経症で苦しんでいる人は、体を動かす、作業をすることを推奨しておられる。そうすると、症状にばかり向いていた注意や意識が軽減される。それをどんどん推し進めていけば、神経症は治癒に向かうという考え方だ。森田理論学習をしている人の中には、「そういうことか。分かった。症状を治すためには症状との格闘を止めて、実践や行動をすればいいんですね」と思う人がいる。馬車馬のように実践・行動に注力する人のことだ。最初のうちは何ら問題はない。むしろこの方法をお勧めしたい。ただいつまでもこの方法を推し進めていくことは、考えものである。この考え方で行動することは、行動の目的が神経症のつらさや苦しみを取り去ることにある。神経症が少しでも良くなっているか、快方に向かっているかに常に意識が向いているのです。決して目の前の手掛けている物事には向いていないのである。この方法をとっていると、神経症の治療としては、すぐに壁にぶちあたる。神経症が治るどころか、増悪するケースもでてくる。この点に関していえば、森田正馬先生が言いたいことは、「意志の力によって感情をコントロールしようとする愚かさ」のことである。例えば、電車に乗れない人に同行して、買い物に行く行為が一見練習に見えるがそれは違う。イヤだけれどもやむをえずに必要なことに飛び込むことであって、繰り返し練習することとは全く意味が違う。意志は練習によって強くなるものではないことを森田先生は見抜いていたのです。どんなに強い不安、不快な感情が沸き起こってきても自然現象なのでどうすることもできない。それはそのままに受け入れていくしかない。しかし日常生活はどんどん進行していく。感情はそのままにしておいて、気は進まなくても、目の前のことにイヤイヤボツボツと手がけていく。これが実践・行動するということです。いやな感情を楽にすることを目的としているものではない。その時の意識は症状に向いているのではなく、物事に向いているのです。すると新たな気づき、関心や興味などが湧いてくる。ここが大切なポイントです。すると今まで不安や不快から逃れようとしてどうすることもできなかった感情が変化して楽になっているではないか。急がば回れではないですが、不安や不快な感情の取り扱い方は意外な方向にあったということが体験しておぼろげながらわかってくる。あとはそれを裏付ける体験を積み重ねて、感情の取り扱い方名人を目指していけばよいのです。基本的には行動実践と不快な感情は別物として切り離すことができるようになります。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 357ページ参照)
2019.11.18
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「うつの8割に薬は無意味」(朝日新書)だという、精神科医井原裕医師のお話です。思春期のうつ状態においては、注意すべきは睡眠相の後退とその結果として生じる「起立性低血圧」です。病状の改善が見られなくて、井原先生のところにやってくる患者さんがいる。やってくる患者さんは、小児科で「起立性調整障害」と診断されて、メトリジンという昇圧剤の処方を受けています。この診断は間違いではありません。しかし、そういう患者さんのほとんどは、「睡眠相後退症候群」を伴っており、その結果として起立性低血圧症状(めまい、立ちくらみ、頭痛、朝の倦怠感など)が起きているにすぎません。ですから、起床・就床リズムという生活習慣に踏み込まない限り、昇圧剤を使っても治りません。思春期の生徒たちに指導する際には、人間の身体は、起床とともにオンになり、16時~17時間するとオフになるようにできていることを理解させる必要があります。中学生なら16時間、高校生なら17時間しないと眠くなりません。ですから宵っ張りの朝寝坊を治すためには、朝起きするしかないのです。わずか1日だけ早起きして、その後、16~17時間眠らないで耐える。そうすれば、夜遅くならないうちに自然と眠くなります。人間の体は16~17時間以上眠らないで起き続けることはできないようになっているのです。思春期のうつ状態や身体障害を治すには薬に頼っていてはいけない。第一は、睡眠相を安定させることだといわれています。中学生だと8時間の睡眠が必要です。高校生だと7時間の睡眠が必要です。今の時期は6時台には明るくなってきます。その時間に起床しようとすると10時に就寝しないといけません。高校生は11時です。仮に日が短くなって7時に起床するとすると、11時から12時に就寝しなければなりません。これがネットゲームなどで1時、2時、3時まで起きているということは、身体面にも精神面にも変調きたすということになります。うつ状態や身体障害の引き金になっているということです。大人の場合は睡眠時間が少なくなります。それでも太陽が昇ってくる5時台から7時台に起床しようと思うならば、少なくとも12時までには就寝する習慣をつけたほうがよいと思います。大体頭を使って勉強したり、思索するには、夜よりも朝の方が効率が上がります。その時間帯に眠っているということは、時間の無駄遣いをしていることになります。また朝起きて、太陽の光を浴びることは、生活リズムを作るうえでとても大切なことです。どうしても夜遅くまで起きている人は、朝は太陽が昇ってきたらすぐにカーテンをあけて太陽の光を浴びることに挑戦してもらいたい。森田理論は生活リズムを大切にしています。起床時間、身支度、朝食、家事や仕事や勉強、昼食、休憩、また家事や仕事や勉強、夕食、入浴、就寝と規則正しい生活を繰り返す。そしていま取り組んでいることに、ものそのものになりきる。そのなかで気づきや発見、興味や関心が高まる。工夫や改善をしながら生活をする。平凡な生活は変化に乏しく、刺激が少ないかもしれないが、それは人間本来の生き方です。その中で小さな楽しみや喜びをたくさん見つけることができるようになることが重要です。
2019.11.10
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キリンビールの社員でNKK活動と銘打った営業を展開した人がいた。それは1時間で25軒、2時間で40軒、何も(N)考えないで(K)行動する(K)というすさまじい訪問活動でした。「考えたら身体が動かなくなる。まず何も考えずにひたすらお得意様を訪問しよう」というものです。1時間25軒回るためには無駄話はしない。各得意先の訪問時間は約10秒。例えば、新商品のサンプルを置いてくる。リーフレットを置いてくる。情報を伝える。そんなシンプルなことを次々にやっていくのです。「どうもキリンです。新商品のサンプルです。お願いします」常識的に考えると、得意先を訪問するときは、事前にしっかりと訪問計画を立てる。1軒当たり、ある程度の時間をかけて訪問し、信頼関係作りから始める。おのずと訪問件数は少なくなるが、それは仕方ない。つまり考えながら、営業活動をしているのです。これが普通の営業スタイルだと思います。この営業マンの担当エリアは静岡だったのですが、「いちばん元気なビールメーカーは?」というアンケートに「キリン」と回答した割合が格段に増えた。活動前には18パーセントだったものが、1年後には40パーセントにも達した。(キリンビール高知支店の軌跡 田村潤 講談社新書 要旨引用)実はこの営業スタイルは、訪問営業でセオリーとされているものです。頭を空っぽにして、片っ端からくまなく訪問していく。ローラー作戦というものです。これは言うは易く、実行は極めてハードルが高いのです。断られたら、「じゃまた機会がありましたら、ぜひお願いします」と言ってすぐに引き下がる。断られて自尊心が傷ついて、仕事に対する熱意が失われることはない。そんなことを考える暇があれば、次の家を訪問するという行動をとる必要があるからだ。分かりきったことだが、営業成果に結びつかない訪問は格段に増える。そんな無駄な訪問をして効率が悪いのではないかと考える人がいるかもしれない。ところが実際には、失敗の経験を数多く積み重ねることで、成功のためのノウハウを次から次へと身に着けているのだ。成功のための検証作業を行っていると見たほうがよい。ますます営業のコツを身に着けていく。優秀な営業マンとなるための登竜門だ。さらに考える前に身体を動かして営業するというスタイルが習慣化してくる。習慣化してくると、周りで見ている人が、「そんなことがよくできますね。よく身体がもちますね」と言われてもピンと来なくなる。自分を鼓舞して、無理やり行動しているという気負いはないのだ。習慣化するということは、ルーティン化しているということだ。習慣化してくると、かえってそれをすっぽかしてしまうことのほうに不安を感じるようになる。これはよい習慣だけでなく、悪い習慣も同様なことが起きますので注意が必要です。何も考えずに、同じ時間に、同じ行動が繰り返されるようになっているのです。気負いはありません。あくまでも毎日やるべきことを何も考えないで、淡々とこなしているだけなのです。ところが平凡を積み重ねていくと、とても非凡な成果を生み出すということを忘れてはなりません。森田の先人たちも「凡人主義」「平凡主義」と言っていましたが、生活をよい習慣で彩るということなのです。
2019.11.06
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「オペラント条件付け」という行動療法の基礎となっている考え方があります。これは人間は、何らかの見返り、メリット、ご褒美を求めて行動しているものだという考え方です。直接ほしいものが手に入る。人から高い評価を受けるなどです。これによると、見返りやメリットがないと、行動を起こす意欲がわいてこないということになります。ネズミを箱の中に入れます。箱の中にはレバーがあり、ブザーが鳴った直後にそれを押すと、エサが出てくる仕組みになっています。最初はネズミはそのことは知りません。しかし、箱の中を動き回っているうちに、偶然、足がレバーにかかることがあり、それがブザー音の直後であると、エサが出てくることを経験します。そういう経験を二度、三度と繰り返していくうちに、ネズミはその仕組みを理解し、ブザー音の直後にレバーに足をかける頻度が高まってくるというものです。特定の行動をとると、特定の結果が得られるということを、ネズミが学習し、類似した行動を繰り返すようになるということです。これを応用した例を考えてみましょう。幼児をスーパーなどに連れて行くと、自分の食べたいものを見つけると、勝手に棚から引っ張り出して、「これ買って」などとせがむことがあります。「今日はダメよ」などというと、その場に座り込んで、泣きわめいて駄々をこねることはよく目にする光景です。泣きわめく子供の声が店内に響き渡り、他のお客さんの注目が集まります。しつけもできないダメな親にみられないために、「もうしようがないわね。じゃ今日は特別だからね」と買い与えてしまうことになります。問題行動を防ぐことができたので、よかったと思われるかもしれません。しかしこの行動は、子供にとっては、またいつか欲しいものがあるとき、駄々をこねると親が買ってくれるに違いないという学習をしたことになります。別の場面でも、こういうことが繰り返されるとどういうことになるでしょうか。欲しいものがあれば、相手が嫌がる行動をとれば、願いはかなうという信念を持つようになります。気に入らないことがあると、無意識的に、すぐに相手を威嚇するような態度をとる人がいますが、こういう学習を繰り返してきた人だと思われます。スーパーでの幼児の場合は、家で「今から買い物に行くけど一緒に行く、それとも家でお姉ちゃんとお留守番をしている?」と聞きます。「一緒に行く」といえば、「今日は好きなお菓子は買えないけどそれでもいい?」と約束させます。それでも、幼児は欲しいものは、衝動的にほしくなるのです。その時は毅然とした態度をとるしかありません。「今日は家でお菓子は買わない約束をしたよね」「ダメなものはダメなのよ」幼児のやり方では、絶対にお菓子は手に入らないということを、経験によって学習させていくのです。その場を離れて遠くからその様子を見るなどするのです。そして次に、お菓子が手に入る別の方法を提示してあげることが有効です。「今日我慢できたら、今度の買い物のときはお菓子を買ってあげるよ」「今日我慢したら、今度からは3回に1回は買ってあげるよ」この約束は次回の買い物ではきちんと約束を果たさなければいけません。親はその場しのぎではなく、子供にどんな行動を学ばせるのか、しっかりと考えて行動することが大切です。こういう体験を積み重ねることで、欲望の暴走を自ら制御できるようになるのです。
2019.10.22
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森田先生のお話です。私が土佐へ犬神憑調査に出張したのは、呉先生が、「今教室に、60円ばかり旅費が残っているが、誰か行きたいものはいないか」ということであった。こんな時に先輩をさしおいて、自分が先に口を出せば、同僚に憎まれるから、慎まなければならない。ただ頭を上げ、ニコニコしてキョロキョロと先生の顔を見ている。そうすると、先生が「森田君、どうです」とくる。「待ってました」とばかりに、「もしさしつかえのない事なら、ぜひお願いしたいものです」と答える。勿論その時には、私はどこへ行って何を調べるかということは見当はつかない。まずその機会を取り込んでおいて、しかる後にユルユル考案するつもりである。これがもしあの一人の同僚ならば、まずは自分は何を調査し、その金をいかに使うかという事を考えて、しかる後にイエスと答えようとするから、もとより間に合うはずはなく、後になって、あの時に、引き受けておけばよかったと残念がるのである。それから1か月ばかりも、暇暇に図書館に行って、それに関係したことを調べた。高知では30日ばかり巡回して犬神を調べた。その後、高知医学会で、その内容を3時間ばかり講演した。これは私が大学卒業後6か月目のことでした。私が今の慈恵医科大学の前身である慈恵医学校で、「精神病学」の講義をするようになったのも、卒業後9か月目です。その当時、1時間の講義をするのにその準備に8時間も要したのです。もしこの時に、「自分はまだ講義をする実力がないから、1年先に延ばしにしてもらいたい」といったところで、オポチュニティーは頭の後が禿げているから、決して後ろから、つかまるものではありません。(森田全集第5巻 535ページ 要約引用)イエスがノーか迷うような時は、関心や興味があることです。少しは挑戦してみたい気持ちがあるのです。しかし、ここで元々人間に備わっている反対の考え方が邪魔をしてくるのです。目途も経たないのに安請負をして、もしうまくいかなかったらどうするんだ。責任がとれないじゃないか。だからここは、丁重にお断りしよう。これは森田でいう、精神拮抗作用の仕業です。森田先生は一旦チャンスを逃すと、滅多に次のチャンスは巡ってこないのだといわれています。精神拮抗作用が必死になってあきらめさせようとしますが、それを振り切って引き受けてしまうほうがよい。いったん引き受けると、背水の陣を敷くことができる。あとは必死になってくらいついていくことだ。すると目的を果たすための方法はいくらでも思いつく。不十分でも達成すれば、いろんな経験ができる。自分も成長できるし、自信にもなる。たとえ失敗しても、次の成功のための貴重なヒントを得ることができる。引き受けなければ、後で後悔することになることが多い。特に結婚相手を選ぶ時など、ハードルの高い条件を設けて選別していると、チャンスを逃すことが多い。半分ぐらいの条件で折り合い、とりあえず結婚する。そういう気持ちを持って結婚した人は、相手の欠点、弱み、不足分を包容力を持って許すことができる。あと不足分は二人で協力してクリアーしていけばいいぐらいの気持ちの方がよい。問題点や課題、夢や希望を持って結婚しているので、結婚生活への意気込みが違ってくる。そういう夫婦が雨降って地固まるというか、人もうらやむような夫婦の人間関係を築き上げているのである。
2019.09.14
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日本でも芸能人にドッキリを仕掛けるテレビ番組がある。これから紹介するドッキリはアメリカのシカゴで行われたものである。シカゴで有名デパートやブテックが軒を連ねているミシガン通りにプラカードを持った一人の男を立たせた。プラカードには「お金無料、本日限り」と書いてあった。この男には、お金を要求する人には誰でもお金を渡すように指示してあった。大勢の人とすれ違ったが、お金を要求した人はたった一人しかいなかった。それはバス代の支払いのための小銭25セントを要求した人だった。それ以外の通行人は誰もその男に近づこうとはしなかった。あるビジネスマンを捕まえて、「こんなチャンスは二度とありませんよ。どうか持って行ってください」言って、いくらかのお金を持たせようとした。するとそのビジネスマンは「結構です」と答えて、そこからそそくさと立ち去ってしまった。このドッキリで分かったことは、普通の人間は「タダでお金がもらえることはあり得ない」「繁華街でお金をくれる人がいるなんてありえない」と固く信じて疑わなかったということです。お金は欲しいけれども、後で何かよからぬことがあるのではないかと、疑心暗鬼になっていたということです。もしかしたら、その男は精神的な病気にかかっているに違いないと思ったかもしれない。不労所得が得られるというチャンスが実際に目の前にあっても、すぐに行動することはできない。それは、自分の今までの経験や無意識の部分の固い信念が、プラスの行動を抑制するのである。すると絶好のチャンスはするりとすり抜けていく。森田先生は、チャンスには前髪はあるが、後ろ髪はないといわれる。チャンスと見ればすぐに手を打たないと、手遅れで後悔することになる。森田理論では、「イエスかノーかに迷うときは、まずイエスと答える」のがよいという。森田先生のチャンスに対する考え方を紹介してみよう。あるとき、突然に富士川博士から、東洋大学の教育病理学の講義の口を授けられた時は、思いがけないことであり、僕がとくにその方面の研究をしたものではないから、随分見当のつかぬ恐ろしいことではあったけれども、僕の平常の事を知っている人に見こまれた事なら、何とかならないことはなかろうという要領で、早速これを引き受けたのである。その時は本当に恥以上であって、恥ずかしい、恐ろしいになりきって、一生懸命に下調べをして勉強するほかに道はない。それで恥を突破して、しだいに向上するのである。(森田全集第5巻729ページより引用)
2019.09.13
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集中するということを考えてみたいと思います。一般的には、一つのことだけを考えて他のことはシャットアウトすることだと思われています。雑念や余計なことにとらわれることがないので、容易に目的が達成できるように考えます。このような考え方は、一極集中の状態です。官庁や政治の東京への一極集中。会社での権限が社長へ集中している。などを思い出してもらえれば、一極集中の状態が分かりやすいと思います。一極集中することで、無駄を省き、スピーディな決断と実行が可能になるかもしれません。反面反対意見が無視されることで、取り返しのつかない事態に陥らないとも限りません。これに対して別の集中もあります。拡散集中とでも言えばよいのでしょうか。あらゆる状況をキャッチしながら、かつ目的に向かって集中している状態です。たとえば、サッカーの中田英寿選手。彼はプレーしながら終始首を左右に振っている。今敵がどこにいて味方がどこにいるのか、パッパッと見ながら常に状況をキャッチしているのです。だからボールが来た時には即、動きがとれる。もしボールだけに一極集中している状態だとすれば、こういうことはできません。(「打たれ強さ」の秘密 岡本正善 青春出版社 137ページ参照)森田理論では、一極集中を目指しているのではなく、拡散集中の態度をお勧めしています。森田先生は講義をしているときの心持ちについて次のように説明されています。私の注意がどのように拡散集中しているかというと、1、自分の挙手動作に集中する。躓いたりコップをひっくり返したりしないように注意するのである。2、みなさんの状況、周囲の変化、すなわちある人が聞きたそうな顔をしているとか、後から出入りする人、戸外の自動車の響きなどにも、これをよく感じ分けられるようにしている。3、自分の話の筋道を工夫している。拡散集中の状態は、いろんなことに気がついて精神緊張状態になる。この四方八方に心が散った有様が、禅のいわゆる無所住心であって、周囲のすべてのことに気がついて、しかも何事にも心が固着しないで、水が流れるがごとく心が自由自在に流転適応していく有様である。あたかも明鏡に物の映るがごとく、くるものは明らかに映り、去れば直ちに影をとどめないという風である。
2019.09.06
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今日は学習する習慣をいかに作り上げていくか考えてみよう。社会保険労務士試験という国家資格がある。2018年11月に行われた試験の合格率は6.3%だった。私が合格した年も同じようなものだった。かなりの狭き門である。受験校の先生によると、合格するためには1000時間が必要だといわれる。1年間毎日1時間勉強したとして、3年間かかる試験である。勉強する習慣作りができないと、とてもではないが合格にはおぼつかない。特に1年目で不合格になると、多くの人が挑戦する意欲をなくする。2年目不合格になると、自分の能力の限界を感じるようになる。そして試験の言葉を聞いただけで、不快な気持ちになる。私はこの試験に挑戦する人は、一番合格者を輩出ている受験専門校に入学することが必須だと思っている。自分一人では夢をかなえることはほぼ無理だと思う。他人の力を借りることだ。受験専門校はノウハウをいろいろと蓄積している。学習のやり方も教えてくれる。試験の取り組み方も教えてくれる。今年試験に出そうなポイントも知っている。特に厚生白書、労働白書からも問題が出るが、素人ではどこから問題が作られるかは全く見当がつかない。闇夜で飛ぶ鳥を撃つような徒労に陥りやすい。これをほぼ的確に教えてくれる。また学習仲間がいる。その人たちと切磋琢磨して学習意欲をかき立てることもできる。これを抜きにして挑戦することは、軽装で冬山登山を決行するようなものだ。まず挫折しやすいのは、学習の習慣ができるまでにあきらめてしまうことだ。これは目標を設定していない場合に起こりやすい。1年での合格を目指す場合は、一日3時間である。これを日々どのように確保していくのか。たとえば、朝早く起きて1時間30分。仕事をしている人は昼休憩に30分。そして帰宅してから1時間の時間配分を行う。朝早くというのは一番頭がさえている時間だと思う。早朝に学習時間を確保しない人は、とてもハードルが高くなる。学習プログラムや学習方法は、自分で悩まないことだ。信頼できる受験専門校を選んでいるのだから、全面的に任せてしまうほうがよい。指導してくれる先生の言う通りに、学習していく。何とかついていくといった感じだ。ついていければ合格の確率は少なくとも40パーセント台には高まると思っている。仮に1年目で不合格になっても、2年目は70パーセント台には高まるだろう。私の時は先生が、テキストはすべて分解してファイルに閉じてしまうように言われた。テキストの間にテストで勉強した問題や法令集のコピーを挟みこんでいく。私は素直に先生の言う通りにした。後でこのファイルは宝物になった。私の先生は、自宅にファックスで問題を送ってきて、回答して送り返すように指示があった。講義は録音して、細切れ時間や出勤時に聴くように指導された。1週間に1回行われるテストは刺激になった。全部で70人ぐらいの受講者がいた。その試験結果が廊下に張り出される。そこで上位に名前があると、とてもモチュベーションが高まるのである。私は学習の習慣つくりには、よき指導者に巡り合うことがとても大事だと思う。これは森田理論学習でもいえることだ。集談会の枠を超えてでも、よき先輩を見つけて、身近に接することは重要だ。一回お会いして話をするだけで、2回、3回と集談会に参加した以上の価値がある。それが支部研修会の学習や交流の場にはあるのである。そしてもう一つ言いたいのは、学習仲間との切磋琢磨である。刺激を与えあいながら、お互いが成長していける仕組み作りが大切である。そういう意味では実践・体験の実演や説明が集談会のプログラムの中に取り入れられているかどうかは重要である。私はこれを「生活森田・応用森田」と呼んでいる。これはぜひプログラムとして定着してほしい。刺激を与え続けていると、それを自分の生活に取り入れようとする人が出てくるのである。自他ともに成長していける足がかりが築けるのである。
2019.09.04
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今日は貯金を貯める習慣つくりについて考えてみたい。独身の人の場合で考えてみよう。・一日2000円以内で生活する。・電気代を3500円以内に節約する。・飲み会はすべて断る。・ネットゲームは止める。・家計簿をつける。・貯金を2万円はする。このような目標を立てるとスタート時点で失敗する可能性が強くなる。その理由は、節約して貯金を貯めることと家計簿をつけることの2つの目標に同時に取り組んでいる。二頭を追うものは一頭も得ずになりやすい。節約のルールが複雑である。今回は例えば一日2000円で生活するに絞ってチャレンジしてみましょう。まず反発期(1日から7日)の過ごし方。仕事の合間にコンビニで買っていたコーヒー、ジュース、お菓子を止めます。水分補給は水筒を持参します。あるいはペットボトルに麦茶を入れて持参します。家計簿の代わりに朝財布にあったお金と夕方あるお金を記録します。不安定期(8日から21日)の過ごし方。パターン化する。朝食代300円、昼食代700円、夕食代600円とする。例外ルールを作る。たまにある飲み会は別予算とする。使いすぎたら1週間のうちで調整をする。継続スイッチをセットする。財布の中には2000円しか入れない。贅沢デーとして、週一回は2000円のランチにする。1か月後、3か月後、1年後の節約効果を試算してみる。倦怠期の対策節約できた日は、300円を貯金箱に入れる。予算オーバーした翌週は、月曜日と火曜日は自炊とする。週に1回は弁当にする。3食1000円で済む豪華な食事のレシピ集を作ってみる。これを週に3日間実践するだけで、随分節約ができるようになるでしょう。次の習慣つくりとして、パソコンの表計算を利用した家計簿作る。節約の習慣をつけるには1か月をめどに取り組みます。反発期の取り組みが大事です。シンプルで無理のない取り組みから始めましょう。そのうち弾みがついて来れば儲けものです。このようにしてよい習慣をどんどん増やしていきたいものです。(「続ける」習慣 古川武士 日本実業出版 177ページ参照)
2019.09.04
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ダイエットしたいと考えている人がおられると思います。今までにダイエットに取り組んでみたものの、リバウンドを経験した人もいらっしゃるかもしれません。どうしたらダイエットが習慣化できるのでしょうか。しかもリバウンドしない体質に切り替えることができたら最高ですね。ダイエットに取り組んでいる人を見ると、最初から目いっぱい食事制限をしています。それに加えてジムに行ったり、マラソンやウォーキングも並行して行っています。意気込みはとても素晴らしいです。それが習慣化できれば何もいうことはありません。しかし、これはあまりお勧めできません。2つのことを同時進行しているのが問題です。むしろ食事制限なら食事制限だけに取り組むべきです。なぜなら習慣化するときに、人間には無意識のうちに、恒常性維持機能(ホメオスタシス)が働き、習慣化を止めさせようとするのです。その働きはとても手ごわいのです。ですから最初からあまりにもハードルを高くしては挫折してしまうのです。最初の3週間の取り組みは次のようなものでどうでしょうか。たとえば最終目標カロリーを1日2000キロカロリーに設定する。(必要カロリーは性別、年代、普段の生活状態などで違います。ここでは一つの例として取り上げています。)その中で自分が夕食に重点を置いた食事をしていたとします。その場合は、夕食を1000キロカロリー以内に抑えることを目標にする。あまりハードルを上げないために、朝と昼は自由にする。1000キロカロリーに抑えるためには、カロリー計算をする必要があります。カロリー表示がある食材は記録をとります。表示がない場合は、カロリーブックで大体の数字を出します。これを実施すると、今までの食事がいかに高カロリー食だったか分かるようになります。体重計の前にその記録用紙を備えつけておくことです。次は4週間目から7週間目の取り組みです。今までの慣らし運転から、少しだけステップアップしていくのです。決して無理は禁物です。4週と5週目は、例えば総カロリーを2500キロカロリーに設定する。6週と7週目は、例えば2300キロカロリーに設定する。徐々に減らしていくのです。次に食事時間を規則正しくする。たとえば朝7時、昼12時、夜7時にとるようにする。間食はできる限り我慢しましよう。例外規定を設けておくも大事です。友達との飲み会は別枠とする。休日はプラス200キロカロリーはOKとするなどです。そして刺激を与えるためにアメとムチの法則を利用する。6か月で5キロ減の目標を立てる。理想とする俳優や歌手のポスターを貼っておく。300キロカロリーオーバーした日は、罰として30分のジョギングを課す。飲み会はアルコールと同等の水を交互に飲むようにする。飲むペースを人より遅らせる。安定期に入った8週から10週目の取り組みです。最終目標の2000キロカロリーは何が何でも守る。記録をつける。体重の推移をグラフにしてみる。他人に自分の体型の変化を聞いてみる。ダイエットに取り組みたいと思っている仲間に一緒にやらないかと声をかけてみる。倦怠期の対策。変化をつける。例えば2000キロカロリーのレシピ集を作り、実際に作ってみる。体重が10キロ減った時に着ることができる、高級なジィーンズなどを購入して、壁に飾っておく。次の運動をする習慣作りの案を練っておく。ダイエットに取り組みたい方は、ぜひお試しください。決して無理のない範囲で、ぜひともよい習慣を身につけてください。無理して取り組んでも、その反動が怖いです。
2019.09.03
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今日は家の中が本や雑誌、新聞、衣類、食器、小物などが散乱していて足の踏み場がない。なんとか片づけの習慣を身に着けたいという方にその手順を説明してみましょう。(「続ける」習慣 古川武士 日本実業出版 164ページ参照)まず新しくよい生活習慣を身につけるためには、最初が肝心です。最初は片づけの習慣を身につけようと思っても、42%の人は1週間以内に挫折します。それは人間に備わっている恒常性維持機能(ホメオスタシス)が、新しい挑戦を止めさせようと作用するからです。新しいことに挑戦する場合、これが厄介なのです。ロケットが地球の引力に対抗して宇宙空間に飛び立つのに、ものすごいエネルギーが必要になりますが、新しい生活習慣を身につけるためにも同等のエネルギーが必要になります。そんなに大変なことなら、最初から片づけに挑戦することをあきらめてしまう人がいるかもしれません。また神経質性格の人は、完全欲が強く、頭の中で納得してから取り掛かろうとする傾向があります。動くまでに時間がかかり、動きだしてからは、徹底的にやろうとしますので、疲れ果ててしまいすぐに挫折してしまうのです。そこで、最初の1週間はは5分間だけ片付ける時間を作って試しにやってみる。時間が来たら打ち切る。こだわっていつまでもやらないことです。古川さんはこのことを「ベビーステップ」といわれています。始める前は、5分間だけなんて何の効果もないと思われるかもしれません。でもやってみると意外に片づくことに気づくことでしょう。ここでもう一つやるべきことがあります。やったかやらなかったかチェックをつけることです。カレンダーや日記にやったら○、やらなかったら×をつけるだけで十分です。これだけです。これを1週間繰り返すのです。ここでは時間帯を決めずに、好きな時間に手をつけるで十分です。次に不安定期がやってきます。8日目~21日までです。この時期は、片付けをパターン化するのです。またレベルを少し上げます。毎日同じ時間に片づけるようにする。時間は15分にする。そして、例外ルールを作る。仕事で疲れたとき残業で時間がとれないときは、朝5分だけにする。あるいは、決めた時間以外の時に行うのもOKとする。できない自分を責める必要はありません。次に、継続スイッチをセットする。タイマーをセットしておく。服を着替える。終わったらご褒美にコーヒーを1杯飲むことにする。片付け時間には、好きな音楽を聴きながらおこなう。好きなカラオケを歌いながらおこなう。最後に倦怠期がやって来ます。22日~30日目です。マンネリになって意欲が湧かなくなってくるのです。変化を加えて単調にならない工夫をすることが欠かせません。たとえば、週に1回不用品を捨てる日を設ける。子供夫婦や孫を招待する。友達を招待してパーティを企画する。このように生活習慣を変えて新しい習慣を身につけるには、約1か月かかるそうです。片付けの苦手な人で、挑戦する意欲のある人はぜひ取り組んでみてください。そうすると、片づける意欲が高まること間違いなしです。
2019.09.02
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アリストテレスの言葉に次のようなものがある。人は習慣によってつくられる。優れた結果は、一時的な行動ではなく習慣から生まれる。例えば私の場合は、こんな習慣で動いている。朝6時40分に目覚ましで起きる。布団をたたんで納める。パソコンを立ち上げる。ブログで今日投稿した原稿と明日投稿する原稿をチェックする。1か月先の投稿原稿を一つ作る。どじょう掬いとしばてん踊りの稽古をする。私の人生指針を読みあげる。ニンジンリンゴジュースとヨーグルトを飲む。顔を洗って歯を磨く。トイレを済ませる。仕事着に着替える。8時20分には家を出て仕事に出かける。・・・・・。このような習慣が夜寝るまで1年間、ほぼ毎日、毎日繰り返されているのです。これらは特に意識して行っているわけではありません。自然に習慣として身についており、考えたり努力をしなくても、無理なく簡単にできています。みなさんも多くの習慣をもとにして行動し、生活が滞りなく進展していることと思います。人間の行動の95%はあなた自身の習慣によって決まっているといっても過言ではありません。心理学でも、人の行動の95%は無意識によるものであるといわれており、無意識のほとんどは習慣によってできているのです。この時に脳の仕組みはどうなっているのか。脳は、一定期間毎日繰り返された行動が習慣になると、無意識のうちに繰り返すようにプログラムを作り上げているのです。ですから、よい習慣でも、悪い習慣でも一旦プログラムされてしまうと、意識していないのに勝手に体が反応してしまうという現象が起きるのです。そうならないで、いちいち前頭前野がしゃしゃり出て意識的な思考を繰り返していては、疲れ果ててしまいますし、生活が滞ることになります。ですから無意識のうちに作られた習慣は、毎日の生活を前進するために大いに役に立っているということです。ただし習慣にはよい習慣と悪い習慣があります。皆さんの中には、よい習慣を自分の中にたくさん作り上げたいと思われている人も多いことと思います。たとえば、後片付け、整理整頓、ダイエット、貯蓄、ヨガ、マインドフルネス、ウォーキング、水泳、読書、日記、家計簿、自己啓発、学習、稽古、メルマガ、一人一芸、早起き、禁煙などいろいろとあるかもしれません。よい習慣を作り上げると、自分の生活を豊かにし、健康体を維持することができます。また周囲の人に刺激を与え、好影響をもたらします。イチロー選手は、「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところに到達するただ一つの道だと思う」と言いました。イチロー選手は、練習メニューも日々の生活リズムも規則正しく習慣化されていました。習慣化という面では、日本人が生んだ最高傑作のひとつにあげられると思います。しかしこのよい習慣を身に着けることはいくつものハードルがあります。明日からはそれを乗り越えてよい習慣をものにするための方法について紹介します。(「続ける」習慣 古川武士 日本実業出版社 参照、引用)
2019.09.01
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森田理論学習を続けている人は、行動・実践の大切さは十分に理解されていると思います。ところが実際には、その切り替えができなくて、悶々と今まで通りの生活を繰り返しているという人が多いような気がしています。方向性は見えているのに、なぜ、どうして森田理論を生活面に応用できないのでしょうか。集談会では森田理論を応用して、見違えるように元気溌剌、生活を存分に楽しんでいる人がいるのに、どうしてその人のまねをしようとしないのでしょう。こんな話をすると、「そんなにいろんなことに挑戦して疲れませんか。イライラしませんか」あるいは、あっけに取られて開いた口がふさがらないといった反応をされます。「定年退職したらやってみたいことを20個ぐらい持ってないと、退屈だと思うようになりますよ」というと、とんでもないことをいう人だという反応があります。反面、体験交流では、「毎日退屈で、抑うつでイライラした生活を送っています」などと話されます。どうして自分の生活スタイルを変えようとしないのか。その原因を考えてみました。人間は暑苦しさを感じると、体温を下げようとします。まず汗をかいて気化熱の放射で体温を下げようとします。私は仕事中は小型扇風機のついた服を着ています。これがかなり役に立ちます。また水分補給にも心がけています。スイカやトマト、ソーメンなどを食べます。寝苦しい夜はクーラーを入れます。クーラーが嫌いな人でも、様々に工夫をします。反対に氷が張るような冬には、厚着をして体が温まる食べ物や飲み物をとります。部屋の中は当然暖房を入れます。お風呂にゆったりと浸かって、身体を温めようとします。これらは、体温を36.5度に保とうとする体のシステムが自然に働いているのです。そのシステムが正常に機能しているおかげで、人間は生命を維持しているのです。もし体温が40度になっても何もしない、あるいは厳しい寒さの冬場に薄着で外出するとどうなるでしょうか。途端に命の危険にさらされてしまいます。人間には、不快な気持ちを感じると、気にならなくなるまで元に戻そうとする機能が備わっているのです。この働きのことを「恒常性維持機能」と言います。ホメオスタシスともいいます。この機能は身体管理のすべてに貫徹されています。血中に糖が多くなれば、インスリンが出て糖分の上昇を抑制するのもその一つです。その機能のおかげで、糖尿病が予防できているのです。この機能は、身体管理にばかり働いているわけではありません。精神管理の面にも働いているのです。これが厄介なのです。森田理論で不安は横において、行動・実践に力を入れようと決心しても、恒常性維持機能が働いていて、すぐに切り替えることは思っているほど簡単なことではないのです。そういうことが分かれば、行動・実践できない人に叱咤激励することはできなくなります。そういう前提に立ったうえで、森田理論を学ぶ仲間として、少しでも変化できるように刺激を与え続けることが大切です。例えば私はカラオケ同好会を作っていますが、今までカラオケなんかとしり込みしていた人が、毎日you tubeで練習するようになっているのです。この小さな変化は大事にしてあげたいと思っています。集談会ではお互いに刺激を与え続ける温かい人間関係を保っていくことが必要です。すると、何かをきっかけにして、新しい自分に変身できるチャンスが発生するということです。これは自分一人ではとてもではないが達成不可能だと思います。これが自助組織の醍醐味であると考えています。一つ動きだせば弾みがついて、次第に今までの殻を打ち破っていくことができるのです。
2019.08.28
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私たち人間は99%問題なく仕事をこなしていても、最後の1回でミスや失敗をしてしまうと、すぐに自己否定するようにできているようだ。私はインテリアの卸会社でお客様からの注文を受けて、パソコンで加工して工場に流す仕事をしていた。ほとんどはそつなくこなしていた。ところが処理する数がとても多い。毎日50件ぐらいはこなしていた。また午後3時を超えると納期が1日延びてくるので、時間との戦いであった。数をこなしていると、どうしても不可抗力のミスが発生する。ミスが発生すると、施主、得意先、上司、営業担当、同僚、工場などから叱責を受けることがある。そんなことがあると、「自分は何をやってもダメだ」とみじめな気持ちになる。自分を責めてしまうのです。頭が真っ白になって、「もうこの会社での居場所はなくなった」「会社を辞めてしまおうか」などと短絡思考に陥ってしまうのです。冷静になって考えれば、誰でも同じようなミスをしているのです。なかには私の倍もそれ以上もミスや失敗を重ねている人もいるのです。でもその外たちは私のように生きるか死ぬかというように取り乱すことはないのです。私はそういう性格を持っている人をうらやましく思いました。私はまたいつかミスや失敗をするのではないかという、予期不安に苦しむようになりました。そして次第に、仕事に取り組むことが怖ろしくなっていったのです。有給休暇、病気を理由にして休んでしまうこともありました。なるべく厄介で難しい仕事は他人に肩代わりしてもらっていました。つまりミスや失敗を恐れて、逃げ腰の態度で仕事に取り組んでいたのです。会社に行くことも、仕事をすることも、嫌で嫌で仕方がなくなっていったのです。その結果、他人から軽視され、自己嫌悪のマイナスの悪循環を招いていました。学習会でこの話をしていて、面白い話を聞いた。人間の祖先はアフリカの東海岸にあるという。そこから世界に拡がっていったそうだ。そこでの生活は他の肉食獣の脅威にさらされていた。絶えず生命の危険にさらされていた。実際に肉食獣の餌食になる人は多かったそうだ。草むらでゴソゴソと音がすると一目散で逃げないと、簡単に命を落としてしまう。しかしサバンナの中にはなにも自分をとって食べる肉食獣ばかり住んでいるわけではない。自分たちの食料ともなる小動物もたくさんいた。狩りをして獲物を得ないと自分たちが飢え死にしてしまうというジレンマを抱えていた。しかし、草むらでゴソゴソ音がした時に、近くに自分たちの食べ物になる小動物がいるとは考えない。それが万が一自分たちを食べてしまう獰猛な肉食獣だったとしたら、すぐに殺されてしまうからだ。その危険性が10%だったとしても、決して油断できない。そこに注意や意識の大半を振り向けていたからこそ、人間はサバンナの中で生き抜いてくることができたのだという。その考え方や習性は、日常的に命の危機に遭遇してはいない現代人にもしっかりと受け継がれているというのだ。すると生活上様々な弊害が起きてくる。例えば、飛行機事故は99.9は発生しないことは統計上分かっている。でも飛行機に乗れば、もしこの飛行機が落ちたら自分は死んでしまうことに注意が向いて不安になる。それでプロ野球の選手でも、飛行機で遠征に行かない人も出てくる。私の場合は、ほとんどの仕事は問題なくこなしているのに、ときどき発生するミスや失敗に振り回されて、仕事をすること自体が苦痛になってしまった。今の世の中は、日常的に生命の危険に結びつくような状況に身を置いているわけではない。それなのに、もし1回でもミスや失敗があると、命取りになるかもしれないと考えてしまうのだ。そうなると、そこにばかり注意や感覚が振り向けられてしまうのだ。1回のミスや失敗で自分の全人格を簡単に否定してしまう。自分のこれまで築き上げてきた実績や成果が一瞬にして崩れ去ってしまうのは、こういうからくりが人間の中に脈々と生き続けているということなのだ。こういうからくりが分かってくると、ミスや失敗の対応方法が変わってくる。一言でいえばミスや失敗を精神交互作用で、どんどん増悪させないようにすることだ。森田理論が教えてくれたように実践や行動をすればよいのだ。そういうときの不安や恐怖はすぐに取り除こうと対応しないほうがよい。あるいは隠したり、ごまかしたりしないほうがよい。それらを抱えたまま、あるいは横に置いたまま、次になすべきことから逃げずにどんどん片付けていく。ミスや失敗は仕事をしていると、避けることはできない。そういうことにいちいちこだわっていると、精神的に追い詰められて、手も足も出なくなってしまうことを自覚することだ。ミスや失敗に神経を張り付かせるよりも、それらを早く報告して事後処理をする。新たな気持ちで次の仕事に向かうことが肝心である。
2019.08.20
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昨日他人に教えられることを紙に書きだして整理してみましょうという話をしました。するとプライベイトメールでそのリストを見せてくださいという依頼がありました。過去に投稿したかもしれないのですが、見つけきれないので、新たに紹介します。1、森田理論の内容説明、学習のやり方、神経症の克服の仕方2、森田理論全体像の概要3、写真付き年賀状の作成、携帯、デジカメ写真のパソコンへの移し方、縮小のやり方4、you tubeの画像をDVDに移す方法5、広島風お好み焼きの作り方、殻付き牡蠣の焼き方6、そば打ちのやり方7、車の運転技術、トラクター、田植え機、管理機、コンバインの使い方8、パソコンの基本的使い方、スカイプ、パワーポイント、ホームページの作り方、プロジェクターの使い方9、田舎暮らしの楽しみ方、家庭菜園の楽しみ方、隣近所の人との付き合い方10、講話や司会のやり方、来談者中心療法のカウンセリングの基本の説明11、優れた書籍の紹介12、アルトサックスの楽曲提供や演奏技術の指導13、チンドン屋の服装や役割14、獅子舞の指導15、浪曲奇術の指導16、どじょう掬いの所作の指導17、腹話術のやり方の指導18、皿回し、けん玉、簡単な手品、しばてん踊りの指導19、老人ホームの慰問活動の取り組み方20、音痴だがカラオケを楽しみたい人へのアドバイス、カラオケ屋の利用の仕方21、一人一芸の内容と人脈の紹介22、資格試験の合格への秘訣の指南22、株式投資で大きな痛手も受けずに、1年を通すと利益を出せる方法22、ベートーベンの第九の簡単な合唱指導23、模型ヘリコプターの整備と飛ばし方24、広島市内、広島県、山口県、島根県、宮島などの観光案内25、スキーやテニスの基本動作、県内のスキー場の案内26、チヌの釣り方の指導27、葡萄酒の作り方、梅ぼし、梅酒の作り方28、簡単なクラッシック音楽の紹介29、ブログの開設の仕方30、簡単なスマホの活用の仕方31、川柳、ユーモア小話の作り方、作品の紹介32、麻雀のルールの説明、ネット麻雀の楽しみ方33、簡単なヨガ、マインドフルネスのやり方34、トライアスロンの説明と仲間の紹介35、全国各地の観光地の説明36、ハワイやシンガポール旅行の楽しみ方37、広島フラワーフェスティバルの概要説明38、広島市内の安くておいしい居酒屋の紹介39、簡単なファイナンシャルプランの作成40、マンションの管理人の仕事を選ぶ時のポイントの説明41、テプラの使い方42、肩こりの治し方43、簡単な映像機器の使い方44、良好な人間関係の作り方のコツ45、マツダスタジアムの楽しみ方これらは私が今までの人生の中で取り組んできたことばかりです。頼まれれば、少し練習すれば他人に教えられることができると思います。この中でも毎日のようにやっているものは、すぐでも教えることができます。皆さんもこれを参考にして整理してみましょう。きっと私以上にたくさん見つかる人もおられることでしょう。私はそんな話を聞くことが楽しみです。
2019.08.16
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「不可能を可能にする男」「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた岡野雅行さんは、人間は人並み以上の得意技を持っていないと、充実した人生を過ごすことは難しいといわれる。その道のエキスパートになり、その分野の仕事は、そいつじゃないとうまくいかないという人間になれば、自信もついてくる。勉強もできて、親切で、仕事ができる、なんて万能である必要はない。だが何かひとつでいいから、人よりも抜きんでたこと、自信を持ってできることがあるとよい。職人は年季を積むことで、技が磨かれるから、商い3年、飽きずに3年というけれども、最低3年。超一流になるには20年はかかる。20年で一区切りだといわれる。(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKロングセラーズ)高良武久先生は、対人恐怖症の人に一つのことに10年間一生懸命に取り組みなさい。そうすればその道のエキスパートになれます。そうなれば、自信が後ろ盾となって他人の思惑は気にならなくなりますよといわれています。昔の生活の発見誌にこんな記事がありました。寿司屋の大将で、ゴルフをすれば150ぐらい叩く。カラオケを歌わせれば聞くに堪えないほどの音痴。麻雀をすればいつも鴨にされる。何かにつけて、みんなから軽蔑されるのだが、全く意に介していないようだ。話のネタにされるのを隣で笑いながら聞いていられる。それは、寿司を握らせたら俺の右に出るやつはいないという自負を持っているからなんですね。そういう後ろ盾を持っている人は、自分を肯定できる部分を持っているということなんですね。すると人の評価なんて、あまり気にならないということだと思います。そうはいってもそんなものは自分には何もないと思っている人もおられるかもしれません。でも40年、50年、60年、70年と生きてきた人は、この分野のことなら人に教えることができるというものを1つや2つ、あるいは20や30ぐらい持っておられる方が多いのではないでしょうか。私はそれを「人に教えることができるもの」というリストを作って人に渡しています。無理して作ったところ36個ありました。すると面白いことがあるんです。そのリストを見てこれを教えてくれという人が出てくるんです。またその人も自分の「人に教えることができるもの」というのを名刺の裏などに書きこんでいるのです。これらは自分が興味や関心を持って取り組んできたことばかりです。これが自己肯定につながるのだという認識を、新たにしていただきたいと思っています。
2019.08.15
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「かくあるべし」を減らして、事実を受け入れる生き方ができるようになったとする。そういう習慣が身についてくると、自分の存在を肯定できるようになる。自分の性格、容姿、生まれた時代、境遇、環境などをそのまま受け入れることができるようになる。さらに他人の存在や自分の持ちものも肯定できるようになる。現状を受け入れて、目的や目標を持って努力していく生き方は、精神的な葛藤や悩みは激減してくる。ここで一つ疑問がある。「かくあるべし」で自分のことを否定しなくなった。事実本位の生活を心がけることができるようになった。現状を踏まえて少しでも努力精進していきたい。ここまでは何ら問題はない。自分の場合は、少しのことで動揺して不安に振り回されるところがある。次の課題としては、不安に振り回されないような人間になりたい。そのための努力はどんなことでも取り組みたい。もしこういう目標を設定して、しゃにむに努力するようになったらどうだろうか。森田理論の学習をして「不安と欲望」の関係、あるいは不安の特徴や役割を理解している人は、そんな目標設定は間違っていると思われるのではなかろうか。不安は欲望がある限りなくすることはできない。不安には欲望を暴走させないという役割もある。だから不安を全くなくそうという努力や目標の立て方が誤りということです。しかし誤った目標のもとに誤った行動に走る人が後を絶ちません。まして、森田理論学習でそのからくりを知らない人は容易に目標設定を間違えてしまうのです。「努力即幸福」という実践は尊いことですが、実現不可能なことに挑戦しようとすると、体力を消耗してイライラしてきます。この方法を目指すことは、とても不幸な生き方といわざるを得ません。話題を変えて説明します。株式投資ではロスカットがつきものです。ロスカットすると自分の所持金が確実に減ります。最悪ほとんどの財産を株式投資などで失っている人もいるのです。なにしろ株式投資で80パーセント以上の人は、1年以内に撤退しているそうです。要するに命よりも大切にしていた、自分の所持金が減っているということです。投資する人は、ロスカットは悪いことだという人がほとんどです。ロスカットするくらいなら、株式に投資するなどという無謀なことはしないと思っている人もいます。その反面、上位5%から10%のトレーダーは安定的に利益を出しているそうです。そういう人の考え方は、ロスカットというリスクのない投資はあり得ないという。ロスカットは、会社でいえば人件費、原材料費、事務所維持費などの経費と同じものだ。売上からそれらの経費を差し引いて最終利益が確定するという考え方をしている。経費はできるだけ少なくする努力は必要です。でもある程度の経費をかけないとそもそも会社経営はできないのです。利益を出しているトレーダーというのは、思考方法が普通の人とは全く違うようです。つまり目標の立て方が普通の人と違うのです。一言でいうと、自分の決めたルールを変更することなく年から年中愚直に繰り返している。自分のルールを数多くこなしていけば大数の法則が働いてくる。大数の法則とは、たとえばコインを投げて裏が出るか表が出るか2つに一つである。つまり半々である。しかし50%という確率がきちんと機能してくるのは、384回以上試行回数を繰り返した場合に、初めて機能してくるという法則である。こんな話を聞いたことはない人がほとんどだと思う。私もこの話を聞いたときは、びっくりするとともに大変驚いた。納得できたし、感激した。これを信じて粘り強く取り組む人には、ご褒美として大数の法則が味方してくれるという考えだ。株式投資の場合は、年間最低でも200回はトレードしないと大数の法則が機能しないという。ありふれたルールであっても、これを徹底すると勝率30%ぐらいにはなる。ロスカットを確実に行い、トレーリングストップの手法でできるだけ利益を確保して、損少利大の方針で臨む。そうすれば、年トータルでは自分の資金は増えていく。それが株式投資というゲームだという。そんな考え方で取り組んでいる投資家はほとんど存在しない。トップトレーダーは、あの手法、この手法と勝てるための方法論を追い求めるようなことはしない。普通の人は4回、5回と負けトレードが続くと、このテクニカル指標は機能しないと判断する。ここがプロと大きく違う。プロは手法は自分にあったものなら何でもいいという。確率30%でも、愚直に繰り返すことで、大数の法則が働き、最終的には利益が出ている。これはちょうどプロ野球の打者と同じだという。3割も打てば超一流打者だ。つまり一流打者といわれる人でも10回の内3回しか成功していない。7回はすべて失敗している。ここでまよってはいけない。自分がこれだと信じている練習スタイルを愚直に繰り返し練習することが大切となる。そうすると億を超える年収を得ることができる可能性が開けてくるのだ。目標の立て方によって、このような差がついて、それがどんどん拡大するということだと思う。私たちは目標設定を誤らないように、森田理論学習に取り組み、集談会に参加する。そして、目標の設定の仕方を先輩会員からよく学ぶ。そして、先輩会員からその目標設定で誤りがないのかアドバイスを受けることが大切だ。私は「一人一芸」に活路を見出して、愚直に取り組んだ結果、神経症の克服と人生観の確立を手にすることができた。この目標は、人それぞれで基本的には何でも構わないのだと思う。あとは迷いを断ち切って、愚直に真剣に取り組んでいるかどうかの問題である。例えば、ものそのものになりきる、物の性を尽くす、規則正しい生活をするなどどれを選択してもよい。これはちょうど富士山頂を目指す登山に似ている。5つの登山道があるが、どの登山道を選択しても構わない。登り続けてさえいれば、みんな富士山頂にたどり着いて、ご来光を拝むことができるのだ。私たち先輩会員はそんな人に寄り添って温かい目で見守り続けている。
2019.08.14
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私は大学を卒業して、書籍の訪問販売をしていた。私のやり方はセールスのの本をたくさん読んで、その技術をいかんなく発揮して成果を上げることだった。会って話を聞いてもらう方法、商品説明や説得話法、クロージングは徹底して学習した。最終的に行き着いたところは、訪問した相手からいかに断られないで注文をとるかということだった。書籍を買いそうな人と買いそうにない人を正確に選別することに力を入れていた。合う人ごとに100%近い成約率を上げようとしていた。最初から断られると思うような人に営業をかけることは、無駄なことだと思うようになった。そんな気持ちで仕事をしていると、完璧なセールストークがあるのではないか。もっとうまいやり方があるのではないと思ってしまうのです。さらに得意先を訪問しないで、喫茶店などでいろんなセールスの本を見てセールス技術の勉強をするようになるのです。このやり方はうまくいきませんでした。この人は間違いなく買ってくれるだろうと思っている人から断られると、ショックを受けて営業に行く気持ちにならなくなるのです。頭の中で自己嫌悪に陥り、相手を批判するようになるのです。そして仕事をさぼるようになり、頭の中ではネガティブなことばかり考えるようになります。行動も悪循環に陥り、考えることもネガティブなことばかり考えるようになります。自他ともにのたうち回り、生きることが苦しくなるのです。昔の同僚で定年まで勤めあげた人がいる。セールスひとすじ40年の人だ。OB会の名簿を見て驚いた。あの過酷な仕事を定年まで続けるなんて信じられない。セールス技術が卓越しており、強靭な精神力を持っている人だとばかり思っていた。その人と話す機会があった。たしかに場数を踏むことでセールス技術は改善をしたそうだ。でもそれはほんの一部だ。そんなことは枝葉末節のことだという。セールス技術はあなたとそんな差はないと謙遜する。そう思っていたのならば、あなたの美しき誤解だという。では何が違うのか。とにかくローラー作戦で多くの人に面会することに力を入れたという。その人が頼りにした考え方はたった一つ。「確率」という考え方だったという。10件訪問すれば1件の成約確率があると強く信じていたという。これを心の支えとして、淡々とセールスの仕事にまじめに取り組んでいたのだ。私のように仕事をさぼるということはほとんどなかったという。言い換えれば9件の人に断られないと、1件の成約には結びつかないと思っていた。そう考えていると、断られてもショックで打ちのめさせられることはない。次から次へと訪問を繰り返すだけだ。断られることは考えるだけ無駄なことだ。早く9件の断りを達成したいという気持ちだったそうだ。その「確率」という考え方は、数多くのセールスを積み重ねるうちに確信に変わっていったようだ。それがライバルたちを押しのけて、表彰されるほどの成績をたたき出したのだ。例えばサイコロで5を出す確率は、少ない試行回数ではとても難しい。100回サイコロを振っても、運が悪ければほとんどお目当ての5は出ないかもしれない。少ない試行回数ではコントロールできないのだ。ところがサイコロを2000回振ると結果は全く違ってくる。この2000回という数がとても大切なのだそうだ。1から6までのそれぞれの数字が出る確率はそれぞれ16.6%に収束してくるという。5の出る確率も16.6%の確率があるのだ。これがセールスでいう成約確率だという。セールスで自分の考えていた10件に1件の成約確率よりも結果がよい。だから、セールス技術を頭の中で考えるよりも、実際にローラー作戦を展開することが奥義となる。何を言いたいかというと、やる前からうまくいくかどうか予期不安で苦しむよりも、何も考えないで訪問回数をあげることに専念することがいかに重要であるかということだ。セールス技術は、失敗を重ねているうちに、後でいくらでも身についてくる。私たち神経症で苦しんでいるときは頭の中では、悲観的、否定的なことばかり考えていて、手足は全く動いていない。これはやり方が間違っているのだ。頭では何も考えない。必要なこと、やってみたいことに目を向けて手足を動かすことに注意を向けて実行すればうまくいくことが多いということだ。そしてネガティブな予期不安に振り回されてのたうち回ることは激減するので精神的に楽になるのだ。
2019.08.12
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岡野雅行さんは、会社というものは、順調な時に何をするかで会社の命運は決まってしまうという。町工場の社長で多いのは、景気のよいときに、仕事で一発当てて、金が入ったら高級外車を乗り回してキャバレーなどに入り浸っているような人。これが先々うまくいかなくなる典型。時代にはなりゆきや風潮というのがあって、景気のよいときには、努力しなくても、仕事が押し寄せることもある。でも景気がいいときは一時的なもので、絶対に長くは続かない。景気には波がある。百年に一度といわれるような時代に入ると、優れた技術を持った町工場でも、週に3日も4日も仕事がなくなるんだ。最悪の状況を想定していないと、すぐに倒産してしまう。岡野さんは景気のよいときに、財務体質を改善する。新たな技術革新に取り組む。設備投資をする。将来の動向分析をして布石を打つ。(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKロングセラーズ 141ページより要旨引用)人間というものは、生活も安定し、精神的にも楽になるとすぐに気を抜いてしまう生き物だ。私の経験では、80年代は何も考えなくても、仕事が多かった。毎年ベースアップがあり、賞与もこんなにもらっていいのだろうかと思うことがあった。その上、決算賞与も支給されていた。社員旅行は海外旅行が当たり前だった。株価は高値を維持して配当収入も多かった。するとみんなが浮かれまくり、会社の危機感は微塵も感じることができなくなった。ところがその反動は90年代に入るとすぐに訪れた。会社の業績が低迷して、ベースアップどころか、給料のカット、ボーナスは0という事態に陥った。挙句の果てには、人員整理、リストラ、出向などで混乱した。最後には会社は合併を繰り返し、別の会社に吸収された。会社が順調な時に手綱を引き締めて将来の布石を打つことを怠ったつけはとても大きかった。特に経営者の責任は大きかったといわざるを得ない。森田療法でも、蟻地獄の底からはい出した人は、うれしくて自信満々になる人がいる。私も森田療法で積極的で行動的になり、次第に会社内で評価されるようになった。すると森田学習から離れてしまった。自分の成功体験をえらそうに喋りまくっていた。しかし実際には対人緊張の苦しみは抱えたままだった。コールタールのようなしこりのようなものが体中にしつこくくっついていた。今になって思えば、第一段階の治り方でしかなかったのだ。不安を抱えたままなすべきをなすことは確かにできるようになった。でも精神状態は依然として苦しい。葛藤や苦悩が強い。これが森田の限界かとあきらめていた部分があった。それは森田理論には次の取り組むべき段階があるということが分からなかったからだ。今思えば、その時に次の取り組むべき課題が明確になっていたら有頂天になることはなかったと思う。「かくあるべし」の弊害に気づき、「事実本位」生き方を獲得するために舵を切っていたら、もっと違った展開になっていたはずだ。そのことに気づいたのは20年も経った後だった。でもしがらみがあって森田から離れなかったので、その段階が明確に意識できるようになった。最終的にはよかったと思うが、第一段階の神経症が治った時点で、次の取り組むべき課題を意識する必要があったと思う。そうはいっても、ここは自分ではなかなか気づきにくい部分である。だからそこまで到達している人は、知らない人にそのことを伝えてあげる責任があると思う。金鉱や井戸を堀あてるようなもので、もう一歩掘り進めばお宝を手にすることができたのに、途中で諦めてしまうのは、実に残念なことである。
2019.08.10
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プロ野球の打者の場合、140キロ台のストレートがくるとあらかじめ分かっていればほぼ打ち返すことができるという。だから投手が内外角、高低と投げ分けたとしても、ストレートだけで勝負することは難しい。またそんな投手はいない。必ずいくつかの変化球を持っている。カーブ、シュート、フォーク、チェンジアップ、カットボール、ツーシームなどである。スピードを抜いたり、球に変化を与えながら、打者のタイミングを外すことに神経を集中させている。打者は投手ごとに、持ち球や配球の癖、投球動作の癖まで今までの対戦経験と球団から与えられるデーターであらかじめ分かっている。それに今日の対戦投手の調子やカウント、試合展開、天候や風の強さや向きを考慮しながら1対1の勝負をしているのだ。双方の状態が万全ならば投手7割、打者3割で勝ちがつくのが野球というスポーツなのだ。ところが人間のやることだから、自分の考えているようなわけにはいかない。投手でいえば、球のスピードがない、キレがない、制球力がない場合がある。勝負以前の問題だ。打者でいえば、球種やコースの予想が当たっても、打ち返す技術がなかったり、相手投手の力がそれ以上だとすると簡単に負けてしまう。これらは普段の練習で鍛えていくしかない。安易な妥協ではなく、真剣に練習に取り組む必要がある。お互いに切磋琢磨した者同士の勝負だから、見る人をハラハラさせているのだ。また、その時の投手や打者の精神状態が勝負を大きく左右しているという。野球の場合は、相手に「考えさせる」「迷って判断がつかない」状態に持ち込めば、勝負に勝つ確率が格段に上がる。打者でいえば、内角に来るのか、外角に来るのか、ストレートか変化球がくるのが見当がつかない。そこで迷う。対応方法を決めることができない。考えているだけで、いずれかに決断して対応の準備ができていない。こういう状態だとシビアな勝負の世界だと簡単にねじ伏せられてしまう。足の速い選手が一塁に出ても、投手がポーカーペースで何を考えているのか分からない。牽制のタイミングや癖も分からない。そうなると、盗塁するかどうか様々な雑念でいっぱいになるのだ。意識や注意が分散される。本来ならば、投手の動作、カウント、キャッチャの動向などに集中しなければならない。迷いや思考は行動の邪魔になっているのだ。これは森田理論でいうところの、精神拮抗作用が発動しているのである。欲望が強くなれば、不安や恐怖などの感情も同時に湧き上がってくるようになっているというものだ。どう対応すればよいのか。車の例で話すると分かりやすい。欲望はアクセル。不安や恐怖はブレーキととらえる。どちらもなくてはならないものだ。使い方はどうするのか。目的地に向かうためにはアクセルを踏み込むことが必要だ。事故を恐れて、アクセルを踏み込まないようでは、前に進まない。これを第一優先しなければならない。そしてスピードが出過ぎたり、カーブに差し掛かったときは適宜ブレーキを活用する。そして欲望と不安のバランスをとりながら、慎重に運転すればよいのである。では打者の場合はどうすればよいのか。打席に入る前はヒットやフォアボールを選んで塁に出たいのである。でも7割は失敗する。3回に1回、あるいは4回に1回塁に出ることができれば、プロ野球の世界で飯が食っていける。それをしっかりと自覚する。次に、狙い球を想定する。間違うことは多いだろう。でも今までの経験やその場の状況を考慮して、行動のために自分の態度を決断することが必要だと思う。外れれば相手にねじ伏せられてしまう。それは7割は失敗するという想定の範囲内だ。その決断がたまたまあたって、高い確率でしとめることができたならそれで十分なのではないか。だから迷ったときは仮に一つの決断をして、実行に移す。多くの場合、失敗することは織り込み済みにしておくのだ。失敗しても、その経験は後で生きてくる。ここでのポイントは仮に間違っていてもよいので、行動のための一つの決断をして実践してみるということだ。自分の決断がどういう結果をもたらすのか、確かめてみようという態度で取り組んでみることだ。そうすればミスや失敗で再起不能なほど打ちのめされることはなくなる。反対にミスや失敗は次の成功のための反省材料となる。次の成功のための糧にすることができる。打者の場合は7割の失敗は許されている。そのマイナス面に焦点を当てて、事実を否定することは、百害あって一利なしとなる。3割成功すれば超一流打者といわれるのがプロ野球の世界なのだ。私たちもプロ野球の選手に学ぶことがある。不安や恐怖は自然に発動してくるので、そこに意識や注意を向けるのではなく、行動への選択と決断、そして実行に移すことに焦点を当てていくことが肝心である。そしてそれを継続することだ。
2019.07.15
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私はマンションの管理人を始めて10年を超えた。今まで3つの仕事に就いたが一番のお気に入りの仕事である。その理由は、冷暖房完備でトイレ付きの管理人室が自由に使える。毎日棟内を巡回して身体を動かすので運動になる。階段の上り下りを繰り返しても、居住者に不審がられない。受付業務の時、特にやることがないときに本が読める。昼食後、30分から40分仮眠がとれる。残業が全くないので、定時にはすぐに帰ることができる。次々と仕事の工夫ができ、やりがいを感じる。今日は工夫の数々を投稿してみたい。1、居住者から1年に数回玄関のカギを無くしたという相談がある。今のカギはギザギザのあるカギではない。ドット打ちの特殊なカギである。これは品番をメーカーの代理店に連絡してメーカー直営工場で作ることになる。納期は約2週間かかる。この代理店は市内に11ある。私はその代理店すべてに電話して、製作費を調べた。すると値段に大きな差があった。最も安いのは税別1350円、最も高いのは6000円だった。居住者にどこに依頼すると安上がりになるかを教えてあげると大変感謝される。2、玄関のドアクローザーの開閉速度のトラブルの相談もよくある。これはドアクローザーに速度調整弁というものがある。私の勤務棟はそれが第一調整弁から第三調整弁まであるドアだ。それはドアの開き具合によって調整する弁が異なっているのだ。調整は特殊工具を使って調整する。ビスのような弁を時計回りに回すと開閉速度は遅くなる。反対に回すと、開閉速度は速くなる。そのさじ加減が微妙で難しいのだ。これは理屈の分かっている人がやるとたちまち調整ができるが、知らない人は悪戦苦闘する。第一ビスを回すための工具を持っていない人がほとんどだ。ここで私が活躍しているのだ。管理人さんに頼めばよいというのが棟内で周知されている。3、小学生は集団登校している。物騒な事件に巻き込まれないためだ。エントランスに全員が集まってから登校する。ところが登校時間になっても、なかなか全員がそろわない。遅れている子供は、玄関のインターフォンから上級生が連絡をとる。ところが時計がないので、連絡をとるタイミングがつかめない。そこで私の家で眠っていた目覚まし時計を持ってきてよく見えるところに設置した。子どもや親御さんから感謝され、子供たちがなついてきた。4、その他、掃除の時天井をよく見て、蜘蛛の巣を取り除くように注意している。蜘蛛の巣を嫌がる居住者がとても多いのだ。また雨が降ると、地下駐車場に水たまりができる。すぐに水切りドライヤーのような道具を使って、水たまりを無くしている。また国道端にある棟なので、雨降りの翌日は側溝が煤煙で汚くなる。雨降りの次の日は必ずモップ掛けをしている。こういう仕事は目立つし、居住者はよく見ているんですね。ちょっとしたことをメモして、ゆとりのある時に実行するだけで、居住者に信頼される。親しく声をかけられたり、おすそわけをいただいたり天国のような職場である。
2019.07.07
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人間の脳は二つのことを同時に考えることはできない仕組みになっている。これは、楽器の演奏会やスポーツの本番でいつもプレッシャに押しつぶされてしまう人に考えてみてもらいたいことだ。さらに不安に振り回されるという人にも参考になる。前提として、本番前の練習では100%の出来に仕上げなければ話にならない。練習を積み重ねて、本番を想定して10回予行演習を行えばほぼ完璧にこなせるように仕上げる必要がある。練習で50%、60%、70%、80%、90%しかできないのに、本番でうまくやろうとするのは虫がよすぎると思う。予期不安も普段以上に強まるだろう。第一不完全なものを観客の前で披露するということは失礼なことだ。プロの演奏家、プロのスポーツ選手は、時間をかけて徹底的に不安を取り除く練習を繰り返している。そして手足や身体が意識しなくても、間違うことなく正確に演奏や演技ができる状態に仕上げている。練習の成果がそのまま本番で出せれば、成功はほぼ間違いないだろう。でも、そうはならないことが多いのだ。思わぬミスや失敗を招くことが後を絶たない。上手に演奏して観客を感動させたい。一番良い成績を出して優勝したい。などの欲望が強ければ強いほど、「もし失敗したらどうしよう」という予期不安が大きくなるのだ。この不安のために、手足や身体が金縛りにあったような状態になるのだ。これは森田理論でいう「精神拮抗作用」です。人間に元々備わっているものです。なくしてしまうことはできない。また大切な機能ですので、上手に活用していく必要があります。神経症に陥る人は、その不安に振り回されてばかりで、欲望の発揮が蚊帳の外になっているのです。プロの演奏家やプロスポーツの選手はどうしているのか。「人間は同時に2つのことを考えることはできない」という人間の特徴を活用しているのです。具体的には、目の前の行動に没頭するようにしているのです。身体運動に没頭することによって、不安を生じさせる前頭前野の働きを弱めようとしているのです。これはプリショット・ルーティンと呼ばれています。イチロー選手がバッターボックスに入る動作は、毎回同じ動作を繰り返しています。バッターボックスの土を足でならす。同時に右手でグルッと1回転させる。その後、バットをピッチャに向けながら、左手でユニフォームの右肩をつまんで構えに入る。それ以外にも、試合に臨む前の準備や行動は寸分の違いのないようなルーティンが貫徹されています。これはフィギアスケートの羽生結弦選手も同じです。私たちもこれに倣って、不安やプレッシャに押しつぶされそうになったとき、目の前の日常茶飯事を淡々とこなすという姿勢を堅持したいものです。
2019.07.01
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児玉光雄氏によると、人生を成功に導く人間とそうでない人間の違いは「才能」ではない。「うまくいかないときの原因をどこに求めるか?」の違いにあると言われる。これに関して、心理学者のB・ワイナーは、人間が失敗したとき、原因をどこに求めるかについて研究を積み重ね、「原因帰属理論」を唱え、注目された。この理論を構成する要素は、「努力」「目標レベル」「運」「素質」の4つである。ワイナーによると、勝者は失敗の原因を「努力不足」と「目標レベルのまずさ」に求め、敗者はその原因を「運のなさ」と「素質のなさ」に求めるという。「運」や「素質のなさ」は、自分では、もはやほとんどコントロールできない。だから、うまくいかないことを運や素質のせいにしてはいけない。そのことが「言い訳」というよくない要素を増殖させ、モチュベーションを低下させている。一方、努力や目標レベルは自分でほぼ100%コントロールできる。失敗の原因を「努力不足」と「目標レベルのまずさ」に求め、目標を改良したうえで努力を重ねれば必ず成功に導ける。(イチロー哲学 児玉光雄 東邦出版 4ページより引用)ここでいう「運が悪い」というのは、自分の理想として頭の中で思い描いていたような展開にならなかったということである。「最悪だ」という言葉をよく口にする人がいる。同じようなものだ。いつも上から下目線で現実を批判、否定している人である。現実、現状、事実を認めることができない人は、今までもこれからも不幸を自ら引き寄せてしまう人だ。こんな人生は歩みたくないものだ。そのためには、森田理論が教えてくれているように、事実に立脚し、事実にこだわる生き方を押し通すようにしたらよいと思う。「素質がない」というのは、自分には成し遂げる能力が備わっていないということだろう。しかしよほどの天才でない限り、最初から次から次へと困難を乗り越えて成功をつかむための能力を備えている人はいない。能力は自分で獲得していくものだと思う。そういう能力を獲得するために、成功した人は、それ相当の努力をしているはずだ。イチロー選手は努力の人と言われているが、生活のすべての面にわたって、毎年200本以上のヒットを打つことを目標にして試行錯誤の連続の生活を送っておられた。成功の裏には、私たちが考えも及ばないほどの、失敗を経験してこられた。それでもへこたれずに果敢に挑戦してこられたからこそ、自信や能力が身についたのだと思う。自信や能力は降って湧いたように、突然身につくものではないはずだ。私たちはどんなに小さくてもよいので、自分が取り組むべき問題や課題を常に持ち続けていくことが大切だと思う。そのためには、大きな夢や目標などは持てない人でも、日々の日常茶飯事だけは手を抜かないで真剣に取り組んでいくことをお勧めしたい。これが抜け落ちると、「私は何のために生きているのだろう」と悲観的なことばかり考えるようになると思う。
2019.06.27
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スポーツ選手で、試合で最高の成績を上げるために練習をするのだという人がいる。この考え方だと、本番で成功を勝ち取るために、練習をすることになる。本番が主力で、練習は従になる。練習はつらくてイヤだけれども、やらなければいけないものになる。叱咤激励して「かくあるべし」で自分を追い込んでいくのである。これではモチュベーションが上がりにくい。練習しないで大きな成果を上げたいという気持ちを持ちながら練習しているので、改善点や課題に気づきにくい。発見や工夫もあまり湧いてこない。本音と行動(練習)が一体化していないので、心身共に苦しいものになる。元大リーガーのイチロー選手の考え方は、これとは全く異なっている。練習が主力で、本番は従という考え方なのだ。課題や目標を明確にして、練習に真剣に向き合っているのだ。練習でできるようになると、高い確率で試合でもできるようになる。感覚としては、練習で体に覚え込ませたものを、本番で問題ないかどうか確認するという気持ちなのだ。練習段階で、問題点や改善点をつぶして試合に臨んでいる。練習では100パーセント以上に仕上げているのだ。これだと、プレッシャーに押しつぶされることが少なくなる。本番でミスや失敗をしても、また次の練習の課題にしてしまうのだ。そのための練習だから、気づきや発見・工夫が次から次へと湧き上がってくる。モチュベーションが上がるのだ。私はこれの考えを楽器の演奏に取り入れている。老人ホームの慰問活動で、アルトサックスを吹いているのだ。お年寄りががよく知っている昔の歌謡曲だ。それだけに間違えるとすぐに分かってしまう。だから本番前には相当のプレッシャがかかるのだ。失敗してみんなに笑われたくない。そう思えば思うほど、不安が増してくる。手の動きが悪くなる。そこで、練習は本番1週間前から30回から50回ぐらい丁寧に繰り返すことにした。また新しい曲に取り組むときは、200回にしている。何回も練習している曲は、もう指が勝手に動くので、意識していないと練習に熱が入らないのである。そして5回から6回の練習だけで本番に臨んでしまうことがある。これが命取りになるのだ。普段間違えたこともないようなところで間違えたりする。また、練習の裏付けがないので不安で苦しむのだ。このやり方は完全ではないが、プレッシャを少なくしてくれている。
2019.06.26
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野球評論家の落合博満さんは「慣れ」について次のように言われている。野球のシーズンが終わると、2月のキャンプインまで4か月ぐらいある。その間は主に体のメンテナンスをする。ピッチャーと直接勝負することはない。またシーズン中と同じような140キロのボールに向き合うことはない。するとどんなことが起きるか。たった4ヶ月離れただけなのにバッターボックスに立つことが怖くなる。恐怖心が出てくるのだ。その恐怖心をなくするためには、バッティングマシンなどで徐々に慣らしていかないといけない。そうしないとバッティングフォームが崩れてしまう。またこんなことも言われている。野球には「練習は嘘をつかない」という言葉もある。正しく理に適った練習を、頭を使って繰り返す。頭を使い、身体に覚えさせるという練習を人の3倍も4倍もやって、ようやく現場に慣れていく。(コーチング 落合博満 ダイヤモンド社 190ページから192ページより引用)落合さんの言われている「慣れる」ということは、私たちにも参考になると思う。私たちが神経症に陥ったとき、目の前の日常茶飯事や仕事に注意をむけて真剣に取り組んでいるとはいいがたい。神経症の苦しさに耐えきれず、なんとかこの苦しみから逃れたいと悪戦苦闘している。森田理論を学習すると、そんなやり方だと、精神交互作用で神経症はどんどん悪化して、最後には固着してしまうことが分かる。観念上の悪循環、行動上の悪循環がますます自分を苦しめていくのだ。そのようなスパイラルに陥らないためには、症状には手を付けないで、日常生活や仕事のほうに目を向けていくことだ。神経症という苦しみを持ったまま、規則正しい生活を続けていくことだ。そんな生活に「慣れていく」ことがとても大事なのだ。普通はそんなことでこの苦しみが解消するわけがないと考える人が多い。しかしこれも観念で考えて予想していることなのだ。考えているだけでは、事態はさらに悪化する。だが同じ時間に同じ行動をするということに取り組んでみると事態は急展開する。苦しみはあっても、生活が流れ始める。そうすると、頭の中に澱のように張り付いていた苦しみが少しずつ取れていくのだ。これは一度でも経験した人は、実感として分かるのではないかと思う。決まった時間に決まったことをするという習慣作りに愚直に取り組むことは、神経症の改善に役立つのだ。この段階を通過すると、アリ地獄から地上にはい出したことになる。しかし残念ながら、この段階では、神経症の苦しみは依然として残る。いいところまで来ているので、悲観して、元の木阿弥に陥ることは避けたいものだ。肝心なことは、この段階を経ないと次の段階には進むことができないということなのだ。この段階をクリアした人が、良好な対人関係作り、生きづらさの解消へと舵を切っていくことができるのだということをしっかりと認識していただきたいと思う。森田理論の中には、次の段階として、それらの解消法もきちんと用意されていることを付け加えておきたい。ステップアップして取り組めば、神経質性格者としての素晴らしい人生観を手にすることができる。これはいくらお金を積んでも買うことはできない。でも森田理論を学習して、実践すれば比較的簡単に手に入れることができるのだ。悔いのない人生を全うしたい人は、ぜひともそこまで振み込んで、ぜひ自分のものにしていただきたいと思う。そのための応援はできるだけさせていただきたいと思う。
2019.06.17
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「ものを頼むときは忙しい人に頼め」という言葉があります。少々高くても、法律問題は行列のできる法律事務所に頼む。資格試験の学校を選ぶときは、過去一番多くの合格者を出しているところを選ぶ。少し待っことはあっても、行列のできるラーメン屋さんに行く。すぐには引き受けてくれなくても、仕事を頼むときは仕事をいっぱい抱えている人に頼む。自助グループでもあの人は忙しすぎて、世話役にはならないだろうという人に依頼する。家でぶらぶらしている人だから、時間は十分あるだろうというような人には依頼しないことだ。時間が有り余っている人に頼んでも、思っているほどの成果を期待することは無理だと思う。森田理論を学習した人は、「なるほどその通りだ」と思われる人が多いのではないでしょうか。普通に考えると、忙しい人は頼みごとを雑に扱うので、やることなすことが雑でスキだらけになると考えがちです。忙しい人よりは、時間がたっぷりあって余裕やゆとりのある人がある人のほうが、丁寧に取り組んで期待以上の立派な仕事をしてくれるに違いないと思いがちです。それは私の経験では間違いだと思います。考えていることと実際があべこべになるのです。森田でいう「思想の矛盾」でがっかりすることになると思います。これは精神の活動レベルの違いから起きる現象です。忙しい人は、精神が昼間活動しているときは緊張状態にあります。暇な人は精神が弛緩状態にあるのです。この差は見逃すことはできません。森田理論に「無所住心」という言葉があります。精神状態が四方八方に張りめぐらされて、昆虫の触覚がピリピリとアンテナを広げているような状態です。こういう状態にあると、気づきや発見が泉のようにこんこんと湧き出ているのです。工夫や新しいアイデアが次から次へと浮かんでくるのです。すると物事に取り組む意欲が高まり、行動的になります。失敗することがあっても、失敗を糧にして、さらに創造力が高まっていきます。それらの経験がどんどん蓄積されていくわけです。精神が弛緩状態にある人と比較すると、どんどん差が拡がってくるということになります。ですから「行列のできる・・・」に頼みごとをすると早い、出来栄えがよいという結果ができやすいのです。これは森田的な実践をしていく中で、検証できた事実です。これを体験して会得すると、行動実践はより活動的になると思います。森田理論に「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」という言葉があります。昼間活動しているときは、ぼんやりしている時間を少なくして、次から次へと物事本位で家事や仕事を片付けていく習慣を作れば、誰でも精神緊張状態を作り上げることができます。そういう人のほうが、人の役に立つ人間になれるのだということを意識したほうがよいと思います。
2019.06.05
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岡田尊司さんの本からの引用です。ある60代の男性が自殺しようとしていたところを妻に発見され、精神科の病院に連れてこられた。抗うつ薬などが処方されたが、なかなか改善せず、無気力な状態が続いていた。担当医との面接の時も、男性は悲観的なことを口にするばかりであった。ただ、男性の目に光が戻った瞬間があった。それは料理の話をしていた時で、男性は退職するまでホテルで料理人として働いていたのだ。担当医は症状の話をするよりも料理の話をよくするようになった。すると、ほとんど自分からしゃべることのなかった男性が、少しずつ話をするようになった。そんなある日、思い切って担当医は、デイケアの料理教室で他のメンバーに教えてやってくれないかと頼んでみた。最初、男性は気が重そうにしていたが、スタッフも手伝うからと安心させ、同意を取り付けた。実際、キッチンに立ってみると、男性は別人のように手際よく説明し、見事な包丁さばきを見せた。皆が感嘆するなか、教室が終わるころにはその顔は自信に満ちたものとなっていた。それがきっかけとなって、男性は元気を取り戻し、すっかり回復して退院していった。(人を動かす対話術 岡田尊司 PHP新書 40ページより引用)この話は、生きがいを持つことがいかに大切であるかということだ。食事をすることと同じくらい大事なことだ。やるべき課題を持っている。さらにそれが人様の役に立っているという感覚だ。それが精神状態を健康に保つためには欠かせないのだということを教えてくれている。私はやるべき課題で、一番基本的なことは日常生活の中にあると思う。食べること。そのために毎日料理を作る。食材を買いに行く。できれば野菜作りをする。加工食品を作る。洗濯をすること、部屋の掃除や整頓をすること。それらに一心不乱になって取り組んでいく。いわゆる凡事徹底に取り組むことだ。ついでに言えば、自分や家族の身の回りのことに取り組んでいく。そんな雑事は面倒だ。できればやりたくないというのは危険な兆候だ。今では、宅配弁当、食材の配達、スーパーなどの豊富な惣菜や弁当、外食などが豊富に用意されている。味もよい。料理を作る手間もいらない。ごみもあまりでない。洗いものもない。こんな恵まれた状況にたっぷりと浸かって、その恩恵を十二分に味わっている人も多い。しかし、便利だからといって、完全に依存体質になってしまうと、無気力、無関心、無感動になって生きがいが根こそぎ奪われてしまうことを肝に銘じておくべきだと思う。一旦悪循環に陥ってしまうと、なんとか立て直さなければと思っても、どうにもならなくなるのである。
2019.05.20
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京都森田療法研究所の岡本重慶氏は生活の発見会のルーツを丹念に調べられた。これによると、生活の発見会の前身は、水谷啓二先生の始められた啓心会である。その水谷先生は、五高の同級生であった永杉喜輔先生と再会され、大きな影響を受けられた。水谷先生が、昭和32年に創刊された「生活の発見」には、森田療法の流れを継承するとともに、永杉喜輔氏から教えてもらった、下村胡人先生の「新風土」の精神を引き継ぐとあった。永杉喜輔氏の経歴をたどっていくと、下村胡人、田澤義鋪に行き着くのだ。この人たちは、個人の自立、自発性、自主性、自己啓発、自己教育、友愛などを重んじ、それによって社会集団の質を自治的に高める運動をされていたのです。具体的には浴恩館、煙仲間における青年団運動、壮年団運動です。憲兵に目をつけられながらも、精力的に活動を続けられていたのです。それらは下村胡人が昭和23年に再刊行された雑誌「新風土」という活動に結びついていきました。ところで、岡本重慶氏は、この人たちが好んで使った言葉があるといわれる。下村胡人は、「凡夫」「凡人道」という言葉を使われている。田澤義鋪は、「平凡道を非凡に進め」といわれている。森田正馬先生は、「凡人主義」ということを言われています。高良武久先生も、「平凡の中の非凡」という言葉を墨書されている。水谷啓二先生は、「我々神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡を軽視しないで毎日の仕事に精を出す。そういう生活が20年30年と積み重ねられると非常に非凡な成果を生む」といわれています。社会教育というと、社会の矛盾をつき、直接社会変革を促す人材の育成のことを連想しやすい。この人たちが言っているのは、そうではない。個人的な理想や快楽を追い求めるというよりも、自分たちの日常生活に視点をあてて、日々の生活を大事にして生きていくという考え方なのです。日々の日常生活の中で、小さな気づき、小さな発見、小さな工夫、小さな楽しみ、小さな喜びで満たしていく。それが抜け落ちて、社会変革、地位、名誉、金儲け、刹那的快楽主義などに陥ってはならないといわれているのです。毎日同じ時間に同じことを繰り返していくという生活の中で、充実感や生きがいを感じられるような人が、「凡人道」を邁進している人だと思います。そういう人は、神経症に陥ることがない。淡々とした日々の生活の中から、人生の極意をつかんで、幸せな一生を終えることができるものと考えます。森田理論の目指しているところも、そんな生き方にあります。
2019.05.05
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精神医学で離人症と呼ぶ現象がある。離人症の特徴は、現実感の喪失と疎隔感であり、 「自分が自分でなくなった」 「何をしても自分でしているという感じがしない」などと訴えることが多い。何をしても自信が持てない。自分だけが周囲から浮いているように感じる。誰かと一緒にいても、気を使ってすぐに疲れてしまう。どこにいても、自分の居場所がない。何をしても心の底から楽しめない。何もかも投げだしてしまいたい気持ちになる。こんな人生なら、生きていても仕方がないと感じる。こうなると砂や霞を食べて生きているような現実感の喪失現象が起こります。無気力、無関心、無感動な人生で、ただ命をつないでいるだけで、生きる意義は失われてしまいます。朝起きて「今日は何もすることがない」「毎日たいくつだ」「何か刺激のある楽しいことはないものか」などと考えるようになると、危険な兆候だ。そうならないために、日常生活に丁寧に取り組む。規則正しい生活をすることが大切だ。特に料理に真剣に向き合うことが大切である。外食は極力減らして、自分で作ることを基本にすることだ。食事の献立を考える。料理が片寄らないように工夫する。買い出しに出かける。料理を作る。きれいに盛り付ける。後片付けをする。これに真剣に取り組むと、夕食にかかわる時間は献立作りに10分。買い出しに30分。料理作りに30分から1時間。食事に30分から1時間。後片付けに30分ぐらいかかる。ゆとりを持って夕食に取り組むと2時間から3時間は必要になる。これに自給自足で家庭菜園や加工食品作りに手を出すようになるとよいと思う。この時間は心も身体も外向きになる。神経症のことで悩む時間はそれだけ少なくなる。この時間を切り詰めて、親に依存する、外食で間に合わせるということになると、暇で空白の時間が生まれてしまうのだ。私たちは、ネガティブで後ろ向きのことばかり考えるようになるのだ。それから掃除、洗濯、整理整頓も大切な家事である。中でも掃除は必須である。掃除機は毎日かける。そして雑巾がけを毎日する。「悩む前 掃除洗濯 最優先」という川柳を作ったことがあるがまさにそのことである。私はマンションの管理人をしているが、家の中をきれいに拭き掃除をしているかはすぐに分かるようになった。それは解放廊下のサッシ窓の面台をきれいに拭いているかどうかを見るのだ。私の管理棟は57件あるが、そのうち3件だけはいつもピカピカになっている。その3件は網戸もとてもきれいにされている。ちなみに車もよく洗車されている。面台は家の外だから、どんなに汚れていようと、全く気にならないという人は、家の中の拭き掃除や整理整頓には無関心な人であると思う。そうなると、家の中に物が散乱して、埃があちこちに溜まっているのではなかろうか。これも真剣に取り組むと1時間や2時間はかかると思う。鳥は1日のうち60%はエサをとってくることに費やしているという。私たちも食べるということと掃除、整理整頓に真剣に取り組み、毎日3時間ぐらいは費やしているという状態になれば、神経症と格闘する時間はそれだけ減ってくる。日常茶飯事はできるだけ手を抜いて、思う存分人生を楽しみたいと思っていると、精神状態はどんどん悪化してくることを肝に銘じて、初心に戻ることが大切だと思う。
2019.04.25
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先日の親戚の法事に行った。そこに従兄弟で、有名大学を卒業して、有名企業に就職した人がいた。その従弟は、数年前に定年退職をした。定年退職した後に、父親が相当な遺産を残して亡くなった。その従兄弟は一人っ子で、母親も先になくなっていたので、すべての遺産を相続した。その中には、預貯金のほか、屋敷や土地などの不動産も相当数含まれている。だからまだ年金は満額は出ていないが、生活費に困るような事はない。それどころか、誰もが羨むような高級車で乗り付けてきた。ローンを払い終わった戸建て住宅も所有している。何不自由ないと思われるような生活をしているはずの彼が次のような話をした。退職後、今までの経験を生かして、誰もが知っているような会社に再就職をした。ところが、人間関係が面倒なのですぐにやめた。今は無職である。今後働く気持ちは全くない。現在、どんな生活をしているかというと、朝はゆっくり起きて、昼ぐらいまでかけて丁寧に新聞を読む。午後は毎日図書館に行く。それから健康のためにウォーキングに出かける。約1時間ぐらいである。だいたい6000歩ぐらい歩くという。ヘルニヤアあるのでそれ以上歩けない。帰ってくると、妻と一緒にドライブを兼ねて、遠くまで夕食の買い出しに出かける。夕方からは相撲やプロ野球の試合を見るのが楽しみだという。晩酌を兼ねて食事をしているという。特に趣味はないので、他には何もすることはない。1週間に1回は約1時間半かけて、父親の残した家に風を通すために帰っている。夏場は田畑の草刈りをするのが唯一の仕事である。そんな彼に向かって、 「毎日退屈だと思うのことはないのか」 と聞いてみた。すると案の定、 「毎日、毎日退屈で、今日は何をして時間をつぶそうか」と考えることが多いという。そうかと言って、新たに趣味を見つけたり、運動したりする気持ちにはならないという。何とかしなければいけないという気持ちはあるのだが、生活全体が弛緩状態にあるので、どうすることもできないのだと言う。この従兄弟も、私と同じ神経質性格の持ち主であり、森田療法理論を学習する機会があったならば、もっと違った生活を送ることになったのではないかと感じた次第です。その時は、私の生活ぶりを紹介するぐらいで、とてもアドバイスをするような雰囲気ではなかった。今とは違った生き方もあるということを分かってもらいたかった。
2019.04.16
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今年は4月27日から5月6日まで休みという会社が多いと思う。10連休である。今からわくわくして、何をしようかと考えられている人も多いことだろう。レジャ、旅行、ゴルフ、釣り、趣味などを思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし観光地はどこも人がいっぱいで、かえって疲れがでてくるような感じがする。いずれにしろ、行き当たりばったりで連休に突入することは避けたいものである。そんな気持ちだと、取り立てて何もすることがなく、家の中でゴロゴロ過ごしていたということにもなりかねない。私は、会社勤めの規則正しい毎日の生活が、この連休で糸の切れたタコのような浮ついた生活になることを恐れている。今のうちから、連休になったらやりたいことをできるだけ紙に書きだしておおまかな計画を立てておくことが必要だろう。今現在私のやりたいことは次のようなことだ。・5月4日 宮島一周ウォーキングに行く。これは集談会の仲間からお誘いを受けた。30キロの行程だ。・5月3日 博多どんたくに続いて有名な「広島フラワーフェスティバル」のパレードとハワイのフラダンスなどのショーを見に行く。これも事前にイベント情報をチェックしておく。・4月27日、28日は田舎に帰り、家の中の掃除、夏野菜を植える。草刈り、溝掃除などをする。ついでに世羅町の花街道を見て回る。・4月29日 5月に派遣講師で姫路に行くので講話内容をパーワーポイントで準備する。内容は、「私と森田とのかかわり方と森田理論から得たもの」にした。・4月30と5月1日は、家の中の本や衣類の片づけ、整理整頓をする。ベランダの草花の手入れ。家の修理と改造など。あと3日間はまだ決めていないが、イベント情報誌「to you」を見て音楽会などに行ってみる。孫や娘夫婦がくればその対応。カラオケ仲間との飲み会とカラオケ。その他、このブログの原稿づくりや本読み。しばてん踊り、どじょう掬い、浪曲奇術、獅子舞、アルトサックスの練習、you tubeを見てカラオケの練習を欠かさない。パソコン教室でパワーポイント、ホームページ作成講座に通っているのでその予習と復習。次の森田の本の執筆の目途を立てておく。よく定年になってから、やりたいことを探そうとする人がいる。それでは遅いのではないかと思っている。定年になる前から30個ぐらいやりたいことを温めておかないと、すぐに「たいくつだ」「何か楽しいことはないかな」と思うようになる。実に残念な人生を過ごすことになる。森田理論を学んでいる人は、味わいのある生きがいの持てる人生が待っている。私は、臨機応変に対応しながらも、なるべく毎日の生活パターンを崩さないようにしたい。普段は仕事をしている時間帯に、これらの予定を組みこんでいきたい。そして10日間の休暇が終わるときは、素晴らしい休暇を過ごせたと思えるようにしたいものだ。
2019.04.13
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以前、 テレビ等で活躍されていた島田紳助さんは、一時代前に一世を風靡した漫才コンビ、 B&Bの島田洋七、洋八さんのところに弟子入りしました。島田紳助さんは、師匠であるB&Bの出演番組のビデオを何十回、何百回も見ながら、テンポ、間、声の強弱、構成、最後のオチに至るまでを分析して、あるパターンがあることに気づいたと言います。それで、そのパターンを踏襲しながら、自分のネタで漫才を始めたら、師匠のB&Bより大ヒットするようになったそうです。(五感で磨くコミュニケーション 平本相武 日本経済新聞社 51頁より引用)これは森田療法理論を自分の生活の中に取り入れていくために、大変参考になる話です。私は、森田理論を生活に活かすという点では次のようなことが思い浮かびます。1、実行力、行動力をアップさせる。2、無所住心の緊張感のある生活態度を身につける。3、日常茶飯事を大切にして、規則正しい生活習慣を身につける。4、バランス感覚、調和や両面観を身につける。5、変化対応力を身につける。6、生の欲望に沿った生活に変えていく。7、自分、他人、物、時間、お金の能力を引き出して最大限に活用していく。8、「純な心」「私メッセージ」の生活態度を身につける。9、「事実本位」の生活を身につける。これ以外にたくさんあると思いますが、私の場合で上げてみるとこういうことです。目標に向かって、どのような方法があるのか、最初は雲をつかむようなものだと思います。しかし私たちは集談会や支部研修会で出合う素晴らしい仲間がいます。この出会いを最大源に活用してゆきたいものです。その人たちの生活態度をよく観察して、これはと思った人のまねをしていけばよいのです。私は参加していた集談会で、「ものそのものになりきる」「物の性を尽くす」ということに真剣に取り組んでいる先輩を見つけました。集談会ではその人の側に近づいて具体的な話をよく聞きました。特に集談会が終わった後の懇親会の場で詳しく教えてもらいました。ビールを美味しく飲む方法。カラオケを上手に歌う方法。盆栽の手入れの仕方。台所で出た生ごみの活用。路傍の草花を楽しむ方法。日記の書き方。夫婦円満の秘訣。公共施設の利用の仕方。物が欲しくなったらそれに変わるものがないか家の中のものの棚卸をしてみること。運動の仕方・考え方。相撲や野球の楽しみ方。魚のあら炊きの上手な作り方。良好な人間関係の築き方などその人から学んだことは限りなくあった。実にきめ細かく、森田的な生活をされていた。そこに自分の人生をかけているというオーラが漂っていた。私はそれらを真似して、自分でも生活の中に取り入れていったのです。劇的に生活の変化が起きたことはいうまでもありません。森田の奥深さ、素晴らしさに気づいたのは物まねから始まったと思っています。こういう気持ちで集談会に参加していれば、きっと師匠に当たる人が見つかると思う。たとえ集談会での出会いがなくても、支部単位で見るとそんな人材は数多くおられる。せっかく集談会に参加されているのでしたら、是非そういう視点を持って参加されたらどうでしょうか。また集談会のプログラムに「生活森田・応用森田」のコーナーを設けることも必要なのかもしれません。
2019.03.27
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2006年の第一回WBCにおいて日本代表チームに招集された時の話です。練習中のイチロー選手と松坂大輔投手の会話がニュース映像で残っています。そこでイチロー選手は松坂投手に「お前、深いところで野球をなめているのだろう」と言っているのです。冗談めかした言い方ではありましたが、もしかしたらイチロー選手の本心からのアドバイスだったかもしれません。その頃の松坂投手といえば、メジャー移籍直後で最高の成績を挙げていましたが、イチロー選手にはその野球への取り組み方が歯がゆく見えたのでしょうか。「そんなに才能があるのにもったいない」と。イチロー選手は自分の野球に対する姿勢と松坂選手の姿勢に対して直感的に違和感を感じたのかもしれません。それとなく注意をしたのかもしれません。松坂選手がそれに気づいて、イチロー選手の取り組みに注意を払うことができていたならば、その後の展開は随分変わっていたのではないかと思われます。その後、松坂投手はケガに悩まされて、思うような結果を出せていません。怪我さえなければ、現在大リーグで押しも押されぬ大投手になっていた可能性の高い選手です。潜在能力の高い選手だけに、ファンとしてはとても残念なことです。反対に、イチロー選手は、最近年齢による出場回数は少なくなってきましたが、大きな怪我をすることもなく、 40歳を大きく超えても野球を続けています。そして50歳まで現役で野球を続けたいという目標を掲げているようです。生き残りをかけた厳しいプロの世界で今なお生き残っているということは、前例がないだけに、大変な驚きです。そしてその言動は多くの人に感動と勇気を与え続けています。イチロー選手は、プロ野球の世界で、最高のパフォーマンスを観客に提供するにはどうしたらよいのかを常に考えています。そのために、日常生活、生活のリズム、食生活、体のケア、筋肉の鍛え方、休息のとり方、物の見方考え方など生活のすべてにわたって、ベストのものを求めて努力しています。求道者になりきっているのです。森田でいえば、森田理論を学んで、生活に応用していくことだと思います。普段の日常生活をおろそかにしないで、常に真剣に向き合うということだと思います。常に課題、問題点、目的、目標、夢を持って努力精進していくことだと思います。私たちは一人の人間として、どう生きていくべきなのかをイチロー選手から学ぶ必要があるのではないでしょうか。そんな生き方ができれば、たとえ失敗続きでも、後で後悔するということは少なくなると思います。
2019.03.20
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帚木蓬生さんの本職は、精神科医である。小説家としても有名だがそれは朝4時から6時までの2時間だけで行っておられる。 30分で原稿を1枚書くそうだ。だから、 2時間あれば4枚です。アイディアがあろうとなかろうと、何かを書いていると30分で1枚になる。そうすると1ヶ月で100枚になる。 1年で1000枚になる。ともかく、コツコツとやる。才能のない作家というのはそれしかない。「よい習慣は才能を超える」という言葉があります。帚木蓬生さんは、朝の2時間の執筆活動を、 30年間続けておられるそうだ。これが24時間作家よりも作品が多いという結果になっている。世の中には「 1万時間の法則」というのがあります。これはアメリカの若い研究者が、どの分野でどういう人が傑出した仕事をしたかと調べて行って、「 1万時間の法則」と言うの見出したそうだ。それは1週間にその分野の同じ事を21時間、これを10年続けると1万時間になるというものです。そうすると、サッカー選手ならサッカー選手、書道家なら書道家、 野球なら野球、水泳なら水泳で、画家なら画家、詩人なら詩人と言う風に、その道の大家になっていた。 1週間に21時間ですから、 1日に3時間、それに打ち込む。例えば、英語だったら1日3時間打ち込んでいけば、 10年後には同時通訳くらいになれる。帚木蓬生さんは日に2時間ですが、 10年じゃなくて30年もやっています。 十分それに相当します。(森田正馬没後80年記念講演会より要旨抜粋)神経症で悩んでいる人は早速真似をしてもらいたいものだ。そうすれば、神経症は治りますよ。というのは神経症以外のことを考える時間が格段に増えますからね。そして、その習慣は少しずつ弾みがついてきます。目標や課題を持った生活は、心身共によい影響をもたらします。そして自然に緊張感を持った生活に変わっていくのです。すると感じや気づきやアイデアが、泉のように頭の中に浮かんでくるようになるのです。「よい習慣が才能を超える」というのはこのことです。小説家専業の人は、三年から四年に一冊ぐらいしか本が生まれないそうです。帚木蓬生さんが専業作家よりも速いスピードで本を出して、しかも吉川栄治文学賞、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞などを受賞されているのはこのようなからくりがあるのです。私もこのブログを続けるために、おおむね一日二時間から三時間、本を読んだり原稿にまとめたりしている。10年をひとくくりと考えていたが、それでは1万時間にならない。もう少し伸ばしてゆきたい。一番よいのは死の寸前まで、この習慣を継続することだと決意を新たにしました。
2019.03.05
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あなたの家で物があふれかえっていることはありませんか。私の家がまさにそうでした。まず1000冊以上に上る本が本箱だけに収まりきらずあちこちにはみ出しています。いつか読むだろうと思いながらも1年以上、あるいはそれ以上も読んでいません。あと衣類です。カシミヤのコートなどは全然着ることももう何年も眠ったままです。その他チンドン屋で使う衣装も随分溜まりました。車の中にも衣装や靴、小物類で一杯です。6月と10月には夏物と冬物の入れ替えをしますが、大半は袖を通したことのない衣類です。筆記用具なども店が開けるほど溜まっています。そのほか100均で買った小物類もあります。携帯も機種変するたびに古い携帯が溜まります。ベランダでは用済みになった観葉植物の鉢であふれかえっています。靴は古くなると処分していますが、かばんは10個ぐらいあります。普段は全く使わないものもあります。それから趣味で集めたものがたくさんあります。絵画、写真、書道用品、大型の模型ヘリコプターなどです。家の中を見渡すと、食器や調理道具の多さに気づきます。食器は棚の中に所狭しと並んでいますが、ほとんど使ったことのないものばかりです。森田理論では、自分の身の周りのものや自分の周囲にいる人たちの存在価値を認めて、とことん活用することを学びました。自分自身の存在価値も見直して、自分の特徴や能力をいかんなく発揮して生きていく考え方を学びました。ところが現実には、テレビ宣伝、インターネットオークション、新聞広告にさらされて、珍しいものや欲しいものを次から次へと買い求めている。家にあるものでも、新しい便利な機能のついた物が出てくると、安易に買い替えてしまう。その結果家の中には使わないものがあふれかえっている。ものが多すぎて、すべてのものを活用し尽くすということができていない。ほとんどのものは、その存在価値を評価されることもなく、見捨てられているのである。これでは物がかわいそうだ。そして自分も「物の性を尽くす」行動ができていない。こうゆう生活にどっぷりとはまっていると、精神世界にどんなことが起きるのか。絶えず他人と比較するようになる。自分は生きているだけで、すばらしい存在価値を持っているのだが、その存在や能力を磨いて生きていくという気持ちが持てない。自分の弱みや欠点ばかりに注意が向いて、自己嫌悪や自己否定をするようになる。他人の言動に振り回されて、自分の気持ちや意志は無視されるようになる。どんどんと新しいものを買い求めてため込むということは、他人の言動もどんどんため込むことにつながる。普通は他人の言動に対して、自分の気持ちや意志が発生する。無条件にため込まないで、取捨選択をしているのだ。ところがため込む習慣のある人は、自分の気持ちや意志を発信しないで、我慢してしまう。我慢の限界を超えてしまうと大爆発してしまう可能性がある。私たちは元々鋭い感受性を持っているのだが、物があふれかえっている状態では、小さな感性が抑圧されてしまう。その結果自分の素晴らしい性格特徴が活かされないことになってしまう。私は、もう長年使っていない衣料、文房具、かばん、趣味で集めたものはどんどんと処分することにした。場所を決めて1日15分間の処分を行っている。衣料はもはや3分の1にまで減った。物をため込まず、必要なものを、丁寧に使いこむ生活にチャレンジしているのである。「物の性を尽くす」という実践は、不用品を処分するということから始まると思っている。
2019.02.18
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形外会で早川氏が「日記をつける時、簡単に書くと、面白くなく、詳しく書くと、つい億劫になってやめることになります」と発言された。それに対して、森田先生は日記を42年間続けているが、 1番簡単なのはいつ起き、 いつ寝たと書いてある。難しいことを書こうとするから続かないのであると言われている。(森田全集第5巻 309ページ)私はこれにヒントを得て、 13年前から毎日日記を書き始めた。大体その日の出来事を書くことが多い。その他、大きな社会の出来事を書いている。その他、その日の夕食の献立と、天気、ブログのアクセス数を書いている。書く時間は夕食の後すぐと決めている。そうしないと夕食の内容を忘れてしまうからだ。習慣になっているので、すぐに体が反応するようになった。これだと、短い時は1分ぐらいで書くことができる。これが長続きした最大の原因だ。最初の6年間は3年日記を使っていた。その後10年連用日記に切り替えた。3年日記より10年連用日記の方が使い勝手が格段によかった。過去の出来事が否応なく目に飛び込んでくるからである。1年間が終わると、その1年の総まとめを簡単にすることにしている。大きな家族・個人的な出来事や社会の出来事をまとめている。これを見ると、その一年がどんな年であったのかが大体わかる。この作業は役に立っている。それを元にして、家族に不幸があった人に、その後どんな生活をされているのか、安否確認をすることもある。自分の行動内容見て、懐かしく思うと同時に、また新たな意欲をかき立てられることもある。老人ホームの慰問活動の内容も全て記録しているので、 「今年はどうですか」と問い合わせることもできる。10年連用日記がよいのは、過去にどんな出来事があったのか一目瞭然であることだ。それらを参考にして、今年の予定を立てることも多い。特に旅行や花見、コンサートや落語の情報は役に立つ。日記は忘備録のような役割を果たしているのだ。また、過去にどんな人と付き合いがあったのかがよく分かる。それを見て連絡をとって旧交を温めたこともあった。また、よくあの出来事があったのはいつだっただろうかと悩むことがある。日記をつけていればすぐに分かる。免許の更新時期、保険の更新時期もあらかじめ予定に入れておけば見落とすことがない。たまに悩みなども書いてあるが、後で見ると大したことではなかったと思うことがほとんどである。またいつの間にか解決して忘れていることがほとんどである。どうしてあんなに深刻に悩んでいたのか不思議に思うことが多い。森田理論の学習会で、日記指導を取り入れられていることはよくご存知であろう。これは、自分の症状のことこまごまと書くのではない。それではすぐに飽きてくる。自分のその日一日の行動や出来事について書いていくのである。短い時は1行でもよいと言われている。これが長続きするコツだ。これが習慣になれば、内向的であった自分の注意や意識が外向的に変化してくる。そして不安や症状を抱えたまま、日常生活を充実させることにエネルギーを使うようになる。日記を毎日つける習慣が身についてくると、症状に振り回される事は少なくなってくると思う。
2019.02.14
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私は1年がかりで「心の健康セミナー」企画して実施した。うまくいったこともあれば、失敗したこともあった。このセミナーに限らず、大勢の人を集めて講演会やイベントを成功させるコツをある程度つかんだ。その一端を紹介してみよう。心の健康セミナーの企画は1年前から動き出した。最初の懸案は、誰が責任者になるのか。実施するメンバーは誰がいるのか。何人いるのか。開催日はいつにするのか、場所はどこにするのか、講師をだれにするのか。動員目標は何人か。実施する目的は何なのか。これらがしっかりしていないと話にならない。ターゲットをしっかりすることだ。ちなみに会場はゆとりを持って広めの会場を確保することが肝心だ。そうしないと消防法の関係で収容しきれなくなって、断ることになる。実にもったいないことが起きるのである。次に実施に向けて、工程表づくりが重要だ。月ごとに分けて目標を明確にする。今回は実行委員長は私が引き受けた。メンバーは集談会の幹事会のメンバー5人程度だった。私はすぐ動き出して、開催日、場所、講師をすぐに決定した。動員目標は80名とした。目的は森田療法を広く一般市民に知ってもらうことにおいた。詳しい工程表を作った。思いついたアイデアなどそのたびに追加して膨らませていった。100個近い課題があがってきた。一つ一つ丁寧に取り組んでいった。こういう点は神経質者はもっとも得意とするところだと思う。心配性だから次から次へと課題が見つかる。そして執着性と粘り強さがあるのだ。次に試行錯誤の上チラシの原案を作成した。これが顔となって広報をしてくれるのでどんなチラシを作るかはとても重要だ。皆さんもご存知のように、公民館や区民文化センターなどには所狭しとチラシが置かれている。その中で、インパクトがあって、実際に手に取ってもらう可能性のあるチラシ作りが大切だ。写真やイラスト、字の大きさにはとても気を使う。あまりこまごましたものはあまり見てもらえない。10回ぐらいはいろんなものを作ってはやりなおした。最後にはいいものができた。納得できる原案ができたので、光沢紙に印刷した。1800部作ってすべてを配布した。有給休暇をとって仲間とチラシを置いてくれそうな公共施設を数多く回った。1000人に配布して申し込みがあるのが20人から30人ぐらいだ。効率は悪いが仕方がない。次に地元新聞社、市役所に後援に加わってもらうことに取り組んだ。森田療法はほとんどの人は知らないので、しつこく説明を求められた。ホームページがあること、事務所があること、定款や役員名簿、予算計画がしっかりしていることが後援受諾の決め手だった。後援になっていただいた市の職員には、とても親切にしていただいた。市役所が後援になってくれることのメリットは、まず市の広報紙に取り上げてくれること。またチラシを市の担当部署に持っていくだけで、図書館、保健所、公民館などに定期便に載せて配ってくれることだった。新聞社も後援になってもらうと、掲示板に無料で掲載される予定であったが、この手の申し込みが多く残念ながら掲載は見送られた。そうでなかったら掲載してもらえたと思う。それから、地元新聞社や市役所、教育委員会が後援してくれると、チラシに後援者として名前を記載することができる。申し込みをした人の話では、後援者に名前があるのと無いのはえらい違いだといわれた。安心感がある。そうでないとしり込みするといわれた。集談会の単独開催は、人を集めることがとても難しいと感じた。集談会の参加者は15名ぐらいである。それが仮に全員参加しただけではとても動員目標に及ばない。だから、別の団体とタイアップして共同開催とすることが大切だと感じた。2つか3つの団体と共催とすることだ。それぞれに例えば15名づづ動員すれば、それだけで30名から45名になる。これが基礎数字として確保できれば、成功への意欲が湧いてくる。心の健康セミナーでいえば、森田療法に関心がある病院、県や市の心の健康を扱う部署とのタイアップができれば心強い。私のところでは生きがい療法ユニオンとタイアップして取り組んだ。県や市の精神衛生センターは、門前払いされ、あまりあてにはならないと感じた。それから集談会単独開催の場合は、近隣集談会の協力を取り付ける必要があると思う。せめてブロック単位のイベントとして取り組むことが動員面からも大切だと思う。支部まで広げられれば理想的だが、私の場合は範囲が広く経済的負担が大きいのでそれは無理だった。それから私が今回強く感じたことは、家族、知人、趣味の仲間、同級生、会社の仲間に声をかけることだった。私ともう一人(幹事ではなかったが、積極的に広報してくれた人)がいた。その人は5名動員してくれた。私は10人近く動員した。私は普段から広く浅い人間関係を心がけているので、今回それが活きた。中にはチラシを見ただけで断る人もたくさんいたが、それは仕方がないと思っている。声をかける仲間を何人持っているかは、人間関係のコツの一つだが、こういう場でも役に立つ。反省点が一つあった。私がすべてのことに首を突っ込んで一人でやってしまったことである。自分は貴重な経験になったが、他の幹事さんは何の経験もできなかった。私は対人恐怖症で、全員をまとめて、集団の力で取り組むという意識や能力に欠けているようだ。人に依頼したり任せるよりも、自分一人で突っ走ってしまうところがある。それでは限界がある。大したことにはならない。また自分一人で頑張るのはしんどいし、そのうち動いてくれない仲間を恨むようになる。私の欠けているリーダーシップを担って仲間を高揚させる人を1人だけでも味方につけていたら、かなりの成果を上げることができたように思う。今回は申込者だけでいえば95人あった。もしリーダシップを取れる人とタッグを組んでいたら、力が5倍にも10倍にも増加されるので、200人とか300人を動員できる可能性も出てくると思う。考えただけでもわくわくする。イベントの開催にあたっては、人をまとめ上げる力を持った人や交渉力を持った人と共闘して取り組むことだ。そうなれば鬼に金棒だということが分かった。実際には集談会の中ではそういう人は少ないが、いなければ共催者の中に見つけていかないと発展性は望めないというのが私の感想です。この経験を次のイベント開催時に、ぜひとも試してみたいと思っています。
2019.02.12
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私の月曜日から金曜日までの生活を紹介したい。朝は6時40分に起きる。すぐにパソコンのスイッチを入れる。6時30分にはすでに予約していた今日のブログの原稿がアップされている。それを一通り目を通す。間違いがあればすぐに修正をする。次に、明日の朝アップ予定の原稿を手直しをする。ちなみに1ヶ月先にアップ予定の原稿はすでに予約している。7時から8時までは、昨日用意していたテーマのブログ原稿を音声入力で作成している。それが終わると、高知のしばてん踊りとどじょうすくいの踊りの練習をする。約10分間。それから、布団をたたみ、洗面を済ます。朝の食事は、ニンジンりんごジュース一杯とヨーグルトが中心である。時々季節の果物を食べている。最近はみかんが多い。朝はしっかりと食事をとったほうがよいとアドバイスをしてくださる人もいるが、私にはこの方法があっている。体重が増えなくなり、健康診断でも異常値が出なくなった。今考えると、以前は間食もあり食べ過ぎであったと思う。特に菓子パンがよくなかった。そして朝刊にざっと目を通している。8時40分になるとバイクに乗って出勤する。職場は近いので助かっている。約15分で職場へ到着する。その間は腹話術の口上の練習をしている。仕事はマンションの管理人をしている。9時からは仕事ができる体制を整える。9時から10時までは受付業務だ。誰も来られないことが多い。株式のチェックや持参した本をこっそり読んだりする。10時から12時までは主に清掃業務だ。始める前は入念に体や声のストレッチを行う。10階建てのマンションなのでエレベータは極力使わずに階段の上り下りを心がけている。これは足腰を丈夫にして、かくし芸の獅子舞の練習にもなっている。清掃中はボイストレーニングやカラオケで歌う曲を口ずさんでいる。声を出すことは精神状態もよくなるようだ。今ではカラオケ仲間と歌うことが大好きになった。1か月に2回はカラオケに行っている。12時から昼食をとる。家から弁当を持参している。玄米ご飯だ。2日に1回は納豆ご飯にしている。12時15分から12時55分まではうつぶせになって仮眠をとる。携帯のタイマーをかけているので寝過ごすことはない。13時から14時までは受付業務。特段何もなければ本を読む。14時から15時30分までは、曜日ごとに割り当てられた仕事に取り組む。電球の点検と交換、解放廊下の側溝の掃除、サッシや玄関の拭き掃除などである。15時30分から17時までは、基本的にはまた受付業務。人間関係は、居住者や管理会社の人との会話だけである。居住者の人とは基本的には雑談は控えて挨拶だけにしている。特定の人と親しくなって、個人的な付き合いをすることは禁じられている。17時になるとすぐに家に帰る。帰ると草花などの手入れをする。部屋の掃除や整頓をする。そしてパソコンでメールのチェックを行う。適宜返事を出す。それからアルトサックスの練習を行う。時間にして30分から40分ぐらいだ。次回の老人ホーム慰問の演奏曲があらかじめ分かっているので、それを中心に行う。6時30分から晩酌を兼ねて食事をする。30分ぐらい。家族団欒の時間だ。食事がすむと録画したテレビ番組をみる。人生の楽園、情熱大陸、プロフェッショナル、なんでも鑑定団など。ときどき9時からのニュースを見る。また明日のブログ原稿の草案を練る。風呂に入って11時から12時ごろには寝るようにしている。こうしてみると毎日切れ目なく取り組む課題がたくさんあり、あっという間に1日が終わってしまうようだ。土曜日曜日は、普段できないことをメモしておいて取り組んでいる。10個ぐらいは課題がある。なかにはコンサート、落語会、カラオケ、里帰り、飲み会などもあり、土日も充実していると感じる。一日一日を大切に生きてゆきたいと思う今日この頃である。
2019.01.20
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身寄りのない一人暮らしの人が亡くなった場合、死後1週間とか1ヶ月とか放置されていることがある。かわいそうなことだ。警察官が検視のために駆けつけるが大変な状況になっているという。一般的には民生委員の人が定期的に訪問して安否確認を行っている。それでも孤独死が放置されているのが現状である。最近は一人暮らしの人のために、人の動きを検知するセンサーを取り付けて、センサーが24時間反応しないと警備員が駆けつけるサービスがあるという。高齢で一人暮らしの人はそういうサービスを手配しておく必要があるのかもしれない。現在女性の半分は90代まで生きている。男性も4人に1人は90歳まで生きている。長生きするのは結構ではあるが、老化は確実に進行していく。それを遅らせるためには、テレビの前で漫然と過ごすのではなく、朝起きてから寝るまでしっかりと一日を生き切ることが大切である。社会的役割がなくても、ささやかに日々の課題を選び、周りの人達との交流が必要なのである。普通は80歳ぐらいまではぴんぴんして動き回り、痴呆に縁がない人でも、次第に体力が衰え、いくつもの病気を抱えるようになる。そしてアルツハイマー病などの脳の障害を抱えるようになる人も多い。こうした老化による精神と身体の変化は、十分に予測可能なものである。森田理論に不安は安心のための用心であるという言葉がある。どうすることもできない不安は、格闘するよりは受け入れた方がよいと森田理論で学んだ。しかし、不安に学んで、対策を立てることで自分の生命や安心を得ることが出来る事は積極的に行動に移さなければならないと思う。私たちは元気なうちに不安に学んで、あらかじめ自分の死後に備えて周到な準備をしておく必要があるのではなかろうか。体の自由が効かなくなったときはどうするのか。寝たきりになったときはどうするのか。痴呆になったときはどうするのか。長生きした場合、生活費はどのようにするのか。元気な70代、 80代うちに自分で考えて準備しておく必要がある。自分の財産目録をきちんと整理して、子供たちが右往左往しないように記録を作っておく必要がある。自宅や田畑などの不動産がある場合は、自分の死後、どのようにするのか決めておかなければならない。また、自分の死後、誰も墓参りをしてくれる人がいない場合は、墓じまいをしておくことも必要だ。その他、葬儀のこととか、財産分与のこととか、色々と準備しておくことがたくさんある。これらは終活と言われている。そのために書店に行けばエンディングノートが用意されている。「何とかなる」という考え方では、いつの間にかチャンスを逃してしまい、残された人に負担がかかるのである。「立つ鳥後を濁さず」という気持ちで取り組んでいきたいものである。
2019.01.14
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長距離走を楽しむランナーなら、 「 セカンドウインド」という言葉をよくご存知でしょう。走り始めてしばらくは呼吸が苦しく、とても長く走れないと感じます。しかし、 「長距離のランニングでは、走り出して15分ぐらい経つと心拍数や血圧が安定して楽になる状態」に至るのです。「酸素の需要量と供給量のバランスがとれた状態」になれば、 「快適にランニング等を継続することができる」わけです。つまり、 「からだ」がその気になるには一定の時間がかかり、そこまでは辛いのが常なのです。しばらく「からだ」を動かしているうちに、ある頃から、その気になった「からだ」が自然に動いてくれるようになるのです。似たようなスポーツ用語で、 「ランナーズハイ」という言葉もあります。これは、 「長時間のランニングなどの際に経験される陶酔状態」 「ランニングの途中で、苦しさが消え、爽快な気分になる現象」を表しています。 (考えすぎて動けない人のためのすぐやる技術 久米信行 日本実業出版社 147頁より引用)この話によると、ランニングを始めたときは、辛くて苦しいのが普通である。その感情にとらわれて、すぐに走るのを中止することもできる。中止すれば、その瞬間は楽になるが、爽快な気分を味わうことは永遠にやってこない。それどころか、何をしても根気のない自分を自己否定するようになるかもしれない。反対に、 「しんどい。もうやめたい」と思っても、すこし我慢して耐えて走り続けねば、いずれ体が順応して、快適にランニングができるのである。その結果、爽快な気分になり、身体の健康にも役立つ。ますますやる気が出てくる。これは湯船につかるとき、最初は熱すぎると感じても、そのうち体が順応して、熱さを感じなくなるのとよく似ている。そして湯船から出る頃には、ちょっとぬるすぎて風邪をひくかもしれないなどと思うこともある。プールで水泳をする時にも、最初にプールに入るときは水温をとても冷たく感じて、不快な気持ちになる。しかし、しばらくすると、その水温が体に馴染んでくる。ときには少し熱く感じることもあるのである。この時に最初の不快感という感情にとらわれて、我慢することができなかったら、その後の展開はとても残念な結果に終わる。体が水温に適用するには、少し時間がかかることを知っていれば、少々の不快感には耐えて我慢することができる。そのからくりを学習するとともに、多少の不快感は我慢して耐えるという行動をとる必要がある。何か新しいことに取り掛かるとき、様々なできない理由を考えて、手足が動かないという事はよくある。あれこれ考えているうちに、チャンスがするりと逃げてしまい、あとで後悔するということもある。人間は誰でも現状に満足してしまうと、新しいことに挑戦するという気持ちが持てないこともある。そういう時は、この話を思い出して、最初はイヤイヤでも、気分本位になってすぐにあきらめてはもったいないということになる。イヤイヤ仕方なく取り組んでいると、不快な感情は流れていき、新しい感情が湧き起こってくる。気づきや発見が生まれてくれば、意欲が生まれてくる。そのうちに弾みがついて、やりがいが生まれて、どんどん活動的に行動できるようになります。
2018.12.30
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井形慶子さんは、自分の暮らしぶりと自分の体型はリンクしていたという。マンション暮らしをしていたときは、生活全体が平面の中で繰り広げられていた。家の中を掃除するのも、部屋から部屋の移動も狭く、短い動線の中ですんでしまう。これ以上便利な事はない。ところが不思議なもので、楽になればなるほど、とめどなく怠惰な暮らしを求めている自分に気づいた。しだいに私は、リビングダイニングの食事テーブルにキッチンから食器や料理を運ぶのが面倒になっていた。食事をする場所など、さっさと食べ終わればどこでもいいと思うようになった。やがて、約4.5畳の狭いキッチンにテーブルを移動した。そうなるとますますだらしなく座ったままで、冷蔵庫やガスコンロの上にのった鍋から直接料理をとって食事を済ませるようになった。これを「楽チン楽チン」と喜んでいたが、そんな暮らしの反動で私の体重はどんどん増えていった。自分では30歳を過ぎて皆と同じ中年太りがはじまったのだとタカをくくっていたら、まず9号の服が着られなくなり、スカートやパンツに至っては、 11号・ Lサイズしかはけなくなってしまった。思えばあの頃、家の中は収納できないほどの衣類で溢れかえっていた。年中何かがなくなり、探し物でイライラしたり、クローゼットは服を詰め込みすぎてパイプが落ちてきたり、押し入れは入りきれないほどの寝具が詰め込まれて、誰かが泊まりに来ると、布団や枕が転がり落ち大騒動になった。そうなってくると余計、自分の住む家がうっとうしく感じられ、問題の箇所には見て見ぬふりをして暮らし続けることになった。家にいるのが嫌で外に出る。刺激を求めて街をさまよう。いつしか私の暮らしは後退していったのだ。運動をしないで、高カロリー、高タンパクの食事を続けていれば誰でも太る。そして、生活習慣病と言われる糖尿病、高コレステロール、高脂血症、高血圧などの病気がしのびよってくる。そういう方は、家の中では収容しきれないほどの衣類、電化製品等で溢れかえっている。もう何年も使っていない衣類や小物類でパンパンの状態だ。これは体でいえば、動脈硬化を起こしているようなものではなかろうか。過ぎたるは及ばざるが如しの状況だ。栄養過多、物質過多の生活は、身体と精神に病気を引き寄せる。井形さんは、お正月を挟んだ年末年始の約10日間、外出することなく、家事に没頭された。余計な生活道具などを整理することに集中した。まず仕事部屋の本と雑誌を処分した。そして、必要な資料は整理し直した。次に、仏壇も古くからあって、不要なものを整理した。次に寝具や衣類の整理も一日がかりだった。朝起きて夜寝るまで、毎日毎日集中して家の中の片付けにいそしんでいると、整頓されていく部屋とともに私自身の心と頭のつかえもとれていった。私の中には刺激を求めて買い物をするリズムもあったが、それに打ち勝つリズムが新たに生まれてきた。それにしても家とはなんと面白いことのつまっている場所なのだろうか。これほどまでに限りなく生活意欲を生み出してくれる場所は家以外にいないのではないかと思った。家に向き合う日々は、もうひとつ意外な効果をもたらした。 1週間で2キロ体重が落ちていた。こまめに体を動かしたせいではないか。そのうち、血管も内臓も本来の働きを取り戻すことだろう。(イギリス式お金をかけず楽しく生きる 井形慶子 講談社 要旨引用)
2018.12.20
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宇野千代さんの「幸福の言葉」(海竜社)という本の45ページに次のような文章があった。「忙しい」というのは追いかけられるということではない。朝から晩まで、何かに追っかけられているというような気持ちで暮らすことは禁物である。いつでも、こっちから追っかけるような気持ちでいることである。それがどんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じるような暇がない、という状態になったら、しめたものである。今日は仕事に追われるのではなく、仕事を追いかけていくために大切なことを投稿してみたい。私は以前、多くの仕事を抱えていた。その重圧で大変なストレスを感じていた。イライラするために、人間関係にも影響が出た。胃潰瘍にもなった。仕事をすればするほど、新たな問題が出てきて、仕事が増えていたのである。森田理論学習からヒントを得て、この問題は収束に向かった。それは、今まで取るに足らない小さな仕事だと思っていたことを丁寧にこなすことだった。それまでは、雑仕事をバカにして、いい加減に取り組んでいたのだ。森田理論では、日常茶飯事、雑仕事などを丁寧に取り組んでいくということ学んだ。これを自分の仕事に応用してみようと考えたことが転機になった。ちょうどその頃、インテリアの卸会社で買掛金の支払い業務を担当していた。膨大な量の納品書や請求書を取り扱っていたのだ。メーカーの請求とわが社の仕入れ額を一致させて、支払額を確定させる仕事だった。仕入れ商品に対して、値引き交渉や返品、クレーム案件が絡むと仕入れ金額と支払い金額に乖離が生じる。そんなことが頻繁にあるため、とても面倒で難しい仕事であった。私が改善していたのは、その月の違算を次月に繰り越さないという事だった。その月の問題は、その月のうちに処理して解決すると言うことに力を入れた。その月の違算が、 次月に繰り越してしまうと、糸がからまった釣り糸のようになって、解決するのに困難を極めた。その月の違算をその月にきちんと処理することで、 余分な仕事が大幅に減った。その次に取り組んだのは、膨大な量の納品伝票をメーカー毎、日付ごとにきちんとファイルしていくことだった。こうすれば、何か問題が発生したとき、すぐに納品伝票と突合することができた。それまでは一旦処理が終わった納品伝票は、処理済みと判断して、ダンボールの中に入れていた。こうすると、違算が発生したときに、お目当ての納品伝票を探すのが一苦労であった。当然、無駄な時間を消費していた。私が仕事をしていく中で感じた事は、一枚の納品伝票をお金や宝物のように大切に取り組んでいけば、無駄な仕事を作り出さないで、ゆとりのある仕事ができるということであった。これをヒントにして、「仕事に追われる人と仕事を追いかけていく人」の違いについてまとめてみた。2013年1月12日に投稿しているので、関心のある方は参照していただきたい。ゆとりが出た分は、他で気になる仕事の改善や他人の仕事の手助けにあてた。ゆとりが生まれて精神的に楽になり、みんなからも喜ばれるようになった。会社からも仕事ぶりを評価され、昇進にも結び付き、ボーナス査定も最高評価をされるようになった。大きなプロジョクトのリーダーに抜擢されたこともある。「凡事徹底」は、こんなにも好循環が生まれてくるのである。
2018.12.03
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私はマンションの管理人の仕事をしている。その中に清掃作業がある。厄介なのは、開放廊下にあるドレンの掃除である。ドレンは側溝に溜まった水を排出するための役割を果たしている。これは金属でできており、しっかりと3点をボルトで固定されている。ドレンをきれいにするためには、基本的にはドライバーで取り外して、ゴミを取り除いてブラシをかけて水洗いするのが1番だと思う。 1カ所だけ挑戦してみたが、ボルトが固くてなかなか外れない。電動ドライバーのようなものがあれば容易に外れるかもしれないが、私が勤務しているマンションには用意されていない。ついに掃除すること諦めてしまった。ドレンは綺麗にはできないという先入観が支配していた。他のマンションで働いている管理人に相談してみたが、 「ドレンは綺麗には掃除ができない」と言われた。私も納得して見えるゴミだけをホウキで取り除いていた。しかし、髪の毛や黒いゴミが張り付いていかにも汚い。先日、ホームセンターに行くと腰のしっかりしたブラシがあった。これはドレンの掃除に使えるかもしれないと思った。このブラシとマイナスドライバーを使ってドレンにこびり付いた砂や泥を掻き出してみた。きれいに掻き出すことができた。その砂や泥は側溝用のちりとりに集めて捨てた。その後はドレンには穴が開いており、そこにもゴミがこびりついている。マイナスドライバーで押し込みピンセットで取り除くと、比較的きれいになった。億劫でめんどくさいと思っていたドレンの掃除であるが、取り組んでみると意外にうまくいって嬉しかった。その作業を見ていた居住者の方が、ゴム手袋を持ってきてくれた。そして「あなたは仕事は丁寧で細かいね」と仕事ぶりを誉めてくれた。弾みがついて、10階まで各階に4個ずつのドレンがあるが、その全てが綺麗になった。ここで得た教訓は次のようなものだった。否定的な先入観や決めつけがあるとどうしても行動が前に進まない。初心に戻ってなんとかしたいという気持ちがあれば、色々と自分でも挑戦し、人にも相談して改善し解決できるようになるのではないか。この成功体験は、次に階段の側溝の砂や泥で汚れた部分に向かった。ここも今まではホウキをかけるだけだった。くろずみがあって汚ならしかった。ここはスクレパーで隅にこびりついたゴミをはがし取る。その後水をつけたブラシで擦り、布巾で取り除くことにした。階段の側溝がピカピカに輝いた。ひとつの成功体験は、また新たな気づきや意欲を作り出し、弾みがついていたのである。
2018.12.02
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