カツラの葉っぱ 大好き!

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関西人の話法 R1

<関西人の話法 R1>
ノーベル賞受賞の中山教授が言っていたが、関西人の話し方がアメリカ人に受けるそうです。
要するに関西人の乗りには国際感覚があるようだが、これには少なからず関西弁が貢献しているはずですね。
とにかく、関西弁で相手との間合いをつめるという高等テクニックは馬鹿にならないと思うのです。

ということで、中山教授のエピソードから、関西弁あるいは関西人の話法について究明しようではないかと思い立ったのです。
図書館で借りて今読んでいる「大阪ことば学」も含めて、我が蔵書録などから「関西人の話法」という括りで集めてみます。

・K氏の大阪弁ブンガク論(2018年)
・勝手に関西遺産7(2015年)
・大阪ことば学(1999年)
・街場の大阪論(2010年)
・全国アホ・バカ分布考(1996年)
・西方冗土(1994年)

R1:『K氏の大阪弁ブンガク論』を追加
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【K氏の大阪弁ブンガク論】

江弘毅著、ミシマ社、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
国民的作家から現代の人気作家まで縦横無尽!長年街場を見つめてきた著者がボケてつっこむ!唯一無二のブンガク論。
【目次】ブンガク論に入る前に、ちょっと地元のこと。K氏の場合。/日本ブンガクを席巻する関西弁の技法/黒川博行ブンガクを支える「口語」表現/『細雪』-大阪弁が現代文で書かれるようになった時代/『細雪』はグルメ小説や!/大阪語・標準語の書き分けによるブンガク性/ほか

<読む前の大使寸評>
K氏の説く大阪弁ブンガク論とあれば・・・あだやおろそかにはできんなあ♪

rakuten K氏の大阪弁ブンガク論

糸子「起きりー! 朝やでぇ!」


『K氏の大阪弁ブンガク論』3 :尾野真千子の泉州弁
『K氏の大阪弁ブンガク論』2 :大阪語・標準語の書き分け
『K氏の大阪弁ブンガク論』1 :多様な関西弁

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<勝手に関西遺産7>
(勝手に関西遺産)では、関西弁がときどき取り上げられるが・・・・
今回のは、関西弁ならではの高度なコミュニケーション術らしいでぇ、ようしらんけど♪

(勝手に関西遺産)に「知らんけど」が出ていたので、見てみましょう。


2015.9.9 (勝手に関西遺産)自信たっぷり 責任ポイッ より
関西
■知らんけど

 「あのカレー屋、毎日行列できてるねんで、知らんけど」

 関西の電車や喫茶店でおばちゃんらの会話をちょっと盗み聞き。聞こえてくるわ、聞こえてくるわ、「知らんけど」という言葉。さも見てきたかのように話し続け、最後にすべての責任を投げ捨てる。話し相手の全身を脱力させる言い回し。

 これって関西独特らしい。大阪生まれの記者もよくよく考えてみると……、たしかに使っている! 10~20代の関西人に尋ねてみても、「よく使う」とのこと。幅広い年代で口をついて出てくるようだ。

 吉本新喜劇のギャグにもなった。大阪のおばちゃんキャラ「すち子」が人気のすっちーさんの座長公演。大坂の陣を題材にした「君臣豊楽 淀殿の見た夢」という芝居で、すっちーさん扮するお茶屋のおばちゃんが、秀吉がどうした、淀君がこうした、と自信たっぷりにしゃべり続けた最後に「知らんけど」。もちろん周りは「知らんのかい!」とツッコミ、笑いが起きる。

 「一見深刻なことを言うて、最後に全然違う方向に行く。新喜劇のボケと似てるところがある」とすっちーさん。「日常にお笑いがあふれ返ってる関西だからこそ、生まれた言葉ですよね」

 この言い回し、いつごろから使われるようになったのか。

 日本漢字能力検定協会の佐竹秀雄・現代語研究室長は「いつごろかははっきりしないが」と前置きしながら、「それほど古いものではない。テレビでワイドショーが盛んになったころからでは」と推理する。テレビでやってた、でも断言できないようなうわさ話を内輪で楽しむときに使ったのでは、とみる。

 「ただし、『大阪弁おしゃべり検定』があったとしたら、これは3級の使い方。変形してもっと上手に活用している人もいます」と佐竹室長は言う。

 ワンランク上の使い方とは、「知らんけど」の前に、これまた関西特有の言葉「よう」をつけた「よう知らんけど」。こうすると内容のあいまいさに拍車がかかる。しかも、本当は自分がどこまで知ってるかの判断まで話し相手に押しつけている。

 「立場が強い人に対して、言いにくいこと、まともに言うと角が立つような本音をカムフラージュできるのです」と教えてくれた。たとえば、怠けている上司に向かって、「課長、最近、仕事さぼってばっかりやって言われてるらしいですよ、よう知らないんですけど」と、たしなめる感じなんでしょうか。

 ただ、どんな相手、どういう場面で「よう知らんけど」を繰り出すかは、絶妙なバランス感覚が求められるとも。「下手をしたら、人間関係が壊れてしまう。使いこなせるようになったら、検定1級ですね」


 この言い回しって、状況や関係性を大事にする関西弁ならではの高度なコミュニケーション術だったんですね、 よう知らんけど。 (向井大輔)


関西弁についてもうひとつ、勝手に関西遺産5から再掲します。
「んなあほな」とは上方落語協会の情報誌のタイトルなのだそうです。

2015.5.27 ((勝手に関西遺産)ツッコむだけちゃうねん より
あほな

■んなあほな
 18歳のときに関西で暮らし出した。「ほかす、って放っておくことじゃないの?」「煮抜き、ってゆで卵なの?」。学校でもバイト先でも、数え切れないカルチャーショックを覚えた日々。

 この言葉の、独特の響きを耳にしたときのことも忘れられない……、って、あれ? いつやっけ。大阪の寄席、天満天神繁昌亭で、五つのひらがなが並んでいるのをはっきり意識したのは間違いないんやけど。

 「んなあほな」

 見かけたのは上方落語協会の情報誌、そのタイトルなのだ。笑福亭仁鶴さんの弟子、笑福亭仁勇さん(56)の案だったそう。「『ん』で始まるから、目立つと思ったんですよ」と命名者は明かす。

「いきなり『あほな』はキツいけど、前に『んな』って付けると、ノリツッコミのようになるんじゃないかなあ。『そんなあほな』の『そ』がかすれたんでしょうね」。関西のツッコミ文化の一翼を担う言葉だ。

 子どもたちが落語に取り組んでいる上荘小学校(大阪府阪南市)の授業参観で、女の子のこんなしゃべりにウケたなあ。

 「一万てな年の人がこの世の中におるんか」「おったらオモロイやろなあ」「あんた、おいくつです?」「わたし、一万です」「一万とはお若く見える。どー見ても、九千九百九十七!」「んなあほな」

 頭ごなしに否定するんじゃなく、ボケを受け止め、ちょっと楽しむゆとりさえ感じませんか。落語家の桂文珍さん(66)は実に雄弁である。

 「しょっちゅう会話で使うけど、相手を愚弄しているわけじゃない。商取引でも使うような、ファジーさがあってね。関西の楽しい言葉、成熟した文化から生まれた柔らかい言葉でしょう。ほかの地域では、あまり受け入れられていないが故のいとおしさを持っているんですよ」

 「それにね、常識に対する非常識のような『んなあほな』ことから新しいビジネスや発見、発明が生まれることがある。そんなことを考えられる人は良い意味ではクリエーターやけど、社会性を欠いていれば『あほ』。紙一重やけどね」

 おっ、奥深いなあ。あきれた「んなあほな」もあるけど、これまでの考えをくつがえす新たな視点を面白がる土壌と、どこかでつながっているのかもしれない。

 もとい、そもそも「ん」で始まる日本語って、ほかにあるのか? 広辞苑に「ん」の欄はささやかにあった。「ンジャメナ」「んす」「んず」「んとす」。なんのこっちゃ。「んなあほな」の方がはるかにポピュラーな気がするけどなあ。

こんな遊びはいかが。ほかす、粋(すい)、いかつい、いんじゃんほい、いちげん、んなあほな。関西のしりとりは、「ん」で終わる言葉をだれかが言っても「んなあほな」と続けられる。すかさず「なんでやねん」とツッコんで、負け?! (篠塚健一)



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【大阪ことば学】
大阪
尾上圭介著、創元社、1999年刊

<「BOOK」データベースより>
客のややこしい注文には「惜しいなあ、きのうまであってん」と切り返す。動物園のオリの前の立て札には「かみます」とだけ書いてある。距離をとらずにさっぱりと、聞いて退屈せんように、なんなと工夫して話すのでなければ、ものを言う甲斐がない。誤解されがちなことばの意味と背後にある感覚を、鋭く軽快に語る大阪文化論。

<大使寸評>
とにかく、関西弁に対する言語学的アプローチがええでぇ♪

Amazon 大阪ことば学

この本から笑いのあたりを紹介します。

<相手との距離の近さ>p170~173
 大阪弁は、ことばそのものにおかしみがある。大阪人が二人寄ったら漫才になる、などと言われることがある。たしかに、大阪のことばで話すと笑いがふくらむし、大阪の人の会話には笑いが絶えない。これはなぜであろうか。
 人はことばでものを感じ、考え、ことばでひとと接触し、ことばで自己を表現する。ある都市、ある地域のことばの特徴と言われるものは、実はその地域の人のものの感じ方や考え方、ひととの接触のしかた、自己表現のしかたとといったものの特徴にほかならない。
 まず第一に、「相手との距離の近さ」ということについて。
 近鉄あべの橋駅の切符の自動販売機で、釣り銭が多く出過ぎてびっくりしている女子学生にむかって、隣の列のおじさんがすかさず「まあ、姉ちゃん、安う乗んなはれ」と声をかけたという話を前に紹介したが、大阪の人は、ひととの間に壁を作らず、心理的に距離をとらない傾向が高い。それは、自分と相手とが同じ所に立って、同じ角度でものを見る感覚と言ってもよいもので、「まあ、そない言わんと、堪忍したって」というように、自分が自分のために人に頼むときにすらあたかも第三者のために頼んでやっているかのような言い方をするということにも表れているところである。

 そのような感覚は「はよせんかいな」という言い方に見られるとおり、相手を非難するときですら「な」という助詞を使って相手と同じ位置に立ち、相手の肩を抱いて同意を確かめるような姿勢を維持するというところにも見られるのであった。
 相手との間の壁を取り去るようにものを言うという傾向は語法にまで表れていて、垣根をはずして自分の手の内を相手に見せる言い方である「ノヤ」由来の「ネン」がきわめて頻繁に使われ、この語法の好まれ方は「あるネン」に平行して「あっテン」という語法まで発明されているほどである。
(中略)
 大阪の人の会話を支配する「相手との距離の近さ」や「相手との共同作業の感覚」というべき特徴は、言うまでもなく、笑いにとっての基本的な要素である。笑いというものが、相手との間に共通の感覚を確認しあう社会的な行為である以上、右のような相手との一体感は、笑いの基盤であるにちがいない。


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【街場の大阪論】
大阪
江弘毅著、新潮社、2010年刊

<「BOOK」データベース>より
スタバはないがお好み焼き屋があり、缶ビールを24時間売っているコンビニはないが朝からやってる立ち呑み屋があり、ヤクザが徘徊し、おばはんの立ち話が続く。そんな「大阪の街場」のリアルなコミュニティと、そこで生きていくおもしろさを、岸和田に生まれ育ち、関西有数の雑誌の名物編集長だった著者が、ラテンのノリで語る。大笑いしながら考えさせられる大阪発スーパーエッセイ。

<大使寸評>
「カーネーション」の世界で育ち、ベタな大阪を描いてるでぇ♪
著者に「関西人は話す言葉と書き言葉はちがう」と言われると、ハタと納得するのです。
Amazon 街場の大阪論


この本から「関西弁で書くということ」を紹介します。

<関西弁で書くということ>p136~138
 常々「大阪弁(関西弁)で書くこと」について考えている。
 つい先日は『ダ・ヴィンチ』11月号で「関西ダ・ヴィンチ-あほあほ関西弁のちょっぴり真面目放談」という座談会をやることになった。
 その座談会は、このところ新しい大阪弁感覚の小説で売れまくっている西加奈子さんと、高村薫さんをして「大阪弁をシリアスな小説のなかにきちんとはめ込む、そういう芸当のできる作家は、わたくしの世代では黒川さんしかおられないではないでしょうか」と言わしめたミステリー作家の黒川博行さんとの三人でやらせていただいたが、なかなか「大阪弁による書き言葉」は、複雑で奥が深いものがある。
 わたしは今、この文章を関西弁、つまり正確には大阪弁のイントネーションとアーティキュレーション(言語の文節化)で書いているが、せやけど大阪弁でやなあ書いておもろいかどうかなんかわかりまへんがな、とは書かない。

 このような表記では、われわれ日常的に大阪弁を喋って生活している者にとっても、読みにくいからだ。これはとても微妙なことなのだが、どうしても実際の話される言葉のまま文章にする、つまり表記したい時には、会話のなかの引用文として「」でくくったりしている。
 よくいわれることだが、関西弁を母国語とする関西人は、言文一致体を持っていない。話す言葉と書き言葉はちがうということだ。けれども、イントネーション&アーティキュレーション的には、話すにしろ書くにしろ、どちらも関西弁である。
 また書かれたものを読む時は、新聞や週刊誌の記事も、太宰治の『走れメロス』も宮沢賢治の『永訣の朝』も、関西弁つまり関西イントネーションで読んでいるし、何かを思ったりものを考える時も関西弁である。
 そんなことを三人で話していて、そうだそうだと納得しあっていたが、どうもそうではないらしい。

 本渡章さんという人の『大阪人のプライド』という本を読んでいると、ある大学教授による大阪弁話者についての文章引用があって「考えるときは標準語でものを考える」「考えるときは書きことばで考える」とある。
 さらに本渡氏は「思考はものを書くのと似た作業だし、頭のなかで行われ、声をとうさないから話し言葉ではなく、書き言葉が使われる」「大阪弁は書き言葉にしにくい。だから、ものを考えるには標準語がよい」ということが書いてあった。
 さらに「大阪人は、標準語と大阪弁の二重生活を日々おくっている」と述べていて、結論として「標準語をしゃべる大阪人は『まじめ』にものを考える。大阪弁をしゃべる人間は『反まじめ』モードで考える。言葉の二重生活をする大阪人はしばしば『まじめ』と『反まじめ』の間で遊びながら考える」と締めくくっていた。


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【全国アホ・バカ分布考】
アホ
松本修著、新潮社、1996年刊

<「BOOK」データベースより>
大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。

<大使寸評>
番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪

Amazon 全国アホ・バカ分布考
ノンフィクション100選★全国アホ・バカ分布考|松本修
全国アホ・バカ分布図 byドングリ


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【西方冗土】
西方
中島らも著、集英社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
「ヤクザ、アキンド、ヨシモト」マスコミに描かれる関西人は三つの人種のみで、かれらは「けつねうどん」と「たこやき」を主食にしており「わやでんがな」などの、奇怪な言葉を操りつつ「がめつい奴」を演じている―という、恐るべきカンサイ人の朝昼夜。街角の看板、貼り紙。試験に出る関西弁を縦横無尽、奇想天外に考察し、関西人にエールを贈り、ヨタを飛ばすエッセイ集。浪速はこれ一冊でわかります。

<大使寸評>
関西弁のブラッシュアップにはお奨めの1冊でおま♪

Amazon 西方冗土


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