マナーやルールーのほとんどが行動を止めるものである。だから、ルールを守るというとどうしても、かたいイメージになってしまう。しかし、「こんなことをしたらいい」「これをするとみんなが幸せを感じられる」という発想があっるとしたら、ルールは楽しいものになるような気がする。
ルールでなくても、相手のことを考えて、さりげなく気持ちのいい行動ができる。それを「思草」という。
目の前にゴミが落ちていたら、「拾おうかな」と思う前に、自然に体が動いて拾ってしまう。目の前で子どもが転んだら、声をかける。雨の日には、人に当たらないように傘をかしげて歩く。
このように他人への思いやりが身に付いていたり、考えるまもなく、自然に体がうごいてしまう。いい人に見られようなんて考えることはありません。自然体の人は、さりげない行動が自然に見えるから不思議なのだ。
この自然体の行動が、癖になってしまうと、知らず知らずのうちに、人としての評価も高くなっていく。だから、さりげなくやる行動は、普通になるのだ。
「挨拶できる子がえらい」という人がいるが、あいさつだって、自然体なのだ。ただ、元気がいいのか、悪いかの問題は残る。
最近、生徒の中に自分から声を掛けてきてくれて、作業を一緒に手伝ったり、荷物を運んでくれたりする生徒が出てきた。最初は、声を掛けるのに、勇気がいったことだと思う。しかし、今では、普通にできるのだ。それも、さりげなく。
誰ものさりげない行動によって、周りにいる人が喜んでくれたり、ありがとうと言ってもらえるようになる。そんな、世の中をつくっていきたいものである。