おはようございます、ひなこです。
今日からは、『村上春樹全作品1979-1989 第5巻 短編集II』になります。
この巻には、「カンガルー日和」と「回転木馬のデッド・ヒート」が収められています。
表紙は、3巻同様、切手を貼るところがついていて、切手状のものが貼ってあるのですが、この巻は、緑のコガネムシ(だと思います。寒いところで育ったので虫についてよく知りません)の絵です。
付録の「自作を語る」の題は、「補足する物語群」となっています。
「カンガルー日和」と「回転木馬のデッド・ヒート」には、ある共通点があるそうです。それは、収録された作品のほとんどが最初、雑誌の連載(連作)というかたちをとって発表されたということだそうです。村上さんは原則的に連載形式では小説を書かないそうです。ですから、書いた当時はこれらの作品を小説とは見なしていなかったし、今でもみなしていないと仰っています。小説じゃなければ、じゃあ何なんですかと聞かれると凄く困るが、少なくとも「カンガルー日和」と「回転木馬のデッド・ヒート」という二冊の本を短編集という名前では呼ばないのだそうです。
長編小説ですくえ切れないものをすくうのが短編小説の一つの目的なら、短編小説ですくいきれないものをすくうのがこのような短編近似作品ということになるのかもしれない、とも仰っています。
でも、個人的にこれらの作品のいくつかに対して、小説に対するのとはちょっと違う種類の愛着を抱いておられるそうで、それはあえて表現するなら、自分の中の末端ないしは辺境に対する愛着のようなものと言っていいかもしれない、とのことです。
「カンガルー日和」は、単行本で持っていました。これまた、19歳の頃の話です。
この本は、ちょっと形が変則的で、ほとんど四角い形をしていました。たしか、箱のケース入りだったと記憶しています。表紙の挿画は佐々木マキさんでした。目次は横書きです。
ここに収められている作品は『トレフル』という伊勢丹デパートの主催するサークルの雑誌に連載されたそうです。時期的には、「1973年のピンボール」を書いた後、81年4月から83年3月にわたってのことだそうです。
作品数としては、18作品収められていますが、「図書館奇譚」が連続もので6回まであります。
編集者が知り合いだったので、頼まれて連載を了解したそうです。毎月原稿用紙10枚くらいのものをという依頼だったので、スケッチ風の小説(小説風のスケッチ)を書こうということになり、そんなことをするのは初めてだったけれど、まあ10枚くらいなら何とかなるだろうと思って仕事をしたそうです。
「こういっては何だけれど、事実10枚くらいならなんとでもなるものである。」
とのことです。
「10枚という量の中では、実にいろんな実験ができるものである。そういう意味ではこの連載はなかなか面白かった。」
というわけで、けっこういろんな手法を使って書かれたそうです。
私は、この「カンガルー日和」の文庫も今持っていて、そちらの文章に馴染んでしまっているので、全作品で手直ししたものは、あれ、ちょっと違うな、と思ってしまいました。
また、元々が四角い本だったので、1行の文字数が少なくて、上下に余白があるレイアウトだったのですが、それに馴染んでいるため、全作品で1行に普通の字数が並んでいると、「これは”カンガルー日和”じゃない」と思ってしまいました。
「これは、今はなき谷津遊園に行ったあとで書いた。僕が千葉に住んでいたころのことである。カンガルーを題材にしたと言えば、『中国行きのスロウ・ボート』に収められた「カンガルー通信」という短編小説(こっちはきちんとした短編)もこの時期書かれているが、どちらが先だったのかはどうしても思い出せない。」
とのことです。
そうか、やっぱり、現実の世界でカンガルー見たんですね。
というわけで、これは、カンガルーを見に行った話なわけです。
この中で、カンガルーの描写に使われる比喩が、ひなこは好きです。
「いちばん物静かなのが父親カンガルーだ。彼は才能が枯れ尽きてしまった作曲家のような顔つきで餌箱の中の緑の葉をじっと眺めている。」
「我々が立ち去る時にも父親カンガルーはまだ餌箱の中に失われた音符を捜し求めていた。」
「母親は強い日差しの中で汗ひとつかいてはいなかった。青山通りのスーパー・マーケットで昼下がりの買物を済ませ、コーヒー・ショップでちょっと一服しているといった感じだ。」
こんな風に表現してもらって、カンガルーさんたちもカンガルー冥利に尽きるんじゃないでしょうか。実際のカンガルーは、こんな洒落た存在ではないと思いますけど。
一度、シドニーから首都キャンベラまで車で行った時のこと。郊外を車で走ると、車にひかれたカンガルーやらワラビーやらなんやらをよく見かけますが、この時は、日中だったのですが、人間が飼育している家畜の羊の群れの中に、野生のカンガルー1頭が一緒になって混じって、どっこらしょと座って休んでいるのを見かけました。羊好きのカンガルーだったんでしょうか。まさか、牧羊犬の代わりに、牧羊カンガルーとして働いていたわけではないと思いますが・・・。「な、なにやってるんだ、アイツ?!」と、車の窓にへばりついて見入ってしまったひなこでした。
個人的には、ドラえもんに関するくだりが全作品では削除されてしまっているのが、残念な気もします。村上春樹とドラえもんというミスマッチ感が消えたというか。
それから、お話の中で、カンガルーの子供はどれくらいの期間母親のお腹の袋の中に入るものなのかという質問が出てきますが、調べたところ、カンガルーというのは、未熟児状態で生まれてくるので、人間が「カンガルーの赤ちゃんが生まれた」と気づく頃には、実はもう生後数か月を過ぎていると思われます。生後6か月位から4,5か月は、まだ母親の袋に入るようです。
一定した繁殖期はなく、妊娠期間は30~40日程で、普通は1産1子、稀に2子か3子を出産する。
そのため、子どもは未熟な状態で生まれてくるが、子どもは自分の力で育児嚢の中に入り込んで行き、特定の巣をつくることはない。
生まれたばかりの子どもは体長2.5cm、体重1.3gほどで、成獣の6万分の1程度ときわめて小さく、生まれた直後は体毛はなく、目は閉じている。
体毛は生後3ヶ月頃から生えはじめ、5ヶ月を過ぎる頃には生えそろう。
この間の5~6ヶ月程は母親の育児嚢の中で育ち、その後しばらくは育児嚢から出たり入ったりして成長する。
10~11ヶ月頃には大きくなって独立した生活をはじめ、再び育児嚢に入ることはない。
雄は20~24ヵ月、雌は15~20ヵ月程で性成熟するが、雄には育児嚢がなく、子育に参加することもない。(動物図鑑より)
では、ご機嫌よう!
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