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それは秋。。。やがて、冬が過ぎ行き、春が来る。そう、そのようにして春が来る。
2009.02.10
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桜が、静かに散っている。柔らかな春の日がさす中に、音もなく、春風に、花びらが舞う。そのひとひらが、わたしの手に舞い降りる。この手に舞い降りたのは、いったい何のはからいだろう。それは偶然か、それとも運命なのか。おそらく、運命は偶然が生み出す。運命と偶然の違いは些細なものに過ぎない。そよ風が頬をなでる。舞い降りたひとひらは、再びその風に乗り、いずこかへと舞い去ってゆく。いとおしい感覚が手に残る。きっと、それは、間違いなく運命になる。
2009.04.22
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強い風が吹き抜ける夜 久しぶりにその場所にきたそこは青春とやらの残滓が かろうじて残っている場所I JUST CAN'T STOP LOVING YOU Each time the wind blows 風が 吹き抜ける I hear your voice so 風に 君の声が 聞こえる I call your name 風の中に 君を呼ぶ Heaven's glad you came 君がいる ただ それだけで いい (Michael Jackson)
2008.12.21
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その肌の感覚は指先よりも 唇にたしかな記憶が残っているあの夜。。。愛おしく なめらかな その肌のその全てに 唇を重ね合わせただから。。。唇に その記憶が残る限りその肌は 俺のもの
2008.12.29
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より深く、ほかの誰よりも深く、到達する。記憶に残るものを、そうして俺が凌駕する。。。女の肌から芳香が漂い始める。その芳香は、男を、より強くする。
2009.01.16
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家に篭り、本などをめくっている。気分として、散文は受け付け難い。なので、古い歌集などをめくって、慰みとする。いくつかの歌に目が留まる。そんな歌には、今の自分の季節を映す何ごとかが、おそらく、含まれている。 埋み火に 少し春ある 心地して 夜深き冬を なぐさむるかな 藤原俊成遠山に日の当たりたる枯野かな 高浜虚子
2009.01.23
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靴を磨く。たいていは、金曜か土曜に磨く。日曜には磨かない。日曜に磨くと気が滅入る。靴は、背広と同じく仕事とつながるアイテムだが、果たして、仕事が好きなのか、嫌いなのか。。。靴を磨くのは、他界した親父の影響だろう。地位も名誉も金も、人に優れて得ることは無かった男だったが、良く靴を磨く男だった。人あたりが柔らかく、分け隔てをしない人柄と言われた様だが、それは、生まれ持った性格であって、努力して磨き上げた性格ではなさそうだ。その人生にも、時には、楽しいこともあっただろう。たまには憤ることもあっただろう。小ずるい事も、おそらく、しただろう。知る術は無いが、艶っぽい事柄もあったのかもしれない。けれど、強烈で、激しい人生を送ることはありえないし、望みもしない。息子から見れば、その人生は、穏やかで平凡なものであったと思う。靴を磨く後姿。思い返すのは、そんな、ささいなことばかりだ。かつて、そんな親父を超えたと思ったときがあった。ただ、今思えば、それは一時の気の迷いか、何かの勘違いだったようだ。自分の中にある、父親から受け継いだもの。それを、かつては嫌だと思ったが、今は静かに、それと対話ができる。道標となるような男ではなかったが、この上ない親父だった。今日は彼岸。朝方には激しい雨が降ったが、昼過ぎに止み、やがて透き通る青空になった。彼岸と此岸が交じり合う、この日にふさわしい「はからい」なのかもしれない。「はからい」というものが、もし、あるとするならば、それは、きっと、このような、ささやかなものに託されている。今は、そう思う。
2009.03.21
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仕事では、昼休みというものは、有って無いようなものだが、その分、込み合う時間をはずして飯を食いに行けることが、救いといえるかもしれない。今日は、仕事場から歩いて10分程度の、蕎麦屋に行くこととする。その店は、オフィス街からほど遠くない場所にある老舗だが、着流しの旦那衆が、昼から、焼海苔やら柱わさびとかを肴に、熱燗で一杯やっているような粋な店だ。やせ我慢で言うわけではないが、本当に旨い物を食いに行くときは、ひとりで行くに限る。人とつるんで行くと、時間やら相手のペースなどに気遣いをせねばならぬときもあり、大げさに言えば、味覚に神経を集中させることができない。ただ、今は、誰に気兼ねすることなく、運ばれてきた蕎麦の香りを、ひとり堪能する。大勢の会食や気の置けない仲間と過ごす楽しさはもちろんあるが、ひとりならではの楽しみもある。男に生まれたせいもあるが、ひとりで飯を食い、酒を飲むといった修行は好むと好まざるとにかかわらず、経験をつんできた気がする。なので、今、自分が感じているこの風情は、些細ではあるが、これまで、自分が勝ち取ってきた、風韻のようなものかもしれない。それは、風のように、実態の無いものに過ぎないが、今は、しばらく、蕎麦屋の喧騒の中で、ひとり、その感覚にひたることにする。まだ、人生などというものを語る段階では無いが、何が、その人にとっての楽しみや幸いとなるかは、わからないものだと思う。
2008.12.20
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