GOlaW(裏口)

2005/04/18
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「ペットか?」
 ”懐かないから捨てる”、そんな里親に園長が食いかかる。

 人と関わるということは、好意や思いやりだけではどうしようもないのかもしれない。
 ”誰かに居場所を与える”ということは、苦しみや悲しみをひっくるめて”許容”するだけの覚悟が必要なのだ。

 物語の舞台には、”引き受けられず”に親の手から零れ落ちた少年少女たちが集まっている。


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 井上由美子さんの脚本は『GOOD LUCK!』しかり、『白い巨塔』最終回しかり、いつも一本筋が通っていて、がっしりと心を掴まれます。
 『GOOD LUCK!』では、”命を預かる仕事に対する矜持と責任のとり方”が、物語の土台を支えていました。
 そして今回のドラマは”他者への拒絶、他者への許容”だと、感じています。

 今回の次郎はまさに”父親との人間関係”、”職場での人間関係”に破綻をきたしているキャラクターです。
 そして子供達もまた、誰にもその存在を許容されず、自分もまた”拒絶する側”に回って身を守ろうとしています。

 その一方で”許容”しようとする側にも、少し問題があります。
 つまり”ただ優しさや愛情だけで子供達を受け入れようとするお嬢様”と、”仕事と割り切って子供を受け入れようとする男性保育士”の二人です。
(「かわいいと思いますか?」の一言で、見事に態度を表していましたね。)

 ”次郎”の登場で子供達だけではなく、この二人の大人たちにどんな変化が訪れるのか、それも楽しみです。

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 でもそれを”変な顔”や”終わってる”などの『ダサさ』として演出するところに、これまでのドラマとは違う新鮮さを感じました。

”仕事に対する責任放棄の勘違いプライドで、見事解雇。
 昔の彼女(しかも嫌がってることに気づかない)にキスを迫り。
 挙句、恩師や昔の仲間に『終わってる』と切り捨てられる。”

 『ダサい』以前に、社会人失格の主人公(しかも、反省の色まったく無し)。
 これを見事にダサく演じてるんですよ(褒め言葉)。

 『ませた子供』は大人を『ダサい』と切り捨てるのに躊躇は無いので(←それはそれで問題だが)、これからもどんどん次郎を切り捨ててくれるでしょう。

 木村君が演じると『ダサいのにかっこいい』となりかねないのが、これからの課題かもしれません。
 ここは、木村君の踏ん張りと、視聴者にこびない製作スタッフの姿勢と、演出・脚本家の勇気に期待しています。

 次郎が人間的に対人関係能力を成長させると同時に、これまでと全く質の違う木村君の可能性や魅力を引き出してくれるんじゃないのか。
 そんな予感がします。

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(『FF』第一話で、真夜中に満がにこにこ笑いながら、麻奈美に「お嬢様なんですね」とのたまうシーンを思い出したり)。
 …当方は『FF』の続編等、長編小説を3本も書き下ろす中毒者(ジャンキー)ですからね(遠い目)。

 閑話休題(それはさておき)。

 「あなたの存在が事態を悪化させた」という批難(あるいは拒絶)にショックを受ける朋美。
 同時に、次郎からは親愛の情を示すことで、”彼女の存在”を肯定されます。

 その経験こそ、彼女がこれから子供達と向き合う上で必要なものとなるんじゃないでしょうか。


 ラスト近くで”子供を愛したい、他人にも嫌って欲しくない”という思いから
「殴られたんじゃない、突き飛ばされたんです」
と言い切る朋美。
 それは、壊れかけた自分の信念や価値観を守ろうとしているように見えました。
 次郎の言葉は、そのことを指摘し、言い訳を封じました。
 言い訳を封じられることで、これから彼女がどのように信念を変化させていくんでしょうか。

 これからの変化が楽しみです。 

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 親の”許容”範囲を見極め、”許容”と”拒絶”の境界を見定めたふりをする少年が最初に現れます。
 でも、”許容”とは、そんなに一面的なのでしょうか?
 全てを受け入れると覚悟を決めた”許容”は、全く違う形で現れるのだと私は思います。それをこれから見定めたいですね。

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 最初に現れた少年は極端ですが、彼らは皆”許容”されることを諦め、人を”拒絶”し、賢く立ち回ることで自分を守ろうとしています。
 それを「大人になる」と、ドラマの中では表現されています。

 でもそれが「大人になる」ことなんでしょうか?

 対称的に主人公は無条件に”許容”されることを信じてしまいます。
 だから自分の”信頼”に対して「めんどくさい」ともてあましているんでしょうね。
 その信頼が時に甘えとなり、人生を失敗してもしまいます。

 だから『次郎』と『子供達』は互いに、教師とも反面教師ともなることができるんだと思います。

 次郎が喧嘩している二人の中に入っていけたのは、『二人とも俺には攻撃しないだろう』という信頼だと思います。
 そんな開けっぴろげな信頼に二人とも思わず”そこにいることだけは”、”許容”してしまったんだろうと感じました。

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 教会からのポンコツ車は、ボランティアという理由だけで置かれています。そして、走ることもできずにいます。
 それは、次郎の姿とも重なりますね。

 でも”施設のために送り迎えをする”ためなら、車は走ることができます。

 何のために走るのかを見出したとき、次郎は”そこにいる”ことが認められるのかもしれませんね。

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”許容”に甘えるだけの主人公。
 ”許容”を信じられない子供達。
 ”許容”の形を見定められない大人たち。

 交わることで、彼らはこれからどう変わっていくのだろう。





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Last updated  2005/04/20 10:19:24 PM
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