ぎょう乃介雑記

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2006年04月22日
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カテゴリ: 古典日記


48「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」
        (原文 東野炎立所見而反見為者月西渡)

この「柿本人麻呂」の歌は、「万葉集」の中で比較的有名な歌です。
ですが、現在のこの歌は、初句から3句を江戸時代の賀茂真淵が読み改めたもので、江戸時代に多く読まれていた「万葉集(寛永版本)」のもともとの訓は
「あづまののけぶりのたてるところみて」
となっていました。

「万葉集」の中で「あづま」は、ほとんど「鶏が鳴く あづま」と枕詞がついて歌われていて、「東野」を「あづま野」と読むのはちょっと無理がありそうです。

もうひとつ問題を複雑にしているのが「炎」の訓で、”「かぎろひ」が「立つ」とはいったい何のことだ!”という議論にもなります。「かげろう」「曙光」・・・よくわかりません。


実はこの歌は訓が定まっているように思われていますが、色々な人のそれぞれの「万葉集の歌」が存在しています。

そういった意味で「万葉集」の歌は、いつの時代でもその時にあった「新しい歌」として読まれてきました。

そこで私案をひとつ。

661「恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしきこと尽くしてよ長くと思はば」
                  大伴坂上郎女

訳「(あなたが)とても恋しく思って(私に)逢うときには、ほんとこれ以上ないくらい素敵なしぐさや言葉をかけて(私の心を満たしてよ!)この恋を(あなたが)長く続けたいと思うのならば」

女性が相手にこうして欲しいと願う歌です。
ただ、こう訳すと、男性が「恋ひ恋ひ」しくて逢いに来るという意味になってしまいます。
自分の気持ちうを歌うと考えて、この部分を「女性」が逢いという意味で訳すと、「長くと思はば」も女性の気持ちとして訳さなければなりません。
仮に前半は自分(女性)、後半は相手(男性)とすると、「私が恋しくて逢う時に、あなたはこの恋を長くと思うなら、私の心を満たすように努力してよ」と、言葉のつながりが悪くなります。

この歌の結句「長くと思はば(原文 念者)」を「長くと思へば」の訓にすると、


現代女性風の物言いになってしまうではないか、古代の女性はもっと奥ゆかしい!とそしられそうですが、こちらのほうが、恋する女性の気持ちが素直に表れているのではないでしょうか。

ですから私にとってこの歌は

「恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしきこと尽くしてよ長くと思へば」

訳「とってもあなたを恋しくいるのだから、逢うときには、ほんとこれ以上ないくらい素敵なしぐさや言葉をかけて、私の心を満たしてよ!もっともっと長くこの恋を続けたいと思うのだから」

になります。






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最終更新日  2006年04月22日 16時01分08秒 コメント(27) | コメントを書く
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