全378件 (378件中 1-50件目)
以前からブログ移行を考えていました。楽天よりもアクセス解析の出来るブログへ移行しています。只今、移行中です。新ブログの日記で子宮頚癌のことから(最初から)更新しています。ので、時間がかなりかかると思われますが・・・リンクくださっている方、メールで交流のある方には個別に訪問してご連絡差し上げています。新しいブログでもよろしくお願いします。新ブログ→http://ameblo.jp/happy-happy-happy117/※新ブログ開設にあたりすべて移行が終了しましたらこのブログは閉鎖させて頂きます。ありがとうございました。
2012/03/03
コメント(0)
今日1月17日で奏太は4歳になりましたなんと保育園の担任の先生と同じ誕生日そういえば、2年前の入園式で先生の誕生日を聞いた時に、運命を感じたのを思い出しました保育園でもグループのみんなにお祝いをして頂いたようで今日の連絡ノートには、みんなの真ん中に重役のような態度で椅子に座ってお祝いをしてもらっている姿が添付してありました保育園からはアルバムのようなものを頂きました普段の保育園での様子が沢山してあって、本当に愛情の伝わるものを頂きましたそして3人のお姉ちゃん達は、お年玉からそれぞれ貢ぎ物(笑)を・・・1番目のお姉ちゃんは、さぼさんのヴァイオリン2番目のお姉ちゃんは、アンパンマンのドラムセット3番目のお姉ちゃんは、トーマスのカラオケマイクさて・・・みごと奏太のハートを射止めたのはさぼさんのヴァイオリンでしたけれど、どれも気にいってそれぞれに夢中になっていました奏太はお姉ちゃんが3人もいて幸せ者だ~お姉ちゃん達、大きくなっても・・・頼みますよ奏太他の誰のところでもなく私達、家族のところに生まれてきてくれてありがとう。 ~パパ・ママ・3人のお姉ちゃんより~
2012/01/17
コメント(2)
今朝、奏太を保育園に送って行くときに空を見たら・・・なんだか嫌~な雲と、思っていたら今日は地震が多い日でした。最近また地震が多くなっているような気がします。しかも、茨木・千葉・福島辺りが多いですね今年は・・・今年からは穏やかな年であるようにとただただそう思っていますが。どうか、落ち着いてもらいたいです考え中・・・というのはこのブログを他社へ移転しようと思っています。今のところはアメブロとFC2を考えていますが・・・決まり次第、報告したいと思います女は計算が大好きだ。自分の年齢を二で割り、自分のドレスの値段を倍にし、夫の給料を三倍に言い、一番の女友達の年齢にいつも五を足すのである。 ~マルセル・アシャール~
2012/01/12
コメント(2)
明けましておめでとうございます。昨年は、沢山の方にお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします昨年末よりバタバタの我が家・・・年明け早々、三女の華愛・・・なんと水疱瘡になりました『なったかな~どうだったかな~』と私の記憶はあやふやおばあちゃんに聞いたところ、『なったよ』と即答。。。ですが、なっていませんでしたそういった感染症になった時は母子手帳に書いておくはずの私・・・長女と二女はしっかりと〇年〇月〇日と書いてありましたが、三女は『2歳頃』などと言う曖昧な記載・・・やはりなっていませんでしたけれど、大きくなってからなるよりはいいかな只今、猛烈なかゆみと闘っている華愛です1月は長女の誕生日(9日)パパの誕生日(7日)奏太の誕生日(17日)と誕生日ラッシュ12月27日に三女の誕生日は久しぶりにミルクレープを作りましたみんな食べるのに夢中になり、誰もを撮るのを忘れていました今度は何のケーキ作ろうかな~4日は、パパと久しぶりに二人っきりのドライブお昼はあっさりした醤油ラーメンを食べました隣りの酒田市まで届け物友人の子供達、シングルで頑張るお母さんの支えとなり、しっかりと二人でお留守番していました朝8時から夜8時までフルタイムで正社員で子供のためにと頑張る友人はまさに母親の鏡です女手一つで正社員で働き家事もして育児もする・・・並大抵の事ではありません。きっと、その母親の背中を見て育ってきたから二人とも頑張り屋さんなんだと思います私も見習って頑張らねば華愛がいたずらして奏太にプリキュアの変身セットのカチューシャをつけましたまるで女の子・・・どこいってもただでさえ女の子と間違えられるのにでも・・・奏太・・・意外と気にいってますDon't find fault, find a remedy. ~Henry Ford~あら探しをするな、救済策を探せ。 ~ヘンリー・フォード~
2012/01/06
コメント(2)
今月に入りずっと体調が悪い日が続いている末っ子奏太先月末から鼻水ズルズル熱は高くないものの鼻水の次は咳が出始め・・・何だか悪い予感と思いクリニックへ熱がないから安心していたら・・・RSウィルスと溶連菌のWの悲劇どうりで治らないわけだ保育園も1週間お休みそして19日に1週間ぶりの登園・・・でしたが、保育園から『奏太、吐いてしまって・・・保育園でも今胃腸炎が流行ってるんですが・・・お迎えどうしますか?』と連絡があり、滞在時間1時間でお迎えとなりました次の日、首のところにポツッと発疹発見夕方にはお腹や背中にブワ~~~~~っと発疹が次の日、またもやクリニックへ『奏ちゃん、最近良く来るね~』と先生から褒められ(苦笑見事“水疱瘡”の診断を下され帰宅しましたおでこにブツブツうわ~っ口の中もですよ~と教えてくれますかゆそうだな~早く良くなりますように今年のクリスマスは、パパの友人“阿部ちゃん”が23日に来まして私の友人もよびまして大勢で楽しく過ごしました阿部ちゃんが特大の3段のケーキを買ってきてくれました仙台のお店で買ってきてくれたケーキはとてもクリームが美味しくて牛乳の濃厚な味がしました24日は家族でクリスマス毎年恒例の子供達による司会進行で行われました大勢でやるクリスマスも、家族でやるクリスマスも本当に楽しかったですママはパパから思いがけないプレゼントを頂きましたウォーキングの時も出かける時もいつも同じダウンジャケットで、3年くらいは着てたかな~それを見かねたパパがダウンジャケットを買ってきてくれましたパパありがとう大切に着ます楽しい笑いは家の中の太陽である。 ~サッカレー(イギリスの小説家)~
2011/12/26
コメント(2)
15日はパパもお休みを取り療育センター初受診して来ました9時半からの受診でしたが…私の面接が10時からと、時間が重なってしまい結局はパパが大半引き受けてくれましたパパありがとう唯一救いだったのは、面接の場所と療育センターが近かったので面接が終わるとすぐに駆けつけることが出来たことです面接が終わって療育センターに行くと、診察が終わって、奏太はホールで三輪車に乗って遊んでいました相談員さんがセンターの中を案内してくださり、その後看護師さんから先生の診察の結果と家族の事などの問診を受けましたPTやOTは必要ないとの事で月1くらいでSTに通うことになりましたこれからいろんなおしゃべりできたら楽しみだなぁ~と思う反面、奏太が思いのまま話せるようになったら・・・怖い今も簡単な言葉はちょっとだけ話せます奏太の考えていること、話せるように今まで以上に私も言葉を育てていきたいと思います。そして、16日はいよいよどかっと降りました~朝起きたら、一面雪景色犬は喜び庭かけ周り~ですが・・・うちも犬・・・ではなくて、三女が駆け回った跡がありますよ~子供は風の子今年は広~い庭もあるし雪だるまやソリ滑り沢山したいな~もうすぐクリスマスやっぱり子供達が1番楽しみな行事今年は、仙台からパパの友達(独身)と私の友達(独身)を招待して23日にパーティーをする予定で~す24日は、家族でワイワイ毎年恒例のパーティー24日は必ず作らなければならないご馳走が我が家にはあります!それは・・・鶏の足を煮た“手持ち肉”そうあれですよ持つところにアルミホイルが巻いてあるあれ・・・我が家ではあれがないと始まらない感じですでも正直・・・あの肉国産を買おうと思うと高いのよ~如何に他の料理で食材を抑えて豪華に見せるかが、私の腕も見せどころです今年も張り切って作るぞあなたのその笑顔をたやさないでください。あなたのその優しさをたやさないでください。あなたのその努力をたやさないでください。人はみな苦しさに耐えて生きている。あなたのその一生懸命生きている人生をたやさないでください。 ~須永博士(詩人)~
2011/12/18
コメント(0)
30日は障害児施設(保育園のような)のあおば学園を見学に保健師さんと行って来ました副園長先生が対応して下さり、学園の中を説明した後に事務所でいろいろ説明を聞きましたこの日は2人の男の子のダウンちゃんがいましたもう、可愛いくて可愛いくて見学中、ずーーーっと笑いが止まらない私集中しているときの舌の出具合といい、ほっぺのたぷたぷさといいあの愛くるしい顔といいもう、どうしてダウンちゃんてこんなに可愛いんだろう~と再確認あおば学園は“少人数”で本当に『障害児のために』と配慮のされた学園でしたが、今の奏太にとっては今通っている保育園のほうが合っているし学園のほうは後戻りしてしまうような感じだったので見学の結果通わないことにしました『早期療育』と言われている世の中で、そういったものに頼らずに育ててきて、保育園や周りの人達や家族に支えられて育てることが出来て、けれどここにきてそうやって育ててきた奏太が療育を受けてきた子供達に決して負けてはいないという事がわかって、すごく嬉しかったですあおば学園でダウンちゃんにしていることは、今の保育園ですでにしていることばかりでした。『私たち素人なんでわからないことばかりですが、お母さんと一緒に勉強して頑張ります』と本当に一生懸命に支えてくれた保育園の先生方の努力が今の奏太の成長へとつながってくれているんだと、見学して改めて保育園に対して感謝の気持ちでいっぱいになりましたあおば学園にはバギーに乗って通園しているお子さんもいました。あおば学園も待機児童が多いそうでもし奏太が通園するとしたら来年度からということでした。けれど、今のまま今の通園している保育園での環境を大切にして行きたいと思います。そして今日はパパと一緒にK病院の小児発達外来を受診して発達検査を受けてきました。今年の2月に療育手帳の申請の時に1度受けたことのある検査です。移動運動、手の運動は前回よりも1歳近く成長していてどちらも3歳程度でした。基本的習慣と人間関係も半年くらい成長していて2歳半程度、発語と言語理解は1歳半から2歳程度でした。言葉の面がやはり他の面と比べると遅れていますが、ダウンちゃんの場合どうしてもそうなるんだそうです。けれど、これからどんどん伸びる面だとも言われました。K病院の発達外来も予約待ちで、初回ですら早くても4月だそうで。。。またここも待機が多いと、思いました。発達外来もこの先必要???とちょっと考えます。半年か1年に1回の外来受診で投薬があるわけでもなくただ医師の診断や助言程度ならK病院じゃなくてもいいのかな~なんて感じましたパパとよ~く相談してこれからのこと考えていこうと思います。15日は療育センターの初めての受診日です。私はそこで何を感じるのかな~と今からワクワクドキドキ何せ。。。変りものですから。パパに絵本を読んでもらっている奏太べったりくっついて見ています日曜日。。。講習会に出かけたパパの帰りを待つ奏太早く来ないかな~って心の声が聞こえてきそうな表情です生きている 健康である 手が動く 足で歩ける 目が見える 耳が聞こえるこのあたりまえのことの中に ただごとでない しあわせがある ~東井義雄(教育者)~
2011/12/01
コメント(0)
2日続けての更新私にしては珍しいです11月6日義父の命日でした。早いもので1年・・・あっという間です。一周忌は10月に早々と済ませてしまっていたので、6日はみんなでお墓参りに行きました。町がぐる~っと見渡せる山にあるお墓なので、景色がとてもイイのですがこの日はあいにくの雨模様。意外にお義父さん、雨男・・・なのかも。小学校の先生をしていたお義父さん。今時季は、1番遠いはずのお義父さんが、誰よりも早くに学校に行って学校の除雪をしたりストーブをつけておいたり、その後は子供達が通ってくる時間には校門に立って挨拶をしたり。。。そんな人柄だからこそ、沢山の人に惜しまれました。パパはそんなお義父さんの人柄を兄弟の中で誰よりも受け継いでいるように思います。奏太を産んだあとから少しずつ肝機能の数字が上昇していました先月の外科の定期検診でもついに肝機能が3ケタに先生も『これはまずいね~』と念のためにCT撮りましょ・・・ってことで10月の末にCTを撮り先日結果を聞いてきました。肝臓は・・・脂肪肝立派な脂肪肝でしたほっとしたのもつかの間、肺にちょっと良くない影があるんだよね・・・と。思いがけない言葉にちょっと動揺けれど、まだよくわかんないね~と・・・これまた微妙な答えの先生。乳癌の肺転移ならば・・・一気にステージ4の末期癌ですよ来年の2月にもう一度CTを撮って見てみることになりましたが・・・生きた心地がしませんわ『肺転移』で検索しまくる毎日ですよけれど、2月までは・・・美味しいものでも食べて・・・あ~~~~~~~~凹むな~長女が修学旅行で京都・大阪に行って来ましたは金閣寺です。地主神社で『恋のおみくじ』をひき大吉と喜んでいたものの・・・相手がいないと言うことに気づき・・・なんだか大吉の意味も???に終わったようでした奏太が食べているのが(食べ物じゃありませんが)、お気に入りの『コッシー』けれど、実は『さぼさん』のほうが好き人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり。 ~蓮如(浄土真宗本願寺中興の祖)~
2011/11/23
コメント(0)
16日に延び延びになっていた3歳児検診を受けてきました同じ平成20年の5月に生まれたダウン症のお友達と一緒に受けてきましたお友達は内臓系の合併症がないので早くから療育センターやあおば学園(障害児の為の保育園)に通っているので、全てにおいてかなり奏太は遅れているだろうな~と覚悟をして行って来ました…が、そんな親の心配なんかしるもんかって位、奏太のパワフルさが良くも悪くも目立ってしまいお友達は奏太のやりたい放題に終始ポカーンとあっけに取られている様子でした言葉や生活習慣など、どの面でも奏太は同じくらいできていて…正直、ママは本当に嬉しかった『他人と比べない』とか・・・いろいろ綺麗事は・・・ムシムシ親ですもの比べちゃいますわよ!!!当然!!!健常の子供の親でも、『あの子と比べて成績が良い』だとか『他の子には出来ないけれどうちの子は若いうちから料理しますよ』とか『うちの子は他の子より運動が出来ますよ』とか・・・言いますでしょやっぱり比べちゃうんですよね生後半年くらいに『早期療育』をしなければと、何度も療育センターに行ったけれど『心臓の手術をしてから』というマニュアル通りの対応しかしてもらえず、あの日に『ならば、専門家なんてくそくらえだ普通の育児でできる事を見せてやる』と決意し普通の保育園や障害児に関わった事のない幼児教室などに入れてやってきて…昨日はそんな今までの事が決して間違いではなかったんだと感じた1日でしたけれど、いつまでも私の意地を張り続けてしまうのもやめなきゃいけないんじゃないかなと考えた1日でもありましたまずは今まで発達の面での主治医はいなかったので発達外来に行く事を決めましたお友達のお母さんからは、『奏太くん専門家なしでここまでできるんだから療育センターもあおば学園も必要ないと思うよ』と言われたけれど、療育センターやあおば学園を見学してから必要かどうか決めようと思いました奏太今まで良く頑張ったねえらいぞっこれからも頑張るぞえいえいおぉ お誕生会での様子やっぱり先生のように1人前に出ちゃう奏太でしたI'd like to say how much I love you,わたしは 今日どんなにあなたを愛しているか伝えたい ~最後だとわかっていたなら ノーマ コーネット マレック・作~
2011/11/22
コメント(0)
あの大震災が3月・・・ついこの間の出来事と思っていましたが月日が経つのは本当に早いですね・・・では、書きたいことをつらつらと書いていきま~すまずはヘルパー2級資格無事にGETしました最後に行われた実習はいろんな体験をさせて頂いて本当に勉強になりましたこれから就職活動になるわけですが、“看護助手”か“障害者障害児”に関係する仕事に出来れば就きたいと思っています・・・けれども、なかなか求人の出ない田舎なので根気よく待つ間は短期の仕事でもしたいと思っていますそれから先日、奏太の保育園の園外保育に同行させてもらいました場所は加茂水族館です全国的には『クラゲ』で知っている方もいるかな~あしかの赤ちゃんがいて興味津々の奏太柵を乗り越えて行こうとしていますそれにはあしかの赤ちゃんもビックリ怖がらないところがさすが男の子サメの水槽の前ではかなりの時間サメとにらめっこ何故か奏太の前に魚が集まってくる~何か超音波でも出しているのか・・・他のお友達から『奏太くんのところにお魚いっぱいどうして~』なんて言われてました天気も良くて楽しい園外保育となりました最近、変な雲が多いですやはり地震と関係しているのかな・・・嫌だな10月13日 縦に虹が出ています。ちなみに普通の一般的なアーチ状の虹はこの日は出ていません。10月19日 あばら骨のような感じにのびる雲。その1つ1つが渦を巻いています。10月22日 縦にのびる雲。その場所だけが何故か光っています。こんな雲がほぼ毎日。あんな大地震はもう起きてほしくないなSo if you're waiting for tomorrow, why not do it today?明日が来るのを待っているなら今日でもいいはず ~最後だとわかっていたなら ノーマ コーネット マレック・作~
2011/10/31
コメント(0)
えぇ~と、何から書こうかしら・・・まずは無事に10月5日でヘルパー2級の資格をGETしました7月からの3ヶ月間・・・無遅刻無欠席子育て真っ最中の方ならわかると思いますが・・・3か月もの間無欠席は本当に大変子供4人抱えて・・・キセキですよ・・・ほんと子供達の通院、学校行事・・・すべてパパがしてくれて本当にありがたかったです協力してくれたパパと子供達と母に感謝ですヘルパーの学校は本当に仲の良いクラスで終了間近にいも煮会をしました久しぶりのいも煮会は、学生のような気分でみんなが張り切りましたこんな大きな鍋に2つも作って、焼きりんごやジャガバターや焼きそばも作りましたよ天気も良くて、良い思い出になりましたそれから・・・奏太の初めての運動会がありました平日に行われたので私は残念ながら参加できず・・・パパと義母と私の母が私の分も応援してくれました先生に手をひかれながらも楽しそうに完走できたし玉入れも決められた時間でたった1個だったけれど(入らなかったけれど)みんなと同じように投げれたし親子競技も最下位だったけれどちゃんとパパとできたし後からビデオを観て、本当に奏太の成長に感動しましたゆ~っくりだけど成長してるんだね・・・すごい後は、4月から通っている幼児教室でもいろんなことを先生が取り組んでくれて最近は人らしき絵も描けるようになりました顔の部分は奏太が1人で描いて他は先生が手伝ってくれたようですちゃんと人に見えますね~それから、家では朝のおしっこはトイレで出来るようになりました教えてはくれないんだけどトイレに連れていくとちゃんとしてくれます保育園ではおまるで頑張っているようで、成功の報告もしばしばあります卒園までオムツ外れるといいな~なんて、のんびりやの私ですヘルパー講座が終わってすぐにでも働きたいんだけど・・・10月いっぱいは求職活動しながらちょっと休もうかと思っています先週、義父の1周忌も無事に終わりまして義父が亡くなってもうじき1年なんだと・・・ほんとに月日が経つのは早いですね今年はRSウィルスがもう流行っているとか・・・怖い奏太はこの間ヘルパンギーナに罹りました軽く済んだけれど、久々の発熱。思えば最近は風邪も引かなくなりすっかり丈夫になりました・・・でも油断は禁物今年のインフルエンザはどうなることやら・・・ひとの生命を愛せない者に、自分の生命を愛せるわけはない。 ~吉川英治(小説家)~
2011/10/09
コメント(1)
7月6日から通い始めたヘルパー講座期間は3ヶ月間だから1/3終了しました1/3のほとんどが座学で、9時半~5時までだから、午後は眠気との闘いです7月28日からは実技指導に入ったので動きがあって寝てる暇はありません毎日半袖Tシャツにジャージで首にはタオル巻いて汗だくで 学んでいます座学の時も沢山学んだ事がありましたヘルパーさんは、ただなんでも手助けをしてくるんじゃなくて、ちゃんとその利用者さんに何をするのか決められているんですそんな事でさえもやはり勉強するまでは知りませんでしたそしてやはり『何でもして当然』と『家政婦さん』と同じに考えている利用者さんや利用者の家族さんが多いことも知りましたきりがないくらい沢山いろんな事を始めて知りました実技もまだ始まったばかりだけど、本当に感心する事ばかりですそして私が乳ガンの手術で入院していた時や、奏太が心臓の手術で入院していた時の看護師さんの『看護』の中に今まさに実技で学んでいるものが沢山ありました…体位交換や洗髪の仕方や車椅子の介助等々勉強していて本当に自分のためになる事ばかりなので、ヘルパーの資格を取ろうと思って本当に良かったと思いますそして何故か講師の介護福祉士の方々は美人揃いで美人で優しくて明るくて、女性としても目標ですそして8月20日からは長女も同じ学校のヘルパー講座の土曜コースに通いヘルパーの資格を取りますまだ高校2年生で早いとは思ったけど、大学受験の為と長女の目標である作業療法士に役立つ部分も本当に多いと思い勧めてみたところ長女も乗り気で申し込みました同じ学校の講座ですが私はハローワークの職業訓練を通しているので期間は3ヶ月、長女は学校に直接申し込んだので私の座学で受けた部分の1ヶ月は自宅学習となり2ヶ月のコースで終了は同じ10月なんですヘルパー講座を受けてみて、長女だけでなく次女や三女にもこれから先勧めてみようと思います本人のやる気さえあれば取れる資格ですあと2ヶ月…若者の長女に負けないように38歳のオバチャン頑張るぞ そこにサングラスがあったらとりあえずかけてみますよね~(笑顔の半分がサングラス文句ばかりいう相手や、世間のあら探しが好きな相手と一緒にいるよりも、幸福そうな顔をした人や、成長し人生を楽しむことに関心を抱いている人に囲まれているようにしなさい。 ~ウェイン・ダイアー(心理学博士)~
2011/08/07
コメント(2)
今日はで1時間半ほどの“寒河江八幡宮”まで行って来ました目的は書道家金澤翔子書展いつも都会の方で開催されるたび『行きたいなぁ』と思っていて、それがやっと実現しました前売り券はすでに完売1時~2時半までは翔子さんが実際にその場で書くとなっていてそのための整理券も完売『翔子さんに会いたいなぁ』と願いながら2時半に参集殿へ書き終わった後の少し落ち着いた翔子さんに会えましたTVで見るよりずっと小柄だった翔子さん忙しい中、奏太と20分くらい遊んでくれてお腹をコチョコチョしたりハイタッチしたりしてくれて、なんとキスまでしてもらえました(もちろん奏太にです)なんて可愛いくて大人っぽくて素敵な女性なんだろうと思いました沢山の書の中で1番パワーを頂いたのは『希望』『共に生きる』(この書の前は人気でなかなか撮れませんでした)の2つの書ですダウン症という障害を生まれながらに抱え歩んできた翔子さんの翔子さんだからこその『希望』そして『共に生きる』なんの汚れもなく純粋な翔子さんだからこそ、その言葉には深い深い『愛』があるのだろうなぁと私は感じました本物の言葉はやっぱり心に響きます翔子さんとも沢山お話をして、翔子さんのお母さんとも沢山お話をして頂いて、翔子さんのお母さんには沢山のアドバイスを頂きました本当に本当に温かい書展でした翔子さんのお母さんが言ってくれた『せっかくのご縁ですから、また会いましょう。繋がって行きましょうね』の言葉ぐるっと包まれたように思いました翔子さん翔子さんのお母さんまたお会いしたいです最近なかなか更新出来ずにいました心配してくださった方々、ありがとうございます具合が悪いとかそうゆうわけではなく、今月からホームヘルパーの資格を所得するために平日の9時から5時まで学校に通っています仕事ではなくともやはり1日中というのはなかなか体力が必要で、辛い時も何日かありますが10月までの3ヶ月間頑張ろうと思っていますたかが介護、されど介護・・・介護の世界は本当に未知の世界で、沢山のことを学んでいますこの年で資格をとるための環境があるって本当に幸せです応援して協力してくれる家族のみんなに感謝です前回の日記に登場した我が家のヒマワリ。もうこんなに大きくなったんです華愛が小さく見える~~~~~そしてやっと花も咲き始めました一時は咲かないんじゃない?なんて思ったりしましたが・・・無事に咲いてくれました私は向日葵が大好きです小さく茎の細いいかにも儚げな花よりも、茎が太くて強そうだけれどその強さの中には懸命な努力がある感じの向日葵が大好きですなんか、人もそうですよね・・・いかにもか細くてか弱い振りしている人よりもいかにも強そうだけれどその強さの中には懸命な努力をしているそんな人に私は憧れますでも、どんな人でも花でもそこに存在しているのだから私はやっぱり・・・全部が大好きです障害はハンディキャップか。世に、才能を秘めたまま生涯を終る社会人も少なくない。しかし障害はこの世の拘束を逃れる資格でもある。障害者の一人であるぼくは、そうも感じている。翔子さんには、障害者の条件を恵みとして生かす、強い、解放感にあふれた才能がある! ~三木卓(作家)~
2011/07/24
コメント(4)
連日ムシムシ暑い日々が続いている山形県庄内地方です庭に植えたヒマワリも見事なくらいの成長ぶりです これくらいのヒマワリが14本植えてありますそれから、それからナスとプチトマトとスイカナスとプチトマトは自給自足目的だけど、スイカは子供達が喜ぶかな~と思って植えましたと言っても、まるで荒れ地だった庭を綺麗にして苗を植えたり種をまいたりしてくれたのはパパですあとは、朝の水やりは三女が、夕方は私が担当今までの収穫はナスが3本とプチトマトが3つナスはミョウガと豆腐と味噌汁にプチトマトはそのまま食べましたみんな庭で採れたと思うと、格別の美味しさコーンやシソの葉、水菜や二十日大根も植えてあるのでこれからの収穫が楽しみな我が家の庭ですそして暑い日にアイスをどうしても食べちゃいますがたまには和菓子~ということで、白玉団子を作りましたキンキンに冷やして黄粉と黒蜜でいただきましたまだまだこれからが暑さの本番家族の健康管理に注意しながら、節電対策しながら、この暑さを今年も乗り越えたいと思います何か悪いことをするとこんな顔をしてごまかそうとします頭に私の髪留めをつけてま~す生きている 健康である 手が動く 足で歩ける 目が見える 耳が聞こえるこのあたりまえのことの中に ただごとでないしあわせがある ~東井義雄(教育者)~
2011/07/02
コメント(5)
月曜日は日曜出勤の代休だったパパ子供達抜きで久々の休日付き合った期間が短く結婚したから、2人っきりのデートは数えるほどしかありません・・・だから貴重な時間です奏太の保育園の送迎もこの日はパパが担当朝、奏太を保育園に送って行ってからパパは実家へ1時間ほどで戻り、引っ越し以来動かせずにいた家具を動かしたり掃除をしたりしてあっという間に11時前からパパと行きたかった車で30分ほどのところにある温海温泉の足湯カフェへ月曜なのに大人気で混んでいた足湯カフェランチを注文してから待っている間足湯でまったり美味しいランチ(あまりの美味しさに忘れました)の後に、2人で1つのパフェを食べることに冷たいアイスコーヒーとパフェ幸せ~満腹になって、その後は海岸線をドライブしながらホームセンターへホームセンターで、虫よけやLEDライトや種や苗や花・・・いろいろなものを購入こまごまと買ったから気づけば結構な出費に家のことをいろいろしようと思うと、お金かかりますねパパも私も1日中でもホームセンターを楽しめるタイプなので、ほどほどで今日は終了3時に帰ってくる三女・・・休みのパパと買い物したくて朝パパにアポとってました三女帰宅後3人でスーパーへスーパーの帰りリサイクルショップの前を通ると“大売り出し”ののぼり奏太が保育園の給食の時や幼児教室の工作活動の時に使う“スモック”を前から探していて、可愛いのがあっても1000~1800円と高くてなかなか買えずにいたんだけど、なんと100円、200円と激安で、掘り出し物は迷わずゲットしてきました生地は丈夫だけど薄手でなかなか我が家にとってリサイクルショップは家計の助け船ですその後奏太の保育園によって帰宅しましたパパの代休もあっという間に終わっちゃったもう少しゆっくりした1日にしてあげればよかったかな~なんてちょっと思ったりしましたけれど、やっぱりパパとの休日は楽しかったまた代休ないかな~なんて、夜町内の配り物をしていて空を見ながら思ったのでしたたのしみは 春の桜に 秋の月 夫婦仲よく 三度くふめし ~5代目市川団十郎(江戸時代の歌舞伎役者)~
2011/06/22
コメント(4)
前にも書きましたが、日記のタイトル・・・正直悩みます今日のタイトル・・・すもも奄美大島の“うみさん”のご両親からすももを頂きましたうみさんが天国に旅立たれてからもうみさんのご両親とこうして繋がっていられることが本当に嬉しく、うみさんが天国で願っていることなのかな~と有り難く思っています。真っ赤なすももうみさんも食べたすもも1つ手に取ったらうみさんを思い出し涙が出たやっぱりあなたにひと目会いたかったひとくちかじったらとても甘くてまた・・・涙が出た会いたかった5月6月と、相変わらず大忙しの我が家なのに、7月6日から3ヶ月間ヘルパーの資格をとるためにハローワークの訓練講座に通います7月には奏太の病院の日が2日あるし、保育園の役員になっているカモシカクラブもあるし全部パパが代わりに行ってくれるので、感謝ですパパ、本当にすみませんヘルパーの資格は、義父の事があった時からずっと考えていてこれから義母や自分の父母が介護が必要になった時に少しでも気持ちよく介護ができるようにしたいなと思って、前から取りたかった資格です。7月6日から10月5日までの3ヶ月間、1度も休めませんがなんとか頑張って乗り切って、家族に負担をかけた分恩返しできるようにしたいと思います6月は小学校の運動会がありました二女と三女の100メートル走二女は3位三女は1位でした今どきの小学生・・・1位になるのが嫌なんだそうです“目立つから”とか“かっこ悪い”とか・・・私は小中高と1位をとることしか考えず中高と体操部に所属していたので、部活の顧問から1位以外は論外と言われていました小中高とリレーの選手だったり地区代表になったり・・・走ることは好きでしたその血を受け継いだのが三女運動会もマラソン大会も1位をとるために全力で走ります運動会は見事念願の1位(マラソン大会は10位・・・)順位なんて本当は関係ないんだけど、一生懸命なことがバカにされてしまう中で、うちの子供たちが1位を取りたくて一生懸命に走る姿に、母として誇りと幸せを感じました頑張った、えらいぞ!!!奏太くん、4月5月6月とお休みは病院受診日以外ありません本当に丈夫になりました前回のこども病院では、腎臓の状態は良くなっていてもし新潟大学病院の言うとおりにあの時手術していたら手術後ここまで良くなりますよ!という状態まで薬もナシで手術もせずに治りました手術は出来ればしないで済むに越したことはありませんあの時私が新潟大学病院の小児外科の先生に嫌な感じがして思い切って腎臓は違う病院にしようと考えなかったら、そして私のその考えに周りの家族が賛成して後押ししてくれなかったら、とっくに奏太は手術をしていただろうし・・・今、良い結果が出たから言えることだけれど。本当に良かったと、思います。愛している好き何かしてあげたいそれだけでじゅうぶんじゃないの ~岡本敏子(岡本太郎の妻)~
2011/06/19
コメント(2)
奏太の通う保育園で27日にお誕生会がありますけれど、27日は宮城こども病院の定期受診のためお誕生会に参加できず残念だな~なんて思っていたら保育園の先生から『月曜か火曜に練習を見に来ませんか』とお誘いがヤッターと早速月曜に見てきましたしかし奏太・・・想像通り全くの自由人けれど、私が思っていた以上にみんなと一緒に踊っていましたもっと脱線するんじゃないかな~って思っていましたが・・・犬のおまわりさんは所々口パクで真似できてるしアンパンマンもちゃんとマントを持ったりして脇の方で水色の服を来ている年長さんみんなが奏太を面倒みてくれていて、本当にありがたかった時々私の目の前に来たり、前にでてみんなのほうを向いて先生のように歌ったりけれど、先生もお友達もみんなの温かい視線に守られて踊り歌い切りましたもう私は号泣大きくなったなぁ…としみじみ感じました あせらず おこらず あきらめず。 ~美空ひばり (国民栄誉賞受賞者・歌手・女優)~
2011/05/24
コメント(0)
プロフで出会ったグリ友、あやママさんの日記を読んで刺激を受け、4月から通い始めた幼児教室『こんな田舎には幼児教室なんてないだろうなぁ』なんて思いながらダメもとで検索…そしたら、なんとこんな田舎にも1件ヒット見つけてしまったら即行動せずにはいられず次の日にをしてみましたパパと奏太と3人で一度見学に行って即決障害児を受け持った経験はない先生だけど、『障害があるないにかかわらずどんな子供でも大丈夫ですよ。もし奏太くんが通うとなったら私も一生懸命勉強して奏太くんと楽しく過ごしたいです』という先生の温かい言葉に安心しました鶴岡市の幼稚園で先生をして、東京へ行き東京でも幼稚園の先生をして、その後自宅で幼児教室を開業し、旦那さんの定年をきっかけに鶴岡市に戻り自宅を改築して鶴岡でも幼児教室を始めたそうで、とても上品で温かくて優しそうな先生です土曜日の午後という魔の時間に1対1で1時間半…どうなるかなぁと思いながら今まで四回ほど通いました…が、先週までは泣いていた奏太も今週は泣かずにいろいろ活動が出来て奏太も先生も私達もみんなが嬉しくなりました繰り返し繰り返し同じ事をやって、少しずつゆっくり奏太のペースでしてくれていますそれに答えるように奏太も先生に慣れてくれているように思いますダウンちゃんは決して全くできないわけではないので、根気よく教えると必ず覚えてくれます先生はそれをちゃんと勉強してくれていました奏太の人生にまた1人、大切な巡り合わせがありましたこの巡り合わせに…心から感謝です奏太の作品先生と一緒に書いた『人』の絵です耳、目、鼻、口…と体の部分を口で言いながら書いたそうですとても上手に書けてるねクレヨンで好きなように書いたそうですよ~く見ると茶色で人の顔らしきものが書いてありますわかりますか奏太は茶色が好きだと先生が教えてくれました無知な人ほど人を軽蔑する知恵のある人は包容力をもつものだ ~レクエア(カナダの詩人)~
2011/05/22
コメント(2)
ダウンちゃんの発想ってやっぱり独特3番目のお姉ちゃん華愛から誕生日に買ってもらった奏太お気に入りの車のおもちゃ面白いこと思いついて何と車を立てて遊んでます車を立てては、ちょっと触ってグラグラ揺れて倒れるのをケラケラ笑って楽しんでるやっぱり…ダウンちゃん発想が独特で豊かだな~見ていてこっちも自然と笑っちゃうけれど、奏太く~~~~~~ん今度は、車立てたまま放置ですか~ひとの生命を愛せない者に、自分の生命を愛せるわけはない。 ~吉川英治(小説家)~
2011/05/10
コメント(2)
GWも終わり昨日の月曜日から子供達もそれぞれの学校に、パパも仕事にまたいつもの日々が始まりましたGW前からお天気はタイトル通り“晴れたり曇ったり”とても、不安定です今月は宮城こども病院の受診月。まだ地震の爪痕が残る宮城に行くのは勇気が要りますが、こども病院の受診日もそうそう変えられないので行って来たいと思います。自宅近くの産直やちょっと離れた場所の産直によく行くのですが、春になりどんどん山菜や春の菜が増えてきましたね。。。我が家の子供達はそういったものが大好きなので、子供たちにとっても嬉しい季節となりました。山菜の天ぷらやお浸しや煮物。。。大好きですそして、山菜と言えばやはりお義父さんのことを思い出します山菜とりが大好きで、毎年この季節になると朝早くから出掛けてお昼頃には我が家に持ってきてくれたり。。。下処理もしてあって本当に嬉しかったです。。。お義父さんの採った山菜、食べたいな~なんて。。。思って涙が出そうになったりしています。さて、突撃!我が家の晩御飯!おとといの我が家の煮物さつまいもとさつまあげと筍とごぼうとシイタケとこんにゃくの煮物です。煮物はみんな大好物なので、我が家は何と!大きな大きな中華鍋で作ります夜と次の日の朝で完売恐るべし、我が家の胃袋おとといは煮物と鮭でした。そして昨日はつぼみ菜の油炒めシイタケが山ほどあるのでシイタケと薄揚げを入れて。さっと湯通ししたつぼみ菜とごま油で炒めました。食べるときにさっと醤油をかけます。これまた大きめのフライパンで作りました。昨日はこの油炒めと、きゅうりとみょうがのお浸し、納豆とヘルシーな晩御飯でした昨日の夜はパパと映画を観てきました『八日目の蝉』。。。観たかったんですパパも号泣私も号泣なんとも言えない。。。映画でした(これから観る方もいると思うので・・・)お留守番していてくれた子供達に感謝です今月は我が家は病院DAYが多い月になりそうです。明日は地元の病院の小児科定期検診、13日は私の子宮頚がんの検査、27日はこども病院。。。二女の予防接種も奏太の予防接種も受けなきゃな~皆様も、定期健診。。。受けましょうねパパの実家から頂いたチューリップ満開です人があなたのことを悪く言う。それが真実なら直せばいい。それが嘘なら笑い飛ばせばいい。 ~エピクテトス(哲学者)~
2011/05/10
コメント(2)
今年のGW…実は仙台に行く予定でした3月に入ってすぐにホテルを予約していましたが、地震によりキャンセル予約したホテルは、7月まで休業。。。そういえば、2月にこども病院を受診した時にそのホテルに泊ったんだけど、朝、震度3くらいの地震があったな~と思いだしました。今年は、どこにも行かない…と思っていましたが、母から『どこか行くか?』とお誘いがあり新潟へ行って来ましたやっぱり子供がいると出かけちゃうものです1日目は安田にあるサントピアワールドへ。最近、乗り物に面白いほど反応をするようになった奏太パパと一緒にゴーカート乗ってます結構ハンドルさばきが上手メリーゴーランドや電車に何度も何度も乗って大満足の奏太でしたホテルに早めに到着してチェックイン26階もの高さの部屋だったので夜景がとても綺麗でした2日目は、マリンピアへいろいろ成長してから水族館に行くのは初めての奏太大きな水槽のトンネルで、お魚さんが自分の頭の上を通るたび奏太の鼻もビヨ~~~ンと伸びていましたマリンピアの次は長女お待ちかねのショッピング今どきの高校生は制服やジャージを休みの日でも来ていますうちの長女もほとんどが部屋着かジャージ。。。あっ、けどうちの長女は出かけるときはちゃんと着替えますジャージとか『女捨ててる~』って言ってます私も出かけるときくらいは着替えるのが礼儀かな~って思います。長女はLIZ LISA大好きなので、仙台や新潟に行くと2~3着買いだめします普段は全くと言っていいほど洋服は買いません。。。そしてその影響を受け、ここ近年二女もLIZ LISAの姉妹ブランドのTRALALAにはまり。。。我が家にとってはものすご~い痛手となるのですそんなお嬢様たちの買い物も終わり、今度は母の好きなデパ地下へ奏太と新潟大学病院に入院していた時に母がお見舞いに来ると買ってきてくれた思い出のおこわのお弁当を買って、新潟旅行は無事に終わりました今回は思いがけない新潟への旅行だったけれど、入院していた時のことを思い出したりしてとても懐かしいような。。。そんな気持ちになった旅行でしたそういえば、サントピアワールドで福島の方に声をかけられました。『あなた、どこから来たの?』と。。。『山形です』と答えると、『山形の人はいい人だよね~』と言われました。『私は避難区域ギリギリのところに住んでいるんですよ。気分転換に孫連れて遊びに来たんです』『福島の方々は今回の事本当に大変でしたね~』と言うと。『あなた、私が避難区域ギリギリのとこから来たって聞いても逃げないね』と言われました。そして、『さっき声かけた人は何にも言わず遠ざかったよ~』と言っていました。私が何も言えずにいると、『楽しんで行ってな~』と言ってくれましたこみあげてくる涙を我慢しました。そうゆう苦労をしている方々の言葉や気持ちって。。。本当にズシンときます。そんなこともあったGWでした夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ。 ~高橋歩~
2011/05/07
コメント(4)
早いもので5月ですね昨年から今年にかけて大雪で、やっとその雪がとけたなぁ~と思っていましたが、最近は雨ばかり続いています。洗濯物が多い我が家は大変困りものです4月22日に二女と三女が通う小学校の授業参観がありました。いつも二女と三女と私の妹の子供である姪っ子の三人の授業を見てきます。昨年から特別支援学級の授業を観てみたいとずっと思っていたのですが、いざ行くとやはり自分の子供に集中してしまい、結局一度も今まで特別支援学級の授業を見れませんでした。なので今回は気合いを入れて行きました三女姪っ子二女と見てから特別支援学級へと向かいました。特別支援学級には三女と同じ学年(2年生)のダウン君の『けんちゃん』がいます特別支援学級の場所がいまいちわからずウロウロしているとちょうどけんちゃんのお母さんと会って、一緒に教室へと向かいました。感想は…『先生』にびっくりしてしまいましたけんちゃんともう1人知的障害のお子さんの2人が特別支援学級にいたのですが…けんちゃんは、時計の勉強をしていました。けど、どうしても遊んじゃうんですね~それを『叱る』先生そう…『注意』ではなく叱っていたのです次々に先生の口から暴言が飛び出しますそして…『全くこんな子供っ…』まで言いかけた時私が思い切り睨んだので先生は言葉を飲み込みましたおそらく余りの怒りと驚きに昔の血が呼び戻され私は鬼のような顔と目つきで睨んだと思います…『こんな子供』とはいったいどんな子供と言いたいんでしょうか自称『いろんな経験をしてきた』先生には、そんなことくらいの対応に少なくとも『経験』を生かした『余裕』は感じられませんでした。暴言の数々に私は具合が悪くなり廊下に出ました。すると、けんちゃんのお母さんが後から来て、いろいろ話をしました。けんちゃんは学校から帰ると家でその先生の真似をするのだそうです。空のペットボトルを自分・・・そして自分がその先生になりペットボトルに怒鳴り散らし叩いたりするのだそうですダウンちゃんは普通の子供よりも繊細です。。。大きな声などは苦手です。『先生』や『親』という周りがちょっと柔らかくなってあげて見方を変えて手助けしてあげると出来ることはぐっと増えます。その先生は何も分かってない・・・けんちゃんが去年1年生で特別支援学級に入学したとき、『奏太もお姉ちゃん達の通った小学校に通える』と希望をけんちゃんからもらいました。そして数年後にけんちゃんと奏太が特別支援学級で机を並べて勉強をする姿を想像しましたけれど、けんちゃんは来年から養護学校に移るのだそうです。あまりにもついて行けないという事と、やはりあの先生ではけんちゃんはストレスが溜まりダメになってしまうとお母さんは考えたんだそうです。きっとたくさん悩み沢山手を尽くした結果なのでしょう。正直ショックでした…あんな先生にもショックだったし、けんちゃんが養護学校に行く事もショックで…でも、逆にますます私はしっかり学校選びをしなければと思いました。今まで、長女二女三女は当たり前に入学通知の小学校の普通級へ入れました。その当たり前がどれだけ有り難いことか今また改めて思いました。けんちゃんのお母さん、何度もダウン症の事を先生に知って貰おうと試みましたが、その50歳くらいと思われる頭の固いオバチャン先生はやる気なしなんだそうですそういわゆる生徒に対して(けんちゃんに対して)『愛情』がないから暴言もでるし理解する気もサラサラない先生と言うより人間として『最低』だと感じ、奏太が入学する時もしまだあの先生だったら、何か手を考えねばと思いました。入学まで、あと約2年10ヶ月養護学校や他の特別支援学級のある小学校を何度も足を運んで奏太入学までベストを尽くしたいと思います パパのお姉さんから頂いた太鼓(ボンゴ)『あ~~~うっ』とご機嫌で叩いています『ぞうさんの絵』・・・だそうです先週から通い始めた幼児教室での作品『ぞ~うさんぞ~うさん』と先生と歌いながら書いたものだそうですなんとなく鼻はわかるような…もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったら不愉快になる代わりに、あなたの方からほほえみをかけてごらんなさい。実際ほほえみを忘れたその人ほどあなたからのほほえみを必要としてる人はいないのだから。 ~渡辺和子 (ノートルダム清心学園理事)~
2011/05/02
コメント(0)
あの大地震からあっという間に1ヶ月半が過ぎました。お久しぶりです。連日、TVやインターネットから震災関係の話題を目に耳にし今となってはいったいどの報道が正しいのかさえ分からなくなってしまいました。余震と言えないほどの大きな地震も宮城、福島、岩手の被災地をいまだに襲っています。復興にむけて連日頑張っている方々、頑張るしかない、やるしかない…そんな気持ちでしょうか。山形は原発で被災した福島に近いので、沢山の方が避難してきています。我が家は4月2日に引っ越しをしたので、その手続き関係で3月30日に市役所に行きました。総合案内で駐車券にハンコを押していた時、隣りで受け付けの方に小声で『昨日TELした福島の○○です』と話している方がいました。見ると、一家で避難してきた方のようでした。その一家の子供と目が合い、『こんにちわ!何歳ですか?』と聞くと、『3歳』と指を3本元気よく見せてくれました。うちの奏太と同じ年だと思ったら一気に涙が出てしまい、『頑張ったね。頑張ったね』と言いながら無意識に抱きしめてしまいました。びっくりした顔で見ていたお母さんに『すみません。うちの子供と同じ年だったもので…大変ですね。頑張ってこられたんですね』と言うと、『避難しなければならなくて、当初岩手の親戚を頼って行く予定でしたが放射能のことで断られてしまい友人が先に鶴岡市に避難していて対応がいいとの事だったので私達も来たんです』『親戚からまで断られたらどうしていいかわかりませんよね…』と言うと、『福島から来たと聞いてこうして話して、嫌じゃないですか?』と聞かれ、『嫌じゃないですよ』とはっきり言いました。お爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さん、子供3人…避難するのは簡単なことではないのだと、目の前にいる方々を見て思いました。今、TVで福島から避難してきた人たちが中傷されたりいじめられたりというニュースを見ます。二女と三女が通う小学校にも長女の通う高校にも、何名かの避難してきた子供達が入学しました。子供達にどんな様子か聞くと、小学校のお子さんたちは明るくて早くも人気者だそうです。高校に入学したお子さんは、あまり自分から話はしないものの、長女と長女の友人たちが一緒に行動をしているようでした。もしも、自分の子供たちや自分たちが避難しなければならなくてやっと逃げた避難先でそんな目にあったら…偏見の目で見ている方はそうゆうことをもう少し考えて欲しいと思います。それから、TVの報道で私が1番心に残っているのは、福島の原発から原発のある柏崎に避難した子供たちの話でした。その子供達に『こんな目にあっても原発があったほうがいいと思うか』と聞いたら、全員が『あったほうがいい』と答えたことでした。理由は様々で、自分の父親が東電に働いていて今も自分たちとは離れ原発の復旧に当たっている。そんな父が東電で働いているから自分たちは生まれて生きてこられた。だから父のことを尊敬している。自分は将来東電で働きたいと思っていた。東電に就職するといいところに就職したと大人たちは言う。僕は親孝行がしたいので東電が無くなると困る。そのほか様々な理由を話していました。その話を聞いていて、なんとも…言えない気持ちでした。そして、『最後に僕たちからのお願いです』と。大切な友人のお父さんが原発で働いています。だからどうか、責めるようなことを言わないでください。僕の大切な友人が、可哀想です。と言っていました。怒りを持ち責め立てる気持ちも当然だと思い、また責められるほうも可哀想だと思い。どちらの立場でもないいい加減な私は、考えることをやめたくなりました。この1ヶ月半、私は何をしただろう。長女の高校の生徒が街頭募金を募っていて募金したり、父が自腹で避難所に米を持っていくと言い出したのでその米90キロを手配したり、パパは被災地にガソリンを持っていくと言った人から頼まれて蛍光管を調達したり、でも結局、そんなことくらいで私は何もできませんでした。あなたのその笑顔をたやさないでください。あなたのその優しさをたやさないでください。あなたのその努力をたやさないでください。人はみな苦しさに耐えて生きている。あなたのその一生懸命生きている人生をたやさないでください。 ~須永博士(*詩人)~
2011/04/25
コメント(4)
先日の地震では、沢山の方からご心配を頂き本当にありがとうございました昨年亡くなられた『さ~りうみさん』のご両親からも、心配のTELを頂きまして本当に有り難く、また、申し訳なく思います我が家はみんな無事です地震発生時は長女と奏太が二人っきりで留守番をしていて心配で何度もTELしましたが繋がらずやっと通じたらさすがのお姉ちゃんも泣いていましたでも、奏太を守れるのは自分しかいないと昼寝をしている奏太を抱えて歯を食いしばり震度5の揺れを乗り越えたようでしたはるか、本当にありがとう二女と三女はその日、減ったに一緒には帰ってこないのに(5年生と1年生では帰宅時間が全然違うため)あの日は三女が二女を待っていて一緒に帰って来た途中で地震が起こり二女からその場に座らせられ2人で震えていたら、近所の方が外に出てきてくれて大丈夫?と声を掛けてくれたようでした二女が三女を守ろうとした姿が目に浮かんで泣いてしまいました怖い思いをさせてしまって本当にごめんね・・・私は職場にいて、いつもより不気味に長く強い揺れに職場のみんなと声を掛け合っていました。地震直後に、何人か子供が1人で留守番をしている方がいてその方たちを帰して、私は子供達の無事が確認できたので母が駆けつけてくれるだろうという気持ちもあって数名の方と終業時間までの1時間ほど居残り組になりました帰りにパパの無事も確認し、やっと安心しました今は、普通に生活できていますが、ガソリンスタンドはほとんどが閉鎖していますたまに1,2店舗営業するのですが長蛇の列で、仕事をしている人達にとっては給油する時間にはスタンドには行けない状態です食料品も買いだめする家庭がほとんどのためスーパーは何もありませんあっ、お菓子や日常品はありますけど、被災地に比べたら全然マシですブログの更新も悩みましたブログを更新するということは、PCにしろ携帯にしろ電気、電波・・・使います私に出来ることはこれくらいしかありませんので、しばらくの間ブログの更新は控えます被災地の皆様、何も出来ずにのうのうと生活していて本当にすみません祈り続けたいと思います
2011/03/16
コメント(3)
3月4日また無事にこの日を迎えることができました乳がんの手術で左胸を失って6年私が手術をして『生きよう』『生きたい』と強く願い始めて6年平成17年3月4日あの日のことは今でもちゃんと覚えています今年は1日から働き始め、久々のフルタイムでのお仕事に早くも疲れが見え最近の寝不足と重なって4日は午後から早退してしまいました夕方近くのクリニックを受診インフルエンザではなかったのですが、やはりストレスとお仕事の疲れかなと言われました昨日の3日は、外科の受診日で血液検査や触診などしてきました腫瘍マーカーも異常ナシ肝機能が少し高いので要注意でしたが、6年目を無事迎えました夜、パパが帰宅して思いがけない花のプレゼントを頂きました自分自身、体調が悪かったのと日々のバタバタからこの日を忘れていてパパが覚えていてくれたことが本当に嬉しかったです毎年、パパから花を頂きますが。。。男の人が花を買ってきてくれることにちょっと感動します都会の男性なら花を買うなんてお手の物かもしれないけれど、こんな田舎のしかもパパのようなタイプの男性にはきっと勇気のいることなのだと思いますパパありがとうパパや子供達が毎日私に笑いをくれるし幸せをくれているからわたしはこうやって無事この日を迎えられたのだと思います長女が、パパの買ってきてくれた花を見ながら言いました『花言葉わかる?』なに?と聞くとピンクのチューリップは“真実の愛”青いバラは“奇跡”“神の祝福”だそうですそんな意味考えてもいなかったからまさに欲しかった花だな~とパパの気持ちに感謝しました続けて長女が『私、結婚できないかも・・・だってパパみたいなことしてくれる人じゃなきゃ無理だから』と言ってましたパパみたいな人はそうそうにいないから・・・『大変だね』と言いました ひとの生命を愛せない者に、自分の生命を愛せるわけはない。 ~吉川英治(小説家)~
2011/03/05
コメント(3)
今年に入り早いもので明日から3月です明日から1ヶ月間仕事に出ます2月の面接で1度落ちたところから先日連絡があり、3月いっぱい働くことになりましたラッキー4月2日3日と引っ越しを控えていたしインフルエンザの時期もありちょっと迷ったのですが。。。こんなチャンスないかもと思い即返事をしましたやはり、パパのお給料だけで家族6人・・・正直毎月アップアップ溺れそうパパのお給料も決して少ないわけではない・・・子供2人の4人家族だったらきっとちょっとの貯蓄も出来るはず。。。けれど、さすがに子供4人はきついそれは覚悟の上で産んでますので。。。一生懸命に求人を探してつないでつないで働いていきます幸いうちは子供達は“お金のかかる習い事”はしていないのでそういったことにはお金はかかりません。。。が、最低限必要なもの、こと、にはお金はかかります習い事といえば、唯一、二女が入っているスクールバンド(吹奏楽)だけですこれは学校の部活みたいなものなので。。。そんなにお金はかかりませんなんだか貧乏自慢のお金の話みたいになってしまい嫌な感じそんなこんなで(いったいどんなだ)3月の1ヶ月間フルタイムでのお仕事頑張りますあきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。 ~植村直己~
2011/02/28
コメント(0)
2月は私達夫婦や家族の記念日、私の記念日が沢山あります9日は乳癌を宣告された日14日はパパから告られた日15日は私が付き合う事をOKした日17日はパパと子供達が初めて会った日27日は入籍記念日毎年その日にはその日の事を思い出したり…パパと2人で『あの日は~だったね』なんて話したりします記念日を迎えられるということは本当に幸せなことですねそしてまた来年、夫婦で家族で迎えられたらいいな~と思います子供達もこれから出会う誰かと“記念日”をお祝いして生きていくんだろうなそんな記念日を大切にしてくれえる人と子供達が出会うことを願うばかりですあなたは、周りのいろんな人の愛に包まれているからこの先どんな事があっても心配はいらないよ。きっと誰かが手を差し伸べてくれるから。 ~長女の保育園の卒業文集より “母から娘へ”~
2011/02/22
コメント(2)
昨日は、先月療育手帳の申請をしていたので、その判定を受けに朝9時から児童相談所へ部屋に通され、女性の職員の方が来てまずは問診でした日常生活の中でどれだけ出来るかとか、基本的な事(歩行や排泄など)がどれだけ出来るかという質問でしたその後、実際奏太に積み木やおもちゃを使ってどれだけ出来るかという検査をしました部屋を遊戯室に移して奏太は女性の職員の方とおもちゃで遊んで、私は男性の職員の方から問診を受けました奏太が生まれた時の様子やいつダウン症だと気づいたか、いつダウン症と診断されたか、心臓や腎臓の疾患も同じように聞かれました心臓の手術の事やなぜ腎臓は仙台の病院なのかとか、いろいろ聞かれました療育センターの事もいろいろ話になり、そういうセンターの存在を知っているかや、今まで何故利用しなかったのかとか・・・話しになりました問診の前に男性職員の方が『お母さんのお気に触ったりするような事を聞いたりするかもしれませんが…』と気を使って下さったので『いろいろ言う人なんて沢山いて結構今まで言われたりして慣れてますから気を使わずとも大丈夫ですよ』と言ったら、『実際誰にどうゆう事を言われましたか』と聞かれたので、『私や私の家族の事や育児なんか知りもしない男性に「乳ガンなのに子供を産んで無責任な母親だ」とか「そんなに自分の子供が特別なのか!そんなに大事ならシェルターに入れておけ」とか言われましたよ』と言ったら、『何にも知らないような奴に言われる筋合いないですねそんな野郎はロクな奴じゃない人間じゃないですよそのやつがまた何か言ってくるようならこちらから注意できますので相談してください』とまるで自分の事のように怒って下さって、なんだか有り難いような申し訳ないような…そんな話もしたりした問診でした午後1時半からは精神科の先生が来ての診察で、15分くらい話しをして終わりました精神科の先生からは、対人面がすごく発達していて家庭環境や保育園という環境がすごく良い事や家族や周りの人がすごく温かく奏太を見守って支えてくれている事が大変素晴らしいと言って頂いて本当に涙がでるくらい嬉しかったです奏太も大手術を良く頑張ったねと沢山誉められてましたそしてその後職員の方から検査の結果の説明がありました知能検査でIQがわかるように今回の“遠城寺式乳幼児分析的発達検査”でDQというのがわかります奏太の平均DQは46で1歳半くらいでした項目事の結果は移動運動=42、手の運動=47、基本的習慣=42、対人関係=63、発語=36、言語理解=47でした対人関係がずば抜けて良くて、2歳~2歳半位でした対人関係が良いことは奏太にとってすごくプラスな事で、人とコミュニケーションがとれるということなのでこれからの発語や言語理解や基本的習慣、運動と全てにプラスになりますよと言われて本当に嬉しかったです専門的な力も借りずに良く頑張りましたねと私自身誉められた事が子供のように嬉しかったです奏太、1歳半かぁ~思ったより良くて、意外に奏太は1人前なんだなぁと思いました奏太自身の頑張りに支えられているなと、奏太に感謝ですそれから常に支えてくれているパパやお姉ちゃん達、おばあちゃんおじいちゃん、私の兄弟パパの兄弟、保育園の先生、保育園のお友達や保護者の方々、みんなに改めてありがとうという思いがこみ上げた1日でした奏太、1日検査でお疲れ様でしたネコがネコであるようにイヌがイヌであるように全身全霊僕でありたい ~Jam the HouseNail “NHK”より~
2011/02/16
コメント(1)
1月中旬から保育園でアデノウィルスが流行り始め、アデノウィルスで入院したことのある奏太は末から休んでいました…が2月に入った頃から鼻水がずるずる4日金曜日に病院に行ってアデノウィルスとインフルエンザの検査をしたところ…アデノウィルスでしたちょっと保育園を休ませるタイミングが遅かったかなぁと反省してます奏太の担任の先生と話をしていたら、保育士の間で今問題になっていることがあるそうで。。。それは、やはりウィルス性の風邪やインフルエンザなどの重症化しそうなものが流行りだすとうちのように休ませて安全策をとる家庭も他にいるそうで、その一方、『仕事が休めないから』と具合の悪い子を平気で預けていく家庭もある。。。保育園は本来、元気な子が通う場であり風邪や感染症に罹っている子供を預かる場ではないという思いが保育士の間で強くなってきていて、その問題をどう対処していくか今保育園では考えているのだそうです確かに『仕事が休めないから』と預ける気持ち・・・わからなくはありません。けど、もしたった1日たった数時間、子供より自分の立場や仕事やお金を優先にしてしまったことで子供の命に関わってしまったら・・・後悔しても遅いですねそれに、自分の子供がなんともなく過ぎたとしても自分の子供から移ったお友達が、自分の子供が原因で他の子供が苦しい思いをしたのならば・・・きっと親よりも子供同士が傷つくことになると思いますうちの場合は、そんなことを言っていても奏太を守ることのほうが先決なので休ませています・・・が、一人一人、そういった事を守ることができたならば、保育園で移ってくるものもぐっと少なくなると思うし、何よりも苦しい時に無理をして保育園に行かされる子供が減りますね保育園で今後どのような対策をとるかな~と、あまり期待はせずに見届けたいと思います今週木曜日はこども病院の受診日3ヶ月に1回だから、なんとか行きたいんだけど無理はできないなぁ富を軽蔑する人間をあまり信ずるな。富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ。こういう人間がたまたま富を得ると、一番始末が悪い人間になる。 ~ベーコン(英・哲学者)~
2011/02/06
コメント(4)
1/31~2/2までの3日間のバイト無事に終了しましたたった3日間のバイトでしたが10時~18時というフルタイムでの久しぶりのお仕事でしたお仕事の内容は、大学の入学願書の受け付けです郵送で送られてきたものの確認とデート入力、そして受験票の返信です書類の確認、ナンバーリング、テンキーを使っての入力作業、そして入力した分のチェックリストの確認。。。どれも銀行員経験の長い私にとっては苦にならない。。。むしろ楽しいお仕事でした数百人分の願書をたった2人で全部しなくてはいけないので、お昼休憩の45分以外はほとんど私語もなくトイレも行かずまるで何かに取りつかれたような感じでモクモクと作業をこなしましたその甲斐あって、最終日は大学の担当者の方から『ミスもなく、予定時間より早く出来たので本当に助かりましたまた、来年もお仕事をされていない状態の時に是非来ていただきたいです』と言っていただけました今回、派遣会社を通してのお仕事だったのでクライアント様からそう言っていただけたのが本当に嬉しかったですそして、大学側から派遣会社にお電話もして頂いたようで最終日に派遣会社の担当の方からがあり、『お疲れ様でした。大学の●●様からお礼のがありました良いお仕事をして頂きありがとうございました』と誉めて頂きましたいや~いくつになっても人から褒められるというのは嬉しいものですそして、新しいお仕事の紹介も頂けて本当に嬉しかったです。。。ただ、新しいお仕事はお断りしましたが。。。2月3月は、いろんな感染症の出回る季節・・・やはり、子供が具合の悪い時は母親が休まなくてはなりません奏太の保育園もインフルエンザにアデノウィルスに胃腸炎に・・・いつ移ってもおかしくないし、そうなれば基礎疾患のある奏太は重症化します『重症化する』そこが普通の健常児とは違うところですだから、基礎疾患のある子供の母親はこの季節必死です・・・まあ。。。わかるのは同じ思いをしたことのある方だけだと思いますが。2月3月は長期のお仕事を入れてしまうと、もしもの時に仕事か子供かとなりますもちろん子供なのですが、そうするとせっかくのお仕事に負担が来てしまいます喉から手が出るほど働きたいのですが、泣く泣くお断りしました4月5月になって感染症も終息したら、思う存分働きたいと思いますしかし、話は戻りますが・・・今回入学願書の受け付けをしてみておもったのですが・・・なんとまあ、不備や間違いの多い事多い事それと、字が汚い・・・汚いだけならまだしも、走り書きのようななぐり書きと言うべきか地方の大学だからってなめていやしないかいと思わせるようなものまでありました担任の先生なり、親なり・・・誰か注意出来る人や確認できる人はいなかったのかな~と思いましたうちの子供達があんな願書書いたら『即書きなおし』ですが。。。もちろん、字もきれいミスもないという願書もありましたが、ごくわずかでした。それから、そうゆう不備だらけの願書は県外の方が多かったです何故かしら。。。合否には関係ないのかもしれないけれど、願書。。。って大切ですよねあせるな よくばるなあわてるなみんな1歩ずつ歩いてるんだから ~『1リットルの涙』より~
2011/02/04
コメント(0)
年明けからなんだかんだとほぼ毎日予定があり、なかなか資格取得の勉強もできずに時間ばかり過ぎています日記の『タイトル』って結構悩むんですが…私だけかな普段書いている日記はタイトルなんてつけないし『冬も夏も』我が家のカレンダーは行事や予定で真っ黒という事ですそんな忙しい毎日ですが、単発でも仕事をしたくて31日と2月1日2日の3日間、大学の願書受付のアルバイトをします裏方ですが、人生を左右する大学入試…入力や確認にミスがないように勤めようと思います正直、長期の仕事をしたいのですがフルタイムでは私の場合家事育児が疎かになりそうで、9時か10時~3時か4時までという短時間パートを探していますが、そうゆう条件の良い仕事というのは人気があり、先日受けた面接も4人採用枠に56人というすごい倍率でしたみごと落ちました以前働いていた職場の何件かは、仕事の依頼もあるのですが全てフルタイムだし、月末や月初は残業があるのでどれも断っています。ありがたい話しなのになぁ~と申し訳ない気持ちになります昨夜児童相談所からがあり、申請していた療育手帳のための知能検査と診察を2月に受ける事になりました奏太が生まれてダウン症とわかってから申請に1度市役所に行ったのですが、山形県は3歳からですと断られて、『3歳なんてまだまだだなぁ~』なんて思っていたけれど、あっという間にその3歳になりました変な話しですが…奏太のIQがわかったり発達年齢がわかったりする事に、少しワクワクしている私です絶対的に遅れているのはわかりきっているんだけど、それが現実に数字や言葉で突きつけられるわけですが、それできっと私はショックかもしれないし納得なのかもしれない…けれど、その現実を全てを受け入れる自信が愛があるから、なんだか奏太の事を知れる検査と思うとワクワクするのです…私はい変わってます親にも言われます気分悪くされた方いたらごめんなさい2月は、月初めから仕事、こども病院受診、町内会の広報部の仕事、療育手帳の検査、二女のスクールバンドコンサートそしてムフフ3回目の入籍記念日と、またまた、なかなか忙しい2月ですインフルエンザ。。。ひしひしと忍び寄ってますね。。。嫌なものって音もせずにやってくるものですが。。。罹らないように、重症しないように。。。皆様も気を付けてくださいね野望や、ただの義務感からは本当に価値のあるものは生まれません。それは、人や対象となる物への愛と献身から芽生えます ~アルバート・アインシュタイン~
2011/01/26
コメント(4)
年末から誕生日続きだった我が家1月9日は長女の誕生日でした9日は天気もまずまずだったので月山を越えて内陸の山形市と南陽市に行って来ました南陽市は去年亡くなった義父の実家があるので義父の実家に行って、山形市は大好物のいちご大福を買いに行って、長女の希望で山形の洋食バイキングに行って来ました長女が生まれた日も雪1月7日が予定日(偶然にもパパの誕生日)でしたが生まれず、陣痛促進剤を使っての分娩でした華の16歳・・・まだまだ子供だな~と思う部分が多いですが・・・たまに、妹たちを注意する口調が私と似ていて、そんな時『大人になったな~』なんて感じたりします私は娘たちが小さいころから徹底していることがありますそれは、『大人をバカにしない』ということです目上の人や先生や時には友人の親に対して・・・私は大人をバカにするということはいろんな犯罪の心理につながっているような気がして、だからか、とても大嫌いなのです幸い、うちの子供たちは今のところ守ってくれているので良かったな~と思います作業療法士を目指して県立大学に進めるように、とりあえず今年はホームヘルパーと医療事務の資格取得を頑張るそうです・・・どこかで聞いた話でしょ・・・実は長女と私の今年の目標は同じなのです現役女子高生に負けないように私も頑張りたいと思いますはるかHAPPYHAPPYBIRTHDAY私の子供に生まれてきてくれてありがとう今日17日(といっても、日付越えちゃいましたが)は奏太の3歳の誕生日ですあっという間の3年です奏太は17日に日付が変わってすぐに生まれて、名前は決まっていたので17日当日すぐにパパが出生届を出しましただから3年前の今頃はすでに鶴岡市民となっていましたまだ心疾患の事もダウン症の事も告知されていなくて、ただ三週間早く生まれた小さい我が子が保育器に入っている事を心配していましたあれから3年かぁ…今の奏太は歩くようになったし、保育園にも行ってる…正直、心疾患やダウン症を告知された時は想像できなかったです奏太、大きくなって本当に頑張ったねいろんな事が、健常児や同じ年頃のダウンちゃんから遅れてるかもしれないけど、遅れていても出来なくても、いいんだよ今、奏太が生きているその命が今私の目の前にある奏太がいてくれるそれだけで…ありがとうHAPPYHAPPYBIRTHDAY奏太保育園から誕生日プレゼントをもらいましたそして今日は、奏太のグループの担任のちか先生と、奏太の担任のまゆみ先生からメッセージを頂きましたのでそのままメッセージカードを載せたいと思います先生いつもありがとうございます
2011/01/17
コメント(1)
今日は愛しの愛しのパパの38歳の誕生日ですこの前から『40代に足がかかる~』と嘆いていたパパ大丈夫よパパとても38歳には見えませんから学生服着てれば高校生に見えなくもない・・・ってほど童顔なパパです奏太が生まれてからずっと毎回病院にも付き添ってくれて、去年二女と三女が新型インフルエンザになった時も、奏太が退院直後だったため、それでなくても奏太には移してられないってことで二女と三女を連れて自分の実家に隔離して・・・けど、子供たちだけでは寂しいだろうってことで自分も仕事を休んで一緒に実家にこもって看病してくれて口先だけで自分は子煩悩だとか、面倒を見ているなんて言う父親が増えているけれど。。。パパは実際に自分のことを後回しにして子供たちや私のために行動してくれるスーパーマンです普段から、家事も育児も協力してくれて自分は!って強調するよりも『美穂ちゃんのためにはどうしたら~』っていつも私を大事にしてくれるパパ、本当に本当にいつもありがとうこれからも一緒に頑張って生きて行こうね奏太の初出展作品同年代の子供と比べたら全然なんだけど・・・奏太が自分でクレヨンを持って書いたことが私達家族にとってとても嬉しい事です奏太上手だね今日はかなりの雪が朝から降りましたパパの誕生日お母さんが言ったそうです『あなたが生まれた日も、こんな天気だったよ』きっと母親って何年経っても子供がこの世に生まれてきた日のことを覚えているんですね
2011/01/07
コメント(8)
昨年不幸がありましたので、年始のご挨拶は控えさせていただきますが・・・今年もどうぞよろしくお願い致します年末年始、いかがお過ごしでしょうか30日、またもやパパの実家に行き、お正月用のお餅をついてきました毎年恒例なのですが・・・今年は初めてお義父さんのいない餅つきとなりましたみんなでお餅を丸めながら、『お爺ちゃん、こう言ってたよね~』と、そこにお義父さんもまるでいるかのようでした出来あがったお餅を、汁餅と海苔餅にしてお昼に食べてきました柔らかくてつやつやしていてとても美味しかったですお餅がひと段落したときに、『おっ』と気づきました前回の日記にも書いた、習字ですが・・・なんと、1番上のお姉さんも書いて貼ってありました ちょっとウケましたしかも、『44歳』ってちゃんと書いてあるし~誰が審査員になるのか不明ですが・・・2番目のお姉さんあたりがきっと公平な審査をしてくれるんじゃないかな~と楽しみにしています昨年はいろんなことがありました楽しい事も、辛いことも悲しい事も・・・今年は、家族みんなが健康で楽しく笑うことを増やしていけたらな~と思います3月には念願の一軒家(貸家ですが)にも引っ越しできそうなので楽しみですそれと、今年は出産育児で中途半端になっていた医療事務の資格を頑張って取得しようと思っています3,4年前に医療事務講座を修了しているので、年末にもう一度改正になった分のテキストを請求しました年明けに発送との連絡が来ているので、到着したらなんとか時間を作って勉強して夏ころに1度試験を受けようと思いますそれから、医療事務が合格したらヘルパーの資格も取得しようと思いますニチイさんのホームヘルパー2級の講座を受けたいのですが何せ\が9万円もかかるので、ハローワークの講座を狙っています私の目的はホームヘルパーに付随する“障害者(児)ヘルパー”なんですが・・・ヘルパーを取得したらガイドヘルパーの資格も取って医療事務とヘルパーの資格を武器になんとか障害者施設か、保育園や療育センターなどの支援を必要とする子供に携わる仕事に就きたいなと思います並の努力ではできないだろうな・・・と今から思っていますが、努力を惜しまず今年は1歩でも近づけるように頑張りたいと思いますでは、皆様、良いお年を。人は大きな目的をもってこそ、おのずから大きくなれる ~シラー(ドイツの詩人・劇作家)~
2011/01/01
コメント(2)
27日は三女の華愛の7歳の誕生日でした27日は、1日の中で何度も当時のことが頭に浮かびましたこれは生まれてわずか数時間のですこんな小さかったんだ~って、改めて思います“華愛”(はな)という名前は私が付けました“華やかで愛らしい”女の子になってほしいという思いを込めて最初“華”と1字だけでしたが画数がいまいち。。。で、“愛”という当て字をつけましたこれは、1歳半のころです色が白くて、どこにいっても『色が白くて可愛い』なんて言われてました色白なところは私にそっくりです。。。2歳だんだん人を笑わせることに快感を覚えてきた頃でしょうか3歳この頃パパと出会い意気投合何をするにもどこに行くにも、パパパパ4歳半もうすっかり今の華愛の顔です6歳七五三のですこの時、華愛の成長にパパとママの目に涙がうっすらと浮かびながらの撮影でした子供達が大きくなるのは本当に早いですこの日はクリスマスの後でしたが、ちょっとだけご馳走にしました海苔のカップが売っているのをご存じですか?それにご飯を入れて、いくらやまぐろのタタキを盛り付けると簡単に華やかなお寿司ができますクリスマスにご馳走のを撮り忘れたので今度こそはとご馳走のは撮りましたが今度はケーキのを撮りそびれました今回はミルクレープにしました華愛!happy birthday!日曜日にパパの実家に行ったときに、二女の書き初めを見ていて私とパパとお義母さんでお手本を書くことになって3人で書きました右が私、真ん中がパパ、左がお義母さんですお義父さんに見えるように、壁に貼られてしまいました今度行ったとき、学校の先生であるお姉さんたちから添削されていそうな感じです「もう放浪いたしません」僕は毎日々々ふらふらして 遠い所まで歩いていって るんぺんをして居るのは自分でもるんぺんと言ふことはよくないというのは知っていて るんぺんをしているのは自分のくせか自分の病気だろうと思ふので毎日ふらふらして歩くのは くせか病気だから くせか病気は急にはなほらないから だんだんと 其のくせをなほそうと思って居るので 今年一ぱい るんぺんをして 来年からるんぺんをやめようと思って 学園の先生とそうだんをしたので 幾らくせでも なほそうと思へば 今からでもすぐ 其のくせがなほると言はれたから 今度から るんぺんをするのを思ひきってやめようと思ひます もしるんぺんをした場合は 病気と思はれてもかまいません昭和二十九年四月十一日 山下清八幡学園長様 ~山下清 放浪記より~山下清は私は大好きですこの文章も、ただの障害者の文として読めばそれまでですが私はこの文章から山下清と言う人を通していろんなことを思います、感じます。普通の健常者にはない“素直さ”が1番障害者は持っているのではないか。。。そんな気がします。だからこそ、障害者の多くは健常者よりも勝る“才能”を持ち合わせているのだと思います犯罪者=知的障害者と思っている人って意外といます。でも、圧倒的に犯罪者は健常者に多いのだと思います。障害って、先天的なものもありますが後天的なものは本当に多いです障害も病気も、明日は我が身。。。です
2010/12/28
コメント(2)
我が家は昨日のクリスマスイブにパーティーをしました毎年恒例で作るのが、鳥の骨付きモモ肉煮ですブログのためにを撮っておこうと思いましたが・・・すっかり食べることに夢中になってしまい忘れました今年のメニューは鳥の骨付き肉生ハムと生モッツァレラチーズのサラダ生寿司手巻き寿司クリスマスケーキ(いちご)でした今年は寿司にしたので、手作りのものは少なかったけれど27日の三女の誕生日に気合いと気持ちを込めて誕生日ケーキとご馳走を作りたいと思いますそして今年のサンタさんのプレゼントは長女は、落ち着いた茶色のコート(さすがに高一となるとしっかりしたものを選びます)二女は、Wiiの『MUSIC』(二女は4年生からスクールバンドに入っているので音楽系のものが大好きです)三女は、プリキュアのおもちゃパソコン(さすがに小学生になってプリキュアは悩みましたが・・・)長男の奏太は、さぼさんの動く人形じーーーっとさぼさんを見ています思っていた以上に興味津々で喜んでいますそして私は・・・パパにも『何か買ってあげるよ』と言われたのですが自分に使うなんてお金がもったいなくて、中々決まらずけれど、今年は通信で勉強をして“医療事務”の資格を取りたいのでそのテキスト代を出して頂きましたパパありがとうなんとか時間を作って勉強して、資格を取りたいと思います23日は久しぶりにパパの実家へと行って夕飯をご馳走になってきましたやっぱりみんなで話していても、自然とお義父さんの話が出ますみんなが囲むその食卓にお義父さんは今でもいるんだ・・・って感じました普段、お義母さんは1人で食べてるんだな~と思うとちょっと切なかったですけれど、ずうずうしくも明日26日もパパの実家に遊びに行く予定ですみんなで昼食を食べる予定ですお義父さんが生きていた時と、まだ何にも変わっていません毎週のように土曜か日曜はパパの実家に遊びに行ってみんなでご飯を食べて、ご飯を食べた後みんなでお茶を飲みながらいろんな話をして・・・23日もそうでした何にも変わらず、時間を過ごしてきましたただ、そこにお義父さんの姿と声がなかった・・・けど、みんながお義父さんの話をしましたみなさんのクリスマスはどうでしたか?そして、年末年始はどう過ごしますか?我が家の予定は30日はパパの実家に餅つきに行きますお正月に食べるお餅の準備をしてきます31日は、実家の母も一緒に仙台に一泊で行きます1日は、仙台のアウトレットモールの初売りに行く予定です2日~4日までの間にパパの実家にお泊りに行く予定ですパパの実家では毎年“書き初め”をします二女の宿題のためですが、結局みんな書いています来年は何書こうかな~そうそうそういえば毎年我が家にはパパのお友達からクリスマスにケーキが届きます今年はこれでしたブルーベリータルトとプリンとロールケーキ人数が多いのに小さいケーキで済ませちゃう我が家としては本当に助かります男の方なのに・・・本当にマメです努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る ~井上靖(作家)~
2010/12/25
コメント(2)
最近結構聞きますねパワースポット私は自分だけのパワースポットがありますそれは、小さい頃通っていた保育園の近くにあった公園です私が通っていた保育園はとっくの昔に無くなってしまい、だからこそその公園は保育園の代わりに私の思い出の場所となっていますその公園は、ひっそりとした住宅地にあります遊具はこの滑り台しかありません。。。私が小さい頃は飛び石やタイヤの跳び箱やシーソーもあったのですが撤去されたような感じでしたこの滑り台・・・なんと石なんです今の時代はだいたいがプラスチックのような素材ですよね~だから滑ると間違いなくズボンはすり切れます私が小さい頃、私のズボンはどうなっていたんだろう。。。案の定、この日三女も滑ったのですが『お尻痛~~~~い』と言っていましたこの公園の真ん中に立って空を見上げるのが大好きです今日は天気も良くて目を閉じて深呼吸して保育園の時に遊んだことを1つ1つ思い出しました32~33年経ってもこの公園は私に元気をくれます人間である限り、誰でも過ちはある。しかし賢者や善人は、自分の過ちや失敗の中から、未来に備えるための知恵を学び取る。 ~プルターク(ギリシャの史家)~
2010/12/19
コメント(0)
今年初の、積雪です外に出るのが嫌なので、怠けて家の中から外を撮影しました。。。せっかく天気が良いのに、洗濯ものも干せませんうちのパパ・・・感心なことに毎年この時季になるとコインランドリーへとひたすら足を運んでくれます私が怠け者だから。。。6人分の洗濯ものすぐに溜まりますそして。。。この季節乾きません2LDKの狭いアパートだから室内に干すところもなく。。。困りますけれど来年、同じ町内に1軒だけある貸家が空きそうですそこは3LDKなので今よりも1つ部屋が多いので、一人部屋が欲しかった高校生の長女にとっては念願の一人部屋です一人部屋になったら“彼氏”を招待したいそうでパパに話したら、その時は自分は買い物に行くと言っていました父親の気持ちは複雑です娘が3人もいるパパは大変だな~元気になった奏太!今日も笑顔です!「なにくそっ」は他人にではなく、自分に対して持て他人への依存ではなく自立の力へ ~桜井章一(雀士)~
2010/12/16
コメント(4)
8日からRSウィルスからの肺炎で入院していましたが、無事12日のレントゲンの結果が良かったので退院しましたいつも入院すると食欲旺盛になるんだけど、9日、10日とご飯を食べなかったので心配でしたが、11日に点滴を外したら食欲も普通に戻りました点滴をしていると血糖値が一定になるため、『お腹すいた~』というかんじが無くなるそうです今回は11月の末からずっと鼻水が続いていて、保育園も12月初めから休んでいました12月になって咳も出始めて何度も小児科を受診はしていましたけれど熱もなかったし、一度37度8分と上がった事はあったけれどすぐに平熱に下がっていたので、『寝ぞう悪いから風邪だろう』というくらいにしか考えていませんでした7日の夜に咳の音が変わって、深いところでのゴホゴホという感じになって『金曜日に主治医の予約入ってるけど明日連れて行こう』とパパと話していて、その時にダウン症のコミュで奏太と近い2歳のお子さんが『肺炎から呼吸不全になり亡くなりました』というコメを見て、何か胸騒ぎがしましたそして次の日、朝一番に小児科に連れて行ったら『RSウィルスからの肺炎』と聞いて、鳥肌がたちました肺炎は熱の有無とは関係なくなることは知っていましたが、まさかこんなにも普通にしていて、なってしまうなんて・・・ダウンちゃんのコミュやコメしていた方に助けられたなぁと本当に感謝しました熱もなく静かに悪化していって肺炎になるなんて本当に怖いです…特に疾患を抱えてる子供にとったら本当に怖いですこれからの季節、本当に怖いです…全力で守らなくては子供の変化にいち早く気づいて病院に連れていくことが本当に大事なのだと改めて思いました 病院で撮りました自分の足の匂いを嗅いで『臭い』って鼻をつまんでますけして臭くはないのです・・・私が冗談で『奏太のあしくちゃい』とやっていたらマネしてするようになりました は、ぽんかんですこの楽天のブログを通して仲良くさせて頂いていて8月に天国へと旅立った☆うみ☆さんのご両親から“ぽんかん”が届いていましたいろんな意味のこもった贈り物に感謝ですなにごとも陰日なたなく頑張ると、神様は半分だけ望みをかなえてくださる。残りの半分は、また頑張れるように、増長しないように謙虚に生きるようにと心に貯金をして下さっている。こう考えると、不平不満など消え去り、心にゆとりが生まれます。笑顔が溢れます。こうして人は、幸せになっていくのだと思うのです。 ~市川善彦 (日本ガードサービス株式会社代表取締役、講演家)~
2010/12/15
コメント(2)
今日の夕焼けです今日は、お義父さんが亡くなってから1ヶ月でしたお義父さんが亡くなってから、1日もお義父さんの事を考えない日はないです毎日、毎日お義父さんに関係するいろんなことを、考えてしまいます考えて考えて最後にいつも思うことは会いたい話したいということです今日は、奏太が風邪をひいてしまいパパの実家に行けない私に代わって母が、お花を供えに行ってくれました母が行くと、お義母さんは畑を一生懸命にしていたそうです畑・・・も、お義父さんが残してくれたものですお義父さん、いつもお義母さんの側にいるような気がしますそして時々、私や奏太・・・子供たちの側にいるような気がします1か月なんて、あっという間ですね天気が良かった時に公園に行ってきましたどことな~くコアラ(?)さんが疲れて見えます・・・が、奏太は満面の笑顔です「ありがとう」という言葉は、ポケットにしまってはいけません ~ユダヤの格言~
2010/12/06
コメント(1)
前回の更新から約1カ月が経ちました・・・というより、経っていましたこの1ヶ月間は本当にいろんなことがあり今やっと少し落ち着いてきた感じです心配してくださった方々、メールを頂きまして本当にありがとうございましたこの1ヶ月間で1番大きなことは義父が亡くなったことです義父は肝臓ガンで私と同じ平成17年に初めの手術をしていましたパパと付き合ってそのことを聞いた時も、なんとも言えないお義父さんとの『運命』を感じたりしていましたその後も何度か手術をしていましたが、私達が結婚した年の平成19年の手術では、開腹したもののガンが大きな血管の側に癒着していて、なにも出来ずに閉じただけに終わっていましたですがその後、放射線や抗がん剤に耐えて何とか今年を生きていました9月の末の定期検診では、腹水も溜まってきていてあと2カ月・・・との余命宣告を受けていました10月になってからは腹水が苦しくて、食べたいものも食べれず心太やそうめんをほんの一口ほど食べるだけ・・・というところまでになっていました腹水を抜くことも、いろんな情報から振り回され最後の最後まで拒否していましたが、良い例などパパが話したことから腹水を抜く覚悟を決め、11月1日に入院しました1日、私もお義母さんと一緒に病院に行ったのですが、手続きなどで待っている間、お義父さんは病院に初めて来たときのことや病院のいろんなことなど話してくれましたそして、『美穂さんは、ちゃんと検診してよ』と何度も何度も言っていましたそれから毎日病院に行きましたお義父さんが入院して、パパにも話しましたが私は、パパや周りの人が見て思っている以上にお義父さんのことが好きなのだという話をしましたもちろんパパとの縁でパパと結ばれたのだけれど私はずっとお義父さんとの縁も感じていましたそれはやはり同じ『ガン』という病気と闘っている・・・ということもあるのだと思います11月2日に腹水を抜いたら、思った以上に血液が大部分を占めていてもういつどうなってもおかしくはない状態だと告げられましたそして、3日に子供達も家族みんなでお見舞いに行きました前日に腹水を抜いたからかちょっと食欲も出てわりと元気に見えました・・・が、お義父さんが笑った顔を見たのはこの日が最後でした次の日から痛み止めのためにモルヒネを使いましたそして、寝ている時間が1日の大半を占めるようになりましたそんな状態の中で、妻や娘や息子の声は聞こえるらしくお姉さんたち、パパが話しかけると目は開かないもののうなずくしぐさもありましたそんな状態のお義父さんが目を開いたときに私を見て『いだの~』(いたね~)と言ってくれたのを、今でも思い出します6日、午前1時パパからの呼び出しでちょっと呼吸の仕方が変わってきたから来たほうがいいと連絡があり、その1時間後お姉さんたちとお義母さんとパパと私が見守る中お義父さんは少しの涙とともに息を引き取りましたパパは長男ですパパの実家は鶴岡市ですが、いわゆる“部落地区”でまだまだ古いしきたり等も残っている町です私と結婚するまではパパ自身も長男だから嫁を貰って家を継がなければと考えていましたそして私と出会い結婚を決めて、でも私や子供達のことを考えて自分が家を出ることを決めましたありがたいことに、そのことにお義父さんもお義母さんも反対はしませんでしたお義父さんは、小学校の先生だったので子供達を転校させるのは可哀想だと言ってくださいましたお義父さんはお婿さんでした山形県の置賜地方の出身で、こちらの庄内地方に来て苦労は並ではなかったようですだからこそ、私がパパの実家に入ればどんなことに苦労しどんなことを言われどんなふうに扱われるのかも自分が経験をして知っていたからこそ、家に入らなくてもいいと言ってくれていたのだと思いますまして、それは私だけではなく子供達も受けてしまう・・・そんなことを考えて、お義父さんは私達を守ってくれたのだと思いますパパと結婚してからほぼ毎週末パパの実家に行っていました私はお義父さんとお義母さんと話せるのが楽しみで仕方がないのですいつも真剣に聞いてくれる、いつも気持ち良く迎えてくれるそしてお義父さんのギャグ・・・お義母さんのマイペースな笑いもう、大好きなお義父さんの笑い顔が、声が聞けないのかと思うと・・・本当に本当に悲しいですお義父さんが生きているうちに、まだ話せるうちにこの感謝の気持ちを、もっともっと言葉にしたかった私が、こんなにもお義父さんのことが大好きだったなんてきっと誰も思いもしないでしょう人として、父親として、子供たちの祖父として本当に温かい人でしたお義父さんが亡くなってから葬儀までの間、お義母さんと2人になったときがありましたその時にお義母さんに『私、たった3年しか嫁ができなかったもっともっと、お義父さんの側で嫁としてつとめたかったもっと早くパパと出会って結婚して、ちゃんとパパとの間に遥香と有沙と華愛と奏太が生まれてそしてみんなで暮らしたかった』と言いましたお義母さんは『ほんとにね・・・出会いってわからないねでも、本当に彰もお父ちゃんも私も、あなたと出会って子供たちとも出会って本当に幸せだと思ってるよ』と言ってもらいましたこの気持ちをお義父さんにも伝えたかったけれど・・・これから私がお義父さんに出来ることはパパと子供達とそしてお義母さんと、笑って過ごせるように私が守って生きますお義父さん、本当に本当にありがとうありがとう
2010/11/26
コメント(2)
23日、新潟大学病院で目が覚めると寒気がしました夜中も寒かったけれど、布団を広げて掛けれるほどの余裕もなくそのまま何も掛けずに寝ていたのでそのせいで風邪をひいたかなと思いました母と奏太と退院をしてタクシーで新潟駅に着いてからもお腹がハンパなく痛く、変な汗までもかき始めました。。。特急いなほの中でも、寒いし痛いしでけれど、母が心配するといけないので言えずに何とか自宅に着きました自宅に着いて熱を計ると38度。。。奏太もちょうどお昼寝をしてくれたので、私もすぐに布団に横になりましたこの日、山形市で競技会だったパパからパパは打ち上げも最初だけ顔を出して帰ってきてくれました風邪かな~と思ったのでルルを飲んで眠りましたお腹の痛みが26日になっても良くならず、かなりの激痛買い物をしていてもお腹と、とうとう背中までも痛みが走るようになりこれは普通じゃないな~と、近くのクリニックへ痛みの場所やレントゲンからすると、十二指腸潰瘍か膵炎だろうとのこと。。。この痛み・・・やっぱり風邪じゃなかったんだ先生から、『相当痛いでしょ?』と聞かれ『我慢できるくらいです』と答えたら『おそらく相当痛いはずですから・・・救急車で運ばれる人もいるんですよ』と苦笑いされました私・・・何せ我慢強いもので薬をもらいましたが、また繰り返すだろうとのことで・・・この次、カメラを飲むことにカ・メ・ラ初・・・ですやだな~怖いな~けれど、病気が治らないのはもっと怖い薬が効いてきて、ようやく今日からは動けるけれど23日からずーっとパパが家事を手伝ってくれて、本当に感謝ですあっ、でもうちのパパ普段から手伝ってくれてるからな~本当に、心から感謝しますありがとう、パパ早く治さないとな~ 今日は久々のお天気でしたちょっと肌寒いですが・・・奏太、最近のお気に入りの場所ですおもちゃのケース・・・なんだけどおもちゃは、ポイポイと出しちゃって自分で跨いで入ってます落ち着くのかな~ラクに生きてる人って、感謝が多い。イヤなことにも感謝する。もちろん、よかったことも感謝する ~斎藤一人(銀座まるかん創業者)~
2010/10/29
コメント(6)
21日~23日まで新潟大学病院にカテーテル検査のため入院してきました今回のカテーテル検査は、1年前のファロー四徴症の根治術の術後の経過をカテーテル検査で見るものでした定期的に地元の荘内病院で診て頂いていますが、最近ちょっと術後の心臓の大きさより大きくなっていると言われていましたそういったことでも、ちゃんとした検査が必要でそれは地元の病院では出来ないので新潟大学病院での検査になりました21日、小児科外来に行くとすぐに身長体重を計って血液検査レントゲンと検尿で、忙しい大学病院にしては手際よく進みましたそれから、病室へ病室へ行くと入口に見覚えのある名前が1年前に一緒に入院していたお友達でした。。。が、タッチの差で会えず。。。残念でしたお昼ご飯を食べて、3時から心エコーと心電図の検査それまで時間があったので、心臓血管外科に行こうか~なんて話していたらなんと心臓血管外科の手術をしてくれた先生が2人、わざわざ来てくれました1年も経っているのに。。。本当に懐かしくて。。。奏太の命の恩人だもんね。。。親でさえもなんにもしてあげられないのに、一生懸命に勉強して医者になってくれた先生たちがいたからこそ助かった奏太の命だもの。。。そんな先生たちが会いに来てくれて『奏ちゃん、元気?ますます愛くるしくなって~』って言いながら、先生の携帯から奏太の1年前の写真が出てきたときはもう感動で泣きそうでした歩くようになった奏太のことを見て驚いていたし、保育園にも言ってるっていったらますますビックリしてましたそんな再会をしてから、眠る薬を飲んでエコーへ(眠る薬って心疾患のある方ならわかりますよね。。。あのオレンジ色のあま~い匂いのするやつです)エコーでは、始めようとした時に起きてしまうハプニングもありましたが何とか寝かしつけ無事に終了その後の心電図は、まるっきり目が覚めてしまいましたがジッとしていたのでOK夕方に明日のカテーテル検査の説明が担当医からあって、早めの就寝となりました22日、1時からカテーテル検査なので9時から絶食です検査は1時から全身麻酔で行われましたカテーテル検査もいろんな危険があるので、本当に心配でしたが、3時過ぎに無事終了検査室前まで迎えに行くと麻酔から覚めた汗だくの奏太奏太、頑張ったねとパパと何度も声をかけながら撫でましたカテーテル検査は病室に戻ってからが実は1番大変で、カテーテルは足の付け根から入れているので、下半身を明日の朝まで動かしてはダメなのですなので、体を拘束されてしまいます こんな状態が1晩。。。シーツを脇の下からかけられその上に砂袋を置かれ身動きできなくします2歳児とはいえ、やはりかなりのストレスです案の定。。。夜中の3時に目が覚めた奏太発狂しまくり上半身を反動を使ってひねろうとするし。。。それが5時まで続き私も奏太の疲れきって、やっと再び眠りにつきました23日、朝9時に担当医が来て拘束解除砂袋が退けられていくと、奏太の顔つきもいつもの顔つきになって行きましたそして、10時に退院新潟を逃げるようにして10時57分発の特急いなほで鶴岡へと帰りました検査の結果、術後の心臓の状態よりも右心室に負担がかかっていて心臓がやはり大きくなっていることが分かりました1、肺動脈弁逆流により右心室の拡大2、肺動脈弁上狭窄3、両側末梢性肺動脈狭窄の3点が良い結果ではありませんでしたパパも私も正直、手術をすれば完璧。。。と考えていましたから、自分たちの考えがいかに安易なものか突きつけられた感じでしたファロー四徴症はやはり肺動脈のことが一生付きまとうのだそうですですから、医者側からすると3点は予測の範囲内だったようですただ、それも急いで処置をしなければならないという程度ではないようで。。。それがせめてもの救いだと思いますでも目の前に、去年の手術後元気になった奏太がいる息をしている、呼吸をしている笑っている、泣いている、怒っている話している、歩いている成長している今の一瞬一瞬が、本当に大切だし。。。幸せこれからも、今まで通り奏太を守っていくパパと、家族みんなで。それをするのに、最高の日は、今日。最悪の日は、明日。 ~中谷彰宏(作家、俳優)~
2010/10/25
コメント(1)
最近値上がりになりました・・・タ・バ・コこの値上がりを機に禁煙する人も・・・ちらほらとただ、思った以上に周りで禁煙に切り替えた人は少ないようで・・・パパの職場でも、わずかしかいないようですうちのパパは喫煙者・・・でしたそうで・し・た なんですタバコが値上がりになる話が出るかでないかのころに、意を決して禁煙今は禁煙外来というのがあるそうで・・・(舘ひろしさんでお馴染の)禁煙=気合いという考えは間違いで、そうゆう考えの人ほど挫折するのだそうですタバコがやめれないのも立派な病気で『ニコチン依存症』という病気なのだそうですですから、病気は医者に行って治しましょう・・・ということなのだそうですパパが禁煙をしようと思ったきっかけは、舘ひろしさんの影響でもなく私に言われたからでもなく・・・子供の言葉でしたある日、私は二女と2人で出かけたことがありましたそこで、『ありさは、パパのこと好き?』と聞くと『うん!』と即答『え~どんなとこが好きなの?』と聞くと、『う~ん・・・あっ、けどこのぐらい(手を大きく広げて)は好きだけど、このぐらい(親指と人差し指で小さく)は嫌い。だって、パパ、タバコ吸うんだもん。ありさ、パパにタバコやめてほしい。じっちゃんやちあき兄ちゃんみたいに、パパから病気になってほしくないもん。パパが苦しかったり、死んだりするのは絶対やだ!!!』と・・・涙目になりながら話してましたじっちゃんとは、私の母の内縁の夫で去年タバコにより肺がんになり手術ちあき兄ちゃんとはじっちゃんの息子ですが、34歳の若さで2か月前に脳梗塞になりましたどちらも、病気になる前は1日2箱~3箱は吸っていたでしょう医者から2人とも原因は『タバコ』とはっきり言われていました自分の体を壊して初めてタバコをやめたようですそして、その日の夜、ありさが話していたことをパパに・・・すると、パパの目にもうるうると涙が・・・『俺、タバコやめなきゃな・・・』と今までで1番本気モードの決意表明そして、今、約2ヶ月経ちますが・・・禁煙成功してます食欲も出て、食べ物の味も美味しく感じるそうです昨日も、パパの実家から頂いたマツタケご飯と私が作った生姜のきいたいも煮をどちらも2杯づつ食べてました子供の言葉って父親にとってもやっぱり1番の薬だったようですパパ頑張ったね悲しみと苦痛は、やがて『人のために尽くす心』という美しい花を咲かせる土壌だ ~ヘレン・ケラー~
2010/10/14
コメント(2)
今日の朝ごはんは卵焼き()たらこ松前漬焼のりでした卵焼きは、家族みんなが大好きで、何せこの大人数ですから大きなフライパンで作りますうちは砂糖を入れた甘い卵焼きが大人気たま~に緑のものを入れたり、海苔を挟んで巻いたり、かにかまを入れたり、チーズを入れたりしますが。。。そういったものはお弁当の時が多く家ではもっぱら普通のシンプルな卵焼きですフライパンで二つ、16~7切れになるほど作りましたがあっという間になくなりましたちなみに私は、卵焼き歴30年です長女も小学生のときには卵焼きが作れるようになっていました二女と三女はまだ作れないから、そのうちに一緒に作ってみよ~~~~っとこの3連休は、昨日の山形でのピンクリボンフェスタと、今日のパパの職場の方の結婚式の2つしか予定がなかったので、意外にの~んびり過ごしましたひとに与え、与えられるのが人生。 ~モホーク族の格言~
2010/10/11
コメント(2)
3連休の真ん中の今日。。。といっても日付越えてますが山形市で行われたピンクリボンフェスタ2010に行って来ました家族みんなで行くのはこれが3回目去年までは駅裏の霞城セントラルの広場で行われていましたが、今年は旧県庁の文翔館で開催されました ピンクリボン結びツリーにも、家族6人で結んできましたピンクリボン結びツリーとは、自分の大切な人を乳がんで亡くさないために願いを込めてピンクのリボンを結ぼうというツリーです私も、自分と子供達と乳がん仲間の事を思いながら結びましたそして、夕方、日が落ちてから。。。 文翔館はピンク色にライトアップされましたすごく綺麗で、を撮っている方も沢山いましたスタンプラリーでは、ゴールした景品にピンクリボンの入ったリンゴ(上のリンゴ)とピンバッチなど沢山いただきましたそして、パパは毎年何故かピンクリボンの携帯ストラップとステッカー(下のステッカーとストラップ)を私に買ってくれます何故かは。。。なんとなくわかる気がしますきっと、パパは私に身につけて胸を張って生きてもらいたいのだと思いますありがとう、パパそして、子供達も一緒にいつも参加してくれてありがとう 幸福な家庭の顔はお互い似ているが、不幸な家庭の顔は、どれもその不幸な顔は違っている。 ~トルストイ(ロシアの詩人・小説家・)~
2010/10/10
コメント(0)
30日は奏太の保育園の運動会でした今がシーズンなだけに土日は運動会だったところが多いですね~奏太の保育園は2年くらい前から平日に日程が組まれるようになり、会社を休まなくてはならない家庭がほとんどなので、みなさん大変なようです今年はお爺ちゃんお婆ちゃんにも来てもらって張り切って行こうと思いましたが、運動会の4,5日前から鼻水が熱はないものの、あまりにも鼻水がひどいのでお友達のことも考えてお休みしました次の日の夕方、担任の先生が来てくれて『奏太くん、残念だったね!けれど、また来年頑張ろうね!』と、奏太にもメダルを頂きました なんだか鼻の下がびよ~~~~んと伸びてしまってますがきっと、先生に愛想を振りまきながら撮った写真なのでしょう家でも、『えいえい!おお~!』の練習や、よ~いどん!の練習をしていただけにとても残念でしたが、来年は一人で走れるようになって参加できたらいいな~と思いますそして今月は『ピンクリボン運動月間』ですねやまがたピンクリボンフェスタ2010のパンフレットをパパがもらってきてくれましたパパの頭の中にそう言ったことを気にしてくれている部分があるってことが本当にうれしかったです山形市で行われるピンクリボンフェスタ、1度家族で行ったことがありますその時に、パパみたいに会場に男の人がいるのは、とてもイイことだな~と私は感じました。今年も行こうとパパは言ってくれたけれど、保留にしてますせっかくのパパのお休み。。。ゆっくり休ませてあげたい。。。って思うからけれど、ピンク色にライトアップされる文翔館や霞城セントラルも観てみたいな~このブログを訪れてくださっているみなさんも、是非乳がん検診を受けてくださいねそして、あなたの大事な彼女や奥様、ご友人にも乳がん検診を勧めてください 人生とは出会いである。その招待は二度と繰り返されることはない。 ~ハンス・カロッサ(ドイツの詩人・小説家)~
2010/10/05
コメント(2)
これわかりますかあの成宮くんプロデュースの成宮ロールです『念願』だったのは実は私の妹で、成宮くんのファン初耳でしたが・・・私はそれに便乗して、買ってしまいました・・・というか、『お姉ちゃん、買ってきて』と言われ隣の市のデパートのうまいもの市まで行って来ました味は・・・おいし~~~~~~~いぃぃぃスポンジはほろ苦いココア味中の生クリームはなんとイチゴ味甘すぎなくて本当においしかったです自分で作るスイーツも美味しいけれど、プロが作るスイーツもやっぱり美味しい今度真似して作ってみよう~~~~っとやさしい言葉は、たとえ簡単な言葉でもずっとずっと心にこだまする。 ~マザー・テレサ~
2010/10/01
コメント(0)
これ我が家の今日の晩御飯です中央にありますのが、実家から貰ったジャガイモで作ったポテトサラダその隣りが、大根漬け全員に1皿ずつあるのがキャベツを丸ごと1個使ったキャベツのコンソメ煮それから~実家から貰った孟宗竹のカンヅメで作った筍ご飯今日の買い物はポテトサラダに使うハムときゅうりキャベツ煮のキャベツとベーコンとプチトマト約800円です一見、を見ると豪華そうに見えますがそれは私の視覚トリックの技です小さいテーブルに料理を並べると、大したご馳走じゃなくても多いような錯覚が起きます私は基本毎日買い物をします人数が人数だけに、その日買った食材はほぼ使い切りますうちは雑費と食費を別にしていません別にせず、平日は全部で2,000円くらい、土日は3,000円くらいと決めていますできるだけオーバーしないように、そしてできるだけ余るように心がけていますそうでなきゃ。。。子供4人育てるのは無理で~すたまに、私のそばで子供2人で月収30万の方が『生活費が苦しい』と言います。。。お金はなければないなりに、あればあるなりに使うものですよね人はみな素晴らしい。たった一度出会っただけなのに、二度と忘れることができない人はおおぜいいる。 ~シンディー・ローパー(歌手)~
2010/09/27
コメント(2)
猛暑猛暑と言っていたのもどこへやらつい先日までなんにもかけずに寝ていたのにお風呂もシャワーだけだったのに着るものも半袖だったのに昨夜は毛布をかけて寝てお風呂もお湯をはったし着るものも長袖になりそして夕飯には、“鍋”をしました先日、新潟大学病院の小児科からがあり10月21日に入院をして22日に術後1年のカテーテル検査をすることになりましたカテーテル検査は全身麻酔で行うけれど、検査後1日は下半身を動かすことができません前回、去年の1月に術前検査でカテーテル検査をしたのですが、その時は奏太はまだハイハイも出来なかったしつかまり立ちも出来なかったので、検査後1度足をピクッと動かしたものの私とパパから押えられ、しかも砂袋で固定されたので動かすのを早々に諦めおとなしくしていることができ、私達はとても助かったのだけど、今はハイハイもするしつかまり立ちもするし数歩歩くしきっと、1日動かないというのはものすごく大変だろうと思いますそうなると。。。ベッドにきっと縛られちゃうんだろうなって、考えて今からかなりブルーになっています大人や自分のことや、言ってわかるお姉ちゃんたちならラクなんだけどほんと。。。こんなちょっとのことだけど、自分がガンと闘っていることなんてちっちゃいことで自分が耐えればいいだけだし。。。けれど、子供のこととなると胸がもう苦しくて苦しくてたまりませんけど、奏太の心臓を命を守るための大切な検査。。。大変なのは奏太。。。だから私は支えなければ今回、21日入院22日午後から検査23日に順調ならば退院というスケジュールだけど、パパが23日に山形市で行われる県大会に出なくてはならなくて、奏太を寝ずの番で見ていなくてはならない肝心な22日の夜に病院から帰らなくてはならないという。。。パパにとってトホホな日程だけど、母も手伝ってくれるということで、パパには安心して県大会に行ってきてほしいな~と思います優しいパパは、かなり気にしているようだけど大丈夫だからねこれから1ヶ月間、奏太の体調管理に気をつけたいと思います欲求が強いと劣等感を持つ他人と自分を比較すると劣等感が生まれる高過ぎる要求水準は越えられないと劣等感になる依存心の強いものは人の弱みに敏感である ~桜井章一(雀士)~
2010/09/24
コメント(2)
全378件 (378件中 1-50件目)