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江戸時代前期に
オランダ人によって長崎に伝来したが、
主に観賞用に一部で栽培されたとみられている [2]
。
貝原益軒
が
1709年
( 宝永
6年)に出版した『 大和本草
』には
オランダナ(紅夷菘)として「葉は大きくて艶がなく白っぽい。
花はダイコンに似る。
おいしい。
3年で花が咲き、 カブ
の仲間である」と紹介されている。
しかし食用として広まることはなく、
むしろ観賞用として ハボタン
を生むこととなった。
結球性のキャベツは
幕末
の 1850年代
に伝わり、
明治
にかけて横浜周辺の根岸、子安、生麦などで
居留地
の外国人向けとして栽培された [27]
が、
一般の日本人が口にすることはなかった。
明治になると 殖産興業
の一環として栽培が奨励された [27]
。
1870年(明治2年)農学者の 津田仙
が
築地外国人居留地の居住者むけに種を取り寄せた [27]
。
1872年(明治4年)、
北海道 開拓使
により札幌で試験栽培が行われ [27]
、
北海道開拓使
が発行した『西洋 蔬菜
栽培法』に
「キャベイジ」の名で記載された。
1874年
(明治7年) 内務省
勧業寮
が
後の 三田育種場
で、
欧米から取り寄せた種子で栽培試験を行った [27]
のが、
本格的な生産の始まりとされる。
この後、
増えた種子を日本各地42府県に配布と試作を依頼した。
多くの地で栽培に成功し
1893年
(明治26年)には外国人避暑客のために、
長野県北佐久郡 軽井沢町
でも
栽培が始まった [28]
。
はた坊