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昨27日、お話の会の発表会 が 無事に終って、ほっとしているところです。暑くもなく、寒くもなく、好天に恵まれ20名近くの方々に お集まりいただき、プログラムも、当日になって決まって準備不足ではありましたが、参加者のみなさまのおかげで、滞りなく終えることができ、本当に良かったです。ご参加下さいました みなさまありがとう ございました心より、御礼申し上げます。 発表会 プログラム 『だらぐ地蔵』 (山形県の昔話) 『雪国の心温まるお話』 (新潟県の昔話) 歌 『森のくまさん』 『貧乏神と福の神』 ・・・・・・ 『弁天さまの鯉』 (東村山の昔話) 詩吟 『壇の浦夜泊』 木下 犀潭 作 『耳なし芳一』 (山口県の昔話) 詩吟 『青葉の笛』 山口 月城 作 中国詩朗読 『楓橋夜泊』 張 継 『 春 望 』 杜 甫 紙芝居 『私は何の病気?』 画と文 りょうこピアノ オカリナ コカリナ 演奏 と 歌 『ちいさい秋みつけた』『里の秋』『旅愁』 『夕焼け小焼け』『村祭』『夏の思い出』などなお、来年の9月26日(水)に≪第4回 発表会≫を 予定し、少しずつ練習していくことになりました。今回、ご出演いただいた みなさま、来年も また どうぞ よろしくお願いいたします【お話、お話】 日本昔ばなし 『耳なし芳一』
2017年09月28日
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9月27日、お話の会 発表会 に 向けて私は 『耳なし芳一』 を 覚えています。決めるのに10か月かかって、いよいよ覚えなければ・・・と、一大決心をして 今月に入って懸命に覚えているところです。子どもが小さい頃、読み聞かせていた本講談社発行の『日本昔ばなし100選』の【2】巻に載っている お話・・・ 多少、変更しましたが、ほぼ全文を載せさせていただきます 耳なし芳一 山口県のお話むかしむかしのこと。今の下関が赤間が関と呼ばれていたころのお話です。阿弥陀寺というお寺がありました。その寺に、芳一という琵琶弾きがおりました。芳一は、幼いころから目が不自由だったため、琵琶の弾き語りをしこまれ、まだ若いのに、その芸は、お師匠をしのぐほどになっていました。阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の芸を見込んで、寺にひきとったのでした。芳一は、源平の物語を語るのが得意でした。とりわけ、壇の浦の合戦のくだりでは、その真にせまった語りに、誰もが涙をさそわれました。その昔、壇の浦では、源氏と平家、最後の決戦があり、戦いにやぶれた平家一門は、女や子どもにいたるまで、幼い安徳天皇ともろともに、ことごとく海に沈んでしまいました。この、かなしい平家最後の戦いを語ったのが壇の浦のくだりなのです。ある、むし暑い夏の夜のこと。和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は、ひとりお寺に残って、琵琶の稽古をしていました。すると、『芳一、芳一』と、呼ぶ声がするのです。『どなたさまでしょう。私は 目が不自由なものですので。』すると、声の主が答えました。『わしは、この近くにおられる、さる 身分の高いお方の使いのものじゃ。 殿が、そなたの語りを聞いてみたいと お望みじゃ。さっそく館へ案内するに よって、ついてまいれ』芳一は、身分の高いお方が自分の琵琶を聞きたがっていると聞いて、すっかり興奮してついていきました。使いの者が歩くたび、がしゃがしゃとよろいのすれる音がします。きっと、よろいに身をかためた、りっぱな武者なのでしょう。やがて、大きな門をくぐり、広い庭を通って・・・、大きな館につきました。そこには、おおぜいの人が集まっているらしくさらさらという絹ずれの音や、よろいのふれ合うが聞こえていました。女の人が近づいてきて、言いました。『芳一、さっそく平家の物語を語ってくだされ』『かしこまりました』芳一は、琵琶を鳴らして語りはじめました。舟にあたって砕ける波、弓鳴りの音、兵士たちのおたけびの声、息たえて海に落ちる武者たちの音・・・それらをたくみに表わす、芳一の琵琶の音に大広間はたちまちのうちに、壇の浦の合戦上になってしまったかのようでした。そして、平家のかなしい最期のくだりになると広間のあちこちにむせび泣きがおこり、芳一の琵琶が終わっても、しばらくは口をきく人もなく、しいんと静まりかえっていました。やがて、さきほどの女の人が言いました。『そなたの琵琶のうでは、聞きしにまさるもの。 殿もたいそう喜んでおられます』『ありがとうございます』芳一がお礼を言うと、女の人はつづけました。『殿が、なんぞふさわしいお礼を下さるそうじゃ。 なれど、今夜より6日間、毎夜そなたの琵琶を 聞きたいとの仰せ。よって、あすの夜も この館にまいられるように。それから、 寺に戻っても、このことは、誰にも 話してはなりませぬ。よろしいな』そのつぎの夜も、芳一は、迎えにきた武者にしたがい、館へ行くと、昨夜と同じように琵琶を弾きました。ところが、明け方近く寺に戻った芳一は、和尚さんに見つかってしまったのです。和尚さんは、夜通し、どこへ行っていたのかとたずねましたが、芳一は、館で言われたことを守って、一言も話しませんでした。和尚さんは、芳一が何も言わないので、何か深いわけがあるにちがいないと思い、もし、芳一が出かけるようなことがあれば、あとをつけるようにと、寺男たちに言っておいたのでした。つぎの日の夜、芳一が雨の中、寺を出たので寺男たちは そっと あとをつけて行きました。ところが、目の不自由なはずの芳一の足は意外に早く、闇夜にかき消されるように、姿が見えなくなってしまったのです。『いったい、どこへ行ったんだ』とあちこち、さがしまわり、寺男たちは墓地へやってきました。その時、突然、ぴかっ!という稲光に雨にぬれた墓石が浮きあがりました。その稲光に、寺男たちは芳一の姿を見つけたのです。『あっ! あそこ!』『芳一さんだ!』寺男たちは、驚きのあまり立ちすくみました。安徳天皇の墓の前で、ずぶぬれになって琵琶を弾く芳一。そして、その芳一のまわりを飛びかう無数の鬼火・・・寺男たちは、芳一が亡霊にとりつかれているに違いない、と、力まかせに芳一を寺に連れ戻しました。そのとおり、芳一は亡霊にとりつかれていたのです。無念の涙をのんで海に沈んでいった平家一族の亡霊に。その出来事を聞いた和尚さんは、魔よけのまじないをして、芳一を亡霊から守ることにしました。つぎの夜、和尚さんは、芳一の体中に経文を書いてから言いました。『芳一、お前の人並みはずれた芸が亡霊を呼ぶことになってしまったようじゃ。よく聞けよ、芳一。今夜もわしは、村のお通夜に出かけるが、誰が来ても決して口をきいてはならんぞ。亡霊に従ったものは命をとられる。しっかり座禅を組んで、身じろぎひとつせぬことじゃ。怖れて返事をしたりすれば、お前は今度こそ殺されてしまうじゃろう。わかったな』『はい』和尚さんが出かけ、芳一が座禅を組んでいると、いつものように武者の声がしてきました。『芳一、芳一!』しかし、芳一の姿はありません。経文を書いた芳一の体は、亡霊の目には見えないのです。芳一をさがして、部屋の中へ入ってきた武者は、宙に浮いている二つの耳を見つけました。そう、和尚さんは耳にだけ経文を書き忘れてしまったのでした。亡霊は言いました。『この耳だけでも持ち帰って、芳一を 呼びに行った証とせねばなるまい』そして、芳一の耳に手をかけると、その耳をもぎとって、帰っていったのです。芳一は、その間もずっと、座禅を組んだまま身じろぎ一つしませんでした。夜明け前、急いで寺に戻った和尚さんは、芳一のいる座敷にかけこみました。『芳一! 芳一! 無事か?』芳一は、じっと座禅を組んでいました。しかし、その両の耳はなく、耳のあったところからは、血が流れていました。それを見た和尚さんには、すべてのことが分かりました。『そうであったか・・・耳に経文を 書き忘れるとは。かわいそうなことを してしもうたのう。いい医者を頼んで 手厚く手当てをしてもらうとしよう』芳一は両の耳をとられてしまいましたが、それからはもう、亡霊につきまとわれることもなく医者の手当てのおかげで傷もよくなりました。やがて、この話は、口から口へと伝わり、芳一の琵琶は、ますます評判になっていきました。そして芳一は、いつしか≪耳なし芳一≫と呼ばれるようになり、その名を知らぬ人はいないほど有名な琵琶法師になったということです。 (おしまい)【お話、お話】 9月27日、お話の会 発表会♪
2017年09月22日
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1年に1話ずつ語れるようになるといいねと 今年もまた 発表会をすることになりました。昨年は 童謡あわせ歌とお話の会 として楽しく、賑やかな集まりとなりました。今年はどうなるやらと心配しながら次のように計画を立てております。昔話 と 歌のつどい 9月27日(水) 午後2時~4時参加費300円(おやつ代)今のところ、昔話の語りは4名です。 だらぐ地蔵 (山形県の昔話) 雪国の心温まるお話 (新潟県の昔話) 貧乏神と福の神 ・・・・・・ 耳なし芳一 (山口県の昔話)◆歌は あれこれと選曲しているところです。他に、楽器の演奏や、歌や、お話など出演して下さる方も募集中 どなたも、お気軽に出演していただけますようご連絡下さいますよう、お待ちしておりま~す。【お話、お話】 満腹だと忘れてしまうのか~?
2017年08月25日
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今日は、ふるさと歴史館で東村山昔語りの発表会でした。午前中が準備と練習でした。 私としては練習では、ほぼ100パーセント満足お昼にいったん家に帰って来て、母を車椅子から下ろして、そのあと 昼食。時間もあったので、満腹になるまで食べて、そのあとデザートも・・・そのあと自分で、前に吹き込んだテープ、自分であれこれ言葉を変えていたテープ、それを、途中で聞くのを止めたのですが、そのあと、頭の中が混乱してしまい、話のすじ道や言葉が思い出せなくなって本番のときに忘れてしまって3回も中断してしまったのでした~でも、今となっては 仕方がありませんね。このブログを見て 3人の方がいらして下さり、お忙しい中を 本当にありがとうございました。来場して下さる方が 少ないのでは?と心配されてましたが、会場がいっぱいになってありがたく、感謝申し上げます。【お話、お話】 8月20日、東村山の昔話 発表会
2017年08月20日
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一年前から≪東村山昔語りの会≫に入れていただき、発表会に参加させていただくことになりました昔話といっても、私が子どもの頃、お年寄りだった人たちの体験で100年位前のものが多いのかも?身近な地名や出来事が たくさん出てきますのでぜひ、皆さま お気軽にいらして下さいますようご案内申し上げます。東村山の民話の語り、発表会8月20日(日) 午後2時~4時東村山ふるさと歴史館 にて入場無料主催 東村山昔話保存会演目予定 (順不動) 東村山の名前のいわれ 芸者に化けたきつね だるま坂の観音様 時宗公と地蔵様 たっちゃん池 蛇と菖蒲湯 人魂 の 話 宅部の姥捨山 きつねの仇討ち むじなのいたずら 夜泣きするモミの木 久米川に 爆弾が落ちる どこにあったか久米川停車場 サラサラーッに追いかけられた話・・・など (多少の変更があるかもしれません)【お話、お話】 東村山の昔話 『夜泣きするモミの木』
2017年08月16日
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一年前から≪東村山昔語りの会≫に入れていただき、出たり、出なかったりで、不真面目な会員でした。先日、生まれて初めて自分で着物を着て、10人ほどの方々と市内のお年寄りの施設にうかがって、お話をさせていただきました。私は 夜泣きするモミの木 で、T・Mさんのお話をまとめたものを、自分で話しやすいように、少し変えさせていただきました。 夜泣きするモミの木久米川の白山さま(白山神社のこと)は昔、境内も広くて深ぇ森があって、ご神木のモミの木は、でっけえ木でお社のうしろから鎌倉道を通る人を見下ろすように立っていたっちゅうことだわい。木の根元にゃあ、泉がコンコンと湧き出ていて、小瀬川に音をたてて流れ落ちていたんだと。鎌倉道を行き来する旅人たちは、遠くからこのモミの木を目印に歩いて来て、泉の水を飲んで一休みしたことだんべぇ。明治のころ、このご神木すれすれに鉄道を通すことになってな、モミの木の根っこは、いらぁ削り取られたんだと。鉄道は通ったけんど、泉も水がちっとべぇしか湧かなくなって川の流れもちょろちょろになっちまったてぇ話だ。その頃からだ。誰言うとなく、『モミの木が泣いている』『夜になるとモミの木が泣くんだとよぉ』っていう噂が立ちはじめたんだ。噂はうわさを呼んで広まって行ったんだと。なにしろ、その頃は、お社の周りにゃあ家も無くて、お社に向う道は、両側が畑の裏道で、それはそれはさびしい道だったと。だから誰も白山さまに近づかなくなっちまっただと。この話を聞いた、えれぇ元気なおじさんが、『よし、俺が見てくる!』とばかり、雨模様の夜、風が騒いでる中を出かけて行ったんだと。ところが、ひとっきりして、バタバタッ!と舞い戻り、『ほ、ほ、本当だ! 本当にモミの木が ヒュー、ヒュー、って泣いていたよ!』って、蒼い顔して震えながら言っただと。村のもんたちゃぁ、鉄道敷くために白山さまの境内を狭くしちまったことを悔やんで、モミの木が泣くってぇ噂を耳抑えるようにして聞いていただ。だけんど、どうすんことも出来ねえでいるうちに、大正になって、とうとう泉の水も枯れちまい、モミの木は枯れちまっただと。今は、あの懐かしいモミの木は、水を飲みたくて泣いていたんだべなぁとみんなは、そう言ってるだ。 おしめえ 白山神社には大木が一本もなくて 淋しい気がしていましたが、鉄道(今の西武新宿線)が 通る前には杜があり、こんもりと木が茂っていたんですね。今は、線路向こうになって 遠いのですが、ひと昔前には白山神社の境内で湧いた泉の水が 音を立てて 流れ込んでいた小瀬川というのは、私が生まれて育った集落名です。近くには川もあったので、昔の風景が目に浮かぶようで、このお話を見つけることが出来て良かったなと思います。【お話、お話】 ノルウェーの昔話
2017年08月11日
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久しぶりで図書館に行って、阿倍仲麻呂の本を探したのですが見当たらず・・・平棚にあったこの本を借りてきました。ノルウェーは、私が、かつて 行って みたいと思っていた国のひとつです。分厚い本ですが、子ども向けなので、活字の苦手な私にも らくに読むことができました。まえがきに≪灰つつき≫の説明がありました。直訳すると ≪灰の若者≫となり、たいていは男兄弟の末っ子で、いつも隅っこの炉の灰をつついているだけなので役に立たないと馬鹿にされているけれど、何かの折に目をみはるような活躍をしたりする主人公とのことで、お話の中に たびたび 登場してきました。福音館書店発行 大塚勇三 訳『ノルウェーの昔話』 34話の中から 一番 面白かったお姫さまに『うそつき!』と言わせた灰つつきを、載せさせていただきます。無断転載で大丈夫かなと心配しつつ・・・原文ではひらがなでも漢字に変えて載せた言葉もあります。むかしむかし、ある王さまに、娘がひとりいましたが、このお姫さまときたら、嘘をつくのが、ひどく上手で、誰も、お姫さまよりひどい嘘はつけないくらいでした。そこで、王さまは、こんなお触れを出しました。 お姫さまに『そんなこと、うそよ!』と言わせるくらいに、 上手くうそがつけた者には、お姫さまと、その上 国半分もやろう、というのです。さあ、ほんとにたくさんの人が、それを試してみました。なにしろ、みんな、お姫さまと、国半分とが欲しかったからです。けれど、誰もかれも、みんな、やりそこなってしまいました。そういうわけで、あるところの三人兄弟も、出かけていって、運を試すことにしました。まず初めに、上のふたりが出かけていきましたが、このふたりは、他のみんなより上手くはやれませんでした。そこで、いちばん下の弟の≪灰つつき≫が出かけていくことになり、そうして、お姫さまと、納屋のところで出あいました。「こんにちは。このたびは、どうも!」と、灰つつきは言いました。「こんにちは。こちらこそ、このたびは、どうも! でもねえ、あなたたちの所には、うちのみたいな、 こんなに大きな納屋は、ないでしょうね。 なにしろ、羊飼いが、ひとりずつ、あっちとこっちの 端っこに立って、ヤギの角笛を吹きならしても、 どっちも、相手の笛の音が聞こえないんですからね。」と、お姫さまが言いました。「いえ、いえ、ありますとも!」と、灰つつきは言いました。「ぼくらのとこのは、もっと大きいんです。だって、 牝牛が、片っぽの端で子どもをはらんでも、 向こうの端っこに着く前には、 子どもは生まれやしないんですからね。」「あら、そう?」と、お姫さまが言いました。「ええ、でも、あなたの所では、うちのみたいな、 大きな牝牛は、もっていないでしょう。 その牛、あっちにいるのよ! その牡牛の両方の角に人がひとりずつ、 乗っかると、長い測量の棒を使っても、 向こうの人に届かないんですからね。」「へ~え!」と、灰つつきは言いました。「ぼくのうちの、一頭の牡牛ときたら、それは大きくてね、 両方の角に、それぞれ、人がひとりずつ乗っかって、 めいめい、羊飼いの木のホルンを吹き鳴らしたって、 向こうの相手には、まったく聞こえないんですよ。」「あら、そう?」と、お姫さまが言いました。「だけどね、それでも、あなたたちの所では、 わたしたちの所みたいに、ミルクをたくさん 持っていないでしょうよ。なぜって、うちでは、 じつに大きい、たくさんの手桶にミルクをしぼりこんで、 それを運んでいって、とても大きな釜につぎ込んで そして、ほんとに大きなチーズをつくるんですからね!」「ああ、ぼくらのとこではね、とても大きな桶に ミルクをしぼりこむと、それを車で運んでいって、 じつに大きい洗濯用の釜につぎこんでね、 家くらいに大きなチーズをつくるんです。そしてね、 うちでは、灰色っぽい牝馬を一頭もっていて、 それにチーズを踏みかためさせているんですよ。 ところが、あるとき、その牝馬が、チーズの中で 子どもを産んでしまいましてね、そこで、ぼくらは、 チーズを食べて食べて、七年も食べつづけていって、 やっと、大きい灰色馬に出あいましたよ。 そして、あるとき、ぼくは、その馬に乗って 粉ひき場に行くことになったんですが、そしたら その馬の背骨が折れちまいました。けれど、 ぼくは、ちゃんと、いい手を知ってましたよ。 つまり、ぼくは、トウヒの若い木を一本もってきて、 それを中に入れて、背骨のかわりにしたんです。 ええ、ぼくらのうちにいる間、その馬は、 その他の背骨なんか、もっていませんでしたよ。 けれどね、そのトウヒの木が、どんどん伸びて、 あんまり高くなったんで、ぼくは、その木を伝って、 よじのぼっていくうち、とうとう、天にのぼっちまいましてね、 そうして、ぼくが天に行ってみると、聖母マリアさまが、 そこに座って、肉入りのスープでもって、 毛のロープを編んでいました。と、思ったとたん、 トウヒの木が折れちまって、 ぼくは、下に戻れなくなりました。 けれど、聖母マリアさまが、ロープのうちの一本で、 ぼくを下におろしてくださったので、ぼくは、そうやって、 とあるキツネの巣穴におりてきました。 すると、そこには、ぼくの母さんと あなたの父さんとが座りこんで、靴をなおしていましてね、 そのうち、ふいに、ぼくの母さんが、 あなたの父さんをひっぱたいたんで、 きたないふけが、ふっとんだくらいでしたよ!」「あなたは、うそつきよ!」と、お姫さまが言いました。「わたしのお父さまは、生まれてから今まで、そんなに、 きたなかったことなんて、ありゃしないわよ!」 『ノルウェーの昔話』224ページのイラスト このお話は、これで終っていましたが・・・はてさて、この若者は、お姫さまと結婚して 国の半分をもらうことができたでしょうか?!【お話、お話】 阿倍仲麻呂の伝記を2冊♪
2017年01月12日
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『四季の花』 お楽しみ教室 ≪お話しの会≫ では一年に一話を語れるように と、それぞれ気に入ったお話しを見つけて練習をしています。二年目の今年は、童謡あわせ歌とお話しの会♪ で 4人が発表させていただきましたが、来年は9月27日(水)に 行なうことになりました。それに向けて、各自が 気に入ったお話を探しているところですが、私は≪ 阿部仲麻呂の物語り≫にしようかと、下の2冊の本を購入しました子どもの頃、私が 初めて覚えた百人一首天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも その作者・阿部仲麻呂が 中国で詠んだ 漢詩があることを知りました 無 題 阿倍仲麻呂義を 慕う 名 空しく 在り忠を 輪すも 孝 全ったからず恩に 報ゆる 幾日も 無し国に帰るは 定めて 何れの年ぞ ぎを しとう な むなしく ありちゅうを いたすも こう まったからずおんに むくゆる いくにちも なしくににかえるは さだめて いずれのとしぞ阿倍仲麻呂は、義 を求めて一生懸命に励んできて今、名声だけは得ることが出来たが、今は それも空しく思われる。 日本にいる親には 孝 行したくても 出来ない。 自分も年を重ね、親の 恩 に報いたいと思っても、その年月は いくらもなくなってしまった。 日本に帰れるのは いつであろうか・・・という意味のようです。 17才(又は20才)という若さで、遣唐留学生として唐に渡り、70才過ぎるまで唐で過ごした 阿倍仲麻呂私は、阿倍仲麻呂が唐に渡ったまま帰国できなかったということも知りませんでした。 『天の原』 の 歌も帰国する前に中国で詠んだ歌とのことですが、日本に向けて出航したものの、暴風雨に遭って ベトナムに流され、やむなく陸路、中国に戻ったあと、没するまで日本に帰って来られなかったということです。二冊のうち、先にこちらを取り寄せたのですが・・・なんとも難しくて、絵本ならいいかな~と思ったのですが、おとな向けには 少し 物足りない感じ。それで、やむなく難しい本を 頭を抱えながら 読んで、阿倍仲麻呂の物語をまとめてみよう。そして、和歌『天の原』 と 漢詩『無題』を 詩吟で詠う練習をして、その間に 仲麻呂の≪創作物語≫を語ってみようか~などと考えているところですはてさて、どうなることでしょう【お話、お話】 童謡あわせ歌とお話しの会 プログラム
2016年12月30日
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9月28日(水) 午後2時~4時半≪童謡あわせ歌とお話しの会 プログラム≫◆ギャラリー喫茶『四季の花』にて 参加費500円(お茶菓子代他) 1 童謡あわせ歌 全員 『赤い靴』 『こがね虫』 伴奏 コカリナ・オカリナ 2 昔ばなし 語り 1)大分県に伝わる昔話 『おさん狐』 2)東村山の昔話 『きつねの恩返し』 3)日本橋に伝わる昔話 『猫の恩返し』 4)新宿区に伝わる昔話 『山吹の里』 3 朗 読 1) 『 蛍 』 大庭みな子 作 2) 京大有志の会 声明文 日本語 と 中国語 4 ハーモニカ 『津軽のふるさと』 『みだれ髪』 5 沖縄の歌 1) 『てぃんさぐぬ花』 2) 『ちょっちょい子守歌』 『軽便鉄道』 5 語りと朗読 岡山の民話・俳句 他 演目は、およそ2時間ほどです。終了後パンケーキを 食べながら、お茶のみ会、5時頃には解散の予定ですが、ご都合で途中にてでも お帰りになって下さい。参加、ご要望の方は、『四季の花』 清水まで 042-391-9791 【お話、お話】 紙芝居 『おじいさんに できること』
2016年09月21日
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9月28日、童謡あわせ歌とお話しの会♪ で平和へのメッセージと、戦争のお話しの朗読をして下さる方とがいらっしゃるので・・・この紙芝居の上演もいいかもと思い、出してみました。長い間、本棚の最上段で 埃を かぶっていたものです。紙芝居 『おじいさんの できること』作・ときわ ひろみ新聞に、新しい爆弾である 中性子爆弾がつくられたという記事が載っていました。おじいさんには、男の子がふたりいましたが、長崎に落とされた原爆で死んでしまいました。おじいさんの耳も原爆で片方が聞こえません。『なんとかしなくちゃ』と おじいさんは 思います。『 核兵器をつくることに、反対します。わたしは、原爆で子供をなくした 父親です。歩きましょう、反対の気持ちをいいましょう』という看板をつくって、街にむかいました。おばあさんも あとに続きます。それを見た おかあさんも続きます。トンネルを抜けて、街に近づいていきます。ジョギングをしていた お父さんも、買い物の人も、勤めの人も、肉屋さんも・・・ビルの窓からも おおぜいの人が顔を出し、あとに続く人が どんどん増えて長い長い 列が できました。つぎの朝、となりの町で 今度は 違うおじいさんが看板をつくって列の先頭にたって歩いていました。あの街から この街へと ・・・今も 列が つづいているのです。発行は、今から33年前です。★著作権の侵害になるのではないか~?と 心配しながら、絵の半分ほどと、文のごく ごく一部を載せさせていただきました。ネットで検索をしてみましたら、紙芝居『おじいさんのできること』が 載っていました。こちら に、カタツムリ社 を 設立された NPO法人 せんだい・みやぎNPOセンター 代表理事・加藤哲夫氏のことが載っていました。カタツムリ社の加藤哲夫さん、逝くという 残念な 記事もありました。 ご冥福を心よりお祈り申しあげます。ときわ ひろみさんは、横浜市にお住まい?で(それとも、仙台市にお住まい?)現在も ご活躍されていらっしゃるようです。こちら のタウン誌に ご紹介がありました。【お話、お話】 ≪おはなしの会≫ なんとか 大丈夫そう♪
2016年09月11日
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童謡あわせ歌とお話しの会♪ に 向けて、今月 ≪おはなしの会≫ は 2回あります。原文を読まないで 『語る』 を めざしてどうなることかと 心配していましたが、夏の間に みなさん しっかり 練習されたようで、ほほ 暗記 できていました~ 大分県に伝わる昔話 『おさん狐』 東村山の昔話 『きつねの恩返し』 日本橋に伝わる昔話 『猫の恩返し』 新宿区に伝わる昔話 『山吹の里』『読んでもいいでしょ?!』 と 言われて、『いえ、暗記しましょう!』 と 言い続けてきたものの、少~し 心配していましたが大丈夫 その気になれば、出来るんですね~【お話、お話】 太田道灌 『山吹の里』と 東村山 浅間塚の狐
2016年09月07日
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『1年に1話、語れるようになるといいね』と 9月28日に向けて練習をしています。私は 太田道灌ゆかりの伝説 『山吹の里』それと同じようなお話が越生町にもあり、実話かどうかは 多少の 疑問もあります。太田道灌って 名前くらいしか 知りませんでしたが、お話の会に参加してくれている Yさんが持ってきてくれた 『東京都の民話』 に 載っていた お話です。ネットで調べてみたら、大田道灌は私が生まれた年からちょうど500年前に元服していました。その後、現在 皇居があるところに小さな城を築いた。その頃は 江戸氏が住みついていたとのこと。 それで江戸という地名になったようです。 お話によると、江戸城から、いつものように 馬場下辺りを通り、高田村、現在の高田馬場辺りで 鷹狩りをしていて急な雨に遭い、粗末な わら屋根の家に駆け込み、蓑を貸してくれるようにと頼むと、美しい少女が山吹の花の一枝を静かに、道灌にさし出した。少女が何も言わず、山吹の花は語らず・・・道灌は戸惑い、仕方なく雨が止むのを待って城に帰って、その話をすると、和歌に詳しい年取った家来が、山吹の花の歌があること、七重ハ重 花は咲けども 山吹の 実のひとつぞ なきぞ哀しきこの歌の意味にかけて、少女は 『お貸しする蓑ひとつ ない貧しい暮らしでございます。どうかお許し下さい』と 言いたかったのでしょう、と 教えてくれた・・・道灌は 自分の無知を深く恥じて、それからは武道だけでなく、学問にも励み、りっぱな武将になったとか。この少女は、当時の応仁の乱の難を逃れて、京都から武蔵野に移り住んだ 武士の娘で、その後、江戸城に呼ばれて、道灌の歌の友として過ごしたとのこと。今日は雨で野良仕事もできないので、午前中 この話を覚えようと試みました。 午後には めいっぱいの昼寝。 夕方になって、ようやく 気力を取り戻して、Oさんがお話してくれる 東村山の昔話 『きつねの恩返し』 に出てくる地名がわかるようにと、地図を作りました。その話の主人公は、『藤太郎さんのおじいさん』その藤太郎さんというのは、私が 子どもの頃にご存命だった その頃でもかなりのおじいさん。そのまた おじいさんのお話で、その頃には狐が身近にいたんだな~と思いながら大きな地図をつくりました。今日は 昼寝をしていた時間の方が長くて、それで ぐったり疲れた感じもするのですが、 ふたつのことができたから良かったかな~【お話、お話】 9月28日、童謡あわせ歌とお話しの会♪
2016年08月20日
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『四季の花』 お楽しみ教室で月に一回≪おはなしの会≫ を やっています。自分で気に入った昔話や、物語、伝説などを見つけて一年に一話ずつでも 語れるようにと練習しています。昨年の お楽しみ教室交流会 では、2人で語りの練習をさせていただきましたが、今年は4人となりました。他にもいろいろな方に参加していただけるといいなと思い、ご案内させていただきます。童謡あわせ歌とお話しの会9月28日(水) 午後2時からギャラリー喫茶『四季の花』にて参加費 500円(お茶菓子代 他) 大分県に伝わる昔話 『おさん狐』 東村山の昔話 『きつねの恩返し』 日本橋に伝わる昔話 『猫の恩返し』 新宿区に伝わる昔話 『山吹の里』上記 『おはなしの会』のメンバーの他に、 沖縄民謡 『てぃんさぐぬ花』 など 平和への祈りをこめて・・・・・・ 日本語 と 中国語でのメッセージ コカリナ、オカリナ 伴奏 や BGM 岡山の民話、子どもの頃の昔話 等々 今のところ、参加していただける方々です他にも何らかの形で参加して下さる方ただただ聴きにだけいらして下さる方募集中で~すもちろん、当日の飛入り参加も歓迎です。まだ先のことですが、ご予定に入れていただけ ますよう、おおよその ご案内を申しあげます。【お話、お話】 『信田の藪』『童子丸』 歌と民話がドッキング♪
2016年08月08日
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数年前、『信田の藪』という歌を練習しました。野口雨情 作詞、 藤井清水(きよみ)作曲 でお背戸(せど)の お背戸の 赤とんぼ狐(きつね)のおはなし 聞かせましょう聞かせましょう糸機(いとはた)七年(しちねん) 織りました信田(しのだ)の狐は 親ぎつね親ぎつね信田の お背戸の ふるさとで こどもに こがれた 親ぎつね親ぎつね お背戸の お背戸の 赤とんぼ明日(あした)も お藪(やぶ)に来てとまれ来てとまれこちら で 旋律、こちら で 歌を お聞きいただけます。歌詞もメロデイも、私はとても気に入っているのですが『きつねのお話し 聞かせましょ』 と言っているのにそれほどのお話も聞かせてももらえず、ちょっと物足りなく思っていました。ところが 今日、わかりました~日本の民話 4 『民衆の英雄』 の 中に≪童子丸≫ があり、その主人公が 歌に出てくる信田のきつねの子ども・・・とのことです。それで、かなり わくわくして その前半を 転載させていただきました。 童 子 丸むかし、あるところにひとりの若者がおったそうな。さむらいの出やったそうなが、いろいろなこともあって、このあたりにひとりで住んでおった。あるときのこと、原っぱを通りよったら、はるか向こうの森で犬がわんわんほえ、騒がしい。ははあ、狩りをしとるな、と思うまもなく一匹のまっ白なきつねが飛んできて、若者の前へ来ると、しきりにお辞儀をした。『かわいそうに追われとるのか。しかし、お前も人をだますほどの白ぎつねやないか。さあ、力を出して逃げてみい』若者はそういい聞かせた。そういう間にも、『逃がすな、それ、そっちだぞ』 と、声をあげて狩人たちが近づいて来る。『さあ、早う行け』若者が一声励ますと、白ぎつねも力づけられたか、見るまに白いねずみとなって坂を駆け降りて行った。そこへ追っ手の狩人たちが駆けつけた。『今ここに白いきつねを追い込んだが知らんか。 知らんとは言わせぬぞ』『知らん』『知らんはずはない。さては逃がしたな』『知らんものは知らぬ』若者がどこまでもつっぱったので、狩人たちはたいそうおこり、若者を取り囲んだ。向こうは多勢でこちらはひとりかなうはずがない。若者はさんざんに打ちたたかれたそうな。その晩のことだった。若者が、からだは痛む、熱は出るでうんうんうなっとると、ほとほとと戸をたたいて、ひとりの女が尋ねて来たそうな。なんとそれは葛の葉というて、若者がさむらいっだたころの許嫁やった。葛の葉は若者のぐあいが悪いのを見ると、たまげて飛んで上がり、傷の手当てをするやら冷やすやら粥を煮るやら、かいがいしく看病してくれた。そのうちに男と女のことだもの、帯ひも解いて休むこともある。かわいい男の子が生まれて名を童子丸とつけ、しあわせに暮らしておったそうな。ところが童子丸が三つになったころから、童子丸は不思議なことを父親にいうようになった。『かかさまはかえるが好きだねえ、 かえるを見ると飛んで降りるよ』『かかさまは大きなしっぽでお庭を掃くよ』若者は不思議でならん。ならんけれども小さな子どものいうことだから、そのままにしておいた。するとある日のこと、若者が外にいると、近づいて来る美しい女がある。旅姿の、紛れもない葛の葉だった。『おなつかしゅう』 と 駆け寄って来た葛の葉は、涙をほたほたとふりこぼした。若者は驚いて声も出ん。ふり返れば家の中で葛の葉が、ちょんちょ、ちょんちょと機を織っている。あちらにも葛の葉、こちらにも葛の葉、そこへ童子丸が走って来て、『あちらにもかかさま、こちらにもかかさま』と、目をまるくした。『このお子はどこの子』と、旅姿の葛の葉はいう。『さあ、この子は・・・』若者は呆然と童子丸を引き寄せて、ことばもなかったそうな。いつの間にか、機の音はやんでいた。『かかさまがいない』そういうて童子丸が家の中に駆け込んだ。するともう機台に人影はなくて、障子に墨黒黒と、歌が書き残されてあったと。恋しくば尋ねて来てみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉若者は童子丸の手を引いて、信太の森を尋ねて行った。森は暗くてどこまで行っても果てもないようやった。そこで、若者は、『この子の母がいたら、出て来てくれい』と、血を吐くように叫んだそうな。すると向こうの木の陰からひとりの女が歩いて来る。見ると葛の葉だった。今、町からもどったというように童子丸を抱きよせて、『私はこの信太の森に住む白ぎつねでございます。 危うい命を助けてもろうたありがたさ、 私のために傷を負わされた申しわけなさに、 ついついおそばにいさせてもろうて、 この子まで産んでしまいました。 この白い玉を形見にあげますゆえ、 夜泣きしたらしゃぶらせてください。 もう二度とわたしを捜してはいけません』というて白い玉をわたすなり、たちまち白ぎつねの姿になって消えてしもた。父と子はとぼとぼと帰り道についた。暗い森はもう西も東もわからんようであったが、道案内をするように、葛の葉が白い葉裏をひらひらと翻しておったそうな。それから年月がたった。童子丸も十歳の上になったそうな。ある日のこと、童子丸がかかさまからもろうた白い玉を手に持って、木の下に寝転んでいるとからすどもが集まって何やらガアガア騒いでおる。童子丸が何の気もなく玉を耳にあててみると、その玉は不思議な聴耳の玉で、からすの話がすっかり聞こえてきた。・・・ 後 略 ・・・★近畿地方・昔話 再話/松谷みよこ 発行/角川書店・昭和48年 初版 原文は縦書きです。このブログ用に多少、行変えなどをさせていただいております。 こちら によると、葛葉明神の化身である信太狐(しのだぎつね)が子と夫を残して、森に帰るときに詠んだ歌の碑があるそうです。 こちら に よると、 葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前で童子丸が、陰陽師として知られる 安倍晴明であるまた、このお話しは「被差別部落出身の娘と一般民との結婚悲劇を狐に仮託したもの」とする解釈もされている・・・とのことです。こちら には つぎのようなお話しもあって転載させていただきました。 きつね女房 昔あるところに貧乏な兄やんがいた。貧乏で嫁のきてが居なかった。あるとき嫁にしてくれと女の人がきた。よく働く嫁だった。そのうち男の子が生まれた。隣のおばさんがこっそり覗くと、その嫁の服の下から尻尾が出ていた。おばさん「狐だ、狐だ」と大声で叫んだ。見つかってはここには居られないと、その狐は唐紙に 恋しくば 尋ねてくりょうし 篠田の森へ 篠田の白狐と書いて山へ帰っていった。夕方、兄やんが帰ってきて、嫁が居ないことに気づく。兄やんは、泣く赤ん坊を連れて裏山に行き、「坊のおっかあ」と呼びかけた。すると嫁の姿になった狐が出てきて赤ん坊に乳を与えた。赤ん坊が泣くたびに山に連れて行き、狐の嫁から乳を貰った。そのうち、田植えの時期になった。兄やんは赤ん坊が居るので田植えが出来ないままだった。ある朝早く遠くから「こあるなかだよ(子ある仲だよ)つつぽにみのれ(役人に見つからないように、茎の中に実れ)」と田植え歌が聞こえてきた。兄やんが外に出てみると自分の田がすべて青田になって田植えが終わっていた。向こうのほうを早乙女姿の大勢の狐がその田植え歌を歌いながら帰っていくところだった。 それから、兄やんの田んぼは水が涸れることもなく、雑草も生えず、秋になった。年貢を取り立てる頃になっても兄やんの田んぼには穂が無かったので、年貢は取られなかった。それでも兄やんは稲を刈り取って家に持ち帰った。不思議なことに、穂先にあたるところを裂いたら、そこから白い米がぽろぽろといくらでも取れた。それで、赤ん坊と兄やんは暮らしに困ることは無くなり、安楽に暮らしたとのことだ。【お話、お話】 日本の民話集より 『竹の精のかごや姫』
2016年02月12日
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この時 に いただいた 『日本の民話』 全12巻のうち1 動物の世界、2 自然の精霊 の2冊を読みました。2 自然の精霊 の 中から 『竹の精のかごや姫』 を 転載させていただきました。 むかし、ずっとむかし、あったとな。爺さと婆さが、あったとさ。風が吹いても、雨が降っても、爺さは山さ竹かりに、コンカドコンカド竹をばかって、きれいなかごを作っておった。ある日のこと。爺さが山へはいったれば、不思議な竹が一本、キンカラキンカラ光っておった。「まんずまんず、何年も何年も竹かって暮らしてきたども、こったら光る竹、見たこともね。 裂かねように、傷つけねように、すっかり気ィ張ってかるべし」光る金の竹をばかると、爺さは急ぎ家さもどった。「ばんば、ばんば。この竹。見ろちゃ」「あれあれ、こんげに光る美しい竹なの、見たこともね」ふたりして話しながら、竹のもとの方を割ったれば、なんと、親指ほどの女ゴわらしが出はったと。「あれや、めんこい女ゴわらしじゃ。おらたに子がねさけ、神さんの授かり子かもしんね。 んだらばはえく名をつけなんねべ」「ほだども、おらたはかご作るかご屋だもの、かごや姫、とでもつけるがええべ」「かごや姫、かごや姫、めんこい名だ」貧乏な爺さと婆さは、自分の食うもんもかごや姫に食わせて、姫や、姫や、めんこい子やと、育てたと。したらかごや姫は、まま食うたびにムクムクと大きくなった。大事に育てられて一つが二つになり、物をいうようになって十になった。今では人並みに背も高く、美しいこと限りなし、天女もかなわねほどのりっぱな姫さまになったから、爺さも婆さも片時も目を離すことができなんだ。「あれ、あれ。こんげ、美しい娘になって、はア、こんだば婿どんの口断わりにも苦労すべ」「おらえでひとりの娘だもの、嫁けろって、どんな長者さま、お大臣さまでも、嫁にけるわけなんねし」そうするうちにも、年が来たり暮れたりして、かごや姫は十五になった。十五の春、姫はふッと物いわねくなり、家のすみでうつうつと涙コこぼしてばかりいるのだった。爺さも婆さも死ぬほど心配して、やれ頭痛むか、胸痛むだかと、仕事も手につかず抱いてばかりおったが、そのうち秋になった。ある日、涙コふいて、かごや姫はいった。「おふたりさま、どうぞ、聞いてけらんせ。 長い間、こんげに、こんげに大きく育ててくれて、ほんとうにありがとさんでした。 実は、おらは天の国のものですなや。 この十月十五日に、天から迎えが来ますに、おらは爺ちゃと婆ちゃのそばにいつまでもいたいから、 なんとか、おらどこばつかまえていてけろはや」これを聞いた爺さも婆さも、たまげて、たまげて、は、ふたりして姫を抱いて泣いたとは。「なや、爺な。なんぼしたて、おらえのめんこい子、天さなのやらんね。 迎えに来たって、なんぼしたて、やらんね」婆さが泣き泣きさかぶと、爺さもしっかとかごや姫を抱き寄せた。「ほだとも、ほだとも。なんとしてもやらんね。しっかとつかめているべ」そうするうちにも十月十五日の夜になったと。爺さと婆さが、かごや姫をギッチと抱いて守っておると、カアカアと丸い月が上り、光りものがサーッと屋根さ飛んで来て、雲のような、かすみのような、絹羽二重のような衣のようなものを掛けた。爺さも婆さも目がくらんで、ただただ姫をば抱き締めておったが、ふッと風が抜けたと思ううちに姫の姿は消えてしもうた。「あれ、あれ、かごや姫」「おらえのかごや姫、やーい」天に向かって爺さと婆さがさかぶと、雲さ乗って天に帰るかごや姫が見えたと。はあ、爺さも婆さも泣いた、泣いた、ふたりして、かごや姫の名を呼ばっては泣くばかり。そのうち、暮らしていかねばなんねし、爺さは泣く泣く山さ竹かりに行ったと。するとまた、キンカラキンカラ光る竹あったもの、爺さがそれをかって家さもどり、婆さとふたりで割ってみたれば、なんと、竹の中から尽きぬ宝もんがザコザコとこぼれてきたと。米だの、にしきだの、金の銭に餅など、あとからあとから出てきて、それでふたりは末長く、楽々と暮らしたんだと。 東北地方・昔話 再話/瀬川 拓男 発行/角川書店・昭和48年 初版 原文は縦書きです。このブログ用に多少、行変えなどをさせていただいております。私たちが知っている 『かぐや姫』 の 元のお話なのでしょうか、あらすじも 言葉の運びも シンプルでいいな~と思います。これの元になったお話、さらに その元のお話などさまざまに 語り継がれてきたのでしょうね。【お話、お話】 『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』 を 語りで 【四季の花 便り】『四季の花』 便り NO2 2011年夏号 このブログのカテゴリーの中から、【四季の花 便り】 を 変更して 【お話、お話】 として これから 少しずつ載せていってみたいと思っておりま~す
2015年11月17日
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今年の春から 季刊で、『 四季の花 』 便りを発行することにしました。発行といっても白黒コピーをして、お店に 置くだけですが…『四季の花』 便り NO1 2011年春号
2011年06月05日
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【ギャラリー喫茶 四季の花】≪16日の会≫を 再開 しま~す♪
2011年06月05日
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