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こんにちは
保坂兄弟です。

インターネットの検索エンジンなどで検索しても、フェイクニュースにも必ず反応してしまうアルゴリズムとなっています。そのため、誹謗中傷は消える事なくデジタルに残ってしまいます。そんな酷い状況を打破するためにAIなど学んだりしますが、この観点はGoogle先生の判断なので難しいですよね。
それか法律の規制を厳しくするしかない状況ですね。
最近はIP開示などが容易にできるために書いた本人が特定できるので、対策もできるようになってきました。
今後はAIが発展してきて、フェイクニュースが溢れる世の中になるので、ネットのニュースを完全に信じるのはやめた方が良いですよ!
毎日、AIやディープラーニングの勉強していますが、Google ColabでPythonを使っています。まだ初心者なので、GPT2を使って文章の自動生成までは出来たのですが、まだディープラーニングのやり方がわかりません。データはTwitterなどのデータを吸い出してデータ化してみようと考えています。
AIの作る文章は、クセのある文章になるし、自動生成だと人の名前など出てきたりするのですが、そのAIが作り出した人物は同姓同名で存在していました。その人を検索してみると自動生成された文章の経歴と、その人物の経歴は全く違う内容なので、AIによるフェイクニュースの大量発生による危険性も感じる事ができました。
まだ機械学習の基礎もできていから、もしかしたら機械学習をすれば、また文章に進化があるのかなと思っています。
また、文章の自動生成は、接頭句や指定する文章の長さによっても文章の完成度が違うみたいに感じます。
前回は20文字程度なので、今回っは50文字くらいの文章を入れてみようと思います。
今回のPythonに司令してみた文章は
!python gpt2-generate.py --model gpt2ja-medium --num_generate 3 --top_k 40 --context
"私が思うに、幸せというものは、有るようで無いのが良いのではないか。あるのは「幸福感」というやつだけだ。たとえどんな状況であろうとも、脳が肉体に快楽物質を分泌していれば、人はそれだけで幸せを感じる。逆にどんなに好きな異性を手に入れようとも”
下記がAIの作った自動生成の文章になります。
、どんなに魅力的な「好き」に気付いても、脳が幸福を喜んでいるなら、幸福を感じるまでに時間がかかった場合、それは単に「幸福になり損ねた」という事実にのみ向かうのではないか。脳が幸福を喜ぶことが正しいことと知っているなら、「幸福」に気付く前に「幸福を知り損ねた」という罪を知ってしまうであろう。「幸福」に気付いてから始まる「幸福」の世界は、幸福から逃げ出した「幸福」に似ている。あるいは「幸福の中での不幸」と聞こえることを、それでも「幸福」と呼ぶか「快楽の中での不幸」と呼ぶかは、考えていない人間なら「幸福」と「快楽」しか呼ばないと思うかもしれない。しかしこれは違うのだ。脳が幸福を喜ぶのは「幸福」なのではなく、それは脳から生み出された「幸福」なのかもしれない。「幸福」と「快楽」だと脳が考えている「幸福」が、あるいは自分が生み出す「快楽」が、あるいは「自由な世界」が……そうだ。これでわかるだろう。脳は自分で「幸福」を生み出す。もし仮に「幸福」が脳から生み出されていたとするなら、脳の作りは自由ではないか。脳が脳から生み出している「幸福」は、そこには自由はない。
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、その行為があまりに不純物だったりすると、幸せを感じることは出来ず、やがて現実に打ちのめされてしまう。現実的なものだと、自分自身の存在まで消えていく。そういった意味では幸福感のある生活は幸福で、不幸になることは不純物の集合体でしかないとも言えるのだ。私はそう思っている。
人間って本当は幸福にならなくちゃいけない存在なのにということを話すのが非常に難しいのだ。もし、お前は幸せかどうか分からない。確かに幸せになることはない。ただ、それでもやっぱり、私は幸せかどうか分からない。お前は良い人生を歩んで行けるのか?
私は、これも人間の本能である。人は幸せとは何か?と問いかけて来ることがある。人間は満足しているのか?と問いかける。それは多分、自分が幸せになっていないということを指しているはずだ。そうでない場合、満足とは何か?というと、満足とはただただ自分が幸せになることのみに考えが向かう。そういう人のことを意味無しとも言い、満足は満足ではないとも言う。幸福であるはず。それは自分にとって幸福であるのだという考え方だ。
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、他人に好かれようと感じることはほとんどない。その感情は結局の部分が「幸福」であるというだけだ。だからといって人の感情の変化は「恐怖」のように感じることもある。つまり人は、他人には常に幸福を感じていなくてはならない。ただ、その人の感情の変化は「不幸」という感情に当てはまる。そこに幸福感情は一切含まれていない。あるのはただ幸せを感じるという現象から、不幸を感じる事のみだ。誰かに不幸を感じるという事に対して、あなたはどう思うのだろうか。あるいはあなたは、あるときにその感情の動きが止まってはいけない。そのままの意味で、あなたはただただそれだけを考えていれば良い。もちろんそれは、いつもそのようにしているわけではないが、「幸せ」か「不幸」かを、あなたはどう思っているのだろうか。人は常に「幸福」か「不幸」を感じたがる生き物だ。
ここまでくれば、もう分かるだろうか?そもそも幸せと不幸というのは、この世を変える。変えた者に「幸福」や「不幸」という感情を与えれば、それは決して消えてしまわない。それは単に「人々に存在を認められた事」だ。