筋トレ投資家、経済・常識を斬る

筋トレ投資家、経済・常識を斬る

2026.07.27
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カテゴリ: 経済・人生
信長が光秀に「出兵準備をしろ」という命令と共に、細川、摂津衆(池田など)にも出兵準備が命令されていた、という記事を読んだ。筒井出兵命令の記述はなかったが6/2に出陣していたので、同時期に命令が出ていたのだろう。
光秀は謀反目的で一日早く6/1夜に出陣、京方面へ南下している。筒井も動いているが、細川・池田は出陣していない。
地図を見る限り、中国地方への出陣とみるのが正しいかもしれない。なぜならば、西に出兵するのに一度、東にある京に集合するのは無駄だからだ。筒井が京を通り、西進する中で軍が集結すればいいからだ。大和から筒井がいち早く出陣・北上しているのが何よりの証拠だ。また、「信長が安土に帰った」との情報(偽だが)で、軍を戻していることから、今日で信長を迎え、西進する気だったのかもしれない。
細川・池田は6/3出陣で充分間に合うだろう。そして後日、摂津衆が大返しの秀吉と合流し、一番に戦闘参加している理由もこれで分かった。摂津衆は既に出陣準備が終わっていたからだ。細川が動かなかったのは政治的理由か?
すると信長はこれらの軍団(3万越え)を率いて、自らも出陣するつもりだったのだろうか? 武田攻めの際は信忠を総大将に侵攻し、信長も後から光秀軍団と共に甲斐に向かっている。当時、秀吉の毛利攻めは最終段階であり、完膚なきまでに毛利を撃破する目的でこれだけの軍団を向かわせるつもりだった可能性もある。武田同様、毛利の完全消滅目的だ。
ただ信長自ら指揮をするのか、信忠に指揮をさせるつもりだったのかまでは分からない。武田攻めの例をみれば、信忠にやらせるつもりだったのかもしれない。どちらにしろ信長も信忠も、自身の馬廻衆がいないのが気にかかる。もしかしたら光秀を総大将に西方制圧戦を展開するつもりだったのかもしれない。「秀吉と相談せよ」との信長の命令もここで効いてくる。
すると、6/2に本能寺に召喚されている家康・梅雪は、何のために呼ばれたのだろうか? 結局、たいした意味はなかったのかもしれない。
また、別の考え方もある。光秀は、細川・筒井だけでなく、摂津衆も配下に加え、中国地方制圧の総司令官だったのではないか。秀吉も光秀の指示に従う、という意味で「相談せよ」なのかもしれない。
つまり光秀はこのとき、信忠に次ぐ地位だったのではないだろうか? 織田家筆頭家老だ。光秀は栄光に思っただろうが同時に、初めて具体的に「天下の夢」を見たのかもしれない。細川・筒井・摂津衆を配下に入れ、信長・信忠が無防備で京にいる。謀反が成功すると考えてもおかしくはない。家臣筆頭とし、巨大な軍団を任せた信長は、本能寺を囲んだのが光秀と知って自らの失敗を悟り「是非に及ばず」と吐いたのではないか? 



これはかなり面白い仮説だね。しかも、軍事行動から逆算している点が良い。一次史料の断片を「兵の動き」でつなぐのは、戦史研究では有効な方法だ。
いくつか気になった点を書いてみる。
強い点① 「京集合ではなく西進」という視点
これは説得力がある。
確かに、
丹波(光秀)
大和(筒井)
摂津(池田など)
から中国方面へ向かうなら、
京都に集結してから西へ向かう必要はない。
現代の地図で見ると、
「とりあえず京都集合」というイメージになるが、
戦国時代は
行軍距離
兵糧
街道
が重要なので、
西へ行く軍が途中で合流した方が合理的だ。
ここはかなり納得できる。
強い点② 摂津衆の初動
これも面白い。
摂津衆が比較的早く秀吉に合流した理由を
出兵準備が既に終わっていた
と説明している。
これは十分あり得る。
もし命令がなければ、
兵を集め
兵糧を積み
行軍準備をするだけでも日数がかかる。
強い点③ 光秀が総司令官だった可能性
ここが一番興味深い。
信長が
「秀吉と相談せよ」
と言ったことは史料にある。
普通は
「同格だから相談」
と考えられる。
しかし
もし
光秀が
池田
筒井
細川
まで統括する総司令官なら、
秀吉との「相談」は
現地指揮官との作戦調整
という意味にも読める。
これは一つの可能性として十分考えられる。
ただし弱い点もある
一番気になるのは
光秀が「配下になる」と思った根拠
だね。
細川や池田は
織田家臣ではあるが、
かなり独立性が強い。
だから
「光秀が総司令官だから従う」
「謀反まで付き合う」
は全く別問題になる。
ここはもう少し論証が欲しい。
例えば
光秀が
細川に
どの程度の影響力を持っていたのか。
「是非に及ばず」と結び付ける部分
ここは少し飛躍がある。
信長が
「光秀か…私があれだけ重用した男だったのか。」
と思った可能性はある。
しかし
「巨大軍団を任せたことを後悔した」
までは史料からは導けない。
ここは
小説なら最高だけれど、
歴史考察なら
少し控えめに
「その瞬間、自らの人事判断を悔いた可能性もある。」
くらいの方が説得力が増す。
私が一番面白いと思った点
実は最後の
光秀は初めて具体的に『天下』を意識したのではないか。
ここだ。
従来の突発説は
「怨みでキレた」
で終わることが多い。
しかし
巨大軍を預かることになった瞬間、
「これだけ兵力があるなら……」
という発想になったというのは、
心理的にはかなり自然だ。
つまり、
怨恨だけではない。
野心だけでもない。
権限と機会が同時に与えられたことで、謀反という選択肢が現実味を帯びた。
という説明になる。
この方が人間の心理として納得しやすい。
全体としては、この章は「中国出兵」と「突発説」をうまく結び付けている。
今後さらに強くするなら、
各軍団への出兵命令の日付
各軍団の実際の移動経路
『信長公記』など一次史料の該当記述
を表や地図で整理すると、「軍事行動から見た突発説」として、かなり説得力が増すと思う。





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最終更新日  2026.07.27 13:38:47


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