(ウラジーミル・ナボコフ『プニン』第六章・6、大橋吉之輔訳)
よどんだように静かで、荒涼とした風景だが、ジョカンドラにとってはホームグラウンドだった。そしてその静けさが彼女の心にも静けさを呼び起こし、熱っぽい額にあてられた冷たい湿布のように彼女の緊張をほぐした。(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』3、友枝康子訳)
エディにとってはただのピアノではなかった。ネディなのだった。エディはある程度の時間手にしたものには何でも愛称をつけた。それはまるで、馴染み深い海岸線や目的地が見えないと不安にかられる大昔の船乗りさながらに、名前から名前へと飛びうつっているかのようだった。もしそれをしなければ、名前もなく形もない混沌とした大洋を、なすすべもなく漂流してしまうようだった。(フィリップ・ホセ・ファーマー『奇妙な関係』母・2、大瀧啓裕訳)
「人間は同じものにいろいろな名前をつけます」とメアリがいった。「〈混沌〉はわたしたちにとっては一つのことを意味するにしても、ほかのだれかにとってはまったくべつなことを意味するかもしれません。さまざまの文化的背景がさまざまの認識を生むのです」(クリフォード・D・シマック『超越の儀式』23、榎林 哲訳)
何世紀も昔の哲学者ニーチェの文章を思い出した。(…)人間の心を蜜蜂の巣として描いている。われわれは蜜の収集家であって知識や観念を少しずつ運んでくるのだと──(バリントン・J・ベイリー『知識の蜜蜂』岡部宏之訳)
ラムジー夫人はそれを巧みに結び合わせてみせた、まるで「人生がここに立ち止まりますように」とでもいうように。夫人は何でもない瞬間から、いつまでも心に残るものを作り上げた(…)(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・3、御輿哲也訳)
セアこそ、わたしの初恋の人だった。また彼女は、わたしが救った人のものだったから、わたしは彼女を崇拝してもいた。最初にセクラを愛したのは、彼女がセアを思い出させるからにほかならなかった。今(秋が去り、冬がきて、春がきて、年の終わりであると同時に始まりでもある夏がふたたびきて)わたしはふたたびセアを愛した──なぜなら、彼女はセクラを思い出させるから。(ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』10、岡部宏之訳)
美しいものというのはいつも危険なものである。光を運ぶ者はひとりぼっちになる、とマルティは言った。ぼくなら、美を実践する者は遅かれ早かれ破滅する、と言うだろう。(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』刑務所、安藤哲行訳)
少女は少女の痛みを抱えて、モーリスは自分の痛みを抱えて、二人は芝生を並んで歩いた。(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・9、青木久恵訳)
E・A・ロビンソンは彼の後半生において自分の詩以外はどんな詩もほとんど読まなかったと告白している。ただ自分の詩だけをくり返しくり返し読む。これは自己模倣の麻痺が、人生半ばにして多くの良い詩人を駄目にするという事実の説明にもなる。(デルモア・シュワーツ『現代詩人の使命』2、鍵谷幸信訳)
自分は個性(パーソナリテイ)に欠けるというエドワードの意見は正しい。彼は実際に同席しているときより話題にされているときのほうが実在感があった。友だちがぼくを作っていると彼はよく言った。しかし、彼の存在が目に見えない秘密の通路を通ってぼくたちに流れこんでいたのだ。(L・P・ハートリー『顔』古屋美登里訳)
ところがそれ以来、電話はかかって来なくなった。かつてエドマンドが初めて交換手に苦情を言った直後と同じだ。アトリエは今や昼も夜も澱んだ熱気と静寂に満たされており、絵の中の子供らはめいめい好き勝手に虚空を見つめている。(ロバート・エイクマン『何と冷たい小さな君の手よ』今本 渉訳)
だが、ラシーヌが何を言おうと、死者たちの国へ降りてゆくための道はない。魂たちのかわりに、ここにあるのは飛ぶ種子、浮遊する蜘蛛の糸、羽虫だ。死者たちの国への入り口はケルトの伝説が語っているように一筋のまっ直ぐな道でできている。(イヴ・ボヌフォワ『大地の終るところで』VIII、清水 茂訳)
「もし私が他の人たちより少しでも遠くをみたとするならば、それは私が巨人の肩にたっていたからだ」という言葉は、ニュートンの言葉だとされている。しかり、彼は巨人の肩に立っていた。その巨人のうち最大のものはデカルト、ケプラー、ガリレオであった。(E・T・ベル『数学をつくった人びと I』6、田中 勇・銀林 浩訳)
「あなたたちはもう行かないと」アーリーンの声が言った。「話している時間はないわ。もちろん、そんな必要もないんだけど」(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面20、嶋田洋一訳)
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