全193件 (193件中 1-50件目)
いびつな形で外国人労働者が増えている日本において、各地で問題が顕在化している。そして、まるで自覚はないのだが、私の住む川口市もホットスポットとされ、産経新聞が熱心に取り上げてくれている。 最近の記事は、これだ。「川口クルド問題で市民の声続々「事実報道しない」「過度に配慮」 大半がメディアに苦言」 いわく、横浜市から川口市に引っ越して「実際に子育てして住んでみると、治安の悪さに驚きました」。しかし、2012年に生まれ育った横浜市から川口市に移り住んだ私には、そのような実感はない。むしろ、十数年前の伊勢佐木町の裏あたりなど、中国系の外国人が多く、昼日中から不穏な空気が漂っていたような気がするし、その昔の黄金町界隈などは不健全この上なかったし、日ノ出町の場外馬券売り場周辺の喧騒など、もっての外であった。同じ横浜市民でも、中心部ではない地域や上っ面しか知らないような人なら、横浜にいる外国人は観光客ばかりなのに対し、川口市それは中東出身の労働者なので違和感を持つかもしれないが、それは外見的な相違に過ぎず、その人の主観に過ぎない。日本人と同じような外見でも、中国系やベトナム系のマフィアははるかに物騒な存在と言える。 川口市の、それも近所のクルド人が問題ばかり起こしているような印象を受けてしまうが、個人的には脅威を感じたことはない。たまに見かけるが、行きすがりの外国人労働者に過ぎず、肉体労働を頑張ってくれているとの印象しかない。別に犯罪をしようとカモを探して、ニタニタ笑って物色しているような者はおらず、そもそも出稼ぎに来ているのに与太者のような行動をするものは少ないだろうと思う。もちろん閑散とした街中で砂利を運ぶトレーラーは迷惑だが、それは運転手がどこの民族であれ同じである。昨今では、経営者もクルド人になっているらしいが、法律を順守するなら誰であれ構わないだろう。逆に言えば、クルド人であれ、法を守らないなら排除するだけのことである。とどのつまりは、居住区になる将来を予想した街づくりができなかっただけで、市の行政に今後頑張ってもらうしかない。 昨年、私の父母も世話になった近所の拠点病院(川口市医療センター)で、クルド人が集団化して大騒ぎになったのが、群れて圧力をかけようとしたのは大間違いであったにしても(怖がられ嫌がられ排斥につながるくらいの緊張感がなければ外国居住は出来まい。ここはクルド人を特別視して抑圧している国ではない)、ろくに言葉も話せない相手に対して、あの病院は不親切だっただけではないかと個人的には思えなくもない。 なお、断っておくが、クルド人は尊敬するサラディン(野蛮な十字軍からイスラム社会を守った英雄的指導者)の末裔なので、個人的に特に敬意を持ってはいるが、群れてマジョリティである日本人に脅威を与えることなど微塵も許す気はない。さりながら、「安心して子供を公園で遊ばせられる、安全な子育てができ」無くなるような事実があるのか、しっかり検証してから報道すべきで、そうでなければ偏向でありヘイトと見なされてもやむを得ないように思う。一体、クルド人による地域住民に対する犯罪行為があるのか、それは如何なるものなのか、客観的事実が重要であろう。もしそのような事実がなければ、今のところは、ひげ面のイスラム教徒の男の外見に慣れず、偏見を持っているのにも気づいていない者が少なからずいるだけ、なのかも知れず、日本人の側もヘイトや行き過ぎたヘイトなどと単語の流行を追いかけるのが好きな頭で考える前に、少し冷静になるべきだ。それがマスコミなら、尚更のことである。所詮、日本人は、島国根性で異人は怖い、がベースだからである。 第一、「横浜」と言っても、伊勢佐木町の「裏」やら日ノ出町近辺などと、「南アルプス」の彼方の戸塚とは大きく異なるだろうし、「川口」にしても、その昔風俗街で知られた西川口界隈と東川口あたりの人少なの地域とはまったく事情が異なるだろう。そのような細かいが知らなければ正確な地域情報など発信できない事実を無視して、ものを言うのもおかしいし、そのような自分の住む『点』を主観的にしか理解できないような地域住民の『声』などを取り上げて拡散するのは、間違ったレッテルを貼り誤解が誤解を呼ぶもとになるばかりで感心できない。 繰り返すが、治安が悪いと言うのなら、どの地域の犯罪率が高いのか事細かに把握したうえで、客観的に報道すべきで、『点』しか理解できなくて当然な地域住民の印象情報に頼ってもらっては困る。産経新聞のようなマスメディアに期待したいのは、客観的裏付け報道である。当事者を自称する人たちの一方だけを向いて報道しないように心がけてもらいたい。
2024年03月04日
コメント(0)
早速、桜文鳥のオスを求めて、チェーン店に行こうと、個人情報と「もう何回も系列店でご説明をうかがっているので簡略にお願いします」「ご入力は以下でお願いします」と書いた紙を用意し、「これくれ」としか話さないつもりでいた。ところが、昨夜、チバちゃんの態度が変わり、何やら自信を持った様子で、動きも態度もさらに機敏になり、私の口笛を興味深げに聞き入るではないか。 元々、そそっかしいくせに妙に慎重さ文鳥なので、さえずりの練習が遅れているだけで、やはり姿形に則した性別(♂)なのではないか、との疑惑が起き、今日の出撃をとりやめた。で、浮いた時間で、徒然でも書いておく。 先日、大河ドラマを見ていたら、藤原道兼が弟(後の道長)をボッコボコに殴っていて唖然とし、さらに娘(後の紫式部)をかばったその母親を刺し殺し、返り血を浴びた姿が映し出されて驚愕した。 これは、脚本家(大石静さん)が調子に乗ってスキャンダルをねつ造しただけで、当然ながら事実無根である。そもそも平安時代の貴族は、絶対に、血刀を振り回したりしない。なぜなら、そのようなことをすれば身が穢れてしまい、生きていけなくなるからだ(「血の穢れ」信仰のため、日本には女性は清浄であるべき場所から遠ざけられてしまう文化があり、例えば大相撲の土俵に女性が入るのを忌避するような性差別を受けることにてしまうのだが、現代の日本女性にはそうした前近代的差別が意識にすらないのだろう。実に結構なことだ)。もちろん、貴族社会以外は「平安」とは程遠い殺伐とした時代なので、家来(武士)は殺生など何とも思っていないが(自分より下の身分の者を自分と同じ生き物とは認識していない)、それ以前に、貴族は実力行使として呪詛という手段を持っている(と信じ切っている)ので、仲間内での血を見るような報復など必要ないし考えもしない。だから血を見ることもなく「平安」なのである。 さらに、道兼の子は紫式部の娘を妻にしたとされ(異説あり)、まさか時代考証の先生に教えられなかったはずはない(と思いたい)ので、ドラマの中の紫式部は、実母を殺した男の息子に自分の愛娘を嫁がせることになってしまった。さて、後継ぎ娘と母の仇の息子、どのように展開させるのか、それとも知らなかったで済ませるのか、興味深い所である。 平安時代のスキャンダルをねつ造したところで、名誉棄損にはならないが、芸能マスコミの報道は時に捏造と見なされ裁判沙汰となる。昨今、ダウンタウンの松本人志さんは、昔のご乱行を週刊文春にレイプと見なされて、名誉棄損を訴えて芸能活動を休止したそうだ。 ダウンタウンと言えば、私が幼い頃、確か『テレビ演芸』という名称だったかと思うが、酔っ払い(にしか見えない)横山やすしが司会を勤める番組があり、若手芸人が話芸と言うかネタを披露して、専門家?有識者?の先生方&やっさん(横山やすし)の批評を受けていた。そこに、やっさんの吉本興業における後輩である若きダウンタウンが出場し、それなりに面白かったと思うのだが、その内容とは無関係に「どっちがダウンでどっちがタウンじゃ!」とコンビ名にケチをつけられ、若きまっちゃん(松本人志さん)は恐れ入って聞く態度、若きはまちゃん(浜田雅功さん)はふてくされていたのが印象に残っている(記憶違いがあるかもしれない)。 長じて売れっ子となったおふたりだが、バブル期の軽薄な風潮のもとで、人をいたぶる芸風となってしまい、ある日、たまたま観ていたら、婚約者の前でADをからかいいたぶりもてあそぶ演出があり、それが非常に不愉快だったので、以降、特に松本さんの顔を見るとチャンネルを変えるようになってしまった。やっさんに理不尽に叱られていた若者が増上慢(ぞうじょうまん)になっているように見えて、気に食わなかったのである。 従って、近年の人志松本(なぜ逆にしているのかも知らない。英語でも氏名は逆転させない方が良いことに最近はなっているのではなかったか?)のご活躍にははなはだ疎い。また、「文春砲」などオワコン雑誌の必死過ぎる悪あがきだと思っているので、その記事に興味は無いのだが、仄聞するに、2015年に後輩芸人おぜん立ての飲み会があり、そこに集まった尻軽女に「オレの子を産めや!」などと性交を強要したといったことらしい。しかして、それくらいゴシップ(うわさ)として普通ではないかと、何の思いいれも持たない第三者の私には思える。相手は堅気に生きている人ではない。芸能界の個人的飲み会にひょいひょい行くのが好きな行動もおつむの中身もライトな人たちで、とても同情する気になどならない(同情すべき人は他にたくさんいて忙しいのである)。 もし、ただ楽しく飲みたいだけだったと言うのなら、申し訳ないがただのバカである。バカ行動も若気の至りと、反省していれば良いものを、ゴシップ雑誌にスキャンダル(醜聞)として告発し、非難されればセカンドレイプを言い立てるなど、およそ恥知らずと言う他ない。若き日の拙い行動を、一方的な被害のように仕立てて自らさらけ出すなど、自傷行為にしかならない。自分で自分をセカンドレイプしているも同然なので、ゴシップ雑誌に協力するなど止めた方が良い、と私ならアドバイスするだろう。普通に若い頃の自慢話として気の置けない仲間たちの中でだけしていれば良い話を、ゴシップ雑誌の記者などに話しては、自分の過去の成果に泥を塗るだけ、尻軽には尻軽の矜持を持ってもらいたい。 松本さんが売れっ子だろうと事務所の有力者だろうと、消えてなくなっても誰かがその穴を埋める。先輩の島田紳助さんが反社会的団体の舎弟気分でいきがっているのが露見して芸能界を追放された際も、テレビ業界などは大騒ぎであったが、別にどうと言うこともなかったではないか?居ないだけ次の芽が育つのが世の常で、それに頼り切って不可欠な存在と思いこむなど虚妄に過ぎない。自他ともに肝に銘じたいものである。
2024年01月17日
コメント(0)
相手選手への危険なタックル(投げ終えたQBに対するレイトヒットは、生命の危険を伴う行為で、アメリカンフットボールでは厳禁である)をコーチが使嗾したことで、社会問題となった日大アメフト部。その折に廃部にしておけば無自覚なバカどもが寮を大麻で汚染することもなく、逮捕者も出さず、組織運営などしたことがない作家のOGを祭り上げることもなく、その無能であったとしても当然の『看板』を、支えなければならないとの自覚が欠如している大学執行部の体たらくを露呈することもなかった。 ようやく廃部になるそうだが、当然である。ところが驚いたことに、「連帯責任に強い疑問」などと言って廃部に反対する声があり(産経記事)、また現役の学生選手が存続を大学に求めるような動きもあったそうだ(NHKニュース)。まったく、上から下まで不見識極まりなく、恥を知るべきだ。 大麻に関しては部の寮で起きているのだから、一味同心と見なされるのが当たり前ではないか。ではお尋ねするが、アメリカンフットボールという集団のスポーツは、チームの一体感があって初めて成り立つものだが、一体感は、チームの仲間と連帯して負うからこそのものではかったか?一人はみんなのため、みんなは一人のため、とラグビー関係者は皆知っているところだが、「アメラグ」(昔はアメリカンフットボールではなくアメリカンラグビーと称された)は・・・、違うのか?では、反則を犯して罰退になる際に、「やったのは山田で、俺たちは関係ない!」などと言えるものなら言ってみろってんだ、バーロー!! ・・・失敬。共同責任を負うから仲間に迷惑にならないように努力する、それが集団スポーツの教育的な利点だ。それをわきまえず、腐った伝統で勝ち負けだけにこだわっているから、バカOBコーチは犯罪行為を使嗾し、バカの現役部員は先輩の犯したミスで自分たちを見る目が厳しいことも自覚せず、寮を薬物汚染するような真似を平気でするのではなかろうか。この際、過去現在のチーム関係者すべてに連帯責任をしっかり自覚させるべきだ。もし、廃部後にまだ頑張ろうとする者がいるなら、同好会から始めたら良い。有志のOBも多くいるはずなので、飯をおごってやるとか学生たちを親身に応援すれば良いだろう。それでこそ、日大フェニックスだ(アメフトに興味など無い人にはわかるまいが、日大アメフト部というのは、チーム名がフェニックスで、ショットガンフォーメーションから両翼へのパスを特長とする伝統がある)。不死鳥の如く蘇れるものなら蘇ってみやがれってんだ、バーロー!! ・・・再度失敬。 この際、日大も連帯責任で廃校したら・・・、と言いたいのだが、せめて大学としての連帯感が保てるように努力すべきなのだろう。あの大学は図体がデカいのは(どうでも)良いとして、昔からカレッジ(単科大学)の集合体でユニバーシティー(総合大学)ではないとされており、連帯感がないのが致命傷になっている感がある。このような問題が起きても、他人事、「連帯責任に強い疑問」ではなく、「連帯無責任に強い疑問」もしくは大きな違和感を感じてしまうのは、私だけだろうか。 伝統?アメフト部の篠竹(元監督)以来の伝統など虚妄だろう。日大のボスは山田顕義による創立時より『総長』だったのに、体力だけの事務員上がりの相撲取りに牛耳られて、理事長が取って代わるような大学だ。いまさら伝統もヘチマもないだろう。伝統にとらわれない変革のため、林真理子理事長のご健闘を祈る。
2023年11月30日
コメント(0)
刑務所の配膳係がお似合いだった鈴木宗男さんが、周囲の制止に耳を貸さずに訪露し、おそらくみんなに叱られて蒼白な顔ながら、相変わらずの口八丁でマスコミ相手に帰国後何やら雑音を奏でられていた(記事)。いわく「(戦争を)長引かせたら命がなくなってしまう。(中略)武器をくれ、お金をくれと言っているから長引いている」。 前科者のムネオさんに言われなくても、援助をしなければ戦争は終わっていたのに、と常々残念に思っているので、そのような思想をお持ちでロシアの高官にお会いする機会を得たなら、しっかりお伝えいただきたかった。「あなた方がウクライナ東部の武装集団を援助しなければ、戦争は早期に終わっていたし、そもそも戦争は起きなかった」と。 ついでに、彼の気の毒すぎる脳みそでは、2015年の「ミンスク合意」をロシアが順守しウクライナは守らず背信行為を繰り返したことになっているようだが、その「合意」とやらで停戦すべきは内戦の当事者たちなので、その一方の独立派が順守せずに戦闘行為を続ければ停戦が実現するはずがない。そして、ロシアはあくまでも陰で支援しているだけということになっていたので、順守も何も初めから戦闘行為に参加などしていないことになっていたのを理解できているだろうか? そもそもウクライナの内戦にロシアやドイツやフランスが口出しすること自体がおかしいわけだが、ドイツのメルケル首相がわざわざ茶番を演じた理由は、ロシアからのガス供給の拡大を目指していた彼女が、ロシアが領土的野心で隣国の分離独立派を支援するのを止めさせて穏便に済ませたいと願ったからに過ぎず、問題は分離独立派を陰で主導するプーチンであることを前提とする会談であり「合意」であった。 もちろん、内乱軍の武装組織は「合意」後も戦闘を止めないので、ウクライナ政府軍も応戦や反撃をすることになるが、それをもってウクライナ政府に合意違反の罪を問うなど、欺瞞でしかないだろう。他国の内戦に、反乱軍を支援しているロシアこそ、最初から最後まで合意の実現を妨げているのだから。 ロシアにくだらぬ論拠を与え、増長を招き、ウクライナ侵攻に至らしめたドイツ首相メルケル氏とフランス大統領サルコジ氏は、ミュンヘン会議でナチスドイツのズテーテン割譲要求を認め、ヒトラーを増長させポーランド侵攻を招き第二次世界大戦に至らしめたイギリス首相チェンバレンに比すべきマヌケな民主主義指導者として、その名を歴史に遺すことになったのは、大変遺憾なことである。独裁者と妥協し領土を生贄にするなど、断じてあってはならないとする歴史的教訓を、さらに肝に銘じなければなるまい。 ともあれ、ムネオさんは愛する「北の大地」に隠棲し、余計なおしゃべりと行動で政治家として前途のある娘さんの邪魔にならないようにすべきだろう。我が家の犬も「ハウス!」と言えば犬小屋に帰った。あなたも「ムネオ、ハウス!!」とみんなに言われている状態だ。疾く、お帰りなさい。
2023年10月09日
コメント(0)
川崎市その他で公立学校の教員がプールへの給水操作を誤って、損害の半額を弁済した事案があり、NHKも検証しているのだが(記事)、なぜ「危険責任・報償責任の原理(法理)」についての指摘がないのか不思議に思っている。雇用者は業務上に生じる危険についての責任を負うべき、つまり、従業員が業務中に起こすミスによる損害は、従業員個人の責任ではなく、雇用者が負うべきとするのが法律上の常識のはずだからである。 たとえば、皿洗いでお皿を落として割っても、会社は従業員から罰金を徴収したり、給料を減額するようなことは出来ず、行えば労働基準法への違反行為となる。川崎市の事案は、本来の業務とは違う特殊な行為を業務命令で強いて、それによるミスの責任を個人に負わせるものなので、「危険責任・報償責任の原理(法理)」により、本来一義的に責任を負うべきは雇用者たる自治体のはずだ。自分が加害者である自覚もなく個人に責任を課して「半額で済ましてやった」と言えば、へそが茶を沸かさざるを得まい。もし納税者に対して引け目を感じるなら、その地方自治体の職員全員から徴収するなり寄付を募るのが筋で、個人の過失を責めるなどあってはならず、私には違法にしか見えない。 プールの管理など、水道業者などその道のプロに委託するのが当たり前であり、その費用を惜しみ、教育のプロたるべき教員に余計な負担を強いた責任をこそ痛感すべきだろう。皿洗いに罰金を科すようなブラック企業同然の対応は、雇用者として無責任で恥じるべき態度に過ぎないのである。
2023年10月04日
コメント(0)
最近はアスペルガー症候群とは呼ばず、自閉症スペクトラム症に含むようになっているらしいが、そのような定義づけは専門家を称する暇人が勝手にやっていれば良い。ようするに、先天的に常識外の行動を起こす素質を持った人たちであり、私の姉だった人物も、一般常識が理解できず、相手の心情を思いやることが出来ない特性を持っていて、娘が精神的に不安定になり精神科のに受診した際、お母さんも問題があるとして、「アスペルガー症候群」と診断されていた。 およそ、診療室でどのようなやり取りをした結果、付き添いの親が患者に変わったか知りたくないが、めでたく何とか症候群と認知された後も、身勝手な行動は治まらず、2015年の父親の葬式では何の役にも立たなかったのは当然として、その後も母親を弟の家に置き去りにして何もせず、3年以上経って、小鳥がたくさんいる環境であることを知っていながら、家族そろって犬まで同伴してやって来ようとして出入り禁止となり(最初は姉だけと言っていたのが娘同伴になり夫同伴になり犬同伴と言い出している)、もちろんコロナ禍に親の顔を見たいなどと思い悩むこともなく、老いの進む母親に対しては、母の日だけカーネーションを送って寄越すだけであった(昔は誕生日に送ってきたが、親の誕生日を忘れたらしい)。 法律的に、親の扶養義務というものは子どもに等しく存在するもので、一人に押し付けて良いものではない。しかし、扶養を担うのは子供のうちの一人となるので、他の兄弟姉妹は、その扶養を担う者に遠慮し協力するのが、一般常識のはずである。最悪でも年に一度くらい、親の様子を見てお小遣いを与え、扶養する兄弟姉妹には感謝の言葉一つくらい言うものだと思う。私どもの親もそうしていたので、それを見ている私はそれが当然だと思っているのだが、その際は隣にいた姉には何の教訓にもならなかった。アスペル姉さんには、親の行動を見て感じる能力が乏しく、有体に言えば、真心というものが無かったのである。 そのような親不孝の極みのような人物だが、昨年の年末年始の3日間のみ、母親を迎えに来て預かってくれた。これは有り難かったが、何もわかっていないことを露呈することにもなった。足弱でかなり以前からベッドを利用する母親に対して、床に布団を敷いて寝かせたのである。母は「カブトムシ」同然で、数年前から倒れてしまえば自力で起き上がれず、湯船から這い上がれなくなることも2度ほどあったのだが、何も知らないし、知ろうともしなかったのである(この人物はホームヘルパーをしていて老人介護に対して知ったかぶりをする迷惑な習性まで持っている。年始に連れ帰ってきた際は、お勧めのオムツについてまったく的はずれな能書きを聞かされた)。 このような前提がある中、先月28日、受話器越しに声を聞く機会があり(電話すらしないので、老母に電話して2、3日面倒見てくれと言えと指示した)、「忙しいから」と言われて、私の堪忍袋は木っ端みじんとなった。アレは受話器を切って、その後の呼び出し音を無視した(数十分鳴らし続けさせ、老母はその間電話の前で待った)。 ここに至り、今後この人物が、姉として、また娘として、何か役に立つ真心など欠片もないのは明らかなので、この際絶縁することにした。このままでは、母の臨終まで何の協力もしないばかりか、葬式の際に不愉快にさせられるのは間違いないからだ。もちろん、かなり呆けてきている母にも、その旨伝え、その娘と同居する夫とその孫娘2人(成人。私の感覚ではあのような母親と一緒にいる時点で「駄目亭主」と「使えない姪」と位置付けられる)とも絶縁となると説明したが、どうやら「娘の家に行け!」などと言われなくなって有難いとだけ感じたらしく、特に異論はなかった。つくづく気持ちの悪い親子関係だと息子の私は思ったのだが、キチガイたちのことはあまり考えないことにして、以下の絶縁状を書いて送った(母親が出して寄越した切手付きの茶封筒に入れて投函したところ、2円足りずに戻ってきた。82円だったか84円だったかなど知るか、と思うのだが、仕方がないので30日に再投函した)。 身内の恥だが、絶縁したからには他人だ。金輪際関わらない戒めのため、また、他人の話の種のため晒しておこう。 ご無沙汰いたしております。時候の挨拶などは割愛いたします。ご無礼ご容赦のほどよろしくお願いいたします。 さて、言っても詮無いこととは知りながら、貴方様を姉と考えるなら、申し上げなければならないことが多々ございました。さりながら、貴方様には聞く余裕がないとのことで、当方も貴方様の生まれつきのご性質を考えれば、無理に申しあげるより、他人として一切かかわらないのが一番であると思い至りました。 つきましては、世にいう「義絶」の上絶縁をいたしますので、ご承知おきくださいますようにお願いいたします。貴方様のご亭主と娘お二人も、おとなとして、個人として、特にお考えをお聞きする手間をかける気にもなりませんので、遺憾ながらご同類と見なし、絶縁させていただきます。お手数ですが、よろしくお伝えください。今後は、双方の家族に何がありましても、報知いたしませんし、ご報知いただく必要はありません。一切の連絡は致しませんし、一切のお付き合いをお断りいたします。 要件は以上のみですが、貴方様には、気の毒ながら他人の気持ちを忖度するのはお難しいとのことですので、以下少々の蛇足を申し上げます。私からの一方的な見解で非難めいてしまう点はご容赦ください。 ご承知のこととは思いますが、兄弟姉妹には親の扶養義務は公平にございます。まして、親から「実家」を相続したわけではない私には、貴方様以上の扶養の義務は、法的にも社会通念上も一切ございません。しかし、絶縁してしまえば貴方様は他人なので、法的には認められなくとも、私の目の黒いうちは、貴方様に扶養義務は無くなったものとお心得頂いて構いません。 貴方様はご自分を生んだ者の現住所に一人ではお越しになれず、誕生日すらお忘れになられたかに思えるような方ですので、すでに絶縁しているも同然ですが、絶縁を宣言されれば、貴方様を形骸化した親の軛(くびき)から解放することができるものと思います。ようするに、これまで通り、親を扶養する責任のないご生活をお続けになられるだけのことです。出来ることでしたら、代わって頂きたいくらいです。 貴方様のことですから、葬式には出たいなどと、無意味な固定観念にとらわれ、真心のない形ばかりを気になされるかもしれませんが、ものは考えようです。親の葬式に家族そろって押しかけて、成人4人が香典2万円で飲み食いするなんて、などと驚かれ、喪主の弟に香典の相場を10万円とどこかで聞いて、献花で5万円、線香と一升瓶の代金などでそれくらい、などと当事者感覚ゼロで算盤勘定したのだろうと見透かされるような、聞くのもつらい非常識行動で恥をかくこともなくて済みます。もちろん、そのような迷惑は金輪際お断りですので、これきりで絶縁できるのは、当方としても良い折でございます。 なお、娘の家より息子の家に寄生し続けるのは両親の意思で、臨終期の愚父も、現在の愚母もこれは一貫しております。私としては、疫病神に祟られているのと同じで迷惑なだけですが、打ち捨てれば扶養義務を問われてしまうので、やむを得ません。 貴方様には、両親との縁が元々薄かったとお考えになり、常識人の真似ごとをして、扶養の義務を果たさず一方的に親を見捨てたように、思い悩まずとも良いものと思います。不孝は十二分にこれまで重ねていらっしゃるので、今さら気にされても手遅れです。手遅れですから、気にしないことです。 それでは、ご一同様の今後のご多幸をお祈りいたします。お達者で。
2023年09月04日
コメント(1)
運転履歴は、運転免許を取得した時だけ、の私には、中古車業界は縁遠い存在だが、『ビッグモーター』は存続し得ない程度のことは理解できる。ところが当事者は、社長が専務に変わって「企業風土を一新する」などと明後日のことを言っているようだ(記事)。 この会社、顧客を食い物にし、現場社員をないがしろにするのは、企業風土の問題と言えようが、信用がすべての企業間取引で詐欺行為を行いながら、会社が存続できるものだろうか?彼ら、損害保険会社に虚偽申請をおこなって、保険金を詐取しており、今後、社長か専務かそれ以下が勝手にやったのか、捜査当局に厳しく追及され、それを許した保険会社の当事者たちは、接待などを受けていなかったか損保の社内で厳しく厳しく査察されることになるが、ともかく、企業間の信用を損なう詐欺行為を行ったのはビッグモーターという会社に相違ない以上は、今後保険を引き受けてくれる会社は無くなるはずである。したがって、常識的に考えれば事業の継続は困難だろう。もちろん保険会社に限らず、誰が企業間取引に応じてくれるだろう?銀行は融資するだろうか?板金工場は下請けをしてくれるだろうか(現金払いをするなら別だが・・・)。 社長だけが悪くて、その企業風土で専務にまで出世した人間で一新できるなど、人前で戯れ言をもてあそぶ暇があるなら、資金を清算して少しでも顧客や現場社員に迷惑をかけないように血みどろの努力をすべきかと思う。それが店じまいにおける商人の心得と言うものである。
2023年07月25日
コメント(0)
人は思いこみの生き物だ、と昨今改めて思い知らされる。 例えば、昨今、民間の小型潜水艦で深海に沈むタイタニック号を見学するツアーで、メンテナンスが不十分だったのか、大破して乗員乗客おそらく即死の事故があった。フツーに考えれば、深海で行方不明になれば、数日内に救出など不可能なので、浮上していることを祈りつつ、深海に万一にも沈んで、乗客が酸素の欠乏を待つような事態は想像しないようにするのが、健全かと思う。ところが、救出したいとの人々のとても非現実的な願望により、潜水艦が形をとどめて深海にあって中の人たちは救出を待っているのが前提のようになってしまい、およそ現実ではありえないから奇跡のはずの「奇跡」を渇望、挙句、「30分おきに何かをたたく音」をソナーが探知した、などと騒ぎたてることになった。 待て、なぜ30分おきなのか?自然では起きない?否、むしろ人為的には起きないだろう。海底のガスがたまって吹き出すのが約30分おきとか、そう言った自然現象を想定する他ないはずだ。しかし、そのような現実的な議論は出来ず、勝手な思い込みで一喜一憂するのである。 例えば、昨今、某NHKの時代劇にも頻繁に出演していた永山某くんは、大麻所持で逮捕されてしまった。フツーに考えれば、大麻の葉っぱを乾燥させて吸っても、特段の効果は得られないが、思いこみの生き物である人間の中には、現在の地位や名誉を失うばかりか、他人に多大な迷惑をかけ再起も難しくなるようなリスクを冒す価値があると信じてしまう。 大麻はタバコより昔から日本でも栽培されていて、それなりの薬効は知られていたが、喫煙は一般化しなかったものである。つまり、今現在、その葉っぱを吸いたがる人は、とっくの昔に喫煙する意味がないと証明済みのものを、思いこみで「効いたぜ!」などと思って珍重している過ぎないのである。 なお、ミュージシャンは禁止薬物で逮捕されても再起はあるが、他人との共演が必須の俳優の場合、この手の薬物犯罪を犯せば、再起は不可能である。効果のない葉っぱごときでも、それで逮捕されたら、製作者サイドの仕事も資金もパーになるばかりか、自分と同じ立場の共演者たちの仕事を台無しになってしまう。そのような被害を受けた人が、今後、加害者と共演するであろうか?孤独もしくは内輪で生きるミュージシャンのような甘えは許されないので、どうしても葉っぱなど吸いたければ、俳優業をやめ、他人の迷惑にならない職種に転向した上で、便所の中で吸うのが筋道と心得られたい。 例えば、性同一性何とか、LGBT何とか、といろいろ区分けしてそれが新しい正義のように主張する人の声が大きいが、すべて思い込みにしか聞こえない。子どもの頃から男の子であるのに違和感があって、スカートがはきたかった?はけば良いではないか?はかせない親が悪いしそれでとやかく言う同級生のガキがバカなのである。女装が好きな男の子がいて何が悪い?他人に対して無害な行動を差別したがる性根に問題があるのに、自分をゲイだ、心は女だ、とかわざわざカテゴライズ(LとかGとかBとかTとか区分けすること)する必要などないだろう。 なぜ心の内の問題を表だったものにしなければならないのか、生物学的に同性が好きな者がいて不思議はないのに、なぜ、女性が好きな女性が男性として振る舞わねばならないのであろうか?なぜ、男性が好きな男性が女性にならねばならないのか?およそ解しかねる(生物学的には、男性に好かれる特質の遺伝は、兄弟が子孫を残すには不利だが姉妹にとっては有利に働くので、同性愛は一族が子孫を残す上での不利にならない)。ただ、性器の有り様によって男性と女性を分けなければ、トイレも銭湯も混乱するし、スポーツ競技の多くは男性に独占されてしまうし、憲法は改正しなければならなくなるので(日本国憲法第24条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するものなので、「両性」の「性」を「人」に変えないと同性婚は違憲になる可能性が高い)、その点は個人の自由の範疇を超えることは理解しなければなるまい。 そこで文鳥の行動を観察すると、彼らは異性だからとか同姓だから、と認識して恋愛などしていない。好きな相手を異性と見なす、と言うより、好きか嫌いかで異性とか同姓といった意識を持っていない。不思議に思えるかもしれないが、主観でしか生きられない生き物の定めとして、その方がよほど自然に思える。つまり、人以外も思いこみで生きているのである。 生きとし生けるものは自分が見たり感じたりの主観で思いこんで生きる他ないが、人は大きな社会を維持するために客観性が求められてしまう。自分勝手で行動されては、社会は維持できないのである。潜水艦の乗客を助けたい願望だけで行動すれば、多くの資源が費やされ、時として二次災害を起こし、挙句何も得られない結果となる可能性も考えねばならない。「鰯の頭も信心」で葉っぱさえ吸えば気持ちが落ち着いて楽になると思いこんでいれば、自分だけは逃避の達成感で一時の満足は得られようが、ただの葉っぱで、他人や社会に対する罪悪感を背負い込みことになる。また、枠にとらわれない自由に寛容な社会を求めながら、自らの思いこみで枠を作って窮屈にもなる。 思いこみは生物の宿命だが、人は思考することで、思いこみを客観的に判断することも出来るはず。思い込みに流されないように心がけたいものである。
2023年06月24日
コメント(0)
政治家の息子にしては出来が良すぎるくらいの岸田総理の息子さんが、「馬鹿者と若者は一字の違い」の実例となって、秘書官を更迭されてしまった。出来が良いので手元に置いて、中央政界での経験を積ませたかったのだと思うが(2014年慶応の法学部を出て三井物産に入社、2020年から父親の秘書、そして昨年から政務秘書官)、おそらく地元でのあいさつ回りなどを頑張りすぎて、気を使う方向が、親族や地元有権者と言う「内輪」に偏ってしまっていたように思われる。 何しろ、商社マンのエリートでありながら、目立ったのは、公務で訪問した先の観光地巡り(つまりお土産を買って配る)であったり、公邸で親族(バカばかりのようでお気の毒)と一緒に戯れ事に興じたり、おそよ経歴にふさわしからぬ・・・、よく言えば庶民的、ゴシップ週刊誌を喜ばせる話だけであった。お高くとまったご貴族様では困りものだが、エリートならエリートとしての矜持があるべきだったと思うのだが、どんなものだろう? 30歳そこそこ、現代ではまだ若者の部類なので、ご貴族の使命感(「ノブレス・オブリージュ」)という庶民から見れば鼻持ちならない自意識の塊が跋扈するヨーロッパの大学にでも、今一度留学したら良いのではなかろうか。とりあえず、しばらくお父さんに頑張って頂こう。
2023年05月30日
コメント(0)
例のパイプ状爆弾の青二才は、24歳で選挙に出られなかったのが不満だった、などと言っているようだ(産経記事)。それが爆弾を作って国の宰相を襲う理由になると思うのだから、ワカ者とバカ者は一字の違い、と言わねばなるまい。 確かに、18歳ですでに選挙権は持っているのに、被選挙権が25歳なのは、憲法違反ではないものの、おかしいとする考え方は昔からのものだ。※日本国憲法第四十四条「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とあり、年齢で差別してはならないとの文言はない。 しかし、一方で反対論も根強い。さらに個人的には、被選挙権はむしろ10年引き上げて35歳が妥当、だと思っている。現代の大人は精神年齢の発達が遅いので、40歳以上が妥当とする意見もある中で、35歳とする理由は、プロ野球もサッカーも大相撲も、加齢による体力の衰えを隠しきれなくなり、おおよそそのくらいで引退するからである。 そもそも、被選挙権の問題は、若者が立候補できない、ではなく、年を取ると頭しか動かず、手先としての働きが十分に担えなくなるのが本質だと思っている。年を重ねた経験という利点を加えて、年寄りには頭だけ使ってもらいましょう、現場では足手まといな「年寄りは引っ込んでろ!」というのが本質で、体力を基準とした年齢的な社会分業に過ぎない、と見なしているのである。 例えば、昔の村社会では、「おとな」と呼ばれる年寄りが決定権を持っていて、その指示の元に若い衆が働いていた。考えるのは「おとな」、動くのは若い衆だ。それはなぜかと問われたら、年寄りはまだ頭は動くし、経験の蓄積もあるが、残念ながら肉体的衰えは避けがたいから、に他なるまい。平たく言えば、体が動かないので頭を働かせるしかないのである。 体が動く若い人が、年寄りが頭だけ使って自分たちに指示をするのは不公平だ、と思い不平を抱くのも昔からだが、それでもこの年齢的分業は不変である。なぜか?逆に、年齢的に体力が衰えるのは不公平だ、と年寄りがごねたら、面倒くさいであろう?年をとるのは自然、体力が衰えるのも避けがたく、誰もが「おとな」になることを忘れ、近々10年の不公平を言い募るなど、時間の無駄にしかならない。ピーターパンではあるまいに、自分が永遠に若いと思っているのであろうか?年寄りが真似のできない肉体的な若さを持ちながら、不公平を感じるなど、およそ不自然である。現在の自分が将来の自分に対して不公平を感じるなど、そもそも自己撞着でしかないことに気づくべきではなかろうか。 世の中は個人個人の分業で成り立っていて、年齢による社会的分業も、また理にかなっている。そもそも、だれもが同じ才能を持って生まれ、同じ環境に育っているわけではない。同じことを同じようにはできないので、分業しているのであり、そこに上下や貴賤や公平不公平は、本来存在してはならない。それは、年齢による分業も同じことである。今の若者が今にしか出来ないことを今しているのが本来で、自分の将来行き着くところの年寄りの真似事などをして、バカ者になる必要などどこにもない。ブー垂れている間もなく10年など過ぎていく。後で出来ること、後で考えた方が良いことは、後回しにするが良い。これが「おとな」の分別だと思う。
2023年04月18日
コメント(0)
椿に花咲く朝顔 安倍晋三元首相は尊敬しているし敬愛もしているが(批判もしているが)、国葬儀の今日、特に何もする気はない。そういった習慣がないからで、葬式に行けば黙祷どころか読経でも何でも言われるままする。ただ、わざわざテレビ画面で葬式を見る気も黙祷する気にはならない。 代わりに思うところを書いてみることにする。 まず、安倍晋三元首相の国葬儀に反対し中止を求めた面々は、東京オリンピックの開催に反対し数週間前にも中止できるなどと言っていた人たちと、同じ人たちなんじゃない?と皮肉を言っておく。惑いやすい「世論」と言うよりメディアの「世論調査」では、反対している一般人が多いとされているのも、オリンピック開催前夜と同様ではなかったか。 葬式など、必要があると考えれば行うだけで、その葬儀費用がいくらかかったか、喪主など遺族に尋ねるなど、聞く方が間抜けで非常識だ。先日、エリザベス二世のご葬儀があったが、その際の費用を事細かに葬式前に見積もって、警備費用は国費なのか王室で負担するのか、それともクラウドファンディングでもするのか、などと言った議論があったとは、寡聞にして知らない。もちろん国家予算なので、後ほど精査すべきだが、どうせ、『後ほど』には、話題性も無いので忘れてしまうのだろう? 数週間前に葬式の中止など出来ないし、数か月前にオリンピックの中止など出来ない。可能か否かではなく、大人の常識として出来ない。オリンピックの時は、野党の党首だった枝野氏が選手役員を入国させなければ良い、などと正気を疑う発言を繰り返して自分の価値を低くしていたが、昨日は、葬儀の前日に中止を求める市民団体もあった。そのような非常識が言えるのは、おつむ(頭)の中身が無責任な子供同然だからに他ならず、本来、大人が相手にすべきものではない(取り上げるマスコミが幼稚だといっているのである)。 いずれも実施すればそれなりに成果があり、中止すればマイナスにしかならなかったことは明らかだろう。メダルも一杯取れたしね。そうした直近の経験を踏まえて、後ほどゆっくり振り返り、くだらないメディア報道に流されて移ろった「世論」の形成者たちは、少しばかり反省すべきだと思う。今回の国葬についても、大半のマスコミと「世論」の形成者は、オリンピックと同じことを繰り返した。こうした無責任な幼児反応は、有権者が優秀な日本であっても、避けがたいものなので、乗せられぬように気を付けねばなるまい。 そのような「世論」に右往左往している岸田首相は、実にまじめで良い人だが、その御用聞きの如き態度は、無責任な「世論」に優柔不断と受け取られ、評価を落とすことになっている。気の毒ではあるが、統一教の問題で「世論」に気を使い、結果、個人的に統一教を憎むあまりに、要人を殺した身勝手なだけの犯人の思うつぼになってしまったのは、失策と言わねばならない。 統一教はろくでもない勧誘を行う信者を野放しにして、糾弾されていた事実をわきまえず、その政治的活動の一端を担うなど、軽率のそしりは免れまいが、違法行為でない以上は罪に問えないのが厳然たる事実だ。罪でもないものを罪として糾弾するのは、情緒的な反応以外の何物でもなく、そうした法治に反する考え方は歯止めがなく危険である。 統一教に手を貸した人間は殺されて当然、のような誤解をさせ、筋違いのテロ行為により目的が成就する印象を持たせてはならない。江戸の敵を長崎でとっても、討ち取れさえすればOKとなれば、著名人はいつでも生命の危険にさらされてしまうだろう。殺す相手はだれでも良く「世論」の耳目を集め、旧悪を暴き立てられさえすれば、バカにとっては本望なのである。 東京オリンピックは、あの電通のアレのせいで金まみれな裏側が露呈している。もちろん、「おもてなし」表が無ければ裏ばかり、なのは承知していたが、あの電通のアレに理事の肩書など与えてスポンサー集めを任せれば、キックバックは必然で、むしろ傍若無人なふるまいで用心に欠けるため、露悪して良かったのではないかと思う。単細胞で捜査もしやすいし。 安倍元首相が、政治上の先輩である森元(森喜朗元首相)さんに大会組織委員長を委ねた時点で、実務的能力に欠けるので、事務はムトーさん(大蔵省出身の武藤敏郎大会事務総長)に丸投げなのは、オリンピックにあまり興味のない私にすら分かった。問題は官僚出身者に金集めは無理なので、どうするか、と言った時に(実際、当初スポンサー集めに苦労していたと仄聞する)、フランスには行けない竹田宮(オリンピック招致委員会の責任者として贈賄への関与を疑われている旧宮家の竹田恆和氏が、慶応大学の先輩だったあの電通のアレに任せたと報道されている。 あの電通のアレにしても、後輩の竹田宮のためにも頑張ったようだが(そういった供述をしているらしい)、残念なことに、彼の辞書には『公職』の二文字は無く、組織委員会の理事としてみなし公務員となっていることを理解できるはずもないので(理事がみなし公務員であると認識していなかった旨、供述しているらしい・・・)、肩書をフル活用して電通時代のコネも使って「集金」し、民間なら当然の対価として、「コンサルタント料」が自分の収入となるようにしていた、との東京地検の疑惑が事実であっても、不思議とはならない。彼の経歴からすれば、そうなるのは必然とすら言える。 つまり、その面では無能な森元や無能な竹田宮が、性懲りもなく(竹田さんはコンサルタント料の支払いでお尋ね者になってしまったわけでして・・・)、公私混同をしてしまうタイプの金集めに関しては有能な人に丸投げしたのが、すべてだったのではないかと思う。それぞれ、オリンピックを食い物にした極悪人、とは違うと思うが、結果的にそのように晩節を汚す結果となったのは遺憾で、丸投げするには適材適所を見抜く才能が必要だが、それが欠如した殿様気分が招いた結末と言えようか。 統一教会(友好団体とか寝ぼけたことを言ってんじゃねぇーぞ!)にビデオメッセージを送ったり、無能な年寄りの晩節を汚す立場にしたり、桜を見る会の参加者が何万人にも膨れ上がっていても気づかなかったり、保守と言えば味方だと詐欺まがいの人物を寄せ付けてしまったり、給食マスクに固執したり、葬式に故人の失点失策をあげつらうなど失礼だが、挙げてみればその程度だ。一方で美点功績の方は列挙するまでもなく膨大だ。 安倍晋三という人物には、多くの魅力があり、何より、他人のために努力する誠実な姿勢が、国民の大多数に受容されていたからこそ、長期政権を保てたのである。長期に政権を託したのは、我々日本国国民である。うわ辺の「世論」に流され、個人的な一種の売名行為にはしったバカの凶弾に斃れたことは、返す返すも惜しまれる。この際、「世論」に惑わされず、有権者として長らく政権を仮託できた人物を、礼を持って送りたい。 なお、国葬の前例となっている昭和の大宰相吉田茂は、私が長らく住んでいた横浜市とゆかりがあり、近所の市立太田小学校に、お屋敷から急坂を上って登校していたらしく(大金持ちのはずだが・・・)、養父のお墓も極至近の久保山墓地の一角にあり、近所のお寺(光明寺)は、その養父が檀那として創建したものと聞いている。また、目の前の墓地奥に続く道がアスファルト舗装になったのは、大きな車で墓参に訪れた吉田茂が、そのように命じたからだとも伝わる(原三渓【三渓園を築いた金持ち】の墓参に来たと近所の老婆は言っていたが、道の奥に吉田家の墓がある)。 本来なら、吉田茂饅頭とか吉田茂音頭とか、あってもおかしくない土地柄なわけだが、影も形もないんだな、これが。おそらくよじ登ったはずの坂道は、私も頻繁によじ登ったが、何とかの七曲りとか、何とか焼きの窯跡とかはあっても、「茂少年思索の道」などとは呼ばれていないし、石碑の一つもない。ついでに、日教組の陰謀かどうかは知らないが、太田小学校が大宰相の出身校だと知る人も少ない。 安倍氏の故地は、故人を称えて誇りとしていただけるものと願う。とりあえず、ゴルフ場には銅像を。資金は国費を支出するとうるさいので、クラウドファンディングで。それなら、私も一口乗りたい。
2022年09月27日
コメント(1)
安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。斃れたと書かずに済むように、ご回復を祈りたい(3Dプリンターで作った銃だろうか?)。 現在、犯人の思想背景は不明だが、安倍元首相が左翼思想の人々から忌避されてきた事実があるので、その影響を受けているとの想像はたやすい。そこで思い出されるのは、法政大学法学部教授の山口二郎氏が、2015年安全保障関連法案が審議されている際に、同法案を「戦争法案」と見なして反対する人々の前で、「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」と大声でヘイトスピーチした姿だ(産経新聞記事)。その山口氏は、今回の凶行に対し、「安倍元首相には生きて、再び論戦に加わってほしい。暴力で口を封じることは、最悪の民主主義の破壊」とツイートされているようだが、どうにも無責任に聞こえてしまう。 2015年の無知蒙昧の浮かれ騒ぎの中で(お聞きしますけど、その後しっかり可決成立施行された安保法制は戦争法案でしたか?違うなら、当時の自分たちが浮かれて事実を見ようとしなかったことに気づくべきでしょう。戦争はいかれた独裁国家によって引き起こされる可能性が高いことを、ウクライナの姿を見て学んでいただきたいものです)、その言動だけ取りだせば、一国の宰相を不倶戴天の敵と一方的に見なした私学のいかれた一教授が、言論に拠らず、一方的な非難のアジ演説をしている見るに堪えないものと言える。「暴力で口を封じることは、最悪の民主主義の破壊」であり、当時の山口氏の暴言は言葉の暴力と言える。 山口氏に限らず、当時、彼ら、自分の見たいものしか見ず、自分とは違う考え方に対して極めて偏狭で、反対者にレッテルをはって非難し、自己満足に浸っていた自称左派の人々は、安倍晋三内閣総理大臣を独裁者と見立て、そのポスターにちょび髭を落書きし、ヒトラーになぞらえて悦に入っていた。つまり、『安倍晋三』を絶対悪として暴言をなし(アメリカにはさらに暴動を煽る大統領もいたから、思想の左右を問わず軽薄病が蔓延しているのかもしれない)、暴言の数々の影響を受けた愚者の暴行を、言論封殺として民主主義を破壊する行為として非難できるものであろうか? 時の政府に対する批判は民主主義国家である限り当然のことだが、山口氏のような方々のそれは、人格批判を通り越し人格否定でしかなかった。それは良識のある人には、品の悪い罵詈雑言にしか聞こえず、愚か者の妄動を励ますことになりかねない。論戦?山口氏は、ロシアのプーチン大統領と親しかった安倍氏が、当時を振り返り「ロシアにだまされた感があった」と発言したのに対し、「政治の世界、騙されたと言うのは自分が馬鹿だと自白するようなもの。結果に対して責任を取るべき。騙された愚か者はこれ以上日本政治に口出す(※ママ)するな」と先月ツイートされているようだが? ご自身は学者でありながら、政治家に政治に口出しするなと言うのは、フツーに不思議な話だが、相手を馬鹿者呼ばわりしては、「論戦」ではなく口喧嘩にしかならないだろう。自分の言動を棚に上げ減らず口をたたけば、すぐに論理が破綻する。雉も鳴かずば撃たれまい、政治家はそれでも語らねばならず、逆恨みも受ける危険性があるものだが、学者はそうではない。身に覚えのある左派の学者の皆さんには、『沈黙は金』をお勧めしたい(「言論封殺」をしたいなら、この程度になさってはどうです?)。
2022年07月08日
コメント(0)
しばらく前、ウクライナから日本に避難された方の犬が、検疫のため180日にわたって飼い主から引き離され、さらにその間の飼養費が請求されるという報道があり、狂犬病についてはそれなりに知識のある私は、「そんなもの特例で処理しろアホが!」と思いつつ、一方で、東スポのこの記事で橋下徹氏が主張するような、現状の過剰検疫を擁護する意見を仄聞して、心配していた。 結果は、特例処置が実施され、専門家の穏当な意見も表だってに出るようになり、良かったのだが(NHK記事)、「数頭から(狂犬病が)一気に全国的に広がり、人間の死者も出て、その後大量の殺処分につながった事例もあるとのこと」とされた、専門外の橋下氏の伝聞はどのように理解すべきであろうか。 もちろん、野良犬が徘徊する環境であれば、その心配も杞憂ではない。しかし、皆さんは、野良犬、見かけたことがお有りだろうか?小生、首輪のない犬など、30年以上見ていない。したがって、橋下氏は、野良犬が徘徊して彼ら同士で生存競争が行われ、縄張り争いで噛んで噛まれてが日常となる修羅の世界に対して必要な防疫処置を、まったくの別世界で適用させている時代遅れの我が国の行政の不作為を問題視せず、聞き覚えた生半可な知識のみで官僚の如き意見を開陳したに過ぎない、と思えてしまう。 ところが橋下氏こそ、古臭く硬直化した行政の変革を標榜し実践されたとされる方なので、この反応は実に意外なものと言えよう。悪法でも法は法とするだけならば、弁護士は務まっても政治家の任には堪えないことは、誰よりも理解されていたはずが、この件に対しては教条化したのは不思議だ。 外国で家族同然に育てられた室内犬を、「原始時代」の感覚で有無を言わさず取り上げて隔離するなど、未開国家同然の愚の骨頂であり、まったく不必要なことである。その不必要は論理的思考があれば理解できるはずで(検査する。ワクチン接種する。自宅で隔離する。現在の飼育環境では普通に行っているし避難先でも普通にできる)、過剰な検疫が不必要なことを理解しながら、法の順守を求めるだけなら、改革など出来るはずがあるまい。現実に即して対応し、その対応を前例として法改正をはかるのが無難、なと言えば、橋下氏には、まさに釈迦に説法のはずだ。 さて、その橋下氏は、昨今、国連常任理事国のロシアによる国連加盟国ウクライナへの軍事侵略に対し、ウクライナの国民を守るためであればウクライナ政府は降伏を考えるべきといった意見に立たれているようだ。政治的な妥協で戦争を止めるべきとの趣旨だが、はっきり言ってしまえば、大きなお世話と言う他ない。 こちらのテレビ討論番組に関する記事で、橋下氏もご指摘の如く、政府も軍隊も(通常は)国民を守るために存在し、実際に、ウクライナ政府もその軍隊も、そのために必死に戦ってる。さらに、自由民主主義を願うウクライナ国民の大半は、ほとんど挙国一致して他国の侵略に対する祖国防衛戦争に協力している。 ところで、血まみれの祖国防衛戦争を戦っている当事者たちに、どこぞの極東の島国で能書き垂れるだけで飯を食っているような連中が、「そろそろ降伏したらどうよ」などと勧めるのは滑稽かつ無意味でしかない。降伏しないで済むように戦い、降伏しないで済むように国際的な援助を求めているのに、「降伏したらどうよ」はないだろう。降伏しないで済むように政治的な妥協は模索できても、政治的妥協で降伏できるような状況ではないのである(政府が武器を置けと言っても多くの国民は従わず、降伏する政府を裏切り者と見なす)。 自由民主主義国家は、国連で認められている独立国家を、独裁者の勝手気ままなパラノイア妄想で侵略したならず者国家を許してはならない。それは、完全な法規違反だからである。法を犯した国家に対し、法の順守を迫っていかなければ、国際秩序は崩壊するだろう。ところが、いかなる無法者でもそれが実力者なら、暴発されては困るので、政治的な妥協を探るべきであろうか? かつて英国宰相チェンバレンは、次々と当時の国際秩序を破壊し民族主義で周囲を侵略するヒトラーに対し、政治的な妥協をはかり、その妥協がヒトラーを増長させ、結果的に世界大戦につながった。ここまでは違反して良いが、それ以上は許されない、それは法令順守を求める立場ではなく、政治的妥協により法令違反を問わない過ちの結果でしかなかった。 ウクライナの避難民から古びた国内法を盾にその愛犬を奪っても、法令順守を是とするだけなら正しい行動だ。もちろん、そのような謹直が信条の人であれば、ロシアに国際法の法令順守を求めるのも当然だろう。ところ実際は、同じ人物が、これに対しては政治的な妥協を求めているから、人間の主観的感覚は量りづらい。法令順守なのか法令の柔軟運用なのか、信条は絶えずぐらついてしまう。 しかし、今回のロシアの侵略は、強盗そのものである事実を、忘れてはなるまい。その前提を置き忘れ、強盗の被害者に対して、「お宅はセキュリティが甘かった」「それどころか鍵を閉め忘れるなんて!」「自宅に現金を置きすぎるから・・・」、挙句の果てに、目つきが悪いので蹴り倒されたのは仕方がない、とか、抵抗しなければ殺傷されなかった、などと責めるのは、およそお門違いだ。もちろん、「盗人にも三分の理」はあるかもしれないが、処罰されるべきは加害者のみであることを忘れてはなるまい。 おそらく、立憲民主党の小川氏などは、被害者と加害者の区別が曖昧なのだろう。「ロシアの立場になれば逆キューバ危機ですから」、などと加害者の「気持ち」を代弁してくれている。加害者の「三分の理」を、現在、『絶賛、土足で他人の家を踏みにじり中』、つまり加害行為進行中に行うなど、常識的にはズレた感覚だと思う。 昔アメリカは、ソ連の核兵器が反米のキューバに持ち込まれるのを、海上封鎖により阻止した。一方現在のロシアは、核ミサイルがウクライナに持ち込まれる前に、ウクライナのNATO加盟やEU加盟をエネルギーを握る立場を利用してEU諸国に圧力を加えて阻止できる能力も、ウクライナ内部の親露派勢力を使嗾して政権転覆を画策する能力もあり、そもそも、すべてが裏目であってもウクライナのNATO加盟には数年は必要であり、さらに核兵器が配備されることなどは、かなり確率として低い、にもかかわらず、ウクライナの覆滅を目的に侵略を実行した。ロシアの立場など、有利かつ選択肢は数多ありながら暴挙に出ただけであり、およそその立場になどなれるものではあるまい。 浅はかな知識で表層的に似た点を見出して、加害者の立場でものを考えるなど、笑止千万、盗人の三分の理など、戦犯法廷に引きずり出されてから聞いてやれば良い。その日が来ることを願いたい。
2022年05月09日
コメント(0)
順調に、むしろ想像以上に迅速に、危険性としてはインフルエンザ未満の疑い濃厚な「ただの風邪」と化したコロナウィルス、その見事なまでに感染力を進化させたウィルス君に対し、間抜けな知的生命体は感染者数が増えたと騒ぎ、免疫力が低下しているからと、3回目のワクチン接種を急かせている。 そしてテレビの情報番組は、いつものようにアホづら下げて嘆いているではないか、「なぜ3回目の接種がはかどらないのか?」と。 「あの~すみません、3回目って2回目から半年たたないと接種してくれないんですよね?だから、半年前の2回目の接種率以上の数値を期待するのは無茶、むしろ・・・、もう、うっかりさんだなぁ~(『ばーか!ばーか!』)」と、まともな人なら気づいても良さそうなものである。 では統計を見てみよう。半年前の8月9日の2回目までの接種率約35%。なかなか頑張ったね、オリンピック最中の我が国。だが、この数値を見て、現在の3回目接種率が約6%という現実を比べる人は、世間知らず、と言わねばならない。 なぜか??だってぇ、ウチの自治体なんて年寄り用の接種券の発送を2回目接種の7ヶ月を過ぎてから行い、8ヶ月の年月日をわざわざ記載して、それ以降に接種するように命じているんですよ?そのとろくさい記載により、ウチの年寄りなんてとっくに接種できるのに、1ヶ月半を空費していた事実に、うっかりさんの私は今日気づいたりしているのである。 ついでに私本人の場合、接種券は1週間前くらいに届いたが、これには7ヶ月後の年月日が記載され、それ以降の接種を命じている。もちろん、6ヶ月後から接種可能に変わっていることも、それどころか5ヶ月後に前倒しされている世界的趨勢も、さらにはイスラエルでは3ヶ月後になっているらしいことも知っていたが、今が6ヶ月後なのか7ヶ月後なのか指折り数えていないので、印刷された年月日は6ヶ月後なのだろうと、数時間前まで勘違いしていた。 さて、7ヶ月前7月9日の日本の2回目接種率は約19%、6月9日となれば、約5%という現実を踏まえ、そして接種期間の見解が二転三転した事実と、ただでさえ非効率で救いがたく鈍い地方の役所の対処能力を鑑みれば、今現在の接種率の低さは必然、でしかあるまい。何が不思議なのか、不思議に思う方が不思議である。もちろん、昨年の秋には一日100万人接種が実現したと、あのガッカリ総理が威張っていたので、今現在の政府が100万人接種を目指すと言っても、それは当たり前、でしかない。昨年どおりにやれば良いだけ。 ただし、そのような必要がどこにあるのか、冷静に考えるべきだろう。今後、コロナより危険な感染症が現れるまで、数ケ月おきに「ただの風邪」に対するワクチン接種を、公費でまかなうつもりだろうか?そのようなことをする予算があるなら、毒性の強い次の感染症の出現に備えるべきではなかろうか。本当の危機感がないから、上辺っつらで右往左往するのだ、と思えてしまうな。
2022年02月09日
コメント(0)
アメリカでは大統領選が本格化しており、現職の大統領のドナルド・トランプ閣下は相手候補のジョー・バイデン氏の悪口を繰り返し、一方、「フェイクニュース」のCNNは24時間トランプ閣下への非難を繰り返している。 CNNが時折嫌味に感じられるのは、「フェイク」だからではなく演出過剰だからだと思うが、大統領閣下への非難は、ほとんどすべて「ファクト(事実)」なので、日ごろCNNの報道姿勢に批判的でも、擁護のしようがない。擁護?擁護どころか、閣下が画面に現れるや、頭の中では自作の歌が(少年少女合唱団のコーラス調で)ぐるぐる流れて辟易している。 おっきなドナルド 言うことウソばかり でたらめドナルド 家族のもてあましぃ~ 地域の鼻つまみぃ~ せ・か・い・の・も・の・わ・ら・い~~~ 彼がさらに4年政権を担うくらいなら、寝ぼけだか色ぼけだか知らないが、とりあえず上品そうな爺様のほうがはるかにマシだと思うが、新型コロナウィルスで20万人もの死者を出そうとしているにもかかわらず、「黒人の命も大事(ブラックライブズマター)」などと当たり前のことを喚いて、ただのオブジェに過ぎない古い銅像を壊して喜んでいる『民度』を見せつけられると、常識的な判断となるのか見当がつかない。 さて、そのおっきなトランプ閣下と親しい我が国の安倍首相は、休むことなく精励され、周囲から心配されている。何と、また合併だか合流したアレども(民主党の残滓たち)まで、国会に来て体調を報告するように要求する始末である(やっぱりバカでしょ?)。 あの総理大臣閣下は、休むとなるとゴルフし始めてしまうのだが、それは遊んでいるように見られてしまうので、気の毒ながら、やりたくても出来ないのだと思う。しかし、世間一般に見れば65歳のお爺ちゃんなので、いい加減に『静養』を覚えるべきだろう。さもなければ、不運にして新型コロナウィルスに感染し、症状がないまま自主隔離生活をする人々に「寄り添」えまい。この際、分別して頂きたいものである。 そもそも働けばいいと言うものではない。疲れているか元々馬鹿な働き者は、動けば動くほど無駄な手間を増やすだけで迷惑になる。例えば、帰省も自粛しなければならないブレーキ状況で「Go to」などとアクセルを踏む政策にこだわるなど、バランス感覚を欠いている。とうの昔に市中に使い捨てマスクが山積みになっているにもかかわらず、給食マスク(「安倍のマスク」と呼ばれるガーゼのマスク。昔から小学校の給食当番の児童が用いてきたもの)に固執し、親友のおっきな閣下同様に世界に笑いのネタを提供されても困るのである。しっかり休んで頭を冷やすべきかと思う。
2020年08月20日
コメント(0)
今年の9月から、入学時期を変えるべき理由の第一は、来年の1、2月の受験シーズンに、新型コロナウィルスの大流行が懸念されているからである。一体、外出が制限される中、冬季で換気もままならぬ試験会場に受験生を集め、何時間も監禁するなど正気の沙汰ではあるまい。では、いかにして入試試験を実施できようか?入試を経ずに入学など有り得ず、大混乱となるのは必定である。 ところが、9月入学を来年の9月からの話とシレっと置き換え、さらに学齢の起算方法を9~8月生まれに変更する必要があるかのように文部科学省は主張しているようだ(NHKニュース)。しかし、学齢など現状のまま4~3月生まれにしておけば良い。わざわざ変えて面倒なことのように見せて、制度改革を潰そうとするのは、愚かな官僚の常套手段であり、お腹いっぱいである。 現状のままで、新型コロナウィルスが冬季に順当に再来すれば、受験生たちも学校関係者も悲惨なことになるが、文部科学省の役人などは正月返上の生き地獄になってしまうだろうと、傍は心配している。しかし、当人たちには危機感はないようだ。まったく、いつもながら、度し難い。 一方で、桜のシーズンと卒業入学のシーズンが(日本のかなりの地域で)重なることから、日本人の情緒的側面からそれを変えることを避けるべきだとする意見も多く聞かれる。例えば九州大学の施教授は、「「国民の絆」を壊す9月入学論」とのご卓説を産経新聞に寄せられている(記事)。 しかし、先生のお考えは、平時の変革に対する識見であり、詮ずる処(平時に変革は通常不必要なので)、現状維持の結論しか生まないものと思う。もちろん、変える必要のないことは変えなくて良いと思うが、本来の9月入学論は、緊急事態に対する予防的緩和策であり、平時の保守思考では済まない。 九大の先生は、国民の結束には「記憶や体験の共有」が必要とされ、「現代日本では、「桜と卒業式や入学式」という結びつきは、世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆、イメージの絆の一つである」とされている。しかし、この別離の卒業と新交の入学が、なぜか桜で一緒に経験的にイメージされてしまうのは、日本全体の事実ではない。かの1本の桜から生じた、いわばクローン植物である染井吉野(ソメイヨシノ)の開花は、暖かいところから北上して桜前線などと呼ばれるのは周知の事実で、山間や東北地方以北では、入学シーズンから一か月ほど経ってようやく開花する。つまり、入学式に咲く桜を見ることがなかった人たちは、「世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆」を持たないことになってしまう。 確かに、日本人の情緒は、桜に対して華やかなイメージと儚いイメージという相反するイメージを抱く。満開に咲き誇る桜、散っていく桜吹雪、盛衰、これは卒業入学など無くても、桜を愛でるのが、九大の先生の言うところの「国民の絆」以上に本質的な「民族の絆」だからである。 日本人の文化的な美意識は桜と結びついている。それは、平安・鎌倉時代の西行法師が「願わくば、花の下にて春死なむ、その如月の望月の頃」と詠み、江戸町奉行の遠山金四郎が桜の紋々をしていたかは知らないが、江戸時代の庶民は、桜が咲けば東京なら上野、京都なら愛宕山、といった具合に大勢で繰り出して花見をしてはどんちゃん騒ぎする、そういった長い民族的経験によって形成されたものに他ならない。したがって、卒業式や入学式が一部の地域の一部の日本人の記憶に結びつくのは、実は副次的な些末事に過ぎず、我が民族の強固な桜情緒は、入学式が9月になろうが明後日になろうが関係なく受け継がれるべきものと言える。卒業式がなくとも入学式はなくとも桜は咲くのであり、それが地域によって時期が違っても、桜を見て華やかさを愛で、散りゆくはかなさを思う情緒こそ、文化的な民族的絆であり、「現代日本では、「桜と卒業式や入学式」という結びつきは、世代を超え国民を結び付ける大切な記憶の絆、イメージの絆の一つである」などという表層的に理解は、その深層にある日本人の桜イメージを過小評価したものと言わねばなるまい。 それにしても、来年の1、2月が心配だ。文部科学省の役人が過労死しても、それは自業自得の側面もあるが(上司が悪いのである。その上司をのさばらせた自分たちにも責任はある)、奇跡的に新型コロナウィルスが弱毒化して、普通の風邪と変わらなくなれば良いが・・・。 (南半球で数多の人の犠牲の上に変異する可能性はある。人間から見て良い方向の変異も悪い方向の変異もあり得るが、ウィルスが増殖するには弱毒化した方が有利なはずなので、その方向性で進化するかもしれない) しかし、この体たらくでは、このままずるずるべったんと進んでパニック状態になるのを覚悟しておいた方が良いかもしれない。・・・その際は、馬鹿な大人が右往左往しながらも救済策を考えるので、受験生の皆様には「なるようになるケセラセラ~」と鷹揚に受け止めていただきたいと、心より願っている。
2020年05月19日
コメント(0)
元号はこっそり続いていけば良いと考える私は、今回の改元に無関心であった。何でも良かったのである(「れーわでいーわ」)。 ところが、何を勘違いしたのか、選定をめぐる大騒ぎが始まり、ただの門外漢が「元号に関する懇談会」などになり、政治家などが「国書」からの選定にこだわり、伝統的な漢籍からの選定を覆したことに、はなはだ腹立たしい思いになってしまった。 そこで、文鳥のカテゴリの中に書きなぐっていたのだが、少し時間が出来たので、最後にしらばくれて批判しておくことにした。 そもそも「国書」などと言っているが(閣議で「国書から取るのが正しい」と発言されたのは、河野大臣のようだが【記事】、経緯から見て安倍総理を主導とした政府全体の意向と見なすべきだろう)、今後それが定着できるか想定した上での発想であろうか?たしかに、2、3代なら『万葉集』の漢文部分で誤魔化せるかもしれない。しかし、『万葉集』は和歌集であり、当然に大部分は万葉仮名で書かれた和歌だ。そして、和歌に用いられている漢字はひらがなと同じで、一字一字の漢字そのものに意味はない。 歌集としてなら、古今や新古今、その他数多あるものの、当然、ひらがな書きであり、さらには、短歌の一首から選定するのは難しい。和歌は短い中で主題があり完結しているので、こじつけた解釈の余地が制限されてしまうのである。 もちろん、『枕草子』や『源氏物語』はひらがな書き・・・、そもそも平安貴族の女子は「漢字なんて書けません~知りません~」とウソでも言わなければ変人奇人扱いされてしまう時代なので(公式文書はみな漢文)、そこから(どうするのか知らないが)漢字を抜き出したら笑い話にもならない。清少納言も紫式部も吃驚仰天ひっくり返るほど異次元的筋違いなのである。 となれば、日本人が作り出した漢字を多く含む典籍で著名なものは、歴史書以外になくなる。『日本書紀』など六国史、鎌倉時代なら『吾妻鑑』、江戸時代なら『徳川実紀』・・・、しかし、こうしたものは、漢文による編年体の記録集であり、そこに用いられる漢字に思想的な意味合いを含ませるのは難しい。総理大臣が出てきて、こじつけの解釈を披露することすら困難になるのである。 ようするに、漢字の選定に使える「国書」など無いと考えた方が自然なのである(漢詩集は「国書」のイメージに合わないので除外する)。日本には日本の言葉、大和言葉、日本語、が元々あり、それを表現するために大陸の漢字を利用して、独自の民族的情緒を書き物として残し「国書」としての文学を積み重ねることにはなったが、それはひらがなの世界観であって、漢字を主にしたものでないのは、当たり前の話だ。日本の文学は日本の精神の赴くところ、和歌や物語の分野で発展し、中国の古典のように、漢文で書かれた思想書という、表意、意味を持った漢字を抜き出すのにおあつらえ向きの典籍を生み出さなかったのは、良くも悪くもなく事実そうなのだから仕方がない。 こうした当たり前の話、つまり、改元が悠久に続くと仮定するなら、かな書きが当たり前の「国書」からの選定など不可能なことくらい、よほど狭い専門性しか持たない研究者を除く文学関係の有識者は、皆わきまえているはずである。そのような本来の専門家を脇において、文学的には無知な政治家や門外漢の寄せ集めが、その場その時の情緒で「国書を典拠に」などという前例を作ってしまい、後々の禍根となってしまったと言わざるを得ない。 なお、今回政府から「元号に関する懇談会」のメンバーとして呼び出されてしまわれた方々に対する一般人の私の印象は、悪口に聞こえてしまうかもしれないが、忌憚なく言えば次のようなものである。 IPS?小説家?元アナウンサー?ふざけてるのか! 文系マターなのでノーベル賞を受賞されても、理系は「ジャマナカ」にならぬよう引っ込んでいるべきだ。林さんは良くも悪くも小説しかわからない人だが、そうした自分自身がわからないらしい。宮崎さん?政府にだれかファンでもいるのか?みどりちゃん、目立ってはならない会議にコスプレ(記事)などしてくれて有難う!! NHKの会長は民間企業のサラリーマン出身、民放連会長は記者出身、私大連は法学者、経団連は元経営者、新聞協も記者出身、それと最高裁の隠居、これらの方々は有能には相違ないだろうが、一体何の有識者なのか?この皆様を改元に関する「有識者」とするなら、国民の雑駁な意見をより反映すべく、魚屋さんや八百屋さんなどなどの代表者も十人ばかり見繕って加えるべきだった。 さりながら、「令和」が悪いわけではない。「平和って素晴らしい!!」との意味合いは、何となく情緒的な日本の価値観にふさわしい気がしないでもない。 せっかくの年号を軽薄な選び方で傷つけないよう、今回の「国書」優先などとする無知蒙昧の有職故実破壊の暗黒史は封印し、以降は漢籍から選定する合理的な古儀を復活させ、余計な波風を立てず粛々と改元されるようにお願いしたい(グタグタになるなら止めたらいいだろうと言われるんだよ?さしたる意味のない伝統を守リ継続するには悪目立ちするのは禁物だ)。
2019年04月04日
コメント(0)
(ウチでは)平成最後のシルバーヒナ 元号を選定したそうで大騒ぎであった。何でも万葉集から採ったそうだが、なぜわざわざそのようなことをするのか?それに違和感を覚えない「有識者」とは、いったいどのような知識の持ち主なのか、摩訶不思議である。 なぜ?だって、元号というのは古代中国の真似に他ならず、そもそも漢字だよ?当時の話し言葉、つまり大和言葉を苦労して万葉仮名に置き換えて書き表した万葉集からわざわざ漢文部分を引っ張り出す不自然さは滑稽としか言えないだろう(せっかくなので「いろは元年」とかにすれば良いではないか!)。 などと批判すると、元号に思い入れがあるように勘違いされそうだが、さにあらずだ。元号は書類作成時に面倒なので、伝統文化としてこっそり続けるだけで正式の文書の年月日記載からは排除すべきだと思っている(伝統文化は目立って邪魔だと葬られるので、目立たぬように続けるべきという考え)。何しろ、書類の日付に平成何年と書かなければならない時に、とっさに今現在が何年か思い出せないのが、恥ずかしながら事実なのである。 もし、「バテレン」による西暦が嫌なら『皇紀』(初代神武天皇が即位したとする年を元年としたもの)でも良いし、この際太平洋戦争で敗れた日本が主権を回復した1952年から数えるような方式を創出てもらっても良い。とにかく、元号のように切りが悪くぶつ切りになるものではなく、継続してカウントされるものを、文章の日付に用いるように統一してもらいたい。 で、令和。個人的にはピンとこないが、これは慣れだろう。ようは、何でも良いのだが、せっかくなので意味を考えれば、令、現在もかろうじて使われる令夫人とか令嬢の令だろう。このレイは、たぶん麗に通じて、うるわしい、すばらしい、くらいの意味のはずなので、平和って素晴らしい、という意味かと思う(政府が何と言っているか聞いてなかった。なお、このいい加減な個人的見解に対する苦情は受け付けない)。意味としては無難と言えようか。 ただ教養あふれる者(ウソ)としては「巧言令色すくなし仁」の令の方が頭をよぎるので、「令」のイメージとしては、華美・浮薄になってしまう。・・・平和ボケにならないように、せいぜい気をつけたいものである。 とりあえず飽きるまで、今月いっぱいの「ヘーセー最後の~」に続いて、来月から「レーワ最初の~」と連呼していただこうか(平成最期の~などとずいぶん非礼な言い草だと個人的には甚だ不愉快に感じている)。 さてと、文鳥の話題を書く前に力を使い果たした。明日は、平成最後のヒナ~ずの受け入れ準備に勤しみたい(まだ1ヶ月あるからもう1チャンスありか・・・)。
2019年04月01日
コメント(0)
学校の同級生などから受ける陰湿ないじめは、言葉の暴力で人格を否定し、身体的な加虐で自尊心を奪い去る。学校という閉鎖空間が世の中のすべてと勘違いするような子供には逃げ場がなく、親思いな良い子ほど、両親を心配させまいとして家では平静を装ってしまい、誰の助けを受けることも出来ず、自殺という選択をしてしまう。 事実、日本では18歳以下の子供の自殺が多く、それも夏休み明けの9月はじめの時期が顕著で(BBCニュース)、学校生活での悩みが死を選ぶ原因となっているのは明瞭である。 大人であれば、誰しも思春期の多感な時期を経験しており、多少でも、自殺したくなるような気持ちは理解できるはずであろう。さらに、慈しみ育てた子どもに自殺された両親に対して、そのやるせない悲しみを察して同情しない方がおかしい。 しかしながら、「かわいそう」と同情すればするほど、自殺をしやすい環境にしてしまうものと、私は思っている。個人の感情として同情するのは当然だが、社会的な同情は同様の悲劇を拡散させる危険を含むのではなかろうか。 そもそもいじめなど古今東西どこの社会のどのような人間関係でも、必ず、絶対に、間違いなく、ある。もし、万が一にも、神の御業で奇跡的に、いじめという現象が根絶されたら、それは人間が人間で無くなることを意味し、さらには生物であることすら疑わしくなると言える。何しろ、人間の社会はいじめいじめられる人間関係によって成立し、それがために文化が成立しており、そもそも人間以外の野生生物の社会で、弱者排除のいじめなど当たり前であり、社会を持たない生き物でも、それは必然のものだからである。 若い人たちは、学校などでいじめいじめられつつ、対人関係の在り方を学ばねばならず、そもそも学校で集団生活する理由は、その体験学習をさせるがためとしても過言ではない。つまり、学校での「イジメをなくそ~」などが実現したら、学校の存在理由がほぼゼロになる。 つまり、いじめは、ある、が、その内容と対処が問題なのである。肉体的精神的傷害はもちろん、恐喝脅迫搾取など、犯罪に値するものは、学校内の友達関係、などと誤魔化さず、速やかに警察・司法の判断を仰がねばならない。また、傷つけられたと感じる子供をしっかりサポートできるように、保護者や学校が気を配らねばなるまい。無くすのではなく、あることを前提にした対処こそが喫緊の現実的課題と、我々はしっかり認識しなければならない。 「イジメをなくそ~」などという世迷言キャンペーンは、生徒会の良い子たちが若気の至りで頑張っていれば良いだけで、大人には大人としてやるべきことがある。子供の悩みに無関心であったり、感性が磨滅して想像力も洞察力もないような大人たちが、少しばかり自省して現実の問題として、いじめが必要悪の中で、どのように自殺しないように精神的緩和ケアができるか、取り組まねばならない。 さて、昨今、いじめを原因として自殺する子供が増えているが、これまた当然である。いじめられたから自殺した→かわいそうと同情してもらえる、といった軽薄な認識を、繰り返し刷り込まれたら、批判力のないまじめな子供ほど、ちょっとしたいじめで嫌だな、と思っただけでも、逃避行動として自殺を選ぶことになって不思議はないのである。 ところが、自殺した子供が通っていた学校のバカな大人たちは、イジメの基準を勝手に作ってそれに適合するとかしないとか無意味な議論を始め、子どもに死なれた保護者の逆鱗に触れて、あたふたする始末だ。挙句が、子供をまともに育てられず救うことの出来なかった大人たち同士が、責任のなすりつけあいをして世間を賑わせる。結果、自殺したのはいじめられたから、といったごくありふれた事実だけがクローズアップされ、あたかも、いじめられたら死んでも良いといった印象をばらまく結果になっているように、私には思える。 そこでは、自分の子供の異常も見抜けず、学校で嫌なことがあればやめてしまえば良い程度の逃げ道を保護者として教えることに失敗し、何より、自分がどれほど子であるあなたを愛していて、先に死なれたら何よりつらいことを伝えきれなかった反省が、いじめがあったかなかったかの不毛な議論に埋没し、報道からは伝わらない。まことに気の毒だし、その親としての失敗に対する悔恨は当人たちが何よりも感じているはずで、傷口に塩を塗るような指摘は避けたいが、同じような悲劇を減らしたいのなら、心を鬼にしてあえて指弾するのが、『社会の公器』としての報道機関の役割であろう。親として子育てに失敗した親が、自分の非を棚に上げ、愚かな教育現場を責めるなど、目くそ鼻くその泥仕合に過ぎず、自殺生徒を救えなかった点で、同じ穴の狢に過ぎない。 お茶の間の良い子たち、若年自殺予備軍でもある彼らにしてみれば、何もしない腹の立つ学校の教師たちがいじめられていい気味に思えるだろうし、子供に死なれても死んだ子のために教育機関と闘争する親に頼もしさすら感じるだろうし、自分が死んでも親にやりがいのある仕事を残せると勘違いしてしまうかもしれない。そのように、表面上だけしか伝わらないものである。 保護者たる者、教育者たる者は、自分の子、自分の教え子に死なれた場合、何より自分の非力を責めるはずであり、もし開き直ったような態度であれば、社会から親や教育者としての資質を指弾されてしまう、そのような姿こそ報道されねばなるまい。それでこそ、自分が死んでしまえば、親は苦しみのたうつように悲しむし、そうでなければ、何の落ち度もなくとも社会的な非難にさらされることにもなる、ことを理解して、自殺を選択するのを躊躇してくれるのではなかろうか。 学校といえどいろいろで、教師の資質など、まったくもっての玉石混交だ。本日、テレビをぼんやり見ていたら、どこぞでイジメにより精神の変調をきたした生徒の親が、調査の第三者機関の設置を求めたにもかかわらず、半年間棚ざらしにした教育委員会か何かのおじさんが、その理由として受験を控えた時期なのでそれに配慮した、ようなことを述べており、朝から呆れてしまった。 学校は受験予備校ではない。建前であれ、人格を形成する教育機関であらねばならず、受験のために人格形成の教育機会を後回しになどして良いはずはない。そのような建前すら理解できないボンクラが、「生徒本人の将来を考え~」などときれいごとを言っても、お役所仕事のルーティンワークしかできない事なかれ主義が見え透いているではないか!他人の人格を否定するような行動をしたガキをしっかり教導するのが急務で、そのため受験に失敗するなら、それはそれで自己責任と言うものを学ぶ良い機会だ。 このように学校など頼りにならない。偶然、良い学校、恩師に恵まれることに、期待してはなるまい。親、保護者であれば、まず被保護者たる子供が自殺しないように、繰り返し繰り返し、家庭内で教えねばならないと、肝に銘じたいものである。 もちろん、若いくせに自殺しようなどというのは、絶対的な『悪』だ。なぜなら、自分自身の人生としては困難に対して逃げただけ、自殺しなければ後何十年もあったはずの人生で、多少は他人の役に立とうともしなかったダメダメな終わり方に過ぎないからである。そのようなダメダメな選択肢は存在しないことを、しっかり考えてもらいたい。 どうせいつかは死ぬのである。早まる必要などどこにもない。中学高校などたった3年で、嫌ならやめて転校するなり自宅学習するなりすれば良い。それくらいのことすら、運悪く、家庭でも学校でも教えてくれないかもしれないが、その程度のこと、ダメな大人に教わらずとも、この際、自分で学べ。 保護されているだけの児童生徒学生の分際で自殺などすれば、それは「かわいそう」と同情されるべき人生でなく、もったいなく「バカらしい」だけの人生という評価しか得られないのが、真実だ。その真実を覆い、その場の情緒だけの同情を報道するのは、自殺をほう助するに等しい結果を招く危険のあることに、気づいていただきたいものである。 二度と同じことを起こさないために、イジメがあったと立証しようと頑張っている親御さんも多いが、それは運悪く担当する教育機関が間抜けだったので、そのような当たり前から始めねばならないだけのことだ。ところが、致し方なくするその行為が、糾弾者として元気はつらつな虚像となり、そればかり報道され、自殺の歯止めにならないことになってしまっている。自殺予備軍の子供たち、その中に多く含まれる親思いだが親の気持ちは理解できていない子供たちに見せねばならないのは、保護者でありながらその命を守れなかった自分の非力を嘆き悲しみのたうち回っている実像の方である。虚は控えめに、報道機関にはそのように配慮していただきたいものだ。
2019年03月27日
コメント(0)
NHKの大相撲中継のアナウンサーと言えば、日本語の言い回しなどろくに知らないのは目をつぶるにしても(ひでえもんだ・・・。昔のNHKアナウンサーなら情けなくて泣く)、社会人になって、たまたまそのポジションになるまで、相撲などまともに観なかったためか、勝負の見方を体得しておらず(さらに、何でもかんでももつれて優勝決定戦になれば良いとか、幼児レベルの発想をしている者が多い)、決まり手だとかなんだとか、どちらかと言えばどうでも良いことを、とても勤勉に学んで覚える人たちばかりだ。もちろん、勤勉に覚えること自体は立派であり、データを提供するのも重要なお仕事に相違ないのだが、なぜかそのようななまかじりの知識だけで解説者気取りで語りだすようになるから、まあ、「イタイ」。 ほら、野球なら「打った!おおきいぃ!!」などと反射的にわめく実況アナウンサーがいて、鬱陶しいではないか。子どものころから野球中継を見ていたら、打球の方向や飛距離の大まかな予想程度は、バットにボールが当たった瞬間にできるので(そうでなければ守備など出来ないので、少年野球の子どもたちも無意識に反応している。さらに、やかましい応援がなくバットに当たった音が聞こえればもっとわかる。つまり、あの鳴り物入りの応援は邪魔なだけ)、実況アナなどは「にぎやかし」程度にしか扱われまい? そう、サッカーなら、パスを出された方向をちらっと見れば、誰へのパスかくらい、ポジションを記憶していればわかるものだ。ポジションがありシステム化されたスポーツではそれが当たり前だが、絶叫したいだけらしい実況アナウンサーは、あさっての位置にいるはずの選手名を連呼して、お茶の間テレビ観戦中のサッカーファンを興ざめさせる。結果、そのような実況などは有害なので、音声を消すはめになる。 といった具合に、実況アナウンサーとは、いかに勤勉で人間性が素晴らしくとも、そのスポーツの観戦については、お茶の間の観客に遠く及ばぬシロウトであって不思議のない存在に過ぎない。したがって、NHKの相撲担当アナウンサー以外は、何年実況しても、そのスポーツの専門家として振る舞うことはないし、そうしたところで、誰もそれを認めてくれない。 ところがなぜか、大相撲の実況経験者だけは専門家気取りになり、現役時代は隣にいる口の重い連中を差し置いてズレた解説をしはじめる。さらには、定年退社してもなお、何やら相撲のオーソリティとして振る舞うから、まったく、笑止千万であり、見苦しい。 さて、稀勢の里は、自分の実力の低下を認めることもなく居座ることで、横綱の地位を汚し続けた挙句、ようやく引退した。もちろん、稀勢の里は、久々の日本人横綱であり、アスリートとしてして、してはいけない無理をしてまで連続優勝した功労者だ。無責任な一般人が同情するのは当然と言えよう。しかしながら、横綱とは特殊なものだ、との大前提を知らずに同情を語るようでは、専門家に値しないのも当然なのである。相撲の専門家を自称しながら同情論を展開するなど、相撲好きの好々爺が勝手な思い込みでする戯言にしかならないのである。 その専門家気取りの人々は、稀勢の里以外の横綱に対して、横綱は神に等しいどころか、土俵上では神でなければならないので、負けてはならない、といった主張をしていなかっただろうか?同情もヘチマも人種もそれまでの行いも、『負けない』の前では毫の意味も持たない。それはそれは、実に非情であり人情に欠けていると思うが、それも当然、何しろ『神』なのである。神様が人から同情されてどうするの?したがって、同情されるような状況になったら、ただちに身を処さねばならないのが横綱の地位なのである。ところが、専門家気取りでその実は感情論が先行し、モンゴル人におんぶにだっこの相撲界の体たらくを棚に上げ、日本人の身びいきで平然と人種差別意識むき出しで恬として恥じない好々爺連中が(嫌なら日本国籍所持者限定にすれば良いだろうが!モンゴル出身横綱が稀勢の里と同じことをして同情してやれるのか!!)、甘やかし、結果、この醜態だ。稀勢の里については、今さら辞めたことよりも、むしろ、そうした連中の期待に応えるがため、愚かにも実力の伴わない地位に固執せざる得なくなった点が、実に気の毒ではないか! 優しさが時として人を潰すこと知らない、無責任な人たちによる空疎な同情論が多い中、産経新聞奥山次郎氏のこの記事(「稀勢の里がつくった負の遺産」)は、実に勇気があって素晴らしい。「往生際の悪さを感じさせたここ数場所の土俵が、日本人が抱く横綱像を根底から揺るがしてしまったのもまた事実だ」 その通り。「横綱の名に恥じぬよう精進します」とは、横綱昇進の彼自身の口上だが、口先だけで理解していなかったと言わざるを得ない。おそらく真面目で他人の期待に応えようとする性分なのであろう彼は、一部の専門家気取りのメンタリティに踊らされ、横綱の名を辱しめてしまったのである。 まったく、かえすがえすも残念無念で、実に気の毒。引き際を誤らせた人たちも猛省すべきだろう。
2019年01月16日
コメント(1)
昨日の党首討論会は、たまたまテレビで見た箇所が、やたら横柄な口調でのくだらな過ぎる質問だったので、「ブンヤずれが!」と舌打ちして消してしまったのだが、それについての記事を目にした。産経新聞の「阿比留瑠比の党首討論観戦記」。 あの横柄な質問をしていたのは、毎日新聞の倉重篤郎さんとのことだ。その倉重篤郎さんによれば、首相の友人が経営する学校法人が、獣医学部の新設を認められたことについて、首相はそれが友人であると言うだけで反省しなければならないらしい。 では、是非、お尋ねしたい。倉重篤郎さんの親戚でも姻戚でもお友だちでも大学などの後輩でもあなたが開催した何らかのセミナーの受講生の類でも、とにかくあなたと親しい関係にあると見なされうる人物が、毎日新聞社に入社されたら、それはすべて社内の実力者たる倉重篤郎さんが裏から手を回した不公正による縁故採用と断定してよろしいか? そもそも、証拠もなしにそのような指摘をするのは、名誉棄損でしかない。それはいつもは公明正大であろう倉重篤郎さんに対しても、実力で入社した倉重篤郎さんの優秀な縁者に対しても、無礼千万であり、それは犯罪レベルの誹謗中傷に他なるまい。もちろん指摘するのなら、客観的な証拠を集め、その信憑性を精査しなければならず、それが出来る者こそ真のジャーナリストに相違あるまい。もちろん、腐っても全国紙で、かつては政界の取材に定評のあった毎日新聞が、思い込みと憶測だけの面白記事を載せるはずがない。ところが、「安倍さんが関与したかしないかは分かりません」としながら、たまたま友人だったという事実だけで、一国の総理大臣に対して無礼不遜な態度で詰問している摩訶不思議なジャーナリズムを見せつけられては、御社への信頼など地に落ちてしまう。 安倍晋三という人物を嫌うのは勝手だが、彼は民主主義国家で主権者たる国民による選挙の結果、多数の議席を占めた与党の代表者であるがゆえにその地位にあり(しかも、3年前にも自らが解散した総選挙を勝って信任を得ている)、つまりは国民を代表する立場なのである。彼がその地位にある限り、(それなりに)尊重しなければ、主権者を冒涜するのと同じなることくらい理解できないのであろうか?最低限の節度もなしに一方的な憎悪をぶつけるのは、およそインテリジェンスに欠けた態度で見苦しく、「礼儀知らずの変態新聞のブンヤ」と見なされても文句は言えまい。目を覚まして頂きたいものである。 ところで、毎日新聞には存在できないキャラクターである産経新聞の阿比留さんは、相変わらず冴えわたっている。5日の一面を飾った「前原さん、ありがとう 保守と左派分離 民進の矛盾すっきり」など秀逸に過ぎてお腹が痛くなった。もちろん、品が良いとは言えないこれを一面に持ってくるセンスもどうかと思えるが、ご指摘は一から十までその通りではないか!!今後も冴え冴えわたってぶった切って頂きたいものである。 ところで、「あびる」は上総の畔蒜荘と関係あるのかと日本史をかじった私はふと疑問に思い検索したら、畔蒜から9世紀に対馬に移り住んで在庁官人(地方役人)として栄えた一族とのことであった。だからどうということではないが、関係大いにあり。一つ利口になった。
2017年10月09日
コメント(0)
小池都知事が衆議院選挙に出馬すれば、一年余で都政を投げ出すことになり無責任と非難される、などとマスコミは報道している。しかし、問題の本質は、国会法第39条により国会議員は他の公務員を兼職出来ないので、小池さんが、目出たく衆議院議員に復帰されたら、都知事を辞めざるを得ないことにある。 官房長官その他が、「出ろ出ろ」言うのは、一匹狼で自分の後を託す後継候補がいないのを見透かし、都知事を自民党が推せる人物にすげ替える好機と考えているからに相違あるまい。まったく意地汚い考えではあるが、小池さんが都知事でなくなれば、都議会の政治素人集団「グリーングリーンクラブ」など、選挙を待たずともテキトーに個別に篭絡するだけで雲散霧消するに相違なく、そうした挑発もしたくなるものと思う。 さて、残念?なことに、国会議員でなければ総理大臣にはなれないので、出馬しない限り小池さんは国政に参画できない。だが、盲点は多々あって、個々の『常識』『良識』に頼らざるを得ないのが法律である。例えば、参議院議員が総理大臣になって解散権を振り回せば、手に負えない独裁者となる危険性がある。したがって、『常識』『良識』として、代議士たる衆議院議員より国家の代表を選ぶのだが、あろうことか、立法府の構成員でありながらそれを理解せず、平然と参議院議員を総理大臣に推すお目出たい人間が多い(小池さんにしても、首班指名で公明党代表の山口さんを推す発言をしていた。山口さんがどれほど立派な人でも、残念なことに参議院議員なのに、その点無頓着と言うか無定見である。軽々しい思い付き発言だったが、これにより、公明党は総選挙後に「グリーングリーンクラブ」が自民党と保守合同して、公明党は与党の座から追われる危険を察知したようだ。その後の公明党は、反小池に急旋回してしまった。おそらく都政にも大きく影響するだろう。小池さんはご自分の権謀術数を過大評価しない方が良い)。 参議院議員の総理大臣就任が憲政の常道として有り得ないことさえわきまえないような人は、おそらく知るはずもあるまい。国会議員は公務の兼職を禁じられているが、都知事と国務大臣との兼務を禁じる法律は存在しないことを。つまり、「神輿は軽い方が良い」とされるように、無能なイエスマンを総理大臣として、都知事の身分のままに閣内にもぐりこみ院政を敷くことは、次の選挙のことを考えなければ、法律上可能なのである。そのような裏道の危険性をわきまえず、「出ろ出ろ」言うのは、よほどマヌケではないかと思えてしまう。
2017年10月06日
コメント(0)
衆議院が解散されるらしい。それについて、内閣総理大臣が勝手な時期に解散するのはおかしいとの議論を、突然始めている人がいるようだが、それこそおかしい。 日本国憲法では第七条に内閣の承認を受けて天皇陛下が衆議院を解散するように規定され、第四十五条に衆議院が解散された場合は4年の任期が満了する前に失職するとされている。つまり、内閣を主宰する総理大臣が、衆議院議員の任期満了前に解散させる権限があり、これを非とするなら、現行憲法を改正しなければならない。「あんたら。改憲論者なんですか?」とお尋ねしたくなるではないか。 もちろん「大義」が無く勝手気ままに解散すれば、与党が敗北するはずなので、野党は小躍りして解散に応じるのが当たり前で、たぶん、それもあって万歳三唱したりするのだと思っていたが、今回に限って不思議なことに、解散に反対している。まったく解せない連中である。挙句、政権選択選挙だと言うのに、一緒に政権を組むつもりのない相手と、ただ今現在が野党だとの(恥ずべき)共通点のみで結託し、統一候補を選挙区に立てるなどとしている。選挙民をなめているのではないかと思う。それこそ、自民党と反自民党などと言う中身のない対立軸、ようするに好きか嫌いかでしかなく、政策の中身で判断する賢明な主権者を愚弄しているとしか思えない。自民党などどうでもどうなっても構わないように、それ以外に政権を担当できる常識を踏まえた対抗軸を作るのが、まともな野党の役割で、万年「確かな野党」で居続けたいような無責任な者たちは、無駄飯喰らいの厄介者でしかないのである。 解散にあたって、真面目な総理大臣がどのような説明をされるのか知らないが、衆議院解散選挙の大義は、何時いかなる時でも「国民の信を問う」に他ならず、信を失えば政権を失う。時期が悪いとか、大した動機が無いとか、何とか疑惑を隠すためとか(何が疑惑なのか、私にはその方が疑問だ)、そういったもしかしたら存在する与党側の下心を含め、国民が判断し、投票行動で意思表示する。解散で失職する連中が、心配する必要などない。 なお、東京都知事が見果てぬ夢の国政に色気を出しているらしく、最近さまざまにご発言の様子だが、厚化粧と言うより厚顔な物言いに聞こえてならない。政治素人の手下を通じて烏合の衆を寄せ集めて『グリーングリーンクラブ』を作っても、ローカルなスローガンでしかない「都民ファースト」は、全国区の「大義」にはなるまい。 そもそも東京への一極集中を嫌悪する被害感覚は地方に根深いものがあり、日本全国におけるグリーン一色の「ムーブメント」は妄想でしかない。つまり、にわか仕立ての新党など、都市部で尾羽打ち枯らしたすでに終わった政治家を延命させたり、社会的不適合者を当選させて、当然、常識外の行動で物議をかもすだけになったりで、迷惑なだけである(最近の例では「維新」がそれで失敗している)。余計なことをせず、ご自分が愚かな都議会自民党対策で引っ掻き回した都政の事後処理を粛々とされて、都知事の再選を万全なものにすることのみに傾注すべきだと思う。
2017年09月25日
コメント(0)
以前より気になっていたことの一つに、「桃太郎公園」がある。幼児期を過ごした神奈川県横浜市南区井土ヶ谷中町にある小さな公園で、セミを捕りをしたり、近所のお兄ちゃんの天才的ブランコ技に感嘆して見守ったところなのだが、そこに2メートルほどの桃太郎像とされるオブジェがあり、なぜそのようなものが存在するのか不思議だったのだ。 それで、今日、文鳥のヒナに給餌しながらテレビを見ていたら、高田純次さんが東京の人形町界隈を散策していて(再放送)、そこの小学校がモダンで素敵だ、といった風な感想を仰っていたのを聞き、引越しのため2ケ月しか通わなかった井土ヶ谷小学校は当時まだ木造で、モダンなのよりあのような風呂の焚きつけに使いたくなる校舎の方が、印象に残るものだけどな、と思ったところで、桃太郎公園を思い出し、年来の疑問を調べたくなった。 正式名称を『鳥井戸公園』とわかった。しかし、桃太郎像については、何時いかなる理由で設置されたかわからなかった。地域情報サイトの方が、わざわざ行政に尋ねられているのだが、結局不明とされていたのである(『はまれぽ』)。 土木事務所によれば、「1952(昭和27)年に桃太郎が上大岡から南区の鶴巻橋にやってきて、その後公園整備があった1968(昭和43)年に鳥井戸公園に移設された、という説がある」そうで、それが事実としても(具体的なのでおそらく地元民から聞き出した「事実」)、昭和20年代には存在して転々としたことがわかるだけで、そもそも上大岡のどこで誰が何時何のために作成したのか、起源については何もわからない。 そこで、とりい=鳥居と桃太郎なら「桃太郎神社」だと連想し、ネット検索してみた。すると、愛知県犬山市に桃太郎神社は実在し、その一帯は桃太郎公園と呼ばれ、似たようなペンキ塗装のコンクリート像が境内にた~くさんあるのを発見した! これはもう、無関係なはずがあるまい。この一部マニア(薄っすら以前に側聞していたようにも思える)に知られた桃太郎神社のオブジェを制作したのは、浅野祥雲という人で、ウィキペディアによれば「作品は中部地方を中心に800体近くが現存しており、ほとんどが身長2メートル以上の人物像(仏像)で、コンクリートの表面にペンキで着色され、一箇所に集中して林立することが特徴である。リアルさ・稚拙さ・ユーモラスさをあわせ持った作風で、一度見たら忘れられない強烈さから一部で人気を博している」とあり、その特徴は、そのまま鳥井戸公園の桃太郎像に当てはまる。 もし、浅野祥雲作のコンクリート像であれば、わざわざ関東にまで持ち込まれ現存する貴重なものなのではなかろうか?この際、『ぶらタモリ』にネタとして提供し(『タモリ倶楽部』で取り上げたことがあったそうなので・・・)、優秀なNHKスタッフ諸氏を通じて浅野祥雲研究家の大竹敏之さんにご鑑定をお願いして欲しいものである。夜見ると気味悪いとか、平板な感想でお茶を濁さず(コアな人気があったりするんですよ!)、何となくこの記事を目にしてしまった井土ヶ谷の地元民には、自分の住む地域のため、この際頑張って頂きたい。 上大岡に移り住んだ犬山市出身の人がいたのか。転々とする中で、お供とはぐれてしまったのか。いろいろ桃太郎さんに尋ねたいものだ。
2017年06月18日
コメント(0)
文鳥を愛好する皆さまは、ブンチョウで変換したら『文晁』となってしまった経験をお持ちではなかろうか?一昨日、それで舌打ちをした私は、そう言えば、文晁は文鳥と関係ないのかしら?と考えはじめたのである。 そも、「文晁」とは何か。周囲に聞いても知るまい。しかし、江戸時代の文化史や日本画に興味を持つ人では、知らぬ人はいない大画家、谷文晁のことである。そして、私はこの文晁が文鳥愛好家だったと推定、ほぼ確信するに至ったと言ったら、ひっくり返る人もいるかもしれない。 そのような説は聞いたことも無いが、美術史関係者が甘かった。そもそも、1763年江戸(東京)の下谷で生まれた谷文晁は、本名は谷文五郎と言い、初めの号がすでにブンチョウ(文朝)で、晩年仏門に帰依してからは文阿弥と称し、養子には文一、実子に文二とも名付けており、もう、ひたすら徹底的にブンブン(文文)なのである!文鳥に思い入れでもなければ、そこまで「文」にこだわる説明がつかないではないか!! そのような駄洒落を名乗るわけないと言うのは、素人(何の?)の浅はかさで、江戸っ子をなめてもらっちゃちゃ困る。伊達と酔狂で生きているのが江戸中後期の文化人で、何であれ洒落のめさずには済まない方々ばかりなのである。そうした洒落のめす江戸の雰囲気を映し出す芸能に落語が存在し、その中に『普段の袴』という噺があるのを、この際、文鳥愛好者は知っておかねばなるまい(もっとも私も知ったのは一昨日だが・・・)。まずは、8代目林家正蔵(彦六)バージョンをお聞きいただきたい(コチラ)。 骨董屋の主人に対する身分ありげな侍の鷹揚なふるまいを真似たくなったお調子者の長屋の八が、さっそく袴を借り出して骨董屋へ行き、主人が鶴の絵をブンチョウ(文晁)だと言ったら、「ブンチョウってなあ、もっと体が小さくってクチバシの赤えのが文鳥だ」と、「ブンチョウ」違いしている。この噺が、いつから存在するのかわからないが、入谷の小野照崎神社の絵馬が文鳥だったり、上野東照宮の透塀に文鳥が紛れ込んでいたり、「18世紀後期の田沼時代と呼ばれる頃に、江戸の下町、下谷周辺に、文鳥マニアな文化人がいて、せっせと『文鳥化』工作にはげんでくれたのではないか」と指摘したことがあるが(『文鳥屋店主敬白』)、ブンチョウブンチョウブンチョウと横溢した時代と地域に生まれ育った谷文晁が、文鳥と無関係であろうはずもなく、自分の名前をわざわざ幼い頃から知っているはずのブンチョウとするからには、愛好者だったと推量する方が自然だと思える。文鳥好きの文さんだから文晁になったに相違あるまい。 しかしながら、文鳥を描いた文晁の絵は見当たらない。弟子の作品は見かけた。年長だが文晁の弟子となっている岡田閑林の「菊鳥図」として売られている絵の鳥は、明らかに「クチバシの赤え」文鳥だ。散々描いたが不思議と残らなかったか、自分がブンチョウだからあえて文鳥を描かなかったか・・・。谷文晁、文鳥愛好者は要チェックであろう。
2017年05月13日
コメント(0)
今日の『産経新聞』の記事「福島・浪江の火事でネットにデマ情報「放射性物質拡散」 雁屋哲さんや地方紙も言及」を先ほど読んでいて、6年たっても放射脳の汚染がおさまらず、放射能に関してのみ冷静な客観性を失ってしまう気の毒な人たちがいるのには、困ったものだと思う。 「火事により(放射性物質が)花粉のように飛散する」「福島で森林火災・強風により放射性物質飛散中」?!何んと想像力が豊かなことか!!まともな大人がこのような幼稚な戯言を言えるはずがなく、これすべからく、見えざる恐怖の毒が脳内に蔓延してしまって、いまだにそれに打ち勝てないのだと、私には思える。 確かに、帰宅困難地域は他の地域よりも放射性物質に汚染されてしまっている。しかし、それは、結局のところ比較の問題でしかなく、そこに24時間居続けて1年365日住み続けるのは控えた方が良い、という程度に過ぎない。分別のある大人ならしっかりと踏まえるべきは、『産経』の記事で専門家がご指摘になっているように、昔の事故で汚染されているのは土壌であり、火事で焼失するのは樹木だという、ごく当たり前の事実であり、火事の灰がどの程度拡散するかの常識的な見当、であろう。例えば、気の毒にもごく個人的に鼻血で苦しんだらしい漫画家の雁屋さんも、数百メートル離れた隣町のおっちゃんが庭で焚火をしたところで、お宅の洗濯物に影響はしないことや、そもそも気づきもしないくらいのことはわかるだろう。まして、灰が飛来して飛び火する心配などしていたら、鼻地どころか生きていくのが難しいはずである。 さて、『紀伊民報』という、今まで聞いたことも無かった地方紙とはいえ、わら半紙にガリ版刷りした学級新聞(30年前にはすでに存在しない)とは違う立派な新聞の編集局長さんが、「山火事と放射能」と題する5月1日更新のコラムで、「知人経由でこんな情報」をメールで得たとし、「射能汚染の激しい地域で山火事が起きると、高濃度の放射線物質が飛散し、被ばくの懸念がある」ので、「東北、関東、北信越、静岡、愛知の人は最低限」「内部被ばくしないよう換気はしない。外出時は二重マスク。家庭菜園にはしばらくビニールシートをかぶせる。雨が降ったときは必ず傘を差す。1週間ぐらいは毎日朝昼晩、みそ汁を飲む……」といった対応をしなければならない旨、お書きになっている。 この大爆笑するしかないフェイクニュースを、なぜ編集局長ともあろう知識人が、簡単に真に受けてしまったのだろうか。謎である。なぜか警戒範囲が愛知どまりで、伊勢湾を越えなかったので、対岸の『あっち』の方の話として、読者である『こっち』の人(紀伊半島のごく一部)と一緒に、対岸の火事を傍観する気分になってしまったからであろうか、と私は疑ってしまうのだが、どうだろうか。もし、自分たちに対処が求められる話なら、より冷静客観的な科学的な検討をされていたのではなかろうか? 「この情報を最初にアップしたのは東京電力で賠償を担当していた元社員。現地の事情に詳しい彼によると、放射能汚染の激しい地域では森林除染ができておらず、火災が起きれば花粉が飛ぶように放射性物質が飛散するという」などとある。御社では、出所不明の伝聞情報に基づいて、それを検証すらせず記事にされるのであろうか?何であれゴシップネタとして無責任にフェイクニュースを垂れ流すのを目的とされている特殊な存在だとすれば納得ではあるが、そうなのだろうか? 「放射能汚染の激しい地域では森林除染ができておらず」は当たり前だ。山の表面土壌を全部入れ替えるなど出来はしないので(山でなくなるぞ?樹木もなぎ倒して荒野になるが、いったいどれだけ労力が必要だろう・・・。物理的に不可能かと)、枯葉などが表層を覆い、それが土壌化して沈下することで、放射性物質の残る層が地中深くに移っていき、また放射性物質も減衰していくので、何十年という自然の流れの中でゆっくりと、事故により拡散してしまった放射能の影響が除去されていくのを待つしかないのである。幸いなことに、地中の放射性物質を樹木が吸い上げて葉などに蓄積させる量はごく少ないとの科学的な結論があるので、6年経った今は、表層の放射性物質の多くは雨水に流され、止まったものも自然のサイクルにより地中に埋もれていると考えるのが、科学的であり論理的と言える。 つまり、「火災が起きれば花粉が飛ぶように放射性物質が飛散する」は、まったく科学的でも論理的でもなく、実在するのか知らないが、科学的知識を期待できないおそらく事務系の元東電社員個人の妄想でしかない。もしジャーナリストの感性があるのなら、このような情報源が素人考えで導き出した結論に対して、検証しなければ無責任であり、フェイクニュースの根源になってしまうのを、最も警戒すべきだったと思う。実際、周辺の放射能レベルに、火事の影響は見られないが、それは数字を見る前から分かりきった当たり前、当然の帰結であり、それをジャーナリストでありながら分別できないのは、無知で無責任だからと指弾されても仕方があるまい。もし、謙虚な自省する気持ちがあれば、「政府も全国紙も、この現実にあまりにも鈍感過ぎるのではないか」などと批判する前に、なぜ報道しないのか落ち着いて考え、地方紙の気安さでフェイクニュースを垂れ流し、鈍感の極みとそしられることも無かったはずである。 そのような批判を多く受けた後、8日更新のコラム「福島の火事」で、訂正し弁解している。 「新たな拡散は心配するほどではなかったというのだ。そうなると、僕の不安は杞憂(きゆう)であり、それによって多くの方に心配をかけ、迷惑を与えたことになる。まことに申し訳ない。陳謝する」そうだ。僕ちゃんでも誰子ちゃんでも敏感に危険や不安を感じるのは悪いことではないが、それを冷静に検討せずに文章にして読者に提示し、結果的にフェイクニュースを垂れ流した、そのジャーナリストとしての資質を大いに疑わせる結果を招いているのだが、理解されているのか、本人のためにも気がかりだ。 「政府の関心が低い」と指摘する前に、自分自身が我がこととしてしっかり考えることが出来ていたのか、実は、非科学的で自分は距離的に無関係と、井の中の蛙でしかない地理感覚(「あっち」のことは無関係、「こっち」が良ければそれでOK。あっちこっちの区別は自分の思い込みの気分次第)で区別し、災害地の人たちへの関心が著しく低かったのではないか。実は他人事だからホウシャノーを怖がるふりをしているだけで、より現実的に向き合わねばならない同胞に対しては、あきれるほどに無関心ではなかったか、まず自分自身の内面を疑い、鈍感に過ぎないよう、自省されることをお勧めしたい。
2017年05月09日
コメント(0)
石原慎太郎元東京都知事が、無意味な百条委員会に引き出され、公開の場で聴取を受けてから、二か月も経たない。その場において、慎太郎さんは、冒頭に「2年前に脳梗塞を患いまして、いまだに、その後遺症に悩んでおります」とされ、「全ての字を忘れました。平仮名さえも忘れました」とまで仰っている。 そのような方に、まともな現役世代の人間が意見を求めては、酔狂に過ぎるとそしられよう。もちろん、ご本人は尋ねられればお答えになられるだろうが、それは、若くして頭脳明晰であった過去の自分の印象を崩壊させる、つまりは晩節を汚す危険を冒すだけにもなる。もし、真にその人のことを思う気持ちがあれば、昔のままなのは名前だけの人に意見を求めるようなことは、厳に控えねばならない。 ところが、憲法記念日の本日、忘れたひらがなも用いた文章が、愛読するいちおう全国紙(産経新聞)の一面に載せられていたので、驚かされた(コチラ)。もちろん、目新しいご意見は何一つない。何度も言ったり書いたりされているのを、聞かされたり読まされたりしている内容だ。しかし、せっかくの憲法記念日なので、繰り返して飽きないご老体の持論の一つ、憲法における助詞の「誤訳」について、飽き飽きうんざりしきっている現役世代の一人として、批判したいと思う。 本日の一面コラムでは、「日本語による為政者への統制批判を封じるものの象徴的存在は、間違った日本語で綴られた前文に始まる憲法に他なら」ず、(起草者が日本人ではないので)「憲法の前文には明らかに慣用の日本語としては間違いの助詞が数多くある」として、さらに「アメリカ人が英語で即製して日本語に翻訳した憲法にはわれわれが日常使う日本語としてはなりたたないような助詞の誤訳が随所にある」とたたみかけた上で、御自身が国会で取り上げたことのある有名な指摘を繰り返されている。いわく、「「公正と信義に信頼して」の一行の助詞の『に』だがこれは日本語としての慣用からすればあくまで『を』でなくてはならず誰かに高額の金を貸す時に君に信頼して貸そうとは言わず君を信頼してのはずだろう」。 しかし、これは難癖に近く、為にする議論で空疎とさえ言える。現憲法が、日本国民の意思で承認されたものではないので、変えるにせよ変えないにせよ一部修正するにせよ、主権者である日本国民が自ら決定すべきなのは当然だが、その議論に助詞うんぬんはそもそも無意味なのである。その程度、それが無理筋な詭弁に過ぎない程度のことは、慎太郎さんご自身もお分かりになっていればこそ、「慣用の」「慣用からすれば」「日常使う」と、逃げ道を作られているのではなかろうか。つまり、非日常の日本語では、「に信頼する」は使用されるのである。 日本国の基本法典が日常の口語体で綴られていれば、漢字ばかりの慎太郎さんの文章など絶対読まないライトノベル層も喜ぶだろう(文体はともかく、『太陽の季節』の内容はライトノベルチックなはず・・・、あらすじしか知らないので詳しく評せないのだが)。「公正と信義に信頼して」の「に」は国語的には誤りではない。第一、法令などは文語体、より本質的には律令の昔から、漢文訓読の形式をとるのが普通で、その際は日本語の自在性を生かして助詞を多様に補い、日本語の読みとして平仄合わせ、正確に言えば耳障りの良さを整えるものである。 実際、漢文的思考が濃厚だった時代(第二次世界大戦に敗れる前)の日本語表現では、「に信頼して」は、ごく普通の用法で、例えば太平洋戦争開戦時の詔勅(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)にも「忠誠勇武ニ信倚シ」とある。文士、作家に対して釈迦に説法になってしまうが、念のため言えば「信倚(しんい)」は信頼の同義語である。このように天皇陛下もご使用になられる「に信頼して」を、日本語として正当でないと主張すれば、、無知の所産、と指摘されるのを覚悟しなければなるまい。慎太郎さんは、英文学者の福田恆存が同じ考え方だったと、たびたびたびたびたびたび仰っているが、それが事実なら、誰であれ間違いである。 第一、福田恆存ともあろう人が、開戦の詔勅も知らず「に信頼して」が漢文訓読調の日本語として定着していたことも理解していないとは、およそ考えにくい。福田は、日本国憲法の文章を評価しないどころか、徹底的に非難しているのは確かだが、「に」でなくて「を」だ、といった区々たる文法について指摘している文章は寡聞にして知らない。日本人が自発的に編んだものではなく、勝者アメリカから拝領したもの以外の何物でもないため、自主性が文章の行間に現れず、あくまで受動的な姿勢が憲法全体の各条文の端々に見受けられるので、許せないと感じていたものと思われる。さらに、白洲次郎の名も挙げられているが、白洲の場合も、成立の過程からして自主憲法でないことを深刻な問題としているが、憲法の中身を否定してはいない。慎太郎さんのように伝聞情報で良ければ、「押しつけられたから腹は立つが良い所もある」と、白洲は現憲法を評している(記事)。 主権在民を謳う憲法が、国民不在の元で作成され、国民投票を経ることも無いとなれば、それは主権者に承認されたものと言えようか。これが保守的思考の人々が持つ問題の核心かと思う。国民の承認を受けるための方便として、「に」を「を」に改めるだけの修正で発議してはどうか、との方法論は有り得るが、本気で日本語として誤りと信じるようになってしまっては、およそ見当外れと言わねばならない。そして、現在の情報化社会にあっては、そのような国民を「拠らしむべし知らしむべからず」な存在として誑かすがごとき奇策は、開戦の詔勅が日本語として間違っていると指摘するに等しい詭弁だと、すぐに見破られてしまうだけに相違あるまい。福田恆存の時代とは違うのである。 繰り返すが、慎太郎さんを愛する人もそうでない人も、引き出すご自分たちの不見識をさらすだけなので、意見聴取を、いい加減にお控えいただきたい。
2017年05月03日
コメント(0)
数日前に、妊婦がオウム病となって亡くなっていたとの事例が公表され、その報道を見聞きして不安に思われた人がいたと思う(記事)。個人的には、店のブログでオウム病に触れ、愛鳥からそれが感染して発病した飼い主の事例を寡聞にして知らない云々と、ごく軽薄を心掛けてに書いた(コチラ)。せっかくなので、小難しく再論しておく。 オウム病については、まず以下の事実を認識しておく必要がある。1、オウム病は、細菌の一種クラミジアによる感染症で、人に肺炎症状を引き起こす。2、オウムインコ類の鳥との接触で、人に感染する例が昔から知られ、ズーノーシス(人獣共通感染症)とされている。3、クラミジアは多くの種に分化していて、ほ乳類ではヒトやヒツジやネコなど、基本的にはその種だけに感染する固有のクラミジアの存在が確認されている。4、オウム病を引き起こすクラミジアは、「シッタシ」と分類され、それはオウムインコに限らず、フィンチ類の小鳥やハトからも検出され、特にドバトの保菌率が高いとされている。5、「シッタシ」が人に感染してオウム病となる場合、その感染源はインコ、特に大型インコ類に多い。 こうした事実をすべて理解しておくと、1、2、4だけで、鳥の飼育を危険視するのは、いかにも浅薄なように思えてくる。それは、4でありながら5である事実を、完全に無視した結論だからである。これでは、科学的な論理性は得られず、つまりは非科学的なレッテル貼りに終わってしまい、未知を推測し探求する科学の研究発展を阻害するばかりとなるのではなかろうか。 なぜ、4でありながら5なのか?長らく鳥と接して「シッタシ」に曝されていると、耐性が出来るのではないか、との個人的憶測をされていた研究者のご見解を拝読したことがあった(典拠不明)。しかし、それなら、ドバト公害でバルコニーがそれの糞だらけのマンションに引っ越してきた住人が、無事でいられる方がおかしいのではなかろうか?何しろ「ドバトの保菌率は20%程度と高く、ヒトへの感染源となりうる」とされながら、実際はそうなっていないではないか。 そこで、素人の恐ろしさで無責任な指摘をしてしまえば、そもそも鳥類が1万種もいて、それもほ乳類同様に恐竜時代から分岐して今日に至っているという、生物学的な基礎認識があれば、そもそも鳥類のクラミジアを「シッタシ」一種と見なすことこそが、おかしいことになる。疫学の専門家には生物分類学の素養を欠く人が多いのかもしれないが、「鳥はみな同じ」と非科学的な思い込みをしていては、1~5の事実の科学的な整合性のある説明は、困難になってしまうはずである。やはり、ほ乳類のクラミジアが、その宿主ごとに変異しているなら、鳥類のそれも種ごとに変異していない方がおかしい、と気づくべきだと思える。 そのような問題意識、つまり鳥類のクラミジアにはそれぞれに違いがあるはず、との推論から研究(科学的な探求であり実証)を始めれば、シッタシαやシッタシβなり、高病原性シッタシC型などなどに分けて、それぞれについての研究が深まるものと思われる。しかし、残念なことに、現在のこの科学分野では、そこまで細かなチャレンジがなされていないようで、相違点を探るどころかごく大雑把な同一性を前提にして(これを思い込みと言い、科学的には「妄信」として忌み嫌われるべきもの)、オウム病が起きれば、すべての鳥類が危険のような錯覚を、一般人に与えることになっている。・・・のだ、と私には思えてしまうのである。 もし鳥のクラミジアがすべて共通していて、高確率で人に感染するなら、ドバト公害は不衛生の観点にとどまらず、疫病対策として切実なものとならねばならない。ところが、現実にはそうはならず、ドバトたちは駆除されずに済んでいる。そうした事実を無視し、その事実との整合性を考えず、鳥類のクラミジアを共通のものとする現代科学の限界を認識せず、その生活の一部である飼育に不安を招くような、およそ非科学的な主張は控えるべきだと、私は思う。 オウム・インコ類からの感染にしても、そもそも、その取引においては、クラミジア検査の有無を確認するのが当たり前で、流通卸の段階で検査済みの個体以外は有り得ないくらいに、すでに自主規制されているのが現実である。つまり、まともな流通ルートを経た大型インコ類は検査済みで安全と見なし得る。つまり、現段階では、種の近似性から流通量の多いセキセイインコなどに感染して一部が潜在化して、個別家庭での濃厚な飼い主との接触で、ごく稀に病原性の強いクラミジアシッタシが飼い主に感染してしまい、オウム病として発病するに過ぎないものと思われる。 オウム病という人にも感染する病気があって、インコ類からは毒性が強いケースがあるので、もし風邪の症状が長引いてレントゲンで肺炎症状が確認されたら、オウム病の可能性を主治医に伝えれば良いだけ、ではないか?飼い主もそれなりに知識を持って、神経質になりすぎず、適度な対処を心掛けていただきたいものと願う。
2017年04月15日
コメント(0)
『教育勅語』を幼児に暗唱させ、運動会で安倍首相を幼児に激励させていたのと同じ人物による昨今の言動は、情けない限りである。あれでは、何の信念もなく、ただ自分の利益になりそうだから、もしくは格好良さげだから、首相や『教育勅語』を持ち上げていたと言われても仕方があるまい。もし、信念であり損得抜きの敬愛なら、自分の信じるもののため一命を賭するのが、あのような人たちが好む江戸時代の幕藩体制下における「武士道」のはずである(その残滓が「明治ノスタルジー」)。 残念ながら、あの方の行動から『教育勅語』の内容で実践を確認できるのは、「夫婦相和し」だけではないだろうか。しかし、世の「バカップル」も夫婦相和してはいるのではないか。「恭儉おのれを持」さずに馬鹿を励まし合って「博愛衆に及ぼ」す真逆に迷惑をまき散らし「徳器」などどこにあるのかと、世人をあきれ果てさせる夫婦が、仲良しでも褒められまい。 安倍晋三さんの信奉者気取りだったが、今や足を引っ張る元凶だ。逮捕直前の犯人のごとく、報道関係者だかジャーナリストだか、聞いてくれる相手ならだれにでもわけのわからぬ主張をして、結局自分を追いつめてしまっている。首相夫人が百万円の現ナマを手渡しした?領収書はいらないと言ったぁ?領収書ちょーだいと言われたら、その場で指をなめなめ数えて領収書を出す気だったのか?万一にも、それが事実だとして、報酬も払わず講演を依頼した側が、その講演者から寄付を受けるなど、乞食根性よりひどいではないか。いったいどういった倫理観をなのか、そのような寄付を受けたら、恥知らずにしかなるまい。 一方、芥川賞作家で文化人として若いころから注目を浴び、反骨の保守政治家としての雄姿を一般に記憶させ、決断力のある「男らしい」ふるまいを期待されてきた人は、今や、自分の知事時代の尻拭いをしている(おそらくは政治的思惑による余計な詮索で針小棒大を招いたが、豊洲移転に問題があったのは事実となっている)恩人の娘に対して、口をとんがらせてネチネチと、およそ「女の腐ったの」を見るようなお振る舞いである。 黙って身を引き、言いたいことも墓場まで持って行ってしまうか、無知蒙昧と無責任ゆえに、中身もよくわからず決断力に富む自分のパフォーマンスとして利用しただけでも、決断した事実に対する責任を負い、「私の不明でした。ご迷惑をおかけして申し訳ない」と素直に頭を下げれば、『漢(おとこ)』としての株は上がったものを。細かいことはわかるはずないから、専門家が決めたことに従っただけ?石原慎太郎さんが、コンセンサス型の政治家だったとは、これは驚き、おみそれした!である。 決断力は素晴らしく見えても、それに責任感が伴わなければ、リーダーとして「徳器」が基本的に欠如していたことを露呈してしまう。つまり、見せかけだけで中身がない。それが政治家としての石原慎太郎だ、と断じられる致命的な危険性に思い至らないようでは、運動能力より思考能力を疑われるべきではなかろうか。このままでは、せっかくの虚像のメッキがすべて剥げて、ただの口先じいちゃんとして、晩節を汚すだけになるだろう。 お二方とも、言い分はあるに決まっており、それはそれなりに理由もあるだろう。しかし、語れば語るほど見苦しく、自分が信念とすると喧伝してきたもの、つまり、自分自信を冒涜するだけになっているように思える。 この際、軍国調がお好きのようだから、連合艦隊司令長官山本五十六のお言葉でも今更に拳拳服膺されてはいかがであろうか(もっとも、山本五十六は茶目っ気があり座敷遊びも好きだった「海軍さん」である)。 「苦しいこともあるだろう。いいたいいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である」
2017年03月18日
コメント(0)
例の小学校設立を目論んだ幼稚園の経営者により、『教育勅語』がクローズアップされています。これは、明治時代の半ばに天皇のお言葉として、国民に伝えられたもので、戦前の学校教育では欠かせないものでした。しかし、私は魅力を感じたことがありません。なぜなら、今現在では前提が崩壊している過去の遺物でしかないからです。 しかし、『教育勅語』を現代の教育に生かしたいと考える人もいます。例えば稲田防衛大臣は「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えており、道義国家を目指すべきだという考えに変わりはない」と、先日国会で答弁されています(8日NHK)。しかし、これは誤解ではないでしょうか。少なくとも、親孝行は教育勅語の核と見なすのは無理です。 『教育勅語』は、あくまでも「皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり大日本帝国の絶対君主としての天皇陛下の役に立つ人材たれ、と諭すのが核心です。それを「元気に素直に育ちましょう!」的な時代性のない人としての一般論を主眼とする文章としてのみ読んでしまえば、『教育勅語』の時代的な意味合いを理解せず、本質からズレた寝とぼけた話になってしまうかと思います。 ともあれ、『教育勅語』の核となる部分を読んでみましょう(原文は漢字かな混じり文。知ったかぶりして書いていますが、もちろん私は暗唱できません)。 「なんじ臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹おのれを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、もって智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務啓き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 「天壌無窮の皇運」と大仰に言われてもピンときませんが、永遠に続く天皇を戴く大日本帝国の運命といった意味で、いわゆる左翼系統の思想の人には癇に障るところかと思います。しかし、帝国主義で各国がしのぎを削って植民地獲得競争をしていたような当時は、それがグローバルスタンダードでしたから、昔のことを今の基準で腹を立てても仕方がないかと思います。そういった時代背景のもとで生み出され、継承されていた文章だ、との時代性を認識しないといけません。 一方、稲田さんたちは、ここにある「父母に孝」を、「お父さんお母さんを大切にしよう!」との普遍的道徳観としてのみ理解しようと心がけていらっしゃるようです。つまり、時代による違いを無視した一般論とされているのですが、この文章の結論は「もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」に他なりませんから、天皇=国家への忠義を求める意味合いを含んでいると読み取るべきでしょう。 何しろ、自分が自分の親を大切にするといった、今現在の道徳観に基づく親孝行と、儒学、孔子の説く「仁」の実践としての「孝悌」とは、少しニュアンスが異なります。孔子のそれは、親に孝、兄に悌、つまり近親の年長者(の男)に従うべし、との家庭内での秩序論となります。孔子が悪いわけではありませんが、男女平等の現代とは違った時代性を持っている考え方と言えるかと思います。さらに、当時の大日本帝国では、「国体」の秩序を維持するために、家庭内秩序の『孝』の考え方が援用されます。日本という国家を大きな家と見なした時、親とすべきは天皇陛下となり、天皇陛下の赤子(せきし、赤ん坊)にして臣民であるところの大日本帝国国民は、親である陛下に従うべし、とする道徳を形成し、それを共通認識とするのが時代的前提(=その時代における情緒)となっていたのです。 儒学が教育の基礎とされ、知識人は当然その素養のあった時代と、そのようなもの私のように欠片もない見るも無残な体たらくの現代とは、同じ言葉でも受け止め方は異なってしまいます。今現在、『教育勅語』が存在した時代性、いわば『皇国の情緒』は存在しないので、その時代の文章を引っ張り出して、うわべをひっかいても勝手な現代的解釈にしかならないと思います。また、本質部分を抜きにしては、歴史的な意味合いを『教育勅語』から奪い去ることにもなるでしょう。親孝行を勧めるのに、わざわざ『教育勅語』を持ち出して誤解を招くことはない、でしょうね。 それでもどうしても『教育勅語』にある言葉を現代の日本人の道徳教育に生かしたいなら、「お父さんお母さんを大切にしよう!」より、「恭倹おのれを持し」をお勧めしたいです。もちろん「恭倹」も孔子の人となりを表す言葉として有名ですから(「温良恭倹譲」)、純日本調ではありませんが(そもそも漢文で「やまとことば」ではないのです。何しろ「勅語」ですから、オール漢字です)、恭倹=「人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞う」(デジタル大辞泉)とは、いかにも慎み深い日本人的美徳を示す言葉のように私には思えます。その美徳を持つべく自分自身で気を付けて行動するとは、日本人以外では難しい気もするくらいです。 「恭倹おのれを持し」てイジメちゃだめよ!と繰り返し繰り返しさとしていれば、幼稚園の道徳はそれで十分かもしれませんね。 となれば、それを暗唱させていた意味もありそうですが・・・。園児にそれを強制して暗唱させていた人の態度を見るにつけ、「人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞う」とは程遠いどころか真逆にしか見えず、がっかりです。教える側のご自分が実践されてこそ、「博愛衆に及ぼし」で、実に立派な教育者と見なされ、さすが『教育勅語』を体現される方は違うと、その「徳器を成就」された姿は、尊敬の的になったでしょうに(今の陛下の立ち居振る舞いを真似られたらいかがでしょう?)。 保守を自称する人の中には、戦前、特に明治期の制度などを尊重される方が多いように思います。そして、先ごろの陛下のご譲位についての「有識者」たちの意見では、そうした人たちの本質が見えたように思えたものでした。しかし、平成の御代に『皇国の情緒』は存在しないので、明治の時代性を尺度にして是非を測るのは不可能で、平成の情緒の中に生きる現代の日本人の大勢からは浮き上がってしまうように思われます。結局、情緒的な「脳内明治」の懐古趣味と見なされるだけで、現実にそぐわないのです。 保守=時代を無視した懐古趣味とならないように、『教育勅語』などの歴史的な事物に、情緒的な共鳴をよせるだけで実践を伴わず、格好つけの手段として過去を利用していると見なされないように、現実世界をしっかり踏まえた現実的な考え方を心掛けたいところです。
2017年03月10日
コメント(0)
今日は天皇陛下のお誕生日なので、そのご希望の妨げる意見に、改めて物申すことにしたい。 ご譲位に反対するご意見を披瀝された有識者のうち、平川、渡部、今谷、八木の各氏のそれぞれに、いちいち『ご諌言』申し上げたいのだが、代表して、八木氏が産経新聞に述べられている内容を見たいと思う(12/21産経『皇室制度を考える』)。 さて、日本の憲法学者は木を見て森を見ないタイプの方が多いとは承知していたが、八木秀次さんもそのお一人とは、個人的に意外な発見であった。「憲法は天皇の政治的関与を禁じていますので、天皇陛下のご意向を理由にできないのです」、とされているが、これは屁理屈でしかない。天皇陛下がなにがしの所信を述べなければならない状態を放置してきた、政府なり社会なり学界なりが無能なのは明らかであり、己の無能と怠慢を棚に上げ、陛下の表現の自由を封殺するのは、あまりにも恥知らずに思える。頭の中身が大日本帝国憲法なら、己が不忠の愚臣であったことに恥じ入るべきところを、そうした時だけ、日本国憲法下の言論の自由を謳歌して陛下の行動を批判するなど、ずいぶん便利な思想信条といえよう。 「日本の皇室や天皇をいただく制度の「終わりの始まり」をつくってしまうかもしれません」とは、何と悠長な現状認識なのであろうか。とっくの昔に「終わり」へのカウントダウンは始まっているではないか。いったい、現状の皇室典範が、天皇家の存続への支障となっているのにさえ気づかないとは、どうしたことだろうか。天皇は、御皇室の男系男子が受け継がれることになっており、幼少世代の男系男子はお一人しかいらっしゃらないのは、周知のことで、先日、その親王殿下がお乗りになっていた自動車が交通事故となった際、八木さんは皇統の危機を抱かれて、「初代の神武天皇からの男系の血筋を引く男子として皇室に40年ぶりに誕生されたのが悠仁さまである。その存在は限りなく尊い」などと、ご心配になっていたが(12/12記事)、そのような事故がなかろうと、とっくの昔に危機なのである。それは、八木さんが十二分に理解しているように「法整備が急がれねばならない」状態のままだからである。 個人的には、男系にこだわるなど無意味だと思っているが(男女同権を基軸にしないと現在の日本は成立し得ないので、男系にこだわるにしても不文律にする以外にない)、とりあえず男系であらねばならないとしよう。しかし、皇室典範は御皇室の養子縁組を禁じているので、旧皇族であれ何であれ皇籍を離脱して一般人となった者は、天皇に成り得ない。男系にこだわり、数少ない故実に照らして遠い先祖で枝分かれした別系統の人物を迎え入れようとした場合、皇室典範を改正しなければならない。つまり、男系男子にこだわる者は、早急に皇室典範の改正をご提言になられてしかるべきにも関わらず、譲位に限っては、皇室典範を金科玉条のようにして、それを阻止すべく論陣を張っている。これは、ご都合主義の矛盾と言わねばならない。 「外部の圧力によって天皇が権力の威圧により」養子縁組を迫られる事態もあり得るので、「明治の指導者たちによって積極的に排除された経緯があ」ったに相違ないが、「国民の対立や皇室の政治利用を招かないように天皇の」養子縁組は認められない以上、一粒種の親王殿下が健やかにご成長になられて、一夫一妻ながら、マリア⁼テレジアのごとくおそろしく子だくさんとなられることを、近所の神社でお祈りでもするほかあるまい。それで良いのであろうか?「明治以降封印してきた「パンドラの箱」を開け」ようとしたのは、悠仁親王殿下がお生まれになる前、男系男子にこだわって、生物学の素養などゼロでありながら、Ⅹ染色体など持ち出して、今や市井の馬の骨と変わらぬ旧皇族を復帰させるとか何とか、騒ぎ立てていた方々であろう。ご自分たちが、望む方向ならパンドラも石橋も平然と叩き壊そうとするのに、望まない方向なら断固反対するとは、二重スタンスも甚だしく、そのような論説は知的崩壊の所産以外には見做せず、甚だ滑稽である。 「天皇陛下の退位にあたって憲法が規定する制度をあえて採用しない合理的説明ができ」ないのは、説明する気がないだけかと思う。くだらぬ小理屈屁理屈でけむに巻くのが得意な人は、永田町にも霞が関にもいくらでもいるだろうから、心配は無用だろう。学者にしても、象徴であって政治的権能を有さない天皇陛下に『御隠居』の自由を認める程度のことにさえ、ぐだぐだと現実離れした理屈を繰り返せるのだから、その逆の理屈付けもお茶の子さいさいに相違あるまい。 譲位に反対する有識者の皆さんは、とにかく能天気だと、私は思う。天皇家の弥栄は、現状の維持では困難であることを先刻承知していながら、隠居さえ認めず、その根拠を皇族であふれている状態を前提にした皇室典範に求め、あまつさえ、天皇に政治的権力が残っていた時代の故事を弄ぶ。温故、過去に起きたことを教訓としてくみ取る姿勢は大切な心がけだと思うが、それは、知新、これからの時代に役立つものであるべきだろう。 基本的人権の尊重が国是となる自由民主主義の政体にあって、天皇陛下に政治的権力を夢想して、本質的には『家』内部の問題である譲位による代替わり、一般家庭なら隠居に過ぎないものを、政治的策謀を招く行為のように吹聴し、結果、自縄自縛に陥っていることに気づかない。元々の皇室典範が成立し得る前提条件、貴族や皇族といった皇室制度の藩屏を根こそぎにされている状態を忘れ、まるでそうしたものが存在するかのように議論するなど、まさに堀を埋められた大坂城で籠城を主張するほど間抜けだと気付かないとは、諸先生方にして、いったいどうしたことであろうか? 何も変えられず、時代の変化とともに消え去ってしまうことのないように、陛下のお言葉があろうとなかろうと、主権者である国民はしっかり考えねばならず、保守を標榜する立場なら、この一事が万事にわたることを、慎重に考慮すべきだと思う。一本の木を愛で、枝ぶりをあれやこれやしている内にるうちに、森が枯れ果てることのないように、将来へ全体として整合性のあるご意見をこそ、うかがいたいものである。
2016年12月23日
コメント(0)
さきほど、東山動植物園 鳥インフルエンザ「高病原性」との読売新聞の記事を読み、「ウイルス拡散のリスクなども考慮して」、「飼育中の61種、約240羽」の鳥類の「殺処分も検討しなければならない」とあったのに驚愕した。 まず、名古屋の東山動物園は、飼育展示している動物を、畜産で飼養される動物同様に扱えるものと見なしているようだが、それは違うと思う。確かに、家畜伝染病予防法に基づき、農水省の管轄で疫病対策を行わねばならないが、一方で、環境省所管の動物愛護の適用範囲内なので、終生飼育されるのが原則なのである。生涯を全うせずに食用となったり廃用処分されてしまう畜産動物と、終生飼育される動物は、法律上、違う扱いが求められており、動物園の飼育動物は後者に分類される以上、殺処分は八方手を尽くしても蔓延を止められないような状態にならない限り、有り得るものではなく、口にすべきものでもないと思う。 そもそも、絶滅危惧種をわざわざ飼育していながら、伝染性疾患に罹患させ、それを殺処分するようでは、違法狩猟で絶滅に加担するのも同じである。それでは、動物園の社会的責任を果たせず、それどころか社会悪でしかないので、直ちに消えてなくなったほうが良いことになりはしないだろうか。少なくとも、絶滅危惧種を特別に飼育する『資格』など無いと言わねばなるまい(今後、どのように展示動物を集めるつもりなのか?)。 罹患した鳥を厳重に隔離して治療、接触者を限定し消毒を徹底、飼育中の鳥たちは、なるべく分散させて相互接触を避ける、それでも蔓延を止められない場合、種ごとの罹患状態を冷静に把握して、蔓延度の高い種を殺処分していく(絶滅危惧種は除く。実行は当然農水省の仕事)、当面はそのような対処をする以外にないはずで、2、3羽死んだ程度の段階で、皆殺しにしてお仕舞いするなどと、保健所の職員チックな安易な結論を述べられては、見識を疑わねばならなくなる(園長はコアラ飼育のスペシャリストのようだ。ところで、コアラにも厄介な伝染病疾患があるそうだが、もしそれに罹患する個体が発生したら、コアラ舎全体を『浄化』できるものだろうか?)。頑張っていただきたい。「命の大切さを伝えるのが動物園の役目」だとわかっているなら、個々の生命の保護こそが、動物園職員の役割であり誇りのはずなので、一般の動物愛護精神とかけ離れた誤解を招く言葉を控え、さらに頑張っていただくようにお願いしたい。
2016年12月13日
コメント(0)
昨日書きなぐって載せようと思ったのだが、急の事態があったので、一日遅れとなった。 瀬戸内寂聴さんの次の発言についての批判である(産経記事)。 「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」 だからね、晴美おばあちゃま、その一番野蛮なことを平然とやってのけた人非人の殺人鬼を、反省の欠片もなくとも人として生かすべきか、それとも死に値する罪を犯しながら、自裁も出来ない憐れな衆生として、その所属する社会の公権力が、慈悲を示してやるべきなのか、そこが問題なのよ。と、この記事を読んだ私は思ったのである。 誰も、罪の無い者を殺したがっているわけではない。そもそも、死刑を許容するか否かは、死刑になどなるはずのない、被害者になり得ても加害者にはならないはずの一般市民が、より良い社会のあり方について話し合って、その時々の社会の必要性で決めていけば良いことで、遺族以外では当事者に成りえない者同士が、敵味方に分かれて相手をバカ呼ばわりして【戦う】必要などない(【戦う】ではなく【闘う】だと日弁連の人は擁護すべきだったが、そのような言語の感性は無いのだろう。口では反戦を唱えるような人ほど、頭の中はいつも戦争状態で戦いを欲しているようで、気味の悪い話である。・・・戦争と闘争では違うでしょう?)。 例えば私は、他人の生命を奪えば自分の生命が奪われるのも当然、との素朴な概念を持っているので、死刑が無ければバランスを欠くことになると思っている。また、本来自裁して死ぬべきながら、人間の弱さからそれを為し難い人に対し、公権力が介錯してやるのが、死刑制度の本質だと解釈している。しかし、死刑に反対する人を「バカ」とは思っておらず、それはそれで、傾聴に値する意見だと尊重している。何しろ、死刑制度の存否は、いずれの意見であれ、個の生命を大切にしているからこそのもので、違いは視点の相違のみと言える。それを知性で互いを理解しようとせず、感情的に「バカ」だのマヌケだのアマチャ坊主だのとレッテルを貼って憎悪する必要はない。 死刑を支持する人は、被害者側の生命の尊さを認識するからこそ、その代償が必要なのだと思い、それを奪った者への制裁を死刑に求めるに過ぎない。一方、死刑の廃止を求める人は、現在生きている犯罪者側の生命を重視し、それを奪うことにためらいを覚えるだけである。どちらも、もっともな話ではなかろうか? 例えば、死刑がなければ、人を殺しても三食昼寝付きで安心して日々を過ごせると思い違いした無駄飯喰らいが、無限に増加するかもしれない。一方、もし、冤罪の可能性の無い殺人犯を、次々と死刑にしてやれば、最近はやりつつある「自分が死にたいから人を殺した」との死刑を己の自殺手段とする愚か者が増加してしまうかもしれない。他人の生命を奪うという取り返しのつかない犯罪に対し、どのような刑罰を行えば抑止につながるか、これは単純な死刑制度の是非にとどまらず、より込み入った難しい課題のはずである。 瀬戸内晴美さんと言えば、元々、奔放と言うより好き勝手な逸脱を重ねた方だったが、出家され寂聴さんとなって、現在、九十有余の歳月を重ねた解脱される前の刹那に、悪い意味で目立つだけ、になっているように思える。いろいろ私生活で逸脱した者が、御仏の導きで立派なご高説を垂れるまでになったのだから、悔悟して昇華したと見なされようし、それが、若き日に不倫する際にも役立ったであろう生来の口達者のなせる技であったとしても、その言葉に救われる人がいるなら、実に有難いことだ。いにしえに、迷える子捨ての不倫常習犯を得度させた今東光さんのように、男気あふれる親分肌を発揮し、あの晴美さんでも、迷える人を導かれるようになられたのは、実に結構なことだったと見なすべきだ。 したがって、泥沼で他人に迷惑ばかりをかけつつ喘いだ往時を思い出させるような、はた迷惑な活動力で晩節を汚されるのは、残念に思えてならない。これでは、せっかくの徳行もまやかしのように思われてしまい、寂聴さんのお言葉で救われた無垢な人たちの気持ちを裏切ることになるのではなかろうか。お控えていただきたいものだ。 ところで、アマチャ坊主、と自分で書いて意味がわからない。手塚治虫の漫画で見かけたような気がするのだが・・・。そこで、勝手に、尼で無茶する坊主のことだと解釈した。ご老体に無茶は禁物である。
2016年10月08日
コメント(0)
我が家のシンボルツリーとされる五色八重散椿が開花しました。 2013年6月に植え付けた際は、細く頼りなかったのですが、かなりしっかりしてきました。順調に成長し、毎年楽しませてくれそうです。 昨日の様子、花の芽は木の根元の方に集中し、上の方は葉の芽がたくさん出ています。
2016年03月20日
コメント(0)
昨夜、このような記事(日刊サイゾー)を見かけて、呆気にとられた。 フジテレビの番組中、菅官房長官を、安倍政権の大番頭と紹介し、その際「オオバンガシラ」と読んだアナウンサーに対し、キャスターが「オオバントウ」と訂正したが、苦情があったらしく、番組の最後に「オオバンガシラ」が正解だった、と訂正してお詫びしたと言うのだ。しかし、これは「オオバントウ」が正解で、「オオバンガシラ」などと読まれたら、理解できる人はいなくなるのではなかろうか。 もちろん、フジテレビの番組ディレクター氏がそうしたであろうように、慌てて辞書などで調べれば、「オオバンガシラ」の読みは昔から存在し、むしろそちらが本来の読みのように受け取れるはずである。さらに、そこに日本中世史の専門家がなぜか居たら、古代末期から中世の武家社会において、番役(警護役など)を務める者たち(番衆)の長の意味で、番長が存在し、京都御所などの主要な施設の警護を担う番役を、特に大番役と呼んでいたので、その頭だったものはオオバンガシラと呼ばれていたのではないか。くらいの講釈は聞けたかもしれない。さらに、江戸時代が好きな人なら、そうした武家社会の伝統が江戸幕府の職制に残り、軍陣において将軍の足下にあって、その周囲を固める部隊(に世襲で所属する旗本武士たち)を、大番組(オオバングミ)と呼び、その部隊を率いる侍大将の役割の者を大番頭(オオバンガシラ)とされていた、程度の知識を持っていて不思議はない。 しかし、このように「オオバンガシラ」と読む大番頭は、その職制が消滅した明治以降は使用されることなく、歴史用語となってしまっている。鎌倉時代や江戸時代に使われていても、今現在には意味がないし、そもそもその言葉には、「総理の女房役」とか補佐役など、ナンバー2と言えるような実力者の意味を含んでいない。一方の、「オオバントウ」はと言えば、こちらは時代劇でよく登場する「番頭はん」で、現代人にも馴染みが深いものと思う。江戸時代の商家の主人(旦那)の下で、手代以下の使用人たちを監督し、実際の実務を切り盛りする責任者を番頭(バントウ)と呼び、大きな商家では番頭が複数いるので、その筆頭を大番頭(オオバントウ)と呼んだのを起源としているはずだが、そこには、元々から、商店のナンバー2である実務責任者(トップの「旦さん」は、普通、あまり実務を見ない)の意味を含んでいる。 明治4年に西郷隆盛が井上馨を「三井の番頭さん」と揶揄した話は、結構有名なのだが、その江戸時代からの大商家三井が、やがて三井財閥となっても、実務責任者は「三井の大番頭」などと称されたように、会社のナンバー2や、組織のナンバー2を例える際に「オオバントウ」と呼ぶことが習慣化していった過程も、容易に想定できる。 さて、官房長官は「内閣の女房役」などとも呼ばれ、内閣の実際を切り盛りするナンバー2の実力が期待される職掌なので、まさに「オオバントウ」以外の何ものでもない。「オオバントウ」の言葉を聞きなれない人は、おっとり刀で辞書を引いて、商人ではないので、番頭さんはおかしい、などと、今知ったばかりの「オオバンガシラ」が正しいなどと主張するかもしれないが、そのような理屈付けをするなら、現在の内閣に大番役など存在しないので、「オオバンガシラ」と呼ぶ方が不都合になってしまう。 残念ながら「オオバンガシラ」には、元々、組織のナンバー2の意味は持たせ難いので(可能性としては軍陣における軍奉行的な役割程度)、「安倍政権のオオバンガシラ」などと言われても、何のことやらわからなくなり(組織の中の1セクションの責任者を意味すると見なせば、むしろ各省庁の大臣すべてが該当する)、例える意味が無くなってしまうのである。 フジテレビの場合、「オオバントウさん」と、「さん」まで付けて注意したキャスター氏は、この言葉を使い慣れていたように思われるのに、それを安易に撤回させてしまうとは、残念なことであった。こうした『電波』により、「オオバントウ」の使い方も知らない人たちが、「オオバンガシラ」が本当なんだ!などと誤解しないように願いたい。 ・・・それにしても、組織のナンバー2の例えとしての「オオバントウ」など、ごくありふれていた言い回しだと思っていたが、今や「オオバンガシラ」同様に死語となりつつあるようだ。国語の変化はなかなかに急ですな。この際、何も知らない若者たちが、「オオバンガシラ~」などと、苔の生えた歴史用語を突発的に使いまくってはやらせてくれたら、それはそれで歴史好きには面白おかしいので、頑張ってもらいたい。
2015年10月05日
コメント(1)
4日 仏壇の位牌が多くなって邪魔なので、どうしてくれようかと思い、まずは様子を確認しようとしたところ、2日にやって来た葬儀屋担当氏から、仏壇の扉は閉めておくように母が言われ、昨日も、葬儀後に自宅に寄っていった姉が、その扉を開いたので、閉めておくように言われたらしいと、私が止めていたのを思い出した。しかし、考えてみれば、なぜそのようなことをするのだろうか?第一、いつまで、そうしていなければならないのだろうか? わからないので、インターネットで調べたところ、神棚の穢(ケガレ)封じを仏壇と混同しているだけで、扉を閉める必要はなく、むしろ成仏するように導いてもらわねばならない本尊を隠しては意味がない、との意見があり、その方が本当に思われた。仏さんが仏さんを忌み嫌ったらおかしいだろう。仏さんに拝んで、死人を仏さんにしてもらいたいのに、その仏さんを隠してどうするの?そこで、扉を全開し、迷える?霊魂を、さっさと娑婆から連れ去ってもらうことにした。6日 A病院で支払いを済ませ、葬儀代金用の資金を銀行から引き出した。それにしても、このA病院の院長先生は、胃ろう手術の説明には熱心だったが、その後は姿を見せなかった。死人には興味がないのだろう。 年金の手続きについて、年金機構に問い合わせ、必要書類を整え始めた。7日 市役所の支所に、健康保険から支給される葬祭費の申請をし、私の住民票と故人の除票を入手した。 葬儀屋さんのヌーボー氏が集金に来たので支払いを済ませた。次の機会があれば、この葬儀屋さんには頼まないことに決めていたが、それは言わないでおく。8日 年金関係の申請に戸籍謄本が必要なので、本籍のある横浜市に行く。引越しの際、面倒だったので本籍を移していなかったのだ。京浜東北線で南下し、東神奈川駅で降り、神奈川区役所で戸籍謄本を入手し、タクシーを捕まえるのが面倒になって、あっちの方だろうと、おそろしく寒い雨天を、徒歩で三ツ沢墓地へ向かった。 横浜の山の上に住んでいた時は、急坂もさほど珍しくなかった。長く住んだ場所は標高50メートルのを超える山頂だったし、この墓地への道にしても、幼少の頃から墓参りの際にいつも歩いていた道なのだが、その坂を登りつつ、「こんな坂を人が登れるものか?」と一瞬戸惑ってしまった(前を小学生たちが軽々と登っていた)。すでに、ハマっ子の感覚ではなくなっているのだな、と満足に思いつつ、登りきってまた下り、まず墓地の管理事務所に行き、墓地の使用権利の承継手続きについて説明を受けた。埋葬許可証と印鑑証明と本印を持参しなかったので、手続きは後日とし、続いて、我が家の墓の様子を確認してから墓園の中の坂を登り、お茶屋さんに行き、墓地所有の名義人が亡くなった旨を伝え、戒名その他を印字した紙を渡し、墓石への彫刻を依頼し、納骨式の日取りについて伝えた。墓石への彫刻については、隣の石材屋さんを呼んで頂いたので、直接伝え、墓参りにご同行いただいて、現況の確認をしていただいた。祖父母や伯父叔母の戒名は、墓石の白御影石に彫刻されているのだが、何が書いてあるのか読めないので、ついでに、すべての戒名その他に白く色を入れてもらうことにした。 墓地での用事を済ませ、別の坂のおそろしく急な階段(横浜市では普通に存在)を下り、三ツ沢上町から地下鉄に乗って横浜駅、そこから東海道線の上野東京ラインに乗って赤羽駅、乗り換えて次の川口駅に戻り、駅そばのビル13階にある、年金の受付へ行き、父の死亡届と母への遺族年金申請などを行った。 以上ハードスケジュールだったが、氷雨の中を順調に事は運び、午後4時前に帰宅できた。9日 石材屋さんより電話が有り、5名の色付けを含め47,000円との事であった。 当日、お経をお願いするお坊さんを手配しなければならないが、ごく内輪の墓前供養のみなので、派遣会社に依頼することにした。お墓は横浜市で、市内の元の住居の近くには、いちおう檀家になっていたお寺さん(臨済宗円覚寺派)もあれば、禅宗なら中学校の旧友が坊主をしている寺(曹洞宗)もある。そもそも、建長寺の横の高校の出身なので、探せば同窓でも先輩後輩でも臨済宗建長寺派のお坊さんは、綺羅星のごとくかもしれないが、葬式に呼ばずに、わざわざ墓前だけお願いするのも失礼だし、お金がないので由緒正しげなお坊さんを探すのは止めた。何であれ、、葬式仏教の破壊坊主に変わりはないと思ってしまうのだ。 いくつか派遣業者が存在しているが、違いはよくわからないので、とりあえず運営会社が明示されているところに、メールで依頼した。折返し電話連絡があったので、詳細につき説明をした。他の先祖たちの位牌の移動も同時にお願いした(先祖の位牌を移すのも含め45,000円)。11日 お坊さんの派遣会社から、依頼を受けていただく僧侶が決まった旨、電話連絡があった。寺の名称を言っていたので、調べてはみたが、どこなのかわからなかった。葬式の際のお坊さんもそうだが、法事などを請け負って派遣する『寺』、つまり寺を持たない坊さんの吹き溜めみたいなものが、かなり存在している気配を感じた。それを批判する人も多いだろうが、仏事の執行人としては、それで良いのではないかと私は思う。 この場合のお布施は、本来、仏法僧の所在するお寺に対する喜捨で、額が多いほどその貢献度が高いとみなされがために、戒名も信士、居士、院名大居士などとランク分けされる理屈のはずで、寺が不分明な僧侶集団なら、その維持費も少なくて済むわけで、必要とする喜捨も少なくなるのが理屈なのだ。 お寺を維持するための喜捨なので、檀家となっている人は、常日頃から檀那とお寺を利用したほうが良いかと思うが、無ければ寺無し僧侶の方が釣り合いが取れていると思った。14日 唐木の本位牌と繰出位牌が届いた。16日 お坊さん派遣会社より、契約書類が届き、その確認の電話があった。24日 横浜の三ツ沢墓地の管理事務所に赴き、諸手続きを済ませた。墓石を確認したところ、まだ手付かずだったので、お茶屋さんや石材屋さんには寄らずに、そのまま帰宅した。5月14日 法要に来ていただくお坊さんより確認の電話があった。17日 10時40分頃、自宅前に予約しておいたタクシー(ハッピータクシー)に乗車して赤羽駅へ行く。それ自体が荷物と言わねばならない足弱な年寄り同伴の上、骨壷や仮位牌、ついでに先祖の位牌3つを持ち歩かねばならないので、一般車両しかない京浜東北線ではなく、湘南新宿ラインか上野東京ラインのグリーン車を使うことにしたのだ。なお骨壷用に、大きな手提げを用意しておいた。 予定通り12時5分頃に横浜駅に到着し、西口からタクシーに乗って三ツ沢墓地へ行く。30分前には着いたのだが、すでにお坊さんも姉一家も到着しており、当たり前のような顔で、お茶屋さんの中で休息していた。 不器用で人の良さそうな40歳手前くらいに思えるお坊さんに、先祖たちの戒名をお伝えし、仮位牌を姉に、個人の小さな写真を姪に押し付け、墓地へ移動してお茶屋さんの担当の人に骨壷を納めていただき、四十九日の法要となった。 私の日頃の行いが良いおかげで、快晴だったが、気温が上がって暑い中、四十九日、本位牌への魂移し、先祖の位牌の魂移し、と法要は進み、小一時間でお茶屋さんに戻った。 お茶屋さんに、埋葬費(3万円)とお花代(5千円)と石材屋さんへの支払いをし、お茶屋さんで世話をしてくれたおばさんと、骨壷を収めてくれたおじさんに、心付け(5千円)を渡し、わざわざ千葉県からやって来たらしいお坊さんにも規定のお布施に心付けを乗せて渡し、ほとんど無一文になったが、納骨室を覆う拝石が経年劣化してボロボロになっており、その交換に5万円と言われて、どこから算段しようか悩むことになった。 少々休息した後、心付けの効果か、ずいぶん愛想の良くなったお茶屋さんのおばさんにタクシーを呼んでもらい、姪が墓に置き忘れた写真を取って戻るとタクシーが来ていたので、東神奈川駅まで乗り、京浜東北線で蕨駅、そこからタクシーで自宅まで帰った。18日 香典返しの手配をした。 今回の葬儀で、準備をしていなかった私が後悔しているのは、葬式のお布施と香典返しだ。寺無し坊主に30万円も喜捨する必要はなかった。同じ派遣でも半分で済んだはず。また、香典返しは、当日3千円以上のものを配ることになったが、あれは過分であった。後で香典返しをするのが煩わしいので、当日返すのだろうが、香典の多寡はそれぞれなので、少ない人には香典以上の返礼となり、多い人には些少な返礼となり、些少な場合は別途考えねばならず、結局、二度手間になってしまうのだ。 現実的な金勘定になってしまうが、香典は最低で3千円が相場のようなので、当日の返礼は1,000~1,500円相当が適当で、額の多い人には、四十九日が過ぎて忌明けとなってから、不足分を挨拶状と一緒に贈るのが、バランスのとれたやり方だったと思う(あの葬儀屋さんにはそういったオプションが無かった)。 挨拶状の文面を、インターネット上にある例文をテキトーにつぎはぎして作り、ギフトの専門店さんにカードに印字して、品物と一緒に送ってもらうようにした。挨拶文は奉書形式が正式らしいが、仰々しいわりには、封筒に印刷物を入れても読まれないほうが普通だと思うので、カード形式にした。謹啓 時下益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます 過日亡父勇次儀永眠に際しましてはご多用中にもかかわらずご会葬を賜り且つは御鄭重なる御厚志を賜り有難く厚お礼申し上げます 葬儀の際は取り込み中にて万事不行届きにて申し訳なく存じております お蔭をもちまして 慧雀勇徳信士 五月十七日に七七日忌の法要を相営みました つきましては供養のしるしに心ばかりの品をお送りいたします 何卒ご受納賜りたくお願い申し上げます 早速拝眉の上御礼申し上げるのが本意でございますが書中を以て失礼乍ら謹んで御挨拶申し上げます 敬具 平成二十七年五月 【私の氏名】 23日 香典返しは順調に届いているようだ。お疲れさまであった。
2015年05月24日
コメント(2)
2015年4月1日 精進落としの料理について、打ち合わせのため、担当の方がお越しになった。平日の昼間なので、参列者は少ないと思い、食膳は10で足りると考えていたのだが、その後、姻戚(母の親戚)がかなり参列するのが明瞭となったので、20膳に増やし、万一足りない可能性と、子ども対策で、箱膳以外に、おにぎりと唐揚げを頼んでおいた。2日 自宅に骨壷を置く台を設置するため、葬儀屋さんがやって来た。先方の都合で、担当がヌーボー氏からS氏に替わったとのことだった。正直ほっとする。何だか、暗いオーラが漂っていて苦手だったのだ。3日 やたら暖かく強風の吹き、桜が乱れ散る中、葬式。午前11時半の集合、葬儀は1時間後の12時半からであった。 喪主などしたことがないので、何やらさっぱりわからないが、とにかくそれらしく静かにしていた。既にお棺に納まっている遺体は、口もしっかり閉じ、3日前よりも血の気が引いて遺体らしくなって、何とも安らかな顔つきであった。悩む知能がないと言うのは、実に幸せだと、しみじみ思った。 遺影は、ずいぶんとデジタル処理をされ、コントラストくっきりの姿となっていたが、特に問題なし。式の前にお経を読む臨済宗のお坊さんから別室にて戒名の説明を受けたが、これが当人にはもったいないくらいのものであった。『慧雀勇徳信士』と、いかにも禅宗風味のものだが、先日お坊さんから電話を頂いた母が、本人について、麻雀が好きで、クラブを作って、結構みんなに慕われていたようなことを説明したらしいので、『雀』と『徳』はそこから来ているのだろう。「テメーが麻雀やりたかっただけで、徳などねーだろ」と私は強く思ったのだが、後の祭りで仕方がない。あの人物に、勇気と言えるものがあったか甚だ疑問だが、名前に『勇』の字があるので、これもどうしようもない。しかし、最初の『慧』はないだろう?『慧』は慧眼(けいがん)の慧で、「気がきいて賢い」意味で、仏教的には悟りに到達する智慧(知恵)を指す語句だ。気が利かず鈍い人格には、まったくそぐわないのである。おそらく、このお坊さんが必ず使用する一字なのかもしれないが、結果、戒名だけは、慧眼にして勇気と徳を備えた人物となってしまうのだから、困ったものだ。 さて、公民館で行う同好団体の健康麻雀クラブの旧会員から新会員、全員集合してしまったらしく、参列者は想定外の数にのぼり、返礼を20しか用意していなかったので、足りなくなってしまった。この葬儀屋さんは、当日の香典返しを当然としているらしく、最低が2,200円のお茶、次が3,000円以上の品となっており、そこから選ばされてしまった。香典返しのお茶は「使えない」が私の固定観念なので、ふりかけだかなんだかのセットにしたのだが、3,000円以上するのだ。したがって、半返しが通例である以上、「香典5千円未満の方はご辞退くださ~い!!」と拡声器で叫びたかったのだが、そうもいかなかった。 この健康麻雀クラブと言うのは、送られ人の亡父が、家でウロウロして邪魔なので、私がここへ行ってああしろこうしろと、いちいち指示し、自分でやった方がよほど簡単な手続きを、父にやらせて創設されたものだ。道具などを買い与えたのもほぼ100パーセント私だが、名目上の創設者は父であり、その遊び場で塩辛いものや甘いものを食べながら、後進の指導をしつつ、生きがいにしていたのも父だ。つまり、川口市の公民館のクラブ活動に存在しなかった、ボケ防止の健康麻雀というものを、根付かせる端緒を作ったのだから、他人からは褒めてもらって良いかと思う。・・・唯一誇れることではなかろうか? 結果、わずか2年ほどだったが、中には「先生」と呼ぶ教え子があり、そうした人たちに見送られるのだから、ずいぶん幸せ者と言えるだろう。 臨済宗の引導の渡し方、つまり葬式の際のお経を、最初から最後まで聞くのは初めてだったが、やたら急か急かして粗忽な身のこなしをする老年に入っているお坊さんのそれは、なかなかに珍妙であった。準備段階から、式台の突起を気にしたり、バチの位置やらを気にしてちょこちょこ変えていて、その動作がいちいちせかせかと慌ただしい。自分の良しとする位置にしても、振り返る際に払った裾でひっちゃかめっちゃかにしてしまう感じである。「いるな、こんな人」と思いつつ、読経を聞いていたが、妙鉢(みょうはち)というシンバルような打楽器や木魚を叩くものの、余韻をせかせか早々に止めてしまうので、妙な間ができてしまうし、払子(ほっす)など、見た目のまま馬のしっぽが虻を払うような感じでうるさげに振るものだから、何とも落ち着かない。そんな調子はずれの挙句に、どこかにぶつけて長い線香を折ってしまい、式中、無言で葬儀屋さんに替え催促する始末だ。「何やってるんだかこの人は・・・」、半ば眠りながら面白がっていたが、最終盤の「カ~~ツッ!」は年季の入った大音声の喝で、参列者の度肝を抜いてくれた(私も禅宗坊主の喝を初めて聞いたが、そろそろ何か来そうな気配を感じて身構えており、驚かなかった)。戒名代込みで30万円の価値があるとするなら、あの一声の喝のみだろう。 この坊さんにお布施を渡さねばならない。30万円とは、葬儀屋のヌーボー氏に指示された額だ。その際、「袋を渡すのでそれに入れて・・・」と言われていたので、黙ってそれを待っていたのだが、いつまでたってもそれが来ない。不思議に思い、火葬場へ移動する際、担当氏に尋ねると、まだお布施を渡していないのが意外だった様子で、「では用意します」との事であった。どうやら、戒名を授与された際に渡すべきものだったらしい。火葬場に着き、遺体を罐に送り込んで、焼き上がる?までの控え室に移動する途上で、お布施用の袋を渡されたので、どこで包めばよろしいのか尋ねると、親戚一同入り込む控えの間しかないと言う。仕方がないので、部屋の隅で袋の中に30万円を入れるのだが、新札ではないためかさ張り、弔事用の水引が収まらず苦戦する。その間、例の坊さんはと言えば、「私はここで帰りますので」などと方々で同じことを繰り返し、最後に私の後ろにピタっと張り付いたらしく、その気配をはっきりと背中に感じさせてくれた。それこそ食い入るばかり、ジリジリと近づかんばかりの気配だったが、振り向いて「おあずけ!!」とも言えないので、水引と格闘する。ようやく整えて振り返り、お礼を交えて手渡すと、初めてではないかと思える笑顔で四十九日がどうのと一言二言した後、パッと金封をたもとに仕舞いこんで飛ぶように去っていった。 なお、後ほどこのお坊さんが所属するというお寺を調べてみたところ、各宗派の派遣請負をしている組織だった。こうしたところで、葬式だけでお布施30万円は多かったのではないかと思う。 小一時間で、焼き上がり?の表示となったので、罐(かま)の前に行き、ホカホカこんがりのお骨とご対面となった。祖母(父の母)の骨は、小柄な体型に似ず頑丈そうで、体の形のまま骨が残っていて、幼かった姪を怖がらせたが、父の骨は罐出し段階から粉々の様相であった。つまり、骨が弱くなっていたものと思われ、これは約2ヶ月のマヒ状態の結果より、それ以前に運動不足を起因とする軟化が進んでいたものと思われた。そのようなことを考えつつ、テキトーに骨を拾い、骨壷に納め、マイクロバスに乗って葬式場へ戻り、精進落としの会食となった。喪主の挨拶をするように、葬儀屋の担当氏に言われたので、真面目に話そうと思ったが、見渡せば、正月に見た親戚ばかりなので、途中で馬鹿らしくなって、さっさと切り上げた。 17時、解散の時間となったので、骨壷を抱えて親戚の自動車で自宅に戻り、安置した。しばらくして香典の確認をすると、2万円を1万円と誤って記載したものがあった。間違っているのは、I家のもの、つまり姉一家のものだ。これにはいろいろ思い当たるものがあった。この日、受付と香典の計算をしてくれたのは、母方の従姉弟だったが、この仲の良い姉弟にしてみると、私の姉、つまり故人の娘にしては、2万円は少なく感じられたに相違なく、記載の誤りとなったのだろう。そう言えば、いつもは必要以上に騒々しい従妹が、火葬の控え室で割合おとなしかった。言いたいことがあったが、当人(姉)に言えないので鬱積したものがあったのかもしれない。 しかし、この場合、多寡よりも2万円という半端な数字なのが、姉というアスペルガーを自称する人物を鮮明に表している。端的に言えば、「あのバカは、娘なのに5万円の予算を組んだだけか」になってしまうのだ。何しろ、頼みもしないのに、祭壇の両脇に『I家』と書かれた花かごがあり、それは私が喪主名で飾るのを無用としたものだが、一対で3万円余なのだ(伯父や叔母たちが『親類一同』として一対献花してくれている)。つまり、予算5万円のうち、3万円で花を飾ってやったから、残りは2万円、しかも、日本酒の一升瓶と線香まで買って持ってきたので、当人としては、予算オーバーして義務を果たした気分なのである。 自分が故人の娘で、それも長女で、両親は弟の家で面倒を見てもらっていて、故人には遺産など無いことや、旦那や娘ふたりを同伴した4人連れだといった事実をわきまえる常識があれば、二人姉弟で本来なら葬儀費用の半分は負担しなければならない立場の自覚があれば、献花分を差し引いて2万円の香典、などと算段するだけでも奇妙なのだが、2、30代とまだ若かったり、兄弟姉妹が多かったり、親が資産家で長男なり遺産を多く受け継ぐ者が喪主だった場合にだけ許されるような無責任思考を、平然とやってのけるから、やはり病的なのだろう。 そのアスペルさんは、この日も葬式に来るなり、一升瓶を祭壇に置けとかワンパック日本酒をお棺に入れろとか、自分勝手に思い描いたことを実践しようとして、私にたしなめられ(「自分で葬儀屋さんに言ってみれば?」でおしまいである)、葬儀場の喪主に対して包装箱を突き出し、お線香だと、いかにも自分が礼儀にかなった行いをしていると満足げだったが、それこそいちいち不愉快だった。線香など家にいくらもあるし葬儀屋さんも置いていくしで有り余っているわけだが、そもそも、葬儀場で手渡す馬鹿がいるだろうか? 姉だと思うと腹が立つので、網走とか読谷村とか遠くに住んでいる親戚と考えると、気分が楽だ(そうだろうと思っていたが、その後、四十九日まで一度も線香をあげに来なかった)。
2015年05月24日
コメント(0)
2015年3月30日 正午すぎ、市役所より、介護認定の件で電話が有り、認定調査を4月8日に行うこととなった。 午後6時前、A病院より電話が有り、父の容態が急変し危篤状態とのことであった。数時間前に母が面会した折には、酸素マスクをしているものの、それなりに反応を示して調子は良さそうだったらしいが、心筋梗塞なり心臓ブロックなり、今度は循環器の方に問題が生じたのかもしれない。 ともあれ、タクシーを呼び、母を連れて病院へ行く。遅々としたタクシーに苛立ちつつも、6時30分前に到着。元の病室にはいなかったので、一階下の看護師詰所で移動先を訪ね、そちらへ行く。病室には誰もおらず、ベッドに父がいたが、心電図は平らで『0』が表示されていた。 しばらくして看護師さんが来て説明をしていたが、電話をしてからも息が浅くなり続け、10分すぎ頃には亡くなったらしい。さらにしばらくして、若いお医者さんが来て、聴診器を胸に当て、瞳孔にライトを当てる、一連のセレモニーの後、それが終わった時刻を死亡時刻のように告げて去っていった。・・・形式とは言え、意味のないことをするものだと思った。 この後、葬儀屋さんを自分で呼ぶように言われたが、当然、そのような用意はしていない。私は、介護認定や養護老人ホームや生き続ける事態に備えた準備をしており、死後の準備は手付かずだったのだ。ともあれ、看護師さんたちが遺体のお清め作業をするので、待合に移動し、姉や親戚に電話連絡をはじめた。また、母が、最寄りの葬儀屋さんの会員という名の囲い込みをされていたはずなので、その電話番号を看護師さんに調べて頂いて(電話帳もないと言うのだ・・・)、そちらに連絡し、葬儀屋さんの式場へ遺体を搬送することにして、しばらくその到着を待った。 7時45分頃、葬儀屋さんが来たので、遺体とともに葬儀屋さんの式場へ移り、その半ば駐車場のようなところで、今後の打ち合わせを行った。遺体など燃やして燃え残りの遺灰を墓の下に納めるだけのことだが、燃やすにしても火葬場の順番があり、それが決まれば葬式があり・・・、葬式仏教の破戒坊主に戒名を考えさせて、お経を読ませねばならず、その他もろもろ大変なのだ。 宗派は何かと尋ねられたので、引っ越す前は臨済宗と余計な言い方をしてしまうと、なぜか天台宗を勧めてきた。「天台宗はいろいろな宗派の元ですから、特に宗派のない方にはお勧めしてます」だそうな。しかし、天台宗系と言えるのは、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗くらいだろう。それも宗祖が比叡山で修行しただけで、むしろ対立は根深いとも言える。特に日蓮宗は、「一緒にすんな!」ではなかろうか? ともあれ、仏壇にお釈迦様の木造があるので、今度は「臨済宗」とだけ言った。通夜は面倒なので葬式だけの一日葬とし、「オプション」はことごとく却下する。例えば、湯灌。火葬場の都合で4日間ドライアイス漬けになるので、今さら丁寧にしても仕方があるまい。冷やしたり温めたり、冷静に考えれば奇妙なことになるだけのように思う。また、棺桶で首だけ出している状況になるはずなので、白装束にしても無意味だ。それに、祭壇サイドの供花など祭壇に花はたくさんあるのだから、いらないだろう。そもそも、『喪主様』がそのようなことをする方が奇妙に思える。そして、「お棺の中に入れるものですが・・・」と説明を始めたので、「麻雀パイ入れてもいいですか?」と間髪を入れずに尋ねたら、案外にも難色を示した。火葬場の罐(かま)が痛むと言うのだ。しかし、麻雀パイなどは親指大のプラスチック製品1個である。そんなもので、どのような影響があると思っているのだろうか? この、ヌボ~と薄暗い顔をした葬儀屋氏は、湯灌の話の際に映画『おくりびと』を例に出していたが、物静かに丁寧なのと、薄暗く陰気なのは、まるで違うことが理解できていない様子であった。この際、「石油製品じゃねえか、そんなもん燃えるだけだ。すこしなら影も形も残らねえよ!残るくらいなら生焼けだ!!んな細かいことを言う『オンボヤキ』なんているか!!!」という意味のことを、少しだけやわらかく表現して、麻雀パイ1個を(こっそり)副葬することをを許された。当然ながら、麻雀パイ云々など、私はどうでも良いのだが、病室で、母が「死んだらお棺に麻雀パイを入れてやるから」と病人に言っているのを、傍で聞いているので、言わねばならなかったのだ。 午後10時頃まで打ち合わせは続き(途中、私は家に帰って必要書類を持って自転車で戻ってきている【往復で約15分】)、母をヨタヨタ歩かせつつ、30分ほどで帰宅した。31日 午後、病院へ行き、死亡診断書を受け取った。直接の死因は脳梗塞で、4日間の加療となっていた。請求書が出来ていないので、支払いは後日として帰宅。様子を見に来てくれた叔母に挨拶をして、今度は葬儀屋さんへ行く。 電話をしてから、駐車場の続き部屋の中に入ると、昨日と同じ位置に父の遺体があったが、一べつをくれただけで背を向けたところ、「お線香を?」と薄暗いヌーボー氏に言われたので、仕方なく線香をあげて拝んだ。そして、「・・・何で、死んでいるのに元気そうなんだコイツは!」と心中驚いた。ドライアイス漬けで一昼夜経過しようとしていたが、頬に赤みが残っており、入れ歯を取っているため口元は凹んで間抜けてはいるが、たんに寝ている姿以外の何ものでもなかった。やはり遺体と言ったら、血の気が引いて生気のないろう細工のようになって、品良くちんまりするのが本当だが、何ともしぶといものだ。霊魂があるなら、まるで何も悟らず、そこらをウロついているに相違あるまい。 ともあれ、死亡診断書を渡し、必要事項を記載し、手続きの代行の際に必要な印鑑を渡し、遺影に使用する画像の入ったDVDを渡し、遺影の背景を選び(背景が4パターン変化すると言う・・・)、『預かり金』十数万円を渡した。 入れ替わりで、母と叔母が線香をあげに行ったが、感想は「元気そう」であった。奇妙なものである。
2015年05月24日
コメント(0)
20日 母と病院へ行く。母はバスで先行し、私は仕事が終わり次第、自転車で向かい、病院前ではち合わせたので、一緒に病院の中に入った。2階の看護師詰所に来意を告げて病室で待つ。経鼻チューブで栄養摂取中の病人には、来週、手術してその邪魔なチューブが無くなる旨、いちおう伝えたが、自分の知りたいこと以外耳に入らない身勝手な態度なので、理解できているかは甚だ怪しかった。 体調は良いらしく、座る姿勢を取らせるなどのリハビリも行われるようになっているようだ。母の話では、車椅子に座れるようにするのが目標らしく、リハビリ中は、しっかりと返事もするそうだ。 詰所で院長から説明を受ける。万一問題が生じて、見事に往生してくれたら、むしろ感謝したくなるくらいなので、ドテッ腹に穴を開けるくらい勝手にやれ、と言いたかったが、社会通念上本音は言えないので、神妙に返事を繰り返し、同意書にサインした。次いで、相談員(ソーシャルワーカー)のY氏より、介護保険や特別養護老人ホームについて説明を受けた。すでに、独自に調べてはいたが、どういったタイミングで行動を始めて良いのかわからない。とりあえず、紹介された施設内に、川口市の地域包括支援センターがあるので、そちらに相談へ行くことにした。23日 午後、地域包括支援センターへ行く。それは特別養護老人ホームの一画に有り(正面玄関から段差もないので普通に土足で入っていったら、注意された。履き替えようと自動ドアの前に行っても開かないので不思議に思っていたら、ドアの右上を押すようにアドバイスを受けた。入所する老人たちの徘徊対策なのだろう)、ジャージ姿の社会福祉士さんが応対された。 様子伺いのつもりだったが、介護認定を申請する書類は、すでに市のホームページからダウンロードし、だいたいは記載しておいたので、介護保険証とともに、それを提出した。社会福祉士のさんには、親身に話を聞いて頂いたが、もちろん、倒れていた時にキューキューシャでなくレーキューシャを呼ぶべきだった、などと本音は言えないので、密かに困惑させられもした。 ところで、いつまで療養生活という名の臨終までのカウントダウンが続くのかわからないので、その生活は自分自身の経済力に従って成されねばならない。父の場合は、年金月10万円未満でやりくりしなければならない。完全な寝たきり状態の現状で、自宅介護はまず不可能となると、病院を転々とするか、特別養護老人ホームに入所しなければならず、養護老人ホームの場合は医療機関ではないので、栄養摂取や服薬が比較的に容易な胃ろうの造設が、現実問題として必要となってくる。 地域内にせよ外にせよ、病院間で連絡が密で、何らかのシステム化がなされていれば、転院を続けるのも有り得るが、病院ごとに受け入れ体制が異なり、いちいち面談で説明を受け、介護タクシーを呼んで連れ込むような煩雑さでは、容易ではない。むしろ、家族を無責任に追い込みかねない。つまり、病院に任せきりにして、受け入れ先も探さず、入院費用だけ払う、といった態度に駆り立ててしまうように思われた。 養護老人ホームについては、現在、3種類有り、多床室<従来型個室<ユニット式個室と、右へ行くほど利用料が高くなる。国、わけてもいつも間抜けな厚生労働省は、ユニット式を推奨しているらしく、最近はその方式ばかりが新設されているようだ。このユニット式とは、起居がそれなりに可能な年寄りを個室に住まわせ、それを十人程度のユニットとして、共同生活的なコミュニケーションを保ちつつ介護するシステムで、つまりは、認知症の重篤化を防ぐことを主眼としており、身体的な重篤状態の介護では意味をなさない。 厚生労働省の官僚たちは、もちろん個々には真面目で誠実な人が多いはずだが、組織が大きく個々が目先の課題に追われると、得てして全体の整合性を欠き、現実乖離した方向に施策を進めてしまい、結果「薄らバカ」となってしまう。老人介護についても同様で、一方で比較的軽度な介護、それも認知症をターゲットとしたユニット式の施設を増やしながら、一方で、介護度の低い年寄りの自宅での介護を推奨し、自宅介護を援助する方向で「点数」などをいじっているのだから、軽度な認知症対策に限れば、自宅で介護できないケースのみを特養で拾う、といった制度設計と言えよう。ところが実際は、起居の出来ない寝たきりの年寄りが増加し、自宅介護をすれば家族が疲労困憊し、施設では無駄なユニット方式で不必要な出費を求められることになり、結果、重度の被介護者を優先するため、本来の軽度の年寄りを受け入れる余地がなくなって、何百人待ちで、数年経っても入所できない、といった事態に陥っている。これは、やはり、「薄らバカ」と言う他ないと、私は思う。 父の場合は、ベッドだけの生活で自分で食べることも出来ず、多少良くなっても、おそらくは、車椅子に乗せて移動できる程度が関の山で、いくつも爆弾を抱えているので、特養に入所したところで、入退院を繰り返す可能性もありそうだ。こうした状態では、ユニットケアなど無意味だ。そもそも個室などにしたら、何も刺激がなく、むしろ苦痛の度を増すばかりにもなりかねない。重病人には、プライバシーの何のと言えるだけの余裕も無いではないか?経済的にも必要性でも多床が望まれ、病院を転々とするのは剣呑にすぎる以上、多床の特養を探さねばならず、厚生労働省の薄らバカのせいで、ユニットタイプが大勢の中、選択肢は絞られてしまっているのだ。 しかも、日本全国どこでも良ければまだしも、健常者の3~4倍時間がかかる年寄りの妻(私の母)が、面会に行ける場所が望ましい・・・。となれば、調べた結果、それでもいくつか候補があった。さらに事前に調べることにした。25日 入院費の支払いもあるはずなので、自転車で病院へ行った。病人はいびきをかいて眠っており、起きそうになかったが、引き出しに請求書があったので、それを持って窓口に行き、支払いを済ませた。さらに、相談員のY氏に、一昨日預かっていた介護認定の際の主治医意見書の書類一式を渡した。27日 A病院の看護師さんから電話が有り、眠った状態が続き、検査したところ、脳梗塞が起きているとのことであった。もともと、心筋梗塞対策で血をかたまりにくくする薬を処方されていて、そのため逆に脳出血を起こし、そうした薬を止めざるを得ないので、今度は血が固まりやすくなって梗塞の危険性が増大する、との説明は、初期の段階で受けていたが、それが現実のものになったようだ。 再度、看護師さんから電話が有り、病室が移動になった旨と、サイドテーブル内にお見舞いと書かれた封筒が有り、病院では管理できないので、早々に確認をお願いしたいとのことなので、明日うかがう旨返答した。28日 4階の病室へ行き様子を見ると、昏睡状態ではなく、左目は開き見えている気配であった。少々むくみ、ゴーゴー喉を鳴らし、熱でもあるのか、脇の下に氷のうを挟んでいた。顔はずいぶんと小さくなり、薄気味悪いくらいに、祖母、つまり病人の母に似た顔になっていた。 聞こえているのかわからないが、今度は脳梗塞が起きている旨、伝えておく。頑張って欲しくはないので、「頑張れ!」とは言えず、さりとて、「死んでしまえ!」と言っても、当人はどうしようもないだろうから、言っても仕方がない。ともあれ、サイドテーブルの中の封筒を見ると、健康麻雀クラブの会員らしき二人の署名があったので、それを病人に見せた。目頭に涙があるようだが、さて、意味があるのか、たんなる生理現象だったのか・・・。 多少の同情はするが、基本的には自業自得だ。することもないので、ポンポンと体をたたいて、サイドボードに貼られていた、3階のナースステーションに来るように書かれたメモをはがして、そちらへ向かった。ナースステーション、・・・やはり看護師さん詰所がしっくりするそこに顔を出し、貼られていたメモをかざしたが、要件はお見舞いの封筒の件のみであった。しっかり頂きました、と報告して帰途についた。
2015年05月24日
コメント(0)
2015年3月4日 自転車でA病院に行く。周辺を確認しつつ、約束の20分前には到着し、この病院のソーシャルワーカーY氏から入院した場合の説明を受けた(Y氏は女性で真面目そうな方であった)。その後、医療面や介護システムに関する話を、院長先生からお伺いした(院長は男性で高校のベテラン理科教師風であった)。内容は予想の範囲内だが、特に悪印象は持たなかった。受け入れ可能か否かは、現在入院中の病院へ連絡するとの由で、こちらで出来ることはなかった。 一旦帰宅して、続いてK病院へ自転車で向かった。約束の20分前に受付に申し出て、しばらく、待合で眠っていると、呼び出しがあり、看護師長のM氏との面談となった(M氏は年かさの女性で痩せた気風の良い面倒見の良さそうな印象であった)。親切に病室の案内もしていただいたが、この病院はそもそも病室数が少なく、通常の4人部屋が存在しなかった(人工呼吸器患者用一室有り)。つまり、差額ベッド代が必要で、3人部屋でも1日2000円、月に6万円ほどが必要となってしまうとのことであった。 自分で好き好んで長期入院するわけではなく、その家族に責任があるわけでもない。ただでさえ、時間に追われている社会人を、昼日中に、受け入れ先を求めてわざわざ面談させ、しかも前提条件に合わないところに赴かせてどうするのだろう?病人の相手をしているうちに頭が風邪でもひいてるのではないかと思えた。5日 ソーシャルワーカーS氏より電話があったので、K病院には3人部屋しかなかったこと、A病院は担当医に連絡するとのことを伝えると、すでに受け入れ可の連絡が有ったとのことであった。断る理由はないので、転院先はA病院として、話を進めてもらうことにした。 その後、再度連絡があり、来週の平日のいずれかで、午前10時にA病院へ搬送予定とのことで、9時に準備と付き添いのため、家族に来院してもらいたい、とのことであった。6日 転院については、いちおう本人にも伝えておかないと、突然ガタガタ移動しては驚くだろうと考え、補聴器と地図を持って病院へ行った。しかし、左耳の後ろに栄養注入の管があったので、イヤホンをつけられず、また、左目は透明テープで止めてあり、めくってみたが開かないようだった。仕方がないので、ひととおり口頭で説明した。「容態が安定したので、数日後に他の病院へ移る予定。移る先の病院は、M図書館の方向にある。地図ではM図書館がここで、病院はここ・・・」 おそらく、本人も楽しい妄想の果てに死ぬ予定だったのに、意識が有り続けるので、数日前から説明を受けたいと思っていたに相違ない。昨日面会した母が看護師さんに聞いたところでは、目をテープで止めるのは、開けても閉じられず目が乾いてしまうためらしいのだが、話を聞くと、右手をやたら動かすようになったと言うのだ。それこそ、説明を聞きたくてウズウズしていたのだろうが、目が見えないと理解は難しかったのではなかろうか。残念なところだ。9日 正午近く、ソーシャルワーカーS氏より、転院は明日予定との電話連絡有り。今日明日の話に、選択の余地があるとも思えないので、その時間帯は甚だ不都合だが、結局、私が行くことにした。午後6時近くに再度電話があり、介護タクシーを手配した旨と、費用が8,500~9,000円必要だが良いか、との事であった。良くないと言えばどうにかなるのか、尋ねてみたくなったが、「そうですか」としか言わなかった。10日 午前9時の少し前に、自転車で病院へ。6階のナースステーションに転院の旨を伝え、退院時の精算の案内を受けた。精算のため1階に降り、自動支払機を見ると診察券が必要とあったので、病室に戻り、看護師さんに探してもらい、無事精算。再び病室に戻ると、昨日、いらないものを出来るだけ持ってきておくよう母に言ったはずだが、タオルやら何やらいらないものが全て残っていたので、それやこれやを手提げカバンやビニール袋にギューギューと押し込んだ。しばらくして現れた介護タクシーの運転手さんと看護師さんたちによりストレッチャーの上に「梱包」された病人ともどもに正面玄関に降り、介護タクシーに乗ってA病院に向かう。それにしても、病人の搬送として、このような自由放題な感じで良いのだろうか?病院とは、ずいぶん無責任なものだと思えた。 10時前には着き、必要書類に署名などをし、タクシーの精算をし、診察の終わるのを待ったが、なかなか終わらず、その後2階に移動し、必要とされたのは電気ヒゲ剃りのみなので(身の回りの品はレンタル)、それを渡し、いつまでかかるのかと、このごちゃごちゃした町病院の手術室前のベンチで途方に暮れていたら(看護師さんの詰所の前が手術室)、例の院長先生がやって来て、話に聞いたより状態が良好で、「胃ろう」が可能かもしれず、その場合、特養でも受け入れ可能になる、と仰った。 その際「胃ろう」についても説明を受けたが、それが胃に直接管を通すことだというくらいは知っていた。延命処置となるため、是非が問題になっているはずだが、それにより特別老人ホームでも受け入れ可能になるとは、案外な話であった。確かに入院が長期になるなら、そうするより他にないかもしれない。ただ、特養はどこも定員いっぱいで、入所を希望しても入れない待機老人がはなはだ多いとも聞くので、また、大変なんだろうと、不吉な予感を覚えた。我が家の周りは老人ホームだらけで、特養もいくつかあるが、それほど簡単ではないと予想された。 どうなることかと思っているうちに、せまい3人部屋の病室を案内された。確かに父はそこにいたが、意識があるのかないのか微妙で、特に何もすることがない。こちらは種々多忙で時間に追われているので、世話をされている看護師さんに「よろしくお願いしま~す」と言って階段を下りて帰ってしまうことにした。玄関口の事務所(入院受付)に、必要書類と入院保障金(5万円)を提出し、バスで帰宅した(11時45分着)。17日 そろそろ何かしら必要があるような気がしたので、1週間ぶりに自転車で病院へ行く。より頻繁に面会に行く母より、目を開けている旨聞いていたので、また印刷物を作って現状を説明することにした。受付のあたりで、見覚えのある看護師さんだか職員さんだかに遭遇し、サインが欲しい書類があるとのことだったので、その書類が来るのを病室で待った。病人は鼻から栄養摂取中で、顔色は良くなっていた。つまり、誤嚥しにくくなったものと思われた。目が開いていて、何となく説明を求める気配なので、用意してきた印刷物を見せた。 「3月17日(火曜日)某系統バス某公民館前のA病院に転院して1週間」 「塩辛いものを食べたり、間食したり、してはいけないことができないせいか、病状は安定しているらしい」 「医療センターは救命病院なので、長期の入院は不可。→転院が必要この病院は病気療養型で、半年程度は入院できる」 必要としていた情報を得たのか、病人はこのあたりで眠ろうとし始めたが、構わずに続けた。 「今後、お腹に管を通して、胃に直接、栄養や薬を送る「胃ろう」を行う可能性あり。→首に邪魔な管がなくなる」 「→病院以外で扱いやすくなる。→特別養護老人ホームに移れる可能性あり」 完全に眠った。ようするに、なぜ転院しなければならなかったのかだけ、知りたかったのだろう。持ってきてもらった書類にサインし、さっさと帰ったが、帰宅後、病院より連絡があり、来週にも胃ろう手術を行いたいので、その説明のため金曜日午後に来院して欲しいとのことであった。
2015年05月24日
コメント(0)
17日 前日は、母が面会に行ったものの、ずっと眠っていたようだ。今日は、私だけだったが、やはり眠り続けで目を開けることがなかった。左の目頭に涙が溜まっていたようだが、特に意味はなかっただろう。体の大きな担当の看護師さん(ナースマン)より、病状に変化がない旨、簡単に説明を頂いた以外は、特にすることもないので、早々に退散した。 20日 前日、電話で18~19時に担当医より話があると言うので、前回同様にして赴く。立ち話の要件は、容態が悪いなりに安定して、すぐに死んでしまう可能性は低くなったので、転院先を探すため、病院所属のソーシャルワーカーと相談して欲しい、といったものだった(この姿勢では谷原章介似とは言えない。角度限定らしい・・・)。つまり、半植物状態ながら、救急救命の段階では無くなったという、日本の医療制度上、実に厄介な存在になっている、わけだ。 この病院の場合は、救急救命が主任務なので、それ以外の患者は、早々に他に移したいはずで、これが普通の病院でも、長期の入院は保険制度上ポイントにならず、つまり儲からないので、患者は病院を転々とさせられるのが常だと、聞き知っていた。父も、その立場となったわけだが、死んでいないだけの状態で生かされ、あっちこっちにたらい回しにされると言うのも、酷なものだ。人生の終焉も、ままならない。 患者本人は、吸引マスク無しになって、寝息を立てて快適そうに眠っていた。おそらく、ここ数日死ぬつもりでいたのに死なないので、私がデタラメを言ったと、のんきに思っているに相違ない。左目は目やになどの予防か、それとも無意味に開き続けているとみなされ乾燥すると見なされたか、テープで止められてしまっていたので、楽しいことだけ妄想し続けるしかないようだ。23日午後、病院に行き、総合相談室のソーシャルワーカーS氏に転院の相談をする。S氏は女性で少々頭がチグハグそうな印象だったが、それはともかく、いくつか療養型介護が可能な近隣の病院の一覧を提示して頂いたので、私の地理認識では比較的に近く、バスで通いやすそうに思えたK病院を第一、A病院を第二、H病院を第三候補として頂くように伝えた。この3つなら自転車圏内だが、その他となると、少々辛くなってくるように思えたのだ(住所の提示しかないので、脳内の地図で想定していた)。また、バス停から5分ほどなら、普通は十分近いと言えるが、面会に行くはずの母の徒歩スピードは、健常者の1/4~1/3なので、ほとんど目の前がバス停である必要が出てくるのだ。したがって、家で地図をよくよく検討することにした。 その後、いちおう病人の様子を見に行った。病室は一昨日に一般病室に移動となり、入室に看護師さんの許可を得る必要はなくなっていた。容態の方は、一見特に変化はなさそうだが、ただ、寝息がいびきのように変わっているように聞こえた。ソーシャルワーカー氏は、この病院は何ヶ月入院させてくれる、とそれぞれ入院可能期間の長短を気にされていたが、転院まで持つのかすら、少々疑問であった。26日 ソーシャルワーカーS氏より電話連絡が有り、K病院とA病院に連絡し面談を行うように、とのことであった。転院させるのに、わざわざ家族と面談するシステムらしいのだ。よくわからないが、長期入院で無責任に放置されると困るので、事前に家族の様子をチェックし、問題なければベッドの空きを待つリストに登録する、といった感じのように思えた。非効率で愚かなだけ、行政にしろ病院にしろ無能、としか思えないが、駄々をこねても仕方がないので、仰せに従った。 S氏によると、K病院は差額ベッド代が必要になる3人部屋へとの話だったようなので、先にA病院に電話した。ベッドで身動き出来ず、ほぼ意識不明状態では、個室であってもタコ部屋であってもベッドの大きさがあれば同じなので、患者の必要性ではなく、病院側の経営上の必要性で、そういったことになっていると類推された。 A病院では、院長が直々に面談するそうで、時間は平日の午前11時半のみとのことであった。いったい、平日のその時間に気安く出かけられる社会人が、どれほどいるのか不思議で、それを当然のように求めるなど、ずいぶん非常識な者たちだと呆れたが、あいにく自由業なので、多少の時間的融通が可能な立場であった。そこで、面談可能な最短日に設定してもらった。 追い出し側の病院に、経過を報告するように言われていたので、電話したところ、S氏は多忙で電話に出られ無いと言う。それでは、手すきの時間に折り返しお電話をいただけるように伝言をお願いしたら、伝言は受けられないとの返事だったので、少々腹を立てた。『こいつは何だ?電話の交換手なのか?これで代表電話の意味があるのか?』と思いつつ、「そうですか、それでは失礼」と言い終わるか終わらないうちに、ガッチャ~ン!!と叩き切ってやったのである(私はこういったことをしばしばやりたくなるので電話を好まない)。 数時間後、再び電話すると、面談中とのことでやはり電話に出られないと言う。しかし、先のガッチャ~ン!!に驚かされたためか、今度は時間が空き次第折り返し電話するとのことであった。そして、午後6時頃になって、ご多忙なS氏から電話があったので、A病院との面談日を伝えたが、K病院とも面談するように仰る。差額ベッド以外の選択もあるはずだというので、はなはだ面倒ながら、それに従うことにした。27日 K病院に電話をすると、担当者の看護師長氏が田舎のお母さん風の大雑把な感じで話を進め、つまり一方的に日にちと時間を決めて提示された。それがA病院と同日だったので、その旨伝えると、A病院での面談時間から2時間後なので、可能とのことであった。何だかよくわからない面談の掛け持ちとは、考えただけでウンザリしたが、仕方がないので承知した。28日 昨日、母が看護師さんから電動ヒゲ剃りを用意するように言われたとのことだったので、ヨドバシカメラのインターネットで注文し、今日の午前中に届いたそれを持っていった。昨日は目が開いていたそうだが、今日はテープで止められていた。話しかける気はないので、ヒゲ剃りを置いて、大柄な看護師のおばさんに、その旨告げると、院内の購買(1階)でも売られている歯を磨くスポンジを用意して欲しいと言うので、『コイツらそれぞれその場の思いつきで言ってやがるだろう?』と内心思いつつ、さっさと買ってきて置き捨てにして帰った。
2015年05月24日
コメント(0)
2月2日に脳幹出血で緊急搬送されたタヌキ(父)について、行きがかり上記録しました。とりあえず、四十九日の法要及び納骨が済み、香典返しも送り届けて、一連の「非日常」が終わりましたので、その後の経過を、備忘の書き留めから抜き出して編集しておきます。2015年2月 9日、痰を取るためか、右顎下あたりから穿刺されている以外は、土曜日から変わらず。金曜日よりも目が開かず、呼吸音がやや激しいので、衰弱している印象を受けるが、薄目でも見えているらしく、コピー用紙の印字(「 」部分)にも一部で反応を示した。 1枚め「今日は、2月9日(月曜日) 一昨日(土曜)は、面会中熟睡 昨日(日曜)は、雨で休み 一般病室ではないので、面会は家族のみ10分間」 これには、ほぼ反応なし。 2枚め「病名は、脳幹出血(のうかんしゅっけつ)・・・頭の奥のほうの出血 【脳みその略図】」 これにも、ほぼ反応なし。 3枚め「◎糖尿病や高血圧で血管はボロボロ→出血しやすい ◎ワーファリンなどの薬で血がサラサラ → 出血が止まらない →首から下の左半身と頭の右側が麻痺飲み込んだり話したりが難しい」 これを見て、口をモゴモゴ動かしだし、左腕を揺すろうとしていた(肩のあたりは動く)。 4枚め「なるようにしかならないので、静かに寝てなさい!」 動作を止め、静かになった。 本人としては、目も見える耳も聞こえる、声も出せるし体も動く、ダイジョウブだから、家に帰ってコタツで麻雀のテレビゲームしたい、といったところだったかと思う。せっかく、何もせず、食べることも大小便の心配もいらない状態になったのだから、次から次に、哲学的命題や、学問的考察や、人生の節目での行動の反芻や、いっそファンタジーの脳内創作にでも励めば良いものを、と私は思った。 11日、血圧が高いとのことで、治療中であった。高血圧なら脳出血して不思議はなく、まして糖尿病でありながら、血糖の「数値はいい」などと、免罪符を手にしたつもりになり(私はこれを愚かな患者に言った医者は、臨床医として軽率にすぎると思っている)、なぜか漬物などを作っては、麻雀の際につまみ食っていたらしいので、これも必然であり、苦しくても自業自得としか思えなかった。 薄目しか開かず、肌は荒れ、手はむくみ、衰弱した印象で、左手をカバーしていたものも外されていた。もはや拘束の必要もないようで、見えるのかどうかもは怪しいが、いちおう印刷物を見せる。 1枚め「今日は、2月11日(水曜日) 建国記念日で休日 昨日、母は、書道教室 【私の名】は、前川図書館へ行き返却」 2枚め「病名は、脳幹出血(のうかんしゅっけつ)・・・頭の奥のほうの出血 脳幹は、はちゅう類脳ともいって、基本的な身体活動をさせている部分 → 部分的に出血したので一部が麻痺→ 回復にはリハビリが必要 勝手に手を動かすと、暴れてると思われる。お医者さんたちの話を聞いて、それに、しっかり反応するように」 3枚め「ものを考えたりする大脳は、無傷→ 開く左目は見えるし、左耳も聞こえる。 ◎ ゆっくりいろいろ考えて、くたびれたら寝る(素敵な生活)。◎ 片手でも動くようになれば、テレビを見て時間をつぶせる」 4枚め「明日は、【姉の名】と【姪の名】が、見舞いに来る予定。 いびきをかいて熟睡していると、意識不明の重体と思われるので、注意」 あまり本当のことも書けないのだが、嘘も書く気はないので、悩ましいところであった。反応は特になし。 12日、姉が2人の娘と見舞いに来たとのこと。 夜になって、病院より、明日の午後6、7時に担当医より説明をしたい旨、電話連絡有り。 13日 前日、看護師さんより、フェイスタオルとお尻ふきを持ってくるように指示があったそうなので、スーパーでその類を用意し、早く夕飯を済ませ、文鳥の放鳥準備をした上で、午後5時45分、自転車で病院へと向かった。夜間に足弱の母を連れて行く場合は、タクシーとなってしまい、やたら無駄な時間とお金が必要になるので、一人で行く。 タオルなどを病床の横の棚に入れ、病人の様子を見る。左目はしっかり開いているが、見えていないかもしれない。手は一層むくみ、口は何やら音を立てているが、総じて弱々しい。特に印刷物は用意していないので、バイバイ、と観察はさっさと切り上げ、看護師さんに呼び出しを受けている旨を告げ、ナースセンター前のイスに座って目をつむって寝てしまう。 しばらくして、寝ぼけ眼で見上げた先に俳優の谷原章介さんに似た感じのお医者さんがいて、向かいに腰掛け、病状をご説明になった。出血は止まっているものの脳幹部の損傷は進み、両手足が動かせず、呼吸も弱々しい・・・。要するに、いつ心臓が止まってもおかしくない状態、と言うことであった。前回の説明時は、まだ元気がありリハビリの話もしていたので、病院側としては、亡くなる前に、家族に危篤状態を告げる必要性を感じたものと解釈した。 15日 午後3時すぎ、自転車で病院に行く。自分のことなのに、知らされないのも、かえって不安だろうから、この際、あまり気は進まないが、引導を渡してやろうと思い、コピー用紙に印字をして持参した。困った時などに、立ちすくんで、誰かの指示をひたすら待って動かないタイプは多く、この永遠の指示待ちスタンスに対しては、自分で考えて対処しろと言ったところで、どうしようもないのだ。 父の場合は、健康麻雀クラブを創った時も、自分では「麻雀がしたいなぁ・・・」と思うだけなので、まったく興味のない私が(引越し前後の混乱で身も心も疲労の極)、事務的な必要事項を調べてアレコレソレコレと指図しなければならなかったが、そういった経験上、おそらくこの期に及んでも、私からの指示を待っているように思われた。 最近、休日に電設工事をしているらしく、院内は薄暗く工事関係者が所々にいる。病人は何やら吸引中だったためか、起きており、左目がしっかり開いていた。これ幸いと、一層大きく印字したコピー用紙を見せた。 「2月15日(日曜日) 13日に、医者の説明を聞いた」 「脳幹部が損傷して、手足はすべてマヒ呼吸も弱々しい」 「日本の男の平均寿命80歳 【父の名】さんは77歳」 「糖尿病・高血圧なのに、塩分の多いもの、甘いものを食べれば、」 「3歳たらないくらい当たり前だよ」 「せっかくの時間だから、楽しいことだけ考えるといいよ」 文字を目で追っている気配で、何やらもごもご言っている。これは、多少でも自覚したものと判断して、ポンポンポン、と肩をたたき、「難しいことは、考えないように」言い置いて帰った。難しいことを考える頭は、元からまったく無い人物で、およそ哲学から程遠く、食べ物、それも近所の図書館に行った際に、家族に内緒で数皿つまんでくる回転寿司やら、私が希に夕食の際に飲むお酒のおこぼれの味、麻雀クラブで役満であがった程度の妄想で、脳内が幸福な状態になって、フワフワ意識が混濁していけるはずで、そのお手軽さ加減を、少々うらやましくも感じられた。
2015年05月24日
コメント(0)
そういった事件から一夜明けた3日、どうやって病院に行くか母と相談する。私だけなら徒歩20分で、自転車なら7、8分とかからない近距離だが、杖無しに歩行できない母の足では、1時間以上となってしまうのだ。さりとて、毎回タクシーを呼ぶほど裕福ではないので、150円のコミュニティーバス(みんななかまバス)で行くと、母は言うが、やたら遠回りをするので40分以上かかってしまう。母だけが行く際は、それを利用することにし、とりあえず、今日は往きだけ付き合うことに決めていたら、叔母(母の妹)から母に電話があり、ぜひ一緒に行きたいとの申し出であった。また「イベント」化するとくたびれるので、断りたかったが、この叔母は活動的で、自分の目で確認しないと落ち着かないタイプなので、結局、自宅にタクシーを呼んで3人で行くことになった。 病室のある階でエレベーターを降りると、正面に置かれたベッドに父が寝ていて、「グォー、グォー」と音を立てている。どうやら、マット交換のため、ベッドを移すようだ。仕方がないので、看護師さんたちの作業を黙って見ている。しばらくして、病室へ運ばれて行ったので、看護師さんに来訪を告げ、許可を得て入室する。目は閉じたままで、「グォー、グォー」とイビキのような音を発しているので、脳卒中でよく見かける昏睡状態に入っているように見えた。その後、主治医の先生がやって来て、説明を受けたが、そちらはより楽観的な内容で、リハビリの話も出た。昏睡状態でリハビリとはいかがなんものかと思ったのだが、叔母は、もはや臨終へのカウントダウンと受け取り、納得した様子だった。少々釈然としない私は、半身不随で退院する可能性を考え始めた。結局、モノが飲み込めるようになるか、であり、飲み込めるようになり在宅介護ともなれば、おそろしく負担となるのは明らかなのだ。 なお、我々とは行き違いに、姉、その夫、その次女の3名が見舞いに来たようだが、その際の詳しい様子はわからない。 4日、みんななかまバスを使いたがっている母を、その最寄りのバス停まで20分ほど(健常者なら7分くらいの距離)、自転車を押しつつ付き合い、そこから郵便局とコンビニで用事を済ませ、母がバスに乗るのを確認してから家に戻り、自転車を置いて、徒歩で病院へ向かう。それでも、バスより5分以上早く着いてしまった。 病人は、昨日と変わって左目を開けているが、口には酸素吸入のマスクをし、片方の鼻に管も装着されていた。看護師さん(ナースマン)のお話では、呼吸を助けるため、念のため酸素吸入を行っているそうだ。 目の前で手を振ったりすると、視線がそれを追うので、どうやら見えており、盛んに「グォー、グォー」言うので、なにか訴えているように思える。・・・そもそも、自分がどうなっているのかわからないのではないか?もともと難聴だし。と思った私は、次回は文章で説明してやることにした。 5日、雪混じりの雨なので、母は留守番とし、私だけが徒歩で様子を見に行く。同室の患者さんが治療を行っていたので、15分ほど待って入室、相変わらず「グォー、グォー」行っているのに近づき覗き込むが、残念ながら、昨日ほどはっきり目を開けない。薄目は開いているが、見えているのかわからない。 とりあえず、A4コピー紙に印刷してきた1枚め、「2月2日(月曜日) 入院~ 今日は、5日(木曜日) 雪のため、母は留守番」を見せる。理解したかどうかわからないが、2枚目「麻雀クラブは、会員の人に引き継いでおいた 図書館の本は、返しておくので心配無用」を提示する。すると、不思議と「グォー、グォー」が止んだ。続いて「あなたは脳幹出血(のうかんしゅっけつ)・・・頭の真ん中のほうの出血 ◎糖尿病や高血圧で血管はボロボロ→出血しやすい ◎ワーファリンなどの薬で血がサラサラ→ 出血が止まらない」を見せた時には、もはや目を閉じて眠りに入るような気配を示し、私としては一番読ませたい「なるようにしかならないので、静かに寝てなさい!」の4枚目は、スルーされたように感じられた。 意識があってもなくても腹の立つ野郎だ、と思いつつ、目を閉じて「グウ・グウ」と寝ているようなので(この間5分である)、帰ってしまう。これを、どのように判断するか悩ましいが、周囲が考える以上に、この老人にとっては週2回の麻雀クラブが重要で、ほとんど人生の全てであり、その今後だけが心配だったのではなかろうか?もっと心配すべきことは多々あるように思うのだが、そう考えれば、初日のVサインなどは、麻雀パイを握る様子だったと納得できる。 6日、母をやたら遠回りのバスに乗るのを見届け、自転車で家に戻り、一仕事、一眠りしてから自転車で病院に行く。病人は、前日より左目を大きく開いていた。そこで、「2月2日(月曜日) 入院 ~ 今日は、6日(金曜日) ここは、医療センター某階某棟」「麻雀クラブの人たちは、とても心配している。この病室は、家族以外と面会が出来ない」「川中さんがあの世で麻雀牌を持ってまっている。あの世でもこの世でも麻雀はできるだろう」と、大きく印字したコピー用紙を見せる。読んで理解している気配だが、はっきりとした意思表示は無い。母は黙って座っているので、死角で黙っていても意味がないので、声をかけるように促す。麻雀クラブの某さんが、お見舞い金を持ってこられたことを告げると、うなずくように「ウォッ・ウォ」声を漏らし、左手を動かしていた。倒れる前より、クリアに耳が聞こえているようだ。 いちおう面会時間は10分以内とされているので、長居をせずに帰宅。 7日、今一度病状を説明してやろうと、コピー紙に印刷して持っていったが(母はバス・私は自転車)、寝息をたてつつ熟睡しており、少々つついても起きないので、そのまま帰る。 そして、今日は、日曜で雨なので病院には行っていない。 なるようにしかならないので、 気にすることはないかと思う。
2015年02月08日
コメント(0)
タヌキ腹の人物を救急搬送した帰りに、かわいそうなタヌキの姿を見たものなので、余計なことを書いてしまった。せっかくなので、(身内の恥に類するので避けたい気持ちも強いが)、表題の病気の一例として、個人的な経験を記すことにする。 2日、ドアのノックに驚き起床。寝坊したかと慌てたが、時計は3時であった。何事かとドアを開けると、老母が何か言っているので、彼女の寝室へ行くと、老父がベッドの横にへたりこみ、小便の匂いが立ち込めている。その様子は、彼が泥酔した時の態そのもので、老母は、まさにそうした時同様の態度で、悪態をつき小突いている。しかし、一緒に夕飯を食べ、就寝のために2階に行くのも見ているが、酒は飲んでおらず、そもそも泥酔できるほどのアルコールを買う持ち合わせはないはずだ。となれば、ろれつが回らないこれは、脳梗塞などの脳卒中に相違あるまい。 いろいろ試すが、左半身が動かず、腰も抜けたような状態で、いよいよそれと確信し、さっと着替えて119番で救急車を呼ぶ。救急隊もいろいろ試した後に搬送、老母を家に置き、同乗するが、搬送先が見つからないらしくしばらく待ち、結局、父が糖尿病その他で通院している川口市医療センターに行く。 インフルエンザの熱症状らしき子どもたちが急患で訪れる横で待つ。しばらくして、断層写真を見ながらお医者さんの説明を受ける。脳の中枢部に出血が見られると言う。つまり脳幹部の出血だが、さほど大規模には生じていないようで、詳しくは、脳外科の専門医の診断を待つとのことであった。 遠くで、頭が痛いの何のと騒ぎながら救急処置が続けられている中、私は出かけねばならなかったので、4時半頃、自宅の母に交代準備を促し、タクシーを迎えにやって、5時頃交代して家に戻る。用事を済ませて9時過ぎに家に戻ると、すでに母は帰ってきていて、詳しいことは14時以降となるとのことであった。 15時過ぎに母を伴い病院へ行き、入院の手続き後に病室へ行くが、父は大きく顔をふくらませて別人のようになっていた。しかし、目は見えているようで、こちらを見て何か訴えるのだが、あいにく、まったくわからない。動く左腕を盛んに上下させたり、指をVサインにしてみたりするのだが、意図があるのかも不明だ。何しろこの人物は、6、7年前に心筋梗塞で入院した際、脳には異常がないのに、やたらと腕を動かして拘束されているのだ。たんに、わがまま勝手な行動の可能性も大きいのだ。 診ていただいていた脳外科の先生から、説明を受ける。数時間で出血がわずかに進み、症状が悪化してしまっている。すでに意識不明になっておかしくない状態で、48時間がいわゆる「ヤマ」で、さらに出血が止まっても、出血の場所から考えて、物を飲み込むことが出来ず、点滴に頼ることになるだろう云々。また、ワーファリンなど血液を「サラサラにする」薬を服用しているので、出血しやすく止血しにくいので、この薬の効果を止める薬を与えているため、逆に梗塞が起きやすくなり、糖尿病などの危険因子も多く、平均寿命に近い年齢でもあり(満77歳)、死のリスクが多分にある、といったことであった。 私は、これを、48時間以内に脳出血で死ぬか、助かっても回復はせずに、点滴で栄養を摂取しつつ衰弱死を待つばかり、と受け取った。ものが食べられず、点滴生活となれば、基本的に在宅介護は無理だろう。いずれにせよ、病院で痛い思いをなるべくせず、さっさと意識混濁を起こして安らかに死ぬが良い、と思い、本人にもしっかり伝えてやりたかったのだが、同室の患者もいるので控えた。意識があれば、いろいろ不満もあろうから、意識不明になったほうが良いかと思うのだ。 結果を、横浜の姉に連絡する。病院に来る前に、大まかに説明しようと思ったのだが、あいにく留守電だったので、お医者さんの説明を聞いてから詳細を連絡しようと判断したのだ。ところで、この姉とのコミュニケーションは、とても難しい。本人によれば、専門医からアスペルガー症の診断を受けており、ようするに他人に対する配慮に欠け、自分の主張を繰り広げる人間なのである。『親しき仲にも礼儀あり』といった一般常識が理解出来ず、あまり頭の回転が早くない両親に対しては、自分なりの『賢さ』の基準で下の存在と見なして、自分の意見を一方的に押し付けるながら、おそらくその個人的基準による『賢さ』では勝てないらしい私に対しては、「私はお姉ちゃんだから上」、といった、ほぼ無意味な価値観を押し付けようとする(弟を下とするなら、親は当然上としなければなるまい?)。姉なら姉らしい行動をしてくれたら、こちらも尊重するのだが、そういった行動は、現在までほぼ皆無である。 例えば、2、3年前の引越しの際は、両親の荷造りさえ、一切、手伝わなかった。徒歩10分の距離に住んでおり、年金生活者に小遣い銭をたかるような場合は足繁くやってくるのに、である。もちろん、彼女は子どもの頃から、自室を片付けることを知らず、引越しの際の荷造りなど遅々として進まない人間であり、当然そのしわ寄せは弟である私がかぶってきているので、新居への転居にあたっても、何の期待もしていなかった。しかし、前々から頼んでおいた引越し当日に、未成年の娘(次女)を残して、仕事を理由に途中で帰ると、当日言ってのけられた際は、さすがに呆れた。両親に付き添わねばならなかった弟が、翌々日引越し元の家に帰って、玄関も窓も全開なのに驚きつつ、掃除など一切していない旧宅を、一所懸命掃除をしても、別に気が咎めることもないのだから、幸せな感覚の持ち主といえよう。 6、7年前、父親が心筋梗塞で入院した際にしても、普段は嫌ってまともに会話もしないくせに、「私のたった一人の父親!」と、鼻をふくらませて病院にやってきて、どうでも良い能書きを垂れていたような気がする。この際は、死のリスクがほぼ無かったので、私が病院に行ったのは最初だけだったのだが、その間隙をつくように、姉はしげしげ病院に通っていたらしく、結果どうなったかと言えば、私の関知しないところで、母から祖母(父の母)が亡くなった際に、積み立てていたお金(300万円ほど。月に1万円だかのお金が、ちりも積もってそれなりの山になったもの)を、住み込みの勤め先に預けたとの話を聞きつけ(入院費の心配をした母が姉に相談してしまったらしい)、空騒ぎを演じることになった。同居する子どもで長男でもある私に何ら相談することもなく、勝手に相手先に交渉を始め(それも内容証明の書面を送付)、話をこじらせるだけこじらせて、ようやく感づいた私が尻拭いすることになったわけである。 私の感覚では、祖母の世話をしていない両親に、その遺産を受け継ぐ資格はないし、孫に至っては完全に無関係で、そもそもそういったものがあれば、他の親戚にも権利があり、事は面倒になるだけであった。ただ、勤め先だった店も、だまし取った形になってしまうので、多少気も咎めるだろうから、直接現金を預けたという母と、当事者間で適当な線で折り合いをつければ良かった、と思う。ところが、始めから、確か「幾星霜~」で始まるご大層な文章で、内容はと言えば、ずいぶん昔に預けた金を耳を揃えて返せ、では、交渉もヘチマもあるまい(法律的には時効なので、彼女の目論見はかなわなかった)。 その姉に、電話で「ナーバスな状態で48時間がヤマ」といった説明すると、案の定、「私のたった一人の父親!」という、煎じ詰めればたんなる自己愛の精神を発揮し、仕事が終わり次第やって来ると言う。面会は午後8時までと言ったのだが、おそらく分別など出来ないので、止めようがないのだ。そこで、まだ意識のある父に、「ユミ(姉の名)も後から来るから」と母が伝えると、重度の病人は拒否反応のような態度を示した。おかしいな、聞こえていないのかと思って、私が、「ム・ス・メ、ユ・ミが見舞いに来るよ!」と大きな声で言ったら、「ユビィェ、ブ~」と驚くばかりに明確な意思表示をするではないか!健常な時からあまり良い感情は持っていないにしても、見舞いに来る娘にこの態度はいささか変なので、おそらく遺産騒動の際に、姉は病床の父にも、いろいろ言ったものと思われた。病院のベットから見る姉、というシチュエーションに、よほどのトラウマがある相違ないのである。 結局、姉は8時少し前に面会出来たようで、我が家に電話を寄越し、こちらに寄ると言っているらしい。「母を気づかう娘」を気取らないと、自分の気が収まらないのだろうが、母は2時起き、私は3時起き、その後一睡もしておらず、そもそも母の就寝時間は普段から8時で、なおかつ、文鳥が飛び交っている状態だ。電話を代わった私は、少々婉曲にお断りしようとしたが、母は「私起きてるよ」などと何の考えもなしに余計なことを横で言うので、アスペルガーおばさんはタクシーに乗ってやってきてしまった。それも、場所がまるで分からず、指示してやったこともまともに運転手に伝えられず、一方通行の反対側に迷い込み(後ほど、どういった経路でそちらちに行ったのか尋ねても「わかんな~い」と言うだけ。自分が間違ったことを認めたくないので、わからないで誤魔化そうとするのだと思うが、間違うよりも何を間違ったかわからない方が問題であるとは理解できない)、電話で「ここどこ?」などと尋ねてきたので、わざわざサンダル履きで迎えに行き、タクシーから降りもせずにいるのが見えたので、「降りろ!ば~か!!」などと大声を出すハメとなった。 放鳥部屋にいられては文鳥たちが怖がるので、隣の和室に押し込み、余り物の太巻き寿司などを与えておく。そして、8時15分になると、存在を無視し、いつもどおり照明を消すなどして(和室の電気も消す。消さないと文鳥たちを返すことが出来ないのだ)、文鳥たちを帰宅させた。そして「どうやって、いつ帰るのか?」と、改めて尋ねる。「タケシ(この姉と結婚してしまった旦那の名前)を呼ぶ」などと言い電話をしているが、所在不明らしい。50キロほど離れた横浜市から、旦那を呼びつけて帰るつもりらしい。 かなり腹を立てつつ、就寝時間である旨伝えるが、「いいよ、寝れば。おやすみ!」などと言う。他人の家に居座って、車の迎えを待って、見送りも受けずに勝手に帰るつもりなのだ。引越し祝い金を寄越すこともなければ、引越しの手伝いもほぼ皆無、道もわからない弟の家と、自分の家との区別がつかないに相違ない。私は、この姉がアスペルガー症だと聞いたのは、遺産騒動の後だったが、それで長年の違和感が解消して、ずいぶんすっきりした気分になったものだ。目を見ても何を考えているのか理解できない肉親とは実に薄気味悪い存在であり、なぜ常識が通じないのか腹を立てることがしばしばあったわけだが、先天的にそういった性質の持ち主なら仕方がないし、それならそれで対応のしようもある。しかし、肉親となると、なかなか客観的に対処できないのが、面倒なところではある。 「ダレが、鍵を締めるんだ!」と言ったら、ようやく自分の考えが不可能なことに気づいたらしい。バスは面倒だとか言うので、タクシー会社の電話番号を教え、JR京浜東北線の最寄駅を教え、それでも「2千円はかかる」と教えたが、おそらく理解していない。最寄駅だから、初乗りで着くのだろうと、横浜市の中心地の感覚で決め込んでいるのだろう。ともあれタクシーでお引き取りいただき、駅周辺で朽ち果てれば良い、と少し考えつつ施錠する。万一にも戻ってきても開けるつもりはなかった。
2015年02月08日
コメント(0)
前回で手仕舞いの予定でしたが、ベッドで養生する時間に、新潮の村岡訳『赤毛のアン』を読了し、今日は、朝の連ドラも最終回でしたので、最終盤で気づいた点を挙げておきます。 昔々、大学の模擬授業か何かで、私が「はしょりまして・・・」と言ったら、後ほど「はしょるってどこの言葉ですか?」と、何だか小うるさそうな女史に指摘され、驚いたことがあります。もちろん、「はしょる」は「端折る」の音変化で、縮めて省略することを意味する普通の日本語なのですが、その女史(男女同権について熱く語っていた人だったように思います)の耳にはどこかの方言に聞こえたらしいのです。 それはさておき、村岡さんはどういった部分を省略しているのか、とても大きな端折りを感じたのは、物語の最後の最後、グリン・ゲーブルズに居残ることを決意したAnneが、リンド小母さんに将来の抱負を語る部分です。原作では、大学進学をあきらめたAnneに、女が男と一緒に大学で勉強する必要はないと、慰め?るあくまで保守的なリンド小母さんに対し、Anneは教師をしながら大学で勉強することを独習すると宣言し、"Anne Shirley, you'll kill yourself."、過労死してしまうよ、と小母さんにあきれられることになっています。そして、リンド小母さんは、アヴォンリー学校の教職を、ギルバート・ブライスがAnneのために辞退した話をして、さらに20年来問題児を輩出し続けたパイ家の子供が生徒にいないはずだから、教師として手こずらないだろうといったことまで(原文下記。対訳はブログ『赤毛のアンで英語のお勉強』さん参照)、ぺちゃくちゃしゃべってくれます。 ところが、この、リンド・レイチェルの人となりがよく表れた会話シーンを、村岡さんはバッサリと割愛し、一切存在しないものにしています。代わりに、「リンド夫人はギルバートがそのことを聞いて、(中略)、もう手続きをとってしまったと報告した」と簡単な説明文を加えて、あっさり次のシーンに移ってしまうのです。 Of course you'll take the school. You'll get along all right, now that there are no Pyes going. Josie was the last of them, and a good thing she was, that's what. There's been some Pye or other going to Avonlea school for the last twenty years, and I guess their mission in life was to keep school teachers reminded that earth isn't their home. 終盤の村岡訳は、ところどころに端折りが目立つのですが、編集上の都合ばかりではなさそうです。上述のバッサリ切り捨てにしても、教育的配慮を感じます。注目すべきは、作中のパイ家の扱いでしょう。最終章のひとつ前37章の、Anneとマリラが語り合うシーンでも、英雄的な努力をしても、ジェシー・パイだけは好きになれないと語るAnneに対し、"Josie is a Pye,"、ジョシーはパイ家の人だから(好きになれなくて当然)、とあのマリラが断言し、挙句、あの一族のような嫌味な人たちも世の中の役には立つのだろうけど、アザミが何の役に立つのかわからないのと同じに、何の役に立つのか私にはわからない、と散々に悪口を言うのです。この部分も、村岡さんは、もちろんバッサリ端折っています。 つまり、せまい村社会の中で、パイ一族は問題児集団とされ、はっきり嫌われ者、地域の鼻つまみ、と言えますが、これは偏見やいじめといった人間関係の負の側面を示しているものと言えるかと思います。そのような暗い面があってこそ、陰影があってこそ、登場する人物像や時代背景が明瞭になるように思いますが、児童文学として考えるなら、光の届かない影、善良ではない側面であり、あまり子どもに見せるべきではないものと思えるのです。 おそらく、村岡さんは訳出するにあたって、児童向けを強く意識して、光の当たる明るい面を強調し、陰りのある部分は捨象したため、普通の小説を読む感覚で大人が読み比べると、村岡訳の『赤毛のアン』は物足りなさを感じてしまいますが、平面的明るさの故にわかりやすく、また、さらなる単純化の基礎テキストとして使いやすいものとなっているように思われます。 『赤毛のアン』がこれほど日本で人気となったのは、やはり、村岡さんの児童文学化といった明確なビジョンがあったからこそではないかと、私なりに思うのですが、今ならどうでしょう?抄訳は抄訳とし明確にそのように示し、大人になったら、やはり完訳を薦めるのが、妥当かと思います。
2014年09月27日
コメント(0)
『赤毛のアン』にわか研究の続きとなります。 講談社版の完訳を読み終え、ポプラ版が38章を32章に圧縮したために、奥行きが足りなくなっていると理解できました。児童文学と銘打たれた場合、原作を抄訳したものになってしまいますが、ポプラ版には何の説明もないので(特に「児童文学」ともされていません)、それだけを読んで、面白いだけで済ませてしまってはもったいない気持ちになりました。 そうしていたところ、新潮文庫の村岡花子訳『赤毛のアン』が届いたので(昭和29年発行、昭和62年75刷改版、平成15年121刷・・・すごすぎるベストセラー。もちろん38章しっかりあります)、さすがに、赤毛のお嬢ちゃんはお腹いっぱいで、げんなりしつつ、始めだけ読めましたが、冒頭から奇妙な部分があって戸惑いました。 「最初マシュウはくろんぼの子はどうかって言い出したんだけれど、・・・(中略)・・・ロンドン育ちのくろんぼはわたしゃごめんだ」 とされている部分で、ポプラ版では省かれています。今現在なら、白人が黒人を養子にしても、さほど不思議はないですが、19世紀末から20世紀初めの当時は、都会でも考えづらく、ましてカナダの田舎町では有り得ないと思えたのです。残念ながら、人種差別意識が濃厚だったのですから。そこで原文はどうなのか、またも、ブログ『赤毛のアンで英語のお勉強』さんで確認させて頂くと(コチラ)、次のようになっています。 At first Matthew suggested getting a Home boy. ・・・(中略)・・・but no London street Arabs for me, 英語の成績が芳しくなかった者でも、「Home boy」を「くろんぼ」と訳すのは、無茶だとわかります。この場合のhomeは、home countryのhomeで、マシューとマリラの先祖が、イギリスからの移民であることを意識している発言と見なすのが妥当でしょう。ようするにマシューは、先祖の地への憧憬もあってか、移民にとっての本国であるイギリス(のブリテン島のイングランド)の孤児を養子に迎えようと考えたのに対し、マリラはロンドンのような大都会で育った浮浪児に、田舎暮らしは無理だと、現実的な判断をし、より近傍の孤児の方が無難と見なしたものと類推されます(島名のプリンス・エドワードはヴィクトリア女王の父親にちなんだ名前です。何となく日本人の意識にはありませんが、現在のカナダ連邦も立憲君主制の国家で、君主はイギリス王室です)。この兄妹の性格の違いを垣間見せている部分とも見なせるでしょう。 そもそも島社会は、どこでも閉鎖的になりがちですし、プリンス・エドワード島は、英仏の植民地争いの舞台でもあり、先住していたフランス系の移民を排除し(当然、それ以前に先住民族がいました。彼らミクマク族はプリンス・エドワード島を「アベグウェイト」と呼んでいたそうで、それは「波の上のゆりかご」の意味だったそうです。ミクマク族の人たちの方が『相呼ぶ魂』だったのではないでしょうか?)、イギリス系の白人が入植した土地柄ですから、同じ立場の英国系移民の結束は固く、同じ白人であっても、フランス系に対してすら、強烈な差別意識が存在したものと思われます。それは、『赤毛のアン』の作中にも現れていて、例えば「まぬけの半人前のフランス人の小僧ども」(【新潮】村岡訳)といった具合です。その「フランス人の小僧」を養子に迎える考えなど毛ほどもない人たちが、黒人を養子に迎えるなどという発想がないでしょうし、万が一にも実行すれば、村どころか島中の、「センセーション」になってしまうでしょう。 つまり、カナダという国の成り立ちや、当時は歴然と存在した人種差別意識を前提とすれば、村岡さんの訳は突拍子が無いと言わねばなりません。その点、掛川訳は正確で、「最初マシューは、<本国>の子をもらってはどうかっていったんです。・・・(中略)・・・でも、ロンドンの浮浪児だけは願いさげ」としています。本国の中にロンドンがあるわけですから、本国とはイギリスなりイングランドのことを指しているのは明白ですが、それでも<>付きとするのは、いかにも慎重と言えそうです。 では、なぜ村岡さんは「くろんぼ」と訳したのでしょうか?浮浪児「street Arab」を、字義通りに『道端のアラブ人』と受け取っての誤解でしょうか?そこで、少々検索したところ、そのように誤訳を指摘される川村学園女子大学の菱田信彦教授ご見解の記事(コチラ)がありました。確かに、訳出作業は太平洋戦争前後のことですから、「海外事情があまり伝わってこない時代」なので、変わった表現を誤訳してしまうのは、致し方がないところかと思います。 また、村岡さん自体に差別感情が希薄だったことを反映しているとも見なせそうです。浮浪児は顔を洗わず煤けているので、黒く汚れてアラブ人のようだ、などと表現したら、現代では、それだけで十分に差別的と見なされるでしょうし、現在では、「くろんぼ」という表現自体がはばかられます。しかし、そのように訳した村岡さんには、人種差別の意識は皆無だったからこそ、そのような解釈になったとも言えると思うのです。 日本で生まれ育ちながら、キリスト教人道主義の『善意』の中で教育を受けたのが、村岡さんの学歴です。イギリスなりアメリカなりカナダでさえも、現地に行けば、日本人に対して現在以上に人種差別感情が存在し、露骨な体験もさせられたはずですが、村岡さんが接した欧米人は、人種差別感情を超えた伝導を行う「宣教師」としての使命感を持った外国人教師に限られていたものと思います。このおよそ浮世離れしたとさえ言える高潔な人々と接する限り、世界中のどこにでも潜在し、まして白人の優越した時代では顕著であった人種差別を実感する機会には、遭遇し難いはずです。 したがって、Home boy=street Arabとあるので、本国とは英国で、そこの黒い子なら「くろんぼ」、と単純に解しても、それは無理からぬことだと思います。 しかし、あえて「くろんぼ」としたと深読みすることも可能かもしれません。この部分を、掛川訳のように正確に訳すと、イギリスの孤児とでカナダの孤児の違いがわかりにくいのです。日本人から見れば、白人は白人ですし、ましてや、同じイギリス系なら、本家本元から養子を迎えることへを躊躇する意味は、理解しがたいでしょう。それが、肌が黒い子となれば、外見的な違いは歴然ですから、これを避けるのは無理もないと受け取れるかと思います。つまり、日本人の読み手に合わせた訳出の可能性も考えられないこともないかと思います。 また、村岡さんが訳出して出版した、第二次世界大戦における敗戦後の余塵くすぶる日本の社会、それも東京には、浮浪児と呼ばれる戦災孤児がとても多かったので、この語を避けて、あえて「くろんぼ」と表現したとも見なせるかもしれません(「くろんぼ」自体は、現在より差別的意識がなく使用されていたようです)。 実際は誤訳だったとして、いろいろ背景を考えてみるのも、楽しいかもしれません。 訳としてなにか問題があったのでは?と引っかかる点としては、第4章で鉢植えをボニーと名付ける際の、「handles」も挙げられるかと思います。ネット上の名乗りをハンドルネームなどと言うように、ペンネームやニックネーム同様の意味のはずですが、おそらく当時は一般的な言い回しではなく、もしかしたら、村岡さんもよく分からず「ハンドル」とそのまま用いたように思えるのです。しかし、この部分は同時に村岡さんのセンスが、見事に発揮されている例のようにも感じます。 「あおいの花でも一つ一つにハンドルがついてるほうが好きなの。手がかりがあって、よけい親しい感じがするのよ」 「手がかりがあって、よけい親しい感じがするのよ」は、原文にはありません。しかし、ハンドルに対しての実に素晴らしい説明ではないでしょうか。 さて、新潮版を10章まで読んで、私は、すでにギブアップ状態ですが、そこまできて気づいたのは、マシューの呼び方です。村岡さんはAnneが「小父さん」と呼んでいることにしているのです(ポプラ版も「おじさん」)。しかし、原文は、例えば、マシューが亡くなってしまう場面で、アンは「Matthew is--is」と叫ぶように(原文はコチラ)、名前を呼び捨てにしています(掛川訳はマシューです)。家族に憧れるアンとしては、「Aunt Marilla」、マリラ伯母さんと呼びたかったのに、現実主義のマリラに拒否されてしまい(血縁的に繋がっていないから)、マリラと呼ぶように言われてしまうのですが、マシューについては、特に物語の中で説明はないようです。 確か、アニメではマリラ同様、呼び捨てにして欲しいとマシューが言っていたと記憶しますが、Anneとしては伯父さんと呼びたかったかもしれません。となれば、Anneの気持ちを忖度した村岡さんが、あえて「おじさん」としたとも思われます。戦後間もないの日本において、養い親に対して呼び捨ては失礼どころか無礼の極みでしょうから、社会通念上、少なくとも男親に対して呼び捨ては受け入れられないと判断したのかもしれませんが、Anneの気持ちで訳したと考えたほうが、面白いかと思います。 個人的には、マシューはマシューの方がしっくりくるのですが、判断が分かれそうなところです。 ところで、つい先ほど知ったばかりですが、村岡花子さんのお墓は、横浜の久保山墓地で、おそらく私が、何十度かは、犬の散歩で行き来したであろう地域にあるようです(かるべ茶屋の奥の道を左手に折れて下っていった辺り)。これも、ちょっとした縁でしょうか。ちょっとした縁でのにわか研究は、このあたりで手仕舞いとしておきましょう。
2014年09月15日
コメント(1)
今さらですが、『赤毛のアン』を読んでいます。現在のNHKの朝の連ドラは、この作品を最初に翻訳された村岡花子さんをモチーフにしたものですから、大昔に村岡訳『赤毛のアン』を熱心に読んでいたらしい家の者のため、ことのついでに、ポプラ社の『赤毛のアン』を古本で購入し、本棚に置いていたのですが、それを、自分でも読む気になったのです。 中高校生の頃は、かなり小説なども読みましたが、『赤毛のアン』は女の子向けという認識で、読書リストに入りませんでした。また、それ以前に、アニメの世界名作劇場で、『赤毛のアン』を見ていたはずですが、なぜか間違った香料を入れたお菓子を作ってしまう話だけを覚えていて、全体的には空想好きの赤毛でそばかすの女の子の話、というイメージしかありませんでした。 つまり、ほとんど無知なまま、ポプラ社の図書館用とされる単行本の大きな活字を目で追い始めたのですが、面白かったので一気に読んでしまいました。ただ、何となく原作を端折っている印象を受けました。ポプラ版を大人が小説として内容をある程度分析しつつ読むと、つじつまが合わない点を感じるのです。特に大きな疑問は、主人公Anne(eを付けろと言うので、アルファベットで表記します)の学歴です。Anneは生後3ヶ月で両親と死別し、以来、天涯孤独で、他人の家で厄介者となりつつ、子守役をしながら十歳まで成長した子どもなので、教育を受けるチャンスは無かっただろうと思うのです。文盲であっても不思議はないわけです。ところが、おしゃべりの内容は、論理だっていますし、古典の劇作か詩の中の言葉のような大げさな部分が混じります。つまり、教養を感じさせるわけです。なぜ彼女に教養があるのか、その説明となる話が、村岡訳ポプラ版には皆無です。 そこで、アニメの身の上話の部分(4話「アン・生立ちを語る」・・・マリラの声は『奥様は魔女』のサマンサの母エンドラと同じ声優さんだったんだ、と今さら気付いて驚かされました)を見たら、学校には「あんまり行ってない」とし、2番目のもらわれ先の家では、春と秋しか行けなかったが、高校の教師をしていた父母の形見の本を読んでいたと、話していました。しかし、これはこれで、また謎でしょう?2番目の家は、子守りのためにAnneをもらい受けているのです。それも、双子が3組いて合計8人という、聞くだけでウンザリさせられる修羅場ですから、その世話をしている子守のAnneに、学校へ行く時間が与えられるとは到底思えないのです。 むしろ疑問が深まったので、原文を確かめようと思いましたが、あいにく英語を見ると頭がクラクラしてしまいます。そこで、やむなく、掛川恭子さんの「完訳」とある講談社の『赤毛のアン』を読んでみました。結論を先に言えば、こちらは確かに完璧な訳でした。当該部分は、「あんまり。トーマスさんのところにいた最後の年に、ちょっとだけ」となっています。確認のため、我慢してこの部分だけ原文を見ても、I went a little the last year I stayed with Mrs. Thomas. で、トーマスおばさんの家にいた「last year」最後の年に、「a little」ちょっとだけ、でした。調子に乗って、その後の原文を載せれば、When I went up river we were so far from a school that I couldn't walk it in winter and there was a vacation in summer, so I could only go in the spring and fall. と、アニメ同様に春秋に学校へ行ったようなことを言っていますが、たぶん行けなかったものと思われます。冬は自然条件によって通えず、夏は学校が休みなので、春秋しか通えないのだから、通う必要がない、と子守に専念させたい大人に言われていたことを示唆しているだけと考えるのが妥当でしょう(この点、Anneの身の上話を聞いたマリラの感想に示唆されています。掛川訳「こき使われ、貧しさに苦しみ、だれもかまってくれなかった暮らしだったのだ。アンが身の上話で言葉にしなかった部分を読みとり、真実を見抜く力が、マリラにはあった」。あくまでも、学校に通ったのは、「a little」なのですから。 つまり、アンの学歴は、8歳くらいでの、おそらく数ヶ月の初等教育と、その後の教科書などの独習、および、10~11歳にかけての半年間、孤児院で学校教育を受けたことに限られると思われます。初等教育を受ける機会がかろうじて有ったため、その後、両親の形見の存在は不明ですが、読書など独習が可能となり、さらに孤児院ではむさぼるように勉強した、と、とりあえずは矛盾のない経過を、想像できるかと思います。頭抜けて勉強家だったので、(容姿はともかく)孤児院としては一押しの女の子だったのかもしれません。 さらに、掛川訳を読み進み、村岡訳との違いで引っかかったのは、錐状ババアことブリュエット夫人がAnneを評価する場面です。 村岡訳「フム、たいして見ばえはしないが、しんは強そうだね。けっきょくは、しんの強いのがいちばんさね」 掛川訳「へえ、あんまり肉づきがいいようには見えないね。だけど、体つきはしっかりしている。やせてしっかりしているのが、一番だそうだけどね」 村岡さんの方は、痩せっぽちな身体的な特徴ではなく、気持ちの強さという精神面を汲み取って評価していることになっているのに対し、掛川訳では、痩せてはいても体格はしっかりしている身体的な特徴を評価したことになっているわけです。そこで、我慢を重ねて原文を・・・と思ったら、原文を載せ、なおかつ訳してくれているサイトを見つけたので、参照させて頂ました(コチラ)。 Humph! You don't look as if there was much to you. But you're wiry. I don't know but the wiry ones are the best after all. wiry、ワイリーは、ワイアーの形容詞化した単語のようで、意味は「針金の」ですが、転じて「(人・体などが)筋張った・屈強な・筋金入りの」といった意味で使われるようです。つまり、筋金が入っているなら「しんが強い」とする解釈も可能かもしれませんが、やはり痩せていても骨格はしっかりしていて柔軟な体格的特徴を指していると解するのが自然と言えるでしょう(ワイヤー【針金】のようなAnneが、そう評したおばさんを木工用の錐に例えるのですから、なかなかです)。つまり、村岡訳は原文とは離れているようにも思えます。しかし、子どもに聞かせる前提なら、痩せてる方が丈夫という誤解が生じかねない個人的な見解より、しっかり者の方が役に立つとした方が、一般的な教訓を含み、わかりやすいかと思われます。 と、掛川訳は、まだ始めしか読んでいませんが、村岡さんの方が、児童文学として位置づけを意識した『赤毛のアン』で、おそらくポプラ社版は、それを簡略化されていると見なせるのに対し、掛川さんの方は、特に児童向けに意識して書かれたわけではない『Anne of Green Gables』という小説を、忠実に訳出しているものと見なせそうです。 今後、さらに、村岡訳の原本である新潮版もチェックし、気づいたことがあれば、書きたいと思います。それにしても、こういった読み方は、『赤毛のアン』の読者としては、不健全なような気がしないでもないです。なお、マシューが会話で初めに付けてしまうWell nowは、村岡さんの「そうさな」がしっくりくるとは思います。 赤毛のアン シリーズ・赤毛のアン 1 ポプラポケット文庫 / ルーシー・モード・モンゴメリ 【新書】 講談社文庫 完訳クラシック赤毛のアン 1【1000円以上送料無料】赤毛のアン/L.M.モンゴメリー/掛川恭子
2014年09月11日
コメント(1)
50回にわたってゼロ行進するには、両投手の力投のみならず、野手に大きなエラーがなかったことを示しており、緊張感を継続して試合を続けた両チームの高校生諸君は、賞賛に値する。立派である。 しかしながら、50回もゼロ行進を続けるようでは、軟式野球というスポーツは、「終わってる」と、私は思う。いかに優れた投手であれ、投げ合って疲れきっているはずで、それでも1点も取れないとなれば、選手も監督も攻撃面でよほど低レベルなのか、そもそも軟式野球というスポーツに、点を取れない致命的な欠陥がありながら、それに対処するルール改正が行われていなかったことを意味するからである。 この場合、選手たちは立派なのだから、ルールに問題があるとしなければなるまい。同様に点数が入りにくい傾向のソフトボールには、同点の場合のタイブレーカー(ノーアウトで2塁走者のいる状態で開始)がルール化されているが、なぜ、軟式野球の運営団体のアレは、そうした改善が出来なかったのだろうか。ま、いつもの押取り刀で、問題が発生しなければ何もしないし、発生してもグズグズなのだろう。 さて、その、世にも珍しい50回のゼロ行進試合を、産経抄氏は「神様のプレゼント」のように感じられ「一陣の涼風のような気持ちのいいニュース」とされている(産経抄2014/9/2)。確かに、選手たちの立場で情緒的に考えるなら、そうかもしれない。しかし、あえて言うなら、試合内容を知った上で、その影響を考えた上での感想だろうか? ものの感じ方は人それぞれなので、冒頭にあげたような理由から、50回のゼロ行進を耐えた選手たちを称えるだけの感想しか持たなくとも、それはを自由で、それ自体、事実に反するとも言えない。しかし、1979年の箕島と星稜の試合と同一視するなら、それは、自己のノスタルジーに基づき、安易に別現象から類似性を追いたがる年寄りに有りがちな症状、と私には思えてしまい、それはあたかも、産経新聞が糾弾してやまない、朝日新聞の報道姿勢を見るような思いすらする。 私は、子どもだったが、テレビ観戦した記憶は薄ぼんやりとながら残っており、延長戦で勝ち越したのに追いつかれを繰り返すものであった。念のため、今、その試合内容を確認すれば、延長11回まで1対1で、12回表に星稜がエラー絡みで勝ち越したものの、スクイズは失敗し追加点を奪えず、その裏2アウトから、劇的な同点ホームランがあって勝負がつかず、サードスチールとか隠し玉とか、両チーム秘術を尽くしつつも、15回まで試合が動かず、16回表に星稜が得点し3対2となるが、産経抄にあるように、裏にファウルエラーの後のホームランが出てまたしても同点、そして、18回裏に箕島がサヨナラ勝ちする、といったものだ。このように、ごく簡単に経過を抜き書きしただけでも、ワクワクする内容なのである。投手野手打者ベンチサイド、体力も気力もすり減らし、人間らしい凡ミスを起こしながらも、諦めることなく、ありとあらゆる努力をして、悪戦苦闘している。まさに『高校野球』であり、「神様がつくった」にふさわしい試合内容と言えよう。 これと、50回にも及ぶゼロ行進では、似て非なるものどころか、どこも似ていないように、私には思えるのだが、いかがなものだろうか?少なくとも、50回にわたって0点だったということを耳にしただけで、その内容を知りたいとも、ましてや観戦したいとは思わないだろう。もちろん、選手たちには「お疲れさん!」と検討をたたえる言葉しかないが、裏に回っては高野連に注文をつけるのが、大人であり報道機関の責任のような気がする。 「神様のプレゼント」なら、少なくとも、謹んでスコアブックを入手し、可能なら録画でも試合を最初から最後まで拝見しなければならなくなるが、私は、50回のゼロ行進と結果を聞いただけで、「一陣の涼風」どころか、生暖かい風が顔を舐めていった感覚に陥り、軟式野球にとって、その欠陥を露呈した悪夢の試合内容としか思えず(繰り返すが選手たちは称えられるべきである)、少なくとも見る価値なしと判断してしまう。どうやら、50回のゼロ行進という、それだけを聞けば、珍現象により、軟式野球が多く取り上げられて喜んでいる関係者もいるようだが、それは脳天気というものだろう。軟式と硬式の違いもわからないよう無知な人々の軽薄な盛り上がりなど、輪をかけて間抜けなマスコミに踊らされたに過ぎず、ごく一瞬で消えてなくなり、無意味と言える(勘違いすれば足をすくわれるので、浮薄な人気は有害ですらある)。それよりも、ゼロ行進が50回も続き、また続かせてしまった事実の方が、はるかに重大であり、このような状態が続けば、軟式野球にとって致命的な事態とさえ言えるのである。 選手たちは、身をもって警鐘を鳴らしてくれたのだから、大人はしっかりと、早急に柔軟な対処して頂きたいものである。 なお、なぜか男子は硬式野球、女子はソフトボールと性別で分断し、野球の試合時間の長さが問題とされながら、両競技を一体として、オリンピック競技に復帰しようとの動きがあるようだが、どうせなら、男女ともに軟式ボールを用いて7回タイブレーカー方式にでもされたら如何、と、ついでのことにオススメしておきたい。
2014年09月02日
コメント(0)
「ザックジャパン」が「サムライブルー」だと言うのなら、今回の様子はまさにそのとおりになってしまった。 サムライは『侍』で、もともとの意味は、侍者、付き人、使いっぱしりのことだ。従って、「サムライブルー」などと言われたら、徳川幕藩体制の窮屈なお城勤めのプレッシャーに、精神的に追い詰められ青ざめている武士の様子を表現したものとでも、想像をたくましくするしかないのである。何やら冠名になってしまう監督の付き人たちが、実力を発揮できなかったのか実力を過信していただけなのか、ともかく結果が惨憺で青ざめている様子なら、まさにその通りではないか。 もっとも、ワールドカップはそういったもので、昔を思えば、日本代表が連続で出場しているだけでも、文句を言いたくない。ただ、希望的観測や、無駄に検討をたたえるコメントを繰り返し繰り返し繰り返し報道するのは、やめてもらいたいとは、この間ずっと思っていた。そして、初戦はじっくり、二戦は少しいい加減、三選目は観ようともしなかった。結果は2敗1分け3試合で2点しか取れずの体たらくなのだから、それにふさわしい観戦態度だったと言えようか。つまり、初戦後から、結果だけで内容など聞きたくもなかったのに、テレビは何とかの一つ覚えで、ぐだぐだ繰り返し、腹立たしい限りであった(で、書き殴っている)。 奇跡?自力で起こせる位置にすらいない者に、それを語る資格があろうか。消化試合に過ぎない相手が手抜きをしてくれて勝たせてもらえれば、他の結果次第で「タナボタ」があるかも~、などという間抜けな試合を、早朝から熱を入れて応援するなど、モノを知らない小僧か、何らかの義務的思い入れか、かなりな酔狂で冷静な判断力を失っているか、よほど達観していなければ、まず不可能だろう。 つまり、今朝の三戦目は、点数の結果しか知らない。知りたくもない。何とかジャパンとかいう存在も忘却して、・・・イングランドが敗退した以上(日本の予選敗退など世界的には順当。イングランドやスペインなどがポコポコ敗退している方が驚き)、アルゼンチンでも応援しようか?自国がいない状態の方が、むしろ気楽で良いではないか。昔は、いつでもそうだったし。 個人的には、「サムライ」は「モノノフ(武士)」か「ツワモノ(強者)」に変え、監督名+ジャパンは禁止にして頂きたいのだが、暴論であろうか?それなら、同じブルーでも藍染の群青色はやめて、アルゼンチン風の薄い青、日本でも古くから使われる浅葱色にして、幕末の新選組を意識したユニフォームにしたらどうだろう。どいつもこいつもぶった斬る、何やら理不尽に強そうで良いかと思えるのだが・・・。
2014年06月25日
コメント(0)
先日、天皇家の姫宮様が、出雲国造家の方と婚約を発表されて話題となりました。ところが、一部に出雲国造家を出雲大社の主神である大国主命の子孫とするなど勘違いが見られ、「天孫降臨」とか「国譲り」とか、日本の神話が忘れ去られている現状を、改めて思い知らされました。 もちろん、私も古事記を読んだことがある程度なのですが、せっかくなので、ご皇室と出雲国造家のご先祖とされる神様について、正しいかどうか保障の限りではない経緯を書いておきます。参考にできるものなら、してみてください。 天界の神様の女王の位置づけであるアマテラスさんは、「日本」の統治のため、下界に赴くように息子のアメノホヒアメノオシホミミ君に命じます。そこで、オソホミミ君、下界の様子を見てみたら、いろんな神様や怪しげなモノがごちゃごちゃといて、とても手に負えそうにありません。「あきまへんわ」と関西弁だったかはわかりませんが、お母ちゃんに報告すると、親馬鹿のアマテラスさんは、息子のために下界を平和な状態にしようと決心してしまいます。 下界を牛耳っているのが、オオクニヌシ一家だと知ったアマテラスさんは、話をつけさせようと、これも息子、オソホミミ君の弟アメノホヒ君を派遣します。ところが、これも坊ちゃん育ちを見透かされテキトーに丸め込まれたのか、オオクニヌシ親分の男気に惚れたのか、お兄ちゃんのために苦労させられるのに反発していたのか(お母さん、依怙贔屓ですよね?)、敵とも言えるオオクニヌシさんの子分になってしまいます。この子分になってしまったアメノホヒ君の子孫が、出雲国造家なんですね。以来、何千年か知りませんが、親分の祭祀を連綿と続けているのですから、律儀な一族と言えるでしょう。 息子たちはボンボンで実戦では使えないと悟ったらしいアマテラスさんたち天界首脳部は、次にアメノワカヒコ君を派遣します。漢字で書くと天若日子。若くて清々しくカッコイイ感じです。ところが、老獪?なオオクニヌシさんは、娘と結婚させて、この若者を婿にして手懐けてしまいます。任務放棄、命令違反ですから、アマテラスさんたちは怒ります。しかしですよ、お偉いさんのどら息子のために使いっぱしりするより、このまま婿としてオオクニヌシ一家を継承しようと思うのは、むしろ当然ではないでしょうか? 誠に遺憾ながら、歴女か腐女子のためにも美青年でなければならないこの神様、結果としては、天界側から暗殺されてしまいます。天界の神様たち、アマテラスさんの息子(日の御子)以外には容赦しないのです。とことん悲劇の美青年、妄想にいいでしょ? 不屈のアマテラスさんたち、次にはタケミカズチ君を派遣します。漢字では健御雷。健康なカミナリ様とは、いかにも強そうではありませんか。ガチガチコッチコチの軍人で融通のきかなそうなイメージです。さらに副将はアメノトリフネ君。漢字では天鳥船。海軍・空軍のイメージでしょうか。こうなると、何やら陸海空の強大な軍事力に「物言わせたろか!」、といった天界側の決意がうかがえる陣容と見なせます。実際、彼らがやったことと言えば、おそらくは大軍勢を背景に脅迫し、抵抗した者は徹底的に追いかけてねじ伏せる、「抵抗は無意味だ!」そのものでした。 2人の息子が屈服するのを見届けた大親分オオクニヌシは、大きな社に祀られるのを条件に降伏します。なお、この降伏して「日本」の統治権を天界に差し出したことを、「国譲り」と呼んでいます。 かくして平和な状態になったので、アマテラスさんは再びあのボンボン息子、アメノホヒアメノオシホミミ君を呼び、これなら文句無いだろうから、「日本」を統治するように命じます。ところが、彼、天界でやりたいことがあったのか、たんに面倒だったのか、親のスネかじって遊んで暮らしてやるんだと居直っていたのか、「えへへ、僕よりよくできた息子がいるんですよ~」などと、息子のニニギ君を代役に立ててしまいます。どうです。何か、いい加減ですごく和むキャラでしょう。でも、神様ですよ。 そののんきな父さんの息子ニニギ君は、よほど素直に育ったのか、父ちゃんのようにだけはなりたくないと思い定めていたのか、しっかり期待に応えます。直系の子孫にやたら優しいお祖母ちゃんのアマテラスさんから、いろいろ便利アイテムを貰ったり、使える部下をつけてもらったりして、賑々しく下界にやって来て、天下を統治する存在になるわけです。 これが、「天孫降臨」で、このアマテラスさんのお孫さんの子孫が、天皇家と言うことになっています。 つまり、です。アマテラスさんのボンクラ・・・、ではなく、平和的で鷹揚とした2人の息子さんのご子孫が、今回ご婚約になったわけです。何となく誤解されている、神話の天津神(アマテラス一家)と国津神(オオクニヌシ一家)の子孫同士の和解ではなく、争いごとを好まない似たもの兄弟を先祖に持つ古い家系の者同士の再会、といった感じでしょうか。とまれ、お幸せをお祈りします。
2014年05月30日
コメント(0)
全193件 (193件中 1-50件目)