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動力揚湯、加熱、療養泉、pH 9.5の滑らかな肌に心地よい湯。空港からほど近く、笹ヶ瀬川の脇で温泉宿気分の貸切湯船でくつろげた。温度は希望申告で調整してくれる。
Oct 19, 2019
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楽天BLOGでは、iframeタグのsrc属性の属性値にハイフン(-)があるとエラーとなり、登録できない。回避する方法は、楽天BLOGからは開示されない。 youtubeの埋め込みのソースでiframeタグのsrc属性の中の属性値にハイフンが入ることがあるが、ハイフンが入っていると「許可されていない属性値を使用しています。」とのエラーとなり、登録できない。 何を許可しないのかは、開示されていないので当初わからなかったが、ハイフンをとるとエラーにならないので、ハイフンはエラーとする仕様らしい。------------------------------------------------------楽天ポータルサイトサポート 楽天ブログ担当です。ご連絡までにお時間を頂戴し申し訳ございません。お問い合わせいただきました件について、iframe属性でハイフン「-」が挿入されている場合(Youtubeなど)、エラーになってしまう状況は確認済みでございます。しかしながら、iframe属性でのハイフンを無効としている理由に関しては、サービスの運用背景などもあり、ご回答できかねてしまう状況でございます。なお、回避方法についても、個々のHTMLタグチェックに該当する認識でおりご案内できない点をご容赦いただきたく存じます。せっかくお問い合わせいただいたところ、このようなご案内にとどまり申し訳ございません。恐れ入りますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。-- 楽天ポータルサイトサポート 楽天ブログ担当
Mar 5, 2024
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歴史とプロパガンダ 有馬哲夫 2015年 寺島実郎著「二十世紀と格闘した先人たち」によると、アメリカは、日露戦争後から、数年かけて、英、ロシア、ドイツ、日本などそれぞれの国を敵とした軍事シュミレーション計画をそれぞれに作成していたそうだ。ドイツと日本についての計画は、最期まで更新され続けて残り、日本を敵とした計画は、オレンジ計画と呼ばれて、大東亜戦争までの40年間に及んで改訂していたそうだ。フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、海軍次官補時代に立案に関与していたそうだ。 アメリカは、日本と戦争ができるようにするために日英同盟の破棄へ動いていたそうで、ワシントン条約で日本が大国入りする背景には、こうしたアメリカの反日的な意図があったらしい。 つまり、アメリカは、20世紀の初めから40年にわたって、日本に戦争を仕掛ける準備をしていたようだ。 アメリカがハワイを軍事クーデターで略奪したのが、1893年で、1881年にカラカウア王は天皇に姻戚関係になることを希望されていて日本に支援を要請していたそうだ。日本は、軍事クーデターの時もアメリカを威嚇するために東郷平八郎艦長の浪速を派遣したそうだ。以来、ハワイはアメリカの太平洋の拠点となった訳だ。 アメリカは、スペインからフィリピンを奪ったのは、1898年、フィリピン人を大量殺戮して独立を封じ、植民地化したのが1902年だ。 寺島実郎氏は、アメリカの太平洋進出は、日本の大陸進出を刺激し、両国の野心が太平洋で激突したと評していた。太平洋戦争後も今日に至るまで、アメリカは、国外で戦闘、爆撃を続け、その数は20ヶ国になるそうだ。アメリカの棍棒外交と言うそうだ。 有馬哲夫氏は、太平洋戦争の開戦には、ルーズベルトに相応の責任があると本書で指弾している。日本への石油の禁輸措置で日本は扼殺の脅威にさらされるとの分析結果をルーズベルトは承知していて、日米交渉を壊すハル・ノートを通牒し、その翌日の1941年11月26日には、日本の侵略的攻撃が数日中に想定されるとの戦争警報をフィリピン、タイ、クラ地峡、ボルネオのアメリカ軍に発していたそうだ。ハワイはあるまいと油断していたらしい。 アメリカ国内の厭戦世論、80%がヨーロッパ戦線参戦反対を覆すために、日本をアメリカとの戦争に駆り立て、同盟のドイツをアメリカ戦に参戦させ、これによりヨーロッパ戦線にアメリカが参戦できる状況をつくることを画策したそうだ。ハワイの奇襲で、世論を一挙に参戦に転じさせることに成功したそうだ。 さらに、終戦にあたっては、大統領選を有利に進めるためにスターリンと取引してヤルタ会談のパフォーマンスを演じ、ソ連の参戦と引き換えに北方諸島を日本からソビエトに渡したのが、アメリカ人が敬愛しているルーズベルトだ。 テディー・ベアは、このフランクリン・ルーズベルトではなく、日露戦争の和平仲介し、ノーベル平和賞も受けたテディー・セオドア・ルーズベルトの愛称に由来するそうだ。当初は日本びいきだったらしいが、二人のフランクリン、ともに排日派で日本人にとってはとても親近感を抱けるような人物ではないようだ。
Oct 9, 2015
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闇の絵巻 梶井基次郎 1930年 闇への書という短篇もあるが、「闇の絵巻」は、吉村昭が「檸檬」よりも一番好きな短篇だそうで、闇が実に表現されているからだそうだ。 街灯の光の中に入り白く浮き立ち、また闇の中へ薄く消えていく男の後ろ姿、蛙の仕草、特に、山腹の黒の中の電燈をシンバルがバーンと鳴ると表現するなどは秀逸と評価しているそうだ。 闇を出入りする時の気持ち、闇の先への怖れ、闇を照らす光源の心細さ、深い闇に包まれる居心地など、闇にかかわる気持ちのうつろいが捉えられているのでしょう。闇にかかわる表情は、今村昌平の映像の雰囲気と似た気がします。闇にひらめく(鰻) 吉村昭 1978年 今村昌平のカンヌ受賞の「うなぎ」の原作で、映画は本作を軸に、1988年作「仮釈放」のシーンもとりいれたそうです。映画は、千葉県香取市佐原の与田浦が舞台になってましたが、吉村昭の後記によれば、闇にひらめくは、宇和島で見聞した話を素材にしたそうです。 夜が明ける前の暗闇がねっとりしたような靄かかる水路を鰻漁帰りの船が、弁当を持ち待っている女が佇む桜橋にかかるシーンは、傷もつ者が普通の生活を気丈に望む姿を象徴しているようで、映画と原作が共鳴しているように感じられます。
Oct 7, 2014
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