11月29日(金)
「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(418)
ヒルティ著草間平作訳
発行所 岩波書店(1935年5月15日)
(注) あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や
表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し
ています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。
信仰とは何か(4)
一(3)
(前日) そういうことをしても、説得されたくない者を、説きふせることは出来ませんでした。 (よりつづく)
どんな学問でも、それが誠実であれば、少なくとも次のような可能性を認めないわけにはゆかないでしょう。つまり、わたしたちの時間や空間の上に現れるもの、それは単に現れるものにすぎません。その現れるもの以外にも何かが存在することができるということです。つまり、人間の精神が普通の認識する過程においては捉えることができないものです。いいかえますと、それは、科学にとって認識しうるもの、証明しうるものとしては存在しえないものということです。それにもかかわらず、実際には存在しうるものです。そのものを認識できないからといって、一方的に排除することは絶対できないでしょう。
(つづく)
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