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11月30日(土)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(9)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日3.抒情について(3)馬場あき子氏のことば:「自分は抒情性がない」と思っている人は、<抒情>そのものへの理解がない人です。窪田章一郎氏のことば:「想像は情熱に伴っておこるもの、そうでなければ値打ちあるものとはいえない」想像力を方法として取り入れた歌は、個性的な独特の場をもつとともに、抒情を生みます。茄子の木にむらさき小花咲き出でて千にひとつの嘘つきにけり 石田比呂志「親の意見と茄子の花、千に一つの無駄もない」(諺)を踏まえた。ただ、諺を知らない読者も面白い読みが成り立つ歌でしょう。思い返して汗のにじむような、「千にひとつの嘘」それは「あざとい嘘」なのでしょう。この歌の抒情は、どうしても言わなければならなかった「嘘」への忸怩とした気分でしょう。 (つづく)
2024.11.30
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11月30日(土)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(104)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「真の抒情の為に―写実と抒情に関して」(1)抒情とは何でありましょうか。結局感情による、主観による自己表現でしょう。しかし、吾々は冷たい講壇の分類をして居るのではない、吾々が実作者として抒情の問題を考えて行かなければならないかぎり、こうした「言葉」による説明は更に次の説明を呼ばなければならず、吾々はいつまでも言葉の実体を把えることは出来ないでしょう。では吾々は抒情と言う言葉をどのように受け取っ居るのでしょうか。例えばそれが何か優しい情趣とも受け取る場合、或いはもっと激情的なものと感じて居る場合、吾々は抒情と言うことを、単に漠然とした言葉の意味、概念として考えて居るのではなく、又単にそれはかかるものであろうと吾々の側から予想して居るのでもなく、実はもっと具体的に知って考えて居るのではないでしょうか。たとえ意識しては居なくとも、実はもっと何かよるべき規範を持って抒情と言う意味を自分で知って居るのではないでしょうか。もっとはっきり言うと、吾々は抒情の在り得る場合を、漠然と、例えば芭蕉の抒情として、リルケの抒情として、茂吉の抒情として、或いはフランス象徴派の抒情として受け取って居るのではないでしょうか。つまり吾々が抒情と言うことを実作者として考える場合、決してそれを言葉の意味として居るのでなく、抒情のあらゆる場合場合として理解をしており、しかも、其のあらゆる場合場合、吾々は常に吾々の過去の作品と詩人とを常に同時に考え、同時に考えることを抒情と言う言葉の生きた理解として来て居るのではないでしょうか。 (つづく)
2024.11.30
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11月30日(土)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(20)「大学アラベスク」(40)「そして その後は――」(20)ところで皆さん、そのH生の『虎の巻』のことですが、無責任にも彼はそのなかで、「先生が帰国し、われわれ四年生を呼びつけて叱ろうとなさっても、その時は既に藻抜(もぬ)けの殻、卒業してサッサと逃亡してしまっているから、安全なことは言うまでもない。諸君、悪口雑言を並べ立てて即刻ご気嫌を伺え」だなどと、諸君を頻りにケシかけているのであります。 しかし諸君わたしは先日ははるか東の彼方に煙の立ちのぼるのを望見し、火のないところに煙はたたぬ、これは、なにか、さしずめあのH生あたりがワルダクミをしつつあるに相違ないと、判断しました。そこで、早速H生に宛てて、「君たちは、卒業証書を手にしたら最後、行方を晦(くら)ましてしまいそうだ。したがって、それまでに帰国して卒業証書を差し押さえたいと思う。君から、その旨を同僚全員に周知徹底せしめられたい」という趣旨の依頼状を出したのであります。 しかもその手紙たるや、こちらロンドン側の推定によりますと、奇しくも、虎の巻なる怪文書を入手できたちょうど本日、いわばその引換えにH生のもとに安着しているはずであります。H生が、いまごろどんな顔をしながら、わたしの依頼状を読んでいることか、わたしには、同君にワルイとは思いつつも、いま腹の底からワライが込み上げてくるのを、いかんともしがたいのであります。「ただ手をたたいて、バンザイ!シテヤッタリと叫べばよいのである」とは、まさに、こちらが申し上げるセリフなのでございます。(つづく)
2024.11.30
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11月30日(土)短歌集(483)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版窪田章一郎(1)何にかもわれや足たらひしわが心ほのに湧わき来る楽しさのあり読む書ふみをはなれて心遊べりしわれと気づきつ楽しや今をおのづから壊くえて落ちゆく岩むらの涸から谷たにに鳴る音を聞きつつザイルもてつなぎし三人みたりの黒き影尾根づたふ見ゆ谷を隔てて老樫おいかしのそよぎの音の沁しみとほり身は青葉にしつつまれにけり (つづく)
2024.11.30
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11月30日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(241)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(19) 木この葉はふりやまずいそぐないそぐなよ「いそぐないそぐなよ」は、病床に倒れた自分に言いきかせているつぶやきであり、木の葉にも言いきかせているようでもあります。その言葉は、作者の人生態度そのものであるでしょう。 (つづく)
2024.11.30
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11月30日(土) 昭和萬葉集(巻十三)(331)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅳ(76) 病床の日々(8) 病床の日々(8)川野 順張牧師我が手をとるに声つまる日本を墓所ときめて病む今日藤原藤門足の爪伸びたる屍体は見苦しからむ爪切りてゐつ気分よき日は吉村草閣妻よりの小包解けば病床に浴衣の藍の強く匂へり (つづく)
2024.11.30
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11月30日(金)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(419)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(5) 一(4)(前日)科学にとって認識しうるもの、証明しうるものとしては存在しえないものということです。それにもかかわらず、実際には存在しうるものです。そのものを認識できないからといって、一方的に排除することは絶対できないでしょう。(よりつづく) しかし、この問題の難点は決してそこにあるのではないでしょう。世の中に、信仰が欠けているのではないのでしょう。世間の人たちは、自分の都合のよい、信じやすい理屈さえあれば、どんな空想家の説でもやすやすと信じるのです。ほんの少し前まで、現世紀の最も教育ある無数の男女が、自分では吟味できないのに、少数の自然科学者の単なる断言に基づいて、次のように信じていました。つまり、われわれ人間はすべて猿から由来したものであるが、げんざい猿と人間とのあいだの中間種はほろびてしまったのだ、と。 (つづく)
2024.11.30
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11月30日(土)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。神についての知識人が神様を知ろうと欲して神様を知ることは出来ません。しかし神様ご自身が自分を人に示すことを欲することがあります。人は神様がご自身を人に示され給うだけしか神様を知ることは出来ないのです。それ以上は出来ません。神様に関する人の知識は神様がご自分をあらわした以上に達することは出来ません。神様の不可思議を解明しようとしてもそれは出来ないのです。
2024.11.30
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11月29日(金)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(8)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日3.抒情について(2)化野(あだしの)へゆく冬の坂人も吾も命素透しにみゆる日面(ひおもて) 富小路禎子「化野へゆく冬の坂」、それは自然や風景をうたっているのではありません。冬陽ざしのしみとおるような深い照射の中で、人の命は「素透しにみゆる」思いがする、それは深いおどろきであり寂しさであるでしょう。ある年月を生き耐えた人の冬陽の中での抒情です。人の命尊くあればよたよたのまたへなへなのいきもうべなふ 田谷 鋭ある年齢の覚悟。あらわに、すげなく、無惨な自己表現を取ることの中に、作者の現在のにじむことを期しています。これも抒情の方法です。「人の命尊くあれば」の一語によって、「よたよたのまたへなへなの」だけでは説得できないことを、意味を深めています。懸命に生きた証を誰でも受け止めるでしょう。馬場あき子氏のことば:抒情というのは、表現しようとする事柄や、言葉への熱意に生れ、情熱をともなうものです。 (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(103)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「若き歌人らに」(4)一人の生きた生き方の歴史がそれ程ねうちのないものでしょうか。否、たとえ彼がつづまりはつまらない一人の凡人であったとしても、もしも何か生き抜くために苦しんだとしたなら、そうして其の苦しみといとなみとを短歌作品の上に打ち出したなら、吾々の感動はいま少しちがひ、吾々はとにかく其処から何か教えられ、たとえ失敗の一生であっても吾々は其の人から、とにかく生きることはたのしく、かつ価値あるものだと言うことを教えられはげまされるでしょう。文学とは其のようなものではないでしょうか。ゲーテの文学が価値あるのはとにかく其の一生に一つの世界が形成されて行って居るからでしょう。ロマンローランの場合もそうであるでしょう。一人の人格の成長がみられるからなのでしょう。だが、吾々は彼らの如き大を望まなくてもよい、いかにかそれかであろうと、とにかく己れをかけた生のくるしみといとなみが短歌にそのまま打ち出されて居ればよいでしょう。それすら一つの尊い生の記録であるのです。今迄の短歌になかったのはこの「生の追及」でした。言いかえれば、一人の人間の、如何に生きなければならないかの苦しみと解決とであるでしょう。其のはてに於ける一つの世界の形成であるでしょう。僕がこのように言うとよく反対されました。そんな事はたれも知り切った常識でるというのです。だが、たれが、如何になしたかです。今さらふれられるのも苦しいでしょうが。あの戦争に、敗戦に、歌人は如何なる態度、いかなる自分だけの態度を持したか、いかに生きるかの問題が、戦争となぜぶつからなかったか。もし僕の言が常識なら、彼らは戦争に常識以上の自己を持した彼らの作品にをもって答えて見てください。僕の言はむとする点は明らかになりました。世の若き歌人に告ぐる一点も明らかになりました。君たちは君たちなりの生き方を賭けなさい。如何に生きるかを、今日今の時において、君たちの世代として短歌にぶちまけたまえ。もしそれが僕らの生き方と異なって美事作品に結晶されて行ったなら、その時にいくらかだらしない僕らの世代に対して君たちの世代を昂然と主張してください。(1948・7)
2024.11.29
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11月29日(金)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(19)「大学アラベスク」(39)「そして その後は――」(19)満場の皆さん!われわれのゼミには、かの才女ハヤシ・フミコの生まれ代わりかと見まがう虞れなどは絶対にないけれども、とにかく一風かわった文章を書き散す男が一人、まぎれこんできているのでございます。そして、本日ただいま判明したところによりますと、その男は、卒業論文の締切が迫り眉毛に火がつきはじめているにもかかわらず、最も貴重であるはずの秋の夜長(よなが)を、こともあろうに、かのイガガワシキ『虎の巻』なるものの製作にあて、これに憂き身を窶(やつ)していたのでございます。オウ!イエス、ご存知H生ことハヤシ某くんこそが、その男にほかなりません。まったく呆(あき)れ果てたヤツであります。 ちなみに、このH生は、これまでも、れいの調子の手紙、つまり、「エアハルトやヒュームは、先生のところに新任の挨拶にやってきましたでしょうか?もしも参りましたら、ホテルの窓からで結構ですゆえ、ニッコリ微笑(ほほゑ)みながら手でも振ってやって下さい。キット喜んで帰って行くと思います。政治家なんて、可愛いものですよ」だの、「エッフェル塔は、先生を眺めて、『ヨウ!日本人ニ大変ヨク似タ英国人ヨ、オマエサン英国人ニシテハ、ナカナカハンサムダナ』などと話しかけたのではありませんか?」だの、「フレーフレー、自称紅顔の美少年よ!」だのと、読んでいるうちに、なんだか長生きができそうな気分になってくるような手紙を、一週間に必ず一度は送って呉れておりました。しかも、彼からの手紙たるや、白紙が一枚よけいに入っていたり、百円で足りるのに二百円ぶんの切手が貼ってある、二百円を要する場合であれば三百円ぶん貼ってあるという、まったくもって勿体ないとしか申上げようのないところがございます。 そして、わたしは、そういう彼の手紙に接しますつど、それらの手紙が、ロンドン行きのジェット機にチャンと乗りこんで、ほかの手紙と同じように、行先を間違えることもなく西へ西へと飛んでくるという厳然たる事実に、むしろオドロキにも似た新鮮な感動を受けるのであります。考えてみれば、いつも余分に切手が貼ってあるというのも、座席料のつもりなのかも知れません。そう思っても見れば、なにかイジラシサが募(つの)り不憫(ふびん)にも思えてくるのでごさいます。(つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)短歌集(487)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版渡辺直己(9)大清河の蘆群あしむら遠く光りつつ水路輸送隊の白き旗見ゆ除虫菊植ゑつづきたる故里ふるさとの海辺の村を恋ひつつ眠る凱旋がいせんの噂うはさしきりに伝はれど戦いくさは遠し共匪きょうひを逐おひて徳治主義と言ひ専制主義と言ふ共ともに何ぞ空漠たる草鞋わらぢ穿はきて言葉通ぜぬ一隊が今朝南方に移動せりとふ欺瞞ぎまんして匪は北方に逃のがれしか昨夜きぞ掘られたる壕がう生々なまなまし (以上『渡辺直己歌集』より) (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(240)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(18) 鮟鱇あんこうの骨ばで凍いててぶちきらる一種の諧謔味を湛えています。病床が長かったが、暗さはあまりなく、むしろ人間的なおおらかさを打ち出しています。「骨まで凍ててぶちきらる」というぶっきら棒な調子が、人柄を彷彿させる。 (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金) 昭和萬葉集(巻十三)(330)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(75) 病床の日々(7)病床の日々(7)伊藤貞子 死ぬなと言う言葉ききたし高熱にあえぐ日の我が支えの為に池上秋石病後二ヶ月もうこれ位とあきらめて不自由に暮す子の家に来て北村青吉夢にまで見たる個室に移り来て一人の枕窓の下に置く榎沢房子かわきたるものへしづかに降る雨量冬の個室に手紙書き了ふ褪せながら萼あぢさゐの咲く日なり収斂剤をわれに処方す (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(418)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(4) 一(3)(前日)そういうことをしても、説得されたくない者を、説きふせることは出来ませんでした。(よりつづく) どんな学問でも、それが誠実であれば、少なくとも次のような可能性を認めないわけにはゆかないでしょう。つまり、わたしたちの時間や空間の上に現れるもの、それは単に現れるものにすぎません。その現れるもの以外にも何かが存在することができるということです。つまり、人間の精神が普通の認識する過程においては捉えることができないものです。いいかえますと、それは、科学にとって認識しうるもの、証明しうるものとしては存在しえないものということです。それにもかかわらず、実際には存在しうるものです。そのものを認識できないからといって、一方的に排除することは絶対できないでしょう。 (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。信者の死キリストの信者は自身で劃然と自分の死期を定めることは出来ません。天職をまっとう出来るであろうか。天国に入る準備は完成したであろうか...自身で確定することは出来ません。しかしながら信者は神様が愛なりと信じます。神様が死すべき時に死なしめ給うことを信じます。すなわち恵みの手のうちに導かれ、死ぬべき時でなければ死なないと信じます。彼が死ぬ時は、死すべき時なのだと信じます。神様のみを頼りとするかれは、万事を神様に任せ給うのです。人生の最大出来事である死に関しては、言うまでもありません。神様は彼の生涯を通して誤りなく指導して下さいます、彼の生涯の最大の事件である死の時期をえらぶことにおきまして、決して誤り給わないのです。
2024.11.29
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11月28日(木)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(7)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日3.抒情について(1)子規のことば:「詩歌に限らず総ての文学が感情を本とする事は古今東西相異あるべくも無之」感情の「情」、抒情の「情」を万葉集では「こころ」の訓を当てています。「情(こころ)」が動いていないのにうたうことは出来ませんし、うたったとしてもそれは誤りです。<気分>とか、<情緒>とか、頼りないものへの真摯な探求が大切です。いまだ背の低き煙草が伸びやかに返り葉をひらく北へきにけり 倉片みなみ煙草の成育の遅れや、にもかかわらず、「伸びやかに反り葉をひらく」やわらかな表情に、北の風土の新鮮さをうたいあらわしています。 抒情するとは、基本的にはこうした新鮮な感銘に心を動かすことです。ポップコーンがはじけるやうに白梅の花すこし増ゆ今日も曇り日 石川不二子「ポップコーンがはじけるやうに」軽やかにさいてしまう梅の花の白が、「今日も曇り日」であることゆうえに少しく物がなしい花やぎとして表現されています。一首の抒情性は、上句に用いた比喩表現の作用によって生まれているのであり、それによって、決して単純に晴々しいのでもなく、華やかともちがう、白梅の咲き増してゆく日々の気分を伝えます。 (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(102)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「若き歌人らに」(3)このごろの新しいとする人々の一部の作品に不信をもたないでしょうか。彼らのいやみ、みぶりに対して不信をいだかないでしょうか。一人よがりを感じないでしょうか。では、、短歌には何も加える所はないのでしょうか。直写の態度はすでに短歌には一つの常識であります。リアリズムは主流であります。今さら加えるところがないとすれば若き歌人たちは旧人のあとを追い彼らの作品のヴァリエーションをつづけて居ればよいのでありましょうか。そうであるとも言えるし、そうではにとも言えるのです。リアリズム以外に短歌のとる態度はないでしょう。それ以外のこころみは短歌を吾々の生き方と間接な二義的なものにしてしまうでしょう。あそびにしてしまうでしょう。歌をあそびと考えることは自ら第二芸術性をみとめるだけです。歌は人間とぢかにつながった文学であります。これ以上にぢかな血の通う芸術は他に無いとも言えるでしょう。ほとんど人間の生と表裏をなす文芸であります。だから写術主義は歌を生かす唯一の方法であります。しかも之は今日すでに常識であれば、あと若き歌人たちに何がのこされるのでしょうか。いやみとか、みぶりとか、消極的ないましめ以外に何が残るのでしょうか。それは、歌われて行く主体の問題であります。今までの短歌にほとんどなかった事、それは一人の人間の生き方の意味であります。こころみに一人の歌人を考えて見たまえ。彼は恋を歌い花の美しさを歌う純情な青年歌人として出発しました。やがて中年になり、彼の作品はややしぶくなり落着いて来ましたが、こんどはかっての瑞瑞しさを失い、彼は日常生活を歌い子を歌い、配給をかこつようになりました。やがて彼は老大家になり、歌はますます面白くなく枯れてしまい、たれも似たように山水と孫を歌うようになりました。吾々は一人の市井の凡人の一生を見て来ただけであります。気の弱い善人の一代を見ただけであります。吾々はそこから何も教えられず、吾々は彼の一生から何の生の鼓舞をもうけとらないのです。そうした文芸が一体何のねうちがあるのでしょうか。 (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(18)「大学アラベスク」(38)「そして その後は――」(18)そこで、こちらも、これ(「先生への手紙書き方、虎の巻」)を入手し得た一月四日の朝直ちに筆をとって第一便を、ついで翌五日の朝に重ねて第二便を、さらにそれでもなおかつ不足するかのような気がして五日の夜半に第三便を、したためることになった。わたしのことだから、結局は憎まれ口を叩くに等しい結果に終ってしまいましたものの、右の『虎の巻』一篇のみのために、そのように三たびも筆をとらないと気がすまなかったのも、やはり虎の巻などという奇想天外なものを編んでまでして皆の衆に手紙を書かせようとしたH生の好意が、よほど嬉しかったからに相違ない。三通の連続書簡は、つぎのようなものであった。 (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)短歌集(473)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版渡辺直己(8)草枯れし郎坊の野に石油かけて君を葬はふりの今宵こよひ悲しも郎坊の土壁のかげに薪たきぎ積みて豊田中尉を荼毘だびにせむとす砂塵さぢんあげて荒すさぶ夜風に赤々と豊田中尉を焼く火に対むかふ 支那民族の力怪しく思はるる夜よしどろに酔ひて眠れる東西留に巣食ふ便衣を一人ひとり残さず殲滅せんめつをせり三十二名 (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(239)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(17) 凩こがらしや焦土せうどの金庫吹き鳴らす焦土に焼け残った金庫の残骸があります。凩が吹いて金属製の音が鳴りひびくのです。あたり一面の瓦礫のなかに、樹木などももちろん立っていません。単純率直な表現で、無惨さが強調されています。 (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)昭和萬葉集(巻十三)(330)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(82)病床の日々(6)病床の日々(6)伊勢静夫断頭機のおつる音して撮られたる角つの生はえし腰椎えうついのレントゲン写真小谷 稔逢はむ日の朝あしたかなしき現し身の咳を鎮むる薬飲みたり吉田英子電燈の周りとびゐるは冬の蠅われの病もながくなりたり東辻清弥風船のかづらの種子も収めつ来む年に癒えむ念おもひは年々にして田中栄介風わたる空のあかるき日夜にて起きて薬のむ硝子戸のなか (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(418)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(3) 一(2)(前日)条理にかなった納得のいく根拠をもって、たとえば神が存在することや、キリストが普通の人間でなかったことを証明しなければ…。証明してくれるなら、そうすれば信じる、さもなければ信じない…と、知識人や学者は言うのです。(よりつづく)「条理にかなった納得のいく根拠をもって、たとえば神が存在することや、キリストが普通の人間でなかったことを証明してくれれば、信じる」という言葉に対しては、「もしそいううことが自然科学的あるいは哲学的に証明されうるならば、信じるとか信じないとか問題にする必要はないでしょう、」とわたしは答えます。そうした証明の試みは、すでにいくたびとなく行われましたが、ついに実を結ぶことはありませんでした。なぜなら、そういうことをしても、説得されたくない者を、説きふせることは出来ませんでした。 (つづく)
2024.11.28
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11月28日(木)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。無益の文学第一に貴いものは精神です。そのつぎに貴いものは知識です。わたしたち執筆の仕事に従事する者は、もし精神を伝えないのであれば知識を供すべきです。ですから精神を伝えられず知識をも供しえないで、ただいたずらに人物評または世間話に筆を弄するごときは無益の文学です。このような文学は印刷する紙の値打さえありません。
2024.11.28
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後藤瑞義入選歌(よみうり文芸)施設より帰りたる日は靴下を子は幾度も替えて安らぐ 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十七日 入選 花山多佳子 選)
2024.11.27
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11月27日(水)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(6)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日2.虚と実について(3)くれなゐの椿を焚くは誰ならむ近づきゆけどわれには見えず 辺見じゅん朝もやの記憶の中の時計台ぼんぼんぼんやり流れてゆくか 俵 万智現実の或る部分にタッチしながら、感覚的に把握している見えない存在、曖昧な記憶をうたっています。<いま>の作者の心のかたちに、かぎりなく近い、ソフトな感銘です。捉えがたいそれを捉えようとして、「くれなゐの椿を焚く」という虚構が生れ、「ぼんぼんぼんやり流れてゆくか」という虚構感覚が生れています。まさに「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」その「間」を楽しみうるのが虚構です。 (つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(101)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「若き歌人らに」(2)だから吾々は硝子ばりの中に立って作歌の生活をしているのです。吾々のあらゆる生き方は四方から見すかされているのです。ここではよけいな身ぶりが、すぐしらじらと見られてしまいます。必要以上のみぶりが、ただいやみとなるだけです。だから、歌はどうであらなければならない、歌はどうしなければならないかと言うことは、歌ではどう言う事しか出来ないかと言う問題になって来ます。つまり、歌とは、ぢかに吾々の生につながっていなければならない、吾々の いのち、吾々の生き方の、いきうつしの文学なのです。せっぱつまった時に、吾々の生の感動が、なまみな生き方から、作品に一転する、其の間に一髪を入れない詩型であるのです。そうして、其の間に少しの作為が交れば、それだけ其処に間隙が出来る文学であり、それだけ其処にしらじらしい壁が出来る文学であるのです。だから、写実以外のあらゆる行き方がこの詩型では失敗したのです。本音をそのままはく以外にこの文芸型式に方法はないからです。世に所謂歌論を一先づおいて彼らの作品をそのまま風にあててみるとよいでしょう。一人よがりといやみときざな姿態を、作品を通して彼らの生ま身な人間まで見てしまいはしないでしょうか。だから、世の若き歌人たちに告げましょう。この文芸に意図をもって立ち向かってはならぬのです。すべては鏡の如く報復されるみにくい自己のみぶりとして、いやみだけがうき上がって来るのです。まっすぐな、素直な態度だけがこの文学型式におさまり得るのではないでしょうか。何らたくらみのない直写の態度だけが、成功する詩型なのではないでしょうか。(つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(17)「大学アラベスク」(37)「そして その後は――」(17)「先生への手紙書き方、虎の巻」(注:学生の書いたものが先生の手元にまで渡ったもの)巻ノ五「先生への手紙書き方、虎の巻」野次馬精神ヲ存分ニ発揮シテ、クダラナイコトヲドシドシ質(たず)ネルベシ人間の本能として、少しでもおおくのことを知りたいという欲求を、誰しももっているはずである。そして、そのような欲求を無理に抑制する必要は少しもない。遠慮なくズケズケと聞くべきである。たとえば、「英国では、立小便をしている最中に警官に見つかったら、どうなるか?」とか、「ロンドンの霧は有名だが、英国人は、スモッグと霧とを、どのようにして見わけているや?」とか、「ロンドンの道はコンクリートで出来て入るのか?道幅は広いか狭いか?」等々、多少でも疑問に思うことがあれば、すぐに問い合わせるべきである。 畏れ多くも山桝教授は、われわれのゼミナールの先生である。質ねられれば、なんでも答えてくれるはずである、しかも、その先生が、われわれの知らない土地で、ちょうどいま、いろんな知識を吸収されているところなのである。利用しなくては損というものであろう。 以上、手紙の書き方の数々を伝授した。即刻その効果を試されるがいい。もしも難癖をつけられるようなことがあれば、「クヤシカッタラ、帰ッテキテゴラン」と、啖呵(たんか)を切ってアカンベェをすればよい。先生は一人、われわれは四七名、一対四七。なんの恐るることやある。(つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)短歌集(481)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版渡辺直己(7)土塀どべいの上にふためく敵をつづけざまに撃ち落したり暁あかつき暗やみにあかつきに急襲したる双営に副司令馮ひようが嬬つまと寝てゐき救援に南孟なんまう鎮ちんにひたいそぐトラックは灯ひを消して進みぬ覇県警備に静かなる夜は送り来し烏賊いかを焼きつつ兵と和なごみぬ涙流して吾われを迎へし村人に飢うゑて歩けぬ女雑まじりぬ (つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(238)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(16) 草くさ蓬よもぎあまりにかろく骨こつ置おかる前書き:義弟矢野梅五郎遺骨還る」「あまりにかろく」に作者の慟哭も憤りもこめられています。草蓬の上に骨壺が置かれたのではなく、遺骨が家に還ってきたとき、土には一かたまりの蓬が萌え出ていたのです。 (つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)昭和萬葉集(巻十三)(337)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(80)病床の日々(5)病床の日々(5)引野 収つねなみの一日ひと日の或る一日われにわが死がすりかわるべし遠遠劫えんえんごうよりいのちは到る 生かされてとげとげ動くわが咽喉仏力しぼり寝返り一つなし終えて穂草のゆらぐかがやきに遭う斎藤浩敏胃の壁に突き当るらしき胃カメラの苦痛に身体捻ぢて堪へゐる (つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(417)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(2) (前日)「信仰とは何か」、この問題が、今日ふたたびほんとうに実際問題となってきました。それは、生まれつき良い性質を持った多くの人々が、実は誤った観念をいだいているからです。そのために、彼らの最も深い要求に応ずるはずの宗教から遠ざかるにいたったのです。さらに他の多くの人々が、彼らの勝手な理解による信仰のために、真の信仰からはるかに遠く離れてしまいました。それも、信仰を持ちたくともそれを正しく把握できない人たちの場合よりも、かえっていっそう遠く外れる始末だからです。(よりつづく)一(1) まず、次のようなことをいう人々がいます。つまり、信ずるということは、自分たちにはとうていできない…と。現代においては、すくなくとも知識人や、まして学者に対して、もはやそういう要求(信じるという要求)はとうていできることではないでしょう。なぜなら、条理にかなった納得のいく根拠をもって、たとえば神が存在することや、キリストが普通の人間でなかったことを証明しなければ…。そうすれば信じる、さもなければ信じない…と、知識人や学者は言うのです。 (つづく)
2024.11.27
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11月27日(水)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。愛の行為愛情をもってするのでなければ何事もしてはいけません。愛情をもってするのでなければ怒ってはいけません。愛情をもって金品の施しを拒むのでなければ施しをこばんではいけません。愛情は勇気の基です。人の善を念じて後、初めてその人に対し大胆に色々することが出来るのです。
2024.11.27
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11月26日(火)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(5)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日2.虚と実について(2)寺山修司:虚構の面白さを楽し気に短歌に持ち込んだ…。一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき刑務所にあこがれし日は瘤のあるにんじんばかり選びて煮たる亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり上記、一粒の向日葵の種をまいたり、瘤のあるにんじんを選んで煮たり、亡き母の赤い櫛で山鳩の羽を梳くいたりすること一切虚構です。その上、事実性にも遠いことばかりです。それにもかかわらず、人間生活の根本にかかわる問題が、素手で摑み出されているなまなましさがあります。 (つづく)
2024.11.26
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11月26日(火)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(100)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「若き歌人らに」(1)歌を作るものの生活は硝子ばりの中の生活です。ここではすべての姿がむき出しです。すべての姿がむき出しであると共にすべての姿をかくすことが出来ません。ここでは嘘が言えないと同時にあるままの真実以上が語れないのです。吾々はこうした点に立って作歌しているのです。歌とはそう言う文学です。もう少し考えて見ましょう。言う迄もなく短歌は型のきまった小詩型です。吾々の先人はこの詩型の中であらゆる事をこころみたのです。この中に虚構を盛ろうとした事もあれば、何か空想的な夢の世界を持ち込もうともしました。あらゆる文学のイズムがこの詩型でこころみられました。明治以後の短歌史だけをふりかえって見てもよいでしょう。そうして、其の場合何が出来たのでしょうか。すべてが今はほろんでしまい、忘れられてしまっいました。何故でしょうか。いかなる試みも、この短詩型では、きざと言う手痛い報復をして来るからです。他の、あらゆる文芸型式にもまして、短歌ではきざであることが致命的です。きざであることが作品の生命をきめてしまう文学なのです。何故なのでしょうか。答えは堂々めぐりをするがたった三十一音の小詩型だからです。それは人間の生命のある頂点に於いて、感動を短く切り取る文学であるからです。せっぱつまった声を、そのまま切りとる文学であるからです。言いかえればここでは一人の人間の生ま身な声の直写しか行い得ないのです。これほど作者と作品のぢかな文学はないのです。文学としての営為は、感動のどこをいかに切りとるかと言うことと、とにかくそれを定型詩としてまとめるだけです。それ以上のことはすべてこのぢかな精神営為の間からはみ出してしまうのです。少しの不純、少しのみぶりもここでは作品からみにくくはみ出てしまうのです。それが作品のきざとなるのです。 (つづく)
2024.11.26
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11月26日(火)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(176)「大学アラベスク」(36)「そして その後は――」(16)「先生への手紙書き方、虎の巻」(注:学生の書いたものが先生の手元にまで渡ったもの)巻ノ四 周五郎ニ関スル情報ガナイ場合ニハ、文意ヲ判読デキカネルヨナ手紙ヲ書クベシ 周五郎の情報をしらせようとする場合を除き、先生への手紙は、できるだけ支離滅裂に書くほうがよい。主語と述語とがマッチしないように、たとえば、「カラスがチュンチュン鳴きました。トンビがケキョと鳴いてます。ハトがピィーチク鳴きました。スズメがチンチロ鳴いてます。お日さま西からコンバンワ。お月さん海からオハヨウさん。ボクはセンセにコンニチワ」とでも書くとか、それとも白紙の便箋を五、六枚封入して、「なにが書いてあるか、わかったら偉い」とでも書き添えておくとか、とにかく意味のわからないように努めるべきであり、そのために先生に、「精神分裂症だ」の「知能指数がひくすぎる。」だのと思われようと、可とすべきである。 なぜかと言えば、先生に手紙を出す目的の一つは、わけのわからない手紙を読ませることによって先生のアタマを混乱させ、判読に時間を費やさせ、時の経つのを短く感じさせることにあるからである。しかし、いくら文意を判断できかねるものほどベターだとは言え、外国語で書こうとしてはいけない。殊に英語で書くなどは、もってのほかの振る舞いと言うべきである。それは、英国に居るあいだは英国人になりきろうと努めておられる先生の意図を、却って助ける結果になってしまうからである。(つづく)
2024.11.26
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11月26日(火)短歌集(484)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版渡辺直己(6)氷原に穴を穿うがちて漁すなどれるを見つつし寒し覇は県けんへの道朝明に吾わが望楼ばうろうを射撃せし敵黒々と橇そりにて逃げ行く未いまだ若き捕虜ほりょをかくみて覚束おぼつかなき訊問じんもんをつづく焚火たきびの傍そばになかなかに自白せぬ捕虜の手を出させ銃ずれしたる事を責せめ居をり牛駝鎮ぎうだちんの寒き朝あしたに飯いひ食ひて八里荘に向ふ紅匪こうひを追ひて (つづく)
2024.11.26
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11月26日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(237)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(15) 雉子きじの眸めのかうかうとして売られけりこれは慟哭の悲歌です。作者の「かなしび」が雉子の眸の輝きをとらえたのです。撃たれて売られている雉子、目はとじているのが普通ですが、作者はその眸を見開いている雉子に驚きと哀愁を感じたのでしょう。「かうかうとして売られけり」に作者の憤りの情がこめられているのでしょう。 (つづく)
2024.11.26
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11月26日(火) 昭和萬葉集(巻十三)(336)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅳ(72) 病床の日々(4)病床の日々(4)十亀儀三郎夕ごとに厨にものの煮ゆる香をはかなきものと思ひつつ臥すいくたびか汗して浅きまどろみに夢は勤つとめのうへをはなれず吾を労いたはりはげましくれしは誰々ぞ病みつつ勤めしかの弓削ゆげの島 (つづく)
2024.11.26
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11月26日(火)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(416)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(1)(前日)彼らは、今まで通り自分の道を歩きつづけるのです。彼らは自分のこれまでの世界とまるで違った世界に調子を合わせなければならないことを知っているからです。つまり、彼らの最も苦手とする心の謙虚という門をくぐらなければならないからです。しかし、その門こそ、真の幸福へ至る道の出発点なのです。(よりつづく)「信仰とは何か」、今日ふたたびほんとうに実際もんだいとなってきました。それは、生まれつき良い性質を持った多くの人々が、実は誤った観念をいだいているからです。そのために、彼らの最も深い要求に応ずるはずの宗教から遠ざかるにいたったのです。さらに他の多くの人々が、彼らの勝手な理解による信仰のために、真の信仰からはるかに遠く離れてしまいました。それも、信仰を持ちたくともそれを正しく把握できない人たちの場合よりも、かえっていっそう遠く外れる始末だからです。 (つづく)
2024.11.26
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11月26日(火)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。改革法わたしは政治を改めることが出来ません、ですからイエスキリストの福音を説くのです。わたしは社会を改革することが出来ません、ですからイエスキリストの福音を説くのです。そのようにしてわたしの説く福音はついには社会と国家とを根本より改めるのです。わたしは新社会の地盤のもっとも下の石を据えようと努めるものです。
2024.11.26
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11月25日(月)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(4)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日2.虚と実について(1)問い:短歌は見聞や体験を通して感動をうたうものだと思いますが、現代では虚構(フィクション)の歌もずいぶんあるようです。短歌に虚構はどこまでみとめられるものでしょうか。馬場あき子:虚構によって歌の世界を豊穣にする方法は、現代短歌にかぎらず万葉集の歌にも沢山みられます。沖方おきへ行き辺へを行き今や妹がためわが漁すなどれる藻臥し束つか鮒ぶな 高安王愛する娘子(おとめ)に鮒を贈る歌。高安王がもちろん鮒をとったわけではありません。送る心の熱心さを伝えたかった。新しきとしのひかりの檻に射し象や駱駝はなにおもふらむ 宮 柊二動物園の檻に「新しきとしのひかり」が射しこんでいる光景、作者が実際に見たか見ないか、事実かどうかをあれこれ問う人はいないでしょう。近松門左衛門のことば:「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるものなり」 (つづく)
2024.11.25
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近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(99)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「『丘の上』を読みて――五島美代子小論」(6) 唯其の時に、作者の希求は、 血の色に沈む夕日は知りつくす国土あてなく癒えむ足掻きを ほのぬくみ吾とわが身にたしかめてあたためあはん同胞をおもふの如き作品によっては成功せず、 壕舎に住み眸明るい女生徒幾人成績上りて年を越えたる 白パンの肌やはらかしかかるものありと知らざりし子に切りてゐるの如き、地道な具体的把握と、平易な率直な表現に於いて成功して居る事に意味を見つけなければなりません。そうしてここには相変わらず、「白パンの肌やはらかし」と言った「女性」だけの持つあの鋭くして柔軟な感受力が、「苺たべて」子の息の殊に甘いと感じた魅力的なまでに生々しい若い母の詠歎につながって居る事を、吾々読者も知らなければならないが、其れ以上に、作者自身が知らなければならぬ大事なことだと思います。僕は五島美代子を今日稀な「女性」の作者だと言い、歌集『丘の上』一巻、一人の女性の愛情の遷移と拡張の歴史である事を言いました。そうして作者の愛情がなお今日の日に、もっと広い作者以上の世界―社会とか人間全体とかに其の形を取ろうとして居ます。そのためのカオスの状態として、今日の彼女の作品に対する不満を納得させようと思って居るのです。(1948・6) (つづく)
2024.11.25
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11月25日(月)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(175)「大学アラベスク」(35)「そして その後は――」(15)「先生への手紙書き方、虎の巻」(注:学生の書いたものが先生の手元にまで渡ったもの)巻ノ三 先生ヲイライラサセ、仕事ガ手ニツカナクナルヨウナコトヲ書クベシ 先生に学問上の論争を挑みかけ先生をペチャンコにしてみたいと思った者は、過去にも多数いたはずである。しかし、これは、肝腎のこちらの限界能力性向が低いためか、まずは不可能なことらしく、いつも逆にこちらのほうがコテンコテンにやっつけられてしまうのがオチであった。そこで筆者のごときは、前々から一度でいいから先生に思いきり復讐したいものだと、その機会を狙って虎視眈々としていたのだが、今がそのチャンス。筆者と志をおなじくする者よ、この二度とないチャンスをミスミス逃すことなかれ。復讐心に火と燃えよ! 筆者が思うに、復讐の最良の手段としては、いま日本に居なくて残念だということを、先生にヒシヒシと感じさせてやることだ。それには、山本周五郎の熱狂的ファンである先生に対し、周五郎の消息を微に入り細にわたって通報するのが最も効果的であろう。「周五郎の大連載小説が某誌のトップにデカデカと載っている」とか、「きのう大全集が発売されたが、きょうはもう店頭より姿を消してしまった。もはや永久に手に入らないであろう」とか、「出版社が協定を結んで周五郎文学のボイコットを始めようとする動きがあるもののごとくである」等々、周五郎に関するデマ情報、それもなるべく周五郎の小説をケナシているような内容のものを、刻々と申し送ってみては、いかがであろうか? そうすれば、先生のことだから、かならずや周五郎のことが気になって帰国を急ぐに違いない。さすれば、われわれの意図は達せられるのであり、その時われわれは、手を叩いて「バンザイ!シテヤッタリ」と叫べばよいのである。ただし、くれぐれも注意すべきは、周五郎に関する情報も、あまりオーバーなものであっては、いけないということである。「周五郎がブッ倒れた」とか「周五郎さんが交通事故でアウトになった」とか知らせると、そこは先生のことである。冗談を本気にして、たちまち後追い心中をもやりかねない。万が一そんなことにでもなると、元も子もなくなってしまう。したがって、あまりオーバーに書いてもいけない。 (つづく)
2024.11.25
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11月25日(月)短歌集(478)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版渡辺直己(5)流氷の間を縫ひて死を決せし鉄舟黒く渡り行くかな雪残る地ぢ隙げきを匍はひて敵機銃座にある逼せまり行く一隊があり戦帽せんぼうのたれなぶかせて行く見れば大陸に夏の来る迅はやきかも帝大出の補充兵が我に捧銃ささげつつして今宵こよひの歩哨ほせうに出でて行きたり寒き夜を往ゆきて還かへりし密偵みつていに新しき紙幣出いだしてやりぬ (つづく)
2024.11.25
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11月25日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(236)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(14) 火の奥に牡丹ぼたん崩くづるるさまを見つ前書き:「五月二十三日、深夜大編隊空襲、一夜弟を負ひ、二子を求めて火中彷徨はうくわう」家が火で崩れ落ちるさまを、「牡丹崩るる」と形容しました。作者の感情の昂揚が牡丹に「感合」したのです。 (つづく)
2024.11.25
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11月25日(月) 昭和萬葉集(巻十三)(326)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅳ(71) 病床の日々(71) 病床の日々(3)吉野秀雄夢に見しわれの浄土はのろのろと人等歩めりき淡き日ざしに朝の内小雪舞ひしが夕晴れて庭のしら梅茜を含めり病み床に所得申告を綴くれり去年もをととしも病みて斯かかりき炬燵にて梅は賞でしが降り立ちて濃きくれなゐを改め讃ふ (つつく)
2024.11.25
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11月25日(月)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(411)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。二種類の幸福(61)四(14) (前日)(真の幸福の場合、多くのものを捨てますが、その代りあるかぎりの最上のものが得られます。これに反して、偽りの幸福の場合は、運よくいけば自分の願望に達しますが、その実、それは不満足なものであり、いずれにしても自分が想像していたものとはちがったものになるのです。)(よりつづく) 以上のことは、徹底した俗人がかえって、このような力に直接触れた場合、それを感ずることがしばしばあります。しかし彼らはやはり、即座に決断します。つまり、わずらわしいことは払いのけ、今まで通り自分の道を歩きつづけるのです。彼らは自分のこれまでの世界とまるで違った世界に調子を合わせなければならないことを知っているからです。つまり、彼らの最も苦手とする心の謙虚という門をくぐらなければならないからです。しかし、その門こそ、真の幸福へ至る道の出発点なのです。 (つづく)
2024.11.25
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11月25日(月)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。永生とは永生とは後に来るものではありません。いますでに有るものです。永生は神様の生命でありますので「時」には関係ありません。以前にもあり、今もあり、そして未来永劫にあるものです。いま永生を持たないものはこれからも持つことはないでしょう。わたしが来世を唱えるのは、キリストに顕われた神様の生命の不死無窮を信じるためです。わたしは人に不確かな来世を説いて善行を勧めようとは思いません。わたしは確定された永生を伝えて、いまより不朽の人になるよう努めます。永生の獲得は現世においてなさなければなりません。来世においてはなすことが出来ないのです。
2024.11.25
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11月24日(日)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(3)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日1.事実について(3)事実と真実(3)馬場あき子氏のことば:事実の強みは、事実そのものが強いのではなく、歌人の受け止めている事実の捉え方に反映し、そこに生れる真実な心なのです。例歌:母のつかふ湯の音はつか聞え来て闇多き家の一隅動く 青井 史上の句は、事実の場面。下の句は、母という存在の場の哀しさ。亡き父は忘れたころに妻子らをあつめて黒き服をまとわす 沖ななも事実としては決して軽からぬ忌日、父の愛になお甘えた感情を感じさせる。祖父(おおちち)の処刑のあした酔いしれて柘榴のごとき父にありたり 佐伯裕子祖父はA級戦犯土居原将軍、そうした事実は背後にかくされ、息子の父のやり場のない痛憤を「柘榴のごとき」であったと、比喩している。そこに作者の悲痛が感じられます。 (つづく)
2024.11.24
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