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8月5日(水)会社倒産(16)こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そうとしています。夜警(1)癖を持つ鍵の施錠に手間取ると夜警初日の日誌に記す身を虫に刺され作歌をせしと言う茂吉を思う夜警詰所に次つぎに非常扉を点検す夜警のわれのなす任務にて癖を持つ鍵の施錠もいつしかに慣れたり夜警の職を得しわれ灯すなくひと日終えたる客室の死を見守まもるがに巡回をする明け方の空気の白む有難さ今日の最後の巡回終る (つづく)
2026.08.05
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8月5日(水)駒田善治朗歌集「天遊」(22)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(22)李白の詩に和す(2)現し世を逃げきはまりし海港にいもの背を分け繁吹しぶく村雨切り離せぬ身は影ともに消え入りぬ清きうなじの残る八衢やちまた今生の星合誓ふ現し身に愉悦の時か落日はじまる行路難ク岐路多カレド会ヒニ時アリ 詩仙の一篇われを生かしむ (つづく)
2026.08.05
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8月5日(水) 武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(11)~鎌倉将軍から戦国大名まで~(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。発行:平成二十年七月十日著者:小川剛生序章 源氏将軍と和歌(11)歌壇研究の意義和歌はあくまでもそれ自体、一首一首独立の文学作品として鑑賞すべきでしょう。しかし、和歌の詠まれた場や状況を、歴史学の方法によって正確に復原するのも作品の読解に欠かせないでしょう。 権力者の意向や社会の構造が直接影響するのは確かです。つまり政界と歌壇が同心円を描き重なり合っているのです。 歌人たちの社会、歌壇に着目するのは、文学研究のみならず、広く中世社会の権力構造を分析するのに有効な手段となります。 以前は公家社会にだけ存在していた歌壇が、中世には武家社会にも形成されました。京都のみの歌壇が、鎌倉やその他の地方にも生じるようになりました。これら、複数の小歌壇同士の交流や対立が、背景にある権力間のバランスと連動しているのです。 ただ、鎌倉の地が歌壇と呼ばれるまでなるには、かなりの時間を要しました。一代、二代、三代、三代の将軍実朝はまだ一種の突然変異というべき段階でした。 実朝に続く、二代の摂家将軍を経て、六代将軍宗尊親王の治世から歌壇が関東で整ったとみてよいでしょう。次に、この将軍を主人公として述べることにいたします。
2026.08.05
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8月5日(水)歌集「瀧のこゑ」(47)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(14)お吉ケ淵(1)身を投げし此岸は弥生眼にしみてお吉ケ淵は若葉のひかり真相は冥府の彼方 残されてにぶく光を返す手鏡貞歓尼となりて眠れるお吉のため咲ける侘助の色はくれなゐ (つづく)
2026.08.05
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8月5日(水)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(18)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 秋の俳句を読む 鍵和田秞子二、秋の俳句を読む(4)【生活】秋の灯にひらがなばかり母へ文 倉田紘文『慈父慈母』「秋の灯」によって成り立つ句です。灯火親しむ秋、人恋しさもつのる秋です。遠く離れた故郷の母への手紙はひらがなばかりで書くのです。夜の長い季節に、ゆっくりと時間をかけて、読み易く、情のこもった手紙を書きます。また、作者には<秋の灯にひらがなばかり母の文>の句もある。 (つづく)
2026.08.05
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8月5日(水) 昭和萬葉集(巻十四)(442)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅵ(13) くさぐさの歌(13)女心(4) 宇津井幸子手の甲に鱗の乾き光れるをひそかにはがすタクシーのなか大伴道子失ひて 何もなき身がひとりにて 点す ノエルの青きローソク遠藤秀子むらさきに余映とどむる窓開き呼び戻さるる予感しきりに岸田典子竹の葉はきらめきゆるるいまわれに欲しきもの死にいたる酷愛 (つづく)
2026.08.05
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8月5日(水) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(172) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月二十二日 どんな苦痛でも、それにすこしの罪も混じっていなければ、堪えられるものです。(よりつづく)二月二十三日 純然たる唯物主義を信じ得ない教養人の間に広まっています不可知論(神などを人間は知ることはできない)は、結局ゲーテの人生観であったし、一般に彼の特別崇拝者たちの人生観でした。この不可知論について、カーライルの伝記に次のように書かれています。「不可知論は、それで上等のパンが焼けそうな上等な小麦のように見えますが、ためしてみるとガラスの粉末にすぎなかった。」(つづく)
2026.08.05
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8月5日(水)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(23)(注)わたし(後藤)が、自分のために意訳等をしています。参考:矢内原忠雄氏元東大総長再臨(さいりん)の信仰 人類の文明を思う時に、私たちは平和の光明を見出す事が出来ません。科学技 術は人類の生活を便利にすると共に、危険にします。偉大な思想は消え、道徳は沈み、人は刺激を求めて生き、刺激の中に死にます。文明は進歩したようですが、人間そのものには本質的な進歩はありません。このような時代にあって、私たちは特にキリストの再臨(さいりん)を待ち望む心を深くします。この信仰だけが、国民と人 類の救いに希望をもたせます。人間に生きる望みと勇気を与えます。罪の生活から 離れて、清く正しく生きて行かなければならない事を教えます。 この悪しき世代にあって、神をはなれて生きようとするのは罪であり、死を欲する のも罪です。正しい喜びをもって生きようと欲する人は、キリストの再臨を待ち望む信仰に来ます。そこに初めて自己のあせりやもがきによらず、価なくして生命の水を 飲む事が出来るでしょう。信仰こそ、文明批評の後に残る最後の一線です。これな しには人は生きる喜びも力も見出す事が出来ません。
2026.08.05
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8月4日(火)会社倒産(15)こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そう としています。失業職を探しさ迷うわれか舗装路に蚯蚓一匹干乾びている舗装路に踏みつぶされし蝸牛こころ優しきもののごとくに通勤の群歩みいていつ知らに職なき吾のひとり遅るるいっぱいに鋏をひらき沢蟹の道を横切る身構えあわれ自閉児と透析の妻抱えいて職を探してさ迷えるわれ (つづく)
2026.08.04
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8月4日(火)駒田善治朗歌集「天遊」(21)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(21)李白の詩に和す(1)鈴懸の木プラタナス散り敷く道を歩みゆく即かず離れず燠おき残る身を冴え返る刃物の風に真向かひて口を開けど凍てつく回路立ち上がり自動階段エスカレーター駆け上り列車に乗りて海港に向かふなほ逸り心甚いたぶり哭おらぶ身を海に放たん地球儀廻せ (つづく)
2026.08.04
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8月4日(火) 武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(10)~鎌倉将軍から戦国大名まで~(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。発行:平成二十年七月十日著者:小川剛生序章 源氏将軍と和歌(10)勅撰和歌集の権威 (注)勅撰集:天皇や上皇の命により編纂された歌集歌人の最大の名誉は、勅撰和歌集に収められることです。和歌がこれほどまでに高い権威を持ったのは、勅撰集によって担保されていたからと言ってもよいのです。 勅撰集には政治に対する配慮が必要でした。時代が降り、国政に占める武家政権の割合が重くなるほど、勅撰集に入選する武家歌人の数が増加します。これは公家が武家におもねることもありますが、武家が国政を事実上担っている以上は、勅撰集に採られることも当然なことです。そのような論理が撰者の側にも働いたことでしょう。鎌倉時代の勅撰集に、入選人数の上でも、北条氏を五摂家とほぼ同等にあつかっているのは興味深いことです。武家歌人を包みこんだ勅撰集は、当時の政治秩序の鳥瞰図と見ることもできます。 (つづく)
2026.08.04
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8月4日(火)歌集「瀧のこゑ」(46)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(13) 空は透明(2)わが魂の吸はれゆくかと思ふまで師の七七忌の空は透明遣らふなき哀しみの束みるごとくひとりしづかの花の一むれ心さみしきままに今年の春深みアベリアの花散りいそぐなり何処の誰が放ちし使者か電柱に嘴太鴉はわれを見てゐる (つづく)
2026.08.04
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8月4日(火)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(17)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第一章 秋の俳句を読む 二、秋の俳句を読む(3)【地理】昼は日を夜は月をあげ大花野 鷹羽狩行『六花』「花野」は秋の七草を始め、さまざまな野の花が咲き乱れ、華やかさに寂しさも加わり、哀れ深い趣があります。昼は太陽を、夜は月を掲げて、絵画のような楽しさです。日月あい照らす大宇宙を舞台に花野の広大さを表現しました。時間的長さも加えました。(つづく)
2026.08.04
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8月4日(火)昭和萬葉集(巻十四)(441)和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅵ(12)くさぐさの歌(12)女心(3)森重香代子吾の身はしだいに蒼く痩せ細り雪降る山の山姥やまんばとなれ伊藤貞子人が皆ただに耐へよと我に言ふ耐ふるとふ言葉の意味知りますや石野すゑ子ひたむきに子を守る猿の厳しき目人間吾も持つ獣の眼河村崎陽子神に倚よりて心明るしといふ便り この人もまた吾より去らむ (つづく)
2026.08.04
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8月4日(火) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(171) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月二十一日 いわゆる「人間的」事柄で、一番われわれの心が慰められるのは、人びとをより深く知れば、たいてい彼らが評判よりも良い人間だということである。(よりつづく)二月二十二日どんな苦痛でも、それにすこしの罪も混じっていなければ、堪えられるものです。(つづく)
2026.08.04
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8月4日(火)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(22)(注)わたし(後藤)が、自分のために意訳等をしています。参考:矢内原忠雄氏元東大総長預言者の運命 真理を口にする人には特別の悲哀があります。自ら真理に値しない小さな汚れた 身でありながら、神とか真理とかいう偉い名において発言しなければならない事から生ずる矛盾がその第一です。真理の名において告げるところが受け容れられず、実 行可能性のほとんど無い事が解っている事を述べなければならないのがその第二 です。もしそれが罪人の救われた恩恵の証明だけの事であれば、自分に相応しい 事です。しかしながら自分自身の罪人である事を熟知している者が、真理の名にお いて審判を述べなければならないとは、ああ何という矛盾でしょうか。罪人の身であ りながら、神の側に立つ人として召されたのがすなわち預言者であり、彼の立場に 対して誠に同情に耐えないものがあります。預言者はある時には神の側に立って国民の罪を責め、またある時には国民を代表する人として罪の赦しを神に請い求めま す。国民の一人としては神から打たれ、神の使者としては国民から嫌われます。こ れが預言者の運命です。だれか神に召されずして、自ら進んでこのような地位に立つ人があるでしょうか。
2026.08.04
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短歌鑑賞(柳 宣宏の一首)すわりたる背のあたたかし秋の海生まれる前から見てゐた気がする 『丈六』 柳 宣宏 残暑も過ぎ、台風の時期も過ぎた晩秋の頃です。砂浜に座り海を眺めています。夕日が背にあたたかく差しています。海は穏やかになぎわたり、寄せては返す波の音が静かに聞こえます。その規則正しい波の営みを見ていて、眠気をもよおすほどです。ふと、わたしは母の胎内にいて、母の鼓動を聞いているような錯覚を覚えたのでした。 わたしは、以上のようなストーリーを思い浮かべてこの歌を読んでいます。説明のないこの歌は、読者のご想像にお任せしますといったような作者の意図を感じたのでした。
2026.08.03
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8月3日(月)会社倒産(14)こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そうとしています。金繰り(9)清算の残務整理は空調のすでに切られし地下の事務室黄の信号のみ点滅の交差点倒産の後は通ることなけん中庭に椿咲かせて廃業となりたる宿に人影のなし稲の虫駆除せんとして農薬が青田の風に乗り入(はい)りくる輪投する老人会の憩いの場農薬散布の白煙覆う (つづく)
2026.08.03
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8月3日(月)駒田善治朗歌集「天遊」(20)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(20)時熟(2)ゆく秋のゆかずの心ゆかしめよ空喨喨りやうりやうと雁わたるなり断ちがたき増悪犯罪ヘイトクライムよそにして逃水追ふは罪のごときぞ色づかぬ冷蔵庫内の青トマト冷え症われになきか熟成神賜びし時いつしかに忘れられ時熟の時のなくて過ぎゆく (つづく)
2026.08.03
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8月3日(月) 武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(9)~鎌倉将軍から戦国大名まで~(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。発行:平成二十年七月十日著者:小川剛生序章 源氏将軍と和歌(9)鎌倉歌壇の源流(2) 実朝は、和歌にばかり熱心で武士として弱弱しいとされています。しかし、そのために人心が離反したというのは作り話です。武芸と歌鞠とは相反するものではなく、ともに重視されました。当時御家人は複数のグループ(番)にわかれていて、将軍に交代で祗候していました。当時武芸のほかに歌・鞠・管弦・書道などの技芸をもった人物が選ばれました。ですから、和歌が詠めなければ御所勤めが叶わなかったことも事実です。そのため、歌の詠めない御家人が実朝を謗る者もおったのでした。 (つづく)
2026.08.03
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8月3日(月)歌集「瀧のこゑ」(45)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(12)空は透明(2)食み余しのサラダをラップに被ふとき哀しみは堰を切りて溢るる師の在さぬうつつ思へば風邪ゆゑと人に告げつつこもりて過ごす師の姿思ほゆ春をさきがけて咲く河津桜 み魂帰りませはかなき命互に持つと野良猫にやさしき顔を見せてしまひぬ (つづく)
2026.08.03
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8月3日(月)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(16)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第二章 秋の俳句を読む 鍵和田秞子二、秋の俳句を読む(2)【天文】妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 中村草田男『火の島』たまたま妻が二晩家を留守にし、その二晩見上げた天の川は特別鮮明に輝いて心に沁み入り、妻不在の空虚な寂しさがいよいよ深く痛切になったのです。七夕伝説と結び付く「天の川」が浪漫性を添えています。「二タ夜」の繰り返しからなるおおらかなリズムが、人生の奥深い本質を提示しています。(つづく)
2026.08.03
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8月3日(月) 昭和萬葉集(巻十四)(453)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅵ(11) くさぐさの歌(11)青春の歌(8) 女心(2)浅野美恵子 柔軟な肉体の若き願ひなどなだめ来てわれの理知とは何か長森光代数多たびピカソが妻を変へしこと心平らにこのごろは聞く多田梅子酔ひ痴れてわがかたはらに眠りゐる太き腕かひなよまぼろしに見し山本かね子レントゲンの前に直立のわが裸身一本の樹が透視されゐん子を抱いだく広さとおもふわが胸をすり抜けて冬の笛を吹く風 (つづく)
2026.08.03
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8月3日(月) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(170) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月二十日 多くの人たち、特に女性のみなさんは、その天職を見失っております。たしかに、今日では天職を見失ってもやもうえないと思われます。なぜなら、現在の与えられた状況の中では、女性たちの活動する余地がないからです。この場合、天職にかわるどんな代用物、たとえば、ある種の享楽、芸術や芸術家に対するむやみな熱狂、クラブ生活、そのほか現代的教養のどんな種類も、この欠陥を補うことには役に立たないのです。 このような時に、どうしたらよいでしょうか。このような状況で、人の心を満たしてくれるものは、真実の、実益のある信仰心よりほかにはないでしょう。女性のみなさんの生活が、分裂に終わらないためには、今申しましたような信仰に達しなければならないでしょう。(よりつづく)二月二十一日 いわゆる「人間的」事柄で、一番われわれの心が慰められるのは、人びとをより深く知れば、たいてい彼らが評判よりも良い人間だということである。(つづく)
2026.08.03
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8月3日(月)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(21)(注)わたし(後藤)が、自分のために意訳等をしています。参考:矢内原忠雄氏元東大総長律法と福音 キリストの体であるエクレシアが先ず律法の下に規律を受ける事は、適切な自然の順序です。イエスが、「私は律法と預言をこわすために来たのではありません。かえってそれらを実現するために来たのです」と言い、パウロが、「律法は罪ですか、決してそうではありません、律法がなければ私たちは罪を知りません」と言ったように、律法は福音に道を準備し、福音は律法を成就(じょうじ ゅ)したのです。律法すなわち道徳律によって訓練と規律を与えられる事により、信 者のエクレシアは子羊の新婦としてふさわしい準備を与えられるのであり、それがなくては信仰は地についたものとならず、いや、信仰の喜びを知る事さえ出来ません。律法の下に立って自分の罪を知った人でなければ、罪のゆるしの福音を喜ぶ事が出来ないのです。
2026.08.03
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8月2日(日)会社倒産(13)こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そうとしています。金繰り表(8)店仕舞いできるは羨(とも)し日銭当て自転車操業する外はなく返済も業者払いもあとにして従業員の給料が先富名誉権力欲を捨てたしと思うもわれの我欲のひとつ砂浜の砂の一粒われなるか露の宿りて輝いている街角の最後の一夜灯し終え電話ボックス今朝撤去さるわが体作れる水よ道端の水溜りさえ天を写せり今月も遣り繰りついた風ぐるまかぜが無ければ息吹きてやる (つづく)
2026.08.02
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8月2日(日)駒田善治朗歌集「天遊」(19)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(19)時熱(1)刃のつかぬ鋏に砥石苛立てり夢と現のすれ違ふ朝心より薄き言の葉つつしみて愛しきものにのする手のひらかなしみを頒ちしものの遠ざかりいとしかなしと鳥の声きく人を見ずわれを人見ぬ道をゆく彼岸此岸といづくともなく (つづく)
2026.08.02
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8月2日(日) 武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(8)~鎌倉将軍から戦国大名まで~(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。発行:平成二十年七月十日著者:小川剛生序章 源氏将軍と和歌(8)鎌倉歌壇の源流(1)頼朝が政務を執っていた時期、鎌倉で正式な歌会が催されたか確認できません。頼朝の跡を継いだ頼家は蹴鞠を好んだが、和歌は伝わっていません。三代の実朝の時代に、つまり建永元年(一二〇六)二月四日、叔父の北条義時の山荘で「和歌御会」がありました。北条泰時、東重胤(とうしげたね)、内藤知親(ともちか)がその場にいました。実朝の十五歳の時です。 承元四年(一二一〇)九月十三日と十一月二十一日、将軍邸において源親広(ちかひろ)・知親・重胤・和田朝盛(とももり)等が参仕して会が開かれました。これが、鎌倉幕府におきまして和歌会の初見でした。御家人の間にも和歌に堪能な人が現われて実朝に近侍したことが知られています。 このころ、新古今集の撰者である飛鳥井雅経(まさつね)が、京都と鎌倉の間を往復していました。また、源氏物語の研究で知られる源光行も幕府の御家人になって鎌倉に定住しました。京都との人的交流も頼朝の時代よりずっと盛んになりました。歌壇の成立する条件が整いつつありました。(つづく)
2026.08.02
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8月2日(日)歌集「瀧のこゑ」(44)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(11)空は透明(1)師の訃報受けたる耳を疑ひて怒鳴るが如く聞き返したり腑甲斐なき弟子にてありしを許し給へ遺影に深く頭を垂るる短歌の道一筋にして「歴洋居」にどつかと在しき修行者のごと近詠にさみしき歌の多くありしは死の影を見つめゐたりしゆゑかみ柩にのびのびと手足伸べ給へ白菊を踵かかと近くに手向く (つづく)
2026.08.02
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8月2日(日)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(15)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第二章 秋の俳句を読む(1) 鍵和田秞子二、秋の俳句を読む(1)【時候】 秋立つや川瀬にまじる風の音 飯田蛇笏『山盧集』秋は風の音からやってきます。立秋に耳を澄ますと、近くに流れている川瀬の音と、その中に混じる風音を聴いたのです。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行」の和歌を踏まえて堂々と詠んだ。重厚にして繊細な鋭い感受性を感じさせます。(つづく)
2026.08.02
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8月2日(日)昭和萬葉集(巻十四)(449)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅵ(10)くさぐさの歌(10)女心(1)華 津也子 ものの芽の萌ゆる頃にか狂いたることなきわれのしず心なし苑 翠子ばね勁つよき若者と対むかふ夜の暖炉脂やに噴く焚木どつとと燃やす木田そのえ苦しまぬ日々に似て生くる吾に来てあなたの神と言う君の声嗚咽おえつひくひとりのこころ濯すすぎいて額ぬかにはねたる水の冷たし (つづく)
2026.08.02
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8月2日(日) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(169) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月十九日 自分の体験として申し上げますが、自分では気がすすまないながらも、他からつよく促されて行ったことは、不思議とほとんど良い結果を得ています。一方、自分の発意で着手し、自分ではよいと思ったことは、一向によかったためしがありませんでした。(よりつづく)二月二十日 多くの人たち、特に女性のみなさんは、その天職を見失っております。たしかに、今日では天職を見失ってもやもうえないと思われます。なぜなら、現在の与えられた状況の中では、女性たちの活動する余地がないからです。この場合、天職にかわるどんな代用物、たとえば、ある種の享楽、芸術や芸術家に対するむやみな熱狂、クラブ生活、そのほか現代的教養のどんな種類も、この欠陥を補うことには役に立たないのです。 このような時に、どうしたらよいでしょうか。このような状況で、人の心を満たしてくれるものは、真実の、実益のある信仰心よりほかにはないでしょう。女性のみなさんの生活が、分裂に終わらないためには、今申しましたような信仰に達しなければならないでしょう。(つづく)
2026.08.02
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8月2日(日)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(20)(注)わたし(後藤)が、自分のために意訳等をしています。参考:矢内原忠雄氏元東大総長安息日 安息日を守りなさいという事は、モーセの十戒の一つですが、その意味は疲れを 休めるという消極的な意味でなく、神の御業(みわざ)がいかに良く、いかに美しいか を見て賛美するという積極的な意味があります。毎日の生活も神に仕えるためです が、しかし日常の仕事に従事していると、神の大きな構想に応えて全体の宇宙なり また世界歴史がいかに良くいかに美しいかを大観する機会がありません。私たち が、非常に小さい所、あるいは小さい部分にはまりこんでいて、部分的にしか御業を 見る事が出来ないのです。それを全体的に大観して神の業を喜び賛美するために 安息日があります。だから安息日の一番正しい用い方は、私たちが教えられ実行し ているように、兄弟姉妹が集まって神の前に出て神の言葉を学び、いかに宇宙全体 と世界の歴史全体とが神の大構想に応えているかを崇(あが)める事にあります。 崇めて喜びかつ感謝する事です。私たちの疲労回復の最も正しい道、積極的な道 は神の御業を学ぶ事にあります。
2026.08.02
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8月1日(土)会社倒産(12)こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そうとしています。金繰り表(7)藤の蔓古木を巻きて登りゆく自ずとものに添いて生きいる力こぶして懸命に生きている生きものなんだ銀杏もわれも青雲の志もて日に向きし向日葵ひとつ頭を垂れる葉も茎も枯れて夕日に立ちており添木支える向日葵一本胃の全摘、前立腺の話題などわれらはすでに六十と知る一時間友と語りしひとときは六十分なり三千六百秒なりわが性(さが)の暗さを言いて叱りたる友の言葉を思い出しおり (つづく)
2026.08.01
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8月1日(土)駒田善治朗歌集「天遊」(18)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(18)草の名(2)草花に花に過ぎたる名をつけて永久とはの願ひをこめし古人ふるひと草の間に咲ける野の花ゆかしくてをみなの名まへつぎつぎ浮かぶ虫の音の絶えにし夜半にミンミンと耳に響くは虫の魂の音虫の音に清みゆく耳に襲ひくる無量の嵩の闇打つ驟雨 (つづく)
2026.08.01
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8月1日(土) 武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(7)~鎌倉将軍から戦国大名まで~(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。発行:平成二十年七月十日著者:小川剛生序章 源氏将軍と和歌(7)主従関係と和歌(3)将軍権力は、異なった性格の支配権を発揮する(佐藤進一『日本中世界史論集』)、つまり法律・行政など制度の裏付けを持った統治的支配権と、人間関係に基づく主従制的支配権です。この二つの支配権は、和歌でいう「ハレ」と「ケ」に当たっています。歌会で作法にのっとって披講される「ハレ」の和歌は、主催者の治世を祝言するもので、支配に寄与する影響は観念的とはいえ広く深いのです。一方、一種のコミュニケーションである「ケ」の和歌は、主従関係に直接作用しこれを強化する働きを持つが影響は一時的限定的でしょう。そして、中世和歌においてより重要であるのは、恐らく現実の権力の場合と同様に、前者(「ハレ」)の持つ効力です。 (つづく)
2026.08.01
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8月1日(土)歌集「瀧のこゑ」(38)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(10)風の街(2)冷静に告知受けしとぞ正面より癌に挑まむ気丈さ見せて右肺の半分切削病巣はたちまちにして深くひろがれり抗癌剤にひどくやつれて伏す叔父にかけやる言葉見失ひゐる病室の四角の空に流れゆく白雲小鳥ひかりはつ夏楽しみは後へ後へと残しおきし叔父よ病に負けてはならぬ (つづく)
2026.08.01
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8月1日(土)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(14)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第二章 夏の俳句を読む(7) 三村純也二、夏の俳句を読む(7)【植物】 叱られて姉は二階へ柚子の花 鷹羽狩行『愛日抄』柚子の花は独特の芳香がありますが、蜜柑ほどの華やかさはありません。わずかに紫を帯びた花弁もあまり開きません。親に叱られて、姉さんは二階へ上がっていきました。たぶん、泣いているのでしょう。「柚子の花」という季語で、この姉のふだんからの、地味でおとなしい性格が想像できます。(つづく)
2026.08.01
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8月1日(土) 昭和萬葉集(巻十四)(446)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅵ(9) くさぐさの歌(9)青春の歌(6)大林明彦椎よ椎なぜ悲しいか吊るされててるてる坊主がびしょ濡れの空キャッチャーの無きゆえ独り青空へ投げしボールは飛びゆきしままアンカーはかなしきかな 永劫を走りはしりて翔かけること無し (つづく)
2026.08.01
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8月1日(土) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(168) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月十八日 神の「真愛」こそ、ほんとうにわたしたちに尊敬の念をおこさせ、信服させる唯一のものです。神の「怒り」は、そのようではないでしょう。たとえば反抗的な人は、すぐ反撥して抗議するでしょう。「それなら、なぜ一体あなたはこんなふうにわたしたちを造り、こんな困難な状況においたのですか。」また、いわゆる「父の愛」も、そのような信服の気持ちを起させません。父の愛については、わたしたちは幼いころから、つねによい思い出ばかりもっているわけではありません。旧約聖書のいわゆる「花婿の愛」も同様、わたしたちにはなかなか理解しがたい観念です。これらは、いずれも言い表せないものについての不完全な比喩です。しかし、偉大なる主の、つねに親切な、慈しみにみちた、いつも大きなかつ広いみ心の、まったく真実の、すこしも飾らない態度、また、すべてを見渡し、しかも小さな善も認めて、つねに助けようと用意している態度、これこそ、わたしたちが神について真に求めているものであり、また、与えられるものです。(よりつづく)二月十九日 自分の体験として申し上げますが、自分では気がすすまないながらも、他からつよく促されて行ったことは、不思議とほとんど良い結果を得ています。一方、自分の発意で着手し、自分ではよいと思ったことは、一向によかったためしがありませんでした。(つづく)
2026.08.01
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8月1日(土)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(19)(注)わたし(後藤)が、自分のために意訳等をしています。参考:矢内原忠雄氏元東大総長 神の声 イエスの変容(へんよう)とモーセ、エリヤの物語とこれらすべての出来事を結ぶも のとして「これは私の愛する子です」との神の声がひびいたのです。これはかつてイ エスがヨルダン川で洗礼を受けたときに聞こえたのと同じ言葉です。その時は「私は あなたを喜びます」とあり、主としてイエス自身に神の子たる自覚を与えられたもの でありましたが(マルコ 1:11)、今度は「あなたたちはこれに聞きなさい」とあり、イエ スの自覚を固めるとともに弟子たちの信仰を確かにされたのです。十字架の死を前 にして、イエスの神の子としての自覚はもう動きません。今最も必要なのは、弟子た ちの信仰の確立です。近く現実にイエスが十字架にかけられる時が来ても、弟子た ちの信仰がそのために動揺しないように、彼らの足を強くしておかなければなりませ ん。そのために、このヘルモンの霊峰(れいほう)における神秘の庭に彼らを伴った のです。 こうしてヘルモン山頂に神の国の栄光を見た事は、イエス自身にとっても弟子たち にとっても十字架を克服する力の秘密の出所でありました。
2026.08.01
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7月31日(土)会社倒産(11)休憩:悼む最首悟氏(4)7月26日(日)午前5時からのNHKEテレで最首悟氏に関する番組を行っていました。そして、今年の2月8日にお亡くなりになっていることを知りました。 最首悟氏からは、私の歌集(「わが家の天使」)に序文をいただいています。直接お会いしたことはありませんが、知人を介しまして序文を書いていただきました。心からご冥福をお祈りいたします。 (注)最首氏には障害をお持ちの娘さんがおります。歌集「わが家の天使」序(4) 最首 悟(さいしゅ さとる) 後藤さんは「施設へとわが子の戻る月曜日解放されし哀しみが湧く」といわれる。わが家とは比較にならないたいへんな暮らしがある。そのたいへんさがなければ、「わが家には天使がおる」とは言われないだろうと思う。進行性筋ジストロフィーで二三歳のいのちを閉じた石川正一くんの一家は、本人を含め敬虔なクリスチャンであった。ご両親は石川君の死に際して、「天に召された」よろこびと身も世もあらぬ悲しみとを同時に示された。そのことを思うと、「天使」の思いの深さとひろがりが身に沁みてくるようである。 素直にならないと心の幅もひろがらない。そして信仰は人を素直にさせるのだと思う。そしてさらに喜怒哀楽の振幅のはげしさに呑み込まれないために信仰が必要なのだとも思う。後藤さんの短歌に触れていると、渦巻く平安とでもいうような嘆息と充足が立ちのぼってくるかのようである。 (完) 最首 悟さま有難うございました。 後藤
2026.07.31
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7月31日(金)駒田善治朗歌集「天遊」(17)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(17)草の名(1)白萩の花のゆらぎに道かはるひとりのこころ風みちづれに萩ゆれて心ゆらしてい行く道雉鳩去らずにわれをゆかしむ咲きゆるる萩の白花萩の波道なき道に花の風道萩の名の名のみ残れる丘のべのいづくに咲かむ曳馬野の萩 (つづく)
2026.07.31
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7月31日(金) 武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(6)~鎌倉将軍から戦国大名まで~(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。発行:平成二十年七月十日著者:小川剛生序章 源氏将軍と和歌(6)主従関係と和歌(2)慈円が頼朝に「京にすまはれんこそ世のためもよからめ」といい、常陸と陸奥に置かれた「勿来(なこそ)」の関によせて、来るなの意を掛けて… あづまぢのかたに勿来の関の名は君を都にすめとなりけり 慈円(拾玉集)にこたえて、頼朝は みやこには君にあふ坂ちかければ勿来の関は遠きとを知れ 頼朝( 同 )慈円が歌をほめると 五月雨のたえまがちなる雲のあひを空ぼめをする人にぞありける 頼朝( 同 )と即詠で頼朝はかえしました。これには、慈円も舌を巻いたといいます。鎌倉の将軍が、力を失っていき和歌活動も次第に影をひそめますが、途絶えることはありませんでした。 (つづく)
2026.07.31
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7月31日(金)歌集「瀧のこゑ」(42)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(9)風の街(1)高架橋夜空に伸びゆく灯のひかり銀河鉄道行くごとくゐる働き蜂といはるる人らここにゐて高層ビルの灯はまだ消えず新宿の副都心は風のまち木の葉のやうに吹かれて歩むひと廻りしか違はぬ叔父が肺癌を病むを見舞へり心痛みてふるさとを発ち行きてのちの苦学生叔父の吟じゐし「楓橋夜泊」 (つづく)
2026.07.31
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7月31日(金)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(13)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第二章 夏の俳句を読む(6) 三村純也二、夏の俳句を読む(6)【動物】水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首 阿波野青畝『春の鳶』宇治の平等院での作品。水が揺れるので何だろうと思ったら、蛇だったという驚きです。「蛇の首」に焦点を絞って、「泳ぐ」や「池」という言葉を使っていないところが、この句の巧みな表現方法で、不気味な感じが想像できます。蛇も阿弥陀さまの救いを願っていたのかもしれません。 (つづく)
2026.07.31
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7月31日(金) 昭和萬葉集(巻十四)(437)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅵ(8) くさぐさの歌(8)青春の歌(5) 佐藤通雅失意せることは言わざり野に来れば精悍な馬放ちてやりぬ軟水にバラ洗われていたりけり批判書一つ書かんあかつき闘争の勝利を語る背後にて一人黙しつつ林檎をむきぬ権力に背きゆきつつわれらかく清しくなれる肩・まだら雪 (つづく)
2026.07.31
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7月31日(金) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(167) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月十七日 人から受けた不正をいつまでも思いつづけることは、つねに有害です。その上無益でもあります。そういう考えはいそいで払いのけなさい。そのようなことで元気を失わないようにすることが一番よいことです。 正直な人ならば、自分がいつも不相応に高く評価されていると思い、また当然受けるべき苦しみも受けてないことを、ひそかに告白するにちがいありません。(よりつづく)二月十七日 神の「真愛」こそ、ほんとうにわたしたちに尊敬の念をおこさせ、信服させる唯一のものです。神の「怒り」は、そのようではないでしょう。たとえば反抗的な人は、すぐ反撥して抗議するでしょう。「それなら、なぜ一体あなたはこんなふうにわたしたちを造り、こんな困難な状況においたのですか。」また、いわゆる「父の愛」も、そのような信服の気持ちを起させません。父の愛については、わたしたちは幼いころから、つねによい思い出ばかりもっているわけではありません。旧約聖書のいわゆる「花婿の愛」も同様、わたしたちにはなかなか理解しがたい観念です。これらは、いずれも言い表せないものについての不完全な比喩です。しかし、偉大なる主の、つねに親切な、慈しみにみちた、いつも大きなかつ広いみ心の、まったく真実の、すこしも飾らない態度、また、すべてを見渡し、しかも小さな善も認めて、つねに助けようと用意している態度、これこそ、わたしたちが神について真に求めているものであり、また、与えられるものです。
2026.07.31
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7月31日(金)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(18)(注)わたし(後藤)が、自分のために意訳等をしています。参考:矢内原忠雄氏元東大総長真実な生活態度私たちは全く真実な生きた信仰の生活態度によって信仰を学んで行かなければなりません。このような真実の生活態度をもって真理の道を生きて行く人は当然孤独であるのです。この世の人は信者も求道者も混ぜ物を要求します。その要求におもねって教会も伝道者も混ぜ物のキリスト教を与えます。このごろの日本はキリスト教がだんだん世間にもててくる様子であります。この時にあって私たちが特に注意しなければならないことは、世から評判の良いキリスト教にならないことであります。世と世にあるものを愛さないで、神の国と神の義を求めて生きるその信仰に徹しなければならないと思うのです。この真実という問題について本当に大きな道しるべを私たちに残した人が藤井武です。藤井武は真実のためという一つの戦いを戦い抜きました。それが彼の戦いの全部でした。(矢内原忠雄「藤井武を思う」全集 17:615)彼の地上の人生は43年に満たず、彼に許された結婚生活は11年に過ぎませんでした。彼の雑誌の読者は八百に足らず、彼は一銭の貯えをも残しませんでした。彼の家は彼の死後、二度の空襲(くうしゅう)で焼かれてしまいました。彼の熱愛した祖国は彼の預言の通り亡び、青年男女は彼の警告を無視して、今なお快楽を追い求めています。彼は一本松のように丘の上に立ちます。無数の人と車が彼の前を過ぎますが、多くは彼に見向きもしません。彼は一人の弟子も残さず、死後満30年を迎えて、彼のために公開記念講演会を開く者もいません。世を去る直前、彼は「人間エレミヤ」を論じて、「ああこれ完全に失敗の生涯ではないか」と言いました。藤井よ、あなたの生涯もまた「完全に失敗」ではありませんか。 私たちは彼がエレミヤについて語った言葉をもって、そのまま彼の生涯の飾りとしましょう。(藤井武「人間エレミヤ」)
2026.07.31
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7月31日(金)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(13)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第二章 夏の俳句を読む(6) 三村純也二、夏の俳句を読む(6)【動物】水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首 阿波野青畝『春の鳶』宇治の平等院での作品。水が揺れるので何だろうと思ったら、蛇だったという驚きです。「蛇の首」に焦点を絞って、「泳ぐ」や「池」という言葉を使っていないところが、この句の巧みな表現方法で、不気味な感じが想像できます。蛇も阿弥陀さまの救いを願っていたのかもしれません。 (つづく)
2026.07.30
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