11月30日(金)
「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(419)
ヒルティ著草間平作訳
発行所 岩波書店(1935年5月15日)
(注) あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や
表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し
ています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。
信仰とは何か(5)
一(4)
(前日) 科学にとって認識しうるもの、証明しうるものとしては存在しえないものということです。それにもかかわらず、実際には存在しうるものです。そのものを認識できないからといって、一方的に排除することは絶対できないでしょう。 (よりつづく)
しかし、この問題の難点は決してそこにあるのではないでしょう。世の中に、信仰が欠けているのではないのでしょう。世間の人たちは、自分の都合のよい、信じやすい理屈さえあれば、どんな空想家の説でもやすやすと信じるのです。ほんの少し前まで、現世紀の最も教育ある無数の男女が、自分では吟味できないのに、少数の自然科学者の単なる断言に基づいて、次のように信じていました。つまり、われわれ人間はすべて猿から由来したものであるが、げんざい猿と人間とのあいだの中間種はほろびてしまったのだ、と。
(つづく)
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