曹操閣下の食卓

☆自己犠牲と奉仕の精神





 下手な野球でも、打てる人と打てない人がいる。
 その見切りをつけることができずに、監督が打順の調整を間違えると、どうなるか。
 毎回出塁していてもタイムリー・ヒットが出ないで、すべて残塁・無得点ということがある。
 これは一人一人の選手の失敗というより、監督の采配の失敗によるものだと誰でも思うであろう。

 イチローの振り子打法を評価できず、
 「そんなバッティングフォームではダメだ」と強引に主張しつづけ、イチローを排除した人物(二軍の打撃コーチ)は、誰もその名を口にはしないが、野球界からすでに実質的に永久追放されている。
 監督が悪ければ、イチローのような選手の才能の芽を永久につみとってしまうこともできるし、逆に監督次第で開花させることができる。
 そこにおのずから監督の出来、不出来が人事問題にあることが理解できるであろう。

 諸葛孔明は臨終の間際に、遺言として自分の死後、蜀王朝が頼るべき宰相の後継者をだいたい列挙した。
 しかし最後には寂しく沈黙してしまった。
 それ以降を支える人材がいないこと、そして皇帝の劉禅が暗愚で、自分をウソでも持ち上げる側近たちに、やがて政治を任せるであろうこと。
 そんなことぐらい、賢明な孔明も知っていたであろうと忖度するのだが。

 劉禅は、今風に言えば、明らかに精神薄弱症を高齢までひきずっていた。
 あまりにも肥満して、宦官にうながされ、世話をかけないと起床できなかったとか、人前で泣き出したり、汚物を粗相するなど、異様なエピソードに事欠かない。
 明らかに病気であった。
 孔明が「劉禅は性格が純朴な人物だ」と持ち上げながら、首都の成都から離れ、漢中で幕府(実質の政府)をつくり、宰相・大将軍として政治をしていたのはなぜか。
 皇帝の劉禅のブザマな状態を毎日のように見て、いちいち取次ぎの宦官たちに儀礼的に政務の指示を仰ぐのが、彼としてもつらかったし、耐えられなかったのであろう。

 蜀が滅亡した後、劉禅と側近たちは人質となり、四川・成都から河南・洛陽に強制連行された。
 それでも劉禅だけは「山陽公」という名ばかりの爵位をもらって、悠々自適の風だった。

 あるとき、司馬昭が劉禅を食事に招待して、
 「成都を思い出して、寂しくはないですか」と問いかけた。
 すると、劉禅は素っ頓狂に言った。
 「そんなことはありません」
 司馬昭たちは顔をしかめた。
 座がしらけた。

 すると側近が劉禅の袖の端を引っぱり、トイレに立たせて、
 「あのような場合には、四川にのこった民衆たちの暮らしが心配でなりません、と言いなさい」と強く叱った。
 司馬昭の部下は、この会話をトイレの前で立ち聞きして即座に報告した。

 もどってきた劉禅は、作り笑いをしながら、
 「さきほど言い忘れたことがある」といって、側近の言葉そのままを懸命に言うのだった。
 言った後も、それほど心配そうでもなく、「うまく言えたぞ」とニコニコしていたであろう。

 劉禅たちが帰った後、司馬昭は憮然として言った。

「あんな馬鹿野郎のために諸葛孔明ほどの人物が長い間、意地を張ってがんばっていたのか。御苦労なことだな」

 このエピソードは、熱狂的な三国志ファンの間ではほとんど知られていないが、史実である。
 そもそも『三国志』といい、『三国志演義』というものは、暗愚な後漢王朝の皇帝に、宦官たちと名門官僚たちが権力争いをして、政治体制が混乱したところから始まったのである。
 『三国志』の英雄たちの活躍の後に、曹操の孫の明帝は子がないまま急死、孫権の孫はゼイタク三昧で自滅し、劉備の長男は中高年になっても寝小便をして宦官の自由にあやつられていた。
 何のために英雄たちは知略と武勇を戦わせたのか。

 われわれが検討している大戦略といい、戦略といっても、それを立案したり、実行する人物がだらしなかったら、御苦労な分だけ無駄なことである。
 『三国志』の時代の後、西晋王朝も王族の反乱で内部崩壊し、傭兵部隊の拓抜族が北魏王朝を樹立し、華北一帯を異民族支配した。
 司馬氏の王家は江南の会稽に遷都し、東晋王朝となった。
 この北魏王朝の権力を受け継いだ隋・唐の王家・王族も北方遊牧民族の出身であり、後漢以前の秦漢民族ではなかった。
 これが『三国志』の結末である。

 本格的に戦略理論を学ぼうとする人は、この厳然たる歴史記録を決して忘れてはなるまい。
 自分のために。
 指導者の分析を怠ったら、あなた自身が犠牲の山羊(スケープ・ゴート)にとりついた小虫のように、もろともに焼き殺されてしまう運命に陥るわけだから。

 われわれは人事の戦略問題を、単に批判的な手がかりとして考えるばかりでは足りない。
 積極的に埋没した人材を発掘したり、一人の人間の中に埋没した向上心を掘り出す課題としてとらえなおさねばならない。
 その抜擢と更迭の分別のコツを、《逸周書》は次のように短く断じている。

賢者輔之、
乱者取之、
作者勧之、
怠者沮之、
恐者懼之、
欲者趣之、武之用也


 「賢者輔之」とは、役に立つ人物には積極的に手を差し伸べて、大事に参加させるようにすることを意味する。
 「輔」は貴人の乗用車の補佐で、側近のこと。
 有能な部下や実力のある目下に自分から頭を下げて、知恵や手腕を借りることに躊躇するなというのである。

 「乱者取之」とは、組織の足並みを混乱させるような突出者は排除したり、摘出すること。
 無視して放置しておくと、たちまち全体が崩壊する。
 「取る」というのは、いい意味でも悪い意味でも使うので、単に人事更迭を意味しているのではない。
 しかし例えば、小学校一年生の教室で、自由放任主義の保育のルールを引きずって、教室内で奇声を発して教師の注目を引こうとしたり、授業が始まると席を立って走り回る子どもがいるとしよう。
 それがたとえ最初は3人ぐらいの問題であったとしても、これを教師が放置すれば、5人、7人、12人、25人と暴れる子どもの数がどんどん増えていくことは間違いない。
 こうして教室は入学式から一週間もたたないうちに確実に崩壊する。
 最初に問題が起きたときに、職員や用務員にも協力を求めて、最初の3人を囲い込み、席を黒板横に移動させたり、あるいは学校に残して父母を呼び出したり、家庭にも訪問して、「教室のルール」を確認しなければならない。
 子どもが納得するまで、何度もやらねばならない。
 教室内の秩序を確立できない原因を徹底的につぶさなければ、他の子どもたちが「走り回っても先生は何もできない」と勝手なルールを作って、みんなで暴走してしまうのである。
 その原因は、最初の3人で問題の拡大を止めることができない教師の未熟と無能にある。
 その意味でも、「取る」という語意は深遠であろう。

 「作者勧之」とは、前の「取る」を積極的に受ける。
 「作者」は組織の積極分子のこと。
 ヤル気のある人材は、ますますヤル気を引き出せというのである。
 この組織経営の原則は、後に問題も引き起こすことになる佐川急便・リクルート・朝日ソーラーなどでは、小さな会社から急拡大した起爆剤にもなった。
 京セラやオリエント・ファイナンスなどでは企業倫理に配慮し、幹部を含めて組織のあちこちに適切なブレーキが働いたので、バブルに踊らされることもなく、スキャンダルに陥ることも未然に防止されたのである。
 ある元京セラ社員に聞くと、一般社員は業績主義一本でドンドン行かせるが、係長になるとその業績の中身が問われる。
 課長クラスになると、年間計画でコスト削減目標や顧客の信用調査や選別にもかかわってくる。
 部長になると五ヵ年の計画で売上倍増を目標としつつ、業績が低迷するプロジェクトを剪定しなければならない。
 取締役になると、さらに善悪の判断や将来の見通し、不法行為以下の企業としての美学も要求される。
 これが稲盛イズムの絶妙な営利と倫理のバランスを形成している。
 そこには「有徳で道義をわきまえた者のみが、人々の上に立つ指導者の資格がある」とする東洋哲学の理念が貫かれている。

 「怠者沮之」とは、ヤル気のない人間は、「水の中に突き落として放り込め」ということである。
 かつて湘南に戸塚ヨット・スクールという、この原理をそのまま実行する私塾があった。
 そこではすでに社会問題となっていた登校拒否や引きこもり・家庭内暴力などの問題少年たちを引き取って、ヨットの訓練を手かがりに集団生活規律や社会性・協調性を叩き込もうとするのである。
 泳げない少年も水泳を教える前に海に投げ込む。
 そんな「スパルタ教育」の代表格として有名になった。
 しかし反抗心旺盛だが体の弱い生徒に体罰を加えて死亡させたとして、校長が逮捕され、実刑判決を受け、スクールは解散に追い込まれた。
 もし、このスクールに医師や看護婦が常駐し、いきすぎた体罰や少年の間のいじめを制止したり、反抗する側の心の相談にも応じていたら、ヨット・スクールは存続していたであろう。
 古代文献の警句にも合致する人間教育は、ある意味で千古不易、永遠不滅の原則に基づいているともいえる。
 戸塚ヨット・スクールできちんと更正して社会に出ている人々もいて、未だに伝説化されているのは、それなりの理由があるのである。
 組織は何でも単純一色の枝分かれとか、金太郎飴ですすめばいいというものではない。
 大きくて複雑な組織ほど、いろいろな方向をむいた多くの小骨で体の各処を保護し、支えなければならないのである。

 「恐者懼之」とは、戦争恐怖症のように「勇気のない弱虫な者は、ますます懼れさせよ」という。
 弱虫な者を前線に出すと、さっさと逃亡してしまうかといえばそうではない。
 逃亡した場合の軍規の刑罰が懼しいから、仲間を棄てたりできないのである。
 「恐」は戦争のような状況や怪物などの事物に対する恐怖心を意味するが、「懼」は権威や法律、刑罰に対する恐懼を意味する。
 勇気のない弱虫な者は、軍規を無視したり、法律を破る不逞な大胆さもないので、平時においては秩序を維持する上では積極分子だと評価することもできる。
 いわば人間の性格を組織の調味料のように使うわけである。

 「欲者趣之」とは、「やりたいことをさせなさい」ということだ。
ホンダの創業者、本田宗一郎さんの経営哲学でいうと、
 「得手に帆をあげて進めば、人も会社ものびないはずがないじゃないの」ということになる。
 得意なもの、欲しいもの、好きなもの、そして夢見るもの、人間は自分を前向きにさせる何かを持っている。
 それに打ち込み、情熱をかたむけることが周囲にも評価され、顧客にも喜ばれ、社会にも有益で、何かの形で人生の業績としてのこるということであれば、こんなに素晴らしいことはない。
 本田宗一郎さんはそういう人だった。
 この前、街中を歩いていて、昔のこんな歌が流れていた。
 「カネのないヤツは俺んトコへ来い。俺もないけど心配するな。そのうち何あんとかなるだろう」
 本田さんが好きな歌だった。
 もう酒を飲むのは毒だったと思うのに、酔って顔を赤くしながら、この歌を本当にうれしそうに歌うのである。
 そんな本田さんがとてもなつかしい。
 「オヤッさん、ダメすよ、そんな大声を出しちゃあ」と軽く言っていた自分が実にもったいない。
 夢があるから、やりたいことがあるから、お金の苦労ものりこえてきたという気持ちがこめられていた声だった。
 人を集めて、会社になって、もっとドンドンやりたいことがあるんだ、カネの問題なんかじゃないぞ、俺の生きざまを見よという気持ちがあふれていた。
 かつてマーチン・ルーサー・キング牧師は、演説で「アーイ・ハヴァ・ドリーム」と何度も連発するのだが、これは要するに「俺にはデッカイ夢があるんだよ」ということだ。
 本田のオヤジさんがニコニコして歩いていると、それだけでデッカイ夢がやってきたような気持ちになったものだ。


 その反面、最近は夢のない人を多く見かける。
 家族もいる。
 マイホームも建てた。
 それでもリストラで失業した。
 子どもたちはまだ学校に行っている。
 仕方がないから職を探すけれども、給与や以前の職務経験を生かすポストなど、自分のイメージする条件に見合った募集がないので、失業状態が続いているという。
 こんな人が本当に多い。
 私はそのような人に率直に言ってみる。
「あんた、何がしたいんですか。何のために生まれてきたという使命感はないんですか。自分が生きている間に何をしておこうというライフ・ワークもないんですか。これを残そうというこだわりもないんですか。それでは生きがいもないし、死にがいもない。会社に甘やかされ、適当に踊っていた人形が糸を切られて川に流された状態だ」
 これで怒って、「そんなことはない」と言い返す情熱のカケラでもあれば良いのだが、「そういえばそうかも知れない」という人は深刻である。
 家や家族、会社や肩書きで、燃え尽きてしまって、改めて自分で何かをやり出そうという気持ちもない。
 お金をもらわないと動く気が起きてこないし、決して自分から動くことはない。
 強く命令されたら動くけれども、長く動いていたら、つい手抜きをしてしまう。
 そんな抜けガラのような人をよく見かけるのである。
 生きかたが間違っている。
 自分の人生を見失っている根本の事実に目をそむけているからである。
 そのように落ちるところまで落ちて全てを失いつくさないと、自分の本当の人生が見えてこない不幸な人もいるのである。

 戦略というものは、組織を動かし、実に多くの人々の人生を左右しかねない。
 ライバルと張り合っているうちはいいが、敵を完全に叩きつぶしてしまえば、満足感があるかといえばそうでもない。
 小さな店、小さな企業でも、こんなことがいくらでもあるのである。
 そんなことをいちいち気にして嫌がっていたら、小さい店は小さいままであるし、他国の災害募金にカネ出す余裕もなくなるであろう。
 それでも先に進むことができるのは、夢があり、志があるからである。
 だから夢もなく、正しい志もない人々に戦略を学んだり、みだりに語ったりしてもらいたくない。
 これが私の本当の気持ちである。
 それが世の中を悪くするのである。
 戦略は犯罪にも使えるのであるから。

 曹操は孫子兵法の放火戦術の段に注釈をつけて、
「このような放火戦術は、普通の兵士にさせるわけにはいかない。放火犯や殺人鬼のように、異常な犯罪をする連中にやらせるのだ」 と述べている。
 アメリカ軍も、トラブルを起こして軍事法廷で重罪の判決を受け、服役していた囚人兵から志願を募って特殊部隊を編成し、敵軍の司令部の襲撃など特殊作戦で活躍するテロリスト集団として訓練していたことがあった。
 韓国軍が北朝鮮首脳部の暗殺のために、囚人部隊を暗殺訓練した経緯を描いた映画『シルミド』は、日本でも大ヒットした。
 悪魔と直面しても恐れず、天使と出会っても迷わない心、それが真の戦略マインドであり、多くの人間の人生を左右して、勝利と利益をもたらす方法論である。
 個人の感情ではなく、それを求める人々のために指導者があり、集団があり、組織があり、戦略が必要になるのである。

 したがって指導者も戦略も、突き詰めて考えれば、そこに献身の精神と自己犠牲が奥底になくては人々を動かすことはできない。
 命令で人々が動くとしても、各自が指示を待ちぼうけて勝手にしているような態度では、最大の成果を得られることはできない。

 諸君諸兄に自己犠牲の精神があるか。
 組織の目的達成のため、自ら信ずる指導者のため、あるいは国家のために献身の覚悟ができるか。
 自分の身を賭してこそ、人は本当の仕事、本当の人生の勝負ができるものなのである。


ban_kanzaki


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