曹操閣下の食卓

☆戦略不在経営の蹉跌





 よく「マーケティング戦略」という言葉を耳にするが、その多くは「戦術レベル」に過ぎない。
 組織のビジネス・モデルの中に戦略構想を持ち込むなら別であるが、マーケティングが相手にするのは市場・マーケットであり、それは常に変化し続けるものである。
 そして商品の生命は有限である。
 伝統的な老舗の定番商品は何百年も変わらないものがあるが、それでも季節商品や新作、あるいは過去の復刻版・人気商品の改良版などを出す努力をしない老舗はない。
 この変わるものと変わらないものを分ける基準・原則こそが戦略構想・ドクトリンであり、個々の商品についてまわるのはあくまで戦術レベルの発想である。
 個々のマーケティングをいちいち「戦略的」に考えていたら、いつのまにか大切な本業がお留守になってしまわないか。
 アメリカ軍には戦術兵器・戦術師団は実在する。
 しかし、アメリカの経営学に「戦略商品」なるコンセプトはない。
 経営が落ちていた昔の日産自動車も、あるクルマを「これがわが社の世界戦略商品だ」なんて威張り腐っていたな。
 そんな風に、現場を見ない幹部たちの、単なる言葉の誤用が「戦略不在」の原因となるのだ。

閣下は専門家として現場に警告する。
 バブルのような目先の投機リスクに経営資源を傾けてしまって、失敗したときになって初めて、本当の戦略がなかったことに気づくのである。
 したがって、このような誤用の失敗を避けるために、次の格律(Maximum)を生かしてほしい。

(1) マーケティングは必ず戦術レベルで扱う。
(2) その上で市場の評価と参入・撤退のタイミングは戦略構想で判断。


 「iモード」はヒット商品になった。
 携帯電話でインターネットが使える。
 これを家電に生かそうということで、電話機やファックスにも「Lモード」というメール機能がつくようになり、以前は盛んに宣伝していた。
 しかし、よく考え直してみると、これはサービス開始とともに、ほとんど討ち死に全滅覚悟の状態であった。
 携帯電話はすでに写真や動画の配信が可能な機能を標準装備しているのに、「Lモード」は文字を液晶表示するのがせいぜいで、写メールやFOMAの動画メールにも及ばないではないか。
 まともに判断すれば、電話機・ファックスと新型携帯電話は別々に使用するのが便利であり、「Lモード」はLDなどと同じ「死んだ技術」になってしまった。

 LDは今でもカラオケなどでは使われているが、CD-ROMの大きなもので、DVD技術が出てくると、もう新製品はストップした。
 中古ソフトはタタキ売り状態である。
 元値は数万円したはずの『宇宙戦艦ヤマト』の映画版LDは、何と中古ビデオ屋で2.000円になっていた。
 「買うんですか」
 店員は驚いた。
 「LDプレイヤーを持っているんですか」
 「いやあ、ちゃんと電子化された映像だから、保存しておけば、いつかビデオ・ファイルに転換できるじゃないか。ハッハッハッ」
 つまり、閣下にしてみれば、LD技術なんてものは、昔の滑稽なお化けのようなものなのだ。
 巨大メーカーの開発者たちは苦労しただけ、「ご苦労さん」としか言いようがない。

 他にも、ソニーのMOとか、松下のPDとか、いろいろな記録メディア方式があったが、一応成功したのはCD-Rである。
 全てのソフトはCD-ROMに記録されているので、あらゆるパソコンは基本的にCD読み取り機能がついている。
 PDやMOの読み取り機械などはいらない。
 余計なものなのだ。
 それだけでも市場はパソコン全てに及んでいた。
 素直な心になってみればわかりそうなものだが、最近の新型パソコンに搭載されているCD-RW、DVD-RWなどは非常に便利である。
 これで大儲けしたのは、Bufferoであり、IO-DATAであった。

オーディオの録音も、ソニーのMD技術はまったくの時代遅れになった。
 ソニーは以前に「ベータ・ビデオ技術の撤退」という歴史的大失敗をしたのに、引き際を心得なかったとは粗忽なことだ。
 それはスティック・メモリ型の録音・ステレオ再生ができる怪物ヒット商品RIOが登場したからである。

(1) 記録メディアとして、フラッシュ・メモリ技術が発達したこと。
(2) wavやmp3など1曲・1メガ以下の比較的軽い音楽ファイル録音ができる。
(3)フラッシュ・メモリは258メガから1ギガ(1.000メガ)まである。
(4)軽いmp3ファイルならば、200曲以上も録音できる。
(5)曲の入れかえや、配列など、パソコンで簡単に操作できる。


 今後の新商品は、すでにDVD録音やDVD録画が主流になっている。
 日本発の国際標準・VHSビデオテープもいらなくなるというわけだ。
 そういえば、こいつにも「S-VHS」なんて「行き止まり」があったなあ。

 次世代携帯電話の構想と、サービス開始の時期までわかっていながら、ほぼ同じ時期に「Lモード」を後追いしてきた家電メーカーこそ、いい面の皮であった。
 「戦略、戦略」なんて、いい気になって、NTTデータから「iモード」のおこぼれをもらろうとしているから、携帯電話の進歩も目に入らなくなるのだ。
 戦略はオプションによって動かすものである。
 新型携帯電話FOMAが動画配信に進むのなら、固定電話機やファックスはドラスチックにインターネットに直結した形態を模索すべきであった。
 ADSLなどブロードバンド回線を使用するファックスはカラー送信が普通になるし、いちいち紙焼きする必要もなくなる。
 文字情報は簡単にワープロ文書に変換される。

 こうして時代の変化の流れに、素直に戦術を立てていけばいいのだ。
松下幸之助翁が述べたように、素直な心になれば、本質がわかり、未来も見える人間になれる。
 LDやLモードのような「行き場のない出来損ない技術」、
 MO・PDのように自社製品しか通用しない「何ちゃって引きこもり技術」、
 これは戦略理論のタブーを戦術として選択した当然の帰結だ。

 素直な目で、素直な心で考えれば、こんな「天地無用」の偏屈マーケティングは出てこないはずである。
 オプションのない「戦略モドキ」で、戦術レベルの戦いをしようとするから、突然の変化についていけずに失敗するのである。
 晴れの日はいいが、雨の日は困る、曇りでは走らないということでは戦略の停滞とともに、会社そのものが大きな損害を出すことになる。


 LDもPDも一つ一つをとってみれば、なかなか優秀な技術である。
 しかし、素直な心で実際をみれば、市場の要請は別なところにあったのだ。

 ある少年が何かのテレビゲームですばらしい才能と優秀性を示しても、それでオリンピックに出られたり、金メダルがとれるわけではない。
 せいぜいメーカー主催のアマチュア大会で入賞して少額の賞金が出るのがせいぜいだろう。
 しかし、そこに至るまで投入された労力は「何ちゃって引きこもり」で浪費されたのである。
 その少年が、もっと社会的に評価され、社会の要請も強い分野で努力をしていたら、成功の果実はさらに多かったわけだ。

 閣下が、LDを「行き場がない」とか、PDを「引きこもり」と、あえて幼児のように表現するのは、マーケティングそのものがお粗末だったからである。
 戦略のプロが関わった仕事ではありえない。
 全くのド素人たちの行き当たりバッタリで、バタバタ倒れているわけだ。

 閣下は三井物産の重役にこう送りつけてやったのだ。
「三井物産戦略研究所を、三井物産希望的観測所と変更しなさい」
 まず、そのどうしようもなく幼稚な発想を変えなさいということだ。

 携帯電話のTUKAが「説明書の要らない簡単な携帯」で大ヒットしている。
 何を隠そう、閣下も携帯の文字盤を使うより、ノートパソコンのキーボードのほうが便利なものだから、重さを覚悟して、いつも持ち歩いている。
 思い返してみると、パソコンほど多機能な商品はない。
 閣下の新品CPU・2GHzの高速ノートPCも、研究室のCPU4個の改造マシンも、考えてみればネット関係とワープロみたいなことにしか使っていない。
 経営シミュレーションは、大学のホストと無線LAN連携作業だ。

 「かんたん家計簿」なんて、使わないソフトが旧COMPAQのパソコンにたくさん同梱されていたが、あれはムダだったなあ。ホントに。
 ネット・オークションで500円でいいから売りに出せればよかったんだが。

そんなわけで、今日は「日本企業の慢性的な戦略不在」の本質問題を論じるために、商品開発、技術開発における
 「多機能のワナ」★
をテーマとしよう。

 現代戦略論の諸方法の概説といっても、実際の生活やビジネスに役立たないものであったら、普通の生活者が虎退治の方法を学ぶのと大差はない。
 学問としては初歩的でも、実際の役に立つことから始めることによって、だんだん学び進んでいく実際の必要が出てくるものだからだ。
 バブルの時は何でも最新のものがよいということで、デリバティブやジャンクボンドに飛びついた人々がいたが、その末路は現に実に哀れなものである。

ここ数年、われわれは電気製品にも「賞味期限」があることを知った。

 普通の家電は、「使用期限」は特に故障しなければ10年以上は持つだろう。
 実際にワープロなどは10年以上も同じ機械を使っている人がよくいる。
 しかし、パソコンの機種変更も驚くべきものがある。
 CPUだけでも、現在のPentiumIVは最高2GHzであり、PentiumIIが標準400MHzだったことを考えると、たった数年間で全然別の機械になってしまったと思わざるを得ない。
 これをアメリカでは「Hzマーケティング」という。
 CPUの性能が400MHz、800MHz、1GHz、2GHzと大幅に上がっていくにつれて、パソコンの買い換え需要が促進されるということだ。

 私も前世紀末に「ISDN」にだまされた人間で、ISDNルーターなんかが未だに商品として売られているのが今では信じられない。
 私がISDNを入れて半年後に、もうADSLで1.5Mの普及が始まった。
 後の祭りで、せっかく買ったISDNルーターは、ADSLの専用回線を入れるともう必要なくなった。
 韓国製のルーターは「貸与」、つまり無料。
 料金は半額以下。
使用生命が一年以内に切れてしまう電気製品はさすがに口惜しいものである。
 「まんまとだまされた」という印象が強い。
 賞味期限が切れた商品を売りつけられたような気持ちだ。

 今ではISDNのために組織があり、その専用商品があること自体が馬鹿げたことであると思う。
 閣下は秋葉原の街頭に立って「もうだまされるな」と3時間は演説できるぞ。

 YahooBBのおかげで、8MのADSLが普及して標準となったが、光ファイバーは100Mでサービスを開始した。
 しかも8MのADSLの説明をきくと、
 「実際に8Mの通信状態ができるか保障できない」という但し書きがついている。
 そこで私は、もうADSLにだまされるのはやめて、光ファイバーの100Mならば、80Mまで落ちることはないし、二年ぐらいは持つだろうということで選択をしたのである。
 光ファイバーの設置は遅れに遅れている。
 電柱の使用許可をもらうのに申請をして半年かかる状況だという。
 電力会社も光ファイバー市場に参入しようとしているから、なるべくライバルを足止めしたい気持ちはわからないでもない。
 韓国は最初からADSLを導入しており、ISDNという変な回り道をしなかった。
 しかも韓国では国内のインターネット電話が無料ということもあって、それがパソコン通信の国民的な普及にドライブをかけている。
 日本は世界で最も光ファイバー網が完備しているはずなのだが、それを一般に開放しないものだから、光インターネットの普及に足踏みをしている。
 NTTも一般加入電話の収入を守るために、インターネット電話の無料化には防衛的である。
 このような停滞があるから、「Lモード」のような出来損ないが登場したのだ。

 人々は新製品に目を奪われながら、それに追随することに疲れて、余計なソフトや不要な機能なんか価格に上のせして欲しくないと思う。

特に家電製品はこの「多機能のワナ」に陥りやすい。
 何度も批判するが、「Lモード」も、この「多機能のワナ」の一つであろう。
 いい例がビデオ・デッキや電子レンジである。
 私の記憶では、電子レンジやエアコンに「Lモード」をつけて、外から携帯電話で操作したり、最新の調理レシピがダウンロードできます、なんていうやつ。
 あるある。
 どアホッ。
 真夏に部屋を冷やす設定をしても、サラリーマンは帰宅時間が設定できるとは限らないのだ。
 写真もついていない調理レシピなんて、アフター・サービスとして成り立つはずがない。
本当にいろいろな機能がついていて、それに比例して値段が高くなるのだが、消費者にとっては迷惑千万で、使い勝手が悪いものがほとんどである。
 すべて営業の幻想、開発の妄想が暴走した結果だ。
 つまり、戦略不在なのだ。


VHSの3倍モードという機能も、これだけ普及すると、どうしてきちんと標準にしないのか不思議になるではないか。
 それはまるで毎日半額セールをやっていて、定価では売ったことがないディスカウント・ショップのようなものだ。

 もちろん、高額の高級機の品質は確かなものがある。
 私はある機会に20年以上前のVHSビデオの初期のモデルを使って、ダビング作業をしたことがあるが、ごっつい古い機械だなあと馬鹿にしていたが、これが何と抜群であった。
 一時停止もスローモーションもピタリと決まり、音声も乱れがない。
 当時の金額としては30万円以上はしたであろうが、まさに当時の技術者の完璧な成果に脱帽したものであった。
 これに比較すると、多機能を売り物にした新型商品を次々に出して値段を維持しようとする「値崩れ防止作戦」は、まさしく原理原則を踏み外していると言わねばならない。
 ホンダの通称「バタバタ」を見よ。
 フォルクス・ワーゲン「ビートル」を見よ。
 ロング・セラーの定番商品にこそ、教訓とすべき技術の哲学があるのだ。

 最近、韓国の家電メーカーが安売りをかけてきて、そこそこの成功をおさめているのは、機能がシンプルで使い勝手がよく、操作も簡単で高齢者でも楽に使えて、しかも値段が安いという消費者のニーズに完全に合致しているからである。
 これに対抗する国産メーカーの商品をいっしょうけんめい探しても見当たらないのが悲しくなる。
 つまり、本当のマーケティング戦術が不在なのに、「何ちゃって多機能」で価格を維持しようとするから、売れなくなるわけだ。
 「売れない理由」をメーカーそのものが作り出しているのだ。
 経費も、人材も投入して。
 こんなアホなバブル発想の経営を民間企業がやりつづけているんだ。
 不景気で真面目な消費者の目から見ると、不必要な機能をたくさんしょいこんだ高い商品としか見えない。

韓国や中国の電気機器メーカーがどうしてこんなに短期間に、日本の巨大家電メーカーに追いつく急成長ができたのか。
 それは「バカチョン戦略」である。

 「バカチョン」の語源は、低価格で使いやすい二眼カメラを、一眼レフ高級カメラ愛用者たちが「バカチョン・カメラ」と軽蔑したことに始まる。
 「バカ野郎でも、チョンボ(ドジ)でも、そこそこの写真が撮れる」
 これが「バカチョン」の意味なのだ。
 韓国や中国の製品は、ビデオも電子レンジも複雑な機能はほとんどない。
 操作がカンタンで、低価格ならば、消費者はそっちに流れるのだ。

 日本の「バカチョン・カメラ」は、ライカなど、世界の名門カメラ・メーカーを完全に凌駕してしまった。
 これこそ戦略だ。
 そしてロンメル元帥愛用の双眼鏡を製作したドイツの名門レンズ・メーカー、カール・ツァイスは京セラのビデオカメラで生き延びている。

日本の家電技術が、いつのまにか「多機能のワナ」に落ち、「バカチョン戦略」のお株を韓国・中国に奪われたのは、実に情けない、笑止千万なことだ。
 電器メーカーの幹部たちは、アジア・アフリカの商品市場で、機能がカンタンな中国・韓国製品が猛烈な勢いで市場を制覇している事実を見て見ぬふりをしているだろう。
 なぜ売れるのか。
 「バカチョン」だからだ。
 説明がいらないからだ。
 実際に売れて、買って使って、品質に満足感があれば、ブランドは確立する。
 海外や国内の芸能人に高いカネを払って、そんなコマーシャルなんぞは第三世界には通用しないのだ。
 いわば、日本企業経営そのものが「オタク化」しつつあるわけだ。
 そうしたことを私は「日本企業は戦略不在だ」と批判するのである。


 デザイン性が高く評価されたイギリスのダイソンDYSONは掃除機が15万円もするが、やはり機能がシンプルで使い勝手がよろしい。
 しかも、部屋の真ん中に置いていても美しい。
 これは「家電のインテリア化」という傾向だが、もちろん不景気の中で爆発的に売れているというわけではない。
 しかし、大都市圏ではコンラン・ショップや、FranFran、SonyPlazaなど、DYSONデザインにあうモダン・リビングの店は現実に増加傾向にある。
 アップルの透明ボディのパソコンは、その「さきがけ」だった。
 こうしたところに消費者のニーズがあるのだ。
 家電の開発や営業にモダン・リビングを語れる人間がどれだけいるだろうか。

 だいたいね、 SONYなんかSonyPlazaという超優良事業をサイド・ビジネスでやっていながら、そこに自社の家電品が自然に置けるような、大胆なデザイン革命をためらっていたのはどうしてだろうか。
 人材の交流はなかったのか。
 ソニプラが山のように並べているアメリカのポップ・アート、北欧や東欧の癒し系の家具デザインに、家電の関係者は何も感じなかったのか。

 このようなわけだから、 家電業界は戦略不在ばかりでなく、
 「時代錯誤のワナ」にも陥っている
わけである。
 リクライニング型の電気マッサージ機が並んでいる売り場を見直してみたまえ。
 何とイモ臭い似たものデザインが並んでいることか。
 かくして電器会社は「機能の競争・差別化」しか頭にないのである。

 ニーズをとらえ、新しい商品を提供する戦術エンジンがマーケティングなのである。
 消費者が商品を見る目は変わっていく。

ビジネスは商売だ。
 変な幻想は持つな。
 商売人は、お客に頭を上げて、「モノを教えてやる」なんて大物博士・大学教授キドリで商売したら、どちらにしろ倒れるのだ。
 それが江戸時代から、わが国の経済産業の鉄則なのだ。
 私は消費者や小売販売店の側から、もっと激しい怒りの要望が出てきてもよいと思う。
 「お前らは引っ込め」と、停滞した技術や、引きこもりに入った商品を、「何だ、コレは。こんなものは売れないぞ」といって、徹底的に市場からボイコットすることである。
 そうでもしないと、ふんぞりかえった巨大企業は目覚めないだろう。

 学生諸君は「ビジネスマンだ」なんて、一円の儲けにもならない変テコなブライドは、やたらふりまわしたり、持たないほうがいいな。

  かつて、元気だったころの本田宗一郎さんの呑み話に、「二輪車衰亡論」というのがあった。
 戦後、アメリカで盛んに言われたことで、
 「四輪車が普及すれば二輪車は必然的に衰亡する」というのだ。
 それで機関投資家たちは二輪車メーカーに出資をしぶり、数百社あった独立メーカーがハーレー・ダビッドソンなど数社しかのこらなくなった。
 この話に本田さんは怒った。
「日本は貧しいから、二輪車がまだ生き残ることができるのだなんて、すました顔の評論家が言いやがるもんだから、この大馬鹿野郎といってやったんだ。
  お前らなんかにオートバイの良さ、楽しさがわかってたまるかってんだね。
  二輪車の楽しみは、四輪車とは別のものだよ。
  二輪車しか出せない楽しみとか、デザインを追求すれば、お客さんはついてきてくれるはずだ。
  つまり需要はなくならないよ。
  商売はできるし、新型モデルもどんどん出せる。
  それでアメリカに持っていったらドンドン売れるじゃないか。
  アメリカの人も二輪車を欲しがっていたんだよ。
  ただね、自分の欲しい二輪車が適当な価格で売っていなかっただけなのさ。
  オレは当てずっぽうのまぐれ当たりだけどね」


 本田さんの当てずっぽうは二輪車を愛する信念だった。
 まぐれ当たりは他社の製品を徹底的に分解して研究した確かな調査に基づくものだった。
 そのことは確かに伝えて誤解のないようにしておきたい。
 しかし、本田さんはまさしく天才で、マーケティングの理屈などはいらない。

 理屈をこねないと、消費者の心理に接近できないということでは、実は経営判断が遅れることになるのである。
 理路整然としたマーケティングの報告書を会議で読み上げて、課長や部長が納得して取締役会に決裁することを待っていたら、大きな会社ではもう半年かかってしまう。
 社長に直接、プロジェクトの企画を決済を上げて、「言い出し兵衛」を主任にしてやらせてみるという方法が理想的だが、日本の伝統的な企業は、まだこのような戦略組織論を受け入れていない。
 シャープは技術者王国だから、経営者に目利きがいるうちは大丈夫だろう。
 日産は天才的なヒット・メーカーがデトロイトにのりこんで仕事をしている。

 よく調べてみると、ヒット商品誕生の背景には一部の取締役の了承で小人数の極秘プロジェクトを立ち上げて成功したという話をよく聞く。
 いわゆる『プロジェクトX』だ。
 カシオ計算機のカシオ・ミニは、まさに、
 「他の取締役にわからないから、だまっておけよ」という一人の重役の理解でGOサインが出たのであった。
 これには後日談もあり、カシオ・ミニを成功させたメンバーの一人が重役になり、今度はGショックという大ヒットを育てたのである。
 この時も開発メンバーはたった二人であった。
 日産車に搭載されている世界初の無段階変速器はたった一人の技術者が十年近くをかけて完成したものであった。
 NECのパソコン98シリーズも、最初は一人の取締役が言い出して始めたものである。
 ソニーのプレイステーションも、最初の企画では音響機器が主流のソニー本社で最初は異端児扱いされた。
 レコード会社のソニー・エンタティメントの社長が「ウチで引き受けよう」と目利きを発揮したから、ソニーの孫会社として今日がある。
 異端の考えを持つ傍流の人間が、このように意外なヒット商品の数々を生んでいるのである。
 失敗するのが当然だと周囲が思うような環境から、本当の人材が生まれてくるのである。

商品を取り扱い、マーケティングの戦術を駆使する企業の目的は他でもない。
 ヒット商品をつくることである。


 またヒット商品の引き際、撤退の戦術も知らなければ、深入りして大変なことになる。
 倒産しかかった企業に、公的資金を注入して、それでどうなるというものではない。

ヒット商品が出ないから、企業はダメになるのである。
 ヒット商品が出せないなら、守りに入った組織・部門はすみやかに縮小すべきである。

 したがって、「ヒット商品のネタはないか。何かアイデアはないか」と全社員に経営者がいつも問いかけて、そこであがってきたアイデアを惜しみなくとり上げ、真面目に確認・検討するという作業が、民間企業には必要不可欠なのである。

 ある大企業も同じようなことをやっていたが、審査の事務処理をしているのが世離れした窓際の老人たちであり、審査をするの面々も、町歩きもしない肥満した大幹部たちであった。
「あんたら、マジメにモノを考えないとアカンでしょ。ヒット商品が本当にこんなサビついた人々の発想から出てくるんですか。こんなんだったら、私は辞めますよ」 と怒鳴りつけたものである。

 それがヒット商品を開発するコツである。
 ヒット商品をもっと合理的に生み出すためには、経営組織も、この大目的のために柔軟に変更しなければならない。
 国産家電メーカーにおおいかぶさっている「多機能のワナ」にかかわらず、低価格のバケツ型洗濯機という新商品がヒットしたのは一服の清涼剤であった。
 この製品の企画を提案したのは、一人暮らしの女性社員の一人である。
 この女性社員が直観的に感じた消費者ニーズを、企業の組織が途中で押しつぶしたり、ねじ曲げたりしないで、新製品開発につなげたことが結局のところヒット商品につながったわけである。

ヒット商品がない企業は、実弾を持たないで戦争に巻き込まれた軍隊と同じである。
 売れる品物がない商店は、商店街からも消えてしまう運命にあるのだ。



ban_kanzaki


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