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『キャンディ・キャンディ』のことを書いてから、ほとんど忘れていた小学生時代のことをふっと思い出すことが多くなった。実は、そのほとんどは、読んだ本や少女マンガのことだったりする(苦笑)。小学生時代は間違いなく、わたしの人生に於いて、いちばんたくさんの本を読んだ時だ。学校の休み時間、帰り道、家に帰ってから...ず~っと本を読み続けていたような気がする。低学年(1,2年生)のときには、「伝記シリーズ」にハマって、図書室にある本を読破した。ヘレン・ケラーと、キュリー夫人の伝記が、特に好きだった。そのあとは、いぬいとみこさんや椋鳩十さんの動物モノ。岩波少年文庫の「ドリトル先生シリーズ」も大好きだった。しかし、ある時をさかいにして、子供時分のわたしは、あまり本を読まなくなってしまった。それは、少女マンガとの出会い....。明けても暮れても少女マンガばかり読みふけっている娘を見て、読書家の父は口をすっぱくして「マンガはおやつ。主食(本)を食べなければ栄養にはならん!」と言っていた。それでも、わたしの少女マンガ熱はおさまらず、そのうちに、少年マンガにも触手が伸び始めた。そして、小学校3年生のある日、そんな状況を見かねた父から、遂にひとつのおふれ?が出されることになる。「毎週1冊、指定する本を読んで感想文を提出すること。 そうすれば、いくらでもマンガを読んでよろしい」それまでは、おおっぴらに家でマンガを読むことができなかったので、(怒られたときに閉じ込められる納戸の中に数冊隠しておいたり、学校からの帰り道に歩き読みしたりしていた)小学生のわたしは、このおふれに異論はなかった。毎週、毎週せっせと本を読み、読書感想文を書き続け、そのかわりにたっぷりと、マンガの世界にも浸らせてもらった。父が選んでくる本は、『モンテクリスト伯』とか『三国志』とか、自分では決して選ばないであろう歴史物や冒険物が多くて、読んだ時はそれなりに面白かったのだが、実はほとんど内容を覚えていなかったりする(笑)それでも、小学校5年生の頃まで続いた「毎週1本読書感想文を書く」という習慣は、確実に、文章力や編集力の向上につながったと思うし、子供ながらに、本を熟読しなくても感想文を書く秘術?のようなものを知らぬ間に身につけてしまった。つまり、流し読み(かっこよく言うと速読)ができるようになったのだ。提出した感想文は、父の批評が赤ペンで書き込まれて戻って来るのだが、これがなかなか厳しくて、3年間で、褒められたことは数回しかなかった。その数少ない<褒められた感想文>の中で、もっとも印象深いものが、『ベルサイユのバラ』の感想文。この週はじめて、「好きな本を選んでいい。そしてそれはマンガでもいい」と父に言われて、当時いちばん読み込んでいた『ベルバラ』を選び、この作品についてずっと抱いていた想いを書き綴ったのだ。たしか、「この物語の<バラ>とは、誰を指すのか?」「マリー・アントワネットはどうしてフランス民衆の<バラ>になれなかったのか?」というようなことを書いたような気がする。そして、それに対する父の批評は、「やはり好きな物語のことを書くと文章が生き生きしていますね。もう、好きなマンガを読んでいいですよ」というものだった。つまり、これにて、<読書感想文修行>を卒業したのである。『キャンディ・キャンディ』と違って、『ベルサイユのバラ』では、特定の登場人物にハマる...ということはなかった。それよりも、マリー・アントワネットやフェルゼン伯や、ロベス・ピエールやサン・ジュストなどの実在人物や、壮大な物語の歴史的背景がとても気になった。ギロチンの露と消えたマリー・アントワネットについては、図書館へ行って、いろんな関連書を読んだ記憶がある。(18歳のとき、人生はじめての海外旅行先には、迷いなく「ベルサイユ宮殿」を選んだくらい...アントワネットが最後に幽閉されていたという礼拝堂やお墓にも行った)『ベルサイユのバラ』は、言うまでもなく、フランス革命という歴史的事実を素材にした著者・池田理代子さんの創作物語だ。(男装の麗人オスカルは、『バラの騎士』というオペラからヒントを 得たそうだ)この世に存在するあらゆる創作物語は、マンガに限らず、何らかの素材(歴史的事実だったり、個人的な経験だったり、他の作品だったり)を、その人なりに<編集>し直したものである。例えば、『冬のソナタ』の脚本家が、『キャンディキャンディ』など日本の少女マンガを参考にしたように、そして、その『キャンディキャンディ』は、『赤毛のアン』の世界観をベースにしているように。それがわかると、誰でも、自分だけの物語を生み出すことができるようになるのだが、そのことにはじめて気づかせてくれた作品が、『ベルサイユのバラ』だったと思う。1972年に連載が開始した『ベルバラ』は、30年の時を越え、大人になった今読んでも、少しも色褪せることはない。マンガであれ、小説であれ、映画であれ、“かる~いスナック菓子”ではなく“どっしりと食べごたえのある主食”になりえる物語だけが、時代も空間も越えて語り継がれていくのである。↓BGM付きコミックス...こんなのがあるんですね~。どんな曲なんでしょう...聞いてみたいっ☆
2005年02月24日
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自宅でテレビを観れなくなって久しいので、噂の「冬ソナ」をちゃんと観たことはないのだけれど、たぶん、観てしまったら、「冬ソナ」にも韓ドラにもハマるんだろうな...という気はしている。なぜならわたしは、「冬ソナ」の脚本家が参考にしたと言われている『キャンディ・キャンディ』にハマったひとだから。テリュース・G・グランチェスターは間違いなくわたしの初恋のひとなので(笑)ヨン様に黄色い声をあげているおばさま方を否定はできない...と、思っている。↑テリィの画像を探したけれど、「キャンディ・キャンディ訴訟問題」の影響でコミックスは絶版...。キャンディ・キャンディを知っている世代には、冬ソナとキャンディの登場人物や名場面が重なるとか...物語の構造がとても似ているのだそうです。たっぷりと付録がはさまれた少女マンガ雑誌『なかよし』に、『キャンディ・キャンディ』が連載されていたのは、1975~1979年のこと。自分史に重ね合わせると、小学校1年生~小学校5年生の頃。そう、確かに、あの頃のわたしは少女マンガの世界にどっぷりと浸っていた。小学3年生の頃まで、我が家では漫画を読むことが禁じられていたので、(今で言うところのテレビゲームみたいなものだったのだ。漫画を読むと本を読まなくなるから...というのが親の言い分だった)となりに住んでいた4人姉妹の家にあがりこみ、『ベルサイユのバラ』や『王家の紋章』や『エースをねらえ!』などを読みふけっていた。この4人姉妹のお母さんは、大の『キャンディ・キャンディ』ファンで、子供たちが読む単行本とは別に、保存用の単行本がガラス扉付きの本棚に飾られていた。そしてある日、このとなりのお母さんが、うちの母と交わした立ち話がきっかけとなって、我が家はめでたく漫画解禁となったのだった。「孤児のキャンディが、いろんな苦難を乗り越えて 成長していく物語なの。戦争のことも学べるのよ」みたいなことを、となりのお母さんは、母に言ったらしい。(きっとこの方は、今頃「冬ソナ」にハマっているに違いない...。)漫画も役に立つことがある...ということで解禁宣言を受け、自分のお小遣いで生まれたはじめて買った単行本が忘れもしない、なかよしKCコミックス『キャンディ・キャンディ』の第4巻だった。キャンディが聖ポール学院でテリィと青春の日々を過ごし、港で絶叫しつつ別れる、いちばん分厚くて重い(だからこの巻を選んだ...せこいっ)いちばん続きが気になる巻である。たしか、320円だったと思う(今は380円くらいですよね)。今でも鮮やかにコマ割りや台詞が浮かんでくるくらい、読み込んだものだ。自分なりに空想したストーリーを、友達と交換日記で書きあった覚えもある。当時、キャンディ好きの女の子たちの最大の関心事は、「キャンディはテリィと幸せになれるのか?」ということだった。物語に登場する代表的な男性キャラが人気を3分していたのが、わたしのまわりはみんな「テリィ」ファンだった。白馬に乗った王子様の「アンソニー」か、ちょっと影のある不良タイプの「テリィ」か、いつも見守ってくれている「アルバートさん」か...鼻ぺちゃで、そばかすだらけでもモテモテのキャンディに自分たちの姿を重ねつつ、ドキドキしながら『なかよし』のページをみんなでめくったものだ。...そして、それはそのままテレビの恋愛ドラマや昼メロにハマって一喜一憂している今のわたしたちの姿に重なってゆく。多感な少女時代に『キャンディ・キャンディ』や、その他の少女マンガから得た恋愛の情報は、無意識のうちにわたしたち世代の<恋愛観>にしっかりと刷り込まれていて、それは今でも、しぶとく残っているような気がするのだ。『キャンディ・キャンディ』の物語は、不条理に満ちていた。特に、ラストシーン。子供心に、「え~! こんなのはハッピーエンドじゃないよ!」「これで終わりなんて、なんだかスッキリしないよぉ」と思っていた。「キャンディには、テリィと幸せになってもらいたいのに..」「結局オトコは、守ってもらいたいタイプのオンナを選ぶのね」「アルバートさんの立場って、なんて中途半端なの~」と、思っていたわたし、そしてアナタ。もしかしたらわたしたちは今でも、こころの片隅に「アンソニー」をひそませ、そばにいてくれる「アルバートさん」に満足せずに、振りかえってはくれない「テリィ」を探しているのかも知れない。これはもう立派に、「キャンディ・キャンディ恋愛症候群」である。***********....と、書いてから、久しぶりに原作を読み返してみたら、案外すっきりと、ラストシーンを受け入れている自分がいました。作者の意図するところが、30年の時を経て、ようやく見えてきたように思います。『キャンディ・キャンディ』...深いです。*『キャンディ・キャンディ』の情報を求めてネットサーフィンをしていたら、感涙モノのサイトにめぐりあってしまいました!*漫画キャンディキャンディの続編「Candys もう一つのキャンディキャンディ」その後のキャンディとテリィの物語著者・Tomoさんいちファンの女性が、『キャンディ・キャンディ』の連載が終了した直後の1979年から1990年にかけて綴られたという創作小説です。いや~、かなりツボにハマりました☆特にテリュースファンには、たまりませ~ん(笑)こんなふうに、30年ちかくが経過した今でも、ファンの中に息づき、自由に育っていくことができるなんて、『キャンディ・キャンディ』はなんて幸せな物語なのでしょう....*久しぶりに原作が読みたくなっても、本屋で手に入らないのが哀しいところです。古本屋では何軒かで扱っているところを見つけました!キャンディキャンディ・文庫版全6巻セットキャンディ・キャンディ KCコミックス全9巻セット
2005年02月18日
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『ギザギザハートの子守唄』で福岡県久留米出身の7人組バンド【チェッカーズ】がデビューしたのは1983年のこと。この時、わたしは15歳の中学3年生。クラスメートの女の子たちがマッチだ、シブがき隊だと騒いでいるのを横目に、せっせと漫画を書いては同人誌を作っている帰宅部の「おたく娘」だった。それが、高校1年生の冬にテレビのベストテン番組でチェッカーズを観て、ある日突然シビレてしまった。1984年のヒット曲、『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』。幾重にも重ねられた色柄や丈の違うタータンチェックの衣装と、前髪のひと束だけが長くて、うしろは刈り上げの奇抜なヘアスタイル。↑ちなみに、こんな衣装でした。ミッキーマウスみたいなボーカルと、アメコミのキャラクターのようなメンバーたちが繰り広げるロックでポップな歌謡ダンスショーに夢中になった。とにかく「ハマると一直線!」な性格なものだから、チェッカーズが登場するありとあらゆる雑誌やテレビ番組をチェックし、関東近郊で行われるコンサートにはすべて足しげく通っていた。同人誌のテーマも「アニメもの」から「チェッカーズもの」に変わり、コミックマーケットでのコスプレ(笑)も風の谷のナウシカから、チェッカーズになった。あの頃のわたしは、「フミヤは天才だ!」と、真剣に思っていた。短大入試の面接で「尊敬するひとは?」と聞かれたら「藤井郁弥」と答えようと、秘かに決めていたくらい。(.......実際には聞かれなくて、良かった ^_^; )今ではもう当たり前のことだけれど、あの時代、「アイドル」と呼ばれているひとが作詞作曲をし、歌もうたい、自分の振り付けで踊り、洋服をデザインし、イラストや漫画や文章も書き、芝居もする...というのは、けっこう珍しかったのだ。『僕はアイドルだけど、ウンコもします。』という今はなき雑誌『ビックリハウス』の特集タイトルは衝撃的だったし、チェッカーズの登場が、日本の芸能界(アイドル業界?)の流れを変えたのは事実だと思う。藤井フミヤのマルチな才能は今も健在だけれど、当時の「チェッカーズ」の魅力を倍増させていたのは、実は、彼らの背後にいた作曲家やスタイリストや音楽ライターら優れたプロデュースチームの存在だった。高校生のわたしは、その戦略にすっかりハマっていたのだ。今、同じような手法で中高生たちに「わくわくドキドキ」を提供しているのが、つんく率いる「ハロープロジェクト」なんだろうな。とにかく、たくさんのクリエーターたちが、「チェッカーズ」という素材を使って遊んでいて、それがたまらなく面白かった。新しい曲が出るごとに変わるヘアースタイルや衣装、コンサートツアーのコンセプトには必ず物語があって、「次は何をしてくれるんだろう?」と、とてもわくわくさせられていた。↑たとえば、この「神様ヘルプ!」の衣装コンセプトは「海賊」。コンサートツアーは「パイレーツツアー」という名称だった。しかし、永遠に続くと信じて疑わなかったわたしのチェッカーズへの恋心は、1992年の解散を待たずして、冷めてしまったのだ。そのちいさなきっかけとなったのは、当時話題を呼んでいた『YOU』というテレビ番組。(NHK教育・糸井重里さんが司会の若者向けトーク番組。82ー87年)この番組で、「お父さんにもわかるチェカーズ講座」という特集があり、このときわたしは、NHKのスタジオで、生チェッカーズの真後ろに座るという幸運をつかんだのだった。しかし、手に触れられるくらいの距離にいる憧れのポップスターは....あまりにも<普通のひと>だった。誌面や画面からは決して伝わらない整髪料の匂いと、おそらくはずっと着回しているのであろうくたびれた衣装のほつれが、少し哀しかった。当時、一緒にチェッカーズを追いかけていた友人たちの中には、今も藤井フミヤの大ファンで、足しげくライブに通っているひともいる。けれど、わたしとっての「フミヤ」は、やっぱりチェッカーズの「藤井郁弥」。ときどきテレビや雑誌でみかける、すっかりおじさんになってしまった藤井フミヤは、誰がなんと言おうと、わたしにとって「フミヤ」ではないのだ。擦り切れるほど聞いていたLPレコードは、今はもう、それを聞くプレーヤーすらないけれど、ときどきラジオから流れてくるチェッカーズを聞くとやっぱりドキドキしたりする。彼らはやっぱりわたしにとって、<永遠のアイドル>なのだ。↑最近話題になったのはコレですね...。「チェッカーズ」 著者:高杢禎彦 ↑王道は、やはり初期のアイドル時代だと思います。ああ~久しぶりに聞きたくなってしまった!↑オリジナル時代の曲も結構好きでした ^_^
2005年02月16日
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自分の生まれた年のことって、ほとんど知らなかったりする。本人は生まれたてホヤホヤの赤ん坊だったのだからしかたのないことかも知れないけれど、例えばわたしが「自分の生まれ年」について知っていたのは、あの「3億円事件」が起きた年だってことくらい。最近になって、『情報の歴史』という本を読む機会に恵まれて、1968年は<歴史のターニングポイント>とも言われる激動の年であることをはじめて知った。例えば...キング牧師の暗殺とか、パリの五月革命とか、東大闘争とか。文化面では、キュブリックが『2001年宇宙の旅』を発表し、映画「猿の惑星』が流行し、「ドン・ファンの教え』のカスタネダの出現によって精神世界ブームの先駆けとなった年。そうそう、アメリカでパソコンが開発され、日本で「少年ジャンプ』と吉野家が誕生した年でもありました。これらの歴史を知って、自分のなかに浮かんで来たキーワードは個としての「闘い」。なんていうのかな....世の中のキレイゴトだとか、生活者をケムにまくような、一部の人たちにだけ都合のいい構造や決めごとと「闘う」のは、この年に生まれた者たちの宿命なのかも知れない...なんて。まぁ、そんな大げさなことではないのだけれど、12年周期の人生の4周目の年に、本日から突入したわたくし。36年間をふりかえって、その年、その時々に自分が「ハマったもの」を通じて時代とわたしとの<接点>見つめてみようと思い立ちました。題して、波乗り編集人カメハハのクロニクル。クロニクルというのは、年代記とか、物語とか、そういう意味です。楽しみながら、ボチボチ書いていこうと思います。ちなみに、超愛読書になってしまった『情報の歴史』(編集工学研究所・著)はこちら。読み応え、見応えたっぷりです。
2005年02月10日
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