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対談:ハルジ&歌子 「美」は地球を救う?

ハルジ&歌子 「美」は地球を救う?
(メルマガ『だんだん美人』2003年掲載のオイラの創作対談)

●サカキバラ少年の疑問
郡山ハルジ :おい、知っとるけ?サカキバラ聖斗がそろそろ鑑別所から出所するらしいで。
山本歌子 :それを言うなら「医療少年院」ね。そうか、当時14歳だったサカキバラ少年も20歳になるのよね。
ハルジ :覚えてへんかな、サカキバラが捕まった後にやな、取調べの時に、反省を示すどころか「人殺しがなぜいけない?」とか言うた、っちゅう話。
歌子 : 報道によると、彼は今では当時の行為を反省しているらしいわね。医療少年院の誰かが彼に「なぜ人殺しがいけないか」を教えてくれたのかしら。
ハルジ <:…でもな、なんで人殺しがいけへんのかな。オイラも疑問に思っとってん。
歌子 : うーん、私も息子に聞かれたらなんて答えるかしら。「人の命は大切だから」とか。
ハルジ :でもな、人は豚や牛を殺すけど、牛や豚の命は大切やないんか、あれは。
歌子 : あれは食用だから…
ハルジ :ほな、食べさえすれば、殺してもええんかいな、人間も。
歌子 : まあ、人間は豚や牛と違って、高等動物だからね。
ハルジ :人間かて、ハッキリ言って牛や豚と変わらんレベルのヤツらが世の中にはウヨウヨおるがな。牛や豚なんてまだ食用になったり金になるだけマシやけど、世の中には人の迷惑にしかならんヤツらもおるやろ。社会的にもはや機能できない極度の精神障害者や知的障害者とか、寝たきりのボケ老人とかやな、この世のゴミのような犯罪者とか。あれは、殺してもええんかいな、ほな。
歌子 : 人間の場合は、死なれて悲しむ家族や友人がいるでしょうし…。
ハルジ :ほな、あれか、天涯孤独の孤児とか、身寄りのない人たちは、悲しむ人がおらんし殺してもええんかいな。あるいはやな、悲しむ家族や友人も一緒に殺してしもうたらええやんか、そないな理屈やったら。それに、死んでくれたら周りのヤツが大喜び、って人もおるわな、世の中には…(笑)。
歌子 : …あなた、でも殺されたら、イヤでしょ。
ハルジ :イヤやがな、そら。…でもな、知らんうちにやな、いきなり後ろから急所を一発で刺されて即死やったり、あるいは水爆かなんかでピカドン一発やったら、イヤがるヒマもないわな。ほら、アリが人間に踏み潰されても分からへんのと一緒や。

●「弱肉強食」か「助け合いの世界」か
歌子 : …究極的には、「自分がされてイヤなことは人にもするな」ってことかしら。サカキバラ少年も、「自分が同じように殺されたらイヤでしょ?」って言われたら、嫌だと言ったと思うわ。
ハルジ :いや、それがオイラも疑問に思ってるとこやねん、実は。サカキバラ少年は、学校では成績もなかなかで、知能指数もずば抜けてたらしいんやけど、彼はその、「自分が殺されるコドモたちの立場だったらどう感じるか」というごく基本的な視点は、自分なりに持っとったんちゃうかな。 もしかしたら彼は「弱肉強食」のルールに従って、自分よりも弱いコドモたちを標的にしたわけで、仮に自分よりも強い力を持った実体が自分を標的にしたら、彼はそれに屈服する覚悟はできてたかも知れへん。それは誰も分からへん。
歌子 : ま、この世には究極のところ、絶対的なルールはないわけで、「強い者も弱い者もみんなで助け合って生きていきましょうね!」というルールで生きていってもいいし、野性の世界のように「弱肉強食」のルールに従って生きていってもいいわけよね。 少なくとも近代日本という国は法治国家であり、戦争とか正当防衛みたいな特殊な条件を除けば「殺してはいけない」という決まりにしたがってみんな生きているわけで、そのルールに従えない人は、マフィアの世界みたいな「弱肉強食」の世界を見つけて、その世界で生きて下さい、…ということでどうかしら。
ハルジ :なんや、歌子はんは法治主義者やったんかいな。
歌子 : いや、私は、究極的なところ善も悪も信じていないし、神様を信じてるわけでもないんだけど。
ハルジ :ほな、何を信じて生きてはんの?判った、快楽主義やな…。
歌子 : 若いころの私のイメージで話をしないように!
ハルジ :OK、じゃあ昔は快楽主義で、今は…(笑)。
歌子 : 今はね…ちょっと今の話をする前に、快楽主義の話をしたいんだけど、長くなりそうなんで、つづきはまた次回ということにしましょう。
ハルジ :なんや、やっぱ快楽の話となると、長くなってまうんや(笑)。 快楽の話もええねんけど、このメルマガのテーマである「美」についてもちゃんと語ってや!」

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: うーん。 難解なようなそうでないような、、 でも、美しいとか、美しさ、とか美に対する意識とか 考えさせられます… 次回はこの続きです。 では今日はこの辺で。 ごきげんよう!

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::皆様こんにちは! いつもだんだん美人をご愛読くださいまして ありがとうございます。 今回は先回に続いて、楽天広場仲間で、カナダにお住まいの 郡山ハルジ様のエッセイ、後編です。・・・・ ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●楽園を追われたアダムとイブ?
歌子 : …あのね、前回の快楽主義の話のつづきだけど、人間の場合、純粋な意味で快楽主義は成立しないと思うのよね。動物だったら、ほら、本能に従えば生きていけるようにできていて、お腹が空けば獲物を追って食べるし、眠くなったら寝る、喉が渇けばオアシスに足を運び、発情期が来れば交尾をして生殖する…といったように、自分の欲求に従って生きていれば、個体保存も種族保存も自然界のバランスも、うまく満たすようにできてるでしょう?だから、「殺すなかれ」とか「盗むなかれ」とかいった決まりを作る必要がないのよね。
ハルジ :…ははあ、ニンゲンの場合、いくら食うても満足せんで、欲求のおもむくままに獲物を片っ端から殺しとったら、エサとなる動物が絶滅するわ、他人の持ってるワイフが欲しなって手ぇ出したら、それがバレて刃傷沙汰になるわ、…欲望に従って生きとったら、結局、身を滅ぼすことになりますわな(笑)。
歌子 : 身に覚えがおあり…なんて(笑)。 要するに、人間が「約束事」を作った理由は、本能的な欲望が、個体保存も種族保存も満たしてくれないので、その代理が必要だったということね。
ハルジ :アダムとイブのリンゴの話でんな。「文化=代理本能」論。 …で、歌子はんは何を信じてはんのよ?
歌子 : 私は、そうね。「美」の信奉者かしら。 何が“善”で何が“悪”だとか、何が“真”で何が“偽”だとか、誰の神が正しくて誰の神がニセモノだとか、世の中の争いごとの発端は、結局みんな「約束事」の食い違いに由来してるのよね。自分が信じていることを信じていない人に対して、ついつい自分の信念を押しつけたくなっちゃうために、衝突が起こる。小は家族内のちょっとした口論から、大は国家間の戦争まで、みんなそうじゃない。
ハルジ :…うーん。オイラの女房との日々の衝突も、「アジア式」の大雑把なオイラと「欧米式」の几帳面な女房との文化の対立です(笑)。 あと、イラクに戦争を仕掛けるアメリカも、結局根っこにあるのは明らかに「キリスト教」対「イスラム教」の信条の対立やもんね。パレスチナとイスラエルの問題もしかり。
歌子 : 私はね、それが「正しいか、正しくないか」とか「良いか、悪いか」ではなく、それが「美しいかどうか」を行動規範にしているの。 泥棒や万引きはしない。それが悪いことだから、ではなくて、ダサいから。ま、「ルパン3世」みたいに美しい盗みができるならOKかも(笑)。
ハルジ :…殺しも強盗もせえへん、それが醜い行為だから…ってとこでっか。 でも、「ボニー&クライド」みたいに、そこに美学があればOK?(笑)

●「美」は世界を救うか?
歌子 : 「善悪」や「真偽」じゃなくて「美」を基準にすることのいいところは、「美」というのがはじめから相対的なものであることが大前提になってるとこなのよね。誰も「絶対無比の美」なんて論理的あるいは科学的に証明しようとする馬鹿はいないでしょ。
ハルジ :まあ、イエズス会の宣教師みたいに、ほかの国まで押しかけて、自分が美しいと信ずるものを押し付けようとする人たちもあんまりおらんでしょうなー。
歌子 : 宗教的信念とか、政治的信条とかを他人に押しつけたくなるのは、自分自身がその信念の確かさに自信がないからなのよね。自分ひとりそれを信じてても不安になるから、周りの人に共有してもらうことで、不安から逃れようとする。
ハルジ :なるほど。美しい景色を見とる人が、それがほんまに美しいかどうか不安になって、隣の他人をつかまえて「ほら、見ぃや、美しいやろ!な!な!」なんて言わへんやろね(笑)。
歌子 : そうそう。「美」の体験は、それを感じている自分さえ居れば、それで十分なのよね。隣でその景色を見ている人の表情を見れば、「ああ、この人もこの感動を体験してるな。」っていうのは分かるし、仮に隣の人があくびをしていたって、無理矢理感動させようとは思わない。
ハルジ :言われてみれば、ガキの頃から、絵が好きなヤツらってのは、やさしい、平和的なヤツが多かったよな。「フランダースの犬」のネロ少年とか…(笑)。ちょっと、例外的なアブナイ人もおったけどな(笑)。
歌子 : 美を追い求めても、欲望の追求や真理の追究のように、自然を犠牲にするとか、他人を犠牲にする必要はないし、それで人の迷惑になることも、ふつうはないわよねー。むしろ、周りを美で満たすことで、周囲をハッピーにしてくれるでしょう?美の追求は、自他ともに互恵関係をもたらす!
ハルジ :ほなきっと、サカキバラ少年も、「美」を見つければ社会的に更正して、周囲に恵みを与える人になれるかも知れんなー。そう言や、バモイドオキ神とかのイラストを彼が描いたんを覚えとるけど、ゲージュツ的な才能があるよな。あと、文才もあるし。
歌子 : 文才って、あの「無能なケーサツ諸君、僕を捕まえてみたまえ」の挑戦状?たしかにあれは、誰もが中学生の書いたものだとは思わなかったわね、あの時は。
ハルジ :サカキバラ少年をも救うかも知れへん、「美」の追究の世界、でっ か…。 …ところで、さっきの本能の話に戻んねんけど、太古の昔、なまこを初めて食うたヤツって、何を考えとったんやろね。どう考えても、本能に突き動かされたり、「美しい」と思って、あんなヌルヌルして不気味なモノを捕まえて食うたとは思えへんねんけど…。
歌子 : 空腹に耐えかねた彼または彼女に、本能の声が「これを食えば、栄養になる」ということを内側から囁いていたのかもね。
ハルジ :…ほな、歌子はんは、その時代に生まれとったらさしずめ、山ん中で「まあ、なんてキレイなキノコ!」とか言うて毒キノコに口をつけてやね、ラリパッパになって幻覚に誘われるままに谷底を飛び降りる原始人、ってとこやろね、きっと(笑)。 

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