全1493件 (1493件中 1-50件目)
親会社がスポンサーとなり日立市で新たなマラソン大会を開催することになり、いわゆるスポンサー枠で無料参加できるとそそのかされた私は、ほんの2〜3ヶ月の準備期間しかないのに申し込んでしまい、結果的に、おととい14年ぶり14回目のフルマラソンを走ることになりました。ちなみに日立市は坂しかない土地で、マラソン大会には向いていません。私は「こんなアップダウンのキツいマラソン大会に申し込む人は、100人はいても1000人はいないだろう」と思っていました。特に、その前々週には水戸黄門マラソン、その翌週にはつくばマラソンという二大人気マラソンが開催されるのです。どうしてわざわざこんな誰も知らない大会に出ようと思うでしょうか。実際、申込み期限が過ぎた後に、社内で「申込み期間延長!先着15名を無料で招待!」みたいな案内を始めた際は「よっぽど申込みが少なかったんだな。可哀想だから申し込んであげようか」という同情心も半分くらいあったのでした。しかし実際蓋を開けてみると、申込みは約5000人に達し、ちょっとした規模の大会になったのでした。スポンサーと自治体がよほど気前が良かったのか、ゲストランナーには高橋尚子と猫ひろし、実業団レベルのランナーも数人招待されていました。当日の朝は小雨でしたがスタート地点の壇上では数100mに及ぶ列を成すランナーたちにゲストランナーがジョークや励ましの声を掛けて一生懸命盛り上げようとしていました。市民スポーツセンター前をスタートし坂を登るとすぐにひなびた市街地です。小雨の中、近所の爺ちゃん婆ちゃんや子どもたちが傘をさして沿道に出て応援してくれます。スタートから20分も経たないうちに雨は止んで晴れてくると、一気に気温が上がって今度は内側から汗で湿って蒸し蒸ししてきます。やがてコースは会場のハイウェイに出ます。通常は歩行者が立ち入ることが出来ない自動車専用道路からは太平洋が見渡せます。いい眺めなのでしょうが日差しが強い中をヒイヒイ言いながら走っている人たちは爽快感を味わう余裕もありません。往復10kmの海上ハイウェイを終えると沿岸の国道のアップダウンの連続の洗礼を受けます。斜度6%で長さ750mくらいの坂が3回繰り返されると海抜20m地点を5kmくらい走ります。未だここまでで15kmくらいしか走っていませんがすでに35kmを走り終えたトップランナーとすれ違いました。次は海岸沿いまで一気に下ってコーストラインを7〜8km走ります。幸い今日は海風が強くありませんが正午近い海辺の日差しは強烈です。そろそろ止まってストレッチを始めるランナーがちらほら出て来ます。21.1km地点を通過した時2時間25分くらいでした。ちょうどトップランナーがゴールした頃だと思いました。私のペースはちょうどその倍の5時間フィニッシュペースということのようです。コーストラインが終点に到達すると、また内陸の国道に戻ります。途中で海のそばの昔ながらの兼業農家みたいな民家から爺ちゃん婆ちゃんが椅子を道端に出して応援してくれます。むしろランナーの方が応援したくなるような高齢の婆ちゃんもいます。「婆ちゃんも頑張れ」といってハイタッチしました。国道に戻る急坂でエネルギーを奪われたランナーたちが国道に出るなり力尽きて急に歩き出します。そろそろ25km地点、3時間。中には早くもガス欠の人たちも出てくるタイミングです。私は最初から7分目くらいの出力で走っているので未だ余裕、次々とランナーを抜いていきます。それにしても暑い。サングラスをしていても日差しがキツイ。この頃から、給水所でコップがもう残っていないところが発生してきます。5時間フィニッシュランナー以降はたぶんラスト25%くらいですからすでに3000人が通り過ぎた段階で紙コップが尽きてしまったのです。第1回大会なので、経験ゼロの給水ボランティアですからまあ、ある程度は予期できたことではあります。私は極力、空に近いボトルを持ったボランティアを見つけては、ボトルごともらって水をがぶ飲みしていました。私は実はこの時点で早くも4回もトイレに駆けこんでいました。今日は妙にトイレが近いです。オマケにお腹もゴロゴロして屁が出るようになって来ました。なんか調子が良くありません。私は28km地点で念のためトイレでしゃがんだところ、水状の便がブビビビっと飛び出しました。前の日までに食べたものは朝に排出していたので、これは朝に摂取したゼリーなどの流動食に違いありません。まずい。脱水症状です。それでも元気はあるので(笑)、調子が悪いなりに走ることは出来ます。ただ、力を入れてスピードは出せない。誰もが歩いている30kmの急坂も一人して黙々と登攀します。登り切って左折すると、コース唯一かも知れない工場沿いの日陰の1km区間です。日陰に入ると顔が火照っているのが分かります。早く水が飲みたい。しかし次の給水所も紙コップ切れ。底のほうにちょっとだけ残ったボトルをもらって飲み干します。ゴールまであと10kmくらいか。前を5時間半のペースメーカーが走っているのに気づいたのもこの頃です。未だ5時間フィニッシュで行けるだろうと思っていましたが、トイレで随分と時間を過ごしてしまっていたみたいです。暑さもあって段々元気も無くなってきます。体力は未だ残っているからゴールまでは走れる。でもスピードは出せないのがつらい。誰も走ろうとしない、線路上に掛かったブリッジはたぶんこのコースの最高標高地点ですが、私はてっぺんまで走り切りました。でも下りは脚がヨロヨロです。さっきからやたら元気なニイちゃんとオッサンがデカい声で沿道の人たちにありがとうありがとうと声を掛けまくっては一瞬スピードを上げ、すぐに力尽きて歩き始める…というのを1〜2km前から繰り返しているのがすごく鬱陶しく感じるようになって来ました。目立つ格好をしているので、こういった沿道との交流を大会参加の目的にしている人が、この時間帯に走っている人にはいるみたいです。ここから先の5kmは、先々週コースの下見に来た時に走っているので、心理的には楽なはずなのですが、この頃になると、最後のひと踏ん張りとばかりにペースを上げてくる人がチラホラ出て来ます。自分より早いペースで走る人が出てくると自分も競争心を掻き立てられて「オマエになんて負けるもんか」とか年甲斐もなくムキになってしまいます(笑)。私にもアイアンマン・フィニッシャーとしてのプライドがあるのです。「クソ〜、負けそうだ…」と諦めそうになった頃に相手が歩き始めてくれると、ホッとします(笑)。いよいよあと1.5kmの線路道です。周りのランナーも歩いている人はほとんどいません。ラスト1〜2kmは亀スピードランナーなりの真剣勝負です(笑)。つらい。走るのがつらいというよりかは、ここで颯爽とスピードを上げてライバルを振り切れない、自分のアイアンマンとしてのプライドが挫かれるのがつらいのだと言えます。それでも、競技場に入って会社の仲間たちが応援している様子が見えるとちょっと元気が出て笑顔が浮かびます。さらに最後の400mトラックに入ると、地元高校のチアガールがポンポンを振って応援している脇を過ぎると変な虚栄心からかトロトロ走りがキレのある走りに変わって(笑)、別人のように身体が前に出ます。30分くらい前に飲んだアミノサプリがちょうど効いてくるタイミングだったのかも知れません。ゴールでメダルを持って待っていてくれたのは地元ボーイスカウトの少年たちでした。ボーイスカウトの三つ指の敬礼をしてメダルを首に掛けてもらいます。5時間25分。一度も歩かなかったのにこのタイム。ここ10数年の走力の低下は想像以上だったようです。でも、会社の仲間と走るマラソンはお祭りみたいで楽しかった。懲りずにまた走ろうと思った。
2024.11.20
コメント(0)
「ヤベー、死んじまった!」後悔先に立たずである。生前の世界を浮遊(?)しているようなのだが、もう何にも触れない。もう動かせない。それで自分が死んだのだ、と理解できた。「しまった〜!」と思った。あまりにも急なことで、まったく心の準備が出来ていなかった。ガンとかで死ぬなら、思い残すことのないよう生前にいろいろやりたいこと、やるべきことをやってから、「悔いなし。」と死を受け入れられたかも知れないのだが、突然死だったのである。それにしても自分は何をやってから死にたかったのだろう、といろいろ考えてみる。子供のことが頭に浮かぶ。仕事のこともちょっと。…でも実際、私が急死したところでそんな困る人はあまり居ないよな、とも思う。とはいえ私自身は子供たちのことも含めやりかけのことがいくつかあって、仕方ないとはいえ途中で死ぬのは無念としか言いようがない。これはとてもすぐには諦めきれそうにない。とにかく悔しい。それにしても自分はどういう経緯で死んだんだっけ?自分が浮遊しているのは実験室のような、病室のような、医療機器っぽい物が雑然と置いてある殺風景な部屋である。窓際にベッドみたいな台がある。ここに赤と青のキャップの安楽死用の薬品が入ったチューブというか容器がある。自分は、誰かがこれを使って死亡したのを検証しようとしていて、何らかの形でこれらの薬品を身体に入れてしまい、知らない間に死んでしまったのだ。たぶん苦痛はなかったが、薬品で昏睡させられて目が覚めたら死んでいた感じである。これはひどい。あんまりだ。あー、しまった。…などと思っているうちに、目が覚めた。そうだ、今日はこれからちょっとした発表がある日だった。いやー、生きててよかった。少なくともこの発表をしてから死ねるだけでも悔いが1つ減る。残りの人生をまるまる得した感じである。とはいえ、これからも何かと無駄な時間を過ごすに違いない(笑)。でも昨日までよりちょっとだけ「死んでもいいように今日を悔いなく過ごそう」と心掛けて過ごすに違いない。いつまでそれが続くか分からんけど。
2024.10.12
コメント(0)
今から40年前、私が未だ高校生だった頃、RCサクセションの忌野清志郎が「ベイビー、逃げるんだ。」と歌いました。浅田彰が「闘争論」をもじって『逃走論』を著したのもその頃です。<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/tsuLJS_90Zs?si=xJvlklf3I0aMmo_N" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>昭和末期もバブル景気たけなわ、世の中には「オトナになんかならなくても生きていける」と説く若者の教祖がいて、忌野清志郎もその一人でした。https://plaza.rakuten.co.jp/kameika/diary/200905020000/別に彼らに感化されたわけではないのですが、私はもともと「将来、社会に出る」ということを考えたことがないまま年を取り大学4年生になった時もみんながビジネススーツを着て就職活動している時に半ズボンに花柄のTシャツを着て後輩たちとバンドをやって遊んでいました。卒業後はバブル景気に浮かれた日本におさらばするつもりで渡米しアメリカの大学に入学しました。先週再会した35年前に一緒にバンドをやった日本の大学の後輩たちはというと、当時ボーカルをしていたYは本気でデビューするつもりでいたようですが、結局のところ真面目に就職活動して希望の会社に就職しました。もともと学生時代のお遊びのつもりでバンドをやっていたベーシストのKは学生時代からきちんと準備をした上で希望のマスコミに就職しました。先週は再会出来なかったギターのMも、バンドを離れた後は真面目に勉強に打ち込んで就職しました。また、バンドのメンバーではなかったけれども一緒に悪いことをして遊んでいた美術サークルの後輩Kも、意外なことに難関をくぐり抜けて大手企業に就職しました。彼らはボクなんかと違ってオトナになったんだ、とその時は思いました。しかし、マスコミに就職したKを除き、皆数年内にサラリーマンの世界からドロップアウトしました。Yは就職2年少々でイギリス人女性と恋に落ち帰国する彼女に付いてイギリスに渡りました。Mはサラリーマンをしながら東大を受験・合格し再入学しました。Kもサラリーマンをしながら毎日深夜まで勉強し京大大学院に入りました。どうやら彼らは決して「オトナになった」わけではなかったのです。あれから30余年、Yはロンドンでコンサル会社を自営しています。Mは母校の大学教授になりました。Kは語学大学のイタリア語学部長になりました。ベーシストのKは会社の執行役員になりました。他方、まともにサラリーマンになった同級生たちはというと役職定年だリストラだ退職勧告後バイト生活だ精神を病んで休職だとあまり明るいニュースを聞きません。ドロップアウトした仲間たちが、その後ずっと自分の道を歩んでいることを、当時は不良の先輩だった私は誇りに思っています。ボクはといえば、いい年して日本に帰って来て一般企業に就職し安泰なサラリーマン生活を過ごしていますが、旧友の中には「学生時代、死ぬ死ぬ言ってたのに、一体いつ死ぬんだ」みたいなことを冗談半分に訊いてくるヤツもいれば、「ドロップアウトしたコイツにだけは劣等感を感じることもあるまい」と思っていたヤツが日本企業でそれなりの役職に就いている事実が受け入れられないのか、やたらとボクに絡んでくるヤツもいます。忌野清志郎が『ベイビー、逃げるんだ』の中で歌った『ロックはもう卒業だ』と言って髪を切った「生意気だったヤツ」は、きっとそのモデルとなった知り合いがいたのだと思うのですが、その後どうなったのか、と思ってしまいます。すっかり素直になって就職して結婚してそのまま定年退職までサラリーマンを勤め上げたのか、途中で自分を見失って精神を病んで休職・退職したのか、数年でドロップアウトしてまた髪を伸ばし始めたり自分で何か始めたものか。上司だろうが会社だろうがイヤなことから逃げるのはいいことだと今でも思っています。でも、自分からだけは一生逃げられないとは思う。自分にウソをついている人はいずれ目を逸らしてきた自分が執拗な借金取りのように夜中にドアをドンドンと叩いてくるのに悩まされるんだろうと思う。だから、オトナになっても、自分からは逃げてはダメだと思う。
2024.08.25
コメント(1)
日本の大学時代の友人KとYと卒業後はじめて3人で会った。普通に日本で就職して結婚したKは次女がこのたび我々の母校に推薦入学が決定したそうである。なお、面接にあたっては、父親が学生時代に何をしていたのかを質問された場合の対策として、このブログのこの記事を(読ませたくない部分をカットした上で)読ませておいたそうである。我々は元々美術サークルの先輩後輩だったのだが、美術では表現し切れない衝動を発散させるために猟奇バンドを結成し、京都のライブハウスを根城に卒業時まで2年に渡り絶叫演奏活動をしたのであった。もはや年に1回も更新していないこのブログだが当時のことを振り返って書いた記事が我々の母校への娘の進学に多少の役に立ったというのは誇らしいことではないか。ちなみに当時一緒にバンドをしていたもう1人のメンバーMは実は昨年から母校で教授をしており、Kの娘はまったく無関係な学部に進学するにもかかわらず早くもMの講義を聴講したいと言っているそうである。私は大学を卒業して間もなく渡米しほんの10年ちょい前までカナダの永住権を持っていたくらいだし、Yは一旦国内で就職したものの知り合ったイギリス人女性と恋に落ち彼女を追って30年以上前に渡英しているため、35年前に通った日本の大学のことなど普段は思い出すこともないのだが、「娘が母校に進学」と聞いた途端、若気の至りあるいは黒歴史と言ってもよい35年前の日々がとても誇らしい記憶として蘇るのであった。我々は当時はあわよくばこの音楽で世界を変えてやるくらいの気持ちでバンド活動をやっていたのだが、Kの次女も世界をよい方向に変えるために我々の母校で学ぶらしい。正直、我々は勉学はそこそこで、課外活動に力を入れすぎたきらいはあるものの、コンプライアンスだのポリコレだので萎縮した現代では考えられないような昭和バブル期の「やりたい放題」の学生生活を満喫したことは確かである。我々がその後の度重なる試練にも打ち負かされることなく自分を信じて我道を邁進し35年後にお互いに恥じることなく再会を果たすことができたのもあの頃に「自分の力で世界を変えられるのではないか」と信じられる経験ができたからではないかと思うのである。自傷したり破壊したり万引きしたり罵倒したりラリったり不摂生したあの当時の我々を周りのマトモな仲間たちは侮蔑し憐憫していたかも知れないが、35年経った今では娘が誇りに思うリッパなパパになったのみならず、還暦が数年後に迫った今でも世界を変えられるという手応えがどこかに残っている我々はこのまま老いさばらえることもスローダウンすることもなく死ぬまで我道を邁進し続けるのである。
2024.08.19
コメント(2)
映画のタイトルは、この映画の主人公が母親から渡された本の題名であって、この映画が視聴者に何のために生きているのかを問うているわけではない。ちなみに英語のタイトルは Boy and Blue Heron である。そう、このアニメ映画はまあ、少年と青鷺という2人?のキャラクターを中心とした物語なので、その題名に間違いはない。なお宮崎駿氏は少年時代に実際に同題の本を母親からもらっているらしい。そう言えばこの映画の時代背景を考えても、この映画には自叙伝的要素があるのかもしれない。自分だったらそんなタイトルの本を母親からもらいたくないものだが(笑)、当時は戦後の記憶が生々しく残る時代、生きるだの死ぬだの言うのが日常的に身近にあった時代だし、何のために生きるとか結構真面目に考えざるを得ない日々だったのかも知れない。まあ、この物語の深層には大叔父だか大伯父の存在があるのだが、黄泉の世界だかあっち側の世界からこの世をコントロールしているらしき老人は生きているのか死んでいるのか、そもそもそんな次元を超越した存在なのか、目が死んでいて声も全てを達観した重い声。この声優はタダモノではあるまいと思って調べてみたら案の定、火野正平だったよ(笑)。そういえば西川峰子、元気なのかね?それにしてもあの黄泉の世界はなかなか分かりやすかった。宮崎駿は実際に見てきたんじゃないかね、高熱を出してうなされていていた時とかに。死ぬ時のリハーサルとして、平均寿命を過ぎた宮崎駿はあれを画像化しておく必要があったんじゃないのかね。半分ギャグになっている点がそれっぽいと思ったよ。彼の脳内はホントに宇宙と森羅万象の法則とギャグがごっちゃになってんじゃないの?彼は死ぬ時はああいう世界に行くのかもね。飽きないよねきっと。ちょっと英語で見直してみたいと思った。あの和洋折衷の館なんて、まさに宮崎駿の脳内だよね。
2023.10.30
コメント(0)
同僚がアメリカ出張帰りのフライトの中で観たRRRがスゴく良かったと言うので、映画館に行くことなど年に1回くらいしかないのだが、ネットで調べたら最寄りの映画館では3月いっぱいで上映打ち切りだと知り平日にもかかわらず仕事が終わってから観に行ってきた。何せインド映画だ。しかも3時間モノで、インドで上映された時は途中でインターミッション(途中休憩)が入ったらしい(笑)。敢えてカネを出して観に行くにはちょっとした勢いが要るものだ。これは観て得したと思った。3時間の長さを感じないくらい夢中になって観てしまい、終わるのが惜しいと感じたくらいだ。前半でいったん主人公の片割れ(Bheem)の物語は終わるのだが、後半のもう片割れのRajuの話で前半の物語へのドンデン返しが待っている。1度で2つの映画を見せられ、しかも単に倍でなく話が二重に厚みを増すといった感じ。私は30余年前に現地の映画館で観たインド映画の印象が強烈に残っており、そのせいでインド映画にちょっとした偏見があったのだが、この30余年でインド映画もハリウッド級とは言わないまでもいわゆる洋画に遜色のないレベルに発達し、カメラワークもCGもスペシャルイフェクトも脚本も音楽も期待を上回る出来栄えなのであった。面白いと思ったのは、インド人をBuggersなどと呼び動物というか虫ケラ並に扱うイギリス人支配者たちに対し、自分もアジア人としての義憤を感じ始めたのか、すっかりインド人側の視点で物語を見始めている自分に気づいた時である。主人公たちが何度もピンチに陥り支配者に囚われの身になりそうなシーンで、ハラハラしながら祈るような気持ちで主人公たちを応援してしまっているのである。そして、終盤で主人公たちが追い詰められたところから大逆転したった2人でイギリス人特殊部隊を殲滅した末、最後には武器庫を爆破し悪役の提督とそのワイフまで仕留め、昔ながらの勧善懲悪ストーリーでスッキリして映画を見終えることができるのである。まー細かいことを言い出せばご都合主義だのあまりにも出来過ぎたグーゼンだの「あれはあり得ないだろ!」というシーン満載なのだが(笑)、それでもつい話に引き込まれてしまうのだ。それくらいパワフルなストーリーなのだ。あれはハリウッド映画では無理で、インド映画だからこそ観る者を納得させられるのだ。また、映画館で大画面・大音量で観れたのもホントよかった。迫力のあるシーンをホントに堪能できた。ということでこの映画はボク的には100点満点の映画でした。
2023.04.03
コメント(0)
あなたの訃報に接した今日の午後、私はたまたまなのか虫の知らせなのか、ふとMerry Christmas Mr. LawrenceやEnergy Flowとかのあなたのピアノ曲を聴いて和んでいました。中学生の頃から聴いているあなたの作った曲はホントにいつまで経っても飽きが来ません。いくら噛んでも味が薄れない裂きイカのようです。音楽には力がありますね。大槻ケンジは「音楽は人を殺せないが、言葉は人を殺せる」と言いました。まあそれはホントなんだと思います。しかし音楽は言葉なしでも大勢の人を動かすことが出来ますね。大量の人を感動させたり高揚させたり陶酔させたりリラックスさせたりトリップさせたり熱狂させたり出来ますね。あなたの音楽はまさにそんな魔力を持っています。あなたの音楽のおかげで私の人生は豊かになりました。中学1年生のときTechnopolisを初めて聴いた時の衝撃。中学2年生の時に友達の家の高級ステレオでPublic PressureのThe End of Asiaを聴いて泣きそうになるほど感動したこと。戦メリも頭に焼き付いて離れない。ラストエンペラーのテーマも永遠の名曲だ。Ballet Mechanique には救われたし今でも聴くたびに救われる。過去40年以上にわたり、ほぼ何の対価も払わずにあなたからこのような多大な恩恵を受けてきた自分を幸運に思うとともに、あなたに対し感謝の念を禁じ得ません。30年前、NYのジャパニーズレストランでバイトをしていた時、たまたま休んだ日にあなたが店を訪れたという事実を私は悔やんでも悔やみきれません。ま、そんなことも今となってはどーでもいい良い思い出です。私もいい爺さんですがせいぜい死ぬまで少しでも人に喜んでもらえることをしよう、人の役に立とうと思います。とにかく坂本さん、ありがとう。ありがとう。
2023.04.03
コメント(0)
「不思議の国のアリス」は10代の少女の精神分裂病の妄想をそのまま物語にしたものでAWS (Alice in Wonderland Syndrome、不思議の国のアリス症候群)という用語もあるらしい。Everything Everywhere All at Once は、いわば不思議の国のアリスの中年女性版といった感じ。主人公Evelynのマルチバース体験の映画だという設定だが、現実逃避したくなったEvelynの妄想の追体験として観ることも出来ると思う。Everything, Everywhere, All at Once というのは、経験者なら分かると思うが、LSDトリップでトンでいる時の状態である。過去も未来もここもあそこも宇宙の果ても一気に経験してしまうあの状態である。ドラッグも経験したこともなさそうな東洋系のアメリカ人女性がそれを経験したら…というコメディドラマなのだろうという先入観で見に行った。そのうち、ゲイの長女との葛藤やMatrixのパロディみたいなシーンが出てきて、あーこれはSF仕立てで描いたアジア系アメリカ人家族のコメディドラマかと思って観ていたが、やがて長女のJoyが並行世界では母親に追い詰められた末、あらゆる世界の全ての出来事をいっぺんに経験して「Everything Bagel」を作り出したマルチバースの魔王というか破壊者だった、という急な話の展開から、「ああ、これは母娘の物語の寓話か!」と気付き、案の定話はSFコメディからニューエイジ思想というか実存主義というかニヒリズムというか哲学的な方向に展開していくのであった。(あのグランドキャニオンのような砂漠地帯で2つの石が並ぶシーンのインパクトは強烈)特に、「Part 2 Everywhere」でEvelynが「◯年前のあの時、あっちを選択していたら…」という並行世界でのさまざまな自分ー女優として成功した自分、歌手としてステージに立つ自分、ピザ屋の看板持ちになった自分、ソーセージ指を持つ人類世界で税務署の監査員とレズビアン関係にある自分、鉄板焼シェフになった自分ーのビジョンを垣間見ながら、時折現実世界に還ってきて税務署の監査員による追及だの領収書の山に囲まれるシーンは、「…ああ、並行世界のビジョンは惨めな現実の自分からの現実逃避だったのか!」という疑いを次第に深めさせた。そのことが確信になったのは、ついにEvelynが並行世界のJoyによってEverything Bagel のブラックホールの穴に吸い込まれようという時に、現実世界ではEvelynは夫から離婚届を手渡され、税務署の監査員が呼んだ警察官に取り囲まれコインランドリーの資産の差押状を手渡され、こんなコインランドリーもともと好きで経営してるわけじゃなかったんだといいバットでガラスを割りまくり…というニヒリズムに陥ってついの自暴自棄になった時だった。その時にいい役を演じるのが、いかにも東洋系のうだつの上がらない弱々しい男を絵に描いたような夫のWaymondである。彼は、妻がバットで破壊しまくったガラスをホウキで掃除しながら、儲かりもしないコインランドリーを経営しながらも、人に優しく慈しみ合って生きることが世界の意味だと言うのである。それを聞いて改心したEvelynはマルチバースの敵を次々に愛で撃ちまかし、everything bagelに今にも引き込まれようとするブラックホールから娘を引っ張り出す。それでも最後まで母の手を振り切って去ろうとするJoyをEvelynはとうとう行かせるが、最後に一言だけ、と言って、所詮世の中なんてどうでもいい、「Nothing matters」であったとしても、他愛もないことで笑い合ったりする瞬間に生きてる意味があるんじゃないのか、といった意味のことを娘に投げ掛け、最後の最後で踵を返させるのであった。この、おふざけみたいなSFめかしたドタバタコメディみたいな映画の設定は監督の「照れ隠し」であって、やり直しの利かない年齢に到達し「現実」に圧倒され逃避したくなる中年へのZ世代からのメッセージのようなところもあるのかも知れない。
2023.04.02
コメント(0)
12月に入って飲尿を中断した。理由は、毎朝走っている途中で便意を催すからである。朝イチで尿を飲んでからだいたい1時間で便が下ってくるのだが、それがちょうど走っている最中なのである。寒い季節になると、公衆便所で尻を晒すのがツラい。そんなわけで1か月ほど飲尿を停止したものの、体重を量ると目に見えた体重の増加はなかった。しかし、私は1週間ほど海外を訪問中、一度も運動をしなかった。実は、出国の日まで仕事を終わらせるためその前日や前々日も走らなかったので、飲尿も運動もしない日が10日くらい続いていたのである。そんなある日、おそるおそる体重計に載ったところ、体重は2kg増えていた。しかも内臓脂肪が10%。海外旅行中は主に比較的安価だがカロリーが高い Taco Bellとかスナック菓子を食べていたのも良くなかった。見ると腹回りには薄っすらとブヨブヨの贅肉が付いていた。私は決心してまた朝イチの飲尿を復活することにした。4〜5か月くらい欠かさずに飲んでいてはずの尿も、2ヶ月近いブランクを挟むと、メチャクチャ不味かった。3日後か4日後くらいから普通に飲めるようになった。とは言うものの、体重はというとまだ2kg増のままなのであった。ランニングだけでなく週末の自転車と水泳も復活したのだが、体重はまだ減る気配はない。ただ、贅肉が付いたせいか、少し寒さに強くなった(笑)。手足が冷たくとも前ほどは気にならないのは利点ではある。まあ、体重は現在のままだったとしても、体脂肪は落ちて欲しいと思う。10%は「やや過剰」の域に入る。内臓脂肪1桁%維持は死守したいのである。まあ当面は朝イチ飲尿とランニングの組み合わせと週末の水泳と自転車の組み合わせで様子を見ようと思う。
2023.02.23
コメント(0)
映画館に来ている。何の映画なのか分からないが、オレの前に1人だけ先に並んでいる男がいた。中国系っぽい。どうやらこの映画には「特別席」が一席だけ用意されていて、この男はそれが目当てで早めに入り口に並んでいるらしい。そうか、俺ももうちょっと早く来ていたらその特別席に座れたのかとケチなことを考えてしまう。しばらくしてドアが開いて、ほかの観客たちと一緒に中に入るとたしかにスクリーンの正面に一席だけ前後左右スペースをとった席がある。おそらく映画のシーンに応じてシートが揺れたり動いたりするんだろう。ちょっと羨ましい。この男のガールフレンドみたいな子がやってきて中国語っぽい言語で何か会話している。早く座りましょうみたいなことを話しているのか。しかし特別席は一席だけだろ?それともアベックシートになっているのか?…などと考えているうちに目が覚めた。それにしても、久々に夢を覚えていた割には、どうでもいい夢だった。
2023.02.21
コメント(0)
飲尿を開始して2ヶ月弱が経過した。いわゆる朝の一番搾りをカップ半分くらい一気に飲むのを毎日欠かさず続けている。日によっては堪らなく臭かったり苦かったりするが、慣れた。何せ飲尿するのはこれが3回目なので抵抗は比較的小さい。前回飲尿していたのはたしか40歳くらいのことである。今回約15年ぶりに飲尿を再開したのも、当時の日記を読み返したのがきっかけである。体調のような質的なことはさておき、量的・数値的なところで言うと、体重が減った。年の初めくらいに72kgあったのが運動量を若干増やし食事を意識するようにしたところ春頃に70kg前後まで減った。その後朝食をシリアルや納豆ごはんからヨーグルト&プロテイン&豆乳だけにしてみたところ夏頃には68.5kgまで減って、以降はそこで固定した感じだった。それが飲尿開始後1ヶ月やそこらでさらに66.5kgまで減った。ここまで減ったのはマラソンをやっていた15年前以来である。その後もトライアスロンを始めて運動量は増えたが筋肉量も増加したため70kgになり、10年前にトライアスロンをやめて運動は健康ジョグ7km前後の生活になってから70〜73kgの範囲で固定していた。それが1年足らずで一気に5kg減量である。飲尿を始めてから腹周りの贅肉が落ちたと思う。体重が68.5kg前後まで落ちた段階でも腹周りの肉はなかなか落ちなかったが、飲尿開始後はそれが落ちたのである。ベルトの穴が子供が生まれる前の10年前の位置まで戻った。飲尿すると、1〜2時間後に腹が下り、臭い便が出る。これで腹の中がスッキリする。推測だが、この時、内臓脂肪とか腸内の脂分も下っているような感じである。また、運動時の体脂肪燃焼の効率が少し良くなった気もする。飲尿開始前はいくら大量の運動をして一時的に68kgを切ってもすぐ68.5kgに戻っていたが、今はそれが固定して戻らない。リバウンドが来ないのだ。もしかして単に病気なだけじゃないのかと思ったこともあるが体調はいいので健康な自然な減量と考えていいと思う。20歳と40歳前後に飲尿していた時は肌がスベスベになったのを覚えているが、今回は肌への効果はあまり感じない。むしろ飲尿開始直後の1〜2週間は顔とかに吹き出物が出来た。いわゆる好転反応だったのかも知れないが。ただ、今回は、2ヶ月経った今でもたまに顔にニキビみたいなのが出来る。あと、前回・前々回は飲尿すると内側からエネルギーが湧いてくるような感覚があったが今回はそれがない。むしろ、飲尿後、排便するまでの間は身体が重い。排便後もスッキリ感はあるが、元気いっぱいリポビタンDみたいな感覚は来ない。実はこの日記は朝、飲尿してからベッドに戻って横になって書いているのだが、ついに便意がやってきたのでここで筆を置くことにする。
2022.09.25
コメント(2)
先々週末、五反田太郎氏と会う前の日、母校(大学)の心理学科の同窓会に90年の卒業以来、初めて参加してきた。大学の美術サークルの仲間とは比較的楽しい思い出が多いが、心理学科の仲間との思い出には楽しいものも少なくはない一方、不快な思い出の方がやや多いため、ハッキリ言ってこれまで同窓会に出たいと思ったことがなかった。同窓会ではないが私はアメリカから6年ぶりに帰国した96年の暮れくらいに京都を訪れて同級生たちと再会したことがあったが、思えばそれも26年も前のことであった。記憶の中ではついこの前の出来事かと思えるのだが、これからさらに26年が経過した時、私は日本人男性の平均寿命を超えていることになることにある日ふと気付き、今この機会を逃すと生きているうちに同級生たちと会うこともなくなるかと思い急遽、同窓会への参加を思い立ったのである。同窓会とは言っても卒業年度を問わず全卒業生が参加する会なので、自分よりも何十歳も若い人も何十歳も年上の人も参加している。とは言え参加者26名中私の同級生が6人を占めていた。6人は家業を継いで社長になったヤツ、若くして出世して偉くなっちゃったヤツ、私の娘と同じ歳の孫がいる奴、大学事務所に就職して内部の事情通になっているヤツ、いろいろである。ま、いずれも京都近辺に家庭を築いている点はみな共通している。だが考えてみると心理学に直接関係のある仕事をしているヤツは1人もいない。そういえば、私以外は5人全員がいわゆる附属高校からのエスカレーター進学であり、人間の心について研究がしたくて心理学科を選択したヤツはこの中には自分以外いないのであった(笑)。今はどうか知らないが当時は6〜7割が内部進学者が占め、スポーツ推薦が1割半、推薦入学が同じく1割半、残る1割すなわち6〜7人が試験を受けて合格したホントに優秀な人たちだった。私の不快な思い出の一端はこの内部進学者が心理学科の大多数を占めている事実に関係していた。要するに、心理学を専攻しているはずなのに、同級生の圧倒的多数は人の心がどうのとかフロイトがどうのといった話題を振ると当時は嫌な顔をしたり果ては奇人扱いまでされるのであった。実際、人の心の話を振って「…勘弁してくれや。」と言われた相手は心理学科同窓会の副会長をしているのであった。ま、それでもみんな育ちの良い連中ばかりなので、人間の心については話し相手になれないものの、私のような地方出身の偏屈なヤツにも仲良くはしてくれた。だから連中との思い出はいろいろある。初回の心理学実習でネズミに迷路を学習させる実験をしたとき、バカなネズミが電気ショックにパニックに陥り逆の方向に逃げてしまい電気にシビレ続けていた話や、内田クレペリン検査の実習で日頃からバカだと見られていたヤツが私を上回り最高得点を出した話や、ロールシャッハテスト研究会の会合の最中に乱闘になり私に先に手を出したヤツが返り討ちに遭い病院送りになった事件や、同研究会の夏合宿で手漕ぎボートが荒波を浴びて転覆し死に掛けた話などである。みんな私がそれらの思い出話をするまでそれらの一件を忘れていたらしく、「頭が活性化された」と言ってくれた(笑)。35年も前のそんな記憶を昨日のことのように話す私は大学卒業後すぐ渡米しているので当時の記憶が上書きされることなく手付かずで保存されているのかもしれないが、彼らにとっては上書きに上書きを重ねもはや前世での記憶に近いものがあるのだろう。ま、同窓会の後、会場を替えて思い出話に花を咲かしているうちにあっという間に数時間が過ぎてしまったため、続きは来年に話すことにして別れたのであった。
2022.09.05
コメント(0)
10年以上前、五反田太郎を名乗って私や鰻坂の楽天ブログにコメントを残していた男は私や鰻坂の大学時代の後輩で今は某語学系大学の教員をしているのだが、10年前の私の結婚式の際には東京に駆けつけて友人代表スピーチをしてくれた有難い友人である。先日ロンドン在住の鰻坂が帰国した際、京都在住の五反田太郎と久々に会ってきたという話を先日鰻坂から聞き、先週末たまたま京都に用事があった私は彼に結婚式以来の10年ぶりに会ってきた。年齢相応に少し毛髪量が減り白髪の量が相対的に増え肌の艶にも翳りが見られるが中身はいつもの彼である。鰻坂からは、彼と会った時に大学の仕事のことや日本国内の話に終始していたような話を聞いていたので、話が合わなくなっているような事態をほんの少しだけ気にしていたが、私との会話では学生時代から変わらないあの五反田太郎であった。宇宙の話だの言語の恣意性の話だの丸尾末広だのイタリア近代だのローザルクセンブルクの話だの、学生時代によく話したようなネタを振っても53歳の彼は35年前と同じように話に付き合ってくれるのだった。考えてみると私は10年前に帰国してから宇宙の話だの言語の恣意性の話だの丸尾末広だのイタリア近代だのローザルクセンブルクの話だのを会社の同僚などはもちろん配偶者などとも話した記憶がない。いや、厳密に言うとイタリア近代の話はイタリアに駐在していた社長とちょっとだけ話したことがある。ま、それはさておき、要するに、オトナの付き合いでそんな世間離れした話題に付き合ってくれる人は居ないということで、未だにそんな話ができる学生時代の友人は貴重だということである。ところで今回彼と話していて知った意外な事実があった。彼は卒業後五反田に本社がある化粧品会社に就職し、このブログ上の仮名もそれに由来するらしいのだが、彼は就職活動時に唯一その会社にたまたま応募したまたま合格してしまいたまたま就職してしまっただけで、もともと就職活動すらしていなかった、というのである。私は学生時代、仲間内では唯一、就職も大学院進学もせずにプータロー生活に突入しそのまま海外にサヨナラしてしまったのであるが、一方でチャッカリスーツを着て就活して社会人になっていく仲間の姿を見て少し寂しく思っていた。実は私は五反田太郎もその1人だと思っていたのだが、彼は大学4年生の6月になるまで進路が決まらず就活もせずに実家でゴロゴロしていて、ある日母親に急かされてバイトの求人感覚でリクルート社から送られてきていた分厚い電話帳みたいな会社情報集の中から適当に電話をして、たまたまその翌日に説明会をしているというその会社に出向き、トントン拍子で重役面接まで進み、何百倍だかの倍率を勝ち抜いて就職が決まってしまったので、ほかの会社は全く受けていないそうな(笑)。就職先を決める上で自己分析も何もしていないし志望も目標もなかったので当然会社に入ってからは苦労し、ある日業務中に絶叫して失神して、やがて大学院進学のために勉強を始めて合格し円満退社したのであった。ほかにも同じ大学時代の仲間でやはり就職して1〜2年で退職し東大を再受験しその後研究者の道を進み今年から母校の教授をしている男も当時一緒にバンドをしていたギタリストなのだが、結局はいったん就職しても適応できずアカデミックの世界に居場所を見つけたようである。要するに就職しても言語の恣意性の話やローザルクセンブルクの話は永遠に出来ないのである。私は会社での自分の仕事に満足していて、自分しか出来ない仕事をやっていることや、同僚や会社やひいては社会にも陰ながら貢献できている事実にもそれなりに満足している。言語の恣意性の話をする相手がいないのは少し残念だが、中国でサソリを食った話やアメリカでヌードモデルをした話や富士山に日帰り登山をしてきた話なんかを社内SNSで一方的に話してリアクションがもらえるだけでそこそこ満足している。でもやっぱり何の背景説明も抜きで言語の恣意性がどうとか宇宙がどうとか時間がどうとかいう話がいきなり出来る相手はうれしい。鰻坂も貴重な友人だが五反田も同様に貴重な友人なのである。
2022.08.30
コメント(0)
地下鉄車内のドア横の、「累計○万部達成!」とか「強運・金運」といった釣りに掛かりやすい人をターゲットにした広告がしばしば貼られているにエリアにカタカナで「ゲルハルト・リヒター展」と書かれた広告を見た私は一瞬我が目を疑ったが紛れもなくあのドイツを代表する現代画家Gerhard Richter の展覧会の広告であった。私自身は最後に絵を描いてから25年、さらにはアメリカの学生時代に描いた作品をすべて実家の父に燃やされてから15年が経ち、展覧会に脚を運ぶこともなくなって久しいが、Gerhard Richter となれば話は別である。私は即座にネットで調べ、国立近代美術館で個展が開かれていると知り、何も予定を入れていなかったお盆休みの某日、地下鉄で竹橋に向かった。どうしてGerhard Richter となると話が別かというと、アメリカで絵画を学んでいた30年前、同氏の作品に大きな影響を受けたからである。アメリカに住んでいた時にも同氏の作品を見たことが何度かあるし、たしか20年くらい前に日本に住んでいた時期にも東京のどっかに同氏の展覧会を見に行ってその翌日、案の定朝に目が覚めず、会社に大遅刻した記憶がある。話は逸れるが、私はその以前にも展覧会に行った翌朝(その時はたしかNew Yorkに住んでいてCy Twomblyの展覧会であった)に目が覚めず、会社に大遅刻したことがあり、今回は慎重を期して翌朝に予定を入れていないお盆休みを選んだ次第である。あの、抽象と具象の狭間を行く独自の世界は画集で見ても十分面白いが、筆使いとか絵具の盛り上がりとか作品のスケールから来る切迫感は作品にリアルで対面しないと味わい難い。彼は近年、squeegee とよばれるヘラを多用しているらしく、ペインティングナイフと同様に厚塗りされた絵具をヘラでベロリと引き伸ばして偶然に得られる効果を巧みに利用している。その効果というのは、荒々しさとか生々しさとか、場合によっては痛々しさとか、異次元感とか、画家が筆でちまちまと描いても表現不能な効果である。彼の作品にはイメージとは何か、像とは何かを問いかけるドイツのゲシュタルト心理学みたいなドイツ現代思想みたいな趣があるが、今回の個展の最初の部屋は同じドイツでもアウシュビッツがテーマになっていた。部屋の正面の壁を覆い尽くすのは高さ2.5m幅10mくらいの灰色のガラス(暗い鏡)。その両サイドの壁には、squeegeeで描かれた高さ2.5m幅1.5mくらいの絵画が横並びに4枚、その反対側にはその4つの絵を写真に撮って同じサイズで印刷したプリント作品が模造のように向かい合わせに陳列されている。これらの絵はどれも凄惨な赤と絶望的な黒を基調にした抽象画なのだが、それらの厚塗りの絵具の合間から人間の肉体を想起させる肌色や、森の中を思わせる緑色がチラホラと垣間見られる。squeegeeで上塗りを重ねられた黒と赤の絵具はとにかく陰惨で、そのような馬鹿でかいパネルに囲まれていると辛くなって部屋に真ん中に座り込みたくなる。部屋の入り口横の壁には小さなモノクロームの写真が4枚掲示されている。アウシュビッツで隠し撮りされたユダヤ人の死体処理を遠景で撮影したピンボケ写真。この4枚の写真がこれら4つのパネルのモチーフであったことに気づき、直前に見た4つの絵画の陰惨さが一層重みを増す。展覧会の前半はここ10〜20年に描かれたsqueegeeを多用した大きめの抽象絵画。真ん中の部屋は彼の60年にわたる作家生活の代表作の展示室。例のグレイペインティング(灰色の絵具を刷毛でテクスチャをつけて規則的に厚塗りした作品)や、モーターボート・ライドに興ずる4人の男女のモノクロ写真をピンボケでキャンバスに再現した作品(実際は、スライドをピンボケで投影したのを見ながら描いたらしい)、色さまざまな細いストライプを端から端まで10mくらいに渡って伸ばしただけの作品など、画集かどこかの美術館で見た作品。後半はRichterが写真を元に描いたポートレート作品。驚いたことに、その中には何とRichterが65歳くらいの時に出来た自分の息子の乳児写真のポートレートも含まれる。驚いたというのはもちろん彼が65歳で子供を作っていた事実。母親はどう考えても自分の娘であってもおかしくない年齢であろう。Richterは要するに65歳で子供が作れるくらいの健康体なのである。展覧会の終盤はハガキサイズの写真にペイントを塗り重ねた習作みたいな作品集と、「アラジン」と名付けられた、ガラスにラッカーペイントか何かを載せて別のガラス板か何かで圧迫してガラスの向こう側から見せた作品シリーズと、コロナで屋内にこもっていた時期に描かれたとおぼしき抽象ドローイング集。写真にペイントを塗り重ねた習作みたいな小品は、彼の抽象画が風景画などの具象画に見える理由のヒントになる。実はRichterはキャンバスに下塗り的な「具象画」を描いた上でその上にペイントを厚塗りしてSqueegeeで抽象画化するという作業を通して、具象が「透けて見える」抽象画を描いているのだろうと感じた。Richterは1930年くらいの生まれなので御歳90歳ちょっとのはずだが、ビデオを見た限りとても90代とは思えない背筋のしっかり伸びた若々しい爺さんである。私ももうすぐ還暦で赤いチャンチャンコを着る年齢だがRichterから見れば小僧もいいところで、まだ向こう30年の間に子供を作ったりアウシュビッツのような人類史上の問題を扱った意欲的な大作を作成したり、まだまだやることが山ほどある立場なのかもしれない。
2022.08.18
コメント(2)
ロンドン在住30年を迎えた日本の大学時代の友人である鰻坂ヒカルが数年ぶりに帰国したので会ってきた。彼が前回・前々回イギリス人のワイフと娘を連れて帰国した時はワタシも自分の妻子を連れて会いに行ったが今年は単独での帰国である。ところで彼に鰻坂ヒカルブログの話を振ったら「なんだっけそれ」みたいな反応をしたので、ホラ、楽天ブログで郡山ハルジとか心斎橋ワタルとか五反田太郎とかふざけたペンネームで日記書いてたじゃんと言うとようやく思い出して、結婚して子供が出来てからはもう別人の生活なので、それ以前のことは記憶にない、といった意味のことを言った。彼は帰国すると同じ大学時代の友人である心斎橋ワタルや五反田太郎と会うのを常としているが、今回は五反田太郎とだけ再会できたそうである。某大手広告代理店勤めだった心斎橋氏は出世していまや執行役員になってしまい、心斎橋だの殿様の生活だの言って遊んでられる身ではなくなってしまったそうである(笑)。一方五反田氏は出世したとはいえ某語学大学の教授なので比較的時間に余裕があったようである。心斎橋氏も五反田氏もいわゆる適齢期に結婚し人の父となったため子供はもう大学生とか大学を卒業した年齢なので、20代で日本を離れて紆余曲折を経て40才半ばにして人の父となった鰻坂とはいろいろと話が合わない点も増えてくるわけだが、鰻坂とワタシはその点、話のレベルは合うようである。要するに、日本は世界的にみていよいよヤバイ状態を転げ落ちそうな状況なのに、彼らは日本国内の話に終始して国内でしか通用しない基準で物事を語ることがどうしても多くなりがちなのであろう。まあ、もう50代も半ばになると、いまさら「グローバルな視点」もクソもないのだろう。もはや日本という国と呉越同舟というか毒をくわば皿までというべきか、この国の制度の外で何かをするという発想がもう出来なくなっているのかも知れない。鰻坂はロンドンで日系の会社の会計コンサルティング会社を経営していて、事業を売ってアーリーリタイアみたいなこともできないではないようだが、ワタシと一緒で子供がまだ小さいのでしばらくあくせくと働くつもりらしい。彼は数年前に会った時より10kgくらい痩せていて、カーボン断ちダイエットをするなど食事と健康には気を遣っているようだ。執行役員になった心斎橋も大学教授になった五反田も、子供は独立する年齢かもしれないが、定年退職とは縁のない立場なのでしばらくは現役で稼ぐことになる点ではワタシや鰻坂と一緒であろう。ワタシの同級生たちもあと5年足らずで還暦を迎える年齢ではあるが、鰻坂だの心斎橋だの五反田がテーネン退職して隠居生活を送るだなんてとてもイメージがわかないし、ワタシはまだ一緒にスタジオで殿様の生活の名曲を演奏できる日を夢見ているし、30年前のあの曲々を先日衝動的に買ったベースで日々練習しているし、在宅勤務をいいことに髪の毛もまた伸ばし始めている。
2022.07.26
コメント(2)
10年前に帰国し人の親になってから毎回の選挙では投票するようにしている。それまでは日本に住んでいた時期も投票したことは一度しかない。(その一度とは森元首相が「投票日にはみんな寝ていて欲しい」と発言したあの時である。)毎回、郵便受けに投函されている候補者の経歴や政治信条などが掲載された新聞みたいなのを読んで投票する候補者を決めていたが、今回は初めてボートマッチとやらを使った。ボートとはboat のことではなくvote のことである。ネット上でちょっとした政治的な考えに関するアンケートみたいな質問項目に回答すると、同じ質問項目対する各候補者の回答との一致度をパーセント表示してくれる。私は自分はアメリカ的にいえばリベラルな考え方の持ち主で、既得権益を守ろうとして新しい考えや勢力を排除しようとする保守層が大嫌いである。野党にはもっと勢力を伸ばして欲しいとは感じるものの、カクメイ的な社会の転換を望んでいるわけでもなく、これといって支持する政党はない。今回、私がボートマッチをして驚いたのは、コーメー党の候補者たちとの一致度が異様に高かったことである。コーメー党というと与党の片割れであり某宗教との関連もあることから、一度も投票したことはないし、候補者の主張などを精査することもなく最初から深く考えもせず選択肢から除外していた。ところがこの政党の候補者の質問項目への回答はやたら私の政治的傾向と一致度が高いのであった。で、私はどうしたかというと、選挙区の方は、よく知らないが一致度の高かった野党の某候補に票を投じ、比例の方は、多少のためらいはあったものの、コーメーと書いたのであった。これはボートマッチがなければあり得ない投票行動であった。それまで、例の宗教との関連から自分とはまったく異なる種類の人たちの支持政党なのだと信じ切っていたわけだが、実は私の政治的な傾向は、宗教を信じている人たちと近いものがあったというのはちょっとした発見であった。おわり。
2022.07.10
コメント(2)
思い立って、前歯をインプラントにすることにした。前歯3本はクラウン、2本はブリッジになって5〜6年経つが、すぐにグラつくのでモノをそっと噛まなければいけない日々がイヤになったためである。スキャン画像を撮ってもらい検討した結果、3本をインプラントにして、2本をブリッジにすることにした。そのため、クラウンを被せていた3本を抜歯した。つまり前歯5本が無いホガホガの状態になったのである。インプラントを入れるまで半年くらいかかるので入れ歯を作ってもらったが、上顎部分が邪魔になってまともに喋れない。どうせ人と会うときはマスクをしているので普段は装着していない。噛み切ることができないので、舌で口蓋に圧して切れるうどんみたいな麺類やオートミールのようなものしか食えない日が続いた。サシスセソだのラリルレロだのが発音できないので思うような会話ができない。ましてや英語になると train とか the sun とかいったごく基本的な単語の発音がどんなに頑張ってもできず、簡単な意思疎通さえ絶望的に感じて軽い鬱状態になった。先週、左側の2本だけ仮歯を入れてもらって大分マシにはなったものの、右の前3本が空いているので the や that の“th”の音とか、soon の “s”のような前歯を使う音が、よほど意識しないと発音できない。会話の時には一つ一つの子音を意識して発音している余裕がないので、歯のない爺ちゃん婆ちゃんの英語みたいになって情けない。インプラントの相場は1本50万円くらいという情報は調べて知っていたが、前歯の場合人目に触れるので素材やら処置やらがやや高くつくようで、3本で税込み180万円くらいになるらしい。仮にあと20年くらい生きるとして、年間10万円くらい、1ヶ月1万円弱の投資ということか。半年すれば肉でもセンベイでもガツガツとむしゃぶりつく日々が戻ってくると思えば、多少の不便も我慢できる。おまけにコロナ禍で在宅勤務やマスク装着の日々が続く今の時期は、歯抜けの状態を半年近く続けなければならないインプラントにはまたとない好機である。コロナ禍が過ぎ去り出社の日々が復活し晴れてマスクを外すタイミングになった時、若返った白く頑丈な人工歯を晒してニッコリと微笑むことができることを夢見て、一時的な歯無しの爺さん婆さん状態に耐えている新年である。
2022.01.29
コメント(0)
皆さんOculusって聞いたことあります?VR(仮想現実)ゴーグルというこんな↓やつです。これの最新版のOculusQuest2というモデルが比較的手頃な価格(3万7000円)で購入できると知った私は衝動的にネットで購入しました。購入して24時間しか経っていませんが、すでに「元を取った」という感じです。宇宙から地球を見るとか、火星の表面から360度を見渡すとか、地上から対流圏→成層圏→中間圏→熱圏→宇宙と上昇していくとか、実際に360度カメラで撮影された映像をリアルに体験できるのです。ほかにも、太陽系を飛び回って土星の輪を通り抜けるとか、国際宇宙ステーションの内部を無重力状態で移動して地球を眺めるとか、トリップ用・瞑想用のおサイケな仮想空間の中を浮遊するとか、ロボットと手をつないで音楽に合わせてダンスするとか、ゴーグルをつけてる人を傍から見たら単なるアブナい夢遊病者だと思いますが(笑)、ゴーグルを付けて仮想空間に没入している本人にとってはもう楽しくて楽しくて仕方ありません。昨日の晩は、寝る前うっかりVenuesという仮想社交空間にアバターを作って入室したところ、世界中のユーザ(お昼時の欧州は大人ユーザ、午前中の北米はガキ・ユーザ)と生の声で会話したり戯れるのが楽しくって、深夜まで社交してしまいました。(ボクが実は54歳だと知ったら、一緒にアバターで自撮りした10代のガキどもは気味悪がったに違いありません)とにかく、何が言いたいのかというと、仮想ゴーグルは素晴らしい、ということです。現実世界のリアルさを100としたら、最近の仮想空間のリアルさ(音声・映像)は70〜80くらいまでは達していると思います。これに臭いとか温度・触感が加わったらもう現実と遜色ない。もう現実に戻るのがイヤになるくらいの出来の良さです。特に、コロナ禍で自宅に引きこもりがちになっていたとしても、この仮想ゴーグルで宇宙に行ったりアリゾナの砂漠に行ったり常夏のビーチに行ったり北極圏でオーロラを見たり仮想空間で見ず知らずの人と会話したり遊んだり、というのはかなりリアルに近い満足感が得られます。ヴァーチャルリアリティとか、昭和の終わりくらいからずっと言ってたけど、ようやくこの日が来たか!という感慨もひとしおです。皆さんにもぜひおすすめします(ただしFacebookのアカウントがないと使えません)。ちなみにヨドバシカメラだと都内は即日で配達してくれました。
2021.05.24
コメント(2)
毎朝の日課であるジョギングの後半、代々木公園の南門のそばを通り掛かった時、警察官らしき人たちがイエローテープを張った中で作業をしていた。走り過ぎる際にチラッと見たら、鑑識らしき人が木から指紋採取をしており、何の事件かと思ってさらによく見ると、木から垂れた紐の先に膝をつく姿勢で縊死している男性の姿があった。どうやら自殺である。そういえばさっき代々木公園に向かう陸橋の上から救急車とパトカーが駐車されているのを見て何事かと訝しがったのを思い出した。これだったのか。60代後半といった風情の男性だ。公園のこの辺にはホームレスの人たちがテント生活をしているのだが、年の頃や風体がその人たちと重なることから、その1人である可能性もある。顔色は土色で、苦しそうな表情ではなかった。夜の間に独りここに来てやったのだろう。背の低い木の目の高さくらいの枝に紐をかけて、足が地面に付く高さで、脚を前に投げ出して腰を折り、沈む姿勢で首を吊ったようだ。それにしても、公園の奥深い森の中ではなく、公園入口のそばを選んだのはどういうことだろう。夜とは言え、通りがかった人に気づかれてもおかしくない。サンフランシスコの金門橋から投身自殺する人の圧倒的多数は、海側ではなく街の側を向いて飛び降りるらしいが、この人も未練があったのだろうか。と言うか、仮に夜に公園の門の近くで誰かが暗がりで木に紐を掛けているらしきところを見かけた人がいたとして、面倒なことに巻き込まれたくないとか、気味が悪いとか思ってその場を見て見ぬ振りをして通り過ぎたかも知れない。そうでなかったとしても、公園の門の近くで、自分に気づきもせずに通り過ぎていく通行人の声や物音を聞きながら首吊りで意識が遠のいていくのは、それはそれで悲しい死に方ではないか。人それぞれ計り知れないいろいろな個人的事情があるので、一概に自殺を否定することは出来ない。私は走りながら そんなことを考え、とりあえずRest in peace を祈った。この人も、早朝に公園を散歩なりジョギングをしていた第一発見者にトラウマを植え付けたり、たまたまそばを通り掛かった人を一日中陰鬱な気持ちで過ごさせる程度の迷惑は掛けても、飛び降り自殺や飛び込み自殺のように他人を巻き込んだり後始末に手間暇を掛けさせないようなやり方でヒッソリとこの世を去ったという点で、哀しいけどきれいな退け際だと言えなくもない。トラウマという点でいえば、五体が繋がっているだけでなく、同じ縊死でも地に脚が着いた状態でブラブラせずの死んでいるのは、ビジュアル的には練炭自殺や睡眠薬自殺のたぐいに次いでそれを見る人のショックが小さいのではなかろうか。私のアメリカの大学時代からの友人は数年前にやはり首吊り自殺しているが、天井からぶら下がっている彼をを発見したガールフレンドのショックを思って不憫に思ったことを覚えている。ぶら下がった屍体は良くない。
2020.09.03
コメント(4)
新型コロナウィルスは素晴らしいね! 世の中の不要不急な事物を浮き彫りにしたよね。 別に旅行しなくたって、出張しなくたって、 買い物のために街に出なくたって、現金のやり取りしなくたって、 プロ野球観戦に行かなくたって、テーマパーク行かなくたって、コンサート行かなくたって、 レストランや飲み屋に行かなくたって、ワシやアンタが出社しなくたって、 世の中がフツウに回ってしまうことが明らかになったもんね。 つーか、ケーザイって、不要不急な活動のおかげで成立してたことが明確になったよね。 大気汚染や海洋汚染が一気に沈静化したとか、ニンゲンが活動を控えてくれたおかげで環境が一気に改善されて、地球も大喜びだよね。 緊急事態宣言を解除するまでは渋谷のウチの近所もそりゃ静かで空気もキレイでホント言うことなかったよ。宣言解除でまたうるさい街に戻っちゃってガッカリだけど。 ワシは会社は好きだけどさ、在宅勤務に慣れちゃうと、もう出社する気にならないよね。しかもありがたいことに会社側が在宅勤務を奨励してくれるなんて、ホントに助かるヮ。 個人的には海外出張とか無くなっちゃったのは残念。年内はもう無理かもね。
2020.06.14
コメント(4)
今月に入ってからずっと自宅待機である。東京に緊急事態宣言が出された4月7日以降も出社しているのは”最重要”な業務に携わる約3割くらいの社員で、その次に重要な業務に携わる社員から優先的に在宅勤務用のPCが発送されているようである。私に自宅に在宅勤務用PCが発送されるのはいわゆるGW以降でなので、自宅待機は1ヶ月以上に及びそうである。私の仕事など会社的にはいわば”不要不急”なのである。本来なら今月から小学生だった長女は学校が始まる前にさっそく休校。小中学校が休校になった後もほぼ通常通りオープンしていた次女の保育園は緊急事態宣言の翌週から閉園。本来私が仕事をしていた時間はほぼ子供の世話に充てられている。これまでは毎朝4時45分に起床して子供を保育園に送り届けてから出社する生活だった。今は朝6時起床となり、睡眠時間が約1時間伸びたのでカフェインに依存せずに生活できている。これまでどおり毎朝1時間くらい走っているのだが、通勤や職場での緊張感がないためか、体重は微増している感じがする。また、毎日のコミュニケーションの9割以上を4歳児と6歳児との会話が占めているためか、頭の老化が進行している感じがする。
2020.04.24
コメント(0)
私の娘は2人、長女が6歳で次女が4歳。それぞれ私が47歳と49歳の時に生まれたので、年齢的にはほぼ孫の感覚に近いか。子供の同級生の親はみな私より10〜20歳近く若い。まだ小さかった頃から2人はパーソナリティーが明白に違う。姉は男の子っぽい。声が太く、ズボラである。 しかし臆病で慎重。妹は女の子らしくて可愛らしい。甘え上手である。好奇心が強く大胆。姉は要領が悪く、運動神経は鈍いが体力・腕力はある。妹は要領がよく、八方美人で小狡い。すばしっこいがすぐに疲れ、すぐ熱を出す。姉は女の子っぽくないので、乳児の頃を除くと、周囲のオトナたちからからあまり可愛い可愛いとチヤホヤされずに大きくなったが、同級生たちからは人気があると聞いている。一方妹は姉と違いいつも周りから可愛い可愛いとチヤホヤされて大きくなったので自信があるのか人見知りしない。2人に共通しているのは負けず嫌いな点。ゲームとかで負けるとどちらもすぐ不貞腐れ、泣き喚くこともある。よっぽど悔しいらしい。2人とも毎日のようにケンカしては、多くの場合妹が泣き出す。たまに妹が仕返しをして姉が泣くことがある。だいたい4対1から5対1の割合で姉が妹を泣かせている。姉は太々しくなかなか謝らない。妹はしばらくすると潔く謝る。ただ、妹は姉がなかなか謝らないと、姉に謝ることをしつこく要求する。2人とも習いごとをやっていない。一時、公文の塾に2人で通っていたが、姉の宿題が滞りがちなので、2人揃って止めた。いちど2人でスイミングスクールに体験入学したが姉が直前でプールに入ることを拒否したので、それっきり行っていない。妹だけを通わせるという選択肢もあるが、出来ない姉を尻目に妹だけがどんどん先に進んでいく状況が姉にプレッシャーを与えることを懸念したか、母親が2人とも通わせない決断をした模様。2人には英語で話しかけて育ててきたが2人とも日本語で返事をする状態で固定してしまった。姉の方が私の言うことの理解度が高い。妹は英語を聞くのが面倒になると「日本語で言って。」と言い出す。ちなみの姉はダディと私を呼ぶが妹はパパと呼ぶ。 姉は4月から小学生である。どんな小学生活が待っているのか本人と同じくらい楽しみである。
2020.01.12
コメント(6)
人間ドックのオプションで脳MRIを受けた。通常は脳梗塞やクモ膜下出血の危険察知のために受診するらしいのだが、私の場合脳ドックの追加オプションである認知症診断を受けるのが主目的である。脳ドックだけで計3万円。今月で53歳になるが、視力と記憶力の急激な低下は日常業務に支障を来たす域に到達している。何か気質的な異常があるのかはっきりさせたかったのである。地下二階にあるMRIの検査室に入るとBGMがなっていた。ロックかラップか分からないが単調な4ビートである。嫌いなリズムではない。うるさくてすいませんね、と検査技師が言った。私はようやくそれがMRIの機械が発するノイズであることを理解した。聴いているうちに曲想が湧いてきそうな軽妙なリズムだ。横たわると頭を固定され、パニックボタンを持たされた。中には閉所恐怖症の人がMRIの機械に入れられてパニックを起こしたりするらしい。私自身は極めてリラックスしていたつもりだったが、ボタンを渡されてすぐ、頭を動かせないことに改めて気づいた途端、不安感が鎌をもたげてきて少し焦った。MRIの機械の中に入ると、まるで聴力検査のように右と左の耳に異なる波長、音量のノイズが浴びせられる。あるものは長く単調なリズムがあり、聴いていて身体が小刻みに動いてくる。あるものは耳孔内で不協ノイズを生じ、頭が軽くトリップした感じになる。そうこうしているうちにリラックスしてきて半覚醒状態になり、自分が妄想しているのか、睡眠状態に入って夢を見ているのか、そんな他愛もないイメージの世界を出たり入ったりするような時間が続く。もうノイズはバックグラウンドに退いている。突然ノイズが止まり、検査技師のはいこれで終わりですという声で、現実に引き戻される。これで20分くらいのはずなのだが、もっと長かったような感じもする。まあ記憶が途切れていることは確かだ。もうちょっと、あと10分くらい長くてもよかったかな、という中途半端な感じも少しある。その後、技師の手前、極力平常のように振る舞ったものの、実は寝ボケた状態に近く、元の人間ドックの会場に戻るのにちょっと苦労した。
2019.07.30
コメント(2)
2018.02.11
コメント(4)
皆さんお元気ですか
2016.06.06
コメント(2)
2014.11.22
コメント(4)
こんな感じ
2013.12.22
コメント(4)
ダディ自慢の娘、名前はまだない
2013.08.28
コメント(10)
ジャカルタにあるホテルのプールサイドのベッドに横たわり、ときおり日本語地元紙から目を離して正面に建つビルの背後に広がる青い空に浮かぶ南国の白い雲をボーっと眺めながら、ひとりで贅沢な週末の時間を過ごしている自分にちょっとだけ罪悪感を感じつつ日本にいる妻は今頃何をしているだろううかとふと思う。24時間オープンのジムでほぼ毎日筋トレしトレッドミルで走り、プールで泳いでサウナや温泉で寛いでいる。普段は筋トレなどしないのだが、スカイプでオレの上半身を見た妻に「胸板が薄くなった」と指摘されたので、「胸板が厚い方が好き」だという妻に迎合しプレスマシンなどで鍛えている。ここ1週間やそこらでだいぶ上半身ががっちりしてきた。日本を離れてもう3週間が経つ。日本の生活に疲れて出奔したとか、そういう話ではない。日本の会社に雇ってもらって9か月、過去半年やそこらの間に7回海外出張し、インドネシアはこれが2回目である。自分は赤道直下にかなり近いところにいるはずなのだが、ジャカルタはすっかり都市化していてヤシの木も見掛けなければ南国の蝶やトンボも滅多に見掛けない。こうして過ごしていると、先進国の大都会にいるのと何も変わらない。ときどき定期的にイスラムのお祈りの読経みたいな音声が街中に大音量で流れて、ああやっぱりここは異国なんだなとふと思う。プールでは若い東洋人の夫婦と4~5歳くらいの子供が水遊びをしている。話しているのは現地語だ。プールサイドのビーチパラソルの下にはブランド物のバッグが置かれていた。インドネシアの富裕層の多くは中国系だが、彼らもきっとそうなのだろう。パラソルの下には小柄なインドネシア人の若い女が待機していて、時たまプールから出た子供の世話をしていたりする。いわゆるベビーシッター兼女中といった感じか。日本の倍の人口がいるこの国は労働力が豊富で、農村出身者などの貧困層はきっと日給千円とか2千円とかいった報酬でこういった仕事をしている。小柄で色黒な感じが亡くなった祖母を思い起こさせる。そういえば祖母は若い頃“ご奉公”とかいって、東京の教育家の家で女中をしていたのだった。日本経済のおかげで今はインドネシアの富裕層並みの生活をしているオレも、ほんの2世代遡ればこの女中と同じ社会階層にいたんだよなあ...と思う。この女中も何十年後かには日本だのアメリカで仕事をしている孫のことを自慢しているだろうか。「祖母が自慢」とかいうと、妻にまた「うぬ惚れ」だとか言われそうだ。前の晩、妻とスカイプで話していて自分のことを「素敵な旦那さま」とか言ったら「自惚れだ」と言われた。いや、それは、たまたま仕事帰りに妻と待ち合わせした時、たまたま妻と一緒にいた妻の知人に言われた言葉を冗談でそのままつかっただけなのだが、男のナルシズムを毛嫌いしている硬派な妻にはそういう冗談は通じないのだ。たまにジムの鏡を見ながら「だいぶ腹が引き締まったな」とか自分の肉体を観察していることなど妻には言わないほうがいい。3週間日本を留守にしている間に首都圏では春一番が吹いて最高気温が20度にまで上がったりしているらしい。日本を出た日の最低気温は2度だったのだが、常夏のジャカルタから帰国したら今度は春か。なんだか冬らしい冬を経験せずにちょっぴり損した気持ちがする。帰国しても1週間したら今度は3回目の香港出張だ。新婚1年少々なのに、出張やら何やらでこれまでの同居期間は半年程度だ(笑)。結婚相手がカナダ人やアメリカ人女性だったら今頃とっくに離婚されているか会社を辞めさせられているだろう(笑)。つーか、鈍感なオレが気づいていないだけで、妻の内心で何が起きているかは知る由もない。妻に離婚されたらオレもカナダに泣く泣く戻るしかない。あるいは、貯金をはたいてジャカルタにでも移住して傷心の隠遁生活でも送るか(笑)。
2013.03.09
コメント(2)
日本はもう年賀状が配達されてる時間だろうが、ここカナダはまだ大晦日、年越しの数時間前からようやく近所で花火が上がり始めた今年もいい年だったワイ結婚式はちょっと照れ臭かったがハワイ3島のハネムーンでは妻と一生モノの経験が出来た3月末にカナダの住まいをたたみ4月から日本で同居を始めてからはイロイロ学ぶこと多かった(笑)定職にありついた6月には念願だったドナルド・キーン氏と遭遇し、戸惑いつつ久々の日本での社会人生活を始めてまだ試用期間中のはずの8月から他部署の社員と長期海外出張、出張先で妻と合流して世界最高233mからバンジージャンプもしたし、カジノのスロットマシーンでは7が5つ揃った海外出張では新婚の妻を家に残し香港にもシンガポールにも行ったしインドネシアにも行ったが妻は見捨てることもなく(笑)帰国するたび夫を労ってくれたたまたま休日出勤した日に駅で遭遇した仕事帰りのセイン・カミュは単なる通りすがりのオレにいろいろプライベートな話をしてくれた12月の全社統一のTOEICでは満点取って東大次席の上司を絶句させたのが密かに嬉しかった(笑)この1年で運動量が減って脂肪と体重が増え、表情からは独身時代の厳しさと精悍さが失われ(笑)デレデレした笑顔が似合うフツウの中年オヤジに変わりつつあるが結婚してよかったヨ(笑)新年もデレデレした笑顔で、マジメに誠実に生きるよ自分のことを自分以上に想ってくれる人たちのためにも
2012.12.31
コメント(10)
実家の家族の皆さんへ1. ボクの預金は以下の銀行にあります 1) TD Canada Trust - 普通口座にxxxxxドルちょっと - 米ドル当座預金口座にxxxxドルくらい - 米ドル定期預金口座にxxxxxドルくらい 計、日本円でxxx万円くらい2) UFJ銀行 - 普通口座にxxx万円くらい - 定期預金口座にxxx万円くらい計、xxx万円くらい2. 死体は献体してください3. トライアスロン自転者は D. G. (注: 当時の上司)にあげてください4. 楽天ブログのユーザー名は「xxxxxx@xxx.com」、パスワードは「xxxxxxxx」です5. 自動車(シビック)は50万〜100万円くらいで売れるとおもいます6. South ParkのDVDはxxx(注:姪の名前)にあげてください(ただ、日本のDVDプレーヤーでは映らないかも)カナダに一時帰国し個人倉庫に預けていた荷物を整理している最中なのだが、捨てられずに保管していた昔の手帳をペラペラめくっていたら、「死亡する確率 数1000分の1」と言われた心臓カテーテル検査を受けた際に「念のため」書いておいた「遺言」が出てきたので、手帳を処分する前にここに転記しておくことにした。ちなみに、2011年のアコンカグア単独遠征の時には手帳に手書きしていたこの「遺言」をもとにちゃんとした「エンディングノート」を作成して印刷してから旅立った。(生還帰宅してテーブルの上にこのエンディングノートを見た時はちょっとだけ遺族の心理が味わえた)
2012.12.30
コメント(6)
シンガポールで風邪を引いた。屋内が寒すぎるのだ。屋外が摂氏30度を超えているのに屋内の室温は20度。下着にじっとりと汗が浸み込んだ状態でギンギンにクーラーが効いた屋内に入ると一気に汗が冷えて身体も冷える。おまけに身体が冷えてしまうと汗が蒸発せず、水に濡れた衣類をずっと身に付けた状態で一日を過ごすことになる。地元の人や日本からの出張者もこんな環境で平気な顔で過ごしているのが、日頃滅多にクーラーを使うことのないオレには信じられない。もともと香港から10日ぶりに日本に帰って1日休んだだけでまた飛ばされた常夏のシンガポールである。25℃前後の香港から10~15℃の日本に戻って間もなく常時30℃の世界に飛ばされ、でも室内は20℃という環境の激変に身体がオカシくなるのも無理もない。香港でも屋内は寒かったが、少なくとも出張者用のオフィスはエアコンを止めてもらっていた。それに屋内と屋外の気温差もせいぜい3~5度程度だからショックも少なかった。シンガポールはこの差が10度以上ある。オレは屋内ではウールのカーディガンを常用しているが、現地社員は一日中ノースリーブのワンピースで過ごしていて、これでも暑いくらいだとか言う。いつもこれ以上にクーラーの利いた部屋で過ごしているのだ。南国でここまで室温を下げる必要性があるのか疑問なのだが、なにせ南国では室温が低いほど贅沢でおもてなしのレベルが高いという昔からの偏見があるようで、ギンギンに利かせたクーラーというのはいわばステータスの象徴なのである。そういう環境に生まれ育った人たちにオレがいくら寒い寒いと不平を言ってもどうしようもない。とにかく常にカーディガンを持ち歩き、屋内に入ったらすかさずこれを羽織って身を守るほかない。シンガポールはどこもかしこもコンクリートだらけで、さっぱり南国にいる気がしない。まあ香港もそうだったが、まだホテルのそばに九龍公園があって、スパニッシュモスとかが生えた南国風の大木が生い茂っていた。シンガポールでは仕事場まで電車で通っているが、開発されていない荒地の前を一瞬だけ通ることがあり、いかにも熱帯らしい力強く成長した樹木の姿を見るとちょっとだけほっとする。まあ日本と同じで資源に乏しい小国が生き残るためには熱帯の痕跡を消して開発しまくり人工物で多い尽くすほかなかったのかも知れないが、こんな自然と切り離された環境での生活は心身に良くないような気がする。国民は温厚で知的で大人しいが、心身ともにカナダに適応してしまったオレにはシンガポールは2週間が限界だなあ。
2012.11.24
コメント(4)
オレの直属の上司は東大を次席で卒業しているそうだ。オレをしばしば同行通訳に借り出す海外出張時の上司は、メンズ・ノンノの創刊号モデルだったそうである。先日の部門対向会社運動会では、複数の陸上インターハイ経験者がリレーに出場し別次元の走りを見せぶっち切りで首位を独走していた。(ちなみにオレはそんな若い衆と本気で張り合い肉離れを起こした)ほかにも、九州一の建具屋の長男だの、身長1mくらいの人だの、2mくらいの人だの、インド人だの中国人だのベトナム人だの、いろんな人がオレの職場にはいる。
2012.10.30
コメント(4)
遊び方をよく知らないまま香港ドル札を入れてボタンを押すと、いつの間にか7が5つ揃ってなんと掛け金が200倍に!ピピピピピ...と音を立てていつまでも上がり続ける勝ち金の数字!妻は慌てて係員を呼びに行くわ、騒ぎを聞きつけて客が集まってくるわ(笑)、どんなすごいことになるのかと思って勝ち金のクレジットをいざ換金してみたら、たったの108ドル(約1100円)(笑)そうか、掛け金を指定しなかった場合のデフォルトの掛け金は50セント(約5円)らしい(笑)記念に写真を撮ってたら係員に注意され(笑)ホントは両替だけのために入ったはずのカジノをほんの数分で後にしました
2012.09.25
コメント(5)
クリックすると動画にジャンプ高さ:233m(バンジージャンプでは世界最高)落下時最高時速:約200km/Hr地上までの到達時間:10数秒飛び降り代金:2488香港ドル(約25000円)みんな、自殺するときは飛び降りだけはやめようね、飛び降り自殺は地上に到達する前に失神するから怖くないなんてウソだよ、風を切る音がビュンビュンしてて、頭に血が上ってむしろ意識がギンギンに冴えちゃうよ(笑)死ぬ瞬間のイメージは脳内で永遠にループしがちだから、あんな最悪の恐怖心がループしちゃったらそれこそ地獄だよ(笑)
2012.09.24
コメント(8)
もともと共産党嫌いの多い香港ではさいわい目立った反日的活動は見られず、この週末に数百人程度の香港人が郊外で平和的なデモをした程度の模様。むしろ、この時期に、香港の物資を買い漁って行くシンセンあたりからやって来る本土の中国人に対する反対デモをやっているのが香港人(笑)。中国本土では、日系企業の社員たちに「自宅待機」の指示が出ているそうですが、そんなわけで香港の日系企業は通常営業です。(つづく)(上はブルースリーの像、下は香港島のビクトリアピークから見た香港の夜景)
2012.09.17
コメント(8)
お察しのとおり、ケッコンして日本に住むようになってから、北米での独身生活とはうって変わって、一見するとフツウのマトモな家庭人で社会人の生活を送っている私は、ブログを更新するヒマも意欲もないマトモでフツウの中年オヤジらしい日常を過ごしているので、まあ心配している人がいるとは思わないが、おかげさまでみなさんありがとさんご心配なくといった感じである。そういえば、過去2ヶ月くらいでちょっとスゴイことがあったのでここでひとつ披歴しておくと、ワタシはこの前ドナルド・キーン博士と会ったのである。「会った」というとちょっと言い過ぎなのでより正確に言い直すと、ドナルド・キーン氏とたまたま出くわして、一こと二こと会話をしたのである。ドナルド・キーン氏というのはホラ、この前震災を機にアメリカから日本に帰化した日本文学の研究者である。三島由紀夫センセイや安部公房とかいった文豪の友達で、彼らの文学作品を翻訳し世界に紹介した功労者でもある。氏のことを知ったのは、たぶん学生時代に読んだ敬愛する三島センセイのエッセイか何かが初めてで、その後彼の著作や対談をいくつか読んで感銘を受けてからは、いつか会ってみたいとずっと思っていた。司馬遼太郎を対談相手に「日本史のそんな瑣末なことまで知っているのか」と舌を巻かせ、戦時中は日本兵が書き残した草書体の文書さえを読みこなし、日本語以外にも中国語・ロシア語・フランス語など数カ国語を話してノーベル文学賞の選考ではミシマ文学の凄さについてフランス語で熱弁を振るってフランス人の選考委員を沈黙させたという、どんな日本人より日本のことをよく知り日本のことを日本語以外の複数の言語でアピールできるこの外国人を、死ぬ前に一度でよいから見てみたいと思っていた。そんなキーン氏に関する展覧会を見てきた妻に勧められて、同氏が住む東京都北区にある区立博物館に行って、三島センセイによる自筆のレターとか、同氏の書いた英語書籍の直筆原稿や、同氏にまつわる貴重な写真を見終わろうかというとき、会場の入り口が騒然としていた。その日は展覧会の最終日で、キーン博士が複数の付き人に伴われて自分の展覧会を見にきたのであった。キーン博士を見ていちばん最初に思うのは、「うわ、小さい!」ということである。160cmもないのではないか。御年90歳になってだいぶ縮んだには違いないが、青年壮年時代でも160センチ台前半といったところだろうか。彼について書かれた出版物の文章に、彼の少年のような目や亜麻色の髪についての言及はあるが、アングロサクソン人種としてはかなり小柄なその体格についての記述を見たことがなかったので、彼の頭の位置が普通の日本人より低いにあることには結構驚かせられる。ボクだけかもしれないが、メディアで見聞した偉い人や敬愛する人というと、勝手に立派な体躯の人物を思い描いてしまう傾向がある。だから、実際に会ったその人物が著しく小柄だったりすると、ちょっぴり幻滅してしまうと同時に、そんな風に感じてしまう自分の軽薄さや偏見や失礼さに軽い罪悪感を覚えてしまう。キーン氏の明らかな特徴であるその体格に関してメディアでほとんど言及がないのは、もしかすると誰もがボクと似た罪悪感を感じているからだろうか。いずれにしても、人間が異文化に興味・共感を持つ動機として、またその文化のネイティブにヨソモノが受容されるに当たって、「目の高さが合う」ということは結構重要なポイントだとボクはかねがね思っているのだが、それはキーン氏の場合にも該当すると思われた。三島センセイの生前の身長は163センチ、当時のほかの文豪も写真で見る限りそんなところだが、蒼い目のキーン氏が太郎冠者を演じるときに着た着物はたぶんピッタリとフィットしたに違いないのだ。ところで、ボクがキーン氏と会話したのは、年代別に並んでいた展示パネルのいちばん最初、同氏の幼少期の写真パネルの前であった。会話と言っても、展示会場に入ってきてすぐ「キーン博士、お目にかかれてたいへん光栄です。」といったことを英語で伝えるボクに同氏が笑顔で礼とおぼしき返事をくれたのと、その返事と笑顔に調子に乗ったボクがその(NYC在住時の)幼少期の展示パネルを指差しながら「ボクも20年前にブルックリンに住んでいたんですよ」とかいきなり言い出すのに同氏がちょっと辟易した表情で「…Really?」とか返事をしながら、また付き人の元に去ってしまったという、その数秒のやりとりに過ぎない。ボクはこの些細なエピソードを「一生忘れられないスゴイ出来事」としてさも自慢気にブログに書いているが、キーン博士はきっといきなり英語で話し掛けてきたアロハシャツを着た不審な中年オヤジのことを一切記憶していないことはほぼ間違いない。つーか、日本を愛し日本に帰化したばかりの鬼院怒鳴門氏に対し、母国から逃避した日本人のボクが開口一番ブルックリンの話を英語で始めたなどというのは場違いも甚だしかった。自らの一生を辿った展覧会でこんなニホンジンに話し掛けられたことなど、万が一覚えていたらぜひ忘れていただきたい話である。まあいずれにしても、ボクとしては長年の希望が果たされてひたすら感謝感激だったと、煎じ詰めれば単にそういう話である。
2012.08.14
コメント(8)
10余年ぶりに勤めている日本の会社で、金曜の午後にトイレに入ると、大便用の個室がいつも満室であることに気づく。自分のデスクがある階だけかと思って下の階に行っても上の階に行っても満室だ。たまたま個室が1つだけ開いていたので入ったら、両隣の個室からは物音もしない。用を足すのに5~6分は入っていたが、ずっとシーンとしていた。ケータイをいじっている様子も本か何かを読んでいる様子もない。...そうか、コイツらはみんな寝ているのだ。金曜の昼下がりの睡魔くらい手ごわいものはない。おまけに金曜の午後は部長会議があるので席を離れていても上司の目が行き届かないのだろう。金曜午後のトイレの個室は束の間の寝室を兼ねているらしい。ちなみに隣の席の無口な若造はときどき机に向かいながらコックリコックリ舟を漕いでいる。ガクッ...と頭を机上にぶつけそうになってハッと目を覚まし頭を起こしてはパソコンに向かい、やがてまた舟を漕ぎ始める...というのを何回か繰り返すと、席を立ってしばらく帰って来ない。先週、便意を催して個室に入ると、隣から出っ放しのウォッシュレットの水音が聞こえてきた。ずっと止まる様子がない。故障だろう。自分の用が済んだらケータイでビル管理室にでも電話しよう...と思っていたら、水が止まった。数分間水を出しっぱなしにしてケツを洗っていたのだ。どんな汚いケツをしているのか。...しかし、紙でケツを拭く音が聞こえて来ない。不思議に思っていたら、しばらくしてまたウォッシュレットの水音が聞こえ始めた。しかも、またしても水音は延々止まらない。水音はオレがトイレを出ても続いていた。トイレから席に戻ってしばらく経つと、隣の無口な若造が席に戻ってきた。彼の爽やかな顔を見てオレは了解した。さっき隣の個室に入っていたのはコイツで、彼は目覚まし代わりにウォッシュレットを使っていたのだ。あるいは無口な若造にとっての仕事中の密かな愉しみはウォッシュレットによる後門の刺戟なのだろうか。まあいずれにせよ最近の若い連中はよく分からない。
2012.06.24
コメント(8)
自分が元気だと、世の中には元気じゃない人も多いということが分からない。若いうちはそれもいいが、男も40歳を過ぎたら、他人の弱いところも自分のものとして理解出来るようになったほうがいい。…と言うのは、体育教師を夫に持つ、あるベテラン看護婦である。中年になっても元気過ぎて、弱い人たちに共感できないのは、夫婦関係でも親子関係でも、いいことがないという(笑)。40歳を過ぎて結婚したオレがさいきん思い知らされているのは、自分の共感能力の不足である。たとえば、電車に乗る。車内には、面白くなさそうな顔をしたサラリーマンやOLや主婦や若者たちがいっぱい乗っている。きっと仕事や育児や就職活動や受験勉強や体調不良や恋愛や家族関係でみんな悩みを抱えているのだろう。しかしオレは、そんな面白くない顔をした人たちに同情や共感する代わりに、まるで他人事のように「どうしてみんなわざわざそんな面白くない生活を選択しているのだろう」「イヤなら止めればいいのに」と簡単に思ってしまう。自分はたしかに恵まれている。今のところカネにも困ってないし、伴侶にも恵まれている。世界一裕福な国の1つに生まれ、いろんな環境面で世界一恵まれた国の永住権を持っている。オレより健康な40代は、プロのアスリートを除けば、滅多にいないだろう(笑)。もしも主観的幸福度を客観的に数値化する装置があったら、オレの幸福度は偏差値70を超え、上位1%に余裕で入ると思う。 妻によると、電車に乗っている時、オレの顔はいつも愉快そうにしているという。たぶんオレは、車内のそんな不満そうな顔に囲まれながら、自分の相対的な幸せを噛み締めているのだと思う(笑)。自分だって、これまでの人生のどこかで右の道に行かずにたまたま左の道を選択していたなら、これらの不満な顔たちの1つになっていたかも知れないのに(笑)。つーか、こういう不幸な人たちの献身のおかげで、オレのような数少ない人が幸せになれている可能性もある。そういうオレは、たまたま幸運で一大資産を築きながらも、その資産を他人に分かち合うこともなく、恵まれない人たちを見て自分の安泰な生活にほくそ笑んでいる、セコい成金野郎と同じメンタリティの持ち主ではないのか…とさいきんふと気付いた。オレはきっと、職場の同僚や関係者たちからも、公園を走っている人たちからも、ブログ仲間からも(笑)、ひょっとすると親族や妻からさえも、弱い者の気持ちが理解できない傲慢で冷淡で利己的なヤツと思われているのではないか(笑)。まあ、そういうオレが強者かというのは大きな疑問で、弱いヤツが単に弱さを認めず強がっているだけじゃないか、不満な顔をしている人との共感を断つことで繊細で虚弱な自分の身を守っているだけじゃないのかという説もあるのだが(笑)、それはさておき、オレの共感能力の決定的な不足が自らの周囲から年相応の人望を得る上での大きな障害になっていることはほぼ間違いなさそうだ(笑)。裕福な人が慈善活動をするように、幸福偏差値70のオレも、まずは自分の周囲の人たちに対して、共感の努力を始めるべきなのだろう。年齢不相応の若さを強調するばかりでなく、年相応の人望を得るというのも、これから人の夫であり父となっていく男にはよいことであるに違いない。
2012.06.07
コメント(8)
オレは日本に来てからというもの近所の公園内にある1周1.2キロくらいのコースを何周もジョギングするのを習慣にしている。アイアンマンだとかアコンカグアだとかいった目標もないので、トロトロしたペースのいわゆる健康ジョグである。とはいえ、昨年まではけっこう本気でトレーニングをしていた走歴10年近くになるオレである。トロトロ走っているつもりでも、その辺の“にわかランナー”に追い抜かれることはほとんどない。オレより速いヤツは、しばしば夕方に走りに来る地元の陸上部のランシャツを着た中高生か、週末にグループ走をしている走友会の市民ランナーくらいである。やはり競技志向で本格的に走っている連中には適わない。しかし、それ以外に、若い“にわかランナー”たちに抜かれることがよくある。大抵の場合、10代後半から30代前半くらいの、体力にそこそこ自信のありそうな若い男だ。道の端っこをトロトロと走っている中年オヤジのオレが前を走っているその脇を、いかにも邪魔臭そうに、力強いストライドで自信ありげに颯爽と追い抜いて行く。そんな時オレは、しばしば彼らが5~10mくらい前に出た後で彼らの後方10mくらいピッタリついて走ってしまうことが多い。なんとなく、彼らの若さに由来する傲慢さを挫いてやりたい衝動に駆られるのである。この若造たちは、さぞ優越感を感じて中年オヤジどもを颯爽と追い抜いて走っているつもりかも知れない。しかし、後ろから見る彼らの走るフォームはえてして若い筋力に任せた無理のある走り方で、そのスピードを数キロと維持できないような“若い”走り方であることが多い。2周、3周と走っているうちにすぐに息が切れ(笑)、やがてトロトロ走っていたはずの中年オヤジのオレに追い着かれ、抜き返されてしまうことになるのである。とは言え、これらの若いランナーの多くは、一旦は追い抜いた中年オヤジに抜き返されることをプライドが許さないのであろう(笑)、後方から足音が近づいてくると再びペースを上げて、抜かれまいとするのが常である。そんな時でも、オレは彼らからつかず離れずの距離を維持し、後ろからプレッシャーを掛け続ける(笑)。すると、ほとんど場合、半周から1周の間に彼らはすっかり息が切れ、諦めてペースを落としてオレに抜かれるか、コースアウトして公園から居なくなる。こうして彼らが学ぶのは、自分が体力があるかのように思っていたのは、実は若さに由来する瞬発的な筋力に過ぎなかったということである。本当の体力というのは持久力であり、その強さ・その速さをどれだけ維持できるのかというのが重要なポイントなのである。そして、自分の前をトロトロと走っている鬱陶しい中年オヤジと思っていた男性も、実はフルマラソンやアイアンマンを何度も完走しているベテランが健康維持のためにジョギングをしている“仮の姿”かも知れないのである。ヘンに調子に乗ってこういう人と張り合ったがために、翌日は筋肉痛でまともに歩けなく危険性があることを、若い人たちは知って謙虚に走るべきなのである。
2012.06.02
コメント(8)
ほら日蝕観察用メガネも持ってたけど、ずっと曇ってたから無くても平気でした動画も撮ったよネ、バウハウスの「Sky's Gone Out」みたいでしょ
2012.05.21
コメント(6)
日本の普通免許を取りに鮫洲の運転免許センターに行ってきた。オレは日本で自動車を運転したことがないしこんな道路が狭くて混雑した場所で運転したいとも金輪際思わないのだが、カナダで取得した運転免許であればペーパー試験も実地試験も免除で日本の普通免許に書き換え可能と聞き、資格の1つくらいの安易な気持ちで取得することにしたのである。それはそうと、この鮫洲運転免許センターというのが、すごく懐かしい雰囲気で実に気に入った。まるで昭和の事務所ビル内を再現した映画セットみたいなレトロな世界なのである。ゆうに四半世紀はリノベーションしてないとおぼしき内装は、小学校の教室を思い出すリノリウムの床に、クリーム色の漆喰の壁が基調。受付カウンターの頭上にはプラスチック板の地味な色看板。バリアフリーなどという概念のなかった当時に作られたとおぼしき急な階段は一段一段がやたらに高く、端には昔懐かしい滑り止め用のプラスチックが取り付けられている。そして事務職員たちは流行には無関係の昔ながらの白Yシャツを着ている。免許交付の部屋なんかは、いちおう電光掲示板を使って交付者を呼び出したりしているけど、窓口の窓枠が木枠だったりして(笑)、40年ちかく前にオレが通った小学校の職員室だってあそこまで古くはなかったよなあ…と思った。そういえば先日、野暮用で岸記念体育館に行ってきたのだが、ここの事務室もこんな造りで、モロ「昭和」って感じだったのを思い出した。きっと同じ時期に建てられたものなのだろうが、こういう公益法人とか地味な役所というのはきっと予算もギリギリで、とくに公務員に対する風当たりが強くなりつつある昨今はムダ金に対する市民のチェックも厳しく、改築とか内装をリノベーションするような余裕がないんだろう。それはそうと、建物の中が昭和でも、そこに運転免許を取りに来ている人たちはヘーセーの世に暮らすモダンな人たちなわけなのだが、面白いのは、どんなにオサレな流行のカッコをして免許を取りに来ている連中でも、昭和の内装の中で見ると「昭和の頃の人たち」に見えることだった(笑)。よくよく見ると、いくらスマホをいじっていようがブルートゥースのマイクを耳に掛けていようが、みんな「あの当時」の下世話な顔に見え、この建物の中でもまったく違和感がないのであった(笑)。
2012.05.14
コメント(2)
暑い。5月だというのに日本はなんと暑いのだろう。カナダ(およびアメリカ北部)に長年暮らした結果オレの身体はすっかり寒冷地仕様に変わってしまったようで、妻が外出するのにジャケットを羽織る傍らで、オレはいつも半袖シャツを着ている。外気温が摂氏20~25度の最中にスーツ姿で外出しようものならあっと言う間に背中は滝汗、首周りはベタベタである。さいわい日本では近年「クールビズ」とかいって綿や麻の薄手のジャケットにノーネクタイまたは簡易タイというファッションを推奨していると知り、オレもこれにあやかろうと思い妻とメンズファッションのデパートに見に行ってきた。しかし、試着してみて、困った。薄手の生地は結構なのだが、スラックスのこの股上の浅さは何だ?さいきん腰パンとか言ってズボンをずり下げて履くのがワカモノの間で流行っているのは知っていたが、スラックスまで浅く履くのが流行らしい。いつもヘソの位置でベルトを締めているオレにとって、ようやく腰骨が載る程度のベルトの位置が妙に心もとない。あまりに落ち着かないので極力上まで引っ張り上げて履いてみたら、まるでストーンズの『スティッキー・フィンガーズ』のアルバムカバーみたいに股間のシルエットがこんもりと浮かび上がり、妻も店員も困惑の表情を浮かべていた。だいたい、股上が浅いだけでなく、ジャケットの丈も相当短いだろ?トラディショナルなスーツやジャケットだったら股間回りが隠れる長さに設定されているが、さいきんのワカモノが着ているジャケットは明らかに“社会の窓”の位置が露出される長さだ。まるで股間のモッコリを強調するかのようなこのファッションでオレが外出したら、ケーサツに猥褻物陳列罪で事情聴取されかねないだろ。それに、さいきんのワカモノはどんだけ脚が細いねん?足腰に多少筋肉がついているオレなんかが履いたら、太ももも腰回りもピチピチのパンパンで、靴を履くのにしゃがみこもうとしたら、1万数千円のスラックスのケツが破れそうになって慌てたよ。多少なりとも脚を使うスポーツをしてたらフツーこんな細いの履けないだろ。つーか、こんなにピチっとしてたらせっかくのクールビズなのに内側が汗でベタベタして気持ち悪いワ。いちばんイヤなのが、股上があまりに浅いもんで、ちょっと動くとシャツがベルトの上から出ちゃうこと。シャツが外に出なくとも、シャツのヘソ回りがモッコリ出ちゃってだらしないったらありゃしない。店員にそれを指摘したら、「そうですね、あまり激しい動きは避けられたほうがいいですね」「まあ、内勤されていたら、そんなに激しく体を動かす機会もないと思いますんで」だって。男だったら、スーツを着てても重い物を持ったり、走ったりすることもあるだろ?...いや、そうか、さいきんのワカイモノは重い物を持ったり走ったりしないのかきっと。だから、あんな細いスラックスでもきつくて困ることはないし、腰骨に載せて履くような浅い股上でもシャツが出るようなこともないんだろ?つーか、これも格差社会の結果なのか?クールビズなんて縁のない、重い物を持って走り回ってるブルーカラーのユニホーム組と、重い物を持ったり走ったりなんて金輪際縁がないホワイトカラーのスーツ組とに、役割が二極化してきているのか?
2012.05.07
コメント(7)
クラゲの写真ではない。バリウムを飲んだ後のオレの胃の写真である。タダで検診をしてくれるときき、ほぼ10年ぶりに区民センターに検査に行ってきたのだ。さいきんでは検査結果票に検査の際に撮影したX線写真も載せてくれるらしい。歯医者だって国民健康保険のおかげで千円単位で受診できるし、日本っていい国だなあ。10年前に受診した時は日本の会社勤めのストレスから胃に穴が開いていたが(笑)、今回は胃に異常はないそうだ。タバコをやめて10年近く経つ肺もキレイなもので、喀痰検査の結果も異常なしであった。大自然に恵まれた国(笑)に10年も住んでいた上、フツウのシロウトはやらないような心肺トレーニングに励む生活を続けてきたのだ、オレよりキレイな肺をした日本人中年男性はそうはいないだろう(笑)。前立腺検査のために後門もキレイキレイにしてから検査におもむいたが、当日は血液を採られただけだった。生まれて初めてのアヌス責めを予期していただけに、拍子抜けした。ちなみに前立腺ガンの指標となる血中のPSA値は0.96ngmlだった。あとでネットで調べたら正常値は0.1ngくらいで、この値が4.0になると注意信号だそうだ。オレの値は正常値の10倍近いが、異常値になるまではまだ4倍以上の猶予があるということらしい。検便も2回分採ったが大腸には異常なし。日本の社会人にはまず不可能に近いレベルの健康な生活を送ってきたのが結果に表れて満足した。しかし、日本社会で1年間揉まれた結果が来年の検査でどのような形で臓器に表れてくるのかもちょっと見ものではある。
2012.05.02
コメント(6)
妻にしょっちゅう注意されていることに、声がデカイことがある。自宅で話すようなことを家の外ですると、妻が声のボリュームを下げろという。他人に聞こえるのが恥ずかしいらしい。10年ちょっと前、首都圏暮らしを始めたばかりの頃、みんな小さな声で話すことにちょっと驚いたことを思い出す。まるで蚊の鳴くような小声で話すのだ。たまに関西の大学時代の友人と会ったりすると、その豪快な声を聞いて安心したものだ。上司が何かの用事でオレの仙台の実家に電話した際、当事3歳だった姪をも含む家族みんなの声が大きかったとを笑って話していた。上司が言うには、住宅事情が厳しい首都圏では声や生活音が隣人に筒抜けになってしまうので、自然と小声に成長するという。だから、首都圏では声が大きいというのは隣近所に配慮する必要がないくらい大きな家に育った証拠だという。あるいは、住宅事情が厳しくない田舎の出身であるか、田舎でなくとも「お互いさま」の思想が強くあんまり他人に聞かれることを恥としない大阪人なんかにも大声は多いようだ。オレの場合は住宅事情に恵まれた地方都市の出身である上に、大学は関西、卒業後はアメリカというように、小声であることを要求されずに年を重ねた上に、さらに過去10年は大自然に囲まれた(笑)カナダで生活することによって大声に拍車が掛かったようである。妻は生まれも育ちも東京23区内なので、オレの大声にはかなり辟易しているらしい。しかし、その大声の背景にはもう1つ大きな要因がある。日本の都会では、背景のノイズが大き過ぎて、他人の声が聞き取れないのだ。外に一歩出ると、ノイズに満ち溢れている。自動車やオートバイが通り過ぎる音、不特定多数の人の話し声、建設現場や工事現場から漏れ出る機械の騒音、街に出ればスピーカーから放たれる不必要に増幅された広告宣伝の音楽やアナウンス、電車のブレーキ音や警笛や通過音...コンスタントにノイズで満ちている。オレは屋外で携帯電話が掛かって来た時、いつも相手が何を言っているか聞こえないので、いつも静かな場所から折り返し掛け直しているのだが、ああいう騒音の中で普通にケータイで会話をしている日本人の能力には驚嘆を禁じえない。それは屋内でも同様だ。レストランや何かの会場で他人と会話をしなければならない。周りでは人々が通り過ぎたり会話をしている。そのような他人の話し声やノイズの中で、自分の話し相手の声を聞き分けるのはいつも骨が折れる。何度も「すいません、今何とおっしゃいましたか?」と聞き返すのも気が引けるので、たびたび想像で補って、当てずっぽで返事をしている。まるで外国語での会話みたいだ(笑)。しかし、妻をはじめとする周りの日本人は、このようなノイズの渦の中でも平気で相手の声だけを聞き分けて、普通に会話が成立している。これは、バックグラウンド・ノイズが恒常化した環境で生まれ育った人間が修得した、恐るべき能力だと思う。田舎で生まれ育ち、北米で声の大きな人たちと一緒に生活してきたオレは、自分自身が聞き取れないので、自分の声がこんなノイズに満ちた環境で聞き取れるのかと思うと、ただでさえ大きな声がさらに大きくなってしまうらしい(笑)。日本の首都圏で育った人たちには、オレがよほど粗暴な田舎モノか、難聴だと思われているかも知れない。唯一オレの大声が喜ばれるのは、補聴器を使用している高齢者と会話をする際である(笑)。「キミの声はよく通るんで、訊き直さなくて済むからいいネ!」などと笑顔で言われると、まるで理解者を見つけたかのように、つい嬉しくなってしまう。
2012.04.30
コメント(10)
これから日本で生活を始める上で電話番号が無いと何も始まらないので先日妻と一緒に電器店に行っていわゆるケータイと呼ばれる携帯電話を買った。これが、たったの1円。日本に向こう2年くらい居る予定だったので2年契約したら、何万円かするケータイをたった1円で売ってくれたのである。ホントにいいのだろうか。まあ2年契約すれば電話会社も元をとれるという計算なんだろうけど、オレみたいに最低限しかケータイを使わない人間だと契約しても永遠に元はとれないのではないか(笑)。妻はいわゆるスマホと呼ばれる4万円くらいするスマートフォンを買ったが、スマホの中にも2年契約で1円で売ってくれるものがあった。どうせだったらオレも1円スマホにすればいいのにと妻は言ったが、スマホはケータイと違って電話を使用しなくとも「パケット通信料」とやらが掛かるので、最低限しか使わなくとも余分なカネが取られるので却下した。というか、電話とメール以外の用途がないごくシンプルな旧式の携帯電話を使っているオレには、俗にガラケーと呼ばれる日本独自のガラパゴス・ケータイを使いこなさないうちにスマホなど持たされてもネコに小判、豚に真珠である。そんなわけで日本だと7~8年以上前に流行ったようなガラケーをオレは使い始めたのであるが、慣れなくて大変である。たとえば、電話の着信音が鳴る。慌ててあちこちのポケットを探ってケータイを取り出す。それまでカナダで使っていた携帯電話であればそのまま話せたものを、ガラケーは2つ折りになっているのでケータイの「フタ」を開けるボタンを探し出さなければならない。ケータイを転がして四辺のカドをチェックし、ようやく最後のカドに見つけ出したボタンを押したらフタが飛び開いて手の中から飛び出し、オーマイゴッドと床の上から慌てて拾い上げる頃には電話が切れている。たかが電話を受けるだけでこれだけの騒ぎである。今度はいわゆるケータイ・メールを送信するためにメニューから「新規メール作成」を選択するが、たった2つか3つくらいしか登録していない送信先を選ぶのに「ふりがな検索」だの「アドレス検索」だの「グループ検索」だのいちいち検索方法を指定しなければならない。パソコンであればメールアドレスを直接入力しようとすると自動的に頻繁に使用する送信先を指定してくれたものだが、そんな自動入力機能はケータイにはないらしい。ようやく送信先を選んで本文を記入しようとするが、入力方法には「ローマ字入力」がなくひらがな入力一本である。たとえば「特別」の2文字を記入するのに、ローマ字入力であれば「tokubetu」の8つのキイを連続して入力すれば一発で「特別」と変換できるが、ひらがな入力だと「た行」を5回押して「と」を選択し、「か行」を3回押して「く」を選択し、「は行」を4回押してさらに濁点を選択肢し「とくべ」と入力した時点でようやく変換の選択肢に「特別」の文字が現れ、それを変換の選択肢の中から選択するまでに倍くらいの回数だけキイを押さなければならない。なんて面倒なのだろう。また、たとえば「ささいな」などのように同じ文字や、「さしずめ」などのように同じ行の文字が連続する場合、「ささ」と入力しようと「さ行」ボタンを2度押すと「し」になってしまったり、「さし」と入力しようとして「さ」と入力した後に「さ行」ボタンを2回押したら「す」に変わってしまうのもイライラする。先日妻から「矢印」キイを使って次の文字に移動する術を教えてもらうまでは、一文字を入力するたびにいちいち「確定」ボタンを押して次の文字に移動していたので漢字変換することが出来ず、ケータイメールでは「些細な」も「書き方」もひらがなでしか書けないのであった。いちばん苛立たしいのが入力した文字を修正するときだ。パソコンのローマ字入力であれば修正したい文字の後でバックスペースキイを押せばよいが、ケータイの小さなキイだと「クリア」を押すつもりでうっかりその右にある「ホールド」のキイを押してしまい、それまで記入したメールが一発でパーになってしまうことがよくある。おかげでケータイメールを一から書き直すハメになり、「サノバビッチ!」と叫んでしまったことがこれまで何回あったことか。iモードとやらもよく分からない。iPadを持ち歩いているのでケータイでネットをすることはまずないのだが、ときどきどっかから送られてくるメールをクリックすると勝手にiモードに転送されて、毎回「携帯電話の製造番号を送信します」とかいうメッセージが出てくるとビビってしまって毎回反射的に通信を切断したくなってしまう(笑)。いつも妻に「これって『はい』を選択しても大丈夫だよね?」と確認してからでないと怖くてiモードも使えない。日本では相変わらず道を歩いていると反対方向から歩いてくる人間の3分の1くらいが、電車に乗っていると2人に1人くらいがケータイをいじっているようだが、そんなわけでオレはいまだにカナダにいたときと同様ガラゲーさえ使いこなせず、だいたいいつもマナーモードにしたままただポケットに突っ込んでいる状態である。
2012.04.14
コメント(6)
あのさ、ちょっと前までは「いわゆる人工衛星」、最近だと「人口衛星と称するミサイル」「事実上のミサイル」などと称んでいたのが、いつの間にかどのテレビ局でも「ミサイル」と断定してねーか?(笑)。言っとくけど、アメリカのメディアも、イギリスやカナダのメディアも、「ミサイル」だなんて言ってないから(笑)。どのニュース見ても「ロケット」「人工衛星」と言ってるよ。つーか、アメリカでもカナダでもほとんどニュースにしてないから(笑)。だいたい、かの国が「実際に見に来い」って日本政府を招待してんのに、拒否しちゃうってのは衛星ロケットなのかミサイルなのか自ら確認する機会を放棄してるんじゃん。つーかアレだろ、あれをミサイルだってことにしておくと都合のいい人たちがいっぱいいるんだろ(笑)?国民の危機感を煽れば日本もアメリカも防衛予算を取れるし、迎撃用のミサイルも一発20億円とかするそうだから、斜陽の軍需産業もオイシイ話なんだろきっと。右派にとっても追い風になるだろうし、「敵国」が欲しくて仕方がない人たちには願ってもない機会なんだろ?みんな大本営発表にダマされるなよ、マスコミは常にグルだと思っていたほうがいいゼ。
2012.04.11
コメント(6)
トレンド日米表現辞典 第4版翻通訳者の定番辞書。省庁再編前だった1999年頃に買った第三版しか持っていなかったので慌てて購入。ワンセグだの格差社会だの振り込め詐欺だの、定訳を知らない新しい言葉がいっぱいあって慌てる。プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実朝日デジタル(旧アサヒドットコム)の英語版で途中まで読んで、日本に帰ったらゼッタイ買おうと思っていた。産業や官僚のいわゆるエリートがいかに国民を愚民扱いして情報を隠蔽・操作してきたかの内幕が分かるとともに、国民の安全のために地位や収入を投げ打ってでも真実を知らしめようとするプロたちの姿をも垣間見ることが出来る。茅ヶ崎式 月間英語教本時事英語のにわか勉強のためにバックナンバーを漁って購入。北米で報道されていなかったメルトダウンだとか液状化の被災者支援だのスーちゃんや立川談志の病死だのいった日本のニュースが英語でどう報道されていたのか慌てて学習。災害時帰宅支援ハンドブック向こう4年以内に70%の確率で直下型大地震が起きると言われている東京で生活するための心の準備のために購入。高確率で身近に起こりうるカタストロフィを常に意識しながら日常生活を送っているといろんなことが些事に見えてきて、これからの日本社会への再適応に支障をきたしそうで困る(笑)。
2012.04.08
コメント(6)
新婚生活をとりあえず日本でスタートさせることにしたので帰国準備をしている。帰国準備というのはカナダの住まいを一旦引き払う準備に加え、インターネットなどで日本の現状というか社会情勢をリサーチするといった「心の準備」も含まれる(笑)。はっきり言って、メディアで今の日本の芸能人なんかの名前を見聞しても、知らない人だらけだ。タケシやサンマやタモリは馴染みがある。しかし、ダウンタウンとかロンブーとか言われると、もうピンと来ない。SMAPは辛うじて分かる。しかしモーニング娘とか言われるともう分からない。ましてやナイナイだとかAKBだとか言われたらなんか気持ち悪いだけだ。政治家も、河野とか鳩山とか聞くと馴染みを感じるが、野田とか岡田とか言われても「こんなヤツいたっけか?」と思う。福島みずほと言われれば何となく分かるが、レンホーとか言われても「誰それ?」としか思わない。オレは端的に言って「昭和の人間」である。昭和天皇が死んで平成の世になった時、オレはイギリスに住んでいた。その翌年日本の大学を卒業し、アメリカの大学に入学、卒業後そのままアメリカで就職した。それから数年後日本に帰国して就職した後も、カナダに永住するまでの10年弱の間、1年の半分くらいは北米で仕事をしていた。いわば、帰国後日本企業に勤めていた間も脳内はずっと「海外ベース」のままだったのである。そんなわけで、いつの間にか元号が変わっていた1989年の日本に帰ったあの時の違和感はそれ以降ずっと続いていて、「平成の日本」というのはオレにとってまるで外国みたいに馴染みが薄い。だから、「心の準備」と言っても、平成24年の日本に再適応しようと思っているわけではなく、ほとんどガイコク人みたいな感覚で、むしろこの距離を維持しつつ日本の様子を注意深く見守ろうという感じである。オレほどではないものの妻も外国暮らしが長く、オレを伴侶に択ぶくらいフツウの日本人とは感覚がズレているようなので、ナイナイだのAKBだのと縁のない生活をするのに何の支障もないに違いない。まあ、20余年に渡って日本を留守にしていた不適応者のバイアスが掛かっているからかも知れないが、政治にせよ経済にせよ原発を取り巻く状況にせよ、現状を知れば知るほど、我が祖国はヤバイ状況にあるよなあ...と感じている。そんな日本にこれから帰る自分には、ちょっぴり「怖いもの見たさ」みたいなものがあるような気もする(笑)とは言っても、生まれたこの国にある程度は愛着を持っているつもりのオレでも、この国と一緒に自滅するつもりは毛頭ないので、いざという時にはすぐこの国を簡単に離れる体勢を保持するつもりだ。悪いけど福島原発4号機が倒壊する時にバラエティ番組を見てゲラゲラ笑っている気はオレにはない。
2012.03.11
コメント(12)
料理したものを片手鍋(ソースパン)から直接食べない(考えごとをする時などに)白目を剥かない伸びた鼻毛を切る(ブチブチ抜かずに鼻毛カッターを使う)なるべく眉間にシワを寄せない穴の空いた衣類は捨てるこれまで45年間続けてきた生活習慣のうち、結婚してから妻に止めてくれと言われて注意していることをためしに思いつくままに挙げてみた。これまで不思議と誰からも注意されたことがなかったが(笑)、思えばこれらの習慣が気にならなかったというよりかは、みんなオレに遠慮していたのであろう(笑)。どれも決して他人に自慢できる習慣ではないが、結婚しなければ死ぬまで続けていたと思う。つーか、妻も現時点では遠慮して言わないだけで、気になることは上記以外にまだいくらでもあるのかも知れない(笑)。学生時代から変わらないファッションセンスだとか、パンツを2日ずつはくとか、性格異常者みたいな笑い方とか、ヘタクソな字とか、行き当たりばったりな生き方とか、吝嗇で小心なところとか、甲斐性のないところとか、子供っぽいところとか、経済力に乏しいところとか、考えたらいくらでも出てきそうだ。まあ、遠慮しているというよりかは、諦めてくれているということか(笑)。
2012.03.09
コメント(15)
全1493件 (1493件中 1-50件目)