ベガルタ仙台 0
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毎度のホームページのご愛顧ありがとうございます。もう13年が経ってしまいました。節目の10年を過ぎたのでいつものように淡々と・・・といきたいところなのですが、13年ともなると、ずいぶんと長くやってるな・・・なんて思ってしまいます。14年、15年・・・と、毎回この記事を書くたびに、そんな思いを抱くことになるのかもしれませんが。こんなに長くやりつづけているなかで、おかげさまでアクセス数も1日でだいたい1000ぐらいになっております。5月のときに2万いったときには驚愕を覚えたりしたのはいい思い出です。そのような状況のなかでも、更新方針を変えることはありません・・・が、1点だけ追加で加えようかな・・・と思っております。それは、外出している最中に、映画を見たり美術館に行った際に、そのときのレビューをタブレット端末で書く・・・ということをやろうと思っております。実際には、「トランスフォーマー ビースト覚醒」の映画レビューならびに、市川沙央の「ハンチバック」をそうしたかたちで書いております。そのほかには・・・これは毎回書くことではあるのですが、こうした状況に甘んじることなく、これからも謙虚な姿勢を持ち続け、絶対に自惚れることがないように気をつけながら、常にマイペースで淡々とした意気込みで更新を続けていきたいと思っております。もちろん、ヘンなこととか、ヤバいこととか、アヤシいこととか、そういったことは絶対に書かないようにすることも、言うまでもないことではありますが・・・。さて、今回は、こんなお話をすることにしましょう。テレビゲームというものは、プレーヤーが画面に表示される人物ならびに乗り物などを操作して、最終的にはクリアを目指すものとなっておりますね。で、そのクリアを果たしたあとには、めでたくエンディングというものを迎えることになります。このエンディングは、ゲームによっては、いくつかのバリエーションというものがあったりします。これをマルチエンディングといいます。ただ、このマルチエンディングというものは、ゲームの最後まで到達することで迎えることができるのですが、それ以外にも別の形で迎えることがあったりします。それが、敵の弾に当たったり、敵そのものに当たったり、ゲームによっては地形に接触したり、地形と画面に潰されたり、そういったことを何度か繰り返してゲームが終わってしまう・・・というものです。これをゲームオーバーといいますね。これこそ、マルチエンディングのひとつ、といえるでしょう。このゲームオーバーですが、バッドエンドのひとつであったりします。現実においても、このバッドエンドというものは存在します。まあ、交通事故に遭ったりとか、自殺してしまったりとかありますけれども、なかでも自暴自棄になって事を起こしてしまったりとか、軽はずみでイタズラをしてしまったり・・・というのがそうだったりするのです。自暴自棄でやったものとか軽はずみでやったものって、やった後の代償というものが大きくなってしまうことがあったりします。私が知った限りでは、警察に逮捕されるというものありますし、多額の賠償金を支払う事態になるというのもあります。そればかりではなく、自分の人生というものを、たった1回の自暴自棄や軽はずみだけで、いともたやすく台無しにしてしまうのです。自分だけならまだしも、それが家族や親戚のみならず、友人まで影響を大きく及ぼすことになるのです。これが、いかに自暴自棄や軽はずみを戒めなければならない、ということになるわけです。私も、たった1回の軽率な言動で自分の人生を台無しにならないよう、自分の身の丈をわきまえて、1日1日を大切に過ごしていきたいものだな・・・なんて、思うのです。ということで、これからもあいもかわらず淡々と更新し続けていきますので、よろしくお願い致します。
2023.08.25
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毎度このブログを拝見していただき、まことにありがとうございます。もうこれで12年・・・毎年のことながら、ずいぶんと毎日やってるなぁ〜なんて思ってしまったのと同時に、記事の数もべらぼうに多くなってしまいました。ブックレビューのストック数は、けっこうたんまりとたまってしまっておりますので、この傾向は変わりがありませんですハイ・・・。さらには、アクセス数も飛躍的に増えてきております。当初は400いけばいいや・・・なんて思っていたのですが、連日クリアすることができております。そんなわけですので、今回は、こんなお話をしたいと思います。令和になって4年になります。これからもず〜〜〜っと平穏でいられるかな・・・と思っていたのですが、実際にはそうはいっておりませんです。まず、コロナが蔓延してしまっておりますね。収束することはなく、むしろさらに爆発的に蔓延してしまっております。それにくわえて、世界中をみても・・・いや、日本をみても、キナ臭いものがあったりします。戦争が起きていたり、暗殺がまかりとおってしまったり。それに、私も、「正しいことが間違いだ」・・・ということを実際に体験してしまっております。ということは、正しさというものを追求しなければならない・・・ということになります。ただたんに「正しさ」というものを追求するだけならいいのですが、時にはそれが行き過ぎるときがあったりするのです。そうなった場合、仮に間違っているものを見つけてしまった場合、そういうものを批難したり攻撃してしまう・・・なんていう恐れがでてきます。こうなってしまったら、まさに「正しさ」というものが「薬」ではなく「毒」になってしまうのです。そうならないためにも、「良識」というものを追い求めるように、「正しさ」を追求しなければならないのです。仮に間違っているものを見たとしても、そこは可能な限り容認するか、もしくは反面教師として「絶対にそうなってはいけない」と、自分を戒めていくのです。「正しさ」を武器にして相手を攻撃することがないよう、自分を律さなければならないのです。これからも、「職場の人間をバカにしない」という目標のもと、日々邁進する次第ですので、これからもよろしくお願い致します。
2022.08.25
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毎度このブログに訪問して頂き、まことにありがとうございます。今日で丸11年を迎えました。すでにこのブログは10年以上続けているのですが、私が現在所属している職場では、10年も勤務することができました。これまでそんなに長く続けて勤務することがままならなかったのですが、ひとくぎりである10年という期間も勤務することができました。当然ながら、ここで辞めることはしません。これからも職場で必要としてくれる限り、誠意をもって仕事に取り組む所存です。そのためにも、絶対に自惚れることなく、入ったときの気持ちをそのまま持ったままで、仕事に取り組みます。今回はこんな話をしてみましょう。ここにきて、コロナウイルスに感染する人が激増しております。東京都では5000人超えはザラ、ほかの道府県でも惨憺たる状況となっております。こうした状況をニュースなどで知って、どうしても「なにをやっているんだよ」と批判したり、「俺だったらこうするぞ」なんて意見を言ったりしたりします。さて、ここで問題です。そうした批判や意見を持っていて、代わりに自分が首相や知事、それに市区町村長になって、いざ実際に自分でこの状況を改善していこう・・・となったとき、自分の意のままに動かすことができるでしょうか。この答え・・・私だったら、容易に答えられます。それは、不可能です。まず、いざ自分のような人間が鶴の一声でもいいから命令しようとしても、周囲の人達は頑として動いてはくれません。まあ、権力やら力がある人ならまだしも、どこの馬の骨だからわからん、そんな人でしたら、誰も言うことは聞きません。仮に、言うことを聞いて実際に意のままに動くことができたとしても、一部の住民たちは喜んでくれるかもしれませんが、ほかの一部の住民たちは喜んでくれないことがあります。猛烈に反対したりするわけです。そういったことが立て続けに起きてしまうと、図太い人ならなんとかなるのですが、そうでない人でしたら、たちまち決断力をそがれることになります。その結果、後手後手に回って、結局はグタグタな運営を余儀なくされてしまうのです。そんなわけで、私のほうから、今の政治をどうのこうの・・・なんて批判したり意見したりすることをやることはありません。まずは投票に行ったり、自分の意見が言えるような「あたりまえの行動」をとれる人間になるように努めたり・・・ということを自らに課してやるほかないのです。実際に政治に物申すことができるほどのデキた人間になれるよう努力していきたいな・・・なんて思いつつ、いつものように毎日努力しつつ、職場で誠意を込めて一生懸命働くことに集中するようにしていきます。ということで、これからもちまちまと更新し続けていきますので、ご愛顧よろしくお願い致します。
2021.08.25
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いつも訪問して頂きまして、誠にありがとうございます。このブログを始めてから、ついに10年になってしまいました。5周年のときには「あと5年で本物になる」ということを言いましたが、まさに本物になったのかもしれません・・・多分そうかも・・・そうなのかなぁ〜・・・不安になってきた・・・orzとにかく、「職場の人間をバカにしない」という目標のもと、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日やり続けていったのですが、そういうことを考えないのは1日たりともありませんでした。たまに失敗することはありましたが、本当に「どうすればいいのだろう」ということを考えつづけてばかりいました。昨年の9周年のときにも、10周年になっても更新方針を変えずにやり続ける・・・と言いましたので、これからも、このままでいきます。絶対に自惚れないためにやっているようなものですから、より謙虚な姿勢を持って、これからも取り組んでいきたいです。なんてったって、本物は自惚れないものですからね。さて、私はこれまでに数多くの本を読んでおります。当初はノンフィクションばかりを読んでおりました。職場でバカにされて辞めさせられましたので、現実を知り、「正しいこと」というものを知るために、そういうものを読み続けてきました。こうしてノンフィクションを読んでいるうちに、あることに気づきました。それは、書く人によって、読みやすかったり、逆に読みづらかったりすることがある・・・ということです。特に、小説を書く人が書いた文章は、長い文章であってもスルスルと理解でき、どういうことが書かれているのかを理解することができるのです。それに気づいてからは、小説ばかりを読むようにしています。たしかに架空の物語ではあるのですが、そのモデルとなったものは、現実にあるものが含まれていますので、「現実を知ろう」というものは補完できそうな感じです。そればかりではなく、読んだ本のあらすじを自分でまとめる・・・ということは、「自分の都合で勝手に拡大解釈しない」ということにつながっていくのでは、と思っております。ダメなことを自分の都合のいいように拡大解釈していいことにする・・・なんていうことは、愚の骨頂であるわけです。そういうことにならないように、文意通りにきちんと解釈できるようにしていきたい・・・そう思っております。ということで、アヤシいことを極力というか絶対にやらないように気をつけつつ、これからもちまちまと更新し続けていきますので、よろしくお願い致します。
2020.08.25
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毎度このブログに訪問していただき、まことにありがとうございます。今日で丸9年を迎えることになりました。以前の会社を辞めた日と東日本大震災のときを除いて、毎日欠かさずやり続けてきたわけですが、「もうこんなになってしまったのか!」と、驚きをかくせません。5周年の時に、「10年経てばホンモノだ」ということを話したわけですので、来年になると、まさに私はホンモノになれる資格を持つことになります。こうなると、このブログ上で新しいことをやったり、これに乗じて私がプロの作者になる・・・なんていうことをやりがちなのですが、そういったことをやる予定は今のところはありません。10周年を迎える時でも、現在の更新方針を変えるつもりはありません。私は、このブログを立ち上げるにあたって、職場の人間をバカにしないという目標を立てました。そして、その目標にあたっていの一番で実際に実践すべきことは・・・というと、絶対に自惚れてはいけないです。10年もやってホンモノになれる・・・ということで、ここで自信を持つことは大切なのですが、自慢しては絶対にしてはいけないのです。そこから自惚れが生まれてしまいます。そうなると成長が止まってしまい、あとは退廃するばかりとなってしまうのです。実際に目の当たりにはしておりますが、いいことなんて全くありません。まさに百害あって一利なし!です。10年という節目を迎えるのですが、そこから先も長く続くわけですので、自分自身をより成長させるためにも、さらなる謙虚さを持ち続けていきたいのです。たしかにきついところはあるのですが、そこは我慢して、泥臭く努力することはもちろんのこと、これからは心を折らないように、メンタル面でも強くなれたらいいな、と思っております。それと、「倫理」というものを大事にしなければならないのですが、だからといって「これでいいんだ」という想いは全く持っていません。実践しなければ意味がありません。「形だけ」というのは避けなければなりません。そのためにも、エラそうなことは書けませんし、ましてや実現不可能なことも書くこともできません。さらにはアヤシいことを書くわけにもいきません。いくら「倫理」・・・つまり、「正しいこと」を追求していても、他人に強要するべきものではありません。悪いことをしているから非難したり攻撃したりする・・・というのは、「倫理」のはき違えもいいところです。そのさきにあるのは「代償」が待ち受けているばかりです。「倫理」・・・「正しいこと」は「良識」があってのことです。良識さえあれば、相手をバカにすることはありませんし、社会にたいしても悪い影響を与えることはなくなるはずです。いち市民として・・・もとい、いち町民?いや、そこらへんにいる、いち住民として、まともに生活できるようになりたい・・・そう思うのです。これが非常に難しいことであることは重々承知ではあるのですが。とにもかくにも、これからもチマチマと更新し続けていきますので、お付き合いいただけますよう、よろしくお願いいたします。
2019.08.25
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毎度このブログを読んで頂きまして、誠にありがとうございます。毎日欠かさず更新し続けて8年になります。毎日毎日ちまちまとやり続けて、あっというまに8年も・・・って、ずいぶんと長くやってき続けてきたな、という気持ちです。ともすれば、現実の場において、「俺はこんなブログを毎日やり続けているんだ!」とか言って大きな顔をしたくなりがちです。そして、このブログでも大層なことを言いたくなりがちです。しかし、それは絶対に慎まなければならない・・・と、自らを強く戒めなければならないのです。今年の5月で、某大学の部活の試合で、監督が悪質なタックルを指示した・・・というのがありました。「出場したいのなら、どんなことでも俺の指示に従え。そうでなければ、わかっているな・・・」というものです。大学といえば、学校の頂点に立つところです。ましてやそこの大学は頂点中の頂点に位置するところであり、いやがうえでも権威がつきものです。そうなると、どうしても「俺はエラいんだ」と思ったりと、自惚れて勘違いをしてしまいがちです。このような風潮が大学に蔓延しているようで、そこを巣立っていった卒業生は、「あ、こういう風に振る舞えばいいんだ」ということを学んでしまっているようです。まさに悪い教育をされているように思えてなりません。そういったことを見聞きすると、やはり長くやり続けていることを豪語するのは絶対にやらないようにし、なおかつ、より一層謙虚な姿勢を持ち続けていって、なお自己研鑽に努めてきたいな・・・という気持ちでいっぱいです。これからもなお一層、一生懸命努力をし続け、仕事のほうも一生懸命取り組み続け、真の意味で人間的に成長できるようにしていきたい所存です。また、絶対に自惚れることないように自らを戒めていきます。これからもちまちまと更新し続けていきますので、よろしくお願いいたします。
2018.08.25
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毎度このブログにご訪問いただき、まことにありがとうございます。今日でまる7年となってしまいました。毎日欠かさず更新し続けてきてのことですから、我ながら驚いているのやら呆れているのやら・・・。全ての記事の数も3000を越えました。3月あたりからブックレビューを「ほぼ毎日」といっていいほど更新し続けてきたのがデカいです。そのころから勤務の形態が深夜一辺倒から「深夜→遅番→早番」の三直に変更となり、それがかえって本を読むのに適するようになりました。その結果、ガンガン本を読むようになり、ブックレビューもガンガン書くようになってしまいました。8月になってからはご無沙汰になってしまいましたが、不定期の更新である故、気が向いたら・・・というか、心当たりのあることが書かれている本に出会ったら、その本に関して書くことにしますのでお楽しみ・・・っということでいいですか?wwwこれだけ書きまくっていると、当初の目的を見失いがちになりますが、ここで振り替えってみます。私は、かつて日本で有名なお土産をいれる箱を作る職場で働いていました。そこは、「職場の教養」を発行している倫理法人会の事務所をしているところです。朝礼時には、この「職場の教養」を使っての活力朝礼を行っていました。そう、それを熱心にやっていたわけです。ところが、その職場は、そういう朝礼をしているにもかかわらず、朝礼でやっていること・・・そして、「職場の教養」で書かれていることを実践しようとはしていませんでした。それだけではなく、職場の規則を守ろうとしない人間も実在していました。その人間は、その職場では一番長く居る・・・ということで、上層部は注意をすることは決してなく、いつもニコニコ〜として接していました。私は、そういう職場で熱心に働いていたのですが、その人間を注意したことにより、職場の人間・・・とりわけ、その人間の娘から陰湿ないじめをうけ、最終的には職場のドス黒い罠に嵌められて辞めさせられました。そういう経験をした以上、私は「職場の人間をバカにしない」という目標をたてて、今日まで毎日1日も欠かすことなく泥臭く努力し続けているのです。「ブックレビュー」をふくめた本や映画や美術館巡りなどの「レビューもの」もその活動のひとつです。つまりは、「人間らしい心」を得るためにやってるわけです。・・・さて、今回は、遠藤周作についてお話したいと思います。遠藤周作といえば、今年の1月に、代表作である「沈黙」が映画化され、公開されました。それ以降、私は多数の長編小説を読むことにしました。北杜夫の友人である・・・ということもあり、キツネとタヌキをもじって「弧狸庵(こりあん)」と自称し、数多くのユーモアエッセイを手がけております。私が20代の頃はそういったバカ話をよく読んでおりました。しかし、本職はそっちのほうではなく、キリスト教の教えに基づいたシリアスな長編小説であるのです。こういった宗教がらみの物語となると、どうしてもイヤなイメージがつきまといます。それは、「どんなピンチがあっても、神様を信じていれば救ってくれるが、信じていなかったら裁きにあう」・・・というものです。これが胡散臭さを生み出しているのかもしれませんね。ところが、遠藤周作の作品ともなると、かなりエゲツないものになります。過酷な現実を情け容赦なく描ききっています。結末はバッドエンディングになることが多いです。死人も多数出てきます。時には「信じるものはバカを見る」というのがあったりします。つまりは、そういった過酷な内容から、「宗教とは何なのか?」ということを問いただしているのかもしれません。どう生きればいいのか、そしてどう対処すればいいのか。厳しい現実の中でも、人間らしい生き方というものを模索していかなければならないわけです。「やられたらやり返す」となったら、争いは生み続けていくだけです。そうではなく、やられたら自分はどうすべきなのか・・・ということを自問自答しなければならないのです。私も、実際にそういう体験をしています。やられたからやり返そう・・・とは決して思いません。やられたからこそ、絶対にそうならないためにはどうすればいいのか・・・ということを真摯に考え、なおかつ確実に実践していきたいのです。そのための行動ができるためにも、このブログを更新するといったことを含めた活動を続けているのです。今までの更新方針を変更することなく、あいも変わらず更新し続けていきます。これからもご自愛のほど、よろしくお願いいたします。
2017.08.25
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毎度このブログに訪問していただき、誠にありがとうございます。今日でまる6年を経過しました。おかげさまでアクセス数も増えてきました。ここに来て勤務体系が深夜のみ・・・ということがあり、休みがほぼない状態ではあるのですが、体調が悪くなる、ということはありません。ただ、体重が落ちているのと、読書量が落ちてしまったのが至らないところではあります。激務にそなえて睡眠と栄養を充分に取ることはもちろんのこと、空いた時間を見つけては読書にふけるように努めていきたい所存です。さて、今年は地元宮城を舞台とした「殿、利息でござる!」が公開されました。大和(たいわ)町にて実際にあった話だそうで、ユーモアにあふれているばかりか、グッとくるところもあったりと、なかなかいい映画でした。それだけにとどまらず、町のために無私の精神で取り組んだことは感動を覚えることでしょう。「町を救いたい!」という純粋な気持ちですすめていたものが成就した後、いつしか周囲からもてはやされるようになります。それと同時に、妬む人も出てきますし、計画に参加しなかった・あるいはできなかった人も出てきます。そういった状況でチヤホヤされて有頂天になってしまうと、いつしか自惚れの心が芽生えてしまい、傲慢な振る舞いをするようになってしまいます。そうなってしまったら、非難を真っ向に浴びる形になり、最後は悲惨な結末を迎えてしまいかねません。そういう状況を鑑み、大肝煎の千坂仲内から、ある提案を持ち出されます。それは、慎むべき事をいくつか決め、それを頑なに守らなければならない・・・ということです。その内容を以下に記載します。一、喧嘩、口論は相つつしむ一、こたびの嘆願について、口外することをつつしむ一、神社仏閣等へ寄進致し折りも、その名を出すことを、つつしむ一、往来を歩く際は、礼を失することにならぬよう、これをつつしむ一、振る舞いなどの寄合では、上座に座らず、末席にて、つつしむ大願成就した暁には尚もつつしみ、かつ子々孫々に至るまで固く守らせ、これをつつしむいいことをすることは大切なわけですが、だからといって自慢しては決していけないわけです。ましてや大願成就したときもなおさらのこと。「どうだ、エラいだろう!」と威張ってはなおさらいけないのです。そこから自惚れが生まれてしまいます。いいことをしたから謙虚になる。大願成就したから、なおさら謙虚になる。そういう気概を持つことが大切だと思うのです。私は仕事においては、待遇はよくはならないものの、いい仕事ができています。また、毎日欠かさず努力をし続けています。だからといって、こういったことをおおっぴらに公言して大きな顔をしてしまっては、まさに自惚れてしまうことにつながってしまいます。そうなってしまったら、このブログをやっている意味は全く以てなくなってしまいます。そうならないためにも、努力していることを極力言わないようにし、仕事でいいことをしても有頂天にならず、謙虚な気持ちを持ち続ける姿勢を貫き通さなければならないのです。それが自分自身の成長につながっていくわけです。そういった姿勢を心がけて、これからも毎日努力し続けていきます。これからも引き続きご愛顧の程、よろしくお願いいたします。
2016.08.25
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いつもこのブログを訪問していただき、誠にありがとうございます。おかげさまで、このブログを始めてから5年が経ちました。以前の職場を辞めさせられた時と震災が起きた時を除き、1日たりとも欠かすことなく無我夢中で取り組み続けてきました。「え!?もう5年?早っ!!!!」というのが正直なところです。まがりなりにも倫理法人会の事務所をしている職場から私が受けた屈辱が真実である・・・といったことを感じ取っていただければ幸いです。さて、今回はドラえもんの声優さんたちに関する話題を取り上げたいと思います。現在の声優陣になって早くも10年を経過しました。その10年を経過した際に、のび太の声を担当していた小原乃梨子がこのような言葉を贈っています。「新しい番組が始まった時、それがどんな番組でも洗礼は受けるわけですから、そこを越えて10年続いたら本物。(みなさん)本物でしたね! やはり10年はかかるんです」何をするにせよ、本物になるためには10年という時間がかかるそうで、その長い期間続けていくことでようやく一人前になれるわけです。私が取り組んでいるこのブログはようやく5年が経過しました。ドラえもんの声優陣と比べたらまだまだ半人前であると言わざるを得ません。しかし、これからの5年も現在と同じ気持ちで取り組み続け、5年後の今の時期に真の意味で本物になれるようになりたいです。当然ながら、5年経過したからといって「もうこれでいいんだ!」と思っては絶対にいけないのです。そうなってしまったらこのブログをやっている意味は全くありません。「自惚れたらこうなってしまう」という悪例を以前の職場で実際に目の当たりにした・・・というのもあります。これからもこのブログを始めた当初に抱いた気持ちを持ち続け、さらなる精進を重ねていく所存です。・・・と、そのように自分に言い聞かせて自らにクギを刺しつつ、更新方針は変えることなくこれからも続けていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。
2015.08.25
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昨日はエイプリルフールでしたが、皆様は盛大に法螺を吹きましたか?私のほうは、昨日の4月1日から夜勤の上に休日をはさんで4日連続の残業・・・という、ある意味「笑いの神降臨!」といえるような激務をこなしています。今日もこの後早出がありますのでがんばります・・・。そのような最中でも、私の方からガセネタをいくつか披露しましたので、ここに紹介してみたいと思いますが、まずは私が拝見したガセネタで気に入っているものを幾つか紹介します。・NHKラジオ英会話が2015年度の放送が開始したばかりにもかかわらず、たった3日で打ち切られる。これって三日坊主・・・。・Googleのマップでパックマンが遊べる。ただし、私が住んでいる地域を表示しても、田舎ゆえに遊ぶことができませんでした。・LINEのトーク画面で桜が舞い散っている。iPhone版のみ。今日の時点でも舞い散っています。・セレッソ大阪のホームページが、先日閉鎖された「J’s Goal」そっくりの画面に切り替わっていた。見たかったです安西先生・・・。・・・とまあ、結構こりに凝ったネタばかりで唸ってしまいました。この他にもアホなネタが炸裂したようです。さて、私が某SNSで呟いたガセネタを披露いたします。・某制作会社から某特撮番組の脚本を書くことを依頼された・auのCMの3人のおとぎ話の英雄たちが活躍する映画が公開予定というニュースに対し、「白い犬もお供として登場」とコメント。このコメントに対していただいた「きのこも登場」というコメントに対し、「ワライダケです」とボケてコメントした。・「手裏剣戦隊ニンニンジャー」に登場する巨大ロボット・シノビマルが、現実に日本のどこかのビルから突如として登場!・今年のリオのカーニバルでは実際に五所川原の巨大なねぷたが登場しましたが、来年ではそれに加えて秋田の竿灯も登場することに・・・・4月1日にナビスコカップが開催・・・が、それは自分の勘違い(来週の水曜日に開催)で、実際にはJ2第5節が開催されました。このなかで、auのCMネタに関しては結構好評を頂きました。御礼を申し上げます。
2015.04.02
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毎度本ブログをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。今日で丸4年を経過することになりました。記事の数もまもなく1500個となり、アクセス数も間もなく10万を迎えることになります。さて、首題に関する話をするにあたり、まずは「ユーモア」について語りたいと思います。この「ユーモア」とは、会話や文章を使って相手を笑わせることをさします。イギリスからこれが生み出されたそうです。この言葉は「体液」を意味する「フモール」という言葉が語源となっています。人間の健康は、血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の4つの体液から構成されています。このうちどれかの量が基準値からはずれてしまうと、健康が損なわれてしまうそうで、そのことから「ユーモア」とは「体液」から「人の体調」へと変わっていきました。それが転じて、「調子の変わった人物」のことを「ユーモア」と呼ぶようになりました。この「ユーモア」という言葉は当時のイギリスでの発音であり、近世に入ってから「ヒューマー」と呼ばれるようになりました。つまり、「ユーモア」という言葉と「人間」を意味する「ヒューマン」とは一見したところ似たような言葉として感じることができ、そこから「ユーモア」とは人間らしい概念ではないか・・・と、私が勝手に思っている次第であります。誰かを笑わせるためにこの「ユーモア」を使うわけですが、この「ユーモア」を使うに当たって、気をつけなければならないことがあります。誰かをバカにして笑いを取ったり、車や家など、誰かが持っているのを破壊して笑いを取ったりすることがあります。確かにこれも「笑い」の一つかもしれませんが、これらは決して「ユーモア」とは呼べるものではありません。これによって痛快を感じる人も中に入るとは思うのですが、その反面、悪意がこもっているだけに、これに不愉快を感じる人もいると思うのです。私はこういう「笑い」に対しては決して笑うことはありませんし、第一これを使って笑いを取ろうと思う気持ちはさらさらありません。「ユーモア」を使って誰かを笑わせるためには、まずは相手に対して愛情を持たなければならないのです。そのためにも、笑わせる側である自分が愛情を持つこと・・・つまり、人間らしい感情や考え方をしっかりと身につけなければならないのです。ネタとして自分が考えて用意する材料は、果たして自分として好きになれるかどうか・・・これが一番大切なことなのです。その次に、相手がそのネタを聞いたらどう思うのか・・・ということも考えなければなりません。相手に悪意のあるネタだったらさすがにやめておくべきですし、そうでなくても相手が不快に感じそうなものもやめておいたほうがよいでしょう。自分がいいと思えて、なおかつ相手もいいと思えそうなネタ・・・それが「ユーモア」と呼ぶにふさわしいものになるでしょう。東日本大震災の傷跡は今でも残ったままです。場所によっては復興がままならない所も多いです。それに、いまだにギスギスする状況もなおさら多いです。さらには、「ブラック企業」と呼ばれるところもいまだに多いそうです。それで泣きを見ている労働者も結構います。私もその一人です。私は、「言葉」を通して、悲しみや絶望にうちひしがれている誰かを楽しませ、そして勇気づけさせる人間になりたい・・・と、このブログを書き続けているうちにそのような想いがつのってきました。つまり、「言葉による復興」・・・言い換えれば、「言葉によるルネッサンス」を提唱し、我がヴィジョンにしていきたいと思っているのです。「職場の人間をバカにしない」という目標から始めたこのブログですが、この当初の目標は「死ぬまで追求する」とまでここで書きましたので、当然ながら継続して掲げていきます。残念ながら、現時点では今すぐにこのヴィジョンに関する行動を開始することはありません。そういう行動をする資格や根性やお金などは今のところありません。それまでの間、このヴィジョンを遂行するにふさわしい人間性を身につけるべく、これからも自分に厳しく鞭を打ってさらなる精進をやり続けていきたいと思っています。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
2014.08.25
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この世の中、自分の思い通りに行くことが多いです。どれだけ希望をもって熱意を持って取り組んでも成功することが少ないです。ましてや、周囲の人間から妨害やいやがらせを受けたりすることだってあります。そうなると絶望が生れて何もやりたくなくなります。ものに当たるだけでなく人に当たるようになり、ひどくなると街中で刃物を振りかざして怪我をさせたり殺したりしてしまうことがあります。・・・毎日密かに更新し続けているこのブログに訪問していただき、誠にありがとうございます。今日でこのブログを開設してから丸3年となりました。あと4日で1100日になります。記事の数もこれを含めて1311件になりました。会社を辞めた時と震災があった時は、やむを得ず更新しませんでしたが、震災があって以来、2年と5か月も毎日休みなく更新を続けています。これをやったことによる効果としては、職場の人間から信用を勝ち取ることができた・・・というのがあります。時にはドジを踏んだりするので、「これでいいんだ」なんて言う思いは一切ないです。よりいい仕事ができるようにこれからも精進していきたいです。もちろんながら、今の仕事に満足することなく、よりステップアップできるように、陰で努力することも継続的にやっていきたいな、とも思っています。以前の経験で体験した悔しさはまだまだ自分の体にくすぶっています。この悔しさをものや人に当たることなく、臥薪嘗胆の気持ちで自分をもっと成長させていきたいです。これからのご愛顧をよろしくお願いします。・・・希望それは絶望にまみれたこの世の中の光だと思います。この光をもとに何らかの努力をしていき、いつかは相手を見返す・・・どころか、はるかかなたに超越する存在にまで成長させていかなければなりません。その努力を行うにあたって様々な障害や妨害があるかもしれません。そんなものに決して屈してはいけないと思うのです。苦難が大きければ大きいほど、自分をより高みのある人間に成長させることができるのではないか・・・と、現在の自分はそう思うのです。
2013.08.25
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AUは、2013年夏モデルとして、全ての機種を携帯電話とすると発表したそうです。スマートフォンは、指で操作することで電話やインターネットなどの情報を簡単にできる一方、数字や文字を入力するのが非常に不便であり、利用者から苦情が相次いでいたそうです。そこで苦肉の策として、画面部分は指で操作できる・・・というスマートフォンの便利さをそのままに、新たに操作キーを追加して文字や数字を入力できるようにしました。ラインナップは以下の通り。・INFOBAR Classic・XPERIA・GALAXY SIV・AQUOS PHONE・VEGA・G’zOne TypeX改いずれも、利用者から問い合わせが相次いでいるそうです。・・・私も、スマートフォンを利用しているのですが、いかんせん文字を入力するのに難儀しているのです。特に、G’zOneTypeXがほしかったのですが、無職状態であったために泣く泣く買いそびれてしまった・・・なんて悲しい過去を持っているのです。そのような経験をしている私にとって、この話は朗報以外の何物ではありません。発売は8月だそうなので、その日までワクワクしながら待っていきたいと思います。
2013.04.01
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我が家では柴犬を飼っています。名前は「マロ」ですが、私は「犬」としか呼んでません(・・・って、それってダメじゃんorz)たまに散歩に連れて行くためか、私にはよくなついてくれます。家に帰ると真っ先に私のところにやってきてお出迎えをしてくれます。そんな我が家の犬を散歩に連れて行く際、時としてコンビニや郵便局に行かなければならない時があります。その際には犬をどこかにつなげるようにしています。店に入って用事を済ませているうちに、なんとつないでいるはずの我が家の犬がトコトコと歩いているのを見るときがあります。つないでいる紐をかみ切ってしまったようです。私はそれを見て「しまった!脱走してしまったか!」と青い顔をしてしまいます。ところが、用事を済ませて店を出ると、なんと我が家の犬が入り口のところでチョコンと座って待ってくれているのです。それを目の当たりにしてしまうと、紐をかみ切ったことを怒るわけにはいきません。散歩をしてくれる私についてくるべく紐をかみ切って、店の前で待ってあげよう・・・そんな気持ちがあったのかもしれません。私は、かみ切られた紐を買い替えなきゃならないな・・・という頭の痛いことを考えると同時に、そんな我が家の犬を非常にいとおしく感じてしまいます。
2013.03.31
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アラビア地方の物語に、千夜一夜物語というものがあります。またの名を、アラビアンナイトとも言います。妻の不貞によって女性不振となった国王シャフリヤールは、国の赤い女性と一夜を過ごしては殺すことを繰り返していました。それを見かねた大臣の娘シャハラザードが危険を顧みずに自ら国王のもとに嫁ぎます。シャハラザードは毎夜ちょっとした話をして国王の気を紛らわせていきます。その話がいいところまで行ったところで「続きはまた明日」と言って打ち切ってしまうため、国王は次の話が聞きたくてシャハラザートを殺して次の相手を探すことはしませんでした。この行いが1000回続いた後、ついに国王は女性と会った後に殺すことを辞めることになりました。・・・さて、私がやり続けているこのブログ。ついに記事数が通算1000件を突破しました。自分が体験した数々の挫折を経験し、その悔しさから会社を辞めるときと大震災があった時以外は毎日欠かさずやり続けてきました。ここまできて、中途半端で終わってしまう自分としてはよくもまあやり通すことができたな、と感慨深い思いがあります。1000件続けたからといって、今の私には給料がよくなったとか、正社員になれたといったようなことは起きていません。屈辱感は残ったままですし、生活は苦しいままです。とはいえ、仕事をやり通すことができて、なおかつ職場の人間に何かの手助けを自主的に出来るようになったり、友人知人が増えたりと、以前と比べてちょっとした変化も現れてくるようになりました。1000件達成したからと言って、ブログの更新方針を変えることはありません。たとえ誰も見てくれなくなっても、部屋の片隅でちまちまと毎日欠かさず更新していきます。読書も毎日やっていきますし、心に残った本があったら不定期でブックレビューをしていきます。このブックレビューも、よくある批評をするのではなく、自分の糧となる部分をかいつまんで記事にしていきます。その他に、何かあった時は「特別編」などとして書くこともあるでしょう。そして何よりも、こうしてブログに書いてあることと、実際の行動と違うことをやってしまう・・・つまり、「言動不一致」になるようなことは極力避けるようにしていきたいと思っています。そうでないと、このブログをやっている意味が全くなくなってしまいます。ここだけはキッチリとやっていきたいな、と思います。そして、実現不可能なことを口走らないように気を付けていきたいです。「人のことを言えないことを言わない」これは自分のポリシーでもありますので、たとえそのようなことを言いそうになった時は、自分も自戒しながら言いたいと思っています。・・・というわけで、これからもやり続けていきますので、よろしくお願いいたします。
2012.11.26
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毎度ご訪問をしていただき誠にありがとうございます。今日でこのブログを始めてから2年がたちました。1年目はうまくいくのに、2年目以降はパッとしない・・・という「2年目のジンクス」があるのですが、2年を経た現在でも地道に毎日欠かさず更新できたのは、悔しい思いを抱き続けながら自惚れることなく地道にやった結果、ということでしょうか。さらには、始めた当初の想いを現在まで1ミリもブレずに持ちこたえることができたのも大きいのかもしれません。これからも、この悔しい思いを絶対に忘れずに、ひたすら毎日やり続けていきたいです。さて、私は今年から、「石ノ森章太郎の生家に生えていた『ヨムヨムの実』の能力者」・・・を標榜しているのですが、この「ヨムヨムの実」というものはなんなのか、そしてなぜこのことを標榜しているのか・・・ということを話してみたいと思います。これから紹介するものは、以前にもこのブログで披露したものがあるですが、あえて改めて取り上げたいと思います。「ヨムヨムの実」・・・当然ながら、そのような実は実在せず、この実がなる植物も実在しないばかりか石ノ森章太郎の生家にもあるわけがありません。その代わりに、美しい紅葉などの植木がありますので、訪れた時にはぜひとも庭の植木をご鑑賞ください。さて、この「ヨムヨムの実」漢字をあてると「読む読むの実」となります。石ノ森章太郎自身は萬画家・・・ではあるのですが、石ノ森章太郎をはじめとしたマンガをひたすらたくさん読む・・・ということではありません。さまざまな人が書いた、活字がびっしりと並んでいる本をたくさん読むことなのです。・・・2010年7月。宮城県登米市中田町石森(いしのもり)にある石ノ森章太郎ふるさと記念館が10周年になった事を記念して、石ノ森章太郎を慕う作家さんたちが一堂に会してトークショーを開くことになりました。その時の参加者は、藤子不二雄A(「笑ゥせえるすまん」など)ちばてつや(「あしたのジョー」)さいとうたかを(「ゴルゴ13」)矢口孝雄(「釣りキチ三平」)武宮惠子(「地球(テラ)へ・・・」)小野英子(トキワ荘の紅一点で、石ノ森章太郎と赤塚不二夫とよくつるんでいた。本当の目的は作品の合作。)シュガー佐藤(石ノ森章太郎亡き後「HOTEL」などを手掛けた)・・・の7名です。2回に分けて4人、3人構成で開催されました。終始和やかな雰囲気で行われ、さいとうたかをが「ゴルゴ13という作品は苦手な分野なんだよ。特に機械の類を描くのが大の苦手で・・・」とボヤいていたのを、藤子不二雄Aが「いやあ、それで40年以上も続いているのは大したもんだよ」とフォローしていたのが微笑ましかったです。そのようなさなか、ある話が展開されます。それは、「石ノ森章太郎は、どんだけ忙しくても、毎日寝る前に必ず1冊は本を読んでいた」・・・ということです。しかも、かなり分厚い本であっても1時間で読み切ってしまうほどの速読の達人だったそうです。その場にいた参加者が全員感心しながら話していたので、これは本当のことのようです。私は、この話を聞いて痛く納得して本を読むようになり、会社を辞めさせられてからは本格的に毎日本を読むようになったのです。さて、ここで読書の効能を話してみたいと思います。読書は知識を取得するためにするもの・・・という側面があります。しかし、それだけではないのです。まず、目で文字を見ます。見た文字を言葉として認識し、言葉の意味を認識します。意味を認識したら自分で想像していくわけです。時には想像したものが自分が経験したものと一致した場合は、どう感じたか・・・という思いを持つことになるわけです。この一連の行動で、自分の脳はフルに活用されます。つまり、脳に血液が十分に巡るようになり、結果的には自分の能力を十分に活用するための準備ができるようになるわけですね。私はこの効果を利用し、職場で勤務をする前には必ず読書をするようにしているのです。「ヨムヨムの実」・・・この語感、どこかで見た覚えがあるかと思うことでしょう。「ONEPIECE」の主要な登場人物が口にしてしまった禁断の「悪魔の実」のことです。なぜONEPIECEなのか・・・。それは、この漫画に登場したすべての登場人物が、様々な過酷な運命や経験をたった一人で背負いこみ、本気で涙を流しながら純粋に地道に自分が信じるものを追い求めるがごとくひたすら突き進んでいるからです。純粋で地道でひたすらであるが故に、登場人物が言ったことがストレートに胸を打ち続けていくのです。時にはその言動に涙することがあります。私は、このONEPIECEの登場人物に負けず劣らないほどの「劇的」とも「悲劇的」とも言える経験をしてしまいました。ウソや冗談ではなく、実際に人目をはばからず本気で声を出しながら泣きました。私は、実際に「悪魔の実」という架空の食べ物を食べてはいないのですが、登場人物同様に非常に悔しくて屈辱的な過去を背負いながら、自分の幸せをつかみ取り、なおかつ社会に貢献できる人間になるべく、自分が信じるものを追い求めて、読書を通してひたすら努力し続けていきたい・・・そういう強い「決意」の象徴として「ヨムヨムの実」というものを創造したのです。これが「ヨムヨムの実」の正体であり、「石ノ森章太郎の生家に生えていた『ヨムヨムの実』の能力者」を標榜している理由でもあるのです。とはいえ、この「ヨムヨムの実」を誰かに押し付けることは絶対にしません。あくまでも自分に対してのものなので、軽ぅ~く受け流して結構です。それはともかくとして、これからも、これで満足して自惚れることなく、これ以上の努力や精進を自分に課していきたい!・・・そう強く思うのです。
2012.08.25
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「ブログ通信簿」をやってみました。土器土岐湧く枠しながら、恐る恐る結果を見てみたところ・・・自分自身のブログに、いくつかツッコミどころがありますねwww「マメ度」・・・まあ、震災時や会社を辞めた時以外は確実に毎日更新しているのでこれは順当と言えるでしょう。しかし・・・だ。「主張度」が1とはどういうことやねん!「気楽度」も意外と好成績とは・・・本編はシリアスにならざるを得ないのですが、そのかわりにブックレビューで時たま「はっちゃける」時がありますからね・・・って、あっ!この2つがこうなってしまった原因に心当たりが・・・(笑)ここ最近、原田宗典のエッセイをレビューしていたからだ。この手の本って、私は大好きなのでたまに読んでいます。しかも、それがやたらと面白かったのでレビューにしてしまったわけですね。しかし、まだ山田詠美のエッセイでなかっただけましかもしれません。なぜなら、同行していた編集者(♂)が全裸で背泳ぎをしようとしたり、山田詠美ことポンちゃんの股間にちんこが生えていたり・・・と言うのを書いちゃったら、さらに気楽度が上がってしまうかもしれません。それにしても、ムネリン、罪なことをしますね。そういうところが大好きなの
2012.07.01
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鴻上ファウンデーション会長の鴻上光正は、欲望について800年前の杯とセルメダルを使って説明しています。人間には欲望を受け止める器があり、欲望が満たされると器に注がれていきます。自分の欲望がすべてかなうと器がいっぱいになり、さらなる欲望が満たされても受け止めることができなくなります。そうなってしまうと、人間はさらなる欲望を求めるための暴走を始めてしまうのです。火野映司が欲望を満たし続けても暴走しなくなったのは、かつて自分が戦地に行ったときに、戦渦に巻き込まれた少女を助けることができなかった、という悲しき過去があったからです。つまり、そのような悲しき経験によって欲望の器を空にすることができるようになったのです。・・・さて、私が取り組んできたこのブログも、今日で1周年を迎えることができました。毎日訪れてくれる皆様方、誠にありがとうございます。私が特殊な事情を除いて毎日欠かさずこのブログに取り組んできたのは、意地でやり続けてきた、と言っていいでしょう。このブログをやるようになって、3つのいいことがありました。ひとつ、自分の意見を言えるようになったふたつ、少なくとも職場で働いている人から好感を持ってもらうことができ、友人もできたみっつ、2011年7月に派遣先で契約終了になったものの、派遣元の会社の計らいですぐに次の職場を紹介してもらえたこの取り組みをやって本当によかったと思っています。これからも毎日欠かさず更新し続けていきます。2012年5月に私が持っている最後のものである2010年11月分が終わるのですが、その次の月から再び2009年7月分のものに取り組む予定です。記事によっては全く同じ感想をもつ場合があったりしてマンネリになる可能性があります。しかし、自分の意見を言い続けることは大事なことであると認識できるようになりましたので、これからもこのような取り組みを続けていきたいです。・・・私は、かつてお土産用の箱を製造する会社に勤めていました。1年以上も就職活動をしてもなかなか決まらないなかでようやく見つけた職場で、この1年を挽回するべく必死になって仕事をしてきました。パートで入ったのですが、正社員になることができました。ところが、この会社は全国で有名なお土産品を製造する会社と30年以上も取引をしている、ということから、そのことが当たり前になってしまい、自惚れてしまい、モラルが完全に崩壊していました。そのためか、職場の中に「工場内着帽厳守」「土足厳禁」と張り紙があるにもかかわらず一切守れない大先輩が大きな顔をして働いている、ということがまかり通ってくるわけです。その大先輩はその会社で一番長く働いていることで何をやっても許されると勘違いしているようです。本人は「プライドを持っている」と言っているようですが、私が見ている限りは「自惚れている」としか見られませんでした。自分に非があっても一切認めないで逆ギレする。陰で他人の悪口を平気で言いふらす。人間として最低です。さらに悪いのが、その職場に大先輩の家族が働いていること。その家族も我がもの顔で働いています。大先輩を非難すると、その家族も非難した人間に対して嫌がらせをするようになってきます。社長に「会社にアピールしているだけだろう。自惚れるな!」なんて言われながらも、お客様のために必死になって働いてきました。しかし、2010年11月に、会社から罠にはめられました。内職の人から、材料の中に不具合があるという報告を受けました。それを営業部長に内職の人から聞いた話をそのまま報告しました。しかし、数日後に内職の人から非難を浴びます。私が内職の人が悪いといっている、ということです。私は内職の人の剣幕にわけがわからなくなり、その場で声を出して大泣きしました。それを見ていた上層部はもう帰れ、と言ってきました。帰宅後、これではいけないと思ってこの時の顛末を文書にしたためて内職の人と社長に届けたいと思いました。内職の人には事情を説明して文書も渡しましたので、何とか理解をもらうことができました。しかし、社長は文書をもらうのを拒否しました。それどころか、退職届の提出を強要してきたのです。私は、必死になってあれこれと話し合いをするように努めました。ところが、社長はこのようなことを言い放ったのです。「ここは俺の会社だ。そんなに意見が言いたいのであれば、不思議の国のアリスのように、他のところに行けばいいじゃないか」私はその言葉を聞いたとき、あまりのバカさ加減によってこの会社で働く気は一気に失せました。それどころか、社長の胸倉をつかんで殴ろうという気さえ持てなくなりました。いや、殴る価値すらない奴だと思いました。勤務後、警察署に行ってこの会社でパワーハラスメントがあるということを報告したのですが、相手が殴る蹴るという暴力行為がない限りは警察のほうから動いてくれませんでした。次の日に労働基準局に行き、同じようなことを報告しました。ところが、労働基準局ではその会社に注意を与えることはできるものの、法的な強制力はないそうです。つまり、あの会社のようにモラルが完全に崩壊しているところに注意を与えると、火に油を注ぐようなことにつながってしまうので、とっととそのようなふざけた会社を辞めたほうがいいですよ、とアドバイスされたわけです。このようなことがあったため、私は会社を辞めることにしたわけです。その後、私は・まともに働くにはどうすればいいのか・職場の人間をバカにしないようにするためにはどうすればいいのかということ1日も欠かさず考えてきました。もちろん、そのための努力を惜しまずやってきたのです。職を得たあとでも、このような努力を継続して取り組んでいます。・・・火野は戦地で女の子を助けることができなくて欲望の器を空にすることができました。そしてさらなる力がほしいという欲望が湧いてきてグリードに変身するまでになりました。対して私はどうか、というと。あの会社に罠にはめられて辞めさせられたことによって自分の欲望の器を空にすることができました。もし私がオーズの世界にいたら、ヤミーを生み出すどころかグリードに変身することになるでしょう。それほどまであの会社に対しては怨念を抱いているのです。私は、嫌がらせをするなど、あの会社に直接手を出すことはありません。怨念を欲望に変換して、自分を磨いていったのです。私も火野と同じように力がほしいです。それは「権力」というものです。しかし、いずれその望みをかなえることになった時、一番怖いのは欲望が暴走するときです。オーズの世界ではヤミーを生み出したり、自分がグリードに変身したりします。しかし、現実の世界ではそのようなことはないものの、暴走することはよくあります。些細な物から大きなものまで問題を生み出すことになったり、はては戦争を引き起こしたり。歴史やニュースが証明してくれます。私は非常に悔しい過去を持っていますので、欲望の器を空にすることができました。それと同時に、欲望の器をリセットすることもできるようになりました。とはいえ、もし仮に将来成功した場合、欲望の器を満たしてしまう場合があり得ます。そのようになってしまうと、私も悪人になり下がる可能性があるのです。そのようなことにならないように、常に謙虚に取り組んで、欲望の器をリセットし続けていきたい、と思う所存なのです。
2011.08.25
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私は、つい先日に6日間という短期の派遣業務を行ってきました。夜勤ということもあって、大変そうなイメージを持って取り組みましたが、出勤時には夕方の時間帯ということですんなりと行きやすく、勤務時間中にねむくなったりすることはなく、なおかつ具合が悪くなることはなくと、意外とスムーズに働くことができました。さらには、ゴミひとつない綺麗な環境で、なおかつ全員が決められた服装で黙々と働いている姿を見て、「まともな職場で働くということはなんてすばらしいことでしょう」という思いを胸に秘めて作業していました。勤務初日に注意事項のレクチャーを受けましたが、その際に、服装の注意事項という項目がありました。その一部を抜粋します。制服や服装については次の注意事項を厳守してください。守れない方は即刻常駐許可を取り消します。・・・服装は会社で仕事をするのにふさわしい服装を心がけてください。華美になったり、だらしない服装になったりしてはいけません。次のような服装は厳禁です。絶対に駄目です。・・・ジャージ類のスポーツウェアは禁止です。・・・服装について守れなかった場合は、即刻常駐許可を取り消されてしまいます。これは、「服装の規則は、お金を貰って働く社会人としての最低限の規則であり、それを守れないようであれば、社会人としての常識を疑われても仕方がない」ということを意味します。つまり、職場で決められた服装を守れない人間は、プライドをズタズタにされたり、人格を否定されても仕方のないことだ、ともいえるでしょう。私がかつて所属していた会社では、「工場内着帽厳守」という張り紙があっても帽子をかぶろうとしない、「土足厳禁」と書かれていても平気で土足をする、そして作業着ではなく黒いジャージを着こんでいる人間が先輩としてチヤホヤされていました。ちなみに、黒いジャージに関しては、本人は機械を操作するのに油まみれになるからそうしている、と説明していますが、私には言い訳にしか聞こえませんでした。このような恰好でしたので、言動は著しくおかしかったです。長く働いていた、ということで、何をやっても許されると思っている節がありました。お客様の口に直接入る製品が収納される箱に仕切りを入れる際に、毎回指をなめなめ仕切りをとって箱に入れる。包装紙を切ってもらうようにしたときに指示をしたのにもかかわらず、指示を無視して違う部分を切ってしまう。会社で決めた製造数を勝手に変更した。しかも、報告した人間には、根も葉もない言いがかりを吹っかける。などなど・・・。こんなことをやった人間が何をやっても許されて、それ以外の一般社員がちょっとでも意見を言っただけでも社長から厳重注意を受け、さらに気に喰わないとして退職届の提出を強要されて退職させる。先輩というのは、その職場のお手本となるべく人間なので、大変大きな重責を持つ人間だと思います。ちょっとでも間違ったことをやると、後輩からは「あ、こんなんでいいんだ」なんて思われて、後々になって会社は大きな痛手を喰らうことになりかねません。とある雑誌に、きちんとした身だしなみをした人と、そうでない人に、設計をさせる競争をした話が載っていました。どちらがいい設計をしたかというと、きちんとした身だしなみをした人がいい設計をしたそうです。しかも、その人は、後に世界中で大ヒットを飛ばした商品を手掛けることになったということです。この話からして、身だしなみがきちんとしている人は、様々な注意ができて大きなミスをしないようになっているようです。また、身だしなみがきちんとしていると、何らかの作業をする際に怪我をすることも起きなくなるようです。さらには、身だしなみがきちんとしていると、上記の先輩のようなおかしな言動を一切行うことはなくなります。「5S」という言葉があります。整理、整頓、清掃、清潔、躾の5つです。製造を業務にする職場には、これが非常に重要になってきます。私は、「躾」さえできれば、他の4つもきちんとできるのではないか、と思っています。それは、前述の身だしなみができている人とできない人に設計をやらせた話を読んだ後に、私が実際に体感したことです。それほどまでに服装というのは仕事に大きな影響を及ぼしていると思えてなりません。服装さえきちんとしていれば、いい仕事をすることができます。また、ミスや怪我も起こすこともなくなります。さらには、会社に損害を与えるようなやましい考えを持つことも絶対になくなります。これから仕事を与えられたときには、決められた服装を守るようにして、いい仕事をしたいです。
2011.02.12
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