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あっしはしがない旅ガラス今回の旅は思いがけず長くなったでござるよ今思えば前兆はあったでござるなぁ~しかし縁者の事で心配が重なり己の身体をしっかりと省みる余裕が無かったのでござるよ。そうはいっても飯を戴くと胃の底部がズキンズキンと痛くなりうつ伏せに伏せたりして時をやり過ごし、段々と食欲も細くなり、何を見ても食べたい気持ちが起きなくなり(これが虫垂炎の特徴でござるそうな・・・)1月には胃カメラの検査まで受けていたのでござる。そうこうして腹の痛さをなだめつつ、傷心の縁者の寄り添いに旅立とうとした矢先・・・2/20の土曜日から只ならぬ身体の変調を感じたので腹の痛みが鎮まるのをひたすら願いながら急遽床に伏した次第でござる。その時はこれっぽっちも我が身に迫る危機を感じ取れなかった鈍感な旅ガラス・・・・ところが、翌2/21流石に我が身に只ならぬ事態が起きつつあることを、時間の経過とともに痛感せざるを得ない事態へと突入して行ったのでござるよ。日も暮れて夕食にありつこうと心では思いながら猛烈な吐き気全身の耐え難い寒気!後から思えばこの頃には既に血管の中で細菌が暴れ出していたのでござるな・・・腹の痛さは言うに及ばず全身が痛さで硬直する有様。夜21時頃には普段の平熱35.5℃のあっしが38℃の熱が出ているのにも拘らず益々酷くなる寒気。高熱による悪寒でないことは確信できたであっす・・・「朝になるまで我慢すれば日赤に診察受けに行ける」と己に言い聞かせながら歯をガチガチさせて痛がるあっしを流石に見かねた家人が「どうしたら楽になるんだ?」「何をどうしてやったら良いんだ?」と嘆くように言ったのでござるよ。そこで初めて気が付いたでござるよ!あっしが苦しみだしてから何時間もずっと傍にいて擦ったり氷枕を交換してくれたりして献身的に看病し続けてくれた存在を。。それで我慢強い?あっしも踏ん切りがついたでござるよ「こんな時間で申し訳ないけど日赤に連れて行って・・・」「わかった!救急車呼ぶから」「だめっ!救急車だけは駄目。ここは職員住宅だし、周りは部下達の家。だから自家用車で行くと伝えて・・・・」電話で救急外来の担当医を聞くと『泌尿器外科』Drとのことだったが時は22:30この時、あっしも家人も最悪インフルエンザの急発症かも・・・としか『夜間救急外来』に入ると案外空いていてホッとした。まもなく診察に呼ばれたのだが、横になっての触診の時になってようやく、、、あっしの痛みの元凶は胃の底部では無く右側デリケートゾーン全体、しかも比較的下部の方だと気がついた次第。「手で押した時と離した時とどちらが痛いですか?」「離す時に激痛が・・・」血液検査が済んだ後あたりから何だか先ほどよりも救急センターの中の看護師が増えてきたような・・・そしてその方たちの動きを眼で追っていると明らかに慌しそうに感じられる。あっしはベッドに寝たままあちこちのブースに回されて尿検査痛み止めの点滴造影剤使用でのCT撮影 等々段々と朦朧としてきたのでござったその頃家人は・・・あっしの後に呼ばれた人たちが何人も診察を終えて出て来るのにあっしは40分待っても出てこない。インフルだと思っていた家人も流石に心配になり、受付に聞きに行ったと同時に看護師が出てきて「これから特別病棟への入院になります。ついて来てください。」「???」一旦帰宅できたのは既に2/22 2:30過ぎだったそうな・・・後日聞いたのだが、そこはEICU・HCU・ECUと呼ばれているパンデミックにも対応できる病棟で、救命救急センターの中にあるそうな・・・この病棟の名前は病院の案内図にも記載されていないようだ。消化器外科の手術医が到着した時点で病状説明があり緊急手術を受ける事になったのだが、どのオペ室もタイトな手術予定が入っているのでその合間をくぐっての手術になるとのこと。それまでの間はEICUで待機していてくれとのこと。閑散としただだっ広い病棟の中であっしは朦朧としていやしたが、家人は必要品の買出しや入院生活用品の準備で忙しかったようだ。さてはて。「起きてください!聞こえますか!?」『いい気持ちで寝ているのに誰やねん邪魔な声じゃなあ!』うんざりして手で払いのけようとしたら何だか両手が全く動かない。???半分未だ麻酔が効いている中でも自分が何かに縛り付けられている感覚はある!それから覚醒したり寝たりを繰り返しているうちに意識も段々としっかりして来たがいつものOPの時と明らかに異なる点は両手がベッドに縛り付けられているのでござるトホホ(;´д`)しかも指までが動かせない程重い砂のようなグローブまでが填められている気配!「離して!何なんですかこれは?自由にさせてください!」「御免なさいね・・・旅ガラスさんは身体に付けたありとあらゆる機器を外そうと暴れてしまったので仕方なく拘束させて貰いました・・・」「今も酸素マスクを取り外そうとなさっていたのですよ」「もう少ししっかりするまで我慢してくださいね」『鬼の目にも涙』イエイエ・・・ 旅ガラスの眼にも涙もうちゃんとしてるもん!かゆい所もかけないジャンo(;△;)o 私を苦しめたのは慢性虫垂炎がいよいよ限界に達し破裂寸前だった事小腸大腸に癒着して汚染物質が血管に進入したこと。そして術後は虫垂破裂寸前での癒着剥離のため、腸に穴が開いたことによる腹腔内汚染が食い止められなかったこと。OPがあと数時間遅かったら盲腸破裂で腹膜炎併発~命の危険にもさらされたと消化器外科の主治医が家人に説明したそうな・・・そしてトレイに出した摘出物は半分は壊死していて。コロコロと黒くてちっさな丸い玉も3個ばかり転がり出て来たそうな。自分の身体が作り出した産物故、興味津々のあっしが「おいらも見たかったでござる・・・」「そう言うだろうと思って写真に撮っておいたさぁ~」「ふむ・・・流石だね^^」てな訳で切り取った物はグロテスクではあったが危機一髪あっしに命の危機サインを出してくれたありがたい物でもある。もう少しで腹膜炎になっていたかと思うと あな恐ろしや!それでも主治医には「救急車で来ることを躊躇っちゃ駄目ですよ。何でもなくて帰る人が半分以上いるんだからね」と言われてしまいました。「何回も乗っているからもう嫌だと・・・」「今回は診察が早かったから良かったが普通は救急車優先だからね、待たされたかもしれないんだよ。その間に破裂なんかしたら取り返しがつかなかったよ」本当にあっしはご近所への遠慮と何回も119する事へのためらいで危険な事になっていたかもしれないんでござる。そのちょっとのためらいが少しではあったが結局腹腔内汚染に繋がってしまって退院までの日数にも遅れが出てしまったのだ。なにはともあれまだ抜糸とクランクというチューブを抜いたばかりなので痛みはあるが暫くはおとなしく 他の持病との兼ね合いもあるのでまたまたの療養生活でござる。ここまで長々しいブログを読んでくださった奇特なかたがたよ心から感謝申しあげている所存でござるよ!(^^)!日々 感謝
2016.03.06
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8/17お盆明けの整形外科長野の整形外科は完全予約制ですが、私はたまたまいつもお世話になっている事と、前夜に救急外来で診て頂いていたので、あまり待たずに呼んでもらえました。そして予想していた流れのとおり先ずはレントゲン検査。放射線科への案内を辞退し自分の足でゆっくりとフラフラではありましたが歩いて向かいました。レントゲン室に入ると私より少し年上くらいの技師の方が担当でした。手慣れた様子で私に説明をなさり、検査も手順通り淡々と済ませて行きました。ところが!仰向けに寝た瞬間に痛みが全身に駆け抜けたのです。それから少しでも触れられる度に激痛が身体のあちこちに放散します!それでも・・・何とか耐えました(いい大人ですものネ(>_<))しかし身体を横向きにさせられて頭を後ろに反らせられた時思わず「いたあぁぁぁぁぁぁぁぁ~いぃぃぃぃぃぃぃ~!」我慢強い筈の口から大声が出ていました。そして堰を切ったかのようにこらえていた涙が溢れ出て来て「先生・・・そこ痛いんですヒックヒック(☍₋⁰)」すると今まで感情を表に出さなかった方だったのにティッシュ箱を側に置いてくださり私の背中を撫でて「あと2~3枚だから一緒に頑張ろうね。なるべく早く終わらせるからね」とこの上なく優しい声で慰め励ましてくださったのです。もう返事をする余裕も無くなっていた私はうなづくのがやっとでした。その後体勢を変える度に涙がボロボロ溢れ出で「ううううう(☍₋⁰)」と唸るばかりの私。人生でこんなに痛くて辛かった検査も初めてですが、泣いてしまって恥かしい検査もまた初めての経験でした。何とか着替えが終わると先程の検査技師の先生がいらして「痛かったのに頑張りましたね!その足で診察課まで戻るのは無理でしょう。車いすのお迎えを頼んだから待っていてくださいね。」と仰りながら肩を撫でてくださいました。泣きはらした真赤な目をしてヒクヒク言いながら、レントゲン室から出ていくと待合の廊下にいらっしゃる方々の目が私に集中していて私は注目の的になりたくなくてとっても恥ずかしい想いをしました。それにしても私の涙を見てから豹変した先生の態度には驚かされました。声色まで変わったんですもの・・・最後に肩を撫でてくださったのは、要らなかったですけどね(>_<)
2015.08.23
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私が生まれるまで10ケ月間も守り育んでくれたちっちゃいけど大切な場所だよ。お世話になりました!そして今回のオペを決断したお母さんの勇気、誇りに想うよ。ありがとう!!次女からのメールです。いつもの如く私の涙のダムが決壊してしまいました。でもその涙は感動から生まれたもので熱くて優しかったです。
2014.11.11
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病院の窓から見える景色は病棟と青空だけ・・・家人が手配してくれた個室。差額料も掛かるでしょうに・・・手術前室までは歩いて行きました。あんなにドタバタ騒いていたのに、いざ手術を直前にして何故か心は平穏で振戦も起きませんでした。久し振りに大きな手術を受けました。今回、以前と全く違うこと!それは覚醒した次の日から、トイレ等に出来る限り自分で歩いて行くことです。勿論看護師さんは見守っていてくださいますが痛くても辛くても一歩一歩進んで行く。これが腸などの癒着を防ぐ最善の方法なのだそうです。少し長くベッドの上で楽していると、何処で観察していらしたのか?「さあ!お散歩に行きますよぉ!♡」と婦長さんが「元気な声で廊下の散歩等のお誘いにいらっしゃる。日毎に少しずつ歩く姿勢も距離も元に戻って行きました。必要以上には手を貸さない・・・という手厚い見守り介護自分自身の早く退院したい意志と身体とのリンク(✪ื‿✪ื)vこうして山ほどのお土産(勿論薬^^;)を手に予定より少し早く退院できました。退院時には「スキントンテープ」を購入しました。これを半年以上貼っていると、傷が保護されてきれいに治り目立たなくなるそうです。私も未だ現役(?)の女性ですからねぇ~傷は目立たない方が断然嬉しいです(*^_^*)今後は自宅での療養です。無理せず身体を動かし腸の動きを少しでも良くして怖い腸閉塞を発症させないようにしていきたいと思います。拙文ですがお読みいただきありがとうございました♪そしてこれからも宜しくお願いいたします
2014.11.10
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9/23 『虫の報せ』か・・・?私は長野に戻ったばかりだったのですがどうしても養母の様子を見に行きたい気持ちに突き動かされて、再度自宅へ日帰りで戻りました。偶然か長女一家が病院に顏を出してくれて会話を交わすことができ、養母も嬉しそうでした。そしてその翌朝9/24 7時50分養母は安らかに逝きました。前日に会っていなかったら、私の悔いは生涯続いたでしょう。長野市から駆けつけた時、養母は既に床の間に静かに横になっていましたが、入退院の繰り返しでとても苦しんだ後だけに、余計に安らかな顔に見えました。私は過去全ての恩讐を超えた穏やかな気持ちで一番お気に入りのリップグロスを唇に乗せてあげました。そして養母の一番好きだった紋付訪問着を生前の約束どおりに掛けてあげる事が出来ました。9/26 船頭多くても助けもまた多くして無事船出す養父と主人が喪主となり、すったもんだは有りましたが無事告別式を済ます事ができました。訪問着も御棺の中に入れることができたのであちらの世界で喜んで着てくれると良いなと思います。余談ですが・・・ ⇓私よりも強い力を持つ次女(埼玉在住)の家の窓に6/24早朝、見た事のない白い蝶がずっと止まったままだったそうで撮った写真を見せてくれました。羽の尾に七色の模様が見える不思議な蝶でした。告別式の翌朝もミニ祭壇のある床の間の窓に蝶がずっと止まっていたそうです。蝶は『あちらの世界からのお使い』と聞くのですが・・・
2014.09.30
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"眠るのが怖い"と感じたことはあるだろうか?その為コーヒーを飲んでわざと徹夜してみるだが徹夜も2日が限度である心身の疲れで結局は眠りに落ちてしまう「深く眠れる薬を飲めば?」と友人は言うしかし睡眠レベル3までが限界で、殆んどが覚醒と浅眠の繰り返しだその間に恐ろしく 苦しくて 怖く 或いは 悲しい 感情の嵐に巻き込まれて私の心と身体は少しずつ蝕まれて行く余りの怖ろしさに『これは夢なのだから大丈夫』と外の自分が夢の中の自分に呼びかける訓練をしたがまさに恐怖に苛まれて瞬間には何の役にも立たないのだ安らぎの中で眠れば大丈夫なのか・・・寝る前に思い切り楽しい想いをすれば眠れるのか・・・暖かい胸の中で愛という毛布に包まれて眠れば悪夢は訪れないのか・・・いやいや結末はいつも同じだ突然、何の前触れも無く、大音響とともに自分の脳みそが大爆発を起こして塵となって飛び散るのだそれは 『死』五感の全てを以てして死を認識する・・・自分の!死はこんな感じなのだろうか?無に帰した肉体虚無の中で思念だけが残り 宿るべき場所を探して浮遊して行くその爆発音で早鐘を打つ心臓の音とともに覚醒し眼を開くしかし そこは何も見えず何も聞こえない暗黒の世界ブラックホールの中をフワフワ漂っている思わず生きている事を証明したいために声にならない悲鳴をあげる本当に恐怖を感じた時は声も出ないらしいだが生きている事を伝えようと必死にもがく自分が居るこれが『頭内爆発音症候群』自分の『死』と『生』に向かわざるを得ない毎日未だ専門医も居ない研究も進んでいない生きているのか?それとも生かされているのか?これも私が抱えるひとつの大きな試練!
2013.01.20
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果物の美味しい季節です!今日はまたまた果物が届き、嬉しい悲鳴です。柿、リンゴ、ナシ、ブドウ・・・ダイエットした身体には果糖は大敵なのに・・・でも~~あまぁぃ 果物の香りには 逆らえませぬ(>_<) しかし 今日は久し振りのポカポカ陽気だったので最近休んでいた体幹ウォーキングを再開してみました。所用時間 ピタ 1 時間往復歩数 概ね 6500歩重石 各手首 500g久し振りにしては良く足首も上がりました。何よりだったのは手首への負荷で姿勢よく歩けたことでしょうか・・・^^結婚式まであと2週間!果糖太りしたウエストをしっかり絞らねば^^;!!
2012.10.21
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身体がやたら熱いなのに寒気が止まらない全身から玉の様な汗が湧き出てくる 拭いてもふいてもキリがない堪らずハンカチを濡らしてこっそり額に当てる「どうかした?」丁度タイミング悪く眼前を通った役員に聞かれ「イイエ、何でもありません。唯の知恵熱ですわ」精一杯のユーモアで応えたつもりがこの人には全く通じず「おいおい、知恵熱は子供が罹るんだろ?」そんなことは百も承知じゃい場の空気を重たくしたくなかっただけなのにその位察してよ~しかし悪寒は益々酷くなる体温計位置いてないの?この職場何か自分の身体に異変が起きている事は分かるでもいったい何???ただならぬ事態が身体の中で増殖している事は確かなこと・・・確信を得てから上司に早退を願い出たこれが以後 一週間休む羽目になったインフルエンザに初めて出遭った経験・・・^^; 今・・・あの時の相手と再会しているかもしれない・・・水分補給と栄養補給 そして休養が必要でふ^^
2012.09.27
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人間ドックを受けた病院から届いた『主治医殿』の封筒を持参しての診療日でした。手紙と同封の何かの数値を、最新の採血結果とじっと見比べていらしたDr。「えっと・・・・ねえしいたん造影剤使っての検査をまたする方がイイネ。何なら明日でも検査室空いているけど僕が居る日の方が安心だよね。しいたんはアレルギーもあるし、内分泌系に問題が多いから他の人よりもリスクがあるけど、ちゃんと対処できるように万全の準備でするから何の心配もないからさ。」 やはり予想したとおりの結果になりました。検査するのは来週の火曜日(31日)16:30~主人の立ち会いが必要で、検査中だけではなく、検査後にも副作用が発症する事もあるので数日は注意が必要で、副作用と思われる症状が出た場合は即連絡せよ。との旨・・・過去いろいろ受けた造影剤注入検査で一番大変だったのは、『脊髄造影検査』これは、くも膜下腔に造影剤を注入するので、検査後もそのまま寝た状態で一晩を過ごさないといけません。たった数センチでも頭を上げると、立ち上がったことと同じなので検査液が頭内を巡り、結果、激しい頭痛が起きてしますからです。 そんな検査でさえ無事乗り越えて来たんだから、気を病まない様に検査日を待ちたいと思います。ネガティブにならないだけの精神力はあるつもりです。。。
2012.07.25
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主人の実家で栽培している生食用の杏(大変珍しいらしい) この連休を使って自宅に帰省しお掃除や庭の草取りお盆の来客に備えて、客間の片づけゲストルームの寝具の手入れ 等々いっぱい仕事をしてくるつもりだった。昨夜までは行けると思っていた。しかし結局 どんなことをしても 行けなかった「あと10分寝かせて・・・」が一時間になり2時間になり・・・「実家でさぁ、帰省する前にお前にくれたい物があるって、お袋から電話来たから、取りあえず俺行って来るわぁ。その間に用意できるか?」 「おいおい、大丈夫か?」主人の声で眼が覚めた。全身が重い !足に鉄球が結び着いているみたいだ。頭がクラクラする@息が苦しい・・・・「やっぱり無理だね、いいよ。留守番していな。」そう言ってもらった途端にまた『行けるかも』と思えてしまう天邪鬼結局 やはり自宅に帰省できなかった・・・・「仕方ないんだから、自分を責めるんじゃないよ」主人の実家からいただいた生食用の杏は甘酸っぱさが特徴だが留守番することになった私の特徴は相変わらずドタキャンの女王
2012.07.14
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ダンスパーティー今日は“きつい”検査を受けて来ましたよぉ。最初の難関は、何度も触れて来ましたが静注用の針が血管に刺さらない・・・何しろ普段掛かっている長野赤十字病院でも最強(最凶)採決困難者なんですもの私の腕を未体験のこの病院では看護師さんを何人困らせるのかしら・・・案の定ポイントを探してくださるだけでも15分位はかかったかしら。その後、実際に針を刺して駄目だったのが2回。このあと幾つ絆創膏が貼られるのかしら・・・と心配になった頃に若いイケメンの看護師さんに交代。「すみません最悪の場合は手の甲でも良いですか?」「あの・・・この手の甲の痣もそうなんです。」「そうですよね。ではあと一回だけチャレンジさせてくださいね」と言いながら左右の腕を何回も交互に叩いたり擦ったり。ガンバッテェ・・・・私も心の中で一生懸命応援しながらフと部屋の中を見たら主人を初め、検査準備室にいらっしゃっる全員が私の腕に注目している様子「ああ、ここならちょっと痛いですが大丈夫でしょう。」と言いながら最終的に挿管してくださったのは右手首の付け根「痛い思いを何回もさせて申し訳なかったですね」と仰る看護師さんに「イエイエ大変お疲れ様でした」と思わず変な 応答をしてしまったわ深くて、細くて、枝分かれが多すぎて、針から逃げ回る。 私の血管これだけは、いかにせんどうしようもありません。今日の私の戦跡はいくつもの絆創膏と見事に青くなった内出血の跡です
2012.07.11
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6月も最終日となり一年の前半が終わりですね。私は殆んど毎土日、自宅へと帰省しております普段は自宅にて義父と義母が留守番してくれているのですが、義母が3月に右足大腿骨を骨折して(左足は2年前に骨折)、今回は手術の後、リハビリ専門病院に転院し、リハビリ治療をしております。その義母が本日10時頃に一泊帰宅して来る予定になっているのです。なので、6/29昼間の内に義母の好きな“あんころ餅”を注文しておきました。喜んでくれると良いのですが・・・・(いつも感情を素直に出さないので心配)本退院して来た後のこと、例えば、?まって歩ける手すりやバスルームでの転倒防止策、最悪の場合トイレの改造などについての話し合いなどもしなくてはなりません・・・私はパニック障害が未だ完治していないので、ストレスに感じたり気が重いことがあると気持ちから身体が分離されて、結果、全身硬直と交&副交感神経系統が暴走を始めてしまいますそれは、そうならないように念じれば念じる程、事態は悪くなるのですそのことで今までどれだけ苦しんで、もがいて、それでもどうにもならなくて・・・ それでも今回の義母の入院時には、初めて手を握る事まではできました。今は 出来ることを無理しない程度にやってみよう 出来なくても、絶対に自分を責めないようにしようと思っています。それを私の自信にして、最後まで鎧を着ないで済むように祈りながら行って参りますね朝の6時には出発ですこのブログを読んでくださった皆様、こんな弱い私ですがどうぞ見えない力となって応援していてくださいね
2012.06.30
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6月も最終日となり一年の前半が終わりですね。私は殆んど毎土日、自宅へと帰省しております普段は自宅にて義父と義母が留守番してくれているのですが、義母が3月に右足大腿骨を骨折して(左足は2年前に骨折)、今回は手術の後、リハビリ専門病院に転院し、リハビリ治療をしております。その義母が本日10時頃に一泊帰宅して来る予定になっているのです。なので、6/29昼間の内に義母の好きな“あんころ餅”を注文しておきました。喜んでくれると良いのですが・・・・(いつも感情を素直に出さないので心配)本退院して来た後のこと、例えば、?まって歩ける手すりやバスルームでの転倒防止策、最悪の場合トイレの改造などについての話し合いなどもしなくてはなりません・・・私はパニック障害が未だ完治していないので、ストレスに感じたり気が重いことがあると気持ちから身体が分離されて、結果、全身硬直と交&副交感神経系統が暴走を始めてしまいますそれは、そうならないように念じれば念じる程、事態は悪くなるのですそのことで今までどれだけ苦しんで、もがいて、それでもどうにもならなくて・・・ それでも今回の義母の入院時には、初めて手を握る事まではできました。今は 出来ることを無理しない程度にやってみよう 出来なくても、絶対に自分を責めないようにしようと思っています。それを私の自信にして、最後まで鎧を着ないで済むように祈りながら行って参りますね朝の6時には出発ですこのブログを読んでくださった皆様、こんな弱い私ですがどうぞ見えない力となって応援していてくださいね
2012.06.29
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結局6/20(人間ドック前日)は主人の帰宅が21時を過ぎたので、夕食とドック当日の朝食を摂らずに出かけました。・・・無論主人が送ってくれましたよ。主人の勤めの関係で、私が普段かかり付けの病院とは別の病院です。この時、既に空腹限界・・・いつも食欲不振の私でもこれには参りましたよ検査開始前の説明時「尿は最初のを捨てて50cc位取ってくだされば大丈夫です。」とのこと。しかぁしぃ利尿剤も服用していないため、どんなに頑張っても20ccがやっとこどっこい気分は少々、下降気味その後、一番の難関である採血若い看護師さんがニコニコと名前を呼んでくださった。~頑張ってぇ~心の中で応援しながら右手を差し出しました。・・・・・・???案の定採血ポイントが見つからない様子。仕方が無いので私から“最凶の採血困難者”である旨告知し、ポイントを自ら示しました。すると、「まあ、教えてくださってありがとう(^O^)」と言ってくださり、何処までも優しい看護師さん無事採血が済むと半分終わったような気分血圧は135-75。降圧剤が切れると190-160位はあるのでこれは良かった。次に体重と身長測定昨年よりも-7.5kg。標準体重よりも5Kg減。気分は若干、上昇傾向その後は、何が何だか意識する暇なくベルトコンベアに乗った状態であちこち連れ回されて検査~検査の繰り返し。その度にドック待合室で名前を呼ばれるまで立ったり座ったり、たったりすわったり~~ 段々と三半規管が悲鳴をあげ始めている・・・のを自覚それからは検査が一つ終わるごとに吐き気~手指の細振~冷や汗を自覚でも・・・・・もう少しの我慢と言い聞かせ・・・・目いっぱい我慢しかし私の拙い踏ん張りもここまでが精一杯と相成りました最後の触診の時、身体は脂汗でグッショリ状態。検査着を脱いだ瞬間にいつもの暗黒世界に引きずり込まれちゃいました後は、「バイタルサイン・・・・」「旦那さんを呼んで」血圧90-75」という声が途切れ途切れに聞こえて来ました。少し話せる状態に意識が戻ったので、「すみません・・・少しこのまま休んでいれば良くなると。。。」私のつぶやきは完全に無視されてしまい。。。「一応、内科の外来に至急診察を要請して・・・」「先生、先ほどの尿検査でカルシウム値に・・・・」「見せて」次に意識が戻った時は左腕に点滴。傍に主人。眼が開いた事に気づいた看護師さんが丁寧に経過を説明してくださいました。それによると、ずっとバイタル状態が悪化し続け、血圧も大幅に100を切った状態(危険数値)までに下降したとのこと。その間「暑い暑い」と脂汗が噴き出たかと思うと、今度は「寒い寒い」と全身が震えだす状態で・・・嘔吐もしたがったが、胃液が出ただけらしい。「空腹と検査のストレスで交感神経と副交感神経が暴走を始めてしまったのね。今している点滴には吐き気止めとビタミンなどの栄養剤も入っているから安心してもう暫く休んでいてね。」看護師さんの声が優しい天使のさえずりの様に聴こえました。それからの2時間退屈な点滴に耐えて~と云うかウツラウツラ状態で。たまに主人が頭を撫でてくれているのを自覚・・・結局、点滴は2時間半もかかりましたが、病院の外に出るまで主人が車椅子を押してくれ、「喉が渇いたわ」と言うと直ぐに水を買ってくれ、「今夜は夕飯作れそうにないわ」といえば、「待ってろよ」とお弁当を買って来てくれ・・・・ご免ね、甘えちゃいました。ドックの先生も看護師さんも、外来の先生も看護師さん達も皆優しく親身になってくださって、感謝しきれません特に私がブラックアウトした時には、原因や症状などの参考にするため、普段かかっている病院に問い合わせし、処置してくださったこと感謝に耐えません。このように、自律神経が一気に失調状態になることは今まで無かったので、今後は用心したいと思いますそして、何より人には今更言えない程の感謝です
2012.06.21
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義母の病室に顔を出した時に、「こんなものを頂いたんだよ」と一通の封筒を手渡して読ませてくれました。義母の手術に医師の指導の下で、気管内挿管実習をを行った救急救命士さんからの心のこもった手紙が入っていました。読み進める内に、その方の仕事に対する使命感と一刻を争う現場での緊張感や救命スキルの向上に向けての情熱がヒシヒシと伝わって来て、ジーンと熱い物が込み上げて来ました。勿論、手術を受ける本人もまた家族も、担当医が直接してくださる方が安心です。しかし、それでは、救急救命士さんの「いざ」と云う時の対処技術が確かなものになって行きません。 お手紙の中にも「患者さまの命を病院まで運ぶ者の使命として、絶対に失敗は許されません。その為にも、一回でも多くの実習を積んで行きたいのです・・・」と書かれてありました。そして、「僕がお身体に触れた時は、貴女は麻酔が完全に効いていた状態なので、僕の顔を当然覚えていらっしゃらない事は承知なのですが、貴女の手術に関わった一人の救命士として、一日も早い本復を祈っています」とも。手紙を取り出した時に、封筒の中に何かが残りました。手の平に出してみると、何と・・・・・丁寧に作られた 一羽の折鶴 この時の感激 敢えて書く必要も無いですよね 以下、ある病院のHRからの抜粋心肺停止患者の救命率を向上させるためには、その場に居合わせた人による救急手当、搬送時の救急救命処置な どの病院に行く前に処置が講じられることが必要です。そのため、いち早く現場に駆けつける救急隊員、中でも特別の教育を受け、国家資格を取得した救急救命 士の業務の向上が重要となっています。 救急救命士の業務拡大として、医師の包括的指示下による除細動の実施が平成15年4月から行われていますが、さらに、必要な講習、病院での実習により知 識・技術を習得した救急救命士が医師の指示下で行う気管挿管が平成16年7月から認められることになりました。 この気管挿管の病院実習は、全身麻酔手術を受ける患者さまを対象に同意を得て行いますが、麻酔科の専門医が常時付き添って指導に当たり、通常の麻酔科医が 行う際と同様の安全性を確保しながら実習を行います。また、前日までに麻酔科医と救急救命士が一緒に、患者さまへ麻酔方法や安全性などについてご説明しま す。 誰もが不慮の事態で急に心臓が止まり、救急隊の処置を受ける可能性があります。そのため救急救命士の能力を高めることはとても重要であり、一人でも多くの 心肺停止患者の救命率を向上させることにつながります。救急救命士による病院で気管挿管実習に関して、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
2012.06.16
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義母のお見舞いに行って来ました。養母も別の地で入院しているので、毎週末に交互への見舞いです。義母の見舞い時には、何故か・・・身体が硬直することはありません。今日は、痩せて静脈が浮き上がって痛そうな膝下をさすりながらお話しました。「気持ち良くなった」と喜んでくださいました義母が入院してから早や一か月になります。歩行のリハビリも始まっている様ですし、病院生活のリズムも出来て来たようです。この3月末で90歳になった義母ですが、とにかく明るくて話好きなので、長時間病室に居ては疲れさせてしまうと解っているのですが、ついつい時間を忘れてしまう程に話し込んでしまうんです。 同様の装着具写真 今日のしいTANN この固定器具は5kgもあり最低40日は外せません。体重が43kg位しかない義母にとってはかなりの荷重だと思います。しかし、義母は辛抱強くて愚痴一つ口にしません。人生で初めての入院がこんなにも過酷な怪我「しっかり頭部と頸骨が安定してリハビリも順調に進んで欲しいナ・・・」と、私は只々祈るのみです。
2012.05.20
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食事は一日元気に活動するための命の糧だ人を良くすると書いて「食」という。即ち、食事は人を良くし、日々の生活を活きいきと過ごす為の大切なエッセンスしかし最近めっきり食欲が低下している「わぁ、美味しそうっ!」「美味しかったぁ・・・」という感動の言葉が口から出なくなって何日にもなるせめて基礎代謝量だけは維持したい1点80Kcal 還元法で14点以上は摂取せねば!しかし、現実はせいぜい8点程度摂れれば良い方だ体重低下が止まらないしかし何を見ても食べたいと思わない梅でも酸っぱい唾液が出てこない吐き気がこみ上げてくる調理する時点でさえ食材を眼にして拒否反応が出る無理に口に入れると咽喉に詰まる胃に納まっても胃底部と腸に鈍い痛みが走る食べない事によって胃腸の活動低下が起きているためと思われる幸い、薬服用により排出に支障は無いが間隔が開くと新たな問題が発生するだろう副交感神経が活発になる 就寝4~5時間前は、何も食べない方が胃の修復が早まるのだが、私の場合は寝る前にもオリゴ糖等 あはは兎にも角にももう少し代謝を良くしなければ! 治療の副作用であること理解しているしかし、副作用を軽くするための薬はこれ以上増やしたくない食欲低下を起こした大きなファクターはもう一つあるがそれは次回に回そう一日分のエネルギー切れも徐々に早くなっているようだ朝、起きた時のストレッチ夜、20分以上の半身浴取り敢えずはこれを続けてみる少しずつでも日々を積み重ねでいくことで食欲の回復を信じて・・・
2012.04.17
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日本列島を混乱させた、今回の爆弾低気圧長野市もこれから朝方までが強風雨のピークになりそうです。私は、午後13:30から内科診察の予約が入っていたので自家用車で病院に向かい、12:30には到着しました。再来機に診察券を通してからまずは採血室へ。私は「採血困難者」として有名です。「必要最小限に採るからね」と励まされながら我慢のひととき。頑丈にテーピングをして頂いてから内科の外待合に向かいましたそれにしてもどの科を見ても、何時になく凄い混雑で(@_@)内科前に着くと「今は11時半台の人の診察中ですって・・・」などという雑談が耳に入りましたあらまぁ、私は何時になる事やら半分諦めの気持ちで少し眠ることに。(13:10頃だったかしら・・・)と突然「しいTNNさぁん」と呼ぶ大きな声で眼が覚めました。「あっ、、、、はい。。。。」と慌てて立ち上がった瞬間にまた暗黒世界の真っただ中に次に気が付いたのは更に一時間位経ってからでしょうかどうも内科の治療室の中のようでした。。。それからまた長いながぁい時間を、今度は寝ないように気を付けてひたすら待ちました。暫く経って、馴染みの看護師さんから「しいTNN、次だから準備して待っていてね」と教えて頂いたので、慎重に身体を起こしベッドから下りようとしたのですが、今度は足に力が入りません。えっやだぁ・・・でも もう、これ以上迷惑かけられないと必死で靴を履き、深呼吸をしてから、何とか立ち上がったのですが、今度は手がブルブル震えだして、バッグを掴むこともできません何とか立てた足も膝から上が貧乏揺すりの時のようにガクガク。丁度様子を確認しにいらした看護師さんに支えて頂いて診察室へ。診察の結果案の定、この洞機能不全の症状からまた薬が増えてしまいました トホホ・・・診察後は車椅子を押していただいて会計へ。薬も病院近くの行きつけ薬局の方が風雨の中を、届けてくださいました。そして、帰路は、タクシー会社に代行運転をお願いして病院まで迎えに来ていただきました。タクシーまでは、運転手さんに山程入った薬の袋とバックを持っていただき、腕を組んで歩いて行きました。「アハハ 短い距離ですが お嬢さんとデートできて光栄ですなぁ」と運転手さんの明るい声に随分と励まされました。それに・・・「おじょうさん」ですってよ嬉しいっいつも、自分で出来る事はと踏ん張っているのに、気が付いてみたら今日は、いったいどれだけの人達にお世話になった事でしょう感謝しなくては・・・・支え支えられ~~の毎日です
2012.04.03
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わたし 年々体温低下どうしてなんでしょ・・・・^^; 10年くらい前は 36.2° が平熱だったのに今は 35.4°昨日急に熱が出て、駆け込んだ病院の窓口で体温計を渡されて測ると37.4° 「ああ、微熱があるようですね。」と看護師さん違う違う!私にとっては38°以上熱があるのと一緒の状態なのにぃ~~~かかり付けの病院じゃないから・・・おねがい顔の色とか震えとか総合的に観察してくださいな。ああ、その度に説明するのもしんどいよ それが今日になったらまたもや35°代にどうやら自律神経が大暴れしてるようです・・・トホホ
2012.03.25
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「さくら証書」 これは八神純子さんが、子供の成長を見守る母の気持を歌ったバラードでNHK「ラジオ深夜便」で“深夜便のうた”として1月~3月分に起用されている曲です。私も娘たちに対してずっと『天使だった貴女たちが父さんと母さんを選んで、私たちの子供になって来てくれたのよ』とのメッセージを伝え続けて来ました。成長して「生と死」「生きがい」等について深く考えるようになった時にも、「自分自身が両親を選んで生れて来たのだから」という娘たちの基本的思考が揺らぐことはありませんでした。初めてこの曲を聴いた時、私はイベント性鬱による虚脱状態でただ床に横になっているだけの状態でした。眼は虚ろで会話にも参加せず主人のダジャレにも無反応だったようです。食欲も皆無でトイレさえ行く気力も無い程で周囲を心配させました。しかし、毎日この曲を聴きながら、少しずつ顏の血色も良くなって行ったようです。私の内世界も虚無状態から次第に色や情景が浮かんで来るようになりました。しかも、その時々で交わした会話や着ていた物など、より具体的な映像となって頭に浮かぶようになって来たのです。空しさだけが存在する世界から私を脱出させてくれた曲。聴けば聴くほど、深い歌詞の世界とメッセージに心打たれます。しかし、今・・・この曲に心が依存しつつあった私に、Dr.が帰り際に掛けてくださった言葉が何度もリピートしています。「しいたんはいま繭に包まれているから安全なんだよ。繭から外へ出て行くにはしいたん自身の大きな決断と力が必要だからね。いまはその力を十分に蓄えなさい。」相変わらず、例え上手の先生。私がそれを理解出来るまでに思考回路が快復して来ていると・・・? さくら証書 さくら証書(一部) 作詞:八神純子・大江千里 作曲:八神純子・大江千里生まれてくる時子供たちは皆父と母を選ぶのだと いつか教えられたそれが本当ならわたしたちのこと選んで生まれてきてくれた事に“ありがとう。”桜並木の下からあなたはわたしに手を振り短すぎる制服の袖を笑うそんな微笑を 見失わないように生きてあなたがあなたで居るために戦う事もあるでしょう卒業式まであと残り5分おじいちゃんと記念写真どこか似てる二人体育館へのスミレの坂道夢中でボール追いかけた その背中はもうないそんな小さな奇跡の連続こそが幸せと過ぎ去った今になってわかる時に母として 時にはひとりの友として傷つける言葉を 投げつけた事もあるあなたがいつしか 父親になってゆく時にすべて愛だったと わかる日がやがて来る卒業証書を手にしたあなたに桜の花びらが舞ってわたしの春になった
2012.03.22
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友人の紹介で全身のリンパマッサージを施術していただいた施術台の上に全てを投げ出して横たわるゆっくりと深呼吸を続けていると柑橘系の香りが体内に満ちて来る乳酸が滞っている場所は固くなっていて痛いしかし、もみ解されるにつれて 段々といた気持ち良くなっていく魔法の手は足の裏から上方へと少しずつ移動して行くひざ裏、Vライン付け根、脇下、鎖骨部分等から乳酸(老廃物)が排出される温かい真綿にでもくるまれているように冷え性の身体もポカポカとして来るここには何の心配も不安も悩みも無い時間の経過とともに心も体も癒されていく 施術終了の合図とともに身体を起こす心なしか軽く動けるようだ悩みの手を恐るおそる確認してみるえええええっこんなことが(@_@)発赤はあるものの浮腫みの形跡はまったくないそのためみか指も少しは曲げられる関節の痛さだけ我慢すれば物も握られるだろう「取りあえずの応急処理だと思ってくださいね。元々の原因を取り除かない限りはね。」帰宅する時には久し振りに心も軽かったまるで、友人を通して神様からの素敵なプレゼントだ
2012.03.15
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巷では、いまパワーストーンが人気ですね。その中でも人気の高いクリスタル 4月の誕生石としても有名なクリスタル(水晶)は、浄化作用、魔除けなどの効果があるとされ、他の石の浄化やストーンヒーリング、宗教的儀式などに多く利用されています。また、心身のバランスを整え、緊張感やストレスを取り除き、潜在 能力、想像力、洞察力、霊性などの向上などを与えてくれるオールマイティーな石で、他の石と組み合わせればその石の力をより引き出してくれると言われます。一般に透明度が低い石や色が付いている石を石英(クォーツ)と呼び、透明度のあるものを水晶(クリスタル)と呼んでいます。 その残響が骨の芯まで響く感じで、音を聞いているというよりも音を身体で感じる。母親の胎内にいるような… とても深いリラクゼーションを全身で感じることのできる“奇跡の楽器” サウンドヒーリング クリスタルボールクリスタルボウルの効果について、あるサイトには次のような説明書きが 「クリスタルボールや音叉をはじめとする振動性音響は、即座に私たちを深いリラックス状態へと導き、ストレスを減少させ、 血流を増大させ、免疫反応を高め、からだと心の統合を促し、より高次の意識へと超越させてくれる力を持っています。 ちょうどピアノを調律するように、私たちの身体もバランスのとれた状態に調律することができるのです。振動性の音響を奏でたり聴いたりすることで私たちの身体のバイオケミストリー(生理化学)をすばやく変換し、神経組織や筋肉の正常な緊張や諸器官などに調和的なバランスをもたらします。するとたちまちの内に私たちのからだやマインドは安らか深いリラックス状態に陥り、心身の一体感を感じ、内在する「ハイヤーセルフ」とのバランスのとれた関係を創り出してくれるのです。」 ≪参照≫ クリスタルボウルとは http://crystalian.com/Text_2.html 音とは、音による癒しとは http://crystalian.com/Text_1.html クリスタルボウル・ヒーリングとは http://crystalian.com/Text_3.html クリスタルボウルの演奏の様子 心地よい残響音が私の身体の奥深くまで伝播するのを 驚きをもって体験しました。 そして、 穏やかな温かい陽射しがいつの間にか心身を癒すかのように 何かに包み込まれている様な 安らぎ感に満たされている私自身を感じます。 手に入るものなら自分でも奏してみたくなりました YouTube「クリスタルボウルの響き」で検索した結果YouTube「クリスタルボウルヒーリング」で検索した結果 献呈私の心身及び、睡眠改善の為にクリスタルボウルなる物を教えてくださったぬこ 清十郎さんに感謝を込めて にほんブログ村 主婦日記ブログにほんブログ村 心と体
2012.02.21
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何種類の検査をしましたが、その中でも一番時間を要し、ある種の覚悟を抱いて臨んだ日。まず、朝の洗顔時に鏡を見ながら「今日一日係わってくださる皆さんありがとう。私は私の事が大好きだからね!大丈夫だよ。何の心配も無いよ。」と呟きました。うん、よしっと!後ろを振り向くと柱に寄りかかって主人がニヤニヤ・・・なにか 言われるかな・・・と思ったのですが、ずぅっとニヤニヤ・・・ 気持ちわるぅぅぅぅぅ~(ー_ー)!! 検査着に着替えている内に、ストレッチャーが運ばれて来ました。それからの時間の流れの速いことったら(@_@;)予想通り、喉の痛さで麻酔から完全に覚醒しました。でも今回は咽喉出血が無かった分、呼吸が直ぐに楽になりました。 雑誌を読んでいた主人に「ベッドに移された時にさ、意識ない筈なのに『ありがとうございました』って言っていたよ。まあ、いつもだから今更驚かないけれどさ(^O^)」とニヤニヤからかわれて、恥ずかしいッたらありゃしない・・・で、フと思い出して左手を見ると、とっても綺麗ざんねぇ~ん それからの24時間は、頭を少しでも上げると薬が脳に回ってしまって大変な事になるからと脅かされ、人生で2回目のベッドにベッタリ状態。横向きで食べたり水分を摂るのは、脊椎の手術の時に経験しているから直ぐに勘を取り戻せたけれど、ベッドの上で用足しをするのだけはどうしても慣れる事なんて無理むりぃトホホ・・・後刻、主治医が回診にいらしたのですが、何やらニコニコ・・・「しいたん、昨日は頑張ったね」 イイエ センセイガタノオカゲデス「悪戯をしていた親分がはっきりしたからね」 ヨカッタァ カクリツ50%ダッテ・・・「簡単に好転はしないだろうけど、気長にね。。。」 ハイッ モチロン「先生やっぱり副腎皮質ですか?」 ユウキヲダシテ キカナクチャ「うんやっぱりだねぇ。 しいたんの場合は手術で取り出せないからね。」「あ・・・の・・・」「ん?」「悪性もあり得るんですか?」 イチバン コワカッタコト ジブンデ キケタッ「生研に出してあるからね。だけど、私が診た感じでは放射線するとしても最小限で良いだろうし、今はホルモン系によく効く薬があるからね。」「副作用また強いですか?」 フクサヨウガ タイヘンナノニ・・・「それはねぇ~、身体と相談しながら薬出すんだし、今から心配しなくて良いよ。アハハそれはそうと、しいたんのお蔭で検査室は大爆笑だったよ。自分で考えたのあれっ アハハ」 「あっ、アレですかぁぁ~ 友達からのアドバイスでェ・・・」「アハハ そうだったの 消毒中に看護師が見つけてさぁ、、、アハハ」 そうわたし検査の前に マジックペンで左側の手の平に約束どおり思いっきり目立つように書いたの友達の得意な決め文句を真似して ふんばれっ わたし! って・・・ にほんブログ村 健康ブログにほんブログ村 心と体
2012.02.13
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「・・・うぅん・・・・」えっ なに?暫くの間、体重計をじっと見つめていた先生。「しいたん、ちゃんと3食摂れているのかな?」「あっ、はい・・・相変わらず食欲は余り無いんですが、お薬を飲むために食べているようなものですけど食べています。」 ???何故に聞くのかな・・・「まだダイエット続けているの?」「いいえ。もう目標を達成できたので今はしていません。ただ、リバウンドしないように、とだけ気を付けてますけど。」「そうかぁ・・・減量したのは健康のためにも良かったんだろうが・・・あっ、もう良いよ。椅子に座って~」>>>>>>>>>>>>?何故かザワザワして来る胸の内「いや、ちょっと血液検査で気になる点があってね・・・」ゲゲッ ・・・ 先生ったらぁ痩せれば数値も良くなるって!「嫌、心配は必要ないんですよ しんぱいは・・・」じゃあ 何なのぉ? 早く言ってよぉ~「心配は・・・無いんだが~もうこれ以上は痩せないようにしなさいよ。先月よりもまた痩せたよ・・・ね?痩せたことに心当たりは?」「いいえ、ここのところずっと炬燵虫状態でしたし、たまにウォーキングをする以外は運動も特には---」「ストレスになる様なことは無いんだね?」「はい。今はストレスは余り感じていないんですが・・・」 「そうかぁ。じゃあ、念のために検査予定入れとくから。何時がイイかな?」はあ? なんで又検査するの?それが一番のストレスなんですけどぉ~~!「まあ検査結果が出てから考えるか・・・」先生ったら、独り言?検査目的を早く説明してぇ~~「兎に角、しいたん、これからスーパーモデル体型になりたいなら別だけど普通に健康な身体で良いんなら、標準体重に近づくように体重を増やして行くように心がけなさいよ。」ここ一年間、ずぅっ~と頭の中は摂取カロリーコントロール&ダイエット体操&体力増強だったのに、そんなに急にスイッチを切り替えることなんて無理ぃぃぃぃぃつぅの! ・・・・・後 略・・・・・・・ と云うことで、ともすると沈みがちになる気持ちをポジティブシンキングで!と奮い立たせて帰宅した今日の私です。 トホ ふんばれ わたしぃ (だれかさんのマネッコ) 理想体重とプロポーションの自動計算 ≪お役立ちサイトです≫ ご自身の身長を半角英数字で入力するだけで、 目指す理想体重と各サイズが表示されます。にほんブログ村 主婦日記ブログにほんブログ村 健康ブログ
2012.02.03
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『連休最後の明日は近くの温泉にでも行ってのんびりして来ようね』そう約束したのに、またのドタキャンだ自称リタイアの女王やっと起きて来たのに何もする気が出ない何も食べたくない洗濯物を干してくれているのをぼんやり眺めながらいつの間にか 睡魔が襲ってくるどうやら朝には特に落ち込んで夕方から夜には心身状態が改善する“イベント性うつ”の症状がまた顔を出して来たようだ泊りがけのお出掛けがトリガーとなったのか・・・?次に目覚めたのは、アイロンがけの音「あっ、ありがとう・・・」『いいさぁ ゆっくり休んでいなよ』その言葉に天邪鬼の身体が反応してしまった胃がキリキリ痛む治りかけの食道にも刺激が元凶の副腎が烈火のように熱い連動して胆のうも騒ぎ出した今は心臓まで猛烈な勢いでポンプ運動を始めている夕飯の支度を始めた彼を出ない声で必死に呼ぶ身体の悲鳴を伝えなくては!頓服 とんぷくを お ね が いそのまま鬱らの世界の住人になる何度か 頭に温かな手が触れたやさしく子供の頭を撫でいるかの如くわたしは子どもと一緒なのか役に立たない人間かいつも支えらているだけただここに居るだけ否、居てる価値もないのか“自分の存在価値とは何か”生意気に論じていたあの頃の私に今の姿を見せたらどんな反応をする?でもこの心の悲鳴だけは伝えてはいけない!心身を苛んで行くこの呟きだけは・・・にほんブログ村 心と体にほんブログ村 主婦日記ブログ
2012.01.09
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「おいおい・・・ナベ猫じゃあ無いんだからさ、そんなに丸くなって寝てないで起きておいでよ」と、無理やり主人に手を引かれリビングに行くともう朝飯の用意が「食欲なくても少しだけは食べてくれよぉ」「はい・・・」そうして、急かされるように支度をしまた、手を引かれて車の中へそして 連れて行かれた先が主人のかかり付けの病院でした。 レントゲン検査と採血の結果、お尻に痛い注射をブスリ そして 点滴を・・・年末~年始に自宅に帰省できる様になるためには今日以降、毎日の点滴と薬の服用が欠かせないそうです私、前回のブログの様にただ嘆いていても風邪は治らないから精一杯の気力で治します。「たかが風邪でオオゲサな」と思われますでしょうねしかし、私のように副腎ホルモンも下垂体ホルモンも不足している人はちょっとした症状でも治り難く、また抵抗力低下で重症化しやすいそうな・・・。「なっ?今日行って良かっただろ?これで暮れには元気あり過ぎに戻ってるね」待合室の隣の席でホッとしたようにつぶやいた主人に今日も感謝するのみの私です。にほんブログ村 健康ブログ
2011.12.21
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遂に、ついにブログを始めた時に自分に課した課題をリタイアしてしまいました・・・余程のことが無い限り一行でも良いから毎日更新して行こうとそれが、たったの数カ月でリタイアとは情けない自分の不甲斐無さに・・・今朝は週に一回だけの主治医の外来診察日貴重な機会だから 何が何でも出かけて診察受けようと予約は満杯で取れなかったから何時間でも待つ覚悟で昨夜決意して床に入ったのに行けなかった ・・・言い訳はしません。行けなかった事は厳然たる事実だからだから優しい方々の慰めや励ましは今日は不要です。馬鹿な自分を責めながら身体を休めるだけです・・・・ 玄関内の「幸運のふくろうリース」 風邪菌だけは歓迎じゃぁ無かったわ
2011.12.20
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実は先日来、体の変調を感じてはいたのですでもお医者さんには行きたくなぁい~~~っマスクをしたり、風邪薬を飲んでみたり、トローチを舐めてみたり。。。自分なりの努力はして来たつもりなんです。 ところが今朝は久しぶりに激しい動悸で目が覚めちゃいました。すぐに頓服を服用しましたが・・・電気敷き毛布を最高値にセットしても身体の震えが止まらない歯もガヂガチ言うほど・・・鼻が詰まって息ができないそして一番辛いのが唾を飲み込むのも一苦労する程の咽喉痛喉を指で押さえながら唾や飲み物を飲んでいる・・・・といった状態ですですから午前中はお布団から出るのを禁止されて寝室に監禁状態午後になってようやく許されて、ソロリソロリとリビングへと這い出て来ました。しかしながら身体の周りには、保温ジャケットやら毛布やらで強制的にグルグル巻きにされまるで 蓑虫みたい・・ ・ ・ ・まあ「一日しっかり休みなさい!」というメッセージですかね・・・今は、主人がキッチンに籠っている間にこっそりブログ更新中なのあと数時間寝たら大分楽になると思うのだけれど・・・にほんブログ村 健康ブログ
2011.12.17
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お互いの所在や近況を伝え合う手段として携帯電話等のIT機器を持参しているのが当たり前となった現在。ホントに、携帯が無かった頃のことが想像もつかない程になりましたね。昨日、目まいが酷くて早退して来た主人が今朝病院に出掛けたのですが、未だに何の連絡も無いのです・・・もちろん、携帯の電源は切ってあるので、私は連絡が入るのを待つのみなんです。まさか、5月の時と同じように入院になるなんて事はないわよね・・・でも、昨日は眼振が凄かったし・・・思考回路が悪い方へとばかりに回ってしまってどうしてこういう時って負のスパイラルに嵌まってしまうのかしら。気晴らしに玄関等の模様替えを始めてみたものの、気乗りが全くしないし。ああ、もうすぐ18:30早く連絡来ないかしら… ハァッ知らずしらずの内に心配やらストレスを与えちゃっているのかしら・・・私。暫し自己反省もしつつ。。。。 あっ、主人の足音だぁ点滴を2本打って、山の様な薬のお土産をぶら下げて帰って来ましたぁ 「悪いわりぃ連絡取っている間に帰れるとおもってさ・・・」だって。心配して待っていただけに、顏を見るやホッとするやら、何やら腹も立って来たりやら。。。女心の機微をもう少し理解して欲しいわね 玄関の内側ドアに取りつけた金のリーフベル
2011.12.13
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27日のお昼過ぎ、長野に戻る前に病院へ顔を出した時、母は昨日と違って何やらニコニコしていました。「何かイイことがあったの?」『昨夜さあんざ考えたんだけど、やっと決心がついたのよぉ~』まるで悟りを開いたような顔・・・『本当なら54歳の時に無くしていた命を助けてもらって、27年も長く生きる事が出来たしね。そのお蔭で曾孫まで抱くことが出来た。御爺さんと一緒に日本や世界をあちこち旅行することも出来たし、もう何も思い残すことは無いから、いつお迎えが来ても良いと心の準備ができたわさ。だからもう手術はしたくないんだよ。またこういう症状になったら病院へ入って治療すれば暫くの間は大丈夫なんずら?もし私が先に逝くことになったら爺様が寂しくなって可哀想だから、直ぐに迎えに来てやるから・・・』と言いながら段々と涙声になっていく母。私は主人に掴まって身体を支えるのが精いっぱいになってしまいました。奇しくも母が述べたように、この27年間は、母にとっては病気や怪我との闘いの連続で、その闘病の姿で生きる力の強さを私たち家族にも示し教えてくれました。最初に胃癌が判明した当時はインフォームド・コンセプトという概念も皆無で、家族会議の結果、本人の精神力や体力などを考慮して告知せず胃潰瘍というにして手術を受けました。胃と脾臓の全摘、そして肝臓の一部切除、胆のう半分摘出・・・その後の抗がん剤、放射線治療等、それはそれは壮絶な闘病生活でした。その後も 腸捻転による入院 子宮と卵巣がんによる全摘手術 大腸のS状結腸がんの手術 転倒による大腿骨骨折で手術 毎年一年に1~2回腸閉塞で入院そして、今年は2月と8月に続いて3回目の腸閉塞で入院~大腸検査は、下行結腸までは何とかカメラを通す事が可能ですが、その先の横行結腸等は横隔膜や小腸などと癒着してしまっているため検査することも不可能なんです。レントゲン写真を見せて頂きましたが、至る場所で癒着と閉塞が発生していて、実際に母のお腹の中がとうなっているのか想像もつきません・・・「これではどんなに気をつけても、詰る時には詰ってしまう。ということでしょう」と説明してくださる先生の言葉も心が否定し拒否したがるけれど。しっかりと現実を受け止めなくては!そうしなければ私も母と一緒に病気と闘えないから!長野へと向かう車の中で、父が発した一言を思い出しました。『いつもはさぁ、ワシが行くと文句ばっかり言ってたくせに、今回に限っては、顔出すと嬉しそうにニコニコして、なぁ~んにも文句を言わないんだよ。ワシャあ、頭までおかしくなったんかと心配でさぁ。なんか観音菩薩みたいに見えて来たよ。』 毎日草取りしているので雑草の無い南庭 母の希望で設置した石灯篭大きく育った2本の金木犀が良い香りを
2011.11.29
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先程まで今日は日記を更新しようか迷っていました。 私の心臓は悲鳴をあげ続けていた血吹雪さえ巻き上がる程に身体は私以外のものの支配を受けて悶えていたカナ切り声を出せるものなら、そうしていただろうそれで呪縛から解き放たれるのなら本来なら今頃は幸せの余韻に浸っている筈なのに楽しくて満ち足りた一日を送れた筈なのだからどんな団欒が満喫できるのか・・・とあんなに待ち望んでいたこの日台無しにしたのはわたし誰のせいにしてもいけない私を極限状態まで追い込んだものが例え何であったとしても責任転嫁しても何の慰めも得られない結局は全ての責任を私が負うべきなのだなのに、娘から労りの電話何もきかずに優しく気遣いまでして今日の全てを許してくれた耐えていたものが誰にも本当の理由を言えず苦しみの闇に深くふかくと暗闇の淵へと沈んで行く心の叫びが何が遠因なのか何が直接のきっかけになったのかを本当の事を知って欲しいそう叫び続けていた声が聞こえたのだろうかそんなつもりは無かったのに全ての責任を背負う覚悟がやっとできたのに娘への愛で幸せを祈る気持ち溢れんばかりの私の全身全霊の無償の愛をダム湖が決壊してしまったもう止められないにほんブログ村 今日書いた詩
2011.11.19
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嫌になる程たくさんの点滴を打たれ、日々少しずつ頭痛と吐き気は治まって行きました。「明日は退院って言ってくださるかしら・・・」と期待しつつ毎日、回診を待っていましたが・・・結局、何週間もの間お世話になってしまいました。その間、主人は毎朝毎晩、病室を訪ねてくれて、私の大きな慰めとなりました。 入院中、何人ものドクターから色々な説明をお聞きしましたが、薬の副作用のせいもあり、常に頭がボーッと状態の私は、結局退院してからネット等で情報を集めることになりました。それでも、先生方のお言葉の中で特に印象に残ったキーワードが幾つかあります。『血管がスルメを裂いた時の様な状態』『自己治癒と血管自体の修復力を祈るしかない』『どんな場面に遭遇しても、決して力んではいけない』『辛い経験だが、出血が脳内に無かったのは幸運』(by脳外科部長)何の慰めにもならないアドバイスばかりに思えましたが、それでも日毎に薄皮を一枚づつ剥がすように頭痛は遠のいて行きました。今後の定期検査による「血管修復状態確認」の必要性を説明され、こうして、たっくさんの薬のお土産を頂いて退院した時、MRI検査で偶然に見つかった下垂体腫瘍の存在が後々、「特定疾患認定の病気」の大きなファクターになるとは、その時は夢にも思っていませんでした・・・ 私に告げられた病名は『左椎骨動脈解離』よく間違えられ易い、動脈瘤解離ではありません!先生によれば『スルメを割いた時の様な状態』に血管が外向きに裂けて(解離)しまった、と言う訳です。普通は内側の血管が裂ける事が多いようです・・・ 椎骨動脈と脳卒中について脳へ送られる血液は、内頸動脈と椎骨動脈の2対の大きな血管を通って運ばれます。内頸動脈は心臓から出る血液を首の前側に沿って運び、一方椎骨動脈は首の後側に沿って脳へ運んでいます。頭蓋内で左右の椎骨動脈は合流して、後頭部で脳底動脈となります。内頸動脈と脳底動脈は、大脳動脈を含む数本の動脈に枝分かれし、それらの動脈の枝が他の動脈の輪(ウィリス動脈輪)に合流して、椎骨動脈と内頸動脈が接続されます。他にも小さな動脈が、ちょうど幹線道路から分岐する道路のように、ウィリス動脈輪から枝分かれして脳のあらゆる部分へ血液を運んでいます。http://merckmanual.jp/mmhe2j/print/sec06/ch086/ch086a.html 参照:大動脈解離についてhttp://merckmanual.jp/mmhe2j/sec03/ch035/ch035c.html にほんブログ村 健康ブログ
2011.11.12
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今から3年前の11月中旬に私は貴重な体験をしました。今日は、皆さんへの警告も含めて、その時の経験談を!私は当時、医者から処方して頂いた薬を3食服用する程の便秘症でした。その日は、とても寒い朝でした。いつもと同じように食後、トイレに行きました。3分以上力んではいけない事は重々承知でしたが既に5日程、出ていなかったので、お腹は張るし、気分がすっきりしないので、いつも以上にしっかり頑張ってしまいました・・・・でも、全然気配もありません。その時、頭の後方、首の少し上部にピキッと痛みを感じました。えっ? 今のは?暫くの間、息を詰めてじっとしていました。しかし、それ以上何ともありません。そこで、もう一度力んでみました。すると、今度は左前頭部がガンガンして来ました。その内に、後頭部も前頭部も含めて頭全体が、鳴り響く鐘の中にいるような感覚に襲われて来ました。自分を失わないうちに・・・と慌ててトイレから出て、寝床まで這って行きました。休んでいればこの頭痛は遠のくだろうと思ってそのまま横になっていました。そのまま、眠ってしまったらしく、主人が帰宅するまで一回も目が開きませんでした。『おいおい、大丈夫か?』と心配する主人に「頭がなんか痛いんだけど、いつもの頓服飲めば大丈夫よ」と混合頭痛用の薬を飲ませてもらい又眠ってしまいました。 翌朝、起きてみると、頭痛は遠のいていましたが、頭全体がボーッとしていて、下を向くと吐き気が込み上げて来ます。南信の県境へと出張する主人を何とか送り出した後、「それでも先生に診てもらった方が安心だわ・・・」と自家用車で病院へ。ところが脳神経外科の待合室で待っている内に、頭痛がぶり返して来て、しかも昨日とは比べものにならない程の格段の痛さ!普段から頭痛持ちの私でも経験したことの無い痛さと込み上げてくる吐き気。もう我慢できずに長椅子で横になっていると、他の患者さんが看護師さんを呼んで来てくださり(感謝)、急遽MRI検査室へ車椅子で運ばれました(しかも造影剤使用)。その後、診察室内のベッドで結果待ちし、呼ばれて診察室に入ると、先生は一目私を確認した後は、ひたすら検査画像と睨めっこ・・・余りの長い沈黙に、段々と不安に陥って行く私に、先生は『自分で運転して来たって?良く事故を起こさなかったよ!頭痛かったんだろ?』「は・・・い」『そういう時の為に救急車ってものがあるんだよ。貴女がした事は自殺行為だよ』でも、あの時は、運転して行けると・・・『あのね、このまま暫く入院してもらうからね。御家の人には連絡つく?』「あのう、今日に限って遠くへ出張なんですが。入院せずに毎日通院ではだめですか?」『あのね貴女、下手したら命に拘わったんだよ』「私はいつもの頭痛かもと・・・」そんなことを先生と話している間に看護師さんが、空き予定ベットの確認をしてくださっており、その口調からも緊迫感が伝わってきました。『部屋が直ぐに空くから、このまま入院しなさい。入院に必要な物の準備は追々で良いからね。どうせ食事は出来ないし・・・』そして看護師さんに『兎に角、ご主人に早く連絡をつけなさい。!』そんなに急がせる程の重症なの・・・?主人は出張先から超特急並みの速さで戻って来てくれました。先生から一通りの説明を受けた主人は、『悪かったね、俺もそんな大事だとは思わなったからさぁ...』と一言。「病名は何なの?」『少し、落ち着いたら先生が説明してくださるってさ』と言いながら、患者用パジャマを手渡してくれました。病名など、ここから後は明日にします。にほんブログ村 健康ブログ
2011.11.11
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ただいま 何日も留守にしていた訳では無いのに、家に帰った瞬間、ホッと力が抜けちゃいました最近、起床時の嘔吐と、食欲減退を確かに自覚をしてはいたのですが、まさか、主治医から『しっかりと点滴受けてから帰ってもらいますよ!』と一番苦手な事を強制されるとは・・・月一の定期診察に行ったつもりだけだったのに。昨日は、他科の診察日だったのですが、私の意に反し、病室から車椅子での往復。有無を言わせぬ対処に心は益々・・・ でも、お昼前に退院して帰りがけに通った東急百貨店前。綺麗に飾られたクリスマスツリーに感激ひとしおの私を見て主人が路肩に車を停めて写真を撮ってくれました。先生からは『兎に角、ストレスはいけません!お孫さんの世話も嬉しい事であってもストレスになる得るんです。当分、家事も最小限にして寝たり起きたり気ままに過ごしなさい』とくれぐれも指導を受けてしまったので、ブログも負担に感じない程度に更新しますね。それにしても、ライトアップされたツリー見たいなぁ・・・・にほんブログ村 健康ブログ
2011.11.10
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今朝は絶食まず9時からの予約で一つ目の病院 ~~次の病院へ10:15までに行かなくてはならない旨を伝えてあったので、真っ先に検査と診察をしてくださいました。(感謝)過日のブログにも書いたとおり、私は最強の採血困難者なので時間掛かることを心配しましたが、お馴染みの一番上手な検査技師さんが担当してくださってホント助かりました。大病院なので会計も時間掛かるかな・・・とハラハラでも、身障者会計は別なので、3分程で済ませる事ができ、一安心もう一か所の総合病院へレッツゴウという感じで向かいました。主人の救急車よりも速い運転のお蔭で10時には到着できました(ホッ) こちらでの用件は、年一回毎の全身麻酔による検査。10:15に点滴開始。しかし、こちらには私の血管に精通した看護師さんがいらっしゃらないので、予想通り、一番細い針でも何回もの刺し直し。その度に増えるガーゼ。検査室へは11:15に入室。『よぉし、今年こそは眠ってしまう迄の時間の新記録を作ろうっと』と意識を集中させて時計と睨めっこ。『やったぁ今日は麻酔の威力に勝てたわ・・・』と思いながら、時計を見たら・・・・なんと、11:50でした。11:18迄は確かに覚えていますが・・・。その間の約30分は私の人生の記憶から消えてしまいました。残ったのは、喉の痛さと、全身の脱力感それからストレッチャーで運ばれ、麻酔が完全に切れるまでの一時間はウツラウツラ状態。zzz例年はストレッチャーに移される記憶も無いのに、今年はそれが分かっただけでも新記録達成・・・カナしかし、いつもは、麻酔が切れてから先生の説明をお聞きするのが、今日は私の眠っている間に主人が聞いてしまって。何を聞いたのよぉ? まだ、話してくれません・・・日が変わり13日になりました・・・まだ喉の痛みが取れません。いつもそうなのですが、人一倍狭くて、麻酔が効いていても、どうしても喉が傷ついてしまうんです。たぶん病院で一番細いカメラ使用かも知れませんが、隅々までしっかり観察するには、やはりある程度の太さのあるカメラでないとダメらしいですね。ということで、アバター友達の部屋の音楽を聴かせて頂きながらの日記のアップでした。皆様、お休みなさいね。皆様にとって佳き日になりますように
2011.10.12
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あの日から今日ではや1年も経つんですね独り孤独と闘いながら主人の帰宅をひたすら待ち続けた時間。 どの位時間が経ったか自分では判らない時に「おいっおいっ」・・・「しっかりしろよ」・・・「今救急車を呼んだからね」・・・トギレトギレに聞えて来る主人の声話す気力も手足を動かす力も無くなって更に意識レベルも低下していく中急に耳元ではっきりした野太い声が!『独りで心細かったでしょう!もう大丈夫ですからね!安心していいからね!』顔も見ていないですが、この救急隊員の方の声だけは一生忘れることは無いと思います。 その日は、前日からの下腹痛がまだ治らなくて辛い気分でした。しかし、トイレに行ってみても何の異常もありません。午後の4時半頃でしょうか。あまりの痛さに、今からならまだ医者も間に合うと思い、取りあえず風呂場で軽くシャワーを浴びる事にしました。まあ 婦人科へ行くので、下半身だけでもさっぱりさせようと思った訳ですが・・・ところが、シャワーのお湯を当てた瞬間に、激痛と共に何か風船みたいなかたまりが流れ出ました。それが風呂場の床に落ちたと同時に袋みたいな物の中からどす黒い液体が!それを眼にした途端に貧血がおき、また流れ出た物に足が滑って仰向けに倒れたようです。(腕や背中等に残った青あざを後日確認して判りました)気が付いたとき、何でひっくり返っているのか、また、どの位の時間が経ったのかまったく理解できませんでした。そうだっ携帯!主人に電話しなくちゃしかし、転ぶ時にどこかにぶつけたらしく腕も足も動かせません・・・まあ、でも主人は早い時には5時半頃には帰宅するから、それまでの我慢よ・・・一時間位ならこのまま我慢できるわ・・・と思いながらもツウラツウラしていきました。次にハッと目が覚めたのは、毎日、午後6時に防災無線から流れる音楽でした。えっ、もう6時なの? まだ帰宅しないんだぁ・・・と思いつつ、又又夢うつつ状態に・・・たまに気が付いて回りを見渡すと外はもう真っ暗な様子。・・・という事は、もしかして主人は今日に限って飲み会なの?自分で立ち上がってみようと何回かチャレンジしてみましたが、足は滑るし体中があちこち痛いし・・・独特の血の匂いに吐き気が込み上げてくるし・・・主人は結局8時少し過ぎに帰宅して、私の状況を確認するや酔いもすっ飛んでタオルケットを掛けてくれたり、救急車の手配をしたり!後で聞いたのですが、救急車は携帯のGPSを頼りに来たので、場所等の説明は一切しなくて良かったみたいです。車内で隊員さんの「血圧50・・・出血1.??トル」とかの声が聞こえました。まさに危機一髪の救出だったみたいです。翌日、病院のベッドの隅にちょこんと腰かけて「いやさぁ、4時間近くも独りにさせちゃってご免なァ。誘われてメールした時に返事が来ないから、なんか嫌な予感したんだけどさァ」と謝る主人に、それでもずっと傍に居てくれて只々感謝するのみでした。 以後、携帯はいつも首から下げるようにしていますし、私の入浴時間がちょっとでも長くなると「おい、寝てるなよ」と言いながら必ず様子を見に来てくれる(イヤイヤ覗きに来る)主人です。にほんブログ村 健康ブログ
2011.09.06
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月1回の定例の診察日。てっきり採血が無いと思って気持ちも軽く、指定された15時30分より気持ちだけ早く受診科受付に行くと「最近何回か採血してないですよね・・・悪いけどこれからして来てくださいね。」ゲッ さいけつ?→採血! 採血するの?採血をすると結果が出るまでに更に1時間以上は待たされる。それより何より今日は上手な人この時間にいるのかしら・・・ そう、私はこんなに大きな病院の被採血者の中でも指折りの採血困難者なんです。 以前、こんな事がありました基本的には整理番号順に呼ばれるので、その日は若い看護師が私の担当になりました。さあ、そこからが彼女のキャリアにとって成功と失敗との闘いの始まりです。腕を叩いてみたり、摩ってみたり、手を握ったり開いたりさせ。。。。。。諦めて反対側の腕も同様に精一杯の努力!首を傾げながら、「さっきの腕の方がまだ出やすいかも知れませんね...」と、半ば自分に言い聞かせながらの再挑戦。それを見ていた同僚が熱いタオルを持って来てくれて・・・2~3分置いた後ここだ っと思った所があったらしく、「ちょっとチクっとしますよ」と言いながら針を!案の定、一滴の血液も吸い出されません。しかも、皮下で血管を探された私は、もう気分ですっ「ごめんねえっっもう一回だけ我慢してね」と言いながら3回とも失敗。「もう一度やってみてダメだったら上手な人に替わるから・・・」「なら、今すぐに替わってくださいな」と言いたいのをグッと飲み込んで、もう、根気比べです。採血が済んだ時、ゆうに30分以上は経っていました。その次からは、上手な人の名前を教えて頂いておいて、指名をするようにしていますが、その人でも私の体調で血管が触れない時があり、その場合は『赤外線』の可視光線を使用する事もあります。 これは赤外線と可視光によって静脈を瞬時にスキャンし、 見えにくい血管(静脈)を可視化するそうです。 赤い光線の中に見えるのが静脈です。 血管が見えにくい人や小さなお子さん等に使用しています。 この最先端機器を使っても、私の静脈ははっきりとは判別 できないようです... 今回は、採血室の受付嬢に、「ご免ね しいTNN。いつもの人が夏休みを取っているから、2番目に上手な人にお願いするね」と言われてしまいました。また、時間が遅くなるのが嫌だから、採血の看護師さんのプライドを傷つけることになってもイイや。と思い、「すみません、私、最強に遣り甲斐のある採血困難者なんで・・・」と言いながら恐るおそる椅子に座り、「右腕のこの辺りにしか触れる場所無いと思います・・・」と自ら申告しました。「うーーーん、なるほど わかりました。」その看護師さんは気持ち良く応じてくれ、まずは一安心。さて、次の段階へ。暫くの間だまって触れていましたが、納得したかのように、「貴女の血管は、深い所に潜り込んでいて、しかも極めて細いですね。そして、いつも同じ所ばかり苛められているから、逃げ回る。これは、厄介な血管ですなぁ。」と説明してくれました。そん事は私は百も承知なの! 問題は1回でヒットするかどうかよ・・・ところが、「ちょっとチクッとしますよ」と恒例の言葉が聞こえたので、そのポイントに眼を向けるともう血液が採血容器の中にどんどん流れ込んでいるではありませんか! ・・・・・・「あぁ採れましよ」と「あぁ良かったぁ」と双方から同時に声が発せられました。「今日は一番浅い所に針を刺しましたからね、いつもより気持ち長めに圧迫していてくださいよ」この看護師さん、やるじゃない これで、今日の最大の難関は突破よ。私の観察が確かならば、上手な人達は皆、腕に対して針の角度がかなり鋭角のようですね。だから、肌に刺さる時も痛さを余り感じなくて済むという訳ですね。 うんうん納得 これで一仕事終わった感じの私でしたが、診察で呼ばれるまで一時間はたっぷり待たされ、会計カウンターに行った時には、受付も2か所だけになっており、薬局宛て用ファックス機にはカバーが掛けられ、外来患者用出入り口も車いす等の片づけが済み、警備員さんが回転ドアの電源オフのタイミングを計っている状態だし。これで、あの採血にもっと時間を要していたらどうなっていたでしょう。ブルッにほんブログ村 健康ブログ
2011.09.03
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きょうはね、予防接種があったのか、お隣の子が朝から「いやだぁいやだぁ!」とずっと泣いていて可哀想な位だったわ。そう言えば、貴女たちは一度も泣いたことがなくて、お母さん、ずいぶん楽だった。接種会場の中を走り回って逃げていた子もいたのにね・・・お母さんが教えてあげた注射する時のお呪い覚えている?先生が針を刺す瞬間に、お母さんの方を見ながら、お母さんと一緒に「がまん」って言ったわよね。その間に注射は済んでいて先生に「泣かなくて偉かったね」といつも褒めてもらえたわね。先生に褒めていただいた後のお母さんからのご褒美は思いっきりハグしてあげる事だったわ。次の注射の時も、褒めてもらって思いっきりハグしてもらいたいから、いつも「がまん」できたんじゃないの?最近、テレビによく出ている〇〇ママ先生も『とにかく褒めてあげなさいッ』とおっしゃっているじゃない。お母さん、正しいことしていたのかな?お母さんは、とにかくハグすることが全てのコミュニケーションの基本だと思っていたからね。妹なんかは小学校6年生位までハグされる時に、片足をお母さんの足にしっかり巻きつけていたわね。その癖は私たちみんな今でも抜けないみたいね・・・この前、貴女たちが帰省した時に母さんや父さんとハグしているのを見て、彼氏達はびっくりしてたもんね。あれは、我が家独特の光景だと思うわ。この伝統は、貴女たちが自分の赤ちゃんを育てる時にも受け継いでいって欲しいわぁにほんブログ村 健康ブログ
2011.08.31
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お盆で丁度帰省していた8月16日の朝4時頃でしょうか・・・突然部屋をノックする音と、「ちょっと悪いが、バアさんの様子が変なんだよ。見に来てくれないか?」と父の切迫した声で、眼が覚めました。「どうしたの?」と問いかけても、母は洗面器に嘔吐しているばかりで苦しそうです。どうやら、毎年1~2回は必ずなる症状です。「早く救急車を呼びましょう」こういう時にはやはり主人は頼りになります。母は「じゃあ、せめて着替えなくちゃ・・・」と苦しい声で。「何言ってるの! そんな事より早く診てもらう方が大事よ。」と言いながら、私は2階に駆け上がり洗顔と身支度を整えました。そうこうしている内に遠くの方からピーポー ピーポー と音がして来たので、主人は懐中電灯を持って誘導しに外へ出ました。 救急車が到着してから、出発するまでに30分位はかかるので、その間に入院しても大丈夫の様に最低限の物を大急ぎで用意しました。母はその間ずっと「私の入れ歯!入れ歯忘れないでぇ」と繰り返しています。「何を言っているんだお前。入れ歯よりまず体を診察してもらわなくちゃだめだろ・・・」父の言葉に一時は納得した母でしたが、救急車に乗ってからも「入れ歯、入れ歯は?」と気にしているので、「入れ歯ちょっとしないでいると顎が委縮して合わなくなっちゃうものね。先生が嵌めていいとおっしゃるまで私が持っているわ。」と私。「ばあさんも80過ぎていても女だからなあ、そりゃあ気になるわな」との父の一言で、緊張した場面の中にもちょっとした和み感が・・・そして、いざ出発という時に隊員の一人が主人の傍にいらして、「私たちはこれから緊急走行で病院に向かいますが、貴方たちは交通規則に乗っ取って注意して病院に来てください。」と一言。「はい、承知しました。」と主人。 で私たちは救急車とは別の道を選択し、救急外来に着いてみるとまだ救急車の音も聞こえません。「私たちの方が先に着いたって知れたら不味くない?」とそのまま5分程車内で待機。救急車が到着したのを確認してから合流しました。 母の腸閉塞はもう28年も前になる長時間にわたる腹部切開手術がそもそもの原因です。空気に触れると、どうしても癒着が起きやすくなります。その後も2度程大きな手術を経験しているので、何か所もで癒着が起きているようです。それは大腸だけではなく、小腸も何か所か癒着していて、カメラ挿入は不可能です。癒着が起きている分、腸の動きも制限されますし、食べ物の通過も時間が掛かります。「先生、母はいつも腸が詰らないように気を付けて、消化の良い物だけを時間をかけて食べるようにしているんですが・・・」「いや、ここまで来るともはや食べ物は関係ないですね。多少ガスが通って行くから全く詰っている訳ではないですが。詰まったら入院して腸の通りを良くし、退院してもまた数か月経つと詰って来る。高齢になって来ているし、今後はこれの繰り返しだと思っていてください。本人は痛くて辛いでしょうが仕方ないですね・・・」「開腹手術の可能性は?」「最終的な手段ではそうなりますが、もうこれだけ癒着していると、かえってリスクの方が高いでしょう」先生の説明に、その場に重い空気が立ち込め、私も言葉を失いました。幸い、今回母は10日程で退院できました。今まで以上の家庭での見守りとケアが必要になりました。 腸閉塞とは 腸閉塞の原因は、いくつかの要因が考えられます。 •腸が何らかの影響で屈曲したり腸の運動が妨げられ通過障害を起こす場合。これは以前に手術を受けたり、結核などで腹膜炎を起こしたことのある人に起こりやすい。 •中高齢者の場合、腸の壁に腫瘍などができたり、結核などの感染が起こり、通過障害が起きやすい。 •消化の悪い食物や、胆石や糞石などの異物がつまり、通過障害を起こす場合。これは小腸と大腸の境目を閉塞することが多く、また便秘気味の人にも起こりやすい。 •腹部で腸以外の場所にしこりができ、腸を圧迫して障害を起こす場合。腸以外のがんや、腸をまたいでいる血管に圧迫されることによって起こります。 •お腹の中にある狭い穴に腸が入り込み通過障害を起こした場合。ヘルニア(脱腸)による腸閉塞など。 •腸が自然にねじれて障害を起こす場合(腸捻転)。腸が長い人に起こりやすい。 •腸の動きが麻痺して内容物が停滞する場合。脊髄損傷や脳梗塞などの神経障害を持つ方や腹膜炎などの腹に炎症がある人に起きます。 •腸の一部が連なる腸の中へ入り込んで通過障害を起こす場合。 •腸の血管のつまりや高体温、ヒステリーなどによっても障害が発生します。 症 状腸の内容物の通過障害の場合は、この内容物を下に流そうとして腸が活発に動くために腹痛が起こります。また、この腹痛は腸の動きに応じて痛みに強弱があり、周期的に起こります。 腸が何かの影響で締めつけられて通過障害が起こった場合は、急激に腹痛が発生し、しかも絶えることなく続きます。さらに、腸への血管も同時に圧迫され、血液が腸へうまく流れなくなり腸が腐ることもあります。この場合は腸に孔があき、腸の内容物が腹部の中に広がり腹膜炎になります。 また、閉塞部より口側では、腸の内容物が貯まり腸管が拡張し、おなかがはってきます。このまま閉塞部が治らないと内容物が過剰になり、逆流を起こし腸液を嘔吐(おうと)するようになります。さらに閉塞部より肛門側に腸の内容物は流れなくなり、排ガス・排便が停止します。 腹痛、嘔吐、腹部膨満、排便・排ガス停止のこれらの4つの症状が主な症状となります。 診 断腸閉塞の診断は、その症状や過去の病気、腹部単純X線写真から簡単に診断できます。腸閉塞が疑われても腹部単純X線で異常がない場合は、CT検査をおこなうこともあります。大腸に閉塞があると思われるときは、原因を確認するため注腸検査をします。 治 療内科的治療一般に症状が比較的軽い場合は、食事や水分の制限を行い、脱水や塩分やカリウム、カルシウムなど電解質異常を改善するために輸液を行います。また嘔吐や誤嚥(ごえん)の予防、腸の内容物貯留によるさまざまな症状をひき起こさないように、鼻から胃や小腸にチューブを入れることもあります。必要に応じて鎮痛薬、抗生物質を投与します。またS状結腸の腸捻転症の場合は内視鏡や注腸による治療で治ることもあります。 外科的治療腸への血流障害を伴い、腸管が壊死(えし)におちいりやすい腸閉塞や腹膜炎による腸閉塞は、急速に状態が悪化するので緊急手術を行います。 緊急手術を要さない腸閉塞でも、内科的治療で治らない場合は手術を行います。この場合できるだけ合併症を起こさないように、輸液や抗生物質の投与、チューブによる腸の内容物の除去などで体の状態を整え、さらに検査で原因を明確にしてから手術を行います。 参照文献:http://www.byouki.org/003/post-35.htmlにほんブログ村 健康ブログ
2011.08.30
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私の頭内爆発症候群は、ある朝方に突然始まりました。 前日までは何の予兆も無かったのに・・・ 眠っている筈の私の頭の中で「バーンッッ!」という爆発音が鳴り響きました。!その音に「キャッ」と目が開いた私の周りは真っ暗な虚無の世界で、何の音も感覚も無く、まるでブラックホールの中に居る様な感覚。私はその無感覚な感覚に「 わ た し は い ま 死 ん だ ん だ 」と確信しました。激しい動悸が少し治まってから、両手で恐るおそる顔を触ってみると、口や鼻、目や髪の毛など確かに存在しています。今度は頭の方から段々と身体の下の方に向かって震える手で触っていき、身体が飛び散ったのではないことを少しずつ確認して、、、、そうして、やっと自分は死んだりしたのではないことを確信。後の何時間かは胸の動悸が正常になるのを静かに待ちながら、息をひそめて朝が来るのをコワゴワと待ちました。これが衝撃的な初体験その後、何日か続くこともあったり、週に一回位なったり、まさに突然に爆発に遭遇するのです。時には激しい閃光を伴うことも・・・ また、「パシッ!」と電気がショートした時と同様の音の時も!空中を落ちて行きながら(これは夢)、爆発に取り込まれていく時も・・・その後の検査から、私の睡眠は、一晩中、レム睡眠と覚醒の間を行ったり来たりで、一番深い段階であるノンレム睡眠のS4には一回も到達していない事が判明しました。結局、レム から ノンレム へスムーズに移行することが出来ないことが原因?になって脳のどこかの神経に反応が起きるのでは・・・・という先生の仮説ですとにかく、文献もないのですから対症療法だけです。私は、『眠りを深くする薬』と『眠りの質をよくする薬』を処方していただきました。少しでも思い当たる点がある人は一度、睡眠外来のある病院を訪ねてみてくださることを願います。 ---以下、ネットで最初に見つけた資料---『頭内爆発音症候群』は非常に稀な症候群で、医学文献にはほとんど記載がない。この症候群は1988年、イギリスの医師によって初めて報告された比較的新しいものだ。以後、詳しい報告は存在していない。http://x51.org/x/04/03/3047.php ---以下、『ぐっすりネット』からお借りした文章---レム睡眠とノンレム睡眠睡眠はその深さと特徴によって、レム睡眠とノンレム睡眠に分類することができます。眠りに落ちると、まずレム睡眠が始まり、しばらくすると深いノンレム睡眠のステージに入ります。レム睡眠とノンレム睡眠はセットで発生し、平均的には約90分サイクルで繰り返します。ベッドに入ってから目覚めるまでの間、個人差はありますがおおよそ約80分~110分のサイクルで、レム睡眠とノンレム睡眠は交互に規則的に4~5回繰り返します。6時間睡眠の人の場合、約90分サイクルを4回繰り返しているわけです。この90分サイクルは、5歳~10歳程度の子どもの時期に形成されることがわかっています。なお、最初の約3時間はノンレム睡眠の占める割合が高く、その後はレム睡眠とノンレム睡眠は交互に発生し、起床が近づくにつれてレム睡眠の時間が長くなってきます。http://www.gussuri.net/
2011.07.31
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『頭内爆発音症候群』国民の皆さんの殆どが聞いたことの無い病名です。←確信!私は症状の余りの苦しさから逃れたくて、地元の病院を、いくつ訪ねたか数えるのも嫌になる程回りました。 そして、最後の望みの綱として紹介状持参で訪れた大学病院の先生にも「そういう症状はまれに聞いた事はあるけれど、病名は判らないな・・・」と仕方なく、ネットで症状検索を必死に行い、結果、やっと或るサイトに私の症状にピッタリ該当する、『 頭内爆発音症候群 』という名前が出て来ました。自分の病名が判明すると、大きな不安から解放されてちょっと安心しますよね。けれど、「ネット医療相談」の種々有名サイトにこの病名で相談しましたが、どの先生にも「聞いた事の無い病名ですね。」と返信されてしまいました。そこで、前に訪ねた大学病院でもう一度診察を受けると、その先生も研究心から色々と調べてくださり、結局私が行き着いた同じサイトから情報を得てくださっていました。情報サイトも少ないです・・・先生も対処したことの無い症例なので、服用薬を増減したり、飲み合わせを替えたりしながら、副作用がなるべく少なくて症状が軽くなるようにアドバイスをしてくださいました。田舎から東京への通院は苦労もありましたが、ほぼ2年位かかって、私はやっとこの「空虚な死」を体験する怖ろしい病気から解放されました。この『頭内爆発音症候群』には特別な人だけがなるのではなく、誰もがある日突然になり得るし、治してくれる先生が見つからずに、実は独りで悩んでいる人も多いのではないかと・・・思います。だから・・・・ちょっとでも多く人にこんな病気があることを知っていただきたいのです!でも、その怖ろしい症状については、今夜書く気力がありません。事実、思い出すのも嫌になる症状!続きは明日の日記に書きます(-_-;)
2011.07.30
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