PR
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着
27日のお昼過ぎ、長野に戻る前に病院へ顔を出した時、
母は昨日と違って何やらニコニコしていました。
「何かイイことがあったの?」
『 昨夜さあんざ考えたんだけど、やっと決心がついたのよぉ~
』
まるで悟りを開いたような顔・・・
『 本当なら54歳の時に無くしていた命を助けてもらって、27年も長く
生きる事が出来たしね。
そのお蔭で曾孫まで抱くことが出来た。
御爺さんと一緒に日本や世界をあちこち旅行することも出来たし、
もう何も思い残すことは無いから、
いつお迎えが来ても良いと心の準備ができたわさ。
だからもう手術はしたくないんだよ。
またこういう症状になったら病院へ入って治療すれば暫くの間は
大丈夫なんずら?
もし私が先に逝くことになったら爺様が寂しくなって可哀想だから、
直ぐに迎えに来てやるから・・・
』
と言いながら段々と涙声になっていく母。
私は主人に掴まって身体を支えるのが精いっぱいになってしまいました。
奇しくも
母が述べたように、
この27年間は、母にとっては病気や怪我との闘いの連続で、
その闘病の姿で生きる力の強さを私たち家族にも示し教えてくれました。
最初に胃癌が判明した当時はインフォームド・コンセプトという概念も皆無で、
家族会議の結果、本人の精神力や体力などを考慮して告知せず胃潰瘍と
いうにして手術を受けました。
胃と脾臓の全摘、
そして肝臓の一部切除、胆のう半分摘出・・・
その後の抗がん剤、放射線治療等、それはそれは壮絶な闘病生活でした。
その後も 腸捻転による入院
子宮と卵巣がんによる全摘手術
大腸のS状結腸がんの手術
転倒による大腿骨骨折で手術
毎年一年に1~2回腸閉塞で入院
そして、今年は2月と8月に続いて3回目の腸閉塞で入院~
大腸検査は、
下行結腸までは何とかカメラを通す事が可能ですが、
その先の横行結腸等は横隔膜や小腸などと癒着してしまっているため
検査することも不可能なんです。
レントゲン写真を見せて頂きましたが、至る場所で癒着と閉塞が発生していて、
実際に母のお腹の中がとうなっているのか想像もつきません・・・
と説明してくださる先生の言葉も心が否定し拒否したがるけれど。
しっかりと現実を受け止めなくては!
そうしなければ私も母と一緒に病気と闘えないから!
長野へと向かう車の中で、父が発した一言を思い出しました。
『いつもはさぁ、ワシが行くと文句ばっかり言ってたくせに、今回に限っては、
顔出すと嬉しそうにニコニコして、なぁ~んにも文句を言わないんだよ。
ワシャあ、頭までおかしくなったんかと心配でさぁ。なんか観音菩薩みたい
に見えて来たよ。』
毎日草取りしているので雑草の無い南庭 母の希望で設置した石灯篭
大きく育った2本の金木犀が良い香りを
急性虫垂炎 馬鹿にするべからず 2016.03.06
大人気も無く泣いてしまった私・・・ 2015.08.23
胸震えた熱いメッセージ 2014.11.11