ラッコの映画生活

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2007.02.22
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カテゴリ: ヨーロッパ映画


KATYA ISMAILOVA
Valeri Todorovski

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寸評:単純な物語で、サスペンスとして見れば品のいい土曜サスペンスドラマだが、インゲボルガ・ダプコウナイテが女性の微妙な心の揺れを演じていている。94年カンヌ映画祭・監督週間正式出品作、94年ジュネーヴ映画祭・女優部門グランプリ。

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この監督さんを女性とするサイトもあって、でもトドロフスカヤじゃないな~?って調べてみましたが、1962年ソ連(現在ウクライナ)生まれの男性でした。この映画で描かれていると感じた点は2つあります。一つは恋愛を中心とした人の生き方での男性論理と女性論理の違い。もう一つは法律など社会の決まりからの拘束を外されて倫理的に自由を与えられたときの人間です。

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カチア(インゲボルガ・ダプコウナイテ)32才は、夫ミチアの母で売れっ子小説家イリナの原稿をタイプで打つ仕事をしている。夫との仲が特に悪いわけでもないけれど、そしてマザコンとまでは言えないだろうけれど、お母さんを崇拝していて何でも彼女の言いなり。まあ冴えない平凡な男。イリナもそんなに性悪で意地悪ってわけではないのだろうけれど、有名作家っていうプライドがあるから、この3人家族の中で自分中心に勝手放題で、他の2人に対して一種の支配者となっている。カチアはもともとタイピストとしてイリナの仕事をしていたのを、原稿を取りにきた息子ミチアと会って結婚したらしい。夫にとってカチアは、居て邪魔にならないとりあえず居た方がいい妻、って存在のように感じられる。愛だ何だってのではなく、そして母親の方が重要と言うか。カチアは子供もいないし、ピチピチの若さではないけれどまだまだ女として若く美しいし、平凡で閉塞的な日常に飽いている。女として生きたいって情念のようなものは枯れていない。でももともとそういのを外に出して生きるってことが苦手な、控え目とでもいった彼女なんですね。

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夏を過ごす別荘に3人はやってくる。カチアは義母の新作をタイプする。義母イリナにはロマノフってかなり親しい予審判事をしてる男性がいて、この新作の結末もロマノフのアイディアらしい。男は女を捨てて去るのだけれど列車で暴漢に殺されてしまい、女は気が狂うという悲劇的結末。別荘には家具なんかの修理をずっとしてもらってるセルゲイって男が出入りしていて、ある晩カチアが一人のときにこのセルゲイがやってきて、でカチアは彼の誘惑に負けて身を任せてしまう。それから段々にカチアの生活がおかしくなっていく。

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(以下ネタバレ)
抑圧されていた女の情念。セルゲイとの官能的関係。カチアはどんどん彼に惹かれていく。前夜カチアがセルゲイに身を任せた翌朝、別荘のテラスで一緒に朝食とりながらイリナはめざとくカチアに言う。「今朝のあなた活き活きしてるわね。夫から解放された喜びかしら。」そしてある夜、夫は仕事でたぶんモスクワで、イリナは居るのだけれど、セルゲイが訪ねてきてカチアと激しく抱き合っているのを、義母イリナは目撃してしまう。翌朝別荘のテラスで朝食とりながらイリナはカチアに言う。「息子には黙っていましょう。ちょっとした過ちで、なかったことにしておきましょう。」でもカチアはセルゲイに出会って、死んだような今の生活ではなく、愛に生きたいって思っている。それに対して「年上の女を若い男が真剣に愛するなんてないわよ。」ってカチアを諌める。そんな会話で興奮したイリナは持病の心臓発作を起こし、はやく薬を持ってくるようにセルゲイに言われるのだけれど、薬を取りに行ったカチアはすぐには持っていかない。殺意っていうのかどうかはわからないけれど、躊躇するんですね。イリナに対する恨みっていうよりも、今の無味乾燥な死んだような生の象徴なんですね、イリナは。ニトログリセリンか何かでしょうか、薬が遅れて彼女はそのまま死んでしまう。

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母親に死なれて夫ミチアは意気消沈。だからってカチアに精神的支えを求めるっていう感じはしない。そういう心の交流が2人にはない。カチアはそれを求めては来たのでしょうが。夫にとっては母親でもあり、崇拝する著名な小説家でもあるイリナがいて、何のとりえもなく積極的に気持ちを表せないカチアを理解することなどなかったんですね。ただ「冷たい女」って言うのみです。だから別荘に来た夫ミチアは妻とセルゲイのただならぬ雰囲気にも気付かない。言われて初めて激怒するんですね。それも愛する妻を寝取られたとかではなくって、有名作家を母に持ち、財産もあって、ホワイトカラーの自分に対して、下働きの修理工だからこその怒りなのだと思います。実質がからっぽのプライドですね。夫とセルゲイは口論になって、成りゆきでセルゲイは夫を殺してしまう。そしてカチアと庭に穴掘って死体を埋める。

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疑惑を持ちつつも「力になる」ってカチアに言っていた義母の親友/愛人?のロマノフ予審判事のところに行って、カチアは2つの死に関するすべてを告白する。でもどの件にも証拠がないし、「君の力になる」って言った以上告発とかできない、ってロマノフは言う。この辺のロマノフの心理はよくわからないけれど、真実や法律よりも人と人との信義を重んじるということならちょっと面白いですね。西洋映画見ていると同種のことが出てきます。個人の責任を持った生き方とか人と人のつながりの方が制度的法律よりも重大というか。とにかく結果としてカチアは、自己に関するすべての自由を与えられてしまったわけです。思い起こされるのは書き換えられた小説のハッピーな結末と、オリジナルの悲劇的結末です。カチアはどうするんでしょうね。この映画は機会があれば見ていただきたいと思うから最後の結末は書かないでおきます。お知りになりたい方は goo映画 でご覧になって下さい。結末も書かれています。

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この映画を見ていて感じたのは、カチアが見殺しにした義母イリナと、カチアからセルゲイを奪った若いソニアの2人の女性なんですが、なんかこの3人は女性同志として実は理解し合える3人のような感じがしてなりませんでした。年齢や環境や性格なんかは違うんですが、同じ女性の三態のようでもあるんです。女性とは違う男性原理の男たちに対してどう自分が振舞うかの差のような気がします。3人はいわば互いに滅ぼし合ってしまうんですが、ソニアとイリナの間にカチアを置いて、実は男性と女性の本来的断絶のようなものを描いているような気がします。そういう意味でインゲボルガ・ダプコウナイテがそのような女性の心理を上手く演じていたと思います。サスペンス調ではありますが、セルゲイやカチアに警察の手が迫っていくという作りではないので、土曜サスペンスとは全く違います。



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Last updated  2007.03.02 22:23:03
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