ラッコの映画生活

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2008.04.09
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カテゴリ: ヨーロッパ映画
MI VIDA SIN MI (MY LIFE WITHOUT ME)
Isabel Coixet
106min
(DISCASにてレンタル)

MyLife_00.jpg

オムニバス映画 『パリ、ジュテーム』の第7話「バスティーユ」 で注目したコイシェ監督、今日4月9日が誕生日ですね。

Feliz cumpleanos, Isabel!

MyLife_01.jpg

彼女の主要3長編の内2本に好きなサラ・ポーリーが出ていることもあって、 『あなたになら言える秘密のこと』 『あなたに言えなかったこと』 をレンタルDVDやビデオ購入で見てきました。どれも良い、好きな作品です。今年のベルリン映画祭で、フィリップ・ロスの小説『ダイング・アニマル』を原作とした新作『ELEGY』(El animal moribundo)が公開された。原作は(読んでませんが)、地位のある文学教授が、キューバ出身の若い女子学生への愛に、彼女の生理の血をなめるほどまでに溺れていく。一方には自分の老いに対する恐怖もあり、不決断から別れてしまうのだけれど、数年がたち女子学生は教授に、乳ガンの手術で胸を切る前にヌードを撮ってくれと頼む。人間の関係が何の上に成り立っているのか、アメリカのピューリタニズムに対する考察、そういうものらしい(←原作小説の話)。教授をベン・キングスレー、女子学生をペネロペ・クルスが演じていて、デニス・ホッパーも出演とのこと。批評を見るとイマイチのようですが、コイシェ監督がこの難物小説をどのように料理しているか早く見たいものです。

MyLife_02.jpgMyLife_022.jpg
Elegy 』↑)

さて『10のこと』ですが、実はあまり書くことのない作品。名作だし、好きなんですが・・。ストーリーも平凡なら、映画作方も普通。でも役者、特にサラ・ポーリーの名演と、描かれる事態や心理に対する監督の深く的確な考えがあると、それだけで立派で魅力的な名作映画が作れるということです。23才のアンはニルヴァーナのラストライブで知り合ったドンと暮らしている。最初の娘を17才で出産して、今は娘が2人。夫は失業中で、彼女は大学の夜間の掃除婦をしている。

MyLife_03.jpg

そんな彼女は病院での検査の結果余命2~3ヵ月の末期ガンと宣告される。多少余談ではあるのだけれど、まず本人が医師に宣告され、本人が家族に知らせる or 知らせないの決定権を持つ世界は良いですね。この映画で印象に残る2人目の人物はこのトンプソン医師。最初は廊下か待合室のようなところのベンチで横に座って死を宣告するのだけれど、内気な医師は次回からはそのベンチの前に椅子を置いて正面で体面しながら話をする。単に治療する大多数の患者の1人として、仕事で対するのではなく、近い死の運命を与えられたアンに人と人として正面から接する、あるいは自分をも介入させる、そういう姿勢を描いています。

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職場で彼女が吐いたとき同僚に理由を尋ねられて、社会の常識に覚える怒りのようなことを彼女は口にするけれど、こういった細部にコイシェ監督は自らの社会批判を軽く入れてる感じです。この医師の態度にしても、あるべき医療に対するコイシェの意見なのだと思います。悪い医師を登場させて描けば医療界から批判を浴びかねないから、こうして理想的医師を描くことでそうではない医療を批判するというのは上手いかも知れません。他の映画でもほんの細部としてこういうことが入れられているけれど、その辺はコイシェがもともとジャーナリストだったことと関係あるのでしょう。

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どうせ治療のすべもないのだからと、彼女は入院などせず、家族には貧血と偽って、そのままの生活をしながら死をむかえる決心をする。病院に入れば人生でやり残したことは出来ないし、死まで自分も家族も暗い日々を余儀無くされると考えるわけです。そしてそんな彼女の意志に、なるべく苦痛を止めるなどの薬を処方することで、トンプソン医師は協力します。

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彼女は夜のカフェでしたいことをノートに列挙し始める。それが10項目あって、この日本語タイトルにされたわけです。もちろんその中には近い死と深い関連のあることもあるけれど、実は余命が50年であっても2ヵ月であっても同じことで、また例えば「好きなだけお酒を飲み、タバコを吸う」という項目もあるように、この映画は "生" を賛美、肯定した映画だと思います。

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こうして冒頭に2~3ヵ月の余命の宣告があり、その後の展開も10項目のこととして最初の方で語られてしまう。だからこの時点で既にある意味映画は終わってしまう。あとは消化試合のようなもので、その展開が新しい物語を生むことはない。10の項目の中には「夫以外の誰かと恋をする」というのがあって、それは実現するけれど、だからと言って、なにせ1~2ヵ月間のことで、その後は彼女は消滅してしまうわけだから、男性2人を巻き込んだ三角関係のドラマが成立することはない。

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彼女と夫、彼女と恋人、彼女と刑務所の父、彼女と母、彼女と医師、彼女と娘たち、彼女と美容師、彼女と同僚、そういう形でほとんど各人物は交わることはなく、それぞれがバラバラな物語(あるいは日常)として描かれる。10の項目には「娘たちに新しい母親を見つける」というのもあって、それは隣に越してきた同じ名前のもう一人のアンになるのかも知れないが、そのことも描かれるわけではない。映画は彼女の死で終わるわけだから、彼女が死んだ後のことなどわかるはずもないのだ。映画のドラマはすべて最初に終わってしまっていて、あとは個々の人々の生を描いているに過ぎず、これがこの映画の語りに手法かも知れない。

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余談だけれど、病院で検査が長引いていたとき、アンは学校に娘を迎えに行けないで、看護婦に「学校の前で、寒い中母親を待っている小さな娘が想像出来る?!。」と怒りをぶつけたとき、メガネをかけたやや太めの看護婦は、彼女の子供時代とでも言うような太めのメガネをかけた少女が学校の前で一人佇んでいる様子を思い浮かべるのだけれど、その子供がなんとなく子コイシェのように見えてしまった。コイシェ監督の一種のカメオ出演に思えてしようがない。

MyLife_10.jpg

この作品を含めた3本の長編、いずれもコインランドリーが出てくる(『あなたになら言える秘密のこと』では洋上プラットホームの洗濯室)。これはコイシェ監督が昔よく利用した場所でもあったかも知れないし、たいてい一人で行って、洗濯機に衣服を入れてしまえばただ時間を持て余し、待つだけという、人と人の出会いを描くには格好の場なのかも知れない。でもそれにしては多用し過ぎだし、『秘密のこと』では出会いの場ではなかった。思うに、汚れた衣類というのは、たとえば汗という生理現象の結果であり、過去の生の痕跡だ。そしてそれを洗い流すというのは、生の更新であり、またそのくり返しというのは生そのものを象徴しているのではないだろうか。場合によっては過去の生を踏まえての、新しい生への仕切り直しの意味もあるかも知れない。同僚のローリーは常時ダイエットで過食と拒食をしている。コイシェにとっては、食べることは生そのものなのだと思う。『パリ、ジュテーム』のやはり余命の短い妻もクネルだかニョッキを盛んに作っていた。

MyLife_11.jpg




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Last updated  2008.04.10 01:00:20
コメント(8) | コメントを書く


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豚みたい~  
子どもの台詞は、辛らつな言葉でしたね。
子どもって正直すぎて痛いです。
あの拒食・過食症の彼女が病気だって
いうことを痛感させられる言葉でもありました・・

新しい恋に関しては、ちょっと違った見方で見てました。何の不満もない旦那様ですが、若くして母親
になってしまい、子育てに追われる日々、母として
ではなく、女性として誰かと愛し合うということも必要だったのではないのかな?と母の感覚であの
恋愛の描写を見て感じました。とっても必要な
ことだったと思います。

健康的に、豚みたいではなく美味しく食べたいですね、彼女の作った牛乳で美味しくしたチキンを!(笑) (2008.04.10 02:06:14)

Nobubuさん   
racquo  さん
>子どもの台詞は、辛らつな言葉でしたね。

ローリーのあり方は本末転倒なんですね。
冒頭で裸足で雨に打たれるサラの美しい映像があって、
セリフ(独白)は生を感じる喜びを語っていた。
まずはそれを知って、そしてそのためには食べることですね。

>新しい恋に関しては、ちょっと違った見方で見てました。

いえ、内容的には、
Nobubuさんと全く同じ感想ですよ。
あえてこのレビューでは情緒的な感想は書かなかっただけです。
そしてあの男性は彼女がカフェで「したいこと」を書いているときに
彼女を見ていた男性なのですが、彼女は暗く沈んでいたのではなく、
2ヵ月を生きる活力に燃えていたのではないでしょうか?。
その生きようとする生命感が男を惹き付けたのだと思います。

上掲の写真でコインランドリーの一つ上の、台所で料理を温める彼女を
後ろから夫が抱きしめている映像なんですが、
これ『パリ、ジュテーム』と全く同じですね。
料理をする妻を男が後ろから抱きしめていて、
ちょっと邪魔ながらも、女も幸福そうです。
何か好きな構図です。強いロマンティシズムを感じます。
コイシェ監督と恋をしたらやらなければならない行動ですね(笑)。

(2008.04.10 02:45:12)

Re:『死ぬまでにしたい10のこと』イザベル・コイシェ監督(スペイン2003)(04/09)  
aire_rino  さん
これは泣きました~
母として小さい子供を残すことがアンと同化して辛かったです。
ただ親が居なくても子は育つということを実感していると、
多少自分が早く逝っても子供は大丈夫だと思えるんですよね。
監督はそういうことも知っているのかな?と感じました。

料理中に後ろから・・・私も好きだったりします~
忙しい時は本気で「邪魔!」とも思いますが(笑) (2008.04.10 08:05:24)

aire_rinoさん  
racquo  さん
>母として小さい子供を残すことが
>親が居なくても子は育つ

映画は、子供の母アンに対する執着のようなものが、
あまり強くは描かれてなかった感じで、
まさに「母として小さい子供を残すこと」であって、
「子供として母を失うこと」の物語ではなかったですね。

映画の中でアンの声がアンに「You」と語りかける話法がありました。
倉橋由美子の『暗い旅』を思い出したりしたのですが、
「私」と一人称で語るよりも、さらに主観性があると思います。
(ちなみにこの小説はオススメです。)

でもどうなんでしょうか?。
17で出産して今23なのだから、2人の娘は5才前後ですね。
その年令で母親を失った子供のもとに毎年誕生日に
既に亡き母が生前録音したテープが送られてくるというのは・・。
自分がトンプソン医師の立場だったら、
娘たちが18とか20くらいになったとき、
事情を話して、謝り、テープをまとめて渡すかも知れません。

>料理中に後ろから・・・私も好きだったりします~

そうですか~、やはり~・・、
残念ながらそういう当たり前に可愛い女性と
そこまでの関係になったことがないか、
あるいはなっても料理をするのは自分だったり、
そんな自分です(寂)。

(2008.04.10 16:15:45)

Re:aire_rinoさん(04/09)  
aire_rino  さん
racquoさん

>「子供として母を失うこと」の物語ではなかったですね。

やけに子供はあっさりしていましたよね。。
以前、私が受け持ったクラスの3歳児も父親の棺桶の周りを飛び跳ねていて・・
かえって周囲の憐憫を誘っていました。
『愛と追憶の日々』でも死に逝く母の愛は子供に届いていませんでしたし。
そんなもんなんでしょうね。

>自分がトンプソン医師の立場だったら、

親は無くとも子は育ちますが、行事や記念日毎に寂しさは実感するものですから、
私ならアンの思いのままにすると思いますよ~
(2008.04.10 22:39:10)

aire_rinoさん  
racquo  さん
>私ならアンの思いのままにすると思いますよ~

やはりそうですかね~?。

ただ自分が生まれる前に死んだ親に対しても、
人っていうのはこだわり・思い込みを捨て切れない。
何が普通ってことではなく、憎んでいる親でも普通は生きているわけで、
ある程度の年令まではその普通でないことを消化する時期だと思う。
そこに毎年のテープってのはどんなものでしょうね。

My Life Without Me という原題は(他の含意も可能だけれど)
私が居なくなってしまった後の私の人生だから、
(これも私が居なくなった後の娘の人生ではないから)
それはあくまで彼女のものだけで良いのではないでしょうか。

(2008.04.11 01:04:01)

この映画をはじめて観たとき  
はる*37  さん
なんて、死をさらっと描いているんだろうと思いました。
猛烈な苦しさをわざと排除した
さりげない寂しさがいっぱいで
彼女の気持ちがすごくわかる私はもちろん泣いたけれど
とにかく淡かったです。

もし、辛く悲しくハリウッド風に描いていたら
きっと近寄りがたかったと思うので
これで良かったのでしょうね。
映画の存在感より、サラのインパクトが、
ものすごく残りました。 (2008.04.11 09:06:22)

はる*37さん  
racquo  さん
>なんて、死をさらっと描いているんだろうと思いました。
>猛烈な苦しさをわざと排除した

冒頭に置かれた病院での宣告が唯一・最大のドラマであって、
それ以後にドラマがあってはいけないんですね。
そして語られる物語は彼女がノートに10のことを書きながら
予想、希望、予定したことだけです。
アンには(サラには)泣かされるんですが、
映画の語法という観点でみると、
実はアンの主観の世界なのだと思います。
アンにとっては最初の宣告が唯一・最大のドラマで、
あとはもうドラマはないんですね、恋愛をも含めて。
なので、最初を除くほとんど映画全体はドラマがないので、
その線での映画作り(語法)が成功すれば、当然

>映画の存在感より、サラのインパクト

だけが残ることになるのでしょう。

(2008.04.11 21:09:06)

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