山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2012.06.07
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テーマ: 街歩き(693)
カテゴリ: 街歩き

       tw2-1
            広瀬川畔コース(GPSトラック。地図は「プロアトラスSV7」)。

  市民センター講座「仙台タウンウォッチング」の第3週は、広瀬川畔の歩きである。集合場所は仙台国際センターロビー、センター前の広場( A )で三原征郎先生のコース解説があって、出発である。

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            仙台国際センター前の出発前の説明。 (2012/6/7 10:16)

  もちろん、私としては、このへんの広瀬川をアユ釣り、ヤマメ釣りで右往左往していて、よく知っているといえば知ってはいるのである。それでも川をみながらの歩きは楽しいのである、いつでも。

  まず、大橋を渡る。上流側の岩盤底に規則正しく並ぶ直径1m以上の大穴があって、藩政時代の大橋の柱穴跡だという。この穴に残った柱材を買い取った人がいて、引き上げると家作が数軒建つほどの大木が出てきたという、三原先生の講義である。

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          キリシタン殉教碑。  (2012/6/7 10:31)

  大橋東詰、上流側のキリシタン殉教碑( B )を観る。彫刻家ならぬある神父さんの作で、篤い信仰心がその出来に反映している塑像だという。そこから大橋をくぐり、河川管理堤防を歩く。堤防から大橋を振り返り( C )、藩政時代の大橋工事にまつわる話を聞く。当時の堤防石垣、建築材運搬道などの跡が残されているのだ。そんな話を広瀬川の釣り師は知らないのだった。

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                広瀬川に架かる大橋を下流から。 (2012/6/7 10:36) 

 遠くに早坂淵を見ながら堤防下流端の銭形不動( D )まで堤防をまっすぐ歩く。早坂淵の左岸も3・11地震で大きく崩落したのだが、川中の崩落した岩と土砂はすでに片付けられていた。崖上の白い住宅は危険そうであったが、今は崖面に強度補修がなされている。

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        広瀬川下流に早坂淵を見る。 (2012/6/7 10:47) 

 コースはいったん広瀬川を離れ、個人住宅の間の狭い路地を辿って、花壇自動車学校の上にでる。そこから少し下り、元虚空蔵の絶壁の絶壁を見上げる( E )が、ここも地震の崩落があって、崖上の経ヶ峰(伊達家3代の霊廟がある)の遊歩道は閉鎖されているとのことだ。川中に崩落した岩がたくさん見え、近年浅くなっていた元虚空蔵淵はいっそう浅くなったにちがいない。

  このあたりの広瀬川は典型的な岩盤底だが、深い溝には良型のヤマメやアユが居ついている。

  評定河原(仙台藩の評定所(裁判所跡)に由来する)橋の上流側で堤防中段に降り、橋をくぐって堤防下端から片平裁判所前まで急な階段を登る。片平の「平」は崖の意で「片側が崖の地」ということも教えてもらう。青葉城の川向かいのこの辺は、伊達家の重臣たちの屋敷跡である。

  階段上には、広瀬川、経ヶ峰、青葉城を見晴らす展望所( F )があったが、木が大きく茂ったことと、行政が建てた大きな看板のために眺望は失われている、と三原先生は残念がるのであった。裁判所前の片平丁通りを南に100mほどで魯迅の旧居跡で、石碑( G )がある。仙台に来る中国人、特に留学生は必ずと言っていいほど、ここに立ち寄るのだそうである。

  さらに南に進むと最終地点「片平市民センター」である。センターは片平公園( H )内にあり、竹のアーケードを通って公園に入る。ここは藩政時代は牢獄の地で、次に旧制二高のグランド、東北大の農学研究所に代わり、最後に公園と市民センターになったということである。農学研究所時代には大学の付置保育所が併設されていて、私も幼い息子、次いで娘を自転車に乗せて、4,5年は朝晩通った。しかし、当時とは、片平丁通りから坂を下る、ということぐらいしか共通点はない。
 国有地だったこの地に市民の施設が建つについては、三原先生をはじめとする地区市民の運動が必要だったということである。

  公園内には伊達政宗が朝鮮から持ち帰った「臥竜梅」のもっとも古い子孫の木があり、センター内の広瀬川展示室には広瀬川の自然に関する様々が展示されている。解散後にそれぞれを見学しながら、帰路についた。

  今日も勉強をしました。






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Last updated  2012.06.18 06:58:43コメント(0) | コメントを書く


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