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2003年07月16日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日書くことは誤解を生むかもしれません。

しかしながら、どうしても気になった記事であったので、ちょっと考えてみたいと思います。

『新潟県白根市立茨曽根(いばらそね)小学校(児童113人)が男女混合だった児童の出席簿を今年4月から、男女別に改めたことが分かった。同校の長谷川清長校長(59)は「男女混合名簿などはマルクス主義フェミニズムに基づいており、思想教育につながる」と説明している。

長谷川校長は3月、「校長室だより」で理由を説明している。高崎経済大の八木秀次助教授(憲法学)らが著書で、混合名簿の背景には男女の役割分担を否定する「ジェンダーフリー思想」があり「根底は『マルクス主義フェミニズム』」と書いていることを紹介。「マルクス主義は共産主義社会の根本思想」と説明した。

ジェンダーフリー社会は▽夫婦別姓▽夫を主人と呼ばない▽男女の違いがある「ひな祭りや鯉(こい)のぼり」は不要――などを目指す社会で「このような社会をつくるための一歩が『隠れたカリキュラム』として学校に入り込んでいる」と指摘。「ジェンダーフリー論者に加担できない」と書いてある。

同校によると、保護者から反対はなく、げた箱やロッカーなどが男女別になった。混合名簿は99年4月から採用され、長谷川校長は昨年4月着任した。長谷川校長は「男女差別は許されない。といって、性差を否定するジェンダーフリーは受け入れられない。一つの思想を学校で教えるのはよくない」と語る。』(6月28日 毎日新聞)

。。。。。はあ、そうですか、という感じで、なにかむなしさを感じる記事です。

まず、これを読んで率直に思ったことは、まだこんな次元で男女差別の問題や、女性の人権の問題を議論しているのかということです。

まずもっては、この校長先生の言っていること。これは全くの感情論で、不勉強極まりない。「男女混合名簿の背景がマルクス主義フェミニズム」「マルクス主義は共産主義の根本思想」とはなんのことか?


八木先生の雑誌等での評論は賛同できる点もあるので、これについては論評しません。

しかしながら、少なくともこの校長先生がマルクス主義は共産主義だからだめ、というのは不勉強もはなはだしい。

私はマルクス主義が専門ではないですが、
ソ連型共産主義は確かに否定されたと思いますけど、
マルクス主義というものはもっと幅広くて深い思想で、いまだ「欧州社会科学の根本思想の1つ」として、深く研究されていますよ。

うちの学部にもマルキストはごろごろいる。
わたしの指導教官のドンはバリバリの「マルキスト」にして「多国籍企業の政治に与える影響」を研究していますよ。

おそらくですが、
八木先生は「マルクス主義」とか書いていても、
「共産主義」とは書いてないのではないでしょうか。

マルクスと共産主義を結びつけたのは、


私の親父が中学校の校長だったもので、よくわかるんですけど、
親父も深く勉強するでもなく、よくその辺の入門書をかじって、校長挨拶とかに使っていました。

この校長先生、単にたまたま八木先生の本を1冊読んで、
「これだ!」
と頭に血が昇ってしまい、日頃の行き過ぎた男女平等に対する不快感もあって、一挙に「男女混合別名簿」の廃止を決めてしまったんでしょう。



この記事から私が思ったのは、
相変わらず、特に田舎にはこういう保守的な親父がいまだ健在だと。

そして、同時に感じたのは、
女性問題や人権問題の運動は、こういう保守親父どもを刺激するパフォーマンスの次元にとどまっているのだろうかというむなしさです。

私が子供のころ、小・中・高校と共学でしたが、当然のように男女別名簿でした。
それが男女差別を助長していたか?

全くピンときません。

中学・高校のころは、男子は女子との、女子は男子との性の違いを強く意識する時期であるので、男女の区別はありませんと意識的に強調するのが人間の成長に自然なこととは思えない。(私の感覚ですけど。。。)

学校では、例えば体育や性教育など、男女別で行なわざるを得ないカリキュラムも多い。
そのために男女混合名簿とは別の名簿が必要になる。合理的でもありません。

男女混合名簿は、男女平等の感覚を子供に植え付けるにはいい面があるのかもしれませんが、それが男女平等の実現にどうしても必要なものとは私には思えないのです。

むしろそれを強行におしすすめることで、田舎になればなるほど地域社会の反発、特に年配の保守的な男性の反発を高め、男女平等の実現を疎外する面が強いように思います。

別の例を挙げます。

「選択的夫婦別姓法案」

私はこの法案の実現に大賛成です。
理由は、女性が社会で働くにあたって、結婚により姓が変わることが不利益になることがある。女性が不利益になる要因は除外すべきだ、という考え方からです。

私の身近な例でお話します。

私の親しいある日本人女性研究者は、「夫婦別姓」の実現を望んでいます。
それは、彼女が結婚して姓が変わったとき、独身時代に彼女が書いた論文が自分のものだと外国で証明できないのだと。なぜなら、日本のパスポートには結婚前の旧姓は全く記載されないからです。

だから彼女は結婚したくても、なかなか踏み切れないのだと。

旧姓を通称と認める職場も日本には増えていますが、
それだけでは不十分な場合も多い。

これが外国だと、名前の表記は柔軟性があります。
例えばディビッド・ベッカム。
彼のパスポート上の名前は「ディビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム」。
このロバート・ジョセフが何を意味するかは知りませんが、
別の例でいうと、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディのように、母親の旧姓「フィッツジェラルド」をミドルネームとすることができます。

日本にはこの柔軟性がない。
これが生活をしていくうえで不都合がある場合には、その柔軟性を認めましょうというのが「選択的」夫婦別姓の本来の意味なのです。

あくまで「選択的」だから、選択しなくてもいい自由がある。
夫婦なのだから同じ姓を名乗りたいという希望を認めないわけでもない。
別に日本の文化を破壊するわけでもない。

このように、「選択的夫婦別姓法案」とは、非常に実務的な法改正のはずなのだが、
ここで女性国会議員や女性運動家が出てきて
「男女差別をなくすために夫婦別姓の実現を!」とか、法案の本来の趣旨からすると全くとんちんかんな声をあげるから、自民党の保守的なおやじ議員どもの反発を食って、いつまでたっても実現しないと。

社会で真に自立して生きていこうと必死にがんばる女性からすると、えらい迷惑な話です。
この法案の実現に奔走する森山真弓法務大臣は忸怩たる思いでしょう。

男女平等の実現は、
意味のない低次元のパフォーマンスに走ることのない、
実際的な問題を1つ1つ解決していく努力が大事なのだと思います。





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最終更新日  2003年07月18日 06時46分19秒


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